吉本隆明 1924-2012

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としている。これ自体、吉本の原了解以前の適切な解説といってもいいものです。また、ハイデ
ガーの有名な前期の概念で時熟 Zeitigungというのがありますが、これもまた、心的現象論の
適切な根拠といってもいい。例えばこう書いてあります。『有と時(存在と時間)』の一節です。

《根源的にして本来的な時性は、本来的将来から時熟し、しかもその時性が将来的に既有しつつ
初めて現在を目覚ますという仕方で、時熟する。》(『有と時』創文社全集2巻p.488))

 これも原了解以前のとても適切な解説になっている。この時熟にしても、世界の‐内に‐あること
にしても、ハイデガーの根本概念になるもので、枢軸となる概念である。それが心的現象論の適切
な解読として読める。元々、吉本自身が幻想という語彙について、共同幻想については良いけども
、個体幻想や対幻想についてはあまr妥当じゃない、と回顧してる箇所があります。

《個人幻想というのは、個々の人間の精神現象とその集まりのことを言っているわけで、共同の
場合や制度的な場合と比較したらまったく違う意味になっちゃいます。だから、本当は違う言葉を
使わないといけないんでしょうね。僕は勝手に使っちゃっているわけです。》(『戦後55年を語る
E』p.66)

 ここでより微細に両者を眺めると、幻想という場合には、〈ある〉にまつわる表象、判断、事物、イ
メージと、その根拠となる時間の総称になっているんじゃないか。で、有 Sein の場合には、何
かが〈ある〉、何かで〈ある〉にまつわる心、気分、イメージ、衝動、気がかり、好き嫌い、価値観
、本来性と、それを可能にする根拠、だと思います。その辺での微細な違いはあるけども、両者と
も、個体にとっての世界がどこから来るのか、また、如何なる拘束を個体にもたらすか、に多大な重心を見て
いる。その内的経歴、時熟ということへの重心が同じで、吉本の言葉でいうと、〈本当のことの起
源〉への視線が非常に似ている。その辺ですかね。。