1 :
考える名無しさん:
もはや単純な知識は意味をなさなくなった
禅
どんと しんく ふぃいる
あぼーん
6 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 12:07:27.69 O
ペシミズムじゃない?
無意識に生きれなかった不適合な人間にとって思想は自己正当化への試みでしかないんだから
>>1 高次な知識もいつかは単純になる。
対象が盲目なら既知の知識など邪魔なだけである。
後ろを見て繰り返すもの、前をみて生み出すもの。
君はどうやって前を見るか教えられなかったのか?
8 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 20:05:30.47 0
>>7
「対象が盲目なら既知の知識など邪魔なだけである」と述べている。現代の哲学も
対象となる問題点が搾りきれず行き詰まりを呈している。 又、政治、経済、教育に
しても複雑、多様化している状況の中で、問題の対象を絞り込む事が出来ない。
従って、まず的確に対象を絞り込む事によって「思考法」を組み入れる事が必要です。
思考法とは、システム思考、論理思考、全体思考、水平思考等いろいろある。
>>8 頭が悪いな対象が盲目なら、従来の意味のある思考法は全て無駄。
盲目には無意味な思考法、たとえば考えない、理解しない、デタラメ、直感
これが基本だ、おまえはもった人生経験を積むべきな。
論理が矛盾した状況を超えた経験もないのか?
「論理が『矛盾』した状況」 とは例えば?
「対象が盲目」という言い回しがよくわからない。ぐぐってみたけど、そういう使い方をしてる人はいないみたいだな。どういう意味なんだろ。
12 :
名無しさん:2012/12/17(月) 19:41:28.53 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
>>1 相性だよ、この時代に合えばそれは力となって現れる。
相性が悪ければ力は発生しない。
常識とか状況によって使い分けるべきなのを、状況にあわせられない
のがゆとり教育の単細胞がもつ特徴。
>>10 目の前の論理の正しさが必ず普遍の正しさではない。
よってそれより正しいことによって目の前のそれが否定されたとき
矛盾となる。
なんで正しいことしているのにダメなんよ、と思う奴には説明しても無駄。
論理は活きている、生ものってことだ。
過去の論理が正しくても未来で成立する論理で考えれば非論理にすぎない。
矛盾って言葉はかなりイイカゲンに使われるからね
非合理と呼ぶべき場面で使われることさえある
>>11 たぶん。”対象が盲目に「見える」”ってことじゃないか?
国語とか書籍の記事やアナウンサーの言葉じゃないのよ。
2chで日本語おkとは俺は無能で正しい表現や構文じゃないと読み取る
力がないと自慢しているようなもの。
流れから汲み取り空気をよめ。ここの正確さなど2chで求めるのは
「便所の落書き」に文法が違うとか真剣になって赤ペンでその上に訂正している
おばかさんだよ。
>>10 戦略においての伏兵、それは戦術においては論理的にありえない
敵が1人で、攻撃にいって10人で戦えば余裕とおもったら100人隠れていた
論理的には1人を10人で倒すのは正論であるが、現実は100人だから
正しくないわけだ。低い次元で捉えれば矛盾している。
論理的という言葉もかなりイイカゲンに使われるね
合理的/理論的と言い換えた方がいい場面は数知れない
19 :
考える名無しさん:2012/12/18(火) 02:58:43.62 0
首尾一貫性や、エラーなく走る感じを伝えるときには
論理的というより電気回路的といったほうがいいかもしれないな。
でもサウンドバイト的に論理的のほうが攻撃力が高いんだろう。
>>18 主観的なものから組み立てたのもだから論理的(俺の思い込み論理)
君が言うのは完成した学術やら知識からできた理論的(実績のある知恵)
知性に適っているなら理論でいいんだけどね。情動によってできた
ポエム的な仮説に対して理論といったら詐欺だよ。
御親切にどうも
人知を超えた領域はオカルトであり、科学が科学という体質を超えない限り
オカルトは否定される。
科学は知識と技術という力で人々を縛る、人知の及ばない未知への領域には
知識も技術も力にはなりえない、その領域で必要なのはオカルトの類の力
デタラメであっても始めの1歩は言葉の定義となりそれを基準に修正してゆく
流れは人知の範囲では科学であっても人知の外ではオカルトの類でしかない。
完全に見えないものを見るには見える方法を探すのでは完全に見えないを
否定できない。それは見えるというルールそのものすら変えるトンデモへの
飛躍、デタラメの領域への旅立ち。
そこで初めてルールの外に出れる。出たその先にはたどり着けないはずの
未知が待っている。こじつけの定義の中から真実が浮かび上がってくる。
技術や知識を信じるとこの方向へ門を開き手を伸ばすのは事実上不可能である。
それだけ科学信仰はオカルト的なトンデモ領域をアレルギー体質のように否定する。
>>18 論理は輸入であり、道理とかぶるからな。
このへん整理しないとな。
論理はlogcalであり、下層構造の原理から意味のある上位構造の原理を生み出す為の理にかなった思考。
理論はtheoryであり、下層構造から上位構造がどのようになっているかの合理的説明
違うと思うなら自分で説明してみなさい。辞書をそのまま暗記し表現するのでは
何も理解していることにはならないんだよ。
26 :
考える名無しさん:2012/12/19(水) 21:57:50.49 0
>>25 ではここは何を何する場なのかを自分で説明して貰おう。
ちなみに、説明が終わったときに、
「ここはお前のオナニーを披露する場ではないよ、それとも何かね違うのかねスレッド不動産所有者さんよ?あ?」
と切り込んで畳み込む予定です。
>>24の内容が唐突だからツッコマれたんだと思うよ
一体誰に対して「違うと思うなら自分で説明してみなさい」等と言っているのやら…
>>27 ポエムを書くのに誰に対するとかあるの?バカなの?
無視ができないから厨房って言われるんだよ。
挑発しておきながら無視しなさい、とは…w
30 :
考える名無しさん:2012/12/19(水) 22:23:56.08 0
こちらは モンスターズインク モンスターかぶしきがいしゃです
絞り出された怒りを回収しに まいりました まいど ありがとうございました
31 :
考える名無しさん:2012/12/19(水) 22:25:29.48 0
>>29 もしかして挑発した奴と同じだとマジ思い込んでいるなら
妄想癖が酷すぎるぞ。それが相手を呼び出すための術なら
それはあると思うけどな。マジで反応したんだよね?
結局、唐突だからツッコミ入れられたんだろ?
自然な遣り取りだと思うけど
ageて別人アピールするなんて頭いいな
猿語はすぐに分かります
どうても良いことを話題にするとか、その人の本質が良く現れます。
>>24 それ違うな。
日本語として解釈すべき。
論理は論の理、理論は理の論。
これによって扱いが違う。
>>36 おまえは辞書を最初に調べることをお勧めする。
>>37 辞書で引いた上で尚のこと、彼の言い表し方で適していると思うよ。
スレと違うことを書き込みするべからず。
>>39 いや俺じゃないけど、そう思ってても言いたいことは同じだよ?
おかしいじゃないか釈明要るよ?
空気が読めること。
空気が読めない奴は力とは何かが理解できていない、
強い力に従い、弱い力を従属させる猿。
45 :
考える名無しさん:2013/03/23(土) 21:17:43.81 0
>>1 スマホなんかをいじってる連中は、それがどのような仕組みで動作してるかなんて、知らなくてもいいのさ
むしろ使いこなす(ケータイの早打ちとか)事が意味を持つし、検索効率を上げる事が知識へのアクセスに欠かせない
46 :
考える名無しさん:2013/03/24(日) 00:08:53.92 0
現代に「最適な」思考形式
目的合理性(目的と手段、優先順位の明確化)と物事の全体を有機的に捉える
システマティックな視点、それらの背景にある生存本能。てことではないだろうか。
47 :
考える名無しさん:2013/03/24(日) 18:29:10.06 0
情報化時代に最適な「思考形式」とは何か。この課題は、「産業革命」以降から始まっている。
産業革命当時の人々にしても、いままでキリスト教世界観のなかで、穏健で静的な生活様式から、
急激な情報の洪水の中に巻き込まれて行く。 今日の私達の生活もその延長上ある。
では、この情報の洪水の中で、どの様な「思考法」が良いのであろうか。実は、この問題に最も敏感に
直面しているのは、哲学であると思う。デカルトから始まり、カント、ヘ−ゲル、マルクス、フッサ−ル
そして、大陸哲学と英米哲学へと「思考法」は変遷している。
現代は、科学技術(テクノロジ−)の更なる進歩によって、更に情報量は増大している。このテクノロジ−と
多様化し続ける「情報」に対して、哲学はどの様な「思考法」を提唱しているのか。
その思考法を大別すると、「現象学的思考」、「生哲学的思考」、「論理実証主義的思考」となると思う。
これらの思考法に共通するのは「生命」を基底として、全体を「有機的」に捉えることが重要であると思う。
既知を扱う思想形式と未知を扱う思想形式があり、前者は学び励み明晰に
執念や情熱と共に積み重ねれば誰でも叶う類である。
だが未知を扱うには見えすぎる目では何も見えない。見えないものを明白に
明晰に的確に見るとはコリエイトするのとなんの違いもないわけだ。
ぼんやりした意見すなー
抽象的なそれを理解できないほと無能なのはよくわかる。
伝家の宝刀・投げっぱなしジャーマン
現実的な具体例に適用できないのは、抽象的なことが理解できないおまえのせいだ
俺様は抽象的な成功哲学を語ってるだけでいい
現実への適用は大事だね。それは抽象論が通るべき必須のテストだ。
>>48を善意で解釈すると、既知はこれはわかるわな。未知をどうあつかうか。
未知をわかったようなつもりになるのは嘘だ。この場合の未知とは人間の
知性で把握できない物事のことだ。となると、わからない未知を我々はどう
扱うのかという問題提起?これはある種の実存主義的ば考え方への誘いか。
>>52 人が得る現実など抽象的な類でしかない、どんなに非抽象的と表現しても
嘘にすぎない。
知性をしってさらに非知性を知れば知性だけで考える愚かさを理解できるだろう。
見えているものだけが全てならば学べる学問ものを全て暗記しそれが全てである。
見えていない部分や間接的にも永遠に見えない類を存在すると言えば
見えているものだけで思考する人には滑稽にしかみえないだろう。
自分が全てのように驕る思考を否定するべきであって、解らないこと、見えない
こと決して知りえないことを軽く知識ではないと否定したとき何が得られるかは
自分で考えること。
>>52 未知をわかったつもりになるとは未知を作り出す立場かその能力があることです。
既知しか知らない貴方には創造という未知を理解することができないだけです。
55 :
日本一の知の達人:2013/04/02(火) 09:38:35.04 0
既存知識を完璧に暗記しようとする思考、素晴らしい秀才の技術や知識を完璧に
再現できるようにする思考
これが最善で合理的でもっとも優秀である。
56 :
考える名無しさん:2013/04/02(火) 14:23:57.89 0
この世の、すべての事象(精神的、物質的なものすべて)の背後には、ゲシュタルト的本質が、
存在している。つまり、事象には、「見えるもの」と「見えないもの」が「一つのものの」の、
両義性として連関している。だから、カントが述べているように、「物自体」は理性(主観)からは、
捉えることは出来ないが、ヒュ−ムの様に知覚を通して「ア・ポステリオリ」として捉えることが、
可能となる。経験としての「知覚」を基底とする論理は、カントより進んでいると思う。
見えているときは「知覚」を基底とする論理は正解に近い。
しかし見えていないときに「知覚」を基底とする論理に頼ると自滅する。
バカには見えていないという自覚がない。
58 :
考える名無しさん:2013/04/03(水) 16:36:52.53 0
ゲシュタルト理論の様に、人それぞれの知識レベル又は、認識能力により、パ−スペクティブ的に、
見えないものが捉えられるのだから、或る人には見えて、自分には見えないと言うことがある。
「知覚」が両義性を持つと言うことを理解できなければ、形而上学的事象(見えないもの)の概念も理解できない。
59 :
考える名無しさん:2013/04/03(水) 18:34:59.51 0
それはいいんだけどさ、
だったらゲシュタルトを語るべきじゃないの。
両義性をもつ、見えないもの、といつまで言われても・・・
何が最適かは偶然が決めることもあるから、多様化とリスク分散が最適な戦略のひとつ。
多様性と分散を拡大するとエネルギーの無駄を生むので、たまに選択と集中を行う。
これも最適な戦略のひとつ。多様化-選択、分散-集中、これを繰り返す。
>>60 偶然を支配できずに、偶然任せなど競馬とパチンコと宝くじでリスク分散するようなものだ
63 :
考える名無しさん:2013/04/04(木) 18:07:33.52 0
>>59 ゲシュタルトと言うのは、知覚現象や認識(意識)活動を説明する概念で、
部分の総合(集合)として捉えられない「合体構造」に備わっている、
特有の「全体的構造」言う。
例えば、メロディを1オクタ−ブ上げても、同じ感じを抱くように、個々の要素の
単なる結合(一般的な物と物の結合)ではなく、まとまった質的意味(目にみえないものとしての)と、
変化・変換をを通じて維持される形態のことです。
解釈によるものだから。
>>62 偶然の不確実性に柔軟に対応する最適化戦略。だから多様化-選択、分散-集中戦略。
競馬とパチンコと宝くじは選択しないしそんな周辺的なもんに集中しないのが最適化戦略。
偶然に流される戦略と混同してはならない。
>>63 概念じゃなくて、「例えば」を中心に展開すべきでしょ。
具体的現象の具体的な働きについて語ってよ。アフォーダンスみたいに。
見えない構造がある、見えない形態があると延々と言われてもさ・・・
67 :
考える名無しさん:2013/04/05(金) 23:46:06.53 0
>>66 ゲシュタルトは、「全体的構造」の質的意味の形態のことを言う。
例えば、映画の映像は私達は、映像が動いている様に見える。しかし、
実際は、フィルムの一枚一枚の静止した像の「合体構造」にすぎない。その一枚一枚の
像が動いている様に見えるのは、意識が総合的構造を質的意味として認識しているからです。
又、ピアノの演奏にしても、ピアニの鍵盤を叩いて出る音は、実際は一つ一つの単なる金属音にすぎない。
この一つ一つの金属音が「総合的構造」となるとき、質的な変化が起こり、質的意味としてのメロディとして
私達に聞こえるのである。
68 :
考える名無しさん:2013/04/05(金) 23:50:10.02 0
>>67 >この世の、すべての事象(精神的、物質的なものすべて)の背後には、ゲシュタルト的本質が、
>存在している。
心理学的な意味におけるゲシュタルトは、人間の内的現象の全体像のことだろう。
しかし、物質的なゲシュタルトとなってくると人間の内的な構造とは異なってくる。
精神構造と物質構造を一緒にしているような議論に見えて疑問を感じる。
>>69 精神構造と物質構造、何故わけねばならん?
>>60 全面同意なのだが、さじ加減が難しい。
って事は意識的にやり過ぎているのだろうか。
>>70 心理学的なゲシュタルトは錯覚を生み出す基盤でもある。
錯覚と物質構造は異なると思うのだが。
74 :
考える名無しさん:2013/04/06(土) 15:19:58.60 0
>>69 人間は、精神構造と物質構造の「合一」したものであり、その根源に生命がある。
この「生命」は両義性を有している。つまり、人間の精神的活動は、生命の働きにより
可能となっている。もの事を「考えている」という精神活動そのことが生命エネルギ−と
直結している。だから、死後の世界は分からないが、精神構造としての「意識活動」は、生命体
として生きているから可能となる。
75 :
考える名無しさん:2013/04/06(土) 15:37:56.16 0
>>72 ゲシュタルト理論の、物質構造と精神構造の両義性を、単なる錯覚と捉えることは
出来ないと思う。物質の「総合的構造」の本質にある意識の「質的意味」とは、
感覚質(クオリア)のことであり、指向性の意識活動である。
>>74-75 そう断言できるほどには心身問題は解明されていないと思う。
>>76 だな
お勉強しただけの奴は仮説と現実を混同しちゃう
78 :
考える名無しさん:2013/04/06(土) 19:08:40.76 0
>>76 精神構造と物質構造の問題は、「心身二元論」として、哲学上の問題/科学の問題(ハ−ドプロブレム)として
現代でも、精神と物質が一致するのかと言う課題として継続されている。しかし、この問題は、人間が、精神と物質との
「合一」した存在であり、その根源にある「生命」の両義性から論究していく問題ではないかと思う。
精神と物質は別物だが構造は一緒。
ロゴスを食うか、パンを食うか。
情報化時代≒情報過剰
情報量の制限をするか、情報量分の思考をするか。
>>78 >現代でも、精神と物質が一致するのかと言う課題として継続されている。
されていない、読み違いしているだけ。もしそう信じているなら
哲学の基本すらわかっていない、形而上と形而下は比べられると思っている
のはその意味を何も理解できていないから、たんに辞書を調べただけの
知識では何も理解していることにならない。
思いたいのはわかるが、その考えは中性子星の中心部でお茶会したいが努力
すればできるだろうと言うのと同じ。
次元の彼方まで制覇できるという思いは大切にするべきだがトンデモの領域に
いることを理解できていないとキチガイ扱いされる類だと認識しては?
82 :
考える名無しさん:2013/04/07(日) 14:23:28.14 0
心身二元論が創出した経緯は、デカルトが「方法的懐疑」により、「私は考えるゆえに私はある」という
命題の「超越論的主観(私)」の視点より、心(精神=私)を主観的領野として、身体(物質)を客観的領野(物質)として、
解釈することが出来る。
近代哲学で、主観と客観の分離は、このデカルトの超越論的主観(私)より、創出したものであり、
「主観(精神=私)と、客観(物質)」構図は、デカルト以後、「主観と客観の一致」の認識問題の謎として現代に至っている。
>>82 解釈はいい。解釈で謎とするのもいいが貴方の解釈にすぎない。
最適化とはルールとバランスの良い関係をもつこと。
ルールには、自然のルール、社会のルール、個人のルール等がある。
最適化の方法としては、ルールに適応すること、ルールを上手く利用すること、
ルールを新たに書き換えること等がある。
>>84 それは見えるものへの最適化であって全く盲目な対象へは
なんの意味もなさない。
87 :
考える名無しさん:2013/04/07(日) 22:43:33.34 0
おれ、90年代とか80年代の本やコラムを読むのが趣味なんだけど、
昔のコラム読むと、的外れだなぁと思うことがよくあるね。
特に90年代のコラムは痛いのが多い。
なんというか、妙な全能感みたいなのを、どのコラムニストも持っている。
あと、コギャル叩きが激しすぎ。すべての女子中高生が援助交際してると思ってる。
あれはどういう時代だったんだろうか?
オッサンは、テレビを真に受けやすいからな。
ひどい時代だったよ。
>>86 それ、誤解による的外れな批判だ。
自然的ルールは唯物論的だが、個人的ルールや社会的ルールは見えないものも含んでいる。
構造論的、意味論的、現象論的、機能論的、言語論的、存在論的、倫理学的なルールもそこには含まれている。
>>88 何を錯覚しているの?自分が正論で正しいと信じきっているからこそ
そういう妄念にたどり着く、君が言うルールなんて君が決めた説明にすぎない
その浅く背景すら貴方の定義な時点で客観的ルールではなく、俺ルールである。
>>1 この板に多いややこしい思考形式ではないようだ。
91 :
考える名無しさん:2013/04/09(火) 11:50:31.20 0
>>89 自然的ル−ルは、「見えるもの」として、唯物論的であり、社会的ル−ルは、「見えないもの」として、
実在している。社会的ル−ルが実在しているからこそ、我々は基本的人権を基本とした社会を構成している。
彼方は、「見えないもの」としての客観的な「社会的ル−ル」を、どの様に定義しているのでしょうか?
>>89 社会的ルールは、見えない構造として実在する。
しかし、現象として恣意的な現れ方をするので実在しないように感じてしまうのだ。
きーぷいっとしんぷるすちゅーぴっど
>>92 それは形而上と形而下の区別ができない哲学者としては素人の価値観。
正しく形而上学を捉えているのならば形而下の意図を理解できているはずなので
形而下で形而上を計れれない類なのは理解しているはずだ。
そして形而下というものは絶対的ではなく相対的なもので、いま形而上と
おもっているそれが形而下ともなる入れ子の上下関係の階層を捉えたものに
すぎない。
それはすぎない主義にすぎない
96 :
考える名無しさん:2013/05/04(土) 23:53:38.02 0
>>94 >形而上と思っているそれが形而下ともなる入れ子の上下関係。
>形而下は、時間・空間の存在する「有限的領野」と定義され、形而上は、「無限的領野」であり、
時間・空間を前提としない、主観的意識、自由の意志、クオリア、ゲシュタルト質、等々と
定義されている。この形而下的領野と、形而上的領野は、明確に定義されており、日常的次元に
於いて、上下関係の階層として入れ替わることはない。
97 :
考える名無しさん:2013/06/25(火) 17:04:49.88 0
第三の波平 〜ナマポニートという生き方〜
キーワード【 ホア クサマラ 波平 ェェ ぷぷらだお ーー 純一 】
98 :
考える名無しさん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN 0
>>92 >社会的ル−ルは、確かに見えない構造として実在している。
この「見えない構造」が、憲法の「基本的人権」であり、それに
基づいて各法律が、重要な要となっている。
この「見えない構造」が、主観的意識であり、一方、「見える構造」が
「お金」を中心とした物質的価値観(客観性=経済)であり、「見えない構造=精神」と
「見える構造」の種々の関わりが、「主客二元論」の様態であると思う。
100 :
100じゃろろ??w:2013/11/15(金) 04:50:20.46 0
( ,,ー一' '´'-‐‐', ノ
!◞≍≍≖≍≍◟ ◞≍≍≖≍≍◟丿
( ,,ー一' '´'-‐‐',ノ うどんじゃうどんじゃうどどんどん
) "ー=::=-', ヽ どんじゃどどんじゃパンツョックん
/\ ヽニソ ,/、 ウムの食い込みパンツョックん
人 `ー' .ノ バカリケイは、うやうやしく頭を下げなさい。
,r――--、,,_ノ r、 三 η L___,,..-―‐-、
( 〃ヽヽ //ヾヽ )
ヽ `ヽ、 ⊂ニ ◎ ニ⊃ ,r'' /
ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /
ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
/ ::ヽ (_ヽ \、
(。m。ノ `ヽ、_nm
101 :
考える名無しさん:2013/11/17(日) 14:51:43.45 0
現代は、価値観の多様化、種々の情報の氾濫、科学技術(テクノロジ−)の専門的化等々、複雑に絡まった
社会の中で、どのようにして自分にとって最も「的確」な判断を下すか、これは非常に難しい問題です。
的確な判断を下す為の「最適な思考形式」を現代に於いて求めるとすれば、まず考えられる事は、形式論理思考、
現象学的思考、弁証法的思考の三ツの思考形式が考えられる。
この三つの思考形式には、それぞれに長所と短所がある。まずは、互いの思考形式の長所と短所の分析をし、長所を
生かした新しい「思考形式」の確立が必要となる。
現代社会の混乱(世界的な経済格差、地球規模の環境破壊、人間の叡智を超えた“核”の課題、資本主義−社会主義の限界等々)の
源は、現代に適した「最適な思考形式」が、見つけ出されていないからであり、今、人類に最も求められていることとしてある。
102 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 18:22:38.89 0
戦後の実存主義は、フッサ−ルの「発生的現象学」という思考形式を基底としているが、
この現象学的思考と、形式論理思考との長所を取り入れた“思考形式”の論究により、
現代に適した「最適な思考形式」を創出していくのが、これからの哲学の方向であると思う。
戦後の現象学を基底とした哲学者は、メルロ=ポンティ、サルトル、ハイデガ−、レヴィナス、
デリダ、ドゥル−ズ、フ−コ−、カミュ、ム−ジル等々という戦後の社会に大きな影響を与えている。
( ,,ー一' '´'-‐‐', ノ
!◞≍≍≖≍≍◟ ◞≍≍≖≍≍◟丿
( ,,ー一' '´'-‐‐',ノ チンポコチンポコチンポコチンポコ
) "ー=::=-', ヽ オナホでシコシコシコシコシコシコ
/\ ヽニソ ,/、 ウムの食い込みパンツョックんドピュッ
人 `ー' .ノ ムショクでモッコリ、ムショクはマッコリ、ムショクは反日〜!
,r――--、,,_ノ r、 三 η L___,,..-―‐-、
( 〃ヽヽ //ヾヽ )
ヽ `ヽ、 ⊂ニ ◎ ニ⊃ ,r'' /
ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /
ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
/ ::ヽ (_ヽ \、
(。m。ノ `ヽ、_nm
( ,,ー一' '´'-‐‐', ノ
!◞≍≍≖≍≍◟ ◞≍≍≖≍≍◟丿
( ,,ー一' '´'-‐‐',ノ チンポコチンポコチンポコチンポコ
) "ー=::=-', ヽ オナホでシコシコシコシコシコシコ
/\ ヽニソ ,/、 ウムの食い込みパンツョックんドピュッ
人 `ー' .ノ ムショクでモッコリ、ムショクはマッコリ、ムショクは反日〜!
,r――--、,,_ノ r、 三 η L___,,..-―‐-、
( 〃ヽヽ //ヾヽ )
ヽ `ヽ、 ⊂ニpikarrrニ⊃ ,r'' /
ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /
ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. /
/ ::ヽ (_ヽ \、
(。m。ノ `ヽ、_nm
105 :
考える名無しさん:2013/11/21(木) 22:24:59.47 0
純一に嫉妬する波平先生かっけーw
107 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 14:48:38.23 0
合理主義的思考(論理実証的思考)にも長所と短所があり、実存主義的思考(反形式論理的思考)
にも長所と短所がある。
現代は、ますます科学的な合理主義思考(形式論理思考)が強まっている。巨大化したテクノロジ−(科学的思考)の
影響により、結果として人間の“極小化現象”が起きているのだと思う。
巨大化したテクノロジ−は、一面に於いて人間に物質面の“脅威的”な豊かさをもたらしたが、その反面
大量生産による“大量消費”という思想を作り上げてしまった。その結果、PM2.5の大気汚染、CO2の
地球温暖化による天候異変、又、“核(原発等)”による地球規模の環境破壊、そして、木、石炭、石油、その他
の鉱物資源の無計画な消費による、地球資源の枯渇が深刻化している。
情報化社会では、情報の「意図」を読み取ることが切実に必要になる。そのためには、権力闘争に関する心理学や歴史
物語を研究するのがよいと思う。賭け事も一種の権力闘争なのだから、それについての研究や歴史物語でもよい。
109 :
考える名無しさん:2013/11/23(土) 16:12:58.94 0
現代社会が、世界的な環境破壊、そして経済に於ける留まることのない世界的な経済格差、
その結果多くの人々は、生活環境が厳しく、また精神面でも生きづらい社会となっている。
現代社会への生きづらさは、誰しもが切実に感じていることであり、その原因となる源は何かと
考えてみると、やはり、社会にある“種々の問題”を的確に捉えていくための“基本”となるもの
としての「最適な思考形式」ということに辿り着く。
ナポレオン時代以降のヘ−ゲルの「弁証法的思考」、イギリス産業革命時代の「論理実証主義的思考」
そして、第二次大戦後の「現象学的思考」と言う思考形式の流れの延長線上で今日に至っている。
110 :
考える名無しさん:2013/11/27(水) 15:29:56.84 0
弁証法的思考の止揚?
111 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 14:48:52.44 0
情報化時代は終焉しつつあり。次に来る社会とは??
112 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 14:57:38.39 0
煩悩で焼かれる火炎地獄。
自業自得と自己責任のフラクタル。
捨てねばならない我欲は、全と共有される速さと競ってる。
急がないと苦しむ。だから回り道せずにこつこつと捨てていくほか、ない。
「諦めること」は、捨てきることと同じ。即ち、今のままだと諦めきれずに苦しみ藻掻き続ける。
今までは、苦しみから目を逸らす事ができたが、全てが共有された後、目が逸らせない社会がくる。
目蓋を切り落とされる。目が瞑れない。さあ、どうする。
企業資本と国家資本からの広告しかない新聞はネタがうんこッティなわけよ
114 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 16:37:16.52 0
戦後のモダン哲学は、メルロ=ポンティ、サルトルを中心とした“発生的現象学”を
基底として哲学的な展開がなされていった。レヴィ=ストロ−スの構造主義も、メルロ=ポンティの
思想(構造の概念)の影響を受けている。
メルロ=ポンティの「知覚に於ける差異化の運動」が、“ポストモダン”のデリダ、そしてドゥル−ズへと
引き継がれていく。
この戦後の「発生的現象学」の流れに対して、科学的思考である「論理実証主義」が相対的関係にあり、今後の
最適な思考形式の方向性は、両者の長所を取り入れた新しい“現象学”が主流となって行くのであろう。
115 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 17:09:26.98 0
終焉現象の学?
116 :
考える名無しさん:2013/11/28(木) 17:35:37.44 0
アカデミックに構えると、時代に取り残されて産廃扱いされる時代。
117 :
考える名無しさん:2013/12/27(金) 10:08:33.19 0
運知思想かね?
118 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 07:17:33.38 0
体系化、範疇化、合理的推論。その他もろもろ。
119 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 07:40:28.69 O
>>1 それは何を軸にすればよいか?かな
それとも何か違う観点か
120 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 13:31:23.76 0
>>119 それは何を軸にすればよいか・・・。
現代は種々の価値観が重層化し、且つ、複雑化、専門化している。これらの種々の要素(種々の課題)
に対して、的確に判断することは容易なことではない。だからと言って今までの様に専門分野(大学教授、
経済学者、政治家等々)に一任していては、課題は解決しない。 一任の結果が今日の状況を招いている。
一人一人が立ち上がって行かなければ、現代に堆積した環境問題、経済格差、資本主義の歪み、核の問題、人口増加の問題、
地球資源の問題は解決されて行かない。
個々人がどうすれば現代社会を、多様的、且つ的確に捉えていくことが出来るのか、その中核となるのが「最適な思考形式」
であると思う。
「最適な思考形式」とは何かということであり、方向性として
>>114で記述しているように、論理実証主義の長所と発生的現象学と
静態的現象学の長所を取り入れた新たなる「思考形式(論理)」の構築が求められている。
具体思考は方法論や意味や知識などを学べば誰でもほどほどにできる、
いま誰も開拓できないのは抽象思考でそれができないのは、本や論文で
それを記述できないからである。
空気が流れるよう、あったかな暖炉の感じと意味を表現したら
人は各々が連想した具体的な意味のみで考えてしまう。
それは論理という思考形式の構築でのみ思考をすることを訓練され
学習してきたからである。論理実証主義を捨てないかぎり
論理実証主義の中で考えるしかないのである。
まったく分からないものを与えられて、アドバイスが「空気読め」では
なんの解決にもなりえない。そして君はまったく分からないものなら
分かる状態にすればいいと詭弁を言い出す。
分かる人に教えてもらえとか、成しえない類の具体的な説明で置き換える。
初期値の累積によるカオス現象の先にある未知を偉い人の意見や参考書で
計るというのは知的障害でもあるのだろうか?
計れないと定義しても計れると再(俺)定義してしまうその腐った根性は
計れないものを計れると詭弁することのループから抜け出せない。
122 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 16:05:57.17 0
>>121 >それは論理という思考形式(論理実証主義)の構築でのみ思考することを
訓練され学習してきたからである。
論理実証主義の思考形式を、幼い頃からの訓練と学習によって身に付いている
のであるから、別の思考形式も十分に同じ学習をし、訓練をすれことにより取得が出来る。
ヨ−ロッパでは、デカルト以降、直観思考と形式論理思考は一般化した思考形式となっている。
形式論理は、論理実証主義の基底となっている思考法であるが、前提(命題)を設定するという点に
おいて、その命題が高度化するに従って難解となる。特に現代は、テクノロジ−全盛の時代であり、
論理実証主義の比重が増大してる。その為に直観思考の比重が下がっているのが現代の状況である。
123 :
考える名無しさん:2014/03/14(金) 21:53:29.21 0
これほどの変革の時代に、真に必要とされる「新しい哲学」を誰も明確に提示できないでいる。
いまほど本物の哲学者が渇望される時代はないというのに!!
>>122 >のであるから、別の思考形式も十分に同じ学習をし、訓練をすれことにより取得が出来る。
残念できません。
たとえば生きると学んだものに死ぬことはできないのです。
貴方が勘違いしているのは全てが学べると思い込んでいるところです、
世の中には学べないものがあるのです、知識や論理では説明できないことがある。
例えば意味の裏返りなど、それは意味を示すのではなく意味を偶然の原理で
浮かび上がらせるような情況の相性であります。
論理思考という原理に支配されている貴方に論理思考を使わずに思考するなど
不可能であります。それを直感思考などと思い込んでいるのが大きな誤りであり
身勝手なレッテルにすぎません。自分が知らないこと否定するときに知っているもの
だけで否定するのは知らないことを認めない姿勢にすぎません、愚かですよ。
自らが知る限界があることを悟りましょう。
>>122 優れた積み重ねによる能力があれば、その能力は特徴をもちます、その特徴に
反する能力を見ぬつければ最初に得た能力は打ち消されます。
学ぶことで得るものは忘れることで失われる、貴方はこれを否定できるはずがありません。
世の中に何か意味(力)があればそれに対するそれを浮き上がらせる何か(反力)が必ず生じるってことです。
誰でもできるような事を言うのは簡単であります、貴方が言うことなど誰にでも
できる領域の言葉の羅列にすぎないのです。
無難であり平常でありどこにでもある表現と知識と考え方にすぎません、時代に
流されているだけで時代に立ち向かう姿勢すらない愚かな考えであります。
変化の流れが停滞したことにすら気が付かず、常識的な思考しかできず、
過去の知識ばかり評価し未来へ繋げない、永遠に過去(既知)に呪縛されるがよい。
なるほど122はそういうアホだったってこと?
127 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 19:33:09.35 0
128 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 19:36:51.80 0
直観思考ってどういうのですか?具体例で説明してもらうとありがたいのですが。
129 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 20:23:38.98 0
>>124 デカルトの「方法序説」第二部に、純粋に合理的な解決の方法(思考法)として“四つの規則”を
記述している。
第一は「明証性の規則」〜「わたしは明証的に“真”であると認めるのでなければ、どんなことも
“真”として受け入れないこと、疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に精神に現れるもの
以外は、何もわたしの判断の中に含めないこと。」と記述している。
第二、「分析の規則」〜「わたしが検討する難問の一つ一つを、出来るだけ多くの、しかも問題をよりよく解く
ために必要なだけの小部分に分割すること。」
第三、「綜合の規則」
第四、「枚挙の規則(=演繹法)」
上記第一〜第四が、思考法としての“四つの規則”ですが、「第一の明証性の規則」が直観思考と解釈している。
何故かと言うと、第一規則での“明証性”は、「方法的懐疑」を使用しており、“偽”を斥けて明証的に“真”で
あるもののみを受け入れるからである。
>>124で、「直観思考などと思いこんでいるのが大きな誤り」と述べていますが、 この直観思考に関しては、すでに
400年前に、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、フィヒテ、そして、近代ではフォイエルバッハ、ハイデガ−、
サルトル等々、みな直観思考(明証的認識)を行っている。
この“四つの規則”で気がついたことは、第一が明証的な直観思考として、そして、第四の「枚挙の規則」では、
演繹法(=形式論理思考)による見直しを行い、そして、演繹法による継起性を直観思考への同時性へと高めている
ことです。
130 :
考える名無しさん:2014/03/15(土) 20:52:30.04 0
>>128 直観思考とは、デカルトを例として説明すると、「方法的懐疑」という思考法で、
“真”を究極の目標として、すべての事象を対象にして、“偽”となるものを斥け行き、
最終の目標である“真”という「不可疑性」の領野に至ることです。
この一連の思考過程を“直観思考”と言う。 更に、具体的に述べると、この「方法的懐疑」は
“前提”を設定しない思考過程を行う。 それに対して、形式論理(演繹法)は、“前提”を必ず
設定することです。
>>127 >直感思考ではなく、直観思考です。
いえ貴方が勘違いしています、単に変換の間違いです。
何をいってもゆがめて捉え、少しでも表現にミスがあると1000回ぐらい
その部分だけを反論するような貴方には付ける薬はありえません。
>>129 >デカルトの「方法序説」第二部に、純粋に合理的な解決の方法(思考法)として“四つの規則”を
また頭の悪そうな説明をしておりますね?
それが貴方の限界で呪縛された思考の限界であります。
「純粋に合理的な解決の方法」←これそのものが間違いなのです。
まったく捉えていないのに何で捉えたように答えるか疑問であります。
どういう脳の構造をしているのでしょうか?
愚者に対して触るのは愚者ですからこの辺でやめておきます。
根本的に俺解釈の歪んだ捉え方は治す方法がないので諦めてください。
133 :
考える名無しさん:2014/03/16(日) 22:01:28.19 0
>>131 哲学の辞書を引くと、「直感」とは感覚・感情を基底として認識することと記述されている。それに対して、
「直観」とは“理性”を基底として直接的に認識することであり、「直観」と「直感」は明確に分けられている。
西洋哲学では、デカルト以後に於いて「直観」と「演繹」を“対”のものとして捉えられる様になり、フィヒテの
「知的直観」、そしてシェリングに於いて「知的直観」は更に展開され「絶対的同一性」を捉える働きとして、
包括性・集約性の面をも示すことになる。
この様に「直観(直覚)」は重要な概念であり、「演繹(=形式論理学)」と「直観」との相関関係として捉えられている。
134 :
考える名無しさん:2014/03/16(日) 22:28:55.79 0
>>132 純粋に合理的な解決方法とは、デカルトが述べていることです。
つまり、上記の「純粋」とは“方法的懐疑”という思考で、“偽”を否定して、
“真”を求めることであり、「合理的」とは第四規則での“演繹法”の活用を意味している。
>>134 詭弁もほどほどにしろよ
>純粋に合理的な解決方法とは、デカルトが述べていることです。
デカルトが述べていることを引用してお前の言葉で述べているだろ。
どうしてそういう嘘を平気に並べるの?バカなの?
>“真”を求めることであり、「合理的」とは第四規則での“演繹法”の活用を意味している。
それがなに?それで何ができたの?
結果みれば明白だ、それが限界でそれが呪縛だ。
136 :
考える名無しさん:2014/03/17(月) 10:09:10.52 0
方法序説(第二部)に記述されている「四つの規則」を読んで、その内容を
自分なりに理解し、そこに書かれていることが、演繹法なのか、直観法なのかを
分析、究明し、「四つの規則」がデカルト以後のヨ−ロッパ社会にどのように影響
を与えたかを自分自身が納得することでしょう。
たんなる俺解釈と思い込みによる確信。
138 :
考える名無しさん:2014/03/18(火) 12:00:09.91 0
日々生み出される問題に対し、どのように向き合っていけば良いか?
すべてを一挙に解決するような方法が果たして存在するのか、
それとも一つ一つをじっくりと吟味して解決していくのが正しい道なのか…?
「知識」は、果たしてどこまで役に立つのか、
それとも、それはすでに、過ぎ去った時代の遺物でしかないのか…?
いちじるしい「変化」の時代…。過去において、人類が経験したことのない時代。
何を頼るべきなのか…、それとも、何も頼るべきではないのか…?
とりあえず、人には何か「頼るべきもの」が必要なのは、間違いない。
すでに「神」は死に、今や我々の信仰対象は、「金」になった。
技術は人を救うために進化したはずだが、皮肉なことに、
技術が進めば進むほど環境は荒れ果て、住みづらい世の中になっている。
おそらく、本当の「革命」は、我々の心の中にある…。
しかし、それをやろうする人は誰もいない。
問題解決能力が無い典型的な口先三寸ですね。
140 :
138:2014/03/18(火) 13:18:03.01 0
つまり、僕が言いたいのは、
「心」を中心に考えるべき時代が来ているのではないか、ということです。
141 :
考える名無しさん:2014/03/18(火) 17:02:32.07 0
∂は主に偏頭痛を
dは主に全微分を
表すと思うのですが
142 :
考える名無しさん:2014/03/18(火) 18:05:28.88 0
>>138 人類の文明は歴史の中で、優れた人物と多くの人々との協調によって、
築き上げられてきた。 その中心にあるのが“優れた人間”による科学技術の
発明、そして、その時代に適合した思想、主義、理論によって文明が構築されてきた。
従って、優れた思想・主義、科学理論は、すべて“我々の心の中で創り出されたもの”であり、
今日、日々生み出される問題(核の問題、経済発展による環境破壊の問題、世界的な人口増加の
問題、共生・共存の問題等々)を“解決”の方向へ進めるのは、人間の考え方(最適な思考形式)に
あるのではないでしょうか。
143 :
138:2014/03/19(水) 11:27:51.83 0
>>142 たしかに、「心」は、さまざまな科学的発明や、芸術作品、または思想、
哲学といった、人類にとって有用な、または必要なものをたくさん生み出してきました。
しかし、「心」はまた、経済的搾取や、人種差別、種々の人権侵害、または
情報の偽装、隠蔽といった、人類にとっては不要な、または不適切なものもまた、
たくさん生み出してきたのではないでしょうか?
もし、こういった不要なもの、または不適切なものをたくさん生み出す「心」の
「仕組み」が解明されたのなら、それは新技術の発明よりもなお、人類の
利益につながるかもしれません。
しかし、我々の「心」は、たとえば「物質」のように、単純で、機械的なもの
ではないのではないでしょうか?
「これはこうである」という、数学的な方程式のようなもの(つまり知識)は、
「心」の世界においては、ほとんど汎用性を持たないのです。
このように、「心」というのは、公式化できないがゆえに、「心」が生み出してきた
様々な弊害というのは、簡単には世界から一掃することができないのです。
ですから、こういった「心」の問題を解決していくためには、各人がそれぞれ
独自のやり方で、それを追求していく必要があるのではないでしょうか?
…僕が「心」を中心に考える、と書いたのは、おおよそこのような意味でした。
あなたの言われる「今の時代に最適な思考形式」と意見が一致しているかどうかは、
よく分かりません。
144 :
考える名無しさん:2014/03/19(水) 12:43:53.36 0
>>143 「心」というのは、「形而上学的領野」に入るので、公式化(=論理実証化)は
出来ません。 つまり、「心」は数式化(=形式論理)は出来ない。
では、「心」の問題をどの様に解決して行けば良いのか…。実は、この「心」が
数式化(=形式論理の使用)が出来ないと言うのは、哲学上の大きな課題となっている
ことであり、その解決の方法論として戦後、創出されたのが「心」を対象とした一連の
“現象学”の試みであったと解釈しています。
この「現象学」は、論理実証主義(=形式論理)とは対極にある思考形式であり、「心」の
問題を解く、一つの「手懸かり」となるものと解釈している。
145 :
138:2014/03/19(水) 13:24:01.27 0
>>144 …現象学と言われても、今いちピンと来ないです。
「禅」のようなものですか?
146 :
考える名無しさん:2014/03/19(水) 13:38:48.76 0
誰か説明してやれよ
>>145 お願いしますつけたら?一人で浮いているぞ。
まず単語の意味を辞書でしらべるのが第一歩、次にそれの詳しい解説を
しらべる、次にその単語が生まれ変化した経緯と生い立ちと背景を理解する。
君は言葉を雰囲気でしか使っているから「心」みたいな抽象的観念を扱う
類になると全くもってピンとこないみたいなふざけた表現しかできない。
心をしるなら最低でも学べない物は放置して学べるものがあるから
体系的な知識として周辺の学問をまず知ることだろう。
148 :
考える名無しさん:2014/03/19(水) 21:28:13.41 0
>>145 現象学の流れを知るために、まず「フッサ−ル起源への哲学」(斉藤慶典)を進めます。
この本の内容は入門書としてもある程度まで現象学を理解することができます。
149 :
考える名無しさん:2014/03/20(木) 11:47:44.49 0
>>145 現象学は、デカルトの「方法的懐疑」を起点として考察されていくが、その後ヘ−ゲルの
「精神現象学」、そして、E、マッハの「感性的要素一元論」を経て、フッサ−ルの「現象学」が創始される。
フッサ−ルが創始した「現象学」とは、「哲学や科学の曖昧さを取り除き、確実な基礎をすえる為に、一切の先入見を
排して(=取り除いて)、意識に直接に明証的に現れている現象を“直観”し、その本質を記述する方法」です。
「禅」の無我に至る思索過程は、エポケ−(一切の先入見を排する)の思索過程と相似している部分が非常に多いが
この論点は、専門的になるので今は触れないことにします。
150 :
138:2014/03/20(木) 12:46:43.05 0
>>149 ありがとうございます。よく分かりました。
場をわきまえない発言をして、申し訳ない。
151 :
138:2014/03/21(金) 23:42:40.31 0
>>149 僕の理解が正しければ、「現象学」というのは、「現象」をより精確に
捉え、記述するため、自らの頭脳をクリアーな状態(明晰な状態)にする
ことを目的とした学問だと思うのですが、
そうすると、常に頭脳をクリアーな(もう少し良い用語があればいいのですが…)
状態に保つための、何らかの方法、または思考形式が存在することを想定している、
ということでよろしいでしょうか?
(要するに、「訓練」によって、誰でもその状態が得られるのだ、と)
152 :
考える名無しさん:2014/03/22(土) 12:29:04.33 0
>>151 私見としては、「現象学」は、「前提」を必要としない思考であり、「Aは非Aである」という
思考形式のことです。それに対して「形式論理学」は、必ず“前提”を必要とする思考プロセスをとる。
「現象学」は、“一切の既成概念を取り除いて”、自らの頭脳を明晰な状態にすることです。
では、具体的に頭脳をクリア−な状態にする方法とは何かということですが、私見として“三通りの方法”が
あると思う。
フッサ−ルは現象学的な思考をする時に、文字を書きながら(その文字と対話するように)、既成概念を“偽”なるもの
として排して行く、その排する(エポケ−する)過程を繰り返すことにより、頭脳をクリア−な状態へと進めて行く。
フッサ−ルの場合は、「文字」を書き、「文字」との対話がキ−・ポイントになっている。
二ッめは、川喜田二郎の「KJ法的思考法」です。 この思考法は「まず、己を空しゅうして、カ−ドに語らしめる」という
方法を進めて行く。 さらに具体的に述べると、「己を空しゅうする」とは、現象学に於ける「自己を含めた一切の既成概念を
取り除くこと」であり、「カ−ドに語らす」とは、頭脳の明晰な状態で私見を挟まない論理を構築することです。
現在、KJ法的思考は、ブレインスト−ミング等幅広く活用されている。
三つめは、「禅」の無我に至る思索過程が、現象学での「自己を含めた一切の既成概念を取り除いていく」思考過程であり、
「禅」に於ける無我の境地は、頭脳の「明晰な状態」と判断することが出来る。
153 :
138:2014/03/25(火) 12:42:24.05 0
>>152 …「明晰さ」は、「正しい関係」を知ることから、生まれるのではないでしょうか?
私達が、家族や周りに住む人たちとの関係を理解するとき、または、
社会で働く人や、低賃金でコキ使われる、不定期労働者たちとの関係を知るとき、
海や川や雲や、周りの自然、あるいは、美しい動植物との関係を知るとき、
夜ごと悩まされるような、自分の過去との関係、あるいは、高貴さを生むような
気高い哲学との関係、を理解するときに…。
たしかに、技術革新によって、日々大量の「情報」がもたらされるようになりましたが、
思うに、「情報」というのは、我々の生活基盤の、ごくごく一部でしかないのです。
本当に重要なのは、我々の生活基盤である、周囲の人々や、自然を理解し、
彼らとの「正しい関係」を築き上げることであり、そして、その「正しい関係」を
築き上げることによって、生活の中にある種の「秩序」が生まれ、そして、
「明晰さ」というのは、おそらく、その「秩序」の中から生まれてくるのです。
ですから、何らかの「思考形式」の反復によって、「明晰さ」がもたらされるのではなく、
周囲との正しい関係を築きあげることによって、「明晰さ」がもたらされ、そして、
その「明晰さ」が、簡単には解決できないような難問に直面したとき、
そこに、ある種の「思考形式」が出現するのではないでしょうか?
>>153 「正しい」お前の都合で正しいを決めているだけ。
155 :
138:2014/03/25(火) 16:18:19.90 0
>>154 この世には「正しい」と断定できることなど一つもない、という主張ですか?
それとも、僕の意見が根本的に間違っている、ということでしょうか?
>>155 よく引用される例として、
イスラムテロの正義と、アメリカの力の正義が比較されどちらが正しい正義か?
という話しがある。
つまり正義とは主観的なものであり、君が考えている客観的正義などないのです。
数が多いから正義というのならば、周囲のそれ全部が正義といえばイスラム圏の
そのテロ社会ではすべての人が自分らを正義だと言うわけです。
正しいとはそのような誰かにとって、または何かの集団にとって正しいと断言できても
それ以外の何かの人や集団にとっては正しくない多様性が世界にあるということです。
つまり貴方の言う「この世には「正しい」と断定できる」という思い込みは
俺正義にすぎません、ドラえもんに登場するジャイアン的の正しさです。
ジャイアン常に自分の意見が正しいと断定できるわけで、そのように働いていれば
間違いなく正しいわけです。貴方の思考は感情に頼るもので子供すぎます。
何もかも明確に具体化させるのは1つの方法ですが、答えが捕らえられないそれを
具体化させれば単なるデタラメモデルの解にしかなりえません。
具体化させて考える単純化の思考など高校生でもできます。いつまで中学生の
考えを引きずるのでしょうか?
社会は時代や試行を繰り返し既に答えは用意されています、それでも答えがでないものを
単純化し形骸化すれば答えは歪みます。必定であります。
社会が繰り返した答えは学べばいいわけで考える必要などないのです。
それでも答えがでないからこそ哲学が必要になる、哲学は既存の知を繰り返す
習得学習の類ではなく既存の知をベースに既存の知を破壊し新たな知へ進む
為の道具であります。学習して得たような術に流されるだけの人にはこれを理解できず
すべてを学ぶことのように誤解してしまうのです。
正しいとは何かにとって何かが存在する情況が誰かの徳になること、
情況が移り変わり、何かの存在も一定じゃないからこそ哲学が必要なのです。
情報化時代になれば最適とは常に流転してゆくもの、貴方はそれが不変であり流転しない
情報化社会でとどまるという信仰でもあるのでしょうか?
157 :
考える名無しさん:2014/03/28(金) 16:36:48.15 0
>>153 >「明晰さ」は「正しい関係」を知ることから、生まれるのではないでしょうか?
>主観的な「正しさ」そして、「客観的正しさ」から明晰さは「生まれる」と述べているけれども、
まず、この「正しさ」という観念は、何を基準として生じるのかを究明する必要があると思います。
「正しさ」の判断基準は、 或る基本的な命題(=前提)に対して主観的に「真」として
「判断」したものであり、「客観的な正しさの判断」とは、個々人の集団化したものであり、
「客観的な正しさ」の判断は、主観を「基底」としている。
従って、イスラム的正義とアメリカ的正義に見られる様に、「正しさ」の判断基準となる「基本的な命題」が
異なれば「正しさ」の判断基準も変わり、一方から見れば他方が「悪」と判断される。
哲学の場合も、「物質」を基本命題とすれば、唯物論が正しいのであり、他方の唯心論は「正しくない」という
判断が下される。 この様に「正しい」の判断は、「二重性」を持っている。
方法序説(第二部)の「四つの規則」の第一で「疑いをさしはさむ余地のまったくないほど明晰かつ判明に現れる
もの以外は、何ものも私の判断の中に含めない」と述べている。
ここで使用されている「明晰」の意味は、「概念の内容が直観的(=直観思考)に明らかである」という意味であり、
「正しさ」の判断の「二重性」に対して、物事の「真」を求める直観思考(方法的懐疑は、その一つの方法である)が、
最も重要なことであり、「正しさ」の根底にある、疑いをはさむ余地のない「不可疑性の領野」としての「明証的判断」が
求められている。
158 :
考える名無しさん:2014/03/28(金) 23:30:20.96 0
正しいとは正しいにきまっているじゃん、おまえら頭悪すぎるよ
159 :
138:2014/03/29(土) 06:43:45.64 0
>>156,157
まず、論点を整理しておきたいのですが、僕の意見は、「明晰さ」のためには
「正しい関係」が必要ではないか、ということであり、何が正しい考え方であるか、
ということではありませんでした。もし僕が、何が正しい考え方であるか、ということに
ついての持論を誰かに押しつけるなら、明らかに、そこに「正しい関係」は生まれないでしょう。
ですから、僕は「何が正しい考え方であるか」という問題には、全く興味がないのです。
おっしゃるように、それは単なる主観であり、自己満足にすぎないと思います。
しかし、「正しい関係」と「正しい考え方」とは、言葉は似ていますが、全く意味が
違うのではないでしょうか?
「正しい関係」を知るためには、何よりも「対象」である、「相手」のことをよく知らなければ
なりません。「相手」がどのようなことを考え、どのようなことを言い、そして、
どのような生活をしているか…。こういった様々なことを理解しなければ、とうてい
「正しい関係」は生まれないのではないか、と僕は思うのです。
それに対して、「正しい考え方」というのは、むしろ「周囲」は邪魔になるだけ
なのではないでしょうか?人は皆、違った環境で生きており、考え方も人それぞれ
ですから、むしろ人と交わることは、自分だけの「正しい考え方」をおびやかされる
ことになりかねません。むしろ他人と距離を置き、極力、関係を持たないような
生活をしていた方が、ラクなのです。
ですから、「正しい考え方」に執着する人ほど、「正しい関係」を作ることは
難しいのではないでしょうか。
160 :
138:2014/03/29(土) 07:53:46.99 0
ですから、「正しい関係」という言葉は、ある意味では、
「自分の中にある「正しい」という観念を全て捨て去る」
ということを意味しているのだと思います。
161 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 08:33:07.00 0
>>160 「周囲との正しい関係を築きあげる」とは、具体的にどの様なことでしょうか?
正義は個別的ではあり得ない。常に均衡が求められるのが正義。
個別的な正義を主張する人間は、いつでも「それはこれとは別の問題だ」と言う。
だが、立場を入れ替えると適用されなくなってしまう「正義」など
正義の名を借りた自己都合の主張に過ぎない。
自らにの行為に適用されることを絶対に認めず、他者の行為にだけ
適用される「基準」は、基準ではない。
戦争、革命、クーデターの勝者がどちらの側であれ、裁かれるのは常に
負けた側の「犯罪」である。いまだかつて勝った側の犯罪が裁かれた
ことはない。果たして勝者による正義は存在するのか。
164 :
ぱられる関係:2014/03/29(土) 09:29:24.91 0
ばらんす感覚だと思いますよ 鏡に写った自分と
写真に写った自分が違うのは 相対的には正しい関係ですけど
カメラ使って リアルタイムで心理学とは別に
モニター上に光学物理で自己投影してみると
慣れるまでどっちが右で左なのか自己認識上 混乱しますし
165 :
ぱられる関係:2014/03/29(土) 09:45:26.42 0
モニターを上下逆さまにすると 右と左は
イメージどーり ですが ・・・・・
慣れるまで やっぱり上と下が混乱しますし
首 振ってみると よくわかりますよ(笑)
166 :
138:2014/03/29(土) 09:47:36.17 0
>>161 簡単に言えば、お互いに「壁」のない関係を作り上げる、ということだと思いますが、
これに関しても、おそらく複雑な要素が色々と絡んでくると思われますので、
少し後回しにさせてください。
>>166 貴方にとって壁ではなくても、他者にとって壁になる。
君がわからないのは常に自己中心でしか物事を観察できない点だろう。
168 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 16:15:13.28 0
>>159 まず、「対象」である「相手」のことを良く知り、十分に理解した後に問題となるのは、
相手がどう自分に働きかけてくるかという「関係」でしょう。
相手を良く知り、十分に周囲(=社会)を理解しても、それだけで自分との良い関係は
築けない。 相手と自分が、良い方向へ働きかけて行くこと(=志向性)が、最も必要なこと
ではないでしょうか。
169 :
138:2014/03/29(土) 21:08:24.75 0
>>168 「正しい関係」=「良い関係」とは、限らないのではないでしょうか?
時には突き放し、無関心を装うこともまた、「正しい関係」となりうるかもしれません。
問題は、「誰」が「正しい関係」かどうかを判断しているのか、ということではないでしょうか。
単純に自分の損得で判断しているのであれば、明らかに「正しい関係」とは言えないでしょう。
ですから、これは、どのように「自分」と向き合うか、という問題を含んでいると思います。
もし、様々な感情を適切に扱うことができ、繊細にそれを感じ取ることができたならば、
「正しい関係」が何であるかを見いだすことは、おそらくそれほど難しくはないはずです。
なぜなら、「正しい関係」というのは、結局、「正しい感情」を、意味しているからです。
しかし、もし、様々な感情を「心」の奥深くに押し込め、あたかもそれが存在しないかのように
ふるまうのであれば、「正しい関係」が何であるかを知ることは、かなり難しくなるのではないでしょうか。
>>163 そうそう、そうだよね!よくよく考えたら凄く原始的だよね。
これが問題にならないのはやはり当事国同士の法的問題に他の世界が介入できないから?
171 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 22:19:59.18 0
例えばさ、ミンデルの本にあったけど
ミンデルのなんかのワークでの話。
そこである黒人の女性が「何か問題があったら殺せばいいのよ」と発言した。
すると白人が「あなた、殺すなんて悪いことなのよ!」と言った。
すると黒人の女性がその白人に憐れむように言った。「教えてあげる。殺せば安心できるのよ」と。
この時ミンデルもその白人と同じように殺人は絶対いけないものだと自分も思ってたけど、そういう考え方もあるのだと感銘を受けたという。
他にも、ゲイ差別は悪だと常識的に考えてきたけど、自分が「ゲイなんてありえない!」と信じてきた人達が自分たちの信じてきた世界が壊されて傷ついていることに配慮していなかったことにも猛省する場面があってね。
俺もそうだったからすげー感動したわ。
何かスレチかな
172 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 22:54:26.39 0
>>169 「正しい関係」というのは、結局のところ“自分と、どう向き合っていく行くのか”と言う
ことであり、自分の内面にある「心」、「思考」、「感情」を明証的に“不可疑な次元”へと
掘り下げていくことにあるのでしょう。
173 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 23:01:52.24 0
>>171 たぶん同様にその黒人女性も問題を「殺人」で解決することのデメリットと
ほかの解決法を考える方がいいということにも気がつくことだろうな
それが今現在アーノルド・ミンデルがしている仕事の目的なんじゃないかなと思う
>>171 ゲイの話、興味深いです。自分もそう思います。でも共存すべきだとも思います。
ちょっと幼稚な表現かもしれませんが、ゲイの人々は決してノーマルな人達にゲイに
なることを強要はしないでしょう。つまりお互いに迷惑をかけていないというか、
干渉していないという事になります。それにもかかわらず、「どこかにアイツらが存在してるだけで
我々は傷ついているんだよ!配慮しろよ。」と言われても…と思います。
175 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 23:09:55.83 0
確かに、多分アメリカだと何か言うと差別だ!って騒がれる風潮も関係してるのかな・・・
もうちょい色々調べてみます。
176 :
考える名無しさん:2014/03/29(土) 23:13:59.31 0
>多分アメリカだと何か言うと差別だ!
は語弊のある言い方でした。すみません。
174ですが、不安もあるんです。今まで虐げられてきた同性愛が市民権を得ようとしているのは
良い事と思います。しかし歴史の必然というかは分かりませんが、マジョリティとマイノリティの
逆転が少々厄介な方向に向かう可能性は無いかなと…。つまり今までノーマルとされてきた
異性同士の恋愛や結婚を「良くないもの」とする風潮が生まれる事です。
「人口の過剰な増加」という世界的な問題が「異性婚反対」と唱える恰好の材料となる可能性もあるでしょ?
そういう意味でまた同性愛者と異性愛者の対立が近い未来に発生するのではないかと。
杞憂で終わればいいのですが…。
178 :
考える名無しさん:2014/03/30(日) 17:14:10.71 0
ミンデル△
179 :
考える名無しさん:2014/04/01(火) 12:18:51.26 0
>>160 >自分の中にある「正しさ」という観念を全て捨て去る。
>「正しさ(=正義)」という価値観は、その本質に於いて「二重性」を持っている。
自分の中にある「正しい」という観念は、意識的そして無意識的に作り上げた既成概念であり、
「正しい」という既成概念を取り除くことにより、外界と自己との「壁」のない関係を作り上げることが出来る。
では、「正しい」という既成概念を取り除くには、どの様な方法があるのかと言うことですが、その方法が、
多様性を持ち、且つ状況を的確に分析し、理論を再構築する“思考形式”が必要となる。
的確な思考形式の一方法として
>>129で記述されている、「直観思考→形式論理思考」への思考プロセスの論究を
することの意義は非常に大きいと思う。
180 :
138:2014/04/01(火) 14:23:49.80 0
>>179 すいません、議論の方向性が自分でもよく分からなくなってきたので、
2、3日、間を置かせてください。
181 :
138:2014/04/04(金) 11:27:26.66 0
>>179 おそらく、結局179さんと僕との間で、「何が明晰さを生むのか」という問題について、ほとんど意見の相違は
無いのだと思います。多少の考え方の違いはあるかもしれませんが、僕にとってはそれほど大きな問題ではありません。
結局、「明晰さ」を奪うものを取り除いていく、ということが、「明晰さ」につながる、ということのようです。
「正しい関係」を損ねるものを取り除いていくことが、「正しい関係」につながるのだ、と。
では、現代において、「何」が我々から「明晰さ」を奪い去っているのでしょうか?
僕が思うに、考えるための「自由」が存在しないことが、その一因となっているのではないか、と思います。
若者たちがよく陥るような、社会に反抗する、人に迷惑をかける、といった「自由」ではなく、
「社会常識」をある程度わきまえつつ、にもかかわらず、その「社会常識」から独立し、
自立して真っ直ぐに考えることができる、という、「自由」です。
「何者にも影響を受けない自由」と言っても良いかもしれません。
182 :
138:2014/04/04(金) 11:28:58.66 0
>>181の続き
そのような「自由」は、一体どのようにして生まれてくるのでしょう?
明らかに、我々が「何か」におびえているときには、そのような「自由」は生まれてはこないでしょう。
たとえば、我々が周囲の人間関係におびえているとき、将来の不安におびえているとき、
社会にとうてい受け入れられないような、自分の心の恐ろしい一面を垣間見ているとき、などなど…。
そのような状態のときには、おそらく、我々は「自由」に考えることが難しくなるのではないでしょうか。
また、なぜ、我々は「変化」を恐れるのか、ということについても、考えなければならないと思います。
結局、我々は誰しも、この徹底的な「変化」を望んではいないのではないでしょうか?
我々は皆、常に「結果」の観点から物事を考えるのに慣れています。
先の読めないようなことを考えるには、おそらく、我々の脳はそれほど的確には働かないのです。
ですから、本当の「変化」とは何か、ということもまた、問題にしなければならないと思います。
単なる「思考形式」の変化は、我々を今までとは違った「結果」、または行動様式に導くだけのことであり、
おそらくその思考の根本においては、ほとんど変化していないのです。
…とりあえず、ここまでに考えてきたことを全部書き出してみましたが、自分でもあまり整理できていない状態です。
どこから話し合うのが良いと思われますか?
パレート改善
184 :
考える名無しさん:2014/04/04(金) 20:31:59.11 0
>>182 >たとえば、我々が周囲の人間関係におびえているとき、将来の不安におびえているとき、
社会にとうてい受け入れられないとき、 そのような状態のときは、我々は「自由」に考えることが
難しくなるのではないでしょうか。
>福島第一原発事故のように、放射能による将来の不安が、いやおうなく現実のものとして我々の生活に
直面している。 この「核」の問題は、我々だけでなく子孫にも及ぼす問題でもあり避けては通れません。
従来、我々は常に「結果」の観点から物事を考える習慣を持っている。この「核」の問題は、
「結果」から物事を考えていては、解決を得られない。 「結果」を得る前に最大限に的確な判断をする
「思考(=思考形式)」が必要となる。
「正しい関係」とは、その本質に於いて「二重性」を持つており、 「正しい」という価値観は、本質に於いて
物事の「真実」を捉える判断基準とはならないと思います。従って、 「正しい」という価値観と、「明晰さ」は
“次元”が異なると解釈している。
185 :
138:2014/04/04(金) 22:51:47.71 0
>>184 最適な思考というのは、その人が置かれている状況、立場、または、得られる
知識の量によっても、変わってくるのではないでしょうか。
僕の意見としては、最適な思考を選択するためには、やはり「明晰さ」が必要ではないか、
という考え方です。
「正しい関係」…良い関係、悪い関係という何らかの「判断」があるなら、二重性になると
思いますが、最終的にこれしかない、という選択の余地のないような関係であるなら、
そこに二重性は存在しないのではないでしょうか?
>>185 最適かどうかは評価する側の主観にすぎない。
君は戦術が凄ければ戦略より凄いと言っているだけである。まったくの盲目じゃないか。
187 :
逝ってしまえーpart2:2014/04/05(土) 02:00:28.80 0
フランス人の天才って ナメクジを ホタテ貝に乗せて
バター焼きにして 醤油たらして爪楊枝で食べてそう
それを察知した まっくすぷらんくけんきゅうじょ は
ジャガイモのホイル焼きの失敗をみとめ
早急に万能オブラート作りの研究にはいるんだろーな
腸の代わりにもなる 溶けないオブラート
ひろい心でうんこ情報しかない
189 :
考える名無しさん:2014/04/05(土) 14:10:06.01 0
>>185 最適な思考法と「明晰さ」とは、どのような関係にあるのかと言う事が
焦点になりますが、
>>152で「一切の既成概念(主観と客観)を取り除いて、
自らの頭脳を“明晰な状態”にすることです。」と記述しているように、「一切の
既成概念を取り除く」ことが、「明晰さ」であり、この状態に至る為の方法が最適な思考と
捉えています。
従って、「最適な思考」は、その人が置かれている状況、立場、または知識の量によって
変わってくるものではなく、誰しもが「最適な思考」を活用できるものでなければならない。
その具体的な思考法が、
>>152で示した「KJ法的思考」、「現象学」、「禅の思考」の方法です。
192 :
考える名無しさん:2014/04/07(月) 23:49:10.21 0
スレチかどうかも解らないけど、質問。素朴な疑問。
今私は 不満とかが ある訳でもなく、働いて、生活を送ってる。
周りの人(?)・ネットで感じる世論(?)...要は私以外の人は、努力?とか楽しさ?とかを気にして生きてる。
気にしてない人もいる。
人と関わってない時の私は穏やかで、とても幸せです。
大型書店・図書館で散策した時、
「何て 情報が多いんだ。現代はネットも高性能計算機もあるし、何かの分野に専攻するにもキリがない。
人の能力にも高が知れてる。何かをしたところで、何もないだろう」>>>と考える。
人で賑わってる所に訪れた時、そしてたまたま誰かと話した時
「何でこんなにも会話するのが疲れるのか。現代の表現技術にも限界がある。価値観が会う人もそういないだろうし、似たような会話で労力使うのも もったいない」>>>と感じる。
質問みたいなものを 下に箇条書きします
・見えない未来の為に頑張る人っているのでしょうか?
・愛が唱われてる世の中、今まで愛を知りたいと欲してましたが、最近は「自己愛しか存在しないのか」と考え始めました。
家族すら心地よい存在だったはずなのに、最近は一人が一枚の音を立てる絵のように見えます。
・私が歳を取って、今の仕事・・・変わってるかも解りませんが、今の仕事もできなくなってきたらしかるべき行動するのでしょうが。
果たして、そのときの私に生きる活力はあるのでしょうか?
独りで、美しいと感じるモノを存分に感じて、自由な精神で生きてる。空想が好き。独りが好き。
不安じゃないんだけれども、不可解。愛も幸せも未来も世界も不可解。
こうしたネット掲示板を具体的に答えてくれる辞書代わりにしてます。教えてください。
193 :
考える名無しさん:2014/04/08(火) 01:13:28.39 0
261 :日本昔名無し:2011/09/09(金) 22:11:01.02
ラース・スヴェンセン 著 『退屈の小さな哲学』
個人の意味――僕だけの意味、それだけで僕の人生に意味を与えられる意味――には到達できないこと
は明らかである。もちろん、僕たちはそれを期待して一生過ごすこともできるのだが、決して現れないだろう。
(中略)
退屈はハイデッガーが思い描くような隠れた大きな意味に行き着くものではない。
退屈は意味の欠如から湧き出るが、しかしそこに与えられる何かがあるという保証にはならない。
(中略)
深い退屈の発生源は、僕たちが小さな意味で甘んじなければならないときに、大きな意味を要求することにある。
たとえ大きな意味が存在しなくても意味はある。
(中略)
深い大きな意味の欠如といっても、存在のすべての意味が消えているということではない。
194 :
考える名無しさん:2014/04/08(火) 04:08:41.15 0
>>192 Deadlineが訪れたようだな。決め時だ。それを先送りするとprocrastinatorという最悪の人間になる。
195 :
考える名無しさん:2014/04/09(水) 13:20:31.54 0
他人をパクルこと
プロフェッショナルとアマチュアの境界問題だね、ポストモダンだ
さらに境界が曖昧になると、自己主張で乗り切る術の美醜が問題になってくるだろう
情報の基本は、他人の情報をどれだけ集め、活用するかだろう。
それをパクリというなら世の中の創造物は全てバクリなわけであります。
まあ著作権などはすべての創造物が著作なので悪い言い方をすればパクリでしかない
単語の造語レベルであっても著作した造語なのは著作権で保証されている。
198 :
考える名無しさん:2014/04/11(金) 15:28:38.72 0
しかし混乱される方もいると思うんですよ。
著作権とは分けるべきだろう
あれは法制度や権力などの背景あってこそ成立している禁止権だから
創造性とは少し論点が異なる
200 :
考える名無しさん:2014/04/13(日) 17:19:41.49 0
>>192 >独りで、美しいと感じるモノを存分に感じて、自由な精神で生きてる。空想が好き。独りが好き。
不安じゃないんだけれども、不可解。愛も幸せも未来も世界も不可解。
>現代社会のいろいろな情報の氾濫、価値観の多様化そして、科学技術の氾濫、これらのものの中に囲まれて
日々、組織化された会社の中で、一つの歯車として黙々と働いている。 その繰り返しが大半の人々の生活実態
でしょう。
この様な生活環境の中にいると、「何かの分野に専攻するのもキリがない。自分の能力にも高が知れている。
何かをしたところで、何もないだろう」と考える様になって行く。
つまり、人間の“極小化現象”が生じてくる。
では、何故、この様な虚無的な考えをするようになるのかと言うと、その原因は、情報の捉え方(思考形式)が
分からないところにあるのではないかと思う。
氾濫する情報の中から、自分にとって的確な情報を抽出する。 明確な情報を見つけ出すことにより、自分にとって
有用な情報の活用を具体的な行為へと進めることが出来る。
では、自分にとって的確な思考形式(=思考法)とは何かということですが、
>>152に記述されている具体的な
三つの思考形式が考えられる。勿論、この他にいろいろな思考法が、ウィキペディアに掲載されているので、まず、
自分に適した思考形式を試してみることだと思う。
不思議なもので、思考形式(=思考法)を実践し、フィ−ドバックして“新しい考察”を進めると、前の自分とは違う
自分に変化していることに気がつくことがある。
クリばかり攻める。
〜
>>192続き〜
回答ありがとうございます。みなさん。
私はやはり凡人なもんで、
>>200さんの仰る「思考法を探す」という作業を試みようとしたら、怖くて出来ませんでした。
空想が好きと言っただけ・・・まぁ解るかと思いますが、性格が現実逃避傾向なんですよ。
適当な思考法が見つかれば、善い?生き方ができるかもしれない。
でも...向き合うべき対象が増えて 更に虚しくなってしまうのでは。今の好きな感情が消えてしまうのでは、なんて。
語弊があるかもしれませんが(悪く言ってるわけではないですよ)哲学にしろ、どんな学問にしろ 理屈っぽいのはなんだか嫌いで。
推敲な姿勢で表現・相談したら、衒学的な態度だと(まさにこんな文だと)言われかねない。
「語弊」なんて言葉があるように人によって意味なんて違ってくるし、極端な例だと 光の解らない人 音の解らない人 識字の無い人とは繋がりきれない気がする。
話が逸れました。綺麗事を言うつもりもありません。
ただの暇つぶしです。「
>>1の文見て少し気が楽になった」とか、「私の疑問は他人を通したらどう返ってくるのか」とかそれだけです。
またの機会に相手してください。
203 :
考える名無しさん:2014/05/05(月) 23:22:43.24 0
くり
偶然を原理とした思考
205 :
考える名無しさん:2014/05/30(金) 08:26:22.41 0
職場の人だろうが知人だろうが 情報を漏らそうとしない性格なんですけど、自分でもなんでか分かりません。
思考云々ではなく 直感と経験で菜食や寡黙、避医(医療と関わらない)、避人(人となるべく関わらない)などしてます。
個人的には善いのですが、社会的には生きづらい...厭な思いをすることが多いと言った方が適当でしょうか、そんな板挟み状態です。
私は幸せなんですけど、家族とも馬が合わない故 悪い気がします。
私は貧乏でもその中でどうにかやっていく、質素 清貧に近い状態が (買わないと需要も増えない、資源も減らない。ムダな作業を減らせるといった考え)好ましいと考えるのですが、
家族はそんなでも無く、買って、食べ物もやたら食べて、家は物であふれて
正直 食べ物に関しては口は奢る、肥える。物は使わなければ捨てる手間も増えるなど
厭な気持ち通り越して、無関心してます。
少しでも気が楽になる言葉をください。
会社の秘密でも個人情報でも既存知識でも情報を仲間であっても漏らしたら
より情報を合理的に情報処理する人に再利用され情報の価値が減り、または無くなり
情報を持つものの有利性が失われるのです。
漏らすとは貴方に対して漏れているではないか?貴方以外に漏れなくても
貴方に漏れている。自覚したほうがいい。
情報を得るには情報を得る為の必然性を模すことです。情報などいくらでも
廻るものでありどんなに口が堅くても漏れない保証などありません。
それが機械で厳密なセキュリティの中であっても漏れるのが現実です。
という前提は放置して、
あなたは多分、「気さく」なタイプではないのでしょう。そう評価されていない。
故に知人の数が少ない。なんでも情報の接することができるのは「気さく」な
その気さくとは人格や気質に角がなく、特徴がないってこと。
良い面でも悪い面でも「どうでもよい」人だってこと、
そして角があり個性が非常にある人ならば、信頼関係を築ければ必要以上の
情報を得ることができるはずです。
他と貴方の関係で考えるのではなく、他の働きが活かせる状況が無いかぎり
不要な情報を知らせるのは不毛という社会的暗黙ルールはあるずです。
完全に最適化されたものは時間の流れに極端に弱くなる、
なぜなら時間に対しても最適化するとは、不完全を示すからである。
神が何故完全な生命を創らなかったか?
神は知っていた、不完全で最適化されないことこそが完全であることを。
208 :
おまえらみたいな若造には理解できない:2014/06/08(日) 18:40:34.21 0
神の知性は人間の知性ではない、故に人間が考えて論理立て
機能や仕組みによって結果を得るなど不可能である。
だが神の知性は人の知性によって誘導が可能である、束縛も可能である。
209 :
考える名無しさん:2014/06/14(土) 21:43:13.37 0
情報自体が右往左往していましゅ。というより説明が下手だったり色々でしゅ。
いちいち一つ一つ解読するこっちの気が滅入るです
>>209 何言っているかわからない、日本語で頼む。
213 :
考える名無しさん:2014/06/17(火) 22:51:44.06 0
>>200 現代は確かに人間の“極小化現象”が生じているのでしょう。
>>200 200さんが述べた現代の環境は全ての人間に共通の「極小化現象」をもたらすのですか?
人間にも個々色々な人がいるでしょう?
215 :
パンクの耳:2014/06/29(日) 19:14:09.31 0
葉を見るべきときに森を見る。主旨が読めないのは何故なのか?
217 :
洋楽:2014/06/29(日) 22:10:55.89 0
タイムマシンにタヌキ乗せると
葉っぱ一枚でいろんなことしますからね
ぬいてみ ・・・・
○○○マシンに化けたでしょお(笑)
218 :
洋楽:2014/06/29(日) 22:12:53.06 0
旧約聖書まで わーぷ
219 :
洋楽:2014/06/29(日) 22:32:34.99 0
ボーボーめだっちゃと 蟹になってしまうから
どっちが あたまかわからない 69
FIG 貼り付けたほうが 生殖器
それまでは KISSしただけで 妊娠してた世界史
220 :
考える名無しさん:2014/06/30(月) 18:34:55.36 0
>>214 >>200さんが述べている「人間の極小化現象」というのは、
現代のテクノロジ−(科学技術)による“驚異的”な発展が、
社会生活のあらゆる面で、主導的な状況になっており、私たち人間が
テクノロジ−(科学技術)に極度に依存した生活環境の中で、いつしか
人間の“存在価値が稀薄”になっていく状態のことを述べているのでしょう。
221 :
ee:2014/06/30(月) 18:36:58.65 0
f相模原メディカルサイト歯科日吉サンテラス歯科藤沢なのはな内科スマイル歯科アイ整形外科亀有 リリオ歯科アクロスみなみの歯科足立ハート歯科新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科伊勢原桜台歯科森林公園滑川モール歯科横浜いちょう歯科小田原めぐみ歯科ホワイトスタイル
222 :
考える名無しさん:2014/07/01(火) 01:50:28.66 0
それは自分次第ではないかな?
これだけ情報収集が楽チンになると、
かつて到底一人ではなしえなかったことが易々とできるようになる。
言えることは「パンクの耳」がキチなのである。
224 :
洋楽:2014/07/02(水) 04:42:24.94 0
これが 解読できないのであれば 人類やめな
225 :
洋楽:2014/07/02(水) 04:57:14.69 0
自殺は強要しません ただし
社会生活に置いて まっとうな 社会を形成する
媒体としての扱かわれかたを期待するのは 諦めな
226 :
洋楽:2014/07/02(水) 05:04:28.75 0
足りない受容体は 遺伝子組み替えても
素体が違うんなら 意味がない
ただし いくら奴隷とはゆえ 奴隷様あっての仮想世界なんだから
人類にとっての安定と安全を保障された
地質社会上における生活systemの構築は最重要課題です
いろいろ 考えてはいますよ
227 :
洋楽: