【知弁和歌山の夏】

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58考える名無しさん
AA哲学というのは、A, 非A, A∧非A, 非{A∧非A}という四つの論理形式に依らないという意味。
この人と自分は立場が逆だし、これは論理学的な捉え方ではあるがそのかぎりで悪くないと思う。
そしてこの論理学の彼岸の一つの定式化がライプニッツの「AがAであるには十分な理由がある」だ。
この充足理由律がカント哲学の底流となっているのはいうまでもないし、ショーペンハウアーもそうだ。

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