吉本隆明 1924-2012

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76考える名無しさん
客:ただフーコーを擁護すると、元々フーコーの思想は存在の内実を詰めるのではなく、存在が
主体化される構造を詰めるところにあった。そこで病院や隔離、監視と処罰、というところに
向いていく必然がある。マルクス主義を始末した手付きもそうだった。その主体化というところ
で吉本はフーコーの仕事の重要性を意識してたとも思うよ。ただ、存在や個体幻想の構造とかには
タッチはしないので、そこで不満を感じる向きも出てくるかもしれないけども。たしかフーコーの
言う権力の空隙として平民があり、それを吉本は大衆の原像との類似を感じて評価してたことが
ある。少なくとも〈主体と権力〉という問題では吉本とも共通点はあったと思う。当然同一の思想で
はないにせよね。