吉本隆明 1924-2012

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80考える名無しさん
客:79レスさんが貴重な情報を書き込みしてくれている。『週刊読書人』最新号インタビューで
大西巨人が吉本のことを話しているらしい。いずれ読まなきゃね。で、君はまだフーコーと吉本の
ことを話したいみたいだけど?
主:思い出したことがあるんだけどね。1980年に文芸雑誌『海』で吉本は蓮実重彦と一度だけ対談
してるだろ。「批評にとって作品とは何か」。蓮実はここで作品というものを作者に帰属させること
を否定する独自な読みを披露し、吉本からの反論を受けながら持論を下げず、吉本から「本気かね
」と言われている。この対談は両者の批評の違いが激しく、蓮実のその吉本のこの時期に発表され
た批評『悲劇の解読』への否定が凄いのでそれはそれで対談としては面白くなった、という記憶が
ある。この時は蓮実の批評、つまり作品を介してしか世の中と繋がりが持てない悲劇を読む、吉本
の批評への否定の、その背景がよく解らなかったんだけど。ところがこの時の蓮実の批評の根拠、
作品の作者に帰属させることへの否定だけど。これのオリジナルはどうやらフーコーだった、と
解ってきた。フーコーはまさにそうだったからね。とするとこの時吉本が論争していたのは蓮実
でもありまたその批評の元祖であるフーコーだったことが解ってきた。だから今思えば、この時
本当に問題になるべきだったのはフーコーの文学理論だったわけだ。蓮実はそういうところから
影響されたであろうからね。後の吉本のフーコーへの高評価を思い出すと不思議だよ。少なくとも
批評理論としては相当違う。蓮実を介してフーコーと論争したようなもんなんだから。蓮実の理論
にたいし「本気かね」ならフーコーの文学理論自体また「本気かね」にならなきゃおかしい。そういう
批判はフーコーを取り上げてはしてないと思うんだけど。今思えばその批判しなさは不思議に
思えるね。吉本なら読んで異和感抱いたろうからね。