吉本隆明 1924-2012

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85考える名無しさん
蓮実重彦の作品批評において、作者に作品が帰属することを否定し逃走する。それは蓮実によれば
特に誰の影響下でもないということだが、少なくとも蓮実に確信を与えたものとして、フーコーの
講演「作者とは何か」(『フーコー思考集成V』筑摩書房』)を考えることができる。狙っていることは
同じだからだ。フーコーにしろ蓮実にしろ、或はその末裔としての宮台にせよ、確実に継承してい
ると思えるものがある。それが個体の没‐交渉性であり平たく言えば、他者が何言おうと通じない
、その人間における〈信〉の根底といってもいい。フーコーでも宮台でもフロイトの無意識とかを
引用するくせに個体概念のリアルさが最も過酷に現れるこの側面を全く捨象して堂々としてい
る。連中の主張というのが悉くどこか軽い、また上滑りしていく原因がそれさ。フーコーの初期の
言説から宮台が引用して「吉本さんは疎かったですね」と講義するとき、苦笑してしまうのがそう
いう思想的系譜が見えるからだ。少なくとも吉本の〈大衆の原像〉にはその手のファンタジーや
身軽な人間像は削ぎ落とされている。『心的現象論』でもそうで、個体における〈信〉の没‐交渉性の
起源、自分自身でさえ自覚するのが困難である〈信〉の在りかが考察されている。こういう吉本の
業績の方に、仮に革命を語るにせよ、なくしてはならない前提条件を俺は見るわけだ。