吉本隆明 1924-2012

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68考える名無しさん
客:この大塚・宮台対談について、何かあるかい?
主:まあ、そんなにない。ただ、80年代以降に吉本思想の限界のように言われてきた、大衆の消滅、
吉本さんの本で論拠としてあった大衆などはもう居ない。というのがこの対談でも既成事実のよ
うに持ち出されているので、そこだけは触れておきたい気がするな。この対談での言われ方でもそ
うなんだけど、大衆というのをまだ固定的、もしくは観念的に捉え過ぎているきらいがあるんだ。
生活水準も、生活形態も、吉本が提起した60年代とは変わって当然なんだけど。にも拘わらず、知
や価値、システムの空隙としての大衆の原像というのは、有効に思えるんだね。例えば宮台真司が
自分の仕事で大学で講義したり、本書いたり、対談したり、論文書いてたりするでしょ。これが仮
に9-12時間だとして、じゃああとの時間は何をしてるかといえば、簡単な話で。朝起きて顔洗い、
奥さんと世間話し、出かけ、仕事し、昼飯食べてまた仕事。終われば家に帰り、奥さんとまた歓談。
飯食べて、テレビ見て、その間兄弟から祖父の法事の話があったり、家の住宅ローンがあと何年で
終わるかの相談を奥さんとしたり、友達からの電話で今度飲みに行く約束したり、で、明日に備え
準備してからおやすみする。それが15/24時間だとすると、それは何だろうといえば、早い話が
大衆としての自己だろう。それが15/24時がそうなわけだ。。