客:柄谷行人と浅川マキの対談は浅川の死後編集された『ロング・グッドバイ』(白夜書房)に収録
されてるんだけど、読めば解るが柄谷が浅川を目下に見てはいないということは明らかだ。同格に
見ていることが伝わって来る。別に啓蒙しようともしていない。また迎合してもない。いつもと
同じように率直に話している。あと、坂本龍一って知識人でもあり「君に胸キュン」も歌う。教養番
組にも出ればバラエティーにも出てさんまやたけしとと馬鹿話もする。坂本龍一自体どっちかに
自分を限定する気はないようだし、無理やり限定する必要もない訳だ。坂本龍一だけではない。
サブカルチャーへの偏見で境界がとっくに曖昧化していることが見えない。単なる無知、作品を
知らないだけ、というだけではないか、と見えるんだな。
主:それと作品評価にはいつでも好みっていうのが付きまとう。知的で凝った作品が好きな人間
がいれば楽しいだけの作品しか好まない人間もいる。自分の好みを普遍化すべきでない、という
のは吉本が自分の文学理論を作ったモチーフの1つな訳だ。AKB48を下らないって毛嫌いする
人間がいれば熱中する人間がいる。好みであって、また熱中する人間の中にはまた細かい批評を
している人間もいる。AKBを「下らない」と言ったところで「じゃあ見なきゃいいじゃん」と言わ
れるだけよ。それでも説教すれば「うぜえな」と煙たがれるか、「でも好きなんで」と言われるだけよ
。「あなたの好みじゃないんでしょ」っていうだけよ。
客:AKBが出たついでに言えば、今ありがちな倫理観として、「AKBにつぎ込むカネがあるなら
福島復興支援につぎ込むことを考えろ!」という説教をする心性ってありがちな訳だけど、高橋
みなみよりも福島復興支援につぎ込むことがカネの使い道として正しい、偉い、という説教が全
般的になった世の中を想定すると、それは違って、公共性に対し私性を優先することはそれ自体
何ら罪悪ではない、っていう。そこまで言い切って本当は良いんだって思うね。
主:AKB48って好みじゃないけどね。