【批評空閑】柄谷行人を解体する43【明大前下車】

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345考える名無しさん
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     /    ⌒  ⌒  \   あららじゃねえだろう2ちゃんねるでウンコ漏らしてんじゃねえよw
     |       ,ノ(、_, )ヽ    |        みんなに見られてるのにww
      \      トェェェイ   /   
       /   _ ヽニソ,  く




もういいやじゃねえだろうw

それに俺の記憶だと、「ドイツ・イデオロギー」の草稿をまとめ上げて最初に出版したのは
たしかソヴィエト科学アカデミーだ。
つまりロシア革命が起きてもうしばらくしてから、はじめてドイツ・イデオロギーは読まれるようになった。
ヨーロッパにおいてもだ。

更に記憶を思い出してみるとたしか、
「経哲草稿」さえも出版されてヨーロッパでヒットしたのが、もう第二次大戦後のことで
「ドイツ・イデオロギー」がヨーロッパで読まれだしたのはそこから更に遅れた時代だった。
サルトルが「存在と無」を書いていた時期は、ドイツ・イデオロギーはたしかまだ出ていなかったんじゃないか
そんな感じだ。