客:主-客の議論が盛んだけど、全然ピンと来ないんだな。そもそも生活の中では全く能天気にし
か見えない話だし、明日もある仕事、やらなきゃ食えない。客観的に確かな事などわざわざマルク
スやらヘーゲルやら出さなくても始めから分かるしな。でも本音では休みたい。主観的には(笑)
どれかのレスでもあったけど人間が日常的に主観的にも客観的にも同時に生きていることほど
確かな事はない。それが生活ってことだ。
主:その生活に於ては主観的にも客観的にも生きている、ってことは実はハイデガー思想に於て
も絶えず横目で見られている。元々事実性ということをそこでは重んじている訳で、生の事実性
を如何に解釈するかがハイデガーの課題でもあった。だけどそこで主観や客観が成立する場とし
ての生というのが問題だったと思う。生ということを事実性として捉える時、関心 sorge とい
う領域が浮上し、到来性としての歴史性というのが看過されない問題として出てくる。それこそ
が有の問題、時性なわけだ。そう難しい問題ではない。ハイデガーの場合はね。
客:生の事実性の解読として読むべき、ってことだよね。