吉本隆明 1924-2012

このエントリーをはてなブックマークに追加
74考える名無しさん
客:71レスさんの『引きこもれ』の話に納得しながら続けよう。
主:この大塚との対談で宮台が言ってることでもう一つ印象的なのが、サルトルとフーコーとの
論争、〈サルトル的な主体はシステムの歴史的な産物〉を挙げたり、〈合理性を貫徹させると非合理
性が導き出される〉とったポストモダン哲学を引用し、吉本がポストモダン哲学に詳しくなかった
と言ってること箇所がある。詳しくなかったというよりも、そういった学問的知の暢気さには
付き合う余裕も気持ちもなかった、というのが本当だろう。そもそもフーコーとサルトルの論争
として宮台が挙げている主体というのはサルトル的には自己に対し非共犯的にその内実を透視で
きる神のような存在だし、全世界で起きることに有責だとする政治的存在。フーコーの方はシス
テムが変わればそれも変わる、これも角度は違うが人間性が内実などないことを前提にするよう
なものでリアルでないことでは同じ。何でもいが例えば精神病が『存在と無』を読んで回復するか
といえばそんなことにはならない。ひたすら焦るだけでね。じゃあフーコーのシステム論では何が
分かるかといえば、精々精神病隔離や病院の歴史が解読されるのが精一杯で、どうしてこんな
病気になったか、何も教えてはくれない。精神病自体については何も教えてはくれない。