吉本隆明 1924-2012

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53考える名無しさん
 それで、『超「20世紀論」上』での麻原の個人幻想への言及。胎児乳児期に傷や否定を受けたとし
ても、その無意識の荒れは修行で克服されるはず、と語っている。確かに麻原のヨーガ教義での
修行とは、自己の内的経歴を遡行し、何が起こったかを見定め、認識し、その業(カルマ)を取り
除くことが重要な段階としてある。そうやってどんどん受精や前世までも遡行する。そうやって
真我(マハーニルヴァーナ)に到達。最終解脱に到り、そこからまた現世の自分に戻ったり、自己
という精神の容器に、一切の業から解放された自己を創造できる、となる。それが絶対自由だと。
それは分かるんだが、そこで、にもかかわらず麻原の後期において、サリン散布の根底に
もある図式。そこに、世界に受けた無意識の否定を世界に贈与する、という心性は映って
いると見えるんだ。そこで、個人幻想、対幻想、 共同幻想の複合、というのは麻原のの分
析として、除外されずに残ると思える。そこは吉本さんのやっている解釈とは若干違って
しまうんだけど。