吉本隆明 1924-2012

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64考える名無しさん
主:同じ凶悪犯罪でも、吉本の手付きというのは、腑分けするよね。行為の構造が違う、という風に
。『だいたいで、いいじゃない。』では、それに止まらず「殺しのperspective(遠近法)としては皆
入ってくる」つまり、宮崎勤も、オウムも、酒鬼薔薇も、皆入ってくる。人類の最も古い精神の層と、
最も未知の層とが両方入ってくる。そう纏めている。それにもう一個、共通点を当てていいんじゃ
ないかと思えるのが、これらの凶悪犯罪が、いずれも現在の社会、もっと言えば価値法則と言って
もいいと思うけども、そこからの離脱、解放、拒絶を含んでいる。それが結局〈底無し〉を暗喩して
いる、とも言い換えられるけど。吉本はそこまでは遠慮して言ってないと思うんだけどね。本当は
それは感じてたんじゃないか。つまり〈外部〉というのが、今やそういうところにしかない。それは
あれらの犯罪から、漂ってくるものだ。ただ、それは問題発言過ぎるし、言ってないと思うけども
。「麻原は浄土に最も遠いと同時に最も近い」というのも、〈外〉というのを意識した発言だよね。麻
原の思想を造悪論と呼ぶのも。凶悪犯罪の〈底無し〉を〈価値法則の外部〉とするのは公的には言い
難いことだったんだろうが。「オウムによって、かつての左翼は乗り越えられた」と言ったのはその
ことだったんじゃ、と思えるんだよ。麻原の凄さを最も吉本が物語るのが造悪論だから。何がそこ
で言いたかったか、はそこにしか〈外〉はない場所を暗喩した。異なる犯罪が、収斂する場所がある
としたら、〈外〉ということじゃないか。価値の〈外〉、理性の〈外〉という。
ったんだろうが。