>>7 「“どのようなこと(行為・状況・誰)が”善か」は立場・思考構造によって異なる。
しかし、それを考える際に「主観に於ける“善の成立”」が“状況とは別に”必要なのである。
逆に、条件(=善とは○○じゃね?)はそれ自体「善」を成立させないので
コンピュータはどれほど条件(規約)を集めてもヒトと同じようには善を扱えない。
>カラスくん
体験はきっかけ(契機)である。必要条件ではあるが、成立はヒトに委ねられる。
観念論的には「神頼み」なのである。
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「区分けできる」ことを支えるものは何か
観念論にこだわる限り、それは概念の数が有限であることと関係している。
つまり言葉という有限(且つ無制限)の積み木がないと有効に区分けできない。
だがこのことは「はじめに言葉ありき」を意味しない。
言語は論理を構成する「成分」に成り得るのみである。
いわゆる椅子は状況によっては脚立になったりはすることができる(成立する)。
だが酸素は酸素としてしか成立しない。酸素の代用は無い。
不滅の普遍性としてのモノが、「世界(=論理)」を支えている。