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主客:
主:そういう言い方もあるけど、有 Sein という言葉で、〈ある〉を可能にする超越論的領域を問題
にしようとしたのがハイデガーで、幻想という言葉でも、〈ある〉を成立させる領域が問われていく。
そこは同じだ。また、『心的現象論』自体、そこでの問いかけはそれだったと思う。その問いをめが
けて論は進められていくわけだから。問題にされている事柄は同じだったと見ていい。1988年に
弘前で開催された太宰治シンポジウムで吉本は講演してるんだけど、その講演で太宰治にみた
資質‐生と死の境を超え易い‐は、まさに太宰治にたいして原了解以前を見つけ出し提出したわけ
で、そこでの取り出し方はまさに太宰治にとっての〈ある〉の成立する磁場とは何か、で。有論とい
ってもいいし、心的現象論といってもいいという論だった。ことほど両者の問いは同じ方向を目指
していた、ということ。幻想というターム、有(存在)というタームで狙われていく問いというのが
互いに補い合っていた。といえる。だから互いに互いを解読してるかのように読めてしまう。そこ
が謎であり、吉本の読み方としてヒントになるところじゃないか。