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主客:
客:質問人さんからまた新しい質問なんだけど
質問人です。 >せめて幻想=有 Sein というあたりは押さえないと に驚いたんですが、吉本
の「幻想」がハイデッガーの「Sein」と同じなんですか?
というもの。これにはただ保留があり、というのは、ほとんど同じだけど、ハイデガーの場合は、
共同幻想、対幻想に該当するようなものは論じていないこと。しかし、吉本の用語でいう個体幻想
というところと、現有 Dssein というのはほとんど同じ、とみることは可能ということです。た
とえば吉本の個体幻想論では母胎における受精から人間の経験は始まる、とし、母親の経験が胎児
に刷り込みされる時期がある、となっている。これはハイデガーでいう世界の‐内に‐有ること
In-der-Welt-sein の発想と同じで、ハイデガーの「根拠の本質について」では
《現有は世界を生起せしめ、世界を形成することで現有自身に或る根源的な見え(形象)を与え、そ
の根源的な見えは、殊更に〈対象的に〉把握されてはいないが、それにも拘わらずっまさしく、そ
の都度の現有それ自身がその下に属しているところのすべての開示されうる有る有るもののため
の先‐像〈すなわち、原‐像〉 Vor-bild として機能している。》(『道標』全集9巻 創文社p.195)