情況からの発言 9
主:45レスさんの質問の答える意味合いもあるんだけど、40レスに答えた内容を更に補足したい
気もあるので、前に40レスに答えたことをまた言い直すことをやってみたい。その前に、45レス
さんの1-3は、これもとてもよく掴んだ理解だと思います。ただ、1で麻原とオウムの信者、ていう
ところ。あそこを単に麻原、と言い換えた方が良いだろう。麻原とオウムの信者は修行のレベルも
違うと思えるのと、一連の犯罪は麻原の指令、とひとまず考えていいと思うこと。それがあそこを
単に麻原と言い換えてよいと思える理由です。
で、先に私が書いた、酒鬼薔薇事件、オウム事件への吉本の解釈というのは、心的現象論を基底
にしている、というのを、更に敷延したいと思ったのは、オウム事件への、というより麻原の思想
への吉本の評価というのは、これは二つの領域で捉えている、と思える。一つは最も吉本が語った
、親鸞の造悪論との関連ですね。で、もう一つ実はあって、それがいわゆる心的現象論との関連だ
ろう。前者についてはよく言われたので吉本の麻原解釈として知られているが、後者は『だいたい
で、いいじゃない。』でそれこそ大体にw言われているので、注目されない。しかし、実はそこでも
捉えられている。それは言えるんじゃないか。言い直せば麻原の個人幻想の問題。何らかの精神
の基層での荒れが、内向した末に未開の層まで後退し、現成した。しかし同時にそれは、歴史にお
ける高次の善悪の場所暗喩している。これは酒鬼薔薇事件の評価でもありますが、これを麻原の
サリン事件に適用してもよいと考えていたんじゃないか。