客:260が言ってることから2点取ってみよう。
1.吉本本人からバカと言われている人間の言うこと等真に受けることはあり得ない。
吉本が何と言おうがバカと言おうが用語が我流で難解の故に生前から意図が伝わらないことは
事実だけどな。その無理解や誤読の歴史が吉本には付いて回った。『言語にとって』からして同じ
運命を辿ったことは当時からあれへの批評を読めば大体解る。確かにあれは批評の基準を探る本
で、客観的と言えば客観的。ところが吉本自身の出発点には膨大な詩が存在し、吉本の思想的生涯
自体、あれらの詩の延長と見なすこともできる。吉本の批評にある客観性の根底に絶えず情感が
ある。少なくともあの根底に絶えず何かしら抑えた情感があったことが吉本の批評の魅力だった。
主:いや、客観的と言うならば吉本の原理的著作は客観的。ハイデガーだって客観的。そんなこと
を問題にしても、客観的。だから何?となる。人間が存在する場所には様々な面があり、客観的な面
はその1つに過ぎない。詩や小説、を吉本はずっと論じてきた訳で、客観的存在が人間の一部に
過ぎないことは自明だったはずだ。
客:思索の方法として客観的。それはそれ自体挙げても意味ない話だろう。だけど幻想として、
あるいは〈有る〉としては客観的であるか否かは問題外になる場合はある。それらが歴史的根底
を持つという解釈が両者に共通する。読んでれば解る話だ。芸術は典型的でね。
2.『言語にとって美とは何か』の周辺の批評に吉本が如何に客観的であろうとしたかが解る。
おおそうだけど。別に吉本が客観的ではないとか軽視したとか言ってないけどな。ただ客観性でさ
え或不可避とともにあることがしばしば指摘もされるだろう。しかし客観的客観的って何かの
宗教か?(笑)
主:客観性信者でいいじゃねえか?相当の信仰みたいだから。大学とかでそうなったのかね。