客:特に取り上げるべきレスもないんでどんどんやっちゃうけど。246レスに今道って人の説が
引用されて、荘子の処世がbeing in the worldとして訳されたのが世界内存在の元になった
とか、面白いんだけど、「世界」の意味合いとして「世間」があるとハイデガーが書いてる所もある
んで「世」という意味合いは把握していた筈で、しかしハイデガーの場合にはその意味合いではな
い。「世」という意味は知っていたが、自分の場合にはそうではない。「有るもの」という意味で捉え
る限り解らないよ。今道って人も含め。吉本の心的現象論で書かれる原了解以前にある問題をたど
れば解るんじゃないかと思うけども。あれだけでも目を通せば足りる位に問題意識は重なってる
からね。肝心のハイデガー研究者も吉本研究者も目が悪い為に気付かないみたいだけどね。
主:目が悪いというよりは元々どこまでハイデガーとか読んでるのか疑問だけどね。専門家の話
を読んでもハイデガー専門家っていうのは大学教授とかだからか、あくまでも学問の、それも
大学学問の一種としてしかハイデガー等も、またはニーチェ等も捉えられないような感じを持つ
訳だ。それだと自ずと読み方に限界が出てくる。「教養は何と言っても大事です」みたいなね。そう
いう教養主義をニーチェは嫌ってたしハイデガーだってそうだろう。とことん迄行くと大学学問
からはみ出すのがあれらの思想と思うけどね。