主:ああ、なるほどね。フーコーの主題は元々、ある時代の知によって新たに分割され、
意味されていく人間なわけだから。しかしそれはシステムが人間を生むのとはかなり
違うけど。宮台が引用してるテキストでの言い方が問題だ。それと、フーコーに吉本が、
対談の後で書簡を送ったが話が通じずに文通は成功しなかった、という逸話があるでしょ
。あれ、確か道元のことを吉本が書いたとか。何で道元か誰も分からなかったと思うが、
道元の『正法源蔵』というのはsein und zeitと同じ意味である「有と時」という言葉が
ある。もしかしたら、フーコーが権力との関連で書いてる主体とは違う人間、個体という
のを提起した可能性がある。だけど翻訳した人間もそこまでは読めなかったろうし、
そこも不運だったと思うよ。その後フーコーはフーコーでパレーシアという新たな主体
の概念を思索しているわけで、新しい主体概念という考えには興味があったはずだ。