◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない191◆
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1335539972/
などと供述しており
形而上学を理解できないものが決定論を絶賛する。
<なにが「差異、関係、変化、運動」を生じせしめるのか>〜そんなものは分からんのです〜
一般的な唯物論は物質が根源ですから、「物質のさらにその由来」なんかは問わない。
「なにが物質を生じせしめるのか」なんてことを言い出すときりがないわけです。
ところで、「ある特定の対象となる物質」の、その「性質」とはなんのことでしょう。
実際、物質の性質なるものは、質点の間の差異とか関係とか変化とか運動によって規定されてしまう。
であるなら、「自然は差異(などなど)ありき」であって、実在するのは差異であり、
「いわゆる物質」とは、
その「実在する差異」を感官が情報として受け取って、主観的表象として構成した幻、
なんて物語りも可能でしょう。
じゃあ、「差異(などなど)こそが自然の根源だ」として再構成すればいいじゃんw
てことになるわけですが、それでは元の木阿弥。ネガとポジを裏返しただけ。いやそれ以下。
なんとなればですね、差異なんてものは結局、「特性の強度=量」なんですよ。
仮にそれ(=差異云々)が“時空間に従い連続的に保存される”ならば、これは実体に化ける。
実体なんてものは結局、「実体という意味」であり、エネルギーと同様にツールなんですよ。
エネルギーは、それがエネルギーとしての意味が成立する範囲内(皆さんの言うところのカテゴリー?)
にあるならばエネルギーなんです。(※それが「世界が論理的である」ってことですw)
実体が真理なわけではなく、自然にあっては、その「実体という意味」が成立できること、
そのことが重大問題なんです。
5 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/29(日) 23:09:24.74 0
簡単に言えばですね(ここだけで十分ですがw)、
質量なんてものは、形而上の世界に於いてですら「目は見えない」わけです。
形が無いわけです。(エネルギーもそうでしょう)
質量とは、観測される物体のある特性(の差異)から、思惟によって紡ぎ出された「実体」でしょう。
そして質量が質量として理解されたなら、質量ありきで世界を構成するのが便利だった、ってことでしょう。
それが便利であるのには構造的な理由があるのでしょうが、私にはそこまで考える頭が無いw
あるいは実体の意味にとっては、それが「保存されるなにものか」であるよりも
「粒子(またはその集合)」であることの方が思惟にとって優先されるのかもしれない。
あるいは両方なのか。。。
つづきは明日以降ニュートンの特集をちら読みしてから。
>前スレ992
あなたはオカルト君ではないのかな。。
貴方の言う「感じることで分かること」ってのは「錯覚」のことなのね。
そうすると、貴方の言っているのは「知ることは錯覚ではない」ということなのね?
あとですね、貴方の言う「定義できない存在」とは何だ?
とわたしは訊いているのですよ。
定義できないのだから「○○だ」とは言えないわね。(なので未来の事象だ、とも言えないでしょう)
しかし貴方はその存在に気付いたのでしょう。
どうやってそれに気付いたのだ、ってことを訊きたいのよ。
ラッダイト運動の話が出てましたけど、
先週までエアコンの製造ラインにいたんですが、
機械による完全自動化なんてのは現実的ではないように思いますね。
実際、組立ラインの機械化なんて、ここ数十年あまり進歩が無いと感じます。
ステレオタイプの大量生産が商売としては成立し難い時代なのかしら。
むしろ人の手をいかに有効に利用するか、にベクトルは向いているような。。。
>>9 いや私が訊いているのだよ
錯覚が幻であるときとはどんなとき?
錯覚が幻でないときとはどんなとき?
何を基準に貴方はそれを判断する?
11 :
考える名無しさん:2012/07/30(月) 09:52:13.88 0
物質ばかりに目がいってるけど、正確には「脳は物質であり(生化学反応という)エネルギーの塊だから
意識は物理法則と同じで既に決定されている」になるんじゃないの。
>10
>何を基準に貴方はそれを判断する?
対象物が実在するかしないかでしょ。
>>10 基準が無いものが後付で基準が整合したらどうなる?
13 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/30(月) 11:15:36.47 0
>>11 貴方の言う「幻」とは「実在しない」ということなのだね?
それならば、私が訊いているのは、
(錯覚された)対象物が実在するかしないかを貴方はどうやって判断するのか
ってことですよ。
それを言わない限り回答にはならないでしょう。
14 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/30(月) 11:18:04.03 0
>>12 「基準が無いものが後付けで基準が整合する」
んー・・・
それを満たすような例えばどんな状況が考えられますかね?
15 :
ゲーム:2012/07/30(月) 12:57:50.76 0
>>4 差異、関係、変化、運動の由来を問わずに、そこに数“理”を当てて「よし」と
するのなら、このスレで云々しても意味がない。“物理”スレで精緻さを競うのが
常道だろう。それはそれで意味がある。が、ここは形而上学、いや本音をいえば
“神”学スレ。差異、関係…の由来に思惟をめぐらすところに醍醐味がある。w
差異、関係、変移が何によって生じるのか。それらが“無”から生じるのでないのなら、
そこに“働き”があることは否定できまい。その働きを“力”と呼んでいる。
仮に、その差異や関係、変移が「感官が情報として受けとって主観的表徴として構成
した幻」だとしても、幻を表出するためには“力”を必要する。私は“力”を主/客を
貫徹するベタな概念として用いている。
“物質”という存在者が「存在する」ためには、それが“無”を起源としていない
かぎり、差異、変化、運動、関係の産物だろう。つまり“働き”なしに「物質」が
陽の目をみることはなかっただろう。それ以降も常に、物質は“力”の圏域にある。
初めに“力”ありき、とは思わぬが、少なくとも“物質”には先行している。
16 :
ゲーム:2012/07/30(月) 13:33:38.49 0
物質をはじめ存在者が存在するためには“力”を必要とする。
“力”は「事物が存在する条件」である。
では“力”を「非・存在(無)」へと媒介し、事物として存在せしめたのは何か。
しかし、その前に力=働きは規則に則っているかどうか。
「世界」は抄録氏のいう動的秩序として「ある」のか。
17 :
考える名無しさん:2012/07/30(月) 15:39:30.33 0
>>16
「力」は「事物が存在する条件」である。「力」を「非・存在(無)」へと媒介し、
事物として存在せしめたのは何か。と、述べている。この文面から察すると、「力」は
「非・存在(無)」の領域へ入り、無から有が生じると解釈出来るが、ここで述べている
「非・存在(無)」とは、客観的存在のことでしょうか。又、この場合の「無」の概念は、
どの様なものでしょうか。
18 :
考える名無しさん:2012/07/30(月) 16:05:46.46 0
>>15
「物質」の概念に対して、
>差異、関係、変移が何によって生じるのか
>それらが生じる働きを「力」と呼んでいる。
>私は「力」を主/客を貫徹するベタな概念として用いている。
私は、「力」を主/客を貫徹するベタな概念として用いている。と、
述べていますが、この「力」の概念に対して、ベルクソンは「観点にも記号にも
依存せず無媒介的に事物の内に入りうる持続的認識」と述べている。この「持続的認識」
としての「力」とゲ−ム氏の「力」とは同じ概念と思います。
すべてを物質としたら次はすべてを物質(物質同士)の関係として説明してみよう。
時間軸の中に居る者が物質の関係を知る方法はある原因から結果がどうなったかを調べれば
いいのです。
>>6 > 定義できないのだから「○○だ」とは言えないわね。(なので未来の事象だ、とも言えないでしょう)
では
>>4のエネルギーの定義をプリーズ〜
>>7 > むしろ人の手をいかに有効に利用するか、にベクトルは向いているような。。。
これは緩やかなラッダイト運動ですね。
22 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/30(月) 20:17:44.03 0
>では
>>4のエネルギーの定義をプリーズ〜
なんでそんなことをワシがせにゃならんのかね
>これは緩やかなラッダイト運動ですね。
ほー・・・・。
「定義できない存在」〜
自分の書いたレスでした〜
24 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/30(月) 20:27:07.98 0
図書館まで行って雑誌のニュートンをちら読みしてきました。
正直、大した内容じゃあなかったですが。
先日来、ヒッグス粒子だろう粒子がが見つかった、とか騒いでますが
どうにも当事者のはしゃぎっぷりに違和感があるというか、感動しないというか
役にもたたん科学者の自慰行為に、あそこまでのべらぼうなおもちゃを与える必要が
果たしてあったんだろうか。。。
しかし一方でハヤブサの帰還には感動したりしたわけですがw
25 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/30(月) 20:34:11.80 0
>>23 ん?前スレで「定義できない存在」とか行ってた名無しさんはカラスさん?
それともその「自分」てのは私のこと?
〜力は物質に先行するのか〜
結論から言えば、私は「しない」と見ます。
物理学の傾向としては、力を別のもの(≒幾何)に解消しようとしているように思えます(まあ、知らんのですが)。
質量も「ヒッグス粒子の海」の中に於ける物質の動きにくさに解消されつつあるでしょう。
すべては素粒子ありき。「時空間」の性質も素粒子の性質に解消されていくのではないですかね。
ここの重大なのは、素粒子は自発的に作動している、ってことです。
ちょっと前にゲームさんに絡んだ名無しさんが「死せる物質」云々と話をされてましたでしょ。
思うにこの「死せる物質」なる考え方には、ニュートンの慣性の法則も影響しているように思います。
止まった物体は外部から力が働かないかぎり動かない。死んだも同然というわけです。
しかし素粒子は外部からの作用(=力)が無くとも活動します。停止することは許されない。
作動する物質が集まって空間を形成し、その作動の総体として近似的にニュートンの運動法則に沿うのだとするなら
「力」とは、個々に作動する物質の集合である「物体の運動」を測るのに便利な概念、
ツールに格下げされる・・のではないかしら。
私の言うことも、カラス君よろしく「何でも物質論」になってきましたがw
27 :
ゲーム:2012/07/30(月) 21:15:28.86 0
>>17 「無」は、その本質を「〜である」と規定できないでしょう。
したがって、その否定「〜でない」を幾つ重ねても“無”には届かない。
「〜でない」ではなく「〜がない」によって辛うじて“無”を仄めかせるかもしれぬ。
まず「時・空」がない。しきりに私が振りかざしてきたw「力」も不在である。
時・空と力が存在しなければ「無」といえるのではないか。
しかし、これは絶対・無ではないらしいのである。伝聞情報をもとに印象を述べるなら、
「ゼロ」ではなく「負(マイナス)」が“あった”らしい。
ゼロに落ち込まずに“マイナス”から“ブラス”に転じるためには“力”の作用を要する。
このとき時・空を発祥し、それは“力”とともに「存在」を支えている。
この“力”が何に由来し、何によって媒介されたのか、見当もつかない。(苦笑)
28 :
考える名無しさん:2012/07/30(月) 21:43:01.31 0
決定されないのなら、どうやって決まったのか
それが確率論の問題点
29 :
ゲーム:2012/07/30(月) 21:53:18.70 0
>>26 では、素朴に絡みましょう。
抄録氏のいう“素粒子”は俗にいう「ビッグバン」以降の話。
それが存在するときは、もう力と時・空の織りなす“世界”の基本はできている。
ビッグバンを否定しないのなら、ビッグバンは何によって生じたのか。
まさか「素粒子がそれを惹き起こした」とはいうまい。w
仮にビッグバンを否定するとして、では抄録氏が根源に定立する“素粒子”は
どのように生成されたのか。無から?
何であれ、生じるためには“力”を要する。違う?
素粒子が自発的に活動? ご冗談を。素粒子はエネルギー態であるか、質量を
有している。それは“力”の別名であり、それらが動き続けるのは他と関係し
合うからである。それを可能にするのもまた“力”である。
他の力に一切、依存せずに存在できるとしたら、それは“神”である。
まさか素粒子が神だとはいわないでしょうね。w
>10
主観なものは、それを認知したときにそうなる。
つまり両方認知すれば両方同時にも成立しえる。
>>13 対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。
対象物があれば錯覚、無ければ幻なんだけどな^^;
対象物の有無によってそれらは区別されるんだけど、君は主体を錯覚or幻に求めているだけだよね?
>>29 ゲーム氏の、その飽くなき「力への信仰」はいかなる情熱に依っているのか。
何もないところに「力」だけがあるってのは、どんな感じなんですかね。
貴方の考えるその「力」とやらは、虚無の中で空疎にその力を潜在させているわけですか?
そんなものが「力」と言えますかね?「力」の大安売りに過ぎませんかね。
物質の発生の由来など私には分かりません。
しかし力が物質に先行する道理など、特に無いように思う。
なんでも、力(自然界の4つの力)は素粒子(光子とか中間子とか)の交換によって生じる
ってのが今の物理学界の大勢らしいですぜ。素粒子ありきでしょ。
>>30 んー
「それを認知したとき」の「それ」ってのは何です?
「そうなる」とは「どうなる」ってこと?
>>31 いや「錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?」
とかレスされて、私としては「この人は唐突に何を言っているのかな?」
と思ってるわけですよ。
「定義できない存在」とは何ですか?との私の問いに対して
「錯覚と幻(の差異)」がどう対応するのですかね?
あと、絡むならハンドルネーム付けて欲しい。ステハンでいいので。
結局
>>1が言ってるのって、消去主義を言い換えただけだろ?
確かに消去主義はExplanatory gapを持ち出せば反駁は難しいが、
>>1及びその後の議論は消去主義の議論の範疇を出ないと思うのだが是如何?
>>33 錯覚した対象。対象であるかも不明、
脳内で生み出した何か。
そうなるとは「幻である」という状態になること。
>>34 あなたはIDが無いからそう見えたのかもね。
ヒント、その発言は私ではない。
>>35 ああ、面白そう
消去主義(なんぞそれ)の範疇を出ないとして、どうすりゃいいと思います?
39 :
大真空界皇帝ハーデス ◆FZrNe5pDrY :2012/07/31(火) 01:04:29.45 0
>>38 物質世界と人間が知覚する世界のギャップは埋められていない。
理由は、脳の化学反応から主観を説明するメカニズムが未だ解明されてないから。
それはパンドラの箱であり、解明されたら人類が滅亡する危機さえある。
拠って現在の人間がなし得るのは、物質的な説明と主観的(語彙に拠る)な説明を異なった語彙ですることだけ。
要は、「語り方」「いかに賛同を得るか」ということに終局する。それが言葉であり、文学であり、哲学の全て。
>>36>>37 まとめると、
「錯覚した対象(であるかも不明な脳内現象)」を認知した時に幻となる
ってことで良いですかね。
で、貴方は「定義できない存在」云々と言っている人とは関係ない人なわけだ。
それならあらためて貴方に答えるとですね
>錯覚が常に幻とでも思っているんでしょう?
いや思ってませんよ。
認識はそれ自体、存在を映したものかどうか分かりませんよね。
なので「意識によって構成される世界は全て錯覚」なんて謂いが可能なわけです。
そう考える時、どこまでも錯覚によって構成されてしまう世界に於いて、
貴方の言う「対象物が幻ではない(≒対象物が存在する)」と言う際に
貴方はどうやってそれを判断できるのか、てなことを問うたわけです。
それに対して「存在するかどうかによって判断する」と答えるならば、
存在を知っている神だけがそれを判断できる、ってことですね。
それとも「存在するかどうかは存在するかどうかによって判断する」とかいうナンセンス?
>>39 人類が滅亡するかどうかは知らんがw
しかしこれはメカニズムの問題ではなく、原理的な問題だと思うね。
物質世界は思惟によって構成されていると考えられるので
本来的に思惟は物理によって説明できない可能性が圧倒的に高い。
さらには「瞬間」によってがちがちに状態が固定される物理的物質によってでは
瞬間を超越して活動する思惟を説明する方法論が無い。
あとは、専ら局所因果的な説明しかしない物理によっては、
空間的に広がりを持つ脳に於ける意識の統一性を説明する方法が無い。
こんなところだろ。
文学じゃねーよ。
42 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 02:01:32.16 0
それはあくまで「今の物理」ね。
どんどん拡張されていくのが学問。
ニュートンの微積が世界の記述を変えたように、次なる科学の道具が新しい世界を見せてくれる
好きだぞその根拠なき楽観主義
早く見せてくれ
俺が生きているうちにw
>>43 根拠があっても根拠が成立すると証明できるの?
できないだろwwww
完全に証明できる類は数学的に行う必要があり、数学的な証明は
数学のモデルであって現実ではない。
>物質世界は思惟によって構成されていると考えられるので
これは根拠が主観だよね。根拠が無いと言ってもいいよね。楽観主義だよね^−^
>>44 現実に無いんだから無いと言ってんだよ
あり得ないとまでは言ってねえよ
数学的証明とか、話がすっとこどっこいなんだよ
>>45 哲学も数学も全部主観だろ
俺の謂いに対しておまいさんが納得しないなら、その程度の主観だってことだ
>>46 じゃあこれは何?褒め言葉?
>好きだぞその根拠なき楽観主義
好きなように捉えたまえよ
>哲学も数学も全部主観だろ
この時点で相対主義の厨房過ぎるわ。話にならん。
全部主観、全部根拠が無いとしているし、
根拠が無い=楽観主義と見ているから、
全ての人は抄録にとって楽観主義なんだね。ふーん。
相対主義は厨房なのか・・
それはいいとしても私は真理主義だ
>>46 >現実に無いんだから無いと言ってんだよ
それはあなたの現実でしょ。俺定義しちゃダメですよ。
>>51 君は主観でしか物事を見ないから正確には「自分にとっての真理主義」だよね。
そんな自分にしか通用しない真理なんて他人に理解させることは出来ないよね。
君はここで何が言いたいのかな^−^
>>52 だったら早く見せてくれよ、その「新しい道具」とやらをさ
貴方は知ってるんだろう?
>>51 >それはいいとしても私は真理主義だ
真理とか掴み得ないことだという理解ができないのは消防並とは
思いませんか?
もしかして「俺真理」という解釈ですか?
それは貴方の正義にすぎないでしょう、感情論にすぎません。
>>54 誰かが知っているからといって、それを何故貴方が理解できる、
うぬぼれていませんか?
貴方には早過ぎるというより、自分の殻を他人に強制してませんか?
仮に!
貴方のいう「新しい道具」という類があるとすれば、馬の耳に念仏でしょう。
つまり私が知っていて詳しく説明しても貴方は100%頭から拒否するだけの
ことです。新しいものであるなら私が師匠で貴方は知識の下僕という立場で
なければ伝わるものも伝わることはおそらく困難で不可能の領域にあります。
>>55 こちらが何を示しても、君は主観でしか物事を見れないから納得出来る訳無いよね。
全部「それは貴方の主観だはい論破」で片付けられるからね。楽観主義っていいよね^^
59 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 02:54:17.46 0
>>46 >哲学も数学も全部主観だろ
数学は主観ではなく【架空の方程式】です。
数学で主観なの物事の定義であり定義が数学だというのは誇張しすぎでは?
60 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/31(火) 02:55:24.92 0
>>53 なんというかな、
例えば貴方、カントでもヴィトゲンシュタインでもいいが、
奴らの言ってることが理解できますかね?
もし理解できないとして、それは著者が悪いのか、それとも貴方の頭が悪いのか?
61 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/31(火) 03:01:15.38 0
>>55 ○○主義ってのは、それを優先する立場だ、っつー表明だろ。
感情論とか外しすぎなんだよ
>>60 横だけど、あなた哲学以外は何も知らないでしょ
もちろん数学も自然科学知らない
>>61 ですます口調から離れていってるのは余裕が無くなったってこと?
64 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/31(火) 03:06:23.86 0
>>56 そんな見え透いた御託はどーでもええねん。
しかし私は聞く耳もってる方だと自惚れてたのだが
他人様から見るとそうでもないようだな
65 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/07/31(火) 03:12:05.76 0
>>62 むしろ哲学こそ知らない。
その貴方の得意そうな数学とか自然科学とか、どの程度のものか
私を鏡に試してみれば楽しいかもしれんぜ
ニュートンってそんな立派な雑誌だったっけ…
>>63 余裕なんざ最初からありゃしねえよ
おまいさんら、そんなことが気になってしょーがねーんだな
雑誌ニュートンwww
ニュートン舐めんなよ
まとめてかかってこいw
自分が勉強すればいいのに
>>25 違いますよ。しかし名無しでの発言に一貫性求めてもこちらにはわからないからレスごとに
捉えるしかないです。
>>26 唯物論なら当然何でも物質論みたいになりますね。
>>28 確率論といえば以前に確率論で決定論を否定する話題があったのですが。
どうなったのでしょうね。
>>29 何でも力なら力を物質に言い換えれば唯物論になりますか。
>>39 仮に脳の化学反応から主観を説明したとしても、それも主観です。
>>72 確率論と決定論はお互いに矛盾しない
サイコロが1〜6の出目を取り得ることと次の出目が5に決定しているかもしれないことは別問題
おそらく
『確率論といえば不確定性原理』
という思い込みでもあるんだろうね
75 :
ゲーム:2012/07/31(火) 10:22:52.37 0
>>72 いえ、私のそれは唯“力”論ではありません。
こう述べたはずである。“力”は媒介された、と。
何が“力”を『無』へと媒介したかは知るよしもない、とも。
唯○論は、まだ語りえないというのが私見である。
抄録氏の唯物論も君のそれも主/客、あるいは心/物の二元構成になっている。
君たちが主張しているそれは唯物論ではなく、ごく常識的な二元論なのである。
>>75 私もこう申し上げたはずです
重大なのは、物質(素粒子)が自発的に作動するものである、そのことだと。
そうしなければ、物質に由来して意識が開闢するのに相性が悪いでしょう。
しかし貴方はそれを頭から認めず、二元論に貶めるのに躍起なのですよ。
77 :
ゲーム:2012/07/31(火) 11:26:15.97 0
>>32 何もないところに『力』があった、というのは抄録氏の意見ですか? 曲解。
“無(何もない)”について私はこういっている。「力と時空の存在しないこと
である」と。力が“無”へと媒介されて始めて“有”が発祥する。ビッグバン、
素粒子、四つの力なんぞは、まだ先のお話です。w
抄録氏はビッグバンについて一切、語っていない。ビッグバンもツールかな?
この仮説に従うなら、そのさなかには差異がなく、一個の“塊”だったらしい。
一個の“塊”から差異(粒子)を生じたのは「力関係」のなせるワザである。
抄録氏が“根源”と崇める「素粒子」もその生成期から一貫して「力関係」の
なかにある。
物質の発生の由来を問うているのではない。それが何から生成されたのであれ、
そのためには“力”を必要とする、と述べているのである。“力”なしに存在は
不可能、といってもよい。ここに反論してくれればいいのです。
つまり“力”なしに物質が存在できることを論証してくれればよろしいのです。
・・・よく分からんのですが
そのゲームさんの言う「無」ってのは全くの「虚無」ってわけじゃあなさそうですよね。
なんせそこに「力」が媒介されるわけですから。
ゲームさんによれば、そこは無なんだけれども、既に物語りは始まっているわけです。
しかし何が力を媒介するのか、それは分からない、と。
さらにその「力」は、物質の構成を規定する力ですから、「自ずからの形式を既に持っている」訳でしょう?
であるなら、そのような煩雑な物語りにする必要があるんですかね?
いきなり無から物質が生じる、ってことにしても構わんのじゃあないですか。
「力」だけが特別・無条件にそのようなものであることが許される、その妥当性がよく分からない。
カラス君の固執する「因果律」なんてのは思考にとって絶対要請されるものじゃあなく、
経験則ですよ。「力」なんていう撃鉄なしに物質が生じても論理的な不都合は起こらないでしょう。
「論理的に不可能」というのは、「その謂いが理解不可能である」ということですよ。
力なしに存在は不可能かどうか、直接には答えられませんが、変化球的に答えてみます。
79 :
ゲーム:2012/07/31(火) 11:48:17.07 0
>>76 素粒子の自発性? 素粒子は“意志”をもっているということ?
前レスでもいったと思うが、ご冗談を。
素粒子はエネルギー態としてあるか、質量を持つモノとしてあるか、のどちらか。
むろん、そのような存在様態を連中が自発的に選択したのではあるまい。w
必然的に、素粒子はエネルギーやモノの“理”に規定されて振る舞うしかない。
自明の理だろう。素粒子の自発性? なんのことですか。
80 :
ゲーム:2012/07/31(火) 12:04:29.84 0
>>78 「無から、いきなり物質が生じる」のですか。それは奇跡ですね。
論証してくれ、とはいわないが、無から有を生じる蓋然性を語っていただきたい。
生成や変化や運動や関係するためには、いいかえると存在するためには“力”が必要。
無が何らの媒介なしに存在へと跳躍することはない。神なら可能だろうが。w
例えばですね、中性子を単独で放置すると、平均900秒くらいで電子線とニュートリノを放出して
陽子になります。
この振る舞いに外部からの「力」とかは不要でしょう。
この振る舞いに於いては、中性子は自身が中性子であることを自ら示しているわけです。
「いや、そこに作用する力が分からないだけだ」とのラビ的反論は可能なんですがw、
しかしそれを言ってどうなる?と思うわけです。
物質の振る舞いには、「作用(=力)無しに、ただ時間だけが経過することによる変化、
そういった要素が必ずあります。諸行無常ですよ。その振る舞いを理解しようとするなら、
物質の振る舞いは自発的であることをどうしても認めなければならないように思います。
全レスでアブ氏が「時間」について言及してましたでしょ。その真意は私にはさっぱり分からんのですがw
「純粋な時間経過」という「力を必要としない影響」は確かにあるように思います。
>>80 経験則としては「奇跡」のように思えますよ。因果律を破壊しているわけですから。
しかし論理的には元来、「無から有を生じる」の方が妥当なんです。
なんとなればですね、「有に有が生じる」なんてことの方がおかしいんです。
「生じる」ってことは、無いところにしか生まれないんですよ。
ニワトリは、卵の無いところに卵を産むんです。
「それはニワトリがいたからだ」って反論は、因果律を優先するならそうですが
突然にして卵が生じても、ヒトはその事態を理解できるんです。
ビッグバン理論で、「宇宙は無から生まれた」とか言われるのは、
察するに、ビッグバン的な宇宙開闢にとっては因果律が邪魔なんです。
83 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 12:26:45.24 0
宇宙論で比喩的に言われるところの「無」を、形而上学的な意味と誤解している人が 非 常 に 多い
形而下の無なんてあるの?
>>80 その「力」ってさ、偽の真空や真の真空にあると思われている真空エネルギーとどう違うの?
86 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 15:14:20.59 0
>>83
形而上学的な「無」の概念を、ゲ−ム氏は、「力と時空の存在しないことである」と、
述べているが、この概念は、宇宙論又、素粒子物理学にも、あてはまるものでり、
「力(エネルギ−)は、主観的領域と客観的領域を、貫徹するもの」と述べている。
「物質」を含めたすべての事象は、主観的領域と客観的領域で、力(エネルギ−)の作用
により「有から有が生じる」こともあり、又、力の媒介により「無から有が生じる」ものと考えられる。
私も、同じ考えです。
87 :
ゲーム:2012/07/31(火) 18:02:48.43 0
>>81 またまた、ご冗談を。
それは中性子がモノだからである。モノはそれ自体で“力”を内在しており、
現に爆弾をつくることもできる。たとえば抄録氏を単独で放置し、他からの
作用を一切排除しても、抄録氏はモノの“理”にしたがって何かに変化する
だろう。外部からの作用がなくても、モノは変化する。それはモノが“力”を
有するから、というよりも“力の様態”だからである。
無から有へ跳躍するとき、換言すれば“無”から時空・力が生成されるとき、
その“力”は外部から媒介される。卵は無から生じたりはしない。w
88 :
ゲーム:2012/07/31(火) 18:19:55.29 0
中性子、陽子、電子などの“差異”は何によって(なぜ)生じたのか。
これが当スレのもう一つのテーマである。w
モノの差異は力関係(の差異)の具現だろう。一塊でもよかったのに、
なぜ差異を生じたのか。何が“力”に差異線を引き、様々を様相を
現成せしめたのか。
>>88 そらあキミ、その方が安定するからよ
或るエネルギーは安定するために取り合えず陽子という形を取った
だが、陽子単体だと今度は電磁力的にバランスが取れなくなってしまった
そこでそのへんに有ったエネルギーに電子という形をとってもらった
それだけの話、単なる役割分担
>>87 モノがそれ自体でその「(どこまでも仮想的な)力」とやらを“内在”しているとするなら
モノだけで十分じゃないですか。
抄録あれているね。なにムカムカしているの?
ぜんぜん荒れてない
どちらかというと明鏡止水
まだ仕事をしてないから暇なんですよ。
ちょっと遊びすぎかね。
明日には仕事が来ると思うんですが。
すまんね、相手してもらって
93 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 21:09:46.03 0
>>88
>「一塊でも良かったのに、何故、差異を生じさせたのか。何が「力」に差異線を
引き、様々な様相を現成せしめたのか」
この「力」が主観的領域と客観的領域を貫徹するものであり、この「力」の正体が、
解れば素粒子物理分野のみではなく、哲学の「主観と客観の分離」の謎をも、解明する
こととなると考えられる。
94 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/07/31(火) 21:33:48.62 0
距離の時間あたりの変化が速度である。速度の時間当たりの変化が加速度である。
と、いうことは、MKS単位系においては、距離と質量と時間量のみが基本的
単位である。その三つの関係を考えると、距離と時間は、はじめに見たように、
密接な関係にあり、質量はまた微分的には他の二つと関係を持たない。
微分が、極小に置ける変化の様子を与えるものであることを考えれば、
距離と時間に密接な関係がありそれが変化することと、物質の質量が
変化しないことがその原因であると考えられる。時間と距離は量が考えられるが、
質は、空間にも時間にも存在しない。物質のみが質を持つ。空間と時間に量が
与えられるのは、物質の変化による。つまり、空間と時間(という概念?)を成り立たせるのは
物質であり、根源(質)が、物質である。
力によって物質が変化することを考えれば、物質の変化が力と等価であるということも
考えられ、力が根源であるとする考え方と、物質が根源であるとする考え方は、
時空との関係(関数?)で結ばれるとも考えられるのであり、両者は質の表れ方の
違いであるに過ぎないと考えるものである。
行司さん現る
96 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/07/31(火) 21:53:34.09 0
世界(の法則)が論理を作るのではない。
論理が世界を支配するのである。
97 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/07/31(火) 22:17:34.59 0
>>95 迫真の勝負に、少しでも盛り上げることができたら、と思わず飛び込んだ行司です。
沙録ちゃんの口調が余裕を取り戻したようでwwwww
99 :
考える名無しさん:2012/07/31(火) 23:08:02.87 O
必然の概念を理解してないな!
「必然」て、玉手箱以上だぜ。
100 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/07/31(火) 23:10:21.27 0
できることではなく、できないことが積極的可能性をもつようなことはないだろうか。
可能性ではなく、不可能性が。
死についてはそれが言える。
ということは、不可能性にたいする態度を改めるべきだ。それが、信仰というような
世界に限定された話であっても。可能性と不可能性の両方が、それほどちがっては
いないということ。生あって死があり、死があって生が充実する。重要なのは、
可能性を限りなく開くことで、それを突き詰めれば不可能性も認めなければならない。
有と無は、補い合って、あるいは絡み合って存在すると思う。片方を消せば、片方が消える
(少なくとも、認識においては)。
まあ、偏見を除くといった、簡単な話に落ち着くけど。
101 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 05:33:12.58 0
おいおい、ただの言葉遊びになってるぞ
死とは言い換えれば、生きることができない状態、だ
死ぬことができないとは、生きることができる状態でしかない
義務教育からやり直した方がいいんじゃないか?
アブ氏は、倫理というか、より良い生き方、
そういったあたりに思考の軸足があるのだろう。
生きることができない(=死)事態があり、それを認めることで生もまた輝くと。
確かにその立場はありなのだが
かつて、どこかの坊さんがラジオで
死など意識せずに日々を平気で生きること、それが肝要、
などと言ってるのを聞いて、なるほどそれもありだな、と感服した覚えもある。
w
〜超越とか内在とか〜
ゲームさんは、モノに対して「力」が超越の関係にあると考えていると思ってましたが、
今度は「モノには力が内在する」とか言い出して、例の如くこちらを振り回すわけですw
超越も胡散臭いが、内在もまた便利すぎる。
しかし凡人である私にはその胡散臭さの正体は見えないわけですがw
平面幾何学に於いて、公理と公準は、そこから導出される帰結(定理とか)を全て「内在」しているだろうか。
DNAは、成長後の身体の組織、機能、生命活動を内在しているだろうか。
将来成立するだろう事態は全て過去に内在しているだろうか。
これを「内在している」とするとき、何か重大なものを見落としているように思えてならない。
w
104 :
ゲーム:2012/08/01(水) 09:50:25.04 0
>>90 モノという存在者が抄録氏のいう“自発性”を持っていて、自ら静態化を選択
できるのなら、空間とモノからなる「世界」を現出しえたのではないか。
これでもなお二元的ではあるが、機械さんやカラス君のいう唯物論的(すべては
物質である)“世界”に似ていなくはない。
しかしモノは変化しつつ移動する。モノの変・移は“力”によって生じる。
“力”は流動する。その途上、それは様々な貌をみせる。その一つがモノである。
モノは“力”の一つの仮装なのだろう。
>>93 少し話をもどしますが、
伝聞によれば「初めに“無”があった。その“無”には『力』が潜勢されていた」
かのように記されている。
これは背理でしょう? この説を援用させてもらっていますが、うまく解けない。w
105 :
ゲーム:2012/08/01(水) 10:21:46.23 0
>>103 リアリスト(俗物)なので、普通のことを語っているつもりです。w
ここにコップがある。本当は石くれのほうがいいのでしょうが、近くにないので。w
このコップには質量(エネルギー)がある。それを“力”と称しているだけ。
それはコッブ(石くれ)に「内在されている」というしかないでしょう。
“力”が物質を超越している、と述べたことはないと思うのだが。
「力は(たぶん)あらゆる存在者を貫徹しており、それらの変化、運動、因縁wは
力関係(の強弱)の発現である」とはいった記憶がある。
“力”が「無」へ、どのように媒介されるのか、ここが解けないと、突然、無から
卵が飛びだしたりしてしまう。w 結局、神様を招聘せざるをえなくなる。
106 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 12:30:36.55 0
>>94
>「力」が、根源であるとする考え方と、「物質」が根源であるとする考え方は、
「質」の表れ方の、違いに過ぎない。
ここで述べている「質」とは、「質量」と違うものと思う。「質量」は、時間・空間
とは別の「有限領域」に存在するものと解釈出来る。 「力」と「物質」は、「質」の
表れ方に過ぎないと言う、この「質」とは、どの様な概念でしょうか。
107 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 13:03:52.17 0
>>105
>「力」は、あらゆる存在者(主観的存在と客観的存在)を貫徹しており、それらの変化、
運動、因縁(縁起)は、力関係の発現である。
ここで述べている「力」とは、「モノには力が内在する」と言う概念ではなく、あらゆる存在者を
貫徹する「力」と定義している。 従って、物質に「内在」するのではなく、精神(主観的領域)と
物質(客観的領域)を貫徹する、あらゆる存在の根源として「独立」したものと、私は解釈している。
108 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/01(水) 13:39:15.16 0
>>106 “性質”などに使われる質のつもりで、つまり、量に実体を与えるもの、というような
意味でした。“質”は、単位と同一視できるとおもうのですが、物事の根源的
性格を付与するものというような意味で使いました。その時、時間と空間は質を持たない
のでただの概念であり、“質”を持つ物質が、なにか“ある”と言えるものだと考えました。
力がその現れであって、前スレにおいて、素粒子の交換によって力が生じ、
物質を作る素粒子と力を伝える素粒子が存在する、と指摘された方の意見を
参考としました。
なんでお前ら「力」とか言う訳の分からない曖昧な概念で語ってるわけ?
エネルギーで良いならエネルギーと言うべきだし
別の概念あるいはエネルギーを内包する上位概念とでも主張その差異を明確にすべき
ああ、ひょっとして論破されにくい様にするために敢えて訳の分からない曖昧さにしてるのか?
哲学板なら議論に負けないことをじゃなくて真理に到達するのを目的にしろよ
主張するなら、が抜けてた
どれだけ煽っても、頭の悪さが透けて見えるから相手にされないのですよ
112 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/01(水) 14:38:04.73 0
>>109 概念と実態は違うと思うのですが、どうでしょう。たとえば、“数”の概念は、“量”の概念の
上位概念であると思いますが、数の実態(記号によって指示される現実)は必ずしも
量を含むものであるとは言い難いと。言葉の使用(文脈)と、概念と、実態という三者
を考えます。ある概念は当然他の概念とある部分を共有することもあるでしょうし、
その使用の方法が妥当でないと主張するなら、あなたの考える正しい使用を
例示するべきではないでしょうか。主張するならその差異を明確にすべきとおっしゃるのは
なんとなくわかります。しかし差異が存在しない主張どうしにおいて、差異を明確にせよ
というのはおかしいのじゃないでしょうか。あまり論戦に詳しくないため、その作法にも
詳しくないのです。しかし、妄想の否定は良くないことだと思います。否定する場合には、
相手の人格のせいにするのでなく、意見をよく見てそれを尊重して、対立意見なり
なんなりを提示するべきだと、僕は思うのですが。
数が存在するには、1が存在しなければならない。
1が存在せず、0が数として存在することはない。
1が存在するとは、すなわち、単位が存在することである。
単位は量の概念と不可分であり、数の概念だけ存在する
ことはない。それを見誤ったことに主流の数学および
数学の哲学の根本的な欠陥がある。
数が存在することと、数えられることは同義である。
1つ1つを数えられることとは、すなわち、反復可能性であり、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動にほからなず、
円運動=単位である。
115 :
ゲーム:2012/08/01(水) 16:02:05.02 0
>>109 少し前に「何がある(存在する)のか」「どのようにあるのか」「なぜあるのか」を
問うのが当スレの意義、と壮語したことがある。w
最初の「何が?」に対してはエネルギー、時空、意識と仮の答えを提出しておいた。
当初はエネルギーのほうが力よりも包括的に思えたからだが、エネルギーは質量に
変態?する。この両者を包含する概念として“力”を使っている。
ただ“時空”をうまく説明できない。時空は“力”の形相なのか。
伝聞をもとに想像するに“無”と称しているそれは「力」と「時空」が不在らしい。
さはさりながら、エネルギー(力)が潜勢しているかのニュアンスを払拭しきれない。
では、どこに潜っているのか。「時間なき空間」ではないのか、というのが私の空想。w
いわば負(マイナス)の存在として、力は“純・空間”化されている…
むろん下手な御伽話である。もっとリアルな“無”の解説があるはず。
116 :
ゲーム:2012/08/01(水) 16:08:12.35 0
>>107 そうですね。こういうべきでした。
「モノとは“力”の流動が停滞した事態」と。
117 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/01(水) 16:19:06.45 0
>>114 数学的な解析や幾何などほとんどわからないので、はっきりしたことは言えませんが、
円運動のみが反復可能性を持つという場合、時間と空間の均質性、すなわち、距離の
様相の等価性が、反復を可能にすると思えるのです。例えば、長方形を、中心を
原点に合わせて二次元座標に置いた場合、周縁をたどれば始まりと終わりはひとつの
ルートの上にあり、元に戻ることもある。しかし、それで反復運動といえるのは現実には
存在しない。円運動を成り立たせるものが、力であるからである。保存量というものが
大切だ。保存するものが1であって、反復可能ならそこには何かが保村されている
はずである。
118 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/01(水) 16:21:53.19 0
間違えた、保村じゃなく、保存。
反復可能性とは、終わりが始まりであること。
終わりが始まりであるとは、「いま、ここ」にいることに他ならず、
保存されているのは、常に変わらない「いま、ここ」である。
>>99 必然は永遠に繰り返せばいつか必ずなると説明できるものでかなりの幅がある、
仕組みのように過程や手順をた正しく成せば必ず到達する類とは違う。
つまり短期間や希望する範囲では絶対に到達しないものも必然に含まれる。
凡人とは知識で得た理屈をもって術となす才能である。
故に自分で得た知ではないのに自分の知と表現する、実現し自分の物と成した
知であればいいが、実現には程遠い「知っている」だけの解釈をもって表現と
成せば凡人というより愚か者である。
自己言及ですか
123 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 19:35:24.09 0
どした?図星を突かれて気に障った人の様に見えるぞ
己の無能を省みることなく他人を貶めることに忙しい
その醜悪さに気付かぬ者の言葉に誰が耳を傾けようか
126 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 19:46:58.83 0
>>105 >「力」が、「無」へ、どの様に媒介されるか、ここが解けないと突然、無から卵が、飛び出したりしてしまう。
「力」が無への媒介に対しての解釈は、二通りあると思います。一つは、主観的領域(精神)と客観的領域(物質)を
貫徹する「独立」した存在としての「力」と、捉えた場合に、「無」とは「力」の作用(貫徹)していない状態。
もう一方は、物質(客観的存在)に対して「力」の流動が停滞している状態を「無」と考える。又、時間・空間の概念は、
有限界領域(主観的領域)と私は解釈している。 いずれにしてもベルクソンが考えている様に「力(エネルギ−)」を
「独立」した存在として定義すべきかどうかは、現時点では、絶対的な確信を持っている訳ではない。
127 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 19:47:33.74 0
どうせ哲学板には、勉強で落ちこぼれて慰めに哲学ゴッコやってる奴しかいないんだから、
偉そうに説教ぶっても浅薄に見えるだけだぞ
他人に説教する前に、人並みに勉強せいや
ああ、そういう風に解釈する人も居るんだね
愚か者でいいじゃない
愚か者を笑うマヌケは愚か者以下である。
力が何かすらわかっとらん奴は考えが浅く単調である。
これ知っておいたほうがいい
132 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/01(水) 22:04:10.55 0
>>127 勉強なんて手段で目的じゃない。したい人間が必要な分だけすればいいのでは?
説教と感じたなら、そういう自分に文句を言えよ。
>>132 まずは勉強が基本、知識なしで何もできるわけないだろ。
おまえみたいに勉強を否定するのが増えて笑えるわ。
>>126 「力」とは何?
都合よく力と言葉を表すのは簡単です。
力が分かっていない奴ほど力という言葉が大好きでその定義すらできない。
力とはなんだろうね
多彩に意味が成立できるので
このスレ的には向いているのかもしれぬ
ゲーム氏が「マイナスからプラスに転じるのに力を要する」とか言ってたでしょ。
私はその話はまるで分からないのだが、しかし私見では「力を要しない」のだと思われる。
一般相対論は、重力を「空間の幾何学的性質」に解消するわけです。
なのでこのとき空間を変容させるのは「力」ではない。
空間内部の質量移動によって空間は自己的に変容する。
ここんとここのスレで多用される「無」がいかなる意味で使われているのか、
これも私にはよく分からんのだが、無が虚無ではない「一様かつ平坦な全体」としての意味なら
その無の自己的変容によって、力は内発的に発生する。そのような解釈は恐らく可能なんだろう。
まあ、ポエムなわけだがw
ポエムれべるの発言しかできない老害
おまいが何か語れよ
139 :
考える名無しさん:2012/08/02(木) 01:27:12.22 0
なんといいますかね
弾性体に“外部から静的に力を加えると”弾性変形して、内部に「応力」ってのが生じる。
つまりこの場合に、内部に力が発生するためには「外部からの力」が必要ってことになる。
ところがですね、この弾性体が最初から全体に振動していたとするとするでしょ。
このときに外部からの力が無くとも内部には変動する応力が生じることになる。
つまり「運動ありきで力が生み出される」ってことも可能なわけです。
物質が自発的に運動を強制されるものであるとするなら、力は後から付いてくる。
そんな理解は可能なんじゃないか。
そんなふうに思ってるわけだね、ぼかぁ。。。
>物質が自発的に運動を強制されるものであるとするなら、力は後から付いてくる。
>そんな理解は可能なんじゃないか。
自己組織化のような原理をもってできた仕組みは理解できるものではない
何故なら状況によって全て違う仕組みになるからである。
例えば染色体が同じ一卵性双生児の指紋が同一になるのか?
答えはならない。環境が似ていれば類似はしても環境が恐ろしく違う場合は
恐ろしく違う指紋になる。
低次元な世界の秩序が理解できても高次なそれを理解できないのは当たり前のこと
理解できるなら精神世界も科学技術で説明しなされ。
142 :
考える名無しさん:2012/08/02(木) 07:09:13.75 0
中国人がいない低レベル大会で金を喜ぶジャップwwwwwwwwwwwww
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343843592/ 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/08/02(木) 02:53:12.32 ID:W/z5eYLW0 ?PLT(12000) ポイント特典
同じ日本人として恥ずかしいは
適当君◆tekitou/AU ★
beポイント:12000
登録日:2012-05-16
みなさん知っていますか?
2012年5月16日に
FF11は10周年を迎えます
_ __| ̄|___
_| |__ | _人_ |
|__ | |__| (_) |_
/ / .∩(__)
/ \ |( ・∀・)_
|/|_|\| /| ヽ/
 ̄ ̄ ̄"∪
143 :
ゲーム:2012/08/02(木) 09:35:28.86 0
>>136 また、ご冗談を。
空間を「幾何学的」に変容させる=時空を歪めるのは“質量”である。
あの先生が力(質量⇒エネルギー)抜きに宇宙(時空)を語ることはないのです。w
>>141 振動するのは、それがエネルギーを持っているから。振動は力の“発現”である。
ここでも抄録氏は、無から(力なしに)振動を惹起している。
それは神さまか手品師のなせるワザ。w
自発性と被・自発性(強制されること)の重ね合わせですか。w
どちらでいいい。喩えていうなら、抄録氏が自発的に何らかの行動に赴こうが、
強制されてそうしようが、そこには“力”の発動があるということだ。
一般的には、自発的のほうが強制されるよりも当人には、より多くの力が必要である。w
144 :
ゲーム:2012/08/02(木) 10:44:06.08 0
>>136 『無』について屁理屈を弄しているのは“絶対・無”を回避したいから。
そこから卵や鳩を出現させようとすればw神さまか手品師を招くしかない。
「無が揺らいで宇宙が生まれた」という、この無は“絶対無=ゼロ”ではあるまい。
力、時空の全き不在から、神の手を借りずに、何かが生成されそうにはないからだ。
そこで、この“無”を不在(ゼロ)ではなく“負(マイナス)在”と仮称し(こじつけ)w
さらに妄想を膨らませ、そこには“時間なき空間”が「ある」とも述べた。
このあたりは支離滅裂でありwこれ以上の無駄話はやめるが、力は空間に由来する
らしい、とだけいっておく。時間が特別の意味を帯びるのは“意識”が発祥してから
ではないか。
そうですね
146 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/02(木) 17:43:29.75 0
>>144 「絶対・無」とは、虚無というイメージでいいでしょうか。
無とは、あまりいい言葉ではないかもしれませんが(不、非との関連性を問われるため)、
0とは、それに至るのは、極限的操作によるわけです。一方、無限大も、極限的操作
による。すなわち、ゼロの周辺には、限りなくゼロに近い極小もあり、絶対のゼロの近辺に
ゼロから滑り出し易い(まさに、ゼロにおいて発散するグラフにおいては、ゼロの周辺で、極大の
変化を見せるわけです。すなわち、微分係数(グラフの傾き)が極大になる)。インフレーションが
起こるわけですが、それはこのように理論的に見やすい。すなわち、ゼロとは、虚無ではなく、
非常に動的なエネルギーであると。エネルギーの量は保存するらしいので、エネルギーのない
虚無ではなく、無とは、エネルギーを孕んだ、何がしかの世界であるのだと思います。極大
の方をみれば、宇宙の外が無であるなら、極大の大きさに宇宙が至るとすれば、極大の外が
存在しないから、宇宙の外は無であるという想像ができます。
>>114氏のいうように、
反復可能性とは終わりが始まりとなる円運動であるなら、宇宙の極大の外ではゼロと
接しており、原始における極小の宇宙は極大の大きさを内に秘めており、時間が反復により、
循環するわけです。時間の始まりと終わりが同一である。
結論として、私の宇宙観では、宇宙は永遠に膨張する。
これは観測と一致しないようなので、全部おじゃんになることもあるのですが。
無とは観測しないことですよ、実在しないことではない。
そして対象を観測できる主体があるかぎり完全無など観測できるわけがない。
主体という群れがそれ以外の群れに対して関係を持つことが力の根源である。
ゲームさんはすっかり決定論者になってしまわれた。
カラスくんも心強いでしょうw
149 :
ゲーム:2012/08/03(金) 09:54:57.38 0
>>148 そう短絡的にならないように。w
“存在の始原”を妄想しているがw、そこは「たぶんに偶然性に支配されている」かの
ようにしかみえない。「無(私の言い方では負)が正(存在)へと揺らぐ」のは偶発的あり、
その揺らぎ方によって「宇宙」の概略が決まるとしても、それもまた偶然に介入される、
とみるのが妥当だろう。一意必然性に貫かれているとは到底、おもえない。
かつて抄録氏は(時空、物質が出揃ってからだろうが)「世界は動的秩序を持っている」
との発言をなさっていた。これは撤回されたのですか。もしそうでないのなら、詳述を
請う。
>>149 「動的秩序」についてはいつぞや「もう言わない宣言」したと思う。
私が「動的秩序」とか言い出したのは、
「世界のありようはヒトの理解の仕方に依存する」とする観念論に対して
そのヒトって何?そして誰?貴方が生まれるまで世界は無かったの?
なんとすっとこどっこいなw、という思いから、それに対抗するキーワードとして
言い出したのです。
しかしほとんど何も言っていないのと同じようなものであるし、
いかように動的で、秩序とは具体的には何のことか曖昧でもあるし、
それらの意味を規定しようとすれば、「それはヒトによる規定なんだからヒトに帰属する」
なんて言い立てに対して反論が難しい。(なんですか『帰属』ってのは?)
カント先生は「ヒトの理性が無条件にそのように(カテゴリーたらなんたらの構造をして)あるのではない。」
ぐらいは考えてたと思うんですよ(知らんけど)。しかしそこには踏み込まなかった。
踏み込むとポエムになるし、また破綻してしまうから・・ですかね。
なので「ヒトの理性が、ヒトの論理が、・・」から『ヒト(への帰属)』を“気持ちよく解消(≠消去)”
できないことには「動的秩序がー」と大声出すのも恥ずかしくなったわけです。はっは
151 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 11:11:40.11 0
「無」の定義を、「有(有限)」の解釈より導き出してはどうであろうか。
つまり、「有(有限)」とは、「時間」を基として「空間」を構築した世界である。
反復すると、「有(有限)」と言う概念は、「時間」を基礎として構築された「形相(空間)」と
考えられる。そして、「時間」とは、人間が作り上げた一つの概念です。従って、人間の
主観的認識によって「時間概念」が、構築された領域を「有(有限世界)」=主観的存在と
定義される。 反復するが、「無(無限世界)」とは、「時間」と「空間」のない世界であり、
主観的存在(有)とは、対比の世界(客観的存在)が「無」と定義される。
あとですね
私はビッグバン理論が好きになれません。
ヒト(とその思惟)によって世界が規定できるなら、宇宙創成も規定できるんでしょう。
スモの言葉を借りるなら、「何も描かれていない絵」こそ見ることができるのかもしれない。
ヒトは空想力とか想像力によってSF的に日常(≒ヒトにより規定される世界)を宇宙に押し付け、
たいていの場合はそれで不都合ない、というかどこまでも空想なので問題ないだけなのですが
それら(日常的空想力とか想像力)を発動させることでまるですっとこどっこいなことになるのではないか。
宇宙創成なる事件があったとして(もうここで既に論理的に規定を開始してるわけですが)
それに対してはヒトによる規定こそ変容させる必要があるのではないか。
そのような恐れを感じる訳です。
私は宇宙人もいないだろうと思っています。いるかな。
153 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 11:41:07.12 0
「世界は動的秩序を持っている」と言うのは、時間と空間で構築された
有限世界(主観的領域)の事であり、時間・空間のない「無(客観的領域)」の領域
では、動的秩序は存在しない偶然性の世界です。 必然性(有限世界)と偶然性(無限世界)の
相対する世界が実体と考えられる。
>>153 どうしてそんなことが「考えられる」?
それを妥当だと思える根拠とは何かね?
そう考えることで何が解消する?
>>154 根拠など作ればいい。
考えることで対象を創造し創造の力で呪縛された物は本質の違いを
浮き上がらせる。過去ばかり見ずに未来を成したらどうかね?
>>151 > 「無」の定義を、「有(有限)」の解釈より導き出してはどうであろうか。
地平のはるか先も常に同じ次元のような性質であると誰が決めた?
あなたの前提は世界の理は常に同じ理屈が通じるという考えにすぎない。
果てではこの世の理が何も通じないからこそ果てに見えるのかもしれないのに。
157 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 15:03:41.97 0
159 :
考える名無しさん:2012/08/03(金) 19:34:33.05 I
決定論は、かもしれないをこえられない。
結果論のなかにしか存在しない。
とおもうのですが、
決定論ってなんの意味があるとおいます?
遊議の遊具として以外に。
信じれば落ちつける宗教みたいなもんとか?
>>159 そのような問いに対して蘊蓄とユーモアをもって答えてくれたスレ主が
消えてしまって久しいのです。
今となってはカラス氏のみがかろうじて決定論を擁護している。
162 :
考える名無しさん:2012/08/04(土) 00:29:06.27 I
非決定論は決定論ありきだからそうっちゃそうだが、
決定論がないところに非決定論は存在しないから、
かもしれないがないところにそんなものはない。
思考という可能性、言葉の配列の組み替え可能性がそのような事態を可能としているが、
なんで決定論というかもしれないをわざわざ取り上げてあれこれ言ってるんだろう。
なにがどうだったらそうかもしれない、などと考えることにくらべて、
すべてがそうであるなどと決めつけ、しかもかもしれないから決してぬけ出せないことを主張したり信じたりすることは、
まったく意味がないと思う。
決定論こそが徒労じゃ。
そしてあの時こうしたらもっとよかったとか考えることは決定論ほど無駄ではない。
>非決定論は決定論ありきだからそうっちゃそうだが
えっと何言ってんの?
言葉に表すだけで、ソレを支持していると捉えられてしまうのか…?
言葉遊びだなぁ
元々世界の捉え方には非決定論しか無かった(故にそれを指し示す言葉が必要無かった)
そこに決定論という新たな観点が生まれたことによって、非決定論という言葉も必要になり発生した
ちなみに決定論は人間の思考や迷い、苦悩を無意味とか否定的に捉える観点ではない
「それらさえ含めて」世界は決定的である、と捉えること。いちいち説明するのもアホらしいが
決定論の利点?
人間に魂など無く、意思は物理に完全に従属的であり、特別視や神聖視する価値は無い
という蓋然性の高い結論を受け入れやすくなることすかね
さてコテハンじゃない人の発言は何人ぐらいいるでしょうか?
167 :
考える名無しさん:2012/08/04(土) 06:56:28.96 I
>164
そうそうだいたいそういうことがいいたかった。
>165
魂がなにかはしらないけど意識はあるし特別なものや神聖なものには価値がある。
意思による決定は決定論ほど虚しくないし無駄ではない。
決定論は言葉遊びだしいいわけくさい。
168 :
考える名無しさん:2012/08/04(土) 07:14:40.26 I
情熱による決定
160
このスレ立てる前に消えたのならスレ主って日本語おかしいぞ
単におなじ名前の別のスレが昔あって、そこを支配してたってだけだろ。
無名のスレに同じ名前がつくか否かで既存のスレかどうかを表面上人が区別しているにすぎない
>>169 言いたいことは分かるよ
しかしな
名前が付いているのだから「無名のスレ」ではないし、(「無名のスレ」など存在しない)
「ある名前」のスレッドに集う書き手が大勢おり、
それと「同じ名前」が付くことで区別が可能であるが故に、書き手がそれを目印に書き込むことができる。
「表面上区別している」とか表現がゆるいんだよ。いかなる意味で表面上だ?
それでも貴方の言いたい心情はこちらも理解できるわけですよ。
論理的に整合するように言葉の不備を補っているからだ。
また
長期休暇中の機械的唯物論者氏をスレ主と呼ぶのは、彼に対する敬意を表しており
いつでも御帰還をお待ちしている、との思いからだが、
貴方が「日本語おかしい」と感じた、その理屈も分からなくもない。
しかしわざわざ言い争うほどのことだろうかな。
魂だけ否定して意識があるとか馬鹿の言葉遊び。
両方説明できないのに意識だけは理解していると思い込む。
172 :
ゲーム:2012/08/04(土) 13:32:21.75 0
>>146 アブサロム氏
絶対・無(ゼロ)は「ない」といっているのである。
俗に「無が揺れる」という、この“無”はゼロではなく、それよりも「小さい」
負(マイナス)という意味。それが正(存在)へとぶれるのは、それが“負の空間”
すなわち“負の力”だからである。力は流動する。
ゼロよりも小さい空間が力を有する、というところが御伽噺なのだが。w
>>170 機械氏が消えた理由をどう想像されていますか。悪趣味ながら以下…
@書き込むことの無意味さを悟った。A身体的に書き込めない状態に陥った。
B精神に異常が発生。C破産し、それどころではなくなった。
D何かの事情で拘束されている。Eご逝去された。
まだ、他にありましたら、お願いします。
上記の諸事情は重ね合わさっているのか。w
173 :
考える名無しさん:2012/08/04(土) 14:20:22.67 I
魂否定してないですよ。それがなにかを私がしらないだけであって。
意識は生きてる感覚くらいの意味で使っています。
感覚的に解るでしょ?
あとなんかいいかえしたい気持ちしか伝わってこない。
「魂」は漠然とし過ぎていやしませんかね?
「魂」と呼ぶしかないような対象に、何か心当たりでもあるのですか?
>171
いやごめんなさいわかりませんでした。
魂を意識してもわかりません。
魂が死ぬのかもわかりません。
死んだ人間に魂があるのかもわかりません。
死んだ人間に意識がないのは解りますが死んでないからわかりません。
意識があるとしたら魂にあるとおもいます。
魂に意識がないのでわかりません。
違う可能性もいくらでもあります。
やめます。ひきこもります。
>>75 唯意味論は違うのでしょうか。
>>78 因果律によらない思考はどんな思考でしょうか。
>>159 > 決定論は、かもしれないをこえられない。
> 結果論のなかにしか存在しない。
因果的決定論は原因が結果を決定するという論。結果だけをみているのでは無いです。
> 信じれば落ちつける宗教みたいなもんとか?
信じて落ち着くことが可能ならそれはそれで有用では?
決定論者と非決定論者で宗教で分かれて暮らしたらどうなるのだろう。
>>162 > そしてあの時こうしたらもっとよかったとか考えることは決定論ほど無駄ではない。
あの時こうしたらもっとよかったと考えることもすべて決定されているのです。
>>165 魂や意思の指す対象を定義するなら有用にもなり得ます。
180 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/04(土) 17:25:32.62 0
>>172 負から正へぶれるとき、ゼロを通らないとは僕は考えられないのですが。
ゼロよりも小さい空間というのは、はっきり言ってこれも僕には思考不能です。
「負の空間」はちょっと分からんのですが、
何年も前になりますが、名無しで「負の温度ってのがある。」なんて話を
久保亮吾の本からパクって書き込んだら、案の定、当時絶好調だったラビが食いついてきて
「そんなものはありません。馬鹿ですか。」なんて言われたことがありますが。
負の温度ってのは、マイナス273℃よりさらに低いってことでは「なく」、
ホーキングの虚数時間よろしくちょっとトリッキーな話であって、
磁性を持つ粒子系なんかに突然的な状況の変化を起こすと(磁場の逆転など)、
その系の温度は過渡的に負とするのが都合が良いってこと、らしいw。
この状況から系が平衡状態に移行する際に、温度は0Kを通過することなく、正のそれも高温に移行する。
そんな話があるようです。
私にはこれ以上“思考不能”な話で、もっと詳しくとか、分かりやすくとか、それは無理なので禁止。
ゲーム氏が言うごとく、自然は矛盾を孕んでいる、のかしら?w
それともヒトによる理解が矛盾を招くのか。。。(スモ氏どうなのよ?)
>>172 機械さんは。。。。どうなんでしょうw
私がこのスレに来たときから、寝る前に一席ぶっておしまい
ってパターンでしたけど、晩年はw深夜の2時過ぎに書き込むってことも多かったですね。
私みたいな自由業という感じではなかったので、「明日、仕事大丈夫なのかな?」なんて
他人事ながら心配したりなんかしてたんですが。。
私よりは社会的地位もある人だと思うので(買い被りかw)、いまさらライン工をすることもないでしょうが。
機械さんが最後に書き込んだのは今年の2月で、まだ一年もブランクがあるわけではないので、
そのうちしれっと現れるかもしれない。
それまでこの主なき“無名のスレッド”が続いていればですがw
>>179 >因果律によらない思考はどんな思考でしょう
そもそも因果律を支える思考ってどんなものだろう?
例えば、昨日なでしこがブラジルに勝った「原因」なんてありますか?
よく「あいつが球場に行ったから巨人が負けたんだ。」なんて話もあるけど
それってばかばかしいこと?それとも妥当なこと?
原因Aならば結果Bが完璧な精度で寸分の狂いもなく必ず起こる
そんなことって、例えば何か一つでもありますか?
それでも因果律ってのは経験則としては有効に思える。
それってどういうことなんでしょう。
因果律ってのは、自然の何を見てるんでしょう?
カラスさん、考えてください。
話ブタ切りでスマソが、因果決定論では、原因が結果を決定するの?
だとすると結果は原因によって決定されるのだから、原因が生じる
前には決定されてないわけだ。で、原因はどうやって特定するの?
例えば福島の原子炉メルトダウンとか
原因が結果を特定する、としても結果から原因を特定出来るとは限らない
1+1(原因)=2(結果)は自明だが
2という解だけ見ても、それがどの様な数式から得られたのかは分からないではないか
結果だけがあって原因が特定できないなら、なぜ因果関係が存在する
と断言できるのですか?原因がなければ、結果を結果として認識する
こともできないでしょう。2だけが存在するなら、それは解ではなく、
数の提示でしょう。
上の例が気に入らないならx+y=5としても良いよ
xとyは自然数としてもこれらを特定することは不可能でしょう?
てか君は因果律を否定する人なん?
188 :
考える名無しさん:2012/08/04(土) 21:35:19.34 O
人間の脳細胞も物質なのだから思考も物理法則によって変化する
何が解なのか解るはずがない
知らない内に物理の法則に従っているだけかもしれない
決定論の結果とは本当の結果ではなく、可能性の高い結果にすぎない。
それは実証されたものであって、数学的に証明したものではない。
>>173 > 魂否定してないですよ。それがなにかを私がしらないだけであって。
古代の歴史からいえばその逆が普通であった。例えばエジプトの考え方。
> 意識は生きてる感覚くらいの意味で使っています。
あなたが信じた意識の説明であって、貴方の知的構造が理解したと錯覚した類である。
> 感覚的に解るでしょ?
貴方とは違うので感覚が同じではない。
>>188 支配されるけど、それは水槽の金魚が水槽に支配されると言っている
だけで水槽の中の動きは何も支配されていない。
水槽を海と例えなおして、金魚を人間にして人間が乗る宇宙船が天の川
銀河という中でと置きなおして考えてみればいい。
君が支配している類はあまりにも不確定で予想の付かないデタラメに
しか見えないわけだ。
192 :
草薙素子:2012/08/04(土) 23:09:29.72 0
人間は空間すら超越できる、ゴーストはネット空間へ
193 :
考える名無しさん:2012/08/05(日) 00:34:16.87 0
現時点で決定論や非決定論はどちらも証明不可能なのだから
ただの思想、もっと言えば観点に過ぎないと思う
楽観論や悲観論(慎重論)と同じ様に状況に合わせて都合良く使い分ければ
良いだけだと思うんだが、そんな風に考えてる人って案外少ない?
194 :
ネム:2012/08/05(日) 02:44:09.25 0
>>181 どうって少し前にディラックの薄い本をよくわからず流し読みしたとこだわさ
まったく反物質なんて数学的解釈のふざけたネーミングじゃねーか
ここ最近ゼロと無に題する本をいくつか読んだが空を飛べるような発想は生まれてない
だから僕は何か期待に添えるようなおもしろいことが言えそうにない
だいたいほんともう追いていけないのよw
>>193 実証とは違う、証明は定義とモデルを厳密に定義することで成立可能である。
決定論の思想ですら曖昧である。曖昧ゆえに証明する内容も曖昧になる。
196 :
考える名無しさん:2012/08/05(日) 07:11:39.73 O
意識も突き詰めると物理学の法則、量子論なのだから
哲学の役目は終ったという物理学者がいる
意識は宇宙空間のような多次元の世界と同じである
>>194 おおネム氏、久しぶりであるw
数学なんていうほとんど形而上学みたいなもんを
どこまで目の前の自然に適用するのが肝要なのだろうな。
どんな偉い先生もその問いに答えを与えてくれない。
それは思弁的に解決するのか、トライアンドエラーしかないのか。
数学は制限なき道具なのか、それとも見えざる枷なのか。。。
貴方についていけない奴が全員だぞ。
またであるw
198 :
ゲーム:2012/08/05(日) 12:47:43.00 0
>>180 「通過する」のではなく“飛び越える”のです。w
そこを通ろうとすれば、そこ(ゼロ=絶対無)に落ち込む。
一旦、そこ落ち込めば“何も存在しない”そこから這い上がる術(力)はなく、
もしこの“宇宙”がそこを通過したのなら“ここ”は存在しなかっただろう。
そこを跳越したから、ここが“存在”しているのでは?
負(マイナス)を加減乗除するのは、多少はできるでしょう?
ただし負に対応する対象を描出できないのは事実。w
しかし、具象できない対象は他に幾らでもあるのでは?
199 :
ゲーム:2012/08/05(日) 13:25:17.14 0
>>197 このネム氏は、スモ氏のこと? ご本人に伺えばいいのでしょうが。w
もしスモ氏なら、彼は詩人でしょう?
もし私が詩人ならwwここで飛び交う抽象的な言辞(概念)を溶解する、
純粋に具象的な言葉を表出し、「科学」「哲学」的言説のスカスカな
胡散臭さを浮き彫りにするのだが。w
“数学”は、抽象的言辞の極北である。それによって記述された事象
だけが信用される。抄録氏ふうにいえば、よくできた“ツール”だ。
その限界はわかっている由だが、まだそれが“枷”といえるほどには
“存在”も“存在者”も解明されていないのではないか。
200 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/05(日) 18:31:16.09 0
>>198 飛び越える、のは、「何が」飛び越えるのでしょうか。具体的なイメージがわかないと、
僕はちょっと困ってしまいます。
>>183 > そもそも因果律を支える思考ってどんなものだろう?
因果関係の連想。
> 例えば、昨日なでしこがブラジルに勝った「原因」なんてありますか?
昨日の起こったことすべてはおとといが原因というように時間的に先行することすべてが原因。
> よく「あいつが球場に行ったから巨人が負けたんだ。」なんて話もあるけど
> それってばかばかしいこと?それとも妥当なこと?
妥当であるかの検証に必要十分なデータと計算力があれば検証したらいい。
> 原因Aならば結果Bが完璧な精度で寸分の狂いもなく必ず起こる
> そんなことって、例えば何か一つでもありますか?
すべての出来事は完璧な精度で寸分の狂いもなく起きています。
> それでも因果律ってのは経験則としては有効に思える。
> それってどういうことなんでしょう。
経験則でもありますが脳機能に思考能力として備わっています。原因Aから結果Bという因果関係があると
認識しこれを予測に役立てたい場合、当然ながら原因Aから結果Bになる対象があることを想定しています。
これが原因が結果を決定しているという世界観です。そして実際に役立つことがこの世界観が有効なことの
証です。
> 因果律ってのは、自然の何を見てるんでしょう?
唯物論では自然というかすべて物質なので物質(物質同士)の関係をみていることになります。
>>199 どうなんですかね。
論理の範疇に納めることのできる数学の限界はあるやもしれんですが、しかし。。。。
というのは、数の振る舞いについて、それを論理によって捉えきれないってことがあったとして
しかし演算は可能であるので、ある数式が証明不可能であったとしてもそれを道具として
使えてしまうならどうなのか。
例えば、三平方の定理とか証明されなくても、その数式が普遍に成立する公式だと仮定してしまうなら
いつでも使うことはできてしまう。しかしそれは「数学」とは呼べないか。数学とは何?
「存在者の振る舞いを解明する」ってことが、物理的特性を乗っけることができる
適当な数式を見つけることで十全なのか。
それともそこで利用する公式に対して論理による厳密な証明がされてこそ解明とするのか。
哲学的にその行為(=数式による世界記述)の意味を吟味するすることが不断に求められるのか。
ひょっとして哲学はそこに何の力も持ち得ないのか。
もう分からんですね、あたくしなんかにはw
203 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/05(日) 19:09:06.59 0
>>200 「通る」にしても、何が、というのは問題になりますね、すいません。
スレ主は公言していたとおりfacebookに移ったのかもしれませんね。
>>201 >昨日の起こったことすべてはおとといが原因というように時間的に先行することすべてが原因。
おとといが原因でなでしこが勝ったの?
貴方はそこにどんな因果関係を連想できますか?
抄録=サカ豚
うわあ
w
正直サッカーにはたいして興味がない
テレビも無いし
しっかしカラス君のケツまくりっぷりには
ちんこ萎むわ
210 :
考える名無しさん:2012/08/05(日) 19:53:54.66 O
昔からテレビのない家の人間は変わったやつが多かった
おれの通ってた小学校にシマモト君という黒人のような身なりのやつがいたが
日本人にしては唇がでかすぎていやにピンクがかっていた
そいつの家には電話とTVがなかったのだがそいつの前の番号だった
俺は連絡網の電話がかかるとひたすらそいつの家まで走って報せに
いったものだ。本当に変わった家で今でもこの世のものとは考え難い
光景が目に浮かぶ
ケータイも無いんだっけ
212 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 00:14:45.07 O
すべては必然だ!
何を考えても
何をしてもいい。
すべては必然だ。
たとえすべてが必然だとしても
それを事前に知り得る術が無い以上、より良い未来の為に思考し行動するしかないけどな
もちろん、何をしてもいい、と考えることすら必然であるなら止めようもないけどw
「「「「「「「必然と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然」と思い込む事が必然
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
これは思考がパターン化されてるって事だよね。一定の刺激に対して物理・化学法則により一定の効果が決定される。
つまり再現性があるという事。しかし「抄録」という単語を見てもその時々によって、気持ち悪いとかウンコとかサカ豚とか思考の結果は左右される。
これは再現性が無いという事になる。とすると思考がパターン化されているわけではなくなり、物理・科学法則により決定されるとは言いがたいわけだ。
物理法則だと証明するにはやはり科学的検証が必要なんだよね。しかしそれが一切示されていないんだよね。
科学的根拠が無ければ
>>1の主張はあっさり吹き飛んじゃうんだよね。はい残念賞W
それは独り言をタイプ別に分けてるだけであって、この世界で無限遡及してるわけじゃないでしょ
時間が順を守る世界であれば昨日を原因に今日はある。
だが我々の世界が時間を守るのであって我々が存在しない世界でそれが
通じるというのは単なる平和ボケで戦争などありえないといっているのと同じ。
時間の進み方が全て同じように見えるような安定した世界と、
時間が歪み進み方が恐ろしく違うものが隣り合わせな世界では
物の見え方や関わり方が定常ではないのは当然のことである。
>>215 現時点では「どちらとも言えない」状況でしかないわけじゃん
科学的検証は科学に任せておけば良い領域であって
哲学板でそれ言っちゃうとバカっぽいよ?
>>215 再現性ならあると考えますよ。検証出来ないだけで。
同じ状態を作れるなら「気持ち悪い」と何度でも同じように反応すると考えます。
以前同様のサイコロと確率の議論がされていました。
>>217 時間の順は原因となる過去が結果となる未来を決定するという時間の矢なのでこれは
崩れたり歪んだりしないと思いますがどうでしょうか。
同じような状態が起こらず知識の蓄積が事実上無駄になるような状況ならあるかも
しれません。
>>219 >科学史研究者の岡本拓司(東京大学)の文章には「測れるもののみが科学の対象」と書かれている[11]。これは、科学的な方法を論じるうえでオーソドックスな考え方である。
検証できないのなら科学的根拠の無いヨタ話という結論。
つまりそのような物理・化学法則は証明できないというわけ。
「考えますよ」なんて主観は根拠になりませんよ。
221 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 07:45:06.70 0
220
いつものことばあそびだろ。むしむし。
(こいつらのころころ変わるいつも曖昧な定義では法則ってのはアプリオリに存在してるらしいぞ。だから「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。」みたいな表現をしているみたいだぞ。でもそれって世間一般の物理法則、科学法則、さらには法則、って単語の用法じゃないよね。そういうこと。DQNなんだよ。)
222 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 07:46:26.60 0
イラッ イラッ
なんだ?そうだね?ことばあそびなのね?
ラプラスの魔なんて居ないんだし。想像だよ。
決定論も唯物論も宗教みたいにただ信じられているだけです。信仰の対象です。
根拠なんてありません。
すべては決まっている、すべては物質だと考えているのです。
逆に根拠のあることとは何でしょうか?
決定論の根拠は因果律だろ
226 :
ゲーム:2012/08/06(月) 09:17:32.51 0
>>203 御伽噺として読んでくださいね。w
何が通るのか、あるいは何が跳び越えるのか、については答えている。
「負の空間」と。
“負の空間”だけが「あった」いや「なかった」ということである。w
この負の空間を原的“力”とみる。
こんな御伽噺はともかく“この世界”は「無(ゼロ)から生じた」と思っていますか。
君が一神教徒なら、そこから「世界の発祥」を説明できるだろう。
もし、そうでないのなら、どのように解説されますか。大雑把で結構です。
そうか全て決まってるとすればどんな下品で卑猥な思考も物理法則だからと、責任逃れの言い訳できるのか。
例えば猥褻行為で逮捕されても、このような行為に至った思考は物理法則なんだーと言い訳するんですね!
228 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/06(月) 10:56:56.59 0
>>226 この世界は、ですね、常に有と無の間を行き来するもの、つまり、始まりと終わりがつながっていて、
永遠に伸縮運動を続けるもの、と捉え、考えています。始まりもなく、終わりもない。
このアイデアのキモは、円環状につながった時間ということで、無から生じたものでもなく、
無というのが、数学のゼロのように、表せるけど存在しないというふうに考えられるという
ことです。ゲーム氏と、それほどちがった考えというわけでもないのです。言葉の違いのみで(
それは好みでしょうか)。
おとぎ話を超えるには、数学の体系のなかに位置づけられなければならないと思います。
いずれにせよ、僕は「生じた」というふうには考えません。始まりも終わりもないと考えるので。
229 :
ゲーム:2012/08/06(月) 15:42:07.28 0
>>228 「往きつ戻りつ」する“世界”と「円環」状のそれとでは、イメージがかなり違う。
前者は、君が述べているように伸縮運動を繰り返す。この捉え方は“始まりの問題”
を解消できない。なぜ伸び始めたのか。始まりの前は“無”だったのか…等々。
円環状のそれは始まりと終わりは消去できるが、円環を可能にする“力”を、どこから
調達したのか。なぜなら、これは閉じた宇宙だからである。
数学、というよりも物理学的に記述できれば、ヒトの視野は拡張される。
が、御伽噺のタネは尽きまい。合理的な話よりも一般的には奇譚、稀譚、喜譚のほうが
好まれるからである。
>>225 決定論のなかでも因果的決定論と呼ばれるものです。
>>228 時間が円だと将来自分の人生と同じ状態がやって来て全く同じ人生を繰り返すのです。
インド哲学的ですね。時間が円だとする場合の時間の定義は何でしょうか。
231 :
ゲーム:2012/08/06(月) 18:25:09.05 0
>>230 AとBが因果関係にあるという場合、その根拠は何ですか。
具体的に「AとBが因果関係にある」というかたちで例示してくれてもいい。
>>231 因果関係という概念自体に根拠は無いです。
原因から結果になりそれが更に次の原因になる。この連鎖が時間の経過です。
なので過去と未来は因果関係にあるということになります。
これは因果的決定論の重要な概念です。
そして唯物論はすべては物質でありすべての関係は物質の関係とする論です。
物質はすべての構成要素です。
サイコロを振って1の目が出たとします。
サイコロを振る過去から1の目が出る未来になる因果関係です。
またこの話題しませんかw
>>1と真逆の思想ってどうなるのかな。
脳は意志によって進化してきたから意識により全ては決定される。
とか?
>>234 ビデオテープを何度も再生して、因果だ必然だと叫んでいるのですね
238 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/06(月) 23:09:03.55 0
ゲームさんとカラスさんにお答えします。
時間と空間は密接な関係にある。それは一つのものの別表現であるからだ。
一つのものを人間が解釈すると4次元になり、時間-空間という概念ができる。
もう一つのものが質量であり、それらの二つのものが物質の性質だ。
時間-空間の中に置かれたある重さの物質。
時間-空間の性質が変化するのが、物体の運動であって、質量は不変であり、
どこへもいかない。運動を記述するには時間-空間を与えればいいが、質量と
運動の関係を規定するのが、力である。力も、表象として意味を持つのであり、
ただの概念である(ただし、僕の理論記述の仕方で定義した場合のみ。力を
実在と見て組み立てる論理もあるだろう)。
時空は運動を記述するための仮の表象であるが、宇宙空間にまで視野を広げた時、
時空の本質である一つのものの変化に気づく。一つのもの、時空が、生まれたり
広がったりしているのであるが、極小と無限という、出発と目的地は、共に一つのもの
の変化であり、特別な性質を持つ。それは以下のようだ。質量は不変であり、生まれたりは
しない保存量だ。質量を持ったものは、気が遠くなるほどの時間をかけて、同一の状態になる。
その時、時間の円環が完了し、全ての属性は昔と同一の変化量として、あとは無限ループ
が完了する。もし時間が円環状にならないとしたら、この同一の変化量を物質の属性が
持つようになるという原理的な想像は、記述できるため理想の状態であり、永遠に始まらない
回帰運動として存在する。(唯物論の派生になった。)
>>234 > サイコロを振って1の目が出たとします。
なんどか振れば1がでるのは必然です、前の目に影響されて次の目が
決まるのではないです。
サイコロの振り方がコンピュータのシミュレーションで厳密な計算であれば
現実に近いサイコロを模擬するとすると力のかけ方、サイコロの形、サイコロが
転がる状況などのパラメータ次第で出る目は必ず同じ目となります。
決定論でいう必然とは定義される条件の段階を明確にしたように見せかけ
錯覚させて完璧なように語り。
結果として必然であるように表現しているだけであります。
何かの要素すら曖昧にするのがこのトリックの根源であります。
何故それらが通用するか?簡単であります人が説明するそれらは常に曖昧
であり矛盾が無いように表現できたとしても解釈は完全ではないからです。
それは論が神の技術な如く完璧な秩序で機能しているわけではなく、
神を創造する人の脳の定義で神がいくらでも化ける存在であるからです。
次の患者さんどうぞー
>時間の順は原因となる過去が結果となる未来を決定するという時間の矢なのでこれは
>崩れたり歪んだりしないと思いますがどうでしょうか。
私もそう思いたい。
だが世界の果ても世界の起源も曖昧な状況で果てや起源の前を理解して
そこでも通じる秩序なのでしょうか?
我々の近辺の世界で通じるそれは普遍であると何故言い切れるのでしょうか。
考えるのに我々の近辺ではそれが正しい。それでいいではないですか?
それ以上の範囲にまで適用するのは考えすら及ばない世界へ進まないといけない
でしょう。そこまで範囲を適用しないという閉じた世界に引きこもり思う
それでいいでしょう。
次の患者さんどうぞー
「機械的唯物論」者氏はスレ継続が困難になったため、
変わりの固定ハンドルにスレッドを委ねたい意向だそうです。
「意識は必然」としているのにサイコロを持ち出すのは筋違いでしょ。
>>1はサイコロは必然だなんて言ってないよねー。
247 :
ゲーム:2012/08/07(火) 10:17:55.74 0
>>233 「それらが原因と結果の関係にある」とみなす根拠をお聴きしているのである。
たとえば
>>232 があげている「いじめと自殺」が因→果をなしている、と断定されたとする。
いじめ→自殺は稀なケースなのに、この場合、なぜそう決めつけたのか、その“根拠”は何?
どういう場合に、それが因果関係にある、とわれるのか。
もし「物質が構成要素」なら“唯物論”とはいえないのではないか。
「物質を要素に“世界”を構成した」のは何か、換言すれば“物質”に差異、布置、変化、運動
をもたらした主体とは?
これは少し前に“コップ”を例にだした、抄録氏に対する質問と同じである。
コップは物体だが、それは構成(制作)されたもので、その“知的”主体はコップの“外”にいる。
つまり二元論である。物質が“意”をもっているのなら、別だが。w
物質は”意”を持っているよ
分かりやすく言えば、確率的にしか表現出来ない量子運動という形で
この運動の確率的な”偏り”により世界は一様ではなくなり複雑に絡み合った結果
”意”とでも言うべき現象となる
我々の意識にしたって同様のこと
しゅーーーばーーす おしゅーーーー(w
250 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 12:30:03.86 0
ぷあ?
決定論の決定とは、「決定する」という動詞なんだから、
「決定されるもの」は、決定されるまで決定されてないという前提がある
すべてが既に決定されているなら、決定すること自体が成立しない。
決定されるまで決定されてないという前提がある
何故そう考えるのか不思議でならない
253 :
ゲーム:2012/08/07(火) 16:34:59.70 0
>>248 「意」は“こころ”“気持ち”“考え”などの意。最後の“意”は意味という意。w
「物質」も“意(こころ)”をもっているそうなので、擬人化すると、俗にミクロ
と呼ばれる領域では、物質は確率的にしか自らを表現できないということらしい。
しかし、それは「意のままにならない」ということで、君のいうように仮に物質に
“意”があったとしても、意のままにならぬのなら、意は「ない」に等しい。
いわゆるマクロの領域では、物体は(たとえばコップを手放すと)力学に従って落下
し、横に飛んだり上方に舞い上ったりはしない。ここでも、仮に物質が“意志”を
持っていたとしても、規則に雁字搦めにされていて、ミクロとは逆のかたちで意は
骨抜きにされているようにみえる。w
物質が自らの意に沿って(確率論的でも、規則的でもなく)振る舞った例を何か一つ
あげてもらうと、ありがたいのだが。
お饅頭が食べられるまで、お饅頭は食べられていないという前提がある
何故そう考えるのか不思議でならない
>>253 ゛意゛の定義はこの際大した問題では無い。君がやはり無いと言うならそれはそれで良い
ただ、確率的な振る舞いが世界を一様では無くし、君の言う差異や変化を生み出すことは理解できるだろう?
>>239 前の目とは?
>>246 意識もサイコロと同じで必然です。
>>247 > 「それらが原因と結果の関係にある」とみなす根拠をお聴きしているのである。
どちらにしても因果関係の根拠は無いです。根拠を問われて因果関係を持ち出すことならありますが。
> たとえば
>>232 があげている「いじめと自殺」が因→果をなしている、と断定されたとする。
断定する側が根拠を述べればいいのです。
> もし「物質が構成要素」なら“唯物論”とはいえないのではないか。
> 「物質を要素に“世界”を構成した」のは何か、換言すれば“物質”に差異、布置、変化、運動
> をもたらした主体とは?
全部ひっくるめて物質ですが。何故かというより、このような定義なのです。
257 :
ゲーム:2012/08/07(火) 21:20:28.27 0
カラス君のは単なる主観主義。オレがこう思うのだから、こうである、と
いっているにすぎない。素朴観念論である。w
機械氏の唯物論(すべては物質である)を“正しい(真)”とする論拠は幾つ
かあって、その一つが「物質に“意”がある」ことだろう。
物質の“意”に沿って、物質を素材に、物質に差異、布置、変化、運動を
もたらした、いいかえると「物質による、物質だけの世界を構成した」と
いうのが論証されれば、唯物論は真理である。w
抄録氏よ、試みてみよ。w
>>257 いやwwお前も一緒だからww
気付いてないの?何のコメディだよww
物質は要素の意味に近い。だがすべてを積極的に物質の関係として説明することを期待するのである。
唯物論が批判するのはすべてを物質として説明しない態度や説明の関係の断絶。
つうか、物以外に何があるっていうの?この世界に
カラス君が言っている必然とは存在は有るから有るのは必然である。
といっているのと何の違いもない。
風が吹けば桶屋が儲かる
1.大風で土ぼこりが立つ。
2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える。
3.盲人は三味線を買う(当時の盲人が就ける職に由来)。
4.三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される。
5.ネコが減ればネズミが増える。
6.ネズミは桶を囓る。
7.桶の需要が増え桶屋が儲かる。
まさにオカルトからす
サイコロを多回数振ればどの目も同じ確率になる.
これが決定論の必然なの?
サイコロを振ると、どの目がでるかは決定論では説明のしようがない(不確定)
>>257 物質は状況に対応して自ら作動するわけですよ。
人間様の都合なんかおかまいなく台風は発生・成長してしまうんですよ。
水素が勝手に集まって核融合して太陽として輝いているわけでしょう。
なにより、生物(これもモノですよっ)は、“意をもって蠢く”(ように見える)じゃないですか。
また金属の話しますけどw合金てありますでしょ。
あれは例えば金属元素Aの原子と金属元素Bの原子が一様に混合した固体じゃ「ない」んです。
もちろん高温で溶かしてムラの無いように混ぜ合わせるんですが、
それがそのまま固体になるわけじゃあない。
ほとんどの合金は、固体になる過程で性質の異なる「相」に分かれて「組織」を形成するんです。
ちょうど人間社会で、ノリの合った者同士がグループを作るようにw
そりゃあもう、原子が勝手に動いていっちゃう。
自発的にwその「差異、布置、変化、運動」なんかを成すんです。
・・・こんなんじゃ納得しませんか?w
266 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 00:33:54.64 0
物質ってエネルギーに変わるんだよね。
全ての物質がエネルギーに変換できるのだから唯物論も半分しか説得力が無いよね。
そして意識もエネルギーと言えるよね。
唯心論も半分は正しいと言えるよね。
>>265 自発的にじゃなくて化学反応的にでしょ。「勝手に動くように見える」でしょ。
主観まみれの意味不乙
>>267 「エネルギー」を文学的に捉えているようですね
270 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 00:55:00.60 0
>>268 「化学反応的」こそヒトによる呼称、理解の仕方にすぎないのだよ。
だいたい、考えてもみなさい。
凡そ物質が「法則」なんてものを気にしながら振る舞うかよ。
物質の振る舞いをヒトが理解するときに、それは法則に沿ってるんだよ。
法則を気にしてるかは知らないけど法則に沿って運動してるのは確かだろ?ひょっとしてバカの方ですか?
物質が法則を気にしていないはずだから自発的だ!
↑
アホの子ですか?
物質にとっては自発的になるのだろうけどヒトにとっては法則に則っているのだよ。
つまあり砂六は主体を物質に置いているだけの視野の狭い主張しかしていないんですよW
273 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 01:06:29.46 0
>>271 どうして法則に沿う(ように理解される)のか。
それは本来、物質そのものの性質に依存してるだろう?
そこを離れて「ルールそのもの」なんてものは無いってことですよ。
貴方、自分だけはバカでないとでも思ってるのかしら。
274 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 01:14:40.48 0
>>272 人間も「モノ」なんですよ。
「ヒトにとっては法則に則っている」ってのは状況説明。
そこに止まったのではいつまでも二元論のままであって、
意識はいつも物質の外にあってその存在を神に保証されなければならない。
貴方、このスレを見ててそれに気がつきませんかね?
唯物主義者である私が物質に根源を置くのはあたりまえ。
貴方が生まれる前から物質はある。
「ヒトにとっては法則に則っている」なら
ヒトがいなけりゃどうなるの?物質の振る舞いは変わるの?
>>274 >そこに止まったのではいつまでも二元論のままであって、
君は唯物主義者なんだよね。それって一元論のままだよね。二元論より劣るよね。
意識って物質じゃないよね。エネルギーだよね。これだけでも”唯物”じゃないよね。君の生まれる前からエネルギーはあるよね。ははは。
ひょっとして物質の対義語が意識だと思ってるの?ははは。
>ヒトがいなけりゃどうなるの?物質の振る舞いは変わるの?
変わるわけないじゃん。物質だけの世界だとしてもその運動は法則に沿うに決まってるじゃん。
ヒトがいなければ物質が自発的に運動するのなら、宇宙の始まりに迫れるわけないよね。有史以前の宇宙の状態が計れないからね。
でも宇宙の始まりにかなり迫ることが出来ているよね。物質の自発的な運動は否定されるんだよね。はい残念賞。
>>275 あなたは「エネルギー」という言葉に多くを期待し過ぎです
言葉の印象に引きずられて、何かあり得ないものを見ているかのよう
>>276 それ物質に置き換えて砂六にも同じ事言ってあげなよ。
いえ、あなただけに言っているのです
>>265 自発的というのは物質の振る舞いはその物質の内によるものということでしょうか。
万有引力で引き合う2つの物体は自主的に内部で相手との距離を測って2乗に反比例するように
相手に近づいていくのでしょうか。
280 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 01:39:43.48 0
>>275 一元論は二元論よりも「劣る」の?
それってどこ情報です?w
あとですね
前にも言ったことありますけど、
凡そ純粋なエネルギーなんて取り出せないんですよ。
電子と陽電子が衝突したら、確かに電子と陽電子は消滅するけれど
それに相当するエネルギーはγ線となる。結局は物質。
私が「エネルギーは(物質の振る舞いを測る)ツールだ」というのはそういうことです。
「実体としてのエネルギー」を仮想することは勝手なんだが
物質を離れてエネルギーなんて存在しないでしょ。
ちょっと落ち着きなさいよ。
おいらだけに言うのは君にとって都合が悪いからだよね。
つまり君は砂六と同じ主張だと言うこと。
物質に置き換えてしまうと砂六を否定する事になり、ひいては自分自身を否定してしまう事になる。
君はおいらを否定したつもりでも自分を否定してしまっているのだよW
>>280 あなたは「物質」という言葉に多くを期待し過ぎです
言葉の印象に引きずられて、何かあり得ないものを見ているかのよう
エネルギーの定義は共有できているのかな。
両者違うイメージで語っても同意には至らないんじゃないかな。
定義は重要ですよ。
予想通り、
>>276は自作自演扱いされてしまったか
何を言われても吟味してみる気はないみたいですね…
285 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 01:52:00.65 0
>>282 モノは太古より見える、さわれる、食べれる。
「あり得ないもの」なんかじゃないんです。
「エネルギー」という近代に見いだされた思考節約上の概念とは異なるわけです。
もっと冷静に考えて。
286 :
ゲーム:2012/08/08(水) 09:11:58.41 0
>>265>>270 抄録氏
自ら作動? まさか。他の選択肢を採ることも可能という意味?
擬人化しているので、こちらも…w
すでに指摘されているように、物質は“規則”に従っているだけ。
抄録氏の言表とは逆に、もし物質が「法則」を気にしながら振る舞うのなら、
たとえば時に法則に違背する振る舞いに及ぶようなら、少なくとも物質にも
ヒトなみの“意”があるといえるかも。w
( ̄_ ̄ )。o0○(定義したら科学になっちゃうじゃないか。物本の科学が面倒で敷居が高いから哲学やってるんだろ。こいつも。自分でやる気ないくせに定義の共有とかいいだすんだもんな。まいるよ。…)
288 :
ゲーム:2012/08/08(水) 09:40:51.15 0
>>273 物質の性質? たとえば酸素にはどんな性質があるの?
思うに、それは“構造と機能(働き)”のことだろう。
その性質(構造と機能)は、物質が恣意的に選択したものではあるまい。
いわば“植えつけ”られ、たとえば「酸素」として存在せしめられたのだろう。
物質には生誕時より自発性のカケラもなくw、その後も規則にそれと知らずに
盲目的に従う…、これが物質なる存在ではないか、擬人化していえば。
たとえば、ニュートリノは理論上、実際のいずれでも、
直接に見ることも、聴くことも、さわることも、食べることもできず、
衝突の際に生じるとされる発光という間接的な現象でしか、
「存在」を知ることができないのだから、物質ではないのですよ?
で、どんな物質であれ、本当に「直接に」見ることは可能なの?
290 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 10:11:08.20 0
>>286 擬人化するのはゲームさんの常套手段。
規則に従うのはヒト。従うためにわざわざ規則を作ったんだから。
物質は選択の余地があれば「条件無し」で選択しなければならない。止まれないんだから。
物質の振る舞いを十全に決める「規則」なんてものが必ずある根拠なんて「無い」んですよ。
そんなものが「ある」と信じるのが「因果による決定論」。
莫大な数の粒子が統計学的に振る舞うことで、そこに高い精度で「特性の強度」が成立する場合、
その状況をヒトは「法則」と呼ぶ。
だいたい、ヒトにも「法則に違背する振る舞い」をする余地などたいして無い。
所詮はモノなんだから。
死なない限り生きて行かなきゃならない。
生きるためには食わなきゃならない。
食うにしたって、霞じゃだめ。
空気が無けりゃ生きられない。
ヒトは状況が許す選択の中でのみ選択を許される。
そして、その統計的な行動原理に“規則性”を見いだすことは、ままあることでしょう。
ただ、物質が選択肢の中から「条件無し」に選択するときに、どうしてその選択が確率的になるのか
そしてその確率がどうして「規則的に」変動するのか、いったい確率とは何。
それはお約束の2年後くらいにw
γ線って物質だったんだー。電磁波だと思ってたよ。
砂六が僕の書き込みによって僕の法則通りに操られているモノだと言う事が証明されたわけですね^−^
確率って期待に対する「確かさ」の度合いのことだと思ってたんだけど
間違いだったのか。期待の存在しない状況で、「確かさ」の度合いって
何なんだろう?
294 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 10:29:25.41 0
>>288 酸素は「酸素としての性質」があり、それは酸素でしか成立しない性質。
水素と一緒になって水を作るのは酸素。
ヒトは酸素の無い空気では呼吸できない。酸素以外に代用はない。
その性質が「植え付けられた」?
誰がどうやって植え付けるんです?教えて下さいよ。
水素にどんな構造と機能を植え付けたら酸素になるんです?
そんなことは神にも不可能。
酸素はビッグバン時、あるいは核融合によって「生成」した、というのが“定説”。
物質が状況を作り、作られた状況に対応して物質は作動し、選択し、自らを成す。
盲目的というのは確かにそうでしょう。酸素は自分が酸素である所以など知らんでしょう。
295 :
ゲーム:2012/08/08(水) 10:35:44.90 0
>>274 「人間」も「コップ」も「太陽」もモノではなく、コトである。
無常の存在である。まだヒトは物体というコトしか知らず“物質”には
触れたことも視たこともないのである。
もし基底に、あるいは根源に“不変”の何か(一者)があるのなら、唯物論は正しい。
しかし伝聞から推測するに、それはモノというよりもエネルギー(力)と呼ぶほうが
適切らしい。もしそうなら、それは実体(粒子)的存在ではなく「“差異”としてある」
ということだろう。それが“エネルギー”のありようだからである。差異は流動する。
遡行の果てに見出せるのは“差異”なのではないか。
296 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 10:52:56.03 0
>>295 人間もコップも太陽も物体も「コト」であるなどと、どうして言い切れます?
それが「コト」であるために、それを「モノ」と対比する必要があるはず。
モノありきで、コトの意味が成立している。
モノが無ければ、少なくとも「コト」の意味は変容する。
コップが「コト」だとして、では「モノ」は例えば何です?
貴方の常套手段を借りれば、コトもモノも「概念」。
コップがモノだとして差し支えない状況で、それはモノと言うことができる。
「真の実体」とか「真の粒子」とか「真のエネルギー」とか「真の電磁波」とか
そんなものはありゃあせんのですよ。
しかしエネルギーとか電磁波とかニュートリノwとか
それらの概念を使うことのできる状況が確かにある、ってことが真なわけです。
ゲームさんは底抜けの相対主義(≒空)とやらを認めると言いながら
しかし「基底」とか「遡行の果ての差異」とか、
やっぱり「空想によって掴める何ものか」を求めますか?
自然は恐らく空想によっては掴めないんですよ。
しかし掴めない、ってことを論理によって知るのですw
297 :
ゲーム:2012/08/08(水) 10:53:10.31 0
>>290 物質に自発性がある、と擬人化されたのは抄録氏。
私は一貫して、そんなものはない、といっているのである。
物質に「選択の余地がある」のはどういう場合? 具体的な事例で。
物質が“規則”に逆らって振る舞った例あげてくれてももいい。
ヒトについては、また別の機会に。そこまでいきたいのだが、モノとか
力とかの話題がつきないので。w
物質は自発的に作動する→ヒトはモノである=ヒトは自発的に作動する
砂六によればヒトは自由でなく法則に沿って動くんだよね?あれ?自発的?^−^
299 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 11:08:44.24 0
>>297 自発的とは、「外力など要せずに作動によって自らを成す」って意味ですよ。
そこに「ヒト的な意志」なる文藝を(意図的にw)介入させたのはゲームさん。
金属内の自由電子は、誰に言われることなくずーっと動いているんです。
光子は光速で走るしかないんです。
そこに「力」とかはいらんのですよ。
自発的とは、「規則に逆らって」などを意味しない。そんなことわたし言いました?
貴方が勝手に「力と規則」を一緒くたにして話を膨らませているだけですw
300 :
ゲーム:2012/08/08(水) 11:24:03.42 0
>>296 「コト」を辞書的な意味で使っている。それによれば「振る舞い、状態」
を指している。「変化しつつ運動する」とも述べてきた。それを可能に
しているのは“力”だろう、との推測をも言表してきた。
不変の「モノ=物質(粒子)」などあるまい、というのが私見。
もちろんコップをモノと呼んでもかまわない。が、それは力の流動が
停滞した、いわば“力”の変奏態であって、変化と運動が止むことは
なかろう。
「存在」とはコトであり、様々な貌を(時には物体ヅラをw)みせはする
だろうが、そこにも“力”の貫徹、その流動を指摘できるはずである。
>>300 貴方に言わせるなら「変化と運動」も概念。
そして変化は「変化しないなにものか(=概念)ありき」でしか成立しない。
概念が不変である根拠はない。しかし不変としなければならない。それ以外に道はない。
そしてこの世界は、それが可能な世界。
力の貫徹やら流動やら、そんなものが指摘できるような世界であること(のみ)が重大問題。
302 :
ゲーム:2012/08/08(水) 11:49:03.81 0
>>299 それは以前にも述べたけれども、電子が質量⇔エネルギーすなわち“力”を
有する存在だからである。光子には質量はないらしいが、純エネルギー態
とみなされている。質量⇔エネルギー(力)なしに、光もまた走ることはでき
ないのである。
また「外力なしに」と抄録氏は述べているけれども、それは怪しい。
少なくともビッグバン以後w、力の不在の領域は存在しないのでは?
303 :
ゲーム:2012/08/08(水) 12:13:11.45 0
>>301 変化や運動の概念は、抄録氏の好みの言葉をつかうなら“自然”の
観測事実から導かれている。方法しだいでは、変化も運動も観測
でき、そこからそれらの概念を獲得したのだろう。
それに対して、いかなる方法であれ“不変”をヒトはまだ観測した
ことがあるまい。これは、抄録氏の主張とは逆に、自然の諸変化、
諸運動の経験をもとに、変転する“万物”の上位に、もしくは根源に
仮構された純粋概念である。“超越神”の構想のしかたと似ている。
>>302 「電子が力を有する存在である」など独断に過ぎる。
貴方がカラス君を揶揄したごとくの素朴観念論。
「動いてんだから力が内在してんだよ」とのドグマ。
光が純エネルギー態であるとか、ほんまかいな。
まあ、それも言ったもん勝ち。
>>303 変化しか観測できないからですよ。
しかし変化しかないこの世界で、その純粋概念としての不変がどうして成立可能だと思いますか。
結局貴方は「ヒトの観念はそのようにある」ってところで止まるわけです。
自然はその純粋概念とやらが成立可能なようにできているわけです。
二元論で終了です。もう解決されてない問題はありません。
>>265 物質が自発的(内部的?)に振舞っているとしたら、万有引力は他の物体との距離を測って
2乗に反比例するように次の位置を求めて移動していることになります。
どうやって距離を測っているのでしょう。
>>287 定義というほどでなくても、自分がその言葉を使った理由はあるでしょう。
自分のイメージを相手に伝えるためにその言葉に置き換えているのです。
>>290 > 物質の振る舞いを十全に決める「規則」なんてものが必ずある根拠なんて「無い」んですよ。
> そんなものが「ある」と信じるのが「因果による決定論」。
これだと唯規則論になってしまうのでは?因果的決定論は唯物論的ですよ。
>>293 そうですね。逆に言うと期待(予測)精度の高さが確率になります。
307 :
ゲーム:2012/08/08(水) 15:12:41.42 0
>>304 電子には“質量”がない? 質量でもエネルギーでも呼称は何でもいい。
電子は“無”ではない、ということ。私は“有”を「力」と称しており、
力の有/無が「それが存在するかどうか」を決める、換言すれば、それが
存在者である条件は“力”を有するか否か。存在しているのに、そこに
“力”が不在なら、それは矛盾である。
「ある」と「ない」は共存できない。違う?
光子にはエネルギーがない? では何が光らせ、走らせているの?
抄録氏が崇める“素粒子”もタダで(力なしに)存在する(振る舞う)ことは
できないのである。
話になってないな
流石にこんなアホの相手するだけ時間の無駄だと思うけど
ここは自分の使う言葉の意味も決められず違うイメージで解釈されている
かもしれない状態で合意に至らず延々と争うスレッドです。
310 :
ゲーム:2012/08/08(水) 16:57:24.43 0
>>296 どこまで遡行しても掴めるモノはないといっているのだが。
“差異”は粒子と違って、把捉できないからだ。むろん、御伽噺である。
が、存在の根源に素粒子がある、というよりはマシでは? w
>>303 抄録氏は、こういっている。不変(という概念)が変化や運動(なる概念)を成立
させた、と。それは違うのでは?といっているのである。
抄録氏も認めるように変化や運動しかない。にもかかわらず、そこから“不変”
という概念が抽出されるのは“自然”がそれを可能にするからではない。
抄録氏のいう“自然”と“論理”は共同幻想であり、不変という概念が流通し、
流布されたのは、たぶん一神教の広まった地域と重なるだろう。
しかし、この国では「不変なるものはない」というのが一般的(共同の)観念。
“自然”のかたち、概念は共同体ごとに異っているのである。
(ヒトの観念については、おいおいと)
>>265 > 物質は状況に対応して自ら作動するわけですよ。
自ら動いているともいえないことはないが、状況のほうが主因である。
状況に逆らう能力がある場合に状況ではなく自らといえても、
それは状況に対応しているわけではない。
>>307 電子の質量は測定され、それを利用できる範囲で「ある」わけですよ。
貴方によれば電子に質量があるなら、それは力を持ってる、とそうなるんですか?
光子にもエネルギーは「ある」わけですよ。
しかしエネルギーが光子を光らせ、走らせているのではなく!
網膜と作用して光を感じさせ、また光速で走り、その特性(周波数とか)に対応する
エネルギーを持つ、この状況説明が適当とされる何ものか、即ち光子であり、
「何が光子を走らせているの?」とか、てんで話が噛み合わんのです。
あと、「力」はエネルギーじゃないでしょう。エネルギーを力と同一視しておられるなら
ゲームさんのそのエネルギーの理解はカラス君と同様「活力」に近い。
その曲解された「エネルギー」はしかし質量と等価とすることはできませんよ。
何度もいいますが、概念(≒言葉)は、それが適正に使われる状況があるんです。
世界は論理的にできてるんですよ。
しかしその適正な使い方を掴むのは容易ではない。
私の例え癖もたいがいにせんといかん。
またそのうち来ます。
>>270 >凡そ物質が「法則」なんてものを気にしながら振る舞うかよ。
>物質の振る舞いをヒトが理解するときに、それは法則に沿ってるんだよ。
理解しなくても法則に準じるように収束するのが自然の原理です。
それは個々が法則に従うのではなく全体の繰り返しが淘汰されたときに
法則に従うということです。
>>274 >人間も「モノ」なんですよ。
物質と「モノ」は違います。
人間を物質と呼ぶのなら分かるが、モノでは変すぎる。
>「ヒトにとっては法則に則っている」なら
>ヒトがいなけりゃどうなるの?物質の振る舞いは変わるの?
ミクロ的に法則に沿っていなくてもマクロ的に法則に沿っている場合に
ミクロ面のみを誇張することですか?
>>311 んー
その「状況」を作りだしているのが、これまた物質だろう、
と、そう考えているのですよ。マッハ原理的な感じで。
表が裏であり、裏が表であり。。。。
・・・この喩えはちょっとひどいね。本質はぜんぜん違うのだろう。
貴方もちょっと考えてみて下さい。
性質二元論で終了じゃないのか?
>>313>>314 ちょっとよく分からん。
少し具体的な状況を語らないと話が続かないかも。
またです。
318 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 17:48:06.51 0
この速さなら言える
今日俺の誕生日wwwwwwww
誰も祝ってくれなくて涙目wwwwwwwww
誰か祝ってくれwwww
寂しいお(´;ω;`)ブワッ
320 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 18:10:25.90 0
>>318 ネット越しの空虚な祝いの言葉なら簡単に掛けてやれるが
そんなもので君の寂しさは紛れるのかい?
そも、誕生日とは本当に祝うべきものか?
哲板の住人なら哲学でもやって紛らわすがいい
321 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/08(水) 18:10:35.34 0
322 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/08(水) 18:13:44.00 0
かぶった!うえうえ
323 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2012/08/08(水) 18:18:14.72 0
世の中はどんどん複雑になっていっている。エントロピー増大則おそるべし。
324 :
ゲーム:2012/08/08(水) 19:21:19.01 0
>>312 結局、抄録氏もエネルギーの“存在”を認めているではないか。w
力は“存在者”を貫徹している、何かが「ある」のなら、それは“力”として
「ある」といっているのだが。“力”は質量もしくはエネルギーとして「ある」。
ちなみに、エネルギーでないのなら、光を走らせているのは何?
抄録氏の観念世界は、抄録氏からみて論理的かもしれないが、他者からみれば
妄想的な物質教かもしれず、そう単純ではないのである。w
力は差異、布置、変化、運動としても発現する。
抄録氏の崇める物質は、力の一つの様態である。
ここまでなら“唯力論”だが、質量にもエネルギーにも還元できないものが「ある」
のではないか。“意識”である。
たしかに感覚し、知覚し、思惟し、推論する(つまり意識する)ためにはエネルギーを
要する。しかし、その意識“内容”には質量もエネルギーも「ない」のではないか。
>>315 >その「状況」を作りだしているのが、これまた物質だろう、
浅いな、物質の存在だけでなるわけではない。
主因はその物質の状況(配置関係)であって物質そのものが主因ではない。
何故なら場合によっては物質の置き換えによって同じ性質となることがある。
>>325 たぶん物質が成す【形】に意味があるのに物質なら全部同じと思ったんじゃない?
人間と肉の塊は同じ物質みたいな。
327 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/08(水) 20:36:52.44 0
>>324 何をはしゃいでおられるのか分かりませんが
エネルギーは存在するでしょう。存在しないものなんてない。
しかしそれを「存在する」と言ったとして、何か意味のあることを言ったわけでもない。
それくらい分かるでしょう。
また、光は自分で走ってるんですよ。ずっとそのように申し上げているはず。
何が車を走らせているのか?
運転手?エンジン?ガソリン?ひょっとしてエネルギー?
どんな答えをお望みなんですかね。
単純と思われたなら、貴方に成立するその思いのみが真実。
わたしからこれ以上言うべきことはないですよ。
“物質は力の様態”とか、私にはばかばかしくて
「そうですか。」としか申し上げようがない。これも真実。
>>325 おまいさんが浅いと思うなら、それでいいんじゃないか。
私から反論することはない。
力とか物理法則だろ
こんなもん議題にして何になるんだ。
初期条件と物理法則を物理世界、物質世界と呼んでるんだろ。
329 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 21:23:58.17 0
つまり砂六にとっては、動くもの全ては自分で動いているという事になるんだよね?
投げたボールは自分で動いてるって事だよね。投げた人によって「動かされてる」とは考えられないんだよね。
┐(´ー`)┌ヤレヤレ
>>330 投げた人も物質だからだろ
揶揄するにしてももうちっと考えてからにしようぜ
知能障害スレ
>>331 投げた人が物質だから?投げられたボールは自分で動いてる?ってこと?
ボールって外力が無ければ動かないよね。自発的に動くことなんてできないよね??
>>333 それは系の問題でしょ
高校出たらまたおいでよ
>>335 いやアンタさ…
>ボールって外力が無ければ動かないよね
どういう系を考えて「外」力と書いたのか、説明してみ
>>336 >投げた人も物質だからだろ
どういう系を考えてこんな事言ったのかな^−^
338 :
考える名無しさん:2012/08/09(木) 05:57:04.63 0
バカホウが土俵入りの不知火型を勝手に雲竜型もどきに変形して演じてたのは問題だな。
こんな勝手なことが許されるのか?
>>313 自然淘汰と一言でいえよ。グダグダ言うな。
つまり自然淘汰そのものが法則になるってことだろ?
340 :
ゲーム:2012/08/09(木) 09:37:03.77 0
>>327 少し前に「エネルギーはツールだ」みたいなことをいっていたのでは?
それはヒトが対象を記述するときに用いる、計量手段という意味では?
しかし、それが“物質”と同じように存在するということなら、一つ質問する。
どちらが根源的? 私はエネルギーとみる。
ただし「力はエネルギーだ」とはいっていない。逆。エネルギーは力である。
ついでにいえば「質量は力である」。
遡行の末に見出せる、といっても推論できるのは“力”であり、それは“差異”として「ある」。
これがバカバカしてのなら、抄録氏も「物質が根源的存在」とか「物質は勝手に動く」といった、
出来がいいとはいいかねる御伽噺ではなく、いま少しマシなのをお願いしたい。
光が振る舞うのは、そこに“力”があるから。ここを反証してくれればいい。
敷衍すれば、差異、布置、変化、運動を可能にするのは“力”である。
間違っていれば「ばかばかしい」などの感想はけっこうだから、指摘してみて。
>「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
これって意志の内容が決定されるってこと?意志の発生が決定されるってわけじゃなくて?
>>340 質問質問
1、光が100m進むのにも”力”は作用してるのかな?
2−1、この”力”は100m進んだ分消費、あるいは何かと交換されるのかな?
2−2、それとも従来のエネルギーと同様に消費はされずに保存されたままなのかな?
3、2−2が是だとすればそれはエネルギーそのものであるから、どうも”力”イメージし難い
エネルギー以外の形で”力”が物質あるいは”何か”作用する実例を挙げてもらえるかな?
343 :
ゲーム:2012/08/09(木) 09:59:29.27 0
>>328 新参者? お隠れになったスレ主がたいそう物理学に詳しいかたでした。
必然的にニュートン力学、相対性理論、量子力学の最新の達成を踏まえw、
それをオカズに“存在”を問うという格好で進められてきました。
“力”を云々するのは、決して本旨から逸脱しているわけではないのです。
もう一つニーチェ以後、“力”は(反)哲学の主要テーマ。“力”は科学と
哲学の接点になる概念ではないでしょうか。
物理一辺倒な人が生物という複雑系を理解できずに、単純にモノ扱いすることで理解した気になっているのですね!
ただの生化学反応、刺激に対する反射を自発的(物事を自分から進んで行うさま)とまで言っちゃうなんてねー。
342 :考える名無しさん:2012/08/09(木) 09:58:50.28 0
>>340 質問質問
1、光が100m進むのにも”力”は作用してるのかな?
とりあえず質問1までみてやったけど、おまえ、高校物理は入試の為だけの学問って知ってる?
おまえのレスからは高校臭がにじみでてるぞ
真理の探求をやる気があるのならせめて大学の理系科目くらいはマスターしような
やる気ないならチラ裏にかいとけ。絡んでくんな
力という言葉の意味内容がゼロなんだよ
物理法則 この一言で済んでるの。物理法則以上の意味があるなら教えてくれ
いつものはぐらかしかw
いいよ、じゃあひとつだけおしえてやる、342の問い1のこたえはイエスだ。力は作用してる。
あとは自分で大学図書館こもって調べろ
348 :
ゲーム:2012/08/09(木) 10:47:45.35 0
>>342 光はエネルギーであり、力である。それが何らかの振る舞いをすれば、
それは何らかのものに分散、変換されるのではないか。
たとえ100Mといえども。
質量は力であり、それは時空を“曲げる”といわれている。
もう一つ先日、軽く仄めかしたのだが、意識するためには身体はエネルギーを
費やすだろう。しかし、その意識“内容”たとえばクオリア、表徴、観念、概念、
思想には質量(エネルギー)は「ない」のでないか。
にもかかわらず、たとえば「マルクス主義」は人事に限られはするものの一定の
“力”を有していたように思える。
一般化すれば、主観(意識)、共同主観には質量はない。たぶんエネルギーも。
が、ある種の“力(働き)”を持っている場合を否定しがたい。
この力と、計量できる前者の力とを結びつける手立てはありません。w
ゲ0無ってコテも何か言ってるようで何もいってないからね
>間違っていれば「ばかばかしい」などの感想はけっこうだから、指摘してみて。
相手に説明させて自分の論をつくる。これはpikarrの上等手段ですあな
お盆まえに もいちど病院いっとけば
351 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/09(木) 10:57:57.87 0
>>340 物質もエネルギーも「存在する」が「同じように存在する」とは言えない。
なぜなら、貴方のこれまで言われるところの「存在」とは
“真の実体など無く、実在も無いが、しかし存在はある。”
そのような意味だったでしょう。
ならばその思考構造と矛盾しない「存在しないもの」なんて挙げられますか?
貴方の言われる存在とはその程度の意味しかない。
個々の考究対象がいかように存在しているか、のみが意味を持つ。
それ以上は悟り、宗教の類。みなさん的には「無駄なおしゃべり」。
私の御伽噺の出来不出来については、私も判断しかねる。
駄目だと見切れば即撤回するw
力を定立するのは、ゲームさんが否定する「不変」の肯定。
物質を越える力、物質に内在する力
これらは本来変わりようがない。
もし変わると言われるなら問いたい。「何が力を変化させるの?」
力をある一様態へと変える、その動因は何?それも力?
「何が光を走らせるのか」と問うならば、無限のきりきり舞いに落ち込む。
光は光として振る舞う(変化する)が故に光である。
これが答えの半分。
後の半分はちょっと分かりません。
352 :
考える名無しさん:2012/08/09(木) 14:05:54.05 0
ゲ−ム氏の述べる「力」とは、物理的な素粒子の分裂と融合で発生する「エネルギ−」を
「力」と述べると同時に、哲学的認識としての「主観的存在と客観的存在を貫徹する力」とも
述べている。 つまり、「力」には、時間・空間の領域(物理界)である「有限世界」と、時間・空間の
概念のない「無限的世界(客観的領域)」での「力」の両方が存在すると、述べている。
この「力」の連関は、双方(物理的な力と、客観的な力)との「差異」による「反復」が、変移としての
「物質」を形成させる。
以上の観点から、「物」は、偶然性の性質を持ち、「物質(科学的)」は必然性の性質を持つ。
「反復」は、「意」を有した活動であり、物理的概念の「力」と、客観的概念の「力」とが「反復」する
ことにより「意」を有した「物質」へと変移するものと解釈される。
何をごちゃごちゃ訳の分からない難しいこと言ってんだろ?
力の定義なんて簡単だよ。日常言語の「力」という語の用法そのものだ。
「意図にかかわらず従わせられる作用/意図に従わせる作用」を「力」と呼ぶ
355 :
考える名無しさん:2012/08/09(木) 19:32:00.27 0
うん、そいつはバカです。
どこへもいけない悲しさに
おもわず悲しみました
357 :
波平:2012/08/09(木) 19:54:23.88 O
おれは波平だ!
〜不変なるもの〜概念が生まれる時
“不変なるものはない”
この言明が意味を持つためには、実は「不変」を知っていなくてはならない。
「不変ありき」なのです。
不変と変化、これらは単独では上手く意味が成立せず、いわば相補的です。
なぜなら変化とは結局「○○の変化」であり、この○○に不変が介入するからです。
ヒトをして「不変」の理解を支える、その根拠とはいったい何か。
それは「変化のありよう」を概念化できたときに不変が成立するという
ちょいと逆説的な話なのです。
例えば、440Hzで振動(変動)する空気中に身を置くならば、
音に敏感な者ならばそこに“不変なる”「ラ」の音を認識する。
世界には一見、変化しかないようにも見える。
しかし変化のありようが不変かつ普遍である、
そのように捉えることができる事態に満ちてもいる。
それはまた先の音のように定常的な状況に限らない。
例えば刹那的な雷光雷鳴は毎度異なるが、それはやはりカミナリなのです。
ヒトはそこに不変な何ものか(≒質)を見いだすことができてしまう。
そのためには「時間を超える自然の斉一性」がヒトを含む自然を貫いているのが
必要条件ですが、十分ではない。
ヒトが概念を持つというのは当たり前のように見えて、実は不思議なことなのです。
音に敏感な人を限定して不変とはねえ。
敏感じゃない人にとっては不変ではない、「不変ありきではない」と言うことですよね。
つまり不変になる条件を揃えている人だけ不変になるのですね。
「○○になる条件を揃えていれば○○になる」
砂六は当たり前の事をドヤ顔で主張しているだけなのでございますW
360 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 00:47:04.25 0
>>359 敏感じゃなくても不変だろ。「ラ」かどうか分からんだけで。
突っ込みがぬるいんだよ
あと
「○○になる条件を揃えてやる」
そうすることが可能な世界であるのは自明なことだと思いますかね。
分からんのなら不変じゃないだろWWWWWW
突っ込みがぬるいんだよWWWWWWWWWWWW
362 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 00:50:58.76 0
ドレミが分からんでも歌は歌えるだろうが
同じ音程かどうかは分かるのだよ、普通はな。
おまえは先ずパンツを履け
>「○○になる条件を揃えてやる」
僕は「○○になる条件を揃えていれば」と書いたんだけどねえ。揃えてやる?何勝手に作り変えてるの?
砂六は言い返すためには相手の主張を勝手に改竄する卑怯者なんだね。やれやれ。
364 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 00:53:20.86 0
>>363 ほう
そこにどんな本質的な差異がある?
言ってみそ
音に敏感じゃない、つまり聴覚異常はラどころか音程すら認識できないんだけどねえwwwwwwwww
パンツ?追い詰められて下品な言動に走ってるのが、君という物質の思考パターンなのですね?
結論:砂六は追い詰められると下品な思考に走るのは必然である
ほらなw
369 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 00:58:37.67 0
>>365 極端なことを言い出したら、なんでもありなんだよ
目が見えなきゃ、色の識別なんか問題外だろう
話の本質から外れて詭弁に逃げてんのはおまえだろうが
もう少し気合い入れてこい
「〜してやる」と「〜ならば」が本質的に差異が無いと見ている日本語バカが約2名おりますよ
砂六は正面からでは反論出来ないと判断し、日本語の使い方で反撃を試みようとしていますうwwwwwwwwwww
371 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 01:03:44.24 0
なんだ語れないのか?
ちょろちょろと出てきちゃいじけたレスしやがって
もっとあるだろ、ずどーんとくる突っ込みがよ
何でもありなら「差六の主張は全て間違いである」も正しいって事だよね。
自己否定乙WWWWWWWWWWWWWWWW
話の本質から逃げて「何でもあり」とするほうが詭弁だと思いマース
ははははははは
>>371 「自己否定乙」
ずどーん
あー面白かった。また痴態を見せてね^−^
374 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 01:06:00.29 0
おーいネム氏
いたら俺の今日の書き込みを採点してー
できたら30点くれ
あとハンコね
抄録を妙録と読んだ人がいた。
抄録を砂六と読んだ人もいた。
抄録は小六、小学六年生の略だと気付いたとき
抄録を抄録と読んだ。
376 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 01:08:45.92 0
>>372 なにを言っとるのだ・・
誰か解説してくれ
日本語リハビリスレ
>>358 人が概念を持ちうるのは曖昧だが強引なパターン認識の結果である
例えば、aとa'という現象は実際には差異があるのだが
”極めて類似”あるいは”同一”の現象である、と強引に解釈(あるいは誤解)した際に
これらを括るAという概念が生まれる
重要なのは実際上の問題ではなく、あくまでヒト側の解釈、つまり主観上での問題に過ぎない
ということである。
故に「時間を超える自然の斉一性」などは必要条件ですら無い
抄録って何で匿名の糞煽りに反応しちゃうの?
やっぱ共感しているんだろうか。無視できないならその発言だけは
コテハン使うなよ。
>>378 他者に説明する意味を成すものはそれいいけが、パターン認識ではない認識の
結果もある、むしろパターンじゃない無数の何かが積み上げられ結果として
パターン認識のように誘われるというほうが正しいだろう。
そのパターン認識ではない領域を論理的に切り捨て完全無視するからこそ
それらの本質が何も見えてこない。
381 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/08/10(金) 01:43:35.27 0
>>378 ああ、認知科学的にはそういう謂いはできると思うんですけど、
「類似しているaとa’」からAを抽出できるってことは
ヒトはそこでAを本質だと捉えたわけですよ。
そしてその捉えられた本質は保持されて、A⇔aやA⇔a’の関係は
いつでも引き出すことができて、そこに不都合がない。
つまりA⇔bとか、A⇔b’になったりはしないわけです。
それってのは自明なことじゃあないでしょう、ってことが言いたいんです。
あとですね、なんでも「それは主観の問題」なんてのは、
「どうあろうと主観にはそのような機能がある」っていう
結論ありきの状況説明でしょう。主観にお任せというかね。
それでは飽き足らないのですよ。
>>379 少し荒れ気味の方が盛り上がるかもと思ったのだよね
長いブランクにもかかわらず私をターゲットにしてくれているので
期待に応えなきゃ、みたいに思いまして、コテで相手してるのです。
383 :
ネム:2012/08/10(金) 02:09:16.83 0
だが、どのように解釈しても、われわれの概念がすべていわゆる外的な感覚に由来するというのはやはり間違いである。
なぜならば、わたしが自己および自己の思想についてもっている概念、したがってまた、
存在・実体・作用・同一性その他多くのことについてもっている概念は、内的経験に由来するからである。 (ライプニッツ)
384 :
ネム:2012/08/10(金) 02:10:10.56 0
内的経験とはなんでしょう?
>>384 それを成立させるための状況や過程といった誘う類のもの。
386 :
ネム:2012/08/10(金) 03:01:33.56 0
わたしが体験するときそこに記号される
それを経験するときわたしは記号されない
「記号する」って何ですか
この動詞は目的語を持つんでしょうか
また、「そこ」「それ」とは何でしょうか
曖昧なものが合理化(四捨五入)され客観的な意味として認知(理解)される。
そのぐらいわかれよ。
漠然とした雰囲気で経験が記憶で思い出すにはそれなりメタ知識に昇華される
必要があるのね。
389 :
ネム:2012/08/10(金) 03:34:16.91 0
どれだけ意味を等記号させても
それを意味できるためには無根拠でなきゃ数式が成り立たないじゃないですか
いったい何が計算にしてんだよ
外的世界のどの記号も計算していない
390 :
ネム:2012/08/10(金) 03:39:39.66 0
動かないものを動かせるには動かないことでしか動かせない
391 :
ネム:2012/08/10(金) 03:45:39.27 0
外的経験と内的経験に橋渡しすることの真理の基盤はその前提からして疑わしい
392 :
ネム:2012/08/10(金) 03:48:01.72 0
無からすべてを導くのにただ一つの原理だけで十分だ (ライプニッツ)
>>389 計算は仮想モデルを表す合理的な数式にすぎない。
>>390 動かないものを動かすには、動く周りを全て動かせばいい。
>>391 真理など人が触れるものではない。
>>392 全てが分かれば無も分かる、一部のみの解明でそれ以外の全てが
不明だから無も然り。
ネム氏すまんな、呼び出して
>>395 「極端なことを言い出したら、なんでもありなんだよ」
はい論破W
>>312 > あと、「力」はエネルギーじゃないでしょう。エネルギーを力と同一視しておられるなら
> ゲームさんのそのエネルギーの理解はカラス君と同様「活力」に近い。
そんなこと書いたかな。
> その曲解された「エネルギー」はしかし質量と等価とすることはできませんよ。
では曲解では無いエネルギーの定義をプリーズ〜
唯物論では物質以外の言葉はすべて物質のどこかを指しています。
嬉しい、楽しいなども脳状態を指しています。
>>399 わかりません。どこに保存されていますか。
あれから進歩ねーのかよ
***********
因果律も頼むぜ
抄録先生は曲解では無い正しいエネルギーや因果律の定義を理解している先生だそうです。
素晴らしいですね。
無理しなくていいですよ。そんなに期待していないし。
すぐまたそんないじけたレスを・・
反論できないから論の本質から逃げて「いじけたレス」として、論そのものを否定しようとしていますう
詭弁乙W無理すんなW
コンビプレーか
カラスwith草ぼーぼー
デビュー曲「砂六プリーズ〜」
このご時勢に二元論なんて唱えてる奴いんの?
神経科学界じゃ二元論の末裔は15年前に死んでるぜ
409 :
ゲーム:2012/08/10(金) 11:44:21.21 0
「実体」とか「実在」を云々していてる
>>351 は後回しにし…
>>358 いつのまにか抄録氏は唯物主義というよりも“概念”主義に転向されたようだ。
長期にわたる現代の『蟹工船』での暮らしがそうさせたのか。過酷な生活は人を
して唯物論者にするよりも信仰の徒にする、というのは本当らしい。w
諸行無常が逆に“不変”という観念→概念を抱かせる、私もそういっている。
ただし“概念”は物質でもエネルギーでもない。それは現前しないので観測不能。
しかし「ない」とはいえない。(このテーマはいずれ)
“概念”の典型例は幾何学の点、線、円、三角形…など。さすがの抄録氏もそれらを
みたことはあるまい。しかし、それらを「知っている」はずだ。いや、知っていると
思い込んでいるにちがいない。それらが天上にあるとするか“個物”に宿っていると
するかで古来、二派に分かれるが、二元論の源泉であるのに変わりはない。
この「概念」が先立ち、素材(質料)を規定する、というのが観念論。どうやら抄録氏は、
こちらに半ば転向されたかに見受けられる。w
質料(素材)の自発的な変化だけしかないのに、それががヒトに概念(イデア、形相)を
仮想させ、それが“実体”であるかの幻想を与え、あたかも概念が質料を支配(規定)
しているかの確(迷)信を抱かせる、というのが唯物論の指摘する“疎外の構造”。
時間がないので、またのちほど。
このスレが立つ以前、うみねこ氏が自発性という概念を主張していました。
彼も翻訳の仕事をしていました。
蟹工船ね
「ああはなりたくない」
とか思われてる?w
>>410 それ関係ない。うみねこさんね。
しかしカラスさんはそんな昔からネットしてたのね。
>>396 おまえ馬鹿だろ。
>>395 > それもまた臆見。
全然ちげーよ、解釈の1つ。他人の解釈を捻じ曲げるつもり?
>>412 ああごめんなさい
>>393の内容がネム氏のレスの的から外れているように
わたしには思えたので、それでつい。
余計な事をしました。すいません。
414 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 19:02:37.06 0
「疎外の構造」をスレ主の機械先生は、観念論的迷妄ともいっていた。
一旦、そこに落ち込むのは自然であり、必然。
そこから思惟するのが「哲学」。
時に自然に見えないのも自然である。然り。
何時かは過去と全く違うものになってしまう、それも必然である。
ネットの昔はパソ通に始まる。
ハッカーの歴史は電話に始まる
>>411 同じ自発でも主張していることはだいぶ違いますね。
自発の定義をしないのは同じようですが。
定義はしてるつもりだがな。
定義が明確なら
>>306にも明確に反論できますね。
因果的決定論において決定する主体は原因であり決定する対象は結果です。すべては原因の結果なので
すべて決定しているという決定論になります。
>>421 距離を測っているのではなくて
その物質の周囲の状況(重力場)に対応しているのではないですかね。
わかりませんけど。
これまで決定論を否定するレスはありましたが、決定論に反論できているレスは無かったようです。
ここは投票所みたいですね。
>>422 それだと主体である原因が自由に結果を決めれると言っているのと同じですね。
>>425 原因の定義次第ではそのような解釈も成り立つのでしょうか。
原因が他の結果を選択する場合、その原因は別にあることにならないでしょうか。
>>426 原因は他の結果を選択できるわけですね?
どの原因も他の結果を選択できるわけですね。
>>423 自分と重力場という関係があって、それでもあくまで自分からとか内部要因だとするのが
自発なのですね。
自発とするのと、自発では無いとする場合の具体的な違いはどこでしょうか。
>>428 私は「内部要因」とか言ったことは無いと思いますが。
*********************************
科学的に具体的な違いは無いでしょうね。分かりませんが
ただ、作動こそが物質の本質だとすることで
貴方のような無限の因果地獄に終点を置いただけです。
>>427 できません。原因は結果を決定し、結果は原因に決定されるからです。
決定はただひとつを指定しそれ以外は無いことです。
当然原因は物質状態を指し、それによって結果が一意に決まります。
>>430 原因としての物質状態が結果としての物質状態を「自由に」「ただ一つ」決めても良いわけですね。
>>430 一意ってのは暴論かなぁ
二重スリット実験はどう説明すんの?
>>431 原因が自由に結果を決めたらどうなるでしょうか。
そしてその場合の原因と結果の定義は何でしょうか。
>>432 サイコロを振って1の目が出たら、それはそうなる原因があったから。二重スリット実験も
同様。原因から結果への連鎖が時間の経過。
>>433 原因と結果の定義は貴方と同じで良いですよ。
どんな定義ですか?
原因は結果を決定するもの。
結果は原因に決定されるもの。
唯物論なので当然物質状態を指します。
>>436 それで構いませんよ。
>>430と同じ内容ですね。
原因である物質状態が結果としての物質状態を自由に決めることができても
矛盾は無いでしょう。
「原因が結果を決める」なんていうのはトートロジーであって、内容が無いんです。
「どのような因果連鎖があるか」を言わない限り、中身が無いんです。
>>429 自発的と書くだけで具体的には自発的じゃないのと何の変わりも無いけれどオレを否定したような
気分になれるのですね。
>>437 自由の定義は何でしょうか。ある原因からの結果が決まらないということでしょうか。
>>438 決定論が正しいと何か変わりますか?
決定論は実際の自然に無限を介入・適用させないと成立しない。
私は、それはばかばかしいと思っているわけです。
>>440 その無限という幻想を有限に落とし込む効果があります
>>439 自由とはこの場合、「制限無く」「無規定に」ぐらいの意味。
原因が結果を制限無く決めても、原因から結果は決まります。
>>441 んー
どういうことでしょう?
ちょっとやってみてください。
>>440 決定論でも因果的決定論なら意味があります。特に唯物論ベースで扱う因果的決定論は
有用です。
どのように有用なのです?
>>442 定義に反していることにお気付きでしょうか。
>>445 思考が有用だからです。思考は因果的決定論に基いています。思考とは因果関係の連想のことです。
>>446 わかりません
どのように定義に反しているのでしょうか?
「原因が結果を制限無く決めても、原因から結果は決まる。」
この謂いについて、何がおかしいのか解説してください。
>>448 結果は原因によって決定されるのだから結果にとって原因は制限ではないでしょうか。
>>447 「思考とは因果関係の連想のことです」とはどういうことですかね。
説明してもらえますか。できれば具体的に。
>>450 実際には思考する場合「因果関係があると思っていること」を連想することになるかな。
シミュレーションと同じです。
>>449 たとえば、貴方が
>>226で言っている、その最初の最初
>1.大風で土ぼこりが立つ。
「大風」による結果は「土ぼこり」と一意に決まるんですか?
>>451 その「因果関係」の中身とは何ですかと、何年も前から訊いているんですよ。
連投規制なので、今日はここまでです
>>452 >>262のはここでいう厳密な因果関係では無い。ラプラスの魔でなければ厳密な因果関係なんて認識
できない。
大風で土ぼこりが立った場合、大風が吹いた時点を原因とし、土ぼこりが立った時点を大風が吹いた時点から
いくらか経過した後の結果とすることならできます。
>>453 因果関係があると思っていることは実際の因果関係では無くその写し。
唯物論ではすべての関係は物質(物質同士)の関係として説明します。
唯物論が否定するのは物質の関係としないことです。
物質の関係を知る方法論として時間軸を想定し因果関係を認識する方法があります。
時間軸とは物質の影響を一本の軸に見立てることです。時間の空間化です。
因果関係の認識以外に物質の関係を知る方法はあるのでしょうか。
エネルギーはどこに保存されているのでしょうね。数式?対象?
運動、位置、熱など異なる量の間に交換可能な場合がみられるからといってエネルギーが
保存されているのだとかオカルト的発想ですね。
スレ主は宗教板にこのスレの前身となるスレを立てていました。
まだ宗教板がID制になる前の頃です。
そこではスレ主の主張はすべて物質でしかなく神など居ないから全宗教は徒労であるという主張
でした。自演で多数の同調者を装っていました。
反発する宗教板住人たちの働きかけにより宗教板にID制が導入され自演ができなくなったスレ主は
IDの出ない哲学板にこのスレを立てました。
そんな経緯があったとは驚きを禁じえません
460 :
考える名無しさん:2012/08/12(日) 15:00:58.90 0
>>455 「時間軸とは、物質の影響を一本の軸に見立てることです。時間の空間化です。」と
述べている。ここで、述べている「時間の空間化」とは、ハイデガ−的な差異による
「時間」の構築による「空間」の形成のことですか。 又、唯物論に於ける「物質」とは、
「客観的存在」と、どの様な連関を持つのでしょうか。
>>460 以前ハンドル名で書かれていた方でしょうか。スモさん?
ハイデガーはよくわからないけれど違うと思います。唯物論の物質は客観とは意味は違います。主観(見る側)に
対しての客観(見られる側)なので。唯物論は一元論なのでこのような分け方はしないです。見る行為を前提に
しません。
また明日レス予定です。
>自発とするのと、自発では無いとする場合の具体的な違いはどこでしょうか。
関係の群として相互作用が力を成す(群流れが発生した)とき流れ全体の
意味に流れを呼び込むものや、流れに反するものに反発する作用が自発的
このときの主体は物質それぞれではなく形而上の群流れの性質による
相互作用の淘汰を言う。
>>437 >「原因が結果を決める」なんていうのはトートロジーであって、内容が無いんです。
原因によっての結果が確率的に高くなるという質の問題は結果ではなく必然(必然でも例外はある)
として収束します。
465 :
考える名無しさん:2012/08/12(日) 16:27:46.53 0
唯物論が、定義化されたのは、フォイエルバッハの「類としての物質」という概念が
マルクスに引き継がれて理論化したものだと思います。フォイエルバッハの「類」の概念は、
元々は、カントの「客観的存在」である「物としての自体(物自体)」の概念から引き継がれたものと、
解釈している。主観(見る側)と客観(見られる側)という「感性的認識」ではなく、ハイデガ−の
主観的存在論に対する、客観的存在論とした「現象学的認識論」の立場で、>460は、「客観的存在」を
述べているのだと思う。
他人の思想の解釈の側面にすぎない。
なにを馬鹿なことを言ってるのだろう?
原因が結果を決めるのではなく、結果が原因を決める。
「銃の引き金を引いたら弾が発射されて驚いた」
「引き金を引いたこと」は原因ではない。
原因は、「実弾が銃に込められていて、それを知らなかったこと」だ。
結果が原因と繋がっていなかったらどうする?
それは原因じゃない幻だ。なんで原因か証明できないものを
原因だと思い込みそれを裏付けるために状況を騙り出す。
>>468 ジャンボジェット機がWTC1、2に突入したから、WTC7が火災で崩壊しましたみたいな?
WTC1、2は初めから大型旅客機が衝突した場合を想定して設計されていたから、
衝突は直接の原因ではないと断定された。火災で鋼鉄フレームの高層ビルが
崩壊した前例は世界的にも存在しないが、3つのビルが崩壊したという結果
があり、この結果から火災が原因と決った。結果が原因を決定する。
>>469 ジェット機で確実に破壊できるとは最初から思わず
内部で重要な柱に爆弾を複数設置した説とそれを示す証拠になりえる
痕跡や怪しい作業があっという証言など発見されているが解釈の問題か?
>>471 テロの心情やテロを育成した人の熱意が原因で、ビルが崩壊したのは偶然
473 :
ネム:2012/08/13(月) 01:46:19.70 0
う〜ん。。。
90分じっくり考えたぞ
474 :
ネム:2012/08/13(月) 01:49:33.05 0
>>461 オレならこういうレスする
>その「因果関係」の中身とは何ですか
定義が可能であるということ
>自由の定義は何でしょうか
定義が不可能であるということ
つまり、モノの定義はモノと答えるほか可能でない
475 :
ネム:2012/08/13(月) 01:50:32.91 0
以上ですw
476 :
ゲッパリラ:2012/08/13(月) 02:33:57.99 0
知能と意識能力はごく密接に関わり合っている
477 :
ゲッパリラ:2012/08/13(月) 02:39:20.05 0
訂正
知能と意識能力はごく密接に関わり合っていると言えるだろう、少なくとも我々人類の神経伝達機能はそういう傾向にある
>つまり、モノの定義はモノと答えるほか可能でない
これが客観的メタ認知という物事の判断方法の限界を示す。
たとえばUFOのような現象を大昔の人がみたとする。
それは何か?既知にないなら比喩の方法もしようがない、
しかし大昔の人に遡れば遡るほどメタ的ではない類を認知する
方法を知っていた。
それ俺のデータベースに載っていないわ。
データベースで情報処理するにはちょっと
480 :
ゲーム:2012/08/13(月) 15:27:56.78 0
抄録氏はご本人が唯物“主義”を名乗っており、持論が主観的主張であるのを否定して
いない。“世界”は主観(意識)と物質から成るのだろう。
それに対してカラス君は「唯物論は信仰の一種」と述べており、反論は不能かつ無意味。w
カラス君は相手にしばしば「定義」を求めるにもかかわらず、彼自身は“物質”の定義を
きちんとやっていない。改めて“物質”とは何?
もう一つ、因果的決定論は全面的に“時間”に依存している。それも「過去から未来へと
流れる」という通俗的“時間”論である。時間に依拠せずに、因果的決定論は成立しない。
カラス君は“時間”をどのように考えていますか? むろん概略で結構。
481 :
ゲーム:2012/08/13(月) 15:58:36.51 0
カラス君の持説は「すべては物質である」という一元論だが、それは信仰でもあり、
あらゆる信仰のご多分にもれず、二元論のカゲが差しているのは如何ともしがたい。
しかし、そのことはひとまず措き、鍵・概念の“物質”に照準すると、これもまた
二元的な色調を帯びていて、二つの本性を異にする“物質”のあることがわかる。
一つは「原因」という物質。もう一つは「結果」という物質。しかも、ある瞬間の
「結果」は次の瞬間には“原因”にはや変わりする、という慌ただしさ。w
“時間”に乗っかった、この二項の絶え間なき変換の“世界”こそが、カラス君の
因果的唯物論から導来されるそれである。
482 :
ゲーム:2012/08/13(月) 16:29:40.53 0
因果的決定論の世間の受けは悪くなく「親がアレだから、子もアレなんだよ」は
この国ではまことしやかに囁かれる“真実”である。因果的決定論が信憑される
のは、このレベルだろう。w
この言説の欠陥は“現場”であまり使えないことだろう。
少し前にカラス君に「イジメは山ほどある。しかし、それが原因の自殺はめったに
ない。他方、自殺はこの国だけで年間、三万件余。イジメも自殺もありふれている
にもかかわらず、或るイジメが、その自殺の原因とされるのはどういう場合?」と
訊ねたことがある。専門的な答えを要求したわけではない。一般的に、それが或る
結果の“原因”とされる条件は何?と質問したのである。
昔々、この議論をしたとき、機械氏よりも先にお隠れあそばされたラビ女史は、
「原因は直前の全事象」とお答えになった。こういう答えなら、ごめんこうむる。w
自問自答なのか?それとも本当に答えが欲しいのか?
ひょっとしてそこで「力」だと?
そこに持っていかれるつもりなら、ゲームさん
まったく脱帽しますよ。はっは
わたしでは相手にならん
う〜む ヒントを挙げようかとも思ったがやはり自問自答したいのだろうか
まあ彼の口から答えが欲しいとはでてきそうにないし一々スレ見に来るのもめんどうなので軽くヒント挙げときます
>>482 ゲーム氏は自分の論の矛盾というか軽薄さにおきづきでないらしい
>「親がアレだから、子もアレなんだよ」は この国ではまことしやかに囁かれる“真実”である。因果的決定論が信憑される のは、このレベルだろう。w
>この言説の欠陥は“現場”であまり使えないことだろう。 少し前にカラス君に「イジメは山ほどある。しかし、それが原因の自殺はめったに
>ない。他方、自殺はこの国だけで年間、三万件余。イジメも自殺もありふれている にもかかわらず、或るイジメが、その自殺の原因とされるのはどういう場合?」
ゲーム氏は
>>この言説の欠陥は“現場”であまり使えないことだろう。
といいつつ比較しているのが性質の違うものなので非論理的蒙昧に陥っているのです。
因果論は、実用的には、物質の属性のようなものが対象です。
つまり、それを事象に適用してはダメなのです。「子の属性」として「アレ」があり、「親」があるのです。
これは現場でも普通に使える因果関係です。
他方、イジメと自殺の関係は物の属性之話ではなく、事象です。
>>480 > それに対してカラス君は「唯物論は信仰の一種」と述べており、反論は不能かつ無意味。w
「論を信仰するのは信仰」くらいのことです。どんな論でも同じ。唯物論が嫌いなら唯物論の恩恵を
受けなければいいのです。
> きちんとやっていない。改めて“物質”とは何?
すべての構成要素。
> カラス君は“時間”をどのように考えていますか? むろん概略で結構。
ある瞬間とある瞬間の間。
>>481 > カラス君の持説は「すべては物質である」という一元論だが、それは信仰でもあり、
> あらゆる信仰のご多分にもれず、二元論のカゲが差しているのは如何ともしがたい。
原因と結果、あるいは大きいと小さいなど二元的概念も使います。でもどちらも物質なので物質
一元論です。唯物論では物質以外の言葉はすべて物質のどこかを指しています。
原因の状態によって結果は決まります。原因が決まれば結果も決まります。
>>488 しかし原因の状態は測れる類ではない、故に結果も測れる類ではなく
すべて眉唾であり、それを解釈する側の幻想にすぎない。
原因の状態は測れずとも確定している類だという先入観がそこにあり、
全てのものが確定した合理性の意味で縛られる結果として誘導される
理屈に執着しているだけである。
どんな原因からどんな結果になるかを知ろうとする人は原因が結果を決定するという信仰に陥っています。
>>490 そう思うなら測らなければいいし測ったことによる恩恵を受けなければいいのです。
490
わからないのか?
原因と結果の関係が測れているから科学や技術が現に存在しているというのに。
>原因の状態は測れずとも確定している類だという先入観がそこにあり
それは機械氏のいう「法則」の話でしょ。それと他の事をごちゃまぜにしてはいけない。
>すべて眉唾であり、それを解釈する側の幻想にすぎない。
なんでもかんでも機械氏のいう「法則」で一括しようとするからそんな考えに至るのだろうね
科学の恩恵を受けないで生活するなら山にでも篭るのがいいですね。
捜索されると科学の恩恵を受けてしまうので、山で暮らします、という意思表示するのがいいですね。
そして科学は幸せにしてくれないといえば完璧です。
どうぞご自由に
その論が妥当なのか。役に立てば論が事実を表現しているかもしれません。
事実を表現しない論は役に立ちようがありません。
実践あるのみです。判定できるのは事実のみです。
「原因」を辞書で引くとこのように載っています。
・ある物事や、ある状態・変化を引き起こすもとになること。
つまり、原因には結果の元として意味が自動的に規定されてしまうので
「原因により結果が決まる」などというのは、原因(または結果)の定義を
そのまま繰り返しただけであって、まるで内容が無いのです。
例えるなら、「雨の降る日は天気が悪い」と言っているようなもので
「因果律」とは何であるのか、それを考究する入口に立っているようには思えません。
因果律の正当性を考える際には
・同一の原因なら同一の結果が生じる
この謂いの妥当性を考えなくてはならないでしょう。
同一の原因(≒条件)とは何か、それは思考可能か、どこまで実現可能か。
実現不可能であるなら、どうして因果律は有効なのか。
>>496 > ・同一の原因なら同一の結果が生じる
これを実現するとしたのがAbsalomさんの円環時間ですね。
>>238 > しない保存量だ。質量を持ったものは、気が遠くなるほどの時間をかけて、同一の状態になる。
> その時、時間の円環が完了し、全ての属性は昔と同一の変化量として、あとは無限ループ
関係ないのですが
カラスさんはプログラマーなの?
それか趣味でプログラムを作る?
>>496 ですからそんなに難しく考える必要はなく、実例を注意深くみればその答えは簡単なものなのですよ
さっきから言っているように、物質の属性として規定できるものが実用可能で実用されている因果律です。
紙に火をつけると燃えるのは、紙、特に乾いた紙が酸素中で火をつけると燃える属性があるからです。
紙を燃やしてぼやになったら消防車がきたら、それは紙の属性ではなく、偶然だれかが消防車を呼んだから来たのであって、厳密な意味での因果関係はありません。
なにも反例を挙げられない完璧かつ簡単な理屈です。
あ、ちなみに、もし物質の属性ではあるが、因果律があやしい、なんてものがあるとすれば、
その場合は、その物質の属性が確定されていない、とどのつまり、物質が確定されていないのが理由でしょう。
物質がAかA'かでは属性は変わってきますからね。カテゴリ違い、固有名詞違い、その辺ですな。
>>498 ほんとに関係ない話だなw文体がプログラマーとか思ったかぬ?
本職ではないけれど趣味でちょっとしたコードなら書いたことあるけれどC言語しかできないレベル。
自分で書きたいコード書くんじゃなきゃモチベーション維持できないタイプだな。
ここも書きたいことマイペースで書いているだけだしw
過去から未来への変化が因果関係だ。そこで要素ごとに物質間の影響を推測するのは唯物論的
発想。
>>499>>500 特にゲームさんがターゲットというわけでもないのかしら。
紙に『燃える属性あり』って神様が書いてくれれば別ですが
貴方の理屈だと、たまたま燃えたからこれには燃える属性があるって話であって
後だしじゃんけん、論点先取にはならんのですかね?
>>501 ああいや、文体はぜんぜんプログラマーっぽくは無いw
ただ、貴方が因果的決定論に拘る核心がどこにあるのか不思議だったので
プログラマーであるなら、それもありうべきことかなと思ったのだ。
すまんね。
紙が乾いていようと、濡れていようと紙であることに変わりない。
濡れた紙は使い物にならないので、人々が紙として関心をもたないだけ。
マッチで火をつけても濡れた紙は燃えず、乾いた紙は燃える
濡れているか乾いているか不明な状況で火がついたとすれば、
原因はマッチで炙ったことではなく、紙が乾いていたことである。
>>505 それは全て経験則ですよね。
「乾いた紙をもやすとたまたま燃えたので、乾いた紙には燃える属性があるようだ」を覆せない。
乾いた紙が必ず燃える論理的根拠などありますか?濡れた紙が燃えても良いわけです。
貴方の論法は、
「物質というものは必ず物質A、B、・・・とカテゴライズ可能であって、
物質Aは物質Aとしての属性を必ずもっており、
その属性を持たない物質Aは無い。」
と最初から仮定している。
しかし実際には、それが物質Aか、物質Aでないかは、属性によって規定されることにもなる。
つまりは、それが物質Aかどうかは結局、その「見た目」「感触」「反応性」であるとか「来歴」など
“事象”に依存しているのだ、とは思いませんか。
>>505 ああごめんなさい。
貴方は500さんではなかった。
相手を間違えました。すいません
。
因果律においては常に結果が原因を決定するのであって、その逆ではない。
結果が生じる十分条件について人は誰も知らない。いつもとは違う結果
が生じ、その結果が生じるには、いつもとは違う何かがあったからだと
判断する。その違う何かが原因と決定される。
追突事故があり、運転手が酒に酔っていたとする。いつもは飲酒運転しない
人間なら、飲酒が原因である確率は高い。だが、過去毎日30年間、飲酒運転
をつづけていて無事故無違反だったとすると、事故の原因は別のところに
あると決定されるだろう。偶々、路面が凍結していれば、それが原因である。
>509
その通りだと思いますよ。
その原因の追及に限界はあるでしょうかね。
原因を追究するのは、同じ結果が生じないようにその原因を排除するためか、
同じ結果をもたらすためである。同じ結果が生じるのを確実に防止することが
できるようになるか、同じ結果を確実にもたらすことができるようになれば、
それ以上に原因は追究されない。不必要だからである。だが、無論、そのことで
結果をもたらす十分条件について知っていることにはならない。
>>1 脳が物質なんて、計算用紙が紙だと
言うだけ。
物質からの運命決定なんか
どんな意味か読めるもんならやってみろよw
IQ80が2人いたら160になるか?
物質が2倍
質量が2倍
物質の意味が2倍
物質の価値が2倍
物質の影響が2倍
は全て違うぞ?
>>515 IQの数値は効率を示すわけでその道具としての単純労働の働きは2倍になる。
それは戦術の量の差であって戦略の質の差ではない。
>>511 >その原因の追及に限界はあるでしょうかね。
世界のほとんどを理解したつもりになっている人間は、世界のほとんどを
理解していないことに気が付いていない、知識に溺れているほどその傾向にある。
知っているのは目の前の見える範囲だけなのに見えない範囲も見えていると
思い込んでいる。または見えないものは見えていないから無いと隠蔽する。
>>517 貴方のレスでいつも私がよく分からないのは、
その
>世界のほとんどを理解したつもりになっている人間は、世界のほとんどを理解していないことに気が付いていない
ってことを、どうして貴方は知っているのか、ってことです。
>>498 真のプログラマーなら、ありえない処理系に対しても対応するコードを作成する。
プロで働くプログラマーのほとんどがニワカである。
それはソフトウエアが論理上に絶対判定しない数値にも記憶張り対策をする。
変数に値を代入しその値が代入した値であるのは確定なのにもう一度確認する
論理的に無意味なロジックを記述するようなことである。
我々が井の中の蛙だなんてことは、平凡な主張なんですよ。
しかしね、それを他人様に向かって「お前らは気付いてはいまい」と言うならば
我々の知らないその“世界のほとんど”があることを、どうして貴方は知っている?
との反論にどう答えるのですかね。
貴方が知らない世界こそがほとんどである、との反省が欠如しているように思われるわけです。
>我々が井の中の蛙だなんてことは、平凡な主張なんですよ。
平凡だが否定しているんでしょ?
>>504 因果的決定論はどんな分野にも関係する。プログラミングだけではないです。
あなたの考えが因果的決定論を拒絶するならその理由を文章化してみてください。
>>519 再現性の無いバグは厄介。チェックは厳しくなります。
>>516 >IQの数値は効率を示す
単純労働が2倍になる。
量の差であって戦略の質の差ではない。
80が2人いれば160と言う意味にしか
なっていないがwww
え?
>>525 wiki編集した人の解釈の分部でソースが無い。
>>525 量子力学は確率を含んだ表現があり決定論的では無いということでしょう。
サイコロの確率と同じです。
マクロサイズのサイコロは決定論的
グーグル先生という認識の根拠を
疑うならば、この掲示板の文字列にも
作為を疑わなければならない。かもよ
物理板の二重スリットpart1スレ面白かったな。意味はわからなかったけれどw
1個の電子が波になって2つのスリットを通過し際に干渉してスクリーンに縞模様ができるのは
想像できるわけだけれど、波そのものを観測できた段階では無いから波と言うべきではないとか。
ここまでが観測でここからは想像だとして教えればいいんだよな。ビッグバンもそうですね。
さいころは非決定的
>>503 そうですが。物質属性の因果関係(科学)は、結果論ですよ。そのつみかさねデス。
そこは別に問題ないでしょ?問題なのは、確固とした因果関係があり実用もされてるような領域はなにか、ということなのだから。
>>507 なぜ違うとわかるのですか?
ちなみに、私は思考実験を示すのはあまり好きではないですが、ちょっとおもしろい実験があります。
想像の世界を考えます。そこでは自分の欲した通りの事象を引き起こせます。たとえば虚空に火を出すとか、物を操って浮かせるとかです。
現実世界の理論では説明できません。ですからこれは因果関係はないといえます。これは事象です。
しかし、仮にこの想像が、事象ではなく、物の属性であるとすると、その物は、我々の知らない物であることになります。
例えば、普通の大理石を燃やす想像の場合、それは、大理石の物性に関するものではなく未知の物に関するものということになります。
その時点で、燃えているそれは大理石ではないということです。我々の知っている大理石は普通に火を発したりしませんから。
この違い、この重要性がわかりますでしょうか? 物質へのネーミング、認識、カテゴライズといったものの根本も関与している問題です。
>>532 現実の世界にできうる模様は意味のある形をしめしても虚像であります、
しかし模様は現実世界のものでありその模様は現実世界に群集合として
なんらかの関係を成します、なんらかであって人が扱う意味では説明できず
切捨てされる類であるものが相互に干渉して重なり人にとって意味のある
何かができることがあります(極稀)、稀であっても状況が全てそろえば常になります。
それらは説明できないから因果関係が無いと割り切るのは観測できないから
無いというのと同じです、理解できないから事象がない、貴方の考えはそういう類です。
自分の計りで計れないからそれはない。これでは未知への探求を目指す行動とは
いえないのでは?
思考実験は嘘であっても矛盾があったとしても新しい何かを見つけるための
術として、これから科学になりえる未知の対象へのアプローチではないか?
534 :
「機械的唯物論」者代理:2012/08/14(火) 03:18:45.19 0
このスレに期待を寄せている人は去った方がいいでしょう。
すべて終わりました。
元々ただの暇潰しに過ぎない
ある関係にある物はある法則をもつ。でたらめではない。関係とは、パラメーターによって
記述され、法則は別の関係(パラメーター)への変化を引き起こす。パラメーターの数は
膨大だが、無限ではない。パラメーターを時空(間)と物質(量)というふうに捉えることも
できる。法則はある。
法則を神というふうに捉えたり、力というふうに捉えたり。法則はパラメーターに還元できない
という特徴がある。
現実にサイコロが存在して、振る回数を増大させていけば、どの目が出る確率
も1/6に近づいていくのか?そんなことはない。実際には製造工程で制御できない
偏りが生じ、いずれの目が出る確率が高まるか事前に予測できない。品質検査
で目立った偏りのあるサイコロが不合格となって出荷されないだけだ。
>理解できないから事象がない、貴方の考えはそういう類です。
>>533 あなたはそう考えているのですか?ならそれはあなたの考える私の考えという虚像です。
>自分の計りで計れないからそれはない。これでは未知への探求を目指す行動とは いえないのでは?
>矛盾があったとしても新しい何かを見つけるための術として、これから科学になりえる未知の対象へのアプローチではないか?
文面をよむかぎり、やはり分かってもらえてないようですね。
重要なのは、確実であり実用もされてる因果関係は物の属性的な因果のみで構成されている、それが現在も発展している科学になっている
(事象の因果という曖昧なものではない。科学にまでなっているものは事象の理解がついていようがいまいが、物の属性の理解が必ずついている。
科学技術の事象の理解はすべて物の理解から証明されている。逆は存在しない。)
と何度もいっていることです。
ですがあなたが、物の理解なしでも成り立つ事象の理解のみから構成される科学を熱望することは、あなたの自由意志ですから止めはしませんよ。
口ではなんとでも言えますからね。
つまり、あなたが自分が現時点で正しいと思うのなら、具体的な反例、因果関係をもち、物質な証明はなされてなく、事象のみからなる現象の実例、を示したらどうですか?ということです。
>>537 人が振る回数と目が出る確率は、事象と計算だけですから厳密な意味での因果はないと思いますよ。(厳密に因果として説明できないということです。)
それと、
>いずれの目が出る確率が高まるか事前に予測できない。品質検査 で目立った偏りのあるサイコロが不合格となって出荷されないだけだ。
これについては、不良によって1の目が出る事が予測できるようなさいころができてしまった場合、そのさいころは、「商品のサイコロ」という物ではないです。
その不良品は物Bであり、正規品は物Aですから因果の証明の障害にはなっていません。
あ、一応最後の文は、1の目が出るのが予測できるような「物B」の属性は、「物A」の属性や因果とは関係ないという話ですよ。
>>537 ついでに、あなたが関心あると思われるもう一つの面についていっときましょうか。
不良のような極端な例でなくても、正規品でも完全に1/6の確率にするのは不可能だがこれはどう理解すればいいのかという疑念があるかもしれません。
これは、サイコロを正確に振る部位を1万箇所持つ1つの装置を設置してそれを同時に動作させる場合を考えたらいい。
これの動作保証範囲は、回転しながら360度方向におかれている仕掛品に塗料を射出して塗っていく1つの装置の動作保証と何ら違いはない。
それが科学の因果利用、物の属性としての因果です。
ここで完璧な1/6などという数値を目指すのは技術の努力ですが、完璧な1/6に収束完結完了するのは数学でしかありえません。
PS.これであなたの長年の疑念が腫れましたように。
>>532 言われんとしてることは分かりますよ。
少しだけ突っ込ませてもらうならですね、
テレビやラジオから流れる「映像」や「音楽」はテレビやラジオの属性に解消できますか?
放送局で収録して電波で送らないと、テレビに映像は映りませんよね。
映らないテレビは「テレビという物体ではない」ということですか。
エアコンが部屋を冷やすのは、エアコンの属性でしょうか?
エアコンを放置しても部屋は涼しくならない。
だとしたらとしたら、部屋を冷やすのは何の物質の属性によるのでしょう?
科学というものは、果たして物質の属性や因果に全て解消できるでしょうかね。
奇しくもカラス君がエネルギー保存則をしてオカルトだと口走りましたが、
個物の属性だけを見ていたのでは分からないことって、やっぱりあるのではないですかね。
>>541 言われんとしてることは分かりますよ。
テレビの話、「映像」や「音楽」はテレビやラジオの属性といえます。それこそテレビやラジオの定義なのですから。
要所で物やネーミング、カテゴライズの問題だと書いていますよね。
放送局で収録して流れてきた電波を「受信して」「映す」のがテレビという物です。
エアコンの話も同じです。エアコンの領分と、冷えた部屋の話を同一視してはこの話は理解できなくなります。
科学が物質の属性や因果に全て解消できるかどうかは些細な問題です。着眼点はそこではなく、物質の属性や因果を利用して発展し成り立っているのが科学だということです。
科学の歴史をさかのぼって俯瞰して全て100%物質や因果に解消できることを証明するのが重要なのではありません。
もちろん、結果論の積み重ねともいいましたように、科学の歴史はそういう実例が大多数であるという事実があるからこのような主張もできるわけです。
>個物の属性だけを見ていたのでは分からないことって、やっぱりあるのではないですかね。
同感です。分かること、確実なことを固有の物またはカテゴライズされた物、としているにすぎません。
そこから分かるへ進むのは、分かった(と信じて名前をつけて定義付けした)後です。そうして発展しているのが科学技術です。
些細な問題、ですかね
テレビやラジオの「定義」に解消してしまえるなら
それは物性からも科学からも遠い話
タイムマシンが定義できたからといって、その何が分かったというのか。
しかし物質に拘るしかないか。。。
まあそうですね。
ニュートンも、リンゴの物性を100万年調べても
万有引力など発見しなかったろう
万有引力は因果とは無関係?
まさか
>>544 ええ、私の主張にとっては重要でない問題ですよ。
まあ、こういう主張がおもしろくない、もっと根源的で総括的な法則を発見したい、という人の気持ちは分かりますよ。
ですが、だいたいそういう種類の哲学行為ってミスリードが多いんですよね。理論で根源をさぐったはいいが、後世に反例としての具体例が登場してあっさり覆る、という。
そうなると、その当時のその理論は自己満足でしかない。まあその本人が自己満足で幸せっていうのなら止めはしませんが、何も生まないってのは少し悲しい。
そんなのより、因果との関係がまだはっきりしてない「事象」というものの検証が今やるべき次のステップだと私は思いますがね。
>>545 専門用語としての物性は、ここでいってきた物の属性の1部分ですよ。物性だけとりだして、物の属性のその他の部分を比べてそれは物性じゃない、っていうのは私の主張に無害な主張です。
タイムマシンを定義しても、そのマシンを作れなかったら当然何も分かった事にはならないでしょうね。
そういう話をずっとしてきたのですよ。定義も因果も後付けの結果論、それでも便利な結果論、そういう話です。
あと、全く関係ない話ですが、友達のブログもみてやってください。
http://ameblo.jp/amarihime1976/
>>546 万有引力ですか。
おもしろいものをひっぱりだしましたね。
これは、まあいままでの主張に沿って説明するなら、地球の属性ということですわな。
リンゴは関係ない。
でもリンゴが木から落ちるという現象を因果で説明しようという話なら、それは私のこれまでの主張に沿った形で意見しますと、
それは事象だということです。もちろん、これまでもいってきましたように因果はなしです。
(具体的に今日の14時11分、東京都の神楽坂公園に1つだけあるリンゴの木から落ちた1つのリンゴについて
そのリンゴが落ちた原因は万有引力である。という因果関係の構成行為はあいまいで無意味で非実用的なものです。)
確かにリンゴの例は少しおもしろかったですが、逆に、抄録さんはそのリンゴ落下の因果はどう考えているのですか?
>>547 個物の属性とカテゴライズで足りるなら科学とは博物学。
機械も作ってみなけりゃそれが何であるかが決まらない。
壊れたテレビはテレビじゃないので壊れたテレビとは言えない。
なんぞそれ。
******************
「結果が重要である」など、あったりまえの平凡な主張。
貴方は
>重要なのは、確実であり実用もされてる因果関係は物の属性的な因果のみで構成されている
とまで言い切ったからこそ面白かった。
そこから後退したのなら普通の話。
>>548 >リンゴ落下の因果
万有引力なる思考に定位するなら
リンゴの落下とは「リンゴと地球の相互作用」
地球もリンゴに引っ張られる。
「地球の属性なのでリンゴは関係ない」というのは、どういうことかよく分かりません。
説明を請う
ええ、大抵の信用できる真理は、ことばにして説明すればいたって平凡ですよw 私の経験上の話ですが。
斬新な話で、かつ、新しい道をきりひらくものなんて、その後の検証あってのものです。
つまり、そこに面白さをも求めるなら、実用性や検証性のあてはないが理論と空想にふけりまくるか、とりあえずの斬新なアイデアを行動に変えてトライアル&エラーで実社会に還元していくか、が大きな2択でしょうな。
私は後者の方が面白いとおもっております。
>>551 あったりまえのことを大仰に言うのはカルトの常套手段。
察するに、貴方は世界の仕組みなんかに興味はない。
因果云々を語るのは手段であり、目的は他にある。
大抵の信用できる真理とか、なんぞそれ
実に胡散臭い。
瞬間とは何だろう。
近い物質同士が直接関係を持っている。すると遠い物質同士も間接的には関係を持っていることに
なる。近い遠いに関わらず、瞬間は関係を持つ物質すべてを指している。
唯物論においてはすべての物質が関係している。特定の物質同士だけが関係しているのでは無い。
したがって瞬間も時間も現在という視点からみえる主観的な概念なのだろう。
離れた2点間に同時は決まっているのだろうか。
決めることは出来てももともと決まっているのではない。
これは相対論を持ち出すまでもない。
そろそろ仕事なんで退出します。
>>550 >説明
いや補足することもないですよ、それ、地球の属性(という定義になっている)ですよね、と思ったら、
そうでしたね、万有引力とは2物体間に働く引力という話でしたか、それならちきゅうの属性というのは撤回し、これから訂正して再度説明しましょう。
万有引力のようなものに問題の対象をひろげていくと、因果の確実性はだんだん落ちてきます。
そもそも属性とかいう曖昧な定義それ自体がこの主張の限界点を規定しているのですが、というか定義という概念自体も曖昧性を含有していますが。
つまり、グレーゾーン的な領域ですな。事象との違いが薄れてくる領域です。
それでもそれなりに一応説明しましょう。そうすることでこれがグレーゾーンであるということが確認できるでしょうからね。
2物体間に働く万有引力、これは結論を先にいうと因果なしです。(因果なしという言葉の意味は前に書いたので省略)
万有引力はある物限定の個性ではないということになっています。物の定義よりも、状況の定義が重要になってくる。
そこに突如因果を求めようとする場合、計算や判断が不可欠になります。
この状況、前に述べた話に沿っていうと、物よりも事象の性質に近いです。
因果なしと結論した理由は
>>548そのままですので割愛します。
逆に、私は
>>550の相互作用が因果ありの説明だという意見には相容れません。
それは、理論であり、もちろん現実を説明している理論ですが、その一般性(適用範囲が身の回りほとんど全てである)ゆえに因果として軟弱です。
まあ簡略的にいうと、具体的にリンゴが落ちた状況の因果をそれだけじゃ説明できないでしょうがという話です。
因果が問題になる、というか因果が提示できるとすごく便利な場面として、裁判があるでしょうが、そこで万有引力や力が主原因であると主張できるでしょうか?
弱い、弱すぎるんだよ。
>>556 それなら具体的に紙が燃えた時の因果も説明できんでしょうが。
火を付けたから燃えたんですよ。
「家が火事になりましたのは、木に燃える属性がありましたからで、へえ。」
なんて言い訳が裁判で通じますか?
ぬるいんですよ、頭のねじが。
>>552 私は因果は人が利用してる物の説明には適用できるが事象には適用できないと現時点では思ってますよ。それが大抵の信用できる真理の一つです。
真理は信じているという程度の確かさです。さいしょーーの方でちゃんと明確に話したはずですが、機械氏のいう「法則」なんてものは私は1つもしりませんし、重要視もしてません。
それを宗教とかうさん臭いと判断し、思うのは勝手です。
まあ、これくらいこっちの事情も察しているものとばかり思ってましたが、いがいと面倒ですね。
こんな横道の発言にもレスしないといけないとは。
頭のネジがぬるいわろたw
ネジの焼きなましの温度が足りないようだね?
>>538 例えそうでも生物を、ましてや学問の世界において人類の発見や知恵に価値を見出さないまま物質として扱う事が出来ない以上
どのみち限界がある。物として扱うには
モラル以外にも大脳を超える膨大な演算を
人類の脳の学習を上回るペースで行ない
全ての生物を先回りする機械的プログラム
が必須だ。
>>559 カラスに笑われるようではwマヌケ通り越してトンマですな。
563 :
ネム:2012/08/15(水) 07:15:15.55 0
眠れない夜の覚え書き
・或る概念の意味は、それが他の或る概念との接触によって有する
・概念はそれ自体無意味である
・或る概念の或る概念の或る概念の...総和は無であり意味を有しない
・概念が意味をもつとき、その接触する場が変移する
・場の変移は接触するこの概念とあの概念の比と等価である
・変移とは意味の向きである
・概念が無意味であるときに限ってその場の変移は決定している
・概念が有意味であるためにはその場の変移は接触するまで決定しない
・意味の向きが大きいほどそれに接触する概念はその影響を受ける
・概念はすべてつながっている
・概念はつながりから生じる
・つながりは存在されない(つながりはアナロジーで示される)
・世界の事象は比率で理解される
・私の存在は比率である
564 :
ネム:2012/08/15(水) 07:16:21.77 0
反論は認めないw
認めねーのかよ
心配せんでも、そこまで潜ってまともに反論できる奴ぁこのスレにいねーよ
わたしも下手に突っ込めないので
しばし気持ちよく眠るがいいのだ
そのうち、ちくちく反論するばい
またであるw
概念のアナロジー的一般化なわけだが
いやしかしなぁ・・・危うい
やりすぎ感が否めない
ありかなあ、それ
567 :
ゲーム:2012/08/15(水) 12:51:48.37 0
>>486 君は冗談を解せないようである。w
親の因が…云々は“因果”の日常的な使い方を揶揄したもの。
そのレスはカラス君に対するもので、カラス君は常々、こういっている。
「すべては物質と物質の関係としてある」と。
君は物質の「属性」と「事象」を分別しているが、カラス君はそうではない。
属性(概念)の時空的な展開(縁起w)が主観によって把捉された様相を「事象」と呼ぶのであり、
“因果”は属性と属性のあいだの差異として「ある」のではなく、様相の時間的な“前後”に
「規定性(先が後を決定する)」として伏在している、というのが(たぶん)カラス君の因果論。
わかりやすくいえば、水素と酸素は属性を異にするが、それだけでは“因果”を生成しない。
それらが時空的に変移しつつ、関係を結ぶとき“因果”を生じる。
君とは逆に、物質と物質の属性の差異に因果は適用できず、事象(様相)を時間的に分節して、
「先を因とし、後を果とする」のがカラス君などが依拠する因果的決定論である。
カラス君への質問は、時間的“先”が「因」の必要条件であるのはわかるが、様々な“先”たちの
なかで、或る事象を「因」と特定する根拠は何?というもの。答えは、まだもらっていない。
横レス歓迎だが、マナーを心得ましょうね。
568 :
ゲーム:2012/08/15(水) 13:15:03.22 0
>>487 カラス君、唯物論の好き嫌いを云々しているのではありません。
信仰としては、現在では役に立つほうでしょう。
「すべての構成要素」
この「すべて」は、むろん物質だろう?
とすると「物質とは物質を構成する物質」となり無意味な言明になってしまう。
唯○○論、すべては○○であるという言説は、たしかに信仰するしかなさそうである。w
「瞬間と瞬間のあいだ」
“瞬間”にも「あいだ」の意味がある。この「あいだ」には、どれくらいの長さ(幅)があるの?
瞬間の“幅”と瞬間と瞬間の「あいだ(の幅)」は、どちらが長いのですか。
569 :
ゲーム:2012/08/15(水) 13:58:38.66 0
>>563 少し異を呈してみる。
まず「或る概念の意味は…云々」は、おかしい。
概念と概念が接触したりはしないのである。
前レスで私も「概念の時空的展開…」といった力んだ言い回しをしていて、
あたかも“概念”が「ある」のを前提しているが、これは議論上の便法。
しかし詩人のネム氏には、それは許されない。w
接触するのは“概念”ではない。モノあるいはコトである。この原的“経験”を
抽象化(概念規定)への誘惑を断ちつつ“原”的に表出するのが詩人である。
モノあるいはコトの接触は、無意味(無価値)なのかもしれない。
無意味に耐えられず、そこに意味を付与した表現が概念。
概念化は弱者の“力への意志”にすぎない。
詩人は力(概念)の織りなす世界の虚を衝き、原的事態を記述しなければならない。w
570 :
ネム:2012/08/15(水) 20:47:32.14 0
その“原的”なるものは、結局何も語れない
モノやコト、力も同じく自由であるがゆえに何も意味しない
何も語れない内において、何かを語りうるということのその表出を、矛盾なく解ければいい
世界も同じく無意味だ
しかし無意味には二通りある
例えば、何もしないことの無意味と、何かすることによっての無意味
後者の無意味は価値が相殺された結果としてのそれである
我々が何かを語るということは、その何かを語らないことをも照明する
ともかくもそのように語りうるためには素材がなければならない
現実を論拠にしない関連がどのように可能であるかと?
自分はその反論に答える術をまだ見つけていない
しかしそのことは、おそらく問いそのものへの捉え方に依存される
>・概念はつながりから生じる
これがその解決への糸口になるかわからない
概念はその世界内の照応における構成が可能であっても、
概念と概念のつながりは照応しきれない豊かさがある
ゼノンのパラドックス然り
抄録氏だったか「パンを切った断面そのものはどこにある?」の大森荘蔵の引用然り
現実には境界が存在しない
境界は測れないがゆえに、一切れのパンから無限のパンが生まれる
概念(有)が境界(無)から生じるのであれば、上述の問いもそのように見直される
いまこのようにある現実の有り様は、アナロジーによって理解される様態であると
571 :
ネム:2012/08/15(水) 20:48:55.87 0
不満を認めるw
572 :
ネム:2012/08/15(水) 20:56:51.58 0
境界とアナロジーの関係
意味の向きとアナロジーの関係
説明不足
573 :
ネム:2012/08/15(水) 21:07:23.97 0
結局抽象化による現実の依存からは抜け切れてないか
どうあがいても無理なのか。。。
>>563 > ・或る概念の意味は、それが他の或る概念との接触によって有する
> ・概念はそれ自体無意味である
【概念】 物事の概括的な意味(辞書より)
概念自体が意味を含んでいます。
>>564 ネムさんの独自定義ということで。
>>567 > なかで、或る事象を「因」と特定する根拠は何?というもの。
>>482に書かれたように直前のすべての物質が原因です。物質によって影響の度合いや違いはありますが、唯物論的には
原因の特定というのは結局直前のすべての物質を指すことになります。
しかし原因を特定しなければならないといわれるケースは多々ありますね。その場合何が求められているのでしょう。
ほとんどの場合何を原因としたいかによると思います。
>>568 > とすると「物質とは物質を構成する物質」となり無意味な言明になってしまう。
唯物論は物質の関係として説明しないことに反対するという論でもあります。
> “瞬間”にも「あいだ」の意味がある。この「あいだ」には、どれくらいの長さ(幅)があるの?
想定し得る何よりもより小さいというニュアンスですが特に瞬間の大きさは決めて無いです。
> 瞬間の“幅”と瞬間と瞬間の「あいだ(の幅)」は、どちらが長いのですか。
これも特に決めて無いです。
過去から未来への繋がりは特に時間軸のような何かで実際に繋がっているのでは無い。
実際にはただ物質があるだけである。
と思いたいけど、やっぱそれは間違いだった。
何かが分からない、分からないものは存在しない。
われ思うからこそ我がある。
日常が決定論だ。こうして書いているときも、今書いているのは決まっていることなんだなと。
いつもそればかり。
すべての出来事は完璧なタイミングで起きている。そればかり。
580 :
ネム:2012/08/15(水) 22:40:22.30 0
この世界は偶然でも必然でもこのようにあるんじゃない
そういう現実の認識のあり方が、おそらく間違っている
真相がそのように解明されるほど単純であるはずがない
神は設計図によって世界は作らなかったし、そのように世界を見ることはない
581 :
ネム:2012/08/15(水) 22:41:24.52 0
ここはメタファーの呪文のようなスレなのか?
へえ、こんなことが起こるんだ?これも決まっていたんだ?でもオレは何も知らなかった。
584 :
ネム:2012/08/15(水) 22:52:52.49 0
世界が「このように」あることを「そのように」説明することは
それは法則なき法則で理解することに等しい
法則なき法則?
586 :
ネム:2012/08/15(水) 23:08:19.44 0
まったく何も構造をもたない原理だけが、完全な厳格さの要求を満たすのです (J.ホイーラー)
例えば?
そうねえ。「接触」に還元するのもありなのかしらね。
しかし発生順を優先して「分裂」に還元するのが
どちらかというと私のマイブーム。
境界とは異なる様態の接触ではなく、異なる様態への分裂による帰結。
外から切るのではない、意味も概念も、自ら分かれて「増殖」していくのだよ。
こっちの方が生物的でいいだろ?金属組織学的でもある。
駄目か?w
*********************
「変移」とか「向き」にはさっぱりアクセスできない。はっは
591 :
ゲーム:2012/08/16(木) 09:40:20.63 0
>>590 「変移」は短語なので使っている。
「変化しつつ移動している」を簡略したもの。
ちなみに「変移を常態」とするのが私の“存在了解”
>>575 初めから、そういうべきだった。w
「因果」は“流れる時間”を前提にするので、時間とは?瞬間とは?
因と果のあいだの長さは?とか、そもそも時間はなんという物質?といった
突っ込みを招いてしまう。
すべては“物質”に還元できる、たとえば時間・空間も物質の“相”とする
のが字義どおりの唯物論である。
因果も“物質”に解消される、非・因果的一枚岩こそが唯物論の描く世界像。
むろん私は承服しないが、因果的決定論・唯物論よりも説得力はある。w
592 :
ゲーム:2012/08/16(木) 10:08:14.28 0
>>581 「言葉は隠喩からうまれた」というよりも、言葉は隠喩である。
隠喩としての言葉は、すでに“原的な経験”を隠蔽している。
ここから言葉は三通り(いや四通り?)に分岐するが、ネム氏が引用している
「構造をもたない」言葉の一つの極北が概念(抽象)の概念(抽象)。
もう一つが極限の具象語である。
前者は“普遍”の言述を志向し、後者は“一回性”を刻もうとする。w
>隠喩としての言葉は、すでに“原的な経験”を隠蔽している。
流行や道具としての言葉は合理化され本来の隠喩を失いつつある。
使う側の念じた意味がその隠喩を上書きし使われる過程で
淘汰されないそれは奇形したメタ識別にすぎない。
594 :
考える名無しさん:2012/08/16(木) 16:13:15.37 0
恐怖の始まりは認識から…。人は認識したのちに震える…! その震えをそれが何に起因しているのかを知りつつ眺めるのは………愉しい…!
経験の無い言葉とは、知識のことでしょう。
経験がないのに教科書は間違いが無いと信じてしまっている。
知識ばかりで経験の無いそれは抽象的ではなく絶対的な合理性の元に
機能しちゃっていないか?
人生の教訓と物理学の知識を、ひとまとめにするのはナンセンス
なんで物理学になるの?馬鹿なの?
物理学板で物理学を主張して何がわるい。
ここは哲学板なんだけど。
>>591 > 「因果」は“流れる時間”を前提にするので、時間とは?瞬間とは?
因果の連続が時。
> 因果も“物質”に解消される、非・因果的一枚岩こそが唯物論の描く世界像。
> むろん私は承服しないが、因果的決定論・唯物論よりも説得力はある。w
抄録さんのように唯物論を支持するけれど因果的決定論は反対する人もいますね。
>>600 その因果とは何か?
連続とは観測のことか?力のことか?
602 :
ルークよ:2012/08/19(日) 10:43:42.22 0
>>601 信じること、信じることで因果は連続する。
603 :
僕ちゃん:2012/08/19(日) 10:46:30.01 0
>>602 そうか、信じないと何も始まらないな
それが力か、フォースと共にあらんことを。
ジェダイはいないのかね?www
まずは騎士になってみては?
マジでフォースなんてあると思うの?アフォ?
>>601 【因果】 原因と結果。
【連続】 切れ目無く続くこと。
ゲームさんはフォースの虜になってしまいました。
飲食店に入ってメニューを見る。
自分は注文するメニューを決めなければならない。
注文するメニューは既に決まっているのに。
アカシックレコードが存在することとそれを知り得ることは別だからね
アカシックレコードという単語は便利だから使っただけで俺はオカルトの人ではないよ、いちお
>>610 このスレで出てくるラプラスの魔も同じようなオカルト。
>>611 オカルトを知らないものは理解できないものを見ると全てオカルトと区分する。
オカルトをどれだけ知っているの?知ることはできても学ぶことができないのが
オカルトで学ぶ態度から外れない人は単なる差別のレッテルとして使い分けが
できない。隠されたものを知るには隠れていないものを知るしかない。
そしてオカルトは隠れていない明確なものではない、明らかで明確に
認知しているそれはオカルトではない。それは誘うものであっても作る
ものではないってことです。理解はできなくても理解を誘うものである。
613 :
ゲーム:2012/08/22(水) 15:18:43.34 0
>>607 因と果には、切れ目がないの?
では、あれを因とし、これを果とするのは、カラス君なのですね。w
>>608 カラス君が“物質”に憑かれているほどには、フォースの虜にはなっていません。
それはともかく、アニメ版の『スターウォーズ』は、けっこう面白い。
フォースとは力だ、その程度の単語もしらないのか?
615 :
考える名無しさん:2012/08/23(木) 20:47:02.55 0
力とか依存関係のベクトルが示すスカラー積の表し方で
テンソル積で現せる相対的なものでしかないから。
中二病的な用法での”力”だろ
言わせんな恥ずかしい
>>612 入信するとラプラスの魔になれると言われたら信じるのでしょうか。
勝手に全知全能になってくださいw
>>613 > 因と果には、切れ目がないの?
因と果の指している対象は違うので連続しません。時間はこの因果が連続します。
> では、あれを因とし、これを果とするのは、カラス君なのですね。w
何故でしょう?
>勝手に全知全能になってくださいw
それが宗教というものです。決して教えを疑わない。
一度信じたことは曲げられない。教えにたいする不動の下僕。
絶対に計れないもの、たとえば自分の死ぬ日時秒とその原因
だが計れなくても、決定するように働きかけることは可能
因果とはそうやって作り出してゆく面がありダメだと思った時点で
論理に支配され可能性が全て消滅する終末思想に誘導されちゃうのは
計れないものを計れないという理由で理解しようと試みないから。
物理法則だから?それは誰かが決めただけで抜け穴があるかもしれない、
実際に歪んだ物理法則だからこそ現実との差異な事実が発見される。
620 :
考える名無しさん:2012/08/25(土) 12:28:29.55 0
>>619 >実際に歪んだ物理法則だからこそ現実との差異な事実が発見される。
科学的思考の基本である「論理実証主義的」思考の限界とも理解出来る。
オカルト君(かどうか知らんが)
常識的には、自然を「理解」で埋め尽くすことはできてはいないのが実情ようにも見える。
しかしそれは自然に不可知な対象があるということを意味しない。
知は自らが十分に知であることを求めて活動する。
なので知り得ることは全て知り得る。知り得ないことなど無いのだ。
いわゆる「物自体」は知り得ないのではなく、
それを知り得ないとしか思えないように思惟ができている、とするのが正確。
そしてそれ以上の「メタ」は無い。
一方で、自然には「知外」があるのかどうか、それは言えない。
分からないのではなく、言えないのである。
分かるとか分からないとかというような論理の一切をそこに介入させることができない。
私がオカルトで気に入らないのは、理解できないことを知っているが如くに言い募る
その態度なのだ。
論を否定するのに論を用いて、勝手に不可知の脳内構造を作り上げる。
思惟が暴走しているのだ。
「抜け穴」だと理解できるならそれはオカルトじゃない。科学なのだ。
それ以外の“抜け穴”は、内容の無い言葉だけ妄想であり、オカルトじゃあない。
物理法則が歪んでいるなら、その歪みは科学によってのみ矯正される。
物理法則と現実との差異が差異として発見できるなら、それは既に科学なのである。
科学の限界を『示唆』できるのはオカルトじゃない。科学自身なのだ。
ネム氏
>>563、つらつら考えたりはしてみるのだが
さっぱりしびれないぞ。
『なんだか分からない何か』が意識内にもしあるとしてだな、
それが「意味」であることと「概念」であることは
どちらが優先されるんだ?
ネム氏によると「概念」が先立つようにも読める。
しかし「意味の無い概念」て何なのよ?
それ、貴方の思惟におけるどの状況というか、タイミングで掴めた?
あとね、「比率」。
実際のところ、ネム氏の言う「比率」の内容はよく分からないのだが
比率はどこまでも比率というか、私の言葉で言うなら「強度」でしかない。
私は「世界に現れる一切は特性の強度」だと口走ったことがある。
もし世界の一切が、貴方の言う比率であるとしてだ、
比率から特性が生じるのにはどんなウルトラCがある?
それとも世界に特性など不要か?
(そういえば貴方は「動的な何か」など世界の理解には不要とも言っていた。)
気が向いたらまた教えてくれw
>>621 量子論の否定?
知ることで意味が変わることなど無い?
>>623 量子論とか馬鹿なの?おまえ学んだこともないだろ。
>>623 んー・・分からん。
任せるから、ちょっと潜ってみそ
いやか?
>>619 > 絶対に計れないもの、たとえば自分の死ぬ日時秒とその原因
他の人に計ってもらえばいい。
> 因果とはそうやって作り出してゆく面がありダメだと思った時点で
何がダメだと思いますか。
> 論理に支配され可能性が全て消滅する終末思想に誘導されちゃうのは
確かにそうですね。原因が結果を決定するとわかって、過去が未来を決定するとわかって、可能性が無いと
わかってしまいます。
> 計れないものを計れないという理由で理解しようと試みないから。
計れないものは何でしょう。
> 物理法則だから?それは誰かが決めただけで抜け穴があるかもしれない、
物理法則が誰かが決めただけならば自分で物理法則を決めればいいのでは。
>> 絶対に計れないもの、たとえば自分の死ぬ日時秒とその原因
>他の人に計ってもらえばいい。
あたらしいビックバンが平行後起こりのように起きたらどうする?
絶対に計れないといっているなら他人でも計れないだろ。
それを測れると言い直すなら計れないものは存在しなくなる。
>>628 測ろうという心が足りないから計れないとか戯言に執着するんです。
貴方は希望をもち神に祈る態度がありません、もっと信じる心をもち前向きに生きましょう。
測るっていうのは非常に難しい問題なんですよ。みんなが誤解するほど。
測るだけでスレが何スレでもできます。
心電図のデータから何時何分に死亡したとすることはできる。
自分が何時何分何秒に確かに死んだと確証することはできないかも。
>心電図のデータから何時何分に死亡したとすることはできる。
測るじゃなくて、記録だね。それも正確でもない。
心電図のプラグが抜けたら脂肪吸引
>・私の存在は比率である
私の存在は可能性である。
それは過去の可能性(あるべきだった姿)と未来の可能性(あるべき姿へ)
可能性はそこへ連なる力を隠している。捉えた時点で力は失い
捉えた側の現実に繋がる。
現実は勝負しなければ確定しないのに、勝負がそこにあるから勝敗は
確定していると主張するのが決定論かな?
637 :
ゲーム:2012/08/28(火) 16:03:09.30 0
>>617 結論を先取りして述べている。君のは「初めに因/果ありき…」である。
或る事象が現前している、とする。
君によれば、そこには因/果があり、それぞれ異なる対象だ、といいたいのだろう?
尋ねているのは、或る事象の或る事態を“因”とし、別のそれを“果”とみなす根拠。
“根拠”が強すぎるなら、理由でもいい。その答えをまだもらっていない。
だから、てっきり或る事象の因/果を決定しているのは、カラス君とばかり思っていた。w
もう一つ。君は時間は連続している、という。
これは“時間”には因/果という切れ目は「ない」ということかな?
すると、因/果的に変・移する領域と、そうではない領域がある、ということになる?
638 :
ゲーム:2012/08/28(火) 16:50:56.95 0
>>621 「知りうること」は「知りえないこと」があるから、そういえるにすぎない。
「知りうること」しかないわけではなく、知りうることしか“知りえない”だけ。w
「知りえない」ことが存在しないわけではなく、抄録氏が語っている「思惟」もその一つ。
なぜ“知りえない”領域を思惟(推論)するのか「思惟が暴走する」理由は不可知である。w
不可知、というよりも“未知”の領域を空想したり想像したり推理することによって、ヒトは「知りうること」を
拡張してきた。不思議なのは、それにつれて「知りえないこと」もまた広がりつつあるようにみえることである。
“知りえないこと”に導かれて「知」はその領域を広げる一方、「知」が増すにしたがって“未知”の領野も益々
深まりつつある、のだろうか。
639 :
ゲーム:2012/08/28(火) 17:16:35.40 0
>>621 「科学の限界」を示唆できるのは“科学”ではないだろう?
科学が自らの限界に気づく必要はなく、突き進めるだけ進めばよろしい。
それを指摘するのは“哲学”の役割。が、それは現実には難しい。
一般に、科学者のほうが哲学者よりもアタマがいいからだ。w
たとえていえば、この国の政治家が官僚をチェックできないのと同じ理屈である。
抄録氏の立場が「科学・万歳」ならスレ違い。基本的に当スレは反・科学ではないが
科学的知、科学的言説を絶対視(信仰)しないことを本旨としているからである。
この問題は、またいずれ。
ほう「スレ違い」ですか。
このスレでそんな言葉を聞こうとは
好きにされるがいい
抄録は科学が万能だと信仰しているだけ。
信じるものを否定してはいけない。
>>641 科学が万能なわけねーだろ
科学は十分に科学であろうとする。
それだけよ
******************
神にも不可知はあると思うか?
「知る」とは何事よ
神は「この世界が生まれたのは実は明日だ」ってことを知ってるか?
何が「知り得ない」って?
「物自体」の何が分かれば「知る」ことになる?
神は「物自体」の何を知ってる?
それも分かるまいが。
徹頭徹尾すっとこどっこいなんだよ。
「知」は十分に知であろうとする。
それが神の知であろうともだ。
>>642 元理系の私としては、抄録さんの知識には拍手を送りたくなるところが多々ありますが、
科学を信奉しているってところは否定されないのですね。私もそうです。科学の限界
とは何か、測ることについて興味深い意見の方もおられますね。私は現場の
科学者は個人的にかなり肩入れしていますよ。数学と物理のファンです、私。
雑話。
知ったんじゃなくて命名しただけなことに気が付かない事実。
命名するということは、世界からあるものを分離し得る程「知る」必要がある
名とはつまり、知によって確立された強固な概念なのである
>>637 > 結論を先取りして述べている。君のは「初めに因/果ありき…」である。
原因が結果を決定すると考えることが役に立つから。的外れで事実を表していない論ならば役に立ちようが
無い。これももちろん単なる信仰。
> 或る事象が現前している、とする。
> 君によれば、そこには因/果があり、それぞれ異なる対象だ、といいたいのだろう?
>
> 尋ねているのは、或る事象の或る事態を“因”とし、別のそれを“果”とみなす根拠。
原因は過去。結果は未来。原因はひとつの結果を決定します。根拠はありません。ただ役に立っているだけ
です。
> もう一つ。君は時間は連続している、という。
> これは“時間”には因/果という切れ目は「ない」ということかな?
> すると、因/果的に変・移する領域と、そうではない領域がある、ということになる?
原因がこれで結果がこれと指し示す場合に指し示す対象を区切ります。切れ目無く連続する時間を区切って
意味にして理解します。
>>642 手がかりを失った過去を知る方法はあるだろうか。タイムマシンはどう思いますか?
因果律を証明するにはどうしたらいいのだろう。
証明は因果関係が繋がっていることを示すこと。
因果律に拠らない観点での世界の分析が必要
原因は結局は人が捉えた認知の1つである、認知できないものを原因とは
呼ばない、故に認知の外から発生する世界の状況の変化は原因さえも
機能しえない結果を生み出すことがある。
人が捉えないものも原因と呼ぶならばそれが形而上の類が原因となり形而下
へ結果を出しうるものを認める必要があるはず。未来で起きたことが過去へ
の結果となる類の意味も含まれる。過去が改変されても物理法則に何の
変化も観測もできるわけが無いのだから。
>>643 科学を信奉してるのかしら・・いや分かりません
理科は餓鬼の頃からの趣味
自然科学は相手が自然だというところがいい
自然は言い訳をしない(多分)
理数のファン・・・・そうですね「趣味」よりも「ファン」の方が気が利いてるかもしらん。
652 :
考える名無しさん:2012/08/29(水) 20:41:52.16 0
まぁそれはともかく英語は日本語に翻訳できるのに
犬語や猫語はなんで翻訳できないんですか
抄録の自然とは極所の自然、抄録が言うのは自分の知っている範囲で
日常的な統計で嘘がない矛盾がないという根拠にすぎない。
つまり自然が稀に自然とは思えない面を見せることは考えない思考方法である。
その本質は稀だから「無視してよい」、稀は扱う意味がないので存在しない。
ということ。
安心しましたか
>>653 >自然が稀に自然とは思えない面を見せる
二、三個、例を挙げてみな (・∀・)ニヤニヤ
656 :
考える名無しさん:2012/08/30(木) 07:44:21.08 0
>>655 俺は顔が凄く不細工だったから、小学生の頃いじめられていたけど、まあ世の中そんなものかなあと思いながら生きてた
六年生のとき登校中の児童の集団に車が突っ込んで来たんだよ、10人ぐらいはね飛ばされたのに俺だけ右足を複雑骨折して、
杖を使う生活になった(他の子供はかすり傷程度だったんだぜ)
中学では顔に加えて脚まで悪いので当然いじめられた(これも今思うと相当な事をされていたけど、当時はしかたないと思っていた)
高校はそこそこ良いところに行ったのでイジメはなかったが友達は出来なかった
高校二年のときに父親が借金残して蒸発した
母親がどうしても大学に行けと言ってくれたので、地元の国立に進学した
後半年で卒業というところで、歩道を歩いているときにバイクが突っ込んで来て、
右腕、左足複雑骨折、肋骨骨折、頭蓋骨にヒビの重傷をおって2ヶ月入院
しかも、突っ込んで来たのは知り合いだった
左足は結構直ったけど、以前にもまして歩行は不自由になった
卒業も半年おくれになってしまったし、俺の卒業を楽しみにしていてくれた母親が卒業の2ヶ月前に死んじゃったんだ
もちろん、内定も取り消しだったし
まあ、でもとりあえず就職はできて、二年後に凄い下痢をし始めて病院に行ったら潰瘍性大腸炎だった
それから半年後の検診で大腸がんがみつかり大腸全摘出
会社もクビになった
それでも、今はまた就職できて普通に生きてるから文句はないんだけど
自然が俺に悪意を持ってるんじゃないかって思った事はあるね
長文スマソ
俺にはそれが「自然とは思えない面」には見えないけどね
あるいは、アンタが事故に遭った時、その「自然」が何か言い訳をしたりしたの?
658 :
考える名無しさん:2012/08/30(木) 07:48:21.61 0
>>656 生きてるだけマシ、だろ?
もっと理不尽に命を奪われるケースも世の中にはごまんとあるんだぜ
不幸自慢はイラネ
>>656 てっきり量子力学黎明期の発見を挙げてくるかと思ったんだが…
真面目に回答しようにも、君にはその知識がなかったか
変なこと訊いてゴメンよ
660 :
考える名無しさん:2012/08/30(木) 07:57:55.47 0
>>659 俺は
>>653じゃないよ、横からつまらん事書き込んじゃってスマン
別に不幸自慢したかった訳じゃないんだけど、ちょっと思いついたから書いちゃったwww
>>657 おまえ馬鹿だろ。誰と遊んでいるの?自然にキチガイほいほいになっている
ことに気が付け。
自然をどんな意味で使用したか、それがどの様に関係するのか、最初に書いたかたに
訊いてみるのがよいでしょう。
因果律を証明する方法を考えた。
ここにスイッチと電球があります。
スイッチを入れます。電球が点灯しました。
これが因果律です。照明終わり。
>>662 ん?何か嫌なことでもあったのか?
自分のレスが蔑ろにされたとか
>>664 スイッチを「原因」、電球の点灯を「結果」を規定したのは何者で、その正しさはどうやって証明するの?
因果律を証明する、というのはそういうことだと思うんだが
脳と意識の関連をどうやって証明するの?
>>669 形而上の意識という領域で機能する意味が成立しないほど単純化された基本要素を
最初に特定しそれを定義するのが前提条件である。
基本要素は法則や原理そのものであるから、それらを構成する何かを
説明する必要はない。それらの要素が特定(定義)できれば要素を実現させる為の
形而下の仕組みを考えるのは可能である。
意識にたいする脳は物理層なのでコンピュータに例えれば歯車やパラメトロン
や真空管やトランジスタに相当する、それをもって基礎単位の要素(命令語)を
定義できたとしても基礎単位以下の構成物質となるトランジスタでアプリケーション
を説明したり証明するものではない。なぜなら物理層であるトランジスタは
トランジスタである必要が無いからである形而上(上位構造)と形而下(下部構造)
の関係を知っているならば混同をして一色多に混ぜあわせるような愚かな捉えかたは
しないはずだよね?
蟻の世界の社会現象と金融世界の社会現象とSNSの社会とMMORPGなどの
社会とある場合にそれらを原子や分子が一番根底になるから証明しなさいという
考え方は実に捻くれている。下部構造の要素をもって上位構造の仕組みや意味を
無視するような愚かな考えだろう。
672 :
考える名無しさん:2012/08/31(金) 23:46:50.52 0
670は内容は別にして、易しく咀嚼できるように書かれていると思うよ。
なぜ文字数が多いと逆に易しくて、逆に理解しやすいといえるのか、
逆に著者の優しさが含まれているといえるのか、
というのは、
誤解の可能性、即ち解釈の方向を読み手が憶測で決めなければならない箇所が
可能な限り減らされているから、理解するのがより簡単であり、難しくなくむしろ易しいと言えるのだと思うよ。
全然分からないんだけどさあ
「脳を損傷した人が精神に変化をきたす事が多数観察される
ゆえに、精神は脳の機能である」
みたいな自然科学的な考えは哲学でも通用するの?
>>672 でも文章が増えると噛みつく場所も増えて、議論が発散しやすくもなるんだよね。善し悪しだね。
675 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 07:34:45.47 0
>>664 ある試合の前に霊柩車を見かけ、その日の試合に勝ちました。
別の日の試合の前にやっぱり霊柩車をを見かけ、またもや試合に勝ちました。
今日までこの霊柩車を見かけた日は10戦して10勝です。
因果律が証明されました。
>>675 多分、最後の「照明終わり」の部分が電球を使った実験とあいまってギャグになってるんだ
つまりカラスとか言うクソコテは二度とここには来るなってことか
おまえが来なきゃいいだけ
こんにちは。哲学板です。
〜証明は循環論法か〜
前にも言いましたけど、因果律の正しさは“証明”wができて、
・全ての結果は全ての原因によって決まる。
・因果律とは原因によって結果が決まることである。
・故に因果律は正しい。
なんぞそれ。これすなわち循環論法なわけです。
ところで平面幾何学の証明は循環論法なのでしょうか。
公理公準は三平方の定理の内容を含んでいる?
情報量に変化は無い?・・・
いやまさか。どう考えたっておかしい。
三平方の定理は公準ほどの自明性を持ちますか?
まったく対等じゃない。どこか間違っている
つまりですね、平面幾何学に於いて、
・平面上に無制限に(どのようにでも)線及び図形が引ける。
・線や図形の性質は、それらをいかように平行移動させようが回転させようが保持される、
そのことが思考の前提として介入している。しかしそれは公理公準には含まれない。
自明だと思われているからでしょうか。しかし本当に自明ですかね?
さらに重大なのは、「描かれ得る図形を全て列挙することは不可能」だってことです。
制限無く図形を描ける平面上に於いて、対称性を前提に、自在に図形を移動させ、比較することができる。
そこを離れて記号形式だけで証明が可能なわけではない。
なのに「その行為によっては情報量が増えていない」などと、どうして言えるのか。
英語の文字はアルファベット26文字です。それ以外に無い。
じゃあ、英語で書かれた文章はアルファベット以上の情報が「無い」っての?
いやおかしいでしょう。何がおかしいの?
教えなさい、エロイひと達。
単なるビット情報を文字に変換出来るのは文字コードというプロトコルがあるからで
更に読み手に言語というプロトコルがあれば最終的に得られる情報量はそりゃ増える
文字コードも全てビット情報ですが
体験しなければ分からないことを言葉にしたところで、1億の言葉は
1回の体験に劣る。
読書も体験ですよ
685 :
ゲーム:2012/09/01(土) 13:56:03.26 0
>>664 みなさん、軽妙に突っ込んでいるので、ベタにやってみる。w
スイッチをいれると、電球が灯ることが多いのは事実。(わが家では)
しかし、そうでない場合がある。
ということは「スイッチ→点灯」は因果“律”ではなく、確“率”ではないか。
なぜスイッチをいれても灯らないことがあるのか。
それを列挙すれば、電球が点るためには幾つもの「条件」を満たさなければ
ならぬことがわかるだろう。「スイッチをいれる」のは、それらの諸条件の一つ
にすぎない。では、知るかぎりの諸条件を満たせば、電球は必ず点るのか。
そうとはいえまい。“こうすれば”絶対に“こうなる”状況など、言葉のアヤ
でしかなく、どこまでも事態は確率的にしか変・移しない。
一定以上の高確率で推移する出来事を因/果と呼んでいるだけである。
686 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 13:57:21.03 0
>>685 そんなことは分かっているよ。だから何?
褒めてほしかったんだろ
優しくしてやれ
688 :
ゲーム:2012/09/01(土) 14:26:01.91 0
>>680 その問題に、こと細かく応接することはできないが“数学”が成立するのは
「規則」に準拠する場合に限られる。ただし、その「規則」を“正しい”とする
根拠は(その規則のなかには)なく、正しいとするためには、さらにそれを内包
する上位の規則を樹立しなければならず…この屋上に屋上を重ねる作業を無限
に続けなければ“数学”の世界は成立しない、といわれるのは本当?
>>666 因果律に頼らずに生活するのは不便です。役に立つことが何よりの照明というわけです。
>>673 唯物論的な考えですね。哲学には様々な論があります。通用というよりひとつの論ですね。
>>680 > 〜証明は循環論法か〜
循環論法も厳しいこといったら辞書は循環論法なので言葉を使った証明は循環論法になります。
> 情報量に変化は無い?・・・
証明などによって増えると思われる情報量ですが、普通は起こりにくさのことですね。エントロピーの意味もありますが。
決定論はすべては100%の確率で起きるという論なので情報量の観点からみた決定論は情報量ゼロ論です。
とはいえ起こりにくさは定義して使えばいいのですが。
> ・線や図形の性質は、それらをいかように平行移動させようが回転させようが保持される、
位置や角度を性質に含めるかどうかですね。
>>685 因果律批判ではなく因果率批判ですね。
それをもって「成立しない」というのなら、
数学に限らず、あらゆる(論理を用いて整理された)体系は成り立たないのでは?
で、そんな不毛な極論を呈して何がしたいの?
691 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/01(土) 16:26:34.81 0
カラス君
私に絡まなくていいから
>>675にレスしてください
692 :
ノウ:2012/09/01(土) 16:37:05.97 I
てす
693 :
ゲーム:2012/09/01(土) 16:41:30.31 0
>>689 いや、いかなる場合も因果“律”は厳密には成立しないといっているのである。
>>690 それが前提なのである。それを踏まえて御伽噺ではない、何かを言述できるか
どうかが、問われている。それを君が不毛だと思うのなら、黙るか、世迷言を
タレ流せばよろしい。
694 :
ノウ:2012/09/01(土) 16:44:44.41 I
知識の目的とはなんだろうね
知識とは?
知識形成のあり方とは?
帰納の役割とはなんだろうね
カラス君は「役に立つ」と言ってるから
知識とは役に立つためのものであり、
また、因果とは役に立つために必要だ(あるとしなければならない)
と考えているのだろう
695 :
ノウ:2012/09/01(土) 16:46:22.01 I
さて、さっき買ったネクタリンでも食べて、仕事するか
休むつもりだったのに、急に仕事になるとだるい
696 :
ノウ:2012/09/01(土) 16:54:38.52 I
688
本当
ただし「正しい」という言葉をある狭い意味に限定する限りにおいて。
個人的にはそのような「正しい」はゴミ箱に捨てるべきだと考えている
「正しい」という言葉、その意味するところを考えてみるも面白いかしれぬ
>>688 規則の上位の規則、そのまた上位の規則、・・・・
そういや春頃そんな話をしてましたなw
しかしその無限階層は私には「なんぞそれ?」としか思えないのです。
しかしそれでも良い、という人もいるようなので、一筋縄ではいかない。
哲学書など読まない私ですが、岩波文庫の「論理哲学論考(ウィトゲンシュタイン)」を
あやうく持ってるわけです。実際のところ奴が何を言ってるのか、
それは私にはほぼ分からんのですよ。論理学はしろうとだし、論理記号とかも読めませんのでね。
しかし何らかの決着を付けようとしたのだろう、ぐらいの迫力は私にも感じれるわけです。
数学の限界を“数学以外の何が”、それを示唆することができるでしょうか。
数学というシステムの「外部」など無いのです。
「数学のルールが理解できるという事態」をさらにルールによって既定するなどナンセンスです。
論理が成立するための規則をどこまでも外部に求めるなど、私には到底受け入れられない。
そんなものどこにも無いんだから。
ところで、この岩波文庫の論理哲学論考にはラッセルによる解説が載っています。
ラッセルは言うわけです。
「言語の構造を内部から語ることはできないが、“別の言語”によって扱える可能性があり、
その言語の階層は“果てしなく繰り返されて良い”だろう。」と
おいおい、まじかよラッセル君。さすがに「世界5分前」などと言い出すすっとこどっこい。
頭は私の100倍良いかもしれんが、しかしどうにもぬるい。
しかし彼が「それでも良い」と思ったのなら、それも真実。。。ですかね。
>>693 そんなことは分かっているよ。だから何?
>それが前提なのである。それを踏まえて御伽噺ではない、何かを言述できるかどうかが、問われている。
今更何を得意げに語ってるのよコイツは
700 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 17:54:04.98 0
このスレの住人は輪廻転生ってありうると思う?おいら、次また
生まれ変わって再び苦しみの生を受けるかもしれないことは
わかるけど、「なぜここに俺が俺として生まれたのか?」が
ちっともわからん・・・・原因がわかれば修行して輪廻からの
離脱を志そうと思うのだけど
701 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 17:55:57.92 0
>>694今まさにテアイテトスを読んでいるのですが、さっぱり内容が
分からない。どうやったらあれだけわかりにくいちんぷんかんぷんな文章で
こういった内容を残せるのか、怒りさえ覚えるほどわかりにくい。
アリストテレスの形而上学と同じにおいがしました・・
>>693 > いや、いかなる場合も因果“律”は厳密には成立しないといっているのである。
因果律の定義が違うのでしょう。お互い違うイメージを持っているのでしょう。
厳密な因果関係があるのは過去と未来の間です。
>>694 > 知識とは?
因果関係を持った情報。どんな原因からどんな結果になるか。データベース。
>>696 > 「正しい」という言葉、その意味するところを考えてみるも面白いかしれぬ
規則に対象が当てはまること。
万有引力にしても瞬間にすべて関係しているから因果関係は常にある。厳密には。
>>703 無いよ
重力の伝達速度は有限だから
つり?
シミュレーション技術が発達して、もしこうだったらどうなるか、試しに見てみるようになったらどうなるかな。
もしあなたが総理だったら日本はどうなるの?とか。
競争や争いの先がわかりすぎるのは努力の励みにならない?
708 :
704:2012/09/02(日) 11:18:55.79 0
>>706 貴方は重力波の速度は有限だと思ってるの?
709 :
704:2012/09/02(日) 11:21:27.81 0
思ってるの?思ってるとしたら?なんだろうね?
711 :
704:2012/09/02(日) 11:25:56.14 0
>>710 こっちが聞いてるんですよ
自分の思ってることも答えられないの?
自分の思ってることをたまに書いてます。次はどんな自慢話かな。
713 :
704:2012/09/02(日) 11:32:58.31 0
なんだかなぁ
>>553なんて呆れて誰も突っ込まないだけでしょ
714 :
704:2012/09/02(日) 11:40:16.48 0
問い
長さ1光年の鉄の棒があります
その端を押すと、その瞬間にもう一方の端は動くでしょうか
答え
動きません
ここはひとりボケツッコミスレッドです。
716 :
704:2012/09/02(日) 11:49:16.23 0
多分
>>553は、カラスさん快心のレスだったんだろうなぁ
伝言ゲームで最初の人から最後の人まで伝言が伝わる。時間はかかるかもしれないがこれも因果関係。
途中間違えて伝えても因果関係。
「量子もつれ」は因果関係である。
>>694 > 知識の目的とはなんだろうね
可能性である類を関係づけて可能性ではなくす。
わからない何かを分かる為の作業であって、この世には不思議なものはない
と思い込むための行為だろう。
抄録さんなどを縛るには、「この世には不思議などない」と論理誘導すればいい
論理的説明で解決できればそれは彼にとって正しいからである。それこそ真実。
>>717 自分の番で勝手に終わったとしても、自分の番だと間違えて途中が抜けて動作しても
結果的に最初から最後まで通ったように機能すればそれは因果関係と評価される。
>>719 世の中に不思議なものぐらいゴマンとあるだろ。
・生物はどうしてどうやって生まれたのだろう(生まれなくてもよかったのに)。
・宇宙の向こう側って考えちゃいけないのかしら。
・ダークエネルギーがあるならビッグバン仮説なんか不要じゃん。
・リーマン予想は原子物理学と繋がってるかも、だと。
俺は、それらをオカルトやら宗教やらで扱えると思ってる奴らが気に入らないだけよ。
>>720 そうですね。因果関係の途中を抜かして最初と最後だけ合っていればいいのが機能です。
〜世界5分“後”創造仮説〜
『世界が5分前に創造されたとすることに論理的不可能性はない』
そのことをもし前提とできるなら
「世界は過去も現在も含めて全て今から5分後に創造されるものである」
とすることに何の困難もありません。
おかしいって?いやちょっと待ってください。
そもそも世界5分前創造仮説とは、「実際(≒実在)の事実」についての懐疑です。
ある事実があるとして、それは実在する必要がないってことでしょう。
「実在しない事実」の“事実性”をヒトが理解しさえすればいい。そう言っているんですよ。
一切の過去など無くとも、完璧な(何が?w)記憶と記録さえあればいい、と。
それで「この世界」が存在することに何の支障も無いのだ、と。
そうするとですね、5分後に「この世界」の記憶と記録が作られるとしても
我々はそのことに全く反駁できないことになる!
なんとなれば、6分前の事実が無くとも5分前は存在可能ってことですから、
であるなら、現在の事実が無くても5分後が存在しても良いわけです。
「“この世界”を成立させる思惟と記憶と記録」が孤立してあればいいってことなんですよ。
現在の事実すら「いらない」ってことです。思惟による現在性だけがあればいい。
分かりますかね?でもおかしいですよね。おかしいんですよ。
ラッセルの言ってることは結局、中途半端なんですよ。
世界5分前創造仮説ってのは、その思考の途中までは『実在する時系列(過去の時点に対応する事実の順列)』を前提にした話なんです。
時系列が実在しなくてよいなら、世界が生まれたのは5分前である必要がない。
5分後で良い。しかしそれだとすぐおかしいとばれる。
「5分後まで世界が無いってどういうこと?世界は“既に”あるじゃん??」とね。
(時系列を度外視した「既に」ってなんですか?w)
でも5分前と言えば騙せる。
「いやこの5分間の事実は実在なんですよみなさん。分かりますよね。
だから“無条件にあるこの世界の時系列の時系列たるところ”
それを破壊する気はさらさら無いんです。」なんて感じでね。
『5分前があってこそ今がある』っていう常識的な時系列をこっそり介入させながら、
そうしておいて「時系列なんてのは思惟による構成だからその実在性なんか分からない」
なんて言ってるんです。ペテンなんです。ぬるいんです。
「5分前」と言いながら「5分前」の意味を自分で破壊してるんです。
この「5分前」が何のことだか、もはや分からない(はずな)んです。
******************************
今回も成立しませんかね。。。
因果律を考える一助になれば幸いですw
>>721 > 世の中に不思議なものぐらいゴマンとあるだろ。
ほんとうにそうかな
何が不思議なのか具体的にゴマンとあるんでしょ?
そう思うから不思議なのでは、
も、し、かして。自然であることが不思議とか思っていないだろうね?
>>725 すまんが何を問われているのか皆目分からん。
(貴方には世の中に不思議なものは無いってことかね??)
>>726 思わない人に不思議などない、あるがままなものは普通であり常識的な
状況を誰が不思議だと思う?
>>727 貴方にとって世の中には「あるがままで、普通で、常識的な状況」しか無い
ってことでいいですか。
それとも違うんですか。
729 :
ノウ:2012/09/02(日) 23:42:00.42 i
近代までは、科学と魔術や錬金術、占星術は分化されてなかった
「オカルトと科学を線引きできる」って考え方は100年前からある
オカルトを攻撃する人は絶えないわけだが、
多分、天に向かってツバを吐く行為にしかならないだろうね
オカルトと科学を線引きできるとは俺は思わないけど、
なぜこうもオカルトを攻撃する人が絶えないかというと、
一種の宗教戦争と同等の心理的背景があるように思う
730 :
ノウ:2012/09/02(日) 23:58:07.70 i
論理の話
ある人が言う
「僕は練馬区に住んでます」
偉い人は言う
「ということは彼は東京に住んでるね」
周りは言う
「素晴らしい、さすが先生」
ゲーム君が言ったこともこれに近い
練馬区在住ならば東京在住だし
東京在住ならば日本在住だ
つまり、新しいことを何も言わなければ論理的には正しい発言ができる
練馬区は東京の中にあるし、東京は日本の中にある
さて、未来は過去のなかにあるのか?
昨日は一昨日の中にあって、今日が昨日の中にあり
明日が今日の中にあるのだとしたら、話は簡単だ
過去を見れば未来が見えるのだから
731 :
ノウ:2012/09/03(月) 00:05:59.71 i
あ、そうそう
ニュートンが万有引力の法則を考えた時
ニュートンは自分の発想があまりにも魔術的なので発表をためらったんだよね
でもオカルトと叩かれようがニュートンはその法則を発表した
それがニュートンの偉いとこらだ
もちろん、後年、アインシュタインがニュートンの万有引力を、遠隔作用なんて魔術的な力はないと批判するわけだけど、
果たして遠隔作用の力がまったくないかどうかはまだ結論が出せない問題だと思う
ノウさんは、科学では理論→予想→検証という流れがあることを知らないの?
733 :
ノウ:2012/09/03(月) 00:43:14.14 i
検証可能性とか決定的反証の不可能性とか
観察の理論負荷性とか帰納の正当化とか
今さら語らないよ
もう各自、自分で本を読めってスタンスをとることにした
科学とオカルトの線引きは検証可能性によって成し得る
、と主張する人たちはいた
彼らはその線引きに失敗した
ちなみにラカトシュは「反証不可能性こそ科学の基準である」と言った
半分は当たっているのかもしれない
特にこのスレにいる人のほとんどはそう思っていることだろう
えーとひょっとして、線引きが難しい問題『も』あるから糞も味噌も一緒くたにしてしまえ、と?
735 :
ノウ:2012/09/03(月) 01:20:20.89 i
線引きできないんじゃない?
線引きできても便宜上の名前だけで
内容とか意味があるかないかの線引きはできない
まぁ、この問題はもとをただせば、知識観が問われる
知識に源泉があると考える人と知識に源泉がないと考える人によって
知識の捉え方、役割が異なる
736 :
ノウ:2012/09/03(月) 01:49:07.24 i
でもま、
味噌と糞はいっしょくたにしちゃいかん
味噌と糞を見分けることが大事なわけだ
それが哲学に携わるほとんどの人の関心だろう
まず、それには前提として「味噌と糞は違う別物だ」ということが大事なわけ
「いや、糞も味噌の一種だ」ってのはダメなわけよ
でも、味噌と糞は簡単には見分けられない
君が飲んでる味噌汁が糞汁である可能性は排除できない
さて、どうする?って話よ
>>733 >科学とオカルトの線引きは検証可能性によって成し得る
>、と主張する人たちはいた
>彼らはその線引きに失敗した
科学的思考の問題はXXXは何々である→だからXXXである。
と考えそれが自分の根拠が正しく見えれば証明できたことと信じる。
すべて四捨五入の合理的信仰によるもの、その線引きも合理的線引きであり
何々だから何々であると結論づけるとう思考誘導を自分にマインドコントロール
しているだけである、疑いようのない事実だと自分で錯覚してしまう。
その例としての対象を線引きするならば科学はいいとしてオカルトを定義できない
時点で線引きなどできようがない。失敗する以前に対象が何かどのような原理か
どのようにものかを明確に知っていないのに一般的な「オカルト」の意味である
差別される類という価値観のほうが優先された結果にすぎない。
そんな合理的思考の1つを例にしてそれを根拠にできないと言い切る論理では
イギリスでの鳩の地磁気実験と同じだね鳩に磁石をつけて飛ばしても地磁気で
混乱することを確認できなかったから鳩には磁気を判断する能力はないと結論
してしまった、ローレンツ力もしらずに。
オカルトの意味する1つの「論敵にレッテルを貼る」分部だけを根拠にすればオカルトを
科学と区別することはできない。科学そのものがオカルトになるわけだから。
738 :
トンスル:2012/09/03(月) 09:38:02.17 0
>>736 キムチと糞を一緒に生産する国はどうしたらいいの?
739 :
ゲーム:2012/09/03(月) 16:30:32.03 0
>>736 イヌ、ネコなみの1行レスをつけてくるサル以下の輩がいるけれども、
このイヌ、ネコ、そしてサルにも味噌と糞の区別はつくのではないか。
問題は、その先だ。君の書き込みからは「味噌のほうが糞よりも値打ち
がある」かのニュアンスが感じられる。が、そう単純ではなかろう。
糞のほうが「価値がある」場合もなくはないのである。
君は比喩的に述べているのだろうが、私はベタに語っている。w
>>739 >糞のほうが「価値がある」場合もなくはないのである
例えば何?
言葉遊びやってる人にその質問は禁句でしょ
742 :
ノウ:2012/09/03(月) 18:16:14.59 i
真面目に答えると
お笑い芸人が食べるなら、味噌汁よりも糞汁の方が数字がとれるだろう
比喩にからませるならば、
真剣に言葉を使うでなく、遊び、冗談ならば、まったく別の価値が生まれる場合もある
ただし、真剣な会話や討議の場というのもある
裁判、学会、会議、交渉
そういう場にはお笑い芸人のノリはふさわしくない
お笑い番組の打ち合わせの最中だって、真剣な話をしているだろう
けしてバカや冗談は飛びかわないはずだ
地方によっては災害の防止のために生贄を捧げる地方もあった
饅頭の起源もそんな話だ
バカげた習慣だから人の頭のかわりに饅頭を捧げた、これは糞汁から味噌汁に変える行為だ
「いやいや生きた頭の方が笑えるし数字がとれる」と言うのは、ただのいじめだ
科学とオカルトの話をしていたはずなんですけどね
わしらには分からんぶっといつじつまが合ってんだろ
>>733 レッテルを貼るもくそも
自分で「オカルト」を礼賛してたろうが(貴方、オカルト君だろ?違ったらスンマソン)
『我々の扱う術など知るまい』とか、えっらそうに言ってなかったか?
なんにも分かりもせんのに、何でも分かったようなことをほざくてめーらが気に入らねえのよ、おれは。
科学が万能なんて言っちゃいねえよ。
俺は『科学による知見』を述べてるの。
てめえらオカルトによる知見の一つでも語ったことあるか?
雰囲気だけでだまくらかそうって、そーゆーこすい感じが気に食わねえんだよ。
うさんくせーんだ、ぼけ。
たんなる893になった抄録
748 :
ノウ:2012/09/03(月) 23:49:55.60 i
742は739への返答
科学とオカルトについての話
オカルトという言い方は好かんが
科学の信頼性って何に由来するのかねぇ
科学もオカルトも占いも、予想は当てにならない
東北大震災や原発事故の予想はできなかった
科学だから予想が当たるわけではない
科学の技術の粋を集めたものでも失敗は多々ある
チャレンジャー爆発とか、人工衛星の打ち上げ失敗だとか
科学は成功を保証しない
では、成功を保証しない科学の何をもって、われわれは科学を信頼するのだろうか
749 :
ノウ:2012/09/03(月) 23:59:59.83 i
737について
合理性ってのは確かに737が言うようなところがある
でも、そうじゃない合理性もあると思う
根拠づけたり、基礎づけたり、
水戸黄門の印籠のようにお墨付きを与えるだけが合理性の役割ではないと俺は思う
印籠合戦のように
「こっちは正統な権威だ」
「いや、こっちこそ正統な権威だ」と罵り合うのはオカルト仕様でしかない
科学の権威がオカルトを攻撃することを許す印籠になると考えるのは、一種のオカルトだということ
風邪に効くオカルトって何かある?
君が典型的なオカルト脳だということはよくわかった
>>749 工学のトライアル&エラーと、科学の基礎理論の区別くらいはつけようや…
実際的な複雑な現象は計算しきれるものではないからこそ、実験/試作をするんでしょうが
この点、医学も工学と同じ
752 :
751:2012/09/04(火) 00:25:34.79 0
ああ、もちろんある程度は理論でアタリをつけるけどね
シミュレーションって言葉は知ってるでしょ
753 :
ノウ:2012/09/04(火) 00:44:10.89 i
751
トライアル&エラーのメカニズムってのは複雑で
ある反証実験が該当の理論を反駁することはできない、とかある
初期条件か補助仮説のいずれかを修正すれば理論は生き残るからね
工学のトライアル&エラー
>>734 >>736 言葉の意味は見かけにレッテル貼りつけただけ。味噌は乳酸菌の糞であっても調味料のカテゴリ。
>>738 糞味噌も味噌糞もいっしょの国。食糞文化の国は食糧危機に強いだろうね。
757 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 06:23:34.94 0
客観的に科学的には人間の脳は骨に支えられてるように見えるけど
主観的には骨は支えてない
ライオンは支配の象徴とか近距離型の物理思考とか肉食
を表現したものなのでピラミッド関連を創造した人達は恐らく白人を表現してる
ピラミッドは黄色で周囲は白色でアフリカには黒色なのでこれは人種の特性と掛け合わせて表現した多分脳の設計図のようなもの
北極の近くが開いてるのはいつか南に流すために開けた
らしいけどそんなに都合よく地球は動かないだろうね
国土や領土が土に見えない人はブランド品や装飾品が革か石に見えやすい
知性は自然物に価値を付加し感性は人工物に価値を付加する
脳や神経の仕組みや働きが違うから
地球や人の見え方が異なるので価値観が違う
759 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=6,xxxP】(1+0:8) :2012/09/04(火) 15:49:52.23 0 BE:1847756939-2BP(3)
抄録さん、最近、カントとハイデガーと原始仏典とちょっとの科学哲学を読んだけど、
カントの物自体がいちばん正しくて、ハイデガーも、仏教の空も、科学哲学もまちがってるとしか
思えないんだよ。
読んだ科学哲学の本は、「科学哲学入門」「理性の限界」「知性の限界」「感性の限界」
だよ。
古典力学もオカルト??
脳科学はオカルトかもね
762 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/04(火) 18:17:54.98 0
>>759 記憶くん、久しぶり
ラビはあまり現れないぜ
貴方は勉強家なんで、もう俺なんかでは相手にならんかもなw
「理性の限界」だか「知性の限界」だか
どちらかを図書館でちら読みした記憶がありますよ。
そこそこ面白かったかな。しかし内容についてはほぼ全く記憶にない。
世の中いろんなこと言う奴がいるんだな〜、ぐらい
ハイデガーも仏教も、ぜんぜん知らん。
カントの「物自体」は、いかなる意味で「一番正しい」と思いましたか?
非常にそそられるね。少し語ってください。
ハイデガーは後期の一部の思想以外は胡散臭い。
仏教は実践主体。現代思想的な観念論で解釈するとバカを見る。
カントはお行儀が良すぎて今じゃ通用しない考え方。
岸田秀も吉本隆明もフロイトもユングもオカルトレベル。
信用できる思想なんて何もありゃしない。
764 :
考える名無しさん:2012/09/04(火) 18:47:43.15 0
夢の中の閃きや錬金術の「幻視」的な発想が今でも科学の根底を支えていたりするからなあ。
765 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=7,xxxP】(1+0:8) :2012/09/04(火) 22:04:10.21 0 BE:4927349298-2BP(3)
>>762 カントの物自体とは、決して認識できない存在の根幹であるね。
人が客観や物理実体を決して認識できないが、それは存在するということを示した言葉だよ。
まあ、このスレでは、何度も語られた内容だと思うけど。
最初にいったのはカントみたいだ。
>>765 さあそこだよ記憶さんw
ヒトの思惟が『決して認識できない存在の根幹』なんて怪物を作りだしたのは
いったいどういうことなんだろうか。
「この世界はヒトの観念」である(にすぎない)ってのは、何を根拠にしてるんだろうな?
意外に根拠がないぜ。かなりの部分、「常識」を根拠にしてるのではないだろうかね。
“純粋に客観にあるもの(物自体)”なんてものに対して意識だか理性だかというようなもんが
フィルターか関数のように作用して、その結果としての「現象」が“私”の前に立ち現れる、
ってな感じだろ?割と納得しやすい話なんですよ。
つまり「理解のしやすさ」がそのような「世界観」の根拠とも言える。
しかしそのような“私”って何だ?そんなものが果たして無条件にあるか?
『一切は精神現象なのであり、それ以上のことは分からない。』ってのは
言ってみりゃ思惟による判断なのだ。
そう考えるとだ、ヒトが世界を構成するときに、
「“私”には決して分からないもの」ってのを作っちゃうわけだよ。マッチポンプなんですよ。
しかしそれは果たして“分かるべきもの”なんだろうか?
つまりね、“そのように規定されてしまった物自体”の本性を、神ならば知ることができるのか?
って話ですよ。
私は「神ですらそんなことはできない」と思う。
なんとなればだね、神はその全知全能の力をもってしても
ヒトに「物自体」を理解させることができないからだ。
物自体の何が分からないのか、分からないのだよ。
「私に分かるのは現象だけ」
なぜ現象だけは分かるんだ?何がそれを保証する?
それは「現象」をそのように判断しただけじゃないのだろうか。
そーするとだ、自明とも思われていた「“私”に認識できるのは現象だけ」とは、
実はその“私”を含めて全て「物自体による作動そのもの」だと
そのように「物自体」を考え直すこともできるんじゃないか、
そう捉えることで、まったく別の地平が見えてくるんじゃないか、
なんて思うわけだね、ぼかぁ。。
そんなことねぇ。
770 :
ノウ:2012/09/05(水) 09:23:45.33 0
自分の世界こそ世界のすべてだと考える人がいたら、
彼はエゴイスティックな態度で、他人の考えを退けるだろう
なぜなら、彼にとって、他人の意見は世界外のものでしかないのだから
しかし、自分の考えが私見に過ぎず、自分の考えとは別に本来の世界があると考えるなら、
彼は謙虚な態度で様々な意見に耳を傾けることができるだろう
はっきり言えば、客観主義の意味はここにしかない
客観的な存在を擁立することで、エゴイスティックな態度を戒め、謙虚な態度をとることができる
客観的理念は道徳を成立させる理念的プログラムだ
772 :
ゲーム:2012/09/05(水) 10:37:43.28 0
>>741 君は、ここで“仕事”をしているつもり? ご苦労さま。で、幾ら稼ぎました?
>>740 想像力がないようだね。それではゲーム(遊戯)はできない。
君たちのことをイヌ、ネコなみと称したけれども、差別的に動物名を挙げたわけではない。
イヌ、ネコなら君たちと同じ一行レスは可能だろうし、サルなら三行、チンパンジーなら
五行くらいはレスできるだろう、ということだ。譬えであり、かつ本当の話でもある。
レスこそできまいが、連中にも、それくらいの“言語はある”という説である。
むろん、これには否定的な意見も少なくない。
そこで君たちには、動物にも“言語はある”の解説を頼みたい。この説に反対なら、異論を
述べてくれてもいい。どちらでもいいが、せめてチンパンジーなみの五行はお願いしたい。w
隔離病棟スレ
774 :
ゲーム:2012/09/05(水) 11:20:51.60 0
前記のレスの一行は、40字くらいにしてくれ。w
>>730 まぁ、いいけれども、厳密には「練馬区・在住」なら「東京都・在住」ではない。
練馬区・在住を「正しい」とするには“東京都”というメタ概念を樹てなければならない、という意味。
>>742 「真剣に」がキー・ワード? この反対語は「お気楽に」くらいかな?
ある種の「会議」では、気楽さが求められる場合がある。真剣になると、パターンを踏み、杓子定規な
結論しかでないことが少なくないからである。そこで、軽く一杯やりながら、会議を進める企業もある。
何がいいたいか。「真剣に/気楽に」は対立概念ではない。
775 :
ゲーム:2012/09/05(水) 11:48:36.31 0
>>759 そこは、このスレの対立点でもある。(そんなことはないかw)
このスレの哲学の徒の大半がニーチェの洗礼を受けており、「存在の根幹」つまり「物自体」という概念には否定的。
どこまで遡行しても「自体」性を有する存在の根幹、すなわち”本質”には達しない、というのがその立場である。
それでもヒトは、原子→素粒子→超ヒモ…と遡行し続けるのだろうが。
776 :
ゲーム:2012/09/05(水) 12:05:27.36 0
>>718 「量子のもつれ」は因果関係ではないだろう?
因/果が成立するためには“時間”が必要だが、それは“同時に”絡み合うのでは?
>>772 科学とオカルトに関して、糞の方が価値のある例を挙げてくれ
778 :
ノウ:2012/09/05(水) 14:42:45.38 0
練馬区在住の人が日本に住んでいることを看破したところで、
そんな正しさにはなんの意味もない
文字通り無意味だ
そんな正しさはゴミ箱に捨てるべき
意味のある発言と意味のある正しさに価値がある
無意味な正しさはただの権威づけ
有意味な正しさは知識と発展をもたらす
779 :
ノウ:2012/09/05(水) 14:54:54.03 0
774はひどいマッチポンプだね
自分で「真剣」の反対に「気楽」を挙げておきながら
「真剣と気楽は反意語ではない」って言うのはひどくない?
僕は真剣で、君みたいなふざけた発言をしているわけじゃない
ふざけた発言ができるのはバラエティ番組で、
ニュースやドキュメントではできないよね
会議もそう、気楽な雰囲気だろうと、議題に対しては真剣に話さなければならない
駄弁で過ごしたいわけじゃないんだから
ついでに、ゲームもそう
ゲームを楽しむ一番のコツは真剣にゲームに臨むこと
ふざけてゲームをやっても楽しくないもの
780 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 15:44:40.46 0
>>767 ヒトの思惟が「決して認識できない存在の根幹(物自体)」なんて怪物を作り出したのは
いったいどういう事なんだろう。
デカルトは、書簡の中で、日常の生活に於いては、主観(自己)と客観(世界)の一致した
状態を認めている。フッサ−ルも、「イデ−ン1」の中で、「実在的世界(客観的存在)」は、
なるほど存在しはするが、しかし、超越論的主観性へと、本質的に関係づけられた相対性を持つ」と、
述べている。 つまり、私達は、普段の日常的認識に於いては、主観(自己)と客観(世界)は、一致を
しているが、哲学的(認識論)に厳密に定義(我思う故に我有り)付けられる事により、主観/客観の分離が
起こる。 カントの「物自体」の概念は、このデカルトの「主観/客観の分離」の認識論から始まっている。
そして、カントは、「主観と客観の一致」と言う事を念頭として、「物自体」を考察し、「物自体」の存在を
客観存在と認めている。しかし、「物自体」は、「対象が空間という感性形式を通して現れる前のものだから、
これ(物自体)を知覚することは出来ない。」と述べている。 しかし、これは人間の感性的認識(五官)から、「物自体」を、
見ようとした為であると考えられる。 この点に関して、フッサ−ルが述べている様に、「構成的内在」から客観的存在としての
「物自体」を認識することは、現象学的に可能ではないかと思う。
軽い煽りのつもりだったんだが、まさか本当に実質のない言葉遊びだったのか? >ゲーム氏
782 :
ゲーム:2012/09/05(水) 16:52:28.41 0
>>778 あいかわらず、ものわかりが悪いね。クダらぬことでハラを立てている。w
「練馬に住んでいる」という言明が“正しい”とされるためには“東京”と
いうメタ概念が成立していなければならず“東京・在住”なる言明が正しい
とされるためには“日本”が認定されていなければならない。
「正しい/正しくない」を決定するには上位概念(規則)が必要であり、それを
欠けば、決定不能に陥るという常識を述べたまで。
ちなみに“国境問題”がなぜ起こるか、君にもわかるだろう?
君のレスに即せば、どんな言明もそれ自体では“意味”はない、ということだ。
783 :
ゲーム:2012/09/05(水) 17:11:01.67 0
>>779 やはり君も“真剣”を“気楽”の反対語として使っているではないか。
糞よりも味噌を価値あり、としたように「真剣>気楽」としている。
議題によっては、真剣に駄弁を弄してw場を白けさせる輩もいなくはない。
気楽に考えて、採用される意見もなくはないのである。w
君が真剣に発言しなければ…といっているのは“礼儀”のことだね。
君は少し前に、ふざけた発言に終始し、石を持て追放されたではないか。w
態度も悪く、中身もなかったからね。
784 :
ゲーム:2012/09/05(水) 17:20:39.70 0
>>781 一行しかレスできないイヌ、ネコなみ君か。
言葉遊びに決まっているだろう。仕事でもしているつもりか。
その仕事も“言語のゲーム”なんだけど、それは君に理解できなくてもいい。
実質のある/実質のない、を決定するのは何? 君には無理か。
785 :
ノウ:2012/09/05(水) 17:23:27.02 0
まったく分かってないよ
練馬区在住ならば東京在住なのは
彼についてまったく知らなくても分かる
それは東京〉練馬区
という大小関係だけで決まっていて
彼について何ら情報を有してないんだよ
言葉がもつ意味の情報量ってのは、
その発言の否定言明と同量なんだよ
ある日本人がいた時に
「彼はおそらく練馬区在住だ」と言えば情報量がある、つまり有意味になるんだよ
ちょっと分かりやすく言うと
発言に嘘が混ざっている可能性が高ければ高いほど、
その発言は情報量が多い有意味な発言になるんだよ
>>784 >君の書き込みからは「味噌のほうが糞よりも値打ち
>がある」かのニュアンスが感じられる。が、そう単純ではなかろう。
>糞のほうが「価値がある」場合もなくはないのである。
>例えば何?
>想像力がないようだね。それではゲーム(遊戯)はできない。
「私も具体例は知らないが、無根拠に言い放ってそれを相手に想像させるゲームをしているんだ」
というわけ?
787 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 17:31:03.11 0
>>784 この場合、「実質」として要求されているものは
「科学とオカルトに関して、糞の方が価値がある例」のことだ
788 :
ノウ:2012/09/05(水) 17:31:35.23 0
で、真剣ってのは
嘘とそうでないものを区別することが条件なんだよ
でたらめってのは、その発言が嘘だろうと本当だろうとどうでもいいんだよ
どうでもいいが、気楽にやることが真剣でないとは思わない
肩肘はってやるくらいなら気楽にやれ
ミスを恐るな
ただし、ミスはミスであると自覚しろ
俺は真剣に書き込んでる
でも、気楽ではある
間違った発言をすることもあるだろう
だが、あのニュートンだって魔術みたいなオカルトを発表したんだから
俺が発言を恐れるものは何もない
789 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 17:35:47.09 0
>>785 「彼は練馬区在住だ」
と断定した方が情報量は大きい
こんなの子供でもわかるでしょ
790 :
ゲーム:2012/09/05(水) 17:44:29.53 0
>>785 「東京>練馬」が相互に了解されていなければ「私は練馬に住んでいる」という言明の
正/誤は決まらない。君は大/小といっているけれども、上/下でも一緒。
上位概念をもつことによって、情報量は増える。逆か。情報量が増えることによって
上位概念へと飛躍し、あるとき「ウォーター」というそれに彼女は至った。w
上位概念へと
791 :
ゲーム:2012/09/05(水) 17:52:55.53 0
>>788 うそとそうでないものを区別するのに「真剣」かどうかは関係ない。
その両者を包括するルールが必要なだけ。
>>786 どういう場合に、どういう人にとって「味噌よりも糞が値打ちがあるのか」
想像できないのか。糞趣味がないので、あまり具体的に語りたくないだけ。w
792 :
ゲーム:2012/09/05(水) 17:58:11.27 0
>>780 「意義あり」だけれども、所用があるので待たれよ。
フッサールは(微妙なところがあるのだけれども)物自体という領域を否定しているのでは?
日本で哲学カフェがはやらなかったわけだな
794 :
ge0mu :2012/09/05(水) 19:00:12.40 0
795 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 19:03:20.65 0
>>792 「現象学還元とは、一切の超越者(客観的存在)に無効の符号をつけることであり、
すなわち、その超越者(客観的存在)の実在と妥当性をそのまま定立しないで、せいぜい
妥当現象として定立させる事である。」と、フッサ−ルは述べている。 従って、超越者を、
実体と認めいるが、「現象学還元」に於いては、実在と妥当性を、そのまま定立しないと解釈している。
又、カントの「物自体」の概念と、フッサ−ルの「超越者」の概念は、同じ「客観的存在」と解釈している。
796 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 19:04:55.17 0
⊂二 ̄⌒|\_/ ̄ ̄\_/| ノ)
)\ \_| ▼ ▼ |.. / / \
/__ │.\ 皿 / _ / /^\) <さあ、思う存分語るが良い!!
//// /⌒ ⌒ ̄_/
/ / / // ̄\ マモノ | ̄ ̄
/ / / (/ \ \___
((/ ( _ )
/ / ̄ ̄/ /
/ / / /
/ / ( /
/ / ) /
/ / し
>>780 なるほど、いろんな人がいろいろと考えるが、しかしそれらは似てもくる。
その「構成的内在」ってのはしかし、誰がその本性を知ってるんでしょうか。
なんかちょっと便利すぎる用語って感じがしますわね。
私はね、最近思うんですよ、
感官によって認識できないものであっても、その存在が論理によって要請されるなら
それは存在するとするしかない、と。この論理とは、まあ「辻褄」です。
「時間」なんかそうですよね。
「人間がいなけりゃ時間は存在しない」とか、哲学板でも本当によく言われるんですよ。
その気持ちも分からんではない。
しかし、じゃあその人間って誰よ?そしてその人間って「いつ」生まれたんだ?とか訊ねると、
もうまともには答えられない。
ヒト無しには時間が無いとするなら、「ヒトは“いつか”生まれたものだ」って思考を放棄しなければならない。
そんなことできますか?
論理を優先するなら、やっぱりヒトよりも時間が先立つんです。
「物自体」ってのも、それが認識不可能だとしても、カント先生はしかし「ある」と言うしかなかった。
多分、そうしないと辻褄が合わなくなるんでしょう。
ヒトが世界の仕組みを考えるときに、どうやったって論理に沿って考えるしかない。
798 :
ノウ:2012/09/05(水) 19:07:04.21 0
789
断定するかどうかはあまり関係ない
ある遺体があがった時に
「この練馬区在住の遺体は日本在住です」と報告した部下と
「この日本在住の遺体は練馬区在住です」と報告した部下がいた
前者はクビになりかねない
知識人は時々前者の発言をしがちだし
前者の正しさを求めがちだけど、
どう考えても前者はくだらない発言なわけだ
虚数が要請されたのは、論理的な要請です。
二乗してマイナスになる数なんて、二次方程式までは「解無し」でもよかった。
しかし四次方程式(三次?いや五次だったかな?w)の実数解を導出する途中で虚数が現れるので
虚数は「有る」ことになった。
ニュートンが慣性系を定立できたのは恐らく論理的要請です。観察とか実験に依るものじゃない。
現代物理なんかも、認識レベルを超えて、論理的整合性を追うわけです。
論理を越えることはできない。思考の最上位に論理が君臨しているんです。
しかし果たしてそんなことを無制限に許してよいのか。
なんて思っても、それを考えるのも論理なんです。もうどうしようもないw
ところがですね、ある理論の全体の構造を見る場合なんかに、一次的な要素、
二次的な要素(んー微妙)ってのが感性によって理解できたりする気もするわけです。。
例えば私にとっては、エネルギーなんかは二次的なものです。ツールなんです。
これがツールであることは論理的な帰結じゃない。私の感性なんです。
「構成的内在」・・それはどんな内容なんでしょう?聞きたいですね。
祭りかよ、珍しい
w
801 :
ノウ:2012/09/05(水) 19:14:12.95 0
791
嘘とそうでないものを区別する必要があるのはニュースやドキュメントのような真剣な場合だけだ
会議や裁判や学会も、嘘とそうでないものを区別する必要がある
それが真剣な言葉の場だからだ
が、でたらめでいい人は、そもそも両者を区別する必要がない
嘘と本当を峻別するいかなる規範にもコミットする必要がない
802 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 20:06:12.80 0
|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ < 買い物に出かけて暑さにやられた。
\ 皿 / )) …ということにしてちょっとだけ昼寝するw
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐'
803 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 20:07:01.13 0
|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ワシも外出から帰ったらめまいするから寝る
\ 皿 /
/ _ノ⌒⌒⌒`〜、_
( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ)
⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃
804 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 20:08:11.14 0
>>802 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ちゃんと水分採ったのか〜?
\
 ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄
___ | \ \
/ / )))) |
/ /_ ⊂ノ | ヽヽ .|\
/ /|\_/ ̄ ̄\_/| i 、、 | ヽヽ .|\ | \
/ / \\_| ▼ ▼ |_/ ド ド |ヽ |\ | |
/ / \ \ 皿/
/ / ヽ ⌒\
/ ノ /> >
/ / 6三ノ
805 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 21:30:20.88 0
. @@@
|\_/ \_/|
\_| ▼ ▼ |_/
\ 皿 / 今夜は涼しいわ〜
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J
純一?
|\_/ ̄ ̄\_/|
\_| ▼ ▼ |_/ 今日は、なんとなく涼しいよ
\ 皿 / )) 二度寝する〜
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐
808 :
考える名無しさん:2012/09/05(水) 22:40:51.77 0 BE:2053062656-2BP(3)
ちなみに、物自体は存在しない。
存在の本質などないといったのが仏教のナーガルジュナの「中論」です。
般若心経の根拠です。
>>778 > 無意味な正しさはただの権威づけ
> 有意味な正しさは知識と発展をもたらす
意味と正しさの定義をどうぞ。
>>784 > 一行しかレスできないイヌ、ネコなみ君か。
> 言葉遊びに決まっているだろう。仕事でもしているつもりか。
> その仕事も“言語のゲーム”なんだけど、それは君に理解できなくてもいい。
ここは一行レス程度の内容の長文スレです。
>>785 > 言葉がもつ意味の情報量ってのは、
> その発言の否定言明と同量なんだよ
必ずしもそうでは無い。
> ちょっと分かりやすく言うと
> 発言に嘘が混ざっている可能性が高ければ高いほど、
> その発言は情報量が多い有意味な発言になるんだよ
情報量が多いと有意味になるのでしょうか。これも定義をどうぞ
810 :
ノウ:2012/09/06(木) 10:47:15.26 0
809
意味
言明がもつ情報の量
正しさ
正当化と真という2つの概念に分類できるが、
それらを総括して括る、
言葉のやりとりにおいて目的となる概念
「上戸彩は今はフリー」と「上戸彩は今は付き合ってる彼氏がいる」は共に情報量は同じ
そうでないと君が言うなら具体例を挙げてみたまえ
ま、Pと¬Pの情報量は同じなんで、まず具体例は出せないと思うが
情報量があると有意味になる
情報量がないと無意味になる
文字通り、情報があるなら有意味、情報がないなら無意味である
そして、たいていの人は、無意味なものを正しく感じてしまうもの
「練馬区在住の彼は東京在住である」は無意味である
また、それゆえに必ず正しい
>>810 > ま、Pと¬Pの情報量は同じなんで、まず具体例は出せないと思うが
ジャンケンでグーは非グーの2倍では。3種類というのが前提としてありますが。
> 情報量があると有意味になる
> 情報量がないと無意味になる
> 文字通り、情報があるなら有意味、情報がないなら無意味である
では情報と意味の違いは何でしょう。意味にも意味量がありますか。
812 :
ノウ:2012/09/06(木) 11:18:02.20 0
811
「彼はジャンケンでグーを出した」と
「彼はジャンケンでチョキかパーのどちらかを出した」の情報量は同じだよ
前提として「グー、チョキ、パーのいずれかしか出せない」という補説が必要だけど
意味と情報は同じようなもんだね
定義ってのは別の言葉でどう言い換えるかだけの話だから
定義を質問された以上、言い換えれる言葉しか挙げれないんだよ
例えば、羽毛の定義は鳥の羽になるし、鳥の定義は羽毛をもつ動物となる
定義ってのは必ず回転せざるを得ないんだよね
>>812 > 「彼はジャンケンでグーを出した」と
> 「彼はジャンケンでチョキかパーのどちらかを出した」の情報量は同じだよ
何故でしょう。3分の1と3分の2で2倍ですが。
> 意味と情報は同じようなもんだね
意味と情報は同じであるというあなたの主張を含むのでしょう。
814 :
ノウ:2012/09/06(木) 11:39:09.55 0
なぜと言われると困るね
「彼はグーを出した」と「彼はチョキを出した」の情報量が等しくないからだろうね
「昨日、雨が降った」と「昨日、雪が降った」の情報量が等しくないように
「昨日、雨が降った」と「昨日、雨が降らなかった」の情報量が同じである以上、
雨が降らなくても、雪やら槍やら雹は降るかもしれんが、
発言の量は一緒なんだよね
>>814 > 「昨日、雨が降った」と「昨日、雨が降らなかった」の情報量が同じである以上、
必ずしも同じでは無い。
> 雨が降らなくても、雪やら槍やら雹は降るかもしれんが、
> 発言の量は一緒なんだよね
発言の量が情報量にどのように関係するのでしょうか。
情報量といえばシャノンという時代はもう古いのです。これからはノウさんの時代です。
ではどうぞ。
祭りか(笑
悔しいノウw
ノウさんは素晴らしい。
820 :
考える名無しさん:2012/09/06(木) 16:38:16.46 0
>>799 フッサ−ルの「現象学」の内在(自己)には、二通りあり、「実的内在(個的直観)」と、「構成的内在(意味の直観)}です。
この「実的内在」とは、知覚、想起、現象などの「個的直観」としての内在です。そして、「構成的内在」とは、「明証的に構成
される自己所与性という意味での内在」です。現象学では、「現象学還元」によって、「実的内在」から「純粋意識」を経て「構成的内在」に至る。
この「構成的内在」より、超越(客観的存在)を意識の「内」に認識すると、私は解釈している。
821 :
ゲーム:2012/09/06(木) 17:02:30.34 0
>>795 「物自体」と「超越(者)」は似ている。が、前者が現象に対する“真実在”とでも
呼ぶべき絶対不可知、認識不能の領野を指しているとすれば、後者は意識(主観)
における可疑の領域、すなわち事象の確信(妥当)ののちも、なお残る疑いの余地
を意味しているようにみえる。
カントは明らかに二元論だけれども、フッサールは“超越論的主観”によって構成
される事象の“外”はない、という立場では? 君のいう「構成的内在」が唯一の
『世界』ではないか。
822 :
ゲーム:2012/09/06(木) 17:40:44.75 0
>>798 「在住の遺体」とは耳慣れぬ表現だが、前者も「意味」をもつことはありうる。
どれだけ情報が“意味”を有するかは発信者と受信者の“関係”によって決まる。
前者の報告をしたものがクビにならぬまでもドヤされるとしたら、彼らが日本在住の場合。w
日本>東京>練馬が両者のあいだで自明のときである。
言明(情報)それ自体に“意味”があるわけではない。
823 :
ノウ:2012/09/06(木) 19:23:37.76 0
816
この理論(俺の理論じゃない)は形式論理の排中律に依拠しているように思う
Pまたは¬Pという排中律から
カードの表裏のようにPと¬Pの情報量を同等としている
この原理自体がある種の真理観を前提にしているのかもしれないね
824 :
ノウ:2012/09/06(木) 19:36:57.62 0
822
はっきり言えば
人間の生活においては、正しい知識に価値はないんですよ
新しい知識に価値があるんです
(知識は情報と言い換えても可)
学会でもそうで、正しいことを発表しても評価されず
新しいことを発表すると評価されるんです
その警官がクビになるのは、新しい情報を持ってこずに正しい情報(情報量0の情報)をもってきたからです
後者の警官は、正しいか間違ってるかは分からないが、新しい情報をもってきたわけです
ニュースもそうですが、新しい情報に価値があるわけです
しかし、ダン・ラザーが誤情報をつかまされて引退したように、間違った情報を垂れ流していいわけではない
新しい知識 vs. 普遍的な知識、に結局なっちゃいますかね
例えば、気象予報士が
「明日は雨です。出かける時は傘をもって出かけてください」とか
「明日は晴れです。傘は必要ありません」とか言うわけだけど、
これは新しい情報であって、どっちが正しいかは分からない
ある気象予報が
「明日は雨が降るか、雨が降らないかのどちらかでしょう」と発言した
彼の発言は正しい発言であり、間違っている可能性はほぼない
しかし、この発言は何ら新しい情報を有してないので
気象予報としてはまるで役に立たない
こんな予報ばかりしていたらクビになるだろう
これは警察の例と何ら変わらない
別に練馬区の例は練馬区じゃなくてもいいし、
足立区でもいい
そして遺体は豊島区のものかもしれない
明日は雨が降らず雹が降るかもしれない
ニュースキャスターの読みあげた原稿は間違っているかもしれない
しかし、必ず正しい原稿は、無意味であってまったく役に立たない
828 :
ノウ:2012/09/07(金) 00:55:37.10 0
名前消えてた
もちろん俺ね
「正しいから無意味」なわけではないでしょう。
無意味な言明は矛盾しないから真だというだけで。
正義は我にあり。お前らは不義だ
832 :
ノウ:2012/09/07(金) 06:19:14.09 0
829
まず、矛盾しないものが必ず真であるとは限らない
矛盾しない偽なる命題もある
次に、真なる言明も偽なる言明もともに有意味である
最後に、必ず正しい言明、つまり恒真な言明は必ず無意味である
ウィトゲンシュタインは、
論理的に恒真な関係は、そこに意味がまったく増えてないから恒真である
と語っている
無意味であることが恒真であることの根拠となっている
翻せば、ある言明が必ず正しいなら、その言明は無意味にされているということでもある
833 :
ノウ:2012/09/07(金) 06:47:57.86 0
咳で呼吸ができん
そろそろ死ぬかもしれんから、死ぬ前に少し意見を書きたい
合理主義においてミュンヒハウゼン・トリレンマを回避するには
トリレンマの原因である正当化を求めないことだ
正当化の替わりになる言論上の価値は真理しかない
「真理」という言葉を聞いて「正当化」を想像する人がほとんどだろうが、
分かりやすく言えば、必ず正しいものは求めても無駄だということだ
求めるべきは、多いに間違ってそうな正しいものだ
明日の天気に必ず正しい答えを出そうとすると「雨が降るか降らないかのどちらか」みたいな答えになる
必ず正しい答えに意味はない
多いに間違ってそうな答えに価値こそ、言論を豊かにする
「明日は槍が降ってくるので出かける時は盾を持ち歩きましょう」
これは多いに間違ってそうで、かつ、多いに間違っているわけだが(本当に明日、槍が降ってきたらすみません)
「明日は曇り時々雨、晴れ間は見えない」のように、多いに間違ってそうで、正しい発言を求めることが真理の価値になる
そして、どんなに正しい発言であっても必ず正しいわけではない以上、間違ってる可能性はある
逆に言えば、どんなに間違ってる発言でも、(それが矛盾してなければ、)必ず間違ってるわけではない以上、どんなトンデモ発言にも正しい可能性はある
834 :
考える名無しさん:2012/09/07(金) 08:17:09.94 0
お前の話はいつもいつもつまらんしナナメだよなあ
生きてても無駄だからとっととくたばるべき
というのは言い過ぎか、こんな奴でも生きる価値が微レ在かもしれんし
835 :
ノウ:2012/09/07(金) 08:59:24.44 i
ナナメね
でも、俺が言う意見の「真理がある」は10年ぐらい変わってないぜ
そして、10年たっても理解されない
俺がほらふき男爵のコテをつけてたのが8年前だというのに
まだ、合理主義が抱える問題に向き合ってる奴は少ない
上の方で合理性批判をしていた人がいたけど、
あの批判と対峙できるのは俺ぐらいだ
そして大事なのは、真理に代表される客観的理念へのコミットだ
俺は客観主義者として多くの試論を述べたいけど、
まぁ、誤解されるだけだろうから、まったりと暇つぶしに書き込んどる
836 :
ノウ:2012/09/07(金) 09:07:18.20 i
というか、このスレじゃなくてもいいんだけどね
まぁ、慣れ親しんだ、という感じかな
真理について補足するなら、
正当化に関する探求はトリレンマを脱し得ないから、虚しいだけだと思う
さらに言えば、合理主義へのよくある批判は、すべて正当化主義への批判として大別できると思う
まぁ、非正当化主義もまた合理主義からは変な目で見られる集団だけどね
837 :
考える名無しさん:2012/09/07(金) 09:10:01.39 0
いや、多いに間違ってそうな正しい発言とやらをを実践したつもりなだけだが
838 :
ノウ:2012/09/07(金) 09:15:14.01 i
別に構わんよ
過疎るよりだべる方がいいだろ
無意味を求める人との会話より100倍いい
834
フクシマ第一で働いてきたらいいのにね。
841 :
ノウ:2012/09/07(金) 20:34:21.56 i
840
1÷2=1/2
正しいの反対は間違い
ところが、正しいことが分かってる情報や、間違ってることが分かってる情報じゃ、学会に報告する価値はない
学会に提出するならば、正しいか間違ってるか分からない新しい情報が必要だよね
天気予報は正しい答えを求める
でたらめを言っていいわけではないから
だけど、天気予報は平気で正しくないことを言うよね
天気予報が外れることなんてしょっちゅうだ
天気予報を見る人はそこに正しい情報ではなく新しい情報を求めて見るよね
真理とは、言葉と存在の対応のこと
昨日、東京に雨が降ったならば
「昨日、東京に雨が降った」は真である
842 :
考える名無しさん:2012/09/07(金) 20:51:19.38 0
新しければ良いって話ではないのでしょう。
そうであるなら、正しい情報は無意味とまで言うのは言いすぎ
843 :
ノウ:2012/09/07(金) 20:58:30.13 i
842
正しい情報が無意味なのではなく、
必ず正しい情報が無意味
正しいか間違ってるか分からない情報は有意味
例えば、昨日雨が降ったとする
「昨日、雨が降った」→有意味な正しい情報
「昨日、雨が降らなかった」→有意味な間違ってる情報
「昨日、雨が降った、もしくは、雨が降らなかった」→無意味な正しい情報
「昨日、雨が降って、かつ、雨は降らなかった」→有意味(!)な間違ってる情報
844 :
ノウ:2012/09/07(金) 21:03:53.28 i
「昨日、雨が降ったと思ってたでしょ?
でも実は雨は降ってなかったんだよ」
これは正しいか間違ってるかは分からないが新しい情報、もちろん有意味
つまり、上で書いた
「昨日、雨が降った」は間違ってる可能性を含んでるし
「昨日、雨が降らなかった」は正しい可能性を含んでいる
間違ってる可能性をまったく含まない
「昨日、雨が降った、または、雨が降らなかった」は必ず正しくなる
845 :
842:2012/09/07(金) 21:13:13.39 0
>>843>>844 トランプでばば抜きをしていて
「私はジョーカーを持っている(または持っていない)」は
私にとっては無意味かもしれないが、他者にとってはそうではない。
846 :
ノウ:2012/09/07(金) 21:19:12.68 i
845
わたしにとっても無意味ではない
無意味な言明ってのは、存在について語ってない言明
「わたしはジョーカーを持ってるか持ってないかのどちらかだ」とかが無意味
それは存在において彼が何をしているかに関係なく成立するから
847 :
842:2012/09/07(金) 21:21:21.44 0
>>846 ばば抜きしたこと無いんですか?
自分のカードは全て自分には見えているんですよ。
848 :
842:2012/09/07(金) 21:26:48.73 0
ある命題が無意味かそうでないか、
その情報量は、命題によっては決まらない。
ゲーム氏が言っているのも恐らく似たような話。
849 :
842:2012/09/07(金) 21:34:59.22 0
「昨日、雨が降った」という言明にしたって
地球上で雨の降ってないところなんて無いんですよ。
850 :
考える名無しさん:2012/09/07(金) 21:35:53.65 0
可能性を全て提示しただけものを必ず正しいなどと定義するから混乱する
可能性を限定した上で必ず正しい情報は存在し、価値が全然違う
例えばここにある物質Aがあるとして、一秒後の物質の位置は?
A1,宇宙のどこかに存在する
A2,少なくとも半径30万km以内にある
この情報はどちらも正しいが価値が全然違う
無意味な言明の具体例を示すスレ。
>>843 数学の公式とか「三角形の内角の和は180度」とかは、
必ず正しくても無意味ではないのでは。
排除中率って成り立つかどうか分からないときもあるよね?
無邪気に使って良いもんなん?
このスレで直観主義論理を知らない住人は少ないと思う
meidai このスレで直観主義論理を知らない住人は少ないと思う
syoumei
1 このスレで自分以外の住人は少ないと思う
2 自分は直観主義論理を知っている
3 このスレで直観主義論理を知らない住人は少ないと思う
qod.
856 :
ノウ:2012/09/08(土) 08:56:26.65 i
847
マンガの嘘食いのように、見えているだけで実際の自分の手札は見えているものと違うかもよ
蜃気楼だって、見えるからといってそこに存在するわけじゃないしね
857 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:00:39.82 i
850
可能性を全部提示したものは必ず正しいよ
間違ってる可能性がありえないんだから
間違ってる可能性がある言明に価値を認めるのは、反証可能性理論だけど、
その場合、必ず正しいわけじゃなくなる
ポイントは「必ず」
858 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:05:21.61 i
852
数学の場合、
「ユークリッド幾何学において」などの前提条件をつけることで、必ず正しくすることができる
では、「ユークリッド幾何学において内角の和が180°」と「三角形」には情報の増減はあるか
ない
数学の証明もまた無意味であり、数学は無意味な関係だけをもってして構築中された体系である
しかし、数学それ自身の正当化はできない
このことは、数学の体系自体は有意味であるこたを示している
859 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:11:36.47 i
853
思考の前にはドグマが必要である
何らかの前提がないところに推論や考察はできない
排中律を使っても問題あるまい
しかし、排中律を使用することで、論理の体系に内的パラドクスを有するかもしれない
それは、形式論理が必ず正しいわけではなく、間違ってる可能性があるということ
また、形式論理自体が有意味であることを意味する
そのような形式論理が間違いだと分かる事例が発見されたわけではないので
形式論理は正しいか間違ってるかは分からない代物だ
間違ってると判明する事例が出てない以上、形式論理を使用しても問題あるまい
もちろん使用しなくても問題ないが
860 :
842:2012/09/08(土) 09:14:45.30 0
>>856 見えているものが“実際”と違うとか、蜃気楼かもとか言い出したら
言明も対話も全て無効になってしまうではないですか。
それが「真剣」な話なんですか。
861 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:22:45.41 i
860
はい、真剣です
見えているものが必ず正しいとする方が対話や言論は頓挫すると考えます
見えているものが必ず正しいと考える人が目の前にいるとします
彼は言います
「地球が丸いなんて嘘だ。だってどこから見ても平らじゃないか」
「月が1つしかないなんて嘘だ、形の違ういろんな月があるじゃないか」
見えているものが必ず正しいならば、僕らは彼に対して何も言えません
これに対する議論は知覚よりも論理を優先してはじめて可能になります
である以上、われわれが体験したり知覚したりして得られるセンスデータは
必ず正しいとするに及ばないと考えます
862 :
842:2012/09/08(土) 09:29:10.85 0
>>861 そこの文字が相手には「地球が青いなんて嘘だ」に見えているかもしれない
ということですよね。
863 :
842:2012/09/08(土) 09:35:06.87 0
ばば抜きで自分の手札にジョーカーが見えていることが“実際には分からない、
そこまで考えるとするなら、練馬区の話なんかどうでもよくなりますね。
864 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:37:27.36 i
862
はい、そう見えているかもしれません
でも、そう見えているかもしれないことに何の問題もないと僕は考えます
掲示板のやりとりでは、相手の姿が見えないので、本当に誰かと議論しているかどうかは分かりません
僕の書き込みは、猫がキーボードの上でダンスしているために起きた
偶然の書き込みかもしれません
しかし、そのことが対話を成立させない理由にはならないと、僕は考えます
対話において、相手が存在することは必要条件ではない
だから「わたしは存在しない」という言葉ですら吟味、検討に値すると考えますし
その問題を考えることはけして意義がないことではないと、僕は考えます
865 :
842:2012/09/08(土) 09:42:13.27 0
>>864 そこまで言われるなら、それを前提にして言明してくださいよ。
トランプの“実際の自分の手札”は、誰がそれを知っているんですか?
866 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:45:00.28 i
863
でも、練馬区在住の人が東京都に住んでいることは、
その人を観察しなくても分かることですね
そして、ある東京に住んでいる人が練馬区に住んでいるかどうかは
その人について調べようとしなければ分かりません
練馬区の住民票があっても本当に練馬区に住んでいるかどうかは分からない
867 :
842:2012/09/08(土) 09:49:56.11 0
対話は一定の信頼関係が無ければ成り立たない。
それをぶち壊すようなメタを言い出すのは詭弁だと思いませんか。
>>866 貴方の考える練馬区は“実際の練馬区”とは違うかもしれませんよ。
868 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:50:11.76 i
865
誰も知りえないと思います
「実際の手札」とはカントで言う「物自体」に相当します
物自体は認識できない
つまり、実際の手札は認識できません
「きっとこうだろう」と考えるまでしかできません
誰かが知りえるからば、
「きっとこうだろう」ではなく「必ずこうなのだ」と言える人がいるということなのでしょう
869 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 09:51:32.89 0
で、何もわからないなら君はこんなところで何のために何をやっているのかね
870 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:52:18.04 i
867
詭弁だとは思いません
これが詭弁なら、哲学は詭弁になってしまいます
僕の考える練馬区は実際の練馬区とは違うかもしれませんね
はい、認めますよ
だから、なんなんですか?
だからいつも言ってるだろ、コイツの話はナナメなんだってw
873 :
ノウ:2012/09/08(土) 09:57:48.28 i
869
必ず正しい知識は何も分かりませんよ
だから僕は、最初から、必ず正しい知識なんて求めてません
あなたが必ず正しい知識を求めるならば、あなたと僕の関心は違うので対話になりません
が、必ず正しい知識は得られませんが、
間違ってるかもしれない知識は得られます
僕はこちらの知識は求めます
僕は、必ず正しいことは何も知りませんが
間違ってるかもしれないことはかなり知ってます
少なくとも哲学関連では知ってると思います
そういう知識に関心があり、自分の問題がそこにある人ならば、僕は役に立てます
874 :
842:2012/09/08(土) 09:57:57.97 0
>>868 貴方の言っていた“実際の手札”とは「物自体」のことなんですか?
自分を誤魔化しているんじゃないですかね。
>>870 貴方の考える練馬区は、実際には静岡の駿河区かもしれませんよ
875 :
842:2012/09/08(土) 10:03:07.43 0
トランプの“実際の手札”が「物自体」だとするなら
誰がその「実際との違い」を知っているんでしょうか。
誰も知らないなら、「実際とは違う」との言明に意味はあるでしょうか。
876 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:06:20.71 i
874
「実際の手札」を客観的でないなんらかに設定してもいいですが、
それは無意味にするだけだと思いますよ
別に「物自体」なんてかしこまらなくても
こんな簡単な話しなんですよ
哲学なんて
実際のものは認識できないんです
「自分が実際を知ることができる」なんて驕りですよ
練馬区が静岡にあるかもしれませんね
では、練馬区が静岡にあるなら、なんで池袋から電車で12分で練馬に着くんですか?
877 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 10:09:57.31 0
まあノウもそんなこと言っときながら実生活ではそんなこと意識してないからなww
非常にくだらない知識で何の役にも立ちません
878 :
842:2012/09/08(土) 10:12:18.50 0
>>876 「物自体」なんて言い出したのは貴方ですよ。
池袋?実際の池袋って何ですか?
12分?貴方が12分だと思っているだけで実際には違うかもしれませんよ
879 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:13:18.97 i
875
三日月が、月が本当に欠けてるわけじゃなくて、光の当たり方からそう見えるだけだということを知ってる人がいるように
あなたの手札とあなたの視覚の間にただならぬ変化があることを推察する人は、
あなたの視覚と実際が異なることを知っているでしょう(その推察が間違ってる可能性はありますが)
880 :
850:2012/09/08(土) 10:13:44.84 0
>>857 何言ってんだ?俺が出した例、A2も必ず正しいだろ
881 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 10:15:05.64 0
何の役にも立たないわけではない、それを意識するとイライラできる
イライラしたい時には有用だ
882 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:17:55.14 i
878
実際には違うかも知れませんね
では、実際に練馬区は東京から離れた遠くにあるのに、なんで僕の時計では12分で着くのですか?
実際にはとても時間がかかっているにも関わらず、とても早く着いて近いように僕が感じるのはなぜですか?
883 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:21:50.51 i
880
なるほどね
確かに正しい
俺はA2は正しいと思うよ
でもね、ワープ理論とかあるじゃん
ワープ理論を支持する人はA2を必ず正しいとは認めないんじゃないかな
それは反論可能性があるということだし、
反論可能ということは、必ず正しいわけではないのだろう
884 :
842:2012/09/08(土) 10:25:01.89 0
>>879>>882 「物自体」に逃げずに最初からそう言えばいいんですよ。
空間に“ただならぬ変化(ワープね・・)”があって
池袋から静岡まで貴方の時計で12分になる
それを知っている人もいるんでしょう。
885 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:30:55.15 i
884
なるほど、それが正しい可能性はあると思うよ
池袋線はワープしてるのね
じゃ池袋から歩いても帰れるのはなぜ?
徒歩でもチャリでも電車でも車でもワープするの?
っていうかどんな手段でもワープしちゃうの?
ワープしないことができないなら、それってワープですらないと思うぜ
886 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 10:32:43.69 0
反論可能性って・・・
お前ら光速確かめたことあんのかよww
あんだけいろいろ疑っておきながら随分俗なこと言うのねww
887 :
842:2012/09/08(土) 10:34:01.75 0
>>885 全て「ただならぬ変化」で片づく話ですね。
888 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 10:35:49.87 0
ノウ君、つまらない時間つぶしはやめなよ
何も生産的じゃないよ
面白いレスがあったら何か考えようと思ってたんだけど
早くこの話題終わんねえかな・・・
889 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:42:55.18 i
886
知ってるよ
30万キロは光の秒速だろ
光速の測り方は、光を鏡で反射させて、途中に歯車を2つ置いて、光が見えないようにする
歯車を回転させて光が見えるようになれば、
それは歯車間の距離を光が進むのにかかった時間が測定できるということだ
そこから光速は計算できる
距離は莫大な距離になるので、
途中、鏡を使って距離を稼ぐ
アインシュタインはいかなるものも光速を越えないとしたから
1秒後に30万キロ以上、移動するには光速を超える必要がある
そういうことだろ
反論可能性は反証可能性の俺流言い換え
こっちの方が分かりやすいと思った
終わりたけりゃあ勝手に終わればいいんだよ
しかし酷い、いや非道い
891 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:46:20.65 i
つまり、ポパーは反証可能性をもって経験科学と擬似科学を線引きしたわけだけど、
これは実質的には反論可能性に近い
ちなみに言明の情報量の話は反証可能性理論のキモだったりする
892 :
ノウ:2012/09/08(土) 10:57:03.70 i
そやな、
話を変えよう
で、根拠づけには限界があることはミュンヒハウゼン・トリレンマから分かる
根拠づけを放棄してどのように議論するか
それはDQテーゼが参考になる
ある理論、初期条件、補助仮説、それらの複合が何らかの実験によって反証されることはある
つまり、理論の複合が知覚されたことと両立しないことはある
この時、理論、初期条件、補助仮説の全体が反証されただけなので、
理論、初期条件、補助仮説のどれか一つを変更すれば反証は回避できる
これは対話においても言える
ある両立しない関係を提示した時、その関係に関わる言明すべてにおいては偽である
その場合、言明群全体においてどこか一つを変更する必要がある
894 :
ノウ:2012/09/08(土) 11:30:57.84 i
別に、どんな話題でもいいんだけどね
少し非合理主義に沿った話題をしてみる
ある言明が必ず正しいなら、その言明への反対意見は必ず間違ってることになる
西洋合理主義的伝統が必ず正しいならば、その他の伝統で西洋に合わないものは必ず間違ってることになる
必ず間違ってる相手には残酷になれるものだ
でも、意見が衝突した時、どちらも正しいということはありえない
気象予報士が見解で対立した時、どちらの予報士の予報も当たるということはない
が、自分が必ず正しいならば、相手は必ず間違ってることになり、
そこには血を流す対立しかなくなってしまうら
自分の理論や研究を信じるのはありふれたことだと思うが、
自分が必ず正しいと信じる必要はない
自分が間違ってるかもしれないと考えることと、自分の理論を正しいと考えることは両立するし、
相手が正しいかもしれないと考えること、相手の理論を間違ってると考えることは両立する
両者を区別するならば、
非合理主義が嫌う争いとは、まったく異なる有意義な議論ができそうである
__
. / `v─- 、
. / <、 おまえら………
l ./レ'\ \
| _ ,ィノ─- 、`ニ>、「 本当になんにも
|. { rl | ===。 く わかっちゃいねぇな…
| じ|.| u `二 _ \
| ハl r─‐' ‘ ‐、-' オレたちが今
,.へ / ヽ l ⊂ニニ´ 取ったり取られたりしてるのは
. ∧ \ \ ┌ ′ 実は点棒じゃねぇんだ
/ \ \ >、__j
\ `く プライドなんだよ…………
. \ ∧
>>889 いや、だからその実験したことがあるのかってw
なに光速が言われてる数値だって信じちゃってんのって話
まあ調べたところで測定器それ自体を観測するのも不可能なわけなんだが
ほんとこの観測不可能論は不毛でくそったれですな
ここにも参戦するかーやめとくかー
ついに京橋の満喫2件が運営によってブロックされたようなので。
メモ。
繰り返し。
ついに、
>>1の1文目の矛盾点もみつけてしまったので。東北の偉人の助けを借りて。
「脳が物質」って誰が決めてん! 神か? 機械さんか? それともカヲル君?w
最初に物質とは何かを吟味し批評するのが、哲学者のなすべき真面目な姿勢だろう。
結論としては、脳は物質ではない。少なくとも私と東北の偉人は異論を唱える。
正確にいうなら「物質ではないが物体」ではある。物体ってのは物質から
化学的性質を排除して物理学的性質のみを残した純粋な概念のことさー。
ここで「物体としての脳」を考察するとすれば、脳の分泌系の作用機序など、
物理学者や哲学者にとっては無いに等しいことになる。とすれば、脳においては、
化学反応も意識も、証明されうるレベルでは全く現象していないと明白に言い切れる。
というわけで
>>1の早漏れ的勘違いwが立証されたわけだ!ww
脳は意識の器官ではない。ベルクソンいわく、「意識のオーケストラ」だ!
ノウさんは、哲学板の他のスレでは活躍しそうのんだがなー
正直言ってわるいけど、ここまでメタな問題を扱えるほどの
哲学的素養はないかもしらん。擁護してほしければするよー。
なんかレスポンスくれたらねー!
900 :
6「早」9:2012/09/08(土) 13:06:15.20 I
>>894 科学的理論の正否の指標が反証可能かどうかにある
ていう通説には興味深いものがありますよね。
つまり正しくないという意見が出てはじめて正論だと認められる。
典型がまさにこのスレに出てくる相対論と量子論の対立。
でも個人的には科学の究極的真実てのは、反証不可能な
完全な理論だと思ってます。つまり相対論と量子論の統合。
それがなされたときには、宇宙が無だというブラックホール的な
哲学が大衆にとって当たり前になってるかもね。
物資も物体も精神も、原子も素粒子も、実体なしだと!
そういうことになると思います。
>>1 脳なんて無い。一語目から間違いな。
波平?
相対論とか量子論とか
知りもしないことには黙ってた方がいい
903 :
6「早」9:2012/09/08(土) 13:24:34.96 I
どっちかいうとカツオかなー
イクラちゃんのお母さん好き!
てかみんなキチガイすぎるよなーサザエさんたちって!!
声優も確信犯でキチってるのか思うた。
まあ思想的には自分はサザエさんちの隣人のお祖父さんかね。
なんだやっぱり波平か
905 :
6「早」9:2012/09/08(土) 13:29:32.53 I
>>902 俺はなー18のとき特殊相対性理論を独学したし、
今も頑張って一般相対論と睨めっこしてる。
ちなみに物理はセンターなら満点余裕だよ☆
量子論は相対論よりミクロなレベルでみてて、
原子も素粒子もモデルの枠組み内の要素として哲学的に
みてる趣きあるが、実用にも役立ってる、このことを
裏返せば、宇宙など人間のつくりだした想像の産物モデルなんかな。
906 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 13:30:24.38 0
>>900 「相対論と量子論」を科学的立場と、哲学的立場に分けて、詳しく述べてもらえませんか。
907 :
6「早」9:2012/09/08(土) 13:46:20.77 I
科学的立場からみると、相対論は重力と光の関連で
宇宙の有様を見ていて、この二つがお互いに影響を
与えながら時間や空間そのものやその実体が作られていると観てる。
そしてそれらを観るとき「系」というマクロな観点をみていて、
光や重力は無限大の力として系に出入りしているし、
系は動いたり止まったりそれは観測者や観測対象に依拠してる。
一方、量子論は大局的にではなくミクロな観点からみていて、
光や重力を、無限大の二つの力によるものではなく、
素粒子うちの二つである光子や重力子という、
原子を原型としたモデルの素粒子が集まってできたものとしている。
光は光子のあつまり、重力も光子が集まったときに生まれ、
相互にその素粒子達が反応しあっている。
このくらいの説明しかできん。パソコンも参考書もなくて。
908 :
6「早」9:2012/09/08(土) 13:50:02.38 I
上の量子論のとこは光と重力に関してのみの説明ね。
まだ量子論は入門であんまりわかってない。
ただ量子論がミクロで相対論がマクロで、
視点の当て方の違いから両者に矛盾が生まれるのかなー
だからマクロかつミクロな視点が必要だー!
これが2ちゃんクオリティの哲学的立場からの説明かな!!
もうええやろ、そのへんで
910 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 14:12:44.89 0
>>907 「相対論と量子論」の関係を哲学的に解釈すると、西田哲学の「場所的論理」で
しょうか。つまり、「一は多であり、多は一である」の論理が基底にあると思う。
911 :
6「早」9:2012/09/08(土) 14:39:52.99 I
ていうかこのスレがもういいやろww
>>907 光は光子のあつまり、重力も光子が集まったときに生まれ、
訂正
光は光子のあつまり、重力も重力子が集まったときに生まれ、
要するに、相対論は光を無限の一つの力、
いわば神が宇宙に流入させてるようなものと観てるのに対し、
量子論は原子の集まりのように、無数の素子に構成された
形成物として光を描いてる。
個人的には相対論の見方がすきなんだが
まだまだ大学一年生レベルもいってないミーハーなんで
信用しないでくれ。哲学は大学教授をゆうに超えてるがな!
912 :
6「早」9:2012/09/08(土) 14:44:51.70 I
>>910 まさにそうですね。
相対論の方が1
量子論の方が多
に近いかなー。
スピノザは一即多を哲学的には
完全に述べてる気がします
マダムちんまんこの脳
おっさんのくせに大学1年を自演かよ<波平
>>858 > 数学の証明もまた無意味であり、数学は無意味な関係だけをもってして構築中された体系である
>
> しかし、数学それ自身の正当化はできない
> このことは、数学の体系自体は有意味であるこたを示している
数学の体系は無意味だけれど有意味なのですね。これは数学だけでしょうか。
>>898 > 最初に物質とは何かを吟味し批評するのが、哲学者のなすべき真面目な姿勢だろう。
> 結論としては、脳は物質ではない。少なくとも私と東北の偉人は異論を唱える。
唯物論ではすべてが物質だとします。お互い物質の定義が違うのでしょう。
916 :
ノウ:2012/09/08(土) 21:18:25.74 i
915
論理もそう、規則に関する考察はそうなる
>>916 論理は無意味な体系だが体系自体は有意味なのですね。
因果的決定論の考えからすると、役に立つのは因果関係。どんな原因からどんな結果になるか。
919 :
ノウ:2012/09/08(土) 21:34:53.94 i
896
実験したことはないけどね
で、観測が正しいとは限らないと俺は言ったけど、
観測がまったく役に立たないとは俺は言ってないぜ
DQテーゼの項目を見るべし
もし、観測が絶対ならば
エディントンの日食の観察は、星が移動した事実の観測にしかならず、
なんら一般相対性理論を支持する結果をもたない
観測よりも論理が優位である
こう考えるのが哲学における実在論の立場だし
もし、論理よりも観測を優位と考えるなら、直観を優先する直観主義になってしまうのではないか
920 :
ノウ:2012/09/08(土) 21:39:33.38 i
917
イグザクトゥリィ
そのとうり
論理の中身は必ず無意味です
論理的真が無意味なのですから
しかし、論理の体系を構築する排中律や矛盾律はトートロジーに還元できません
これは論理自体は有意味であることを示してます
規則に則った思考は無意味だが、
規則自体は規則に則ってないので有意味なのです
921 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 21:59:58.35 0
光速はマクスウェルの方程式から導出できるんですよ。
演繹によってね。無意味ですな。
922 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 22:05:33.85 0
E=mc^2もローレンツ変換から演繹によって導出される。
こりゃ無意味だね。
ふ
923 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:12:19.44 i
演繹によって導かれるなら無意味だよ
演繹ってのは、意味が前提から増えてないことが大事なんだから
だから、光速はマクスウェル方程式より何も語ってないことになる
「マクスウェル方程式が正しいならば、光速は秒速30万キロだ」は無意味
925 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:21:14.93 i
「彼は東京都に住んでいる」は有意味だけど
「彼が練馬区に住んでいるならば、彼は東京都に住んでいる」は無意味だよね
言明Pの情報量は¬Pと等しいのだから
前者の否定言明「彼は東京都に住んでいない」の情報量と
「彼は東京都に住んでいる」の情報量は等しい
「彼が練馬区に住んでいるならば、彼は東京都に住んでいない」は「練馬区」「東京都」という言葉だけで決まっていて、
言葉の関係上、不可能
否定言明が不可能だから、否定言明の情報量が0であって、
後者の言明も情報量が0になる
練馬区が東京都に含まれる、という情報はどっから出てきたんだよ?
927 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 22:26:15.33 0
>>923 誰がどうやって「増えていない」と決めるんです?
「(誰かが)増えていないと決めたから増えていない」ってことですか。
まさしく無意味な言明ですな。
928 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:27:25.82 i
926
そりゃ「彼」とか「住む」という言葉を理解できることを前提にしてるように
「東京都が練馬区を含む」を前提にしてるよ
練馬区が東京都じゃないなら、この例は成り立たない
韓国が「練馬区は韓国の領土だ」と主張した記憶はないが?
929 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:31:19.97 i
927
増えたら演繹じゃないんで
なんで演繹は必ず正しいかと言うと、
結論が前提と比較して、情報が増えてないから必ず正しいんです
逆に言えば、必ず正しいわけじゃないのは、
結論が前提より情報を含むならば、それは必ず正しいわけではなくなる
この時、演繹は破れるわけです
930 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 22:34:17.87 0
演繹的な推理・証明を行う場合、
前提である「○○ならば」の○○に全ての情報があるわけではない。
非形式的な追加が必要であり、これは容易なことではない。
931 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:44:06.63 i
930
演繹によって、前提より多くの情報を結論にもたせることはできない
たいていの場合、なんらかの前提ってのは働いてる
幾何学ならば、ユークリッド公準
数学ならば、ファーストオーダーロジック
俺の例ならば、練馬区は東京都の内部にある
とかね
だから、突っ込みを入れようと思えば突っ込みは入れられる
暗黙の前提に批判を加えればいいのだから
でも、それら明示されてない前提をすべて明示して前提に含めればどうなるか
それは何も語ってないトートロジーと同じになる
932 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 22:45:53.69 0
「ユークリッド幾何学を前提とする」なんぞというものは
喩えてみれば「常識的であることを前提とする」と言っているのと大差ない。
ユークリッド平面で何が起こるか枚挙することなど不可能
933 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:48:48.18 i
932
枚挙する必要なんてなかろう
演繹だろ?
帰納ならば枚挙が必要かもしれんが、
もとより演繹に枚挙は不必要だよ
934 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 22:52:41.94 0
「考えること」それは自由
結局、答えなどない
全てが自己満足でしかない
古人の思想に自分の思想を重ね新しいことを発見したような気になる
それでいいではないか?
935 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 22:57:08.70 0
明示されていない前提を事前に全て明示するなど不可能
証明の各段階で随時追加される。
「情報が増えていない」など、言ったもん勝ちの論点先取。
936 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:58:07.55 i
934
実際に新しいことを発見できるかもしれない
古人の思想のおかしいところ、つじつまが合わないところなどを発見できたら
それは知識の発見ではないか?
937 :
ノウ:2012/09/08(土) 22:59:55.35 i
935
「ユークリッド公準を前提として」と前提に加えればいいじゃん
それにユークリッドの公準は5つしかないぜ
938 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:11:17.24 0
>>937 五つの公準をどう形式的にこねくり回したって
「内角の和が2直角である」ことすら出てこない。
できると言われるなら、やってみてもらいましょうか。
939 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:15:53.76 i
938
5つの公準はユークリッド幾何平面を成立させる公理なんだよ?
三角形の定義じゃないよ?
ユークリッド幾何が三角形じゃないのは当たり前だよ?
君、自分で書いてることを分かって書いてる?
940 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:16:28.43 0
ああ「三角形の内角の和」だわね。
941 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:20:06.18 i
野矢の『論理学』って本の最初にこの話題があった
三角形の内角の和は180°である
ある子どもが、「僕がこないだ分度器で調べた三角形の内角の和は178°だったよ」と言ってきた
さて、子どもにどのように説明したらいいだろう
確か、こう書かれていた
一番最初に
942 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:24:13.90 0
>>939 三角形の定義?
それならそれも前提に入れないと駄目だね。
結局、図形にしてみないと思考できないんですよ。
そして図形が情報なんです。公準じゃないんです。
943 :
考える名無しさん:2012/09/08(土) 23:26:28.14 0
ピタゴラスの人生を前提にすれば文句出ないよ。
944 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:30:10.76 i
940
それ、多分、出せるでしょ
パッと考えただけで、
正方形が四直角であることを導出できるし、
線を引いて三角形2つをつくれる
四直角の1/2は二直角だ
ユークリッドの第三公準には平行の定義があるから
平行な線を引いて三角形を変化させることもできる
とてもできそうな感じしかしないが
まぁ、長々と書く気はしないから、やりはしないが
945 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:34:17.12 0
岩波全書の論理学入門にはこう書いてましたよ
・出発点のAと目標Cが与えられた時、それらを結ぶ中間のBを見出し、
A⊃B、B⊃Cを作ることは、形式的に処理できない問題である。
その通りと思いますね。
946 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:35:59.97 i
平行の定義は第三じゃないか、第五だったっけ?
もう忘れたよ
第一が直線の定義だったのは覚えてるんだけどね
947 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:40:00.95 0
『フェルマーの定理は証明されたが、その過程で情報は増えておらず、無意味である』
おいおい、そりゃねえぜ。ワイルズも尿管結石になりますわ。
948 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:42:49.28 i
945
演繹的推論でAから目的地のCに行くなんて笑い話だよ
青い鳥は家の中にいるのと同じくらい笑い話だ
CがAより多くの内容を有しているなら
演繹的推論では絶対にAからCには到達しない
この話題、数学関係のスレに名無しで書き込んだ時には「分かってるね」レスがたくさんついたんだけどね
949 :
ノウ:2012/09/08(土) 23:49:40.66 i
947
証明であるなら、必ず情報は増えてません
当たり前の話です
証明で情報が増えると考えるのが馬鹿げている
証明ってのは一歩も前に進んでない
もし、結論で情報が新しく加わるならば、それは「証明失敗」と言われる
証明はそういうツールなわけ
950 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:50:55.43 0
>>948 ほう
では未証明の予想問題もその情報量(なんぞそれ?)を調べれば
証明できるかどうかが分かると、そういうことだね。
でなけりゃ後だしじゃんけんでしかない。
951 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/08(土) 23:55:51.41 0
ここは一つ、『リーマン予想が証明できるのかできないのか』
情報量の観点からノウ氏に判断してもらいましょうか。
どのような方法論があるか、でもいい。
ねえいい加減スレに沿った話にしようよ
この話題やるなら別のスレでやって
どないでっか〜
情報量、マスイフェクトか。
決定論と自由意志が両立するという立場(両立論)
これは多くの人が支持しているらしいが、これについて議論しよう
956 :
ゲーム:2012/09/09(日) 00:27:35.94 0
「(数学的)証明は“意味”がない。情報量が増えないから」
ノウ君は、このことを8年間か10年間か知らぬが、延々と語ってきた(らしい)。w
それはわかった。で、その先は? 「それにもかかわらず“数学”は有意味だ」と
たしか君は述べている。その説明が弱いのである。
数学は非生産的である、それにもかかわらず“意味(価値)”があるとすれば、なぜ?
余計なゴタクは結構なので、わかりやすく端的に頼む。
君のレスに文句が多いのは“知識”をまぶして回りくどいことも一因ではないか。w
957 :
ノウ:2012/09/09(日) 00:28:29.85 i
950
情報量が変化してるかどうかを調べる方法が、当の数学的営為じゃないか
958 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/09(日) 00:35:59.01 0
>>957 貴方が言っていることと言えば
「証明されたので情報は増えていない」と
中身の無い「情報」なる言葉をどこまでも空想的に規定したのみ。
何が数学的営為か
だからノウなんか相手にしたってしょうもないっての
純一がはりきっとるようじゃな
962 :
ノウ:2012/09/09(日) 01:18:24.98 i
958
簡単な話なんだけどね
証明とは情報が増えてないことを明示すること、
そのためのツール
だから証明によって有意味な結論を出そうとするのは、
足踏みしながら橋を渡ろうとするに等しい
橋を渡りたいなら足踏みじゃなくて足を踏み出さねばならない
演繹によって目的地に到達しようとするのを笑い話と言ったのはそういう理由
暗闇に光を灯すことによって実体が明らかになることが無意味であるものかよ
暗闇で先に進むためにはまず足元を光で照らす必要がある
なるほど、確かに暗闇に存在していた実体は明らかになる前と変わらないかもしれない
だからと言ってそれを無意味と「表現すること」こそナンセンスではないか
その様に特殊に規定された単語を無用意に使うから実のある議論にならない
964 :
ノウ:2012/09/09(日) 01:32:58.89 i
856
科学の実験で、ビーカーに移したり、フラスコに移したりすることで、薬品の量は変わらない
薬品の量が変わるなら実験には使えないよね
情報が保存されて増えないということも、日常生活の思考の上では役に立たせることもできる
論理的に情報が増えてないのだから、相手の発言を言い換えることもできる
俺の知ってる先生は、翻訳にあたって、ニュアンスは保存されないけど言ってることは変わらない、と言って、論理的変換をしていた
で、数学や論理自体が有意味というのはそういう話じゃない
数学的な真は必ず正しい、それは無意味であることをもって成立するからだ
論理的な真も同じである
しかし、数学自体や論理自体はそのような真にはならない
これは、数学や論理が意味のあるなにがしかをもっているからだ
そしてこれは、数学や論理が必ず正しいわけではないことを意味する
ヒルベルトやブラウアーはゲーデルの発表でショックを受けたらしいが
必ず正しいものを導出する論理自体は必ず正しいわけではないということは、
必ず正しいことを目的とする人にとってはショックだったのだろう
しかし、数学や論理が必ず正しいわけではないということは、
数学や論理が有意味であることを示している
965 :
ノウ:2012/09/09(日) 01:43:15.01 i
963
明かりというと、実証主義を想像させるね
実証主義の実証ってのは明証性からきてる
ポジティヴィズムも「明るい」からきてたっけ
で、僕は、そもそも実証主義が不可能だと考えてまして
明かりで足元を照らすこともできず、人間は暗がりの中を手探りで進むしかないと考えます
人間の知識は、暗がりを明かりも持たずに手探りで進むようなものだと、
そう表現した哲学者から影響を受けてますので
無意味って表現は、よくなかったかな
966 :
ノウ:2012/09/09(日) 01:52:28.58 i
964の補足
必ず正しいわけではないが、あまりにも自明的に正しい言明がある
それが
「わたしは存在する」や「わたしは日本語を話せる」のような
自己言及を含む言明だ、(同じパターンの間違った言明もある)
これらは自明的に正しいし、(また自明的に間違ってるが、)、それを証明はできない
数学関連の本ならばよく出てくる話題だ
これも有意味な言明だから証明できない
これらの言明の自明さを保証してるのは、実は経験である
967 :
ネム:2012/09/09(日) 02:02:24.45 0
哲学すると煙と眠りが増える
まったくなんで気が向くかなあ
968 :
ネム:2012/09/09(日) 02:08:58.71 0
そういや、気分は根源的だといったことがある
気分と経験は関連がある
969 :
ノウ:2012/09/09(日) 02:10:50.11 i
964はかなり大事な話をしてるつもりなんだよ
証明を大事にする人がいました
ところが、証明するための道具は証明できないことがわかりました
この事実にショックを受けて、世の中の多くの人は合理主義を捨てて非合理主義になりました
上は歴史上実際にあった話だ
ゲーデルは証明可能という概念と真という概念を導入した
で、証明できない真などの関係を示した
証明に価値を求める人はショックを受けた
「数学の終わり」などと言う人も現れた
でもゲーデルはショックを受けずに数学に没頭したらしい
ゲーデルにとって、証明できるかどうかは、数学を終わらせる価値ではなかったのだろう
証明できるかどうかは、その言明の情報量の変化から決まる
真は、存在との対応から決まる
この2つの概念を区別すれば、人間の知識は発展できるように思う
もちろん、ある種の価値にコミットすることは必要であるが
970 :
ネム:2012/09/09(日) 02:16:23.76 0
パースの出番か
アブダクションは流行らないねえ
971 :
ネム:2012/09/09(日) 02:20:30.56 0
結局、オレ的にいわせれば「向き」の問題なんさ
つまり、時間をどのように解けるかだ
意味は時間をもつ
因果律の鎖を、カラス氏をこの仮説によって溶かしてやる
972 :
ネム:2012/09/09(日) 02:31:56.00 0
特性なんてないね
素数のような類で見つめてるだけのことさ
973 :
ネム:2012/09/09(日) 02:36:41.31 0
「類」なんだよオレたちゃ
原子が見つからないようにオレ個人も存在しない
だからオレの気分も確定されない
何かな?(笑)
純一?
976 :
ネム:2012/09/09(日) 02:59:47.88 0
傾向性という言葉は使いたくないが、
そのような何かがあるとしか、
それ以上は潜れそうにない
977 :
ネム:2012/09/09(日) 03:08:18.19 0
もえかね?
もえなんだろ?
隠さずにいうんだよ
980 :
ネム:2012/09/09(日) 04:46:29.72 0
ブラックホールはまさに知弁和歌山だな
何を意味してんのかわけわかん
今日は起きたら独りたこ焼きの予定だ
ひとつひとつどのようにして区別が可能になるか、考えてみなければならない
>>964 「この平面」といったばあい、無限に広がる平面を指図している。この情報量は
無限大だ。似たように、数学的帰納法は無限の命題について言及している。
演繹が正しいとは、無限に正しいという場合がほとんどである。また、
反転図形のように地と模様のどちらに注目した場合かによって、情報量が
変わる場合もある。この“反転”という現象自体を表す情報はいかなる量である
と考えられるのか(僕は無限大の大きさであると思うが)。
982 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 04:59:10.67 0
さむかて〜
983 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/09(日) 05:46:41.39 0
>>962 そのレスには「新しい情報」は一つもない
真の意味での同語反復
*********************
数学に於ける証明とは未知の相関を見つけること
数や平面の性質は計算等により知られうる。自明ではない。
984 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2012/09/09(日) 05:52:57.27 0
>>972 ネム氏、なんだそりゃ
リーマン予想でも囓ったかw
素数な。なるほどな
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専用的証明と汎用的証明の、対照範囲問題審議中のままでの目的論的差異の指向性 みたいな
個人的にはノウさんに1票
そういや素数と円ってなんであんなにも密接に関係してるんだ?
両方共数学の根源的な謎って感じがするけど、それらが結びついていたのが驚き
直感的には全く繋がりが見えない
「1」と自分でしか割り切れない、角の数ゼロで閉じてるってイメージにならん?
うーむw
なんかわかるようなわからないようなw
この平面、は無限の情報量?
え?無限の情報なんて人間に扱えるはずないじゃないですか
脳が有限なんですからね
扱えるのは有限の情報だけです
それもかなりの少量です
無限という概念自体有限です
この平面も、その反対も、非常に小さな情報量です。
AとBを足すと6である
AはBである
AはBであるは言い換えだがAとBが3に決まる。
994 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 13:17:44.49 0
>>295 ゲ−ム氏は「伝聞から推測するにそれは、モノというよりもエネルギ−(力)と呼ぶほうが
適切らしい」又、「伝聞によると主観と客観を貫徹する力」と、たびたび述べいるが、もし差し支え
なければ、この「伝聞」とは、どの様な著書なのか、教えてもらえますか。是非、私も拝見したいと思います。
>>986 まじかw
私もね、「演繹は情報量が増えない」とか、wikiに書いてることぐらいは
知ってるんですよ♥
しかしそれが「簡単な話」だとは思わないし、無条件だとも思えない。
まあ、もう止めとくか。
>>995 それやっぱりシャーロックって読むんですよね
そいつは考えたこともないが・・・
ちょっと格好良いから頂いておきます
998 :
ゲーム:2012/09/10(月) 00:08:30.60 0
>>994 だれかから伝え聞くことを“伝聞”といいます。だれかから聞いたのでしょう。
またエネルギー関連の著書なら、たいてい「物質はエネルギーの様態」とあるのでは?
「力」とは一般的にエネルギー、質量だが、それに加えて“何か”がありそうである。
>>964 ノウ君
よくわからない。数学、あるいは論理は必ずしも正しくない、だから有意味だという。
そこは、君(の論旨)には大事なところだろう? もう少し説明してみて。
それから、もう一つ。例の練馬の件だが…w
Aは練馬に在住している、したがってAは東京都に在住している、という言明は無意味?
君はそのようなニュアンスで述べていたようにも…。
999 :
ゲーム:2012/09/10(月) 00:21:51.23 0
シャーロックとシャイロックは関係ないよね? w
1000 :
考える名無しさん:2012/09/10(月) 00:28:38.50 0
ちんぽっせいや ちんぽっせいや ちんぽっせいや
おらおらおらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。