情況からの発言 7
客:40レスさんから質問が来てるんだけど、原発問題とオウム問題とに関して、この理解で良いの
か、という。
主:この方はよくフォローしてると思うし、ごく大雑把にいえばこれでいいんじゃないですか?
とも言えるんだけど、折角だからここで俺とかの読み方を重ねていきたいとも思うんだけど。ま
ず、オウムというか、麻原の悪について述べる前に、吉本の心的現象論の核となってる特徴につい
てやるのがいいんじゃないかと思う。どういうことかというと、これは当初は言われてなくて、
本でいうと『心とは何か 心的現象論入門』ていうのが2001年に出て、これは心的現象論に関連し
た講演が本になったもので、俺が心的現象論に関する最終的立場ではないかと注目するのが、そ
にある講演「「受け身」の精神病理について」というものだ。これは多分『50度の講演』にも入ってた
と思うんだけど。最初読んだとき難しくて解らなかった。ただ、ポイントだけはだんだん解ってき
た。それは何だというと、ここで吉本が立っている心的現象の立場では、生誕から乳児、小児、幼
児、児童、思春期、成人、熟年、老年、死、といった、個体の、個人の精神の現成と、共同体の初源、
部族社会、原始国家、様々な時代を経た近代国家、現代国家、高度産業時代の国家、いずれ訪れる
国家の死。つまり個人史としての歴史と、共同体の歴史と、パラレルにあって、それらは一個の
個人に於て、同居し。絡み合っている。『心的現象論 本論』でも、後半の「原了解以前」の中に出てき
ますね。で、どういうことになるかというと、個体の精神異常は、受精以降に母親(世界)とのコ
ミュニケーションで受けた傷、憎悪や偽りの感受、が何らかの切っ掛けで抑圧から遊離して現成
するもの。であると同時に、未開の共同体で人間が持っていた感覚や精神の現成でもある。となる。