吉本隆明 1924-2012

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39考える名無しさん
情況からの発言 6
客:D-Gの哲学を眺めて言えるのは、この哲学では個体にとって、存在の根拠といえるものなど
ない、ということだ。より正確に言えば、存在や現象、有の根拠とは、分子レベルで絶えず動いてお
り、そういうミクロなレベルで、これが根拠、といえるものはない。また人間の潜在力も限界はな
いと言える。人間にとって、行為や発語にとって、根拠とかそうした深いものなのだ。ミクロなレ
ベルでもマクロなレベルでも、また潜在力のレベルでも無限なのだ。そういうことが捉えられな
い学や哲学などが、分かったような顔で、根拠を述べるのである。そこからD-Gのフロイト批判も
出てくる。それはD=Gの哲学からすれば全く必然な批判なわけだ。これはそういう哲学を編み出す
こと自体はどうということもないわけだけど、単に人間の実相とかけ離れてるというだけでね。
しかしこれが党派から党派へ渡り歩く、或いは転向に転向を重ねる、或いは自己保身的な言動に
も根拠を与えるものである。そう機能してしまう可能性を露出させたのが、浅田のような花田
讃歌だと思う。花田には、革命のためになるなら事実と違う嘘など何でもない、むしろ嘘は必要だ
とするその場その場の機会主義の肯定がある。真の革命家は人間的感情などに拘ってはならない
、と言いたげに。後の新左翼にも通じる組織哲学。それは政治的であろうとする、そこに至高の
価値を見い出す限り出てくる哲学なんだけど。浅田が花田を讃える仕方には、D=Gにあるreal
politicsの哲学が露出しちゃってる。そこで浅田と花田が結託した、と取る。