実際の吉本の発言では以下のように言われている。
《だから、精神異常というのは、そうとばかり(異常とばかり)いうと問題なのです。しかし、胎児・
乳児の間に体験したことのないことをやる精神異常者はいないのです。また歴史的にいえば、
未開・原始の時代に人間が考えたり行動しなかったりしたこと以外の振る舞いを描写することは
ありえません。全部昔やったことです。あるいは、自分がやったことでなければ、人間が歴史の
未開・原始の時代にやったことに退化して帰っていると考えたほうが考えやすいのです。》(『吉本
隆明資料集113 p.111)
大雑把に言えば、人間が胎児・乳児期の内コミュニケーションでスムーズに行かず、欠損を負い
、思春期とかにある切っ掛けでその欠損が病態‐妄想、幻覚、解離など‐となって出てきた場合、そ
の異常は歴史的に未開の共同体の精神に帰っている、と考えられる、ということだと思う。酒鬼薔
薇に対しても、内コミュニケーションが円滑でなかったことが殺傷の欲望になったわけで、しか
しそれはまた、未開の共同体での供犠をも表している。麻原へは個人幻想の問題は問わず、専ら
宗教思想として語るわけだけど、供犠という側面、現在の市民的善悪の先まで行ったのではない
か、また、最も精神の最深部に行ったのではないか、という読み方を『宗教の最後の姿』で披露して
いる。人類史の未知の段階と、未開の段階との、双方向にまたがる問題をそこに見ていた。