吉本隆明 1924-2012

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34考える名無しさん
《現代の課題とは、資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの単純再生産の基礎を確立す
るかにあるのだ。》

主:ここに尾ひれを、つまり条件付きで言われているものは、単純再生産そのもの実現性
ではない。じゃあ何が書かれているか、といえば、転向マルクス主義者がファシズム体制
の下で、労働現場で労働者へ の指揮・管理・計画を実施している、そのことの合理化だ
と読んだ。一言で言えばファシズムへ の転向の合理化ということ。しかも重要なのは、『
資本論』の語彙を用い、それが為されている。言い換えればマルクス主義者のまま、それを
行っている。ファシズム体制にマルクス主義者はかように生き永らえる、とでも言いたげ
に。何故なら、ファシズム下に於て、労働者の指揮・管理・労働環境整備まで行っている
、このようにして、ファシズムに協力していると見せながら労働者のために働き、来るべ
き恐慌、革命に備える。それがファシズム下の可能なるコミュニズムなの だ。これが
戦時中の花田の立場だった。しかし吉本の見方はそれを一定認めながらも、にもかかわら
ず、結局ファシズム協力であることに変わりはない、レジスタンスなどではない、とし
た。それが吉本の批判にある《花田の理論はただちにマルクス主義の典型的なファシズム
化である生産力理論に転落した》の意味である。言い換えれば、転向マルクス主義の合理
化に過ぎない、ということ。だから字面だけを追うべきでなく、当時の状況で書かれると
どうなるか、という視点で読まなければいけない。吉本の批判は分からない。スガもそれ
を読めていない。それがスガの花田=吉本論争の意味なのさ。