客:どんな芸術でもそうだろうが宣伝効果とかは限界がある。ビートルズならアルバム1枚まとも
に聴くことでしか量れない。ビートルズに限らない。夏目漱石でもそうだ。実際に作品にまともに
当たって真価は初めて解る。そう思わないのかね。たしかに他人の評価が全ての人間もいるだろう
。どの世界にもいるだろう。
主:現在の大衆芸術が企業として宣伝し、利潤を要求される。それは足枷ともいえるが、だから
全て下らないとは言えない。中島みゆきと吉本は一度対談してるがまともに向かってる。余暇など
ではない。吉本に大衆芸術だからといった偏見がないからこそ渋谷陽一も信頼した訳だ。それと
埴谷との論争で「貴方の『死霊』第7章と川久保玲の1985年のファッションは芸術性で同格」と
吉本は言い切っている。「早く目を覚まして本当の哲学や芸術を知り、価値ある人生を送って下
さい」とか言ってる人間とは違うよ。このスレでサブカルチャーは芸術性はない、とか言ったり、
吉本は本当は認めてなかった、とか言ってる人間は当時吉本の視点を理解しようとしなかった
多くの同業者、戦後文学者と一緒よ。吉本はその手の同業者と自分とは一線を引いてたと思うし、
吉本にはそういう同業者のカビ臭い固定観念はなかった。
客:渋谷陽一も認めたようにね。444氏の兄がどういう人間か知らないけど、それも生き方だろう。
俺は否定はしないよ。向こうがこっちを否定するなら別だけどね。「こういう楽しみ方だってある
んだよ」っていうのを否定する気はないね。