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主客:
主:あと、「互いに互いを解読してるかのように読める。そこが吉本の解読にヒントにな
る」というのは、吉本の『心的現象論』全体というのは、これは私の感じですが、根本に存在
論的裏付けというか、前提があった方が、入りやすい。実際はあれは、序論で、吉本により
、心的世界の叙述 という項目があって、心的世界をそれ自体として扱えることが論の前
提とあれている。だけどもあれだけじゃなく、実はあれは存在論でもある。単に心的世界の
分析、ではないと思うんです。心的現象論と同時に一級の存在論でもある。で、ここでハイ
デガーの『有と時(存在と時間)』を鑑みると、吉本の理論の理論的骨格らしく読めるとこ
ろが多く含まれている。現有は既有的に将来する。時熟する。本来性とは没‐交渉的な自
‐立性である。と、『心的現象論』の理論的骨格と言ってもいいものがある。これが、ヒント
になる。更に『有と時』というのは、実は〈自立〉という語彙を重要なところで使ってる。そ
れは、自己は自己に、叫ぶ。良心や本来性と同じ意味で使われるわけで、それが吉本の言
論の本質を読む上でとても参考になると思います。例えば《呼び掛けられる者もまさに
現有であり、つまり最も自己的な有り・能うことへ(彼自身に‐先立って…)呼び起こされ
ている現有である。そしてその叫び掛けを通して現有は、ひと(配慮された世界のもと
に‐既に‐有ること)の内への頽落から、叫び起こされてある。》(『有と時』第57節)と
良心について言われる。それは自己が自己に要求する本来性である良心で、これをハイ
デガーが自己性としてまた自立性ともしていく。そこが吉本思想の中枢にもあると思
える。自立思想の理論的土台にも見えるんですね。