客:ついでにヨーガについて一言すると、昔ジョルジュ・バタイユの『内的体験』を捲っていたら、
バタイユがどうもヨーガのことをやたら問題にしている記述があって、当時ヨーガというとインド
の健康法的イメージしかなく、あのバタイユが著書で問題にする、ということがピンと来なかった
ことがあるんだけど。バタイユにすれば、ヨーガの修行というのも主体性や客体性の彼岸に向かう
方法、バタイユの思想でいう〈不可能なもの〉〈至高性〉に関わる概念だったと今は解ると思う。〈
不可能なもの〉というところでバタイユは〈禁忌の侵犯〉〈悪〉ということも重要概念にするんだけど
そういう辺りも今思えばオウムとの接点があると思えるね。
主:「オーム」というのは元々宗教の祭儀で唱えられる聖音・言葉であり、インド思想での絶対者
を意味している。バタイユの『内的体験』の中でも祭儀で唱えられる「オーム」の聖音が引用されて
いる。バタイユが1930年代に既にヨーガに興味を示し論じていた、というのは後のオウム事件を
考えると興味深いんじゃないかね。勿論造悪という問題としてもね。
客:何故あのバタイユがヨーガを問題にする?というところで実はオウム真理教の意味がそこで
バタイユという視線に探られていたとも思える。