>「存在すること」 これは人間がいるかいないかとは関係なく、ただなにかがあるだけ。「存在と
は何か」 これはただ人間が考えるだけのこと。前者を客観といい、後者を主観という。 主観だけ
で思考を進めていく方法を観念論という。
何何?(笑)だからここで「存在する」の語弊がもうあるんだ。ハイデガーの場合、「存在する」もしく
は「ある」は「何かがある」ことだけでなく、形容詞や形容動詞たとえば「美しい」「不快だ」といった
形容も含む。だからそこで「存在する」でなく「有る」の方がハイデガーの意図に叶う。ということが
ある。学派の争いとか関係ない。
それから、上記のような判断が為される場合、そのことの根拠はその人間の主観ではない。主観
は生の内的経歴に拘束され、その歴史性の発現する場が現有 Da-sein と呼ばれる。
客観を否定しないが、それが、例えば資本主義社会が、人間に訪れるのは有を通して。だという
のは我々が日常的に経験していることで、不思議でも何でもない。そういうことを消去するから
かつての連合赤軍による同志粛清みたいなことが起こるのさ。