客:ただ、『生涯現役』のあの箇所も、確かに何故米沢慧のホスピス讃歌が「ナチスの優生思想」と
関連づけられるのか、はかりかねるところがある。米沢という人の言論を追っていけば、臓器移植
に生命概念の変更を促す多大な意味付けが為されており、それと脳死患者とが直結する訳だから、
吉本のように優生思想、‘誰を生き延びさせるのか、誰を死なせるのか’の選別を生む、その意味で
問題点が大きいことは読み取れる。ただ、『生涯現役』ではそこまで話されている訳ではなく、あれ
はインタビュー本だから聴き手が居るわけで、インタビュアーが突っ込めばいいものをそのまま
流してしまっている。だからあの箇所は曖昧なところが残ってしまっていると思う。一方で芹沢
はといえば、芹沢が共鳴して一緒に講演会もしている米沢慧のことを知らないことはなかろうと
は思うが、当然論争となって然るべきところで黙りを決め込み、論争するべき相手が病死してから
初めて反論を始めるというのはどうみても姑息さが目立つ。死んでしまってもう反論も相手ができ
なくなってから、というのは卑劣じゃないか。
主:でもまあ、ずっとこの件を、つまり思想的決裂があったことを伏せておくよりはまだ良かった
とも言えるでしょう。実は疎遠になっていたことなど俺も知らなかったし。ただ、吉本の論争の解読と
かもしていた筈の芹沢が、死んでしまって反論できなくなってから言い始めるという遣り口に、
喧嘩の鉄則からずれてることへの負い目がないとしたら、かなりな墜落ぶりだとは思うけどね。