客:オウムの教義でいうマハー・ニルヴァーナというのは到達すべき絶対境地だが、現世での美
醜・善悪の越えられた広大無辺、「相対の世界からの離脱」「自己の存在そのものが認知できない」
とか言われている。現世での相対的価値は越えられるべき、なわけで、そこからすると善悪の超脱
を実践させることは教義上はあり得る修行だと言える。それを造悪というなら、言えるだろうね。
吉本があの時反応したように。
主:現世での相対的価値の断念、そこからの逸脱、というのは「拒絶」として、いわば〈あり得ない
意志の発現〉としてハイデガーは語っている。これも造悪の一種に見えるんだけどね。「畏れ」「驚
愕」をもたらす、というのはね。麻原との接点はそこだけじゃなく、人間を内的な経歴の現成と
捉える手法が既に似ていたし、それは人間を歴史として捉えることなわけで、麻原の教義は宗教的
ではあるけどもね。
客:麻原=ハイデガー=吉本、と造悪論をめぐって繋がりはある、と。