◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない190◆

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127抄録
哲学の問題で、「セテウスの船」とかいう話がありますでしょう。
全体の形は保持しながら船の部品が少しづつ交換されていって、
部品が全部交換されたら、この船はもとの船か、とかいう
すっとこどっこいの話がw

船としての概念は保持されるが、中身の部品は代わっている、
こんな思考が有効なのは、
各構成部品はそれぞれ、それがいかに似ていようとも、別の部品と完全に同等となることは無い。
っていう「経験則」を信頼してるんですよ。
「この部品」がオリジナルなら、「交換部品」は「似せモノ」ってことです。

しかし、酸素にはオリジナルも似せモノも無い。
それらを区別して考えることはできる。ヒトは惰性的にそうしてきた。
しかしそうすることによる差は無いとしたらどうします。
酸素には目印をつけようがないんです。酸素内の陽子、電子、中性子には差が無く、
「この酸素」と「あの酸素」の構造には「個性による差」など付けられないからです。
目印を付けようとしたら同位体にするしかない。
「状態の異なる酸素」があるとして、違うのは「状態」なんです。
酸素じゃないんです。状態の連続性に解消できるんです。
ここまでくると、「個物」という幻想はとりあえず捨て去れるんです。