1 :
考える名無しさん:
全然想像つかん
やっぱ神かなんかでもいたの?
何かわかる人いたら教えてください
>>1 ジェスチャとか、うなり声(威嚇や感情表現)
カラスとか普通に原始的な言葉になるまえのウナリ言葉使っているだろ、
あとイルカとかは音の周波数で個別認識をして誰かに会いたいとかの
目的を表現するときに個別識別音を名前のように使う社会がある。
ちゃんと自分の音と固体ごとの音を区別しているぐらい常識として
しっておけよ。
>>1 言語には記述言語と会話言語の2種類があって、お前が認知しているのは
記述言語のほうである。
記述言語は生まれる前の会話言語を残す手段は歌や踊りで示す伝説の語り部
しかないので正しく伝わらない。
記述言語が生まれた時点で言葉は相当難解な表現もできる柔軟性のある言語に
発達しているわけな。それ記述言語より前の会話言語など証拠で残せるもの
ではない。
何か難しい…
音からここまで多種多様な言葉が出来たって事?
>>4 方言とか放置しておけば多種多様に変化する。
流行語がメジャーとなり、古き正しい使い方が死語になる。
おまえはNHKみたいに誰も使わない言葉を正しい言葉と言い張るのか?
それ以前に言葉の歴史を調べてきたほうがいい、世界中の言葉が変化した
過程を知れば言葉など流行にすぎないことが理解できよう。
このスレタイで敢えて哲学板にスレを立てるのか…
ちょっと理解できないんだけど、何故この板を選んだの?
>>6 哲学を哲学者の歴史や哲学者が行った考え方の解釈だと
学校で教わるからである。哲学な人に聞けば解決できると思うのは
いいとしてそれは科学でもないし文学でもない。
哲学は道具であっても確定された知識ではない、
考え方の1つでしかないからである。
2chではオカルト板ですら学問的に捉えることを推奨している、
故になんでも学問なのである。
>>5 でも基準があってそれで統一した方が
いちいち考える必要無いし
理解も早いじゃん?
バカでごめん
>>8 お前は同じ理屈で全人類のDNAを統一した方が良いと考えるのかね?
>>8 >>5は別に標準語の必要性を否定してるわけではないだろ
自分で書いた
>>4の内容も覚えていないのか
言葉も文字もここまで多様にあるのが不思議だしよくわからない
12 :
考える名無しさん:2012/05/18(金) 20:09:08.82 O
物事をそのまま指して考えていた
↓
物事を概括し、物事を指さない代わりに言語に概念を意味させた→効率的に考えられるようになった
13 :
考える名無しさん:2012/05/18(金) 23:03:28.84 0
吉本隆明はたとえば海と言う言語が実際に海を見て発した単語”うっ!”から生まれたと言っていたが
そんな吉本の本を見て俺は”うっ!”といって本を床に叩きつけたことがある。
言葉は世界から共通するものや差異をみいだすことによって生まれる
まだよくわからない…
永久に無理。
たとえば死んだらどう感じるなど言葉で説明できるわけがない。
いっっぺん死んでみろ。
あぼーん
現実の無限性に比べて、言語の貧弱なことが人間の悲劇。
その限界を超えるため、数学が生まれ、音楽が生まれ、芸術が・・・・
言葉で表現出来ない事などありません
表現できないことだらけだよ。
実は、本当に表現できることはひとつもないといってよい。
幾何学は素晴らしいものだ(もちろん、中学生がやるようなユークリッド幾何ではない)
正に認識が拡張されるのを実感できる
そうそう。できるさ
言葉はいつもちぐはぐ いつも外れ
表記&記述言葉が出来る以前の音声のみの会話言葉に
何が必要かは現代の表記言葉のような性質ではないってことだ。
混同して同じものだと思うかぎり何も得られない。
言葉が無かった原始時代では、言葉はみんなで協力して狩をする為の単なる合図でしかなかったんだろうな
獲物を見つけた時の合図
敵が来たので逃げろの合図
など
そして徐々に合図が複雑化していきいずれ言葉が生まれた、と考えると自然だな
>>26 イルカの狩り、狼の狩り、カラスの合図など参考にするべし。
29 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 20:37:07.88 0
歌が起原説ってあったな
発話の前に歌とは言わないな。
リズムや曲と歌は違うだろ。
動物の歌というなら囀りや鳴き声と言えよナマポ君
31 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 20:53:04.55 0
リーマン小太郎に「言語」は難し過ぎる。リーマン小太郎には無理だ。
×リーマン小太郎
○Re マンコ太郎
>>29 多分、構文法言語の起源としての叙事詩の意味でいってるんじゃないか?
ま、俺はそうおもわんけども、叙事詩、ないし、口承が構文法の形成に力があったケースは想像できる。
近代英語にシェークスピアが一定影響したのもその系と見なせるだろう。
35 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 21:02:22.10 0
言語は仲間との合図として吠え声なんかが発達したものだろうな
36 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 21:16:50.80 0
言語の起源の前に、言語とはなにかだな
鳴き声は言語ではないのか・・・
意志、意図、希求の伝達だろうな。
そのはじめ構文法が共同主観化されてるわけないので、「一語文」からの出発であったろうことはまず承認していいのだろう。
ちなみに伝達対象が概念的に自存すると、「生きた他者」を対象としない「発露的な表現」が可能となるだろう。歌なんかそれだな。
俺なんか女に
「ウーウー」とうなって、かつ、モジモシしてエッチしたいと伝えてる。
無論、同じ「ウーウー」の意味は多様でありえる。現代の構文法言語にいきる人間でも、音声言語の意味理解には、非音声的な情報の海の中で、音声の象徴性を把握してるわけだな。
俺なんか、女とデートするとき、ふっと手を女の太ももにおく。
エッチしたいの意図の表明だな。
音声言語を言語として格別に別格とするのは、構文法言語からの投影だな。
そんな俺は女に不自由してこなかった。
38 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 21:47:00.62 0
>>37 言語が意志、意図、希求の伝達?
動物でもやっている
というか「起源」の枠からと理解してる?
まさか「定義」と思ってる?
定義からはじめるのは馬鹿よ?
41 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 21:51:16.12 0
リーマン小太郎の処理能力が、ここで限界を迎えた。この地点に旗を立て、記念にしよう。
43 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 21:59:22.63 0
44 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 22:01:32.41 0
45 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 22:03:40.30 0
「リーマン小太郎」ってコテだったのか。
俺、ID見ないから気づかなかった。
47 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 22:11:04.68 0
>>46 君は波平の自演キャラっぽいな
書き込み内容がアホ過ぎる
説明しよう。
突如現れた「涙拭いてね」という新アクション。
どうしてこの場この時に突然「涙」が関係してくるのかというと、
リーマン小太郎の身体に何らかの変化があったためである。
恐らくリーマン小太郎が涙を流したのではないだろうか。
人に何かを伝えるときに、人は身の回りのものを使用しながら、その何かを伝達しようと試みる。
現在のリーマン小太郎の視界には、「頭の悪さ」と、「拭かれるべき涙」しか入ってきていないのだろう。
ID??
きも
>>49 すっかり、自演の前提だね。
頭悪すぎ
涙拭いてね
このように、まともに言語も操れないくせに、言語を使えるつもりでいる
>>52のような者は
どこを探してもないものは「無いもの」を見てしまうのである。
一方、現在のリーマン小太郎の視界に映る「頭の悪さ」と、「拭かれるべき涙」は健在である。
はいはい、パラノイアヤッテナサイ
俺の書き込みは、ええと
>>28 これは冗談な
>>34 >>37 >>39 >>40 >>46 以下省略。
君、単に論理的なだけで、それ、馬鹿ということよ。
論理的帰結は事実性を保証しないたるの好例ね。
アホーの、相手はここまで。
>>54 君は『波平に食われた』のだよ。わかるかな?
『波平に食われた』というのは慣用句的な表現であり、「君」氏が実際に波平に捕食されたわけではない。
『波平に食われた』という表現とおなじ階層の表現でもって
>>54、ぶっきらぼうで断片化された内容を説明してみると、
>>54の「俺」氏は痴漢の冤罪を訴えるハゲ親父のようにしゃしゃり出たわけだ。
ミスターハゲ親父氏の唱える真実がどうであるのか、それはあまり重要な問題ではない。
ただ、蚯蚓脹れの痕のように綴られたミスターハゲ親父氏の言葉は、ある種の感情の高ぶりを示している。
感情の高ぶりと、そもそもの自演疑惑に何の関係が?
>>57 それはとても正しい。
自演の話をしている人は、私ではない、ということは明らかであるわけだ。
>>58 一方、こちらはあまり正しくない。
さらに、私は話を逸らした覚えがない。
では感情の高ぶりは何と関係が?
なぜミスターハゲ親父氏の感情が高ぶったのか。
その理由はミスターハゲ親父氏のなかにある真実により異なる2つの道へ分岐する。
つまり、高ぶりの理由が何であろうが、それはあまり重要ではない。
しかし、どちらの道へ進んだとしても、ミスターハゲ親父氏の感情の高ぶりは、そこにあるわけだ。
ミスターハゲ親父氏の感情の高ぶりは、
>>54として記されたものと直接関係がある。
それよりも離れた関係は、場合によるわけだ。
つまり、ミスターハゲ親父氏がリーマン小太郎ではないとしたとき、ミスターハゲ親父氏はひとりで涙目で憤慨していた。
または、リーマン小太郎も涙目で憤慨していた。
ミスターハゲ親父氏がリーマン小太郎であったとき、ミスターハゲ親父氏はひとりで涙目で憤慨していた。
そして、リーマン小太郎も涙目で憤慨していた。
この2つの道のどちらであっても、それはあまり重要なことではないということだ。
ヅラは早くカツラを取れ。
うーん、リーマン小太郎をあいにてしてる時点で、大同小異だろうに
>>63と、思わず書き込んでしまう人の感情の高ぶりを、モニタの前の君は感じ取れたであろうか?
どこみて感情たかぶり?
なかなか反応が感情的だなあ。
>>63 =
>>65のとき、
ミラーのミラーに感情を見たのなら、本来見ることの出来ない自分の感情を確認したという告白になる。
似非論理乙
66は理論じゃなくて合気道だよ。
66は俺の理論じゃなくて合気道だよ。
そして論理として書かれたものではない。ケースで限定したら論理ということでケースで限定している訳じゃない。
論理と理論をぱっと見で見間違える日本語に腹が立つ。
本気で日本語が嫌いなんだけど。
だから、日本語専用の頭の人、日本語仕様の法の穴を合法的な裏技的な手癖としている人達にはとても腹が立つ。
もう手癖でしか人と話せないようになっている。
このような怒りの増幅は、受け取った感情を外に流さずに自己の中で大きくしてるわけで、
これは合気道というよりは気功だな。
論理でないのに成立することは、表記できなければ披露してみせればいいわけだからね。
そういう例、なにかあるかなあ?
頭わるいな。
具体事例を語れないのは既に唯抽象の幻影に埋没してるから。
実践で無能の象徴。
乙
>既に唯抽象の幻影に埋没してるから。実践で無能の象徴。
つまり勉強が得意で、してくれない族だってことだな。
一定影響したwwww
構文法言語www
保証しないたるwww
言葉のない世界、あるいは、言葉を超えた世界
バッハの音楽のような。
そこにしか幸いはない。
言葉を磨くことをサボるな。
それはただの逃げだ。
芸術家だって評論文を書いて稼いだり
家族と会話したりしなきゃならない。
すべては言葉が鍵だ。
>>すべては言葉が鍵だ。
中二病
このスレで厨二じゃないカキコがあるのかよw
83 :
考える名無しさん:2012/07/07(土) 20:32:21.87 0
>>79 仏教の悟り、キリスト教の至福直観ですね。
『ヒトはいかにしてことばを獲得したか(認知科学のフロンティア)』
正高 信男, 辻 幸夫 共著 大修館書店刊
論分の前には箇条書きのような書き言葉があり、
その書き言葉の前には非書き言葉(会話言葉)というものがある。
その前には単語だけで文法が無いところから始まり、
単語が現れる前は語にはならない領域があった。
おまえの浅い思考では最初の1歩しか
86 :
考える名無しさん:2012/07/08(日) 10:16:18.08 O
序盤はアイヌ語みたいに具体的全体のセットが一語。
個々の事物に抽象化できてない。
こういう大まかな意思を表す言語では、個々の事物を組み立ててより複雑なものを作ることができない。
必然的に発展途上になる。
意思に多くの具体が張り付いてる段階から、具体を分割していくと抽象的な意思が現出してくる。
そうすると、特定の具体に縛られない抽象的意思でもって、別の具体で意思を実行することができるようになる。
87 :
考える名無しさん:2012/07/08(日) 12:59:44.50 0
「浄土は言葉の要らぬ世界である 人間の世界は言葉の必要な世界である 地獄は言葉の通じない世界である」
曽我量深
88 :
考える名無しさん:2012/07/08(日) 13:02:43.82 0
人間という中間者には言葉が必要なんだろうね。
神・仏のように、一挙に、すべてを把握する知性がない。
言葉という、いわば「迂路」を辿りながら進むしかない。
難儀なもんだ。
言葉は意味で始まったのではなく、比喩で始まった。
それはタロットカードが暗示させる意味のようなものだ。
90 :
考える名無しさん:2012/07/08(日) 20:11:56.26 0
>>85 論分ってなんだ?
単語があればそれはもう文法があると言っていい
単語だけなら文法はない、なんてことはない
>>86 アイヌ語の動詞は語根にさまざまな接辞的形態素が付くことでできあがる。
個々の接辞には意味があり、一語で複雑な内容を明確に表している。
一つの語が一つの意味を持っていると思うのは誤りで、
意味の最小単位は語ではなく形態素だ。
「個々の事物に抽象化できない」は舌足らずで意味不明。
アイヌ語のこの現象を「おおまかな意思を表す言語」「必然的に発展途上」
などと評するのは、理解不足による偏見。
お前さんは20世紀の文化人類学・記述言語学の成果を何一つ理解していない。
最後のニ行は支離滅裂で意味不明。
辞書を引いて「意思」「意味」「意志」を使い分けろ、話はそれからだ。
形態素の意味は非実体的
非実体が連なって一語となる
実体を構成して構造物を作る能に乏しい
92 :
考える名無しさん:2012/07/08(日) 22:57:16.67 0
ヴァーチャルリアリティのような世界だったら
人が誕生した瞬間からペラペラ喋りだすんだろうな
あとはポールシフト起こして原始人状態にしてやれば
語り部が活躍しだす
じゃぁそのヴァーチャルリアリティー造った存在は
如何にして言葉をものにしたのだろうか?って話になってくよね
実はその世界もヴァーチャルリアリティーだったのだ
このように丁度合わせ鏡を覗き込むように
段々遠くのことは色あせてゆく
それで良くないか?
あぼーん
94 :
考える名無しさん:2012/07/26(木) 17:59:23.10 0
>>14 それは嘘だな。
「言語にとって美とはなにか」を読んでない証拠。
実際にはそんことは書いてないよ。
別の話で“例え”がのってるだけだぜ。
あぼーん
あぼーん
人間だけが言語を使うと考えるのは、言語学に惑わされた逆立ちした発想
一般的な視点からは、言語とは区別を伝えること
区別が伝わることにより、その限りで言語が共有されていることになる
互いに区別が伝わる可能性がある相手を「人間」と見なし、
「人間の言語」を理解すると見なす。たとえ他の動物の姿形を
していたとしても
「言語には差異しかない」なんて生半可な言語哲学が流行ったのが不幸の元
それで言語=差異(difference)の体系とする固定観念が生まれてしまった
言語とは区別(differentiation)を伝える行為である
単純に「飲み込む/吐き出す」という行為であっても、それが「好き/嫌い」
を相手に伝えようとしているなら言語となる
100 :
100:2012/09/09(日) 20:49:49.06 0
言語の起源を教えてほしいのかね?
表記言葉と発話言葉を混同しているアフォに何をいっても無駄です。
完全に違うもの。意味や道具として機能するものと、感情を表現する
自然な現れは使われ方が全く違う。
人が笑うとか恐れるとか根本的なところから始まったものに
記号は割り当てられないし、それは道具ではない。
物言うことできない赤ん坊だって嘘泣きするだろ
それは嘘じゃない、意味を持って思考していないものは嘘をつけない。
子供が嘘を付かないと言う人がいます。それは自分の心に嘘を付かないだけで
論理には平然と嘘を尽きます。
それは意味を扱えるようになる高度な知覚と理解ができるようになる3歳児
あたりからの能力でありそれ以前の幼児にはありません。
犬にだって嘘を見破り、文句を垂れるくらいの能力はある
嘘泣きと「本当に」泣くことの違いはどこにあるのか。
「本当に」泣くのは自らによらない原因があるからで、
嘘泣きは意図的に泣く。他に原因があれば、原因があり
つづける限り、瞬間的に泣きやんでも泣き続けるが、
嘘泣きであれば、関心をひきつけてやると瞬時に泣きやみ、
そのまま泣きやむ。
泣きには意図が仕込まれることがある。
感情はすべてそう、演出的側面。
108 :
考える名無しさん:2012/09/15(土) 21:16:05.56 0
感情とは、物理的運動に付随して発生する騒音のようなもの、と俺は考えているから、
現段階から大きく向きを変えた方向に、一時的に出力を増大して運動を起こすと、激しい感情が生まれると考えており、
その観点から、構造の把握の仕方は異なるものの、
>>107には賛成できる。
感情=行動として実行可能な行為という見方をする人の考える体系には賛成できない。
意味がわからなければ笑えないし泣けない
『ピダハン』(みすず書房)を一読することを薦める
111 :
考える名無しさん:2012/09/15(土) 23:30:03.80 0
鎖国熟成というサナギの中には道理も何もありゃしないということか。
ただ日本人は訳なく笑う民族だからなぁ。
ヨーロッパはそういう傾向一切ないんだよ。
言葉は橋である。そこに家を建ててはならぬ。
〜俺
>>112 オリエンタル・スマイルってな。白人人種差別主義者の偏見を
真に受けてるとギスギスした世の中になるだけだぞw
115 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 00:32:01.21 0
心の部位欠損が、愛想笑いを毎時放出する。
引きつった愛想笑いでホーレー線付けるタイプだろw
117 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 00:53:46.33 0
単芝(w)のルーツは愛想笑いらしいね。
>>114 え、ちょっと言ってることわからない。
どういうこと?わかりやすくして?
「私は笑っているが、心では泣いているのだ」
〜ゼーレン・キルケゴール
120 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 01:26:34.82 0
>>1 自然発生的に生まれた言語と
自覚的に創造された言語と
どちらを知りたいのですか。
論理や数の概念が生まれた過程の方が気になる
論理や数の概念が生まれるのに過程なんて存在しない
論理は理屈をこねることで、数は数えることで生まれる
わわわ
いま使われている世界中の言語の類を分類すると
意味に属する言葉文字と、意味を生む(意味を縛らない)言葉文字がある。
後者はあまり扱われず学問や習得する類ではないのであまり理解されていない。
神、精霊を扱うために意味をもつ言葉が生じ、力を持つ幻想、錯覚を扱う為に
後者が生じた。
おまえらは物事を考えるのに意味しか見ようとしない、その背景が重要なのに
後に解釈された知識を繰り返すだけだ。
>>124 ん?まて。
その後者、実に興味ある。
詳しく教えなさい。
意味を生むツールとしての言葉が在ったのか?
>>124 これ、よくよめよ。
一方に神やら
一方に幻想やら
作ってみました形而上学!の、たぐいだな。
言葉は意味を持つ
意味を言葉に表す
ま、そのあたりの発想からつくったんだろ。
127 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 03:28:40.10 0
不明な概念の説明が、尚さらに明瞭さを欠く場合に、理解の突破口として現れるものは
その不明な概念とは独立して既に実在している具体例の提示であった、
ということが読み取れる会話の一部始終を見つけたのでここに残しておく。
778 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/15(土) 21:20:39.36 ID:9Y6/uqEx
すいません、こちらのスレで良いか分かりませんが教えて下さい。
http://www.hmv.co.jp/news/article/1208200027/ 上のアドレスの記事内にある、
"そこで考えられたのが、デジタル・コンプレッサーってやつ。アナログ・コンプレッサーっていうのはピークを叩いて圧縮するんです。
ではデジタル・コンプレッサーっていうのが何かと言うと下を上げる。"
ピークを叩くっていうのは分かるんですが、下を上げるとはどういうことなんでしょうか?
上を叩いて全体をゲインするというのとは違うんでしょうか。
779 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/15(土) 22:22:10.45 ID:k+M5A/8Z
イメージとしてそういう言い方してるんだと思うんだけどな
極端すぎて勘違いにしか思えない感じになっちゃってるけども
780 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/15(土) 22:26:16.39 ID:SSmWIKm/
何を目的として処理しているかというのを明確にしたかったがための表現って感じかね
782 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/16(日) 07:25:18.89 ID:AFkEWbEj
デジアナの違いというよりは
いわゆるメイクアップゲインを上げんのか否かみたいな話なのかなこれ
783 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/16(日) 08:39:17.56 ID:OJOEmfhr
いや、多分だが、デジタル・コンプレッサー=マキシマイザーのことだと思う…
784 :名無しサンプリング@48kHz:2012/09/16(日) 10:51:59.68 ID:AFkEWbEj
ああなるほどなるほど
>>125 単語より元になるシンボルとしての文字には意味を特定(明晰に縛る)するのではなく
意味の可能性を誘う(意味の類を生み出す原理)という機能がある。
どの単語や、この記号がどの意味だと一対一で割り振るのは現代の論理思想であり
論理思想すらない時代の言葉を論理思想の価値観で割り切るから見えるものすら
見えてこない。
表記文字は王のいるような巨大組織、つまり文明の領域で発達した論理性と
それ以前の文化(部族の中の方向性予測)で育った類では性質が異なる。
前者は商業や職業に対する為に進化した類であり、後者は理解しえないものを
捉える為に主に占いや神から授かった言葉などを割り当てる為に用いられた
類である、後者はその性質ゆえに客観性が欠け、意味は曖昧であり不明確な
ものを不明確のまま扱う類であったが。前者はその仕組み上としてどこでも
扱える客観性の意味が言葉の主体を成したからこそ共通の言語と普及という
性質を持った。学術で特定できるのは前者でありそれ以前のXX文化などで
表される文明以前の原始村社会では言葉は発話での生活の道具の機能しかない。
その道具で必要な客観性はその狭い範囲で通じる合図に過ぎない。
規模と使われた状況によって言葉が進化するのは当然であり、その状況を
照らし合わせることなく言葉の起源など考えるべきではない。
129 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 02:48:30.38 0
まだわからんのかね?
130 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 03:07:07.16 O
(゚Д゚) カー
( ゚Д゚)、ペッ
131 :
薬味:2012/10/12(金) 14:15:05.70 i
心の中で沈黙を守り続けることができるでしょうか? ましてや自分のそばに誰か気になるよく似た存在がいれば、どうでしょう。
私はきっと、一生懸命に自分の気持ちを伝えようとするでしょうし、相手の気持ちを理解しようとするはずです。
そもそも万物相互作用の世界において、相手の気持ちを理解できないというのは不自然です。
相手の気持ちを知らずして相互作用してしまえば、それはすべて暴力になります。
自分の気持ちだけしか知らないわけだから、自分の都合を一方的に押し付けているだけです。
したがって、すべてが暴力になってしまいます。
私が思うに、この世界は暴力の世界であって、本物の世界ではない、と考えます。
本物の世界なら相手の気持ちを感じ取ることができるはずだし、感覚や知識の伝わり方もスムーズでしょう。
したがって、直感および感覚という心の言語というものが発達すると考えます。
それら心の言語は私たちの言葉よりもストレートで嘘がなく、純粋なものでしょう。
世界三大霊訓にも書かれておりますが、われわれでいうところの言語というものはたいへん不便なものらしいです。
心を表現しきれないのでしょうね。
と、私はこれがいいたかったのです。
で、思うに、心の言語さえあれば、普通に出来上がっていくものなのではないでしょうか?
心の言語さえあれば、大は小を兼ねる、ともいいますし。
問題は、魂が覚えていて、地球惑星の物理法則に見合った文法を手探りで探していったのか、あるいは霊界からの客人に教わったのか、どちらかです。
しかし問題の本質はあくまでも心の言語であって、つまり、心こそ問題の本質であり、この質問に無理に答える必要はないものと思われるのですが。
魂が覚えていても、霊界からの客人から教わったとしても、別に、どちらでもいいじゃないですか。
言葉というものをちゃんと使えるかどうかに本質があって、無理に議論する必要もないのでは。
ふと、そう思いました。
言葉をちゃんと使えるか、という意味は、仏教でいうところの言葉で行う罪をおかさないという意味です。
誰かを守るためや、お互いに助け合うために使われるべきであって、攻撃をするためにあるのではない、と考えます。
ですから、やはり言葉の問題ではなく、すべて心の問題だと思います。
すみません。お邪魔しました。
135 :
考える名無しさん:2012/10/12(金) 18:40:00.03 0
自然に言語が発達するとでも思うのかね?
言語の起源は、バカにはわからない
かりに私たちの知っている宇宙レベルでものごとを考えても、言語というものが物理法則の表現方法の一つであることはわかると思います。
したがって、ごくごく自然に生まれてくるはずです。実際に自分で表現しようとしてみればすぐにわかるはずです。
あとは友愛関係です。むしろ友愛関係にこそ本質があるはずです。一人で言語を構築したとしても、意味がないでしょう。
それを考えると、今の私たちのレベルにあるものたちが言語を構築したと考えるのは難しいかもしれません。
ニュートンが力学の法則を発見したのは偶然ではなく、当たり前と考えるべきです。
なぜなら、目の前に物理法則がすでにあるからです。
それと同じです。目の前に物理法則がすでにあるのですから、それに素直に合わせていけばいいだけの話だと思います。
くどいようですが、心の問題だと思います。
それさえあれば、問題ありません。
心の起源がどこにあるのかを考察したほうがいいと思います。
たとえばリンゴが重力に引かれて落ちるでしょう。
その時点で、その表現が言語だといってもさしつかえないでしょう。
あとはそのイメージを目の前にある物理法則にそった形で伝えればいい。
それ以降は単なるエンジニアリングです。葉っぱを使って服をこしらえていくのと同じです。
しかし、友愛関係がなければむずかしいでしょう。
そこに疑問が、あるいは謎があるはずです。
なぜ、友愛関係のない我々に言語が用意されているのか。
そこが本質だと思うのですが。
なぜなら、今の私たちに友愛関係が成立していないことは、みなさんご存知のはずです。
そういったことを考えていくのも、反省を学習していく機会になると思います。
あくまでも、私はそう思う、という話なのですが。
物理法則というすでにある現象から、イメージをもらいます。
そのイメージを文字のないマンガにする。
そこまでは友愛性がなくともできるはずです。
問題はそこからです。
文字のないマンガに、文字を刻み付けていきます。
あとは友愛性の問題です。
それさえあれば、オートメーションでしょう。
なぜなら、言語の大本は心であり、物理法則だと思うからです。
心さえあれば、友愛性さえあれば、あとの物理法則はだいたいにおいて同じですから、悩むことはそうそう多くはないはずです。
すべては、心のあり方の問題だと思います。
>>137 >実際に自分で表現しようとしてみればすぐにわかるはずです
では貴方がここで例示してみせてください。具体的に。
>>139 >それさえあれば、オートメーションでしょう
人間には友愛関係がないはずなのに、何故、上のように考えるのですか。
貴方の言う友愛関係とは何ですか(どういう性質を備えたものですか)。
>>140 a(リンゴ) ou(落ちる)
あとは友愛性です。aがリンゴであること、ouが落ちるという物理現象であることを、お互いの約束にするには友愛性が必要でしょう。
当然、ジェスチャーを交えるはずです。
あとは会議というか、遊びです。
ようは、友愛性こそ本質だと思うのです。
>>141 140、141さん。レスポンスありがとう。素直に嬉しいです。
私は、どちらかといえば、言語は与えられたものだと考えています。世界三大霊訓には、霊界が先にあり、その土台の上に宇宙が構築されているとあります。
しかも、宇宙はどうも問題のある世界?のようで、いずれ消える?かどうかは忘れましたが、とにかく霊界の方がより本質的な世界だと書かれてあります。
たとえば、霊界では心と心とが繋がると信じています。トマトさんの気持ちを知らずにトマトさんに触れてしまえば、それは私の一方的な押し付け、つまり暴力になるからです。
そのような暴力を私は認めたくありません。したがって、暴力のない相互作用を叶えるためには心と心とが繋がらなければならないと考えます。
したがって、霊界においてはよく似たもの同士が集まっており、心と心とが相互作用するたびに繋がるから、心の言語、つまり気持ちをダイレクトに伝えることができるはずです。
私は思うのです。言語というものは大変な共通意識が必要です。したがって、心と心とが繋がらない地上世界ではなく、心と心とが繋がる霊界で構築されたものではないだろうか、と。
そして心と心とが繋がらない地上での生活はたいへん苦しいものになることが最初から分かっていますから、手助けとして地上専用に言語が構築されたのではないでしょうか。
地上専用かどうかは、分かりませんが。
とにかく私のいうところの友愛性というのは、お互いに繋がりたい、という気持ちのことです。
おそらく霊界では、お互いに繋がりたい、と思えば繋がるのだと信じています。
その世界のことを考えれば、私たちは洞窟の暗闇の中で生活しているのと同じですね。
正直、苦しいですよ。
友愛性ですが、お互いに思いあえる、という心の作用のことをいうのはもちろんのことですが、それ以外にも、能力的なものも、本来は必要だと思います。
例えば地球の裏側にいる誰かを私が思い、相手も私のことを思ってくれていたのであれば、その時点で心と心とが繋がる。
そういった本来の、生命体としての能力さえあれば、今の私たちでさえ、もっと健やかな社会を構築できていたものと信じています。
しかし相手の心を感じ取れる能力があれば、それがあるからこそ、私たちは大きな体をしているから、小さな生命を多く傷つけ、その苦しみを感じ取ってしまい、逆に生きて行けなくなる恐れもでてきます。
なにはともあれ、暴力を認めたくなければ、心と心とを繋げていく研究をしなければならないと考えます。
生きているあいだは無理かもしれませんが、心のなかでそれを願うだけでも効果はあると信じます。
相手の気持ちを感じ取れないのでは、話にならず、生命体としてのスタートラインにすら立てない。そういった感覚でいます。
誰だって、暴力などふるいたくないでしょう。お互いに望み合う相互作用ができて始めて、スタートラインに立てた、と思いたいのです。
もしかりに言語が地上で構築されたものであるならば、昔の人たちはすこぶる友愛性に満ちていたのではないでしょうか。
現代社会においても、若い人たちは遊びのなかで積極的に新しい言葉を作り上げていきます。
大人から見ればつまらないことで盛り上がっているな、という感覚かもしれませんが、言語がまだ発達していない世界であれば、それはとても新鮮な発明といえるでしょう。
遊びとはある意味においてやはり友愛性だと思います。
もし言語が霊界のような世界から与えられたものではなく、そうやって友愛性のなかから発生してきたものであったならば、それはとても喜ばしいことだと思います。
また、現代社会にいる私たちにも、今の社会のあり方にいろいろと反省を見いだしていく機会を与えてくれるかもしれません。
wi(私) pin(と) sara(森) sutasuta(歩いた)。
注)pinは、相互作用する主体と主体とを繋げている意味で使っています。物理学と同じ感覚です。
sutasautaは、相互作用の種類を表しています。ですから、森の方も歩いた、という意味にもなります。
あるいは、wi(私) sutasuta(歩いた) teya(~に向かって) sara(森)。__これですと、私の方が一方的に森に向かって歩いたということになるかもしれません。
wi(私) pin(と) a(リンゴ) ji~_ta(見た)。__これも、私が見るだけでなく、リンゴも私を見ていることになります。なぜなら、私だけが見ているのでは暴力になるからです。今は、理想を書いているだけです。気にしないで。
あるいは、
wi(私) ji~_ta(見た) a(リンゴ)。__これなら、私が一方的にリンゴを見ていることになるかもしれません。もし私たちの使っている言語の文法がこうなっていれば、私たちはまだまだ暴力的な次元に生きているといわれても仕方がないかもしれません。
wi(私) pin(と) a(リンゴ) suton(落ちた)。__私がリンゴに向かって落ちたことでもあり、リンゴが私に向かって落ちたことでもあります。つまり相思相愛です。
wi(私) buchin(もぎ取った) a(リンゴ)。__言葉通りもぎ取っています。私たちが暴力の世界に生きていることの現れかもしれません。
147 :
考える名無しさん:2012/10/28(日) 10:12:59.74 O
言語とは概念や指示物を共有するために発達した
たとえば、犬や猫も朝に日が昇ることは認識している
と思われるが、それを共有はしてないだろう。日の出
という現象を、自己の生存に役立つようにしか分析し
たり利用しないだろう
だから人々が日の出に対して抱く共通した感慨(一日
の始まりといった)がこれらの獣たちに生じるべくもない
吉本隆明が比喩から始まったって言ってたけどそうとしか思えない
鳥獣は朝日と夕日を認識していると思われるが、朝日
と夕日が同一の天体であるとは気付いてないだろう
生存上、その知識は不要だからである。つまり鳥獣は
最初から太陽を時刻とセットにして生存のためのノウハウと
して蓄積している
人類はある段階から朝日と夕日が同一の天体であること
を知り、時間帯から切り離して単独の指示物「太陽」
として認識する方法を思い付いた
間投詞が洗練されて生まれたんでしょ
>>150 音声言語よりジェスチャー言語が先行してたという説もあるよ
歴史以前のことだから類推にすぎないが
152 :
続き:2012/11/02(金) 00:11:16.51 0
言語を現象と捉えるならば、鳥獣の威嚇行動も言語である
言語活動とは、自らが現象の発現者となることを意味する
あらゆる生物にとって現象は受動的でメッセージ的である。たとえば、
行き先に穴を発見したとき、つまり「現前に穴」という現象が現れたとき、
動物はそこを避けて通る
一方で、動物は自らのジェスチャーや声などを通じて、相手がそれを現象と
認識しうる行動を起こすものである。動物はそれら受動的・人為的な無数の現象を
通じて、それに対応したノウハウ的行動をとり続ける動く機械である
ジェスチャーは情念によって言語化しにくい。
よって却下。
あなたの考えるのは情念ではなく論理である。原始的な動物は感情による
情念を原理とした表現となり。
複雑な順序の行動となるジェスチャーは抽象的な表現と捉え難い。
自然にでてくる行動の姿勢をジェスチャーというのならばそれもあるだろうが
あまりにも抽象的であり真似できる類ではなく記号化しにくい。
人が言語を得たのは声による物まねで多様性のある表現と感情が類似している
面があるからである、声はそれだけいろいろな面や表現が多彩で言葉が通じなくても
声の状況で雰囲気を伝えるのはジェスチャーより激しく容易である。
口から