吉本隆明 1924-2012

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107考える名無しさん
あと、質問人さんが尋ねてらしたけど、学の追究のおいても、それが個体としての人間に
よ り為される以上、それが個体の本来性に向かう動力と無関係とは言えないんじゃない
か。それがある個人によって為されるという事実をどう見るのか、と聞いたわけで、そこ
で個人性を無視してはいかんでしょう。そもそも何が自分に切実かが個体の根拠でもあ
るのだから。それが蔑ろになれば、どこかの国家の教育のように、人類の真理である哲学
を丸覚えさせ、鸚鵡にする。そうなるのじゃないですか。廣松哲学が近代知を越えた、と
されていたので、ならばそういうところまで言いきるのでなければおかしいのでは?と
きいたわけです。学校教育が過去の偉人の発見を丸覚えさせ、鸚鵡みたいにし、それを
試験で点数つけ、序列化しますね。何でこれが変なのか。真っ正面から問いかけることは
あまりない。でもやっぱりおかしい。そういうこととも絡みます。そういう感じでしたけ
どね。説明が足りませんでした。