吉本隆明 1924-2012

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491考える名無しさん
客:ハイデガーだと〈何かに関心を持つ〉吉本だと〈何かに引き寄せられる〉はその人間の体現する
歴史性の現象を表す。そうでなく、453は「広告に踊らさせるだけ」と断定する。言われた人間が
この忠告を無視するのは当然だと思う。多分PTAや教育委員会やは歓迎するだろうが。それと芸術
や表現作品は接する人間に感応させ、「惹き寄せ」の体験によってむしろ解放感をもたらす。自分が
作った人間ではないにもかかわらず自分の代わりに表現してくれた、と錯覚させる解放感をもたら
す。芸術作品がもたらす解放感を453が体験してきたように見えない。つまり芸術の体験をこの
人間はしていない。そこで「サブカルチャーって広告に踊らさせるだけですから。滅びてほしい」
とかの発言は根拠のない思い込み、しか感じさせないのは当然だよ。それは違うと言うなら、自分
の芸術体験についてここに具体的にこの作品に接してこういう体験をした、と書いてくれたらいい
。しかしどうも書けないのでは?という感じが強い。芸術の体験って453に具体的にあるように
見えないんだね。
主:それを言うなら具体的にこの作品感銘を受けた、とか言っているのはほとんどいない。つまり
芸術を享受、体験する。それのない人間が芸術について語る。それが何を意味するのか。吉本の
ように哲学に接して何か言えることと太宰治、中島みゆきの具体的作品について語ることと
なかなか両立しがたいのではないか。吉本のテキスト自体知らないまま言っている人間は453が
代表だろうけど。川久保玲のファッションについて語っているのが埴谷との論争文「重層的な非
決定へ 埴谷雄高の苦言への批判」で、最近装丁が変わり再刊された『重層的な非決定へ』に収録され
てることも知らない。川久保玲のファッションについてどういう言い方してるかも知らない。それ
で吉本のファッション論について語ることに既に無理がある。