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考える名無しさん:
『共同幻想論』とか『心的現象論』も、ある思い込みの解明だと言えるところがあると思います。
その思い込みの起源を解明していく。じゃあそれを遂行しているその思考って何だ、その動力って
何だ、ていうのが、その先に出てくる。色んな思い込みを解いていく、その主体性って何だ、という
。そこはそんなに表だって言われたことはないんじゃ、と思うんですが、なので察するしかないん
だけども。これはサルトルが晩年に自分の思索のモチーフを語ったとき、個人と個人を隔てるあ
らゆる無理解がなくなった、そして全的に存在しうる、そういう日を自分ははっきり思い描くこ
とができる、と言っている。ここが印象的で、また共感できるところでもありました。
《真の社会的な和合が打ち立てられるためには、一人の人間がその隣人にたいして全的にそっくり
存在することが必要だ。そういうことは今日では実現しないけれどいつかは実現するだろうと
私は考えている。人間同士の経済・文化・感情の諸関係の変革が、何よりもまず物質的稀少性の
除去によって果たされたときにね。》(『シチュアシオン ]』134頁)
吉本自身の思考の原動力とは何だ、てときに、やっぱりサルトル的なモチーフはあったんじゃ
、ていうのが私の感じです。最初の思い込みというかね。