1 :
考える名無しさん:
ありがとうございます!
前スレは気づいたら落ちてたけど誰か埋めたの?
ノヴァーリスの青い花読み始めた
「人間の歴史という学問に通じるのに、二つの道があるように思われるのです。
一つは、見通しのきかない、どこまでも曲がりくねった難儀な道...
もう一方は、跳躍一番、それだけで事足りる、いわば内的な観察の道...
ぼくの先生がずっと以前からこの第二の道を、ご自分の歩む道だと指しておられたものですから、あえて口にいたしました」
これも霊界参入に関する小説かなー?
乙
前スレはふつーにdat落ちしたね
哲学板でも、落ちることあるんだ
なんか舐めてた
トルストイの日記を読んでる
作家になる前から天才を早くも顕しつつも、普通の青年らしく俗なことで悩んでいたりして共感する
シュタイナーの日記は全集に入ってないのかな
あれば是非読みたい
9 :
考える名無しさん:2012/07/27(金) 23:59:49.43 0
>>1 乙でございます
ルドルフ・シュタイナーを学ぶ上で有用な書籍などを挙げてテンプレ化したいですね
過去スレのように主要四著書ぐらいはのせとけ
シュタイナーの主要四著書教えてください
この方の書籍はたくさんありすぎて何を読めばいいのかわかりません
取りあえず自分が読んだのは「シュタイナーの死者の書」です
最低でもこれだけは読んどけみたいなのを挙げて欲しいです
四大主著は
自由の哲学
神智学
神秘学概論
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
個人的にお薦めしたいのは
薔薇十字会の神智学
霊界の境域
全部が繋がってるから、どこから入っても自分が求めるところを経由しそう
そして一冊読むごとに、それまでの読書で組み立てた概念が揺さぶられる
個人的には、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を最初に読むことをおすすめしたい
超感覚のない人でも、一読してこれがすごい本だと分かるだろうから
神智学を理解したいなら神智学
シュタイナーを理解したいなら自由の哲学
オカルトが好きならいか超、神秘学概論
だと思う
いか超は、オカルト的というより道徳的だから、普通の人が読んでも抵抗はないと思う
神智学や神秘学概論は、いきなり読むとかなり抵抗があるはず
実際に俺も一度は「これは無理」と思って離れたし。
それでも戻ってきたのは、「いか超」のインパクトが残っていたから。
自由の哲学は、一回読んですぐ理解するということはありえないし、
時間をかけてゆっくり理解していくものだと思う
いきなりこれを読んでも、俺は多分「なんだかよく分からないことを小難しそうに言ってる人だな」
と思って離れていたと思う
青い花にアトランティスが出てきた
神智学小説だね
でも新プラトン主義に興味のない人がこれを読んでおもしろいと思うのかは、微妙なところだと思う
どれから読んでもいいと思うけど、興味が出たなら主要四著書は読んだ方がいい。
わからなければ時間をおいてまた読むといい。
またどれから読んでもそんなに興味が出ないなら無理して読む必要はない。
シュタイナーを読み始めたころ結構感動して人に勧めたが万人向けじゃあない。
興味がない、読む気が起こらない場合その人にとって時期が早いか必要としていない
ということがよくわかった。
「時期が早い」可能性を持ってくるあたりが困った人だ
時期が早いっていうのはあるだろう
意味不明かつ滑稽に見えたものが、後になってとんでもなく素晴らしいものだと分かるということは良くあるし
このレスにいる人間は当たり前にシュタイナーっていってるが大方は
そんな人は知らないし、本屋で面白そうだから本はかったが特に
シュタイナーの本を次から次に買って読むなんて人の方が少ないよ。
シュタイナーも人智学を広げようとしたと思うけれどほんとにメジャー
になるにはまだずっと先だろうな。
そういう意味でも時期が早いというのは今世とも限らないしな。
そうだね
だから他人に勧めることはないかな
本人が自ら何かを感じてたどり着く種類のものだと思うから
俺の場合は単にオカルト興味からシュタイナーに入ったがそういう面では
いたって不真面目だと思う。
でもシュタイナーは読んでみると内容的にわりと真面目に理解しようと努力したおかげで
オカルト興味の関心はなくなったわ。
逆にちまたのどの範疇に入るかわからないスピリチュアルともビジネスとも
癒しとも宗教ともわからんものがどれもおぞましく見えてきた。
精神的かあるいは精神科学的に思えるがほとんど唯物論的な
内容で違和感を感じてしょうがない。
あげたらきりないが脳機能学者が書いた本や臨床心理学者書いた本や
わけのわからないヒーリング系の本、自己啓発にヘミシングにメンタリズム?
人の精神というか心を愚弄してるとしか思えん。一通り目を通すが吐き気がするな。
シュタイナー読んで5年になるが行とかしてるわけじゃないが
思想書と歴史書、数学の本を読むようになった。
自然や動植物に興味が出た。
人の騙しのテクニック、商売や営業、勧誘、説得などの影響を知らない間に
受けなくなった。
あがり症や人見知りが無くなった。
テレビのニュースと一部の番組以外ほとんど見なくなった。
PCや携帯に張り付かなくなった。
週刊誌とか雑誌をよく買っていたけどほとんど読まなくなった。
聞いていた曲のジャンルがまったく変わった。
流行に興味なくなった。
女の裸やエロ動画に興味がなくなった。w
2ちゃんねるはこのスレと一部のスレ以外行かなくなったし見なくなった w
俺の場合だけどこれだけ効能がありますw
人に薦めるなよ
気持ち悪いやつだな…
俺は人智学を知って、
自然科学的世界観と、貨幣に変換できないものは価値がないとう経済至上主義的価値観から
「意味がない」と切り捨ててきた「世界」を、再発見した
世界がふたたび目の前に現われてきた。
直近の、浮上した大陸は、言語。
本当に信じられないことだけど、今まで言葉を「なんとなくの感じ」でしか読んでなかったことに気づいた
名詞を出来るだけ沢山知ることが重要なんじゃないか?と前は思っていたけど、
助詞こそが言葉の世界の王族だと言うことが分かった
母国語を、まるで外国語のように見ることが出来るようになった時、
はじめて母国語を十全に使えるようになるんじゃないかと思う
>>24 そのいくつかの効果を見ると自我の力が強くなって
下位身体を支配するようになった感じですね
>>26 助詞が無い印欧語なんかはどうなりますか?
助動詞や前置詞や格変化に当たるのでは
日本語ではそういった文法的機能が、多く助詞に担われている
もちろん助詞だけではないけれど
30 :
考える名無しさん:2012/08/01(水) 19:14:25.56 0
オイリュトミーを見られる処、公演など知りませんか?
一度見てみたいと思ったのですが。
31 :
第四の波平:2012/08/01(水) 19:18:05.27 O
あーオイリュトミーね
32 :
第四の波平:2012/08/01(水) 19:46:14.80 O
風が吹いてる〜ここで生きてく〜♪
歴史を見渡していると、
教会の腐敗が宗教改革を生んで、
宗教改革が遠因となって、
技術革新や市民革命が起こり、専制が終わった
そういうことを考えると、いままさに猖獗をきわめている、利益供与関係を基準にした拝金主義が、
それに対する嫌悪をテコにして終わるということもまた
歴史の必然かもしれないね
意識魂のはじまりは1413年だっけ?w
36 :
35:2012/08/05(日) 13:40:59.89 0
すまん、文末のwは他意はないです
いつもの癖
だめだな俺
いか超を読んで実際に行に取り組んでる人はここにいますか?
私は昔、半年ぐらい取り組んだことがあります。
取り組んでた内容は就寝時に逆想やったり、八正道やったり、薔薇十字の瞑想です。
夢の生活の質が漠然とですが変わったり、日常生活に節度が生まれたりしました。
ただ、半年で辞めたのでそれ以上はなかったです。
仕事が忙しく疲弊してるし、再開するきっかけがなく、今までズルズルきてます。
皆さんの体験をさわりでもいいので聞いてみたいです。
38 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 09:53:36.26 0
なんで毎回dat落ちするのか。
39 :
考える名無しさん:2012/08/06(月) 10:10:49.24 0
>>24 >女の裸やエロ動画に興味がなくなった。w
シュタイナーとは関係ないだろw
行の成功体験を2chで書く人はいない
成功したかを他人に証明できない
それに人智学の行は成功を期待して取り組むものではなく
「行為への愛」から自然に為されるものなので
真面目にやってる人ほど何も語らなくなるのではないか
>「行為への愛」から自然に為される
同意
質問自体に、なんか違和感があったのはそういうことだと思った
その質問によろこんで答える人がいたら、俺はたぶんその人を信じない
>>37 目を閉じたときの視界は真っ暗だけど、上方にわずかな白い光が見えたり
白い光の断片が上から下へ降りて来る、そういう夢は以前から時々みていました。
最近、視界全体が白い光で満たされ、個々の光の輪郭がおぼろげながら見える、
そういう夢を見ました。右端の方には、紫色の何かがありました。
新生児がはじめて世界を見たときのように極めてぼんやりと、
白い光の世界が見えました。
私もそういう何かが見え始めたけど
ネットで調べてみたら緑内障の症状だった
超感覚のない人の体験談なんて、
ほとんどが勘違いなんだから聞いてもあんまり意味ないと思う
自分の中の確信が伴った健康さの程度で測るしかないのでは
他人の体験は勘違いで自分の体験は確信を持った勘違いということですか
健康的な確信がともなっていれば、高い確度で勘違いではないんじゃない?
ネットとかで嬉しがって「超感覚」を喧伝してる人は、まず勘違いか嘘だと思うけど
何が見えたというのは、自分もほとんどが勘違いだと思っていて、どうでもいい。
それはシュタイナーが言うところの「自分の個人的な狭さが作り出す幻想」だと思っているから。
(いかにして p.154)
>>47 同じような幻視(?)を得た時に、これは勘違いかも知れないと判断するための
参考になると思うので、もしよろしければ、その勘違いについて教えてください。
>>49 いやだから、「いま」判断するのはまず無理だと思う方がいいのでは。
他人にべらべら喋るつもりならともかく、そうでないなら「いま」判断する必要もないのでは。
「坊や、大きくなれば分かる」の類だと思ってます。
51 :
37:2012/08/07(火) 00:15:04.48 0
>>40 >行の成功体験を2chで書く人はいない
>成功したかを他人に証明できない
誤解があるみたいです。。。
成功体験が聞きたいわけではありませんでした。
あくまで、体験が聞きたかったのです。
成功であるか、失敗であるか、はどうでもよいです。
それが、個人的な狭さが作り出す幻想でも。
>「行為への愛」から自然に為されるものなので
>真面目にやってる人ほど何も語らなくなるのではないか
そうかもしれませんね。
52 :
37:2012/08/07(火) 00:17:48.62 0
>>42 夢の世界のある体験に輪郭が伴ってきて、視界が拡がったんですね。
私は一度、色彩と音の流れだけの世界に溶け込んでいる夢を一度だけ見たことがあります。
なぜだか、これは私はよく知っている、という感情が生じたのを覚えています。
53 :
37:2012/08/07(火) 00:22:53.25 0
>>44 >超感覚のない人の体験談なんて、
>ほとんどが勘違いなんだから聞いてもあんまり意味ないと思う
私には意味があるので聞きました。
意味は他の人は同じ行で何を体験しているか知りたい、です。
そこから自分に足りないところのヒントが得られるかもしれない、と思いました。
答えてくれてる人は単純にありがたいです。
体験を語ってるだけ、なのであれば勘違いもなにもないと思います。
それに特別で過剰な概念を付け足すのであれば勘違いだと思いますが。
行為への愛ではなく
「体験」を求めているように見えるけど・・
55 :
37:2012/08/07(火) 01:46:31.22 0
何らかの体験があって、その表象が生じた結果、愛が芽生えるのでは。
愛が先だといつまでたっても行は初められないと思いますし、そんなものを求められても答えに困ります。
私はあなた方ではないので。
最初から自分の不思議体験を話したくて仕方ないだけの人じゃんw
最初からそのための質問だし、だから質問を見た瞬間に嫌な感じがしたんだな
57 :
37:2012/08/07(火) 01:53:06.38 0
違います。
人に歪んだものを見る場合は、あなたの抑圧した姿だと思います。
「自由の哲学」入門amazonで早くも売り切れだね
さっそくマーケットプレースで高値付け始めてるのがなんとも
神秘学関連書籍って高くても必要な人には必要だから
転売業者に狙われやすいんだよね
>>37 が、利己心から出発しようとしているのは問題ないはず。
シュタイナーがどっかで、修行のはじめは(よりよい自分が欲しいという)
利己心が多かれ少なかれあるものだけど、それは当然であって、
修行するうちに変わってくると書いてあったような。
神智学と神秘学概論の違いについて教えてください
神智学の内容をを詳しく書いたものが神秘学概論、という理解で合っていますか?
>>60 重なる部分もあるけど、そういうものじゃないですよ
63 :
考える名無しさん:2012/08/07(火) 13:23:10.84 0
>>58 どうなんだろう。
わかりやすく解説したら、わざと難しく書いてるシュタイナーの意に反すると言うことにならないのかな。
まだ読んでないから分からないけど
一人の人智学徒がどういう風にシュタイナーを読んだのかっていうことだと思うから
そういう意味で参考になるんじゃないかと思う
小説を映画化したのを観て、今まで気づいてなかった小説の魅力に気づいたりすることはあるし
青い花読み終わった
クリングゾールのメルヘンに関して、シュタイナーは注釈を書いていないのかな
ゲーテの「緑の蛇と百合姫のメルヘン」と同じように、
神智学的解釈ができそうな気配があるのだけど
クリングゾールの英語名Klingsohrでシュタイナーアーカイブ検索したら、何件か出てきた
クリングゾールメルヘンに、ここからエンデが受けた影響を感じる
フライアは、「果てしのない物語」の幼心の君を連想させる
聖婚がクリングゾールメルヘンの主要なモチーフだと思うけど、
「果てしのない物語」にも、もしかしたら聖婚のモチーフが織り込まれていたのかな、とふと思った
68 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 16:49:02.65 0
69 :
考える名無しさん:2012/08/08(水) 16:50:50.47 0
>>69 この意味で言えば、
世界認識の内容を象徴的に表現している芸術作品(エンデやノヴァーリス)も、
美の強度の点では、もっとも高い、とは言えないと思うんだなぁ
ノヴァーリスも文章自体の地平における美の不足に、読み進めるのに少し苦労した
その後にトルストイを読んだら、新鮮な空気にありついたような気がした
>>69 ユングも内的なものは芸術になり得ないとし、実際にそのような考えとは決別しているね
それは「未加工のままの内的なもの」ってことだよね
それぞれの芸術の定義が曖昧なのにああだこうだいってもなあ。
愛を定義する必要がないように芸術の定義もいらないと思う
75 :
37:2012/08/09(木) 00:43:32.29 0
>>74 同意。
自分の視点を持つのは全然いいと思うけど、その視点は自分で背負えばよいと思う。
何かと関連づけたり権威を持ち出すととたんに嘘くさくなる。
その意味では、モノサシもいらない。
ということは定義されてないものは自分の意見を自由に言えるってことか。
>69に書かれてることにも根拠は必要ないってことだな。
>69は抜粋で全文を読んでないので何とも言えないが 芸術作品は失敗するとか
あるいは芸術性が高い、低いとか言葉も曖昧で基準がわからん。
愛や芸術が定義がいらないという人もいるが、それを定義しようがしまいが
どっちでもよいとして定義が必要ない理由が俺にはわからん。
それらを考えると昧模糊とした超感覚的世界なんかならなおさら
そういうものはいらない気がするから、つまり人知で測りがたいもの
は定義は必要ないってことか?
78 :
37:2012/08/09(木) 02:26:58.78 0
自分の世界に自分で責任を持って、他者の世界も尊重しつつ味わうってことかと
芸術性の高低はあるけど定義はできない
エンデが「質」と呼んでいるものに関わるからだろう
定義はできなくても、分かるというのが、
あるいは質の定義かもしれない
エンデもいうように、質の高いものに触れて触れて触れ抜くことで、質を見る目は育っていくんだと思う
とはいえ、美の原理はあって、
照応関係の密度が高いほど美しい、とは言えると思う
その立場から言うと窮極の美は、全ての部分が全体を含むことかもしれない
神秘主義もまさに美の原理によって立っている
いや美の原理そのものかもしれない
81 :
考える名無しさん:2012/08/09(木) 11:25:38.10 0
エンデは宗教や神秘主義やオカルティズムが嫌いなのだろうか。
どんなに探し回っても、新しいものなんてどこにも一つも無いと思うんだけど。
世間の人々の視点になって
インチキ宗教や悪い意味での(とはいえ今となっては大多数がそれの)「オカルト」を批判してるだけだよ
動物は人間の進化の過程で取り残された種族だと言う
そうなると人間から分離した後の動物の進化はどうなるのだろう?
エンデの言葉は「宗教」とか「オカルト」とか「神秘主義」という言葉を
人智学者は二重の意味で使わざるを得ないことを示しているね
内輪で話す時には、当然真の宗教であり、真のオカルトであり、真の神秘主義を指すのだけど
その言葉は外部には通用しない
特にオカルトという言葉はあまりにも汚されてしまった
>>86 動物はいうなればガワだから動物種族の本質は霊界で進化する。
蛇なんて、「蛇のような生き物」を目標とした継続的な働きかけを受けていないと生まれそうにもないと思う
宇宙にはじめから蛇的な側面があるからこそ、
物質界にも蛇が生まれたんだろうな、たぶん
霊的本質は、物質界にも表現を求めずにはいられない、という感じがする
物質界において完全に潜勢し全くあらわれていない、宇宙の霊的本質はあるんだろうか
私たちが心の内に生きいきと感じる思考内容と鳥の翼との深い親近性を感じとるときほど、
感動にさそわれることはめったにありません。
そういう体験をすると、いつ自分が孔雀のように考えるのか、
いつ鷲のように、または雀のように考えるのかも分かってきます。
(「宇宙的人間論」)
鷲が思考を象徴しているだけでなく、鳥類の種全体が、「思考の種」をも表現しているということかな?
鳥類について知ることが、思考について通暁することに繋がる?
同様に、牡牛=感情、獅子=意志、という対応があるので、
牛の種(偶蹄類?)、ライオンの種(ネコ科?)が、感情の種、意志の種を表現しているのだろうか。
らくだや牛の消化作用は、血液循環に非常な負担をかけていますが、
比較的短い腸で、早く消化が行われるように造られているライオンの消化器官の働きは、
循環系の重荷にはなっていません。
...
ライオンは呼吸のリズムと心臓の鼓動のリズムとが内的にもっとも釣り合い、調和している動物です。
(「宇宙的人間論」)
なんで獅子?なんで牛?と思っていたけど、
獅子は、腸の短い肉食動物、
牛は、長大な消化器系を持つ草食動物を、それぞれ代表しているのかな
そして人体の三分節である感覚系・循環系・四肢代謝系が、それぞれと関わっているみたいだ
宇宙的思考が鳥類を、
宇宙的感情が肉食動物を、
宇宙的意志が草食動物を、
それぞれ自らの表現として、物質界に作り出したってことかな
94 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 22:25:17.06 0
age
スレを上げなくても何かしら書き込めばダット落ちしないよ
前スレのように1日で落ちるのが怖いのは分かるけど・・・
なんでこんな動物がいるんだ?って思うことがよくあるけど
環境に適応した結果というより、マクロコスモスの何かを表現した結果と考えた方がしっくりくる
我が家にもなんでこんな動物がいるんだ?って思うことがよくある。
いつもごろごろしていて、お菓子を食べながらテレビを見ている。上から見るとアザラシのようにも見える。
何かしゃべりかけても あ〜? しか言わない。餌は俺がつくる。寝てるときイビキというか唸りがすごい。
たまにガスを出す。俺が仕事に行くときはまだ寝てるようだ。やはり唸り声がするから生きてるようだ。
我が家に来たときは細身で見栄えがよく愛らしかったのに・・・
マクロコスモスの何かを表現した結果というより、環境に適応した結果と考えた方がしっくりくる。
は、はい・・・。
>>97 宇宙的怠惰がその動物によって自らを表現してるんだと思う
980レスをこえると24時間で落ちるらしい
前スレが変なタイミングでいきなり落ちたのはそれだね
なんか、あらためて八正道してないなァ・・っと思った
超感覚とか関係なく、人間として当然めざすべき道だよね
そうした時にもっとも自分で自分に満足できるような
宇宙的人間論おもしろい
植物と昆虫がもともとは同じだったと言われてひどく腑に落ちた
植物はなんて昆虫的で、昆虫的はなんて植物的で、
おたがいはなんて親和しているんだろう
104 :
考える名無しさん:2012/08/14(火) 06:59:02.92 0
元々同じものの枝分かれ!
動物の話は、別に超感覚がなくても、普通の感覚で納得できるなぁ
元素霊とかアトランティスとかレムリアとかは、かなり「遠い」感じがするけど。
知識として入れるけど、実感をともなわない感じ。
天使は、かなり近い感じで、ほとんど信じている
アトランティスとかレムリアは、
クラゲの化石すらあるのに、いくら軟らかいといっても何の痕跡もないのはどうなの?
っていうのがある
あとスペインやフランスで数万年前の洞窟壁画が発見されているのに
アトランティス人が描いてなさそうっていうのもある
肉眼で見ると、飛びまわるこうもりの姿が見えますが、
霊眼には、こうもりが排出する霊的な成分が空中で羽ばたいているのが見えるのです。
・・・
秘儀の学が教えるように、こうもりの残したものは、
私がこれまでの講義の中で述べてきた「竜」の一番大好きな食べ物なのです。
ただそれは予め、人間が飲み込んだものでなければなりません。
人間がその飲み込んだものを本能に浸透させますと、
竜はそこを人間の中のもっとも確かな足場にするのです。
本能に浸透し、本能を興奮させるその飲み込んだものに竜が喰いつき、そして肥え太ります。
もちろん霊的な意味においてですが。
・・・
こうして竜は、人間に力を行使します。ですから、
今日も人びとは、このことから守られていなければならないのです。
そして、これまで述べてきた「ミカエルと竜との戦いの新しい形」が、人びとを守ってくれるのです。
これまで述べてきたような仕方で、ミカエル衝動を受容した人は、その内的な力づけによって、
竜の好む食べ物から守られます。
(「宇宙的人間論」)
「ミカエルと竜との戦いの新しい形」とか「ミカエル衝動」って何だろう?
竜はアーリマンだろうけど
「ミカエル衝動とゴルゴタの秘蹟」という講演を
1913年5月18,20日にしているみたい
ミカエル衝動っていうのは人智学への衝動のことかな?
ミカエルは人類にコスモポリタン主義の衝動を与える存在であり、
ある時代に存在するもっとも価値の高いものを人々に広めようとする衝動をもたらします。
・・・
ミカエルは霊的なもの、しかし、人間の知性によって把握されることによって頂点に達するものを司ります。
・・・
ミカエルは人間が自由な存在であり、
霊界から啓示として与えられるものをみずからの概念と理念において洞察することを欲します。
(「輪廻転生とカルマ」)
やっぱり人智学のことみたい
ミカエル衝動が人智学「だけ」に降りてくるものだと思っていると、
いま世間で何が起きているか見えなくなるのでは。
人智学に帰依すること自体が世界に目を向けさせると思うけど
メーテルリンクも神智学系作家と思ってたけど
「輪廻転生とカルマ」によると、
シュタイナーを
「彼は、人間へと生成する存在の歩みを確信をもって叙述する。
非常に慎重で、論理的な序論を興味深く読んだあと、本文に入ると、
シュタイナーが急に気が狂ったのか、ペテン師になったのか、あるいは真の幻視家なのかわからなくなる」
と比較的否定的に評してる
もっとも、後になって神智学に参加した可能性もあるけど
エンデが、もし自分を知りたければ、外の世界を見なさい、
世界を知りたければ、自分の中を見なさい、というようなことを言っていて、
シュタイナーと出会う前に、その言葉をメモした。
譬喩的な人生訓なのかと思っていたけど、
マクロコスモスとミクロコスモスの照応についての霊的事実だったとは。
地球期の初期は人間も今の人間の姿はしていなかったのだからそれは違うのでは?
ローレンツ・オーケン((1779-1851)の、人体と生物界を対応させた生物分類法が
シュタイナーの源流になったんじゃないか、と思ってたけど
分類自体は全然一致しないな
オーケンが神智学的な流れの影響を受けたと見る方が正しそう
>>121 DNAをもった最古の人類については
DNA発祥について人智学が説明してないからわからない
キリスト教圏の学者が求めているのは結局はアダム誕生の年代だから
彼らにとって最古の人類はアダム以外にないので
人智学的に言ったらアダムはレムリア人ということになる
テレビでやっていたがゲーテのIQって210もあるらしいな。
でそのゲーテを理解したシュタイナーのIQはどれくらい?
シュタイナーとIQという言葉がそぐわない気がするけど
自分の知る限りもっとも知的な種類の、もっとも勇気のある人物がシュタイナー
「ファーラービーの哲学」
本屋でパラパラめくったらなんか違う感じがして買うの保留してたけど
ツイッターの評判やっぱりイマイチだな
ルシファーの考えによれば、
「人間はいわば自動的に、善き原理に従って霊視能力を身につけなくてはならない」ということになります。
ルシファー存在たちは、自由意志という悪への可能性を、人間から取り上げようとするのです。
ルシファー存在たちは、人間が霊の中から、
自由意志を持たない単なる霊的なものの模写として行動することを望んでいます。
(天使と人間)
人間が形態の霊たちに完全に依存しないで済んだのは、ある意味において、
「レムリア時代にルシファー存在たちが形態の霊たちに対立した」という事実が遣した善い影響なのです。
これらのルシファー存在たちは、人間に自由を継承する権利を与えました。
もちろんルシファー存在たちは、それとともに人間に悪の可能性も
−つまり感覚的な情熱や欲望に陥る可能性も−与えることになりました。
(悪の秘儀)
「悪の秘儀」ではルシファーが人間に自由意志を与えたといい
「天使と人間」ではルシファーが人間の自由意志を憎んでいるという
これはどういうことなんだろう
ルシファーとアーリマンとか、人智学体験の最初の方に出てくるだろうけど、
本当に理解するのはかなり後の方なんじゃないかという気がする
自由意志をもっていないルシファーが、
意図に反して、人間に自由意志を与えてしまった、いっていうことなのかなぁ
ちょっとデビルマンみたいだ
130 :
考える名無しさん:2012/08/16(木) 15:48:44.81 0
シュタイナー=ゲーテ主義やから、ゲーテが誤ったら、シュタイナーも誤る。
それは全然違うw
ゲーテよりもずっと古い流れだから
>>127 自由を意思を与えたんじゃなく持てるようにした、持てる可能性を与えたんだろ。
選択したのは誘惑されたとはいえ原人間だよ。
堕罪の場面を詳細に書いてるシュタイナー本あるの?
たしかに一方的に付与されたのか、誘惑されたのかは大きな違いがあるな
今までシュタイナーの本読んできて、一方的に付与されたというニュアンスで受け取っていたけど
そもそも自由意志を持つ前に、誘惑に晒されて選び取るという自由意志を発揮することはできるのだろうか?
ただ聖書の堕罪のモチーフの中に、自由意志が織り込まれているのは確かのようだね
知恵の実を食べてしまったことが問題なのではなく
知恵の実を食べることを選択したことが問題なのではないか
自由意志がなければ自由意志を獲得することも出来ない
こういった原因と結果の同時的な成立は、神話的だと思う
授乳と胎生が同時に発生しているのは何故だろう
シュタイナーなら説明している気がする
シュタイナーの月に関する記述で誤りを1つ見つけた。
まあ批判する立場にはなりたくないので言わないで置くが。
自然科学的知見とシュタイナーの言葉の齟齬、即誤りではないのだから
批判だとか気にする必要もないと思うけどな
知ってる知ってる。地球から分離したってとこだろ
それはタイムマシーンでもないと確かめようがないから違うやろ
自然科学的に言っても月は地球の一部だったろ
人体に関する言葉を調べていて気づいたけど
五臓六腑の臓はほぼ循環系、腑は消化系なんだ
肝臓は人智学的にはどっちなんだろう
胆汁の分泌は代謝系だけど、血液の浄化は循環系的だ
あらためて見ると、不思議な臓器だね〜
こんなものが進化論で説明できるわけない
基本的に闇の霊たちは、あの古い時代においては、
人間の最善の特質を自分流のやり方で人間に与えようとしました。
この霊たちは人間に絶対的な自由を与えようとしたのです。
しかしもちろんその当時の人間は、まだ絶対的な自由にふさわしい程に成熟していませんでした。
ですから反対の力が光の霊たちによって対置されました。
この反対の力の結果、人間は霊的な高みから地上に移されました。
楽園追放の神話はこのことを象徴的に描いています。
現実においては、天から地への人間のこの追放は、人間が遺伝的な特質に組み込まれることを意味していました。
誰でも、身体的に別の人間から生まれるようになったのです。
(「悪について」)
誘惑性については記述してないな
そして楽園追放は光の霊がほどこした救済で
堕罪は輪廻の開始と結び付いているようだ
人間はいったい何のために進化するのか?という質問に、
シュタイナーが、
「人間はいつかそれをきっと理解できるようになる」と
答えていた本を読みました(講演録かな)。
この質問に正面から答えたシュタイナーの言葉はありますか?
文献か講演録かあるいは学会の資料などで。
何のためにというと、人智学的にいうと、宇宙自体の進化のためでは?
具体的にどの本のどの部分ってことではないけど、
人智学全体としては、与えられる側から与える側になっていくという大きな物語があると思う
ただそこまで遠大な目標にリアリティーを持てないので
自分サイズに目標を縮めているけど。
「未来の宇宙のためのに頑張るぞ」とか、実感をもって思えないから
とはいえ、自分サイズの目標も、よくは分からないんだけど・・
意味があると自分で思えることをしたい、
ってことかもしれない
人智学というか、神秘学の窮極的な目標は、
ミクロコスモスとしての自分が、マクロコスモスになる
ってことだと思う
人智学的には、あるいは神秘学的には、それぞれおっしゃるとおりの目標だと
いえるでしょうけれど、考えればこれは小さな子供が際限なく「なんで?」「なんで?」
って訊くのに似て、答えが出せない質問なのかなぁ。少なくとも人間の使う言葉では。
宇宙の進化のためと答えると、じゃあ何で宇宙は進化するの?とか
自分がマクロコスモスになるためと答えると、じゃあ何でマクロコスモスになるの?
っていうふうにどこまでも、問えてしまうから。
上のシュタイナーの答えは図書館で借りた本に載っていたもので、今手許にないけれど
印象に残った言葉なので、たぶんそのままの文章だとおもいます。
この文のニュアンスからは遠い遠い将来の話のことのように感じとれます。
人間が人間でなくなったとき、人間を超えたときにはじめて理解できるような
そういうことなのかなぁ。わからないけど。
人間の次の段階では、宇宙の進化の目的もマクロコスモスになる目的も
わかっているのかなぁ。
何故そうなるか?っていうのは
人間が何故真や善や美に惹きつけられずにはいられないのかという疑問に近いと思う
哲学はそれを神的な愛と説明しているし、自分もそうだと思う
でも神的な愛の根本原因は分からない
理由は分からないけど、それが正しいということを知っている
正しいと知っているけど、理由は分からない
そういうものだと思う
というか、思うようになった
問う必要がないと思うようになったのは、あきらかに人智学の影響で
それまでは、美に引きつけられるのは、何でなんだろうと
色々自然科学的に煩悶していた
言葉で説明できるようなものじゃないからこそ神的なんじゃないかな
だから
「人間はいつかそれをきっと理解できるようになる」
としか言えないんだと思う
真善美は、人間サイズだと思う
それがいいものだとはっきりと分かる
マクロコスモスになるっていうのは、あまりに遠大すぎて、そうなりたいとも思えないけど
真善美の向こうに、それがあるとは思う
花が美しいのは、生存競争に生き残るためで、
美はエゴイズムの発露なんじゃないか、
美は韜晦されたエゴイズムかとか悶々と悩んでたことを思い出した
そんな人間が人智学以外によって救われることは多分ありえないなw
だからシュタイナーに出会ってよかった
キリスト教関係のラジオ番組聴いてて気づいたけど
堕罪って同時に不死の喪失でもあったんだっけ
だから堕罪と同時に輪廻が始まったっていうのは当然なんだ
地上への追放はいわば光の霊の祝福だと言っている一方
アーリマンを死の霊とも言っている
このへん複雑な感じ
受精の働きは、花の中の火の精が宇宙の熱から取って来た宇宙の男性的な種子と、
あらかじめ大地に滴り落ちた女性的な「植物の理念形姿」との結合から生じるのです。
ですから、大地の外では、どんな生殖活動も生じません。
(「宇宙的人間論」)
こういう実験で実際に確かめられるような言葉には当惑してしまう
「植物の理念形姿」がしたたり落ちていないような
人工的な培地からでも種は芽吹くわけで。
でもそんな簡単な実験で否定できるようなことをシュタイナーが言うわけないとも思うし
どういう風に考えたらいいのかな
<大地の外>という言い方をしているし、四大霊の活動がないところという意味では、大気圏外で実験してみるとか。
でも、既に主として完成している植物が育つかどうかという事ではなくて、
例えば大気圏外で生殖活動をする生物が存在しないという程度の意味にとるほうが納得がいきそう。
というか、
>>159 の例だと、「人間以外の動物が道具を使うことはない(霊長類など多少の例外あり)」と
言っている時に、「いや、<人間が調教すれば>犬も道具を使うことができるから嘘だ」と言っているような
感じに聞こえる。人間なり大地なりの影響を抜きにしないとハナシが成立しないというか、
植物が枯れ落ちて、そこから地面に染みこんだ理念形姿が母胎となって、植物の種を受精する
ということなので、植物の進化の話ではないと思うよ
植物が一度も枯れ落ちたことのない人工的な培地、
たとえば湿らせたスポンジに種を撒いても発芽するだろうことをどう考えればいいのか
あくまで自然科学的発想に基づいた実験なので、
超次元的に考えればいいのかもしれない
そのように考えれば、一度も植物の枯れ落ちたことのない人工的な培地だからといって、
理念形姿のある世界と繋がっていないとは言えない
そもそも四大を、自然科学的・三次元的世界観でもって把握しようとすること自体に無理があるのかも
虹の中にシルフが見えるとも言っていたし。
それも三次元的に考えると頓珍漢としか言いようがないけれど
四大が見えるようになるのは、霊視だろうけど
霊視自体が、超次元的な世界観を要請していると思う
そのように考えないと奇妙の話が多いし、
その奇妙さは、誰でも簡単に気づくような奇妙さだから
誰か、植物の進化の話をした?
宇宙的人間論に「四床体」っていう言葉が出てくるけど
google検索しても日本語では一例も出ないな
>>163 「完成している植物が育つかどうかという事ではなくて、
例えば大気圏外で生殖活動をする生物が存在しないという程度の意味にとるほうが納得がいきそう」
っていうのは、個々の生殖の話ではなく、植物がどうあるか=植物の進化の話なのでは?
でも、この本に書かれているのは個々の生殖の話なんだよ、と言いたかった
気分を害したのなら申し訳ない
ごめん、なんで進化の話と思ったのか理解できないけど、まあ分かった。
シュタイナーは呼吸法について何か言われておりましたか?
呼吸法とチャクラの関係とか健康について等、学びたく思います
167です
呼吸法等について書かれている書籍があれば教えてください
ジュンク堂にシュタイナーの書籍がたくさんあって探してみたのですが自分では見つける事ができませんでした
呼吸法については東洋人と欧米人ではまったく違うらしいね。
シュタイナーが語っていたとしてもそれは誰に向かって語ったかという問題が残る。
多分ないです
シュタイナーは呼吸法を通じたヨガ的な訓練を積極的には奨めていないので。
八正道に従い道徳的に生きる、イメージ力を強める、そういったことを
チャクラを活性化する=超感覚を身につけるための訓練法として推奨しています
何度みてもその言葉の意味が分からないんだけど、引用元の本を読めば分かるのかな
四劫(しこう)という仏教語を知った
成劫(じょうこう)=この世界に、山河などの自然と生物とが生まれ出る時期
住劫(じゅうこう)=人類が世界に安住する時期
壊劫(えこう)=世界が破滅する時期
空劫(くうこう)=世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの長い空無の期間
まさにシュタイナーの宇宙観だと思う
死者は、霊界での道の後半に将来の身体のための霊的な形姿を受けとります。
この霊的な形姿が、肉体とエーテル体を生じさせる力となって胎児に組み込まれます。
しかしこの力は、前世での人間不信と人間憎悪の物質的な模像なのです。
私たちの肢体は、霊的には、この人間不信と人間憎悪から形成されたのです。
・・・
骨の中には道徳的な冷たさの物質的な模像が現れていること、
血の中には道徳的な憎悪の物質的な模像が現れていることを敢えて肯定できなければなりません。
・・・
人間が物質的な形態をもつことができるためには、肉体の中に憎しみと冷たさが存在していなければならないのです。
(「宇宙的人間論」)
人間不信と人間憎悪がなければ、物質体が形成されることもない、とシュタイナーは言う
すごいこと言うなぁーって思うけど、
そこにこそ救いがあるような気もする
>>171 なんかすごい良く分かる。
シュタイナーの彫刻や建築の隙のなさはある意味でいいと思う反面、とても自分を受動的にさせる。
能動的にそれを鑑賞できるようになったと過程して、その場合、今の自分の能動とは全く別のものになっているから大切なものを失ったようにも感じる。
その失ったものが暗黒だ、と言われるならなるほど、と思う。
まず「シュタイナーの芸術思想」って何のことを言ってるの?
ルカは十二使徒に入ってないんだね
獣帯が十二使徒の反映なら、四聖獣に対応する福音史家は全員入ってるんじゃないかと思ってたけど。
成員は固定したものではないし、十二という数が重要だということだろうか
つまり『モモ』を読んだ時、「これはアントロポゾフィーだ!」と思うことは的外れと言うことですか。
それはないだろう
エンデ自身も影響を否定していないし。
芸術家としての礎の大部分を人智学に負っておいて
>>171のような発言は
意味が分からないというか、誠実でないように見える
まぁ前後の部分を読まないとなんともいえないけど
今の自分達から見ると、人智学の宇宙観に基づいた芸術というものを、エンデの作品を通してイメージすることが出来るけど
エンデにとっては、人智学的な芸術といえば、シュタイナーが書いた神秘劇のようなものだっただろうし、
「自分は神秘劇のようなものではなく、エンデ作品のようなものを書くんだ」
という宣言なのかもしれないね
今から5000年後、月と地球が再びひとつになるが人間は生きのびる。
しかしその時機械が反乱を起こしてとんでもないことが起きる。
鉱物的、反生命的な人間の知性を物質に反映させたもの、つまり、機械が突然人間に反乱を起こす時
その機械は非常に醜い蜘蛛のような形をとっている。
蜘蛛のような途方もない知性、知的に発達した機械が人間に反乱を起こすので、
人間はその知性に同化するか、その知性の仲間になってその知性の方向を辿るか、あるは
その知性に捕まって殺されるか、いずれかの方向を辿らざるをえない。
地上の人間は知性を今後もオートマチックな仕方で発達させることができ
野蛮な状態で知性を発達させることができる。しかし全人としての人間存在は
こうした知性によっては把握されない。
影の知性がこれからますます発達するにつれて、地球の中から恐ろしい存在たちの群れが現れてくる。
この存在たちは鉱物界と植物界の中間にあって、豊かな知性を身につけたオートマチックな存在である。
大きな知性を身につけたこの群れは、恐ろしく知性のある蜘蛛の巣で地球を覆ってしまう。
その蜘蛛の巣は互いにしっかりと結び合って、人間の影の知性がそれまでに作り出してきたすべてを真似している。
人間の非現実的な空想が現実になる。
地球が今、大気に覆われているように、その時恐ろしい鉱物的植物的な蜘蛛の巣に
地球全体が覆われてしまう。イナゴの大群が空を襲うように、恐ろしく賢く恐ろしく邪悪な蜘蛛たちに覆われてしまう。
人類の中にはすでに現在意識的にこの蜘蛛の巣の蜘蛛の群れと同盟を結びたがっている人達が
大勢いる。
↑
というような事が高橋厳氏の本に書いてあった。
書名は?
それ前スレにも出てたね
私は読んだことないけど、前スレ193が言うには高橋巌さんの生命の教育らしい
一応引用しておく
192 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 09:50:30.59 0
今から五千年後、月と地球が再び一体化する
人間は生き延びるが機械が反乱を起こしてとんでもない事が起きるという
鉱物的、反生命的な人間の知性を物質に反映させたもの、つまり機械
その機会は非常に醜い蜘蛛のような形をとっている
人間はその知性に同化するか、その知性の仲間になってその知性の方向をたどるか
あるいはその知性に捕まって殺されるかする
地上の人間は知性をオートマチックな方法で、野蛮な状態で発達させれる
影の知性が発達するにつれ地球の中から恐ろしい存在たちが現れる
鉱物界と植物界の中間にあって豊かな知性を持つオートマチックな存在、
恐ろしく賢く恐ろしく邪悪な存在、彼らの蜘蛛の巣で地球は覆われる
それらは人間の影の知性がそれまでに作り出したすべてを真似している
人間の非現実的な空想が現実になる
人間の中には意識的にこの蜘蛛の群れと同盟を結びたがっている人達が大勢いる
193 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 10:00:50.13 0
↑高橋巌、生命の教育 より
これは明らかにインターネット社会の事だよね
これは決まった未来ではなく「間違った方向に進むと」という意味の前置きがあったとは思うけど
ネットは人の意識を後戻りできないほど変容させ
人間本来の何かをおそろしく退化させる
別のとこでシュタイナーは人間の知性は今の時代以上はもう進化しないとか
人間の意識と死後世の意識はあまり変わらなくなるので輪廻はなくなるとか
言っていたと思うが、五千年後はいったい何が起きるのだろう?
今から三千年後までに、多くの人々が八正道を魂の能力とするまでに成熟し、
その時点で、同情と愛の教えは人類のものとなります。
そして、また新たな事件が起こり、新たな使命が霊界から物質界へと送られてきます。
(「第五福音書」)
同情と愛の教えが人類のものとなってから
五千年後までの間に一体何が・・
今は、アストラル界が善悪に別れているけど、
未来には今は善のものしかない神界にも、悪のものがあらわれるというね
人類が上昇したら、またその場所が善悪の戦いの舞台になるということだと思う
ずっと悪はなくならないのかー、と思ってゲンナリするところもあったけど、
なくなったらいけないからなくならないんだろうな
悪は消し去るものではなく、克服するべきものなんだろう
アストラル会の悪がアーリマンで神界の悪がアスラのこと?
アスラ→意識魂
アーリマン→悟性魂
ルシファー→感情魂
に作用する
魂はどれもアストラル体だよ
神界が善悪に別れるのはもっと遙か未来の話
最近また夢をできるかぎり記録していこうとしているけど
起きてトイレにいっただけでもう忘れてしまう・・
起きる前に、夢うつつの中で夢の内容を思い返してまとめてたのにな
アーリマン倒してきた
寝る→前の夢で見て忘れてたことを夢の中で思い出す
→これだ、なんで忘れたんだろう、今度はちゃんと書こうと夢の中で思う
→起きる→憶えていない
なんなの?
ともかく、覚醒時とは別の場所に、夢の中の記憶、があるようだ
夢の中で、あ、前に夢で見たこの世界観か、と思う時あるよね
夢の中では以前の夢のことを容易に思い出せて(覚醒時に覚醒時の記憶を思い出せるように)、
更新も出来る
ということは、夢の中では、今は忘れたと思っている、かつて見た夢のことも思い出せる、ということだ
夢の中ではっきりした意識をたもっておくようになれば
夢の研究もはかどりそう
他の神々の思考内容にすぎない神々は、一定の特徴の故に、これまで「ルツィフェル的本性たち」と呼んできました。
私たちはこのあとでも、「根源の神々が自分を自己認識しようという欲求を持った」とき、
その欲求のすべての結果を、ルツィフェル的本性たちと考えなければなりません。
ですからルツィフェル的本性たちのことを、根源的な神々は、宇宙思想もしくは宇宙的思想存在である、
と受け取っていました。
…
他の存在たちのイメージにすぎなかったこの本性たちは、他の神々の進化に較べると、常に停滞し続けています。
前進する神々は、この本性たちを自分のあとに残し、それに回顧の眼を向けることができました。
…
無意識の部分をも含めて、私たちの自己存在のすべては
−私たちの身体組織もそこから生じたのですが−この根源的な神々の系統に由来するのです。
けれども私たちの意識体験、通常の意識が日常見ているものは、
根源の神々のイメージにすぎない神々の系統に由来するのです。
(「神々との出会い」)
人間の思考内容、意識内容自体がルシファーの系列だってことか
なんか、すごいこと言ってる気がする
同じ系列であるなら、悪魔が人間の内面と近しいのは当然のことなのかも
人間がいつかルシファーを救うと他の本で読んだけど、それはどういう経過でそうなるのだろう・・
汗をかいて努力する事をせず、頭だけで考えてモノを言ってばかりだと
自己満足に陥り、ルシファーのほうに偏るという事なのかな
つまり日常の意識体験、通常の意識に留まり続けるならルシファーの特性と同じでお仲間
ってことだ。
そこで救済の神がやってきてその流れの系譜にあるのが人智学ってことじゃないの。
ルシファーを救うってことは人間の内部に入り込んでいるルシファー存在も人間が
進化することによって一緒に進化する、つまり救済するってことだと思うけど。
人間が落ちるということはすでに落ちているルシファーは停滞を余儀なくされる
上位の神は進化し続ける。どっちにしても退化ってことか。
根源の神々:ルシファー的な神々=人間:思考
人間も思考するたびに、ルシファー的な存在を霊界に生み出しているのだろうか?
エックハルト説教集を読んでる
エックハルトの語彙でも「像」という言葉が、思考を表わすものとして出てくる
ルシファー存在は神の自己認識のための犠牲ともいえるわけで。
神は完全なのに、何故宇宙を生んだのかという難しい問題にも関わってきそう
人智学的宇宙観は、はっきりとは言わないまでも、そのことに関しても何か解答を示しているみたいなんだな
「地球」は愛の宇宙です。「地球」は、いたるところに愛を織り込むという使命を有しています。
ですから、「地球」存在に正しく結びついているものはすべて、愛に触れられていないものには関心がありません。
ルシファーは「月」すなわち叡智の宇宙にとどまった存在たちです。
ルシファーは、光を愛のなかに織り込むことに特別の興味を持っています。
ですから、本来愛から織り成されているわたしたちの内面が、なんらかのかたちで存在している光と関係するとき、
それはルシファー存在の活動なのです。
愛から織り成されたもののなかに、ルシファーの要素が入り込みました。
ルシファー的要素は、愛をたんなる献身にはせず、愛を叡智で貫きます。それは、内面から叡智に貫かれた愛なのです。
(「いかにして前世を認識するか」)
地球=愛の宇宙、月=叡智の(思考の)宇宙
ならば、
太陽=感情の宇宙、土星=意志の宇宙、なのだろうか
難しい・・・何を言ってるのかサッパリわからんです
できたらもう少し簡単にお願いします
元来難しいものなので、難しくしかいいようがないです
シュタイナーの本を相当数(一人の著者の本としては断トツで一番多く)読んできたけど
一冊も「すべて理解しきった」と言える本はないです
まぁ、シュタイナーの本っていうのはそういうものなんです
もっとも重要な秘義を象徴の形にして、人々から隠すのはいいことなのです。
というのは、その象徴を読み解こうと努力するその努力をとおして、
私たちは私たちを善の力へと高めるものに到達できるからです。
(「黙示録の秘密」)
シュタイナーの本にもこういうところがあるかもしれない
シュタイナーか人智学または神智学協会の方が同性愛について言っている文献ってあります?
うーん、記憶にないです
思考・意志・感情についてはかなり語られているけど、愛については多く語られていない気がするなぁ
自分で気づけ、ということなんだろうか
思考・意志・感情について語ること自体が愛の系列なのかも
ノートとペンを側において寝るようにしたら、
夢を記録できる確率がぐっと上がった
今日のgoogleはマリア・モンテッソーリらしい
2/27にはシュタイナーにしてほしいなー
まだ偏見が強いから無理かな
ケン・ウィルバーって人のbotを見てると、
シュタイナーが
「アメリカでは人智学の模造品が作られている」と、思われます。
その模造品は、すべて唯物論的になります。
アメリカ文化はヨーロッパの人智学に似たものを有しています。
・・・
このアメリカの模造品が語りはじめるときが、いつかやってきます。
そうなったら、ヨーロッパの人智学によく似たことを語るでしょう。
と「色と形と音の瞑想」で言っていたことを思い出す
主張は人智学とかなり類似してるけど、なんかこう、アメリカっぽい
マクドナルドっぽいというか
ベルジャーエフは、ブラバツキー婦人やアニー・ベザントの神智学的著作を、
地理か鉱物学の手引き書のようだと云って揶揄する。
「神智学徒は、霊界の山と川を混同しないように、それらの”地理”用語を暗唱し、
神秘学版の"ベデカー旅行ガイドブック"を絶えず参照しなければならない。
神智学徒・人智学徒のほとんどは、自分自身は見霊能力を持たず、
彼らが暗記しているシュタイナーの”アカシャ年代記”や
その他の著作によって宇宙の進化を論じているにすぎない。
かくして、霊的な方向付けそのものが、そもそもの開始地点において誤っているのだ」。
http://longtonelongtone.p1.bindsite.jp/pg225.html
ソース元の記事にも書いてあるけど全然「かくして」じゃないと思う
ベルジャーエフが誰なのかは知らないけど
論理性に欠けるという印象
一部分だけの引用から判断するのはフェアじゃないかもしれないけども
人間を前進させることのできるものすべてが天国の内容であり、
進歩を妨害するものすべてが地獄の内容です。
(「天国と地獄」)
天国も地獄も、この世界に生きる人間の心魂と地続きということになるね
個人的に妙に納得した
カレーや味噌汁には入れないけどマックのポテト、ポテチやじゃがりこはついつい食べちゃうな
神智学やシュタイナーだけを頼りに生きてる訳じゃないからね・・・。
俺も気にせず食べてるなぁ
今いわれて、そういえばそんなこと言ってたねって思い出したくらい意識してなかった
酒も飲みまくってるし・・。
何度か「食事に注意しよう」って思ったこともあったけど、
そういう決まり事的なことが、自分の目を開いてくれた体験は、記憶にない。
たぶん目が開いてきた人が、自分で「こうした方がもっといい」って判断してするべきことだと今は思う。
「こうした方がいいかも?」って感じでやっても続かないし、効果もないと個人的には思う
「ジャガイモを食べない」ことより、
「食べるべきものを判断できる自分になる」ことの方が重要だというか
いか超の序章にも無意識な行動を意識して行けるようにする
それが超感覚的知覚の初歩だとあったね
>>217 じゃがいもは中脳(感情)の座を弱めるのだから、東洋人には冷静さを
うながしていいんじゃない。いま極東にホットな話題を提供してくれる
韓国人とか中国人にもじゃがいも食をすすめてあげなよ。アジア外交が
進展するかもよ。
中脳を弱めるってどの本にあるの?
>>224 中脳を弱めるって話は「人智学から見た家庭の医学」(P48-P50)
人種による脳の各部位の発達の違いについては
「色と形と音の瞑想」(P41-P42)
この話題については一世代前のスレで
「人種民族にかかわらず人間みな同じ体質主義者」の
偏見が打破されたと思ったのだが。
医学的にも人種・民族に特有の病気があることは
「科学的」にも報告されている。飲食物については
たとえば日本人には牛乳を上手に消化できない人々がいることは
ちょっと年配の人なら知っているはず。
「お父さんはアカディ」とか言って
昔この妙な牛乳もどきを飲んだことがある人も
いるんじゃないの?
ありがとう
「人智学から見た家庭の医学」持ってなかったから買ってみた
ついでにシュタイナーのおやつも買っとけ
何それ
シュタイナー自身の著書?
これはシュタイナー教育関係者向けの本だろ
シュタイナーが食ってたおやつだと思った
西洋人はジャガイモ食っても野蛮だったじゃないか。
ちがうよジャガイモ食うと霊的にアホになるだよ。
植物の根は、人間の頭と類縁のものです。
ジャガイモを食べるということは、完全には根にならなかった植物を食べるということです。
ジャガイモばかり食べていると、頭のなかに何も入ってきません。
すべては消化器のなかにとどまります。
ジャガイモを食べることによって、ヨーロッパ人は頭脳をおろそかにしたのです。
・・・
思考しなければならないというのは大変不愉快なことです。
ですから、人々はアカカブよりも、思考を刺激しないジャガイモを好みます。
アカカブは正真正銘の根なので、非常に強く思考を刺激します。
・・・
頭が活発でないとき、ダイコンを食べて、思考を活動させるのはよいことです。
(「身体と心が求める栄養学」)
根が頭と対応しているから、「不完全な根」が思考を不活発にするということだと思う
天界は場所ではなく、生命の状態、つまり愛、仁愛、および信仰の生命の状態である(スウェーデンボルグ)
これ
>>216に通じると思う
ジャガイモの話テンプレ入れよう(提案)
237 :
考える名無しさん:2012/09/03(月) 22:03:25.66 0
真面目に聴くけどチンチンを活動的にするには何食えばいいんだ。
あとハゲがフサフサになる食い物も教えてくれ。
イモとワカメの説教学
○○を食べたら○○になるっていうのは
簡単そうだけど、実際には上級者向けだと思う
シュタイナーも絶対的な指針は示さなかったし
検証しにくい分教条的になりやすいし。
もちろん、霊的感受性を高めた医師が患者に処方するのならいいだろうけど
シュタイナーは人々の霊的感受性を高まることを、ほとんど前提としていたと思うけど
今なら信じられる気がする
たぶん、人が超感覚に至るまでには、実際的な気づきが沢山あると思う
シュタイナーが語っているのは、遠い先の遠い目標なんだけど、
それを見ているうちに、そっちの方に向うことになるんだと思う
夜が明けたら花開くつもりの蕾みは、夜中のうちから強い気配を出しているよ。
人の気配かと間違うくらい、強い。
クローバーの声が聞こえるというのも、おもしろいですね。
頭ごなしに否定するつもりはないが、所詮はTVだからなぁ・・・。
四つ葉のクローバーの声が聞こえる子どもより
シュタイナーが語っていることを受け容れる方が遙かにハードル高いと思うけどな
全然ありうることだ、と思う
夢の記録つけてるけど
あんなにすぐに忘れるのに、いったん記録さえできれば、
それを読むことで数ヶ月前の夢でもかなり思い出せる
不思議だねぇ
ずっと前にシュタイナーの書籍で何らかの情報(例えば人や出来事の記録など)を通してしかアカシャ年代記でその出来事を見ることが出来ない、的な内容を読んだことがある。※かなりうろ覚えだけど。
夢の話で思い出した。そういえばよく似てるなーって。
「アカーシャ年代記より」を見返してて思ったけど、
アトランティス人の各亜人種の特徴は、
今の人類の歴史や、今の人間を考える上でも有用なんじゃないだろうか
生物学的な進化過程を胎児がくり返すように、
歴史や個体の中に、亜人種の過程がくり返されているんじゃないだろうか
今までさして興味も持てず、流してきたところだけど
何の意味があるのか分からなかった過去の亜人種の記述が、
これからの人類過程に関する予言的性格も持っているのかも
「アカーシャ年代記」よりに出てくるトルテク人っていうのは、多分トルテカ人かな?
原ツラン人とか原セム人の表記とあわせるなら、
原トルテカ人と書いた方がベターなのかも
用語集では「原トルテク人」と書いてるけど
動物の脳みそを使った料理があるけどおいしいのかな?
神経の塊なんておいしいとは思えないんだけど
「遺体」って言う言葉は、遺した身体、で、魂の存在を前提しているんだなぁってふと思った
「意味」という言葉には味覚が潜んでいることに気づいた
概念や意味の延長に魂的・霊的な味覚があるのかな
心のざわめきやショックを受けること等の延長に
魂的な触覚のようなものがあるのはわかるけど
人々はゲーテの「ファウスト」を読むと、一種の若返りの泉に浴したようになります。
・・・
内的・精神的に本当に感激に貫かれると、それは若返りの泉になります。
・・・
表面的なことにしか興味のない人は、精神的なことに関心のある人に比べて、
腺・脈管の内壁がずっと早く衰えます。
第一に、子どもの時にまともな教育を受け、第二に、正しい方法で精神に貫かれる時間を持っていると、
のちに結紮などする必要がありません。
(「人智学から見た家庭の医学」)
人智学は人を健康にする?
いわゆる病気は気からと言われるものの神智学的解釈だろうか。
じゃが芋は非常に多くの澱粉を含んでいます。
澱粉は人間の中で、まずデキストリン、ついで糖分に変化します。
じゃが芋を食べ過ぎると、頭はおそろしくたくさん働かねばなりません。
頭は発酵を防止しなければならないからです。
・・・
特に脳の中央部が弱くなります。じゃが芋の発酵を防止するに際して、
頭の前部のみが酷使されずにすみます。
近代にじゃが芋が広く食べられるようになったために、唯物論が登場しました。
唯物論は前脳で作られるからです。
・・・
澱粉糊は恐ろしく有害に作用するので、そのままだったら、
じゃが芋は生きることができなかったかもしれません。
じゃが芋はみずからの毒によって、みずからへの有害な作用を取り去っているのです。
・・・
人間には、じゃが芋の毒は大変有害です。
・・・
じゃが芋を食べ過ぎると、中脳が萎縮します。
(「人智学から見た家庭の医学」)
ジャガイモに関する部分があった
大量のデンプンと毒が、中脳に悪い作用を及ぼすということだね
かなり唯物論寄りな説明がされているのが意外だった
定期的に芋の話でるNE
出てたから出したんだよw
気になる人が多いのかなと思って。
ジャガイモに毒があるのは、デンプンの害を中和するためだっていう説明が面白いと思った
ジャガイモにとってはその毒が薬なんだね
まったく気にせずポテト食べたり酒飲んだりしてたけど
やっぱり少しは気にしようかな・・という気分になってきた
260 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 11:13:18.79 0
シュタイナースレの住人達は
今の日本と隣国の状況をどうみる。
個人的にどういう考え方と態度をとる。
社会を無視して個人の成長を見出せないとすると
おれらはどういう態度を取るべきか。
シュタイナー自身がWW1に対して全く無力だった
という事実は何もしない、あるいは何もできない我々を正当化できないだろうか
今現在世界はほぼ唯物論的に動いているので、真に唯物論に勝つには同じ唯物論でなければいけないと思うが
>>261 >シュタイナー自身がWW1に対して全く無力だった
政治的な活動をするとなにが起きるか分かった上で社会有機体三分節化を打ち立て広めようとしてたよねぇ。
観察して、原因を知り、根本的な解決方法提示する。
その姿勢は何もしない、何もできない怠惰な人間を正当化するわけがない。
ならないと思う。なぜなら、戦争も霊的な問題をはらんでいるのであって、
その点でシュタイナーが全く無力であったとは言えないから。
それは、WW1のあと台頭したヒトラーがどれだけシュタイナーを敵視していたかからも推察できる。
唯物論を別の唯物論が負かしても、唯物論であることには変わりない。
それじゃあ、何にも繋がらない。
ジャガイモが「完全には根になっていない」という理由で駄目なら
同じ地下茎のナガイモも駄目なんじゃないかと思ってたけど
ジャガイモほどデンプンの塊でもないし毒も持ってないから良さそうだ
ジャガイモと違って生食できるところもいかにも身体によさそうだし
ナショナリズムは将来的に克服するべきものだし、
人智学徒なら、まちがっても右翼的な方向には走らないよね
2chても中国を叩いてる人達がかなり多いけど。
その上で、ナショナリズムに走る人達をも許すことが大切だと思う
よく考えたら、野菜なのに生で食べない方がいいものって、
ジャガイモ以外にあんまりないかも
わらび、なす、ほうれん草とかは生で食べるイメージがない
言われてみればそうだね
ジャガイモは生で食べると腹を壊すらしいけど
ナスとかもそうなのかな
ほうれんそうは、生だと身体に悪そうなイメージあるな
ほうれん草は生だとえぐみがあるだけで、ドレッシングかけて食べられるらしい
ただし茹でると結石の原因になるシュウ酸を減らす効果があるとか
白いんげんはニュースになったな
>>260 尖閣問題は、尖閣諸島近海にある海底油田等を巡って起きてる問題なので
結局の所は資源問題の一環なんだろうね
シュタイナーが語っていた、植物の発芽力からエネルギーを抽出する技術が実用化されて
ガソリンや電気の代わりを果たすことができるとすれば
石油等の資源の需要が減って解決される問題だろう
そういう訳で僕らができることは、そういう事業をしている所が現れたら
株を買ったり出資したりすることだと思うよ
豆類も生では食べられないね
ピタゴラスが豆類を食べるの禁止してたのはそれとも関連するだろうか
他国に対しての敵意を消去しナショナリズムを超克するという意味で、
歴史を学ぶといったことも有効だと思う
275 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 21:31:32.17 0
デモを行ってる多くの市民は資源問題や経済問題
など頭にないような気がする。
また政府に対しての不満のはけ口が反日とも違うような
気がする。
どの道デモがエスカレートしたり、国全体の雰囲気が
特定の国への恨みや反感にみたされるなら国そのもの
の衰退に向かうんではないかとも思う。
中国政府がデモを意図的に起こして、それを外交力に変えようとしてるのであれば、いつかその反動が自分達に帰ってくると思う。
※デモの扇動者のリーダーの一人が警察幹部で、扇動が一段落ついた後に軍服に着替えた、との目撃証言もあるようです。
尖閣諸島に関しては日中で棚上げにするとコンセンサスが取れていたのに
石原の無考えな挑発に端を発して国有化してしまって
いわば暗黙の了解を破ったのだから、
ああいう反応は仕方ないと思う
それにかつての被征服国にしてみれば、
日本は「調子に乗りすぎて番長にシメられて大人しくなったいじめっ子」みたいなものだから
いつまたいじめっ子に戻るか心配するのも当然だと思う
過剰反応の背後には恐怖があるんだと思う
パラケルススは、「人間は自然の従僕であってはならない。たしかに、医者は自然界で実験する。
しかし、医者は芸術家でなくてはならない。医者は自然を継続しなければならない」と言いました。
パラケルススは、自然から採ったものではなく、
自然の精神から創造される新たな製造物を本当の薬と見なしました。
(「人智学から見た家庭の医学」)
シュタイナーの「教育は芸術でなければならない」という言葉の元ネタはパラケルススだったんだ
本人?
>いまだにこのようなプロパガンダを信じ、そのプロパガンダを作った悪の勢力
そんなものはないだろう
他国や他の主義に対して一方的に「悪の勢力」というレッテルを貼ることがおかしい
愛国主義の気持ちよさに惹きつけられているように見える
かといって日本だけが悪かったのだ、とにかく謝罪をしようというような
犠牲心に酔ったような態度も違う
誰も責めずに真実に近き、問題を解決する方法を考えることが大切だと思う
事実として、日本は近隣諸国の領土に侵入し、一定期間そこを征服した
一方日本は近隣諸国に征服されたことはない
被征服国の屈辱感や怒りは分からない
想像することしかできない
そのような屈辱感を与えた相手が日本に良くない印象を持っているのも当たり前で、
あしざまに言うのも当たり前
南京大虐殺の人数が間違っていたからなんだというのだろう?
侵略し蹂躙したことには変わりない
その事実をあたかもないようにして相手のアピールをあげつらう態度は
日本人として誇りを持てるものじゃない
悪いことをした自覚もないのに強制的に罪悪感を植え付けられたことへの反発が
極端な右翼思想に傾く人々を生んだような気もする
「教育」を「罪悪感」で代替するような手抜きの、当然の結果かもしれない。
でも、後からでも知ることは出来る。
そして本当の意味での愛智に、人智学はとても(個人的にいうならば、最も)効果があると思う
中学、高校の歴史の授業が近現代史までほとんどたどり着かずに終わっていることに、
何の疑問も持たなかったけど、
あれは「見たくないことを見ないようにしている国民的な意識」が働いた結果なんだね
普通に考えたら最も重要な近現代史をすっとばすなんて、あり得ない
そのマジあり得ないことに対して、「時間が足りないんだろうな」くらいの感想しか持ってなかった。
時間が足りないってなんだそれw
シュタイナーは歴史の授業を現代から過去に向って逆向きに学ぶと、エーテル体が強められると言っているけど
それ自体でとてもいいことだと思う
でもよく考えると歴史って自分から返ったとすると他国に軍を進行させたのは
爺どもの時代で俺にはまったく関係ないんだよな。
中国のデモ民も自分が過去に日本から直接被害があったわけでもない。
従軍慰安婦もそうだけど俺が何したわけでなく日本に謝罪しろと言っても
俺個人はそんなの関係ねえってなるわけだがこれをどう考えたらよいのやら。
俺も「過去って何か意味あるのか?」と思ってたよ
ないと思って、ないことにしていた
でも、過去はあるし、ないことには出来ない
もしないことにすれば、本当に意味のあることは、恐らく何も成し遂げることができない
そういうことがようやく分かってきた
歴史を見ても、過去をきれいさっぱり忘れた民族なんてどこにもいない
そんな人間はいないから
そんな「ありえないようなこと」を、なんで他国に求めることができるだろう
誰にもそんなことは求められない
戦争と現在の意識的・無意識的な断絶が
フクシマをはじめ、噴出している今の日本の問題と繋がっているんだと思う
本当の問題を直視したくないから領土問題を引っ張り込んだんじゃないかと思える
民族的な逃避行為だね
問題は他国にあるんじゃない
現実を直視しないことにある
過去→未来は原因→結果でカルマの働きがあり、今私達が日本に生きていることも何らかの意味があるのだと思う。
カルマから学ぶためにら、過去と対峙して望ましい未来を作る今になるしかないんだろうなぁ。
罪悪感は、持つ必要はないと思う
自分がやったことではないのだし、自分がやったことでも、必要以上の罪悪感は、
むしろ悪影響の方が大きい
自分を許す、同時にあらゆる他者を許す
そうやって冷静になってから、どうすればいいのかを考える
その方がはるかに生産的だと思う
冷静になってから、相手はどう考えているかを理解する
そして誰も、自分も他人も責めない
そういうことが大切だと思う
考えると原発に対する対応もまさに「見たくないことは、起こらないものとする」だったね
敗戦に対してだけでなく、参戦においても、戦時中もそうだった
日本人のこの現実を直視しない性癖は何に根ざしてるんだろうなぁ・・
「中国のデモひどいな」
「アメリカによる日中離間の計だろ」
「元はと言えば江沢民が悪い」
「何言ってやがる。元を辿るなら近衛文麿が圧倒的に悪だろうが」
>>292 現実を直視するよりも空気を読むことの方を重視するからな
波風立てるよりかは事勿れで行ってしまいやすい
アジア人は循環系=感情優位だから
感情に振り回される度合が強い=恐怖心を他の民族よりも強く感じる
だから、現実を直視したくない度合が他の民族も強い、
っていうことなのかも
卑怯なところもあるんだけど、その卑怯さは欲というよりも
基本的に恐怖に基づいているんだよね
そこに何かこれからを生きる日本人として大きなヒントがあるような気がする
河合隼雄が日本人はフィールドエゴで韓国か中国がファミリーエゴだってどっかで言ってたような。
自分より空気大事にするんだろうね。
空気の影響を強く受けるのも、循環系優位と無縁じゃない感じがするなぁ
個人的には、「空気」が個人の可能性を制限するようなところが大嫌いだったけど、
もう一歩踏み込んで、何故そうなのか、その上でどうすればいいのかを考えると有用かもしれない
人間の「気質」を形作る基底はなんだろう?
気質はどこに書き込まれている?
肉体?エーテル体?アストラル体?自我?それらすべて?
自分の気質っていまだにわかんないな
>>297 「気質」というのが「民族の気質」を差しているのであれば、民族心魂はエーテル体の中に生きてるからエーテル体なのでは。
多血質、胆汁質、粘液質、憂鬱質の組み合わせからなる個人の資質もエーテル体かな
うん。辞書にはそうあるね。
前世のアストラル体が原因で今世のエーテル体が決まるらしい。
まぁ、エーテル体は物質にもアストラル体にも影響を及ぼすしその逆もあるだろうから、その意味では全てが関係すると思うけれど。
エーテル体の上部は憂諺質、中部は粘液質と多血質が交差し、下部は胆汁質である。
って用語集に書いてるね
用語集って、ドイツ語文献としてあった何冊かの用語集を底本にしてまとめたんだね
あらゆるシュタイナーの著述を読んでまとめたとしたら
一人の人間の仕事量をはるかに凌駕してるんじゃないかと思ったけど
プラウト経済主義_bot :
自分が取る行動の動機を自己探求すると、
それが自我による行動なのか無我による行動なのかが認識できる。
動機がどちらかから発せらたものなのかを把握することは、
自分の現実を直視するということであり勇気がいるが、
直視することが出来れば精神面を向上させることにつながり自分を無我へと近づける。
シュタイナーっぽい。
プラウト経済主義botが
肉食があらゆる病気の原因だとか言ってて
シュタイナーよりもラディカルだと思った
というかシュタイナーは穏健だよね
なにかを教条的・一律的に禁止することがまったくないから
土星紀のカルマが今にも反映しているというけど
土星紀の人間にとっての善や悪ってなんなんだろう・・
そんな昔のこと気にするな
シュタイナーの言う○○根源人種というのは生物学でいう原人や旧人のこと言ってるのかな。
またレムリア人、アトランティス人とはどういう関係にあるのか。
テレビとか付けっ放しにしてると
しばしばその音声に影響された夢を見るけど
そういう外部の影響を受けた夢は記録する意味あるのかな
啓示的なものでも内的な表現でもないから
あんまりなさそうだと思うけど
夢は玉石混交
神経症の症状が殆どですからね
神経症の症状とは?
そんな不健康なものでもないと思うけど
まあ、テレビつけっぱなしで寝るのが健全な寝方でないという事は言える気がする
夜見る夢と違うでしょ?
ん、そういう意味?
夢というものは総じて神経症の症状だといっているのかと思った
たしかに、声を流したまま寝るのはよくないだろうね
シュタイナーの著書を聴きながら寝ることも時々あるけど
そういう時はなんか疲れの取れ方の度合が低い
寝ている人に話しかけるのはよくないという俗説も故のないことじゃないと思う
あ、いや
>>310 は自分ではないので、解釈が間違えていたらごめん
でも、どう考えてもそれだけでは意味がわからない、物語的な夢っていうのもあるよね
最近のテレビにはスリープタイマーがついていると思う。
ついていない機種もあるのかな。
そんなことよりジャガイモの話しようぜ!
私は意志という語によってショーペンハウエルが実際には神・造物主を意味していること、
神は盲目的だと言っていることを確信した。−自伝−
(ユングbot)
数年ぶりに『シュタイナー経済学講座』を紐解いてみたら、以前は全く理解できなかった箇所が
理解できるようになっていてビックリした。
自分がこの本に出会ったのは学生時代のこと。当時は全く理解できなかったものの何か重要な
内容が含まれていると思い、本棚に大事に仕舞い込んでいた。
その後、就職し、何度か転職を重ね、自分なりにマクロ経済や現実の商慣習や労働慣行につい
て考えを巡らすと同時に、社会人として苦労をいっぱい味わって現在に至る。
そして、昨日、偶然この本を紐解いてみたんだけど、内容が分かること、分かること・・・
シュタイナーが如何に愛深い人だったかよく分かった
しかし、現代の日本の常識的な人々にとってこの本は危険な本だとも感じた。
日本の常識的な人々は自身の生活の糧を得るために懸命な努力をする反面、落ちこぼれた人た
ちを切り捨てることについては本当に容赦がないから。
労働を礼賛する人たちは「働かざる者食うべからず」という言葉を好んで使うけど、そういう言動の
非道徳性をシュタイナーは暴いてしまっている。
そもそもこのスレにいる人たちはどんな仕事をしているのだろう?
シュタイナー思想に真面目に取り組めば取り組むほど、現代の弱肉強食社会では居場所が無くな
ってしまう気がするんだけど・・・
吾輩は高等遊民です。
輝きは戻らない… 私が今死んでも
>>283 >事実として、日本は近隣諸国の領土に侵入し、一定期間そこを征服した
>一方日本は近隣諸国に征服されたことはない
マッカーサーが厚木に降り立って、GHQに占領統治されたわけですが・・・・
侵略と戦後処理のための占領は全然意味合いが違うと思う
>現代の日本の常識的な人々にとってこの本は危険な本
それはそうかもしれない
シュタイナーも
「精神的なもののお陰で人生が生きにくくなる、というのは確かです。
しかし人生を難しくするにもかかわらず、精神的なものは、
たとえ小さなサークルの中だけであったとしても、かならず社会的影響力をもつようになります。」
と「社会の未来」で言ってるけど
易きに流れないのだから、当然生きるのが「難しくなる」と思う。
でもその難易度は、嬉しい難易度っていうか。
易きに流されている時に違和感や不快感や虚無感を持っていて、
だからこそ人智学にたどり着いたのだから、
その難しさこそ、自分が求めていたものなわけで
非人智学的に生きている他人を責めないということが、
多分すごく大切なことだと思う
というか、思うようになった。
人智学と出会ったばかりの時は、
人智学を善の陣営、そうでない、かつて自分がそうであった人々を悪の陣営に分けて、
内心激しく批判していたものだけど。
ただそういう時期もまた必要だったと思う
シュタイナーを知ってから三年すぎた
その間ずっと「分からなかったことが分かってきた」っていう体験だけがあって、
分かりきって色あせて見えるとかいったことが全くなかった
>>323-324 確かに現代は批判の時代であるけれども、我々人智学徒は他者への批判的な思いを
抑制すべきですね。
その点については同意です。
ただ自分が興味があるのは人智学徒たる皆さんが現代のカネの世の中でどう折り合いを
つけて生きているのかということです。
シュタイナーによれば賃労働の存在自体が誤謬の産物であり、全ての社会闘争の根源的
原因になっているわけです。
ですので、このスレに書き込んでいる皆さんの中にいわゆる経済右派のような人々はいな
いと思っています。
ですが、今の世の中、経済右派じゃないとなかなか肩身の狭い世の中になってます。
自分もそこそこ規模の大きい企業に所属していたのですが、いっぱい踏み絵を踏まされて
瀬戸際まで追い詰められて今に至っています。
一方で、こんなご時世でもシュタイナー思想に真面目に取り組んでいる人達がいるわけです。
このスレの人達はどういう世渡りをしているのだろうかと不思議な気持ちになります。
本当、どうやってるんだろうと・・・
自分はもともと自営なので、人智学を学ぶことで発生する抵抗は、会社勤めをしている人よりは小さかったかもしれない
それでもそれまでの仕事に疑問を持たずにはいられず、
かといって何がいいことなのかも分からなかったので、
金を儲ける方向の努力に関して足を止めた
結果当然ながら、みるみる収入は小さくなっていった
で、最近ようやく、するべきことが見えてきたかも?という感じです
自分が勤めてた所はどこも落ちこおぼれた人に追い込みかけて退職させてました
そういうのを怖いわーと思いながらドン引きして見てました
踏み絵を踏んだこともあります
それが心のしこりになって退職したこともありました
色々な職場を転々としています
ここしばらくは大体1年働いて1年休むってパターンになってます
その経歴を面接の時になじられることもあります
今は派遣で工場勤務です
でも自分は心の中で自称経済右派です
弱者を肉にできないこともまた悪である場合があると思っています
自分は自分の無能さを嘆くことにしています
>>326 一年毎に転職してキャリアを順調にあげまくった。
で、ある程度経験積んだ後に給料下げまくって入りたい会社に入った。
以前の会社までは本当に地獄のようだったけど、今はやりたいことやっているので幸せ。
会社もフラットでクリーンで創業者の人格が高く変人だから居心地がいい。
ある程度独立性があって、自由な仕事を選ぶようになっていくのかな
悪しきルールがはびこっている時に
ルールに沿えなくなる、あるいは沿うのが難しくなる、というハンディキャップはあるけど、
本当の意味での生産性は人智学を学ぶことで長期的には上昇するから、
それでカバーできるんじゃないかと思ってる
「教育の基礎としての一般人間学」で言っていた意志の階梯
肉体の中で、本能
エーテル体の中で、衝動
アストラル体の中で、欲望
自我の中で、動機
霊我の中で、願望
生命霊の中で、意図
霊我の中で、決断
これがいまいちよく分からなかったけど、
本能〜動機は、下部から上昇してくる意志
決断〜動機は、上部から下降してくる意志
じゃないかと思った
そして霊我以上の意志は、カルマ的な意志だろう
自分を人智学に出会わせたのも、この種類の意志だと思う
>>330 現代は比較的、独立性を持っている人が自由に生きやすくなってると思う。
悪しきルールがはびこるなかでは、本当に苦痛で死にたくなるけど、その中でもそのルールに盲従している人より生産性高く生きれる自身はあるし、結果は出してると思う。
私の場合、まともに生きたいだけだったのですが、そのためには、個人の努力も大切ですが、環境も同じか、それ以上に大切だと思う。
その環境を如何に見つけ、その環境で生きるために自分は何をするのか、それが私の場合は大切なことでした。
悪しきルール上の、収益性にのみ還元された「生産性」って
本当は生産性でもなんでもないものね
それに依存しきった人は、それが最後の命綱のように見えるから、余計にしがみついてしまって
本当に全部が駄目になるまでその糸を離そうとしない、ということになりがち
地獄から延びた糸への依存をいかに下げていくかが重要なんだと思う
とはいえ、悪への傾斜を警戒しすぎて収益性を無視する、これもよくある過ちなんだけど
「しがみつくしかない人々」によって悪がなされることはシュタイナーも喝破していて
社会有機体三分節化の中で、余剰資本を人々の教育に充てろと言っているね
当たり前のことだと思う
でも、しがみつく人々の中に陰画的な善が輝いているとも最近は思う
俺は人生に不真面目で、しがみつくことすらしなかったから。
それだけ虚無が深かったからこそ、人智学と出会ったともいえるけど。
唯物論的世界観の深度でいえば、彼らよりも俺の方が深いところまで墜ちていたと思う。
シュタイナー思想と出会ったのち介護関係に転職
前職は人と殆ど関わらない短調な仕事で狭い人間関係の中でイライラ悶々としてた
今は日々学ぶ事がある、日々振り返れる事がある、多くの人間と関わる、僅かではあるが日々進歩が実感できる
心に黒いものがわく日もあるがそれを洗い流す出来事もある
自分は独身で多くはないが親の遺産をアテに出来る身なんで高給でなくても可
前職も大した給与ではなかったんで今の職場につけてラッキーと思ってる
傍目には自分みたいな事言ってる人間はどう映るか知らないけど
あと、きつい仕事なんで健康に気を配るようになった
食事、ストレッチ、睡眠の時間が増えて、だら食いやテレビやネットする時間は全体的にかなり減った
ただたまにネットすると介護板覗きまくりで今日のように時間忘れる時もある
まあ書き込みしなけりゃいいんだけどな
自分の場合同僚とはそんなうちとけてないので言いたい事があるとネット覗いてしまう
誰かがネットしてる時間は時間の脂肪だと言ってたが一理ある
時間に脂肪のついた過ごし方をしていれば、来世かいつかにそれは何かに帰ってくるはず
ネットは情報集めには使えるけど
それ以外ではネットやらテレビの娯楽は自分を受動的な豚にするだけだ
そう思ってネットテレビ視聴時間を減らしたら頭がスキッとして調子よいわ
同じ受動態であるにしろネットテレビよりは昔の名画でも見てた方がなんか精神的によい
それで変なつまらん人と思われてもいい
自分が生活の中で無自覚に受け入れるあらゆる情報の洪水をできるだけカットしてしてみると
本当になすべき事がわかってくる感じだ
神話や民話に出てくる「〜の精」ってなんで人間っぽくなるんだろう
つまり人格を持ち、話すようになるんだろう
四大にアストラル体や自我はあるんだろうか?
ネオプラトニズムの宇宙観、マクロコスモスとミクロコスモスの照応って
言い換えると「全宇宙の人間化」だね
物質や植物や動物を人格化する童話やファンタジーはその直系にあると言えるかも
「愛」は抽象概念で、そのままでは伝わりにくい。
贈り物、愛撫、抱擁などの譬喩表現によって、愛は伝わりやすくなる。
精が人間っぽいのも、伝わりやすくするための譬喩表現なのだと思う。
>>340 火の精には自我、アストラル体、エーテル体、身体があるらしい。
グノームは身体とそれ以下の構成要素、とどこかで読んだ記憶がある。
ようは、四大精霊ごとに違うようだ。
少なくとも火の精には人格はあるだろうね。
人と構成要素が同じだから。
グノームも叡智存在だから悟性魂ありそう
むしろ悟性魂そのもの?
グノーム自体が叡智を人が事物を見たら視覚像になるように、直接得てるのかと。
「植物を通して。」
叡智を得る経路が悟性魂とは別だと思う。
自由な存在とは、自分が正しいと見なすことを欲することのできる存在である。
(「自由の哲学」)
これは人智学で一番重要な言葉かもしれない
記憶はエーテル体にあるから動物にもあると思うが・・・
記憶プロセスの中で自我が重要な役割を果たすということでは
アストラル体の体験がエーテル体に刻印はされるが、それを自由に取り出すのは自我の側ってことなのかな。
ここらへん、詳しく説明してほしい。
シュタイナーBOTが存在して3,000人以上がフォローしている事に驚き。
俺もフォローしてるけどTwitterって最初
だけで今ほとんど見てないわ。
このBOT量が多すぎて読み切れない。
制限かける設定は出来ないのかね。
1日に1回で十分なのだが。
同じ言葉でも段々違った風に見えてくるのがおもしろい
似たようなことだけど、本を読んで気になって抜書きして
数年後その抜書きを読み返すと、その意味がはっきりと分かる、みたいなことがあるね
そういうのは特別な本なんだろう
サルは人間の言葉理解できるが記憶がないとはどういうことかね。
芸を覚える犬に関しても、シュタイナーはそれは記憶に見えるが実際は記憶ではないみたいなことを言ってたな
俺もまだよく分からないけど、
人智学的な意味での記憶を理解できれば納得できることなんだと思う
個体による性格の違いはあるんだから、
動物にも自我があるという考え方をするのは不自然ではないと思うけど
人智学では人間の自我と動物の個体固有の性格をはっきり区別する
それと似たようなことなんじゃないかなーと思う
Twitterのシュタイナーってどれをフォローすれば良いんですか?
いっぱいいるんですが。。。
>>360 @R_Steiner_jp
これかな。
思考とは、木に咲く花に似て、造形力の最も繊細な進化にほかならず
―n値における普遍的自然力にほかならない。
思考器官は、世界を産出する部分―自然の生殖器―である。 『一般草稿』
(ノヴァーリスbot)
こんなこと言ってたのかー
人智学のかなりコアな言辞と重なっているね
自我が思考するのか
思考する事そのものが自我なのかハッキリさせたい
あとシュタイナーの言う「普遍的な思考」の意味がよく分からない
365 :
考える名無しさん:2012/10/23(火) 21:17:55.98 0
それ結局つまらないね。
>>364 恥ずかしながら3回ほど読んだけどチンプンカンプンだから付箋だらけだよ。
しかし何故か読むと幸福感が湧いてくる良書だ。
本文に「どんな瞬間にも自分自身に従える人間だけが自由なのである」とあるからそうするわ
とても危険な言葉だが、正確に理解すると大きいと思う
自分自身=自分の中のもっとも賢明で、もっとも信用できる部分、ということだよね
良心、とも言う
自由であることは難しいなぁ。
今世では無理だ。。。
多くの人の臨終を看取ってきた医師が言うには、大概の人は死ぬ寸前に「もっと自分の
思うようにやれば良かった。もっと恐れず飛び込んでいけば良かった」って思うらしい。
特に日本人は集団主義だから、いろんな外在的な掟に雁字搦めになって、自分のやりた
いことや信じる道に進めない人が多いように思う。
俺も以前は周囲の目を気にする典型的な日本人で、常に自分が正しいと思うことを周囲
への配慮で引っ込める悪い癖があった。
だが、病気になって死を覚悟するような状況を経験してから考え方が180度変わったよ。
世間への恐れが消えて、自分の本心に従うことこそが最上の価値だと思えるようになった。
そして、今では周囲から批判されても、自分の心から望むことを追求するようになった。
まぁ、そのせいで周囲からキチガイとかモンスターと呼ばれるようになったがね。
だけど、自分こそが価値の決定者なわけだから、周りが何と言おうがどうってことないけどね
久しぶりのレスに噛み付くようで申し訳ないのですが、
利己主義者とシュタイナーは無関係かと思いますが・・・。
俺が利己主義者なのかな??
俺は自分自身の個人的な事柄について自分の趣味嗜好に基づいて自己決定してるだけ
なんだけどね。
今の世間ってさ、俺の趣味嗜好の個人的な問題にまで立ち入ってくるんだぜ。
昔の日本社会ってここまで無粋ではなかったと思うんだけどね。
今の日本の雰囲気ってシュタイナー晩年のナチス政権台頭の頃と似ていると思う。
集団主義による個人の自由への侵害が執拗に行われているように思う。
真の自由主義者ならば今の日本のファッショ化を憂うべきだと思うんだが
別に利己主義者とは思わないよ。
もし利己主義者というなら世のほとんどの人はあてはまる。
利己主義の対極とは言わないが道徳を規範や目標として
生活を送っているやつなどほとんどいない。
メディア的には近く距離的には遠いが外国で子供が飢え死に
しようが夕食は平然と好きなものをおいしく食うことが出来る。
それがほとんどの人間の有様だよ。
>利己主義の対極とは言わないが道徳を規範や目標として
>生活を送っているやつなどほとんどいない。
俺もそこまではいかないけど、邪な考えを抱かないことや規範から過度に逸脱しないように自分を律する
くらいはしているけどね。ただマザーテレサみたいに常に積極的に善行をしているわけでもないけどね。
そんな俺は今の日本の政治状況、社会状況を見て憤ることが多いです。
人智学を勉強している皆さんの目には今の日本ってどう映っているんだろう??
憤ったり、反発を感じる時点で修業が足りないのかなと思う時がある
>>372 私の趣味趣向から言うと、あなたからはシュタイナー的なものをあまり感じない。
もちろん、シュタイナー的なものが良いと主張するつもりは毛頭ないですが。
ちなみに、私はこのレスを返すことであなたと、私と、それに関わる全ての事象で「何が生じるか」を見越した上でレスしているわけではない。
だから、私にとって自由はまだ難しい。
なぜなら、それが見えないと私は何か外的要因や動かされることから免れないから。
ただ、自由に出来るだけ近づくことは出来る。
だが、近づいていること=自由なわけではない。
より、自由ではあれ。
シュタイナー的って言ってもねえ。シュタイナーに興味
を持って結構勉強?してる人もシュタイナー的な言葉を
言ってもシュタイナー的なものを感じることはほとんどないねえ。
悪いけど率直な意見だ。ちなみにシュタイナーの知識は豊富な
俺でもシュタイナー関連の講演会や集まりには顔を出すけど
自分自身もシュタイナー的なものはない。
人智学とでもアントロポゾフィー協会員でもなく共通な理想も
持っていない。ほほすべての人は上で出てきた個人的、利己的
な理想な上に学習してるか興味を持っているの人がほとんど
だと思う。
なごやかさと言うのは雰囲気的にいいことだが、えてして興味の
集団では真剣さには欠ける。そういう面ではシュタイナー的な
ものは人間の中からあまり感じない。
今は興味、関心の段階で普通の精神的、根的に生活を
送っているならシュタイナーそのものにこだわる必要はない
と思う。個人的にはシュタイナーが言ってることを受け入れた
として理解し人間および生活が大きく変化するなど個人の
一生では難しい。ただ学ぶ、理解しようとする価値は大いにある
と思う。
遊んで帰ってきたから半眠りで誤字脱字がいっぱいだ。よみにくくてごめん。
>>374 >人智学を勉強している皆さんの目には今の日本ってどう映っているんだろう??
>憤ったり、反発を感じる時点で修業が足りないのかなと思う時がある
どちらかと言うと、外に何かを求める以前に自分がダメダメだから、視線はまだ自分に向いている。
そのうち、社会に対して何か贈り与えられるようになるかもしれないけど、それまでは私にとってはあまり当事者意識の持てないトピックスな感じ。
深くコミットしてるけど、どこかで他人事のような。
もちろん、手が届く範囲ではできる事は意識してやるようには心がけてるけど、批判的な視点で日本を見る、ということに関してはあまり興味が持てない。
>>377 誤字脱字より、書いてる内容に込めた内実が全てだから気にしないでよいと思うよ。
明日、読み直してみて後悔しないならそれで今のところはOKだと思われ
>>374 反発や憤りを感じるのは当然のことで修業とは関係ないと思うな。
ただそれを社会の中で個人的にどうかかわり合うかが問題だと思う。
上でごちゃごちゃ書いたけどレスをたまにずっと読んでみるとシュタイナー的な
人間はいないけど真面目に物事を考えるてる人は多いと感じるな。
理想はなんでもそうだけど同じ考え理想のもとに個人でなく集まりとして
社会にかかわる、当然よい進歩に向けてだけどね。
宗教、教育、農業、医療だとそういう集団、集まりは動きが前からあるね。
でも統合はされてないようだけど。
>>379 救いがある言葉だ。後悔はいつもないが反省がいつもあるw
>>381 それは良かったw
私の場合は、後悔があるから反省が生まれます。
反省が大切なんですよね。
寝る前にもう一言。これはまったく俺個人的なシュタイナーをずっと
勉強?してきたうえでの考え方だが
もしシュタイナーを勉強、より理解しようと思うなら、他人、社会、
もちろん身近な家族も含めてだが自分以上に関心を持つ、「
関わる努力をすること
(もちろん自分の押しつけのようにありきたりなものではなく)
は必須、避けて通っては行けない。
これだけは確信を持って言える。もし行を長く行ってる人には
かなりの苦痛を感じるが
これだけは確信を持って言えるってことかなあ。
個人にも社会にも大きな不安が個人的にはある。それを払拭して
勇気?この言葉が適切かどうかわからないがギリギリで
試されてるような気がする。これも俺の場合だけどね。
シュタイナー関係なくみんなそうだよ。
おやすみ^^
最近は新しいシュタイナー本を読んでないけど
自分にとっての発見をした時、
それが必ずといっていいほど人智学と共振していることに気づく
自分にとって人智学はそういうもの
いや出会った時から、そういうものだった
シュタイナーが短命だったってのが気になるな。
短命の神秘家はどこかで道を間違えたんじゃないかとたまに思うことがある。
優れた神秘家は長生きをする、という価値観はどこから?
単に長生きしようとすることは、単に金を貯めようとするのと同じように見苦しいと思う
むしろいい人は長生きしない印象があるな
エンデも65歳没で、早い方だし
魂の永続を信じない神秘家はいないと思う。
もちろん。
肉体の永続ではく魂の、ね
キーポイントは霊と魂の区別だな
霊的であることが自由で、魂的であることは不自由にとどまる
霊的であることが道徳的で、魂的であることは善悪定かならず
霊は永続して輪廻転生を共にし、魂は死後魂界に解消される
ニュースを見て民族霊や時代霊(場合によってはルシファーやアーリマン)にまで思いを致すか、
政治家官僚やその他の人々の魂に気を留めるに過ぎないか
では死ぬと霊体を持ったままで魂を失うの?
意識とか心、思考はどうなるんですか?
カトリックの煉獄と言われてる領域はアストラル界を差している。
煉獄では、身体的欲があるのに、身体がないから苦しむ。
また、生前の内面が裏返り、自分の周りの環境になる。
そのような世界の中で欲を浄化しきったら、魂を捨て、霊だけが神界に入る。
自分はそう理解してるな。
意識、心、思考、といっても現在の人間の状態のそれを指す単語だから、それらは変容するんでしょうね。
ちょっと関係がありそうな部分を見つけた
「死について」P81
死者の自己意識
エーテル体を脱ぎ捨てた死者の自我とアストラル体が、次第に死後の意識を完全に
発達させていくとき、ーーそのときは死後それほど長くはかかりませんーー、そのときの人間は、
物質界における時のようには自分と向き合っていません。物質界での人間が眠るときは、
自分に対して無意識になっています。そして目がさめると、自分は自分である、自分の中に
「私」が働いている、という意識を取り戻します。死後の霊界においては、事情が異なります。
自我もしくは自己に意識して向き合う点では、朝、目覚めと共に自分のことを意識するように、
霊界においてもそうします。けれども死者にとっての自己意識とは、死の瞬間を意識することなのです。
死者はいつでも、死から新しい誕生までの間、自分の自我を知覚するとき、「お前は死んだのだ」、
と確認しているのです。
たしかに人智学的には霊と魂は別のものだけど、
388=386?は、魂の永続と肉体の永続を同一視していたのでは?
人智学の外にいる人に対する言葉として、ほぼ霊や精神と同一視された一般的な用語として、魂、という言葉を使ったんだけどね
もちろん人智学的には、永続する部分として霊があるんだけど
395 :
388:2012/10/28(日) 00:09:08.59 0
自分は、魂の永続について書きましたが、肉体の永続については全く念頭に置いていなかったし、
そのことについて言及してもいません。
魂が永遠のものであるならば、肉体の生存期間が長かったか短かったかは、大きな問題ではない
と思っています。
そう
386の意見を受けて書いたのかな?と思ったのだけど、そういうことじゃなかったんだね
生存期間の長さ、短さ、はどうでもいいけど、シュタイナーレベルの人間は使命を持ってるから「人類の未来に対して何を行えたか」は非常に重要だろうね。
>>393 >死者はいつでも、死から新しい誕生までの間、自分の自我を知覚するとき、「お前は死んだのだ」、
>と確認しているのです。
生前の出来事を振り返ることによって自己意識を持てる、ってことなんだろうね。
生前はアストラル体のイメージがエーテル体に反射されるから意識が生じるけど、死後はそのエッセンスしかないから、それを通じて意識を持つってことなんだと思う。
たぶん。
死後の自我ってのは、生前に理念として取り込まれた自我ってことでいいのかな?
自我は自我だよ
ごめん。自我意識と混同してたかも。
自我意識と自我の違いが自分もちゃんとまだ整理出来てないんだよなぁ。。。
自我意識と頭(身体)の関係やアストラル体とエーテル体の関係。
それと独我論的な自我の違いや、精神界にある本来の自我の関係など。
鉱物の意識が没形態神界に、植物の意識が形態神界に、
動物の意識がアストラル界に存在するように、
人間の自我意識は人間の本質の第四の構成要素として物質界に存在しています。
人間の自我の中にはいかなる他の存在も、他の意識自我も侵入してくることはありません。
(「薔薇十字会の神智学」)
自我意識は物質界にしかない?
「意識」はそうなんじゃない。
物質的身体、エーテル体を含んだ人間のありかたは物質界じゃないと実現できないわけだから。
ただし、本当の自我は精神界から物質界に働きかけてると何処かで読んだような気がする。
自分の意識とか思考、心っていうのは死後も続くんだよね
でも何で前回死んだ時の生活の記憶とかそういうのは残ってないんだろう?
死んで霊体になったら全部思い出すのですか?
ペルシア文化期ぐらいまでは思い出せたらしいけど、人間の意識状態が変わったからだと思う。
エジプト・カルデア文化期では個我が感受魂の中に入り、ギリシア・ラテン文化期では悟性魂の中に入り、その時代に特に死から再誕までの意識が暗かったみたいだから関係あるかも。
今は意識魂でこれから上昇の道にはいるのかな。
将来、人間に前世を記憶する器官ができるというけれど。
>人間に前世を記憶する器官ができる
記憶にないな
書名わかる?
下降と上昇の中で進化するのが人智学の世界観なので、
かつてあった能力が再び別の形で取り戻されるというのは自然な考え方かもしれない
>>407 >書名わかる?
う、結構書籍持ってるから探すの大変なのでわからない。。。
まぁ、先のことなんてどうでもいいじゃないですか。
今の自分が心にかなって正しく生きてるのなら。
私たちは自由になる存在なのだから前世が分かるようになって当然ですよ。
今の行為が未来のカルマをどのように生むかも分かるようにならないと、本当の自由とは言えないから。
まぁ前世の認識方法も人智学が扱っていることで、
そして人智学は未来の人間の能力を先取りしようとするものだから、
前世を認識できるようになるという考えは人智学的には自然だろうね
>>387 エンデは神秘家とは言えないと思う。
ここでは霊能者という意味でしょうね。
まあ一つ言えるのは優れた神秘家がすべて長寿ではないが、
優れていない神秘家は皆短命であるとは言えると思う。
あまり関係ない。
私もそう思う。
それだと長寿の神秘家は皆優れてることになるよ
そんなわけはないと思う
何を根拠にそう思ったのか不思議
たとえばインチキ神秘家を考えてみる
本当は神秘家じゃないのだから
優劣に関わらず長生きする場合もあるだろう
明らかに「良くない神秘家」なのにも関わらず
そのインチキ神秘家は長生きするわけだ
そもそも優れていない神秘家って
それ普通の人じゃん
普通の人なら寿命と神秘家的優劣はもちろん関係ないわけで
純粋に論理的に矛盾してるよ
神秘主義に熟達していることとその人の肉体的寿命の間に相関関係は無い
ということでFA
ここの人は全てを神智学視点で見ようとし過ぎてると思うの
広範で把握しにくい人智学の世界観を
みんなで理解しようっていう場所なんだから
それが当たり前じゃん
シュタイナーと無関係の独自の世界観なんて
少なくともこの場所で話すことじゃない
他人がそれを持つことをもちろん否定はしないけど
>>414 そういう意味じゃないだろ。
具体例を挙げれば新興宗教の教祖
寿命と引き替えに悪魔に魂を売れば長生きは出来ない。
つうか神秘主義の知識の中には健康法や長生きの秘訣もあるはずなのねん。
>>418 もっと素朴なところに足をつけろっていってるんじゃないの? 417は。
そんな単純な勧善懲悪は存在しないと思うけど。
長生きする悪人なんていくらでもいるだろう。
そもそも何で「長生き」が「ご褒美」なんだ?
人智学が健康を説くのは、自分の仕事を十全に果たせるようになるためで、
無目的に単に長生きするためじゃないよ
長さで人生を評価する価値観自体、人智学以前のレベルで同意できないな
それは違うと俺は思う
>>421 いや単に自分が何かを気に入らなかっただけだと思うよ
シュタイナーも健康になるための方法について語ったことはあったけど、
長生きするための方法なんて一度も語ってないと思う
ようは自分に与えられた寿命を縮めるような生き方をした神秘家がいたら、
それは本質が見えていないと意味で優れているとは言えないと思う。
寿命を縮めるといっても、動機次第だね。
内的要因だけだと長生きは生き方の結果かもね。自然な生は正しい。不自然な死は誤謬の結果。
ただし、世の中はそんなにシンプルではなくて、とてつもなく複雑。
光のあるところに闇がある。闇は死に物狂いに光を汚そうと試みる。
外的要因が見えないのなら、正しく生きてないと思う。世の中には外的要因がある。
意識魂の時代に外から内に視点を移すのは良いことだけど、「自分しか見えない」のはエゴの結果だと思う。
意識魂の時代だからこそ、私達は偶像に気をつけないといけない。
言葉遊びではなく、これは誰にも当てはまる。
そもそもキリストはどうなんだって話だし。
もちろん、内的要因といっても自分のカルマや他者のカルマを含めるともっと複雑。
単純化(偶像)が癖になるほどの悪習はない。
シュタイナー教が生まれる時にシュタイナーが死ぬ、と言い換えても言い過ぎではないと思う。
長生きするための方法なんてシュタイナーは語らなかったんだから
「シュタイナー教」でも何でもないと思う
多分他の神秘主義を囓った人じゃないかな
優れた神秘主義者ほど長生きするとか、いかにも通俗的神秘主義者が言いそうなことだ
そういう意味ではないのです。
>>428 >意識魂の時代だからこそ、私達は偶像に気をつけないといけない。
>言葉遊びではなく、これは誰にも当てはまる。
優れた神秘主義者は長生きするが、時には、短命な人もいる。
本人が望んだ場合である。
キリストみたいな例外は別として、シュタイナーが短命である必要性がまったく見出せないんだよね。
いか超の続きも書くつもりだったみたいだし。
「シュタイナー 死因」で、ネットでちょこちょこと調べてみたら、ナチスに毒を盛られた説と、
過労説があった。きっと、みんなのために働き過ぎたんだね。世界への奉仕を最優先事項とし、自
身の健康を犠牲にすることを厭わなかったのだろう。
生涯何万回にもおよぶ講演のあと、シュタイナーのまえにはたくさんの人が「身の上相談」の列をなした。講演旅行から帰ると自宅のまえにも相談者が群がっている。シュタイナーは時間の許す限りひとりひとりの話しに耳を傾け、真剣にアドバイスしたという。
http://ameblo.jp/akiramania/entry-10016939943.html また、64歳没なら当時としては短命というほどでもない。
だからなんで長生きすると思い込んでるんだよw
根拠は何なんだ
せめて80までは生きて欲しかったな。
誰かに対して長生きして欲しかったと思うことはないなぁ
シュタイナー以外の、誰の対してもだけど
その人の運命を否定するみたいで抵抗がある
身の上相談し過ぎて過労死ってどんなんだろう。
苦労を抱えてる人や辛い思いをしてる人の話を聞くと酷く疲れるよね
恐らくはそれで寿命を縮めたのだと思うな
毒物混入もあったと思うけど
シュタイナー自身は80歳まで生きるつもりでいた。
というか寿命があると考えていたみたいだ。
毒を盛られたという説もあるが噂の範囲を出ない。
ゲーテアヌムはシュタイナーが心血を注いだ霊界と
物質界の合一を表現するいわば人智学の殿堂になる
はずっだった。これは人類にとっても同じで、まさに
物質会に現れた霊界にそのものになるはずだった。
焼失と共にその殿堂が霊界に移ってしまったのを観て
シュタイナーは人智学のいわば一種の試練とカルマを
見たとき、また自分のそれを見たとき受け入れ
晩年精力的に講演活動を行った。
体力的にはかなりきつかったがその読書量と活動量は
まわりからみても並外れていたという。講演をしてる
ときのシュタイナーは普段の状態の時とはとは別人の
ようだったとも言われどこからこんな力が出てくるのか
まわりが不思議に思ったようだ。
もし第一ゲーテアヌムが焼失をまぬがれていたらシュタイナー
が最初思っていたようにそこを力の源泉に80歳まで生きたかも
しれない。
パーティーで飲み物を口に含んで、すぐに毒物が混ぜられていると気づいてはき出した、
っていうエピソードを読んだ記憶が。
たしか高橋氏が語ってたと思う
シュタイナーの著作や講演録を見るだけでも
一人の人間の活動量として想像を絶していることは分かるね
質だけじゃなくて、量もものすごいという
オカルトビジョンでなぜ毒を見抜けなかったのかと思えてならないです
人を疑わないのが人智学の教えだからね
そのことで毒を飲まされることになっても、疑えば良かったということもならないだろうし
そんな教えあったかなぁ
一人不思議な人がいるが、じゃがいもの食べ過ぎではないだろうか!?
じゃがいもばかり食べたらあかんよ
人を疑わないことと妄信することは別でしょう。
人にもらった食べ物をいちいち霊視するようなことをしていなかったから気づかなかったんだろう
じゃがいも嫌いで食べた事なかったが、シュタイナーの本を読んでから食べるようになった
脳を休ませてくれるらしいんだよね
マッシュポテトはうまい。
>>452 美味しいよね!
茹でて潰したじゃがいもにセイロンシナモンと大根砂糖を混ぜてフライパンで焼いて食べてる
香ばしくってやみつきだよ
シナモンと砂糖をいれちゃうのか。お菓子風?
大根が入るというのが不思議。
じゃがいも流行ってんだなw
複雑な事象の表面なぞったって水掛け論しかできないわな。
福音書読んでシュタイナーのキリスト像が出てこないのと同じ。
違う違う
大根砂糖というミネラルとかが豊富なお砂糖です
甜菜(砂糖大根)から採れた砂糖のことですね?
把握しました。ありがとう。
じゃがいも食べると多幸感あるのかな?
何かが緩むよね・・・気のせいかな
何も考えないでいいから楽が出来る
シュタイナーが行っていた相談や講演って有料?
もしそうなら相当儲かってまんな。
え?あぁ・・・そうですね
ぼちぼちでんな。
シュタイナーの4つの気質を読んだ事ある方は居ますか?
古くから継承されてきた性格論をシュタイナーがどう受け止めているか、また解釈しているかは
書いてありますでしょうか?
読んだけど忘れてしまった
今から読んでくる…(; ´)Д(`)
性格論。。。うーん。
最近、ここのスレは変わったねぇ。
「シュタイナー 4つの気質」でぐぐると、いろいろ出てくる。
古くから継承されてきた性格論って、具体的になに?
そんなものない。ヒポクラテス、ガレノスあたりの四体液質からの発展だろ。
古典占星術にも4っつの気質は出てくるけど。
それが性格論かというとちょっと違うと思うな。気質と性格は違う。
かなり頑張って読んだけど、性格論については書かれてなかったよ・・・(; ´)Д(`)
472 :
考える名無しさん:2012/11/07(水) 09:44:45.59 0
シュタイナーの守護霊は宇宙人らしいね。
俺の守護霊は!?
大体が地球のおっさんとかおばさん。
ゲェ
ネタだろう
なんだ宇宙人て
シュタイナーの守護霊に関しては私は関知しないが、
オカルト結社の中には、地球人の先祖は宇宙から来たという古代から伝承された知識を受け継いで
いるものがある。有名なところではトゥーレ協会。ここは、ヒトラーに入れ知恵した秘密結社とし
て不名誉な形で語り継がれているが、知名度は高い。他の様々はオカルト組織にも、この知識は受
け継がれていると思われる。
×他の様々は
◯他の様々な
>>477 だよねw
まともな人で宇宙人について語ってるの一人しか知らない。
まぁ、ダスカロスだけど。
シュタイナーの口から宇宙人って単語が出てくるの想像つかないw
初めてシュタイナースレ来たけど、
ざっと読んだら芋の話が大半占めててワラタw
オカルト板のひふみ(日月神示)板で野菜と肉の話ばっかりしてるのと似てる
スレの雰囲気もなんか似てるね 気のせいかもしれんけど
ラエルも宇宙人を語ってたけどあれはどうなのかな
ラエルの本は読むとなぜかガッカリしてくるんだけど・・・
頭の中身がじゃが芋レベルの連中ばかりが多いからだ。
ちなみに俺はさつま芋レベルだがな。
芋の話を振ったのは俺だ。ネタのつもりだったのだが。すまない。
シュタイナーは宇宙人については聞いたことないな。
もし地球外存在がいたらみたいな話は例えとして語ってるのは
読んだことがある。
ただ未来から来た存在については語ったことがあるようだ。
映画のようなSFじみた話とは違うが。
しゃべっていいのか分からないので内容については書かないけど。
シュタイナーはレムリア時代に人間が地球に住むのが難しい状況だった時に
一時的な避難のために太陽系の他の惑星に人間が移住したと語っているけど
それと宇宙人とは別物だよなあ
あと、神秘学概論のちくま学芸文庫版のP428に
(前略)感性的な流れに固有の働きを通して、「悪しき人間性」の形姿が生じる。
人間の魂がこのような形姿に受肉するとしたら、それは魂が自分でそう望んだ結果である。
だから感性的な働きが生み出す形姿に一人の魂も受肉しない場合も生じうる。
そのような身体に宿るには、どの魂もあまりに善良であったとしたら、そうなる。
その時には、悪しき形姿は、人間の魂ではない宇宙の何らかの魂の受肉を待つしかない。
とあるけど、これの「人間の魂ではない宇宙の何らかの魂」というのは宇宙人になるのかな
いまいちわからないな
シュタイナーが宇宙人について語らないのは
UFOとかの存在が騒がれる前の時代だったからだよ。
>>487 当時はUFOや宇宙人という概念が人々の意識の中にほとんど存在しなかったから、語らなかった。
全く認識できていない概念について語っても、把握することも理解することも不可能だから。
そういうこと?
単に知らなかった可能性もある
人間を中心に置いている以上違う進化系の存在の話は無意味。
人智学的より唯物的な宇宙観に陥ってしまう。
ただ違う進化系の存在が有益な関わり方でなく人間にかかわる話は一つだけ出てくる。
高次の存在はある意味宇宙人だよなぁ
大天使と一言でいっても分岐は色々あるだろうし。
そういう意味では死後の人間も、睡眠中の人間も宇宙人と言うことになるな。
そうかもね。
照合と呼称の問題だけかもね。
おまえらさ、
本当は龍蛇族なんだろ?
隠しても分かるぜ!
>>490 だね
人智学とは相入れないところがある
ただ地球が進化しているように、
他の太陽系外の星々も進化を辿っているのだから
宇宙に他の「人間」や「天使」がいるのも
人智学的にはまた確実だと思う
霊界には宇宙人みたいな形態の存在がいるみたいな話は聞いたことがある。
宇宙人とか言い出すと
ムー的な俗なオカルトに近づいていくようでイヤーンな感じがある
むう・・・
「聖杯の探求」を読んでるけど
これまた非常に消化しにくい
シュタイナー本を読むたびに、いつも言ってるような気がするけど。
謎めいた言辞を最初に出して、
それについて徐々に理解させるという方法がシュタイナーの語りだけど
最初に出される言葉の謎めき具合が半端なくて、
いつもより多く「???」ってなる
シュタイナー本の読書は
分からなさを分からないまま背負っていかないといけないから
集中力がいるんだよね
だから額に汗して読めとシュタイナーも言ってる訳だ。
あれだけ講義したのにシュタイナーがなぜか語らなかったこと
・地球外生命体
・ヒーリング
・物理的心霊現象
・セックスやオナニーの良し悪し
地球外生命体、物理的心霊現象(シュタイナーは、こんな言い方はしないだろうけど)は
490 で結論でてるよ。
性については間接的に触れてる。
物理的心霊現象は唯物論だと言っているね
霊を物質界に現象するものだというのだから、そりゃそうだけど
物理的心霊現象と言っても幅広いよね。
俺はキリストが行った空中浮遊や水をワインに変えるなどの仕組みが知りたっかったのだが。
>>506
シュタイナー読め。らしきことは書いてあるぞ。
キリスト空中浮遊なんかしたっけ?
麻原かよw
水の上を歩いたんだろ
あれは空中浮遊じゃないと思う
浮遊なら水面に足を着ける理由がない
キリストが空中浮遊出来ることなんて当たり前なんじゃない。
もちろん水の上を歩くことも。
でも、そういうのに興味を持つのは唯物だけだからどうでもいい。
そもそも、わざわざ自分の身体をを浮かせる必要なんてどんな時にあるのだろう。
アストラルトリップすればいいだけじゃんw
奇跡と唯物論は違うと思うけど
理解しにくいシュタイナー本を
音読すると理解しやすくなることを発見した
一人になれるところじゃないとできないけどw
声に出して読んでると、疲れてくるけど
これってもともと講演なんだよね
この長い文章を全部話したと思うとシュタイナーすごいと思う
慣れた人にはほとんど自動的なことなのかもしれないけど
唯物論者ほど空中浮遊を否定する立場だろ。
そういうのに興味がないと言ってる方も唯物論。
これって本人気付かないらしいな。
ちんくる?だと文字化けするらしいよ。507
空中浮遊は麻原のイメージがあるから馬鹿っぽい
奇跡を信じようと信じまいと物質にしか考えが及ばないのが唯物論者なんだろう
人智学の立場だと、太陽神キリストがナザレのイエスに受肉したのがキリスト=イエスで
キリストの霊はしばしばイエスから離れて使徒たちの前に現れたらしい
その時キリストの姿はイエスとそっくりだったので
使徒たちはそれがキリストの霊なのか生身のイエスなのか見分けがつかなかったらしいね
キリストの霊なら水の上を歩いてみせることは可能だったのだろう
肉体を持つイエスなら沈むんじゃない?
>>512 >>515 アーリマン的というよりルシファー的な人間ですな。
麻原の名前が出てますが、ああいうのに惹かれる宗教の仮面をかぶった唯物もいる。
宗教者でも偶像崇拝を行う人は隠れ唯物だとおもう。
取りあえず麻原のイメージ捨ててくれないかな。
有名な人だとDDヒュームはガチで浮遊できた。
誰か知らんけど空中浮遊をありがたがってる時点で人智学的じゃないわ
>>520 空中浮遊自体はなんてことないと思うよ。
ただ、そんなものはどうでもいいだけ。
そもそも何のために浮くんだよw
誰のためにもならない「浮く」というスキルを獲得するために
時間や熱意を傾けてる時点で小乗的
浮いてる場合じゃねーだろと言いたいね
>>523 浮くこと自体に熱意を傾けてる人は邪道に入ってるよね。
ヒマラヤの達人の中には、ゴムマリみたいにポーンポーンと何回もジャンプして、回を重ねるごとに
飛距離が高くなり、ついには虚空の彼方に飛び去る強者もいるそうだ。
だから519も言ってるとおりどうでも良いという態度もルシファーだから。
>>523 崖から誤って落ちたときなど空中浮遊できたら便利
そりゃ便利だろうよw
つか、これはキリストと荒野の悪魔のやりとりの再現だな。
ルシファー「おうキリスト。お前この崖から飛び降りろよ。今のお前なら飛べるぜ?」
アーリマン「そうとも。俺が重力をなくしてやるから、飛んじまいなよ」
キリスト 「いや、飛ばないからwwwwwwwwwwww」
浮くことよりもっと他にするべきことがあるよ
ここ、度々荒れるね。
お客さんが登場
↓
他所の神秘家とシュタイナーをからめた独自の説を披露
↓
住人は容認派と反発派に分裂
↓
そして混沌へ
大体こんなパターンだな
荒れるっていうほどでもないだろw
>>526 >>511でどうでもよい、といってるのと
>>519でルシファー云々いったのは私なので同一人物だよ。
存在の領域が物理法則を支配する物質界より上位の世界であるならば、その法則を曲げることなんか容易いでしょ。
でも、それは単なる事実であって、その事実にあえて執着するのは、ルシファー的。
そんなものよりアストラル体の浄化のほうがよっぽど大切。
キリストがイエスに受肉して、
最初は超常的だったが段々人間的になっていったという
殺される間際のキリストに奇跡が起こせたかは疑問がある
奇跡は否定しないが、人間が起こすものじゃないだろう
「奇跡」をやって見せて信者を獲得する種類の「教祖」めいた人物もいるけど
根本的に俗だと思う
イエスは十字架から降ろされて逃げ延び、とある結社にかくまわれて
そこで神秘学講義の教師となった、
>>535 もちろん、知ってるよ。でも、
>奇跡は否定しないが、人間が起こすものじゃないだろう
は違うと思う。シュタイナーも当たり前に起こしてるでしょ。
でも、なんども言うけど、それをパフォーマンスにつかうのであればルシファー的。
でも、なんども言うけど単なる事実は単なる事実。
ちなみに、教条主義の正体は偶像崇拝で、偶像崇拝の正体は唯物。それはアーリマン的。人智学の敵。
シュタイナーが起こした奇跡って何?
秘儀参入はいわゆる奇跡とは違うだろう
物質界から精神界に赴いているわけだから
奇跡は、精神界からの物質界への突き入れで、方向が違う
物質界が物質的奇蹟が起こらない世界であることも
進化にとって重要な要件だろう
シュタイナーの存在が奇跡的
>538
予知とかなら読んだことあるでしょ。ベタだけどw
他にはアンナさんって人に困ったことがあったら私の名を呼びなさいって言われて少しして、暴漢に襲われた時にそうしたら、何故か逃げて行ったとか、ナチ系の黒魔術撃退したとか、かなぁ。
まぁ、派手な奇跡じゃないけどね。
白魔術では、物質を半エーテル化させれば殆ど何でも出来るだろうね。
そらを飛ぶのはどうやるのか分からないけど。
でも、シュタイナーは白だろうが魔術的なことは公に喋らないと思う。
あくまでも、人智学の拡がりを鑑みるとオカルトに転びそうな要素は出来る限り排除したかっただろうから。
こういうのはカルト。
>>536 キリストの復活は物質的身体を持ったままでの復活じゃないと思う。
なんか難しく考えすぎじゃない。
シュタイナーはサイキック的な能力は持っていない=語らないということじゃないか。
美輪さん、江原さんも同様。
>>534 容易いならシュタイナーは当然、浮くことぐらいは出来るんですよね。
できないだろw
そんな馬鹿みたいなこと出来てたら醒めるわ
>>541 >シュタイナーは白だろうが魔術的なことは公に喋らないと思う。
ヒーリングは白魔術か?
それは時代によって答えが異なる
キリストが魔術を使わなかったら誰も見向きはしなかっただろう。
キリストは魔術を使える必要があった。
視点そのものが間違ってるよー
>>544 うーん。シュタイナーがどこまで凄いのか掴めないから分からない。
あと、「容易い」っていう単語だけ抜き出さないように。
前提条件も書いてるよ。
>>546 はい。私は同じものと捉えています。
シュタイナーはヒーリングできたのですか?
ヒーリングについて勉強したいんだけどオススメの書籍があったら教えて下さい
人智学で扱う分野とは少し違うと思う
シュタイナーがいわゆるヒーリングについて語ったことはほとんどなかったんじゃないかな
シュタイナーはキリストについてかなり語ってきたと思ったが
魔術的なことについては何も語らないというのも不自然だな。
極力自然科学的な思考方法と矛盾しない論説
をしようと思うなら巷のヒーリング本のような
ことは言わないと思う。
ヒーリングの仕方を教えてくれている様な本は出てないんですね
自己ヒーリングに繋がるような生活の仕方とかそういう本はありますか?
やっぱり瞑想でしょうか
真のヒーリングは霊のサポートがあるものだけだから。
巷のヒーリングは他の類のもの。
他人に悪感情を持つことは霊的には暴力に等しいとかいっているので
その逆もあるだろう
それはヒーリングと言えるのかも
そう考えると人智学が行っていること全てがヒーリングなのかも
ありがとうございます
勉強になります
>>553 シュタイナーは神智学ではなくて「人智学」だから。
白魔術ではなくて、芸術や教育や農業、医療、政治、様々な分野で私達の手に届く範囲で世界の病を癒す根本的な活動の種を植えました。
白魔術は部分最適です。シュタイナーは「時を味方につけた」全体最適の活動を行いました。
私達は「自由」なのであくまでも私達の判断出来る理性からアプローチして、私達の自由意志から拡がる活動の火種を作ることが彼の使命だと思います。
・・・。
ここまで来るとここの住人をニューソート嫌いにさせる思惑があるのかと勘ぐってしまうな。
ヒトラーと関係してたなんて。。。
シュタイナーはヒトラーに命を狙われ続けてたとあるけど、ヒトラーに対して実質何かしてたのかな?
ヒトラーの思想に反対運動とか?
ヒトラーのオカルト的精神が最も敵視したのが、同じ神秘主義の世界に生きたこのシュタイナーだった。
シュタイナーは、ヒトラーが「唯一、完全に抹殺したい」人間であったと言われている。
シュタイナーはヒトラーがまだ無名だった時代、その出現と災禍を予告した。
シュタイナーは全てを見通したうえで、ヒトラー=ナチス・ドイツに対して常に鋭い警告を発し続けていた。
シュタイナーは現代史の中に2種類の霊的な力が激しく衝突するのを見ていた。
既に1917年の段階で、彼は講演の中で次のように語っていた。
「光の霊たちは今、人間にインスピレーションを与え、自由の観念と感性を、自由への衝動を発達させようとしている。
それに対して闇の霊たちは人種的、民族的な関連、血に根ざした古い衝動を現代に甦らせようとしている。」
なんかハリー・ポッターみたいだな
ヒトラー云々の出典あるの?
噂で流れてるだけだから、まるで事実のように扱うのは抵抗があるな
ことさら英雄視したい願望のあらわれっていうか。
ヒトラーに敵視されていようがいまいが、
シュタイナーの偉大さは文章を読めば十二分に分かるし。
というかこのエピソードってむしろヒトラーの評価を上げる作用しかないよね
なんかスレがムー的なアカン方向に行ってるな
え、あかんの?
凄く楽しいんだけど
>>568 霊感(霊的感受性)って何?
論理的に説明してみせてくれ。
>>569 ―――と、こんなふうにすればいいんじゃないか?
だめか?w
それはやっぱり、霊的感覚器官の生長のことだろう。
それまで徐々に成長していたヒトラーの魂に、ついに霊的感覚器官が目覚めた、と。
よけいにややこしくなる?
シュタイナーがヒトラーの背後存在に殺されたという説はあながち馬鹿に出来たモノではないよ。
でもそれだけシュタイナーが善の存在だったという証拠にもなるが。
悪は一時的には善より強いとシュタイナーも言ってたし。
哲学って難しいよね
シュタイナーの本読んでると楽しいけど何か後で疲れる
シルバーバーチとか読むと元気出るんだけどな
向いてないのかな(´・ω・`)
>>440 ゲーテアヌムの焼失以降、シュタイナーは自分の死期が近いことを予期していただろう。
シュタイナーは菜食主義は人をルシファー的にすると言っていたが
ヒトラーがまさに菜食だっだ。
シュタイナーの遺言書
1907年2月19日/ベルリン
私の死後、マリー・フォン・ジーフェルス嬢が私の唯一の相続人となり、私の名の下に決定する権利を持つ。
彼女が決定することはすべて、事実上、私の名においてなされることになる。
私の所有物はすべて彼女のものとなり、すべてのことは彼女の命によってなされる。
特に、彼女には、ホルンにいる私の両親と弟と妹をよろしく頼みたい。
彼女には、私の死を、謎と見なすのではなく、高次の諸力の意志に応じたものと捕えてほしい。
このような事は、まだ理解することができないとしても、尊重しなければならない状況の中で生じる。
マリー・フォン・ジーフェルスは常に私と共にあるだろう。私達の結び付きはいつまでも断ち切られることはない。
ルドルフ・シュタイナー
菜食主義は肉食より平和的だと思うんだけど、ルシファー的とは何故そう言われるんですか?
栄養素に関係してるんでしょうか・・・
肉だけだと唯物的になり、野菜だけだと夢想的になるみたい。
極端すぎるのもよくないよね。
>>580 そういうわけなんですね
自分は肉も魚も食べないので確かに夢想的かもしれません
シュタイナーの遺言書、久しぶりによんだわ。
こういうのを読むと、善はいつも悪に対して受身にならざるを得ず、従って悲劇的な色彩を帯びるのが物悲しい。
ヴォルデモートが勝つのが現実なのか
何故そうなる?
希望のある遺言だと思うけど
善と悪は持ちつ持たれつでしょう
片方だけでは存在できない
たしかに菜食の人はふわふわして地に足が付いていない気がしないでもない。
>>584 どう読んでもマリーさんを人智学徒から「守る」ために書いた遺言書でしょ。
あなたはこの遺言書がどういう文脈で書かれたのかしらないの?
どういう文脈で書かれたの?
シュタイナーは肉類の食べ方について何か言っておられますか?
良い調理方法や害を少なくする食べ方等々…
>>575 「神智学と神秘学は、難しい表現による文体に同意して読んでいく読者の善意を前提とする書物として広く普及した。
私は全く意識的に、誰にでも分る叙述ではなく、正しい思考の努力によってしか内容の中に入っていけないような叙述に努めた。
私はこれによって、読むこと自体が霊的修練の始まりになるという性格を、これらの本に刻印したのである。
こうした読書に必要とされる冷静で慎重な思考の努力は、魂の諸力を強化し、それらによって魂が霊的世界に近づく事を可能にするからである。」
>>588 人智学徒たちの動きとして、シュタイナーの出版物の版権に対する独占しようとする動きやマリーさんの人智学内のポジションに関する動きが色々あったみたい。。。
人智学徒たちはとても弱い愚かな人間らしいリアクションを行い、シュタイナーはマリーさんの最低限の生活を守ろうとした。
そういう背景の中で遺言書は書かれた。
マリーさんに対する最低限度の守りですら、遺言書を残さないと厳しかったのだと思う。彼らは禿鷹のようにシュタイナーとマリーさんから全てを奪おうとしたのかもしれない。
ここの人たちにも切実に訴えかけたいが、大切なのは「何に帰依するか」、ではなく、あなたは「自由を本当に欲しているのか、自由なのか」、なんだと思う。
自称人智学徒だとしても教条主義の感触がすこしでもあれば、それは、本来の人智学とは真逆の道に入り込んでいる。
私は大丈夫、と慢心している人であればあるほど気をつけて欲しい。
>彼らは禿鷹のようにシュタイナーとマリーさんから全てを奪おうとしたのかもしれない。
どんだけw
人智学徒悪党揃いすぎだろw
>>592 人智学徒は好きです。
でも、当時の彼らがやったことは評価できません。
人智学徒だろうがなんだろうが
人間は愚かです。
偶像に騙されないように。
マリー・フォン・ジーフェルスが何かに書いているの?
むかーし何かで読みました。
シュタイナーの言葉が引用される形で。
今はネットからはその情報は消えてるかも。
そっちのほうがなんだかいい気がします。
英語だったらあると思うけど。
付け加えると、マリーさんが自分で
>>591のようなことを言うわけがないのは言うまでもない。
シュタイナーと親しい人物が残した言葉でした。
シュタイナーもいろんな意味で抜け目がないから公にはそんな言葉は残さない。
うーん
正直個人的には違和感のある話だな
あなたの言葉遣いにも端々に違和感を感じる
申し訳ないけど
ご自由に。
人間と組織のことを知っていればそんなに不思議なことではないよ。
基本的に正しくてもそれでも人は弱い。
自分の人生を使って学べばいい。
子たちよ。気をつけて、偶像を避けなさい。
(ヨハネ第一の手紙)
たとえ人智学徒に悪しき動きがあったとしても、
遺言という「威力」を使ってマリーを守ったというのはいかにもシュタイナーらしくない。
シュタイナーがマリーに自分のすべてを託したのは、
悪しき動きに対する防御ではなく、本当にそうすることが必要だったからだと思う。
あなたが、あなたがしたように解釈したのは、
あなた自身の価値観を彼らに投影しているのが原因だと思います。
あなたの解釈が事実だとしたらシュタイナーに失望さぜるを得ない。
そして事実のはずがないと思う。
失望したくないからではなく、シュタイナーらしくないから。
>>600 >あなた自身の価値観を彼らに投影しているのが原因だと思います。
はっきりいって、なぜ自信をもってそう言えるのかわからない。
あなたの言葉はあなたにも向きますよ。。。
>>598 では、だからご自由に、といっています。
>なぜ自信をもってそう言えるのかわからない。
言葉の端々にあなたの価値観があらわれているからです
「私は大丈夫、と慢心している人であればあるほど気をつけて欲しい。」
こんなことを他人にむかって言ってる時点で人智学徒としてどうかと思います
これは自分自身にのみ言うことが許される言葉でしょう
悟性を働かせてシュタイナーの思想と他所の神秘思想を区別しようとするのが
教条主義的に感じるんだろうな
気分的に教条的に陥る、慢心に陥るっていうのはまさに
自分自身がその中にいるから分からないんだよなあ。
冷気みたいなものが言葉にも表れる。
まあれだすぐとなり他人の心さえ読めない俺らが
シュタイナーがどう思ってたかなんて実際わからない。
でも結構まともなこと言ってるようなスレをみても
文章の中にその人間性が出ているから不思議だ。
シュタイナーは翻訳とはいえずっと読んでいても
個の人間性がほとんんど出ていないかわからない
ってのが不思議なところだ。
ま気楽に行こうぜ。
世俗的な財産や権力を所有する人物がその相続について遺書という形で意思を明示しておくのは
一般的に行われていること。
であるから、遺書を書いたことが、周りに争いがあったことの証拠にはならないと思う。
特に神秘主義者というものは、常日頃から自分の死についても考えをめぐらせておかなければな
らない。
争いがあったことの証拠にはならないと書いたが、それは争いがなかったことを暗示するためでは
ない。争いがあってもなくても、遺書は作成されるものであるという意味だ。
また、それまでは存在していないように思えた争いの種が本人の死後に芽を出す可能性を未然に防止
するために、遺書はどんな場合でも作成しておくべきである。
別に遺言書かなくても自動的に妻にすべての権利が移動するんでないの?
ドイツの法律知らんけど。
>>605 シュタイナーの文章を読んでシュタイナーの人間性が分からないなんてありえない思うけど
これ以上なく勇気や誠実さがあらわれた文章だと思う
>>603 悟性を働かせること=教条主義的になることじゃないと思うよ
むしろ逆で、悟性を麻痺させて規則に従うことが教条主義を生むのだと思う
教条主義的に、つまり感情的で攻撃的で威丈高になった人々の中には
悟性はとても少ししか働いていないと思う
悟性を働かせること=シュタイナーの思想と他所の神秘思想を区別すること
のつもりで書きました
まぎらわしい書き方ですいません
で、上の方で教条主義という言葉を使ってる人がそのことを教条主義のように
感じてるんだろうなあっていう話です
自分はそうは感じないけどね
書き忘れた
>>594 遺言の話の後になるが
1942年のスイス人智学協会員に送ったマリー・シュタイナーの手紙をどっかから探して読めば
その当時の人智学協会の内情が多少わかる。何かから移したけど出典がわからないので
ここでは書かにけど。
>>614 それじゃない。
ネット探したけど見つからんな。どこだっけな?
読むとマリー・シュタイナーの苦悩が出ている。感動的と言うか考えさせられる内容だよ。
質は違うが今の日本の政治の世界とだぶるからなんか情けなくなってくるわ
>>616 あ、違いましたかw
じゃあ読んだことないかも。。。
以前、佐藤さんのHPでそれらしきものを読んだことがあったような気がしましたが、気のせいでした。
※というか、佐藤さんのHP久しぶりに検索したらなくなってるっぽい?
>>617 佐藤さんのは上のアーカイブスの訳じゃないよ。
「ルドルフ・シュタイナーとマリーシュタイナーの思い出」ってタイトルだと思った。
そういえばどっかに消えてるな。内容はほぼ覚えてるけどメモっておけばよかった。
>>618 そうでした!思い出して来ました。
ローカルにhtmlあると思うので該当箇所抜粋して今度あげますね。
でも
>>616の内容も確かにどこかで読んだ記憶が。。。
シュタイナー系はネタが多すぎて覚えきれないw
シュタイナーの資料は訳者の講演会やネット、スイスに行った友達から
とか求めれば細切れの情報が多いから元がわからないんだよなあ。
いまはノートやメモをタブレット端末に放り込んで読むことが
多いから出元を書かないで要点や内容だけしか入れてない。
そのままここに載せていいものかわからないのでちょっと困るわ。
2チャンネルとはいえおおやけな掲示板だからな。
確かに。。。
ネットは著作権的に色々グレーの中で営まれてるから。
あげるのやめときます。
>>622 まあ出典記しればある程度だといいんでないかい。
たしか佐藤さんのシュタイナーとマリーの思い出は
過去スレで教えてくれた人がいて俺も読んだと思ったから。
あまり遠慮してても知りたいと思ってる人に伝わらないからね
機会があったら抜粋して載せるわ。ネットに転がってればURL載せればいいだけだし。
>>623 >過去スレで教えてくれた人がいて俺も読んだと思ったから。
シュタイナーが一体なんなのか、って内容の部分だったら引用したの私かも。
でもわざわざサイトを閉じた、もしくはデータを落としたのならそれなりの理由があるかも知れないので自重しときます。
もしかすると内容的に誤解を招く部分があったからかもね。らしき箇所はあるが。
「引用」は著作権法で認められてるから何ら問題ないよ
自分の意見としてパクってるわけでもなしw
http://www15.ocn.ne.jp/~fromnow/steiner_human.htm ルドルフ・シュタイナーとマリー・フォン・ジーフェルスの婚姻後、
1915年3月18日、公証人の立ち会いの下、別の遺言書が互いに交わされた。
それは、この前のものと同じものを含み、第四条に次の言葉が足されていた。
どちらか一方が死んだ場合、残された者が唯一の相続人となり、遺産すべての決定権を持つ。
1910年 最初の遺言書作成
1911年 最初の妻死亡
1914年 マリーと結婚
1915年 遺言書に第四条追加(遺言書完成)
1924年 シュタイナー毒を盛られる
1925年 シュタイナー死亡
時系列で見ても、「シュタイナーがマリーを守るために遺言を書いた」という解釈は不自然だと思う
というか、最初の妻の生前に、最初の遺言書を作成したのもなかなかすごいね
余程信頼していたんだろう
つまらない人間だなぁ
男女の関係だったらとても書けないだろうから、
最初の遺言書の時点では、純粋に仕事のパートナーとして、全幅の信頼を置いていたんだろうね
>>628 俺に言ってる?
どうでもいい話だとは思うけど
シュタイナーを貶める解釈に対しては反論するよ
本当に、そうは思わないし
>>630 うん。そう。
>シュタイナーを貶める解釈に対しては反論するよ
貶める解釈ねぇ。。。
あぁ、あなたかw
じゃあ、気に障るのも当然だね
私はあなたを知らないけどw
シュタイナーは子供いる?
635 :
考える名無しさん:2012/11/21(水) 12:30:47.53 0
test
>>634 たしか娘さんがいたはず。二人だったか?
よく知らないけど。
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか、という本を読んで瞑想をするのは良いと言う事ぐらししか解りませんでした
具体的な獲得方法等あれば教えて下さい
シュタイナーの思想に触れてまだ間もないのであれば
まずはシュタイナーの著作や講演録をどんどん読んでいってはどうだろうか
読書も立派な行法だよ
あと個人的にはヘーゲルの精神現象学を合わせて読むことを薦めたいな
これは長谷川訳でいいと思う
樫山訳は読みにくいのでやめといたほうがいい
ドイツながりでエックハルトおすすめ
>>637 本物の種子と偽物の種子を見て、心の中に湧いて来る印象に注目するんだよ。
その違いがわかって来ると、植物の霊を知覚する入り口に来たことになる。
1922年の大晦日の夜、炎に包まれたゲーテアヌムを見るシュタイナーの目に、
放火によって焼失したエペソスのディアナ神殿の姿が映った。
アントロポゾフィー=人智学運動の中心であるゲーテアヌムと、
古代の密儀を代表するエペソスのディアナ神殿とのカルマ的関連が明らかになったのである。
自分のカルマを解明していくための方法を、シュタイナーはつぎのように語っている。
「過去を振り返り、自分が何を望まなかったか、何から逃げたかったかを、はっきりさせます。
それをはっきりさせたら、ついで、人生のなかで最も気に入らなかった事柄のイメージを持ちます。
過去の自分の人生のなかで、一番気に入らなかった事柄を取り出すことがまさに問題なのです。
そしてつぎのような考えに没頭しなければなりません。
自分が本来望みも願いもしなかった事柄を、精力的に望み、願うのです。
・・・・大切なのは、自分が望まなかったこと、あるいは自分の願望を成就できなかった事柄を、
あたかも熱心に望んでいるかのように表象することです。
こうして、感情と思考のなかに、ひとつの存在をつくり出すのです。」
> 自分が本来望みも願いもしなかった事柄を、精力的に望み、願うのです。
これが難しそう
その願いが一体何なのかもわからないレベルです…
何かアドバイスください。
>>644 べつに何も考えなくていい。特にそれにこだわる必要もない。
第2ゲーテアヌムはシュタイナーがほとんど関わってないからどの程度霊的効果があるか疑問だ。
俺はデザイン的にも第1が好きだ。
647 :
考える名無しさん:2012/12/01(土) 00:15:39.59 O
シュタイナーは、フリーメーソンである
フリーメーソンに何らかの偶像を見るオカルトアホがきたw
最近お客さん多いね
>>644 自分が苦手で避けていたようなことをむしろ望むということでは
たとえば数学が苦手なら数学をやりたいと望んでみるとか
シュタイナーがフリーメーソンじゃないことは、人智学徒ならあまりにも自明なこと
シュタイナーがフリーメーソンと関係を持っていた時期があろうがなかろうが、彼が語ったいることの中身が深ければどうでも良いような。。。
そもそもフリーメーソンはシュタイナーのころには形骸化していて中身スッカラカン団体になっていた、と何処かで読んだ記憶がある。
>>647はフリーメーソンに陰謀論的なトキメキを持ってるのだと思うけど。
第32回 スルースキル検定会場はこちら
ではありません。
簡単な波図形を何回も描いてたら少しうまくなってきた
伸ばす時には、意志を解放して、丸める時には、意志を自分の中に抑えこむ感覚がある
最近絵の練習をはじめて、その一貫としてフォルメンも描こうと思ったのだけど、
これにより上達しそうな予感はある
どういう速度で意志の開閉を繰り返すかが重要な感じ
自分が描いた線に注意するのではなく、自分の意志の動きに注意すればいいのかも
ジャガイモには、蛋白質が少しだけ含まれています。
蛋白質が少しだけ含まれているので、ジャガイモは本来、人間にとって良い食糧です。
ほかのものに添えるかたちで、ジャガイモを適量食べると、蛋白質が少ないので、良い食糧になります。
しかし、ジャガイモは非常に多くの澱粉を含んでいます。
澱粉は人間のなかで、まずデキストリン、ついで糖分に変化します。
ジャガイモを食べ過ぎると、頭は恐ろしくたくさん働かねばなりません。
頭は発酵を防止しなければならないのです。
ジャガイモを食べ過ぎて、ジャガイモが発酵するのを処理するために、
頭を酷使しなければならない人は、頭が弱くなります。
特に脳の中央部が弱くなります。
ジャガイモの発酵を防止するに際して、脳の前部のみが酷使されずに済みます。
近代にジャガイモが広く食べられるようになったために、唯物論が登場しました。
唯物論は前脳で作られるからです。
(人智学から見た家庭の医学)
660 :
考える名無しさん:2012/12/05(水) 11:26:49.40 0
子供がジャガイモを食べ過ぎると、中脳が非常に弱ります。
中脳には、重要な感覚器官の源泉があります。
中脳背面上下左右には、丘のような丸みのある高まりがあります。
視丘、視床などです。ジャガイモを食べ過ぎると、視覚が弱まります。
視覚の源泉は中脳にあるからです。
老年における目の病気は、子供のころにジャガイモを食べ過ぎたことが原因です。
電気などは内的に作用するものでないので、ジャガイモほど大きな作用はありません。
(人智学から見た家庭の医学)
味覚にも有害です。子供のころから、ジャガイモを食べ過ぎているとしましょう。
その子が大きくなると、かつてジャガイモ食べたことによって、自分がどれくらい食べると十分かが分からなくなります。
ジャガイモ食べたことによって、味覚が駄目になったからです。
ジャガイモを食べ過ぎなかった人は、どれくらい食べれば十分かを、本能的に知っています。
中脳に結び付いている本能が、ジャガイモの食べ過ぎによって損なわれるのです。
このような状況が現代、特に強く現れています。
(人智学から見た家庭の医学)
すごく勉強になりました
オイリュトミーって「身体で描くフォルメン」みたいな感じかな?
フォルメンを描いてると、意志を律動的に開閉する作業の中に、
たしかに健康な作用があるだろうと感じられる
オイリュトミーは身体を動かすから、もっと健康的な作用がありそう
アメリカは宗教国家だが唯物論が蔓延しているのだろうか。
アメリカ人の肥満の多さはポテト食い過ぎ?
スーパーサイズ・ミーで見たけどアメリカ人にとって芋はサラダらしいからな
イモの話が度々出ること自体このスレの住人も中脳が弱い証拠だな。
667 :
sage:2012/12/05(水) 23:09:13.66 0
中脳は感情をつかさどり、黄色人種は白色人種よりずっと中脳が発達して
いる。強いってことは白人よりもよっぽどジャガイモ耐性があるってこと。
中脳が弱いせいでバカになるんじゃないよ。むしろ中脳が強すぎる
せいで東アジアの国家群に住んでる連中は政治的おバカになっちゃう人が
多いってのがシュタイナーの脳みそ発言からわかること。最近絶好調なの
がKで始まる国に住んでいる方々の振る舞いだね。そしてこの2ちゃんねるこそ、
その感情的ネガティブさ加減が黄色人種の中脳的振る舞いのみごとな証明見本に
なってるよね。
ジャガイモを食べるか食べないかなんて
人智学が要求する課題の中でも三十番目くらいの重要性しかないだろう
ジャガイモは科学的には脳によい食べ物となっています。
科学はジャガイモを否定できない。
なにせここまで発達できたのはジャガイモのおかげだから。
きっと科学は前脳の働きを中心にジャガイモを研究して、脳によいという結論に。
そうなの?
単にビタミンがあるから良いという発想じゃないかしら
勉強になります
ポテトチップスが止められないのは味覚が麻痺してるからかね
自分もポテトチップスを食べだすと止まりません
なにか中毒性の様なものを感じますね
そして食べ終わった後の満足感と少しの罪悪感…
ポテトチップスとセックスは似ていますね
なぜでしょうか?
まあ食べ過ぎが良くないわけであって日本人の食べる量なんてたかが知れてる。
もうジャガイモの話はいいからw
ローフードについて話そうぜ
シュタイナーはどちらかというと火を通す派なわけだが
最近シュタイナー関係の新刊が出てないような?
シュタイナー黙示録的な現代―信仰・愛・希望
って言う西川氏の本が出てた
しかもamazon売り切れ・・
売り切れじゃなくてまだ入荷してないのかな?
ナータン系とソロモン系、二人のイエスの詳細って
いろんな本にピースが散らばってる感じで分かりにくいと思う
イエス達にはゾロアスターと仏陀とキリスト存在が関わるけど、
ゾロアスター自体にもキリストが関わってるみたいだし、
影響が錯綜してて全体図が見えない感じ
いままで鼻の歪んだ人を見たことのない女性が、妊娠初期に、鼻の歪んだ人を見たら、たいていの場合、
生まれてくる子供は鼻が歪んでいます。その女性が、鼻が左に歪んだ人を見て驚いたら、生まれてくる子供は鼻が右に歪んでいます。
右手が左脳の言語中枢と関連しているように、人間においてはすべてが逆になっています。
鼻の歪んだ人がいたら、その人の母親が、反対側に鼻の歪んだ人を見て驚いたことがあったのだ、と分かります。
人間は他の人々を、自分のなかに担うのです。
(人智学から見た家庭の医学)
唯物論的な科学は、由来が分からないことについては遺伝だと言います。
鼻が歪んでいるのは遺伝であり、赤ら顔は遺伝だ、と言うのです。
しかし、そうではありません。事実は、私が先ほど述べたとおりです。
遺伝というのは、現代の科学が有する最も不明瞭な概念です。
歪んだ鼻の人、母斑がある人がいます。その人の母親が痣を見たとは限りません。
何かほかのものを見たことによって、子供の血液が誤った方向にもたらされたのです。
(人智学から見た家庭の医学)
ひどい文章だねw
乙武氏はどうなるんだっていう
妊婦はひどく驚いてはいけない、ということなんだろうけど
少なくとも、乙竹氏が遺伝ではないことは明らか
688 :
考える名無しさん:2012/12/07(金) 13:25:31.00 0
普通に読めば上の文は人間の内面における表象や思考が現実に形となって現れる現象の一例として出産を挙げてるんだってことくらい分かりそうなものだけど・・・
>>643 神が悪を創造したとするとそういう状況だったのかな
いや「鼻が曲がってる人」が伝染病患者みたいに扱われているようで酷い、ということ
この文章だけだと、障碍者差別に繋がりかねない、と思われても仕方ない
もちろん、人智学徒には、シュタイナーがそういう人物ではない、と言うことは分かるけど
>>688 >普通に読めば上の文は人間の内面における表象や思考が現実に形となって現れる現象の一例として出産を挙げてるんだってことくらい分かりそうなものだけど
本文を読めば分かるけど、シュタイナーはそういうことを言ってるわけじゃないよ
驚く というか 人の外貌に拒否的な反応を示したカルマじゃないの
原語のニュアンスがよくわからないから何とも言えない
それは人智学的な考え方だけど、
これは妊娠中の注意に関して述べている章だから、
そういうわけじゃないようだよ
「水頭症の子どもが生まれるのは、たいていの場合、
生活に多くの刺激を求めるタイプの女性が、妊娠初期の数週間ものすごく退屈したことに起因します。」
「多くの子どもが、小さすぎる頭、小頭症で生まれます。
この場合、母親が妊娠後数週間のあいだ、浮かれすぎ、楽しみすぎた結果です。」
「妊娠初期の女性が森に行き、不運にも、首吊り自殺をしている人を見たとしましょう。
大変びっくりします。まだ死んでいなくて、断末魔の苦しみにあったら、もっとひどいことになります。
その光景が彼女の頭から離れなくなります。
人工的な手段ではなく、人生そのものが何らかのよい体験をもたらさないと、おそらく血色の悪い子どもが生まれます。」
「母親が軍隊の演習によってびっくりすると、子どもの呼吸系に何らかの不調が生じます。」
凶悪事件の裁判の裁判員には、妊娠中の女性も選ばれる可能性があるのか?
妊娠を理由に拒否できるのか?
動揺から流産もあるから拒否はできると思う
拒否した方がいいと、人智学関係なく思うね
いかにも悪そう
697 :
考える名無しさん:2012/12/09(日) 14:31:27.44 0
>>689 確かにシュタイナーの本読んでると人智学を知らない人には誤解されるんじゃないかと思う部分もある。霊的位階や人種観の話なんかは、霊的進化やカルマ・輪廻についての認識を踏まえた上じゃないと差別的だと受け取られかねない。
カルマや輪廻的世界観を受け入れられない人からしたら、この時代のこの人種にはこういう特徴が有って、それは霊界のこの出来事の流れを汲んでて・・・て話を聞いても納得できないだろうし。
>>690 そうなんだ。そういえば家庭の医学はまだ読んでないや
698 :
考える名無しさん:2012/12/10(月) 12:01:10.75 0
みなさんは地球の重力の作用を受けているのですが、それに気づきません。
なぜでしょう。呼吸がみなさんを、地球の重力から守っているのです。
みなさんの心魂は、みなさんの身体のなかに生きているのではありません。
みなさんの心魂は、みなさんの呼吸のなかに生きているのです。
(人智学から見た家庭の医学p140)
呼吸器が弱いとか息苦しい人というのは心魂も生きづらいのでしょうか?
心魂が弱ったり障害が出たりすると呼吸に現れたりするのでしょうか?
シュタイナーは呼吸について何か言われておりますか?
質問ばかりですみません。
絵の勉強を始めると、シュタイナーが空間遠近法を唯物論と絡めて語っていた意味が良く分かる
遠くのものが小さく見える、という、今まで疑問も持たなかった事実も
目の構造に依っていて、
人間の通常の視覚は、世界を歪めて捕まえた結果なんだよね
視覚がデフォルトで歪んでるなんて、考えたこともなかったけど
701 :
考える名無しさん:2012/12/11(火) 10:17:56.33 0
クリスチャンはシュタイナーのと知らない人多いんじゃない。
向こうは聖書しか読まないんでしょ。
私たちは、呼吸によって地球の影響から守られることによって、生きることが出来ます。
私たちが絶えず地球から守られていることによって、地球は私たちにとって有害ではなくなっているのです。
私たちが絶えず地球にさらされていたら、私たちは絶えず病気になっていたでしょう。
(人智学から見た家庭の医学)
勉強になります
何となくですが答えが解りかけてきた気がします
博識で羨ましい
私は読めば読むほど人智学とシュタイナーが分からなくなる
鉱物は呼吸をしていないよね
呼吸をしていないと鉱物のように固くなるのかな
ノーベル賞の山中教授が研究しているiPS細胞で
筋肉が骨になる難病の治療に役立てるというのをききました
この筋肉細胞が固くなって骨になるというのも
なにか呼吸に関係する、地球に晒されることによって
もたらされる病気なのでしょうか?
私たちが健康であり、酸素が呼吸を通して身体を生かしていると、尿石はできず、痛風になりません。
酸素が身体を正しく生かさず、炭素を正しく受け取らないと、痛風になります。
酸素が正しく身体に入っていかないと、炭素はさまざまな不正を働き、
私たちの静脈のなかに微少な塊ができます。
私たちはそれを地球の作用と感じます。
その作用から、私たちは守られなくてはなりません。
(人智学から見た家庭の医学)
>>706 そんなこと今の段階では誰にもわからんよ
人間がいます。下腹部があり、横隔膜があり、胸部があります。
下腹部、胸部、頭部があります。
下腹部において何かが不調だと、脳の前部も不調です。これらは関連しています。
脳の前部と下半身は、人間のなかで内的に関連しています。
そして、心臓は中脳と対になっています。
呼吸すると、肺と頭部が関連します。
肺と脳の後部が対になっています。
呼吸が順調じゃないと、脳の後部も順調ではありません。
だれかが呼吸困難になって、酸素が不足すると、脳の後部が不調になります。
だれかが心臓の不調に苦しんでいる、つまり心臓の活動が律動的でなく、
脈が正常でないと、中脳も順調ではありません。
下腹部が順調でないと前脳も不規則になります。
(人智学から見た家庭の医学)
ギリシアの彫刻では、額はうしろに行っています。
私が知り合った人物は、額が力強く湾曲しており、前脳が突き出ています。
このように額が前に出ている人は、下腹部が非常によく形成されており、決して下痢や便秘に苦しみません。
決して、腹痛に苦しむことがありません。この人は、非常に繊細な感受性を持っていました。
その感受性は、体内の心地よさを示しています。
力強く前方に湾曲している額は、決して下腹部が不調にならないということを示唆します。
(人智学から見た家庭の医学)
シュタイナーが人相について何か語ってたら知りたい
鼻の形ってなんか意味あるの?
ちんこのデカさと形と昔から言われてる
女の場合は知らん。
なるほど、分かりました。
ありがとうございます
>>713 女の場合も
> なるほど、分かりました。
なの?
いい加減なこと書くなよw
シュタイナーがちんこがどうなんて言ってるの読んだことねぇ。
716 :
考える名無しさん:2012/12/16(日) 19:57:16.52 0
どうでもいい
いやいや重要なことだ。
鼻=ちんこは一般論だろ
シュタイナー関係ない
女の鼻の形ってなんか意味あるの?
シュタイナーフリークの皆様は今回の選挙結果についてどう思うのだろうか。
選挙権無いから興味持てないですね
具体的に世間の何がどう変わるのか分かりません
>>720 前回より投票率が下がったことが気になる。
政権が変わろうが一票に対しての責任を負わない
あるいは無関心さが国の衰退を意味してるように思うけどな。
>>722 福島県は下がってると思う。
ただ、首都圏は上がっているはず。
ようは、関心のある場所とそうでない場所の差が前回よりも大きく開き、全体で見れば投票率は下がったのでは。
都道府県ごとに投票率を見ないと何とも言えないけど、体感では皆前回よりも関心持ってるし、会場も混んでたと思う。
シュタイナーの社会問題に対する考えは、社会の三分節化だったはず
政治、経済、学芸はそれぞれ他に干渉しない
だが、現代では経済が突出してほかの二つを食べてしまっている
マネーの暴走も手なずけねばならないのだが(減価マネーなどで)
こんなことを主張している政党は日本にも世界にもないのでは
妊娠中、下腹部の活動は特別に高まります。
下腹部は非常に強く活動しなくてはなりません。
ですから、多くの女性が妊娠初期には少々狂気になるのに驚くことはありません。
下腹部と、思考する前脳が内密に関連しているので、妊娠初期の女性は時々、少々狂気になります。
(人智学から見た家庭の医学)
いわゆる精神病が遺伝することを、人々は不思議に思います。
しかし、身体の機能が正規に遂行されていないことによって、精神病になるのです。
精神は病気になりません。心魂も病気になりません。
精神病とはつねに身体の病なのです。
両親、特に母親が結核、あるいはその他の病気、たとえば動脈硬化を患っていると、
子供も結核、動脈硬化になるのではありません。
子供は精神病になります。
これを、人々は不思議に思います。
遺伝されるものは、まず頭を通って遺伝されねばなりません。
母親が結核だった場合、病は胎児の肺に行かず、頭に移行します。
肺はまだ活動していません。肺は頭から形作られていきます。
たとえば両親が性病だとすると、子供は目の病気になります。
両親が性病だと、胎児が頭を形成するとき、目が両親の病気にさらされます。
胎児の目が両親の性病に取り囲まれます。
(人智学から見た家庭の医学)
これでBI導入が遠のいたか
選挙結果には正直落胆したね
>>722 投票率が下がったのは入場券が送られて来なかった人が大量に居たためです
実際には送られてはいるんだけど民主党を支持する在日の方が、自民党への投票を減らすために個人宛に送られた入場券を郵便受けから抜いて回っていた様ですね
今問題になっています
729ですがちなみ言うと私自身にも送られこなかったし、彼女の家と友人宅にも送られて来なかったようです
家はかなり離れているので広域で盗まれているものと思います
一軒家より触りやすい、集団住宅やマンションで多発しているようです
まぁ実際には身分証を持っていけば役所で投票はできるのですが、入場券が手元にない事で投票をしに行く気を削くのが目的だと思います
ルドルフ・シュタイナーの本って高いんだね
シルバーバーチくらいの値段になってくれないかな…(´・ω・`)
身近な所では凄い盛り上がりを見せていてアンチ自民の人が極端に多いのに、投票率も低くて、自民圧勝な現実に違和感を持つ。
純粋に何かがおかしい、と肌感覚で感じる。
それだけ私の世界が狭いのか、それとも何かが起こったのか。
不自然の一言に尽きる。
民主党のやってきた事が最悪な事ばっかりだったからみんな目が覚めたのだと思うよ
もう少しで日本が潰れるところだったからな
売国党って本当に恐ろしい奴らだと思った
俺もそう思うわ
日本経済も然る事ながら、日本人の人権まで朝鮮人に奪われるところだったからなぁ
ここは日本人のためにある日本国なんだからな
野田とか管、鳩山は日本から追放処分されてもおかしくないぐらいの事をしたからな
>>733 アンチ自民=民主党=在日+マスゴミは声が大きくて騒ぎ立てるから多く感じるんだよ
実際は人口の一割以下だよ
734の言ってる入場券の盗難は実際に行われていたみたいだね
よく調べると今回の選挙は反日国家による誘導とか色々怪しい噂もあるけど自民党が勝ったのが救いだわ
しかも圧勝だったので日本人として安心した。
人智学を基準にして政党を選ぶのは無理だと思うわ
そうみたいですな。。。
心臓は、血液を身体に送り出すポンプではありません。
心臓は頭と同様、すべてを知覚する感覚器官なのです。
頭が心臓を通して血液循環全体を知覚しないなら、
私たちは自分の血液循環について何も知ることが出来ないでしょう。
頭のなかにあるのは、単に知識です。
肝臓は知覚器官です。下方の動きを、肝臓は知覚します。心臓は全身の動きを知覚します。
(人智学から見た家庭の医学)
人智学と自民党って相入れないものだと思うけど
いろんな人がいるんだな
ネトウヨとか萌え漫画ヲタとかは別にどこのスレにも来る
社会の三分節化説は政党を選ぶ基準にはならないが、
政治行動を判断する基準にはなる
例えば米民主党には少し前、人権強硬派というのがいて
中国に人権状況の改善を迫っていたはず
ところが最近ではクリントン長官が豪外相に
「中国には米国債を買ってもらっているので、強く言えない」
といっているのをWikileaksで暴露された
これは明らかに政治の後退ではないか?
ルドルフ・シュタイナーの話がしたい
じゃがいもや呼吸についてもっと深い知識が欲しい
じゃがいもはもう十分じゃないか
まだ足りないのか
月の相が何かを引き起こすと思うのは、もちろん迷信です。
しかし、人間のなかには月のリズムに似たリズムがあります。
そのリズムは血液のなかにも表現されます。
ある種の病気では、満月の時と新月の時で、脈が大きく異なります。
人間は月に依存しているのです。
健康な状態で、独立できるときにも、ある種の依存性は残ります。
病気の時には、その依存性がはっきりと示されます。
(人智学から見た家庭の医学)
>>746 anagoなんておかしいだろ
すぐに気づいたわ
あー踏まないでよかた(-。-;)
日頃体調悪くてあまり外出しないけど、今日は外へ行ってみたいな!ってなって外出するとだいたい満月かその前後なんだよね
これは不思議
月が大きいと体調がよくなるんだよ
神秘主義者は月をプラスのイメージで語る人とマイナスのイメージで語る人がいます。
シュタイナーはどちらかというとプラスのタイプですね。
ルナティックという言葉もあるしね
自分の心の声を聞く、という
神秘学の初歩が出来てなかったことに気づいた
人智学を学ばなくても、それさえ出来さえすれば、大きく道を踏み外したりはしないよね
どうも、気づくと分析的アプローチを取っている
そして虚無感に辿り着いて、道を誤っていたことに気づく
分析は、対象が目の前にあるから、分かりやすいし、結果もはっきりしてる
心の声を聴くのは、もやもやした雰囲気のようなものを、
捕まえて、言葉にしてみて、
正しさの感覚を元にして判断するみたいな感じで
もやもやしたものを捕まえるのも、言葉にするのも難しい
正しいのは、分析的アプローチではなくて、こっちだ、ということは分かるんだけど
でも数年来人智学を学んできて、
間違ってる時のにおいに、気づきやすくはなったかな
それが間違ってるということは分かるんだけど
何が正しいのかが分からない
分かろうともしてなかった
自分の心の声を聴く作業のことを、
シュタイナーは思考の観察と呼んだのかなぁ
思考の観察かぁ・・・
自分はいつもその考えなり行動なりに愛があるかどうかをまず考えるな
そして判断した事は結果が面白くなくても心が辛くならないっぽい
月とじゃがいもって丸くて似てるよね?
何か関係あるのかな・・・?
人智学に出会う前までは、心の声を指針にしたり、しなかったりしてきたけど
人智学を学ぶことで、心の声に耳をすませることが減っていた気がする
濃密な真理性を持つ本を読むことで、高慢になっていたというか
本当に色んな人がいるなぁ。
心の声をどうやったらもっとうまく聞けるようになるだろうと思って、
そういうことを語っている自己啓発書を読んでみたけど・・
シュタイナーの本を知った今となっては、厳しいね
軽薄さに我慢して読み続けたけど、抵抗感が吐き気に近くなってきたからやめた
自分で地道に体得していくしかないか・・
よかったらだけど自己啓発書の話も少し教えて欲しいかな。。。
内面の声をいつもよりも意識的に聞きたいのであれば自己啓発よりもヴェパッサナーとかでいい気がするが…
興味深いことに、心臓が右側にある人は、左側にある人とは、生活において何かが異なっています。
心臓が右側にある人は、ものごとを一定の季節、一定の時間に行わなくてはならない人です。
心臓が右側にある人は、左側にある人よりも、ずっと外界に依存しています。
心臓が左側にある場合も、その位置は決まっておらず、人によってわずかに異なっています。
心臓が左側にあっても、少し右側に寄っている人は、自分を外界に合わせようとする憧れを持っています。
自然の経過に合わせて、春夏秋冬、季節に適したことを行おうとします。
しかし現代社会では、いつも季節にあったことは出来ず、そのために体を壊します。
(人智学から見た家庭の医学)
自己啓発書は、宗教書や神秘学の知見をインスタントにした感じだよ
売らんかなの意識で書かれてるから、お手軽さを全面に押し出すのが特徴
あなたはそのままで完全だとか、単に望めばいいとか。
他のジャンルの軽薄さは何も思わないけど
精神的な本の中の軽薄さは、人智学を知った今となっては辛い
あまりにも落差があるので
ヴェサッパナー瞑想っていうのがあるんだね
ありがとう
こういう、体系化された瞑想法を学むのは良さそう
シュタイナーも瞑想を課してるけど、全然してなかったな・・
自己啓発書は全人類がそれをしたら世界はどうなってしまうんだろう・・・って心配になる様な事が普通に書かれていますよね
シュタイナーの本は難しくって理解できず、困ることが多いけど建設的で神秘的で勉強したいってなります
昔買った自己啓発トレーニングCDは繰り返し唱えるとマントラ的効果とか精神賦活作用があると感じたけどこれも軽薄で怖いものでした。。。
以上、独り言でした。
自己啓発書にも、正しいことは書かれているんだけどね
「私たちは精神的な存在として、物質的な体験を通り抜けているにすぎない」
「古いものはもっと良いもののために道を空けたのであり、あなたは必ず何かを手に入れる」
「私たちがすべきことは、直すことではなく、気付くことなのだ」
「人生の問題は一つずつ断片的に片付けようとしても、うまくいかない」
「ほとんどの過食は、感情面での栄養不足に由来している」
「私たちは、実際には抱えていない問題の解決に多くの時間を費やしている」
「生き残るために、私たちは皆ある意味で売春をしてきたのだ」
(アラン・コーエン「人生の答えはいつも私の中にある」)
この引用あたりを読んでいる時は、「自己啓発書も捨てたものじゃないな」と思ったんだけど
途中から、何だか違和感を感じはじめた。
部分的には、「おっ」と思わせるところはある。
確かにそうですね
自分が購入した自己啓発CD本について今思う事は「捨てたものじゃない」と思わせる部分ってどこかのスピ本から持ってきたのかなって
というのも著者が作ったCDには「私は完璧です。そのままで完璧です。私は成功者です。私は成功するのです」が延々と繰り返し入っていて少しやってみたら何か妙な高揚感と空回りする自分を感じておかしくなりそうでした
色んな本があって面白いですね^^
月と人体の関係について話が聞きたい
>>764 極端に言えば麻原の本でも良いことは書かれているよ。
769 :
考える名無しさん:2012/12/21(金) 21:57:38.98 0
>>768 これはありがとうございます!
勉強になります
蜘蛛が怖いのですがこれはもう避けられないのですか?
植物と鉱物で造られた蜘蛛軍団怖すぎです><
早く進化すれば蜘蛛軍団とは出会わなくてもすむかもね
昆虫と動物の違いがいまいち掴みきれていない。
植物は物質的身体とエーテル体でできている。
動物は物質的身体とエーテル体とアストラル体で出来ている。
昆虫も「移動」するのでアストラル体があることが推測出来る。
でも、動物よりも個的な感じがしない。
なぜだろう。この差異についてシュタイナーは何か語っている?
昆虫は最初期に現われた動物で類人猿が最後
動物といっても幅が広く様々
774 :
考える名無しさん:2012/12/23(日) 18:44:05.69 0
自我意識(個の意識)は知的進化と結びついて発達するから、
昆虫に個が感じられず種としての本能や役割に没頭してる様に
見えるのは、哺乳類などと比べると知能が低いからだと思う。
昆虫の各種族達も進化の過程で知的になったり自我を獲得
していったりするのかもしれない。進化の先についてイメージ
するのは難しいけど…蜘蛛も集合魂としての進化の先にはもっと
受け入れやすい形態、性質になるんだろうか…
reform of sense part1
っていうスレッド立てたんだが、
もしよかったら投稿よろ!
真剣に言葉選んで書いてくれればうれしいな。
一人じゃ連続投稿になるので広めているんだ。
>>775 超能力板になってるけどそれでよかったのかな?
あそこ人少ないし・・・
>>776 この板は波平とかいうやついるし、オカルト板は単発スレッド立てんなとか
いうやついるから、宗教板はもう退廃しているし、とにかく邪魔されずに、
したかったんだ。
>>774 あなたは人智学にあまり詳しくないのかな?
昆虫が自我を獲得するって表現にとてつもなく違和感を覚えました。
昆虫や動物の行為は欲望からなされているわけで、それは自我の機能とは別ですよね。
鉱物:物質
植物:物質的身体+エーテル体
動物:物質的身体+エーテル体+アストラル体
人間:物質的身体+エーテル体+アストラル体+自我
ようは、それぞれの位階を超えることと、その位階の中で進化を進めることは異なる。
昆虫と哺乳類などの動物は植物と動物ほどの違いはないにせよ、とてつもなく異質なものを感じる。
その違いが何によって引き起こされているのか、具体的で詳しい内容がないものか、と思ったんだけど。
例えば、心魂界にある個我と物質界にあるエーテル体+アストラル体の関係が同じかどうか、であったり、
昆虫は土星進化期の光・空気存在だから、そもそも哺乳類とは違う系列の進化の中にいる、などなど。
昆虫は植物から派生、分岐した存在ってのがあったような
宇宙的人間論だったかな
うろ覚えっす
>>779 ありがとうございます。宇宙的人間論、持ってるけどまだ読んでいないので読んで見ます。
植物からの派生は素朴的な感覚でもとても良くわかります。
その派生が動物の派生とどう違うのか比較出来る部分を探して見ます。
食虫植物というのはどのような存在なのですか?
食虫植物は別に欲望に突き動かされて虫を捕食しているわけではないから普通の植物の進化の延長戦上だと思うなぁ。
ただ、他の植物と比較してユニークな点は深い叡智が関係してるかもしれないけど、そんなこと分かるはずもなく。
宇宙的人間論
植物を見るがいい。
それは地球に縛られた
蝶の姿に他ならない。
蝶を見るがいい。
それは宇宙が解き放つ
植物の姿に他ならない。
(…)
大地に拘束された植物と天上に解き放たれた蝶とのこの関連が認識できたなら、動物界と植物界との間に橋をかけたことになります。
なるほど。イメージは形成できたし
しっくりくるけれど、植物界や動物界や人間界の進化が一義的に下から上に上がるものではない以上、さらに混乱してきた。。。
選挙になるとカルト的に前回は民主、今回は自民党を支持するレスが湧く現象と因果律の関係をしりたいものだ。太平洋戦争では日蓮系カルト国柱会が暗躍していまも日蓮系カルトがいるのだがアトランティス期のインド発祥に源流を持つ宗教はどこも最末端部がカルトなんだよ。
食虫植物って袋に虫やら小動物が入って溶解して吸収したらそのせいで枯れて死んでしまうんだね
一体何でこんな機能に進化したのだろうか・・・
栄養のない土地に生息してるから必要な栄養を虫から摂るためなのでは?
788 :
考える名無しさん:2012/12/24(月) 21:08:23.77 0
クリスマスだから霊的宇宙論から引用してクリスマス的なことをいうと
地のエネルギーが弱くなる冬至付近ほど内的な熱を感じるようで
クリスマスのワクワク感はそれが原因です。
クリスマスはそれを祝うことにより四大元素を還元して次の太陽誕生に備える
大事な儀式ですが、シュタイナー一冊目がこの本なのでかなりムズイです
クリスマスにちなんで、希望の言葉
(エーテル界へのキリストの出現)
「人間は、クリスマスに沈黙する地球の力と結びついているだけではない。
決して沈黙しない力と結びついている。
単に地上ではなく、霊的な領域に存在する力と結びついている」
この希望が人間の心魂のなかに現れるべきです。
続クリスマス豆知識
12月24日はナザレのイエスの誕生日であってキリストの誕生日ではないらしい。
12月24日がキリストの誕生日とは325年の二ケア公会議で決められたが、本来は1月6日がキリストのイエスへ受肉した日。
キリストの誕生日は13日早められたが、これには深い意味があるという。
12月24日はアダムとイブに捧げられた日。その次の日がキリストの誕生日とされる。それにより、ナザレのイエスの誕生が人類の起源と結びつく。
その結び付きは人の無意識下で働き、ある感情を生む。
また、見霊者にとっては12月24日から1月6日の13日間は、地球進化の起源からルシファーの介入で生じたことの深い霊的体験が出来るとも言われている。
いずれにせよ、キリストの神秘への理解を深めるに当たって、この13日間は大きな意味をもっているらしい。
偶然ってないんだなぁ。
>>790の日付で誤りがあったので一部訂正
>>790 >12月25日はナザレのイエスの誕生日であってキリストの誕生日ではないらしい。
>12月25日がキリストの誕生日とは325年の二ケア公会議で決められたが、本来は1月6日がキリストのイエスへ受肉した日。
日付間違っててワロスw
でも豆知識サンキュ
右側に心臓のある人の場合は、心臓の位置は父親から遺伝されたものではありません。
父親はたいてい、右側に心臓のある人ではありません。遺伝ではありません。
自分のアストラル体によって、常に新たに形成しなければならないのです。
すべてが遺伝されるのではありません。
右側に心臓のある人は、血液循環を正常なものにするために、内的な力をたくさん用いなければなりません。
そのために、右側に心臓のある人は、外界に従うようになります。
(人智学から見た家庭の医学)
右側に心臓のある人って周りで聞いた事がないな・・
人口の割合としてはどのくらい居るんだろう?
すべての臓器が左右反対の人はいるみたい。
この場合はどうなんだろう。
心臓だけが右側のとは違うのだろうか。
シュタイナーはクリスマスについて何か言っていますか?
790
さらに加えるとミトラ教の祭りが起源だな。初期のキリスト教はローマでは異民族が地下の貧民街で信仰する密教でしかなく、そこで他のポピュラーな宗教と同化が進んだのであた。ナザレ付近を遊牧民が通過する季節はすくなくとも12月ではないのだ
北方の人々は食糧を、寒さを克服するために用いなければなりません。
食糧を目のなかに運び込む力を、彼らはもはや持っていません。
彼らは青い目になります。
暑いところに住んでいる南方の人間は、目のなかまで食糧をもたらす力を、血液のなかに有しています。
温暖な地帯では、その力が多いか少ないかは、その人の本性に拠ります。
これが髪に関係します。強い力を持つ人は、食糧を髪のなかまでもたらし、黒い髪あるいは茶色の髪になります。
その力の弱い人は、食糧を髪のなかにもたらさず、髪は明るいままで、黒くなりません。
このように青い目は金髪と関連しています。
(人智学から見た家庭の医学)
白髪と何か関係がありそうですか?
その食糧とは栄養の事だと思うのですが・・・
どうでしょうか?
アニー・ベサントやリードビーターは超感覚能力を有していましたか?
シュタイナーが何故神智学界から分裂してユダヤのレッテルを張られたか
神智学の講義と称してキリスト教団すら異端として取り締まったグノーシス思想を
流布してたわけだからたしかに嫌われますね。
てか神智学と人智学の違いが分からない
>>803 神智学会はアニーベサントというイギリス人がインドから連れてきた
キリストの再来さんを担いで宗教団体化しようとしたせいで1912年に脱退
人智学会をつくったがユダヤ的としてゲルマン主義と対立し、デートリヒ・エッカート
ハウスホーファー等が接着剤となってナチ運動に取り込まれていったのだた
かくいうシュタイナーもシュタイナー教育を通じて宗教みたいになっちゃってる
>>804 >かくいうシュタイナーもシュタイナー教育を通じて宗教みたいになっちゃってる
そうなの?
初耳だ。この部分、もう少し詳しく話を聞かせてもらってもいいですか?
いっけんアトピーの子に有機野菜給食を食わせる学校や登校拒否児の受け皿だが、貧乏人から高い学費絞ってゆとり教育を施すと将来更に負け組になって親和性のあるグノーシス系新興宗教に落ちるという負のレールの入り口みたいなもんだ。海外ではセクトとして危険視されとるし
学校と書いてしまったが学校法人になれないNPO法人だらけだから訂正しときます。無認可学校ででサイキック教育とかマジでやってますよ
主語がないから何を言ってるのか分からない。
知りたくないの間違いでは?
知りたくないもなにも、客観性やその信頼性を判断できる形で提示してもらわないと、リアクションできないでしょ。
シュタイナーの世界観とは大きく離れている事柄が書かれているけど、その内容を「盲信」したり、自分からわざわざそれを探しに行く動機は私の中には存在しない。
学校として認可されない現実をみても客観的に判断できないのは盲信ではないか?主語がないのはシュタイナー教育と称するのすら多くは勝手に名乗ってるにすぎないからほんとに実施してるのかすらわからんからだ
>>812 あのさぁ、まじめに議論したいなら、最低限、以下の情報を調べて
・日本国内のシュタイナー教育を自称している学校の総数
・上の中で学校として許可されていない学校の割合
・許可されていない理由
・許可されていない学校の実態の人智学から見た妥当性※単なる自称の可能性もあるため
>学校として認可されない現実をみても客観的に判断できないのは盲信ではないか?
普通の人は「その現実」は知らないよ。
自分の知ってることは他人も知っているはずだ、な姿勢は早く卒業すれば?
盲信も何も、「知らないことは判断できない」がまともな姿勢なのでは?
シュタイナーは菜食主義者にも牛乳は必要だと言っていますが、シュタイナー自身はどの様な食事を摂っていたのですか?
菜食主義者だったのでしょうか?
牛乳を毎日飲んでいたのでしょうか
シュタイナー「ポテチうめ〜
女か、ググれカスとしかいいようがない。ついでにいか超よんどけ
人智学に興味あるやつでも
>>816みたいなのいるんだな。>>806-
>>807とかと同じ人物みたいだけど。
>>816 >>811 人智学に興味あるようだけど、
八正道以前に、人としてどうかしてるよ。
ゴシップに踊らされることほどバカなことはない。
この手のアホは相手するだけ無駄だから以降はスルーするわ。
神智学会の教団化をきらって人智学つくったってのに逆行してるだろそれ
人智学やシュタイナーに興味があったとしても
その人間性とは何の関係もない。どんな学問も、
学問もそのものは人間性を拒否しない。
まあギャンブラーで犯罪者の俺が言うから間違い
ないだろう。
それが真の意味で正しくあってもまた誤りであっても
今の人間が今の人間であり続けるならどんな物事にも
批判や反感は生まれる。
しかしだ。思うにそういう人間であっても自分の信念
や考え方に一貫性があり且つ生活もそれに従っている
なら、そいつがいう所の反感でなく批判は有意義な意見
であると思う。まあ大方は悪意と浅薄に基づいた雑音に
しか聞こえないが。
>>820 いか超読んで行を行ってる?
道徳心の成長なくして先には進めないよ。
唯物学問との違いはその点。
人格そのものが試されるし、正しく成長させないといけない。
あと、批判自体はかってにやればいい。
でも、根拠を持たないクレームへの同調を求められても、その根拠自体の真偽が明らかにならない限り判断出来ない。
この姿勢もシュタイナー好きの殆どの人が共有している態度だと思うよ。
まあ能書きは別にしてたまたまシュタイナーの本
を手にして読んだわけだが、俺の日常生活と考え方
とあまりにもかけ離れた内容だが引き込まれるように
頭の中に入ってくるのは驚きだ。
ギャンブル脳と犯罪者脳の俺には普段から一般人が
思いも及ばないような悪事を考えてるから一見突拍子
もないこれらの本を読むのには向いてるかもしれないな。
いかにして何やらも読んだが俺の本性と真反対の人間性
と行いを求めているのには笑った。しかし真反対故に内容は
よく理解できる。
世の中は善意ばかりじゃないのは当然だが
自分の外ばかりに悪をみて自分の中の悪意
を見ようとしたり考えようとしないと外に
ある悪意に簡単に取り込まれる。
まあ仮に、仮にだが俺がオレオレ詐欺や投資詐欺
をやろうとするならとても普通の人が考えないよう
な手法を緻密につくることが出来る。
しかしだ、だからこそ俺がそれらのどのような類いの
詐欺に遇うことはない。
俺は自分の中の悪さと弱さをよく認識している。もちろん
その反対の面も。だからこそ人よりは相手がよく見える。
でないと相手に付け入る悪事を働かすことは出来ん。
道徳の必要性は認めるが俺個人には強いて必要とも思わない。
道を変えるならまだしばし時間と熟考が必要だな。
上に言うとおりこの毛唐のいう人智学だかを自分に取り込むなら
道徳的な生き方を目指すなら同時に自分の中の悪さもともに見据える
べきと思うな。
これは俺の考えだが、悪事も道徳も、特に道徳は書物や人から
学ぶのは無理だな。書物で道徳を学べたらそれは見せかけだ。
まあ通りすがりの戯言と思ってくれ。じゃあな。
> 俺の日常生活と考え方
> とあまりにもかけ離れた内容だが引き込まれるように
> 頭の中に入ってくるのは驚きだ。
おもしろ〜い
具体的にどんな文章が頭の中に入ってきて、
よく理解できるの?
>>823 >自分の外ばかりに悪をみて自分の中の悪意
>を見ようとしたり考えようとしないと外に
>ある悪意に簡単に取り込まれる。
本当に。行を進めると、境域で自らの悪の塊と出会うといいます。普段からそれを意識して向き合っていたとしても、それは圧倒的らしい。
私も人生を使って学んでいきたいです。
それでは良いお年を。
おお今から悪人に転換する人のためにちょっと
補足。言葉が足りなかった。
<俺は自分の中の悪さと弱さをよく認識している。もちろん
その反対の面も。だからこそ人よりは相手がよく見える。
でないと相手に付け入る悪事を働かすことは出来ん。>
自分の中の弱さと悪さは相手の中の弱さや悪さと同じ
ものだということだ。仕草、表情、気分、考え方どれ
一つとってもほぼ相手にあるものは自分にあるという
ことだ。
レスの文章でも相手の言ったことでも自分の行為とすれば
自分の中に相手が浮かび上がる。賢ければよほど分裂的で
その場限りの気分屋でなければ相手は自分と何らかわらん。
だから弱さに付け入ることが出来る。
道徳あるいは道徳心についてはあまり縁がないので知らんが。w
>>824 悪いな。書くと長くなるから遠慮しとくわ。ただ世の中
にある情報、学問も含めもともと大半は昔から信じること
がないへそ曲がりゆえにこのおっさんの本は水のように
頭に流れ込んで来ただけだ。まあ感覚で言うと文字が
生きてるような文書ってたとえだな。
内容については真実かどうか考えないことにしてる。
これを受け入れると自分にとっては非常に都合が悪い
と自分が?言ってるんでなw
英語の格言に
人を指差す時には残りの4本の指は自分を向いている
というのがあって
他人を指差して非難する時には、実はその非難の多くは自分に向いている
というものだが
これを教訓、戒めと受け取って
だから人の悪口を言ってはいけない、と解釈する人は
間違っている
これはそういう状態、そうである他はない状態を表しているもの
と捉えるべきものだからだ
人は他人を見ているようで、実は自分を見ている
詐欺ではないが、保育士10人以上の託児所に出資して役員3人集めてシュタイナー教育のNPO法人として看板あげて適当にそれっぽく野菜とかつくると月謝倍額とれるという商売があるぞ。
だから、他人が別の他人を(特に感情を込めて)非難している時には
その非難が言っている当人にすべて当てはまるのが観察される
それが分かれば自分に当てはめて、自分が他人の悪口や非難を言いそうに
なったとき、それが自分に当てはまるのではないかと自問自答してみる
大体、身も痩せ細るような思いになるはず
それで、結局のところ他人の悪口もあんまり言わなくなるものです
結果として
道徳 「人の悪口を言ってはいけない」
と同じようなものになるのだが、そこに至る経路が違う
問題ない
普通、道徳好きな人に「どうして、人の悪口を言ってはならないの?」
と聞くと、「ダメなものはダメ」とか
来年流行りそうな「なるぬものはならぬのです」くらいの答えしか
かえってこないけれど
「ギャンブル脳と犯罪者脳の俺」と言っている人が
上に述べたことと同じようなことをいっているのに
しびれる〜
今年出たシュタイナーの本「悪について」で
あちらの世界で善しとされるもの
例えば、花が自身を美しく着飾ること、が
こちらの世界では悪とされる、と書かれていたんじゃ
善も悪もあまりちがわないんじゃないか、と
思えてきた
オラ、ちょっくら悪の道に踏み込んでくる
いってこいw
でも、ほどほどにしてすぐに帰って来いよw
おまえらお人よしだから言っとくがこのおっさんの本を読んで
自分を向上させようと思うなら俺が真剣に悪事を考える以上に
頭使わんと無理だぞ。
いいか俺も自分の中のマッチ棒の先っちょぐらいの善意で言うんだが
おまえら悪意あるいは悪が目の前にあったら喜んで受け入れるぞ。
仮にだ、もし俺がおまえらから自分のために何か搾取しようと目の前に
立つとしよう。そしたら俺はお前らに避けられるような状況や態度を取ったり
物を言ったりすると思うか?
気づいているかどうか知らんがテレビ、携帯、パソコンなどあるいは実際に外
から自分に素に入ってくるか好感をもって受け入れているものの大半は
おぞましいものだぞ。おれはそれらがお仲間みたいなもんだからよくわかる。
具体的には書かんがよく考えろ。単純じゃないぞ。
いいか全部とは言わんがかなりの部分で、言ったようにおれが目の前に
立っているのと同じだぞ。
単に事件や事故、ニュースを見て反感や批判を安易にしてるならまずそういった
ものはわからずに過ごしていると思った方がいいぞ。自分が外の事象に簡単に判断が
下せると思ってたら、そういう人間を俺が騙すのも簡単だ。
いうけれど俺が悪い人間でも真の善人に反感などおぼえん。たぶん、たぶんだが
もし真の善人がいたなら俺がそいつの前に立ったとしてもそいつは俺に反感をおぼえん
はずだ。だがおれを悪意のある人間とみぬくはずでもある。
こんなおれがこのおっさの本を普通に読めるのもそういう理由だ。
今年最後だから俺みたいの人間も一つくらい人のためになることを言った
ってことで来年もおのれのためだけに生きるつもりだw じゃあな。
>>836 > 来年もおのれのためだけに生きるつもりだw じゃあな。
ひ〜、しびれるゥ〜
自らの中で善の力が強くなればなるほど悪もまた深くなる、って思い出したわ。
学校での教育なんかは詐欺のための栄養たっぷりな肥やしだ
例えば新聞の読者投稿欄なんか嘔吐を催さずに読めるか
ヤクザがけじめと称した罰として指つめさせるのは身体の欠損によりエーテル体も失われて不完全な状態でしか霊体になれないからその時点で輪廻の輪から抜けられない。という思想的な意味があったのだな。なかなかアナーキーなしそうである
おくればせながら
みなさんあけまして
おめでとうございます
どうかほんねんもよろしく
おねがいいたします。 by おれ
>>841 誰かわからないけど、あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします!
あけおめです。(コンソメポテチを食べながら)
じゃがいも。。。
>>787 この「日本人は何を考えてきたのか」の大本教の回観たー
満州事変を肯定したりと、思っていたより国家主義的だったんだな
右よりの思想は体制と一致していたのに、
なぜ憎しみを感じるほどの弾圧を受けたのかについては、
番組観ていてもいまいち腑に落ちなかった
>>846 当時の国家神道と正面衝突するからじゃないの
初期は国家神道と異なる神話を語っていたんだけど
第二次弾圧の頃には、天皇を中心とした世界を唱えていたようだよ
>>840 肉体が欠損したらエーテル体も消えるんだっけ?
エーテル体はそのまま残りそうな気もするけど。
五体不満足があの世でもそのままだったら不合理だと思う。
亀レスだが
>>485 月のオオカミ人間の話は地球外生命体じゃないの?
シュタイナーによれば月の裏側の要塞で叫んだり、黙ったりしてる物質体を持った人型の存在がいるんだろ?
シュタイナー用語辞典に載ってるよ
849
遺体がそうだろ。しばらくはエーテル体に包まれて麻酔かなにかで寝ているかのようだが、時間がたつと生体としての気配の感じないただの死体になる。893屋さんは理知主義に逆らって神代の時代さながらの神秘主義的な生き方をする方々なのでそのへんはプロにきいてみよう
シュタイナー用語辞典TAKEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEe
シュタイナーのおやつUMEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEe
そろそろ真面目な議論を再開しよう(提案)
850
月の裏側に何があるかどこの宇宙期間も公表してくれないというあれだな
地底には霊的には地球についで下位に当たる天使が住んでいるのだ
地球ってかなり下位な部類だと思うんだけど、それより下位なのに天使が住んでいるんですか?
獣・畜生の類の霊魂の住み処とかだと理解できるんですが・・・
月にはどんな霊が住んでいるのですか?
なんか いか超、神智学、神秘学のいずれか読めば書いてある質問が多いように思うのだが
哲学板で語るからにはちゃんとよんでますか?
月は地球側から常に同じ面が見えるように周回してるくせに
外宇宙と反対側の地球側に隕石との衝突っぽいクレーターがいっぱいある不思議衛星であります
実録第二次世界大戦史ってDVD観てると
戦争は本当に経済問題から起きるものだということがよく分かる
戦争がいきなり起きたわけではなく、
各国のエゴイズムの伸張と打算的日和見的政策、ブロック経済による富の流通の阻害、
そんなことが積み重なって徐々に準備されたということも
連合国側は「持てる国」
枢軸国側は「持たざる国」だった
とすれば、戦争を仕掛けていった枢軸国側だけが一方的に悪いとは言えないと思うし、
戦争を起こさないための経済は、まさに友愛に基づいた互恵関係以外にはありえない
「搾取的な経済関係が成り立ち、しかも戦争になっていない状態」は、
いわば不自然な状態なので、別の場所で破壊が起きることになるんだろう
862 :
考える名無しさん:2013/01/11(金) 15:36:21.78 0
何度も何度も使用された弓は、次第にその張力を失っていきます。
弓が引き絞られるとき、それが外へ向かって結果を生じさせるだけでなく、
それと同時に、原因である弓そのものに立ち戻る結果もまた生じます。
弓を繰り返し引き絞ることによって、そこに何かが生じ、そしてふたたび弓そのものに戻るのです。
結果がそれを引き起こした原因に立ち戻ってくるのです。
カルマの働きにおいても、ある結果がそれを引き起こした人や物にまで戻っていき、
その存在に作用を返すのでなければなりません。
人や物によって引き起こされた結果は、その人や物にまで立ち返らざえるをえない、
と気づいた人は、カルマの概念にかなり近づいています。
とはいえ、繰り返し引き絞られることによって弓がその張りをなくす、
ということそれだけでは、弓のカルマとは言えません。
というのも、繰り返し使用された弓が、四ヶ月後に張りを失って使い物にならなくなったとすると、
その張りを失った弓は、機能の上で四ヶ月前の張りのある弓とはまったく別のものになっているからです。
このように、自分の身に返ってきた結果が自分を別なものに変化させるかぎり、まだ「カルマ」ではありません。
結果が、その結果を生じさせたのと同じ存在に働きを返すときにのみ、言いかえれば
存在が同一存在でありつづけるかぎりにおいてのみ、カルマについて語ることができるのです。
(シュタイナーのカルマ論)
863 :
考える名無しさん:2013/01/11(金) 15:37:29.93 0
けれども、これでもまだ抽象的なカルマの観念しか得られません。
もうひとつだけ、つけ加えなければならないことがあります。
それは、原因と結果とが同時に生じるときも、カルマについて語ることはできない、とうことです。
なぜなら原因となる存在が結果を直接引き起こしているとき、
その存在は結果が生じることを前提に行為しており、結果が生じることを見通しているからです。
特定の結果を意図して行動する人や、望む結果を生じさせようとしている人の場合には、カルマについて語ることはできないのです。
原因と結果との間に、原因となる当人の眼からは隠された何かが生じるのでなければなりません。
因果関係が存在していても、その関連を本人自身が意図していたのでは、カルマにならないのです。
カルマは、原因となる存在の意図とは別のところに働くのでなければなりません。
本人の意図とは別のとことにその合法則性が働いているのでなければならないのです。
(シュタイナーのカルマ論)
俺は通りすがりの人だが、そのカルマ論は、
アフォーダンスの観点において、
「行為するもの」と「行為されるもの」を一本の線で結ぶ時の、
非抽象世界上に実体化されるときにやむなく生じる他の線について、まるまる綺麗に語られているな。
俺はルドルフ・シュタイナーという人の本や思想は知らないが(開いていない本は一冊持っているが)
説明された原理に対して、
先に示したアフォーダンスの概念やそれが提唱される哲学ではない学問体系の存在も重要ではなくなってくる。
それは謂わば、その原理を説明するために、ある学問分野を解説の土台としなくてはならない時、
その土台こそが非抽象世界上に実体化されるときにやむなく発生する他の線であり、
即ちカルマを発生させる可能性を持つ「事の側面」であることになる。
言われるように、学問体系が消えて無くなりなどすれば、そこにカルマは存在していないということになる。
そこで見るべきは、現存している物事のなかで、いずれは失われるものであるかをどのように見極めるかだろう。
例えば、いずれは消えて無くなる学問体系自体にはカルマはない。
だが、その学問体系といった側面として発生した別の思念の形などが根底にある場合、そちらのほうのカルマは
学問体系が消えて無くなろうが、依然と解決されぬまま存在し続ける。
>自分の身に返ってきた結果が自分を別なものに変化させるかぎり、まだ「カルマ」ではありません。
>結果が、その結果を生じさせたのと同じ存在に働きを返すときにのみ、言いかえれば
>存在が同一存在でありつづけるかぎりにおいてのみ、カルマについて語ることができるのです。
永遠の部分としての自我・霊我に還ってくる影響がカルマだということかなー?
たとえば、他人に対して、不愉快なことばかり言っていたら、
必然的に嫌われるけど、
それはカルマ?
全く意味が理解できません
もう少し簡単な説明分はないものでしょうか?
自分の知能のなさを疑ってしまいます。
ちょっと何言ってるか分からない
腎臓に少し問題があるのですが、シュタイナーは何と言っていますか?
腎臓についての解説などありましたら教えてください。
糜汁から発生するものは、肝臓によって知覚され、味わわれ、感じられます。
そして、腎臓によって考えられます。
腸のなかで進行することはすべて、腎臓によって考えられ、肝臓によって知覚されます。
腎臓と肝臓のなかには心魂的なものがあって、それが知覚するのです。
人間が頭によって知覚するのと同様です。
(「身体と心が求める栄養学」)
おとなしく現われる幻覚がとくに蓄えられる肝臓は水の元素と結びつきます。
そして腎臓系は、逆説的に聞こえるかもしれませんが、風の元素に属します。
当然ながら肺がこの元素と結びついているものと思われるでしょうが、
器官としては肺は地の元素と結びついているのです。
(「魂の隠れた深み」)
スレ違いの長文なんだから別に分からなくていい
>>870 >>871 ありがとうございます!
勉強になります
腎臓に良い食べ物や強化するための何か記述はありませんか?
特定の臓器を強化する何か、というような話は
腎臓に限らずシュタイナーはしてないと思います
先生わかりませんといいながらも集まってくる集団を抱えるといずれ哲学は宗教化する。
シュタイナーはそのようにして星の教団化しつつある神智学と人智学を分裂させたものの社会主義的集団を生んで失脚したのだ。単一臓器についてとか抽象的な質問クレクレはどうにかならんか
べつにいいんじゃないの。
ここは2chなんだぜ。
本読めば理解できる内容をクレクレするってのは、シュタイナー系の団体が
訳も分からずやってても月謝数万取れるるような難解な内容を
金出して原本読んでしかも説明までタダでやってくれという超図々しいことなんだぞ
そしてみんなナチスに引っかかったのだよ
878が気持ちの悪い奴だって事は理解した。
引き続き第二次世界大戦のdvdを観ている
日本の開戦が、勝つということを論理的に考えたら決して取らない行動だと分かる
もう最初から詰んでいて、
屈するくらいなら死ぬことを潔しとする心性から来る自殺的な開戦だった
そういう心性は日本の歴史の中にも見られるし、
自分の中にも流れていると思う
なんなのか分からないけど、日本人の特徴の一つだと思う
880
内政的には世直し系の新興宗教が蔓延した末に大政翼賛会に政治まで乗っ取られたからな。ナチスにしてもブラバツキー夫人の死後分裂したドイツ神智学会からユダヤ的要素を排除してゲルマン民族主義化したカルト集団だからオカルト枢軸軍対唯物主義者の戦いだったのだ
ナチスの目標も世界征服だからね
漫画かw
征服することまでで現実的に統治することを考えてない
国全体が妄想に呑み込まれていく感じが、昔はまったく理解できなかったけど、
3・11以降はかなりリアルに想像できるようになった
>>880 そういうのを神風精神っていうのかな
チベット僧のデモやムスリムの自爆テロにも通ずる所があると思う
さらに言えば福音書に記されているイエスの行動様式もかなり近いと思う
神秘主義に忠実な原理主義組織はカルマを積む実践と称して下っ端に自爆テロを強要するわけだよ。神風攻撃にしても少年志願兵だと没落旧家の若様にヒロポンを呑ませて昏睡状態で操縦させるという呪術じみたことしてんだよ。
その我田引水な話の持って行き方はなんとかならんのか
そこがオカルト的集団が危険なカルト団体とされる所以だし歴史的事実が伴っているわけだが、何度死滅してもオカルト的な魅力を悪用して自分で考えない阿呆をあつめれば兵隊補充しほうだいだから全然いなくならないわけだよ。
戦時においてオカルトが悪用されるのは事実だと思う
真の神秘学ではなく、うすっぺらにされたものではあるんだけど
オカルトの精神的高揚の部分だけを抽出したというか
>>886 そういうオカルトはあると思うけど、人智学はそうじゃない。
人智学は自ら考えるツールを提供し、それを使って研究を進め、その結果を積み上げることでなりたってる。
妄信してる人がもしいるとしたら、その人は人智学のことが分かってないし、団体が妄信を望めば、それはもはや人智学ではない。
むしろ人智学は、そういうインチキオカルトへの耐性を上げるね
うん。実体験で上がった。元々オカルトに興味なかったけど、やっぱり何処かで超感覚的なものに惹かれるところがあった。
でも、人智学の本を読むようになってから、そういうのは本質的ではないと感じるようになり、興味が以前と比べて格段に弱まった。
シュタイナー以外の神智学協会の本は読む必要がありますか。
最近よく風邪を引くんだけどこれってカルマかな
私的にはカルマってもっと先天的で運命的じゃないかと思ってる
例えば私と湖池屋のノリ塩ポテチの劇的で情熱的な関係みたいな
じゃがいも。。。。
>>887 どの国も挙国一致体制の底辺部でカルト信者を飼い慣らして一般人に戦争を強要してたな
ナチス親衛隊は神秘学系のブリル協会がベースだし宗教を毒だとするソビエトにしても
レーニンをホルマリン漬けのご神体にして革命戦争を神話化していたわけだ
シュタイナーの自我および無意識領域の概念とフロイトやユングの心理分析を比較すると
無意識の原動力をリビドーやカタルシスよりも広くとらえているので目から鱗が落ちる
人間に生じるのと同じ輪廻転生が動物にも生じる、ということはありません。
人間の個性は、死の門を通過した後でも存在を維持して、霊界に留まり、
そして再びこの世に生まれてきますが、その人間個性と似たもの、あるいは同じものは、
動物の中には見出せないのです。動物の死は人間の死とは異なります。
なぜなら死後の人間の個性がたどるような運命を、動物界の中には見出すことができないからです。
(シュタイナーのカルマ論)
最近、
>>897で言う「個性」や「存在を維持する」が分からなくなった。
個性はアストラル体(快不快)と関係してるのは分かるが、それははたして「存在を維持する」と言えるのだろうか。
永井均さんの独今論みたく、「私」は「今」しか存在しなくて、他の今の私はこの「今」の私とは本質的に違う何かなのではないだろうか。
この手の話は何処までが「善が動機からくる方便」でどこからそうでないのか見分けが全然つかない。
まぁ、良い方便で、かつある意味正しいわけだから、分かるまでそこに乗っかるのがいいことだけは分かるけど。
記憶に基づいた自己同一性によって
その個人がその人自身として維持されていくんじゃないかな
でもそれだけだと過去生を思い出せないと駄目だよなあ
今生きてる自分と死後の自分は記憶によって同一性が保たれるかもしれないけど
今生きてる自分と生まれる前の自分は同一性を示すものがわからない
永井の独今論は知らないけどもっと深いことを言ってるのかな
知識は死後にはもっていけないとどこかに書いてあったけど
記憶はどうなるんだろう?
アカシックレコードには記録されるだろうけど
誕生から死に至る人生を見通す意識は、脳の働きによって生み出されますが、
死の門を通った後には、別の種類の意識が現れます。
この意識は脳から独立しており、本質的に別の諸条件の下で現れてくるものです。
新しく生まれ変わるまでに持続するこの意識は、誕生から死に至るまでに経験したすべてについて、一種の回想を行います。
(シュタイナーのカルマ論)
動物は死んだらそれで終わりなんですか?
自分の意識みたいなのは無くなってしまうんですか?
通常の記憶力を「表象記憶」と呼ぶことができます。
いま問題にしている記憶力は、一種の「感情記憶、感覚記憶」といわねばなりません。
(「いかにして前世を認識するか」)
表象記憶(通常の意味での記憶)は、今生限りのもの、
感情記憶は、生と死を越えてゆくもののようだよね
動物は肉体+エーテル体+アストラル体からなる存在。
自我はありません。しかし集合的な自我はあるようです。
>>897 ここで動物は輪廻転生しないと誤解する人がいると思われる。
広義の意味では動物も転生する。
ただ前回と続きではないということだね。
動物は転生しないのでは?
自我の誕生と共に、死が生まれ、また輪廻転生が開始された
動物に本当の意味での死はない、とシュタイナーは言っているはず
死はないのと転生するは同じ意味なのでは?
死がないなら転生もしないよ
転生は、死を前提しているものだから
>人間に生じるのと同じ輪廻転生が動物にも生じる、ということはありません。
人間とは違う輪廻転生はあり得るとも受け取れるけど
910 :
考える名無しさん:2013/01/16(水) 19:36:56.63 0
>>569 > 569 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/01/16(水) 08:51:38.24 O
> 今日の一言
> そこで歌われ基本的人権の尊重をより徹底する方向と言える。
×歌われ
○謳われ
>>581 > 581 :第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2013/01/16(水) 10:39:10.06 O
> 実はドコモ同じ、中継機販売を重視して、
> スマホのwifeに力を入れない。wife中継機は安いから。
×wife
○Wi-Fi
このスレに誤爆って激レアだなw
シュタイナー読む限りでは動物に輪廻転生はない。
犬ってすごい思いやりあるし、見返りを求めない純粋な優しさは霊性的に人間を越えていると思うんだけど、それでも死んだらそれで終わりなのか・・・
犬より劣る人間ってそこかしらに居るけど、それでも自我を持たせて貰って霊的には永遠に生きれるのって何かおかしいと思うんだけど、どうなんだろう?
死んだら「終わり」なんじゃなくて、植物が本当の意味では死なないのと同様に死なないとシュタイナーは言っている
動植物の個体は、同一の集合魂のあらわれの一つで、
その個体が無くなったとしても、それは本当の意味の死ではないとシュタイナーは言っている
神智学にかいてあるアストラル体の構造のなかには自我単体はなかったけど、カント研究から派生したのだから何処かに自我があるのだとおもう。
シュタイナー読んでる?
自我はあるよ
>>913 それは犬が持つ一つの特性で人がいう見返りを求めない
優しさとはちがう
>>899 記憶は夢と同じだし、死んだら宇宙に返すよね?
私はそんなもので同一性は保ってないよ。
少し前までは輪廻を貫く「私はある」としかいえない「ある」があって、それが同一性を保っていると思っていた。
阿頼耶識とかはそれに近い。
でも、それも幻かもしれない。。。
独今論は深いと思う。独我論を今に拡張した考え方なんです。
>>909 ようは、「動物死ぬ」の「動物」はこの世界の現象を差していて、それは輪廻転生しない。なぜなら、その「動物」の本来の主体はその種の集合魂の主体だから。
そのこの世で死ぬ「動物」は人間で言う指や髪の毛一本と在り方は似ているって話だよね。
で、人間とは違う輪廻転生って言っているのは集合魂の主体である「私」に人間でいう死に似たものが在るのであれば、輪廻転生するって言えるのでは?ってことだよね。
地球期が終わる時に空白の期間が訪れ、また新しい期が始まる。そういう意味では、その空白期間は人間で言う睡眠や死に似ている。
世界はフラクタルだから十分あり得る話だよね。
>>918 シュタイナーによると自我は宇宙に広がっていくらしいけど
自我=宇宙・世界なら独我論は普通に有り得そうな話だね
ただ、その時の自我は他者を内に含む自我でなければならないだろう
他の今の私とこの「今」の私も対立関係や単に並列して存在する関係であってはならず
この「今」の私が他の今の私を内に含んだ存在でなければならないはず
自分でもよくわからないけど
動物が生まれるときは以前の集合魂と同じなのだからある意味人によっては生まれ変わりと言う人もいるかもしれない。
転生の定義は人それぞれだからね。
誰かが前世においてあまりに自我感情が弱かったために、
現在の意識段階にふさわしくないほど外に対して依存的であり、
自己を見失っていたとしましょう。そして、他人の命じるままにあれこれと行動していたとします。
さて、その人がカマロカ期に、この不十分な自己感情に由来する行動を回顧したなら、次のような意図を持つことでしょう。
「自己感情をもっと発達させよう。来世では、生まれ変わったときの身体を通して、自己感情を鍛え上げよう。そのためには、
肉体、エーテル体、アストラル体から来る力に対して、自我が十分に対応できるようになる機会を作らなければならない。
身体に特別の症状を生じさせて、それをお前の弱い自己感情に働きかける契機にしなければならない。」
とはいえ、この意図は意識化されては現れてきません。
多かれ少なかれ、無意識の領域に留まっています。
しかし、その人は無意識的なその意図にしたがって、自己感情を最大限に緊張させます。
自己感情に大きな負担をかける人生を生きようとするのです。
そのようにして、まるで磁石に引き寄せられるように、大きな障害の原因となる場所と機会とに引き寄せられるのです。
(シュタイナーのカルマ論)
エドガー・ケイシーがじゃがいもについて語った時に、「人間に必要なのは皮の部分であり中身は犬か豚にでも食べさせておけばよい」と糖尿病の患者をリーディングした時に言ったのですが、
じゃがいもを(好んで食べた場合も含めて)食べ過ぎてカルマを積んだ動物はどうなるのでしょうか?
人類に貢献したり、感情的にも深く関わった動物霊は同種族の類魂の枠から外れてしまい、外道の様なものになったりしてしまいますか?
それとも逆に昇華して人間に生まれ変わったり自我を持ったりできるのでしょうか。
じゃがいも。。。。。
シュタイナーによれば動物は輪廻転生しないんだからカルマなんてない
>>920 >この「今」の私が他の今の私を内に含んだ存在でなければならないはず
それはそうだと思うよ。この「今」が過去を作っているのだから。
超感覚的云々が関係なしに悟性だけで認識できる。
例えば、自分が過去にタイムスリップしたとする。そして、
そこで過去の自分に会う。その過去の自分であった人物とこの「今」の私はどちらが「私」か。
もちろん、この「今」の私である。で、過去の私はこの「今」の私でないなら、他者である。それを、他者と言い切って抵抗があるのは、霊や魂や生命や身体が織りなす出来事を隅々まで知っているから。
でも、事実は「隅々まで知っているだけ」でこの「私」でないもの、ようは他者なんだと思う。
そして、この「私」は過去の無数の私でたる他者の集積から出来ている。
その意味では個人的には、
「この「今」の私が過去の他者を内に含んだ存在でなければならない」のほうがしっくりくる。
結局は最終的に残るのは「ある」だけだ。
言いたいことは、「私」とは「ある」の影でしかない、ということ。
なぜなら、「ある」が今を作り出し、「ない」が生まれる。「ない」とは、過去と未来のこと。
過去生も今世の過去も「この「今」に応じて「作り出される」。
「私がある」という現象が生じる限り、そのようにならざるを得ないだけのように感じてしまう。
一切は「ある」でしかなく、そもそも時間なんて「ある」に今生の「魂と生命と身体」が作用したことで生じた幻想なのではないか、と感じてしまう。
エレア派のゼノンの「飛んでいる矢は止まっている」に似てるね
929 :
考える名無しさん:2013/01/18(金) 09:23:43.08 0
前世において、あまりに自己感情の下に一連の行動をとってきた人の場合です。
その人はカマロカ期、自分の自己感情をほどよく緩和して、調和的な在り方をさせなければならないと悟ります。
そこで生まれ変わったときには、どうやってみても自己感情に歯止めがきかず、
自分が不合理な存在であると思い知らされてしまうような機会を、三つの体を通して体験しようとします。
そのためにマラリアにかかるのです。
これらはカルマ的な病気の例ですが、そこには、通常の意識が担っている理性よりもさらに高次の無意識的理性によって、
魂をさらに発展させていく過程が示されています。
この点をよく考えれば、伝染病に対する理解がひらけてくるでしょう。
人間はカマロカ期の経験から、特定の病気にかかることを選び、その病気を克服し自己回復力を発達させることで、
人生をよりよく生きようとするのです。
(シュタイナーのカルマ論)
>>920 神智学だと
A肉体 Bエーテル体 C魂体 D感覚魂 E悟性魂 F意識魂 G霊我 H生命霊 I霊人
だったはずが本によってアストラル体部分の順番が変わる。同時期のフロイトが定義した
エス(イド) エゴ スーパーエゴに当てはめるとイドが感覚魂までとしてエゴと超自我の境界がわからん
意識魂と霊我の間に自我が入る、あるいは意識魂≒自我で
自我は魂ではなく霊に嵌入している
>>928 考え方は全然違うよ。別に微分してるわけではないから。
どちらかというと、仏教の考え方に似てると思う?
今日SRという概念を学んだ。
例えば、
カメラの着いたヘルメットを被って、
景色をみると、カメラから自分の見ている映像がヘルメットごしに見える。
自分の手足をその映像ごしに見て、その映像がリアルであると信じる。
ヘルメット装着者がそう信じた後に、その映像にに現実には生じていない虚偽を混入させる。
例えば、その場所に実際には存在しない人物を登場させ、会話する、とか。
もうそれがリアルだと信じるので、虚偽も真実だと思い込む。
でも、それは加工した映像と音声をヘルメットに写しただけ。
この「体験」は客観的にはもちろん虚偽だが、等の本人にとっては紛れもない事実である。
この技術を応用すると仮想現実のアバターの世界に実在が誕生する。
この現実は同じような仕組みで出来ているのではなかろうか。
この虚偽の対話を2日間続けるとする。それは紛れもない一般的に言う自己同一性の根拠となる。
虚偽が根拠だったとしても。
「日本人は何を考えてきたのか」の北一輝と大川周明の回観た
ずっと意味不明だった五・一五事件と二・二六事件の背景が見えてきた
彼らが何故クーデターに走ったのか?
腐敗した資本主義による、二極化や既得権者層による収奪に対して怒っていたのだった
そういう意味で、今の状況ととても似ている
資本主義が腐敗していても、富が循環している時には、怒りが爆発することはない
しかし必然的帰結として、腐敗した資本主義はいつか必ず富の循環を止めるので、その時に爆発する
そして、クーデター首謀者の中にはたしかに理想主義的なものがあったのに、
結局その暴力的行為は、軍部の暴走という形で、悪に荷担してしまった
一片の善意が、間違った方法を採ったことで、悪に転化する
これも、よくあることだと思う
教科書では、これらの事件を、「青年将校のクーデター」としか説明していない。
そんな説明では何も言っていないのと同じことだ。
なぜこんな意味不明の説明しかしないんだろう
ある種のやましさが表現をスポイルしているのだと思う
北一輝にしても大川周明にしても、目指したのは腐敗した層の力尽くの排除で、
根本的な解決に繋がるものじゃなかったんだな
大川はシュタイナーの社会三層化という「正解」に触れていながら、
対症療法に突っ走ったのは何故だろう
真珠湾攻撃の日に敗戦を確信した句を詠みながら、
その後戦争を正当化する論陣をはったりもした
このアンビバレンツさも何か日本人的だという気はする
そしてなかなかの「人物」である北や大川も
シュタイナーに比べると随分小さいという感じがする
日本人って、一言で言うと「幼稚」なんだと思う
戦前・戦中にアメリカが撮った日本を知るためのフィルムを観ると、
そのあまりの正確さに驚愕する
一方その時の日本人の、敵国の認識におけるあまりの幼稚さたるや。
そしてその幼稚さは今も何一つ変わっていないし、
自分の中にも流れていると思う
日本人はなぜ、自己批判が好きなのかよく分からない。
外から見るとクールジャパン。でも、日本人から見ると、そんなことあったためしがない。
大切な何かが、検討されずに偏見で削ぎ落とされる運命にあるのであれば、それにも意味があるのだと思うけれど。
理想主義者は外部に理想を見る。そして、現実を知れば、大概落胆して途方にくれる。
自己批判が大好きなら「大日本帝国」とか言わないと思うけど
他者をあなどり、自己肥大する
それが幼稚さのあらわれだと思う
アジアでは青年期後半の特徴が、永続的に地球の力から表現されています。
青年期後半の特徴が地球から人間に与えられ、それが人種の性格を形作っています。これが黄色人種です。
(「民族魂の使命」)
そうだと思う
>>938 そういう話になる時に気をつけないといけないのは、批判する対象にその批判する行為によって自分がそうならないように、ですよね。
ここら辺ってどう折り合いつけてます?
マクロとミクロの視点ではもちろん勝手は違いますが。
単純に気になります。
シュタイナーは膀胱について何か言っていますか?
膀胱を病んだ時の治療法等、語っていますか?
「シュタイナー 膀胱」で検索。無料です。
>>940 生き残ってはないと思うけど・・
歴史の中で駄目だったことが証明されたじゃん
駄目に決まってるんだけど
シュタイナーの社会三層化は未だアクチュアルな未来としてある
ナチスと聞いただけで嫌いなのかも知らんが、社会三層化のような理性的活動は星の教団やナチスのように集団的無意識(集団ヒステリー)をコントロールすれば数で押しつぶすことができるからな。クレクレ君や阿呆なカキコミが多数派しめると議論の余地がなくなるこのスレも同じ
>>943 ありがとうございます
勉強になります
解決できそうなヒントを得ることができました
無料という言葉に体が反応しました
太陽の動きを生と死に当てはめた時、
誕生(クリスマス≒冬至)と復活(復活祭≒春分)がズレてるのって何かおかしくない?
太陽の力がもっとも弱まる冬至は、「冥界の最深部」であって、
「死」はその前の、秋分にあたるのが適当なのでは?
つまり
春分=誕生=復活、夏至=人生の最盛期、秋分=死、冬至=冥界の最深部
になるのでは?
でもそう考えると、太陽神キリストの誕生日としてのクリスマスがおかしくなる
どう考えたらいいんだろう
冬至を「太陽の死と再生の日」とすると、
死んで瞬時に再生するのか?
死んでいる期間(人間でいえば死と再受肉の間、星でいうとプララヤ)はまったくないのか?
と疑問
>>942 それよりアントロポゾフィー医学関連の本読んだ方が
勉強になるかもしれんぞ
アントロポゾフィーの医学関連の書籍というとどれですか?
「ベーシック・シュタイナー」や「シュタイナーの学校・銀行・病院・農場―アントロポゾフィーとは何か?」でしょうか?
オススメの本があったら教えてください。
太陽の運行の規則的であることを考えると、
「生きている時間」と「死んでいる時間」は等しい長さになると思う
一方、キリストの物語だけでなく、あらゆる物語は、
「死んでいる時間」がとても圧縮されていて、「死」から「復活」までの期間が、とても短い
物語というものは、人間が作るものだからかなぁ
太陽神が三日で復活するっていうのは、惑星の運行に即して考えると、不自然なことで
そこは「人間の物語」に引っ張られているんだろうか
人間は、ルツィフェルの働きを自分の内部に担うことによって、
その影響がなければそうありえたであろうときよりも、
もっと善でないものへ誘う誘惑者を内部に担うようになり、
その影響がない場合に判断し行為したであろうときよりも
もっと激情と情熱と欲望とから判断し行動するようになったのです。
この影響によって、人間本来の個性は、あるべき状態に存在するときよりもいっそう「欲望の世界」に埋没するようになり、
はるかに深く、地上の物質界に引き込まれるようになりました。
(シュタイナーのカルマ論)
仏教では唯一の敵は煩悩としてるけど、アーリマンとルツィフェルは=煩悩と言って良いかもしれない。
シュタイナーが仏教とキリスト教の架け橋になってくれた。
日本人は何を考えてきたのか〜西田幾多郎と京都学派観た
京都学派や西田も軍部に尻尾をふっていたという
西田は全体主義に批判的ではあったといえ、尻尾をふったのには変わりない
もっとも、あの時代の日本では、
ほとんど死を覚悟することでしか軍部への批判なんてできなかっただろうけど
全体に対する個の柔弱さは、日本人だなぁーと思う
なんでもかんでも解体されて何の影響力もなくなった政府機関が単独で暴走したせいにすること自体が日本人の弱さだな。軍部への批判そのものを処罰する法はないが寧ろ集団ヒステリー状態の民衆から攻撃を受けるわけだよ。末期には勝手に米軍パイロットを虐殺したりもした
>>950 Amazonでシュタイナー医学で検索すれば
関連書が上からずっと出てくる
アーリマン的な誤謬−これには嘘や不実などの意識的な不正も含まれます−
によって生じる病気は、一回かぎりの人生においてではなく、転生の中で生じます。
ルツィフェルの影響もまだ同じです。
犯した誤謬は、いつか罰せられずにはおかないのです。
その罰は、通常の理性よりもさらに高次の理性によって下されるのですが、
高次の理性がそうするのは、死から新しい誕生までの時期に、
誘惑に対抗する力を私たちに与えるためです。
ですからその結果である病気は、私たちの人生の力強い教育者として働くのです。
(シュタイナーのカルマ論)
959 :
sage:2013/01/23(水) 00:30:38.20 0
しかしまあ、シュタイナーはヨーロッパ人に「おまえら、そんなことばかり
アジアでやってるといつかアジアの一国がおまえらに反撃してくるぞ。
だがその国は他のアジア諸国からも裏切り者扱いされて孤独な立場に立たされて
戦わざるをえないのだ、気の毒に」というような趣旨の話をしているよな。
肺炎の例を取り上げてみましょう。
この病気もカルマの結果を示しております。
それは患者がカマロカ期に自分の過度な官能生活を回顧したことの結果なのです。
前世の生活意識が今世にも持ち込まれるとは考えないでください。
今は生活意識を問題にしているのではありません。
カマロカ期に、生前の生活への反省が肺炎に対抗する力を人間に組み込むのです。
それによって、肺炎の患者の自己治癒の過程において、
その人の個性は、ルツィフェル的な勢力に力一杯の戦いを挑むことができるようになります。
ですから肺炎の治癒過程は、前世の放縦な性格を捨て去る機会でもあるのです。
このようにして、肺炎の中に、ルツィフェル的な力に対する人間の戦いを見ることができます。
(シュタイナーのカルマ論)
>>961 これ俺の事言ってるな。
俺の前世は遊び人だったじゃないかとたまに思うことある。
思えば過去に2回肺炎になってるし。
今世でまったく女っ気がないのはそのせいか。
おれは2回車に引かれたことがあるけど、これは何のカルマなんだろうw
アーリマン的な力に対する抵抗に違いないw
性への耽溺の反省が、なぜ肺炎に繋がるのだろうね?
>>963 車に引かれたときに痛みを患った箇所に意味があるんでない?
アーリマンは幻覚をつかって人間をコントロールするのがお仕事なので
交通事故と結びつくとしたら幻覚が原因の判断ミスか相手が幻覚をみて
ぶつかってきたかだ。
>>965 一回目は左のおでこと唇を縫った。
二回目は奇跡が起きて、超スローモーの世界で意識をある程度保って、受け身とれて無傷w
>>966 墓石屋の隣で、見通しいいのになぜか事故が多いとこだったからそうかもねw
>>967 そりゃそうだw
でも、それから事故らないように細心の注意を払うようになった。
それが今まで生き延びてこれた大切な学びだったのかも。
肺結核の場合は事情が異なり、独特の経過がそこに現れています。
すなわち、自己治癒力が働いて、肺に生じる有害な影響は結合組織で覆い包まれます。
石灰・塩分を含んだ物質が全体を固く囲んでしまうのです。
もちろん肺結核から回復した人の場合ですが、そのような囲いを肺の中に持っている人は、
普通信じられているよりもはるかに数多く存在しています。
そのような場合、人体とアーリマンとの戦いが遂行されたのです。
それは外への防御の過程であり、人間本性を守るために、外的物質性に対して挑んだ戦いの結果なのです。
(シュタイナーのカルマ論)
日本人は何を考えてきたのかの吉野作造と石橋湛山の回観た
この特集はとてもいい番組なんだけど、
日本人ってアカンなぁ・・と、思うことが多かった
でも吉野作造と石橋湛山は、素晴らしい日本人だった
戦前に、完全に見通していた
戦中には、自分の言葉の使い方に注意はすれども、日和ることはなかった
だからこそ戦争が終わった直後に、「日本は実に前途洋々たり」と言うことが出来た
もし石橋湛山が病で倒れることがなかったら、日本の歴史も今より少し良い方に変わっていただろうと思う
でもそんな大人物が総理大臣にまでなれたんだから、日本も捨てたもんじゃないと思った
968
アーリマンではなく低位霊ではないか? 自分の死を理解できず霊界参入もできない例は人間を驚かすくらいしか存在意義を見出せなくなるのだ
podcastとかの音声を流しっぱなしにして寝てしまうと
夢から覚めた瞬間に外の音が聴こえはじめて
寝ている間は身体の外にいるんだなーと実感する
睡眠中に地震や津波で肉体が滅びると帰るところをなくしたアストラル体だけが彷徨う羽目になりそうだ。
人はたいてい昏睡状態になってから死ぬからそうはならないのでは
トンネル崩落事故とか飛行機が地面に激突とか電車やダンプにぶつかって即死なんてのは無きにしも非ず
物理的な死に方の違いによって死後の生活が変わるとかないだろう
唯物論的な考え方だと思う
といいつつ肉体と来世の肉体だけに縛られてる時点で唯物主義と
カルマが必ず報われる筈だという原理主義的な願望が合わさったこと言ってるな。
カルマの法則がヴェーダ教のウパニジャットの記載からあるのと
自然科学や霊的ヒエラルキアを超えた絶対の法則かどうかは別
シュタイナーの言う、霊と魂の違いを教えて下さい
本を読んでいても上手く理解できません
お願いします
魂は霊と肉体の中間で、物質ではないけど、物質と親和性が高い
霊はもっと精妙で、ヒエラルキアが高い
事故現場でも何でもなさそうな道端に新しい花がなぜか置いてある事があるけど
あれって運転中に花に気を取られた一瞬の意識の隙に漬け込んで
アーリマン的に乗り移ってやろうというこんたいではないかな?
>>979 ありがとうございます!
上手く理解できました
982 :
考える名無しさん:2013/01/27(日) 12:02:10.65 0
過去スレほとんど読めないんだが
何でだろ・・・いつも読んでるけどな
9年前に立った最初のスレも全て読めるよ
それにしても、シュタイナースレの質の高さは2chの中にあって本当に奇妙。
あくまでも2chの中で、だけど。
シュタイナーが生前意識的に行ったことの賜物だと思う。
>>985 難解だから批判しにくい荒らされにくいんだろう。
987 :
考える名無しさん:2013/01/28(月) 09:39:52.72 0
病人が死を望まなければならない場合もありうる、という考えは間違っています。
そのような言い方はけっしてできません。
なぜなら、治るか治らないかを決めるのは、私たちの通常の意識よりもはるかに高次の理性であるからです。
この場合私たちの通常の意識は、誕生と死との間の世界を謙虚に生きることで甘んじなければなりません。
高次の意識だけが、死を霊的働きの贈り物として受け取ることができるのです。
生きるのに役立つよう働こうと努める私たちの通常の意識をもって、高次の立場に立てると思い上がることは許されません。
そう思ってしまったら、迷いに陥り、けっして冒してはならない「人間の自由の領域」に、ひどい仕方で干渉することにもなりかねません。
患者に協力して、その人の自己治癒力を発達させることができるときには、あるいは自然の力を借りて治療できるときには、
私たちはひらすらそうしなければなりません。
人が生死の瀬戸際に立っているとき、私たちのやるべきことは、治療のために全力を尽くすことでなければなりません。
そうすれば、私たちの力がその人の個性に手を貸すことになります。
医療とはそのような人の支えとなる働きをすることなのです。
不治の病気を患っている人に他の世界で生きるように求めたとすれば、その人の個性に干渉して、私たちの意志を押しつけることになってしまいます。
生きるか死ぬかの決断は、当人の個性に委ねなければなりません。
私たちはただ回復するように、できるだけのことをしなければならないのです。
(シュタイナーのカルマ論)
985
他にオカルト板があるからUFOや心霊現象の写真みたいな実存主義でしかオカルトをかたれないかたはそっち行くから
>>985 上の議論の中で具体的にどのようなレスが
質が高いと感じましたか?
そういうのって感覚的なものなんじゃないの
具体的にどのレスがって何言ってるの
991 :
考える名無しさん:2013/01/29(火) 01:03:26.66 0
>>989 集合的なものからそう感じました。
でも、ちょっと探せば具体例を見つけられると思いますが、
具体からそう思ったわけではないのであげたくないです。
すみません。
>>992 読めました。
ありがとうございました。