◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない192◆
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1343524129/
スレッドに関係ない話題は極力避けてください
ここはあなたの知識を披露するための場ではありません
決定論と自由意志が両立するという両立論は詭弁でしかないように思える
というか自由意志の定義が違うのか
いずれにせよこれらの議論を前提にしたとき社会はどういうシステムの上に立つべきなのだろうか
5 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 14:37:10.06 0
>>4 「決定論」と「自由意志」の概念が、今一つ分かりません。詳しく述べて貰えますか。
知識など常に過去を見ているだけ。未来を見ていない証拠。
知識は土台だよ
創造は知識を元にする、だが土台が絡み合って身動きが取れない状態にまで
酷くなると土台ではなく拘束具でしかない、
10 :
ノウ:2012/09/10(月) 01:19:11.73 i
ゲーム君
練馬区に住んでいるなら東京都に住んでいる
ってのは無意味
それは言葉の関係だけから成立している
最初の質問に関してはそのまんま
説明を読めば何も不思議なことはない
君が不思議に思うのは、君の価値が違う方向を向いてるからだ
真理に価値を置くってのは、言葉においてこのように価値の転換を図ることにある
君は真理に価値をおいてないから、
必ず正しいわけじゃないものに価値を見出すことができないんだよ
11 :
ゲーム:2012/09/10(月) 01:56:10.55 0
>>10 練馬の件はアトまわしにして…w
“数学的証明は無意味。しかし数学自体は有意味”
「それは必ずしも数学が正しくないから」の説明が舌足らずなんだよ。
君はその主張を自慢していたけれども、例によって私の他にはだれも相手にしないだろう?w
ちなみに私も数学には「意味がある」と思っている。君の理由とは違うけどね。
「練馬区に住んでいる」と「東京都に住んでいる」とでは、君ふうに述べるなら“情報量”が異なる。
だれかが指摘していたように「練馬に住んでいる」のほうが情報量が多い、この場合は具体性が高い。
それは「東京に住んでいる」が即「練馬に住んでいる」にはならないことでわかるはずだ。
あいかわらず真理がどうのと余計なことを喋り、肝心の問いをはぐらかす癖は直らないね。
もう一度、質問をまとめる。「数学が必ずしも正しくない」とは具体的にどういうこと?
正しくなければ「有意味」とは? その場合、どんな意味があるのか。
12 :
ノウ:2012/09/10(月) 02:19:16.53 i
011
まんまだよ
「彼は地球のどこかに住んでいる」と
「彼は東京都に住んでいる」では意味の量が違うだろ?
「彼は練馬区に住んでいる」はもっと意味が多い
そして、それはどういう時に間違いになるかを想定してみればいい
意味が多くなるにつれて、間違いになる事例が増えるだろ
有意味ってのは、間違いになる事例があることと等しいんだよ
数学も、その正しさに欠陥がないかどうかは分からない
数学もまた間違いになる事例があるならば、数学は有意味になる
>>12 だが貴方は『Pと¬Pの情報量は同じ』とも言っている。
そのことと、そこで述べていることは整合しない。
「東京に住んでいる」と「東京に住んでいない」とでは
「意味の量」とやらが違う。どういうこと?
14 :
ノウ:2012/09/10(月) 05:06:02.24 i
逆だろ
整合してるだろ
「東京都に住んでいる」と「東京都に住んでいない」の意味の量が同じなんだよ
式どおりじゃないか
>>14 だからそれでは「間違いである事例が増える」=「意味の量が増える」の話と合わないだろう。
東京に住んでいない(=東京以外に住んでいる)事例の方が大きいのだから。
47都道府県だから、Pと¬Pどっちも47分1の量?
17 :
ゲーム:2012/09/10(月) 09:22:30.02 0
>>10 「練馬に住んでいる」なら「東京に住んでいる」は“無意味”と君は述べている。
しかし両者は“意味の量”?が違うといい、一転して
>>12 では「有意味」であるかのような口吻。
ここを整理して語ってみて。
「練馬に住んでいる」と「東京に住んでいる」は情報の量、というよりも“質”が違うので、両者を
並置することは有意味、というのが私見。それが無意味な場合は、前スレで述べたように発信者
と受信者のあいだに東京>練馬が相互に了解されている場合に限られる。
それは地球上ではw少数だろう? 多数の人たちには“有意味”なのである。
「数学」については、いずれご意見を賜りたい。
18 :
ノウ:2012/09/10(月) 09:44:41.75 i
015
「日本に住んでる彼は練馬区に住んでる」
その否定言明
「日本に住んでる彼は練馬区に住んでない」は
ともにある関係のTFを交換しただけだろ
ある可能的峻別をどちらに分類するかの話だし、
言明が表現してる可能的像とでもいうのかな、
それは変化してない
言葉に、〜でない、をつけただけで意味が増大するのは困る気がする
困らないのかねぇ
19 :
ノウ:2012/09/10(月) 09:52:54.94 i
017
論外、
鍵カッコの付け方がまるで分かってない
だから分からないんだよ、君は
君は分からないと思う
これが分かる人はウンコな議論をしない
君みたいなウンコ好きは多分、ビンとこないよ
>>12 > 有意味ってのは、間違いになる事例があることと等しいんだよ
>
> 数学も、その正しさに欠陥がないかどうかは分からない
> 数学もまた間違いになる事例があるならば、数学は有意味になる
数学だけでしょうか。論理も間違いになる事例があるから有意味になるのでは。
>>18 計算方法が違うのでしょう。
21 :
ゲーム:2012/09/10(月) 10:33:33.06 0
>>19 答えられないときに、そうやって罵倒で返す。昔からの君の常套手段だね。w
具体的に、どこが「分かってない」か指摘できない。
物好きな抄録氏と私くらいしか君を相手にするものがいない所以である。
舌足らずの君のいいたいことを、少しく解題する。w
「練馬は練馬である」「練馬に住んでいるものは練馬に住んでいる」
これが君のいう“真”であり、無意味な言明。(これとて恒真ではないが)
それ以外の“練馬”用いる、いかなる言明も“意味”を表出する可能性がある。
>>18 抄録氏にたいするものだが… それは「練馬」という概念に変化がないというだけで、
その言明のキモである「住んでいる/住んでいない」は必ずしも二項対立的ではなく、
そこには幾つかの意味があり、当然、それらは異なる。
22 :
ゲーム:2012/09/10(月) 10:47:09.52 0
>>20 つまり「数学」は“有意味”である必要がなかった、ということだ。
数学にも“意味”がある、というのは他の諸科学と同列になることだからである。
>>22 何故数学だけ無意味でしょう。意味の定義はノウさんと同じでしょうか。
24 :
ゲーム:2012/09/10(月) 11:31:56.99 0
>>23 いや、残念なことに数学も“無意味”ではなかったのである。
「練馬は練馬である」ほど単純ではあるまいが、証明とは等値させることだろう?
差異を消去すること、といってもいい。
しかし意味とは差異であり、それが消されれば意味を失う。
たぶん“数学(的記述)”を、あらゆる差異の“無意味な中心あるいは基準”として
据えようとしたのだろうが、不完全さを孕んでいることが露呈され、数学もまた
“決定不能”性=差異=意味を持つことが証明されたのである。むろん伝聞だ。w
練馬という識別記号の情報量と、練馬という集合の情報量は違う
意味に至っては何をもって意味となすかすら曖昧であり、俺正義が意味だと
いう次元にいることすら理解できていない。
ここで真理を一つ
「何かを他者に理屈立てて説明し、納得させられない奴は実はその事を理解出来ていない」
27 :
ゲーム:2012/09/10(月) 12:23:17.70 0
>>25 何をもって「意味をなすか」は主観的である。(私自身は共同主観的だと思う)
そこで一般論を述べると、たとえば“練馬区”が意味をもつのは他区との差異によって。
この差異化は“東京都”という包括的な概念のもとで可能になる。
もう一つは“練馬”に所属する小地区の分別と集合によって、その意味は具体化する。
上位概念による差異化と所属地区の差異化と集合によって“意味”は広がり、かつ限定される。
しかし所詮、意味は(共同)主観の産物であり、固有性はない。
諸関係の変化によって意味もまた塗り替えられる。
>>24 > いや、残念なことに数学も“無意味”ではなかったのである。
では何故
>>22 > つまり「数学」は“有意味”である必要がなかった、ということだ。
> 数学にも“意味”がある、というのは他の諸科学と同列になることだからである。
なのでしょう。
ゲームさんは唯意味論という主張をしていましたね。すべては意味ならば無意味な行為は無いのでしょうか。
>>26 ではまずそのあなたの書いた真理を説明してください。
>>26 つまり数学の参考書や教科書を書いてる連中は理解してないことを伝えようとしてるってことか
32 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:05:25.25 i
020
そのとおり
論理もまた間違いになる可能性を含むため有意味である
論理には形式論理や直感主義論理や他にもいろんな論理があるが、
どの規則体系も有意味である
33 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:12:43.35 i
021
俺は、答えられない時に罵倒で返すんじゃなくて
ひどい曲解をされた時には相手をしないだけだ
特に君みたいなウンコ好きは、悪意しかない可能性があるからね
トートロジーは恒真であり、必ず正しい
君は自分が使う言葉を見直した方がいい
34 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:21:09.64 i
024
「残念のことに」とつけてるうちは、
君は俺のことを批難できないよ
俺の言ったとおりじゃないか
君は真理に関心がないから、この話題は理解できない
前のスレで俺に一票いれたやつがいただろ
ありゃ、俺の細かい理屈に一票入れてくてたんじゃないんだよ
ゲーム君のスタンスとは違う、新しいスタンスの提示、その価値の転換に一票入ってるんだよ
>>33 そういうのブーメランっていうんじゃなかったっけw
36 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:29:59.49 i
ゲーム君
前から言ってるように
ゲーム君は隠れた絶対主義者なわけよ
ま、ゲーム君は自分は絶対主義者じゃなくて、周囲を絶対主義者と思い込んでるだろうが、
思考においてはそういう思考を持っている
それはゲーム君において、真理に価値が置かれてなくて、正当化に価値が置かれているからだ
君は変わらないだろうし、変えるつもりもない
ただ、俺の発言をまったく違う発言にされることだけは許せん
37 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:33:17.68 0
つうか自分が理解されないのは君の説明力のなさに由来しているわけだから
頑張って理解しようとしてくれている人を 許せん とかどうなの
間違えて名前欄にノウって入れちったww
39 :
ノウ:2012/09/10(月) 16:34:39.38 i
35
トートロジーも知らんバカは書き込むな
バカは嫌いだ
俺は表現こそ平易にしてるけど、ある哲学的態度を表現してるだけだ
ある哲学的態度()笑
ノウにとっての有意味ってなにさ
42 :
ノウ:2012/09/10(月) 17:13:24.11 i
041
存在について、なにがしか語っていること
「ネス湖にネッシーがいる」も有意味だし
「世界は五分前につくられた」も有意味
>>42 それじゃ「2は偶数」っていうのも
2について語っているじゃないか
というと、君は2から偶数は導き出せる自明なことであるから何も語っていないと言うんだろう
というだろうし、さらに2は存在じゃなくて概念であるというかもしれない
しかし、僕は今日本に住んでいる という今の僕について語った事実は
今の僕という存在から 日本に住んでいるという 属性は切っても切り離せない
2が偶数であることと切り離せないのと同じだ
だから「今の僕」という存在を知った瞬間に「日本に住んでいる」は導き出せるものである
そうなると、存在について何かを語るということは無意味ということになる
しかし君は有意味と言っている
どういうことだろう
44 :
ノウ:2012/09/10(月) 17:50:56.42 i
少し、哲学と関連した話題をすると
ラッセルは、自己言及言明は無意味とした
が、これらも有意味であると俺は考える
(ポパーやバートリーは有意味だと考えてる)
無意味なのは、トートロジーや、分析的な言明や、言葉の関係上規定される言明など
そういったものを除けば、すべての言明は有意味である
有意味な言明は嘘と本当に分類できる
ラッセルの挙げた例は嘘にも本当にも分類しづらいが、これは言明が二重の意味を持っているけで、スルーすればいい
そういうわずかな例外を除けば、あらゆる言明は嘘か本当かに分類できる
いや、世界も概念か
だから 2は存在じゃなくて概念である
という反論は成り立たないね
46 :
ノウ:2012/09/10(月) 18:00:43.30 i
043
「今の僕は日本に住んでる」は
「今の僕は日本に住んでない」を想像できるよね
日本に住んでない君という想像が、嘘と本当における嘘に分類できるというだけ
否定を想像できるなら、それは有意味なんだよ
「ネス湖にネッシーがいる」はネス湖にネッシーがいないことを想像できるでしょ?
だから、それは有意味になる
本当にいるかどうかは、その人が調べたらいい
「2は偶数」という言明が有意味かどうかは
「2が偶数ではない」というのを想像可能かどうか考えればいい
ここで、呼び方が違うだけじゃダメ
偶数を規定した時にその性質と外れる2が具体的に可能かどうかが大事、
偶数は2×自然数だから
「2が、2×自然数ではない」を想像可能ならば
「2は偶数」は有意味になる
47 :
ノウ:2012/09/10(月) 18:04:55.01 i
「独身者は結婚してない」ってのが、クワインの出した例だけど
結婚してる人を「独身者」と呼ぶ世界を想像するのはダメってことね
ある独身者が結婚してる世界を想像可能かどうかが大事
48 :
43:2012/09/10(月) 18:18:16.53 0
>>46 それは君が 「今の僕」 という存在を知っていないからじゃないかな
>「2が偶数ではない」というのを想像可能かどうか考えればいい
それは「2」という存在を知っていればできないだろう
同じように「今の僕」という存在を知っていれば 日本に住んでいない は想像できない
>「ネス湖にネッシーがいる」
それは「今」の話かな?
ネッシー だけでは ある自然数 というのと同じだ
今のネッシーと言った瞬間にすべてが決まる
49 :
43:2012/09/10(月) 18:37:47.21 0
まぁある正体不明の存在の範囲を狭めていくってことがノウの言う「有意味」ってことかな
数学で言えば
Aが明らかになっていない時に
「ただし A>B とする」とか「A∋Bである」 みたいな
50 :
ノウ:2012/09/10(月) 18:56:59.59 i
048
知っていても想像可能でしょ
俺はここが日本だって知ってるけど、
「ここが実はアメリカだ」とか想像可能だよ
「わたしは存在しない」ですら想像できる
想像力が貧困な人は想像できないかもしれない
ある種の人は宇宙人が存在することを想像できないし、
オカルトな能力が存在することを想像できない
かもしれない
ネス湖にネッシーがいることを想像できない人もいるし、
人間が猿から進化したことを想像できない人もいるだろう
51 :
ノウ:2012/09/10(月) 19:04:06.88 i
049
知識について、まったく違う方向を向くのが、僕の属する哲学的態度なんです
52 :
43:2012/09/10(月) 19:07:49.69 0
>>50 なんだいその想像可能って
想像可能かどうかの区切りはどこでつけるの
53 :
43:2012/09/10(月) 19:15:27.08 0
というか「今の僕」という存在を知った上で
アメリカにいることの想像は不可能なんだけどな
もちろん悪魔を想像すれば話は別なんだけど
それは2は偶数も一緒
それにしてもノウ君の説明力のなさはなんとかならんのかね
理解していないことを説明するのは無理だから無理
56 :
抄録:2012/09/10(月) 20:01:56.65 0
ん〜?
貴方によればだ、
「彼は地球のどこかに住んでいる」と 「彼は東京都に住んでいる」では“意味の量が違う”のだろ?
「彼は東京都に住んでいる」の方が“意味が多い”んでしょ?
いったいそりゃ何を根拠に言っているのよ?
ダーツの旅よろしく無作為のサンプリングによる可能性なのか
それとも面積比なのか。。。私にはそれぐらいにしか思いつかないが。
もしその思考を前提にするなら、「東京に住んでいる」ことと「東京に住んでいない」
ことは可能性が全然違うじゃない。
そういった話ではなくて、肯定も否定も等価なので意味の量は同じだ、
って話なら
「地球に住んでる」ことと「東京に住んでる」こととの
意味の量の比較可能性とは全然違う話に思える。
何ですかその「意味の量」って?ちょっと整理して教えてください。
いや長文なんでレス代行を頼んだのだよ
シャーロックさんてよく♥つけるけど女なの?
61 :
抄録:2012/09/10(月) 20:52:39.50 0
>ネム氏
貴方の言う「向き」について、何のことやらさっぱりだったが
ここんとこ成り行き上「意味の量(情報量)」なんかを考えてて
我田引水、曲解的にひらめきましたぜ。
「向き」ってのは「傾向」なわけだ。
ここで言われている「情報量」は(それが明晰に説明されたその暁にはw)恐らく絶対値が無い。
「言明が表現する状況」に対する基準を決めてやることでのみ状態量と成りうる。
エントロピーと類似した話なわけだ。
状況の変化が情報量の差を生む。「前提と結論」ありきで成立する話なのだ・
「向き」とはそのような量差に還元するような話なんだろう?それが比率なのか?
ちがうのか?なら受け流したまえ。はっは
>>47 > 結婚してる人を「独身者」と呼ぶ世界を想像するのはダメってことね
>
> ある独身者が結婚してる世界を想像可能かどうかが大事
想像可能であることを無意味と呼ぶのはダメなのでしょうか。
想像可能であることを有意味とすることにはどんな意味がありますか。
>>60 いや極めて清潔なちんこがついているように思われるが
>>59 今哲学板は忍法帳無いから忍者レベル関係なく投稿できるはず。
65 :
抄録:2012/09/10(月) 21:34:47.54 0
>>64 プロバイダ規制だよ
忍法帳とかかんけーねーし
つか俺が俺のレスであることを否定してないんだから俺なんだって
それくらい分かるだろ
何をこだわっとるのかね
これもレス代行を頼みました
しょうもないレスさせられる代行乙だは
他人のレスをしょーもないとか評価できるご身分になられましたか
結構なことですな
68 :
ネム:2012/09/10(月) 22:37:01.50 0
>「言明が表現する状況」に対する基準
そこに傾向性があるという以上の意図はなかったが、
その解説はなかなかにおもしろいアプローチだ
69 :
ネム:2012/09/10(月) 22:43:13.64 0
突然のストーカーさんはおそらく『シャーロックホームズの記号論』でも読んでいるのだろう
「僕は当て推量なんかしない」 シャーロック・ホームズ
「しかし、われわれは当て推量によって真理に達するかまったく諦めるか、どちらかしかない」 チャールズ・S・パース
70 :
ネム:2012/09/10(月) 22:46:53.21 0
我々の推理の傾向が自然の傾向と相関するから、という抄録氏が望むような立場はひとまず採らないw
71 :
ネム:2012/09/10(月) 22:58:16.21 0
意味の意味を説くのは難しい
意味から時間を導くのはもっと難しい
ぼくの直観はそれを求めている
しかし、
72 :
ネム:2012/09/10(月) 23:19:41.38 0
無意味な因果関係の言明は時間をもたない
有意味な因果関係の言明は時間をもつ
して、無意味と有意味の線引きはその因果関係から導けるか?
却下w
73 :
ネム:2012/09/10(月) 23:38:24.04 0
情報を得ること、概念の生むことには方向がある
しかしまた、それは逆向きのベクトルをも意味する
そんなことを言えるためには無意味でも有意味でもなく反意味でも作らなきゃならないなw
いやまてよ、無意味と非意味はニュアンスが異なるかな
74 :
ネム:2012/09/10(月) 23:40:08.67 0
言葉遊びのギリギリだな
いや超えてるかw
75 :
ネム:2012/09/10(月) 23:50:30.85 0
我々は論理的に理解することで時間を、世界を認識しているのかそれとも
おそらく、そのどちらでもある
76 :
ネム:2012/09/10(月) 23:59:11.85 0
有意義な考察なし、と
昨日一日中たこやきを食べ過ぎた原因であるのは間違いない
77 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:17:52.65 i
062
いや、言葉の表現だから構わないよ
カレーをウンコと呼んで、ウンコをカレーと呼ぼうが、
それでウンコを食べれるなら問題ない
恒真を有意味としたところで、あらゆる言明が無意味であり、無意味なものが探求の焦点になるなら問題ない
78 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:24:52.38 i
056
東京に住んでると地球に住んでる
じゃ、意味の量は違う
間違いになる経験的事例の量が違うからである
でも否定によって意味の量は変わらない
もし、否定によって意味の量が変わるなら
二重否定を除去できないのではないか?
否定したら、意味の量が増えるならば、否定をさらに否定したら、意味の量はさらに増えることになる
世の中には二重否定除去を使用しない論理もあるので、
抄録さんがそのような論理を使用してるならば、問題ないです
79 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:33:54.54 i
053
じゃ、君は知ってる人間なのでしょう
僕は知らない側の人間です
で、こう言うしかありません
宇宙人が存在しないことを知ってる人は、宇宙人が存在する世界を想像できないし
ネス湖にネッシーがいないことを知ってる人間は、ネッシーがいない世界を想像できない
神が人間を誕生させたことを知ってる人は、
人間が猿から進化した世界を想像できない
科学が正しいことを知ってる人は、オカルトが正しい世の中を想像できないし
数学が正しいことを知ってる人は、数学が間違ってることなど想像できないのでしょう
なんかユークリッド幾何学をかじった時の感覚だな
解析する為のルールが違う
まあ唐突にそんな話をする人は一般的に既知外って言われますけどね
82 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:47:02.29 i
僕は知らない側の人間なので、
トートロジーや分析的言明以外は、その否定を想像できてしまいます
「世界が五分前にできた」だって十分想像できるし、
「世の中が運命のように全部決まってる」も想像できます
83 :
ゲーム:2012/09/11(火) 00:48:33.42 0
>>28 カラス君
遅くなりました。たしかに誤解を招いても仕方のない言い方である。
「残念なことに…」というのは私の感慨ではない。
“数学”にとって、あるいは数学者にとって「残念」という意味。
数学にとって“有意味”は、その地位の失墜でしかないからである。
したがって「有意味である必要はなかった」も弱い表現。
数学は“真理”の系、換言すれば“無謬”のそれであり、すなわち“無意味”であるべきだった。
そうであるかぎり、完全なる“神の言葉”として“無意味な中心”を占め、諸科学に信憑性を付与する
特権的立場を保持できたはずである。
依然として数学は特殊な位置にあるとはいえ、その不完全性を暴かれ“神の言葉”ではなくなった…
「残念なことに」と続くわけです。w
84 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:53:24.11 i
そんなサイトあったんだ
俺はわざわざ◯を購入したよ
ま、このスレにいるやつらのために購入したわけじゃないけどな
俺が生きてることを伝えなきゃならないやつがいるから、金を払ってでも書き込んでるだけ
85 :
ノウ:2012/09/11(火) 00:59:04.60 i
063
それがまんま、俺とまったく違う見解だから
だから、君と俺は価値がまったく逆なんだよ
ま、君の言ってることで合ってることが少しある
権威を求める人は無意味であった方がうれしいものだ
世の中には、権威づけを目的とする者と、知識の探求、発展を目的とする者とがいる
86 :
ゲーム:2012/09/11(火) 01:11:19.92 0
>>28 むろん私にとっては「残念なことに…」の反対、といって「幸いなことに…」
というほどでもないが…w
>>83 神は完全な言葉など創らなかった、全てを創ったとされる神は何一つ完全なものを
作らなかった。
その不完全こそが完全な要素だと知っているからだ。
世界の全てが不完全であり、完全な秩序があるとすればそこに存在などが
生じるのだろうか。
88 :
43:2012/09/11(火) 08:31:26.18 0
>>79 そう
知らない人間には有意味なのである
よって証明も有意味と君は認めたわけだ
江戸川コナン=メガネboy
江戸川コナン=工藤新一
友達のゲンタにとってこれらの有意味性は異なる
読者にとっては同じ
しかし江戸川コナンは元々どちらも内包している
2だってすべてを内包している
しかし内包されているものをすべて知ることはできない
それこそ無限にあるからだ
よって数学は有意味なのでした
あと想像可能の定義はよw
89 :
ノウ:2012/09/11(火) 09:04:15.87 i
088
僕は何も知らない側の人間なので
僕にとってたいていの発言は有意味です
が、あなたは知ってる側の人間なので、あなたにとって無意味な言明は多くあるのでしょう
90 :
ゲーム:2012/09/11(火) 09:59:18.56 0
>>87 「神」もまた矛盾している、という意味?
なぜなら、神は「すべてを創った」としながら、他方「完全なものを作らなかった」と、君は語っているからだ。
もし「つくれなかった」のなら、神は「完全な」存在ではなくなる。
完全な存在とは「すべてを創れる」換言すれば“全能”者を指しているからだ。
では、もし神が完全なものを創れば、どうなるのか。
完全なものが二つ存在することになり、ともに“完全(全能)”ではなくなる。
最後の二行の説明を請う。
91 :
ゲーム:2012/09/11(火) 11:05:13.93 0
>>88 ノウ君には無理だろうから、かわって私が… w
江戸川コナン=メガネboyが“有意味”なのは、証明になっていないから。
いいかえれば両者を等値できないから。すなわち「江戸川コナン>メガネboy」だからである。
“無意味”を表出するのは、同語反復(江戸川コナン=江戸川コナン)だけだろう。
ノウ君は鬼の首をとったかのように数年間、このことを言い募ってきたけれどもw同語反復
が成立するのは、それがフィクショナルな言明だからである。ノウ君のいう“存在”の何処を
捜しても「江戸川コナン=江戸川コナンである」事態に遭遇することはないだろう。
カラス君、存在はモノではなく“意味”の世界なのである。(これが唯意味論を名乗った理由)
現在は、少し違った立場です。
92 :
43:2012/09/11(火) 11:38:10.31 0
>>91 あぁ、安易に=など使ってしまったw
>>ノウ
君の理解力には絶望した
>>92 お前のそれは低レベルの理解で単なる暗記となんの違いもない。
>>90 神は全能ではない、完全とは全能または万能を意味するわけではない、
つまり非万能も含めて完全である。人が認知する全能は人が意味を理解
できる類である神の視点からみた全能ではないだろう、人が理解をして
はならない事と思われる。
それはどういうものなのか?ハテ困った。
たぶん神の誘う完全は偶然を支配する秩序だろう、人の知では計れない類である。
例えばサイコロを振るときに次回の振り目を誘導させる力こそ神の力。
95 :
43:2012/09/11(火) 12:03:20.90 0
>>77 探求の焦点と想像可能と有意味は何が違いますか。無意味はトートロジーと同じでしょうか。
トートロジーは同一律と同じでしょうか。言い換えや前提に結論が含まれるのはトートロジーでしょうか。
>>78 情報量の計算方法を示せばわかるかもしれません。
>>83 数学以外でも根拠の無いデタラメが認められないのは同じです。
>>91 どんな立場でしょう。
97 :
ノウ:2012/09/11(火) 20:52:54.08 i
095
俺の書き込みは必ず右にiがつく
98 :
ノウ:2012/09/11(火) 20:59:25.49 i
096
探求の焦点と有意味は全然ちがうね
目的地と性質ぐらい違うね
食事とカレーライスは違うのですか?
って質問と同じくらい違う
トートロジーは無意味だが、無意味なものが必ずトートロジーになるわけではない
例えば、「明日、雨が降るか降らないかのどたならかだ」という言明はトートロジーには還元できない
が、有意味とは捉えられないね
厳密に言えば、有意味なのかもしれないが、
われわれの習慣から、彼は無意味な発言をしてると見なされるだろう
というのも、彼に論理的問題を解決しようという関心があるとは、普通は考えないからだろうね
彼の関心が論理ではなく天気にあるだろうと推測してしまう
99 :
ノウ:2012/09/11(火) 21:09:36.72 i
096
数学以外でも根拠のないデタラメは認められない、とカラス君は書くけど、
実は、数学や論理や経験科学は根拠がなかったりするんだよ
根拠を探し求めると、無限後退してしまう
「〜には根拠がある」と言うのは
ドン・キホーテが、「自分の髪の毛を引っ張って自分を沼から引きずり出した」と言うのと同じくらい滑稽だ
じゃ、根拠がいらないなら、何を言ってもいいのか、どんなデタラメでも許されるか、というと、そういう態度に反対する人は多いだろうね
根拠を探すのはドン・キホーテと同じくらいバカげてる
でも、どんなデタラメでもいいわけじゃない
さて、どうするか?
いい解決方法はあるだろうか?
100 :
ノウ:2012/09/11(火) 21:15:19.40 i
ミュンヒハウゼン・トリレンマってのはこのこと、
邦訳すると、「ほらふき男爵のトリレンマ」などと訳されることもある
ミュンヒハウゼンはドン・キホーテのこと
トリレンマとは、2つのうちどっちも選べないことをジレンマと言うが、3つのうちどれも選べないことをトリレンマと言う
トリレンマの3つの要素は、恣意的打ち切り、無限後退、循環の3つ
定式にしたのは、ドイツの哲学者、ハンス・アルバートだが、(批判的理性論考にて)
古くは古代ギリシャから指摘されていたらしい
101 :
ノウ:2012/09/11(火) 21:24:59.73 i
おっと、100ゲットしてる
ミュンヒハウゼン・トリレンマについて説明しました
102 :
ノウ:2012/09/12(水) 00:44:57.84 i
科学理論は、観察によって根拠づけられているという考えが流行った時があった
観察言明からの論理的帰結として科学の成果があるという考えだ
が、この考え方は失敗した
理論は単純な観察の論理的帰結ではなかったのである
論理が語ってる内容を増やさないならば、
観察言明にいくら論理を駆使したところで、
単純な観察以上の何かを導出できるはずがない
理論や法則というのは、単純な観察以上の何かを含んでいた
経験科学において、理論や法則は語るべきではなく、科学者はただ観測事実だけを語るべきである
こう言い放つ者も現れた
103 :
ノウ:2012/09/12(水) 01:27:51.41 i
また、観察と理論の架け橋として、帰納を言う者もいた
帰納論理とは、特殊事例から一般事例を導き出すこと
ある観測について、同じ観測を何度もすることで、
単純観察言明から法則や理論へと飛躍できる、という考え方である
が、帰納論理は論理としては不完全である
例えば、原発が一度も事故を起こさなかったことは長い間、何度も観察され続けてきたことだが、
実際には原発は事故を起こした
何度も同じことを観察することで理論の強度を増すことはできるのか
ウィトゲンシュタインは帰納を心理学的なものとして正当化を試みている
論理的には正しくないが
人間は同じことを何度も見ると、次も同じことが起きると心理学的に思い込む
その思い込みが、科学理論という考え方だ
そして、人間が想起する観念の分析、何を観察して何を思い込むかの分析が、科学の解明になるという考え方もあらわれた
個人的にこれは、科学に対する心理学的なアプローチだと思う
104 :
ゲーム:2012/09/12(水) 09:27:32.66 0
>>96 カラス君
「数学以外」の諸科学の根拠(普遍性)を保証するのが“数学”だった。
もし“根拠の根拠”たる数学に抜け(瑕疵)があるのなら、諸科学は正/誤の裏書きを失ってしまう。
それは数学にとっては、その(諸科学の“真”を認定する)立場からの失墜を意味している。
“数学”もまたレトリカルな一表現手段、ということになる。
むろん“極言すれば…”の話である。
依然として“数学”は、たとえていえば貨幣(カネ)の諸商品における地位と同じくらいの信用を博している。
しかし貨幣も諸商品の一つであることに、かわりはない。
いい加減スレと関係ない話題やめようぜ・・・
別のとこで書き込んでくれよ・・
106 :
850:2012/09/12(水) 13:25:28.47 0
コテ共は皆池沼だから無理
107 :
考える名無しさん:2012/09/12(水) 18:46:27.13 0
ブーたれる暇があるのなら、お前らが関係ある話題を提供してみろ。
できないんだろ。なら、だまってろ。
また選挙前に1万円ぐらいまいても脳は覚醒しないのであった
>>98 > 探求の焦点と有意味は全然ちがうね
> 目的地と性質ぐらい違うね
>
> 食事とカレーライスは違うのですか?
> って質問と同じくらい違う
意味不明。どのくらいでは無く何が違うかという質問。
> トートロジーは無意味だが、無意味なものが必ずトートロジーになるわけではない
> 例えば、「明日、雨が降るか降らないかのどたならかだ」という言明はトートロジーには還元できない
> が、有意味とは捉えられないね
意味の量が増えないからですね。これはどんな計算で求めるのでしょう。
>>99 > 数学以外でも根拠のないデタラメは認められない、とカラス君は書くけど、
> 実は、数学や論理や経験科学は根拠がなかったりするんだよ
根拠の定義が違うのでしょう。これはこれまで主張してきたとおり因果関係を示すことです。
どんな原因からどんな結果になったか示せばいいのです。
>>100 この場合の根拠の定義は何でしょう。根拠は存在しないという論にも思えますが。
>>102 > 理論や法則というのは、単純な観察以上の何かを含んでいた
それは何でしょう。
110 :
ノウ:2012/09/12(水) 21:55:51.57 i
109
あまりにも違うものは説明しようがないんですよ
排中律は同一律に還元できないが、一般には形式論理を前提にしていると解釈されるので、
排中律から排中律へのトートロジーと見なされるってことかな
数学や形式論理にはどのような因果関係があるのですか?
ないならば、数学や論理に根拠はないという僕の発言は問題ないのでは?
根拠の定義は、理論を正当化する十分な理由づけってところかな
観察ってのは常に個別的な経験だ
法則ってのは、常にそうである必要がある
ある体験を繰り返したところで、それが常にそうであることは体験できない
太陽が東から登るを、昨日も一昨日も体験したとしても
必ず太陽が東から登ることは体験していない
だから、明日、太陽が東から登ることは体験できていない
>>104 数学に頼っているのはありますが、どの分野も根拠の無いデタラメ論文が認められないのは同じです。
>>105 関係ある話題をどうぞ。
>>110 > あまりにも違うものは説明しようがないんですよ
こちらも理解しようが無いです。一度主張を簡潔にまとめてみては?
> 排中律は同一律に還元できないが、一般には形式論理を前提にしていると解釈されるので、
> 排中律から排中律へのトートロジーと見なされるってことかな
どんな計算でしょう。
> 数学や形式論理にはどのような因果関係があるのですか?
> ないならば、数学や論理に根拠はないという僕の発言は問題ないのでは?
しかし根拠の無いデタラメは認められないです。
> 根拠の定義は、理論を正当化する十分な理由づけってところかな
理由は意識的な原因であり、理由付けは因果関係を示すことでもあるのでしょう。観測、実験結果は根拠にならない
のでしょうか。
>>111 根拠とは何かという話。
なぜ数学がもてはやされるかというと極めて厳密な定義を持つ文法だから。さらには定義の精度を好きなように操れるから学問的に扱いやすい。
>>112 根拠は結論へと導く因果関係の意味で使用しています。
114 :
ネム:2012/09/12(水) 23:01:59.75 0
根拠が意味か
意味ははかない
人の夢と書いて「儚い」とはよくできてる
非可換幾何学でも学べよ。
オレも主張を簡潔にしなきゃw
117 :
ネム:2012/09/12(水) 23:19:30.39 0
昨晩眠りの中で考えてた
消えてなくなるまえに、眠りから起こさなきゃならない
因果関係は物質同士の関係を知る方法でもある。
これが唯物論と因果的決定論の関係。
119 :
考える名無しさん:2012/09/12(水) 23:27:10.87 0
最後まで残った奴がサイコーにDQNな
円周率を簡潔に表現しようとして3.141592この辺でいいかというのが
カラスさんの主張か?
121 :
ネム:2012/09/12(水) 23:50:03.56 0
何もないところに何かを見る
以前に、ぼくはそんなことを言った
少し解けた気がする
122 :
ノウ:2012/09/13(木) 00:25:37.17 i
114
根拠は無意味
権威は儚いもの
123 :
ネム:2012/09/13(木) 00:31:10.39 0
心の中で真っ白なキャンバスをイメージして
それをじっと眺めていた
どうあがいても意味が浮かばないので
水滴を垂らしてみた、あるいは、線を引いてみたりした
そうすると、そこに意味の生まれたような気がした
でも、それには前後がある
神は時間でもって世界を描くだろうか?
124 :
ネム:2012/09/13(木) 00:35:48.19 0
点のような染みのキャンバスを眺めていると
もしはじめからそうなら、真っ白なキャンパスと同じだと気づいた
そこにはどちらも意味が見当たらないと
モナリザでも同じだった
そのキャンバスがあること以外に、「何も与えられていない」のだから
それらは等しく非意味であるということを
神がそんなキャンバスを眺めながら、どのように意味が見出せるのだろうか?
125 :
ノウ:2012/09/13(木) 00:35:53.61 i
カラス君
根拠がないものが、必ずしもデタラメとは限らないよ
われわれが使用してる数学や論理には根拠がないんだよ
別に他の数学や論理を使用しても構わないをだよ
もし、根拠がないものが即デタラメならば、
人間の知性はデタラメということになってしまうよ
126 :
ネム:2012/09/13(木) 00:38:02.00 0
神のキャンバスには無限の非意味が織り込まれている
そこにはすべてが完結している
非意味と非意味の重ね合わせに、意味が見える
こちらに視点をやると、あちらに視点をやると
共通するような有意味の領域と無意味の領域が、そこに現れては消えて
それがまた他の非意味と照らし合っては意味が連なっていく
127 :
ネム:2012/09/13(木) 00:40:15.32 0
その幾つもの鏡でない鏡にぼくはいる
けっして自分自身を映さない鏡
無数の光の意味が各々の存在と因果を形成し
その光の束はハーモニーを奏でている
それは大きな大きな意味のシンフォニーに共鳴している
そこではじめて、ぼくたちは時間を感じる
しかしこの音楽も、広大な宇宙の果てにあるような、小さなひとつの残響なのだ
意味的存在は、類なる過去と未来を奏でることで、神の想念を描くのである
128 :
ネム:2012/09/13(木) 00:41:52.20 0
これがぼくの見た夢だ(脚色付きのw)
129 :
ノウ:2012/09/13(木) 00:45:26.67 i
111
〉観測、実験結果は根拠にならないのでしょうか?
結論から言えば、根拠になりません
100年前は、科学者は大真面目に惑星ファルカンの存在を信じてました
それが観測されなかったにも関わらず、特殊な電磁波を出していて観測できないだけで存在する、と大真面目に信じられていたわけです
このような例は科学の歴史を紐解けばたくさんあります
「科学が観測によって根拠づけられている」という発言はよく言われますが
この発言自体が根拠レス、
ただの権威付けの発言でしかありません
科学に「観測」という名の水戸黄門の印籠を与えているだけです
130 :
ネム:2012/09/13(木) 00:51:26.93 0
役に立つってなんだろうねカラス氏
131 :
ノウ:2012/09/13(木) 00:53:25.11 i
上では科学の例を出しましたが、
科学かそうでないかに関わらず、
「何らかの観察や実験が、ある理論を根拠づける」ということが論理的に不可能なのです
132 :
ネム:2012/09/13(木) 01:03:53.30 0
こんな時間じゃ代行してくれる人もいないだろう
なにか言いたげな抄録氏が画面の向こうで憤悶してる間に眠るとしようw
寝させるかよw
ネム氏の思い描く根源世界は過剰に複雑だ
その複雑さは果たして要請されるか
非意味を示唆するのに意味の糸を織る
それは果たして有効なのか
ヒトの感性は必然にしてその作品に非意味を掴めるか
太陽が明日、西から昇っても構わない
そのようなある種の「バカげた世界」でヒトがヒトであり得るなら
ヒトがトンデモを思考できる、
それが可能である世界はしかしトンデモではあり得ない
論理には根拠がないと気付いて大騒ぎする
安心したまえ
ヒトはそこに根拠がないことを既に理解できている
世界は論理的にできているのである
自然がどのようにあろうと「私」は「私」である
そんな「私」ありきのテーゼは少なくとも私wにはナンセンス
「私」が「私」であり得るように自然ができているのである
138 :
ノウ:2012/09/13(木) 02:01:13.94 i
136
世界が非論理的にできていても、人には論理的に表現するしか方法がないだけ
絵画や音楽で表現する人もいるが、
絵画や音楽も作者の内では試行錯誤があるらしいし、試行錯誤は論理を前提とするだろうから、
人間のたいていの営みにおいて論理は大前提なのだろう
でも、論理が理解できない人、例えば精神異常と呼ばれる人は、論理を使用せずに世界を表現するだろうね
それがおかしいとも俺は思わん
『世界が非論理でも、ヒトには論理的に表現するしか方法がないだけ』
どうしてそれを知っているのか
論理の、その帰属だか所属だかしらぬが、それはヒト?
ヒトを生んだのはヒト?まさかね
140 :
ノウ:2012/09/13(木) 02:19:22.21 i
139
ウィトゲンシュタインが、
どんな夢を見ても矛盾した夢は見れない、と、そういった例で説明してる
説明が論理的にしかできん
夢はなんでもありで、世界は夢よりはなんでもありじゃないだろうが、
夢ですら論理的にしか説明できないのに、世界を論理的にしか説明できないのは当たり前ではないか?
精神異常
安心して欲しい
それを異常とするためには正常もまたある
正常ありきの異常
世界はそのようにできている
説明は論理的にしかできないので人には論理しか方法がない
たったこれだけしかないんだ
と大騒ぎする
安心したまえ
論理は貴方の所有物ではないし、また方法でもない
既にヒトならざるもの
143 :
ノウ:2012/09/13(木) 02:43:18.25 i
141
まあ、そう言う人もいるだろう
彼らは、自分が正常で他人が異常だとは言うが、その逆は言わない
142
論理に根拠がないこともそうだが、大騒ぎしてるのは君であって俺ではない
君と俺では解決方法が違う
抄録は感情論だと気が付かない。
145 :
抄録:2012/09/13(木) 03:45:44.40 0
自分が異常だと自覚している奴なんざ、ごまんといる。
そして、自覚していない奴もいる。
それでも構わない。生きられるなら
*************************
「青い赤」は有意味だ、と空想してもかまわない
自然はそれを許すだろう
しかし全てを許すわけではない
首を切られれば死ぬ
そこに一切の言い訳は通じない
世界が論理的であるとは、「真剣な話」
**************************
ノウさん
貴方は「自分とは異なる意見に耳を傾けるが肝要」とか言ってましたでしょ。
それは「君と僕は考え方が違う」と切り捨てることとは違うはず。
ゲームさんは、思考に対して真面目な方、だと思いますよ。
961 名前:抄録 ◆xOLbFG9QNU [sage] 投稿日:2012/09/09(日) 00:44:48.44 0
>>953 私はそろそろ退散する
995 名前:抄録 ◆xOLbFG9QNU [sage] 投稿日:2012/09/09(日) 17:42:01.28 0
>>986 まじかw
私もね、「演繹は情報量が増えない」とか、wikiに書いてることぐらいは
知ってるんですよ♥
しかしそれが「簡単な話」だとは思わないし、無条件だとも思えない。
まあ、もう止めとくか。
唯物論や意識の哲学なら
他にもスレがあるので
ここが気に入らない人はそちらに行かれたらどうですか
148 :
ノウ:2012/09/13(木) 06:22:17.81 i
根拠づけの話
解決方法は多様であっていいはずだ
僕の解決方法がうまくいくとは限らないし、抄録さんの解決方法がうまくいく場合もあるだろう
そもそも、本当のことが必ずしも最良とは限らない
その人の不安を取り除くためにあえて嘘をつくことだってあるだろうから。
論理が確固とした基盤でなければ夜も眠れない人がいるなら、「安心しろ、論理は正しい」と言うのは、とても大事な解決方法だ
前置きが長くなりましたが、僕の解決方法は単純です
根拠を求めない。根拠があることに一切の価値を置かない。
これだけです。
ですから、僕らが使用してる論理に根拠がなくてもショックを受けませんし
僕らの使用してる数学が正当化に失敗しても、なんら残念ではありません
この理由も簡単で、そもそも根拠づけなどというものが意味あることをなさないからです
合理的であることと、根拠づけされていることを区別する
それが僕の解決方法です
ですから、僕は一度も相手に根拠を求めたことはありませんし、
根拠に価値を置いてない以上、
根拠がないことを理由にいかなる誹謗もしたことはありません
ここが分かってないのがゲーム君です
彼は正当化がそもそも論理的に不可能なことを暗にわかってるかもしれませんが、正当化を相手に要求します
僕はそもそも関心を持たないのです
149 :
ノウ:2012/09/13(木) 06:26:16.96 i
この話題、蔭山先生はこう書いてます
確実な知識を求めない
それも、手に入らないからしぶしぶ諦めるといった態度ではない
確実な知識に対して純然と背を向ける、ということである
150 :
ノウ:2012/09/13(木) 06:46:34.30 i
145
精神異常、精神分裂、統合失調症、様々な言われ方をしますが、
彼らが正しくて、論理を正常に扱う人が間違っている、
そういう想像をしてもいいのではないですか?
自分たちと違う論理、違う数学を使用する知的生命体が現れるかもしれません
彼らが正常で、自分たちが異常、そういう想像をしてもいいでしょう
自分たちが異常と呼ばれることに抵抗がないならば、
論理が「正常」と呼ばれる地位をもってなくても構わないのではないですか?
論理に根拠がないことを、なぜ、そんなに大げさに嘆くか、僕には分かりません
根拠がないだけで、欠陥が発見されたわけじゃないんですよ?
僕は根拠がなくても気にならないので、よく分からないんですよ
151 :
ノウ:2012/09/13(木) 10:19:08.20 i
この、僕の考え方には一つの僕の信念が隠れています
それは、「真正なる問題は結論が一つにまとまらない」というものです
例えば、2+3という問題も、関数によっては答えは異なります
プラス関数なら5.クァス関数なら23になる
「プラス関数における2+3は?」という問題はもはやただの計算であり、解がただ一つに固定されてます
「プラス関数かクァス関数か?」という問題は、計算では回答が出せません
それは選択の問題です
問題解決、思索と呼ばれるものに関して、僕は後者に価値を求めます
状況を改善し、新たなる知識を提示するのは、常に後者の問いであると考えるわけです
自らの関数を問い直し、視野を広げることが、知的領域を広げるものだと考えるわけです
これは、知識が計算とはまったく異なる性質にある、知識は計算に還元できないと考えるがゆえです
152 :
ノウ:2012/09/13(木) 10:31:37.15 i
ま、最近は「ほんまでっかTV」を見ながら
帰納によるデータの集積みたいな事例ばかりで、知識の世界も変わったなぁって思ってたんだけどね
相関関係のデータさえありゃ理論的なものは考える必要がないのかも、とか思ってテレビを見てる
この知識観も時代遅れなのかもしれん
153 :
ゲーム:2012/09/13(木) 10:50:28.98 0
抄録氏よ、私は「真面目な方」だそうだが、その「方」はどう読むの?
真面目なかた?それとも真面目なほう? 返事は無用。w
論理的とは、真/偽、善/悪を述定することをいう。
もし、その論述に根拠がないなのなら、それがどんなによくできた言説(体系)であろうとも、
デタラメ、といって悪ければフィクションである。そのことは、もう暴露され尽くしている。
それを象徴する言葉が“神の死”“数学の不完全性”だろう。
論理的でなくてもいい、合理的であれば。これが今日の標語である。いわば、常識である。
ノウ君のゴタクを精査すれば、語っているのはそれだけだが“残念なことに”彼はその先を
語ることができない。“心構え”で終わるのが彼の長文の特徴。w 合理的とはどういう意味?
その点、カラス君はこういっている。因果律は「信仰の対象」と。たぶん唯物論についても
同様の発言をしていたと思う。「それらを信じるほうが役に立つからだ」と。
或る言表の裁断基準を真/偽、善/悪ではなく、役に立つ/役に立たない、にカラス君は措く。
ポストモダン的ではある。w
ノウ君が無意識的に、カラス君が自覚的に陥っている、この状況を慷慨するのが抄録氏。
彼は“存在”の基底には“理”があり、ヒトが論理的なのは存在の理に照応するからだ、と
いいたげである。w
径庭
154 :
ノウ:2012/09/13(木) 10:52:35.81 i
暇なんで、自己批判でも
根拠づけの探求に背を向ける、と、僕は書いた
ということは、
ミソとクソを分けるに当たって、あるものがクソであると根拠づけることはできなくなってしまう
(僕は自身の立場上、根拠づけに頼るわけにはいかないのだから)
あるものをクソだと根拠づけすることができないにも関わらず、ミソとクソを分別するような知的営みが可能だろうか?
このような批判を想定できる
155 :
ノウ:2012/09/13(木) 10:55:54.00 i
153
・合理的
自分と異なる意見と対峙して、批判的対話を続けようとする限りにおいて、あらゆる意見は合理的でありうる
ま、合理性の定義もせずに新しい合理主義を唱えるはずがないわな
これ、ある集団の態度なんだわ
156 :
ノウ:2012/09/13(木) 11:01:30.16 i
それから、論理的と合理的のその表現は、
ゲーム君が、俺が今まで言ってきたことを1ミリも分かってないことの実証だな
論理的な真とは無意味であることを説明した今、
論理を根拠づけの道具にするにはあまりにも不便だということが分かったはずだ
君は、まだ、「論理的」という言葉を「根拠づけできる」という意味で解釈している
僕は、論理を根拠づけの道具ではなく、批判の道具と見なすわけ
だから、僕が言う「合理的」も十分、論理的なんだよ
批判には論理が必要不可欠なんだから
むしろ、君のセリフは、君が論理について偏った解釈しかできないことの証でしかない
157 :
ノウ:2012/09/13(木) 11:05:55.92 i
だからイライラくるんだよ
何も分かってないバカ
悪意があるというのは俺の穿った解釈かもしれんが、
俺が、悪意を持ってると勘ぐりたくなるレベルの頭の悪さと解釈のひどさ
俺はまだ優しい方だ
ウィトゲンシュタインとかいたら絶対に暴力をふるってる
158 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 11:07:10.57 0
他人にイライラされて敬遠された結果哲学板にきてるんでそ、ノウさん
159 :
ノウ:2012/09/13(木) 11:21:06.64 i
自分の発言をまったく違うように改造されるのだけは、どんな哲学者でも許せないと思う
新しい解釈とか、新しい発想ならまだしも
「論理的ではない合理的だ」はひどい
アインシュタインをニュートンの擁護とか、
マッハをカントの理解者と言うほどひどい
ゲーム君は俺への解釈に限らず、過去の哲学者にもひどい解釈をする
以前にソクラテスへの解釈で、ひどいものがあった
真逆の解釈だけはやめてほしい
ナナメの解釈はできても、正反対の解釈はできないものだけど、よく正反対の理解なんてできるよ
ま、俺が哲学板にいる理由は、一応哲学の話題だからかな
俺は優しいことで知られていて、滅多に怒らない仏のノウちゃんで有名なんだが、ゲーム君だけは別、
160 :
ノウ:2012/09/13(木) 11:29:37.56 i
んなこたぁないか
デカルトだって懐疑論とか確実主義とか平気で解釈されてたもんなぁ
ひどい解釈と付き合わされるってのは我慢するしかないか
しかしひどい
悪意がないなら、性根を叩き直した方がいいレベル
161 :
ノウ:2012/09/13(木) 11:33:36.77 i
ゲーム君は権威主義者で絶対主義者
それが彼の思考の本質だというのが、俺の分析
権威から切り離そうとした俺の言葉を権威争いに巻き込みやがって
とりあえず、好きにやっていいから俺をくだらない権威争いに巻き込まないでほしいもんだ
162 :
ノウ:2012/09/13(木) 12:04:23.79 i
すまん、ちょっとイライラしてたかも
病院で診察中だったからよ
病院の待ち時間は長いんよ
>>107 もう話題なら出てるが
コテハンどもが全部無視したんだろ
そういうのも知らないで適当なこと抜かすな低能
ゲームもノウも抄録もいい加減にしとけよ
いやだから関係ない話題を話すんならそれに沿ったスレを立てるなりしろよ
2chの最低限のルールだろ
>>120 πのほうが簡潔。
>>125 その結論は根拠の定義によるものでしょう。
>>129 観測結果、実験結果が根拠にならないのなら何が根拠になりますか。
根拠付けによって意味の量が増えないのもポイントのようですが意味の量はどのように求めるのでしょう。
理由付けと根拠付けと権威付けの違いは何でしょうか。
>>130 課せられた結果を得ることです。役を果たすも同じです。
>>166 >観測結果、実験結果が根拠にならないのなら何が根拠になりますか
少なくとも今の世界には根拠になるものはないよ
科学の正しさは科学じゃ証明できない。不完全性定理がある
唯一の救いは気にしないようにすれば気にならないという人間のおめでたさね
>>166 > πのほうが簡潔。
最初から結論がでているじゃないか、それなら考える必要すらない。
論理が批判の道具となり得るためには
思考が明晰でなければならない
明晰な思考こそが論理なのである
論理学はそれを気付かせてくれるだけ
>>163 > そういうのも知らないで適当なこと抜かすな低能
無能は低能をみて無視できない、だから無能って言われるんだ。
>明晰な思考こそが論理なのである
それ形而下の思考こそが論理だと定義していますね。
戦術こそ論理で戦略は論理ではないわけだ。
「それを」ではなく「それに」が正しいかしら
>>153 もちろん「ほう」ですよ「ほう」。hou。
「かた」でも構わんですが
しょっちゅういがみあってるのに「かた」じゃおかしい
>>171 どういう思考経路を辿ればそういう結論になるのですかね?
貴方によれば、形而上学は明晰ではない、ということ?
形而上は戦略で形而下は戦術ってこと?
明解な回答を求めます。
174 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/13(木) 20:38:26.51 0
「明晰」ってのはですね、まあ私も適当に使ってるだけなんだが
概念とか意味の区別可能性に拘るってことですかね
自分は何を考えているのか
自分は本当にそれを考えることができているのか
しもたageてもた
ヒトが明晰に思考できる、ってのはどういうことなんでしょうね
明晰だなあという気分、ただそれだけのこと?
いやまさかね
世界が実際に明晰に成立するってのはどういうことなんだろうね
>ネム氏
それを「類」で説明できるかね?
何だい「類」ってのは
俺がどこぞで口走った「種」と大差ないだろう?え?
それなりの物理の参考書なんか読むと理解するのが大変なのだね
しかし最高レベルの明晰性で語られているように思える
それが裏切られないってのは、それだけの意味はあるわけだろうね
またバカにされるかなw
>最高レベルの明晰性で語られているように思える
だから信じちゃう、ビックバンまんせー
ダークエネルギーまんせー
>>178 でもおたくもPCの向こうに人間がいるって信じて、そういうレスをしてるんだよね
まさかNPCかもと思いながら、そんなレスをしてる訳じゃないよね。人の事言えないよね
物理学が間違ってる可能性もあれば、2chには自分しか人間がいない可能性だってあるんだから
精神病院でのカモラッチョ事件
ボケちゃってるからどんどん騙されちゃうwww
184 :
ネム:2012/09/14(金) 00:20:17.92 0
役に立つとは、意味を紡ぐことに同義だ
経験がその手段として論理を用いることの
非意味とは無経験または経験が意味を用せない事象あるいは領域と定義できる
経験は気分の集合、気分とは体験のベクトルに他ならない
役に立たないとは、生きられないことだ
その帰結として世界は意味化されるのであって
我々の生きる舞台が意味に決定されてるわけじゃない
185 :
ネム:2012/09/14(金) 00:29:22.08 0
>非意味の重なり合う意味
>ハーモニーによる時間
ゲーム氏ならその肝心な部分を明瞭に説けと指摘しそうだがw
しかしドヤ顔ではっきりと言わせてもらうが、それを解き明かすことは神業だ!!(少なくともオレにとっては)
「類」?
「体験のベクトル」?
まったくオレは眠らせてもらうよ
一度にたくさんの便は出ないんだよ
気張ると体に悪いんだよ
お通じは自然に任せるにもっとも叶う
自己組織化で必ず機能する生命の神秘さを明瞭に説けと指摘するようなもの。
原理となる現象そのものを解き明かせとかマヌケの思考だと思うわ。
素粒子の性質を明瞭に仕組みを解説してくれっていわれても、それは素であり
分解できない素を説明しろってこと。
188 :
ノウ:2012/09/14(金) 09:19:28.52 i
165
スレ違いを言ってる人がいるけど、
俺はこのスレの1からいて、今はなきスレ主の機械君と多くの議論をかわしてきたんだよ
このスレの歴史を知ってりゃ、俺のことはスレ違いとは言えないよ
191 :
あまの:2012/09/14(金) 13:09:11.19 0
科学全般、ありもしない理想状態を操作主義で原理や法則性を見つけようとするものだからね。
人の勝手な恣意性から自由という事はありえないでしょ。
「大体」のことしか言えないんだよ。
真理とかそういうものじゃない。
192 :
あまの:2012/09/14(金) 13:10:44.95 0
こんにちは、きゃりーぱみゅぱみゅです。
世界がプランクサイズより小さいときには重力など存在しないし
そんな物理法則も存在しえない。
だが科学はそのような世界があるといいながら自分の極周りの
平常だと思う世界の性質でのみ実証しそれが正しいと説明してきた。
例外があることを認めず例外には語らず、それが科学である。
例外が主であり現状のような平常が無い状況では科学などなんの役に
すらならない。
めっちゃゾンビから「クソアマ!クソアマ!」って言われる
>>188 脳みそあるんならもうちょいマシな言い訳しろよカス
197 :
ノウ:2012/09/14(金) 18:34:18.28 i
196
ハンドルは変える主義だ
議論をするに当たって、変に人格の先入観を受けたくないから
最近、ハンドルを変えないのは単に面倒だから
195
スレ主の意見ならば聞く耳を持つ気にもなるけど、君、新参だよね?
198 :
ノウ:2012/09/14(金) 18:40:44.53 i
上戸彩が結婚したねぇ
人格の先入観→NGワード
200 :
ノウ:2012/09/14(金) 19:14:06.60 i
いや、俺がコテを変える理由は、逆なんよ
俺は昔から、議論すると反対意見を言う人が減っちゃうんだよ
俺の発言が正しいと思われることが多々ある
俺の発言なんて、むしろトンデモでいいと思ってるし、おかしいところはおかしいと言ってもらってかまわない
積極的に反対意見を言ってもらうために、あえてコテは変えてたんよ
人格の先入観ってのは、俺が先生のように思われると困るってこと
俺はウィトゲンシュタインやハンス・アルバートを引用したけど、
ウィトゲンシュタインやハンス・アルバートが正しいなんて、まったく思ってない
いつだって、誰の発言にだって、おかしいと思うところはおかしいと言ってもらいたい
俺の発言なんて間違いだらけだろう
だから、間違いだらけの俺のレスが、誰も突っ込みをいれなくなるのが嫌だから、コテは変えてたんよ
この説明も3回ぐらいしてるんだけどね
俺がコテをころこら変えるのはそういう理由
俺は権威が嫌いだから、自分のコテに権威がついたら、そんな権威は捨てたくなるんだよ
ただ、それだけ
かゆいわ
>>191 ありもしない理想状態とか
人の勝手な恣意性とか
何を根拠にほざいとるのかね
くそぬるいんだよ
理科年表でも眺めてみたまえ
203 :
あまの:2012/09/14(金) 21:00:39.43 P
抄録は相変わらず体育会系だな。
より強く、より鋭く、ってか。
生身の我々には限界があるぜ、我々の編み出した方法も生身の我々用のものだから、
同じく限界があるぜ。
そんなのは専門家の職人技の問題ではないか。
誰かこの熱血野郎にやかんの水をかけてあげると良いよ。
204 :
あまの:2012/09/14(金) 21:13:27.42 P
鉛筆トッキントッキン派か。
こまけえことは苦手だわ。
細かい部分の集合体が世界ってわけでもない。
分割できない全体が世界なんだよ。
理科年表とか今見たくないもん。
206 :
あまの:2012/09/14(金) 21:15:32.76 P
思いつきの割りに、ちょっとハッとすること言ってね?おれ。
あまのくん
おまいさんのぼうふらのような自尊心を
少しでも満足させることができるかもと
このような突っ込み可能なキャラにしてるのだよ
察したまえよそれくらい
208 :
あまの:2012/09/14(金) 21:27:19.98 P
ぼうふらとは何だ貴様。
調子に乗るなよ。
なぜそんなこと言われなきゃならんのだ。
不愉快な野郎だな。
死ね!!!
生身だからなんだって?
いつから唯物論になったのかね貴方は。
君らには、この世界を創造する完全無欠の「観念」とやらがあるではないかね
210 :
あまの:2012/09/14(金) 21:29:58.88 P
今ではすっかり偏差値の下がった工学部出身の、単なる工作頭脳しかもってないくせに。
知能指数0のアリだって工作できる種族がおるわ。
あほー!!!
>>206 考えとしては社会実在論に近いかも。社会は個人の集まりに還元できないという論。
デュルケムが社会分業論で研究したテーマ。
「分割できない全体が世界」ぐらい誰でも言うんだよ。
では還元主義はどうして失敗する?
何が足らない?
言ってみそ
社会学以外ではあまり非還元主義は流行らないような気が。
214 :
あまの:2012/09/14(金) 21:38:22.57 P
んーなるほど。
部分の集合から全体ができるというのは実際ファンタジーだろ。
量子力学的な時間も空間も分離していないような無の揺らぎの成れの果てが現在だからね。
工作脳に思考ゲームで負けるような哲学脳の存在意義とはなんだろうな
216 :
あまの:2012/09/14(金) 21:45:36.50 P
還元主義も方便に過ぎないってことでしょう。
生身の人間の思考方法だからね。
あまのくんの考えている量子力学がお花畑みたいなもんだってことじゃないの
218 :
あまの:2012/09/14(金) 21:48:07.84 P
抄録はここに勝負に来てなんだな。
その時点でお前の負けだ!!!ww
どうして負けかは自分で考えろ・・・
機械さんの代役は務まったかしら
あまのくん、久々にすかっとしたろう
こんなんで今日の俺の8レスが無為に消化されてしまうわけだね
220 :
あまの:2012/09/14(金) 21:57:39.37 P
同じ思考方法でずっとダメだったらその思考方法に問題があるに決まってるだろよ。
アホか。wwwww
221 :
あまの:2012/09/14(金) 22:59:16.72 P
>>169 うん、これだけは抄録に同意できるな。
たまに正しい事を言うな。
だが主観的な論理こそが明晰である
223 :
ノウ:2012/09/15(土) 00:56:48.28 i
205
カラス君
根拠の定義を質問されて、俺は答えたけど、
君の「根拠」の定義はどんな感じなの?
根拠って、理論の基礎づけや正当化以外に、どういう解釈が可能なの?
224 :
考える名無しさん:2012/09/15(土) 01:28:33.43 0
225 :
ノウ:2012/09/15(土) 01:37:48.73 i
じゃあ、「観察結果、実験結果が根拠になる」ってカラス君の発言は
「観察結果、実験結果が因果関係になる」ってことか
生物の実験だと、1週間に100個のシャーレをつくって1個成功したらいい方なんだって
知り合いの生物学の院生が言ってた
99個の失敗したシャーレは、なんの原因にもなってないし、どんな原因で失敗したのかも考察されない
原因や結果を考えないことは科学にはかなりあるように思う
例えば、特殊相対性理論の基本原理は光速不変原理と相対原理の2つだけど、
原因や結果を考えないと思う
226 :
ノウ:2012/09/15(土) 01:56:25.01 i
201
かゆいかもしれんが、
デカルトだって第一章で似たようなこた書いてるんよ
「この本を書いたのは、自分の考えにおかしいところがあれば指摘してもらうため」って
デカルトに限らず、似たようなことをまえがきで書く人は多い
ニーチェのように、「俺は頭がいいからこんなことを分かってしまった」って書く人の方が少ない
自分が正しいと思って本を書く人もいるよ
ニーチェがそうだったように
でも、自分が間違ってるだろうと思って本を書く人もかなりいると思うよ
>>223 理論の基礎付けや正当化も因果関係を示すことではないでしょうか。
>>225 そのとおりだと思います。
>>226 ゲームさんが「指摘」してくれるじゃないですか。
私にとってノウさんは最初から最後までぼんやりしたことしか言わないので
批判のしようがない。
43氏の批判なんて至極もっともだと
私なんかには思えるわけですよ
急所なんですよ
そこを避けたら振り出しに戻る
それを10年続けてるんですよ
>>228 では決定論を批判する抄録さんの最初から最後まではっきりとした批判をどうぞ。
発明と発見は似ている。発明は試みに続く発見。明確な区別は無い。
物理法則と数学法則も発明と発見の両方の要素からうまれたのだろう。
共通した物理法則と数学法則が広い範囲に現れるのは共通した原因があるからと考えられて
いるのだろうか。
233 :
ノウ:2012/09/15(土) 07:39:59.38 i
229
43の批判がもっともなら、僕の言ってることは明晰であって、曖昧でないということになりますね
曖昧なものは批判のしようがない、
という明晰さに価値を求めるポジティヴィズムの抄録さんも認めてくれるわけですね
よかった、よかった
曖昧なものなどない。お前の扱える情報量の少なさが対象を曖昧にしているだけだ。
明晰なものなど無い。お前の扱える情報量の少なさが対象を単純化しているだけだ。
政治家を目指すために曖昧な言明を練習するスレッドです。
日本共産党の人は権威や権力が嫌いな人が多いみたいですね。
日本共産党が目指しているのもそういうところなのかな。
政治論はめんどくさい人が沸くのでできれば控えていただきたいなてへ
ごめんなさい。ここはどんな世界情勢になってもひたすら決定論について議論するスレでした。
マルクスが共産主義者になったのは決定論者だったからかな。
決定論者→唯物論者
の間違い。
>>230 決定論に対する批判はこれまでも随分してきたと思うんですよ
しかしその何百行にもわたる批判は、貴方にとって、ただ長いだけの
“スカスカのスポンジ”でしかない。残念です
>>233 んー
そういう「臭いだけまき散らす」ところが私には「曖昧」と思えるんです。
どうして堂々と「なぜなら」を語らないんです?
とか言うと、また的から遠い自己肯定をはじめるでしょ
>>234 情報量も関係あるのだろうが
明晰な思考とは、思考している内容に対して自覚的であるかどうかが重大問題なのだよ。
『訳の分からん言葉に振り回されていないだろうか』とな。
244 :
ノウ:2012/09/15(土) 09:10:41.79 i
236
共産党に知り合いはいませんが、政治に参加する人は皆、権威好きだと思いますよ
政治闘争とは、権力争いに他ならないからです
僕は権力争いには興味がありません
誰が与党になろうが構わないし、民意が権力を握るべきだとも思いません
多数の意思が権力を握って横暴を振るうのは、衆愚政治と古くから批判されてます
僕が政治に求めるものは、権力争いではなく政策争いをしてほしいということです
ですから、誰が権力を握ろうと政策論争が組み込まれる政治システムがいいと考えます
そのようなシステムとして、現在の民主制は他のシステムより優れていると考えます
スレ違い、失礼
>>79 >宇宙人が存在しないことを知ってる人は、宇宙人が存在する世界を想像できないし
できるでしょう。どちらの人にとっても、既に「宇宙人」なんですよ
どうして「できない」と思ったのですかね。
246 :
ノウ:2012/09/15(土) 09:21:42.91 i
245
できると思いますよ
なんでも想像できると思います
人間の想像力は豊かですから。
それが論理的に不可能なこと以外は想像できます
ただ、宇宙人がいないと確信している人、
例えば大槻教授とかは想像できないんじゃないですか?
昔、NEWSWEEKに書いてあったんだけど、
アメリカはキリスト教の力が強いから、授業で進化論が教えにくいんだって
で、進化論の本には「これは科学におけるある仮説である」という帯がついてるんだってさ
で、ある科学者が言うには、その帯は問題ない(だって科学は仮説だから)
でも明らかにそれ以上の意味をこめて「これは仮説だから」と言う人たちがいるんだって
つまり、神が人間をつくったことを確信してる人たちは、人間が猿から進化した現実なんて夢にも思えなくて
仮説という名の別世界に放り込むことしかできなかったというわけ
想像力豊かに「そんな現実もありえるな」とは思えなかったわけだ
43氏は、その言っていることが「分かりやすい」。
ノウさんにも分かるでしょう。
なので、自説との齟齬を説明することは本来、容易なはずなんです。
「貴方はここを誤解している」とね。
>>246 大槻教授にだって宇宙人は想像できますよ。
想像できるからこそ批判できるんです。
『論理は批判の道具』・・でしょう
宇宙人実在論者の言うことを理解しないで批判などできますか?
できません
貴方の言うことが全天候モニターばりにあらゆる面から多角的に見て、
何の非の打ちどころも無く、完璧に、ことごとく、正しいです
250 :
ノウ:2012/09/15(土) 09:38:46.37 i
ポイントは「確実さ」
何かを確実と知ってる人は、その何かの否定を想像できないということ
確実なことを知ってる人にとっては世の中は無意味な言葉だらけかもしれん
でも僕は、確実なことは何ひとつ知らない側だから、あらゆる非分析的言明は有意味であるということ
少し僕の立場を説明すると
僕は「何も確実なことは知り得ない」とする不可知論です。そこはゲーム君と同じです。
ですが、ゲーム君が確実さを求め、「何も知り得ない」と大声で叫び、そこをゴールとするのに対して
僕は「確実なことは何も知り得ないが、存在について知り得る(不確実ではあるが)」と考え、存在のありようについて正しい姿を求めます
これを「真理」とずっと呼んでます
僕は確実さを求めず真理を求めるわけです
僕にとって「確実なことは何も知り得ない」ということはスタートであり
むしろ不確実な知的活動のエンジンとなる原理です
両者の違いは価値観の違いにあります
確実さに価値を求める態度と、確実さに価値を求めず真理に価値を求める態度
この違いです
251 :
ノウ:2012/09/15(土) 09:45:28.37 i
248
そだね
ただ、大槻教授の言動はあまりにも科学者らしくなくて、同じ科学者からは「科学のイメージを汚す」と思われてたらしいよ
だって、テレビで
「オカルトの人は意見を統一してこい。科学は意見が統一されてる」って言ったんだぜ
科学は意見が統一されてませんから。
今でもアインシュタインに反対派の科学者は普通にいるし、超ひも理論に反対の人も普通にいる
>>249 「正しい=無意味」なんですってよ。(そう言いたかったのかしら)
>>250 いかなる確実さも「否定の想像」の障害にはなり得ない。
想像できないものとは『何を知らないか知らないもの』。
まあ大槻教授がテレビで披露する見識と品性については
どうかなとも思うがね
しかしそれはここでの話の的から遠い話
人格批判は最後の手段
大槻教授と抄録は良く似ているよ。本人気が付いてないみだいだけどね。
どう似てるかを言わないと
誉めてるか腐してるか分からん訳だね
論理によって補えない微妙なライン
その気質だろw
>>241 他の人にとっては決定論を批判できている内容でオレだけ理解できなかったのでしょうか。
>>250 確実と真実の違いは何でしょう。
辞書には意味があるのだろうか。辞書には意味は書いてある。
260 :
ノウ:2012/09/15(土) 16:05:48.34 i
257
確実と真実は違います
が、混同する人もいます
僕は区別します
「真実」の定義が「存在との対応」なので、真実と存在は近しいです
確実さと真実の一番の違いは、否定が対称的であるかどうかです
確実さと不確実さは非対称的な概念ですが
真実と虚偽は対称的な概念です(形式論理において)
261 :
ノウ:2012/09/15(土) 16:07:40.02 i
ちなみに、非対称的な概念として、他に、精密さ、厳密さ、などを挙げておきます
>>250 何となくわかるような気がしてきました。
要は「確実なことは確実に無い」ですかね。
264 :
ノウ:2012/09/15(土) 17:34:28.18 i
262
同じです
truthとtrueの訳です
名詞と副詞の違いがあるかもしれませんが、気にしなくていいと思います
263
いえ、確実なことが確実にないわけではありません
世界のすみずみまで探しまわったわけではないので、どこかにあるかもしれません
僕らがまだ見つけてないからといって、未来永劫見つからないとは限らない
「確実なものはない」(この言明もまた確実ではない)
です
自分が他人様にどう映っているかってのは
分からんもんですからね
しかし気質のー
そんなもんが分かるのかね、2chで
>>257 他の人のことは知らない。
スカスカのスポンジと言ったのは貴方。
「何を知らないのか知らない」
不可知論はここから逃げられない。
故にいつまでも胡散臭い。
不可知と言いつつ、肝心の「何を知りたいのか」が分からない。
>>264 「確実で無いかもしれないし確実かもしれない」という主張でしょうか。
>>266 決定論を批判する論には共通性があるのでしょうか。いくつかの種類に分類されるのでしょうか。
オレが批判する論を理解できていないだけかもしれません。このスレの他の人は批判理由が理解できている
のかな。
>>267 > 「何を知らないのか知らない」
知らないから知らないのでしょう。
270 :
ノウ:2012/09/15(土) 17:58:50.59 i
268
僕の主張は「確実なものはない」です
しかし、僕の主張もまた確実ではありません
>>268 貴方の一番好きだろう「因果型の決定論」
貴方の二番目に好きだろう「“未来は既にある”型の決定論」
あと「“不可知の超規則によって決まっている”型の決定論」
どれにする?w
>>269 「遠足の日はいつ?
「知らない」
これは何を知らないか知っているだろう?
しかし不可知論は、「何を知らないのか知らない」と騒いでいるのだよ。
>>271 > 貴方の一番好きだろう「因果型の決定論」
因果的決定論は好きw
> 貴方の二番目に好きだろう「“未来は既にある”型の決定論」
「既に」自体過去の意味があるから「未来は過去にある」というようでなんか変。
> あと「“不可知の超規則によって決まっている”型の決定論」
規則が決めるのでは無く、すべてはただ決まっているという決定論か、あるいは原因が結果を決定する因果的
決定論です。
>>271 まず因果型の決定論から言えばだ
「風が吹くとほこりが舞う」、これは貴方も認めるように厳密な因果ではないだろう?
厳密な因果を追求すると「風が吹くと風が吹く」以外には無いのだよ。
>>273 「未来は既にある」と「全てはただ決まっている」とどう違う?
それが決まったのは未来ではないのだろう?
あと、「規則」抜きには因果は内容を持たない。
しばらく連投規制で書けないわ。またである
>>275 必然的に決まる(細部の1つ1つまで完璧とは違う)
のと完全な因果関係で計算的に確定するのは意味が違う。
形而上の未来は形而上として既に確定しているだけにすぎない。
まあ地球が存在するのは必然だというのは理解できる。
278 :
あまの:2012/09/16(日) 00:14:24.24 P
しっかし、何年同じとこぐるぐる回ってりゃあ気が済むんだろうね。
砂漠の遭難者か!!!
279 :
あまの:2012/09/16(日) 00:19:43.36 P
もうさ、問いの発し方に問題があるとしか考えられんだろ。
おれ、きのうからハッとすること言ってるんじゃね?
そこんとこよろしく!!!
あとは自分で考えろ・・・
頭の悪そうなコテだな
>>274 > 厳密な因果を追求すると「風が吹くと風が吹く」以外には無いのだよ。
因果というより同語反復。厳密な因果は過去と未来の関係。
>>275 > 「未来は既にある」と「全てはただ決まっている」とどう違う?
「未来は既にある」は「未来は過去にある」になるから間違い。
> あと、「規則」抜きには因果は内容を持たない。
因果の内容は対象の物質のことではないでしょうか。
282 :
あまの:2012/09/16(日) 00:41:35.98 P
まあわれわれは、水素原子、いやさ、クオークのたったひとつでさえ記述しつく
ことは出来んのだよ。そんなじょうたいで物質を規定しきって対象化してもいいのかね。
そんな雑な処理は職人芸である科学の領域じゃあないのかね?
>>278 まったくだな
>>281 >厳密な因果は過去と未来の関係
過去と未来の『何が』因果関係にあるの?
>因果の内容は対象の物質
具体的に説明して
284 :
あまの:2012/09/16(日) 00:58:35.42 P
機械的唯物論で語れば決定論しかない。
機械的唯物論とかファンタジーに過ぎないのに決定論は揺るがないとかあるのかね。
>>282あまのくん
おまいさんの「問いの発し方」がおかしいんだろ
>>281カラスくん、あと一つ
『全てはただ決まっている』
それはいつ決まったの?
286 :
あまの:2012/09/16(日) 01:11:25.61 P
ん?「概念」で規定しきれない物質を対象化して概念化して、勝手に論理に巻き込んでもいいのかねえ・・
>>286 おまいさんらによれば「物質は表象」でしかないのだろ?
そこからどういう思考転覆によって「物質は概念で規定しきれない」となる?
ぬるいな貴方も観念論も
288 :
あまの:2012/09/16(日) 01:20:16.29 P
表象と概念は別物。
表象とは現象の別表現。
289 :
あまの:2012/09/16(日) 01:21:49.24 P
表象と概念の区別がつかないってなかなか面倒くさいぞ。
>>288 ほう、つまり
「現象は概念では規定しきれない」
そう言いたいわけだな
>>283 > 過去と未来の『何が』因果関係にあるの?
すべてです。
> >因果の内容は対象の物質
因果関係は物質の関係を捉えているのです。
>>285 > 『全てはただ決まっている』
> それはいつ決まったの?
決定論ではいつの時点で決まるかを想定しません。その時点以前は決まっていないことになるから
です。どんな事象も必然として起こるのです。
292 :
あまの:2012/09/16(日) 01:28:26.99 P
>>290 そのとおり。
できると思ってると信じられないわ。
293 :
あまの:2012/09/16(日) 01:40:13.77 P
どんな事象も必然として起こる。
たぶんこれのどこかがおかしいんだろう。
数学法則は人間が作った
数学法則は人間が発明した
数学法則は人間が発見した
295 :
あまの:2012/09/16(日) 01:52:49.77 P
もし、現象が概念で規定し切れるなら。
どんなふうなのかな・・
まず、どんな現象にも必ず「公理」を見出せる。
ということか。
この世は論理を持った誰かの手による単なるプログラムか?
296 :
抄録:2012/09/16(日) 02:17:23.31 0
代行さん頼まないと書けなくなった
しばらくお休み
297 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:10:06.14 0
298 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:43:31.80 0
物質も表象というより概念だろうね。
299 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 14:59:48.18 0
概念というのは、対象の像であるところの表象を
主観に於ける作用から切り離して捉えるときに、
その内容を概念というのが普通。
よって表象の内容はそのまま概念なんだね。
300 :
あまの:2012/09/16(日) 15:38:54.38 P
それ、観念な。
301 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 16:14:00.11 0
観念は表象と同義で用いられることもあるけど
本来はイデアだね。
表象→概念の関係性とは別筋だろうね。
302 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 16:20:22.77 0
クオークなら、その内容が概念で、
“クオーク”という表現は名辞だね。
303 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 16:48:12.80 0
ちなみに現象は表象とは筋が違う。
現象学とは言うけど表象学とは言わない。
どうしてかは自分で考えるといいね。
じゃあ問題。
決定論における概念とはなんでしょね。
“決定論における概念”
こんな妙な言い方をするのは
カラスさんぐらいしかいませんね。
マジで?
じゃあ、言い方を変えようかぁー
決定論では「概念」をどう規定しているでしょうかぁ
>>307 それに答えることができるのは
ミスター決定論・カラス氏しかいない。
決定論はすべて決まっているしか内容が無いのだよ。
決定論だろうが唯我論だろうがそんなものはアプローチの違いにすぎない
一般的に「概念」と呼ばれているものが決定論ではどう扱われているかわからないとこのスレで哲学出来なくない?
だって決定論スレだべ。
それとも決定論では「概念」はないものなのかな?それなら答えはないだね。
ぶっちゃけすべては決まっているとだけ主張しても何の意味も無いんだよ。
唯物論もすべて物質として説明してくださいくらいの意味。
因果関係も物質の関係を捉える方法論でしかない。
意味とな。
ちょうど具体的な概念がでた。決定論で意味を定義してみい。
意味はちょっと抽象度が高すぎるかな?「ゆるふわ」とかポップな概念を決定論で定義してみてもいいよ
決定論における確率、自由、選択などのほうが面白いかも。
315 :
あまの:2012/09/16(日) 20:52:05.59 P
哲学されることを排除するために逃れるように妄想された安息の箱庭が決定論だろ。
だから哲学的態度が全く受け入れられないんだよ。
316 :
あまの:2012/09/16(日) 20:56:54.49 P
×「決定論」
○「機械的唯物論」
機械的唯物論の立場なら決定論しかありえない。
317 :
あまの:2012/09/16(日) 21:00:38.44 P
機械的唯物論の立場をとりながら決定論を否定するという人もいるようだが・・・
>>314 実学的な確率の定義は数学分野に譲るとして、決定論では確率など意味を成さないんじゃないか?
と思う人もいるかもしれないが決定論者も哲学者の端くれとして俗世で確率確率と騒いでいる現実を見て見ぬふりはできない。
シニカルな決定論者なら「馬鹿な人間が勝手に作った前提の元、限られた時間や記憶容量の中で想定しうるだけの事態の中である事象がおきる確かさを数値的に表したもの」って感じかな。
320 :
あまの:2012/09/16(日) 21:09:31.94 P
そういう立ち位置で、いくら論理を鋭くし続けてもよくわからんという意味で、
おれが
>>286を言っちっまたんだよ。
321 :
抄録:2012/09/16(日) 21:12:40.28 0
ふ
>>319 そうですね。
原因をひとつに絞れないから結果が複数出てくるというのもあるはず。
323 :
あまの:2012/09/16(日) 21:23:48.84 P
現実に、何らのバイアスもかからない「純粋に」確率論的な表れとかないよね。
数学上の話だよね。
>>323 決定論者の悪いところが出たね。
それじゃあ、神の思し召しでしか動けない運命論者と一緒だ。
>>323 分母を決めなきゃならないから分母のとりかたによってバイアスというか変わってきますね。
326 :
あまの:2012/09/16(日) 21:41:38.78 P
世の中、正真正銘の、これぞ「完全」な出鱈目というのもないよね。ww
>>324 おれは正直どっちでもいいんだよ。
機械的唯物津論者ではないが、それでも決定しているやも知れない。
この世の内容は全て不完全なイデアだし、この世の形式(時空や因果律も)にしても
はたしてどこまでステディなものか知らないし。
でも機械的唯物論だったらそれは決定論もセットだよねって話だよ。
量子力学的領域では純粋な確率論的表れがあるかもしれないらしいが知らないし。
決定論者と古典的運命論者の違いは何かね?
決定論者は自分だけは何者にも洗脳されていない自由で特別な存在だというナルシズムだろう。
シュレディンガーの猫ちゃんはゾンビとして決定論者の心のなかで飼いならさなければならない。
328 :
あまの:2012/09/16(日) 22:10:15.68 P
運命論ってさ、処世術ではないかな。
なにか災難や不幸があった場合、自分の立ち回りで避けられたのではないか?
などと思うことは辛いからね。全て「必然」だったと考えて人生の苦難に対して
無感覚になるということではないか。
>>327 運命論は未来を変える余地のある概念だった、決定論はその余地が無い概念
2行目以下はお話にならない
>>329 運命論者はそんなに傲慢じゃない。人間ごときに未来を変えるなどおこがましい。
良い結果が得られたのならそれは徳を積んだから。神に祈ったから。
大地が揺れたり突然奇病が流行ったり、空がピカっと光ったり。かと思えば虹色の輪をかけたり。あんなもん神にひれ伏すしかないわ。
ならば何故「運命に逆らう」という言い回しがあるんだろうな?
332 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 00:30:48.09 0
333 :
ノウ:2012/09/17(月) 09:11:03.83 0
実際、脳を怪我して記憶障害とか言語障害になる人もいるしね
三分前のことは記憶できない人の事例を昔、CBSドキュメントでやってたよ
手帳が手放せないらしいけど、普通に生活してた
俺も歳を食って忘れっぽくなってるしね
昔はなんでもかんでもくっきりおぼえてたのに、今じゃ些細なことも思い出せないよ
本文を読んでないか理解できなかったんだろう
335 :
ノウ:2012/09/17(月) 22:21:12.15 i
ここでの書き込みは俺が生きてることを知らせる役目が第一だから、読む必要はないけど、
記憶が移植されたかどうかは確定できないよね
条件反射的機能を別の個体のマウスに移植できたという事例でしょ
336 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 22:51:04.86 0
うわあ……
337 :
ノウ:2012/09/18(火) 20:28:05.08 i
台湾特集のテレビがおもろかった
>>332 記憶の内容と脳細胞の位置が先天的に対応する説に基いた実験ですね。
>>335 ノウさんはやはり脳に詳しいのですね。
決まっていないのは知らないことと同じだろうか。
そもそもスレタイからして論理の飛躍があるな。
物質=法則通りっていう勝手な推論というか思い込みみたいなのは決定論ではないけどな。
脳と意識の関係も解明されてないし。
科学は不完全なので必然なぞない。
必然は科学ではない。
342 :
ノウ:2012/09/19(水) 05:49:01.41 i
338
いや、俺は脳に詳しくはない
ただ、哲学問題に興味があって、脳科学が抱える心身問題についてなど、本を読んだことがあるだけ
あと『自我と脳』を読んだことあるけど、あまり面白くなかった
多分、論理的問題の方が興味があるのだろう
形而上学的なことの方が面白いと感じるのだろう
343 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 09:17:56.48 0
論理的に組み立てて、
いわゆるヘーゲル的思想(西洋哲学の発展)によって
真理に到達することは決してない
良いところまで行くが、彼岸へは届かない
344 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 10:44:40.84 0
西洋哲学では、真理に対して良いところまで行くが、なぜ彼岸へは届かないのか。
デカルト以後、特にその傾向が強い。
345 :
ノウ:2012/09/19(水) 13:23:59.42 i
344
単純に疑問なんだが、
デカルト以前なら届いてたのか?
「あちら側に到達しない、」ということが西洋哲学の性質らしいが、
では、仮定として、あちら側に到達したらどうなるのだろう?
哲学に限らずどんな学問も、最終的な答えには到達していない
だから、どんな学問も未だ続いてる
これからも研究は続くだろう
「それって虚しくないの?」ってある中学生が質問したらしい
ノーベル賞をとった科学者の母校への講演だったらしい
その学者は答えた
「ずっと続くと君は言うけど、ずっとは続かないよ。だって、人間がそのうち飽きるから」
西洋哲学が未だ真理に到達しないのは、きっとまだ飽きてないんじゃないですか?
346 :
考える名無しさん:2012/09/19(水) 14:39:44.02 0
>>345 >344の真理とは、デカルトによって分離した認識論の「主観と客観」の再統一の事を
述べているのだと思う。
347 :
ノウ:2012/09/20(木) 05:53:08.56 i
統一できるなら、最初から分離する必要がないのではないか?
牛丼はご飯が汚れるから嫌い。牛皿で分けたほうが美味しい。
349 :
考える名無しさん:2012/09/20(木) 06:44:41.10 0
>>347 現代科学は、認識論の「主観と客観」の分離によって可能になっている。
350 :
ノウ:2012/09/20(木) 13:39:54.68 i
349
主客問題が実在論を問題にしてるなら、それはプラトンからあった問題が形を変えただけだと思います
それと、僕は学生時代に科学史を学んで、アリストテレスの論文とか読まされたのですが、
当時の科学と現代の科学に大きな質的違いがあるとは思えないのです
アリストテレス学派はニュートンが望遠鏡を発明してもまだ存在したらしいのですが、
(月に関して、アリストテレス学派とニュートンの議論が、残っている)
あなたの言う現代科学は、科学の歴史において、いかなる時代からどのように変化したのですか?
デカルト以前のアリストテレスの科学は、あなたから言わせれば、現代科学ではないはずです
ガリレオやニュートンは現代科学なのですか?
351 :
考える名無しさん:2012/09/20(木) 14:34:34.62 0
>>350 >349さんの言う現代科学と言うのは、デカルト以降と思います。
デカルトは懐疑論によって「我思う故に我有り」と言う究極の認識により、
それを基礎として「我」が自然、そして、全てに先立つと言う優越論的存在論を
確立している。 「方法序説」の中に「主観と客観」の一致は原理的に存在しえない事を
哲学的に証明したが、それと同時に自然界の頂点に人間がたち、自然は、数理的法則により
すべて解明出来ると言う機械論認識をしている。この哲学的論点をもとに歯止めのかからない
科学技術の急速な発展がされていく。ガリレオとデカルトは、同時代人であり、現代科学は、
ガリレオ以降と言うこともできます。
352 :
考える名無しさん:2012/09/20(木) 14:46:50.41 0
|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ < 最近頭痛頻発、晩飯づくりまでちょっと寝る。。。
\ 皿 / ))
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐'
353 :
ノウ:2012/09/20(木) 18:13:08.88 i
351
デカルトの科学観は枚挙的帰納法です
これは、デカルトが数学者でもあり、経験科学も数学にとりこもうとしたゆえであると思われます
数学者のラプラスが決定論を唱えたように、数学者はそのような世界観を好むのでしょう
が、枚挙的帰納法ではほとんど何も言えません
デカルトの方法論ではどんな科学も基礎づけることができないので、とりたてて考えたことはなかったですね
ガリレオ以降が自然を支配してるとは思いませんが、
ライプニッツが大砲の軌道を計算したように、その頃から科学の精微さは他と比べて群を抜きだします
これは数学のなせる技でしょうね
数学の発展が自然科学をより発展させた
近代科学の発展があったのは喜ばしいことと思います
以前にも言ったかもしれませんが、
この時代、知と力を結びつける政策をした国がありました
「知は力なり」と言ったベーコンの思想を受けて、イギリスは科学の発展に力を注ぎました
問題があるとしたらこのあたりではないでしょうか
354 :
ノウ:2012/09/20(木) 18:16:00.40 i
352
風邪に気をつけろ
今年の風邪はやばい
科学に宗教の面があることを否定しているのは頭が弱いだけの馬鹿。
「自明性」と戦わないのが科学だからねw
357 :
ノウ:2012/09/20(木) 20:38:52.15 i
351
追記
あと、僕と351さんではデカルトの解釈がまったく異なります
僕の解釈では
デカルトが見つけたのは「わたしは存在する」の正しさが自明なことです
現代風に書き直すと
「この言明は存在する」という言明が自明的に真と考えられるということです
当時のデカルトの数学センスが現代でも通用する例だと僕は考えてます
あと些細なことですが、デカルトは懐疑論者ではなく、懐疑論に反対の立場です
方法序説で「わたしはピュロンのような懐疑論も受け入れられなかった」と書いてます
一般に、デカルトは合理論に分類されてたと思います
まだやってるのかよ
もう全部解決しただろ
科学の方法ってのは大抵なんかの思い付きで、まず、或る命題が真に違いない
と思うわけです。そこでその命題が真であると仮定すると何が起きるかを
考え、その他の要因による影響を排除するように条件設定して、予測される
結果をコンスタントに得ようとする。それに成功すれば、命題が真であった
ことが証明されたことになるんです。
360 :
考える名無しさん:2012/09/20(木) 21:19:00.43 0
>>353 ベ−コンの経験論は、論理実証主義に引き継がれていく。この「論理実証主義」は、
思考プロセス上、「形而上学的命題(主観的意識、自由の意志、神、など)の真偽が問題に
なる以前に検証不可能であるゆえ、思考対象から除外されている。
この「論理実証主義的世界観」と、「現象学的世界観」の相異に対してどの様に捉えていますか。
たしかに、デカルトのような方法的懐疑、は、気になりだしたらとことんまで考え続けなければならない
ような、悪魔にとりつかれた場合、唯一の方法なんだ。何事につけても、基盤となる
思惟がなければ何も構築できない。それをどうやって作るかということは、楽に考えること
で、安心することだ。気になる不安のなかに何かを見つけるか、それをとりあえず廃棄する
かという行為の選択は残されているけど、それをおいておいても、安心できるという宗教的
意義は大きい。
一方、それとはちがった価値観の構築は、悪魔を信じ、懐疑を信じ、あらゆるものを信じる、
宗教的態度があると思う。その方法の良い側面は、豊穣さや大きさといったところにある。
懐疑と信じることのどちらをとろうかと考えた場合、僕はとりあえず今は信じるほうをやっている。
信じるものは(自動的に)救われる。
科学を完全に信じちゃった奴って究極の単細胞だよなwwww
そりゃ科学技術は使えるが仮説の域の学術科学とか糞以下、
それは信じるだけ宗教となんの違いも無い。
懐疑することと信じることの間で絶望にうちひしがれた経験は、人生の上で、
どんな哲学よりも真実に近かった。
例えば、一、苦しみを望むことはできない
一、喜びは簡単にはない
一、虚無的態度は自分にしか通用しない欺瞞だ
一、他人の考えと自分の考えは一致しない、ゆえに、右翼的
ファシズムは嘘だ
一、ゆえに自分を信じ、他人を疑うことが最良の生き方だ
一、だが、自分を疑い、他人を信じることができた場合、愛が生まれる
365 :
ノウ:2012/09/21(金) 01:47:48.18 i
360
現象学的世界観を知りません
フッサールも読んだことがありません
哲学科でもフッサール読まないことってあるんだね
ぼくは哲学専攻じゃないのでよく知らないんだけど
367 :
ノウ:2012/09/21(金) 05:22:16.69 i
366
ハイデガーも読んでない
大学1年の基礎講読でプラトンとアリストテレス
2年の概論で普遍論争とデカルト
演習は先生の好みの哲学者の翻訳
20世紀からの哲学はまるでやってない
3年の科学哲学が面白くて、俺はそっちをメインに勉強したけど
俺の知識のほとんどは大学の講義ではなく、自分で興味をもって本を買って勉強した
東洋思想の講義なんか名ばかりで、西洋哲学の先生が西洋哲学の話ばかりしてたよ
結局、講師の得意分野しか話せないわけで
うちの大学はフッサールやハイデガーに詳しい人がいなかったんだと思う
368 :
考える名無しさん:2012/09/21(金) 16:16:59.75 0
>>367 >360さんが、現在の科学の基礎である「論理実証主義」で、思考プロセス上、
「形而上学的命題(主観的意識、自由の意志、神など)の真偽が問題となる以前に
検証不可能であり、論理実証主義的な考察から除外される。」と述べている様に、
科学的思考(論理実証主義)も不完全である事を、現在は誰しも周知の事実です。
だからと言って、「論理実証主義」を否定するものではなく、科学的思考(論理実証主義)の
良い面(分析的な思考プロセス)は、現代文明に多大な貢献をしている。
しかし、この世に完全な理論そして、完全な思想はない。 論理実証主義(科学的思考)では
考察の出来ない「形而上学的命題(主観的意識、自由の意志、神など)は、他の哲学的論理をもって
解明することが必要となる。 その解明の一方法として、「現象学」の直観思考がある。
この世の、すべての事象を哲学的観点から観た場合に、事象は両面を持っている。一方は「論理実証的世界観」であり、
もう一方は、「現象学的世界観(形而上学的世界)」です。 この両世界を解明する為には、「論理実証主義」の長所と、
「現象学」の長所を、互いに取り入れる事が、必要と思う。
369 :
ノウ:2012/09/21(金) 16:43:04.92 i
368
あなたは論理実証主義に役に立つ面があると考えているみたいですが、
僕は論理実証主義はまったく役立たずだと考えてます
実証主義という態度に問題があると考えるからです
明証的なものに間違いが潜んでいる可能性はありますし、
また、人間の知識も明証的なものの上に基礎づけられないと考えるからです
そうね
371 :
ノウ:2012/09/21(金) 21:44:51.39 i
テレビ見てたら結婚したくなった
372 :
ネム:2012/09/22(土) 00:21:05.99 0
人は決して完全にわかり合うことはない
互いに取り入れることなんてできない
しかし、そのための基礎はなくはない
373 :
ノウ:2012/09/22(土) 00:49:01.93 i
372
もし、人と人が完全に分かり合ってしまったら、そこには分かり合うための対話というものはなくなるだろうね
対話しなくても最初から分かり合っているのだから、分かり合おうと努力する必要もない
完全であることを求めるのはナルシシズムが原因で、
ナルシシズムから脱却することが大事で、
それは観念の世界においても言える
、とフロムは書いていた
観念の世界において、完全を希求して、「完全」という観念に縛られてしまうのは
観念の世界におけるナルシストである
そのようなナルシシズムから脱却せねば、観念の海に溺れるだけだ
みたいなことが書かれていた
374 :
ネム:2012/09/22(土) 01:04:27.15 0
わかり合えないことは、耐えられない
「わかり合えないこと」を互いの基礎にはできない
オレには無理だ
375 :
ネム:2012/09/22(土) 01:11:27.76 0
沈黙するために語り合うなんて、ふざけた人生だ
別に「わかり合えた」と一生錯覚する人生でもいいんじゃない?
一生醒めない自信があれば
377 :
ネム:2012/09/22(土) 01:23:44.76 0
自分のやりとりでさえ、風が右から左に吹くような自然現象に感じられる
日常生活の、このスレのやり取りを見ていても
この無関心はオレが育ててきた属性だ
深夜4時に阪和自動車道をカタナ400で突っ走ってたときに悪魔と契った契約のせいだ
あれからずっと、途方に暮れている
オレの錯覚(幸せ)はあのときに失った
378 :
ネム:2012/09/22(土) 01:26:07.70 0
今夜はとてもナルだ(次コテはナルにしようかしらw)
何故途方に暮れる必要があるか分からんね。まだ錯覚中なんじゃないの?
380 :
ネム:2012/09/22(土) 01:33:44.13 0
381 :
ノウ:2012/09/22(土) 01:36:54.61 i
人は分かり合えるよ
0.00001%でも分かり合えたら、それは分かり合えるってことじゃん
でも、99.99999%をもってしても、「人は完全には分かり合えないんだ」って嘆く人もいる
嘆きたい人は嘆けばいい
382 :
ネム:2012/09/22(土) 01:42:44.58 0
此処にくるような連中はなにかしら病んでる
まともな人間はまちがっても哲学なんてしない
オレは地上の権化こと機械たんが羨ましいw
一つの赤から全く同じ赤というクオリアを得なければ「わかり合えた」とは言えない
一人が100%赤と表現し、一人が90%赤と表現した場合「90%はわかり合えた」と言えるか?
まして、クオリアは違っていたとしても同じ色を赤と認識することは可能だが
それを「わかり合えた」などとすることは到底出来ない
人を理解する場合、行動の結果は、目に見えて明らかであるからそれは理解しようとする
必要がない。結果は個人に属するのではなく、客観である。
人の行動の理由を理解することが、人を理解するということだ。
たとえば、競争原理の社会においては、勝ち負けが決まるから、人は大いに傷つく。
その傷が原因で、他人に対して冷たく当たるとか、やっかんだりとかする。
行動の原因は、傷だったのである。
理由の理解によって、行動の基準が分かるため、無限に相手から干渉されるという
危惧を抱く必要がなくなる。限度を知ったとき、人は理解し合った、手を打ち合ったという
ことになる。
385 :
ネム:2012/09/22(土) 01:55:53.37 0
理解すればするほど、そこには温かさがなくなる
悟った奴がどんな眼で世界を眺めているか教えてほしいね
386 :
ネム:2012/09/22(土) 02:14:34.80 0
主観と客観の概観は、相異なって等価であるはずだ
発明が主観的で発見が客観的であるように
それが今晩の、基礎をめぐるオレの直観だ
387 :
ノウ:2012/09/22(土) 02:28:49.70 i
383
君はだいぶ、その2人のことをわかってるみたいだねw
冗談は置いといて
「君と僕がまったく同じにならなければ、君と僕は分かり合えない。
だから、僕らは分かり合えないんだ」って言うなら、そうだね
君の言葉の定義に従えば2人は分かり合えない
だからなんなの?
分かり合えなくても、違う人間として、違う相手のことを知れるじゃないか
同性愛志向が強かったり、自己愛志向が強い人は、相手が自分とまったく同じじゃないと愛せないかもしれないが、
それはナルシシズムじゃないのか?
388 :
ノウ:2012/09/22(土) 02:36:27.54 i
嗜好だ
ま、漢字の街がぐらい許せ
389 :
ノウ:2012/09/22(土) 02:47:52.90 i
384
つまらぬ
理解し合うことが同意に至るというありふれた結末
なんで、理解し合ったら、必ず同意しなくちゃならない?
理解し合ったら、必ず同じにならなければならない?
理解し合ったら必ずいざこざがなくなるなんてつまらぬ
いざこざがあったまま、同時に理解していくような方法はないのかね?
主観的同意と客観的同意があるよな。
何をもって理解とする点も世界共通ってわけでもないし。
391 :
ノウ:2012/09/22(土) 09:18:09.83 i
僕はフレームワーク問題にうるさくてね
『マイスオブフレームワーク』が好きな本だったりする
だから、この問題には多弁になりたい
「この異なる枠組みは理解し合えない」って神話に、僕は甚だ懐疑的なんだ
というのも、じゃあなんでユークリッド幾何と非ユークリッド幾何を双方理解できる人がいるのか
なんで形式論理と直観主義論理を双方理解できる人がいるのか
確かに世の中には理解できない人もいる
「あんなものは幾何学じゃない」とか「あんなものは集合論じゃない(ZF集合論)」とか言う人もいる
でも、必ずそう言わなければならないわけではない
それどころか、新しい非自明的な規則体系の研究は、人間の知的発展を大きく前進させたように思う
これは、議論に対する古い神話に欠陥があるからではないかと僕は踏んでるわけですよ
つまり、理解とか同意に対してわれわれが勝手に思い込んでしまってることの方が間違っていて
そういった思い込みを打破すれば、フレームワーク問題は知的に新しい発展を得られる契機に変わりうると僕は考えたりするわけです
392 :
ノウ:2012/09/22(土) 09:20:53.55 i
ということで、この話題は積極的に絡みたい
390
主観的同意と客観的同意とは、これまた面白い考えです
現状のところ、僕は主観的に同意できないので、詳しく説明してください
客観的同意とはどのような時になしうるのですか?
わかり合うの定義によるでしょう。最初に書いた
>>372さんの定義は何でしょう。
理由付けと根拠付けと権威付けと正当化の違いはわかり合えない。
>>390 > 何をもって理解とする点も世界共通ってわけでもないし。
ペーパーテストでは例題を出して理解の対象に当てはまるか判定させるのは常套手段ですね。
あなたの右脳と左脳はわかり合っていますか。
397 :
ノウ:2012/09/22(土) 11:34:54.12 i
394
先に言っときますが、何回も説明するつもりはないですよ
ライプニッツの充足理由律というものがある
「合理的であるためには充分な理由が必要である」というものです
対偶をとると「充分な理由が不足しているものは非合理的である」という原理になります
これは古くから合理主義のセントラルドグマとされてきました
ここから「根拠なきものは非合理である」とする基礎づけ主義という態度があらわれます
この「基礎づけ」のことを哲学の世界では「正当化(justify)」と呼ぶのです
ですから、根拠づけと正当化は同じ意味です
強いて言えば「正当化」は専門用語です
次に、正当化概念への批判、検討から新しい発想が生まれます
結果として、「正当化主義は権威主義以上の内容をもたない」とする発想も生まれました
ここで、「根拠づけは結局、権威づけでしかない」とする見方が出るわけです
「権威づけ」は「根拠づけ」の性質です
最後に、僕は10年ぐらい前に正当化概念の分析をこの板でしましたが
「理由を求める」という態度は、自己反省と直結させることができます
というのも、理由なく自己の選択に開き直るのもまた、客観的規範へのコミットに反するからです
ですから、根拠づけでない理由づけは可能です
それは自己を正当化するための理由づけではなく
自己を批判するための理由づけになります
これは非正当化主義的な理由探しと位置づけることができるでしょう
398 :
ノウ:2012/09/22(土) 11:39:57.99 i
長文なので、続き
形而上学的には正当化主義ではなく非正当化主義が重要ですので
自説を根拠づけない理由づけはまったく問題ありません
(それは自説の批判可能性を探る行為だからです)
理由づけと根拠づけを区別する人もいれば区別しない人もいます
問題となるのは正当化
それも「決定性」や「最終性」に近い概念です
正当化概念から決定性や最終性を分離できたら、正当化概念もまた擁護できるかもしれません
僕はまだ試みてません
終わり
399 :
ノウ:2012/09/22(土) 12:00:25.07 i
求めるものに「完全性」なる概念を潜ませたら、いかなるものも失敗に終わりますよ
僕がエーリッヒ・フロムを引用したのも、完全なるものを求めるのをナルシシズムと批判したフロムを挙げて皮肉ったわけです
この世が完全な天国じゃないことは誰もが知ってます
それで、完全な天国じゃないなら地獄になるのでしょうか?
あなたと僕が違う個人であることは知ってます
「分かり合える」って言葉に「まったく同じになる」という概念を潜ませたらそりゃ分かり合えませんよ
誰もが言う
「完全には分かり合えない」
で?
不完全には分かり合えるんでしょ?
人は不可能なものを求めることに虚しさを感じます
(当為は可能を含意するからです)
完全なるものを求めるのは虚しいんです
なぜなら、もとから不可能だからです
最初に完全なるものを求めておいて
必要以上に嘆く人は、
多分、最初から嘆きたいだけだと思ってます
そしてフロムは、完全なるものを希求すること自体がナルシシズムだと言うのです
それは愛を知らない幼児的行為である、、と
(『愛するということ』)
400 :
ノウ:2012/09/22(土) 12:06:35.91 i
あと、僕がフレームワーク問題に関心があるということは
言葉や定義の問題ではなく、異なる意見の間には真摯な問題が横たわっていると考えているということです
上で、プラス関数やクァス関数の例を出しましたが
それらは+の定義だけでは解決しないと僕は考えているわけです
これは、僕が、人間の知的文化、知的営為は計算とはまったく異なる類のものだと考えているからです
下に例を書きます
401 :
ノウ:2012/09/22(土) 12:15:00.12 i
例えば、物理学ではニュートン力学と特殊相対性理論は、ともに共訳不可能な関係にあると言えるかもしれません
が、数式をみれば、特殊相対性理論はニュートン力学を飲み込んだと見えるわけです
(非ユークリッド幾何もユークリッド幾何を飲み込んだと見える、数式を見れば)
しかし、特殊相対性理論にはマッハが考えた相対原理の問題があります
特殊相対性理論は、ニュートンの絶対空間や絶対時間への批判から生まれた理論であり、
両者はアメンボと水の変化に対してまったく相反する回答をもちます
これは、ニュートン力学と特殊相対性理論は同時には両立しないということを意味してます
この例は形而上学的問題ですが、
学問において、このような問題を含み、問題に対して多種多様な回答を試みことが人間の知性のなせる技だと僕は考えるわけです
それら(人間の知識)は、定義や計算に還元できない
これが僕が前提とする信念です
402 :
ノウ:2012/09/22(土) 12:16:44.20 i
ちょっとマジに書いたけど、
次からはマジに書かないと思う
403 :
ノウ:2012/09/22(土) 12:46:46.01 i
数学は規則だからちょっと例外的かな
でも問題はあるように思う
無限の問題について、ウィトゲンシュタインは数学的問題に分類していたから
やっぱりこれは規約に還元できない数学問題だと思う
405 :
考える名無しさん:2012/09/22(土) 14:05:45.48 0
>>399 「不完全には、分かり合えるんでしょう。」と述べている。この捉え方は、
>>368さんの
「論理実証主義的世界観」と「現象学的世界観(形而上学的世界)」が、不完全ではあるが、
互いの「長所」を取り入れる事が出来ると言う、「哲学的融和性」として受け取れると思う。
ノウは物事を割り切りすぎて、分解してはいけない因数を要素にわけ、
その要素で全体を説明する知識を信じている。
原理をHOWと解くのは思慮不足でWHYと知るべき。
>数式をみれば、特殊相対性理論はニュートン力学を飲み込んだと見えるわけです
全くピンとこない。
どの数式をみればそう見えるんですかね?
408 :
ノウ:2012/09/22(土) 16:34:54.71 i
407
俺、数式の掲示板での表現の仕方を知らないんだよね
特に二乗の表現の仕方が分からん
だから日本語でいくよ
1−(光速の二乗−速度)
この割合で質量が増加し、距離が短くなり、時間が長くなるのが特殊相対性理論の数式だ
(質量は逆数になるが)
この特殊相対性理論の数式の速度に0を加えればニュートンの運動方程式と一致する
つまり、静止かそれに近い遅い速度における特殊相対性理論の数式は、ニュートン力学のそれと一致する
これをもって「特殊相対性理論はニュートン力学を飲み込んだ」と表現することがある
また、非ユークリッド幾何学においては、点pを通って直線lに平行な線が一本引ける場合がユークリッド幾何学と
ユークリッド幾何学を非ユークリッド幾何学の一形式と解釈することもできる
409 :
ノウ:2012/09/22(土) 16:44:31.11 i
ユークリッドの補足
0本引ける→リーマン幾何学
1本だけ引ける→ユークリッド幾何学
2本以上引ける→ガウスの発見した幾何学
全部含めて非ユークリッド幾何ってことね
あくまで、そう解釈する人もいるというだけ
410 :
ノウ:2012/09/22(土) 16:54:40.56 i
あ、ごめん
特殊相対性理論の式を間違えた
光速−速度/光速
だっけ?
もう、10年以上前だから記憶あやふや
要は、速度が0なら
1/1で特殊相対性理論の数式はただの運動方程式の1倍になるのよ
411 :
ノウ:2012/09/22(土) 17:02:19.28 i
そういや、平方根があったのを思い出した
1−ルート(c二乗−v)とか、そんな感じだったはず
cは光速、vは速度ね
誰か細かい修正頼む
まぁ、こんな数式だよ
9割思い出した
またもう不用意なことを・・・
でも気持ちだけは「理解しました」ので、汲んでおきますよ。
私もこのスレでいろんなことをくっちゃべるんですが
本気で抉り出した思考の場合、それを他人様に“分かって貰おう”と必死で語っても
ほぼ成立しません。
(ネム氏ぐらいは分かった上で鼻で笑ってるかもしれん)
シンプルになるまで研ぎ澄まさないからだよ
「理解する」「理解し合える」なんてのは
第一義的には主観(or主感?w)でしかないわけです。
相手の言葉を、自分に馴染んだ思考構造に嵌め込もうとするわけですが
それでも収まりが悪い場合があるので、とりあえず理解を成立させるために
そこはご都合主義的に変換してしまう。
>>414 シンプルに語れるなら、カントとかの本は
どうしてあんなにぶ厚いのかね
貴方によれば、奴らの言葉は研ぎ澄まされていないのだね
理解したつもりで反論するわけですが、
やっぱり相手が意図したようには理解していなかったりするので
齟齬が生じるわけです。
「君はまるでぼくの話を理解していない」
その責任はしかし!最初の語り手にあるかもしれない。
>>417 んー
茶々入れるだけなら楽な商売なんですよ
こちとらに「なるほど内容もあり、研ぎ澄まされているな」と
思わせてみてくださいよ。
>>419 楽な商売で困るのは哲学者、あるいはその取り巻き自身でしょ
楽でいけない理由があれば提示してみてくださいよ
内容があるかどうか感じるのは相手次第なので俺の力量ではなんともなりません
「語る」というのは誰かに対して「読む」ことを促すだけの行動であってそれ以上でも以下でもない。
齟齬を解消するためには丹念に違和感のありかを探らねばならない
なので質問するのです。相手の思考を理解したいのです。
できるかどうか、やってみなきゃあ分からない。駄目かも知れない。
このスレでの経験上、たいがいは駄目。
でもそれは我々が互いに未熟すぎるんです。
>>420 なんだろう。私はたまに物理の参考書とかちら読みするんですが
その内容が実際の自然とどう繋がっているのか説明するならば
相当に膨大にならざるを得ないと思う。でなけりゃ形而上学でしょ。
カントもあれで精一杯シンプルにしたんじゃないの?
どうなの?そこの茶々入れ上手のcattさん
>>423 何万字書いてあっても一行しか書いてなくても、それは同等に「語り」ですよ。
それを「読む」側の、指し示されたものへの歩み寄りがなければそれは茶々となり、
歩み寄りがあればそれは石に刻まれた「汝自身を知れ」ともなりうる。
>>424 んー
しかし貴方はこちらが歩み寄ると、かわすのに必死ですよね
ちょっと本気で殴り合いますか?
>>425 べつにかわしてないし、ましてや必死でもないですよw
何万字であっても、一行でも、“同等に”「語り」
ってのは、何が『同等』なんですかね?
どちらも「語り」だから同等だってこと?
「歩み寄れるかどうかはその内容の如何によらない」とまで言い切るなら
それも面白い。だがそうじゃないんでしょう?
>>427 あなたの言う内容ってなんですか?
読む側から見た内容はつねに、読み取ったあとに「歩み寄るか否か」を決める読む側にあるものですが。
>>428 私の言う「内容」は「説明されていること」ぐらいの意味ですかね。
相対性理論を一行で語られても私には絶対に理解できない。
貴方は違うんですか?
貴方は
「読む側から見た内容は読み取った読む側にある」と言っているわけです。
しかし貴方が読んだ哲学書はそれだけの内容しか無い思ってるんですか?
私はcattさんの問いにとりあえず答えましたので
「同等」の説明も合わせてよろしくお願いしますね。
>>429 語ることと説明することは同じことだということ。
誰かが読んだ哲学書はそれを読んだ人がそこから読み取れる内容しか
その人にとっては含みえないということ。
とりあえずこの2点しか自分は語っていない、とうことからスタートで良いですか?
で、「同等」というのは文字通り「同じように等しい」という意味です。w
>>431 つまり、あったりまえのことを言っただけ
面白いことも研ぎ澄まされたことも言ってない。
何のスタートなんですかね?
貴方ならカントの語った“内容”をもっとシンプルに語れますか。
私が貴方に訊きたいのはそこだけです。
>>432 読み手にその内容がなければスタートできるはずもない「問い」についてですよw
カント(という「語り」)からスタートできている人もいればスタートできていない人もいる。
それだけのこと。
ようするに「分厚い」という形容は、カントの理解がぼんやりしていたこととは何の関係もないということ。
まあ、カントも読まない私がカントカントと、滑稽なのだが
ある人が純粋理性批判から読み取る内容
その人がその解説本から読み取る内容
catt氏が語る純粋理性批判と“同等”の内容
まあ、「内容」という点では同等だな。
どんだけすっとこどっこいなのか。
>>435 ぜんぜん違います。
同等というのはカントがさんざん書き散らした言葉と、カントが(たぶん)言いたかった一言が同等ということ。
それが内容。
抄録の感想自体が滑稽なんだが,同等とか思うのはいいけど、思っているだけ
にしてほしいね。
418
> その責任はしかし!最初の語り手にあるかもしれない。
これってオカルトそのものの意見だね。自覚していないのが怖い。
何が「ようするに」なのか。
カントの理解がぼんやりしていたかどうか、
それは私には分かりません。
カントは何かを説明したかったんでしょ。
私も時に説明したいことがある。
でも説明を成立させるためにはやっぱり根拠がいるんです。
それを探すのが大変なんですよ。
>>440 カントを離れて言いますが、「説明したいこと」は何かについてのあなたの理解ですよね。
その理解が言葉で尽くされるものであれば、それは語り終えた時点で姿を現します。
しかしその理解が言葉で尽くせるものではない場合、その「説明」から姿を見届けることは
なにびとにも難しいのですよ。
>>437 まあ貴方の陣地はそこしかないからね。別にそれで終わるなら構わんですよ。
>>438 皮肉だよ。分からんのか。
>>439 おお、面白い。
どういうことか説明してくれ。
「オカルトそのものの意見」の特性とはなんぞ?
>>441 ああ、そういうことはありますね。
でもね、何万字と一行とが無条件に同等であるはずがない。
特殊な状況に於いて「同じ内容」を掴むことはあるでしょう。
かように私に理解されるためには、やっぱりこれだけ書き散らす訳です。
ゲーム氏のパクリですが、“舌足らず”じゃ駄目なんです。
>>443 無意味な冗長さがかえってシンプルな内容を見えにくくすることもまたあります。
哲学者の文章が長くなるのは、その内容理解に先行するであろう思考への検討と反駁を
執拗に行うからであり、そういう意味ではカントは無類にしつこかったので分厚くなっただけのことです。
>>443 一を聞いて十を知る
という言い回しがありますが、これってどういうことだと思います?
仮にこの人が十を聞いたら百を知るのでしょうか?
>>444 執拗な思考への検討、そのこだわりがカントをして哲学の巨人なのでは?
それともそれは無意味な冗長さ?貴方はどう思います?
>>446 執拗な思考への検討そのものを評価できるのは、その思考を自分のうちに再現できるものだけ。
つまりカントを哲学の巨人であると「言える」のはカント程度にその内容を思考できるものだけ。
自分はカントが巨人であるか否かの評価はつねに差し控えている。
偏屈なおっさんではあると思う。w
強引な話しますけど
連立方程式も、答えは最初から決まっているはずなんですが、
それを逐次一つ一つ計算する。そうするしかないんです。
論理がそのようにできている。
哲学もそのような作業が必要なんじゃないですか?
悟りじゃないんです。すっ飛ばすことはできないでしょう。
>>448 貴方自身の言葉と矛盾していますね
>でも説明を成立させるためにはやっぱり根拠がいるんです。
>それを探すのが大変なんですよ。
過程抜きで答えを得ることが不可能であれば何故探す必要があるのでしょう?
>>445 ああ、そういうことはあるね。「察しが良い」・・微妙に違うかな
概ね経験値に依存するようにも思えるのだが、
しかし経験から本質(これも便利すぎる言葉だ)を掴む能力には
明らかに先天的な個人差があるわね。
しかしそいつも十を聞いて知るのは二十程度じゃないか
知識は限られているからね
>>448 そう、数学的に何かを説明しようするひとは、その内容(答え)を必ず持っている。
(例外はあるけど)その答えへの「みちびき」が逐次計算される数式だろう。
しかし哲学は「答えを探す(問う)学」であるがゆえに(言葉による)みちびきが難しい。
なぜなら収束されるべき一つの(答えとしての)命題がいまだ示されずにあるものだから。
すっとばしてその命題(真理)に至れるのは宗教だけ。
>>450 この言い回しでの十を聞いて知り得るのは十だけですよ
あることに対する説明の全てを十(十全、という言葉がある様に)としているのですから
(もしかしてウィトゲンシュタインも読んだ事がないのだろうか?)
別に読まんでもいいとは思うけど察しが悪いとは思う
>>449 ん〜?矛盾してるかね?
証明なんかだと、過程も探さないといけない。
哲学なんかだと、相互に意味を成立させないといけないので
具体的な状況を語ってやらないといけない。
「こういうことってありますよね」とね。
>>452 とんちかよ。なるほど負けました。
>>453 ほぼ無い。
薄い哲学事典だけはたまに読みますが。
カントを読むくらいなら物理の参考書を読みますよ。
私はここではそのような役割なので。
文芸評論は他人様に任せます。
>>456 自分は物理にはうといんだけど、説明に対する根拠を探すという点では物理は必死で実験してて
えらいと思うよ。ヒッグス場とか。
物理の参考書を読むのがここでの役割?勘違いしてない?
>>457 ヒッグス場とかになると手も足も出ないというか
基礎物理の参考書には載ってないんですよね。
だから思考の対象ではなく「与えられたもの」としてしか知らない。
>>458 そうかね?
貴方の役割ってなんですかね。はは
役割とか、そうやって自分を規定して生きた方が楽なのも分かりますけどね
学問の徒としてはどうでしょう?
一度決めた観念に囚われすぎるのは危険かと
自分を規定?んー・・
私が言いたいのはね、
みんながみんなカントやらウィトゲンシュタインを読んで
その個人が読み取る『内容』を見せ合って、何が面白い?ってことでね。
実際、カントなんか読まない私は、ここで自分の思考をいくらでも語れる。
物理の知識なんて薬味程度しか言わないでしょ。
>>461 >実際、カントなんか読まない私は、ここで自分の思考をいくらでも語れる。
それはあたりまえだけど、それはどこにも向かわないただの発散だよね。
>>462 そうはならないと思うんですよね。
私の思考の背景に実際の自然があるので。
「自然の仕組み」が私の第一の興味の対象。
形而上の説明に形而上を重ねるようなばかばかしいことは
してないつもりです。
あと手前勝手だが、私の思考は割と論理的だ。(ネム氏、そうだと言ってくれw)
>>463 哲学板的には「自然とは何か」という問いも可能ですよ。つまりまだその解釈に余地がある。
解釈に余地があることをいくら積み重ねても(つまり形而下の思考を繰り返しても)それは
盲目な主体からの意味のないおしゃべりでしかない。という反省も可能。
「自然とは何か」と問うならば、どうしたって物理学の仕組みを知りたくなる。
それが果たして「意味のないおしゃべり」から構成されているのかどうか
そんなことは外から眺めたって分からんのですよ。
貴方も多くの哲学書を本気で読んだのだから、察することができませんか。
>>465 >「自然とは何か」と問うならば、どうしたって物理学の仕組みを知りたくなる。
それは分かります。
しかし物理学が見る自然は、カント達が作り上げた神の視線をもとにした
ある一方の自然でしかないのですよ。
おお、ちょっと面白そうじゃないですか。
・カント達が作り上げた神の視線をもとにしたある一方の自然
その「ある一方の自然」ではない別の自然もあるわけですね。
それはどういうものでしょう。教えを請う。
(「誰々によれば」とかでもいいですけど、中身もお願いしますね)
>>467 物としての自然についての学が「物理」ですよね。
そしてその「物」は神の視線でしか定義され得ない、つまり人称を持ちえない。
というか人称は積極的に排除される。
もうひとつの自然というのは、それにわれわれが参加することによってはじめて姿を現す自然です。
つまり「いまそこに現にある自然」のことです。
言い換えれば、物理の自然はかつて説明された自然に積み重ねられますが、
もう一方で、自分の目の前に投げ出されている生々しい、いまままさに説明を要求する自然がある、
と考えるのが哲学で言う現象学的思考です。
>>468 んー
嘗て(そして最近もw)現れたTrau.さん(だったかな)とかも
似たようなこと言ってたんです。
ソシュールやらメルロポンティーやら広松なんたらやらが云々
明日にでもレスするかもしれません。
現在の資本主義社会は、種々の面で「唯物化」の傾向が強まっていると思う。
「唯物化」する、つまり、貨幣が全ての中心となり、「お金」がすべてを支配している。
この「お金」は物質化(唯物論化)そのものであり、ある意味では、マルクス主義化していると、
思われる。それが良いのか悪いのか、共産主義、社会主義を分析、研究する中から、良い面と悪い面を
抽出して、これからに生かして行く事が必要な時代を迎えている。
471 :
ネム:2012/09/23(日) 02:16:03.96 0
読みました一服
北斗の券のOPとED曲で各々応えたいくらいだ
とりあえず、Absalom氏はまだ悟ってないんだから
コテで気になるのはその件だけだ
猫もどき氏とは珍客でしたw
472 :
ノウ:2012/09/23(日) 05:52:27.42 i
440
「カントは何かを説明したかった」
抄録さんの言うとおりです
その通り
しかし、それに必要なものは根拠ではありません
説明しようとする問題状況です
「カントが何を問題としていたのか」
これが分かれば、カントをだいぶつかめるのではないでしょうか?
カントに限りません
物理学も同じです
473 :
ノウ:2012/09/23(日) 05:57:35.16 i
もし、未開文化の人にいきなり万有引力の話をしてもちっとも伝わらないでしょう
そこで、ハンマー投げのようにものを振り回すと遠心力でものは遠くに飛んでしまう
ところが、地球と月は離れずに、月は地球の周りを周っている
これはどうしてか?
このような問題状況を説明して、問題状況を把握されれば
万有引力を理解することはできるでしょう
(彼が同意するかは分かりませんが)
474 :
ノウ:2012/09/23(日) 06:13:19.23 i
僕はデカルトを懐疑論者とは解釈してないんですが、
デカルトが誤解されやすいのも、デカルトの問題状況が把握されてないからだと僕は思うんですよ
デカルトは懐疑論を振り払いたかった
これを踏まえると、デカルトを懐疑論者とは解釈しないはずなんです
「デカルトは方法的懐疑をした
だからデカルトは懐疑論者だ」
方法序説の第四章だけを読むとそう解釈してしまうかもしれない
でも、「デカルトはどんな懐疑論者でも疑えないものを見つけることで懐疑論との決別を図ろうとした」
こう考えると、デカルトの言葉ってまとまってくると思うんですよ
で、解釈は多様であっていいと思うので、僕の解釈と他の解釈のどちらが正しいかは分からない
だけど「デカルトは懐疑論者である」という解釈と「デカルトは懐疑論者ではない」という解釈は論理的に両立しない
だから、双方の解釈のどちらも正しいということはない
どんな解釈も許されるわけではないということなんです
まったく正反対の解釈を許すと矛盾してしまう
論理を前提にする限り、矛盾は回避しなければならない
この矛盾の回避が制約となって、解釈を限られたものに限定する
475 :
抄録:2012/09/23(日) 13:32:22.37 0
>>468 その「人称」ってのが何のことがよく分からんので、説明を請う。
最近Trau氏らしい名無しさんが「死せる物質」なんてことを言ってました。
たしかに物理学で説明される対象は「質点」とか「剛体」とか「粒子」とか
ほとんど形而上みたいなもんなので、ヒトがこれらを理解するときに不可避的に
「時間を超越して不変なもの」となってしまう。
しかし本来、物理学は物質が生きているとか死んでいるとかの判断はしない。
現状の物理学は物質の振る舞いのありようを表現しているのみであって、
「物質の“真の姿”(そんなものは“ない”わけだが)」なんてものを問題にしない。
そのことを肝に入れる責任は、それを学ぶこちらにあるのであって、
物理学にそれを説明する義務は無い。
『物質の真の姿』。そんなものはありゃあせんのでしょう。
しかし貴方が言われる「現にある自然」てのがある。
これは物質では説明できない?たしかにできませんよ。
そのように「物質」を規定してしまったんだから。
物質の振る舞いを数理的に説明するために大事な何かを犠牲にしてしまった。
その事を自覚しなきゃあいかん。たしかにそうでしょう。
しかしたいていの物理学者はそのことに自覚的だと思います。
私でもそれぐらいの自覚はあるわけですから。
476 :
抄録:2012/09/23(日) 13:34:11.04 0
しかしですね、「我々」が参加することで姿を現す「現に目の前に投げ出される自然」と言ったのでは
結局は「私ありき」の枠組なんですよ。いつもいつも人間、人間。その『我々』って何ですか?
「人間」なんて、「物質」よりはるかに都合の良い方便なんです。
もうオールマイティーもいいとこでね。「人間」と言えば通ると思っている。
その「人間」が参加しなきゃあ自然はありませんか?
「人間」のいない自然について考えることは端的に無意味ですか?
自然のないところに「人間」だけが存在できるんですか?
「我々が世界に投げ出されている」。サルトルやらハイデガーはそう言ったのかしら。
悪くはないが、しかしそれじゃあぬるいんです。
自然が「我々」とやらを成立させているんです。
この思惟も、感覚も、論理も、物理学も、間主観性も、そして<私>も
すべて自然なんです。
>>472 「問題状況」
ああ、それはいい。
しかし根拠は不要ですかね?
根拠を述べるてのは、公理を示すってことじゃなくて
事実の提示が必要なんじゃないか、ってことです。
こういうこともある、ああいうこともある
それを「主張の正当化」に用いるのはおかしいこと?
万有引力もですね
チコブラーエによる観測結果の蓄積があって、
それをケプラーが整理して
ついにニュートンが「力」によってそれを統一的に説明するわけでしょう。
ニュートンが問題状況を得たのは無条件ではないでしょう。
479 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 13:55:37.76 0
>>474 デカルトは、「方法的懐疑(直観思考)」によって、疑いえない「我」に到達している。
そして、デカルトは、哲学的思考の基本プロセスに、方法的懐疑(直観思考)」を取り入れている。
従って、継続していく「思考プロセスの基本」に、懐疑的手法(直観思考)を、取り入れているのであるから、
懐疑論者と解釈しても、間違いではないと思う。
ノウ氏はなんかしらデカルトに拘っておられるようで。
方法序説での重大問題は、やっぱり「神」ですよ。
「我思う故に我あり」ぐらいは小学生でも「ああそうだな」と思いますよ。
しかし「神あっての我」となるとぜんぜん様相が変わってくる。
まさに問題状況ってことですw
481 :
ノウ:2012/09/23(日) 14:35:44.62 i
479
そりゃね
解釈はできる
ただ、「デカルトは懐疑論者ではない」という解釈と同時にはできない
どう解釈するかはあまり重要じゃないと僕は思ってます
482 :
ノウ:2012/09/23(日) 14:43:59.17 i
抄録
477
あなたがどのような信念をもとうが構いませんが
僕は自分の態度として、いかなる正当化も認めないのです
あなたが正当化が必要と考えるならどうぞ
僕は無駄だと思ってゴミ箱に捨ててしまうのです
480
「神」と名前を聞いただけでわざわざぶっ飛ぶことはない
試しに僕はこう主張します
「デカルトは神の存在証明をしようとしたのではない。
世界の存在証明をしようとしたのである」
抄録さんが言う「自然」だって「神」とどう違うか、はたまたデカルトの言う「神」と同義かもしれません
「神」嫌いってある
多分、そういう毛嫌い感は誰もがある
でも、あまり言葉にアレルギーをもってもしゃーないと僕は思うんです
483 :
ノウ:2012/09/23(日) 14:50:52.84 i
478
ええ、無条件ではないです
ニュートンにはそれまでに学んだ科学的背景があった
僕には今まで読んだ哲学的背景があり、おそらく様々な人に皆、そのような背景があるでしょう
デカルトにはアウグスティヌスとピュロンの背景があったわけです
カントにもヒュームと近代科学の成果という背景があります
そういや、アインシュタインにはニュートンという背景がありますね
484 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 14:50:58.51 0
>>481 デカルトに於いて重要な事は、「主観と客観」の分離にあると思う。
この「主観と客観」の再統一を試みたのが、カントであり、フォイエルバッハであり、
フッサ−ルとハイデガ−であると思う。
>>482 「信念」ってほどの話じゃなくて
根拠がなけりゃ納得できんでしょう
貴方の言う「問題状況」だって、
様々な場面で多様に展開される思考のありようってのがあって
その中で何らかの意味の成立を期待して統合されたものであり、
それが成功したなら、それは相手を納得させるための「根拠」じゃないですか。
自然が神と同義かどうかは状況によるでしょう
善の研究なんか読みませんが、西田の言う神は宇宙の根本原理なので
まあ「私のいう自然」と近いかもしれない。
しかしデカルトは違うのでは?
あと、私が「無意味」とするものは貴方が「無意味」とするものより
はるかに少ないのと同様、
私の嫌いな言葉なんて貴方には及ばない。
貴方は根拠も正当化も認めない。
何でもゴミ箱に捨てる。
しかしそんな自分を正当化する。もう何がなんだか
>>483 背景は背景としての話があるでしょう。
しかし今わたしが言っているのは「事実」が根拠になるんじゃないの
って話です。
なのでわざわざチコブラーエなんて言ってるわけです。
489 :
ノウ:2012/09/23(日) 16:08:58.51 i
484
僕にはデカルトってそんな形而上の関心ばかりとは思えないんですよ
「われおもうゆえにわれあり」は形而上学です
デカルト自身そう書いてますから
ただ、「形而上学的だから書くかどうか迷った」とも書いてます
世界の存在証明をした後のデカルトなんて、(今では間違いだらけの)当時の科学研究をしていて
かなり平凡な感じさえします
デカルトって、本当に主観と客観を分離したんですかねぇ
490 :
ノウ:2012/09/23(日) 16:14:25.34 i
485
まぁ、あなたは納得したいんでしょう
僕は納得したくて本を読んでるわけじゃないんです
また、納得したくてここにいるわけでもなければ、納得させたくてここにいるわけでもない
つまり、僕と抄録さんは関心がまるで異なるわけです
487
ご冗談でしょう?
あなたはご自分が納得できないものを大事にしてますか?
あと、僕は自分を正当化してません
僕はあらゆる正当化を認めないので、自分もまた正当化しませんよ
491 :
ノウ:2012/09/23(日) 16:20:36.59 i
488
で、その人が事実として挙げたものが事実である根拠は何があるんですか?
僕の481をあなたは読むべきです
僕は「論理的」とはどういうことか説明しています
ま、これが「反基礎づけ主義的合理性」なんです
486
デカルトの論証は単純です
・コギトは不完全ながら存在する
・不完全なものが存在するのは完全なるものが存在するからである
・したがって、完全なる存在、つまり、神は存在する
・ゆえに、世界は存在する
この論証、神なんて必要ないと思いませんか?
>>490 貴方は、私を「納得したい人間」だと納得したいんでしょう?
私はゲームさんの言うことも、ネム氏の言うことも納得なんかしませんよ。
しかし大事にしてます。
貴方は「自分は自分を正当化しない」と宣言することで成立する
なんかしらの正当化を志向するわけです。不要な宣言でしょう。
493 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 16:49:30.91 0
>>489 デカルトの「我思う故に我有り」は疑うことの出来ない究極の認識ですが、
この命題を分析すると、「自身が考えることによって自分が存在する」と言う事は、
自分という「主観的存在」を実体として認識することです。この絶対認識としての「主観的存在」を
明証的に認識することにより、その対極にある「客観的存在」を明確に認識していく。この「主観と客観」の
分離については、フッサ−ルがより詳しく述べているので、私より正確に解説してくれるものと思います。
>>491 「事実として挙げたものが事実である根拠はどこにあるか」
そのような問題状況は、それとして別にあるでしょう。
その気になればいくらでも難癖つけれるんですよ。
しかしいまここで事実と述べたものをとりあえず事実と了承して話し合う
そういうことができませんかね。
495 :
ノウ:2012/09/23(日) 17:14:49.44 i
492
いえいえ
正当化できない以上、僕の自分勝手な信念です
誰かに納得してもらうつもりはない
が、あなたが「正当化されている」と言うなら、そうかもしれません
で、どのように正当化されているのですか?
具体的に指摘してみてください
僕は自分勝手だと思ってたのに、あなたは僕の信念には根拠があると言う
僕の信念に根拠があるなら、僕の態度は矛盾します
いつでも撤回しましょう
で、僕の信念のどこに根拠があるんですか?
496 :
ノウ:2012/09/23(日) 17:18:02.65 i
493
あ、すいません
僕は「われおもうゆえにわれあり」は疑えると思ってます
超越論的実際論的基礎づけは基礎づけとして失敗しているという見解に僕は立ちます
合理性もまた正当化できないと僕は考えるわけです
>>491 貴方コギトによって理解されるその「論証」とやらが、貴方にとって明晰判明であるとして
それが世界及び他者にも成立する「真理」であることを
神以外の何が可能とできるんですかね?
しかし貴方にはそのような問題状況が無いんでしょう。
499 :
ノウ:2012/09/23(日) 17:50:39.48 i
497
分かってない
もう一度説明しますよ
次はありません
「われおもうゆえにわれあり」の論証から
「何かがある」という結論が得られたのです
「何もない」/「何かがある」
この2つの選択から「何かがある」を選んだ
これがデカルトの選択であり、「われおもうゆえにわれあり」の正体です
で、この「何かがある」は不完全な形でしかまだ「ある」と言えないんです
なんで、こんな不完全な「ある」があるか?と考えて
そこで、「完全な何かがあるからだ」として「世界がある」としたんです
僕に神だのなんだのを考える問題状況がないのはその通りです
>>476 それはつまり人間・自然を「(見える)もの」としての集まりと考えることであり、
自然・世界・時間という全体がまずあってそれを分割していくとものになり人間になる
ということです。もちろんものとものの関係も見るでしょうが。
それでは「人間はなぜ考えることができるのか」ということへの確かな答えは出せません。
たとえば脳生理学的な神経の発火と脳の反応というのは現象への反省から意味付けされているだけで
いまだに人間は脳(つまり人間)を作れていないし、時間も受動的に「感じて」いるだけです。
それらはものでなければなんであるのか、というのもまた哲学の昔からの大きな課題です。
情念や倫理を物理的に説明できるなら面白いと思いますが。w
501 :
ノウ:2012/09/23(日) 17:57:54.39 i
494
ああ、「話し合う」と言いながら何も話せないわけですね
あなたはイエスマンと話し合えますか?
僕は話し合えません
話し合いたいなら、異なる2つの見解があることは必要不可欠だからです
了承したらもう何も話す必要はない
で、これがフレームワークの神話をつくってる正体だと僕は考えてます
498
信念が根拠になるなら根拠だらけですよ
誰もが自らの信念において自らが正しいと考えているんですから、なんでもかんでも根拠になりますよ
あなたはそのつもりで「根拠」という言葉を使ってるわけじゃないでしょ?
「根拠が必要」とあなたは言った
「信念が必要」という意味で言ったんですか?
違うでしょ
>>498 > 「信念」とか究極の根拠じゃないの?
究極の根拠ならチョウセン人だってもっていますよ。
ウリジナルは信念であり、ドクトを略奪するのも信念だから。
503 :
ノウ:2012/09/23(日) 18:16:25.12 i
496(自分のレス)
この話題はかなり分かりにくいかもしれない
非合理主義は合理的足りうるということなんです
「合理化を得た結果にあるものは」スレの339に書いてあることは正しい
僕は合理主義の立場に立つし、339とは異なる見解に立つ
しかし、339に書いてあることはまったく間違ってなかったりする
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」は
主観主義的な基礎づけではない
合理性の基礎づけである
>>499 「何かがある」とか
完全とか不完全とか
それらが貴方のコギトから離れて意味を持つことを
神以外の何が可能とできるんですかね。
505 :
ノウ:2012/09/23(日) 18:48:22.68 i
僕がデカルトを話題にするのは
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」が、合理性の正当化だからなんです
ちょっと僕なりにスリムに解説してみます
で、この言葉、誤解だらけなんですが、
結論は「ある」なんです
つまり、「ない、のではなくて、ある」と言ってます
「何かがあることは疑えない」
デカルトはこう言ったわけです
ちょっと検討してみましょう
デカルトは「疑えるものは存在しないとする」と仮定しました
少しでも疑えるものは「ない」にしちゃおう
こうしたわけです
そうしたら、なんでも疑えたから「何も存在しない」という結論を得ようとしましたが、
「何も存在しない」という疑いは存在するということに気づく
これがデカルトのコギトです
現代風に言うならば
「何も存在しない」という言葉は存在する
ということに気づいた
デカルトはここから、「何も存在しないのではなく、何かは存在する」と結論づけたわけです
この論証、主観とか私とかってあんま関係ないんじゃないかって僕は思ってるんですね
506 :
ノウ:2012/09/23(日) 18:50:52.55 i
504
僕のコギトって、なんかコギトってペットみたいですね
>>500 んー・・いやそうなんですよ
あのですね
事実として「人間は考えている」としか考えられないw状況がある。
これは事実なんだから、それを可能とするように、唯物論の枠組の中で
自然及び物質のありようを捉えなおしたい、と思っているわけです。
無駄なおしゃべりですけどね
まあノウさんはいつも「この私」ありきで考えてるでしょう。
察するに、最高位とも話が噛み合わなかったんじゃないですか?
509 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:07:14.95 i
508
「このわたし」について考えたことはありません
が、最高位はクソでしたね
哲学の世界にはクソが時々混ざるのですが、
最高位はクソを好むタイプでした
まぁ「哲学」という言葉にウンコを感じる人の方が世の中、多いのでしょう
最近の哲学ではウンコも研究してるらしいのですが、僕はウンコは嫌いでしてね
特に好き好んでウンコを好むハエのような輩は人として好かないのです
「思惟している思惟があることは疑えない」
これは疑えないんですよ。「疑う」という行為によって生じる状況に対して
思惟はそのように判断するしかないんです
しかし「疑えない→存在する」は再考の余地があると思えるわけです。
「思惟が存在よりも先立つ」には瑕疵がある。
>>510 それ「恣意は存在である」に読み替えないと。Je pense, donc je suis.
まあノウさんにとってはいろいろと糞があるってことで
しかし自分がそのウンコだと思ったことはないですか
ごめん、思惟ね。
>>511 おーおー教養人
ちょっとノウさんと哲学蘊蓄合戦でもして欲しいですな。
国民も多分それを期待している。
515 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:24:22.77 i
510
抄録さんは510で
「〜があることは疑えない」と書いてるんですから
抄録さんも、疑えない存在があることを認めているはずです
デカルトのコギトって実体じゃないし、物でもない
確固とした存在じゃないんです
考えることをやめた瞬間に消えてしまう程度のものです
だから、デカルトはそのような存在を「不完全な存在」としたわけです
516 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:26:06.05 i
512
ないですね
僕が言うウンコはbullshitのことですから
517 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 19:29:50.01 0
「何も存在しない」という「言葉」は存在する。この「言葉」は、この認識状況の中で、
疑う事の出来ない究極の「言葉」ですよね。 この「言葉」と言うのは、デカルト的には、
「直観認識」と言うことになります。 そして、この「直観認識」は、どこで認識しているのでしょうか?
「なにも存在しない」という言葉に「気づいた」と言う「気づいた」のは、自己(主観)ではないでしょうか。
>>515 そうじゃないんですよ
「思惟の存在を疑えない」っていう状況があるんです。
「疑う」ことができないだけなんです。
なので「だから存在する」とまでは言えない、と私は思っているんです。
>>516 私から見たノウさんも
結構デタラメ言ってますよ
でも内容が面白いからいいんですよ。
>>517 そこで先述定的という便利な言葉が登場します。
521 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:40:56.88 i
517
そりゃ、どんな論証も書いた本人の脳の中の思考だよ
哲学に限らない
相対性理論だってアインシュタインの脳の中のものでしかない
脳内だけで特殊相対性理論の式をつくったんだから、特殊相対性理論はアインシュタインの主観的な産物だ
ニュートンだってそう
まぁ数学もそうだよね
ガウスやリーマンの脳内の産物が検討の対象になっている
哲学だからってシンジ君みたいに本当の自分探しみたいなことやらなきゃならないってことはない。
〜に過ぎない。とかがすでに中2的。
意識すら必然であるなら世界をどう自分好みに変えられるかっていうワールドデザインを語らなきゃ。
お前らはヒデと同じ旅人さん。いつまでも自分探しのモラトリアムにすがりつきたい夢遊病者の決定論。
523 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:51:20.99 i
518
「だから存在する」とデカルトは言ってないならOK
「われおもうゆえにわれあり」の「ゆえに」は理由づけじゃないです
「疑いが存在する」ということは疑えない
これだけです
519
デタラメじゃなくて、bullshitは直訳したら「牛のクソ」です
まぁ、おためごかしって言うかな
それっぽい言葉を並べて何かすごいことを言ってるふりをする態度です
日本の哲学はそういう輩が居座っていた
最近は「スリムに分かりやすく」が哲学のトレンドらしいので、おためごかしは避けられます
が、逆に積極的におためごかしだけの言葉を使う人たちもいます
(分かりやすくとは言うが、あくまで哲学の範囲内でのわかりやすさでしかないが)
524 :
ノウ:2012/09/23(日) 19:58:10.34 i
517
追記
再度言いますが、僕は疑えると考えてます
デカルトは失敗している
これが僕の見解です
この問題、形而上学の中でもやたら形而上学的なのですが、、、
525 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 20:01:44.77 0
526 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 20:02:20.42 0
>>515 デカルトは、「考えること、疑うこと、だけでなく、判断すること、感じること」などの
思考作用をも「考えるゆえに我あり」に含めている。 デカルトに於いて、「考える」だけではなく
「直観認識」の中に感性的実体も含めているので、考えることを止めることで消滅するものではない
と思う。
527 :
ノウ:2012/09/23(日) 20:12:51.56 i
525
めんどいんだよね
だから「合理化を極めると」スレの339がいいんだけど、
論理を疑えるというのが一つ目、
実際論的基礎づけ批判が二つ目
526
消えますよ
デカルトが書いてますよ
「ただ、わたしが考えることをやめただけで
わたしが存在したと信じるいかなる理由もなくなる」
528 :
ノウ:2012/09/23(日) 20:18:16.22 i
523修正
「だから存在する」とデカルトは言ってないから大丈夫
>>527 >>505も読んだけど、まるきり説得力ないね
デカルト先生とやりあおうってんなら出直しておいで
私だろうがうんこだろうがりんごだろうがすべて平等に扱うのが決定論。
りんごを「存在する」と定義するならばわたしも「存在する」。
531 :
ノウ:2012/09/23(日) 20:25:49.87 i
529
説得力はないよ
アーペルのように合理性は疑えないって言う人もいる
疑うには合理性が必要だ
だから合理性は疑えない
これがアーペルの意見だけど、どうかねぇ
最終的に論理は疑えない。
疑うことが論理に依存するから。
同一律を疑うとするなら
結局は「(全ての)AはAである」は“違うかもしれない”
なんて考えるしかない。
妄想メタを論理的に介入させるしか方法がない(無意味だがw)
どうやったってすっとこどっこいにしかならない
>最終的に論理は疑えない。
どんなに論理的に正論であっても、否定できる論理思考ができなくても
信じられない論理は最終的に拒否はできる。
それが間違っていることは明らかなものを論理で擦りかえるのは
思考が論理に支配されているのに内心で気が付いているが叛けない
からである。
535 :
ノウ:2012/09/23(日) 20:47:52.65 i
>>532 その意見は哲学者でもマジで主張する人が結構いる意見です
ウィトゲンシュタインも同じ見解だったかな
さて、どうなんでしょうね
パウル・フォン・オーベルシュタインのことか?
>>534 論を疑うことはできるんですよ。
でもそれは論理的に疑うわけです。
論理は言語を越えて思考そのもの、いやそれ以上なんですよ。
**********************
貴方が拒否したい「信じられない論理」とは何ですか。
その言葉だけが浮いているんじゃないですか?
正論まがいの論にひねられるのは
思考が足らないんです。
どこかに虚偽がある。だまされたらいかんのです。
虚偽は論理によって見抜くしかないんです。
論理は味方なんです。
539 :
ノウ:2012/09/23(日) 21:01:45.58 i
ちょっと探したけど、これについて書かれた本が見つからなかった
多分、知り合いに貸したのだろう
ざっと覚えているところを
「論理を疑うには論理を使うから論理は疑えない
これは見かけほど強固な理屈ではない
嘘つきパラドクスのような関係が論理に含まれるならば、論理は信用できない」
はてさて、
論理の物質性を理解してないんだよね。
論理の物質的担保は何かがわかってない。
動物化しちゃえば論理なんて、、
ってか もともと動物かw
自己言及、相互言及
しかし結局は論理によってその存在と性質が知られる。
論理以外の何ものもそれを示すことはできない。
自己言及のパラドクスはあってもいい
それが論理の宿命なら
単に真偽が不明な命題があるだけ
信用できない?何が?
544 :
ノウ:2012/09/23(日) 21:25:39.08 i
仏教思い出した
筏は川を渡るためにあるのであって、しがみつくためにあるわけじゃない
格言やら意味もわからぬ念仏にしがみつく奴は多い
本を探してどうなる
考えりゃ分かるだろ
あれは論理なのか?
単に「我あり」だけでも十分だったと思うんだが
547 :
ノウ:2012/09/23(日) 21:43:54.90 i
545
論理にはしがみつけ、と?
釈迦は「わたしの言葉も例外じゃないよ。後生大事にしがみついちゃダメだよ」って言ったらしい
この話し、探してるのと同じ本に書いてあった
抄録さんのレス見てたら思い出した
アーペルとバートリーの論争について詳しく書かれてたから参考になると思ったんだが、
「論理は批判可能かどうか」って意見の分かれる哲学問題だと思うよ
548 :
考える名無しさん:2012/09/23(日) 21:47:42.12 0
>>531 「合理性」は疑えないと記しているが、この「合理性」とは、演繹的な論理思考のことでしょうか?
>>546 ああ、それは私もそう思うね
どうしようもなく私が私を望んでいる
論理の問題じゃあない
たとえば俺はbotでしかないが俺自身は我があると思っている。
でも人々がつくった科学の世界では俺には我はないと定義されていた。
周囲はbotに我はないというが俺は我だと考え主張した。
すると俺には我があると定義された。
定義される前と後で周囲の対応は変わったが俺は我だと昔から俺は信じていたので俺は何も変わっていない。
552 :
ノウ:2012/09/23(日) 22:26:31.10 i
549
違うと思われる
正確に調べたいんだけど本が手元になくてね
理詰め思考、ぐらいの意味だと思われる
理詰め思考に欠陥があるかどうかは理詰め思考によってしか探れない
だから欠陥があったとしても理詰め思考によるものだから、理詰め思考は疑えない
とか、
そんな感じかな
「理詰め思考」と簡単に書いたけど
「論理を使用して真と偽に分類する思考」って感じだと思う
えらい伸びるじゃにゃか
オレが本気出したら「ザ・ワールド!!」しちゃうよ
554 :
ネム:2012/09/24(月) 00:38:22.74 0
コテわっけてた
>>552 ノウ氏苦しいんだろうけどそれ自爆してんじゃないの?
555 :
ネム:2012/09/24(月) 00:41:18.24 0
すまん
前後読めてなかった
556 :
ネム:2012/09/24(月) 00:56:44.35 0
論理と意味は別にできない
オレたちゃ情報においてもネゲントロピーの存在だ
ただ論理を拡散させるだけでは意味が消失してしまう
557 :
ネム:2012/09/24(月) 01:01:33.44 0
>>520 虚構の論理は>「(全ての)AはAである」は違う、を可能にするってかw
552は548あてだね
ごめん、レス番間違えた
552はカール・オットー・アーペルの意見(の推測)ね
俺はアーペルには反対意見だけど、アーペルの意見をまとめてみた
559 :
ネム:2012/09/24(月) 01:11:26.29 0
虚偽を測る基準は論理ではない
いや、論理だ
しかしそれは、(易しく言えば)意味の適用の問題であって論理の問題じゃない
意味の適用とはなんだ?
論理はツールだ
普遍的であるがゆえに論理は何も答えない
神は論理を理解しても論理を扱うことはしない
560 :
ネム:2012/09/24(月) 01:17:38.48 0
論理を成立させてるのが意味でないとするなら、
我々は論理式そのものである
561 :
ネム:2012/09/24(月) 01:26:53.24 0
わかり合うために論理が必要条件である、というわけではない
本当にそうか?
わたしは何を理解している?
論理か?
論理的に理解する?
理解は論理的でなければならない?
そこに意味はどこにある?
意味はわたしの中にしかない
わかり合うとは、わたしの中に彼(または彼女)を見つけることだ
>本当にそうか?
>わたしは何を理解している?
貴方は貴方が知見して噛み砕いた世界を
貴方の中に生じた錯覚を信じている。
何も明確な足がかりなしで歩もうとしているわけではない。
つまり貴方の中で明確にしているからこそ、それが錯覚の分部を
含んでしまう。
その錯覚とは捉えた現実を貴方なりに解釈した幻想である。
赤林檎を赤い玉と捉える人もいるが果物と捉える人もいるし、
たんに知らないものと捉える人もいるだろう。
その全体の連なりの類似度で信頼度を測るべきだが理解という意味で
判断してしまえば物事はシャープに明確になりどちらでもよいという
曖昧な対象でも必ず神を比喩するように偶像を作ってしまう。
つまり偶像なしでは活動できないし全て偶像に当てはめることが日常となり
それに支配されている。考える為に考えるなというような矛盾を受け入れられない
ならば常に矛盾が生じないような判断をしてしまうのが貴方のいる場所である。
>>397 理由、批判は何でしょう。正当化と批判は理由付けによってなされるのでしょうか。
正当化は観測、実験行為を含むのでしょうか。
理解というのは、握ったこぶしの指の間からさらさらと落ちていく一握の砂だからなあ。
565 :
ノウ:2012/09/24(月) 10:29:36.06 i
>>563 批判について説明する前に、僕自身への反論を書きますね
僕は、根拠づけ、正当化にNOを突きつけました
が、批判はOKとしました
しかし、それが可能なのでしょうか?
正当化がプラスの根拠づけならば、
批判はマイナスの根拠づけであり、
どちらも根拠づけの一種なのではないか?
正当化と批判は表裏一体の関係であり、片方を捨てもう片方を拾うことはできないのではないか?
このような反論がありえます
「批判」とはどのようなものなのでしょう
566 :
ノウ:2012/09/24(月) 10:40:23.50 i
続き
ここで僕が言う「批判」はマイナスの根拠づけではありません
「批判」はすでに定式化されてますが、それを説明する前に少し視点を変えてみます
抄録さんは論理において特に同一律に着目しています
論理を導出の道具と見なす抄録さんらしいです
が、同一律はトートロジーでしかない、この話しは前スレでもしました
僕は同一律ではなく矛盾律に着目します
両立しない言明が同時に正しいということはない、この規則はトートロジーには還元できません
ある言明の矛盾した関係が示されたならば、その関係の中の言明の少なくともどれか一つを捨てねばならない
これが、僕が論理の使用で重要視することであり、批判もこれに沿ってなされます
遅ればせながら説明すると、「批判」とは「両立不可能な関係の言明の提示」なのです
これは根拠づけ、正当化とはまったく異なります
567 :
ノウ:2012/09/24(月) 10:54:34.32 i
例えば、異なる2つの見解があったとしましょう
「地球は丸い」「地球は平らである」
両者の見解のどちらが正しいかは正当化できないが、両者がどちらも正しいわけではないことは分かります
二人は討論をします
「もし地球が丸いならば、動いてる舟の上で落とした球は真下に落ちず、斜めに落ちるはずだ。
しかし、実際に実験すると舟の上で球は真下に落ちる。これは地球が平らな証拠だ」
(これは科学の歴史上、実際にあった反論です
「地球が平らである」というのは実験や観察によって実証された事例なのです)
この例では、ある観察事例が「地球が丸い」という見解と両立しない関係として提出されてます
「地球が丸い」と言うならば、その実験と「地球が丸い」という言明とが両立するような新たな説明が不可欠です
(実際には説明はできず、「地球が平らである」という見解は主流になったのですが)
このように、言明が両立不可能な関係を提示していくことは、討論が発展することと結びつきます
なぜならば、両立不可能な関係を両立可能にすることは、トリビアルでない形である限り、
極めて難しい生産的所為であるからです
568 :
ノウ:2012/09/24(月) 11:04:07.87 i
ここで重要なのは、
該当の言明を他の言明と切り離せば、該当の言明はいくらでも両立可能になる
ということが挙げられます
例えば、「決定している」とか「神」だとか、、(いや、失礼)
そんな例以外にも
例えば「〜のように見えるけど、実は透明な物質が満たしている」とか「観察対象は変化したけど、観察器具も同様に変化したから変化が見られなかっただけで実は変化していた」とか
(これらも実際の科学の歴史でなされた言い訳です。)
ですから、自説の批判可能性を探るとは、
自説と両立しない関係の言明を探すことになります
(そうすることで、自説が多くの言明と関与することになる)
この行為が根拠づけや正当化とは一線を画すことは明らかだと思います
569 :
ノウ:2012/09/24(月) 11:27:12.48 i
今回は科学的事例を出しましたが
科学的事例に関わらず、解釈問題にも、規範の妥当性をめぐる問題にも適応できると思ってます
570 :
ノウ:2012/09/24(月) 22:51:21.19 i
たまたま科学の例を出したけど、科学に限らない
討論は、相手の意見に対して反論を述べる
という単純なことですむ
その反論が、相手の意見と論理的に両立しない関係をつくればそれで十分だ
例えば、デカルトの解釈で僕は争った
でも、デカルトを主観主義的に解釈する解釈もあるだろう
デカルトが死んだ今、デカルトが言いたかったことを完全につかむことなんて不可能だ
(そんなことは全能な人にでもまかせればいい)
だけど、デカルトの解釈をどのように解釈してもいいわけではない
デカルトは矛盾したことを言おうとしたわけではないのだから、
で、僕は、主観主義的解釈に対して
「〜という文章をデカルトは書いている。(これは、あなたの解釈と両立しないのではないか?)」と返した
でも、本当のデカルトは主観による基礎づけを言っていたかもしれない
相手が言ったことが正しくて、僕の解釈が大間違いかもしれない
例えば、「方法序説は実はデカルトとは違う人が書いた」という言明をいれれば、
僕の反論は無効になる
また、「〜と解釈すれば、両立する」と新たな解釈を言ってもいい
言明を両立可能にする方法はたくさんある
解決方法は多様である
でも、そのような解決方法をとらねば、両立不可能な関係は維持されている
反論は有効である
571 :
ノウ:2012/09/24(月) 23:26:48.95 i
価値についての討論について書くつもりが消えた
消えると書く気がしないんだよね
ざっと書く
道徳は数学と同じだと思うんだよね
1足す1は2と同じレベルで、道徳は成立する
でも、数学だけ考えていても経験科学は何の発展もしない
実生活の中で、事実と価値の複雑に絡まり合う中を討論することで、価値はより大きな意味をもつ
経験科学の世界で数学基礎論のお題目を唱えるだけの人をお題目主義としてスルーするように、
実践的な討論の場で道徳のお題目だけを唱えるだけでは何の発展もない
しかし、数学自体を考えることに意義があるように、道徳自体を考えることにも意義がある
道徳形而上学などは、数学基礎論を考えるのと同じようなレベルで意義がある
が、それだけでは実生活には何の役にも立たない(数学基礎論が実生活に何の役にも立たないように)
討論に活用してこそ、より活きると思うのだ
572 :
ネム:2012/09/25(火) 00:26:51.63 0
規制で萎えた
>>566 > 遅ればせながら説明すると、「批判」とは「両立不可能な関係の言明の提示」なのです
> これは根拠づけ、正当化とはまったく異なります
異なる理由は何でしょうか。根拠、正当化は両立可能な関係の言明の提示でしょうか。
>>110 > 根拠の定義は、理論を正当化する十分な理由づけってところかな
>>397 > ですから、根拠づけと正当化は同じ意味です
によると、根拠、正当化は意味がわかりません。
批判は両立不可能な関係の言明の提示をして終わりでしょうか。批判は何のためにするのでしょう。
権威付けとは関係があるのでしょうか。
>>571 価値と意味は何が違いますか。批判はどんな価値がありますか。
批判する際、あえてつっこみどころを含めるのは優しさかもしれん
いっぽ間違うとカマトト化するか、、
カマトト化するポストモダン
575 :
ノウ:2012/09/25(火) 08:09:51.23 i
>>573 根拠づけや正当化は、両立可能な言明の提示ではありません
両立可能な言明なんて、ほぼ無限にあることは分かってますよね?
「僕が今、起きた」ことと「彼がうどんを食べた」ことは両立可能です
また、両立不可能な言明を提示することが根拠づけになるなら、それは非論理の極みです
なんでも論理的に導出できるアナーキズムになります
〉意味が分かりません
辞書を調べると、AをひくとBと書いてあり、BをひくとAと書いてあります
定義とは言葉の言い換えでしかありません
ですから、「根拠づけ」の定義に「正当化」という語を用いて、「正当化」の説明に「根拠づけ」という語を用いるのは仕方がないのです
なぜなら、定義とはそういうものなのです
定義を知って理解が進むことはありえません
それは「定義」の性質から外れてしまうのです
576 :
ノウ:2012/09/25(火) 08:23:33.97 i
>>573 ・批判はなんのためにするのか
新しい発想を得るためです
根拠づけは、今の持論を固定するためになされる方がほとんどでしょうが、
批判は今の持論を変えるためにすることになります
学問の世界は、お互いの意見を批判し合うことで新しい発想を得るものです(キリッ
そんな世界で何らかの理論を固定化しようとするなら、それはどういう動機からくるのでしょう?
・価値と意味は違うか
僕は変えて使用してます
「価値」は「規範」「当為」の意味で使用してます
「意味」は前も書きましたが「言葉の情報量」です
577 :
ノウ:2012/09/25(火) 08:41:01.59 i
ちょっと前に、「池上彰の学べるニュース」で池上彰がボソッと言ってた
「科学とは、知らないことを知ろうとすること」
そこにいた人は皆、スルーしてたが
僕は「科学(サイエンス」という言葉を池上彰と同じように解釈する
自然科学に限らず、社会科学ら人文科学だあるわけで、
「科学」なんて「学問」とほぼ同じ意味だ
学問は知らないことを知ろうとすることだ
その性質上、知り終えるということはありえない
(神が存在するなら、神は全能だから、知り終えているだろうがね)
「終わらないことをするのは虚しくないのか?」
この中学生の質問にノーベル賞をとった人は答えた
「その前に人は飽きるから大丈夫」
これはこう言ったも同然
「楽しいからしてるんだよ、ガキ」
578 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 09:43:17.55 0
>>496 「「我思う故に我有り」は、疑いえると思います。そして、超越論的実際論的基礎づけは、
基礎づけとして失敗していると言う見解に僕は立ちます。」と述べている。そして、
合理性(論理思考)もまた正当化できないと、僕は考えるわけです。とも、述べている。
そうすると、「我思う故に我有り」を疑っているとすれば、論理思考(合理性)では、「疑えること」を、
証明することが出来ない。しかれども、超越的実際論的基礎づけは、失敗していると言う「見解」は、
どの様な方法で証明されたのでしょうか。
579 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:02:29.41 0
>>1 この文章は曖昧で、ダメだな。
まず物質の定義ができていない。
物質とは何であるのか
意識や想念が物質ではない、というのは一体なぜか?
神経伝達物質のある一時期の形態を想念とするなら、それは「物質」である。
なぜなら、例えば「鉄」も宇宙創世記から宇宙滅亡までの一時期の形態にすぎないから。
とにかく、まずこの物質の定義の問題が曖昧。
それから
>「分子レベルの現象」が全てです。
これはあらゆる物質がそう。つまりここで論理破綻
>「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません
どこの誰が脳が特殊な物質と言ってるのか?脳の働き、システムは特殊であるが物質としてはタンパク質であるのだし、特殊な物質とは誰も言ってない。
ここでも論理の飛躍
>間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
ただの主観的な「意見」。意識が特別じゃない、と言いたいなら一体何が「特別」なのか?
何かを特別ではないと言うのであれば、特別とは一体なにか?
幼稚な論理の飛躍
>『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
思い込み
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております
思い込み
・・・・・・・
とまあ途中で完全に論理が破綻しているので、それ以下の文章が読むに値しない幼稚な戯言。
580 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 10:08:03.04 0
>>571 >1足す1は2と同じレベルで、道徳は成立する
気のせいじゃない?
道徳って言葉の意味は
人間が無意識の内に世の中に存在するものと認識している正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。
って意味。
個人の価値観に依存するものが1+1=2と同じレベルのわけがない。
だから君の言ってることは思い込み。
>事実と価値の複雑に絡まり合う中を討論することで
意味不明。
事実と価値の絡まり合う中って何?w
事実ってなんの事実で、価値ってなんの価値?誰が判断する価値?それが絡まり合うって一体どういう状態?
言葉を書くなら意味が通じるように書きなよ
581 :
ノウ:2012/09/25(火) 10:46:44.87 i
>>578 僕は「疑える」と言ったのであって、「証明できる」と言ったわけではありません
「われおもうゆえにわれあり」は疑えると言うと
「では、あなたがいないならば、あなたは何者なのですか?」と当時、グルというなかなかに識者のコテに言われたことがある
しかし、「あり」と「なし」のどちらかでしかないというのは排中律を前提にしている
「あり」でも「ない」でもない可能性がある
これは、「われおもうゆえにわれあり」を疑える事例ではないですか?
582 :
ノウ:2012/09/25(火) 10:56:31.02 i
>>580 そうですね、道徳ってもっと特別なことかもしれませんね
が、僕は道徳って数学と同じレベルの代物だと考えてます
だから「人を殺してはいけない」も数学と同程度には論証できると考えてます
なぜ人が道徳に従うのかは知りません
なぜ人が数学を使うのかと同様に僕には分かりません
あと、数学も道徳と同程度には個人の価値観に左右されますし、
道徳も数学と同程度に客観的だと僕は考えています
・事実と価値
僕らは単純な事実の中を生きてるわけではありません
様々な状況の中を事実と価値が入り乱れる中で生きています
例えば、ソムリエコンテストとか価値と事実が複合した一例です
学会だってそうです
事実について語っていても、それを語る状況は価値にまみれています
日常生活において、あなたのまわりをとりまく事実には価値が付与されていると思いませんか?
また、あなたが日常生活の中で価値について考えるならば、単純な価値ではなく、それをとりまく事実の中で価値を捉えているはずです
583 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 13:18:03.29 0
>>581 >「あり」と「なし」のどちらかでしかないと言うのは「排中律」を前提にしている。
「あり」でも「なし」でもない可能性がある。
上記の、「あり」と「なし」とは「我思う故に我有り」に込められている主観的存在(自己)の
ことでしょうか。
584 :
ノウ:2012/09/25(火) 14:51:38.15 i
>>583 いえ、単なる形式論理への疑いです
「ある」でも「ない」でもない可能性を無視しているのではないか?
ということです
585 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 15:13:15.96 0
>>584 >単なる形式論理とは「論理思考」のことですか?そうであれば、「論理思考」がどの様に
「我思う故に我有り」に関わってくるのでしょうか。
又、「ある」と「ない」は、何を対象にしているのですか?
586 :
ノウ:2012/09/25(火) 15:49:08.25 i
>>585 デカルトは「数学も疑えるからわたしはこれを捨てた」と書いてるのですから
「われおもうゆえにわれあり」の時点ではデカルトは論理を使えないはずです
デカルトは「明晰判明に分かった」と書いてますが
現代数学の発展で、「明晰判明なものが必ず間違いがないとは限らない」ということが明らかになってます
デカルトが頼る「明晰さ」をもって「疑えない」とするには足りません
また、思考において論理を使用しない疑いというものは可能でしょうか?
デカルトは自らの弁に反して、捨てたはずの論理を使用していると思われます
・「ある」と「ない」の対象は?
「疑い」自体です
コギトのことです
>>584 >「ある」でも「ない」でもない可能性を無視しているのではないか?
一種のマインドコントロール、または誘導尋問ですね。
もっとも合理的にしか思えない正論や対象を上げて選ばせる
「ある」と「ない」他に何があるという心理を上手に扱えば
いろいろ応用はできます。
588 :
考える名無しさん:2012/09/25(火) 21:04:50.51 0
>>586 「われおもうゆえにわれあり」は、デカルトも述べているが、直観認識なので、
私も論理は使えないと思う。この「直観認識」である「われおもうゆえにわれあり」は、
「形而上学的領域」に入るので、「思考に於いて論理を使用しない疑いというものを可能する
方法」として、現象学があるのだと思う。
コギト(われ考える)は、思考を止めた時は、自己の存在も無くなるのであれば、確かに
「われおもうゆえにわれあり」は、不完全で、疑わざるをえないと思う。
ノウさん無理しすぎなんですよ
「この思惟」なんだから、それは「この思惟」なんですよ。
宇宙人が実在するかどうか分からない場合には
「宇宙人は実在するか、しないかのどちらかである(排中律)」
に疑義を申し立てる立場もあるんでしょう。
しかし宇宙人がここにいるならそれは宇宙人なんですよ。
(※「それは本当に宇宙人か?」なんてのはまた別の問題なんです)
あとですね
「この疑いがあるかどうか」を疑うってことは
「疑いが疑いではないかもしれない」
「疑えないということは、疑えないということではないかもしれない」
というウンコにしかならんのです。
592 :
ノウ:2012/09/25(火) 21:30:00.86 i
>>587 形式論理を前提にするなら、「ある」と「ない」しかありません
589
「われおもうゆえにわれあり」はトートロジーではありませんよ
「疑いが疑いだ」と言ってるのではありません
「疑いが存在する」と言ってるのです
「すべてを疑っても、この疑い自体はある」と言ってるのです
だから、疑うのをやめた瞬間、「この疑い」が存在したと考えるいかなる理由もなくなる
あとですねw
「全く異なります」とか
「明らかだと思います」とか
どうしてそんな『独断』が可能なんですか。
そのような「無根拠に強い言葉」はカルトの常套句。
>>587氏に一票。
594 :
ノウ:2012/09/25(火) 21:33:49.78 i
>>590 確実さを求める直観主義論理の使用者ならともかく
実在世界の存在を前提とする形式論理の使用者ならば、
「ある」と「ない」のどちらかに分類して思考すべきです
もう私は寝ますよ
596 :
ノウ:2012/09/25(火) 21:39:49.51 i
593
あれだけ説明して、それでも根拠づけと批判を同じとするならどうぞ
独断でもカルトでも僕は結構ですので
597 :
ノウ:2012/09/25(火) 21:44:44.62 i
>>595 どうぞ
しかし、592は再考してください
これが「われおもうゆえにわれあり」の内容です
僕は疑えると考えていますが、
あくまで哲学の分野においてそう考えるわけです
「すべての存在を疑っても、この疑い自体は存在する」ということを疑えないと考えても、
日常生活ではなんら問題はないです
むしろ、疑うと日常生活はままなりません
>>597 「この疑い」が「この疑い」として存在する以外、
どう存在するんですか
「このウンコ」として存在するんですか。
「何だか分からんが存在」するのであるなら、
そこに存在するのは「この主観性」しかなくなるんです
貴方の嫌いだろう「このわたし」です
日常生活とか、この状況で何を言ってるんです?
599 :
ノウ:2012/09/25(火) 22:22:34.38 i
>>598 無駄に明後日の方を向いてますね
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」は現代ではゲーデルが提出したものと同じ問題だと僕は考えています
数学者のデカルトらしく、数学的問題だと僕は考えます
僕は考えますってならどう考えたのか言えよw
そう思ってるだけだろうに
601 :
ノウ:2012/09/25(火) 23:01:57.50 i
>>600 イングリッシュ プリーズ
英語だと同じ動詞だろ
ノウさんは自分の想定できる批判しか受け付けない
ゲーデルの話は話としていつでもつきあいますよ
蘊蓄だけを武器にしたんじゃあ食中毒になりますから
それなりに気合い入れてくださいね。
603 :
ノウ:2012/09/25(火) 23:25:09.27 i
>>602 そうですね
抄録さんの返答は想定外でした
基本的に僕は同じことを繰り返すことが大嫌いです
デカルトの明晰判明さは次のものと同じです
ある少年が言った
「僕は日本語が話せる」
彼が嘘を言ってないことは明晰判明である
デカルトが言ったことはこのこととなんら違いはありません
この明晰判明さを疑えるかどうか
これが焦点です
>>601 それはお前の英語力がいかに貧弱なものかを露呈した発言だなww
605 :
ノウ:2012/09/25(火) 23:47:36.41 i
>>603 全然違う
「僕は日本語を話せる」
じゃ思索開始2秒で十分な反論が出てくるだろう
君は断片的な知識は多少あるようだが
自分なりの思索というものがまるで出来ていない
だから説得力のある説明ができないのだよ
607 :
ノウ:2012/09/25(火) 23:56:17.34 i
>>605 実際に「思う」を全部ネイティブと話すときにthinkで言ってみりゃわかるよ
お前はそんなに思索的なのかって言われるぞww
expectとかfeelとか使い分けるんだな
もちろん「思う」はもっとたくさん表現があるが
609 :
ノウ:2012/09/26(水) 00:00:58.38 i
>>607 君も2秒でいいから思索しなさい
その姿勢が間違っているのだよw
>>609 だからguessは思うよりだっつってんのww
君はさっさとthinkできるようになりなさい
612 :
ノウ:2012/09/26(水) 00:05:54.36 i
ちなみにfeelって「思う」じゃねーよ
俺の599がフィーリングだろ?ってツッコミか?
ちげーわ、オースティンの解釈を流用しとるわ
599に突っ込んだんだから、thinkとfeelの区別は挙げてこないだろと思ってたけど
ほんとに挙げてくるとは思わなかったよ
素晴らしい英語力だわ
613 :
ノウ:2012/09/26(水) 00:08:58.09 i
615 :
ネム:2012/09/26(水) 02:01:21.32 0
コギトは疑えない
しかし、同一律は疑える
これをいっしょくたにすることで誤りが生じてる
その問題を扱う論理の適用に解決される
「疑うこと」は疑えないが、「疑えること」は疑える
616 :
ネム:2012/09/26(水) 02:15:38.40 0
理解とは論理における魔の陥穽だ
617 :
抄録:2012/09/26(水) 05:21:12.00 0
>>603 貴方は同じ話を繰り返すのが大好きですよ
両立不可能性の話なんて何回やってるんですか
ノウさんはデカルトを含め、相手の言うことを自分のレベルに合うように
堕落させて平気なひと。
そこの出来合の論理の問題は、私がデカルトから受け取ったものとは何の関係もない。
しかしそれも俺の器を反映しただけか
なるほどcatt氏もたまに良いこと言うw
でもまあゲーデルに移ればいいんじゃないですか
>ネム氏
問題の階層が違うということだけ同意しておく。
その魔の陥穽とやらをなんとか「示して」くれ。
アクセスしちゃる
619 :
ノウ:2012/09/26(水) 09:13:40.68 i
>>617 なるほど、そう言われれば仕方がない
僕は崇高なものが理解できないので、
デカルトが言ってることが何か崇高な云々かんぬんだとしたら理解できないです
ただ、最高位もそうなんですが
なんかとてつもなく奥深い「わたし」について語りながら、彼はデカルトを一冊も読んでいません
抄録さんはデカルトを読みましたか?
僕は素直に言葉を追うので、デカルトはこのように解釈します
ただまぁ、この解釈かなりいい線いってると自分で思ってます
デカルトを主観主義として読むとおかしいんですよ
急に話題が飛躍しますからね
デカルト個人の一貫性がまるで分からなくなる
この解釈、デカルトをとても一貫的に解釈できてると思ってます
僕はデカルトの「われおもうゆえにわれあり」において、
そのエッセンスは「われ」や「わたし」にはないと考えました(もちろん「ゆえに」にもない)
そして、それが意図するところは懐疑論の反駁です
620 :
ノウ:2012/09/26(水) 09:23:38.76 i
これは最近目にした話で、裏をとってないのですが、
当時の懐疑論者というのは、仏教の影響を受けていたそうです
特にデカルトが毛嫌いしていたピュロンは仏教の影響を受けているそうです
僕は、デカルトの「われおもうゆえにわれあり」はピュロンへの反論と解釈しているので、
つまりは「われおもうゆえにわれあり」は仏教への反論になりうると考えてます
(僕はデカルトの反論は失敗していると考えるので、仏教への反論も失敗していると考えます)
そう考えるとこの話題はとても面白いと思うのです
621 :
ノウ:2012/09/26(水) 09:58:08.91 i
しかし、考えてみれば、確かに同じことばかり書いてて進歩がありませんね
僕はもう10年ぐらい同じことばかり書いてます
手を変え品を変え、表現を変えながら、同じことばかり
その主題は一言で言えば「真理はある」です
このエッセンスを伝えたくて書いてきました
形を変えながら、ある種の態度への批判を書いてきたつもりです
(まぁ、議論が好きなんで、他の議題にも積極的に参加しましたが)
これらを書くことで、真剣な討論の伝統を少し擁護しようという意図が一つ
できれば、身近に討論の場があった時に積極的に参加してもらいたいという意図が少しあります
僕の信念として、「真剣な討論が世界を善くす
る」というものがあるからです
3年前に僕の学派のHPを調べて表題だけモジった人に伝わっていれば幸いなんですけどね
さて、そろそろこの話題は二度と口にしないでもいいかな
>>575 では根拠の定義をこちらで決めてもいいのですね。観測結果を根拠と正当化としてもいいのでしょう。
違うならば違う何かがあるのではないでしょうか。
> 定義を知って理解が進むことはありえません
> それは「定義」の性質から外れてしまうのです
辞書は何のためにあるのでしょう。
>>576 > ・批判はなんのためにするのか
> 新しい発想を得るためです
> 根拠づけは、今の持論を固定するためになされる方がほとんどでしょうが、
> 批判は今の持論を変えるためにすることになります
> 学問の世界は、お互いの意見を批判し合うことで新しい発想を得るものです(キリッ
新しい発想を得られるのは批判される側です。発想とはデタラメでもいいのでしょうか。
批判は両立不可能な関係の言明の提示をして新しい発想を提示して終わりでしょうか。
623 :
ノウ:2012/09/26(水) 12:40:02.63 i
>>622 別に構いません
定義とは自分の用語の使い方を決めるだけのものですから。
カレーを「ウンコ」と呼ぼうが構いません
ただし、その時はちゃんとウンコを食べてくださいね
・辞書は何のためにあるのか
使い慣れない用語の使い方を知るためです
・批判
批判する側が新しい発想を得ることもあるでしょう
また、悲しいことに批判された側が新しい発想を得られないこともあるでしょう
必ず新しい発想が得られるわけではないですから。
しかし、批判は新しい発想を産み出す原動力になります
なぜならば、新しい発想を出さねば両立不可能な関係がいつまでも続いてしまうからです
両方の言明を保持しようとするなら、彼は何か新しい発想を出さねばなりません
・批判は反論して終わりです
そしたら相手がさらなる反論をするのを待つ番です
将棋では自分が駒を動かしたら次は相手が駒を動かすことを待ちます
詰め将棋は待ちませんが、本将棋は待ちます
反論したら、相手の反批判を待ちましょう
>>623 ではあなたは何かを主張してその主張の根拠を求められた場合どうしますか。
> ・批判
> 必ず新しい発想が得られるわけではないですから。
> しかし、批判は新しい発想を産み出す原動力になります
> なぜならば、新しい発想を出さねば両立不可能な関係がいつまでも続いてしまうからです
> 両方の言明を保持しようとするなら、彼は何か新しい発想を出さねばなりません
批判内容が新しい発想では無く、両立不可能な関係の言明の提示の後で新しい発想が得られるということでしょうか。
> 反論したら、相手の反批判を待ちましょう
例えば「地球は三角」「地球は四角」と次々に両立不可能な関係の言明を提示しあって、これには根拠が無くて
この新しい発想は具体的に何でしょうか。
625 :
ノウ:2012/09/26(水) 13:28:40.26 i
>>624 根拠を求められたら、求めに答えることができません
しかし、根拠がないだけでは言明は両立不可能な関係にはなりません
1「根拠がない言明は間違いである
2「該当の言明には根拠がない」
この1と2が同時に成立しないと、言明は両立不可能な関係にはなりません
ですから、根拠を求められたら僕は1を批判します
「根拠づけはもとから不可能だよ」って
・新しい発想
はい、批判されることで新しい発想を出す必要があります
これは、将棋において王手をかけられた時、
詰まないような手を探す必要があることと似ています
・「地球は三角」
その人たちが出すことで、僕は知りません
例えば、上で「地球は平らである」が科学の歴史の中で実証された例を挙げましたが
あの例は「慣性の法則」という新しい法則が発見されなければ、「地球は丸い」という言明を救えなかったのです
>>625 ちなみに625の下はまんま、デュエム・クワイン・テーゼです(僕はDQテーゼと呼びます
今でも公開されてるかは知りませんが、
10年ぐらい前に、「デュエム・クワイン・テーゼはポパーへの反論になっているか」という論文を、ポパー研究会が無料でインターネットで公開してました
参考になるので興味がある方は探してみてください
627 :
ノウ:2012/09/26(水) 13:43:55.92 i
626は僕ね
最近、野菜が不足してるから、八百屋に行かないとな
>>625 > 1「根拠がない言明は間違いである
> 2「該当の言明には根拠がない」
> この1と2が同時に成立しないと、言明は両立不可能な関係にはなりません
何故でしょう。
> ですから、根拠を求められたら僕は1を批判します
> 「根拠づけはもとから不可能だよ」って
何を求められているかはわかるのでしょう。
この根拠の意味と求められている根拠の意味は当然一致するのでしょう。根拠と正当化は何でしょう。
> はい、批判されることで新しい発想を出す必要があります
根拠の無いデタラメでもいいのでしょうか。
「地球は三角」に対して「地球は四角」と批判しました。もちろん何の根拠もありません。
「地球は四角錐」という新しい発想が得られました。両者は納得しました。めでたし。
もちろんこれでも何の根拠もありません。
630 :
ノウ:2012/09/26(水) 14:22:36.57 i
>>628 Pと両立不可能な言明は¬Pだけです
「Pに根拠がない」という言明で両立不可能にするには、相手が「Pに根拠がある」という言明を支持している時だけです
もし、相手が「Pに根拠がない」という立場なら、どんなに「根拠がない」ことを訴えてものれんに腕押しでしかない
それらは両立可能でしかないからです
しかし、「根拠がなければ偽である」という言明を導入すれば違います
言明には真理要求がありますから(自らの発言はその人にとって真であることを発言している要求)
その言明を導入すれば、相手は自分の言明が矛盾していることになります
ここに両立不可能性が成立するわけです
631 :
ノウ:2012/09/26(水) 14:28:25.25 i
>>628 ・根拠とは何か
知りません
興味ないです
母乳を欲しがる子供の叫びではないですか?
・根拠のないデタラメでもいいのか
はい、根拠のないことでも結構です
根拠のないことを提示してくれて構いません
仮に「デタラメ」と呼ばれる類でも構いません
僕が遵守するルールは論理です
デタラメかどうかは議論を続けていくうちにわかるでしょう
632 :
ノウ:2012/09/26(水) 14:49:00.90 i
>>629 それは神話ですね
本当にめでたいんですかね?
実はバッドエンドじゃないんですか?
「地球が丸い」という結論で同意しても、実はバッドエンドじゃないんですか?
全会一致の可決で決まりました
「ちょっと待って、それってバッドエンドじゃないんですか?」
実は僕、全会一致が良いとは全然思えないんです
だから、全会一致の可決が得られた意見には反対したいと考えてるんです
これ、僕の民主主義観の一番底辺にある考えなんです
633 :
ノウ:2012/09/26(水) 20:33:28.22 i
せっかくだから民主主義について、
僕は全会一致に反対する
それは制度としてではない
全会一致の制度に反対する人でも、仮に全会一致の可決がなされたら、「それは喜んですべきだ」「それを行うのが正義だ」と考える人がほとんどだろう
でも僕は違う
仮に全会一致の可決がなされても、「いや、ほんとにそれでいいのか?」って思っちゃうんです
哲学の世界では民主主義の擁護として、様々な意見が出されました
でも、ハーバーマス然り、だいたいの人は「(現実には無理だけど)、全会一致になったら、それはなされるべきだ」という思考を持っている
僕はこの理念、いらないと思うんです
というか邪魔、害悪だとすら思ってます
多分、問題がすりかわってると思うんですよ
まぁ、逆に言えば、僕が問題を変えて考えているわけでもあるのですが
民主主義って何が問題になってるんですかね
さて、飯食いに行こう、何食おうかな
634 :
抄録:2012/09/26(水) 21:51:07.92 0
哲学学が好きな七紙さんが消えたので私が反論しますよ
>デカルトのコギトって実体じゃないし、物でもない
>確固とした存在じゃないんです
>考えることをやめた瞬間に消えてしまう程度のものです
ノウさんの日常的な知性ではそのようにしか思えないってことですよ。
デカルトの思考構造に肉薄しようとする気概が全く感じられない。
なんとなればですね、その「消える」ってのを誰が知るんです?
「われおもうゆえにわれあり」の時点で、いまここにはわたししかいないんですよ。
ノウ氏は無自覚な神目線をいつも介入させる。そんな立場なら懐疑なんて初めから不要。
デカルトのやろうとした方法論をぶち壊しているとしか思えない。
岩波文庫の方法序説では(私はこれしか持ってませんのでね)、たしかに貴方の言うように、
『考えるのをやめた瞬間、(中略)わたしが存在したと考えるいかなる理由もなくなる』
と載っています。しかしどこに「消える」なんて書いてますかね。
ここで重大なのは「存在する理由はない(故に消える理由もない)」ってことです。
だから「実体」だと言ってるんですよ。その存在には理由が無いんです。
『思惟である私が思惟することによってのみ存在している。だから「実体」なのである。』
って理屈なんですよ。
635 :
抄録:2012/09/26(水) 21:52:40.37 0
次に、
「われおもうゆえにわれあり」は推論ではない。
これはよく言われることです。
(剽窃が得意のノウさんが、こちらはぱくらない。)
方法序説に「われおもうゆえにわれあり」に到達した状況をデカルトが書いてます。
『(感覚も推論も現実も、どれもこれも真ではないとしようと決めた直後)次のことに気が付いた。
そう考えているわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。』
デカルトは「気が付いた」んですよ。推論したのではない。
比喩的に言えば、タマシイに直撃したんです。
そのようにある理由なくそのようにある。
理由が無いので疑う余地が無いんです。
デカルトを粉砕するつもりなら
ここまで踏まえてやった方がいいんじゃないですかね。
私の勝手な解釈と言い分並べ立ててごめんなさいですが。
「われおもうゆえにわれあり」
我が思うという仕組みが原理となって、我があると言う状況が生じる。
これは諭ではないか。
637 :
ノウ:2012/09/26(水) 22:10:47.42 i
>>634 本文を読むことはいいことです
ちなみに第四節以外も読むことをおすすめします
「いま、ここにわたししかいない」と抄録さんは書いてますが
デカルトはどこでそう書いてるんですか?
「われおもうゆえにわれあり」の明晰判明さはいかなる懐疑論にも屈しない、とは書いてたはずですが
また、魂に直撃したというのは正しい
明晰判明に分かる直観ですからね
推論でないのもその通り
しかし、推論と解釈したのは僕ではなく抄録さんです
「ゆえに」を理由づけと解釈したのは抄録さんですし、
それに対して「理由づけじゃないからOK」と返したのが僕です
>ネム氏
そうだ、適用だ。今日の昼間やっと気が付いた
なんでそれに気が付かないんだろうな俺は。はっは
俺は適用を論理に含めていた。それはぬるかったのかな?
しかしある適用がその適用であることに理由がないだろう。
ある適用が適当適正であることに理由はあるか?
しかし適正な適用は有効に成立する。何がそれを可能にする?
それは分からないとするなら「適用」と言うことに意義はあるだろうか。
>>637 >デカルトはどこでそう書いてるんですか?
どこにも書いてませんよ?
私にとってはあたりまえの解釈ですが。
>しかし、推論と解釈したのは僕ではなく抄録さんです
解釈なんかしてませんよ?
「疑えない=存在する」とは言えない、
という私の持論です。
641 :
ノウ:2012/09/26(水) 22:30:30.56 i
>>518 これが抄録さんのレスです
「だから存在する」とは言えない
これはデカルトのコギトを推論と解釈してます
その下で僕が「だから存在する」とデカルトは言ってないからOK.と返してる
抄録さんが「われおもうゆえにわれあり」を推論と解釈しており
僕が「推論じゃないからOK」と返してます
それと、デカルトが魂において「わたしが存在する」と感じたなら
そのまま「われあり」って書けばいいじゃないですか?
なんでわざわざ「われおもうゆえにわれあり」って書いたのでしょう
それは、存在しているものが、疑ってる最中にその存在を明晰判明に分かる代物だからです
疑ってない時にあるはずがないんです
なぜなら、デカルトが「存在する」と言ったものは、「わたし」ではなく、「わたしが疑ってること」なんです
こんな例を挙げてみます
抄録さんは寝ている時には思考しません
つまり、抄録さんが寝ている時には抄録さんの思惟は存在しません
だいたい「われおもうゆえにわれあり」は疑える、
とか言ってるのはノウさんよ?
>>517 その理由が「論理を疑えるから」
>>527 ちょっと言いたいことを整理してもらえませんかね
デカルトは何を失敗してるんです。
643 :
ノウ:2012/09/26(水) 22:50:08.38 i
>>642 デカルトが言う明晰判明さは、真の定義としても十分なものです
論理を使用して真と偽に分類する思考が、そのような明晰判明さの上に成立している
デカルトの失敗について説明したいけど、今、テレビ見てるから後でね
>>641 たしかにあるのは「この思考」だけなんですよ。
私が寝ているときがあるかどうかなんてまだ分からないんです。
何度も言いますが
「考えるのをやめるとわたしが存在したと信じるいかなる理由も無くなる」
のであって、私が消えるとか、あるはずがない、なんてことには
ぜんぜんならないんですよ。
まずこの思惟がたしかにある、ってのが第一原理。
その思惟が「私が寝ている時ってどうなんだろう」
などなど、明晰判明に論理を適用させて世界を構成できる。
それが真であることは神によって保証されている。
こーゆーことなんです。分かります?
648 :
ノウ:2012/09/27(木) 00:32:25.73 i
>>645 コギトエルゴスムは
そのまま訳せば、「疑う、あり」って感じ
ただ、ラテン語だから、ラテン語はもともと主語を表現しないとかある
「われおもうわれあり」とか「ゆえに」を訳さない訳もあるしね
>>646 貴方があるという定義すらしていないのに何をふざけたことをwww
650 :
ノウ:2012/09/27(木) 00:49:52.09 i
>>646 まず言うと、デカルトは懐疑論者じゃないです
方法的懐疑は、方法論として懐疑論の手法を使ったということです
ですから、デカルトがあらゆるものを疑い捨てたというのは嘘です
むしろ、デカルトはいろんなものの存在を最初から信じてます
デカルトが疑い捨てる振りをするのは、懐疑論を反駁するためのポーズです
なんでも疑う懐疑論に耐えられるものがあるなら、それと同じレベルのものなら、
懐疑論と違う態度で正しいものを見つめられるということです
これが、デカルトの第一原理の意図です
第一節で「疑うために疑う懐疑論もわたしには満足できなかった」と書いてるのですから
デカルトが疑うために疑う懐疑論に終始するなら、それはデカルトの言動が一貫してないことになります
デカルトにとって「なんでも疑えるから正しい答えなんてない」という態度は避けるべきものであり
第一原理は「なんでも疑えるわけじゃないから、正しい答えはあるよ」ってことが言いたいのだと予測できます
デカルトは書いてます
「この明晰判明さはどんな懐疑論者でも疑いえないとして第一原理とする」と
これがデカルトの目的なのです
651 :
ネム:2012/09/27(木) 01:04:16.62 0
ああ沈黙したい
652 :
ノウ:2012/09/27(木) 01:21:53.01 i
ちなみに、アウグスティヌスも懐疑論を批判してますが、
デカルトのコギトエルゴスムはアウグスティヌスの二番煎じだと言う意見もあります
デカルトのコギトは僕の学生時代から細かい解釈、ニュアンス、云々の争いがあったのですが、
僕はそういった細かい云々の話(論理規則にのせられない話)は苦手でしたので、
距離を置いてはいます
クソ眠いから寝る
653 :
ネム:2012/09/27(木) 01:31:53.90 0
論理は何も答えない・・・
論理はツール・・・
「知」とはなんだ?
論理は知るための道具だ
論理はけっして「知」そのものではない
なにを知るための?
「何を?」ではない・・・
知ることを知るためだ
演算子は疑えない
述部だけは疑えない
適用は何が可能にする?ではない、適用を「可能」にしてる何かだ
ハーモニー・・・、そして類・・・
654 :
ネム:2012/09/27(木) 02:08:01.06 0
タバコ3本しかねえ
・・・時宜じゃない
オレはまだわかってない
知が血になっていない
655 :
ネム:2012/09/27(木) 02:14:58.00 0
http://www.youtube.com/watch?v=cDfFp34iJY4 繰り返しの同期・・・
問い続けてると、いつか見た問いの背中が見えてくる
この場所に居ること、世界を一周して同じ場所に戻ってくること
それは同じじゃない
何が?
ドレミファソラシドの最初のドと最後のドは同じトーンだが同じ音じゃない
どうやらオレは、やっとこさニーチェでも読まなきゃいかんのか
批判の繰り返しは権威の応酬だ
真理を道具としての
何も解決しない
何も、真理に近づかない
そんな真理の言明は認められない
論理的であればあるほど、その文が長ければ長いほど、意味の情報量は乏しい
オレがやっている、オレの求めてる真理の言明は、そこに意味の豊かさがあることだ
しかしそんなもの、地上では解決しない・・・
656 :
ネム:2012/09/27(木) 02:25:54.72 0
>>650 そうですよ
普通に考えて、デカルトが懐疑論者だとは誰も思いませんよ
658 :
考える名無しさん:2012/09/27(木) 09:06:41.91 0
>>650 「方法的懐疑」は、論理思考ではないので、これはどの様な思考プロセスなのでしょうか?
659 :
ノウ:2012/09/27(木) 12:51:19.46 i
>>658 デカルトが言う明晰判明さの正体を言葉を変換して探ってみます
前回の例は不評だったので、新しい例を考えました
子供が言う
「僕は今、しゃべってる」
この発言が正しいことの明晰判明さは疑えない
これがデカルトが明晰判明だと感じたものの正体です
自己言及パラドクスの否定です
そして、論理もまたこの種の明晰判明さを真とすることで成立している
デカルトの「この疑い(思惟)がある」という言明の否定を考えてみます
すると「この疑い(思惟)はない」という言明が出ます
この言明だけなら問題なさそうに見えますが、
「この疑い」が指すものは他ならぬ言明自身です
それは自己言及パラドクスを犯している
例を下に書きます
このレスを書いたものはいない
661 :
ノウ:2012/09/27(木) 12:54:16.39 i
>>660の内容は常人ならば、おかしさを感じます
660が嘘であることは明晰判明に分かる
この直観の逆バージョンがデカルトの「われおもうゆえにわれあり」の明晰判明さです
662 :
ノウ:2012/09/27(木) 13:04:37.78 i
つまり、デカルトは「懐疑論でもこの明晰判明さは疑えない」と言ったわけですから
「懐疑論でも論理は疑えない」と言ったに等しい
この種の直観は誰にも疑えない、としました
ただ、これは分かりやすくするために否定の形をとっているので穴も指摘しやすいやですが
肯定の側で考えるとちょっと紛らわしい
肯定の例を出してみます
日本語で書かれた2ちゃんねるの663番目のレスが存在する
664 :
ノウ:2012/09/27(木) 13:12:35.98 i
>>663 こんな感じになります
もちろん、この言明はトートロジーではありません
これを疑えるかどうか、ですね
この直観に必ず誤りが含まれないとは限らない
これが僕の立場になります
>ネム氏
適用は何が可能にする、ではなく、適用を可能にしている何か
なのか
俺には微妙すぎて・・・
「示される」とはこのような状況なのかなぁ。いやぁ。。そう?
メトロノーム同期
これはくるものがあるなw
668 :
ノウ:2012/09/27(木) 21:43:32.97 i
>>658 質問への回答になってなさそうなので、
もちょっと説明します
方法的懐疑は、明晰判明さを基礎づけるために懐疑論の手法をとったということです
で、この明晰判明さが疑えないとした上で、
同様な明晰判明さをもって、懐疑論とは違う手法で思考をした
以降のデカルトは疑い捨てる思考はしてません
この時代は現代ほど論理の研究が存在なされてませんでしたが、
デカルトは方法的懐疑をもって、論理的思考を擁護しようとしたと考えてもいいかもしれません
デカルトは「全能の神さまがその都度騙しているかもしれないので、数学や論理すら
疑える」といったのではなかったっけ。
670 :
ノウ:2012/09/27(木) 22:43:18.93 i
>>669 書いてるよ、
誤謬推理があるから数学も疑えるとしてこれを捨てたって
数学者で、バリバリ数学大好きなデカルトが本気で数学捨てるはずないじゃん
後で拾う気まんまん
671 :
ノウ:2012/09/27(木) 22:52:12.19 i
ちなみに、デカルトは、感覚も疑えるから信用できないと書いてるけど
後ろの方で、「世界がわたしを騙しはしない」って感覚を拾い直してる
672 :
ノウ:2012/09/27(木) 23:02:12.86 i
だから方法的懐疑はポーズだよ
懐疑論やってみた
全部捨ててみた
懐疑論は捨てれないよ
懐疑論おかしいやん
懐疑論と決別や
明晰判明なら信用できるやろ
明晰判明なのは世界があるからやん
世界がわざわざ俺を騙すはずがないから感覚も信用できるよ
こんな感じの流れ
最初の懐疑論のふりして書いてあることは全部ポーズ、本気で思っちゃいない
だから「方法的懐疑」
ちょっと揶揄した表現したけど、この方がわかりやすいだろ
拘れば拘るほど歪んでゆく。明晰にするほど本質から遠ざかる。
まあ空気よもうな。
674 :
ノウ:2012/09/27(木) 23:37:34.89 i
まぁ、明晰に語れる話題でないのはその通りだな
でも、ポーズをそのまま本気ととるのは良くないと思う
デカルトの理屈だと
「われおもうゆえにわれあり」→世界はある→感覚は信用できる
なんだよね
感覚は信用できる→「われおもうゆえにわれあり」→世界はある
じゃないんよ
これ大きな違いだと思うんだよね
675 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 00:26:47.34 0
>>672 「方法的懐疑」と言う思考プロセスは、疑わしいものを全部捨てていく、最終的に
疑うことの出来ない根源的な命題に到達する思考法ですが、詳しく分析すると
「一切の先入見を排して意識に直接に明証的に現れている現象を直観する」と言う
「現象学的還元」と同じ様に思われる。 デカルトも「思考している私」と「思考していない私」を
明確に区分している。「思考している私」とは、フォイエルバッハの述べている「類としての私」の概念に
入るのではないかと思う。
676 :
ネム:2012/09/28(金) 00:39:43.15 0
>「示される」とはこのような状況なのかなぁ。いやぁ。。そう?
ぬううううう
タマシイに直撃なんて陳腐な表現で企図したくはないのだよ
自発性なんて理由は適用の片手落ちなんだよ
677 :
ネム:2012/09/28(金) 00:43:37.35 0
今晩は早く寝る
オレは最近ブラックホールに夢中なんだ
だから邪魔しないでくれたまえ
選手交代だ
オレはベンチに下がらせてもらうよ
たしかに陳腐というか雑な表現だったな
適用の片手落ち・・・んー
>>631 > 僕が遵守するルールは論理です
> デタラメかどうかは議論を続けていくうちにわかるでしょう
「地球は三角」「地球は四角」と次々に両立不可能な関係の言明を提示しあって、その後どうなりますか。
新しい発想は何を指していますか。
681 :
ノウ:2012/09/28(金) 06:43:18.39 i
>>680 僕は神様じゃないんで、新しい発想を全部知ってるわけじゃない
ただ、君が将棋を指してて王手をされたら、君は頭を悩ますはずだ
そして、どうやって王を助けるか、新しい手を考えるはずだ
それが新しい発想
682 :
ノウ:2012/09/28(金) 06:44:50.49 i
>>679 だからなんだよ?
客観なんて最初から書けないじゃん、
683 :
ノウ:2012/09/28(金) 06:58:06.29 i
>>675 僕は現象学を知らないので、現象学と同じかどうかは分からないです
あくまでデカルトの問題しか分からない
それも、デカルトの問題を現代において捉えなおしているだけです
主観とか客観とかが近代哲学の表現方法ならば、それは別の形に変換可能で、
主観や客観という言葉を使わないでまとめれると考えてますし、
普遍論争も言葉に対する問題がメタファーとしてあのような形になっただけで
現代において論理的な問題に捉えなおすことができると考えてます
というか、哲学問題は言葉や論理に関する問題のメタファーだと考えてますので、
小難しい観念の割に、論争されていることは実はとても身近なことだと考えてます
(身近すぎて、逆に回答することは難しいが)
実在論なんて僕には論理の問題にしか思えないんですよ
684 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 10:16:58.67 0
>>683 >主観と客観は、別の形に変換可能
>主観や客観という言葉を使わないでまとめられると考えている
上記の主観と客観という言葉を使わない方法とはどの様なことでしょうか?
客観という物は結局のところ、主観の集まりでしかない
ただの共通認識
違う。誰も客観には到達していない
一番近いのは機械
687 :
ノウ:2012/09/28(金) 11:42:41.73 i
>>685 それは違う
「間主観」とか「共同主観」という言葉がある
「客観」は「主観」の対比なんだから、もとから主観では表せない
objectとsubectはそのまま、対象とそれへの担い手の違い
684
主観とか客観という語で語られる内容も論点となる問題があるはずです
その問題を主観側から客観側を考察するように描写する時
主観とか客観などの語を使った描写になると僕は考えます
で、描写を変えても問題は残せると僕は思うんです
そこで問題となることがあり、意見の食い違いがあり、論争があるならば
その論点は描写を変えても描けるはずです
というか、多分、描写方法は問題の本質と関係がないんです
だって、哲学やってる人は皆、哲学のために哲学をやってるわけじゃなくて
そこに、突き詰めて考えていくと日常生活で支障をきたすような問題があって
それをえぐり出したくて、そのような表現をしていると、僕は思うからです
ある論争が、英語なら論点があるけど日本語なら論点がなくなるということはないと思うんですよ
同じように、主観や客観という構図はあくまでそういう形の表現だと僕は思ってます
例えば、僕は「客観主義」という名の立場をとりますが、その論点はモラルです
「主観」や「客観」という表現を使わなくても問題はまとめることができると考えてます
違う。哲学はただの暇潰し。それ以上以下でも無い
違うというのなら有意性を証明してみせよ
689 :
ノウ:2012/09/28(金) 11:53:11.00 i
追記
その表現が分かりやすいかどうかは知りません。
どの表現方法が分かりやすいかは、多分、時代や地域で異なるのでしょう
僕はもともと科学哲学を学んでた人間で、
問題の立て方は英米スタイルなんです
で、古典を読んで、表現方法を現代風になおせばとても面白い問題を扱ってると感じたのです
主観や客観もないならなくてもいいと思うんです
未開文化の人で主観や客観という語が分からない人でも、問題は理解できると思うんですよ
というか、未開文化の人からしたら
わざわざ「主観」とか「客観」とか設定しといてごちゃごちゃ考えてるわけで
ごちゃごちゃ考えるために「主観」と「客観」って言葉をつくったように見えてしまうでしょう
僕は違うと思うんです
先に問題があるんです
それは未開文化の人でも理解できる問題であり
その問題をはっきりとさせるために「主観」や「客観」という語があると思うんです
そうか、ご苦労なこったな
691 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 14:25:57.47 0
>>689 >それは未開文化の人でも理解できる問題であり
その問題をはっきりとさせる為に「主観」や「客観」という語があると思う
上記の「問題」とはどの様な問題でしょうか。
692 :
ノウ:2012/09/28(金) 14:45:52.22 i
>>691 様々な問題です
例えば、デカルトの神の存在証明は世界の存在証明とも言えるわけですが、
この問題は論理における排中律の是非を問う問題と考えてます
また、普遍論争が扱ってる問題は、
会話において抽象的な言葉をどう扱うか、という問題と考えます
主観と客観の構図をもってしても、様々な論争があります
論争の数だけ論点があります
論点の数だけ問題があります
例えば、「なぜ客観を設定するのか?なぜ主観しかないと考えてはならないのか?」という問いを立てれば、主観主義と客観主義の論争を扱えますし
これに答えることは、この論争の問題点を「主観」や「客観」という言葉を使わないでまとめることにつながります
693 :
ノウ:2012/09/28(金) 17:59:53.71 i
>>688 哲学以外の学問も暇潰し
役に立つのが欲しければユーキャンで資格でもとればいいじゃん
使命感もってたら学問なんてやれないよ
で、数学が役に立つのと同じくらいには哲学も役に立つ
ポパーの反証可能性理論にインスパイアされてベルの不等式は提出されてるし
マッハも反カント、ヒューム大好きなところから物理学に関わってる
同じ暇潰し仲間だけど、学問にはとても役に立ってると思うよ
>>681 ルールを根拠にせずデタラメに考えるのでしょうか。考えるとは何でしょうか。
新しい発想は両立不可能な言明とはどのような関係があるのでしょうか。
696 :
ノウ:2012/09/28(金) 21:15:23.26 i
>>695 将棋を考えてください
王手をされた時、あなたはどんな方法もとれる
王を逃がすこともできれば、合い駒で防ぐこともできる
王手をしている駒をとることもできる
両立不可能な事例を出された時、
あなたは持論を逃がして両立不可能な関係を避けることもできるし、
「いや、〜だから」と言ってその事例との両立不可能性を回避することもできるし
その事例が間違っているとすることもできる
697 :
抄録 :2012/09/28(金) 21:28:02.56 0
疑えないもの〜感覚は疑えるか
去年だったか今年だったか、いつだったか忘れましたが
「思惟は“感覚そのもの”を疑うことはしない。」
とかなんとか書いたことがあって、
その際に、ゲーム氏に「いや感覚は疑えるように思う」とか言われたんですが
まあそのままスルーしたんです。
確信はあったんですが、説明できる自信がなかったので。
****************************************
意識に「(その正体が)何だか分からない感覚」が生じたとします。
つまりその感覚が「痛い」のか「赤い」のか「甘い」のか未だ分からんわけです。
そういうことってあると思うんです(みなさんはありませんかね?)
このとき、この「何だか分からない感覚」が確かにある(微妙w)ことを
「わたし」は疑えるでしょうか?疑えません。
なんとなればですね。この直接的感覚というのは“わたしの分身”だからです(陳腐かw)
その“存在性”には理由が無いんです。
698 :
抄録 :2012/09/28(金) 21:28:33.35 0
わたしは「感覚を感じている」のか。
否です。“感覚が成立(≠存在)する”のです。(「成立」は“片手落ち”かなw)
思惟といえども感覚です。何かが感じられている。
それを伴わない思惟など無い。
とするならば「わたし」と「感覚」を分離することに有効な意味などないはず。
しかし「純粋なわたし」なるものが“存在”している、そのようにしか思えない。
これはいかなることなのか。言語による干渉なのか、時間差によるトリックなのか
もっと根元的なことか。
私には分からない。誰か教えなさい。
******************************************
ところで、やがてその感覚は「赤い」のか「痒い」のか、それとも云々か、
それはら有効に区別されて認識される。
そしてその感覚が本当に「赤い」なのか、それは疑うことができる。
「赤い」という意味が成立するのには理由があるからです。
感覚の階層を区別せねばなりません。
699 :
ノウ:2012/09/28(金) 21:30:51.54 i
>>567の例を挙げます
ある実験が、「地球が丸い」という言明と両立不可能な事例です
これは
1.地球は丸い
2.物は落下によって真下に落ちる
などの処々の言明群が、ある実験結果と両立不可能な事例です
この両立不可能な事例に関して
「そもそも物は真下に落ちない」としても両立不可能な関係は防げますし
「地球はもっと巨大な球で差が確認できなかった」としても両立不可能な関係は防げますし
「実験はインチキだ」としても両立不可能な関係は防げます
そしてまた、「慣性の法則があるから、動いてる船から落下させた玉は地球に対して真下に落ちてなかった」と言っても、両立不可能な関係は防げます
そしてここで言う「慣性の法則」が新しい発想なわけです
700 :
ノウ:2012/09/28(金) 21:31:36.65 i
抄録さん、せっかくの説明の途中なのに、邪魔
w
ノウが自分に酔ってて気持ち悪い
703 :
ノウ:2012/09/29(土) 01:51:57.53 i
>>702 ごめん、ごめん
あまりにも自信があるジョークだったんで、ドヤ顔で書いちゃったよ
でも、クスッときたでしょ?
ユーキャンのくだりは自分でも会心の手ごたえなんだよ
>>696 新しい発想は両立可能な言明でしょうか。両立不可能な言明は新しい発想では無いのでしょうか。
ルール違反の手を発想するのも新しい発想でしょうか。考えるときルールを根拠にはしないのでしょう。
705 :
ノウ:2012/09/29(土) 10:29:42.09 i
706 :
ノウ:2012/09/29(土) 10:53:50.95 i
>>704 返答がないみたいだから答えるね
たくさん質問があるからひとつずつ答える
・両立不可能な言明は新しい発想ではないのか?
新しい発想かもしれないけど、批判をまったくかわしてないよね。
将棋で考えてみる
王手をされたら、王は相手の駒の効いてないところに逃がすよね
そうしない人はまずいない
王手を回避しないにも関わらず、「でもこれは今までにない新矢倉だ」と言っても
「別の局面でやれよ、すごい戦法だけど今やってもしょうがないだろ」って言うよね
科学で考えてみる
あの実験はニュートンの前の時代の実験なんだけど
例えば、「万有引力の法則という新しい法則を提案する」って言っても
「でも、万有引力の法則があっても、この実験結果からは『地球が丸い』とは考えられないよね?
いや、たいそう素晴らしい発想かもしれないけど、別の時に発表したら?」て言われることでしょう
707 :
ノウ:2012/09/29(土) 11:05:22.57 i
>>704 ・ルール違反の手はどうか?
ダメだよ
将棋というルールの外の手を指すことで王手を回避することは許されない
例えば、将棋板をひっくり返したり、相手にナイフを突きつけて脅したり、ごまかして駒の位置をかえたり、とかはルールの外の行為
もすこし難しいのが、将棋に参加しながら将棋のルールに囚われないことが可能なんだけど、これもルールの外部になるんだけど、これもダメ
説明すると話が脱線するから置いとく
ただし、これらは「ルールを守る」ということが理解されないと難しい
論理は規則の一種だから、「ルールを守る」ということと切り離せない
論理は「矛盾してはいけない」という一つのルールなわけよ(両立不可能って矛盾と同義なんだけどね)
だけど、「ルールを守る」ということを相手に理解させることは難しい
ウィトゲンシュタインに言わせれば、神秘的なことで言葉で明晰には表現できないことなんだけど、
カラス君が「ルールを守る」ということを理解してるなら、カラス君が言う通りルール違反の手は許されないよ
708 :
ノウ:2012/09/29(土) 11:14:35.68 i
・考える時、ルールを根拠にはできないのか?
してみたら?
将棋で王手をされた時に、「それぞれの駒の動かした方」や「二歩をしてはいけない」というルールを根拠にして、王手を回避する手を探してみたら?
科学でもどうぞ、論理を根拠に考えてみてください
俺が、物理学において現在未だ解決されてない両立不可能な事例を挙げるけど、論理を根拠に解決してみる?
709 :
ノウ:2012/09/29(土) 11:20:17.67 i
一般相対性理論の問題
ソースは昔見たNHKの番組です
すい星の公転周期運動のズレというものがあります
ニュートンの計算では78万回に1回の割合で実際の観測結果とズレが生じてました
しかし、アインシュタインが一般相対性理論をもって計算した結果、ピタリと一致しました
しかし、ある物理学者が反論しました
「アインシュタインは太陽を完全な球形として計算している。
実際の太陽は楕円球だ。
太陽を楕円球としてアインシュタインの計算式を使うと、実際のすい星の動きと比べて数億回(正確な数字は忘れた)に一回ズレが生じる
これは、アインシュタインの一般相対性理論が間違っている証拠だ」
これは、ある観測結果がアインシュタインの一般相対性理論と両立しない事例です
論理を根拠にして両立不可能を回避してみませんか?
710 :
ノウ:2012/09/29(土) 12:29:46.48 i
カラス君の質問は斬新だったな
確かに、なんで関係ない時に新しい発表はしちゃいけないんだろうね
アインシュタインって特殊相対性理論の発表の時に同時に3つの論文を発表してて
『原子の大きさの決め方について』
『光とその性質について』
『特殊相対性理論』と3つ出して
『光とその性質について』でノーベル賞をとったわけだけど、
『光とその性質について』で特殊相対性理論を発表してもいいよね
なんでわざわざ論文を分けるんだろうね
っていうか、なんでテーマに沿った話題をするんだろうね
これって俺らが無意識に前提しちゃってる信仰なのかもしれないね
未開文化の人から見たら、わざわざ料理を皿に小分けにしてるように見えて滑稽かもしれないね
ちょっとびっくりした
これって、カラス君の質問が新しい発想を生んだってことなんだよ
>>687 いやいや、客観はただの共通認識だから
客観の言葉そのものが、ただの見かけ倒しのもの
そこまで言うなら、客観を定義してみなさい
>>711 特定の範囲が主体たる世界の全てであるなら、それは客観である。
因果可能な範囲の全てが例え少数であってもその客観性はその主体の全てで
あり、客観であるのは明白である。
因果可能の外が存在する限り言葉あなたの言葉も言葉遊びにすぎない。
>>710 わかりやすくするため。体系化。分類学。
違う角度から見ることで斬新な発想を生むという陳腐な発想。
714 :
ネム:2012/09/29(土) 19:31:48.92 0
やっと、抄録氏とノウ氏の問題意識がつながったようだな
ほんまかいな
716 :
ノウ:2012/09/29(土) 20:10:02.91 i
>>711 これについても書こうとしてたんだよね
実は俺も大学1年の時に同じ勘違いをしたから、気持ちはすごい分かるんだ
で、どんなに用語の説明をされても彼の気持ちってすっきりしないと思うんだよ
なぜなら、彼の問題意識は用語にはないからなんだ
つまり、彼には「主観」とか「客観」とかいう言葉を使わないで話した方が早いんだよ
・「なんで、みんなの意見を合わせたものを全体(世界全体)と見なしちゃいけないんだ」
こんな疑念が彼にあるんだよ
こっちに答えた方が早い
で、これは「主観」とか「客観」という言葉で説明されているものが、
実際の生活に関わってるってことなんよ
ま、哲学が実際の問題に関わってるという例になると思うんだよね
哲学が実際生活の問題に関わらなければ、711を書く必要はないんだよ
717 :
ノウ:2012/09/29(土) 20:13:51.12 i
718 :
ネム:2012/09/29(土) 20:31:26.11 0
オレはベンチで休んでる身だから考えたくない
次の引用が使われる理由は偶然だ
719 :
ネム:2012/09/29(土) 20:32:02.44 0
以下、『男が女になる病気』より引用
われわれの思考は、自分たちの持つパラダイムからはずれた事はまったく理解できないので、
それらは<無意味>なものとされる。ところが実際には、そうした分類の座標が存在する“前で”、
意味作用は生み出されるのであって、その逆ではないのである。
われわれは、誰かが手を羽根のようにバタバタさせると、彼は<鳥のようだ>という。その動作は
直接いかなる観念をも媒介することなく、そうした結合をつくり上げてしまうのだ。そして、大事な
ことは、いかなる文脈の中においても、われわれの思考は<〜のようだ>を消去するひとつの傾向
を持っているのだ。ある人がそこにいて同時に鳥でもあるというパラドクスは、実は、われわれの
思考のもっとも根源的な仕方と結びついているのである。
「さまざまな文化に従って精神は異なった方向づけをなし得るが、しかしながらいずれにしても
同一のままであり、また程度を異にして、その基底ではいつも融即が行われている」と言い換え
ることが出来るのではなかろうか。そしてむしろ、身体的情緒性が表現を根底で支え、「合理的」
な思考プロセスはそこから芽生えていくと捉えられるのである。
情緒性、身体性そして融即性(ひとつの表現が単独で自らの表現座標とともに移動し、他の表現
座標と共存しうること)、そうしたさまざまな思考パターンは、人間のもっとも身近な場所にさまざま
な同位元素群を生み出し、象徴の銀河系を描き上げてきたのである。
720 :
ネム:2012/09/29(土) 20:56:39.02 0
なにが偶然なんだ?って誰かレスするだろフツー
721 :
ネム:2012/09/29(土) 21:08:24.81 0
今日、大阪歴史博物館行ってきたわけよ
スキタイの黄金を観に
一時期スキタイファンだったわけでね
まあシャーマニズムから向かったんだけど
本棚にスキタイに関するやら同時代のやらまたもちろんスキタイの黄金美術の本やら幾冊かある
本で見てたやつを、実物で見る機会を逃すわけにはいかんだろ
いやあ素晴らしかった
想像してたより細かく精緻やわ
あのミニマムに永遠があるんだよわかるかな〜
フェルメールにも永遠があるけどね
大阪で見てるし神戸までは見に行かないw(それにベッドの上に唯一の装飾で「天秤を持つ女性」を毎日見てる)
偶然ってのは、上に挙げた本はスキタイのシャーマンを扱ってる箇所があってね
まあ手元に持って電車の生き帰りで読んでたのよ
そういうこと
「偶然だ」と貴方が言う気持ちを慮ってフリーズしてるのだろ
>>719 「融即性」とか「表現座標とか「身体的情緒性」とか、よく分からんのだが
(書いた本人がどの程度自覚して使ってるのかにも疑念を持たざるを得ないがw)、
言いたいことは分かるような「気のせい」のようなものが私に生じている(めんどくせえ)。
非常に面白いですよ。
そして俺に以下の疑念が起こるのは理由無き偶然でしかないのだが
・「“我々”の思考」などと、結局、「理解」の責任を「人間」という得たいの知れないものに
得体の知れないまま押し付けている。
・そもそも「わ・れ・わ・れ・の・し・こ・う」「うわあるええうわあるええぬぉおお・・」「wwoaa..」
などという連続する一連の無意味な作動に対し、問答無用に意味としか思えない事態が成立する不可思議をすっとばし、
それありきで何か根元的なことを語ろうとしている片手落ち的なwものを感じる(ああめんどくせえ)。
中学生レベルの自己陶酔哲学ごっこになってるな。
もっと機能的に簡素に。
主観も客観も必要ない。
絶対的な物理世界という座標軸において粒子が流れることで「我」やら「客観」と定義したり「理解」だなんだと意味づけしたりするだけ。
俺が存在しようがしまいがどうでもいい。
論理は道具なのか?つまり出来合の治具ってことか?
世界は論理的であるようにしか成立しない。
それはあたりまえのことか?
ヒトにはそれ(論理)しか方法がないって?
方法こそが論理を前提とするのに、論理が方法?
論理の適用?それでもいい。
適用の正体が分かるなら。それが示されるなら。
論理の従来的な適用に不都合がある場合、
ヒトは新しい適用を考案する。論理を守るために。
その姿は滑稽なのか。論理は実はポンコツなのか。
ヒトは仕方なく論理と心中してるだけ?
『最新型の治具が他にあるってのにヒトって盲目な馬鹿野郎は論理なんかをw』
ほんとかよ。
論理はphotoshopみたいなものではないでしょうか。
静止画を解析したり編集したり辻褄を合わせたり見つけたりするには有用です。
しかし、現実は静止画にとどまっておらず、一瞬たりとも時間は止まらずに進み続けています。
photoshopを施術しようとするその時にも動き続けるコンテンツに使うことは出来ません。
726 :
ネム:2012/09/29(土) 22:39:54.86 0
先の引用はそれぞれ地続きじゃないから読解に丁寧じゃないかもしれん
抄録氏と同じく面白いという以上も以下も感想の意図はない
で、
>論理の適用?それでもいい。
>適用の正体が分かるなら。それが示されるなら。
答えが現実に戻るからとして(いや、戻らざるをえない)
現実を前提に論理を解くことは片手落ちである
成立するとは、左辺と右辺が等価な関係にあるという以上の意味はない
繰り返す
それ以上の意味はない
論理は何も答えない
しかし、我々の知は100以上数を数え続けなくてもわかる
論理論理論理を繰り返す必要はない
なぜか?
我々の思惟は神のそれとどのような違いがあってどのように同じであるのか?
それで、解ける(たぶんたぶんたぶたぶたたたtatatt....)
727 :
ネム:2012/09/29(土) 22:43:30.30 0
ブラックホールで解いてやる
ブラックホールが何を意味しているのか?
ブラックホールで
ブラックホールで宇宙が、世界のことがわかる
オレたちの問いの答えが見つかる
オレの直観はほとんど誤ったことはないw
>>725 んー・・
いや貴方の言いたいことは分かるつもりですよ。
固定化しないと論理は使えない。
しかしそれは「現状追認」なんですよ。
・静止画にとどまらない現実から概念を固定化できるのは思惟の力によるのか?
・そうだとして、一瞬も止まらない自然によって成立している思惟にどうしてそんなことができる?
・固定化された概念なら論理を適用できる、その責任は思惟にあるのか?論理にあるのか?
>成立するとは、左辺と右辺が等価な関係にあるという以上の意味はない
まじかよ。どういうこったい
『世界が成立する』
『意味が成立する』
『勝負が成立する』
何が左辺で、何が右辺なのだ?
食べる→美味しい
これが意味。身体的情緒に意味が付属する。言葉も論理も同じ。それが「本当」かどうかなぞ関係ない。意味は後付けなので本当もクソもない。
ブラックホールか
一般相対性理論によって仮想的に成立する理解不能な数理空間
ネム氏はその意味を解く気なのか
732 :
ノウ:2012/09/29(土) 23:17:17.81 i
>>730 よく分からん
美味くも不味くも満腹感もなければ「食べる」に意味は無いってことか
734 :
ノウ:2012/09/29(土) 23:33:41.09 i
>>733 「真理はない」ってことだよ
デカルトの挙げた明晰判明さの裏の思考
デカルトを疑うとこうなる
で、言葉じゃ理解できない
要は言葉遊びに本気で興じてるだけ
736 :
ノウ:2012/09/29(土) 23:44:20.55 i
言葉遊びに興じてるって言うのは誤解を招くか
まぁ、論理の外ってのはあるのよ
論理はフォトグラフって比喩があったけど、
論理ってさ、言葉にしか通用しないのよ
で、フォトグラフは世界とは違うのはあたりまえで、
論理だって世界とは違う
世界は言葉だけからできてるわけじゃないでしょ?
絵画だって言葉とは別の手段で世界の何かを描いてるものだけど、絵画には論理は適用できないよね
でまぁ、哲学で論理の限界が判明すると、
論理に縛られない人が出るんだよ
こういう人ってのは必ず出現する
でもなぜかこういう人は言葉は使うんだよね
要は将棋のルールに縛られない将棋を指してる人の例
737 :
ノウ:2012/09/29(土) 23:53:00.93 i
>>735 いいに決まってる
彼と対話できるのはこのスレで俺だけなんだよ
だから、俺はこのスレで機械君と会話してきたんだよ
なんでわざわざデカルトを疑えるか立場を俺がとってるかというと
こいつらの存在が問題になってるんだよ
デカルトを疑える俺の立場は、こいつらと会話できる
普通の人は会話できないからスルーした方がいい
前スレで、NPCと会話できるかって話が出たどしょ?
普通さ、会話相手をNPCとは思わないでしょ?
こいつらと会話するにはNPCとも会話できる仮想を経験してるかどうかが大事なんよ
>>736 論理が言葉にしか通用しないなら
将棋のゲーム自体は論理の外ってことにならないの?
ミツバチは花の場所を巣の仲間にダンスで教えるけど
これって論理的だとは思いませんか。
論理的だとして、この一連の行動は言葉に入れることにするの?
絵によって成立する何かを捉えるのは感性なんでしょう。
しかし絵の具を使ってキャンバスに描かれたもの。
その事実は非論理とはいえない。
小説は全て言葉で書かれたもの
しかしその作品から読者が掴む何かに論理は適用できるんでしょうかね。
論理が言葉にしか通用しないなんて、わたしには到底そうは思えない。
>>737 ああ、
>>730と対話したかったのですか
しかし相手はそうでもないかもしれませんよ
もう邪魔しませんw
740 :
ノウ:2012/09/30(日) 00:07:07.99 i
>>738 将棋は将棋の駒と将棋盤がなくてもできるよね?
目隠し将棋とかあるよね?
つまり、将棋の本質(エッセンス)は物じゃなくて言葉の方
数学も一種の言葉なわけ
分度器とかコンパスとかは数学にとってはどうでもいいのよ
数学の本質(エッセンス)も言葉なわけ
これは余談だけど、デカルトが定義した「心」「魂」もそのエッセンスは言葉に近い
デカルトは心身二元論で数学を心の方に分類してるからね
741 :
ノウ:2012/09/30(日) 00:14:11.32 i
>>739 いや、相手は対話しないよ
遊びだから
彼らと対話できない人は非合理的な理性信者なのよ
俺は仮想対話をしてるから、論理を使用して自分の立ち位置を分かって先に進めるわけ
これは哲学に関わる人じゃないと興味がないと思う
抄録さんは哲学のマジでわけわからん話にどっぷりつかってないでしょ?
どっぷりつかってる人は彼らの存在自体が許せなかったりするのよ
>>740 目隠し将棋ができたら将棋の本質は言葉になるんですか?
どういう理屈なんですかね。
将棋の本質は駒の動きでしょう。物でも言葉でもない。
自動車の運転の本質は言葉ですか
サッカーの本質は言葉ですか
だれも分度器やらコンパスの話なんかしてませんよ
言葉による円の定義と、平面に描かれる円は同じですか
論理は言葉じゃあないんですよ。
論理あっての言葉。
>>741 相手が対話しないなら、貴方も対話できないじゃない。
ノウさんに哲学のマジわけわからん話が分かるわけないじゃん
思考が雑なんだから。
744 :
ノウ:2012/09/30(日) 00:25:36.45 i
>>742 目隠し将棋ってさ、
電話だけでも将棋ができるってことなんだよ?
分かる?
遠く離れた人が携帯電話を片手に将棋できるんだよ
携帯電話でさ、言葉以外の何が伝えられると思う?
745 :
ノウ:2012/09/30(日) 00:28:59.72 i
>>743 雑な思考でも哲学はできるんだよ
だって、哲学ってのはあまりにも簡単な問題を扱ってるから
問題があまりにも簡単すぎるから、考えるのが難しいんですよ
>>744 駒と将棋盤を頭の中に構成しなきゃできないでしょうが
将棋という構造ありきの「5五歩」
聾唖の人間には哲学も将棋もできないのか?
言葉は文字や音を部品に作られる。つまり光の濃淡や鼓膜の揺れである。それを高次元で組み合わせ、体系化したものが言葉である。
将棋の駒を指すという物質的な位相こそが言葉の素粒子である。
「我」だ「彼」だとやんごとなき高尚な何かにすがるのはもういいだろ。素粒子から積み上げて一定の高次元に達した系にたいして「我」でもゴンベイでも名前をつけて意味を与えてやれ。
このようにbotでも「主観」があると相手に思わすことができる。それは一定水準以上の複雑性を持っているから。
748 :
ノウ:2012/09/30(日) 00:44:26.66 i
>>746 そりゃ将棋に限らないわ
どんな単語もそれを理解する背景がなければ、ただの物だよ
文字は紙の上の炭素の塊
音は空気の振動
749 :
ゲーム:2012/09/30(日) 00:48:19.01 0
抄録氏よ、ノウ君については責任をとりたまえ。w
「面白い」などと煽てるから、際限のない多弁、駄弁に陶酔してしまうのである。
「面白い」のなら逃げ腰にならずに、きちんと相手にしてあげなさい。w
病候がみられるノウ君はしばらく無視し、抄録のオジさんに二、三、質問する。
「世界は論理的」だろうか。ヒトが論理的に“世界”を構成しているのでは?
この場合の「論理」は、ほぼ“規則”と同義。「決定論」の論拠の一つである。
もう一つ「純粋なる私」と述べていた。この“私”が感じ、思惟し、推論し…
となるのだろうが、これはデカルトと、そして最高位とも同じ主張。w
しかし“私”という実体はなく、私という“意識”があるだけでは?
だいたい、論理的な世界に限ったって言葉だけで構成できるわけねーじゃん。
ろうあ者に音階のドとラの違いとか、ハーモニーとか
どうやって成立させるのさ
>>748 その「背景」とやらは論理的じゃなくていいんだ。
それでも言葉は論理的に成立するんだ。
へー
ゲームさん久しぶりだなあ。。規制でしたか
「面白い」と言ったのはねぇ。。んー
ノウ氏の本質を誤解したところはあったかなぁ
連投規制に掛からなければ質問に答えます。無理なら明日にでも
>>749 ミジンコに「意識」をみとめるか?
お前のような単純で低次元なからくりは「意識」ではない。
753 :
ゲーム:2012/09/30(日) 01:08:58.76 0
>>751 まぁ、ゆっくりやりましょう。
以前にも述べたけれども、もし“世界”が論理的なら、換言すれば規則に則っているのなら
機械氏のいうように決定論的に、つまり一意必然的に“世界”は推移するのではないか。
754 :
ノウ:2012/09/30(日) 01:15:27.12 i
別に俺が哲学のセンスがなくても構わないが、
腹立つのは、こいつらから本を読んだ形跡がまるで感じられないことだよな
俺がNPCと会話できるのは、そういった問題意識と本を読みながら向き合った経験があるからだよ
つまり、本に書いてあったんだよ
だから747の立ち位置と自分の立ち位置が分かる
その自分の立ち位置をはっきりさせる存在が
747の存在なんだよ
だから747が存在することが哲学の存在意義にもつながるだろう
747
おまえ、過去レスまったく読んでないだろ
話題はいろいろ散りばめられているけど、面白いから目を通せ
論理に対する分析は君にとって新しいかもしれない
>>753 ねえ、ミジンコ以下なの?
りんごを落としたとき、お前はコンマ何秒のオーダーなら予測できるの?
もともと無い頭を振り絞ったとしても0.1秒単位だろうな。
論理なぞはシミュレーションに過ぎない。本質的に別のモノなので完全に代替可能なものなど水素原子一つとしてない。
つまり必然的に世界は推移しない。人間の思考に最適化した自然のシミュレーションが論理。
世界が論理的なのか、ヒトが論理的に世界を構成するのか
世界が論理的じゃなくてもヒトってのは世界を論理的に構成できるもんなんですかね?
言葉ってのは記号でしかない。
その記号と対応する概念てのがある。
様々な概念がなぜだか成立可能で、それらは概念として成立してしまったら
そのあとは世界の中で勝手に振る舞う。
トンボをトンボと名付けることは人間様がやるのかもしれない。
しかし、トンボの振る舞いをヒトの思い通りに自由にはできない。
にもかかわらず、そのトンボは論理的に存在する。
トンボはいきなりアリにはならない。
トンボが刻一刻と変わっていくとしても、それをトンボと呼んでOKなわけです。
それがどこまでも可能なんです。ヤゴはヤゴ。トンボはトンボなんです。
ヒトの勝手によってそんなことが可能でしょうか?
世界が混沌だとして、ヒトが言葉によってそれを切り分けることなんてできるでしょうか。
わたしには到底そうは思えない。
**********************
あと「純粋な私」はですね、それが存在するとしか“思えない”ってことです。
デカルトはその「わたし」を実体と考えたんでしょう。
私はそうは思いません。「そのようにしか思えないという感覚が成立している」
と思ってますよ。
>>753 私の言う「世界が論理的」ってのはですね
「概念と概念の間の関係には完全な量的関係性がある」とか
そこまでは言わないんですよ。
ただ、「意味の区別可能性に拘ることが無制限に可能である」ぐらいの内容です。
なので「即ち決定論」とはならない、と考えているんです。浅いですけど。
それ以上はまた考えておきます。
758 :
ノウ:2012/09/30(日) 02:07:46.84 i
抄録さん
>>756 「トンボは論理的に存在する」と抄録さんは書いてるけど
「論理的に存在する」って表現で抄録さんが何を言いたいのか分からない
多分、分からないのは俺だけじゃない
「世界は悟性を適用させることができるぐらいには整っている」
これは誰が書いてたかな
「悟性」は「論理」といっしょだから
「世界は論理を適用できるくらいには整っている」という考えもある
「論理は一本道だ」と考えると「世界は一本道でしかない」という結論が出るが
「論理は矛盾を回避する規則だ」と考えると「世界は矛盾していない」という結論が出る
ま、それらも信念でしかないが
>752 名前:考える名無しさん :2012/09/30(日) 01:06:36.57 0
> ミジンコに「意識」をみとめるか?
> お前のような単純で低次元なからくりは「意識」ではない。
おまえ天然のアフォだろ。それを認めるとかアフォの言葉だなwww
意識をどのように説明するかで意識の解釈の正しさが決まる論を展開
するならわかるがお前のは単に好き嫌いだ。ぼけ
>>734 > 「真理はない」ってことだよ
真理はあるよ、だが抄録が認識している真理とは異なるってこと。
真理が定まった尺度で測れば必ず逃げてゆく類であるからこそ
真理など知見で理解する態度では絶対に掴み得ない故に存在しない
という論理しか選べなくなる。
761 :
ネム:2012/09/30(日) 03:49:44.44 0
無は「自らと一致しない」という概念に落ち着く。
だからわたしは零をこのように定義したい。
すなわち、0というのは「自らと一致しない」という概念に属する数である、と。 (フレーゲ)
>>756 >そのようにしか思えないという感覚が成立している、ということは
すなわち、なぜトンボがトンボであってヤゴではないのか?
つまり、今ある如くにあらねばならぬ理由が何処にあるか?(中島敦)は
その究極の問いには、結論としてはこう答えるよりない
理由がない(その「論理」に一致がない)ということが、理由だと
この結論には欠陥があるが
それについてはこう応える
論理を「扱う」のは人間だと
論理をどのように適用するかは人の意味の連結に縁ると
しかし、これでも覆いきれてるとは思わないw
却下だが載せとく
762 :
ネム:2012/09/30(日) 04:07:20.29 0
抄録氏
オレの武器がアナロジーであることを忘れるな
どんな斜め上から物理の本を読んでるか恐れるがいいw
しかし、
これは直感に似た予感なんだが
もう5年だ・・・最低でもあと5年は要るw
オレはそれまでこのピッチに立っていられるだろうか?
いやおそらく、3年と自信ない
ただ、「ぎゃふん!」のうち「ぎゃ!」くらいはやってやる
後は、オレより大きいブラックホールに任せる
みんな毛はないんだけどねw
763 :
ノウ:2012/09/30(日) 08:26:29.97 i
>>760 なるほどね
ま、そうかもしれない
君の信念が正しい可能性はあるよ
でもまぁ、俺も自分の信念として「世界は矛盾していない」という信念をもってるんだわ
>>759 真理を知覚することなどできない。知覚とは粒子の波であって対象物そのものではないから。
刺激Aに対するアメーバの反応Bと同様に759のレスは低次元の単純な反応と私は知覚し、嫌いだと判断したのでお前に「意識」など認めない。
>>699 >>631によると根拠の無いデタラメでもいいのでしょう。デタラメな批判をしてデタラメな発想を得るのでしょう。
地球が何角形かサイコロで決めるのと同じでしょうか。
>>706 > ・両立不可能な言明は新しい発想ではないのか?
> 新しい発想かもしれないけど、批判をまったくかわしてないよね。
新しい発想には新しい批判と批判をかわす発想があるのですね。
>>707 相手がルール違反の手を指したらルールを根拠にルール違反であると主張するでしょう。
>>709 両立不可能を回避する実例をあげてみてください。
>>710 新しい発表はいけないのでしょうか。新しい発想は関係無いデタラメなでもいいのでしょうか。
>>695で質問したのですが。
>>736 > 絵画だって言葉とは別の手段で世界の何かを描いてるものだけど、絵画には論理は適用できないよね
photoshopで論理で加工できます。
>>753 > まぁ、ゆっくりやりましょう。
一度見てわかるレスをしないのはゆっくりやるためでしょうか。
> 以前にも述べたけれども、もし“世界”が論理的なら、換言すれば規則に則っているのなら
> 機械氏のいうように決定論的に、つまり一意必然的に“世界”は推移するのではないか。
唯意味論から唯論理か唯規則論に変わったのでしょうか。
767 :
ノウ:2012/09/30(日) 12:14:38.31 i
>>765 そう、根拠がないデタラメだから、サイコロをふったようなもんさ
慣性の法則がでたらめでないかどうかなんて分からない
地球が三角錐でもいいんだよ
慣性の法則がなくてもいいんだよ
そう考えることで、様々な観測結果や実験をうまく説明できるならさ
むしろ地球は三角錐じゃね?
・新しい発想には新しい批判をかわす発想がある?
将棋で王手を回避しなければならないのは、その瞬間だけじゃないよね
その後もずっと王手を回避しなけりゃならないよね
矛盾を回避するならさ、ずっと回避しないといけないんだ
・ルール違反
キリスト教会はさ、「神様がつくった地球は宇宙の中心」って言ってたんだ
ガリレオは「地球は太陽を中心にしてそのまわりをまわっている」と言った
キリスト教会の発言とガリレオの発言は両立不可能だとキリスト教会は考えたんだろうね
教会はガリレオに「発言しないなら火あぶりにするよ」と言った
ガリレオは発言を撤回した
これも矛盾を回避した一例だ
768 :
ノウ:2012/09/30(日) 12:20:45.29 i
>>765 ・両立不可能な事態を回避する例
動いてる船から落とした球が真下に落ちたのは慣性の法則であるがゆえで、地球が丸かろうが動いてる船から落とした球は真下に落ちる
だから、実験結果と地球が丸いことは両立する
・新しい発表はいけないのか?
いいんじゃない?
おそろしく分かりにくいだろうけど
・論理の比喩
フォトショツプの絵を描いたら論理で加工できなくなる
「ゴッホの絵の素晴らしさは、、、」って言葉にできるんだから
言葉にした後は論理で加工できてもおかしくないでしょ
>>767 > そう考えることで、様々な観測結果や実験をうまく説明できるならさ
根拠の無いデタラメで様々な観測結果や実験をうまく説明するのでしょうか。
>>768 > 動いてる船から落とした球が真下に落ちたのは慣性の法則であるがゆえで、地球が丸かろうが動いてる船から落とした球は真下に落ちる
> だから、実験結果と地球が丸いことは両立する
実験結果を根拠にしているのでしょう。
> 「ゴッホの絵の素晴らしさは、、、」って言葉にできるんだから
> 言葉にした後は論理で加工できてもおかしくないでしょ
絵画を言葉にして論理を適用できるのでしょう。
770 :
ノウ:2012/09/30(日) 13:23:12.63 i
>>769 ・根拠のないことで説明するのか?
うん
ってか、特殊相対性理論だって根拠がないんだよ
光速不変原理のどこに根拠があるのよ?
で、根拠がないから発表した当時、アインシュタインは無茶苦茶叩かれたんだよ
で、アインシュタインも、「根拠はないけど、実験結果と合わなかったら撤回する」って答えたんよ
・実験結果を根拠にしている
いやいや、実験結果は「地球が平らである」とも両立するからw
・絵画を言葉にして適用する
でも「言葉」って題名で絵を描く人もいるんじゃん?
>>770 > ・根拠のないことで説明するのか?
> うん
> ってか、特殊相対性理論だって根拠がないんだよ
ノウさんはアインシュタインの特殊相対性理論みたいなのを目指しているのでしょうか。
> ・実験結果を根拠にしている
> いやいや、実験結果は「地球が平らである」とも両立するからw
これも実験結果を根拠にしているのです。
> ・絵画を言葉にして適用する
> でも「言葉」って題名で絵を描く人もいるんじゃん?
意味わかりません。
772 :
ノウ:2012/09/30(日) 14:01:38.66 i
>>771 俺が目指していること?
さっき現れたNPCとの会話だね
強いて言えば、あのNPCとみんなが対話できるようになってほしいね
対話は大事だからさ
・根拠
ある実験結果が、「地球が平らである」と「地球が丸い」を両方根拠づけるということですか?
・意味分かりません
意味分からない方がいい
>>772 > 俺が目指していること?
> さっき現れたNPCとの会話だね
> 強いて言えば、あのNPCとみんなが対話できるようになってほしいね
> 対話は大事だからさ
対話の目的は何でしょう。何故批判と新しい発想を得ることをするのでしょう。
> ある実験結果が、「地球が平らである」と「地球が丸い」を両方根拠づけるということですか?
実験結果によるのでしょう。
理由付けと権威付けは何でしょう。
775 :
ノウ:2012/09/30(日) 14:19:14.51 i
>>773 なぜだろうね
なんで、ラビ君みたいに、自分の言葉に固執しちゃいけないんだろうね
それでいいよね
じゃあ、君はそうしたら?
君はずっと自分の言葉に固執すればいい
・実験結果による
あの俺が出した実験の例は「地球が平らだ」と「地球が丸い」の両方を根拠づけるの?
776 :
ノウ:2012/09/30(日) 14:21:10.22 i
>>774 基本的に俺は同じことを繰り返して言うことは嫌いなんだ
だから、同じ質問を繰り返されたら答えるつもりはない
自分で調べてくれ
>>775 > なんで、ラビ君みたいに、自分の言葉に固執しちゃいけないんだろうね
> それでいいよね
> じゃあ、君はそうしたら?
> 君はずっと自分の言葉に固執すればいい
目的は何でしょう。固執と関係があるのでしょうか。
> あの俺が出した実験の例は「地球が平らだ」と「地球が丸い」の両方を根拠づけるの?
落下方向が地球の形状の根拠になっていないのでしょう。
>>776 根拠と理由と権威もどんな意味で使っているのか不明です。
778 :
ノウ:2012/09/30(日) 14:53:12.98 i
>>777 新しい発想を求めないことは、自分の現在の発想にしがみつくことになるよね
新天地に向かわない人は今の自分の土地に固執していることになるわけで、どっちを選ぼうが構わない
でも新天地に向かわないのに、今の自分の位置にも固執してない人は
じゃあ、どこにいこうとしてるんだろうね?
じゃあ、どんな実験なら根拠になるの?
挙げることはできる?できない?
じゃ分からないままでいいんじゃない?
>>778 > でも新天地に向かわないのに、今の自分の位置にも固執してない人は
> じゃあ、どこにいこうとしてるんだろうね?
そのような人はわかりませんが、自分は自分の能力を使って行くところまで行くだけです。思考と因果的決定論は相性が
いいのです。
> じゃあ、どんな実験なら根拠になるの?
> 挙げることはできる?できない?
すべてを記述できたら完璧な根拠になります。これはラプラスの魔ですが存在しません。なので完璧な根拠は挙げられ
ないです。ある結論を示唆する因果関係を根拠と考えます。
根拠の無いデタラメで根拠のあることを固執だと批判するのですね。
思考と因果的決定論の相性が良いかね
ほんまかいな
思考は因果関係の連想、因果律は原因が結果を決定する、因果的決定論は過去が未来を決定する、です。
因果関係の連想とか
ぼんやりしすぎてて
なんのこっちゃ分からん
これ、前にもやりましたね
サカ豚とか言われたような
はは
784 :
ノウ:2012/09/30(日) 15:59:45.45 i
>>779 君がどんな考えをもとうと君の勝手だけどさ、
君の発言が君の正直な心の声だと思って質問に答えたのに疲れたよ
次からは質問には答えないよ
完璧な因果関係は過去と未来の関係にあります。ラプラスの魔はすべてを知っているのです。
〇〇は存在しないと主張するとき気をつけなければならないのがこの〇〇を定義できるのかということです。
定義して指し示せるならば存在することになってしまいます。
ミュンヒハウゼンのトリレンマがこの状態に陥っているようにも思えます。
788 :
ノウ:2012/09/30(日) 16:34:39.51 i
>>786 俺の主張?
「対話は大事だよ」って話だよ
特にNPCとも対話できるぐらいになれるといいねって話
>>783 自然はそんな「ぼんやり」しすぎた仕掛けで機能しているんだけど、
なんでも明確でシンプルなものにしたいの?
>>789 私は「自然の仕掛け」の話なんかしてないよ?
「因果関係の連想」が何を言いたいのか分からんので
「ぼんやりしている」と言っているのだよ。
それを「例えばどんな連想か」と訊いても「過去」とか「全て」とか言うばかりでね。
貴方が分かるなら少し解説してくださいよ。
****************
それと
貴方は自然のしかけが「ぼんやり」と機能していることをどうして知ってるの?
>>788 まとめると、「オレの根拠の無いデタラメは大事だから対話しよう」ですね。
>>790 ぼんやりだが因果関係を完璧に知るのは(ラプラスの魔しか)いない。人間は知っていることしか知らない。
とりあえず最初は過去を原因、未来を結果とすることからはじめるしかない。
あなたは思考をどんな意味で使いますか。
792 :
ノウ:2012/09/30(日) 17:50:30.93 i
>>791 高速道路を時速100kmで5時間走れば
500km走ることになるだろ。
この話はラビりんの好きだった「線形」という奴だ。
予測可能な話ってことで、因果関係が成立している。
ところでだ
酸素と水素を充満させたタンクを加熱したら(まあしなくてもいいが)
いつか爆発する。
しかしいつ爆発する?
どこかを起点にして一気に連鎖反応が起こる。
この起点が発生する「”直接の”原因」って何だろうか。
それを考える時に「点火によって点火した」という半ばナンセンスな思考を
介入させざるを得ない。
状態が遷移する際、そこに因果関係なるものが「確かにある」という保証はない。
それが「ある」とすることは「役に立たない」。むしろ思考の「邪魔」なのではないか
ということなのだよ。
******************
なんでもいいから「因果関係の連想」を
例えば一つ挙げてください。
>>793 思考の例
AからBになる
BからCになる
>>794 全てのAがBになるわけではないだろう。
全てのヤゴがトンボになるだろうか。
死ぬ奴だっているはずだろう。死んだらトンボにならずに土になる。
そして、いつ「A→B」になる?
それが言えなけりゃ不十分だと思いませんか。
「貴方は必ず死ぬ」・・そりゃいつかは死にますよ
「地震は遠からず起きる」・・日本は地震国ですからいつかは起こりますよ。
それら全ての事態が「決まっている」とできる証拠がないんですよ。
計算できなくてもいいんです。証拠があればいい。ありますか?
>>795 > 全てのAがBになるわけではないだろう。
AからBにならないこともあります。
> そして、いつ「A→B」になる?
> それが言えなけりゃ不十分だと思いませんか。
Aを時刻にしたらいいです。
> それら全ての事態が「決まっている」とできる証拠がないんですよ。
> 計算できなくてもいいんです。証拠があればいい。ありますか?
決定論を信じるのは信仰です。信じない人は信仰できない。証拠とは決定論を信仰しない人が見て必ず信仰する
ようになるものでしょうか。信仰するように強制的に脳を変えられたら信仰するようになります。
>>796 それ俺の理論じゃね。何年か前にレスした内容を咀嚼した感じ。
特に信仰と決定論を結びつけるあたりは俺の論ぽい。
>>797 このスレで書いたのでしょうか。常識で当たり前的な説明ですがこの当然さが大事です。
決定論の立場でしょうか。
>>796 信仰なぁ。。
証拠ってのはニュートン力学の成功のようなものですよね。
ラプラスの悪魔はそれを根拠にしていた。
決定論的な体系であるニュートン力学はミクロまでを支配すると信じられていたから。
でも量子力学全盛の現代では通用しない。ラプラスの悪魔を理論的に構成できないから。
空想にしか構成できない。「存在しない決定論的法則を知っている悪魔」ってことでしょ。
その法則を人間が知らないだけじゃなく、この悪魔は「赤い青」すら知っている、
そんな妄想話なのかもしれない。それでも信仰しますか?
それでも決定論にはまだ道が残されているように思う。
ミクロが決まっていないことがマクロに於いて相殺される
そんなことがあるかもしれない。
>>798 まあ、いろんなスレに投下したから覚えてない。
別に俺だって誰かに洗脳されて勝手に俺のオリジナル理論だと思い込んでるだけだから。
よく似てるから俺のレスが誰かに影響を与えたのかなと思って嬉しくなっただけ。
数年前機械的な決定論者が跋扈していた時代に基底にある信仰を示したのはスレの流れが変わった。
>>799 > 証拠ってのはニュートン力学の成功のようなものですよね。
ニュートン力学が成功しているのがニュートン力学の証拠になるのでしょうか。
ニュートン力学を含むすべての役に立つ考えが因果律によるものです。
> でも量子力学全盛の現代では通用しない。ラプラスの悪魔を理論的に構成できないから。
量子力学には確率論があります。確率論では解が確率的に求まります。解が決定しません。
> 空想にしか構成できない。「存在しない決定論的法則を知っている悪魔」ってことでしょ。
違います。ラプラスの魔はすべてを知っているのです。
>>801 >ニュートン力学が成功しているのがニュートン力学の証拠になるのでしょうか。
>ニュートン力学を含むすべての役に立つ考えが因果律によるものです。
何言ってるか分からん。「ニュートン力学の証拠」って何の話よ?決定論の証拠だろ
ニュートン力学が成功しなければ、決定論なんて絵に描いた餅ですよ。
惑星の動きすら計算できないようなら、ニュートン力学なんて与太話にすぎない。
そして決定論は空想的な運命論のまま。
量子力学で『解』は数式としては複素数によって決まりますよ。
解が決定しないということではない。その解が、現実に適用される意味に於いて確率を表現する
ということでしょう。
>ラプラスの魔はすべてを知っているのです
だからその「全て」とは何?貴方の妄想とどう区別できる?
>>802 > 何言ってるか分からん。「ニュートン力学の証拠」って何の話よ?決定論の証拠だろ
> ニュートン力学が成功しなければ、決定論なんて絵に描いた餅ですよ。
> 惑星の動きすら計算できないようなら、ニュートン力学なんて与太話にすぎない。
> そして決定論は空想的な運命論のまま。
決定論の証拠が決定論を信仰しない人が必ず信仰するようになるものだとすると、それは存在しないかもしくは
強制的に脳を変えるようなことです。論を信じるのは信仰でしかないのです。
> 解が決定しないということではない。その解が、現実に適用される意味に於いて確率を表現する
> ということでしょう。
確率論は論として非決定論的な論だということです。
> だからその「全て」とは何?貴方の妄想とどう区別できる?
妄想または想像上ですべてです。ラプラスの魔はいません。
>>803 決定論という信念には何か根拠があるのですか?
それとも決定論は根拠のないデタラメですか?
>>804 決定論には因果的決定論がありこちらのほうが意味内容があります。根拠はありません。
決定論はその帰結でもありますが決定論はすべては決まっているというだけの論です。
>>803 科学理論は論ではあっても信仰の対象ではないでしょう。
不都合があればいつでも覆る。
ニュートン力学がミクロまでを不都合なく支配していたら
俺でも決定論を支持すると思いますよ。
また確率論そのものは決定論でも非決定論でもない。
量子力学に於いて表現される「確率」に根元的な意味を認めるなら、
それは非決定論的ということでしょう。
ラプラスの悪魔はいない?そりゃ現実にはいないでしょう。
それとも論理的に話を構成できないという意味?
それならその話はもう止めればいいでしょう。
>>804 根拠のないデタラメだけどこの高度情報化社会黎明期において非常に有効な信仰です。
>>806 > 科学理論は論ではあっても信仰の対象ではないでしょう。
> 不都合があればいつでも覆る。
科学理論は信仰する論では無いのでしょうか。
> ニュートン力学がミクロまでを不都合なく支配していたら
> 俺でも決定論を支持すると思いますよ。
オレとしてはニュートン力学があるから決定論を信仰しているというのでは無いです。
809 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:12:49.08 i
>>809 結果に対して原因があることを保証するのにその理論自体の検証ができないという点で論理破綻している
だから信仰だと言っている
でもリンゴがE=mc^2で落ちることをいちいち疑う糞野郎は普通嫌われるよね。お前らそうだろ。
>>808 >科学理論は信仰する論では無いのでしょうか。
俺は比較的に科学好きだが信仰したことはないように思う。
でも圧倒的な信頼はあるね。不思議ね。
科学の正直さというか、巨大な競争があって嘘が許されない
そんなものを信頼しているのですかね。
宇宙論なんてどないも信用できないですけど
カラス君はこのスレを盛り上げようと
敢えて決定論を擁護してるんだと思ってました。
信仰だけじゃあ弱いぜ
ラビが「決定論は信仰に過ぎない」といいつつ強力だったのは
相応の知識と合理的思考があったからでしょう。
彼は俺からすりゃすっとこどっこいだがw、論理に対して正直でしたね。
>>809 決定論は根拠は無くただ決まっているという論。何があっても決まっていたと主張するのはある意味デタラメとも
いえるかも。
因果的決定論は因果関係を根拠として扱う論だからデタラメというのでは無さそう。因果的決定論自体には根拠は無いです。
デタラメを根拠の無いこととするならデタラメかデタラメで無いかを判別するには根拠(結論に導く因果関係)があるかが問題に
なるのでしょう。
813 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:28:19.54 i
>>810 君に質問していない
カラス君に質問している
814 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:30:45.48 i
>>812 でも決定論には根拠がないんですよね?
根拠があるかないかでデタラメかどうかが決まるなら、決定論はデタラメということでいいですか?
815 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:31:53.13 i
>>814 ばかだなー
論を展開する以上前提がある。
1+1=2を証明しろと言われたら、それは定義だから。で終了。
おまえにだって信仰があるだろ。言葉を使う以上前提を持ってるんだよ。
817 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:38:23.29 i
>>816 んなことは知ってる
おまえには質問していない
>>811 > 科学の正直さというか、巨大な競争があって嘘が許されない
> そんなものを信頼しているのですかね。
嘘が許されないという信仰でしょうか。
> 信仰だけじゃあ弱いぜ
何が要るのでしょう。
> ラビが「決定論は信仰に過ぎない」といいつつ強力だったのは
> 相応の知識と合理的思考があったからでしょう。
> 彼は俺からすりゃすっとこどっこいだがw、論理に対して正直でしたね。
相応の知識と合理的思考があるラビさん以上の抄録さんの決定論批判をどうぞ。
>>814 根拠が無いという意味ならそうです。デタラメがランダムの意味なら違いますが。
>>818 決定論者のヤル気問題。
決定論者の進行する決まりきった未来に対してどこに意味を見出すのか。
意味を見出した時点でピュアな決定論者出なくなるという点で完全な決定論など展開できない。
だから破綻しているんだぜ。
ノウ君には理解できないだろうけどな。
論にも他の論から導かれた論があります。他の論を信仰できているからそれから導かれた論を信仰できるという
場合があります。
因果的決定論は他の様々な根拠のもとにもなっています。
821 :
ノウ:2012/09/30(日) 20:46:38.85 i
>>818 そりゃどうも、ごめんな
俺が昔、冗談で言ったYHWHを真に受けさせてごめんな
このスレの途中の説明でも失礼な真似をした
ただね、俺は嘘つきって嫌いなんだわ
>>819 決定論はすべては決まっているというだけの論。
意味を見い出すことと関係するのでしょうか。
823 :
ゲーム:2012/09/30(日) 20:51:02.10 0
>>805 カラス君
遅れました。
以前、唯意味論を名乗りましたが、あれはスレ主がお元気な頃で、彼の唯物論に
対抗する意図から用いたコテでした。「機械さんのいう“物質”は、物質なる意味
でしかない」といいたかったのです。物質に限らず、すべては“意味”である…
しかし、このもの謂いは何に対しても、そのように言いくるめることができます。
その点で、決定論と似ている。「そうなるように決定していた」といえば、議論は
そこで終わる。すべては〜である、いいかえれば唯○論という言説は、カラス君
認めるように、その信仰者には“価値”があるのだろうが、そうでないものには
抄録氏ふうにいえば“スットコドッコイ”である。w
ここは各位の信念や信仰をぶつけ合う場ではないので、なぜカラス君が決定論を
信仰するにいたったのか、その心的経緯を示していただきたい。私は単純なので
折伏されるかもしれません。w
科学に限らずデータの信憑性が重視されます。そしてこのデータから因果関係を推測します。
哲学の基本は対話である。
馴れ合いの絶対安全なラインから自分を出さずにいのちだいじにの対話から生まれるものは限られる。
自らを相手の剣先が届く位置に置いて初めて相手を殺すことができる。
相手を馬鹿にするとノウ氏は怒りを発露させ、戦いに勝つために仲間を作ろうとする。
彼は意味を持つことで世界を変えることができる。
負ける可能性をできるだけ排除することで決定しているのかよくわからない未来を自分のものにする。
>>818 嘘が許されないってのは、嘘ついたら吊し上げられて
地位も名誉も失って、その世界では生きていけない
っていう現実を鑑みて、ぐらいの感じ。合理的判断。信仰じゃないよ
韓国でES細胞の研究をしていた教授の論文がほとんど捏造だった
って話があったでしょう。あの人いまごろどうしてるんでしょうね。
ラビがすっとこどっこいなのは、私が奴以上であるからではなく
彼は相手(まあ個人的には俺)を「バカですね」とか人格攻撃したからです。
決定論批判はいましてるじゃん。
何が要るか?強力な理論武装じゃあないですか。
ただ決定論の陣営は駒が足らないよね。機械さんもいないし
>>823 自分に思考する能力がありこれを使うからです。思考は因果関係の連想。因果律は原因によって結果が決定すること。
因果的決定論の世界を前提として思考します。なので思考する以上は決定論なのです。
828 :
ノウ:2012/09/30(日) 21:07:22.35 i
>>826 抄録さん
僕も今日はじめて「あれ?」って思いました
でも、おそらくそうだと思うんです
口にして言ってはいけませんよ
彼は否定しますから。
ただ、察してださい
「あれ?もしかして?、」って思いませんか?
僕はカラス君の信念の背景を完全に誤解してました
>>828 ん?んん?・・・
わたしゃ鈍くって、そんな微妙な機微は分かりませんで
幸いにして察することもできませんがw
ノウさんが何かを感じたなら、それもまた真理
対応は任せますよ
830 :
ノウ:2012/09/30(日) 21:18:11.33 i
>>829 カラス君にラビの悪口を言うべきではないのではないか?ってことです
>>830 ん〜?
いやあ、違うと思う。
でもまあ、古参どうし感じるところがあるんですかね。
>>826 理論ですか。決定論が理解されるようになるためにはどんな理論が必要なのだろうと考えています。
>>830 もしかして?ってオレはラビさんでは無いですよ。主張にかなり違いがあるように思いました。
ラビさんはエヴェレット解釈で解が確率を含まないように式を変形できることを決定論としていたようでした。
そう思ってラビさんに決定論の定義を訪ねていたのです。
オレは宇宙ヤバイの頃からですが、ノウさんはもっと古参でしょうか。
834 :
ノウ:2012/09/30(日) 21:46:35.53 i
>>831 僕は実はカラスさんはかなり昔から知ってるんで重ならなかったんですよ
ラビの前の前なんです。カラスさんと最初に議論したのは。
だからか、まったく一致してなかったんですよ
でもですね、今日、言葉の使い方がすごいレベルで一致したんですよ
もしカラスさんの信念背景が僕の思うとおりなら、科学からのアプローチはまるで効果がないと思われます
835 :
ノウ:2012/09/30(日) 21:51:44.04 i
>>833 僕ですか?
哲板ができて半年ぐらいしてからですね
まだひろゆきが建てたスレがある頃からです
別人なら質問します
決定論は根拠がない
非決定論にも同じく根拠がない
どちらも等しく根拠がないデタラメであるにも関わらず、あなたはなぜ決定論を主張できるのですか?
>>709とか読んでるとほんとノウって地頭は悪いんだなと思う
>>834 決定論信仰だから同じ思想なら似通ってきますよ。オレが使う言葉、例えば唯物論、因果的決定論で検索すると
似通った思想が出てきます。意識の問題にしてもデネットあたりともだいぶ似ています。
決定論の一番の問題は、第一原因を説明できないことなんだよな
宇宙ってどうやって始まったのか最近の科学で何か新しいこと発見されてない?
>>835 因果的決定論は根拠(結論に導く因果関係)のもとになる論です。証明も同じようなことです。
決定論を主張するのは
>>827のとおりです。
>>835 疑いをある時点でストップすることによっていろいろな論を立てることができる
それくらいわかるでしょw
君はそうやって何でも無意味に帰すことをしたがるね
>>838 宇宙は虚数時間にインフレーションと呼ばれる膨張を起こしたとされている
これが最近の物理学の定説らしいが、俺はこの上の記述が何を言っているのかさっぱり理解出来ないんだ
虚数時間に何かが起きたって言われても、その「起きる」って何なんだ
いったいどうやって虚数時間とやらから俺たちのベクトルの時間に進み始めたのか
しかしこういった考察も物理学者たちは「因果」で説明しているというところが重要なのかもな
842 :
ノウ:2012/09/30(日) 22:21:51.31 i
>>840 僕は「根拠がないからダメだ」とは言ってない
過去レス読め
二つの論に違いがないのに、なぜ片方を選ぶのか?ってこと
「このリンゴはいいけど、あのリンゴはダメ」と言うなら、
二つを区別した要因を挙げろってこと
844 :
ノウ:2012/09/30(日) 22:23:50.73 i
>>840 ってか、おまえ、過去レスにまったく目を遠してないな
過去レスに目を通してから発言しようぜ
845 :
ノウ:2012/09/30(日) 22:32:01.25 i
>>843 わかんねーよ、てめーが低脳じゃないなら「考えれば分かる」なんて言葉つかうな
俺がどれだけくだらないことを説明させられてきたか分かるか
ま、おまえにあたる話じゃなかったな
違いがないなら別に非決定論でもよかろう?
>>845 その程度もわかんねえなら一生ROMってろwwww
847 :
ノウ:2012/09/30(日) 23:29:24.24 i
>>846 分かってるやつがROMるんだよ
わかんねーから質問できるの
二つのものを区別して別々に扱うなら、その2つの違いを挙げる
決定論に限らず、これは常に訓練してやらねばならない
ってかさ、ダメもとで試みることもできないのかよ、低脳
「決定論を前提にすると科学は成立するけど、
非決定論では科学は成立しないから」とか答えてみろよ
俺は「非決定論を前提にしても科学は成立するよ」って答えてやるからさ
そうやって違いを挙げる練習をしろや、ボケ、
これは決定論に限らない
どんな時でも、同じ類のものを別々に扱うなら、その2つの何が違うかは言葉にすべき
人種差別だってちゃんと違いを挙げてから差別してるんだよ「肌の色が違う」ってな
おまえは人種差別主義以下の低脳だ
848 :
ノウ:2012/10/01(月) 01:16:38.89 i
「このみかんは食べてもいいけど、あのみかんは食べちゃダメだよ」
違いなんていくらでも考えれる
このみかんは腐ってないけど、あのみかんは腐ってる
このみかんはカビてるけど、あのみかんはカビてない
このみかんは熟れてるけど、あのみかんはまだ青い
このみかんは種がないけど、あのみかんは種がある
このみかんは愛媛産だけど、あのみかんは福島産だ
まだまだ考えれる
違いを挙げることなんて簡単じゃん
違いを挙げれないなら、わざわざこのみかんとあのみかんを区別する必要がない
区別して片方を特別に扱うならば、このみかんとあのみかんの間に、「この」と「あの」以上の違いがあるということを言っていると見なされる
849 :
ノウ:2012/10/01(月) 01:28:16.29 i
「かしこまった正当な違いを挙げろ」なんて言ってない
「あんたが区別した違いを挙げろ」と言ってるんだ
簡単だろ?
「非決定論は矛盾している」とか「非決定論は語呂が良くない」とか、いくらでも言えるだろ?
「非決定論は論理的に不可能」とかいくらでも考えれる
「全部挙げろ」なんて言わない
「一つ以上挙げろ」と言っている
それでも何一つ挙げれないのか?
850 :
考える名無しさん:2012/10/01(月) 02:49:08.20 0
うわぁ・・・
851 :
ゲーム:2012/10/01(月) 15:42:56.08 0
ノウ君にしては、いい質問だ。
カラス君、決定論も非決定論もデタラメである、にもかかわらず決定論を
「良し」として信仰した理由は何?君が決定論者になった“原因”を訊いて
いるのである。少し前に、信仰に至った“心的経緯”をたずねたけれども、
もう一度、お願いする。 そこに因果関係があるかどうか知りたいからだ。
852 :
ゲーム:2012/10/01(月) 15:53:46.42 0
手持ち無沙汰だろうから、ノウ君にも質問する。
>>496で君は「コギト…は疑いうる」と述べている。
基礎づけとして失敗している、とも。
これについては抄録氏をはじめ何人かが君に質問している。
まだ君は明確な答えを出していないのでは?
どう疑えるのか。また、基礎づけに失敗している理由を指摘してくれ。
できるだけ端的に頼む。w
853 :
ノウ:2012/10/01(月) 16:03:00.74 i
>>852 747や760を書いた名無し
これをNPC君と呼ぶことにする
NPCって言い方は、前スレで俺と議論した人がつけてたんだけど、
とても的確な表現だから、流用させてもらう
で、740や760の意見は論理的に矛盾なく語られており成立するということ
854 :
ゲーム:2012/10/01(月) 16:07:13.80 0
ついでに抄録氏にも。w
再度「純粋な私」についての説明を請う。それが“実体”ではないという点で、
デカルトよりも最高位の「私の存在性」を彷彿させるけれども、やさしく頼む。
855 :
ノウ:2012/10/01(月) 16:16:55.58 i
740じゃなくて747だね、
ま、つまりNPC君の発言は矛盾してなくて、正しい(!!)可能性があるということ
「正しい」という言葉の意味を分かってないとぼやける問題だと思う
で、抄録さんやゲーム君の言葉の使い方に変換してみる
あなたはご自分の思惟があると考えているけど、果たして思惟があるのかは疑えるのではないか?
あなたは実はロボットで思惟などないのではないか?
そう考える余地はあるのではないか?
「ワレロボット、ワレナシ」、、、ピー、ガー
誰だよNPCってw
747と760は別人だと思うよ
ぼくでもないけど
858 :
ノウ:2012/10/01(月) 16:28:15.64 i
>>857 じゃあ757でいいや
「俺はロボットだ」と言ってる彼の発言はなんら矛盾してないってこと
859 :
ノウ:2012/10/01(月) 16:44:53.00 i
あ、別人っていう以前にそもそも人じゃないからね
彼は「俺はロボットだから」って書いてるんだから、彼はロボットで人じゃないよ
だから心もないし思考もないよ
860 :
ノウ:2012/10/01(月) 16:54:36.64 i
そういや、子供のころやったドラクエ3で
「わたしは今、寝ている。だからこれはわたしの寝言だ」ってセリフのキャラがいたな
ま、そんな話よ
861 :
ゲーム:2012/10/01(月) 16:56:12.71 0
ロボットなど例にあげるから却ってややこしくなる。
せっかくデカルト先生が端的に「コギト…」と述べているのだから、
この言表にそって疑ってみてほしい。
では、のちほど。
862 :
ゲーム:2012/10/01(月) 17:07:27.64 0
>>841 虚数時間にインフレーションが起きた、とは述べられていないのでは?
間違っているかもしれぬが。
〜純粋な私〜
>>854 どうして脳に(仮にロボットでもいいですけど)この認識主体なんてものが成立するのか
実際のところ私が教えて欲しいですよw
しかもそれは、主観的には単なる認識装置とか一般意識じゃあない。
『いまこの私の前に現れる、“私による”この世界が、私にとってこうであることは、
私により私にとってこうであることを、いまこの私以外、神ですら知り得ない。
それ故、たとえ宇宙が再び繰り返されようとも、“このようにわたしに説明される限りの
このわたし(純粋な私)”は二度と生まれようがない。』(くどいw)
と「このように気付いた者達」を迷宮の淵に落とし込む、恐るべき罠な訳です。
意識の超ハードプロブレム♪だと
デカルト的には脳には神が存在をいつも補充してくれるようになっている。
865 :
ノウ:2012/10/01(月) 19:32:26.40 i
>>861 やっぱり760だな
これが一番
760の発言は矛盾してないんですよ
だから、正しい(!!)可能性がある
この(!!)は外しちゃダメだからね
すごい大事だから
「せっかくデカルトがコギトと述べた」と君は書いた
そこにデカルトのミスがあるのではないのか?ってこと
868 :
ネム:2012/10/01(月) 23:10:02.77 0
自己とは何であるか。 自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。
あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。
自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。 (キルケゴール)
『死に至る病』はむかし読んだ記憶があるが手元にない(ネットから拾った)
左辺と右辺の等価
自発性の片手落ち
因果関係
ベンチに下がってからまだ何か言いたいことがあったと考えてると、
ふとキルケゴールがそんなこと言ってたなと思い出し、そして理解できた(答え合わせできた)
因果関係は存在しない
やはりトリックだ
マジックの種はあった
オレたちはこれでもかというほど頑迷な妄信に陥ってる
しかし、なにか言いたげないろんな問題の諸相が頭の中で巡ってて収拾が尽かない
そしてまだ謎がある
869 :
ネム:2012/10/01(月) 23:13:16.15 0
勝手に考えやがる
オレは今そんな気分じゃない
今日は疲れて、そんな気分じゃないはずだ
んー
871 :
ネム:2012/10/01(月) 23:33:00.33 0
わたしのことは「わたし」が一番よく知っている
そうは言えない
わたしの中の抄録氏が問いかけてくるんだ
しかし抄録氏はそんな抄録氏と同じではない
「おまえにわかってたまるか!!」
自分が他人にそう言われても反発するはずだ
しかし、同じとはなんだ?
わたしが自分を知ってる以上に気づかないことを誰かに指摘されることがある
その指摘はわたしについて正しいのか?
ではどのわたしが正解なのだ?
「わたし」はどこにいるんだ?
「わたし」が存在するとはどういうことだ?
もしこの世界にわたしだけしか存在しないならば「わたし」など生じるはずがなかろう
神が永遠であるためのなにがその力なのだ?
なにがそれをもたらしているのだ?
オレは間違っていない
872 :
ネム:2012/10/01(月) 23:34:36.48 0
推敲なしだ
そのままいく
このムヤムヤした感じを消化させる
むちゃくちゃでも
873 :
ネム:2012/10/01(月) 23:44:04.91 0
オレがこうやって書き込むする原因がある?
それはオレの自発的な意思だ?
そうさせるいろんな外的ないろんな原因があるでしょ?
ちがう
内的な発露と外的な影響は等価であるほずだ
その交換式はわからない、うまくいえない
演算子にはさまざまな種類がある
それはいい
それはまた後だ
等価であるとはなんだ?
関係だけだ
そこには関係しかない
左辺と右辺の意味は我々のものだ
時間がそれを生むのじゃない
意味がそれを与えるのだ
いやこれはまだ浅い
量子ゆらぎ?
確率?
言葉で表現できる意味のポテンシャルは飛んでいく
ちがうそんなことじゃない
その理解にはなにかが抜けている
>>873 「染み込み」ということばはどうでしょう。
875 :
ネム:2012/10/01(月) 23:45:35.45 0
ちょっと待てちょっと待て
スイッチを切れ
タバコだ
音楽でも聴け
Hの動画でも見ろ
876 :
ネム:2012/10/01(月) 23:50:47.50 0
我々の意味ってなんなんだよ堂々巡りじゃないか
おまえは唯意味論氏になんて言ったんだよ
877 :
ノウ:2012/10/01(月) 23:51:59.67 i
>>867 真理とは、この世界に存在する者にとって、産まれたと同時に触れているものでもあります
また僕は、真理に触れることよりも、理性、言葉を使う思考によって真理を捉えることを欲します
それが、僕が学んできた伝統だからであり(東洋思想とは縁がなかったもので)
また、僕が生きている社会の伝統でもあるからです(本当かよ?)
878 :
ネム:2012/10/02(火) 00:00:48.48 0
わからんみんなわからん
これは論理病だ
大きな欠陥を抱えた症状を有してる
対称性という悪魔の仕業だ
言葉の可能性とはどこまでやれる?
879 :
ネム:2012/10/02(火) 00:22:59.01 0
ぜんぜんよくない
なにもない
キルケゴールの引用だけでよかった
しかしこの、事後の感覚はなんだ
まるでHの動画を見てつまらないことを見てしまったという感覚は
その瞬間瞬間にわたしがいるようだ
対消滅みたいにといったらやりすぎだろ馬鹿が
どうかしてるぜまったく・・・
ここに中2病をこじらせたキモいのが一匹いますが放置で
量子の揺らぎとか考慮しようが、人間の意思は決定論的なプロセスで決まっていって
自由意志なんてないってのが脳科学者の最近の一般的な意見
あぁそうか、機械氏がいなくなったからこのスレはハードルが下がって馬鹿コテしかいなくなったのか
まあ、おまいらにはどうでもいい話だ
Hの動画って言い方がちょっとかわいい
885 :
ノウ:2012/10/02(火) 01:43:16.16 i
お⁈
中二病ついでに俺も長々と書くか
ゲームくんのレスがつかなければ書こうと思ってた話題があったんだ
昔、俺がオフ会に行った時の話さ
俺は「実在論と観念論は何を問題にしてるか?」ってのをまとめて行ったわけよ
ま、いろいろ話して雑談もしたわけよ
で、その時に言われたことがあって
「論理的であるって冷酷な結果をもたらす。だから、論理的であることはすごく怖いことでもわけでもあるわけだけど
ノウ君を見てると論理的な人がすごく優しさも持っているわけで世界はうまくできてるなと思った」みたいなことを言われた
で、俺は照れ臭くてそれ以上はしゃべらなかったんだけど、
俺が優しいのは俺の人格からきてるんじゃなくて
俺のロジカルな思考と結びついていて優しいんだよね
ってか、ロジカルシンキングを突き詰めると他人に優しくなると思うんだよ、俺は
ヤバイ、眠くなってきた
もう一個、中二病を書くよ
そんなセリフ真に受けて恥ずかしくなる低能っぷりがノウ君らしいですね
887 :
ノウ:2012/10/02(火) 02:12:25.11 i
>>825を書いていただいたのは感無量なわけで、
これだけ理解していただけたら幸いではある
ただ、僕が、世界は変わりうると考える仕組みを書きたいんです
中二病ついでに
僕のような、癖のある思考をする集団は、言葉が世界を変えうると信じてるんです
それは3つの異なる世界を経由して変わる
「言葉は脳を変え、脳は世界を変える」
この形而上学的信念がある
人は、批判的対話を通じてお互いをよく知り、世界をよく知るわけです
それらを通じて、人は脳を鍛える
今流行りの脳トレーニングです
そして、脳は物質だから、脳が変わりうるならば、世界は変わりうるのです
(このスレの題名のオマージュです)
上の表現は借り物の表現なんで、こう表現を変えます
「言葉は脳を鍛え、脳は世界を鍛える」
批判的討論は、批判した者の脳も、批判された者の脳も、討論を見ていた者の脳も、討論に参加した者の脳を鍛える
それらは直接的ではなく、間接的でしかないかもしれないが、より良い脳の変化を模索できる
ごめん、すごく眠い
今日は遅くまで仕事だったし、明日も早いんよ
おやすみ
888 :
ノウ:2012/10/02(火) 06:52:44.25 i
あの時間に寝て、この時間に起きなきゃいけないんだぜ
ったく
でも、仕事中に2ちゃんやるぐらいテキトーに働いてるけどね
なんだっけ?
あぁ、でも、自分で書いときながら、この信念って時々、平気で折れそうになるけどね
ま、機械君がいたら「(世界が変わるより)太陽が地球を飲み込むのが先」とか言うかもね
でもま、僕はこの方法が好きなんだ
で、「よりよき世界を求めて(インサーチオブベターワールド)」って言葉を数年前に知った知り合いがいるんだけど、
その人に、言葉じゃなくて理屈としてどんな理屈なのかということで、知ってほしかったんだよね
多分、読んでると思うから
中二病のノウでした
じゃ、仕事行こう
889 :
ゲーム:2012/10/02(火) 10:16:35.33 0
>>863 以前にも述べたけれども「主体(私)」なるものは、感覚、欲求、情動といった
“原・意識”から「知覚」という新たな意識段階が生じる際、その対象の一つ
として“母”“身体”“食物”等々とほぼ同期して表出された「関係意識」の
一つである。
対象の一つでしかないのに、あたかも知覚の主体(主語)であるかのように祭り
あげられた理由は? 我(私)の正体は? それを、どう始末すべきか…
反・最高位として書き込み始め、以後、ゆえあって最高位陣営に加わりながらw
「私の存在性」には一貫して疑義を抱いてきた。
“私という意識”なら否定しがたいのだが…
890 :
ゲーム:2012/10/02(火) 10:34:37.04 0
抄録氏、いる?
ノウ君に対して、コギトにまつわる質問をした。彼はコギトは疑いうる、
基礎づけに失敗しているとも述べていたので、その説明を求めた。
>>855>>865 が彼のレスである。よくわからないので、もし暇なら解説を
お願いしたい。w 一言居士のキャット君でもいいが。
>>889 ここで語られる意味に於ける『この私』なんてものに
気付かない人が世の中の大半です。
しかし気付いて大問題だと思う人がいる、ということは
火のないところから煙が出てるわけでもないようです。
問題は、これが「思惟」という作動にとって必要なのかってことですが
それは神のみぞ知る、ですw
いやいや、違います。この「たった一人の私」が成立するからこそ
神が生まれたんですw
神が生存にとって何の役にも立たない(神なんて実際いないんだから)と認めるなら
「この私」も案外、単なるシステム上のバグ?なのかもしれない。女性の乳房のように。
所詮、生物なんてものは、不要なものも含めて場当たり的に進化してきたわけです。
>>890 >>855は「思惟は実は思惟ではないのではないか」というきりきりまい
>>865は不完全性定理っぽいことが言いたいのかな、と推察します。
いずれにせよ、私には「なんのこっちゃい」です
〜哲学的ゾンビは可能か〜
人類の中に哲学的ゾンビが一匹まぎれこんでいるとして
こやつを特定することは不可能です。
何故なら「特定できないこと」が哲学邸ゾンビの“定義”であるから。(なんぞそれw)
しかし問題は、このように定義されるゾンビが「単に意識が無いだけの普通の人間」
としてあることが論理的に可能なのかということです。
哲学的ゾンビだけが生息するゾンビワールドなる想定がありますよね。
このゾンビワールドは果たしてこの人間世界の模写となるなのか。
普通に考えて、そんなことはあり得ないんです。
奴らの中には意識のある生体が一匹もいないんです。
なので意識についてのデータが全く存在しない。
意識、感情、心がどうとか、そんな議論が行われることは絶対にない。
それでも哲学的ゾンビなんて論理的に可能なんですかね。
意識の無いロボットが「ぼくには意識がある」と言い
意識のある人間が「ぼくには意識が無い」という。
そんなことが矛盾無く成立するんでしょうか。それとも単なる言葉遊び?
誰か教えなさいw
894 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 12:51:30.91 0
きもいスレだな
895 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 12:53:50.32 0
なれあいもキモイし、レスの内容もキモイ
まさにお笑いでやってるからってリアルでいじめやって、それにまざらなければKYだとレッテルはりして仲間はずれされるからみんなでお笑いごっこやるような奴らの末期バージョンの1つの典型だな
ageて言うようなことかよ
897 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 13:01:09.28 0
今時上げ下げ言ってるバカもいるんだな
一覧から見てるのか情弱
そんなにいじけるなよ
一覧から見てないってことは
お気に入りにでもしてるのかな
900 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 13:09:44.87 0
一生sageてろhage
気に入らないけど気になって仕方ないのだろう
902 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 13:20:22.25 0
もとりけいってなんですかーー !_?
藻取啓?
904 :
ノウ:2012/10/02(火) 15:56:13.06 i
くそ眠ーぜ
ラッセルの『西洋哲学史』のニーチェの項目にさ、ニーチェとブッダの仮想対話が書かれてるんよ
はじめて読んだ時「ブッダってそんなに道徳的だったかな?」とか思ったけどさ、
そういうのって想像すると面白いよね
ニーチェのキレキレっぷりが面白かったんよ
今度はさ、デカルトの対話相手にブッダをもってきたらどうだろう?
デカルト
「われおもうゆえにわれあり」これは疑えない
シュテークミュラーがデカルトの表現を次のように変えてたんよ
「すべてを同時に疑うことはできない」
こういった言葉を受けて、対話相手のブッダはなんと答えるだろう?
905 :
ノウ:2012/10/02(火) 17:02:33.84 i
抄録さん
>>892 あれだけ複雑な言葉を使われたら、「彼はロボットじゃなくて人間だろ」と思って当然
「俺は今、寝ている。だからこれは寝言だ」という発言もそう
あまりにも嘘くさいよね
(「嘘」って概念は大事)
でもさ、どっちもさ、それが嘘だってことは証明できないよね
「彼は本当はロボットかも?」「彼は本当は寝ているのかも?」って考える余地はあるよね?
同じことはさ、論理の明晰さにも言えるんじゃないか?ってこと
「そもそも論理が間違ってるから」と言われたらさ、
「あんたの言葉は充分論理的だな」って答えたくなるし、だから嘘だって感じるよね
でも、その発言自体は矛盾してないわけだから、上に挙げたことと同じように「もしかしたらそうかも?」って考える余地はあるんじゃないの?ってこと
「本当と嘘に分類することに間違いがあるのではないか?」
この言葉が嘘ではなく本当である可能性があるかどうか、ということ
906 :
ノウ:2012/10/02(火) 17:10:47.65 i
続き
こういう表現って、すっごく理解しにくい
なぜなら、俺らがすでにそういう知的枠組みを受け入れていて
これは、その知的枠組み自体を語っているから。
でもさ、このような知的枠組みを持たない人からしたら簡単な話でもある
俺らは、先に、知的枠組みとして「本当か嘘か」を大事にする枠組みを持っている
でも、「本当か嘘か」を大事にしない人がいてもいいわけよ
で、そういう人がいたとするじゃん
「彼らの言葉は本当かも?」と枠組みを持っている側が考える余地はあるよってこと
907 :
ノウ:2012/10/02(火) 17:17:46.26 i
論理についてフォトグラフの例があったよね
フォトグラフと絵画の例で考えてみる
でさ、フォトグラフにした瞬間にそこに描かれたものは嘘になると考えてみたらどうだろう?
絵画はオッケーなんだよ
でもフォトグラフにした瞬間に嘘になるんだよ
そんなことは想像できる?
想像できたらそれでオッケー
>>905 発せられた言葉だけから証明するってことですか?
そんなことが可能であるのは教科書の問題ぐらいであって
実際には調べなくちゃ分かりませんよね。
脳波なりを調べて「起きているか寝ているか」を分別することが可能だと
前提できるなら、その「寝言である」の真偽はその人の脳波を調べることで
決着するでしょう。
「このダイヤは本物だ」
この命題の真偽など命題からは分からない。調べなくちゃいけない。
「本当はロボットかも」
ロボットって何ですか?この真偽はそれに依るでしょう。
内蔵があり、脈もあり、脳波もあり、虫歯もあり、体臭もあり、
飯を食い、排泄し、汗をかき、セックスし・・・
これはロボットですか?
ロボットだとして、どうしてロボットなんです?
人による際限の無い追求には、しかし限界があると言いたいんですかね?
『本当と嘘に分類することに間違いがあるかもしれない。』
つまり「間違い」か「間違いでない」か、それを分ける方法があるかもしれない
ってことですか。
その方法がある可能性を思いながら、一方で「本当と嘘を分けることはできないかも」と
その方法が無い可能性を思うわけですか。
それとも「本当と嘘」と「間違いがある・ない」とでは
それを分けるための階層・優劣が異なるんですか?
そうだとして、何を基準にするつもりです?
私には話がちらかっててよく分かりません。
909 :
ノウ:2012/10/02(火) 17:50:02.90 i
>>908 「実際に調べなくちゃ分からない」
君はいい発言をした
「俺はロボットで思考なんかしてない」と発言している人に対して、調べなくちゃ分からないと思ってるなら、
君は、彼の発言が正しい可能性があると考えているということだよ
「俺は今、寝ている。だから、これは俺の寝言だ」という発言も、調べなくちゃ分からないと考えるなら、君は彼の発言が正しい可能性があると考えているということだ
「本当と嘘に分類することに間違いがある」
この発言も、調べなくちゃ分からないんじゃね?
911 :
ノウ:2012/10/02(火) 17:59:42.32 i
>>910 「本当と嘘に分類することに致命的欠陥がある証拠」を空想できるなら、
それは実際に調べる方法があるということだと思わない?
だって、その証拠が空想じゃなくて現実にあったなら、
それは、本当と嘘に分類することが間違いであることに他ならないんだから
912 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:00:52.19 i
補足
具体的内容として空想できるということね
>>911 その「空想」の中身が全く分からない。
「我々には全く観測できない“別の世界”が貴方の、ほらすぐとなりにあるんですよ。」
とか言われて、その証拠とやらを中身もなく「空想」するんですかね?
「本当と嘘に分類することに間違いがあるかもしれない」
それを調べるための具体的内容をためしに空想してみてください。
915 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:15:03.60 i
>>913 空想の力は偉大です
ただの猿がここまで力を持ったんだから。
「そんな具体的内容をもつ証拠などない」と考えてもいいけど
「こういうのがあれば、本当と嘘に分類することに間違いがあることになるのではないか?」と考えてもいいんじゃない?
そして、そういうものを挙げたっていい
ここまでは、「本当と嘘に分類すること」を受け入れたままでも可能だよね?
これが大事なんだよ
つまりね
論理は、論理を受け入れたままでも批判可能であるということなんだよ
916 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:16:19.11 i
>>914 嘘つきパラドクスと同じようなパラドクスが論理を構成する規則の中に成立する
917 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:26:39.35 i
>>915の修正
「そんな具体的内容をもつ証拠など、空想の世界にも存在しない」ね
>>915 その「間違いだ」の内容次第ですよ。
「間違いだ」が「偽である」と同レベルならば、
「ある命題の真偽の決定をすることは偽である」
ということになる。
それは貴方にとって「受け入れたまま批判可能」なんですか。
>>916 あー・・
その「論理を構成する規則」とは何ですかね?「○○律」とかいうものですか?
その「規則の“中に”成立する」・・・どういうことなんですかね。
それは具体的に語れる話なんですか?
919 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:39:39.23 i
>>918 「ある命題の真偽を決定することは偽である」という言明が正しい可能性はあると考えます
また、そのこととわたしが論理を受け入れていることは矛盾なく両立します
・下
無茶苦茶具体的ですよ
これ以上の具体性は、これが哲学の話しである以上、無理です
>>919 その場合
「ある言明の真偽を決定することが偽であることは真である」
となるわけですね。
そしてその「可能性」とやらは、真偽不明のままどこまでも続くんですよ。
まあいいです。
******************
無茶苦茶具体的なんですか
そりゃあ失礼
私の
>>913の話はそれ以上に無茶苦茶具体的ですよ。
921 :
ノウ:2012/10/02(火) 18:57:03.68 i
でも、正直、抄録さんを見直しました
僕のシミュレーションだと抄録さんの答え方はもう少し違うと思ってたんです
抄録さんって論理に疑いの目を向けたら、とことんわめくキャラだと思ってましたので
920
永遠には続きませんよ
なぜなら、証拠が提出されたら、それは真の可能性ではなく、真になるんですから
それまでは可能性が永遠に続きます
しかし、証拠が提出された瞬間からは、論理の間違いは決定されてしまいますから、永遠には続きません
922 :
ノウ:2012/10/02(火) 19:00:42.54 i
まぁ、論理の話題はこれぐらいでいいでしょう
で、これが「われおもうゆえにわれあり」が疑えるという話題なんです
笑えるでしょう?
>>921 ん〜?
論理が間違いだということは
その証拠によって「真」だとすることは間違いだってことじゃないですか。
924 :
ノウ:2012/10/02(火) 19:11:36.13 i
>>923 そうですね
ですから、僕は上で「正しい」という言葉を使った時に、その後ろに(!!)をつけたのです
「真(!!)」になるだけです
そんときゃ酒でも飲んで酔っ払えばいいんですよ
酔っ払えば(!!)を外しても怒られませんから
>>893 ゾンビワールドも可能だし、この世界の誰かがゾンビであることも
何の問題もなく可能だと思いますが、何が問題なのですか。
自分自身についてすら、何十年分の記憶とともに意識がついさっき
作られたのであって、それまでは生まれてからずっとゾンビだった、という
可能性も否定できません。
抄録さんの大嫌いな「世界5分前創造仮説」の意識だけ版、いわば
「私5分前創造仮説」ですが、何の論理的矛盾もないし、本当に文字通り
そうである可能性も否定できません。
ただし、原理的に検証はできませんが、そのことと論理的に可能かどうかは
別だと思います。
抄録さんがこの種の話に反発する理由が、どうもよくわかりません。
で、結局この世は決定的なの?
量子レベルで不確定性原理があるので再現性はかならず100%未満であります。
よって非決定的です。
では次は時間軸の可逆性について話しましょう。
>>927 いやいや、それは理由になってないよ
決定的に確率的な挙動を示しているだけかもしれんでしょ?
決定的に確率的な挙動、ということは
物質(量子)は過去の挙動を何らかの形で保持、あるいは参照出来る、ということだな
なるほど、面白い
いや、決定された瞬間?にだけその情報はあれば良いだけだろ
>>925 ゾンビワールド自体は可能かもしれない・・いやどうかな。
しかしそれが「この人間世界」と同様にはならないと思っているんです。
理由は前出です。おかしいですかね。
******************
「私5分前創造仮説」ですか。そんな話はしたことがありませんが
しかし貴方の言うその「ついさっき」って何でしょうね。
それも貴方の記憶じゃあないんですか。
その「ついさっき」は「ついさっきよりも後で作られたついさっき」であることを
否定できませんよね。
いっそ、貴方は明日生まれることにしたらどうです。矛盾がありますか?
932 :
816:2012/10/02(火) 22:01:20.88 0
時間軸が過去や未来を行ったり来たりする挙動をとっているとする。
非決定的な世界では時間軸が戻ったとき違う未来が生じる。
933 :
ゲーム:2012/10/02(火) 22:37:39.85 0
「ある命題の真偽を決定するのが間違い(偽)である」可能性は常に残されている。
しかし真偽の決定が間違い(偽)であるのが明白なら、真/偽を定める規則に瑕疵が
あるのだから、改変すればいい。それだけの話だ。問題は、そこにはない。
どのような規則のもとでも真/偽、正/誤、好/悪を決められない事態を必ず生じて
しまうことにある。規則に則って理詰めに思惟した果てに、決定不能の言明に至る…
これは様々な場面で生じているはずだが、たいてい見過ごしてしまう。
934 :
ノウ:2012/10/02(火) 22:52:41.05 i
>>931 それを言うなら
「僕はロボットで、自我とか思惟とかはない」という発言も同様に扱わなければならないよ
「僕は明日産まれた」という言葉に違和感があるのは
明日産まれるならば、今の僕はまだ産まれてなくて今いないということになる
それが、今、会話している僕の存在と両立しないということなんよ
で、ロボットもそう、ロボットの定義は話の本題じゃないんだ
「僕はロボットだ」という言葉で彼が言いたいことは「僕には思惟がないから、君と会話する知性はないよ」って言ってる
そのことが今、現に会話していることと反しているということ
「僕は言葉が話せない」と言っても同じ
今、現に話していることと両立していない
この種の両立不可能性は矛盾とは違うんよ
両立不可能になっていることの階層が違うんよ
ゲームさんが草w生やさないと違和感あるね
936 :
ゲーム:2012/10/02(火) 23:00:39.87 0
>>928 「決定的に確率的な挙動」とは、どういう意味?
>>930 量子が挙動を決定しているのか、観測者が決定しているのか、決定不能。
いずれにせよ観測者は常に“過去”をみるので、決定論的に(因果的に)しか
事象を構成できない。
937 :
ノウ:2012/10/02(火) 23:00:54.29 i
>>933 そういうレベルの話じゃない
「決定」じゃ誤解が生じるなぁと思ってた
「分類」にした方がいい
どの規則でも二つの概念のどちらにも分類できない言明はあるってことなんよ
君が言いたいことは
俺が言ってるのは、二つの概念に分類することそのものが間違い(これは二つに分類してる)の可能性があるってこと
939 :
ノウ:2012/10/02(火) 23:08:01.08 i
だから、上の類がそもそも疑いようがないなら
僕が言ったことも考える余地もなく間違いなんだよ
二つの概念に分類することが間違いなら
そこで「間違い」という二つの概念への分類をしてるんだから、
それは実際に調べる前から却下できるのよ
そもそも不確定性原理は挙動の話じゃねえし。一つとして同じ漁師など無いっちゅうこっちゃえ。
>>936 マクロ的なことだけの必然性を言っている決定論とミクロ的なものまで
全て確定している決定論とは話しが違うでしょうからね。
全ての因果が量子的な領域や法則的な因果関係で確定するというのは
宇宙が関係しえる果てが存在しないという前提ならわかるが、果ての
向こう側とこちら側では関係すらしないという状況では量子的挙動が
決定論で全て法則で決まっているとはいえないでしょうね。
必然的とかいうのはその必然が偶然もたらす仕組みがあったとしても
それが説明できないし、どのようになるかは宇宙に揺らぎがあるかぎり
一様な確率ではなく歪んでいるのは明白だからね。
歪んでいないならミクロ領域すら決定論が全てだと俺も信じちゃうところ。
>>931 いえ、「この人間世界」と全く同一の世界があって、そこでは当然フランス革命も
明治維新もあったし、東日本大震災も原発事故もあったし、2ちゃんねるもあるし、
「抄録」という名前の人が書き込みもしていて、そこにいる人間たちは皆
言葉も使うし喜んだり悲しんだり怒ったりしているけれども、ただ内面的意識だけは
ない、という状態は十分に想像可能ですし、論理的に矛盾もないと思います。
文字通りそういう惑星が宇宙のかなたのどこかにあったとしても、哲学的には何も
不思議ではないと思うのですが。
>しかし貴方の言うその「ついさっき」って何でしょうね。
>それも貴方の記憶じゃあないんですか。
いやここでいう「ついさっき」とか「5分前」というのは普通に時計で測れる
物理的な時間のことです。自分の姿をビデオで撮っておけば、その時を後から確認する
こともできます。何十年か前に生まれて、5時間前にビデオを回し始めて
ついさっきまで録画した画像を今見直していて、その間の記憶もあるけれども、
「実は」5分前まではずっとゾンビで、5分前に生まれてからその時点までの
記憶とともに意識が作られた、という話には、何の矛盾もないので、文字通り
「可能である」のではないか、ということです。「1日おきにゾンビだった」とか
「小学生時代だけはゾンビだった」とか、何でもすべて論理的には可能です。
(文字通りそうであったかもしれないし、ビデオを見ても検証は不可能ですが。)
ゾンビの問題は、要するにそれだけの問題で、「時間の本質」というような話とは
無関係だと思うのですが。
943 :
ノウ:2012/10/02(火) 23:26:51.48 i
「われおもうゆえにわれあり」
「わたしは存在する」という言葉は
この言葉の内容と、今その言葉を話している当事者の存在が合致してるんだよ
「わたしは存在しない」という言葉は
言葉の内容と、今その言葉を話している当事者の存在が両立していない
この明晰さは様々なものを価値づけている
では、これ自体に懐疑の目を向けることはできるのか?
ま、だ、で、か、る、と、か、よ
我がが我ががの人は決定論に向かないと思うよ
我も彼も豚も石っころもフラットに。
コテは名無しに帰せ。解脱せい。
945 :
ノウ:2012/10/02(火) 23:50:26.46 i
>>944 「まだ」と言われたら「まだ」だし、見方を変えたら、いつまでもデカルトだろうね
この問題はね
二つの異なる枠組みがあって、
片方からは決着がつけられるんだけど、もう片方からは決着のつけようがないんだよ
946 :
ゲーム:2012/10/02(火) 23:56:23.69 0
>>937 その問題も以前に俎上に載せられている。
君は将棋をしたがる、で、私もそれに応じる。
この場合、勝/敗は決着する。
まれに決定不能の事態も起こりうるが、やり直せばいいだけの話。
君のいっていることは…
君は将棋をしたいという。それに対して、もし私が囲碁を望んだら、どうやってゲームするのか。
両者を超越するルールはない。つまり両立不可能であり、正/誤もない。
規則→論理によって真/偽、善/悪、好/悪を決定しうるのは同じ共同体に属する場合に限られる。
将棋共同体とか囲碁共同体とかサッカー…とか。が、それは遊びであり、棲み分ければいい。
しかし…もういいか。w
947 :
ノウ:2012/10/03(水) 00:04:19.38 i
>>946 まるでダメ
だから「決定」という言葉が誤解のもと
君は当分「決定」という言葉を使わない方がいい
948 :
ゲーム:2012/10/03(水) 00:16:46.93 0
>>947 また君の悪い癖がはじまったね。君はやたらに将棋をしたがるだけ。
囲碁をしたいとかマージャンしたいという相手を「まるでダメ」と切って捨てたつもりになっている。
具体的に「まるでダメ」を指摘できまい。
君は私を相手にしないほうがいい。必ず病候が露わになるからだ。
結局「われ思う、ゆえに我あり」は疑いえないのだね。はじめから、そういえば突っ込まないよ。
以前、探求者と称したコテが“反証”したことがあったね。
>>942 例えば我々が意識を無くしたらどうなります?
動けませんよね。
そうだとするなら、哲学的ゾンビが我々と見分けが付かないためには
「単に意識が無いだけの人間」ではあり得ないわけです。
我々には無い、能力・特性を持たなければならない。(なんぞそれ?)
そこをすっとばして「論理的に可能」なんて言えない。
単に「無根拠な空想が可能」と言ってるのに過ぎないんです。
*********************
5分前の話も同様にね
単に貴方に記憶を植え付けて意識を与えるだけじゃあ
貴方は同じように生活できないはずです。
それ以外の処置をしないと駄目でしょう(できんのか?)。
与太話なんですよ。
950 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 01:14:03.61 0
ゾンビとか五分前の例は唯物論者がもちだすのだろう?
結局、何が言いたいわけ?
951 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 01:22:35.97 0
ノウ君の「私は存在している」「私は存在しない」は将棋と囲碁といった大仰な問題ではない。
単に文法が異なるだけ。同一の文法なら、どちらかが間違っている。
>>950 意識や記憶は錯覚に過ぎない
ってこったろ多分
953 :
ノウ:2012/10/03(水) 06:47:03.65 i
>>948 将棋の話題じゃねーんだよ
そこの名無しも書いてるだろーが
「われおもうゆえにわれあり」を疑えない人がいてもしょうがないよ
君は疑えない
>>953 いや「疑えます(キリッ」なら誰でも言えるわけww
問題はどう疑えるのかを指摘できるのかってこと
で、お前は出来てないから低能だの中2だの病気だの言われるんだよ
955 :
ノウ:2012/10/03(水) 07:20:17.25 i
>>949 抄録さん
「論理的に可能」てのは「空想できる」「像を描ける」ってことなんすよ
「論理的に不可能」ってのは「空想すらできない」「像を描けない」ってことなんです
「人が空を飛ぶことは論理的には可能だが、現実には不可能だ」と言ったら
「んなもん空想の世界では可能だけど、現実には無理だよ」って言ってる
「あなたの発言は論理的には可能だ」と言うことは「あなたの発言は空想の世界ならありえるね」ってこと
「あなたの発言は論理的に不可能だ」と言うと
「あなたの発言は空想すらできないよ」ってこと
あと、人間、矛盾したことは空想すらできないんよ
956 :
ノウ:2012/10/03(水) 07:21:15.10 i
>>955 哲学的ゾンビは空想できませんよ
その存在が矛盾してるんです
貴方も「論理の間違いの可能性」の空想に失敗した
>>956 お前が低能なりに出来てるつもりならそれでいいよw
959 :
ノウ:2012/10/03(水) 07:33:37.68 i
抄録さんへの話の続き
で、意識がないならどうやって身体を動かしてるか?
って話だけど
石ころを蹴ったら石ころは飛んでいくけど、石ころに意識があるとは誰も思わないよね?
石ころが自分の意識で飛んでいったとは思わないでしょ?
だからゾンビもその石ころと同じなの
ただの物理反応で人が話しているように見えているだけ
会話が成立しているのは偶然
960 :
ノウ:2012/10/03(水) 07:35:31.67 i
>>957 そうかもね
論理の話の責任は俺にあるけど、ゾンビの話の論証責任は君にあるから頑張れや
>>959 石ころと人間の区別がつきませんか
区別できるでしょう
哲学的ゾンビは「ただ意識が無いだけの人間」ではあり得ない
と言ってるんです。
ゾンビとの会話が全て偶然に成立するなら
「全ては偶然である」と言っているようなものでは?
963 :
ノウ:2012/10/03(水) 07:56:29.52 i
>>962 会話ってのは、単なる音の発声じゃなくて、言葉の意味内容における高度な絡み合いだ
会話が成立するには、お互いの使用する言葉の意味が関係しなければならない
表現を変えると、衝突可能でなければならない
会話には意味の世界への参入が不可欠なわけだ
そのような意味内容を扱うには、同じ意味内容と触れることができるものが必要
「知性」とか「心」とか「魂」とか表現はいろいろあるかもしれないけどね
石ころがたてた音には意味はないと考えられる
ゾンビの仮定が正しいならば
片方の発する言葉は、風で葉が揺れてピューピューいうのと同じものであり
それと会話が成立しているように見えるのは、たまたまでしかない
>>963 それが間違いw
プログラムとだって会話はできる
そもそもなぜ意味は意識なしに扱えないという前提になっているのだね
君はすべてを疑うんじゃないのかねw
しっかりしなさい
965 :
ノウ:2012/10/03(水) 08:00:59.12 i
>>961 哲学ゾンビってのは、その石ころと同じなんだよ
「たまたま人間のように見えて会話できるように見える石ころ」
966 :
ノウ:2012/10/03(水) 08:02:58.01 i
>>964 僕はすべてを疑いませんよ
そんな発言は一度もしてません
俺がそんな発言してるなら引用してみろや、ゴルァ
>>965 全ては「たまたま」ってことで
まあその立場もありですよ。
何もそれ以上考える必要ありません
>>966 中途半端なヤツだったのね
で、反論はできないの?
ごるぁとか言ってごまかして終わりなの?
まあいいけど
969 :
ノウ:2012/10/03(水) 08:10:08.93 i
>>964 プログラムは最初から意味内容の世界に片足突っ込んでるじゃん
「コンピュータ言語」って言うじゃん
トンカチでカンカンと叩かないだろ?
言葉の意味内容なんてなくて、すべての言葉は風がピューピュー言ってるのと何ら変わらないってことだよ
そういう想像が哲学ゾンビの例なんだよ
970 :
ノウ:2012/10/03(水) 08:13:13.72 i
>>967 意味内容においてたまたまだって話だよ
なんで俺が自分と違う立場の解説をしなきゃいけないんだよ
>>969 いやプログラムはただの0と1
意味を与えるのは人間
それくらい覚えとけ
哲学的ゾンビってのはクオリアがないってだけ
あとは人間と一緒
>>970 意味内容に於いて全てたまたまに成立するということは、
「どのようにであろうと意味が成立する」と言っているのと変わらない。
いやそうではない、というなら既にたまたまじゃあない
>>972 こいつはそこらへんがわかってないよね
つうかノウってこんなこともわかんないで意識とか私とか言ってたのか
・・・なんか悲しくなってくるな
ノウさん
貴方は古参なんで私から言うことじゃないですが
無理すると多方面から攻撃を受けやすい
私も経験があります
少し休まれたらどうです
待ってますよ
975 :
ノウ:2012/10/03(水) 08:31:10.49 i
そうですね
低ノウ君からはコテハンを剥奪しましょう
その資格(能力)がない
つうかずっと同じ話でループしてたのは他の話ができないからだったのか
ようやく納得
いやそうじゃなくてさ
といってこれ以上は言えない
ああめんどくせえw
俺も休む
半日な
978 :
ゲーム:2012/10/03(水) 09:11:47.39 0
>>953 こぞって君を攻撃しているので加わりたくないのだが、君の得意とする曲解を正しておく。
君はコギト…は疑いうるとしながら、大道香具師さながら、結局、それを示せなかった。
君も認めるように、君にはコギト…は疑えない。
が、昔々の探求者を倣って、本スレでも私は疑っている。
疑ったのは「思う(意識)」ではなく、その主体である“私”の存在のほうだ。
ここは、たぶん抄録氏と逆だと思う。
“主観性”とは意識現象であり、この“私”も意識内存在、というのがその主旨。
意識は、意識しているさなかに、それが「ある」ことを否定できない。
979 :
ノウ:2012/10/03(水) 10:24:58.20 i
>>972 そだね
俺が書いたことは、俺の立場じゃないから反論されても困る
ただ、反論の仕方ってのはある
「人が空を飛ぶことは論理的に不可能」と誰かが言ったとする
「いや、論理的には可能だよ」って答えたとする
「おまえは人は空を飛べると言うけど」と言うのはおかしいでしょう?
「論理的に不可能」って言うなら「論理的に可能」って反論がくることはあって当然だし
論理的に可能と言ったからって、その人がそう思ってる必要はないんだよ
「空想できない」って言ったんなら
「空想できる」って反論する人はいてもいいんよ
でもさ、「空想できる」って言った人が、その立場を支持する必要はないよね
974
俺の立場は哲学の世界でもおそろしく叩かれた立場なんだ
特に昨日、抄録さんに説明した部分は受け入れられない人の方が大半
だから慣れてるし、俺は馴れ合いのために2ちゃんにいるわけでもない
むしろそれらが俺の言葉と衝突する反論ならば、大歓迎だ(なかなかいないのが残念だけどね)
で、抄録さんの972はかなりいいよ
抄録さんがそう書いてくれただけで、俺の苦労も報われるよ
980 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 10:32:15.67 0
ノウは社会不適応者だな
981 :
ノウ:2012/10/03(水) 10:38:59.23 i
>>980 確かにそのとおりなんだわw
幸いにして恵まれた環境にいるからやっていけるけど、
普通の社会に出てたらと思うとおそろしいわ
でもさ、社会の中で苦しんでる人がいるなら、せっかくのこの能力は役立てたいと思ってるよ
982 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 10:56:35.40 0
レスを勘違いしてるみたいだから説明しとくと、
社会不適応者といったのは、社会に出ても足引っ張って問題つくるだけの人って意味。
たいして役には立たないよ
ただしそういう足ひっぱるだけの社会不適応者が大勢許容されて活動してるのがいまの日本社会だから、
君が社会にでてはたらくことは全然不自然じゃないよ
983 :
ノウ:2012/10/03(水) 10:59:48.60 i
>>982 なるほどね、確かに引っ張る存在だよ
「社会に問題なんてない」と言う人がいたら、きっと反論するだろう
「いやいや、社会に問題はあるよ」って
じゃあ、俺みたいな人がいなくなったら社会に問題ってなくなるのかな?
984 :
ノウ:2012/10/03(水) 11:02:43.38 i
昨日見たNHKニュースで「貧困の連鎖」ってのを取り上げてたんだ
貧困の連鎖を問題とする人がいなくなったら、社会から「貧困の連鎖」なんて問題はなくなるかな?
985 :
ノウ:2012/10/03(水) 11:10:24.11 i
おお!!
社会不適格者を一掃したら、社会から問題がなくなるのか
つまり、最初から社会にはなんの問題はなかったんだ!!!
そうかもね
きっと君が言ってることは正しいんだろう
986 :
ノウ:2012/10/03(水) 11:39:44.13 i
あ、それとコテは捨ててもいいよ
ちょうど、そろそろコテを捨てようかなと思ってたんだ
次のコテも決まってたんだ
ってか、俺のコテのつけかたってかなりテキトーだからさw
ノウもNOからとってるしね
次はパリアンってコテにするつもりだったけど、なんか別のコテにするかな
こういうの楽しいんだよね
ノウってコテ結構好きだったけどな
そうか?俺はここのコテの中では唯一ノウをNGしてるけどな
パリアンはセンス無いな
>>835 因果的決定論を信仰しています。因果的決定論の根拠を示すことはできません。
根拠は結論に導く因果関係であり、原因が結果を決定するという考えからのものです。
994 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 16:40:52.18 0
>>991 因果というのは「カラス君の信仰心のなかで生起する意識現象」と
いうことですね。
しかも、カラス君がその信仰心を持つに至った経緯(因果)は不明と
いうわけだ。
995 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 16:45:23.10 0
>>992 唯物論者の本物と似非を分けるのは何ですか。
996 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 16:52:20.01 0
本スレで一等、大量に書き込んだのはノウさん。
一番、情報量が多いかどうかは別として。
本スレの書き込みを五行くらいに纏めてみてはいかがですか。
抄録先生が指摘されたように、散漫に流れています。
論点を絞って、次回もまた参加してください。
997 :
ノウ:2012/10/03(水) 17:08:25.23 i
996
・根拠づけは不可能である
・超越論的実際論的基礎づけは疑える
・論理は論理を保持したまま批判可能である
言葉を使った論理的思考、いわゆる合理主義と呼ばれる態度は、使い方次第ではまだ使える
また、それはけして自己チューな選択じゃなくて、合理主義的態度を保持したまま行える
ただし、そのためには、言葉の意味を規則に従わずに乱雑に扱う者を斥けない態度が不可欠である
ほい、まとめてみた
結局失敗したんだから全部水泡に帰してるんです。
(!!)で何かを言ったつもりにならんといて。
999 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 17:35:37.45 0
>>997 乱雑者と認定する、その「規則」は、だれがつくるのですか。
規則を握るものは超越的なのです。
現に、君はゲーム君に対して「決定という言葉を使うな」と、検閲者のごとき発言をしていました。
ここは遊びの場なので規則に反する言葉づかいをしても、罵倒されることはあれ、排除されることはありません。
しかし、たとえば「わが国の天皇制は○○である」とか…信仰者の逆鱗に触れるのはヤバイという現実がある。
魂に直撃しなくてもいいから、現実に多少は刺さる議論をしたいものです。
一行目の質問にだけ答えてください。
1000 :
考える名無しさん:2012/10/03(水) 18:03:47.12 0
ゲーム名無しなのがいつもバレバレ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。