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考える名無しさん:
情況への発見
客:あの全集を読むと、どういう思想だったのかは一目瞭然だけどね。今、花田清輝を 持ち上げる
人間があまり言いたがらない特徴が。
主:マルクス主義の問題でしょ。花田のマルクス主義がソビエト社会主義信仰から出られなかっ
たこと。そのソビエト信仰ってものと、日本の戦時統制経済の二重化、双面性がこの人の戦争体験
の最大 の問題だからね。
客:そうなんで、その後、80年代になってからの花田再評価で綺麗に抜かされているのもそこ。
一番この問題が如実に出てるのが例の「ユートピアの誕生」で、当時の官僚を皮肉ったのだ、とい
う花田の後の弁解をスガなどが鵜呑みにした。この「ユートピアの誕生」ていうのはまず題材にな
ってるトマス・モアの『ユートピア』からして閉じられた、密告が支配する、個人というものが集
団に溶け込むことを強制される国家。ソビエトと似て非なる代物で、この疑似ソビエト社会主義
を題材にして花田は自由放任経済にたいする統制経済を対置し、かつトマス・モアの描いた国家
を検討していく。もちろん同一化するわけじゃない。ただどこに自分の関心が向かっていくかは
そこに映したとみていいと思う。「集団表象と鉄の規律」などとして。これが戦後の花田によれば、
‘当時の官僚の発想を皮肉った’もの、となるわけだが、皮肉るためには皮肉る対象以上の理念が
必要だろう。ところがこの時、花田にはそのような理念はない。日本ファシズムにもソビエト社会
主義にもなれる経済思想しかなかったわけ 。皮肉ることそれ自体、無理じゃないかと思える。
主:スガなどが意味ないとしている例の「現代の課題は、資本主義社会の枠内において、まず、いか
にしてこの単純再生産の基礎を確立するかにあるのだ」も、これは花田が戦時中接近していた
ファシスト団体の戦時経済綱領=統制経済の確立に一致している。つまりマルクス主義から日本
ファシズムへの転向の合理化が、ファシズムとソビエト社会主義との互換性によって保証された
ということだ。