いちおつ
日本語ではあまり見ない神秘学関係の本もあっさりあるね
うーんうらやましい
質の良い子ども用の本もあるから英語の勉強に良さそう
「悪について」濃いね〜
読み終わっても頭の整理に時間かかりそうだ
シュタイナーはあらゆる意味で教条的になることを避けるから
「これさえしておけば善でいられる」みたいに一方向への突進を許さないんだよね
全然楽じゃないけど、
でも本当に現実的に考えたらそれ以外の態度はないだろうとも思う。
シュタイナーの「楽でいさせてくれない」感は異常
ベーシックインカムを支持したらしい橋下が
教育に競争原理を導入とか
いかにもありがちで嫌になる
ベーシックインカムもコスト削減のため云々言ってたし。
まるで分かってねえ
昔話の山姥はドッペルゲンガーだとさっき気づいた
夜中に男が目を覚ますと台所で包丁を研ぐ音が
聞こえるところは恐怖の念の高まりを描写しているし
昼間の親切な老婆とは一転して
醜い形相で現れた山姥はまさに自己の鏡像そのもの
昔話はちゃんと秘儀を伝えていたと嬉しくなる
言われてみれば山姥って不思議な存在だな
妖怪っていうかほとんど極度にアナーキーな老女じゃねーかっていう。
「ほとんど人間っぽい異界の存在」は、たしかにドッペルベンガー的な要素があるかも。
民間伝承の霊的洞察ってできたらおもしろいと思う
一番つまらないのは、民間伝承に自然科学的な根拠を仮定するような説明
一見もっともらしいけど全然真実の響きがない
「絶対違うわ」って直観的に感じる
シュタイナー「ただしジャガイモ、テメーはダメだ」
じゃがいもも物質に還元するとただのでんぷんなわけで、
作用が違うとすれば、その原因はエーテル体にあるということだろうか。
あるいはもっと霊的な部分をも保有している?
更に、収穫後もエーテル体を保持しているとすれば(しているだろう)
いつの時点でそれはなくなり、鉱物となるのか?
またそうなった時に霊的な面での作用の違いはどうなるのだろう
果物をミキサーにかけた時や
それを乾燥させた時
エーテル体はどうなるんだろう
どの時点で失われるのか
シュタイナーは鉱物に関しても霊的な性質を語っているから、霊的部分はあるんだろうけど
どの領域でどんな形態でそれはあるのかなぁ
鉱物において
物質的組成は同じでありながら
霊的組成は異なる
ということがあるだろうか
物質体とエーテル体は、私たち自身の似姿でもなければ、私たちにとっての現実の似姿でもありません。
物質体とエーテル体は神々の似姿なのです。
(「天使と人間」)
神は霊なのに、物質に似せるってどういうことだろう?と思って
人体をミクロコスモスとして作ったということだと気がついた
いや、最初からそう書いてるし、何回もそういう箇所は読んだんだけど
疑問をもってはじめて気がついた
「ミクロコスモスとしての人間」は比喩ではなく、
必然として、そうでなくてはならない、
なぜなら神々の階梯に連なる存在だから、ということなんだろう
読んでなお、読んでなかった
見てなお、見てなかった
知ってなお、知ってなかった
っていうことに気付くようになるのは
人智学徒になった人の徴候の一つだと思う
いま
>>3のサイトで見つけたオズの魔法使い読んでるんだけど
これってすごく人智学的だね
脳(思考)のないカカシ
心臓(感情)のないブリキの木こり
勇気(意志)のないライオン
作者は神秘学に通じている人という気がする
エメラルドシティまで来た
まぶしすぎるからサングラスをかけないといけないって
いかにも霊界参入っぽい
ドロシーは自我だろうか
生物は個が死ぬことと種が死ぬことは違うんですね。個は限りなく死んでいくんです。
人間は、個を問題にしてきましたから自然界と訣別せざるをえなかったんです。
個を守らんがためにした行動が、種を危機に追いやった。
この宮崎駿botの発言
人智学的だと思った
あー、霊界参入してー
シュタイナーは病気を、
それを克服することで自分の中の特定の性質を強めるものと説明してるけど
単なる風邪には、どういうカルマ的関連があるんだろう
風邪と言っても、症状が出る部位によって違うか
>>26 ただの風邪にカルマ的関連なんかないよ。
熱をそのまま体内に取り入れると風邪を引くって言ってるだけ。
もし風邪を引かなかったらそれが若い人の場合中年以降早く体が硬化
しておてんとさんの下を膝をがくがくしながら歩く羽目になるといってたけど。
若いねーちゃんが元気で短いスカートはいてあんまり風邪ひかず
はしゃいで通れば50過ぎたころ膝がくがくして歩くババアになるだけってことだよ。
カルマというレベルじゃないけど、因果はあるということか…
シュタイナー教育界隈では、風邪をひいたら3日前の自分の心の状態を思い出せって言われてるようだけど。
感情が乱れると、感情体が更新される一週間の半分あたりで身体に影響が出はじめるとかなんとか
そういやあ肺炎かなんかの話で熱を急に下げる治療をすると、エーテル体と物質体のサイクルの
違いで良くなったと思ったら1週間後だかにパタっとおっ死ぬ話があったけど
死ぬまでいけばさすがにカルマ的関連は出てくるだろうな。
病気の克服によってカルマ的な課題を消化するのではなく
何らかの方法でスルーすると、課題が先送りされるみたいなことをシュタイナーは言ってたと思う
風邪で熱が出てしんどかったから市販の風邪薬を飲んだら
それがまぁよく効いて熱は下がり、身体は楽になったんだけど、
今度は喉に来た。
もし熱を下げなかったら喉には来なかったんだろうか、とか思う
わりとこういうプロセスが人生の中で良くあった気がする
三日前の心の状態を思い出せっていうのは、なにか納得できる方法だね
「オズの魔法使い」読み終わったから色々調べていたら
作者のボームは神智学協会の会員だったんだね
検索すると出てくるのは神智学に対して陰謀論的に批判してるサイトばかりだけど
wikipediaにもbecame Theosophists, in 1897って書いてる
作品の内容的にも、非常に納得できる
機能不全に陥っていた思考と感情と意志を、ドロシー(自我あるいは霊我?)が調停しにいった
内界を象徴した物語だと思うけど
虚像を見せる手管のために力を持って、また同時に幽閉状態にされていたオズは何なのか、
という問題は興味深いと思う
オズはルシファーなのかもしれないし、あるいは世間ずれした、いんちきばかり覚えた「大人」なのかもしれないけど
ともかく、ドロシーはオズをも救済した。
エンデのいう「読む人を健康にする物語」のひとつだと思う。
水をかけられただけで溶けてしまう
パサパサにかわいた西の魔女は、非常にアーリマン的だと思う
なにしろ邪悪すぎて血(自我的・ルシファー的な物質)がひからびているのだから
>>3のサイトは、ある漫画家の人が
古い「オズの魔法使い」の本を紹介していたのがきっかけで知ったんだけど(それで英語の勉強をかねて読んでみた)
何故よりによって「オズの魔法使い」だったのか。
情報を小出しにしてるけど、本当は神秘学に通じてる人だと思う
漫画の中にギャグとして出てきた本に「シュタイナー」って書いてあった時もあったし。
人智学徒・神秘学徒は、けっこう世の中に潜んでいるのかもしれないなぁ・・
五芒星のイメージは、何故か「いつもハウルの動く城」の星が走るシーンと繋がっていたんだけど
なんか、偶然じゃないっぽい。
「ハウル」の中の、「オズの魔法使い」への引用性からいって、
無自覚であの映像が作られたということはありえないだろうから。
秘密知識の伝授を受けるには、それにふさわしい師を方々に探し求めなければならない、
と多くの人が信じている。
しかし大切なのは次の二点である。
第一に、真剣になって超感覚的認識を求める人なら、自分を高次の秘密へ導いてくれる導師を見出すまで、
どんな努力も、どんな障害もおそれてはいけないということ。
第二には、認識への正しい、まじめな努力が存在するときには、
どんな状況の下にあっても、伝授する側がその人を必ず見つけ出してくれるということである。
(「いかにして超感覚の認識を獲得するか」)
いや、そんな「師」になんて日常会わねーよ、そんな人どこにいるんだよw
って思ってたけど、
妙に作品や言葉が引っかかって、新しい知識への接続を促してくれる人は
たとえ知り合いじゃなくても「師」なのかも
宮崎駿はどうも好きになれない。人のことじゃなく作品のこと
だけど。作者の個がストーリーを超えて入ってくる。非常に居心地が悪い。
>>35読んだけど、すごく熱心に調べてるな
最後の結びは「黒魔術教団の広報兼プロバガンダ映画」という批判なんだけど
本当に批判したいのか疑問に思う
悪魔にとっては、存在すら感知されないことが重要で、
悪魔を描く芸術は、決して悪魔的でないどころか、実際には反悪魔的なので。
悪魔を描いたから黒魔術のプロパガンダだと結論づけるのは、
調査の熱心さから言って不可解なほど短絡的と感じる
実は告発するふりをしてるだけで本当は援護してたりして
>>38 その気持わかる。
アクションが無いとジブリは流行らないんじゃないかと思う。
エンデの様に、装飾に頼らなくても、物語を3次元、4次元的に描ける。
真の芸術家だとはどうしても思えない。
本当に悪魔的な表現は
果てしない幻想の中に人間を閉じ込めようとしたり
強烈な感覚的な刺激によって酩酊状態にしようとしたりする。
その究極の形としては、虚栄心を人工的に刺激して人間をまさに家畜同様の存在にするソーシャルゲームのようなものだと思う
そこにあるのは、一切の真実のなさ、刺激のための刺激、皮相感といったもの。
本当の悪が悪のことを描くわけがない。
>>41 いや、ソーシャルゲーム等、所詮大衆をターゲットにした物は大したものではない。
それよりも上位の悪魔的なものは、富裕層を対象にしたマネーゲームだと思う。
そのマネーゲームで勝者にはなれず、それでも感覚的な刺激を求める庶民が
ソーシャルゲーム、アクションオンラインゲーム、ギャンブルに流れるという
そして、刺激によって現実に無自覚的に庶民をさせ
その間、富裕層は益々蓄えるという悪循環が今の日本、世界の現状に見える。
宮崎作品よりも、エンデの方が仕掛けが丸見えだと思ってたけどな。
悪魔的な表現というと、ハリポタが個人的に受け付けなかった。なんじゃあの学校。点数主義だし。
俺はマネーゲームよりソーシャルゲームの方が俗悪だと思うけどなぁ
マネーゲームのゲームマスターは人間じゃないけど
ソーシャルゲームのゲームマスターは人間なんだから
悪魔が作った構造を人間がコピーすることで一層醜悪になったと思う
悪魔が悪魔の役割を人間に担わせているとも言えると思う
「遊び」も、芸術同様、もともとは聖なるものと関わる行為だったはずなんだよね
だからそこで行われる涜聖的な行為に対して
ある種の人々は強烈に嫌悪感を持つんだと思う
>マネーゲームのゲームマスターは人間じゃない
それが残念人間なんだよ。
今現在の政治と結びついた金融システムを作ったのは。
今は昔の奴隷制度よりも効率的に搾取できると言われている。
そしてそれは狙って作られたものだということは
政治経済を勉強すればわかる。
大衆は金融システムというものの前には無力にも家畜になるのを逃れられないんだ。
ゲームマスター気取りの人間はいても、本当のゲームマスターなんていないよ
そこには奴隷しかいない
貨幣が支配と搾取の装置であることは、
人智学に通じてる人には一番よく分かってることだよね
それにしても搾取している側の人間も奴隷であることには変わりない
神智学を陰謀論的立場で批判しているブログがおもしろくて読みふけってしまった
知識が豊富で、
おどろくほど鋭い見方も多くありながら、
最後の結論で、急にばかみたいな陰謀論に飛びついてしまっている印象。
なんなんだろうなぁ、なんか不思議な感じ
芸術は、作者が作者自身以上のパフォーマンスを発揮した時に生まれる。
いわば作者が偉大な存在の道具になった時にのみ、芸術は芸術たりうるのに、
陰謀論の立場に立つ人は、作品は作者の思想を自在に織り込める何かだと思っていて、
そこに違和感を感じるんだと思う。
「そういう何か」を作ることは可能だけど、それはもう芸術じゃない何かで、
損なわれた偉大さの印象は二度と戻らないだろう。
芸術を異常なほど過小評価する時にしか陰謀論は成り立たない。
「芸術じゃなくなった何か」は、もはや語る欲望すらかき立てない代物になっていると思う
人智学的にはゲームマスターはいないかもしれないけど。
具体的に二人の老人がいたとして
一方は、年金受給しながら、貯金を崩して暮らしている。
将来の不安は日毎に募る。
他方は、プライベートジェット機を乗り回し、リゾートホテルを飛び回る。
たまに相場に仕掛けたり、利子だけで悠々自適に暮らしていけるから、金銭不安等無い
はっきりいって前者はハメられた人生
後者はハメた人生。
質的に全くことなると思うけどね。
カルマも違うのではないのか。
だったらシュタイナーの理論でも一緒くたに出来ない。
あの、カネのあるなしがすべてなの?
たとえばってことじゃないの。
まあでもいろいろ考える機会があるのはよ
いことだと思う。
でっシュタイナー的には芸術の定義って
どういうことなの。芸術論ってあったっけ?
超感覚的世界の模写。ツールはそれぞれ。
概念である場合は概念芸術である哲学。
音である場合は音楽。
投機はよくない
労せずに富を得たらいずれ返さないといけない
あと自分もジブリは好きじゃない
あれはまずロリコンとか美少女キャラありきだから
宮崎駿は3才以下の子にテレビを見せるなとかジブリのDVDは子供に毎日じゃなく特別な日しか見せるなとか
ジブリで幼稚園運営したいとか言ってるから、人智学の影響は受けてるのかもしれないけど
人智学を下敷きにした創作物も、作者個人が作りこみすぎたら
所詮作者のためのオナニーでしかないんじゃないか
シュタイナーは秘儀参入を視覚化して絵画で出してみませんかと言われて
それは個人個人が思い描いていくべきものだから絵画にはしないと断ったとかなんかで読んだ
>>55 >労せずに富を得たらいずれ返さないといけない
俺もそう思う。それがカルマなんだろうか
しかし、今の富裕層を見ると、行く末が恐ろしくなる。
金に無自覚的になり、それなりに裕福にも関わらず
フェアトレードで無いものを買っているのなら
結果的には一般大衆も罪を重ねてしまっているのでは無いのか。
その購入するという結果によって、中国、アフリカ、中東、東南アジアの
子供達にまで死に追いやってしまっているとしか思えない。
市場にでまわっているもののほとんどはフェアトレードではないものだから
これは深刻な問題だ。
シュタイナーの本で勉強するのももちろん大事だが、我々の行為で、地球の遠くで
人々が餓死をしている。今や経済的に我々と彼らは密接にリンクしている。
カルマに関係しないとはとても思えない。
それに、金は精神性を破壊する。
我々がシュタイナーの本をこれだけ読めるのは、我々が日本人だから。
それでも日本は、最近99%の国民が所得水準が激減しそうな動きを政治が見せているが・・
金は全てではないが、金は精神性すらを破壊する力を持っている。
もちろん、裕福でないものはフェアトレードのものを購入する余裕が無くなるほど
この世界は仕組まれている。資産家によって。
だからある程度裕福な人がなにを購入するかは世界に革命を起こせる数少ない行為なんだが・・
>>55 >あれはまずロリコンとか美少女キャラありきだから
同意。
ジブリが男キャラが主人公ではないのは理由がある。
それは、男が醜いものであり、ジブリのストーリーにとって
男は少女を魅力的に見せるための道具でしかない。
ただ、男の中でも老年のキャラクターはそれなりに父性的で一見成熟したものを
持っているのように見せかけるのも、作者の狙いなのでないかと思う。
彼も老年男性だから。
ジブリは性的に歪んだ美を内包してしまっているから
子供には害が恐らくあるだろう。なにもあんなものを見せる必要はない。
いかにも人智学的な作家って今までエンデしか知らなかったけど
ボーム以外に、メーテルリンクも神智学徒だったらしい
ゲーテ、シラー、ノヴァーリス、バルザック等も、
17-18世紀の神智学に触れていたそうだ。
いわれてみれば「セラフィム」って言葉を最初に聞いたのはバルザックの作品名だった。
ブラヴァツキー以前にももちろん神智学は営々と存在していたわけで
彼らが受容した神智学ってどういう形のものだったのか気になるなぁ。
多分、シュタイナーが最初にゲーテやシラーの中に神智学の影響を「発見」したわけじゃなくて
なんとなくだけど、神智学の系譜の作家の情報も、神智学的な歴史の中で共有されてきたような気がする
「投機はよくない」って、もはや道徳の問題じゃないんだよ
経済構造と貨幣システムが「不道徳に行動することを推奨」するように設計されている
むしろ、そうしなければ破滅するように設計されている
シュタイナーはその問題に切り込んでいるんだよ
多分それ以上に本質的な問題って世界にないんじゃないかな
単なるオルタナティブじゃなくて、
本当に世界のあらゆることを本質的に、底の底まで考え尽くそうとしているのが人智学だってことを
分かって欲しいな
>>53 美とは感覚的・現実的な外観の中に現れた神的なものではありません。
美とは神的な外観をまとった感覚的・現実的なものなのです。
芸術家は神的なものを世界の中に流しこむのではありません。
世界を神的なものに高めることによって、神的なものを地上にもたらすのです。
(「芸術と美学」)
まだ、分からないような分かるような、
分かるような分からないようなだけど。
ただこれが正しいということは分かる。
>>54 >>62 サンクス。
俺も
まだ、分からないような分かるような、
分かるような分からないようなだけど。
ただこれが正しいということは分かる。
だ。
神智学大要読んだら、気功の施術みたいなことも書かれてるんだけど
シュタイナーがそういうこと書いてるの読んだことない
読んでないだけで、どこかに書いてるんだろうか?
なんとなく神智学の方がいわゆるオカルト的というか呪術的な要素が濃い気がする
なんらかの力を他人に向けることに対してシュタイナーはすごく慎重だった感じがする
他人に対して影響力があると主張しだすと
すくインチキに結びつくもんなぁ
>>65 >なんらかの力を他人に向けることに対してシュタイナーはすごく慎重だった感じがする
それ、凄くそう思う。
個我やカルマについて語ってることが
シュタイナーの特徴だから、当然かもしれないが。
シュタイナーはとても仏教的だと思う。
他者への働きかけに特徴があってキリスト教的なのはダスカロスって人がいるけど。
個人的にシュタイナーと同じぐらい偉大な人だと思う。
役割(使命)とそのベクトルは随分違うと思うけど。
シュタイナー自身すら、手をかざしたり気を送ったりするような
エーテル体レベルの「治療」をした形跡がないもんね
いちおう学者だからね医師やヒーラーではなく
「いかにして前世を認識するか」に、
物質は光から織られた、と書いてあったけど
神智学大要には、原初のエーテル=コイロン(空)に
神がエネルギーを注ぎ、
コイロンが奥に押し込まれた空白できた泡が光だと書いてある。
シュタイナーは詩的で直観的な表現、
神智学大要は理論的な表現、
補完させあうのがいいのかな
amazonでブラヴァツキーとかシュタイナーの著作を熱心に批判してるレビュアーが
井筒俊彦の著作を好意的にレビューしていて、面白そうだったから「意識と本質」買ってみた
まだ一章読んだところだけど、すごく面白い
神智学や人智学を熱心に批判している人は、
総じて権威主義的傾向があるけど、その分とても博学で参考になるところが多いと思う
国会中継もそうだが最近批判には食傷気味だわ。
批判っていうのは楽でいいわ。自分側だけの観点や得意
分野でドヤ顔でもの申し気分いいだろうな。
最近おつむのいい連中が多くてやりにくい。
でもシュタイナー批判するやつも一応読んでるってことだから
少しはマシだな。
「意識と本質」で、井筒はイスラム哲学を援用しながら
イデア的本質(クラス的本質)の他に、受肉したものの本質(インスタンス的本質)がある
というようなことを語ってる。
イデア的な美に惹かれながらも、
芸術の美は、受肉性の中にこそあるように思っていたので
自分的にど直球な感じ。
シュタイナーは受肉性の中に立ち現れてくる美について語ってないんじゃないかって思ったけど、
>>62の、「美とは神的な外観をまとった感覚的・現実的なもの」という言葉がそれにあたるのかも
マーヒーヤ(普遍的「本質」)が突如としてフウィーヤ(個体的「本質」)に転成する瞬間がある。
この「本質」の次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず詩的言語に結晶する。
俳句とは、芭蕉にとって、実存的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった。
(...)
普遍的「本質」を普遍的実在のままではなく、個物の個的実在性として直観すべきことを彼は説いた。
(「意識と本質」)
これって「美とは神的な外観をまとった感覚的・現実的なもの」の言い換えそのものだ
74 :
考える名無しさん:2012/03/17(土) 13:27:55.16 0
75 :
考える名無しさん:2012/03/17(土) 15:39:43.51 P
>>62 あばたもエクボとか、犬の死骸の美しい牙とかでしょ。見る人の立ち位置。
てめえで美しさを見出せってこと。
小難しくかんがえすぎ。
また、人智学に浸りすぎて、ルシファー的になりすぎてたことに気付いた
一行一行が異常な美的強度を持っている本はそもそも「不自然」なものだから、
ある種危険なものでもあると思う
常食にするには栄養がありすぎるというか。
シュタイナーほどじゃないけど、霊的事象に対して理解がありながら
なお地上的なところのある人物の本で、
自分を地上に引き戻すのはいいことかも。
かといって地上と完全に一体化するのももちろん違うけど。
そう考えていくと、芸術=天上と地上の間にだけ現れうるもの、がやっぱり重要に思える
>>62の言葉を読めば、
シュタイナーが芸術というものを完全に理解していて、なおさらにその先にいっているだろうことは、
すべての芸術の徒に理解できると思う
でも、信じられないほどの濃度が凝集している本は、やっぱり、危険だよ
特に軽い気持ちで近づくのは。
今はある種の凡庸さを愛したい気分だ
いやそもそも「人智学」が、「天上と地上の中間に存在する人間」に関する学なんだろう
でも気付くとルシファーに持っていかれてるってことが多い・・
人智学は中間の学だけど、上に引っ張られる人が多いってことなのかな。
まぁ、社会生活を支配する世界観が下に引っ張られすぎてるから当然と言えば当然だけど。
シュタイナー云々以前に自分がどうあるか、が全てだとおもう。
その意味で
>>77のようなアラートがあがることは健全だと思う。そこは人智学のとてつもなくいいところ。
てか超感するのに人の創造的な想像力が必要。
>>62 は人智学の基本中の基本。
逆に芸術がどこかに保管されてあって天国からフラリと降りて来ると考えたら、それはちまたの新興宗教。智でも学でもない。
神智学をマンガチックに受け取りすぎると、天界だ神界だ、上だ下だと滑稽な話になる。神智学は人が語る以上、人の世界。
>>81が何を言っているのか全く分からないけど(多分本人にも分かってないと思う)、
神智学ほど霊的にならない学としての人智学の宣言は、
シュタイナーも「人智学・心智学・霊智学」ではっきりしてるよね
「天地人」という言葉が
物質的な宇宙観で単に人間をとりまく世界をグループ分けしたわけじゃなくて
霊的なヒエラルキーをふまえた言葉だということが
ここにきて分かったよ
>>82 広い意味で神智学と言ったので、人智学に置き換えていい。
例えば霊という言葉がもう人の世界という意味。
携帯からなので信仰論議は御免。
神智学を人智学に置き換えたところで支離滅裂だし、
分からないことを覚者ぶって言ってる言葉を
シュタイナーを真剣に読んでる人に通用すると思ってること自体がとうかと思うよ
本当に、このジャンルは99%が偽物なので。
少なくともこのスレには偽物はくんなよ
いちいち対応すんのが面倒くさいから
>>87 いや、どうでもいいよ
単にコストでしかないということを理解して下さい
なんでよりによってこのスレに書くんだろう?
結局シュタイナーを全く理解していないから平気で書けるんだろうね
自分が分からないから他の人も分からないと思うんだろう
分からないことを分かったふりしても完全に無駄だということをどうか理解して下さい
ほんとにばかばかしいので。
>>89 に至っては、もはやエゴしか感じられないのだけど、誰?何が目的?
>>90 いやもういいから。
ツイッターとかで言ってればいいじゃん
このスレでしないでね
シュタイナーを読んでいる人は、
自分の中の真実性に対するセンサーにいわば賭けているのに、
そういう人達の前で、アホ丸出しの「分かったふり」が通用すると思っていること自体が腹立たしい
まず不遜であることにおいて。次に頭の悪さにおいて。
べつに、腹を立てる必要はない
シュタイナー読んでると
ルシファー的かアーリマン的か
上か下か
とかの区別を感じるようになってくると思うんだけどなあ
シュタイナーを理解してないから、今それを理解しようと
してるからこのスレが立ってるんだと思う。
でもたまにはミエはっても感情的でも、あるいは批判的でも
いいかと思う。みな理解してないからそうなるんだからな。
そういうわけで一言。おまえらバカだとは思ってたが俺ほど
じゃあないなw
分からないことは分からないとか、
気付いたことは気付いたといえばいいと思うんだよ
なんで覚者ぶるのかw
ハードル上げすぎだろw
その「フリ」をばれないと思うこと自体が怖いわ
>>94 おれもそう考える時がある。でもその前に中和する力、変容させる力を持つことをいつも考える。
しかし意思が弱い俺はめんどくさいことが嫌いなので知識だけで満足するわけだ。
>>96 ひとそれぞれだから、いいんじゃない。そぶりはその人の
服、身だしなみみたいなもんだから。
[あなたが虫が嫌いなのは、あなたが虫だから嫌いなのです。]シュタイナー
俺はどっちかっていうとおまえらみな嫌いだけどな。w
俺も自分に分からないことが語られているといちいち突っかからずにはいられない馬鹿は嫌い
面倒くさいし何も得るものがないから
シュタイナーと関係ないけど、
よく人とコミュニケーションの中で あなた頭いいですよね〜
って言われる。
返事に はいよく人からそう言われます。自分でもそう思ってます。 って普通に答えてるよ〜。w
我ながら正直だと思う。w
>>100 何を言い出したんだw
そんなこと言われたらむしろ警戒しなきゃいけないと思うよ
勘違いした馬鹿がなんでこのスレに闖入してきたんだろうねw
こっちが恥ずかしくなるわ
すまんすまん。まあバカっ話はともかく俺がシュタイナー
を知った時にいくつか同時進行で興味持った中でグルジェフ
があるんだが、誰か読んだやついるかい?
PDウスペンスキーが書いた[奇蹟を求めて]を一度読んでみる
ことを勧める。シュタイナーと関係ないように思えるが
まったく違った視点で人間と宇宙に関して考えさせられる。
同族の神智学系とは違うから、またシュタイナーを読む
時に新たな理解を得られるかも知れない。
しらんしw
君自身の信用が地に落ちてるのに
その人の名前を挙げることで、
その人にとってどんなメリットがあるのか。
君は自分の権威付けのために人の名前を利用したいだけだろう
これ以上恥ずかしいことやめなさいよ
>>104 ん?俺か。95、97、98、100、103は俺だが、久々に覗いて人間らしい流れになってるから
冗談交えただけだぜ。このスレID付かんから誰が誰にやら要領つかんな。
俺だとしたら権威なぞないからw
シュタイナー読んでる人はグルジェフ知ってる人多いと思ったけどあんまりいないのかなあ。
106 :
105:2012/03/20(火) 00:19:08.45 0
たまに個人が出るってのはスレ的にシュタイナーに興味持ってる人がどんな人かわかるから
俺は好きだけどな。
>>105 おれはベーメ研究からなぜかシュタイナーにたどり着いた。そのせいか街中のシュタイナー・セミナーなどは気味わるく感じてしょうがない。
覚者だとか権威だとか意味分からない。
俺も古代思想、グノーシス主義、神智学、人智学、シュタイナーときたから
>>77や
>>94の言うルシファー的なものに引かれるという意味がよくわからない
人間誰しも持っている第六感を育て使用して人間の無意識に流動的に内在する知恵から神性を見出す
その認識や経験、知恵に内包される神性、いわばルシファー的なものに引かれるということなのか…?
自分は無学なので全くの見当はずれかもしれないが、シュタイナーは読んでいて自分の経験と当てはまる部分が多いので好きだが
自分の過去にそういった経験が無い場合はそれ以上読めなくなるというか、一般的なな感覚からは嘘書いてるとしか思えなくないようなものになるな
>>108 そりゃ周りにシュタイナー好きはすくないかな。本があれだけ出てるのにね。
経験か。まあ、シュタイナーだとカルマと言いだす領域になるんだろうけど、自分はそこで立ち止まるかな。でも普通に読んでいるから、どこかで感じているのでしょう。
だが信者は好かん。(笑
俺はユング、アドラー、フロム、ライヒなど心理学系から
東西の神秘主義、オカルティックな学問、催眠やナチスの研究までしたな。
シュタイナーも早い時期から興味があったがよく理解できなかった。
あちこち旅して色んな人ともあって色んなこと教わったが
シュタイナーだけはちょっと不思議と感じる。
知識は増やすことは出来た。技法(体的、心的な)は外的にも内的にも一時的な変化を作り出すことは出来た。(普通の人なら
驚くようなこと)
シュタイナーは読書と書かれている行を適当にするくらいだったけれど(振り返るとそうとう長い)ある時から内に変化が感じられた。
これに気づいたとき凄く不思議に思った。これを系統だって説明するのがちょっと難しいけど。
ただシュタイナーの言ってることはよく分からないことの方が
多いのだけれど皆が言うように自分の深い部分でそうである
っていう認識がある。
112 :
94:2012/03/20(火) 21:27:12.49 0
>>108 >>77とは別人だけど、自分だったら
目の前の現実に取り組まずに、小説なり思想なりに思いを馳せて
そっちに夢中になってしまっている状況を
ルシファー的なものに引かれるって表現するかなあ
映画を見るとエーテル体が出目になるらしいけど
テレビとかドラマを見るとどういう影響があるんだろうか
出目ってダメってこと?
そういう話、初めて聞いた。
なんでなんで?
ダメじゃない 出目だよ出目金の
へーと思ったんで覚えている 芸術と美学だったかな?
出目になる それ以上の言及はなかったよ
ああおれの出目はそのせいかって
シュタイナー時たまわけ分からんこと言うな
肉眼とずれるということはリアルを正しく見れなくなるんだろ
シュタイナーの宇宙生成論はヘッケルの生物哲学の影響をもろ受けてるね
「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という本についてですが、この本で超感覚を獲得された方はいますか?
何かヒントになる事やアドバイスなど頂けたらありがたいのですが
若干スレ違い気味ですが、お許しください
>>119 いないよ。ひたすら行を実践するなら今世は無理でも来世あらりには獲得できるかも。
単に俗に言う霊能者みたいになりたいなら他の方法がいくらでもあるし、人の過去
ぐらいはわかるようにはなる。しかしシュタイナーのいう超感覚とは違うけどな。
>>120 いないのだろうか。。。
人を選んだ答えてだったら分かるけど。
その場合不特定多数に接触する媒体についての考察も必要。
シュタイナーを読んでいない時ほど、シュタイナーのことを考えるね。
>>112 まさにそう。
おそろしく奥が深くて、しかも美=調和が張り巡らされているから気持ちよくて、
いろんな意味での高揚や自尊心の膨張があるから
ひたすらその世界に浸っていたくなる。
何も実生活に取り入れてないのに、高揚して何か進歩したような錯覚に陥る。
何かのきっかけで少し離れると、我にかえって気付くけど、
そのただ中にいる時には、「まだ足りない。もっと読まないと」って思ってる。
健全な判断を持ち、謙虚、控え目であり、自分を過大視しないことは、ルシファーの気に入りません。
それに対して、功名心、虚栄心があるところでは、ルシファーは汚い部屋のなかの蝿のように飛び回ります。
(「いかにして前世を認識するか」)
逆説のようだけど、人智学の本を読みまくっている時にも、この状態になる。
でも逆説じゃなくて、本来的にそういう危険と隣り合わせの分野だと思う。
将来の真の悪は、神智学・人智学的な知識をもっている人によってなされる、
みたいなことを、シュタイナーもどこかで匂わしていた記憶があるけど
そういうことじゃないかなぁ
聖なるものへの道を開く行為は、同時に悪にも通じているっていうか
「人智学・神智学・神秘主義の本をひたすら読んでいたいなぁ」とか思ってたし、今も思うけど
それ以上愉悦にみちた蠱惑的な体験はなかなかないね
実際はそれはいいことではないのに、まるでいいことのように思えるのが
余計にタチ悪いと思う
悪を利用して先に進むから悪を知っておく必要があるって
おれは考えている。
大方はそうのはずだけどおれらは親や学校の逆教育の中で育っ
たはず。エゴの中で何かを学び、社会や自分とぶつかって気づ
きがある。
シュタイナーを学ぶ過程も同じ。ちょと前のスレをみてもエゴ
がぶつかったやり取りがあるだろ。
でもそれでいいと思う。いつか学習や行の中で自分が少しづつ
変わっていくはずだから。
自分の人生があって、自分で考えて自分で組み立てるべき、自分の哲学があって
そのための大いなる助けとなるのが先人の足跡であり人智学なんだけど
いつの間にかシュタイナーが言ったことを読み取ることに夢中になっちゃう。
自分の哲学を組み立てる仕事をすっとばして、人智学を読み取って理解する仕事に没頭してしまう。
かといって「人智学が間違っている」っていうことじゃなくて、
離れて自分で考える作業に入ると、
圧倒的な真実性の輝いたシュタイナーの言葉が思い出される。
それで「ああ、やっぱりシュタイナー素晴らしい」って思ってまた読書に没頭すると、
またその作業の魅力に取り憑かれてしまいそうだw
「いか超」が言っているのは、自分を清浄にすることで、内なる目や耳を開くってことだよね
超感覚の有無はおいておいて、
人格を陶冶するほど、見えるもの・きこえるものが多くなるのか、といえば
きっとそうなるに違いないと思う
研ぎ澄まされたその感覚は、他の人から見たらほとんど超感覚に近いものになるだろうとも思う
良き精神が間違ったタイミングであらわれると殺人犯や性犯罪者になるって
たぶん「悪について」に書かれていたと思う
大悪人はそれだけ強い善の精神を持っているということになり、
なんだか受け入れがたい気もするけど、たぶんそれも正しいと思う
善と悪は不即不離というか、
それに浸りすればいい安全な善なんてないんだろうな
俺はそれさえ持っていれば安全な
「ものすごく強いお守り」みたいなものが欲しかったのかなぁとか思った
でもそんなものはないね
>>121 自分は2年くらい前から極稀に色彩らしきものを見ることがある
いか超の行法をやってる訳じゃないから
>>119にはアドバイスとかできないけどさ
いか超で霊的認識を得られた人もこのスレに潜んでそうな気がするけど
シュタイナーの本はほとんどの場合どのような人を想定して書いているか、どのように読むと良いかがまえがきに書いてあるよ
少しでも興味があるならまえがきだけでも読むといいよ
132 :
130:2012/03/24(土) 16:21:45.60 0
>>131 シュタイナーの著作はよく読んではいるがしかしながら
いか超に記述がある具体的な行法を実践してないってことを言いたかったんだ
行の実践よりも読書や思考を重視したり、感情のあり様に注意を向けたりしてる
まあ行をするのがめんどくさいっていうのが大きいけどね
いか超読んで水晶を買ってみたりしたんだけど使ってないやw
シュタイナーの著作ってまえがきが秀逸だよね
著作を読むのも行の一つ。行そのものは
地道にこなすものと考える。
その中には思考作業や瞑想の実践も含まれ
るが、結果としての期待感を持ち続けるな
らそれは間違いなく裏切られる。
何よりも真面目な態度を求められるので、
行そのものは習慣化され、社会生活におい
て実践される。
その時がいつかわからないが、そしてよう
やく超感覚的世界の境域の前に立つ。
それで初めてそれを超える資格を持つこと
になる。
だが資格なくしてその前に立つことはな
い。謙虚さひた向きさが求められるのは
そういう意味において。
だが境域の前に立つ前に、行の実践におい
て自分に何も変化が起きないかと言うとそ
うでもない。最初は利己的な意味で錯覚を
伴い、自己満足や社会、特に人間関係の中
で高慢さが滲み出て軋轢を伴うこともあ
る。しかしその事が誤りや方向の違いに
気づかせてくれる。
純化の過程を経る最中に自分の中の濁りを
あからさまにみて自己嫌悪に陥りそうにも
なる。でも行はそれらを乗り越える力を
確実に付けてくれる。
失いたくないものが、エゴに必要であって
も本来の自分には無意味なものであること
も、愛情が慢心や自己満足に置き換わって
いるようなことも気づくようになる。
夢も示唆的に変化し、起きたら記憶から
薄らぐようなことは無くなる。
人間を含め生物の痛みや喜びにより共感
が生まれるが、感情に同化することなく
観察出来る。
それでもまだ境域の前には立てない。時が
満ちるまでは。
もし準日無くして立てたなら、二度と超感
覚的世界に参入しようなどど思わないはずだ。
夢が示唆的になっても思考力ではあまり
役に立たない。外国語を初めて勉強する
ように読む力も鍛えなければならない。
人を見た時、人を見ないならその人の
本質が多少見えるようになるかもしれな
い。
行あるいは行法は極端差を求めてはいけな
い。社会生活とのバランスの中で行わなけ
れば行けない。
極端さ性急さは救いがたい自己崩壊を起こ
す。自分が取り込んで来た悪、不調和を解
消出来ず力を持たせるか、そっちに取り込
まれる。それは恐怖より誘惑という形で
やってくる。もしそれでも極端に行法に
没頭するなら自己分裂を起こす。
自我、アストラル体、エーテル体が身体と
協調しなくなる。
統率者が誰なのかわからないが状態にな
る。
オカルトに興味を持ち怪しげな行でこうな
る人はいる。機械的な方法で幻想世界を
みて取り憑かれる人もいる。
この人達はもういちど元の道に帰ってこな
くては行けないのでかなり遠回りすること
になる。
麻原はかわいそうだが、あの状態で何も先
に進むことはない。死刑は反対だが
麻原にとっては身体が崩壊したほうが
くらい動物本能の深い穴から早く出られる。
シュタイナーの勧める毎日の生活の仕方について書かれた本はありますか?
参考になりそうな本でもよいので教えてください
>>138 シュタイナーの美しい生活
シュタイナー式優律思美な暮らし
身体と心が求める栄養学
人智学からみた家庭の医学
考えることから生きることへ ルドルフシュタイナーの思想を現代に生かす
魂のこよみ
瞑想と祈りの言葉
自己認識への道 八つの瞑想録
神智学、いかにして超感覚的世界を認識するか を読んでいるものとして、
上記は外面的、内面的生活両方について
邦訳がある関連のものを紹介しておく。
>>139 >>140 たくさん紹介してくださってありがとうございます
自分に合いそうな本をいくつか買ってみる事にします
シュタイナーの本を最初に読んだ時(「いか超」だけど)って
「こんなこと知らなかった」っていうより、
「自分がたどたどしくかんがえていたようなことを、こんなに深く考え尽くしていた人が既にいたのか!」
っていう感想だったなーって
最近思い出した
そういう「自分をその本に出会わせた衝動」みたいなものって忘れちゃだめだなってなんとなく最近思った
まったく同じ感想を持ったのが大拙の本に出会った時だった。
日本人としては、禅の方に共感を強く感じるところもある。
「禅は無道徳であっても、無芸術ではありえない」と大拙が言ったように
禅は、生活を芸術化することと言えると思う
芸術体験が恒常的に続いているような状態が「悟り」だと思う
「悟った」結果、生のままの現実を直覚すること、
これは人智学でいう霊界参入にかなり近いところがあると思う
禅はひたすら「悟り」に集中しているように見える
宇宙や、生と死についての体系的な言葉を見ない
そこにものたりなさはある。
でも、「しっくりくる加減」では、人智学よりもぴったりくる感じがする
仏道を習うというは、自己を習うなり。自己を習うというは、自己を忘るるなり。
「現成公案」
どう見てもシュタイナーですw
人智学はお仕着せの洋服みたいに、日本人の自分にはしっくりこないところも多いけど
それを経由して分かるようになることが多すぎる
洋の東西の違いでしょうがないね。
内容の真偽は別としてもシュタイナーはしっくり来たね。
曖昧さ、あるいは論理性を主で説かれないものほど
しっくりこない。分派が多数あるものはだいたい元が
そういう形のものだろうし、解釈した人間も理解に乏しかった
ってことだろうけど。
個人の精神生活の中に瞑想や読書、熟考、芸術活動が
あったとしてもほんとうの修行の場はやっぱり普通の日常
生活の中だとつくづく感じる。
自分の部屋の中だけではどんな行をしようが無理だという
ことは確信してる。
150 :
考える名無しさん:2012/03/26(月) 16:43:02.45 0
色彩論読んだけど意味わかんね。
>>150 それが普通だと思う
シュタイナーの本は総じてかなり時間が経ってから分かってくると思う
>>147 俺は薔薇十字の観想なんかに違和感感じるかなぁ
日本の感じじゃないし、一般的なヨーロッパの感じでもないし、
ゴシック的というか、暗く重々しい感じ
>>149 シュタイナーも「いか超」の中でたびたび強調しているね
「一即多、多即一」のように、矛盾を矛盾のまま理解することを禅は求めるんだけど
この見方は実は人智学においても実は求められるんじゃないかと思った
芸術に関する言葉にもそれは現れているけど、
思考や意志に関する説明で、そのままだと理解しにくい言葉が結構ある
そういう言葉も異なる次元を接合するような禅的な思考によって分かりやすくなるように思う
地球が中心に向かってひたすら収斂し、点となって消えて、
今度は宇宙の外側に現れる、というイメージもとても禅的だと思う
色彩論ももろに禅的だね
死の霊的な像
霊の魂的な像
魂の生きた像
生の死せる像
輝きの像
像の輝き
次元接合的な言葉のオンパレード
>>156 その言葉を理解できる日が来る気がしないw
いや俺もわかってないよw
異なる層の間の循環性みたいなものがあるってことかなぁ
ダイナミックな動きがあると語っていることはなんとなくわかるね
「色彩」は静的なものではなく、動的なものだ、という
井筒俊彦の「意識と本質」、めっちゃ面白い
人智学徒だからこそ分かるおもしろさも満載で。
井筒は大拙と同じくらいシュタイナーに近いところに位置する日本人だと思う
仏教徒が、その瞑想的ヴィジョンにおいて、キリストやマドンナを見ないのはなぜだろう。
(...)
逆に、キリスト教徒の瞑想意識の中に、真言マンダラの諸尊、
如来や菩薩の姿が絶えて現われてくることがないのはなぜだろう、と問うこともできよう。
(...)
この見地からすれば、「元型」的「本質」は、ある特定の文化的コンテクストに密着した深層意識が
事物の世界に認知する「本質」である、と考えられなければならない。
(「意識と本質」)
霊界の諸存在が、文化によって異なった像を持つ、という問題意識は人智学にあまり見られないものだけど
四大や天使が日本人にとってもシュタイナーの説明どおりに見える、と考えるのは違うんじゃないかと思った。
ヴィジョンが本当に、その人の文化的コンテクストだけに依存しているのか、
それともその場所の地霊的なものも関与しているのかは分からないけど。
霊視能力のある西洋人が日本に来た時、霊的存在はどのように見えるのか?
アメリカに行ったヨーロッパ人はアメリカ人的になるというから、
シュタイナー的には、文化的コンテキストの方が、その土地に規定されるってことになるのかな
>>162 場所によって見えるものが違うって事はあるかも。
日本だと悪い想念体は狐とか蛇に見えるらしいけど
海外だとそんなの聞いたことがない。
シュタイナー本でも、それをこえるのは「哲学の謎」くらいだね
個人が買うのはキビシイ
シュタイナー本は完訳はいつになったら終わるの?
◎ジャガイモは実や根、花の部分ではなく、茎が変化した塊茎であり、これは消化するのに最も時間のかかる植物である。
◎ジャガイモを消化するためには脳を使うため、本来の思考力が働かなくなる。
◎ジャガイモを食べると生殖機能や生命力が低下する。
◎子ども時代にジャガイモを食べ過ぎると、大人になって視力、目が弱くなる。
◎子ども時代、ジャガイモを食べ過ぎると、味覚が衰え、さらに自分の適量の食事の量が分からなくなる。
◎両親がジャガイモばかり食べている子どもは、精神的、霊的活動から遅れてしまう。
◎ジャガイモを食べると精神的に周囲の世界を認識できなくなり「霊性などはタワゴトだ」と思うようになる。
◎ジャガイモを食べると霊的なことを考える力がなくなり、唯物論的になる。
ジャガイモがヤバイのはなぜか知ってた
初めて食べた時にこれ食べてたら頭がダメになりそうって思ってそれ以来、給食で出ても捨ててた
量が膨大だからまだまだだろうね>完訳
ジャガイモは頭の働きの方は気づかなかったけど消化の悪さは感じるな
フライドポテトなんてかなり胃にもたれるし
ポテチとカールじゃ食後感が全然違う
172 :
171:2012/03/30(金) 20:36:53.68 0
ステマっぽくなっちゃったなw
根菜は思考力を強めるとか、牛乳とハチミツはエーテル体を強めるとか
珈琲は思考を強制し紅茶は集中力を散漫にするとか
一時気にしてたけど、なにか身になった気はしないなぁ
テレビで納豆がいいと言えば納豆食べまくるみたいのと大差ない感じ
牛乳がエーテル体を強めるとかジャガイモが思考力を弱めるっていうのは、
ある世界観から導かれた結果であって、
その世界観を深く理解することが一番重要なんだろうね
世界観に対して深く納得できる前に、
ぼんやりと効果を期待して食べたり食べなかったりしてたから
俺は長続きしなかったんだろうな
>牛乳がエーテル体を強める
わかる気がする
牛乳は動物性タンパク質で唯一、断末魔のエネルギーを宿していないからな
実際シュタイナーもそう言っているね
動物達の不安が刻印されていないからとか
記憶像の再生は、思考・意志・感情のうち、どこに属すんだろう
記憶像を表象するのが思考
その表象に共感や反感するのが感情
だから、意志?
想像力が意志だから、意志なのかな?
そもそも想像力を意志といった時、その「像の再生」的な意味も含まれている?
人智学・神智学の中の
意志と思考と感情の話は、
遡るとどこから来てるんだろう?
「オズの魔法使い」を下敷きにしたタイトルだったから
「西の魔女が死んだ」(映画のほう)を借りて観たら、
もろに人智学だった
調べると原作者の梨木香歩は、シュタイナーの教師養成学校に入りたくて留学したりしてたらしい
祖母が孫に教える「魔女になるための方法」が
霊界参入するための行の初歩って感じだった。
「魔法に大切なのは意志の力」ってセリフ聞いて
個人的に「やっぱりそうだよな〜」って思った。
「オズ」では西の魔女は邪悪で愛すべきところのまったくない
アーリマン的な魔女だったんだけど、
なんで西の魔女なんだろ
孫のことを「東の魔女」と呼ぶんだけど、
「オズ」では東の魔女も邪悪で、しかもいきなりドロシーの家の下敷きになる役。
なにか深い思いがあるのか、
あえて悪い方の魔女達にたとえたちょっとした遊びなのか
最近腸は第2の脳とか言われてるけど、これを最初に言ったのはシュタイナーじゃない?
第二の脳は心臓じゃなかったかな?
間違ってたらゴメン。
腸と脳の関係を示唆してたね
同時に十六世紀か十七世紀の医者には常識だったとか書いてたから
シュタイナーが「発見」したわけじゃないだろうけど
心臓も第二の脳って言われてたね
心臓移植で記憶や趣向、好物が提供者のものと似てくる現象がある
顕著なのだと酒嫌いだった人が心臓移植後から大のビール好きになったり、菜食主義だった人が肉食主義に変わったり
心臓は何らかの記憶や思考を熟している器官である事は確かだよ
排泄物ができると、それと同じ分だけ、脳のなかに存在する物質に似たものが、人間の下部に霊的に現われます。
(...)
上方では、下方においてはただ霊的であるものが、物質的に形成されます。上方に物質的な脳があり、下方に霊的な脳があるのです。
(...)
人間の脳は、排泄物から、さらに形成されていったものです。
これは、医学的にも非常に重要なことであり、十六世紀・十七世紀の医者たちには、よく知られていました。
(...)
グノームとウンディーネがおり、グノームとウンディーネが生きる世界が存在するので、
人体下部から寄生虫を発生させる力が存在するのです。
その力は同時に、人体上部において、排泄物を脳へと変容させます。
(「天使たち 妖精たち」)
おもしろいとは思うけど、どういうことなのか?
脳を形成した人体上部の排泄プロセスってなんなんだろう
脳がうんこになってるって言う事?
よくわからないんだけど
むしろうんこが脳になってるってことでは
「悪について」の「ミカエルと愛」の章
バガヴァッド・ギーターみたいな宗教書に匹敵する格調があるね
比喩でもなんでもなく遜色ないと思う
いつもの静かなシュタイナーの筆致と違って
汗を浮かべて語っているような凄みを感じる
うんこにはその人間の全てが含まれてると言ってたね。
うんこをみるとその人間そっくりなうんこの霊が見えるはずだと。
でもうんこの霊が見える霊能者ってあんまり聞いたことがないよね。
昔、彼女の排便を覗かせて貰ったのですが予想以上に太いうんちで色が緑色がかっていました
こういう場合、彼女をどう判断すればいいのでしょうか?
今から五千年後、月と地球が再び一体化する
人間は生き延びるが機械が反乱を起こしてとんでもない事が起きるという
鉱物的、反生命的な人間の知性を物質に反映させたもの、つまり機械
その機会は非常に醜い蜘蛛のような形をとっている
人間はその知性に同化するか、その知性の仲間になってその知性の方向をたどるか
あるいはその知性に捕まって殺されるかする
地上の人間は知性をオートマチックな方法で、野蛮な状態で発達させれる
影の知性が発達するにつれ地球の中から恐ろしい存在たちが現れる
鉱物界と植物界の中間にあって豊かな知性を持つオートマチックな存在、
恐ろしく賢く恐ろしく邪悪な存在、彼らの蜘蛛の巣で地球は覆われる
それらは人間の影の知性がそれまでに作り出したすべてを真似している
人間の非現実的な空想が現実になる
人間の中には意識的にこの蜘蛛の群れと同盟を結びたがっている人達が大勢いる
↑高橋巌、生命の教育 より
これは明らかにインターネット社会の事だよね
これは決まった未来ではなく「間違った方向に進むと」という意味の前置きがあったとは思うけど
ネットは人の意識を後戻りできないほど変容させ
人間本来の何かをおそろしく退化させる
別のとこでシュタイナーは人間の知性は今の時代以上はもう進化しないとか
人間の意識と死後世の意識はあまり変わらなくなるので輪廻はなくなるとか
言っていたと思うが、五千年後はいったい何が起きるのだろう?
マトリックスのことやん
シュタイナーの本で薬を使用する事について書かれているものはありますか?
薬物を使用する事で体内のそれがどうなるかとか、シュタイナー視点で書かれているものを探しています
>>192 シュタイナー自身の著書でそんなこと書いてるの読んだことないけど
高橋氏は何をソースのしたんだろう
梨木香歩さんの本何冊か買ってきた
知っている中では日本人初の隠れ人智学作家だから
どんな反映があるのかたのしみ
へー、「西の魔女が死んだ」の人だっけ?
そう
「西の魔女が死んだ」もそうだけど
「エンジェル エンジェル エンジェル」は、もうそのまんまなタイトル
>>192 は「悪について」のミカエルの話に「過去の知性」の話がちょびっと出てくるけど
期待したほどではないし蜘蛛云々いってる箇所はない
たとえば「アーリマンが神々から分離した知性のすべてを自分の中に取り込む能力をそなえていて、
一切の知性を自分自身の本性と結びつけそれによって宇宙でもっとも偉大で広範囲で迫力ある知性になる」
「人間が知性を自分のために使うならアーリマン的な存在と出会い結びつきそれらの手に落ちる」云々
これがそれっぽいといえばそれっぽいくらい
原典は何だろうか
デビッドボウイのmooonage daydreamっていう歌、シュタイナー思想がモチーフの一つぽい
梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」読んだ
カフェイン中毒、天使、悪魔、ミカエルなど
人智学的なモチーフがちりばめられている
エンデとかボームみたいに秘儀参入的な方向じゃないから、
「軽い」印象はあって、「まぁまぁかなー」と思っていたら
最後のサプライズに泣かされた
出てくる名詞の問題で人智学的とは思えんが。
>>196 具体的にそんな事を言ってる箇所は無いと思うけど。
邦訳、アーカイブでも見たことない。
>>186 おれはこういう文脈を見るたびに、ちゃんと訳者は分かってて、
説明できてるのだろうかと、読んでると疑問に思ってた
何か単語の並びが間違ってれば、まるで話が違うのだから。
比喩的に表現してるのであれば、まだ読み手も比喩的に対処して分かるが、
比喩的に表現してても、それも間違って訳してたらそれこそ、シュタイナーが思うことと違うのだから。
そういう意味でも、このシュタイナーを読み込むのって難しい、というのが本音だった。
おれの言ってること、どう思う? みんなもそう思う?思わない?
>>205 まあ関連著書を読み砕いて行って自分で繋げるしかない。疑問なら出版社通して訳者に質問だな。
シュタイナーははっきり言って読み込むのは難しい。関連で他の著書を読むことは多くある。
ゲーテやパラケルスス、トマスアクィナス、古典占星術関連、ベーメ、聖書、その他学術書・・
キリがない。
「神智学」と「自由の哲学」が表裏一体みたいな関係だし「神秘学概論」だって概論だからな。
どっちにしろ主要著書のシュタイナーのまえがきは飛ばさなくてよく読んだ方がいい。
人智学に首突っ込むものの心構えみたいなものがあふれてるから。
まあそのまえがきさえも頭悩ますがなw
そうそうシュタイナーは講義録と著書があるから、1冊の本でも講義録だと
連続講義でない場合断片的に集めたものがあるから著書と違って理解
しにくい部分もある。
また筆記が正しかったかどうかも怪しいけど、一応よく吟味してあるということは
聞いた。
>>203 いや別に単語だけで言ってるわけじゃないんだが
本を読むってそういうことじゃないだろ
いちいちそんなわかりきったことまで言わないといけないのか
>>205 分かりにくい部分が後で他の本を読んでやっと分かる、ということがシュタイナー本では普通だね
訳に疑問があれば
http://www.rsarchive.org/ ここで英文が見られるから確かめればいい
ただシュタイナー本に関しては、
理解不足のまま書いてるような不誠実な訳者はほとんどいないといっていいんじゃないかな
「M・エンデが読んだ本」の中に収録されていたシュタイナーの文章の訳だけはいただけなかったけど
シュタイナーの本は、人智学徒じゃない人が訳すのは困難だから
必然的に訳者のレベルも上がるんだろうね
ほとんどシュタイナーに帰依した人しか訳してない印象
意志・思考・感情の三分節の元ネタはショーペンハウアーなんだろうか
だとしたら元ネタとしては新しすぎるような気がする
「いいですか、まい」
おばあちゃんはわざと冗談めかし、声をひそめて言った。
「この世には、悪魔がうようよしています。瞑想などで意識が朦朧となった、
しかも精神力の弱い人間を乗っ取ろうと、いつでも目を光らせているのですよ」
半分冗談だと思いながらも、まいは背筋がゾクッとした。
「おばあちゃん、悪魔って本当にいるの?」
と、おそるおそる訊いた。きっと否定してくれるものと思いながら。
でもおばあちゃんからの答えは簡単明瞭だった。
「います」
(梨木香歩「西の魔女が死んだ」)
こういうコアなところは、さすがに映画版ではカットされてたなw
コツはね、朝、目覚める寸前の、あの夢と現実の境の感じをしっかり自分のものにするんです。
これから毎朝、その瞬間を意識して捉えてごらんなさい。
そして、自分で見ようと決めたものを見ることができるように訓練するんです。
最初はマグでも、りんごでもいいんです。
それができるようになったら、今、現実には見えないもの、
例えばこの箱の中身だとかそういうものを見たいと思い、実際に見えるようにするんです。
(梨木香歩「西の魔女が死んだ」)
これも行そのものだね
薔薇十字やケーリュケイオンはシンボル自体に力があるというけど
イメージをありありと作ること自体にも意味があるんだよな
俺もまたやろうかな
はあ…
シュタイナーは鶏卵について何と言われてましたか?
牛乳とは違い、動物の肉と同程度の価値しかないのでしょうか
ジャガイモが悪いなら、サツマイモ、ヤマイモ、サトイモ、レンコンはどうなる。
根を食べれば、私たちの内臓に多くの塩類が入ってきます。
(..)
頭痛に悩む人が根を食べるのは、とてもよいことです。
(..)
植物の根は、人間の頭と類縁のものです。
ジャガイモを食べるということは、完全には根にならなかった植物を食べるということです。
ジャガイモばかり食べていると、頭のなかに何も入ってきません。すべては消化器のなかにとどまります。
ジャガイモを食べることによって、ヨーロッパ人は頭脳をおろそかにしたのです。
(「身体と心が求める栄養学」)
根を食べることは頭にいいけど、根になりきっていないジャガイモは良くないという
どうなれば「完全に根になってない」状態なんだろうね
>>215 粘液質の子供には、雑穀、葉野菜がよく、やや塩辛めの味付けにして、卵はなるべく避ける
(「シュタイナー用語辞典」)
言及はこのくらいだから、シュタイナー的に特に推奨されている食べ物ではないみたいだね
>>216 ジャガイモは茎から成ったので根ではないって書かれてるよね
サツマイモ、ヤマイモ、サトイモは根だから脳に良いね
っていうか、本読んでる?
http://www.potato-koubou.com/jyaga-qa/ じゃがいもは誰もが「根」だと思っているのではないでしょうか。
実はじゃがいもは茎が変化してできたものです。土の中の茎からでるストロンが伸び、
先がふくらんでじゃがいもになります。
ちなみにサツマイモは茎ではなく根が変化したものになります。
だって
イモ類でも茎じゃなければいいのか
他に茎系のイモはあるのかな
本当にジャガイモばかり食べてる民族は唯物論になるのかなぁ。
日本人の食べる量なんてたかが知れてるから大丈夫と思う。
でもまぁ感覚的に、頭悪くなりそうなイメージはあるよね
ポテトチップスとかフライドポテトとか。
俺はあんまり気にせず食べてるけど
ジャガイモより、カフェインとかアルコールの方が何倍も影響強そう
ここで言う頭が悪くなると言うのは学校の勉強とは関係ないよね。
思考力が低下するんだから
学校的な学力も相対的に低下すると思うけど
>>218 粘液質の子供っていうのは喘息等があったり、肺や気管支が弱いタイプの子供っていう意味ですよね・・・確か
それだと自分が当てはまると思います
今はもう子供ではないですが基本的に玉子が向いてないんでしょうかね
どうもありがとうございました
粘液質が弱いのは、肺じゃなくて肝臓じゃないの?
肺が弱い人は音楽がいいらしいよ
ちなみに俺は粘着質と2ちゃんねるでは言われてるが
何食えばいい?
納豆
230 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 00:52:14.64 0
人種によって発達している(ってことは、消化力の強い、って 言い換えても
いいかな)脳の部位が 違うってシュタイナーは書いてたよね。白人は ジャガ
イモを消化する脳の部位が弱いということじゃないの? というかジャガイモっ
て南米産でしょ。あのインカ人たちが食ってたんでしょ。インカ人たちは唯
物論に染まってたわけじゃないよね。
231 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 01:01:21.17 0
ユダヤ人が豚肉食を禁じたのは糖尿病を予防する意味があったというような
ことをシュタイナーは書いてなかったっけ? ユダヤ人は豚肉を食べると、
糖尿病になりやすい遺伝形質を代々受け継いできた民族だったって。「豚肉
食うべからず」と聖典に書くことで予防策を講じたのだと。
232 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 01:07:06.52 0
ある食物成分はどんな人間にも同じような栄養的働きかけをするわけではない
ってことは一般に言われないけど、シュタイナーはユダヤ人の例によって、
「そういう事実は確かにある」ってことを書いてるよね。いまはいろいろ混血
が進んでいるから、豚肉を食べても大丈夫なユダヤ人や、混血の結果豚肉で
糖尿病になってしまった非ユダヤ人とかも出てきているのかな?
233 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 01:12:04.68 0
日本人にも 豚肉で糖尿病になりやすい遺伝形質を持っている者はいそうだけど、
「ナントカ遺伝子」の持ち主は豚肉は控えるべし、などという医学界からの警告
はいまだないよね。でもシュタイナーは「そういう遺伝子体質がある」と言って
るんだから日本人も人によっては気をつけないとね。古代に失われたユダヤ人
の一部が日本に来てるかもしれないし。
>>230 植物の根が人間の頭に対応し、植物の花が腸に対応するという
逆さの照応関係があるんだよ
人種云々ではなくて。
唯物論を生むのではなく、頭脳の働きが悪くなる。
結果として唯物論に凝り固まるということはあるかもしれないけど。
現代の学業は唯物的なんだから、むしろジャガイモはプラスに働くのでは?
>>230 古代インカ人は現代人のようにまだ思考力が発達してないから
唯物論に染まりようがないんじゃないの。
>>235 それだとシュタイナーの主張とは真逆だよw
コーヒーを常時飲んでたけど
お茶に置き換えてみた
なんとなく、頭の中が風通しいい感じ
紅茶は考えが散漫になるといったけど、似たような感じかな
コーヒーも紅茶も緑茶カフェインは入っているわけで、
カフェインの影響は一律ではないってことか。
道元がお茶を薦めていたから、精神的な悪影響は一番少なそうなイメージ
シュタイナーはカフェインについてはあんまり言っていないよな
240 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 15:19:01.29 0
ジャガ芋を食べ過ぎて、ジャガ芋が発酵するのを処理するために、頭を酷使しなければ
ならない人は、頭が弱くなります。特に、脳の中央部が弱くなります。ジャガ芋の発酵
を防止するに際して、脳の前部のみが酷使されずにすみます。近代にジャカ芋が広く
食べられる食べられるようになったために、唯物論が登場しました。唯物論は前脳で
作られるからです。「人智学から見た家庭の医学」P48
前脳だけがジャガイモの害を受けないから唯物論が生まれたのか
おもしろいね
コーヒーを日本茶にしただけで、
何かをしている最中に他のことをしたくなる衝動がかなり減った
暗示的なものなのか
コーヒーの影響をそれだけ受けていたということなのかは
わからないけど
243 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 23:46:45.50 0
黄色人種は、後脳ではなく、中脳を特に形成します。そこで、黄色人種は呼吸
と血液循環を管理します。(略)中脳を使う者は、感情のいとなみを有します。
感情のいとなみは胸部に場を占めます。ヨーロッパ人は、頭に場を占める思考
を有します。(略)ヨーロッパ人は外界全体を受け取り、容易に唯物論者になり
ます。黒色人種は唯物論者になりません。(略)アジア人も唯物論者になりませ
ん。アジア人は感情のいとなみにとどまります。「色と形と音の瞑想」P40-P41
244 :
考える名無しさん:2012/04/11(水) 00:01:07.82 0
ジャガ芋唯物論は強い前脳と弱い中脳を持った「前脳系人間が罹患しやすい病」なのでは?
とはいえ、強力な中脳を遺伝的に持っている日本人もジャガ芋を避けるにこしたことはな
いのだろう。だが漢民族、朝鮮民族、日本民族の「話しても分からない体質」(法による支
配が下手なこと、あるいは談合体質)はこれらの民族が中脳を発達させすぎている結果では
ないだろうか。黄色人ならばジャガイモ食も白人社会とはまた異なった「この民族病」を修
正できる可能性もあるかもしれない。
>>239 そういうものに頼らない方がよいとは言っている。
>>244 多少なりとも西洋文化を受け入れてるから、その文化そのものと
民族の気質が衝突してるからおかしなことになってると思うけどね。
ケイシーはジャガイモの実は駄目だが皮はめちゃくちゃ体に良いと言っている。
人智学徒な時点で思いっきり非唯物論者なので
ジャガイモを食べたら唯物論者になるかどうかは別に気にする必要もないのでは
日本人が感情に流されやすいのは中脳系だからかもね
全体的なムードにすぐに飲み込まれてしまう
日本人が形成したような霊的な思考は現実のなかに進入していきます。
それがヨーロッパ−アメリカの唯物論と結びつき、ヨーロッパの唯物論が
霊化(精神化=脱唯物論化)されないなら、その思考はヨーロッパの唯物論を凌ぐことは確かです。
ヨーロッパ人は、日本人が持っているような精神の可動性を持っていないからです。
このような精神の可動性を、日本人は太古の霊性の遺産として有しているのです。(P76-P77)
http://roseandcross.kakurezato.com/page065.html
>>250 「いま、シュタイナーの民族論をどう読むか」の
その部分の引用だけだとまるで日本人を賞賛しているみたいだけど
実際には日本人に対してどちらかといえば批判的な文章の一部だね
健康と食事という本を読んだのですが、もっと沢山の食材について書かれた書籍はありますか?
他には植物油の事についても勉強したいです
オススメの本があったら教えてください
254 :
考える名無しさん:2012/04/12(木) 00:29:53.41 0
>247
さらに突っ込むと「ハゲに効くから、皮を煎じて飲め。中味(皮以外)は捨てろ。」
というような趣旨のことを言っていたと記憶している。悩んでいる人は、
やってみる? オレは忍耐力がないから、すぐやめたけど。あの味はエグすぎるよ。
255 :
考える名無しさん:2012/04/12(木) 00:42:53.91 0
>250
つまり「日本人の唯物論」は白人のような「前脳由来の病」ではなく、状況を見て、
「新しいオーソリティーや権威の主張」に自己同一化したがる心性に由来している
ってこと?「西洋の権威者たちがそういっているから、唯物論に与すべきだ」
というようなふるまい方のことだね。開国後、インテリ層を中心に「精神の可動病」
が発動したゆえだね。日本の学者の大部分は今でも「そういう外面(借り物の確信)」
を後生大事に守り、「白人よりも過剰適応した唯物論者」となっているよね。
ヴェレダのエキリシールに白樺エキスを使ったものがある
白樺も薦めてるみたいだね
異常に権威に弱く、「長いものには巻かれろ」的な日本人の心性を
農耕社会だったからかとずっと思ってたけど、
日本人の脳にあったのかもしれない
脳の違いは結局、その地域と太陽の位置関係に帰されるのかな
そういう文章を読んだ気がするけど
日本人はアメリカの唯物論に毒されているは間違いない
シュタイナーも人智学が萌えにデフォルメされるとは思ってなかったろうな
エヴァとかまどマギとかそういうのの影響でオカルトが流行るのはいいけどこういうのは安易で嫌だな
ルシファーやアーリマンと戦うのか?
>幼いころからの夢、「人智戦隊シュタイナー」の隊員として就職した。
簡便してくれwww
こういうの見ると人智学って知識として知ってるだけなのと内面に浸透してるのと別なんだなと思う
自分ならこういう人工的で薄っぺらいキャラクター書いて飯の種にしようともおもないし
キャラに感情移入もできないし愛着もわかない
まあ人智学とかオウム真理教とか幸福の科学その他みたいな神智学スピンオフにマジハマりするより
こういうのの方がまだ健全なんじゃね?
萌え豚乙
こういうの嫌いだけど自分から見たらジブリもエヴァも261もそんな違いはないな
乱暴かもしれないけど全部ひとくくりで済む
エンデみたいに、ひそかな入り口として書いてるわけでもないし、
何のために書いたのかよく分からないな
敬意を感じないし、なにかいやな感じがするな
ドラッカーをマネージャーがうんたらかんたらみたいな本を見た時と同じような感じ
またてんかんによる事故が起こったね。
シュタイナーはてんかんに関してはて多く言及してたよな。
あの事故はカルマ的な関連を思ったな
タクシーに接触して過重なストレスで発症したみたいだけど、
偶然がいくつも重なりすぎ
癲癇持ってる人は100万人以上いるんだってね
きちんと申請して免許を取れてる人がどのくらいいるんだろうか
許可が下りない状態だから黙って免許取ってる人多いと思う
そういう人に限って薬の飲み忘れも多そう
自分の知り合いにも癲癇抱えてる人が一人いるが、未申請のまま車乗ってる
この間の幼児6人踏みつぶし事件と言い、怖くて仕方がない・・・
職権濫用おばはんの銃の振り回しにしか何度みてもみえないのだが…
でも癲癇患者が100万人以上いるってことは、それらに免許を与えないと
生活保護が間違いなく増えるよ
免許取ってひっそり乗るだけならともかく、ここ最近の事故みたいに
運転な必要な業務についたりトレーラー運転するような
癲癇患者は厳罰でいいと思う
だからBIにすれば、癲癇だろうが糖尿で免許とれなかろうが
生活費がまかなわれて、わざわざ運転しなくてもすむ仕事に就職する手助けになるというハナシ
シュタイナー医学では土星は脾臓に関係あるらしいですが
膵臓はどの惑星ですか?
東洋医学では膵臓=脾≠脾臓 らしいけど
ヒトラーとシュタイナーの歴史的、政治的な戦いを書いている本を知ってる方いませんか?
当方ゲーテアヌムの放火やシュタイナーの暗殺未遂程度しか知識が無いので、二人の偉大なオカルティストの対決にとても興味があるのですが。
どちらの視点からでも良いので知っている方がいれば教えて下さい。お願いします。
ヒトラーが「偉大なオカルティスト」とは?
うむ、ヒトラーなど全く偉大じゃないね
凶悪オカルティストとでも言うべきじゃないかな
シュタイナーには愛を感じる
オカルティズムだけで考えれば両方偉大だと思うんですが、ごめんなさい。
ヒトラー自身はそもそもオカルティストじゃない
偉大でもないしオカルティストでもないよな
オカルティストが自分たちのハクを付けるために、ヒトラーはオカルティストとか言ってるだけ
ナチスにオカルティストがいたのは事実だが、ナチスそのものがオカルト結社とかヒトラーがオカルティストってのはちょっと違う。
なるほど。私の勘違いでしたね。
スレ違いすいませんです。
2300円くらいほしお・・・おねがいだお・・・
オカルトモドキと、オカルトの違いをまず認識したほうがいい。
おまえらで一番わかりやすいのが「占い」それは未来を予知することで
予測ではない。
予知とは未来を確定させる術である、だからオカルトなんのな。
オマエラ程度では未来が何故確定するかも理解できないだろうけど、
それは学校で学ぶような知識と技術で行うものではないからだ。
神秘性をもち、奇跡を起こす。
何故奇跡が起きるか?デマカセじゃない、
それがデマカセだと思っているうちはオカルトとか辞書で調べた
単語れべるの認知にすぎないってこと。素人なのにしったつもりってこと。
オカルト趣味の人は原典の質に頓着しなさすぎる
売文系の本を平気でソースにしたり、
ひどい時には「ネットで誰かが言っていた」だけだったり
>>288 ひどい文章だな
妙に偉そうなのに何言ってるかさっぱりわからんw
>>288 巷のオカルトや占いに素人や玄人がいるかもしれないが
シュタイナーを真面目に読んでるやつに素人とか玄人はいないよ。
まじめか単なる興味かの態度の違いがあるぐらいだ。
まえがき一つ、本一冊読むのに苦労してる人間に巷の稚拙な
そういう類なものに興味は示さないと思うけどね。
まあ未来がどうであれ問題になるのは今であって単に個人的にも
集団的にも今の積み重ねが未来になるだけだし。
まあ仮に確定した未来があるなら人間成長のための努力はしなくなるだろうな。
多くの人の理想や夢はほとんどが個人的なものなので目の前の努力や困難より
明るい未来を考えていたほうが楽だからな。
288は日本語でおk
と言いたいのは俺だけじゃないはず・・・
288が聞き流せないほど重要に感じたとかwww
どこまで低レベルなんだ?アフォだろ。
>>294 意味不明
ヒトラーの話からひどく頭の悪い人が乱入してきたようだね
動物界は基本的に、眼に見えぬ霊界のひとつの現れです。
この霊界の現れの中でも、人間が霊的な働きを間違った仕方で人間社会の中に持ち込むのと同じことを、
人間以前に行なった存在たちがいたのです。この存在たちによって、動物界の中にも悪が生じたのです。
(「悪について」)
動物界の中の悪ってなんだろう?
寄生虫とか?
悪のグノームとかウンディーネが寄生虫を発生させたとか書いてたな
288ワロスw
これ完全に日本人じゃないだろw
それとも中風の爺か何かか?w
>>288を訳そう
神秘を持てば予知ができて奇跡を起こせる、それをオカルト言う。
と前置きしたのは理由がある。
固有の名詞がないから分かりにくかったが、
ヒットラーをオカルトじゃないよねっていう流れに異論があるのだ
ヒットラーは現代を予知していた、
しかしシュタイナーみたいな愛から逸脱したヒットラーで誉めれないけど、
ヒットラーはオカルトもどきだね、とも言えないわけだよ
という訳な気がする。
違うと思うけど
>>288を訳そう
ぼくちんを馬鹿にするな
ぼくちんはオカルト博士なんだぞ
三行でお願いします。
どうしてヒトラーの話振った俺じゃなくて
>>288が人気になっている理由が多少は理解できなかったんだが?
日本語でお願いします!
シュタイナーはレーニンの共産主義をルシファー的唯物論の最後の攻撃といったけど
実際にはシュタイナーの死後のヒトラーの台頭がそれだったんじゃないかな
レーニンがルシファーに憑依されてたならヒトラーもその類の人間に違いない
あと、レーニンの前世はシュタイナーが透視しているけど
ヒトラーの前世はイスラエルのエフー王だとエドガー・ケイシーが言っていた
まあファシズムより共産主義の方が長く尾を引いたわけだから
「共産主義がルシファーの最後の攻撃」というのはシュタイナーの言う通りかな
ルシファーの後には、アーリマンが来るはずだけどアーリマン的な政治思想とか社会思想って何だろう?
今のインターネットに依存した社会がそういう感じ?
たしかケイシーはヒトラーを「霊的には高く導かれている」というような事を言っていた
ヒトラーが第二次大戦を起こしたのはイスラエル建国のためだとか
としたら、ヒトラーの背後には何かの民族霊でもいたのかな?
なぜシュタイナーとケイシーを関連させるのかが分からない
ケイシーは神智学系なの?
なんだかスレが変な方向に進んでるな
シュタイナー関連と神智学以外のレスは禁止ね
スウェーデンボルグは繋がってると思うけど
エドガーケイシーはなんか違う感じがする
読んだこともないし、よくは知らないけど
エドガー・ケイシーも神智学の流れを汲んでると思うが、どうか
ブラバッキー婦人とも縁のある人だし
313 :
考える名無しさん:2012/04/15(日) 23:14:27.38 0
>>306 共産主義とか政治思想・運動にはルシファー的な生真面目さが残っている感じ
ポストモダン以降の、何でもパロディにしてやろう、すべての価値を相対化してやろうって流れがアーリマン的な気がする
アストラル体やエーテル体の強化や修復の方法について載っている本があったら教えてください
身体の強化や浄化についても学びたいです
お願いします
ジャガイモうめえw
>>314 「人間の四つの気質」に少し載ってたような
ジャガイモネタ定期的に投入されるよね。
ジャガイモ食べ過ぎたんじゃね
科学的にジャガイモ食べたときの脳の状態を検証してくれないかな。
シュタイナーはすごく上品というか、魔術的側面というか実践的側面は、ほとんど語ってないね
「神智学大要」では、貴石の効果とか、物に宿る念のようなものも語っていた
そういう、悪く言えば俗な事柄についての信用に足る著者は誰だろう
思考的というか、受容面にほとんど特化してるんだよね
霊視・霊聴くにしろ。
マナのように、外在的に存在して働く霊的な力について知りたいのだけど
貴石の効果は神智学大要の何巻ですか?
買ってみたい・・
一巻ですよ
体系的に書いてるわけじゃなくて、水晶はいいとか
そういう程度だけど
図書館の本や貨幣など、たくさんの人の手を渡ってきたものには、
それだけたくさんの念のようなものが染みついているとかも書いてたな
そういう物質界に付着した霊に関してはシュタイナーは本当に語るところが少ないね
ただ否定しているわけではなくて、
初学者が興味を持ちやすい事柄だからあえて語っていない風なところはあると思うけど
前に買ったエリファス・レヴィの本読んでる
レヴィは「幽光」を、外在的な霊力の媒体としているみたい
レヴィは、まともっぽいことも言うけど、衒学的で山師っぽい雰囲気も漂っている
エリアーデもレヴィの本を評して「いかがわしいがらくたの寄せ集め」と呼んでいるし。
でも、すべてががらくたというわけじゃない感じ
でもこの人霊感はなかったんだろうなぁという印象
>>325 レヴィについてシュタイナーがちょこっとだけ
言及してた箇所があったな。昔のことなので本も内容も忘れた。
エリファス・レヴィの『高等魔術の教理と祭儀』のような本には何が含まれているのでしょうか。
かつては生命であり、認識であり、人間の行為、および、人間の理念の中に移行することのできたものが、
ある頁には無考えに、また別の頁には外的な幻術という堕落した形で記されています。
(…)
サン=マルタンについては、「ゲーテアヌム」誌で論述しました。
かっては魂的・精神的な人間の生活の中に織りこまれながらも、
この魂的・精神的人間存在の中に維持することができなかったものを、
サン=マルタンはまったく理解せずに論じています。
(「秘儀参入の道」)
レヴィへの言及部分見つかった
シュタイナーはレヴィのこともサン=マルタンのことも、あまり高く評価してないね
マルタンは読んでないけどシュタイナーのレヴィ評は正確だと思える
エリファス・レヴィはエリファス・レヴィで他のオカルティストのことそう言ってるし
シュタイナー派でないオカルティストはシュタイナーをそういうんだけどな
それって何も言ってないのと同じじゃね
言葉の中に聖性や真実性の度合を感じる能力は誰にでもあって、
それは研ぎ澄ましていけば、おおむね一致するものだと思うけど。
その度合は、なんといってもシュタイナーが一番高く屹立している
霊視者は死と再受肉との間にあって、
超感覚的世界から感覚的世界へと悪疫、病気、不慮の死をもたらす力を担う霊に協力する魂を見ます。
このような人々の生活を生前にまで遡ると、
このような運命を準備した人々は、
物質界での人生において良心と責任感を欠いていたことがわかります。
良心を欠き、不誠実な人生を生きた人々は死の扉を通り抜けた後、
死と再受肉との間のある一定の時期に、
物質的・感覚的世界に悪疫、病気、不慮の死をもたらす霊の手下として働かねばならない
という法則を霊視者は見ます。
(「秘儀参入の道」)
なんかすごいこと書いてるな
悪霊の手先になるとか、悪霊のせいで不慮の死が起きるとか
ちょっと怖い
もし、人間が勇気を出して自分自身に向かって次のように言うとしたら、何が起こるでしょうか。
「お前が手に入れたいのは自然の概念であって、自然の幻影ではないはずだ。
するとお前は現実を目指して突き進まなくてはならないのではないか」、と。
このとき人間が見出すものは、原子でもなければ分子でもなく、オストワルトやヘッケルの概念でもありません。
現実を目指して突き進むとき、人々はアーリマンとその群れを見出すのです。
そのとき事態は霊的なものになります。
実際に真の自然科学を通して現実へと突き進む者は、アーリマンを見出すのです。
(「悪の秘儀」)
この「アーリマンとその群れ」に、人間の魂も含まれていたのか
シュタイナーは性格論を語る上でカバラ数秘術的な性格論を冷酷で機械的だと否定してるけど
紀元前からある4つの気質(胆汁質・多血質・粘液質・憂鬱質)はむしろ推奨してるよね
これってカバラは数価計算で算術する機械的かつ客観的な性格論でそれはシュタイナー的には
唯物的だと非難されるものだけどこの世の自然法則とか物理法則、全ての定理や数学、フラクタル的なものはむしろ数学的で唯物的だと
そこで神智学に含まれている現世界を作ったもの=悪とするグノーシス主義と結びついているってのは分かったんだけど
体の作用、なんとか体とかの作用も見えない法則的だとは思うんだけど
でグノーシス的見地から見るとシュタイナーはむしろ悪であるはずの人間的見方、人間原理的すぎて嫌になると思うんだけど
例えばカバラ数秘術は数字に性格論を当てはめるが、4つの気質は人間に気質を当てはめるとかさ
ちょっと分かりにくい文章でごめん
ヒトラーとかジャガイモがどうのとかよりもたまにはシュタイナー考察みたいな話もしようぜ
ちょっとわかりにくいどころか
ほとんど文章として成立してないですよ
シュタイナーを読む前にすることあると思う
>>334 文章がどうであれまず何を言おうとしてる
のか読み取る態度も必要。
余計な一言は言わない。
>>333 何を言おうとしてるかはわかる
ただ俺にはシュイナーの知識が不足しているらしい
本は色々持ってるんだけどな
全然進まないんだよw
>>333は無意味な「けど」をはずして
「だよね」とかにすればだいたい意味が通じる。
>そこで神智学に含まれている現世界を作ったもの=悪とするグノーシス主義と結びついているってのは分かったんだけど
これは誤解でしょ。
人智学・シュタイナーにとって現世界は霊的ヒエラルキアの共同で作られたのだからね。
その辺は神秘学概論に詳しく書いてあるよ。
>>332に補足すると、幻想の膜で自然を覆う存在がアーリマンであって、自然=アーリマンではないので。
>>333 ねじけた見方をすれば、グノーシスのような厭世観では世界は今のように発展でき
なかっただろうから、キリスト教に押されてマイナーなまま消えていったのかとか。
キリスト教は神のプロセスとして現世を肯定するよね。
教会の教義は一般向けとは違って、結構霊知を取り込んできた歴史がある。
俗っぽいとされているプロテスタントのルターでさえ霊知的な「ドイツ神学」に感心を
持ったんだろうしね(ちなみにシュタイナーの一般向け著書は中世思想をかじっていると
読みやすいよ)。
カバラはもう普通に考えてシンプルだよね。瞑想のための法具みたいで、その法具に後世の
人らが色んな意味を後付けしたような印象がある。もちろん生命樹には霊知があるのだろうけど、
近代占星術と似てどうにでも解釈できるところがある。抽象的すぎて生きるにあたってあまり
参考にならないというかさ。
どんなかな。
というか考えてみたら、シュタイナーって懐ふかいな。どんだけだよ。
シュタイナーは懐深いっていうか難しいよ。
前の方に井筒さんの意識と本質の書きこあって規制でレスできなかったけど
シュタイナーは他の多くの思想家や哲学者、学者とはそもそも観点が違う。
他の人は読み込むとおおよそ言ってることが理解できるが、シュタイナー
はなんとなく理解できたかなと思うと他の著作で同じ対象の違う角度からの
観点を読んだ時点で簡単に裏切られる。
ほんとに額に汗だわ
シュタイナーは本当に巨大だね
巨大すぎて滑稽にすら思われてるくらい
通常の意味で偉大な人のもっとも偉大な言葉が
やっとシュタイナーの語ったことに届いているけど
その高さでもおそらくシュタイナーの語りの中腹にも至っていないっていうね
上から見た図を見て、なんかいまいち分からないなぁと思っていたら
別の本で横から見せられて、ようやく分かった気になるみたいな感じだな
矛盾じゃないよ
まあそういうこと。一冊読んで知った気になってると
他の著作群でいくつかの側面からまた書かれてるので
浅はかに納得してると裏切られるということかな。
シュタイナーは衒学性のなさもすごいね
衒いが皆無
もうシュタイナーの域まで行くと、何かを見せびらかす必要がまったくないんだよな
偉大な人は、そこそこいるけど、偉大でしかも衒いが皆無の人となると
針の穴を通すくらいになるね
ただの電波じゃん
割合でいえばそう見える人の方が多いだろうね
特に読んでない場合はそう思わない方がおかしい
俺の中のシュタイナーへの尊敬と信頼は相当高いものだと思うけど
仏教をシャカ教と言わないのと同じように
シュタイナー教とは言わないんじゃないかな
井筒俊彦の「神秘哲学 神秘主義のギリシア哲学的展開」読んでる
プロティノス以前のギリシアの哲学者も霊界参入者だと言っていて非常に納得感がある
井筒自身も霊界参入に近い体験は、なにか持っていたみたいだね
大拙に並んでシュタイナーにもっとも近い日本人だと思う
まぎれもなく天才的な人物だけど、
それでも、やっぱりシュタイナーの巨大さは圧倒的だと思う
スウェーデンボルグの話をしようよ
スウェーデンボルグは霊界の探検家という印象
霊界参入の力はあったけど知識はなかったから
自分ですべてを省察しなくてはいけなくて、
そのぶん言葉に新鮮さはあると思う
スウェーデンボルグの本の方がシュタイナーより難解な印象がある。
スウェーデンボルグの難解な文章ってどういう文章?
スウェーデンボルグがしているのは描写と解釈だから、むしろ分かりやすいと思うけど・・
意志の弱さを克服しようとして
意志を表象したりしてきたけど、
意志は非表象的・反表象的な存在で、
無を表象した時にそこにあるのが意志という感じがする。
何かをしようとした時に、意志の固まりのような、あるいは流れのようなものを表象して、
それを力づけようとしてきたけど、
逆に、表象を逆展開して回収しきった時に、もっとも意志的になるような。
シュタイナーが意志と表象を正反対のものと言っていた意味が少しわかってきたような気がする
日常的認識の主体は抽象性という被膜を通してでなければ、普遍的存在者を把握することができない。
対象が抽象的なのではなくて、それを見る目が抽象的なのである。
抽象性とは人間意識の曇りである。
(...)
普遍的存在は普遍性を増すにつれて、これを遙かに眺める自然的認識主体にとっては次第に無に向って遠ざかり、
その極限に至ってついに完全に無に帰没する。
存在的には有であり、有の究極であるものが、認識的には無であり、無の極限なのである。
(井筒俊彦「神秘哲学 第2部―神秘主義のギリシア哲学的展開」)
これは、普通の人間にもまだ実感しやすい、有の極限としての無に関する言葉。
禅者の言葉は、シュタイナーの言葉より、普通の人に近いと思う。
シュタイナーの、平易な言葉づかいで書かれた、一見わかりやすい説明(意志は熱だとか)を
本当の意味で深く理解するのは、多分だいぶん先のことなんだろうと思う。
言葉が圧縮されてすぎていて、平易な定義に見えるけど、
定義的理解と本当の意味での理解するには途方もない距離があるのが、シュタイナーの言葉だと思う
人がもしプラトンの学説だけを学んで、体験的に存在性の頂点に於けるこの賓主未分の渾一態を、
存在の全領域に於いて順次に実現し、
ついに至高存在領域にまで及ぼすところにプラトン的体験の意義が認められる。
故に、人がもしプラトンの学説だけを学んで、
体験的に存在性の頂点に於けるこの賓主未分の奥境を窮めないならば、
むしろ何事も学ばぬに如かないのである。
(...)
だからこそ、彼自らも力説するように、それは全人間的方向転換を必要とするのである。
(井筒俊彦「神秘哲学 第2部―神秘主義のギリシア哲学的展開」)
プラトンについても井筒は当然のように、霊界参入者だったと喝破する。
言われてみれば、その方がずっと納得できるんだけど、
何故かずっと、イデアは「世界に関する仮説」と思いこんでいた。
井筒自身もまたおそらく、「賓主未分の奥境」を体験し、知っていたんだろう。
井筒「ひとり真正な神秘家のみが真正な哲学者たる資格をもつ。」
まさに真実だし、本当の哲学者にとっては常に常識だっただろうけど、
どれだけ世に誤解されてるだろうね
井筒はプラトンが「霊界参入者」だとは一言も言ってないじゃないか。
「存在性の頂点に於けるこの賓主未分の渾一態」を「霊界参入」と
同じものとみなすのはいかがなものか。
井筒の「体験」が禅的なものだった可能性は十分あるが、
スウェーデンボルグやシュタイナーのように具体的に霊界の構造は
ああなってこうなって、守護神や守護霊や天使がいるとかいった
あっちの世界のヒエラルキーを霊視していた可能性はあまりないと僕は思う。
井筒やプラトンの話はともかくとして、
シュタイナーは神秘主義を、
霊視をすっとばしていきなり霊聴に向かうって批判してたから、
それを踏まえると神秘体験(おそらくは禅の体験も)は霊聴の一種なんだろうけど、
それと霊界参入とは違うんだろうね。
霊的能力と秘儀参入、霊界参入はイコール
ではないと思う。
その意義を考えるなら、進化のための途上
にある哲学や秘教、人智学などとまったく
目の前にある個人的な哲学や覚醒のための
行などは別のものと考える。
人智学を前提にシュタイナーを考えれば、
他の思想や哲学は単に部分的な比較でしか
ないと思う。
禅とシュタイナー、プラトンとシュタイナー、
シュタイナーの霊視や霊聴と他の霊視や霊聴
という風に。こういう比較は全体としては
意味がないと思う。
>>363 「霊界参入者」という言葉自体がシュタイナー的な用語だからね
井筒がその用語を使ってないとしても言っていることはほぼ同じだろう
ようは、物質界以上の世界を視て還ってきた人間だということ。
シュタイナーがプラトンに比べて、
霊界を構造的に微に入り細に入り記述しているのは確かに大きな差だけど
だからといってプラトンを霊界参入者ではないというのは乱暴すぎると思う
そんなに狭い範囲の言葉でもないだろうから
>>364 俺は霊界参入を、程度の問題ではなく、
非物質的世界への嵌入と認識しているので、
霊視も霊聴も霊的合一も「霊界参入」の範疇に含まれてると考えているのだけど、
君は違うのかな?
非常にくだらない指摘に思えるけど
>>365 申し訳ないけど
何を言っているのか分からないです
プラトンとシュタイナーは時代的に隔絶していて
シュタイナーはプラトンの思想を充分に咀嚼し、自分のものとして大幅に取り入れているけど
プラトンはシュタイナーの思想を知りもしないのだから
言説の詳しさに差があるのは当たり前のことだろう。
プラトンが霊界を、実在するものとして、視ていた、
それが決定的に重要なこと。
逆にそのように考えない限り、井筒の言うように、
プラトンをまるで分かっていないということになると思う
シュタイナー自身もプラトンを秘儀参入者だったと言っているね
そもそも人智学自体がプラトンの系譜なんだから、
その叡智が霊界に由来しないと主張する方がずっと不自然なことだと思う
371 :
364:2012/04/23(月) 06:04:04.74 0
>>367 違うね。
境域の守護霊と遭遇し、火の試練をくぐった辺りからが霊界参入なのではないかと思ってる。
それ以前に霊視や霊聴を経験することもありえる。
霊的合一については霊界参入以前に経験できるのかは疑問だけどね。
てす
てんかん症状の場合、その自我組織とアストラル体が肉体とエーテル体の中に沈潜することは出来るのですが、
そこから物質界の中へは出ていけず、内にしっかり閉じ込められているのです。
そこで考えてみてください。たとえば肺の中に入っていき、そこでしっかり閉じ込められて、ふたたび出て行けなくなったときの
アストラル体は、どういう状態になっているのでしょうか。
アストラル体は肺の表面の内側に押しつけられて、せき止められています。
自我組織もそこに閉じ込めれれ。せき止められています。
その状態は、外から見ると、痙攣または発作という形をとって現れます。
痙攣が現れるたびに、どかかの器官の内側でせき止められた状態が起こっているのです。
このせき止められた特に脳の部分に存在していますが、すでに脳と他の諸器官との関係について述べたように、
脳のその状態は、肝臓か肺の鬱積の単なる反映、弱められた模造にすぎないのです。
痙攣があるときは必ず、自我とアルトラル体の鬱積がどこかの器官内部に認められます。
そしてそこにこそ、単なる外的な記述に終始してきたてんかん性痙攣の真の原因があるのです。
で治すにはどうすればいいの?
なぜ閉じ込められるのか
治療は運動系だったか。
体操とか水泳はいいらしい。
具体的に病気治療の本はシュタイナーは
書いてないのかな。
調べたけど、時代病としての癌の克服?とかいう本しかみあたらない。
シュタイナーにも、セックスについての本があるんでしたよね?
ストレスが高まると出るらしいから「自我とアルトラル体の鬱積」っていうのはそうかもね
ただ薬飲めば発作は抑えられるらしいからとにかく薬飲めばいいと思う
>>380 ブッククラブ回の店内の掲示板に、
「シュタイナーの、セックスについての講義の本の情報求む!」
みたいなメッセージが貼ってあったのを覚えている。
90年代後半のことでした。
セックスと言うか性についてはまだ多くを公開することは
できないということらしい。
ただセックスそのものについてはあまり否定的なことは
言ってなかったらしい。
当時誰かがシュタイナーに聞いた事があるらしい。
高橋さんか西川さんか小林さんか忘れたけど講演会で
聞いた憶えがある。
生の一部なんだから
否定的なはずないけど
セックスの内容に関してはたぶん何も言ってないと思うなぁ
性的放縦は、アシュラの影響の反映って書いてたけど。
性がなぜ「いやらしい」のかと言えば、聖なるものがその側にあるからだと思う
穢れが、聖性の裏返しなように
あるいは悪が、表われる世界を間違えた善のように
このあたりは、俺も個人的にすごく興味あるな
大拙がその下で助手として働いたポール・ケーラスが
芥川の「蜘蛛の糸」の元ネタを書いてることを知った。
ポール・ケーラスの作品から芥川が削除した「教訓」が人智学的。
http://okwave.jp/qa/q5086033.html 『・・・カンダタの心には個我のイリュージョンがまだあった。
彼は向上し正義の尊い道に入ろうとするまじめな願いの奇蹟的な力を知らなかった。
それは蜘蛛の糸のように細いけれども、数百万の人々をはこぶことができる。
そしてその糸をよじのぼる人々が多ければ多いほど、その人々の努力は楽になる。
しかしいったん人間の心に「これは私のものだ。
正しさの幸福をひとりじめにして、誰にだってわけてやるまい」という考えがおこるや否や、
糸は切れて、人はもとの個々別々の状態におちてしまう。
利己主義selfhoodとは呪いdamnationであり、真理truthは祝福である。
地獄とは何だろう。それはエゴチズム(利己心)に外ならず、
ニルバーナ(涅槃)は公正な生活a life of righteousnessのことなのだ。・・・』
芥川は「西方の人」を読むと、キリストのこと全然分かってねぇなって思うけど。
神智学的な作家ではないと思う
それでも、蜘蛛の糸を書いたっていうことは、何か思うところがあったんだろうな
少し前に、「蜘蛛の糸でカンダタはどうすば助かったのか」っていうスレがニュー速(けんもう)に立ってたけど
「よじのぼる人々が多ければ多いほど登るのが楽になる」という答えはなかったな
でも、言われるとすごく納得
欲求を晴らす行為と愛の結晶を造る行為が同じとはこれいかに?
女這わせて地を見れば欲体に導き、女寝かせて天を見れば煌星胎に導く。
よって汝女の上に重なれば吉星生ず。ゆめゆめ女這わせて後とるべからず。仄暗き暗愚な星生ず。
ただの生理的欲求じゃないよね
何もないところに表われて
捉えたらますます捉えられるような欲望
しかも経済行為上の便法として、
いわば悪魔的手段として大いに使われているし
暴力や破壊衝動とも結びつきやすい。
なぜそうなのか、といえば霊に近いところにあるからだと思う
霊との関わりが、一方では聖や善になり、なぜ一方では悪や退廃になるのか
そういうところに興味がある
小道→小車だった
スピリチュアリティとセクシャリティには密接な関連があると思うのだが、
それを語るのはものすごく難しそうですね。
学問的には、宗教学と社会学の交差するところかもしれないが、
下手に語ると、明らかにおかしい奴と思われそう。
形而上学を語るのにセックスを比喩に使う中沢新一などは、その
難しさに挑戦してるところがあるかもしれない。
ポール・ケーラスの「悪魔の歴史」こうてみた
これもまた良書だった
書名から連想するようなおどろおどろしいものではなく
エリアーデの仕事に近い感じ。
仏教の十二因縁図が出てきたことがきっかけで仏教について調べてたけど
仏教も半端ないな、ものすごく今更だけど
仏教に文化レベルにおいて親しい、というのは日本に生まれた人のアドバンテージかも
あとやっぱり周辺の本を読むと、
シュタイナーの異常なほどの濃度を感じる
軽く吐き気に近いものを感じるほど濃い
「悪魔の歴史」で、ポール・ケーラスが
古い時代には善神よりも悪神が、その人間に対する威力ゆえにより崇拝されていた、
というようなことを書いている
そんなことあるかな?と思ってたけど
シュタイナーもギリシア神話の英雄はルシファーが受肉していたとか、
ルシファーやアーリマンによって人間が叡智を獲得することになっていた、みたいなことを言っている。
そういうことを考えると、悪魔と人間が、崇拝する・されるの関係だったことが
かつてあった、ということだろうか。
悪魔崇拝は、悪そのもののように、かつては存在したが、
今では不適当になったもの、なのかも
表面的な意味で悪魔崇拝はあったんじゃね?崇拝する人間は悪の本質については
ほとんど理解がなかったと思う。
悪そのものを理解して崇拝しているならば、人間と呼ぶより悪魔そのものだと思う。
崇拝する人がいるならそれは悪という力にすでに支配されているということだと思う。
今でいうなら科学の言うところがすべてにおいて真実だと思うならまさに悪魔崇拝
に近いような気がする。しかしそれを信じている人間は自分は悪魔が敷いた知識
の上にそれを信じているとは思わないと思う。
悪魔崇拝といってもなんか儀式的で映画的、物語的に思えるけどそれは過去の時代の
ありようで、現代ならばたとえば科学技術の産物や経済、快適な生活の希求に心身共に
大半を割いているならこれこそ悪魔崇拝の儀式を行ってるようなものと思うけどな。
それが悪魔だと気がつかず、崇高な力を持つ存在だというところで崇拝している例はありそう。日本でも。
そういう意味では人智学はそれに対抗する力ということじゃね。
現代においては崇拝という精神的、心理的様態がすでに過去のものと思うけどな。
シュタイナーにおいてはたとえば人智学においても宗教論においても崇拝という形は
ほとんど持ち込めないと思うな。
日本では悪魔崇拝とは違うが神仏に対しての愚かな願い事をする人が
たくさんいる。
勉強もろくにしてないのに合格祈願、やくざ、悪徳商法の事務所の神棚
乱暴な運転を常習する若い奴の交通安全祈願、不摂生な生活をしてる
やつの健康祈願、ギャンブラーの浄財・・・
挙げたらきりないけどナンセンス極まりないな。
これこそ神社仏閣の周りを漂ってる悪のもやもやを引き込んでるようなもんだ。
早稲田大学図書館にはシュタイナー全集が置いてあるらしい。
ドイツ人でも全部読んだ人はそういないだろう。
同じこと考えてた
拝金主義って先祖返りした悪魔崇拝に他ならないね
あと悪魔は、イレギュラーな存在というよりも、
むしろ悪魔の方がレギュラーな存在なんじゃないかと思ってきた
六道輪廻図でリアリティーを感じたのは、人生の車輪をまるごと悪魔が抱きかかえているところ。
シュタイナーが「キリスト的」を、ルシファーとアーリマンのバランスを取ることだと言った時、
なんて心許ないんだ、人間は悪魔と悪魔のバランスを取ることしか出来ないのか、
ほとんど悪魔だらけってことじゃないか、と少し不満を感じたけど
実際に悪魔だらけなんだろう。
シュタイナーはそんなことは決して言わないけど、
著書から帰着するのはそういう認識だ。
でもそれは決して悲観するべきことではなくて、
自分の中の悪魔に気づくようになって、
はじめて本当に悪魔に対抗できるようになるという気がする
六道輪廻図を抱え込んでいるのは閻魔らしいが、
閻魔を悪魔とみなすのが正しいかどうか。
彼は地獄の主であり、悪事をはたらいた存在を裁くのが仕事だよね。
諸説あるようだが、閻魔自身は悪事をはたらく存在なのだろうか。
そうじゃないよね。
悪事をはたらく存在が悪魔だとしたら、悪魔を裁く存在が閻魔だから。
また、もと悪人や悪魔が閻魔になるのだろうか。そのへんがよく分からない。
ただ、悪のこと、魔のこと、地獄のことを最もよく知る存在ではあるかも。
閻魔
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E9%AD%94
閻魔は悪魔ではないだろうけど(罪を犯させる存在ではなく、罪を罰する存在だから)、
六道輪廻図を抱えている神は閻魔なのだろうか?
ケーラスは「悪魔の歴史」では以下のようにマーラだと言っている
“人生の車輪をしっかと押さえた世界の王としてのマーラの仏教的な概念が、
いかに注意深く保存されてきたかを、
われわれは中央アジアのアジャンターの洞窟遺跡内に残る古いフレスコ画を、
チベットや日本の同一主題の絵画と比較することによって知ることができる。”
ただし、天国も地獄も全て解脱涅槃ではない輪廻の世界であると考えるのが仏教ですよね。
神々のような崇高な存在、普通に考えて悪事をはたらくような存在ではないもの(天界の存在)も、
解脱涅槃しない限りは、六道輪廻の中の存在であることに変わりはない。
神々でさえ、善業が尽きたら、人間界以下に生まれ変わるとされている。
そして、仏教では、人間界に生まれることが、解脱涅槃への道、すなわち仏法を修するのに、
最も恵まれた環境に生まれることであると考える。
なぜなら苦である欲界に生まれ、苦を味わい、苦から離れたいと心底思うから解脱を目指すのであって、
苦も欲もない天界に生まれては、苦から離れるために仏法を修する動機が得られないと考える。
もちろん人間界に生まれても、仏法を修するためには、仏法の説かれている地域に入ることが必要。
何だかなぁと思われるかもしれませんが、伝統的な仏教の教義はこんな感じですよ。
実は私は人智学のことはよく知らないのですが、人智学と仏教とは発想が根本的に違うところがあり、
安易に比較することはできないのではないかと想像しています。
俺も無常大鬼について調べていて、そのサイトは見たんだけど
「聖なる幻獣」っていう本の書影がちょっと俗っぽい感じだから
どうなのかと思ってた
ケーラスは筋の良さでは最上の部類だと思うけど
やっぱり欧米の人だから、傍証が欲しいところ
仏典まで読むことになるかも
>>407 伝統的なキリスト教や仏教を学んできた人が神智学や人智学に違和感を感じるのは当然だと思う
宗教の中にあらわれている叡智を
更にイデア方向に上昇することができるんじゃゃないか、というのが神智学の発想で
だから必然的に統合的になる
それに対して伝統的な宗教に親しんだ人が乱暴だと感じるのも納得できるけど
叡智はそもそも統合に向うものだと思う
>>411 仏教と人智学の関係がこれからどうなっていくのかはわかりませんが、
例えば、渡辺照宏先生のような高名な仏教学者が、人智学に注目していた
という事実はあります。
仏教だけで全てが解決するわけではない。いろんな宗教や科学の思想に
自由に触れることのできる人が多くなっていけば、そこから思想的な混乱ではなく、
秩序をもたらす、人類共通の叡智というのが磨かれなければならないとの思いを
皆が共有するようになるかもしれません。
そして、それは仏教でも人智学でもない新しい何かになるのかもしれません。
現段階では、仏教や人智学は、未来の人類共通の叡智の構築に貢献する、
有力な勢力だと私は思っています。
釈迦が29歳で悟りを開いた、とか
ナータン系のイエスとソロモン系のイエスの二人がいた、とか
やっぱり違和感あるよ
リーディングはどんな神秘化でも話半分で聞いた方が良いよ。
>>414 そうかあ?もともと宗教に興味ないおれはまったく違和感ないけどな。
閻魔大王はたしかシュタイナーはどっかの本で言ってたな。天使存在の誰かになるって。
10年以上前に読んだ本だから出典わすれたわ。
サラマンダーがサルの自我と言われても違和感を感じる。
元素存在は人間のようには自我をもっていないはずだが
>>404 閻魔は西洋人にはモーセとして現れる、とどこかで言ってたような。
辞書で引いてて「四大」を「しだい」と読むと今頃知った
ずっと「よんだい」って読んでたわ
しだい【四大】
1 仏語。万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素。四大種。
2 《1から構成されるとするところから》人間の肉体。「―の身を悩ます病は」〈鴎外・寒山拾得〉
3 道教で、道・天・地・王をいう語。
仏教でもあるのかな?
前490年頃生まれのエンペドクレスが四大元素説を唱えて
釈迦が前463年生まれだから
仏教が取り入れたのかな
仏教では空を加えて五大
>>422 何でギリシャ人の考えをインド人が取り入れるねん。
地理的に不可能だろ。
釈迦が取り入れたわけじゃないけど
アレクサンドロスの東征などで、ギリシア文化の影響を受けたガンダーラ文化などが興隆
仏教では元々作られていなかった仏像などが作られた。
ギリシア思想を取り入れたヴァイシェーシカ学派が元素説を唱えた、それを更に仏教が取り入れたby宮元啓一、との説も。
仏教の経典の弥蘭陀王問経は、仏教徒がギリシア人を論破するお話だね。
というかこのスレ的にはテレパシーで伝わったでいいんでねw
光の精霊や音の精霊はいないのだろうか
アフリマンがいるならオルムズドがいたっていいじゃない
インド発祥の仏教がはるか遠い島国の日本まで来てるんだから
地続きのギリシアとインドに交流がありえないことはないだろう
テレパシーっていう言葉はシュタイナーの用語じゃないけど
霊界が繋がっているなら伝播してもおかしくないね
シンクロニシティ的なことシュタイナーは語ってなかったのかな?
読んだ限りでは記憶にないけど
一般的な心霊学で言う霊、魂って人智学的にはどの部分に対応するの?
自我、アルトラル体、エーテル体は形が存在するから違うよね?
霊≒自我
魂≒アストラル体だよ
五大って、質料である四大に
なんで空という非質料的なものが加わるのかなって思ったけど
神から見れば、空すら質料的だからかな
何故ありもしないと思うの?
井筒が東洋を「ギリシア以東」と言っていたように
ギリシア哲学と仏教の間には
交流がないとは考えられない程の親近性があるよ
あとwikipediaは議論のたたき台にはなるけど
根拠としては全然弱いよ
どこかの誰かがそう書いた、だけだし
その筆者の知性的強度は様々だから
ギリシャ哲学と仏教哲学の影響関係について実証的に書かれた本や論文があったら、
教えてください。
時空を超えた比較思想論や神秘主義じゃない、現実的世界の話として、そういうことを
研究した文献があれば読みたいのです。
仏像とか「ミリンダ王の問い」とかだけでは、根拠としては弱いので。
宮元啓一先生の説とかそういうのは面白いと思います。
うろ覚えなので間違っているかもしれないけど
シュタイナーによると
ギリシャの四大とインドの四大では内容が違うみたい
インドでは大気のことを火としていたらしい
ソースは忘れた
宮元啓一、確認したらギリシアの影響としてあげられてたのは原子論で五大そのものじゃなかった。
ギリシアとインドの共通祖先である原印欧語族に遡るんじゃね?
原印欧語族ってかつてアーリア人と呼ばれた種族だよね
神智学とかでも大人気の
霊界や神界が、ただ一つのものとしてあって、
その同じ対象を探求して記述するんだから、
同じような言葉に集約されていくのが自然だとも思うけどね
言葉で語ることが不可能な世界を
言葉で語るのだから、
表現の違いはもちろんあるだろうけど。
いわば対象への記述だけを手に入れることができる状況で、
対象の実相に近づいていく人類的営為に参加するってことでしょ。
本当に人類的営為だと思う
シュタイナーとの出会いは最大のインパクトだったけど、
井筒俊彦との出会いもすごくでかかったなぁ
書いていることも、もちろん素晴らしいんだけど
存在自体にものすごく勇気付けられた
日本がどんどん嫌いになっていってたけど
一気にまきかえしたよ
井筒だけじゃなくて、井筒繋がりの柳宗悦とかも素晴らしいしね。
出会いは
>>70で、偶然といえば偶然なんだけど、
本当に今必要な本に出会えたと思っている
例えば英語と中国語が語順が似てるってのはただの偶然だろうけど、
地理が遠く離れ、歴史的交流のない言語間に語順の相似があっても、
それは神秘ではない。
肌の色が違っても、人間にはみな赤い血が流れる。
人間の作るものは、申し合わせなくても、兄弟のように似ることがある。
それは自然なことだ。神秘ではない。
英語と中国語の語順が一致してるのは偶然。
肌の色が違ってても同じ色の血が流れてるのは、別に偶然ではない。
スピリチュアルブームが去ったと思ったら今度は脳ブームである。
いつもルシファーとアーリマンが交互に活躍してきますね。
よく言えばバランスが取れてきてるということか
右に左にフラフラしているのを見て、真ん中を通っているとは言わない
448 :
考える名無しさん:2012/05/13(日) 01:40:48.85 0
人種を問わず、色は同じだけど遺伝子が違う
その点についてシュタイナーは何か言ってませんか?
日本語翻訳本のなかでは遺伝子については詳しくは触れていませんね
善なる力とだけ関わったシュタイナーは、人間の遺伝が遺伝子の働きによるものであることは「透視」できなかったし、「予言」もできませんでした。
彼が物質の仕組みについて得た知識は、当時の自然科学の研究成果に頼っていたわけです。
従って彼のその方面の知識は、その時代の自然科学(アーリマン的認識)の限界内にあったことは否定できません。
シュタイナーが原子を実在しないものであると断じたのは、別に後の不確定性原理に基づいた量子力学を先取りしたのではなく、
単に電子顕微鏡などのない当時の貧弱な技術と、貧弱な原子概念のせいなのです。
精神の純化に努めて、高次世界の認識力を極めたシュタイナーでしたが、物質構造についてはその程度の認識しか得られませんでした。
なのに、倫理的には大いに問題があるような科学者でも、物質認識の壁を次々に突破して、すごい知識を手に入れてしまっている。
遺伝子操作という「神の領域」に達しています。
こういう情況を振り返る時、私には、アーリマンの翼に乗って上昇しているテクノロジーのイメージがありありと浮かんでくるのです。
http://higusumi.world.coocan.jp/japanisch/koramu/idenshisosa.htm
ギルガメシュ叙事詩読んだ
7日が一つの単位として頻出したり、イシュタルが下った冥界の扉が7つだったり、
この頃から「7」が特別な数だったことが分かる
数字の底は、とりあえずは惑星の数みたいだけど
>>450 >シュタイナーが原子を実在しないものであると断じたのは、当時の貧弱な技術と、貧弱な原子概念のせい
それは違うんじゃない?
物質がマーヤーだから存在しないと言ったんだと思う
物理法則も本当は存在しない、とか言ってるしね
これも物質が存在の「底」ではないということだと思う
マニ教は、各宗教の叡智を統合するという神智学的コンセプトで作られたみたいだね
用語集によると
マニ教徒は、未来の邪悪人種を特別善良で神聖な者に変えることを課題としている。
とか
万人に対する万人の戦いののちの主要課題は、悪を善に改心させることであり、マニ教がその準備をしている。
とか、
シュタイナーの評価は非常に高い
>>450 優れたな神秘家でも科学的な大発見したとか聞いたことがないもんな。
ふつう霊についてそんなに詳しいなら物質なんて簡単に分かりそうと思うけど
アーリマンに支配されなきゃ不可能というわけか。
なるほど目から鱗が落ちた。
本当の神秘家は自分に許されていることしか言わないからね
その「科学的発見」を本当に必要だとシュタイナーが思っていたか、と問うなら微妙なところでは
むしろ真の根源である霊的探求こそ必要だと思っていたんじゃないかな
マニ教の本を図書館で借りてきたんだけど
それによると、マニ教の経典は長らく失われていて、最近になって発見されだしたらしい
そのいわば「謎の宗教」を、なぜシュタイナーはそんなにも高く評価していたのか?
謎なんだから、評価のしようがないと思うんだけど
もしかしたら、人智学の系譜(神智学とか薔薇十字、あるいはもっと古い流れ)には
マニ教に関するなにかが伝わっていたのかな
「いか超」読んで、なんで八正道のような人格的陶冶が、超感覚と関係するんだ?
と長らく不思議に思っていたけど、
心的な浄化が霊界参入に必要なのは、
プラトンあるいはもっと古い時代からの神秘学上の伝統だったんだね
「いか超」を読んだ時には、それをシュタイナーが発明したかのように思ったけど
シュタイナーはただ伝統的な、神秘学の「常識」を言ってただけだった
人智学の階層的な宇宙観は、
マニ教の宇宙図、オフィス派の宇宙図、仏教の宇宙観など
似ているものはたくさんあるけど、
惑星進化紀のコンセプトがどこから来ているのかは謎
シュタイナーは未来や遠い過去についてその科学的傾向がある
ものについては具体的に明言していない。
もしそうしたなら進化の中で人間が発見、発明して行くべき
ものを普通の人間が努力無しに手にいれる事になる。
遺伝については、宗教論の中や教育の中で触れているが、当然
物質体の中での遺伝子という概念は持っていたはず。
しかしそれから論を展開するのは精神科学より、唯物学的
説明に偏るのでのでしなかったように思う。
物理や数学関係の論文読んでもシュタイナーは相当な知識が
あったことを考えれば抽象的な考えで講義はしなかった
と思う。
現在の物質科学がアーリマン的なら科学技術の発達はない方が良いということかな。
シュタイナーの時代と現代を比較すると今のほうがより唯物論者が多いように感じるのは俺だけ?
>>463 それはアスラの影響があるかじゃないの。
ニーチェが自分を守るために発狂しなければいけないほどだったし
シュタイナーが唯物論の全盛と言っていた19世紀〜20世紀前半の方がひどかったんじゃないかな?
グラフでいえば昇って行く段階で、今は最大の極を過ぎて下っていく段階だと思う
自分自身唯物論的世界観に浸りきって生きていたけど
トルストイやエンデやシュタイナーを経由して大きく転向した
そういうことも、もし当時だったら可能だったかどうか
結果としての文化は全盛に見えるけど、
内心には反作用として、その考えはどこか
おかしいぞと思ってる人も結構いるんじゃないかな。
そういう意味では唯物論の全盛期から転換し始めたと思う。
薔薇十字の観想って、もしかしたら、
それをイメージすることが、霊的存在に対する「しるし」になるんじゃないかなぁって思った
のろしのように機能して、霊的存在の助けを得ることができるんじゃないか
薔薇の位置はどこにすればいいんだ?とか悩んだ時もあったけど、
霊的なのろしだとしたら、完璧じゃなくても、少しくらい間違っててもいいんじゃないか
向こうの方からちゃんと読み取ってくれるだろうから
>>454の説明を読むと、マニ教ってのは、漫画『風の谷のナウシカ』でナウシカが否定した、
汚染された人類と大地の浄化計画を司る人たちみたいな感じだな。
シュタイナーはマニ教支持だったんですか?
>>468 「悪を改心させるのが、マニ教の仕事である」って言っているから
そんな遺伝子操作的なものじゃないと思うよ
「『ファウスト』によって、マニ教の再興がなされる。」
これはどういう意味だろう
ファウストの中にマニ教的ななにかがあるんだろうか
「(マニの)21世紀の受肉において、キリスト教に輪廻とカルマの教えを浸透させる。」
これからの時代に登場する誰かになるのか。
「この人がマニの生まれ変わりだ」って分かるのかな?
オレだよオレ、オレ
マニマニ詐欺
シュタイナーは遺伝子について透視できなかったけど、マクロコスモスレベルで螺旋について言及してた。
最近ニュートンがエメラルドタブレット研究してたって知って思ったんだけど
近代の自然科学研究は今でこそオカルトと呼ばれるものになったけど当時は真面目に研究されてて面白いね
今霊的なものと呼ばれるものも何万何億年後には解明されていて欲しいよ
そんときは俺ら人間じゃないよ
イブン・スィーナー「治癒の書」の宇宙論が、人智学的だと思うんだけど
シュタイナーはイブン・スィーナーについてほとんど言及してないな
「治癒の書」は日本語訳どころか英訳も部分的にしかされてないっぽい
アーリマンが人間と成って現れると言ってたけど結局誰だったの?
ザッカーバーグじゃねw
大槻教授
>>476 昔、真面目な研究対象と思われていて、今はオカルト
今、オカルトと思われてて、未来は科学
全然違くね?
今オカルトと呼ばれるものがいつか解明されたらいいなって書きたかったんだ
いつも言葉足らずですまない
アーリマンはどんな容姿してるの?
>>483 近代科学の確率以降、科学と思われてたものが非科学になったら例はあっても
非科学と思われてたものが科学になった例はないらしいよ。
自然科学の発見とは違うから、どこかの誰かが法則を発見して、誰もがその成果を座ったまま享受できる、
っていう感じではないだろうけどね
最近人智学の源流となった流れに少しずつ当たるようになってきたけど
そうするほど、シュタイナーがそれらを異常なほどの密度で凝集させてることが分かる
シュタイナーは自分にとって入り口だったけど
一番最後に理解できるようになるのもまたシュタイナーの言葉なんだろうな
ものすごい濃さだからこそ、普通の人にも「届く」んだろうな
求めてる人にだけ、響けばいい。それは何でも同じだと思う。
極論、何でもいい。
なぜなら、カルマが全てを個人に即した形で解決するから。
現在、人々は学問において数字を好みます。
人々は社会生活においてすら数字を好むのです。
社会に関する学問に目を向けてみてください。
これらの学問はほとんど純粋に統計から成り立っています。
そして重要な事柄は統計から、つまり数字から推論されます。
数字とともにあらゆる事が証明され、信用を獲得します。
数字はあることを証明するための手段ではなく、人々を欺くための手段なのです。
人々が数字から質的なものへと目を向けないならば、数字を超えて質的なものを見ないならば、
たいてい数字によってだまされることになります。
数字が証明の手段として持ち出され、証明の手段と見なされるとき、アーリマンは目的を達成することが出来るのです。
(GA193 190-192頁)
それはやばい。女を選ぶときBWHの数字にいつも騙される。
しかしもみ具合、締まり具合、尻の安定性という質を吟味してるので
きわどくアーリマンの罠にはおちんけどな。
アーリマンの罠にまんまとかかってるやんけ
ルシファーを-100 キリストを0 アーリマンを100とするとシュタイナーはどのあたりだろうか
意味がわからんw
数直線上のプラス側とマイナス側にルシたんとアーちゃんがいて
その中庸を取ることでキリストになるってイメージなんじゃん?
で、シュタがどの程度中庸か、ルシよりかアーリよりかってことが聞きたいんだと思ふよ
数値化というアーリマンの罠を風刺してるんだろ
用語集見てて気づいたけど
内面への沈潜=神秘主義
大宇宙への道(エクスタシー)=神秘学
なんだな
神秘主義も神秘学も同じようなものだと思ってた
シュタはルシ寄りじゃないかな。
シュタイナーの動画見てみたい。
どこかに落ちてない?
流れを断ち切ってしまい申し訳ありません。
アストラル体、エーテル体、霊界……など。
超感覚(高次元?)を科学的認識する、というキーワードに惹かれ
シュタイナーを手に取ってみようと思い至りました。
そこで、入門書に最適な著書のアドバイス頂ければと思い書き込ませて頂きました。
・シュタイナー入門 (講談社現代新書) [新書] 西平 直(著)
・シュタイナー入門 (ちくま新書) [新書] 小杉 英了 (著)
入門と名の名の付くものは上記の二つのようですが、違いやおすすめを教えて頂きたく
存じます。
また、今後シュタイナーの認識を理解する上で、読み進めていくに良い著書の順番などが
ございましたら、合わせてアドバイスを頂ければと存じます。
長文、失礼致しました。
文章が有する霊性が一番重要だと思うので、
シュタイナー自身の本がいいと思う
「いかにして超感覚的世界を獲得するか」でいいんじゃないかな
シュタイナー以外の人が書いた入門書は、
シュタイナーの本を何冊か読んだ後に、知識を整理するのには使えるけど
シュタイナー自身の文章と同じ霊性は望めないから
内面への沈潜と、マクロコスモスの道の
体験的な違いがいまいち想像できないな
超感覚を体験していないんだから当たり前かもしれないけど。
シュタイナー自身は、「沈潜」と「エクスタシー」を丁寧に使い分けてるみたいなので
意識してみると、あたらしい読み方が可能かも
>>505 シュタイナー本は高橋訳か西川訳買うのがデフォです。
シュタイナー本は著書と講義録に大別されます。
著書は数冊しか無くほとんどが講義録になります。
四大主著は次の通りです
神秘学概論
神智学
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
自由の哲学
このうち神秘学概論と神智学は入門編として最適と思われます。
俺自身は、いきなり人間の要素とか宇宙論とか説明されても
「は?」って感じになってただろうから、一番最初が「いか超」で良かった
オカルト的な要素が一番薄いから
土星紀から変わらず黄道獣帯はあったのか
プララヤというとなんとなく宇宙そのものが消えるかのようなカタストロフ感があるけど
あくまでこの地球系でのことなんだろうな
天使のヒエラルキーも、この地球系に属したものだろう
父、子、精霊まで行くと、宇宙系になる?
古来の宇宙図で獣帯の上にある要素は宇宙系になるのかな
天使は人間同様にヒエラルキアを昇っていく過程にあるけど
上昇過程が果てるのはどこで、
そうするとどうなるのだろう
セラフィムが上昇したら、神になる?
神はさらに上昇するのか?多分、しなさそう
アルカイの誕生以前は時間もなかったという
その時の地球系外の宇宙はどうなってたのかとか
もう想像が追いつかない
>>511 知で推し量れる範囲を超えたことを思い
巡らせても余り意味がない。
聞いた話たが、神(創造神)はたぶん人間が
存在してる事すら知らないだろうとシュタ
イナーが言っていたらしい。
何かからあまりにも離れているってそうい
うことだと思う。
キリストが神なのにそれはないだろうw
人智学全否定じゃん
そんな発言はありえない
>>514 神と言ってもいろいろあるからね。
キリストは創造主じゃないんじゃない。
ところでルシファーもアーリマンもキリストも群存在なのかな。
そもそも知で推し量れる範囲を超えたことを思い巡らせること以上に意味があることはあまりないだろうw
でも引っかかる所はある。
キリストは食物を必要としなかったので、
人間はパンがないと生きられないことを
当初知らなかったってシュタイナーが言っ
てる所かな。
>>516 それじゃ何も理解できないで創造だけじゃん。
世界を造ったのは高度に進化したトンデモ
星人で人間もまたしかり
と思ってたな。小さい頃は。
>>505 そんな本より、西川隆範『シュタイナー思想入門』がおすすめ。
もう旧いほうの本だけど、西川氏の文章はあっさりしていて読みやすい。
その割にきちんと必要な事柄が織り込まれていて、
この本でキリストの意味にはじめて触れたように思えて、読みながら泣いたなあ。
シュタイナー自身による人智学の解説なら、『薔薇十次会の神智学』がまとまっている。
>>518 言葉で表現でぎないことを理解することが「悟り」なんだから。
そういうこと
霊的側面からの世界把握、ということを考えていくと、
結局もっとも現実的な問題、
権力とは?とか、
権力にとって正当性とは?とか、
貨幣とは?
交換経済とは?
贈与とは?
という問題に帰着していくなぁ
もっとも現実的な問題を考えるために霊的経路をくぐり抜けてきた・・のかな
網野善彦の本を続けて読んでいた
よく知られているように、此岸と彼岸の境界線上の人々に一生こだわりつづけてきた人
甥の中沢新一は網野を「唯物論者」だと言っていたけど、
本当は霊的なものに釘付けになっていた人だと俺は思う
霊的な存在を信じずにそこまで興味を持てるはずがないと思う
そんなことをいうと、
ただでさえ危うかったアカデミズム上の立ち位置が決定的にまずくなっただろうけれど
網野の「職人歌合」の中に、
「七歳までは神のうち」という言葉があった
網野自身の言葉じゃないけど、すぐにシュタイナーを思い出した
中世の日本では、子どももまた、霊的存在だとはっきり認識されていたみたい。
民衆の直観すごいよね
ルドルフ・タシュナー
密教について調べていて、
中沢新一の「イコノソフィア」にマンダラについて書いてることに気づいて、読んでみた。
中沢は神智学にも詳しく、アストラル界など神智学の用語を使って説明する。
とても理解しやすく、勉強になる内容だったが、最後に突然奇妙な文章が入ってくる。
そうすると、仏教の修行にとっては、仙人のようにカイラッシュ山を上昇していく生き方をするだけでは不充分なのであって、
この世界のなかにマンダラのかたちでなにかとてつもない戦争の機械をもちこむことも必要なのです。
この精神を生きたのが、狂人のような生き方をした禅坊主であったり、
世の中の常識をすべてひっくり返していく、チベット仏教のニョンパ(気違い)と呼ばれるダダイストの風狂の聖者たちでしょう。
風狂の行為、ダダの破壊的な行為そのものが、
仏教マンダラとして現われた意識のエデンをこの世界のなかに出現させるために必要なのです。
まずマンダラの外周部に設置された戦争機械と同じことを行動のなかで実現する。
それが彼らのダダイズムの本性です。
この物質的現実の世界にさらされた瞬間に破壊されてしまうマンダラの純粋さ、
それを守るためには何千メートルもの山を登った上空にのがれでたり、
自分のまわりに強力なデコンストラクションの道具を備えつける必要があります。
そうしないかぎり、ユートピアの空間を持続させることなど不可能です。
神秘学を学んでいる自分としても、非常に違和感があった。
いわゆる向上門と向下門については、
神界に通じた本当の哲学者は語ってきたけど
(シュタイナーも言葉は違っても色々なところで語っている)
破壊しろだなんて言っていない。
本当の哲学者は、そんなことは言わない。むしろそれと真逆のことを言う。
持っているのは文庫だけど、単行本は1986年に発刊されている。
オウム真理教が事件を起こす数年前。
「破壊的な行為そのものが、意識のエデンをこの世界のなかに出現させるために必要」
「自分のまわりに強力なデコンストラクションの道具を備えつける必要がある」
「そうしないかぎり、ユートピアの空間を持続させることなど不可能」
こういった言葉が麻原を刺激した可能性は、充分にあると思う。
だからといって、中沢を責めようとは思わないけど、
急に曲がり角を曲がったような、違和感のある文章。
この瞬間は、「中沢を通して悪魔が書いていた」のだと思う。
薔薇十字会の神智学を中古で買ったらやたらに本が胡椒臭い
これもルシファー所以だろうか
>>528 悪いな。ラーメン食べながら読んでたからな。
煙草臭いよりいいじゃん
古本は結構あるからなぁ
「イコノソフィア」のマンダラに関する二つ目の章も、突然結論だけおかしい
だから日本人の庶民信仰やその後の思想にとっては、中国から渡来した新仏教としての
真言宗など、たいした意味をもっていないのではないでしょうか。ただ、弘法大師だけが
重要なのです。空海は、自分たちが何万年とかかえてきた文化を飛躍させるために、大き
く大地からジャンプして、ふたたびこちらの方へ着地して戻ってきた人です。その瞬間に
真言密教の体系を全部捨て去っても、なおかつ弘法大師が残っている。そういう存在とし
て彼は生きたのです。
いや、違う。弘法大師について何ほども知らないが、それが違うということはわかる。
amazonレビューで「黒呪術師」と評している人がいるけど、宜なるかなという感じ
少なくともこの本の中には、真に聖なるものに対して泥をかけるような衝動が混入していると思う
中沢個人の資質だったのか、時代の空気なのか、何なのかは分からないけど。
オウムの事件は麻原一人の異常性の暴走というより、
集合的な破壊衝動が麻原の上に結晶したんじゃないか
そんなことも思う
ある事件や歴史的な出来事が起きた時に、
その当事者のみに原因を求めるような見方は違うよなぁ
ヒトラーだけのせいにしたりさ
そういう時、その個人はただ道具でしかなかったと思う
道具になったということに関する責任はあるにしても
オウム事件の背後には創価学会がいて麻原自身は何もやってないとコシミズ氏が主張してる
またヒトラーが自殺したとき千人くらいのチベット僧(ラマ)の自殺体もソ連兵によって発見されている
麻原ってルシファー的の典型?
漫画のデビルマンみたいに、悪魔が天使みたいだったりするのですか?
>>534 オウム神仙の会ができる以前に麻原の集まりではなく他のオカルト団体がオウ
ムと名前が入る命名変更する可能性があったのを知ってる。日本のスピリチュ
アリズム系の団体の交霊会で「オウム」という名の集団をつくれと交信してき
た存在がいる(o^−^o)結局したがわなかったけどね。
(THRIVE Japanese) スライブ?いったい何が必要になるのか
http://www.youtube.com/watch?v=yp0ZhgEYoBI 他のスレで見つけた映画
陰謀論ビジネスがここまで高度になったのかと感動してしまったよ
ここには真実の欠片があるけど、最終的な目的はビジネスとしてのゴールで
陰謀論を唱えている当事者が儲かるように設計されている
いわば虚偽をまぶした真実の死体がここにはある。
「虚偽の中に解体された真実をちりばめておく」という手法は、
日本の売れっ子言論人の間でもよく使われていると思う。
真実の欠片が、真実を受容する部分に反応するから、大きな影響力を持つ。
ただ、本物ではないので、彼らはなんとなくうさんくさい。
纏綿するうさんくささを、どうやっても脱ぎ捨てることはできない。
なにより言葉に霊性がない。
分かりやすい悪は、分かりやすいからまだマシと言えるかもしれない。
こういう真実の解体人の性質も、よく分かっておかないといけないかも
人間は挫折して無力を感じるとき、死から復活するものを心魂の中に担うことが出来る。
霊界の階層と惑星系の対応(月界=快と不快の領域以下〜黄道十二宮界=創造行為の原像の領域以下)が、
「薔薇十字会の神智学」に訳者高橋氏製作の図とか、
シュタイナー思想入門(西川氏)に書かれているけど
シュタイナー自身はどこで語っているのかな?
土星紀に熱、太陽紀に熱と気体・・というのは
あくまで物質界での話で、
土星紀でも、エーテル界以上の階層は顕現していたんだろうか
元素霊ってなんなの?
神的流出の過程で生まれたなら、それも神の系列に連なるものなのでは?
などと思って、用語集を読んだ
グノーム=アルカイの末裔
ウンディーネ=大天使の末裔
シルフ=天使の末裔
サラマンダー=集団心魂に帰らなかった動物
という。
「末裔」っていうのは、かつてそうだったけどそこから転落した者たち、ということだろう
前に、転落した人間は元素存在になると、このスレに書いていた人がいたけど、
存在の転落の果てには、他の存在を構成する質料になるということだろう
元素霊を救済しなければならない、という思想も、そこから出てくるんだろう
転落した存在の系列に悪魔がいるけど、悪魔から元素霊になったりはしないんだろうか?
また悪魔は、ある種の人間を元素霊にするという仕事に従事しているともいえるかもしれない
アシュラ同様、元素霊に関する記述はあまりなくて、謎な存在だね
四大は物質界より上の元素界=アストラル界の住人だから、
なんとなく人間よりも霊的な存在なような気がしていたけど
霊的ヒエラルキアからいえば、人間よりも下位な存在なんだね
それをはっきり分かっておくことも重要だなぁ
人間は物質体を持っているだけでなく、霊が高みにそびえているのだから
四大より低い存在のはずもないのだけど・・
形相-質料というギリシア哲学由来の観念に親しんだことで、
よく分からなかった四大が少し分かりやすくなってきた
シュタイナー以外の本を読むことも超重要だなぁ
っていうか、シュタイナーだけ読んでもシュタイナーを理解することなんてできないね
人智学は古今東西のオカルト的叡智の結晶だからね
>>541の文章
私に神智学協会で働いてはどうかという提案があっ
たとき、それは私にとって重要な意味を持っていたのですが、最初はある困難に直面しました。それは、
神智学協会においては、研究や文献がこの月の領域のみに限定されている、ということが分かったからで
す。この素材は確かに多くの間違いを含んでいたのですが、H.P.ブラバツキーの著作にはユニークで
非常に重要なことがらが特に多く含まれていました。しかし、H.P.ブラバツキーの著作の中に見いだ
されるあらゆることがらは、彼女の月領域との交流、そして、犠牲行為としてこの月領域に留まることを
自ら選んだ秘儀参入者と彼女との関係で決定されているのです。
私はこれらの秘儀参入者の多くを知るようになりましたが、私が皆さんに保証できるのは、そのような
月領域に貫き至る精神が、さらに発達したいという人間の望みにいかに無関心であるか、ということです。
私が太陽や土星の領
域に貫き至ることができるということを初めて理解したのは1906年から1909年にかけて現代科学
の考えに没頭し、それにイマジネーションを吹き込もうとしていたときです。
--
ブラヴァツキーの本には太陽紀以前の説明がないのかな?
ケルビムの姿と獣帯と関連あるのかなーと、思ってたけど、やっぱりあるんだ
人間座と鷲座がないから違うのかと思ったけど
蠍座=鷲、水瓶座=人間
に対応してるのか
曖昧な表現だけど、月までの領域は天使の領域だから天使のことじゃない?
ブラヴァツキーは知識を天使との交流から得ていたのかな
この素材は確かに多くの間違いを含んでいたのですが、H.P.ブラバツキーの著作にはユニークで
非常に重要なことがらが特に多く含まれていました。
って、確かに神智学の本読むと玉石混淆な印象あるな
シュタイナーも西洋人以外が読むとなると結果的には玉石混淆となる場合が多いけどね
それは読みが浅いだけだろ
はじめから書いてあることが間違っているのとは意味が違う
ケルビムと獣帯の関係の深さから、ふと思って
月界=天使・・みたいに辿っていったら、
黄道十二宮界=ケルビムだった
土星界がトローネ(土星はトローネの熱の流出)だったり、
火星界がデュナメイス(アステロイドベルトは天上の戦いの跡)だったりと
いままで読んできたことと惑星天の照応関係が見て取れる
「フュシスの諸元素は何処から成立したのでしょうか」
「神の意志(プーレー)からである。この意志がロゴスを受け、
美なる世界(叡知的世界)を見て模倣し、
自分の元素と生じたものすなわち霊魂によって自ら(感覚的)世界となったのである」
(「ヘルメス文書」)
これ土星紀の記述とかぶるな
意志・感情・思考の三分節と関わりが深そう
「民族魂の使命」に「形態の霊たちの領域で活動する、逸脱した動きの霊」が出てきた
ルシファー的な悪魔の範疇に入りそうだけど
ルシファー、アーリマン、アシュラと名前が付けられた族と、
「ルシファー的」と曖昧な呼び方をされる族の違いは何なのか?
逸脱した存在は、その後惑星進化記を超えてもずっとそのヒエラルキアのままなのか、
それとも一部が更に降下し、一部は上昇でき、一部は据え置かれるのか?
ルシファーに侵された人智学狂い達
NHKのオウムの番組観た
当時の録音テープ聞いて、
資本主義と社会主義を破壊し、宗教的な国家を作ることが麻原の目的だったと知って
意味不明だったサリン事件も腑に落ちた
強烈な破壊衝動は、中沢新一の当時の本に流れているものと同じ種類のものだと思った
その破壊衝動の根本はなんだったんだろう?
当時の再現ビデオでも触れられていたけど、
バブルに溺れた世の中への強烈な嫌悪感だったのかも
クソにまみれてクソ野郎にならないといけない傾向が強烈に強まり肯定されていた時代だろうから、
「こんなの壊していいだろ」という発想が出てきても、それほど不自然ではなさそう
ある種の清潔さが破壊衝動に繋がるということも、よくあることといえば、よくあることかも
>>560 >「こんなの壊していいだろ」という発想が出てきても、それほど不自然ではなさそう
>ある種の清潔さが破壊衝動に繋がるということも、よくあることといえば、よくあることかも
その衝動は清潔じゃない。
不潔が不潔にとってかわるだけだと思う。
よくあっちゃいけないことだ。
>>561 もちろん肯定しているわけじゃないよ
幼稚だし、正しいことじゃない
ルシファーやアーリマンという言葉は、自分の内面を見つめる時に使うべき言葉だと思う
霊視能力もないのにルシファーやアーリマンという単語を使って他人を誹る人は、
当人がまさに悪魔に支配されているように俺には思える
神秘主義的な用語を使った他者批判は、検証できないから危険なんだよね
小さくみてはいけない種類の危険だと思う
まさに麻原的、ヒトラー的というか
意味のわからない理解不能のものとしてではなく、
想像可能なもの、地続きのものとしてオウムを把握できたのは良かったかな
バブル的な醜悪さに対するカウンターっていうか
オウムに纏綿する滑稽さも、バブル時代の滑稽さ、馬鹿馬鹿しさと対応してると思う
頭のおかしな連中が急に突然変異的に現われだしたとか、そういうことじゃなくて
社会の鏡面に映った魔物だったんだろう
そもそも自分が人智学に辿りついたのも、
「あれ?なんかこれおかしくね?」という疑問や違和感からだったし、
疑問や違和感という意味ではオウムに入信した人達と共通している。
現状を変えていきたいという気持ちは、
現状を否定する気持ちでもあるし、
それは厭世感にも繋がる。
その厭世感と、内や外への攻撃衝動とは決して遠くない。
シュタイナーは、社会を誰よりも透徹し、誰よりも深く理解し、それでいて決して破壊的にならなかった人だから、
人智学は攻撃衝動への経路を断絶する方向に働くだろうけど
「彼ら」とまったく似たところがないとはいえない。
現状を変えたいと思う全ての人は、
自分も「彼ら」になる危険に晒されていることを知っておかないといけないと思う
変革を目指しながら殺戮に逢着した人物が歴史上に幾人もいたけど、
彼らと霊界との関わりは深かったと思うなぁ
霊界のつまみ食いをする人間からアーリマンは美味しい影を手に入れるとシュタイナーは言ったけど。
そういう歴史上の殺戮者と比べると、麻原はいかにも俗っぽくて小さいね
それは彼があの時代の鏡像だからで、あの時代が馬鹿みたいだったからだと思う
ある理想を実現させるためにはその理想を実現する以外に方法は無いのに既存するものを破壊する道に進んだのは何故だろう
何かを作ろうと志すものが反対に破壊の道に落ちる、気付けば進むべきベクトルが真逆になってるのはセフィロトでいうクリフォト的な罠かな?
569 :
考える名無しさん:2012/05/27(日) 10:44:13.02 0
アーリマンやルシファーって仏教的には煩悩のことじゃね?
>>563 >もちろん肯定しているわけじゃないよ
>幼稚だし、正しいことじゃない
うん。幼稚だし、正しいことじゃない。
村上春樹のアンダーグラウンドを読んだけど、当時の社会の乱痴気騒ぎの醜悪さの変わりになる「もっとマシな」物語を欠いていたからオウムに傾倒してしまう人が生まれた側面があると思う。
純粋な人達にとって、オウムの物語はまだマシだったのかもしれない。
闇を取り去った後にはその空間を光で満たさないといけない。じゃないと同じことの繰り返しだと思う。
その光を欠いていることが根本的な問題だと思う。
スウェーデンボルグの「天界と地獄」読んでる
いままで「霊界日記」しか読んでなくて、シュタイナーと比べると素朴すぎるかなぁと思ってたけど
シュタイナーと重なる部分も多いし、別の記述のされ方で気づくところも多いし、結構いいね
オウムに対抗し得る物語があるとすれば、
もう本当の宗教性しかないよなぁ
それが彼らに届いたのか、というのがまた難しい問題
粗悪な物語は、麻原だけが語っていただけじゃなくて、
金になりさえすれば読者のことなんてどうでもいいと思っている大勢の物書きが語っていて
その延長線上に麻原がいたんだから
審美眼を涵養する本当の文学を知っていたら、騙されることはないとは思うけど
読まないことにはどうしようもない
ジャンクフードしか食べてこなかったから、ジャンクフードに引っかかったんだよね
ジャンクフードを溢れさせたのは競争的な資本主義
オウムなんて資本主義のゲップみたいなものかもしれない
そして構造は依然変わっていない
>>572 >オウムに対抗し得る物語があるとすれば、
僕はシュタイナーから私が永遠であること、学習する存在であることの二点を学んだ。
それで、子供のころから違和感を持っていた胸のつかえがなくなった。
それ以来、人生がとても生き生きとしている。
人によって響くポイントは少しずつ違うんだろうね。
本当の宗教性を学ぼう、似非宗教は消えろ!みたいな流れに社会がなったら
みんなキリスト教や仏教の方に行ってシュタイナーやブラヴァッキー系神智学は真っ先に捨てられると思うが。
というかオウム真理教は教義を調べればわかるが
普通に神智学系統の宗教。幸福の科学なんかもそう。
シュタイナーは恋愛について何か言ってますか。
霊的観点から、人が人を好きになるメカニズムを知りたい。
なんか恋愛になると口を閉ざす神秘家が多いような気がします。
恋愛なんて一時の気の迷いよ
精神病の一種なのよ
超感覚的世界の認識を獲得すれば、どんな恋愛も成就するだろう。
お互いが高次の意識体として、いつでもどこでも会わずに会うことが出来るんだから。
>>574 私は、「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を読み始めたところです。
人間の本質が(光)であることと、それは時空間の中ではない(何処か)にあることを既に気づいている人にも
シュタイナーの思想から、得るものはありますか?
( )は、真実とは違う形容かも知れないが、ほかに適当な言葉が思い浮かばないので、使用しました。
たしかに恋愛は精神病の一種かも知れないが、たとえその通りだったしても、
好きだった人からこぼれ落ちた涙に対する罪の意識は、
そう簡単に払拭出来るものではない。
582 :
580:2012/05/30(水) 00:47:41.03 0
ヘンな質問をしてしまいました。
読み始めたところなのだから、これから読み進んで実践して、自分で判断するべきですね。
ゆっくり自分の足で歩けばいいと思うのになぁ。世界観が出来上がっていると眼鏡受験生みたいな人が群がる。
自分を確認してなんになるのか。
自分を拡張することに意義がある。
前者は固定的なマインドの性質を持つ。
後者は成長思考的な性質を持つ。
失敗を恐れる文化、学習する文化
アーリマン的、ルシファー的。
どちらがどうと言うわけではなく、
現代はアーリマン的な風潮が支配している。
私は現代だからこそ、ルシファー的文化のエッセンスを「自分の」内に取り込む必要を感じている。
さて、このスレを支配している雰囲気はどちら寄りなのだろうか。
このスレ10年目の古参だけどなんか最近変な香具師多くね?
恋愛が精神病だとしか言えないのは暴論。
恋愛は人生におけるエロス的体験であり、場合によっては精神病的になることもあるし、
宇宙的な魂に触れるような体験をもたらすこともある。つまり両義的なものだ。
だからこそ真面目に考えなければならないのではないか、恋愛について、性愛について。
真面目に考えないで欲望に衝き動かされているだけの恋愛や性愛では、
生命の尊さを知るのとは正反対の方に転落しかねないことは言うまでもない。
シュタイナーが恋愛や性愛について語っていないとしても、人智学的観点から、改めて
精神的な愛や、肉体的な愛についての考察を深めることには意義があると思う。
若い時のシュタイナーの好きな生き方は「熟慮することと求愛すること」
>>572 オウムも戦前からあった「近代の超克」という物語の一変奏のような
>>578 そうそう、あと
キリスト教があたえる恋愛観って、恋愛の延長に結婚があるみたいな期待を持たせ
るけど現実は、婚姻関係が長く続く関係と恋愛関係はまったく違うやん!
あ、私の性格に問題・・・でも、カルマが結びつけると思えば、まし、少し
救われる
内容を細かく書くことはここではしないが関連本として読んでも面白いと思う。
翻訳者、研究者個人の考えや研究テーマとして本や講演はシュタイナーをよりよく
知るには有益とおもうけどね。
>>575 そうはならないと思う
伝統的宗教が一般人に晒している面の中に、
ほとんどの人は宗教性をほとんど感じないのでは?
トルストイや大拙の影響で宗教にはかなり近づいていたけど
俺の中で宗教が輝きを取り戻したのは、完全にシュタイナーの影響あってのもの。
それまでは、「トルストイのような天才も、最後には宗教にヤラレてしまったのか・・」
というような、おそらく大多数の日本人と同じような宗教観だった
ほとんど、愚かさのしるしみたいな。
宗教にふれて、その中の偉大さが心に響いてはじめてその中の真理に気づき始めるものだけど
伝統的宗教の一般人に晒している面の中にそれがどれほどあるかな?
説経くさい、きれい事ばかりの、馬鹿みたいな話に見えると思う
美食家のことを考えてみましょう。
生きている間はおいしいものを食べて、楽しむことができました。
死後はそうはできません。
しかしおいしいものを食べたいという欲望はなくなりません。
欲望は肉体ではなくアストラル体に存在しているからです。
肉体器官がなくなると、この欲望を満たすことができなくなります。
霊的世界でそのような欲望を捨てるまで、欲望の灼熱の時期がつづきます。
黙示録の秘密より
欲望がない人は、ほとんどいないと思いますが、みなさん灼熱の地獄を体験するのですか?
>>577 該当箇所が見つけられなかったけど
男と女が出会い恋に落ちるということも一つの象徴みたいなことを言ってた
シュタイナーは恋愛についても否定してないし、
別に腫れ物に触るようでもないと思う
恋愛が精神病っていう考え方は、全然シュタイナー的じゃないと思う
アストラル界の中では、思考したことが即実現するんじゃないのか?
深い集中の中で想像することは現実のように生々しいじゃないか。
食べたいのに食べられないという状況をわざわざ想像する人なんて、いそうにないと思うんだけど。
違ってたら、誰かおせーて。
>>593 今生でほとんど欲望に左右されない程人間が完成していれば、そうはならないけど
ほとんどの人は欲望を焼き尽くす状態をくぐりぬけるだろうね
必要なプロセスなんだから別にいいと思うけど
>>596 そんな世界はどこにもないし、人智学的じゃない
>>598 スウェデンボルグの本には、思ったことがそのまますぐに実現する領域があると書いてあったよ。
相当むかしに読んだから、あまり定かじゃないけど、霊界なんとかっていう本。
>>597 別にいい?
灼熱の地獄やぞ!
よくそんな冷静でいられるな。
俺自身も、カイエ・ソバージュ等、中沢氏の本は結構読んできたし、
おもしろいとも思ってきた
中沢氏がオウムの件で批判されていたことは知っていたが、
大抵批判している人々の口調がなぜかひどく下品なので、そのような側にくみしたくないとも思っていた
今の中沢氏は知らないが、中沢氏の中に危険なものが息づいていたとはいえるのでは。
知的で非常に影響力のある人物が、
悪神に取り憑かれていたとするとどうなるだろうか?
知的な文章の中の突然の奇妙な論理展開の中に、悪神の手先を感じてしまう
グリーンアクティブといい、ゲゼルについての言及といい、
今中沢氏がシュタイナーと近い位置にいるのは分かるが、
だからこそ、今、あなたの神は何ですか、と問いたい
>>600 むしろそれは恩寵なんだから
別にいいどころか喜ぶべきことだろう
性欲を例にとると、老人になれば誰でも性欲はなくなるがそれによって欲望を克服したことになるのか?
じじいになってもスケベなやつはスケベ
子供の頃の強い食欲・情欲が
地獄を味わってまで浄化されるべきものだとは思えないな
自我の執着的な意味なんじゃない?
搾りかすのジジイはすでに現世で浄化されてる感がする
現世の苦しみもいわば浄化だからね
>>599 スピリチュアリズムでもそのように教えてるな。
欲望好きなだけ実現させておいて、そのうち飽きて興味がなくなる。
スピリチュアリズムって何?
ものすごく曖昧な言葉だなw
体がなくなって欲望だけがあるから、それを満足させる方法がなくて苦しい
のだから、子どももやはり苦しむのでは
少なくとも人智学では「思ったことがそのまますぐに実現する領域」なんてないな
子どもの頃に観た幻魔大戦をこの間観かえしたら、思いっきり神智学の上澄みすくった話だったw
映像や演出は時にすばらしいけど、テーマ性は薄く深みはなく、時に滑稽だった
ただ、エヴァンゲリオン的なコンテンツ、最近では「まどマギ」もこの直系にあるだろうし
インチキ新興宗教に与えた影響も大きそう
サブカルチャーの功罪とは。
ただ、幻魔大戦は、子ども心に撃ち抜かれて、原体験的な、「特別な映画」だった
その絵解きを、数十年後にすることになるとはw
これ神智学っぽいw面白いw ってだけのレスならしないで欲しいなぁ
「なかなか」どころじゃなくて、かなりコアな情報だと思うw
陰謀論系の人の知性を、究極的には信じることはできないけど、
情報量と、「おおむねの正しさ」はすごいと思う
>>606 >子供の頃の強い食欲・情欲が
>地獄を味わってまで浄化されるべきものだとは思えないな
天に入ることより、欲を持つことのほうが大事だと思えないな。
自我と魂になってるのに子供とか大人とかの概念がその世界でそもそも通用するのかな?
ミトラ教の書籍がほとんどないけど、陰謀論系含めてネットでは結構情報が流布してる
出所はどこだろう
用語集読むと、シュタイナーはミトラ教にもかなり精通していたことがわかるから
シュタイナーのミトラ教関係部分の文章まとめて読みたいな
原始キリスト教に興味があるならオリエント、ミトラ教関係を読むのも面白いと思う
ミトラ教関係書籍、でかい図書館にすらほとんどない
どんだけマイナーなのかと
人智学も神智学の系列で、神智学を元にいくつかのインチキ宗教が作られているけど
上澄みをすくっただけのインチキ宗教から飛び去っているものはなんなんだろう?
教義が正しければ、その教義だけを使って「宗教」を始めることはできるだろうに、
なんでことごとくニセモノからは霊性が失われていくんだろう
媒体は言葉だけど、そこには言葉以外のものがあるんだろうな
元型についての仮説は決して私の発明というわけではない。
元型Archetypeという言葉は既に、キリスト紀元の最初の数世紀の産物で、
キケロやプリニウスその他が使用している。
それがはっきりと哲学用語として出てくるのは
ヘルメス選集T『ヘルメス・トリスメギストスなるポイマンドレース』だ。
(ユングbot)
へぇー
三重に偉大なヘルメス
どうして三重なんだったっけな
トリスメギストス=ヘルメス神とトート神と魔術師のヘルメスだよ
>>625 私はたじろぎながらも自分の叡知の内に見た、
それは光が無数の力から成り、世界が無際限に広がり、
火が甚だ強い力によって包まれ、力を受けつつ序列を保っている様である。
彼は再び私に言う、
「お前は(自分の)叡知の内に(世界の)原型を見たのだ。その原型は無限の
始めよりも以前からあったものである」。
(ヘルメス文書)
これかぁ
まさに元型的・イデア的だね
この高次の自我と人間の関係は、人間と自然の関係、あるいは賢者と子どもの関係に等しい。
人間は、非我を自分と等しいものにしようと努める一方で、
この高次の自我と等しいものになりたいと切望する。 『断章と研究』
(ノヴァーリスbot)
シュタイナーがノヴァーリスを、鉱山技師ゆえに霊界にも通じていたと言っていたけど
この言葉を読むとそうだったことが分かるね
>そういう歴史上の殺戮者と比べると、麻原はいかにも俗っぽくて小さいね
>それは彼があの時代の鏡像だからで、あの時代が馬鹿みたいだったからだと思う
あの時代だけじゃなく今も安っぽい馬鹿みたいな時代だよ
何というかメディアの主流や各界のトップにいる人間達が昔に比べて安っぽくて俗っぽいもの
情報だけが過多で中身が薄い時代
今がいい時代だとは思わないけど
バブル時は愚かさが暴走してる感じがするな
ファッションとか文化とかもくそださいし
ユングbot見てると、核に触れながらも今一歩踏み込んでいかないような印象で
シュタイナーのユング論も正しいと思える
ユングbotだけで判断してるのか
いや読んだこともあるよ
「ミトラス教研究」が届いた
研究者も少なくて、
1900年頃のフランツ・キュモンの研究、1950年頃のスティグ・ヴィカンデルの研究
がほとんどみたい
シュタイナーが入手していたミトラ教関係資料は、フランツ・キュモンのものなのか
それとも神秘学的な流れの中に保存されていた独自情報なのか
高すぎるw
なんで貼ったのかわからん
別に新刊でもないしなんなの
高橋訳は知らないが、西川訳のを読んでると、なんでこんなにも「ひらがな」が多いのかね。
小学生レベルの漢字でもひらがなで書いてる。
何か理由があるの?
あまり意識したことないなぁ
第五福音書に出てきた
イエスが各地を放浪中に訪ねていた神殿がミトラ崇拝の神殿だったのか
読んだ時は「ミトラ?なにそれ?」って感じだったから意識してなかったけど
キリスト教が広まる前にかなり広まってたんだな
>>642 バカなおれでも読みやすいように気をつかってるんだよ。
まあ小難しい漢字の単語や熟語つかってかえって読みにくくするよりまし
あーノヴァーリスbot、いいな
すごい好みだ
読んだことなかったけど読もう
たしかに、シュタイナーただでさえ簡単じゃないのに
言葉まで難しかったら萎えるわ
シュタイナーが人種の特徴の根拠を
日照量で説明しているけど
緯度が同じなら経度が変わっても日照量は変わらないんじゃないかと思うんだけど
どういうことなんだろう。
たとえば
「アメリカに移ると、何かが起こります。後脳が利用されなくてはならなくなるのです。
ヨーロッパでは、ヨーロッパ人はおもに前脳を使っていました。
...
ヨーロッパ人がアメリカに行くやいなや、もはやじっくり考えなくなります。」
と、「色と形と音の瞑想」で書いているけど
アメリカの、もといた場所と同じ緯度の土地に住んだとしてもそうなのか?
気象条件によっても日照量は変わるのだ
んー
緯度は宇宙的なレベルの差異と関わっていて
経度は、地上的・地形的な差異と関わってるってことかな
水を取り去ると、アメリカの山脈と海底の姿は北から南に伸びています。
ヨ−ロッパを見てみましょう。アルプス、カルパチア山脈など、東西の方向が、東半球に見られます。
地球のなかに、十字架のような構造があるのです。
このことに精通すると、「それは本来、古い〈月〉のグノーム連邦世界だ」という印象が得られます。
地球のグノームの祖先たちである〈月〉のグノームが、
〈月〉の経験を集めて、その経験から地球の堅固な構造を作ったのです。
古い〈月〉のグノームの経験から、堅固な地球形姿が作られたのです。
(「天使たち妖精たち」)
この地球表面を走る十字架も、土地の特徴と関係あるかな
「世界シンボル大辞典」の惑星の項にこんな記述が。
人間の生命の初めの4年(または7年)間は,《月》に支配され,
5歳から14歳(または7歳から15歳)は《水星》,
14歳(または15歳)から22歳(フィレンツェのユンクティヌスによれば22歳か24歳)は《金星》、
22歳(23歳か24歳)から34歳または37歳または41歳は,《太陽》、
34歳(または37歳か41歳)から45歳(または52歳か,さらに56歳)は《火星》、
45歳(52歳か56歳)から56歳(または68歳)は《木星》.
その後28年か30年は《土星》である.
近代の占星術師はこうした惑星による年齢の象徴的意味に興味を失ったらしい.
7歳ごとの区分は、何もシュタイナーが言い出したことではなくて
伝統的なものだったんだね
42歳になるまで秘教的な導師になることはできない
63歳になる方がいい
みたいなことをどこかで言っていたけど
42歳は太陽の時期を過ぎた歳、
63歳は惑星天を抜けた歳ってことなんだろうね
シュタイナーのオリジナルでなく伝統を引き継いでいる部分結構あることが、段々分かってきた
ただ惑星進化紀と悪魔の分類(ルシファー/アーリマン/アシュラ)は、
オリジナリティ高いね
これらは神智学起源なのかな
人智学は高次の自我からもたらされた知識である。
過去の時代の秘儀参入者からもたらされた知識も
時代による差異はあるが基本的には高次の自我からである。
過去の時代には高次の自我は人間の外に見いだせたが
現代の秘儀参入者は高次の自我を自分の中に見出すことができる。
高次の自我は神霊に由来するもの、神霊そのものなのだが秘儀参入者は
時代の進化とともに初めて理解および認識する智がある。とその時オリジナリティー
を言うことはできたとしてももともとは秘儀参入者の智ではなく神霊からの智である。
んー、それを否定するわけじゃないんだけどね
以前は、すべてをシュタイナーの霊視の結果だと思っていたんだけど
実際は広範な教えを受け継いでいる部分も多いと思う
教えの結果を、シュタイナー自身で検証したということももちろんあるだろうけど
知識の系統を知ることでシュタイナーの言っていることもよく分かるようになるというか、
それを知らないとよく意味が分からないところが結構ある。
原理的には、霊界を直証して自分自身で確かめられるのだから、
教えなど必要ない、という考え方もありうるかもしれないけど
現実的にはそういうことはありえないと思う
シュタイナー自体が世界の入り口っていうか、
シュタイナーを経由することではじめて「意味のあるもの」となって現われた領域が非常に多い
そう言えば人智学は高次の自我から...てのはシュタイナーがどこかで言ってたな。
人智学そのものはシュタイナーが提唱しなくても時代の必要において誰々人智学
という形で現れたってことだものな。
神秘学の前提はそもそもそういうものじゃん
当たり前のことで、
だから、なんでわざわざ言ったのか、よく分からない
ノヴァーリスとシュタイナーの言葉は驚くほど共通点が多いな
文学者としては、ゲーテとノヴァーリスがシュタイナーの源流だろうか
そもそも人智学の基礎になる神智学とは古今東西にある各種宗教を混ぜあわせたものでは?
シュタイナーとフランケンシュタイナーは関係があるとしか思えない
シュタイナーの前世はノヴァーリスだったかも
適当に言ってみた
ノヴァーリスは洗礼者ヨハネじゃなかったったけ。ラファエロ含めて2回ぐらいヨハネから転生してたような。
ピネハス(聖書「民数記」25章)、
BC9世紀の預言者エリヤ(聖書「列王記」上巻17章〜下巻2章)
洗礼者ヨハネ
ルネサンスの画家ラファエロ(1483-1520)
神殿騎士ヨハネス・アクアリウス
ロマン派の詩人ノヴァーリス
って書いてるね
自分の前世が聖書に載ってるってすごいw
へえ、自分でもそう言ってたのかビックリ
ところで、シュタイナーに従ったらオーラ見えるようになった人はいますか?
私は、なんか出てるみたい、でも、やっぱり気のせい?ってくらいのレベルでしか感じられない。
シュタイナーがある時期だけ弥勒菩薩のアストラル体を受け取る、とかってケースはあるのかな。ありそうだけど。
その場合、シュタイナーは弥勒菩薩の転生って言えるのだろうか?
個人的には自我以外の要素が他の偉大な存在のものでも、その偉大な存在の転生とは言えないような気がするが、どうなんだろう。
優れた導師がエーテル体やアストラル体を他の自我に与えた話は出てくるね
それはやっぱり転生とは言わないと思う
>>669 なるほど。ありがとう。
ちなみに、シュタイナー自身は自分がノヴァーリスの転生とは一度も言ったことがないし、常に自分の前世については明言してなかったような。。。
神智学関連の本でおすすめは無いかな
>>669 >優れた導師がエーテル体やアストラル体を他の自我に与えた話は出てくるね
キリスト教の聖体拝受はもともと、それを象徴する行為だったのかな。
なんとなく気にかかってはいても深く考えたこともなかったけど、
そういうことなのかなと思った。
シュタイナーは言ってないね
自分で誰かの生まれ変わりとか言ったらいかにも偽物っぽいから言わないで正解かも
個人崇拝にも繋がる可能性あるから人智学の立ち上げ人としては絶対しないでしょうね。
シュタイナーの前世はシオナトゥーランダー
スピリチュアル荒らしはやめようぜ
確か聖杯伝説に出てくる人ですよね。
示唆してるのはそれぐらい。
西川さんが「聖杯の探求」のあとがきで書いてるだけで
一次ソースがわからないんだよね
「聖杯の探求」のあとがきにシュタイナーの前世なんて書いてる?
読んだけど見当たらなかった
西川さん訳のp205の左から3行目にあるよ
この乙女ジグーネが抱いている恋人シオナトゥーランダーは、シュタイナーの前世である
これかぁ
ありがとう
綴りが分かれば、シュタイナーアーカイブで検索して元ネタ分かるかも
見つかって良かったです。
シュタイナー本人がどうやら言ってるっぽいのでどこかにあるんでしょうね。
前世ネタではアンナ•ザンヴェバーの「ルドルフ•シュタイナーとマリー•シュタイナーの思い出」にも示唆があるようです。
こちらはとてつもなく抽象的で瞑想しないと意味が分からない内容ですが。
日本語では該当文書の「台所のテーブル」という項目のところにあります。
英語版はずっと前に探して確かあったような。二次ソースですが。。。
schionatulanderだった
シュタイナーアーカイブには本では出てこないけど
外部サイトへのリンクが出てくる
Lives of Schionatulander and Saint Thomas Aquinas
トマス・アクイナスと関係ある人物だったのかな
さらっと英語ソース出すのやめてくれ
英語も超感覚的知覚で理解しないといけないの?
信憑性は個人の責任で慎重に確かめないといけないような気がしますね。
ただ、ソースはありがたいけど。
エンキドゥ
クラテュロス
アリストテレス
トマスアクイナス
は用語集で確かめられるから
シオナトゥーランダーとの接続がどこかで確かめられれば、そうなるね
エンキドゥの親友だったギルガメシュが
アリストテレスが教えたアレキサンダーだったといっているけど
その後の転生でも、シュタイナーと関係の深い人物だったんだろうか
薬剤師の人とかって書いてるけどどうなんですかねぇ。
でも、シュタイナーが自分の前世を意図的に隠したのは意味があると思う。
私はそれを尊重することにします。
本人が言わなかったことを考察してはいけないというのは個人的に違和感を感じるなぁ
シュタイナー自身も本人の意向を聞かずに過去の人物を解釈しているわけだし、
学問とはそういうもの
歴史に組み込まれた瞬間に、考察される対象になるのだし
考察されることこそ、歴史になった人物はいわば求めているのだから
もちろん単なるゴシップ的な興味での詮索は実がないだろうけど
同一の霊を持った複数の人物を共鳴させることでより深く理解できることがあると思う
Enkidu is alleged by many anthroposophists to be the very first incarnation of Rudolf Steiner.
Gilgamesh is said to be Steiner's real soul-mate, the medical doctor, Ita Wegman.
エンキドゥがシュタイナーの最初の転生だと多くの人智学徒によって主張されている
だから文献や発言ははっきりしてないのかな
Ita Wegmanがギルガメシュと言われている
Ita Wegmanって、たまに見かけるくらいの名前だけど、そんなにシュタイナーと関係深かったのかな
Mellett on Steiner's reincarnationsは文章がやたら下品なのが気になるな〜
書いている内容から、かなり詳しい人智学徒だということは分かるけど
>>691 >本人が言わなかったことを考察してはいけないというのは個人的に違和感を感じるなぁ
考察することは否定してないですよ。
それを公の場で語ることと、語り方について違和感を感じただけです。
>>686 >本当か〜
>エンキドゥ、アリストテレス、トマスアクイナス(略)
>それがシュタイナーだったのか!?
>なんかびっくり
これだと読んだ人がそれが事実だと勘違いしやすいと思ったので。
※ソースが英語だし
確認された事実かのように取られないように注意しつつ書いた結果がそれなんだけどな
確認されていない事実でもとにかく俎上に載せて検討していくうちに
思わぬことが分かったりするのがこういう掲示板の意義だと思う
ギルガメシュ叙事詩を読んでも、ギルガメシュとエンキドゥの間に
同性愛的なニュアンスには気づかなかったけど、
そういう見方は実際あるみたいだね〜
そもそもエンキドゥという存在がもう謎のかたまりだし、興味深い
でも、エンキドゥってかなり後代(ギルガメシュの死後数千年)の叙事詩には出てくるけど
数百年後くらいの比較的初期の叙事詩にはそもそも出てこないよね
まあシュタイナーとかオカルト関係に深く突っ込んだら駄目なのかもしれないが
wikipediaにもそれらしき文言はないね
どこ情報?
まさか「誰かが言っていた」とかじゃないよね
おれもそういう話は聞いた。「誰かが言ってた」けどね。w
訳者、協会関係の人や近い人、共同体の人、スイスに行って
運よく人智学関係の古い人に行き会えばいろいろ聞けるかもしれない。
シュタイナーとヴェークマンの関係や救世主が下ってきたときの話とか
自分の前世に関わる話や自分の役割みたいな話もしてたらしい。
普段のシュタイナーがどういう人かみたいなその当時の周りの人の
話を聞いたとき、本を読んでイメージしてたシュタイナーと違っていて
おもしろかったけどね。
ウィキには何でもかんでもは載らないよ。
研興味を持ってあちこち顔出したり現地に行ったりしてると割とそういう人に行き会えるよ。
でも金が無くなった。w
いやwikipediaに載ってないっていったのは、
ギルガメシュ叙事詩のことだよ
エンキドゥがいなかったなどという極端な異同があればもっと周知されていてもいいと思うんだけど
あとソウルメイトだったからセクシャルな関係だったというのはどうかと思うな〜
むしろソウルメイトならセックスしないだろう
シュタイナーは二人の妻とセックスしていなかったんじゃなかったか、という説は
なんとなく俺も思っていたけど
でもシュタイナー自伝でドイツ娘との恋愛の話も出てくるし、
別に同性愛者ではないよ
ていうかヴェークマンって女医だったのかw
それなら恋愛関係にあってもおかしくないな
高橋氏の「神秘学序説」
シュタイナーに限らず広くまとまってていいね
オウムの高橋がチベット死者の書の解説書やカスタネダの本が寮に残されてた
って報道されてたけどシュタイナー本が無くてよかった。
もしあったらイメージ失落のうえにロクな書かれ方されてなかったかも。
チベット死者の書もカスタネダシリーズも持ってるがどっちもそんなに悪い本
じゃないし、シュタイナーも昔も今も本屋によっては同じ範疇の棚に並んでる
からなあ。
ああいう連中はシュタイナーの方向には来ないと思うな
もしシュタイナーを読んで感銘を受けたら
自分の置かれている状況の矛盾に引き裂かれるだろうし
逃亡を続けるために、悪人的な直感で寄ってこないような気がする
彼らはたまたまオウムに出会ってああなってしまったが、
誰にでもああなる可能性は内在していたし、それは今も変わらない。
我々が出会わなかった何かに、彼らは出会ってしまったのだろうな。
インド的方法は現代には適しません。インドに戻ると誤りに迷いこみます。
私たちの方法はずっと知的なものです。
インドの超感覚的認識のための行法の大部分は、秩序のあるリズミカルな呼吸の訓練でした。
(「芸術と美学」)
行法的にも、オウムとは真逆だしね
上佑とかが出ていた「朝まで生テレビ」をyoutubeで見たら
オウムは原始仏教の忠実な再現をしようとしているとか言ってたな
「いや、全然原始仏教じゃないだろ」って思った
呼吸とチャクラの視覚化やクンダリニーの覚醒など、霊的成長を促進させる種々な行法について、シュタイナーは
否定的である。全ての行者が守るべき道徳律を守りつつ、純粋思考を深化させた後、意識の中に生起して来る印象
に注目することによってのみ、正しい超感覚的世界の認識を獲得することができるのだという立場である。
まだ初心者である私はそのように理解しながらシュタイナーの著作を読んでいるのだけど、そのような理解であっ
ていますか?
ヨーロッパ人がヨーガの道を歩むと、幻想に陥り、心魂が破壊されます。
今日の学者が見ても、東洋的本性と西洋的本性は、とても異なっています。
東洋人の脳、東洋人のファンタジー、東洋人の心臓は、西洋人の器官とはまったく異なった作用をします。
東洋的な状況に育った人に期待しうることを、西洋人に要求することはできません。
(黙示録の秘密 p48)
シュタイナーの勧める薔薇十時的な行方も日本人に適してるかどうかもわからんね。
現代社会に生きる人々のために、薔薇十字の行法が導入されねばなりません。
(「薔薇十字会の神智学」)
「現代人」の範疇に日本人が入らないとか、そんなことはないと思う
行法に関して人種別に説くようなところはなかったし
>>714 ロマゾフィーは最初から「これって使えるぜ〜」と思ってた詐欺師じゃん
最初から神的・霊的なものを信じてもいないけど
オウムの逃亡犯は、そうじゃないからなぁ
だから自分の信じてきた宗教的信念体系を揺るがせるようなものには近づかないと思う
安藤礼二氏が文學界に載せた「表現のゼロ地点へ」読んでる
両性具有が神智学的だっていうの読んで、
「オズの魔法使い」の続編「オズの虹の国」に
性の転換がモチーフとして出てきたの思い出した
性の転換は、両性具有のモチーフが分解されたものと言えるかも
ボームは神智学系作家だけど
他の人の作品でもトランスジェンダー的モチーフの後ろには
両性具有状態への憧憬があると言えるかもしれない
両性具有状態への憧憬って病気でなければ霊界への憧れだな。
「表現のゼロ地点へ」の
「光と闇が等しくなる春分と秋分の日」という文章を読んで、そうか!って思った
今まで、「お彼岸」に霊が帰ってくると言われている意味が分からなかったけど、
光と闇が等しくなることにより此岸と彼岸の扉が開いて交通が可能になるということか
なんで「光と闇が等しくなる」ことにより「交通が可能になる」と思えるのかは、
よく分からないけど、感覚的に腑に落ちるものがある
光=生、闇=死
で、長さが釣り合うことによって、一続きになるってことか
てことは一日の中の「昼」と「夜」も、「地上の生活」と「死後の生活」に対応しているってことか
言われて見れば、当たり前かなぁ・・
今までそんな風に考えたことなかったけど
人間は毎日小さい輪廻転生を繰り返しているってことか
細胞レベルで言えば人は毎日生まれ変わっているね
「太陽の死と再生」の物語に、
「人間の生と死の物語」がクロスするから、複雑な感じがするんだよなぁ
東西南北のうち
南北を「太陽の物語」
東西を「人間の物語」
とすることも可能なような?
オズの魔法使いの南北=善、東西=悪、って
この二つの物語のクロス性から来ている?
死は、一日と一日の間の眠りのようなもの
呼吸もそうだね
>>717 詐欺師は巧妙で自覚があるが、ただの頭のおかしい人にしか見えなかった。
夢想的になりすぎてるというか。
>>703 異同というか最初期のギルガメシュ叙事詩は
神話的要素のない普通の戦争の話で、後代のギルガメシュ叙事詩とは異同を問題にすることもできないような普通に別物なのだが。
>>729のタイトルは
「オウム真理教 秘密のダーキニー オウムヒット曲?」
あらゆる見解を否定も肯定もせず、裁きも批判もせず、の行をするのだ。
うっかりやらかした時には、その時私の中で何が起きているか内省する。
そして、自分が批判した見解の中に美点を見出すようにし、その時の私の
中で何が起きているか内省する。
>>734 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」とかいう本に、そんなようなことが書いてあったのでw
まだ中盤までしか読み進んでないけど、要求される内容の密度が高過ぎて、辟易しています。
>>735 密度が濃いまま初めからゴールまでの道のり書かれてるから道標としては秀逸すぎる。
だけど、自分の未熟さのせいで次へ次へってなっちゃって、ダメだったなw
一つだけ大切にする姿勢でまた取り組んでみようかな。
一生それだけ続ければいいや的なゆるーい感じで。
>>730 ググってもそういう情報が見つけられないから
根拠を提示してもらえたら嬉しい
>>735 人間としてのまったき完成というか、
「そんな人ほとんどいないだろ」っていうレベルの要求だから
いきなりできなくてはいけないと思う必要はないのでは
>>739 でも、がんばってオーラ見えるようになりたいです。
何のために?
手段の目的化は日常生活含めた健全な歩みの敵だな
「特別な能力」に惹かれている人には危うさを感じてしまうなぁ
オウムに行った人もみんなそうだと思うし
そういう反応が返って来ているであろうことは寝ている間にわかりました。
それはそれで、いいんです。
自分には、ささいな個人的理由があることなので。
自然の心情を本当に知りたいならば、詩人たちの集うところにそれを求めなければならない。
そこでなら自然も胸襟を開き、霊妙なるその心を吐露してくれるのである。
だが、自然を心の底から愛するのではなく、自然のあれやこれやの点だけに驚嘆し、
そうした点だけを知りたいのならば、自然の病室や納骨堂を足繁く訪れなければならない。
(ノヴァーリス「サイスの弟子たち」)
シュタイナーに流れているものの源流のような言葉があった。
あと、
自然を十全に理解しようとする努力が醇化されて憧れに変わるならば、...それだけでもう大いなる収穫なのだ。
とか。
>>744 まぁ、シュタイナーの中に止まっているかぎりは、まず安全だろうけど
インチキ野郎に引っかからないようにね
>>746 その点は全く心配ありません。
お気遣いありがとうございます。
>>748 自分で気づいていないと思うけど、文章から「簡単に騙せるにおい」がプンプンしてるよ
あなたのプライドをくすぐってくる人には気を付けて
>>750 ふふ。
昔、創価学会の人と知り合ってお話したことがありました。
オウムに接近しかけたときもありました。
どちらにも入信しませんでした。
752 :
751:2012/06/15(金) 04:07:26.87 0
シュタイナーの著作を気にかけたり、そこに長くとどまったりするような人は
私に限らず、長い長い過去において、様々な経験を積んでいる人がほとんどだと思います。
でも、気をつけるようにします。ありがとう。
>>747 ありがとう
でも Enkidu出てくるじゃん?
最古層のギルガメシュ説話にエンキドゥが出てくるなら
>エンキドゥってかなり後代(ギルガメシュの死後数千年)の叙事詩には出てくるけど
>数百年後くらいの比較的初期の叙事詩にはそもそも出てこないよね
ということにはならないのでは?
古代オリエント集 筑摩世界文学大系 (1)
に載ってるみたいだけどamazonで高騰してるね〜
感情を通してこそ、あの待望久しい昔日の時代も帰ってこようものを。
感情の元素とは内的な光なのだが、その内的な光は屈折して、より美しく、より強烈な色彩となる。
そうなれば、人間の心の内に星が輝き出て、今自分の目が見ている境界や地平を越えて、
もっとありありと、もっと多彩に、まったき世界を感じることができるだろう。
(ノヴァーリス「サイスの弟子たち」)
ノヴァーリスは秘儀参入者かと思えてくる
エンデ以前に、神智学的秘儀参入を小説化していたんだなぁ
それが神智学的教養に接触した結果なのか、彼自身の体験に基づくのか、
あるいは両方なのかはわからないけど。
ノヴァーリスは芸術家らしく、現象界の事物に嵌入していくような態度があって、
それが個人的に気になる
観念の世界で遊ぶだけでは芸術は芸術になることはなく
芸術は受肉の原理と関わるものだと思うから
人間は自分のもくろむいっさいの事柄に対して、注意力を集中する、
つまり自我をふりむける必要がありますね...
そのようにすれば、じきに人間の内部には、ある不思議な仕方で、思考というか、
ある新しい種類の知覚が生じてきます。...
なによりも注目すべきは、人間がこの遊戯において始めて自己の特質、
自己に固有の自由というものを真に自覚し、
あたかも深い眠りから覚めたかのように、あるいは、
今はじめて世界が我が家となったかのように思う、
そしてそのときはじめて、昼の光が彼の内なる世界の上にあまねくひろがったかのように感じる、
ということなのです。
この遊戯を阻害せずに、
通常通り五感を働かせ、感じることと考えることが同時にできるようになったならば、
人間は最高度まで到達したと思うでしょう。
(ノヴァーリス「サイスの弟子たち」)
これほとんど「自由の哲学」の元ネタじゃんw
ノヴァーリスの影響がここまで深いとは思ってなかった
>>757 そんなに似てる?
シュタイナーは五感以上のものの存在を受け入れろと言っていると思うが。
(まあそれでも似てると言えなくもないが。)
帰依しろとは言ってるが、それは自我を振り向けろって事なのか?
あと普遍的な事柄について書いているほど似通ってくるのも当然
むしろ聖者達の言う事が似通りまくってるのを見てから
シュタイナーを見ると、ひどく独創的すぎて不安になるレベル
「自由の哲学」では「超感覚」という言葉を使わずに超感覚について述べていて
その第一歩として思考の観察を述べている。
ノヴァーリスもまさに新しい器官開発の入り口としての自己観察を述べているよ
シュタイナーの言葉よりもある種詩的な厚みがあるから、
得るものもありそう
ノヴァーリスのみならず、ゲーテやシラー、フィヒテやヘーゲルなどなど
あの時代のドイツは良かったなあ
自分もあの時代のドイツで生きたかったぜ
シュタイナーにもそういう気持ちがあったのではと思ったり
見な
ノヴァーリス、しびれるけど
もし人智学、神智学、ネオプラトニズム的な経路を通らずにこれを読んだとしたら
ほとんど意味が分からなかったかも
なにかしらは心にひっかかっただろうけど
シュタイナーは点と点を繋いで線を作ってそこから面を作るきっかけを想像した人だと思う。
“点”は誰かが語ったこと、という意味ではノヴァーリスやゲーテの後に生まれたのは偶然ではないんだろうなぁ。
シュタイナーに限らず、この分野で何か仕事しようと思えば
先人の知識を統合する作業は必須になるのでは
それぞれが何を参照できたのか、参照したのかも検討しなくちゃいけないのかなぁ
秘教的内容を公開することは禁じられていた、というけど
プロティノスや偽ディオニシウス・アレオパギタの語っていることは十分秘教的
その時代時代に秘教的な内容も公開されているので、
じゃあ秘教ってなんだろう?とも思う
公開情報へのアクセスだけでも、相当秘教的な知識に触れることもできるので。
もっとも、昔は、彼らの著書を入手すること自体が困難でもあっただろうけど
オランダの哲学者フランス・ヘムステルホイス(1721-90年)は、
ソクラテス、プラトンの哲学に拠り、
全宇宙の一元性を説き、この一元的存在者は人間の悟性には到達できないが、
人間のうちにまどろむ「道徳的器官」によって知ることができるとした。
このまどろむ道徳的器官を覚醒と伸張へと突き動かす根源的な力を、
ヘムステルホイスは「愛」と呼び、かつ、
このような高次の〈道徳的な〉認識器官にふさわしい唯一の表現手段こそ「詩(ポエジー)」だとした。
(「ノヴァーリス作品集(1)」解題)
ほぼ新プラトン主義的霊界参入そのままだね
ノヴァーリスはヘムステルホイスから強い影響を受けていたみたい
ノヴァーリスの「ヘムステルホイス研究」は全集に収録されているけど
ヘムステルホイス自身の邦訳書は全くないみたいだね〜
>>59を書いたの自分だけど
人智学・神智学・新プラトン主義系の作家って想像以上に裾野が広そう
ドイツ・ロマン主義自体が、そもそも「そういうもの」だったんじゃないかという気もしてくる
たとえば花を見る時に、その花が周辺に何かを発しているような気がしたり、
花が何か歌っているような感じがしたりする時、
その内的な知覚と思しきものが空想の産物なのか霊的直観なのかを
どのようにして判別すれば良いのでしょうか?
>>769 正しい道を歩んでいる過程でそのような体験があるのであれば、別に気にしないでいいのでは。
それが空想の産物であろうと霊的直感であろうと何の違いがあるのでしょうか。
その出来事に特別な意味を与えたい場合は別の話だと思うけど。
>>770 「いかにして超感覚的正解の認識を獲得するか」の78ページに、以下のような記述があるんです。
「しかしまさにこの困難な地点でこそ、幻想と霊的現実とを混同しないことが決定的に重要になるのである。
・・・真偽を区別する健全な感覚を常に養う必要がある。・・・夢想に耽るようでは道を誤る。・・・」
「勝手に自分で考察したり、方々で聞いたり読んだりした行法を応用しようとしたりすると、脇道に逸れて
しまい、やがては果てしない幻想の小道を辿ることになりかねない。」
また、127ページには、以下のように書かれています。
「・・・この条件が充たされなければ、高次の世界へ参入する代りに、自分自身の主観的な幻想世界の中へ陥る。
真理の代りに、勝手な意見が自己を主張するようになる。神秘修行は、興奮したり空想力豊かであったりする
ことよりも、「冷静」であることによって、その客観性が保たれる。」
シュタイナーはどうやら、幻想にのめり込むようなことがないように、常に自分の精神的なあり方を
チェックしなさいと言っているのだと思うけど、想像したものと霊的なものとの違いについては、
何も言っていないようなので、その辺はどうすれば良いのかなと、疑問に思った次第です。
>>771の「超感覚的正解」は「超感覚的世界」の誤りでした。
質問内容によく適合した間違いではありますが。
モーツァルトの魔笛はフリーメイソンの儀式をモチーフにしているんだね
フリーメイソンのイメージって、人智学を知る以前の「怪しげな団体」のままだから調べてみようかな
エレウシスの秘儀の流れというのは、秘儀の歴史的にありそうなことだと思うけど
なんでそれが石工の職能団体が結び付いたのか?
>>771 言っていることはとても分かります。
私的には、正しい道を歩んでいる確信と、特別な意味を持たせない、が大事なだけです。
その先に「判別できるようになる」があるから。
出来ないのに出来る指針を持ったら錯誤の可能性が広がるだけのような気がします。
なんにせよ、判別できない自分が歩いてゆく道なのだから判別できないのが当たり前だと思う。
正しい嗅覚と感情の節度(特別な意味を持たせない)を持って歩き続ける、で私は満足です。
あなたの望んでいることにちゃんと答えられる人がこのスレにいるといいですね。
勘違い(混同)しなければいいんです。
混同は自分がこしらえた目的ありきの焦りが生むのでは。
俺はオーラのようなものが見えるようになりたいとは特に思わないんだけど
自分の中のもっとも信頼できる部分の声を聞くのって難しいよね
自分の心の声が、どこから来ているのかを判別するのはとても難しい
一番できるようになりたいのは、それかなぁ
私もそうです。
そもそも、正しい道を歩いている確信がもっとも信頼できる部分の声と関係してると思ってるけど、その確信である嗅覚がじゃあ正しいのか、と言われればよく分からない。。。
道徳心を地道に育てるしかないなぁ。
やっぱり、観察対象と観察する者が同じだからだろうなぁ
自分を他人のように観察する行をしないといけないということか
体験の真実性が確かめられるようになる道もそこにあるんじゃないかな
あぁ、確かに。
でもそれまではやっぱり、自分の中に生起する現象を眺めるしかないんだろうね。
ただ眺めるだけ、は自分を他人のように観察する行だし。
変な概念を付け加えなければいいんだと思うよ。
自分の内側にいながら、自分を観察するは難しいから
感覚的には、意識を自分の外に出して、自分を客体化するのかも
俗に言う「幽体離脱」を、低次の霊界参入の記憶じゃないか、と思っていたけど
「自分を観察する体験」をあらわしているのかも
ちょっと、やってみた
自分を表象して、その表象された自分の気持ちを、自分で読み取るみたいな感じ
すると、いつもより素直な気持ちが分かった
意識を広げてるから、やめるとクラッとする感じがあるけど。
これにもっと慣れて、いつでも意識を自分の外に出せるようになればいいのかも
最近はやってないけど、薔薇十字とかの図形を使ったイメージ力の強化も役に立ちそう
「自分」を具体的に表象できるようになるほど、客観的になれるだろうから
自分を客観的に見られるようになるほど、自分をコントロールできるようになるはず
ってことは、表象力からすべてが始まる、とすらいえるかも。
ノヴァーリス「自然器官、すなわち自己の内部に自然を生殖し、産出する道具を持たぬ者は、
自然を把握するには至らないだろう。」
この「産出」は表象あるいは表象をもっと強めたものだと思う
時代が時代なら俺はオウムに入ってたのかと想像してしまって心苦しい
シュタイナーは少しも誤謬に陥ったことがないと考えるのは危険じゃないかな。
どの神秘家も○%は正しいくらいが精神衛生上良いと思う。
>>785 よくわからないけど、かなり貴重そうな感じですね。
自分の能力では解読不能なのが残念です。
ありがたく拝見しました。
薔薇十字の図形ってそのものじゃん。
東電 オーム
----------------------------------------------------
行為 放射能ばらまき サリンばらまき
責任 とならない 処罰
幹部 ボーナス支給 逮捕
広報 だれだっけ? 上祐
791 :
771:2012/06/19(火) 10:42:00.03 0
みなさん、ありがとうございます。すこし、道が開けたかんじです。
花がしおれ始める前の日には、五感で知覚できない領域で少し様子が変わるようです。
その花から受け取る印象に注意していると、それが分かる気がします。
自分がそう感じた翌日に実際にしおれ始めるかどうかを見ていれば、直観か単なる想像かを、確認できます。
とくに持ちがよい花の場合は、この方法で自分の知覚力を試験することができそうです。
新生児と同じように、無欲に自然に、世界に対する認識を拡張していきます。
失礼します。質問させてください。
箇条書きにて失礼します。
@シュタイナーの全集ってドイツ語版でしか出ていないのでしょうか?
A全集がドイツ語だけだとしたら、ドイツ語以外の言語への翻訳の内、最も翻訳された本が多いのは何語でしょうか?
(ネットのアーカイブを見る限りでは当然英語だと思えましたが…)
以上、もしご存知だったりご意見のある方がおられたらよろしくお願いいたします。
793 :
考える名無しさん:2012/06/21(木) 19:25:10.42 0
>>784 それはないなー
シュタイナーへの入り口は、俺の場合は芸術で
書物の中の美や真実の強度をあとづけてきてたどり着いたから、
オウムに行くことはありえない
経路自体が、最初の段階で真逆だと思う
オウムには美もなければ真実もないと思う
自分を客観的に見ようとつとめる時の視線は、守護天使のものじゃないかと思う
透徹していて、悪意も偏見なく、誰に対しても、自分に対しても批判的でなく、意地の悪いところが全くないような、
このような目で世界を見られるのなら、是非そうしたいと思えるような視線。
霊我と天使が重なるというニュアンスを、シュタイナー本のどこかで読んだ記憶があるけど
八正道が目指すところも、自分の守護天使のようになること、ではないだろうか
子ともの時の世界の輝きが、理想的なものなんだけど
あれも人間の目というより、天使に近い目で世界を見ていたから
あんなに美しかったんじゃないかと思う
井筒のいう、個体的「本質」=フウィーヤと
ノヴァーリスのいうポエジー
アリストテレスのいう「現象的存在者を救出する」視点
それらすべてが、天使の視線を獲得した時に得られるのではないかと思う
観念的・抽象的な世界に飛翔するのではなく、
事物の実存性の中に、神性を見るような・・
教会は入り口が西、奥が東と定められていたらしいね
(東は太陽=キリストが昇る方向だから)
四体のケルビム=福音書記者も、それぞれ固有の方角を属性として持つのだろうか?
と、書きながら思ったけど、
キリストを囲む四体のケルビムって、たぶん十字架を下敷きにしているんだろうね
というか、獣帯を基底としたケルビムが四体だからこそ十字架だったともいえるかも
他にもいくつもの意味があることを思うと、
十字架って、キリストをあらわすのにこれ以上ないくらいのシンボルだと思う
合いすぎているから、本当に十字架で殺されたのかが疑問になるくらい
殺す側の人が、なんで敵にもっともふさわしいシンボルでキリストを殺したのか?
太陽と、それを囲む獣帯なんだら、
東西南北、という地上的な基準は超越しているのかな
それぞれのケルビムの位置関係は固定的にあるだろうけど
獣帯の円の各宮の位置は常に固定的なのか?
だとしたらどのような意味があるのか?
という問いと同じだな
ミクロコスモスとマクロコスモスとの照応を考えると
頭=牡牛座だから、
一番上が牡牛座かな?
頭=羊、咽頭=牛、だった
> 占星術による診断の後、患部に影響している惑星の圧力を取り除くために放血が行われた。
放血って瀉血のことだよね、そういう根拠があったのね。へえ。
キリストって、「死んで復活する神」という秘教的な属性を引き継いでるね
ユダヤ教に、ピュタゴラス教団やオルフェウス教、ミトラ教の流れが衝突したものがキリスト教なんじゃないだろうか
世俗の権力と結び付いた人々に異端などと弾圧されてきたけど
実際には秘教的側面こそがキリスト教の本質的な部分のような気がしてきた
西川氏の「極楽」って本が結構売れてるらしいね
エンデの「モモ」は、個人の人生と不可分の特別な「時間」を、
抽象的で交換可能な「時間」に変換する話だと思った
貯蓄が可能になるということは、その前に交換可能になるということで
灰色の男達は、経済の原理を、時間にまで押し広げた。
経済生活に、精神生活を支配させたともいえる。
交換は、経済生活の中にとどめておかなければいけない。
しかし経済生活の中の交換のことを、シュタイナーは、どう思っていたんだろう
商品は市場に出る際に、モモにおける「時間」のように、
固有性を剥奪され、抽象化される。
それは、経済生活においては、「許されること」なんだろうか?
あるいは、「のぞましいこと」なんだろうか?
機械で生産される商品ひとつひとつに、個性なんてあったら、逆に困ることの方が多いだろうとも思う
一方、商品にも個別の個性があった方が、素敵なような気もする
経済生活の中の交換の原理で
無固有化された商品は、
「無固有のオーラ」を纏っているんじゃないだろうか。
生活の中でそれは「どこにでもあって交換可能なモノ」から、
「特別なモノ」になったり、ならなかったりするけど、
意識的に、「無固有のオーラ」を取り除くような、ある種の儀式も、
経済生活の影響を限定的にしておくために、
役立つ気もする。
そういった「個物の祝福」に関して、シュタイナーは語っていないかな
子どもの頃は、市場を経由してやってきたものでも、
特別な事物だったと思う
固有の形態や存在性に、ほれぼれして愛した
個物を自然と祝福していたんだと思う
結局、後から魂は入れられるのだから、
経済生活の中で無固有化されていても問題はないんだろうな
大切なのは精神生活の中にやってきたものを祝福する、ということで
812 :
792:2012/06/27(水) 21:24:08.81 0
>>793 お礼が遅くなりましたが、ありがとうございました
ドイツ語の全集の件、ありがとうございます!
>>190 すごい遅レスで申し訳ないんだけど
それソースは何の本ですか?
きたない話で申し訳ないんだけど、自分うんこがかなり臭いんだよね、他の人なんかに比べても
だから自分は相当に汚くて悪い人間なのかなって、気になってるんだ
それは食べ物の問題やろ。
肉ばかり食ってりゃそりゃ臭くなるわ。
190はただの冗談じゃないの
読んだことない
惑星進化記のアイデアはどこからきたんだろう?と以前このスレに書いたけど、
荒俣宏の「神秘学マニア」にファーブル・ドリヴェという19世紀初頭の人が出てきた
このブログで引用されてる
http://blog.goo.ne.jp/moomoo03/e/1f6256911af900f971c5fb5c7c765819 「かれ(ドリヴェ)は太古の地霊信仰にしたがい,地球も他惑星もすべて「生物」であるとの態度をとった。
神秘学的な意味における地球は,太古に多くの惑星が融合してつくられたものであり,
現在の諸大陸は融合した各惑星の名残りだとする。
しかし陸地がたがいに結合して大陸を形成する段階で,
独りそれを拒絶した月は,進化の道から外れて空間へ弾きだされた。
なかでも最も進化した惑星はアジアで,以下レムリア,アトランティス,アフリカ,
ヨーロッパの順に固有の人種と文化を発展させた。」(「近代神秘学の構造と系譜」『神秘学マニア』)
荒俣氏って、若干俗なイメージがあって(有名だから)、なんとなく視野の外だったけど、
フィオナ・マクラウドの翻訳をしていて、それが至ってまともだったので、他の本も買ってみた
「神秘学オデッセイ」という高橋氏との共著もあるんだね〜
しかしまぁ次から次に知らない名前が出てくるなぁこの分野は・・
社会三分節化の先触れとなるアイデアも、
ファーブル・ドリヴェにあると、「神秘学マニア」にある
興味あるけど、邦訳書は出てないな
月が地球から分離したと言うけど、
物理的には隕石が落ちてきて二つに分かれたと考えて良いのかな。
人智学的にはそういう考え方はないと思う
月だけじゃなくて、太陽や他の惑星も地球から分離していったから、
そのたびにいちいち隕石が衝突してたら大変なことになるw
荒俣氏は、陰謀論ブログとかと同じ手触りだなぁ
博学だけど霊性や偉大さはない感じ
ひどく古さを感じる文章も多い
シュタイナーの文章はまったく古いと思わない
他の芸術作品も同様
たぶん、霊性は古びないんだろうな
バガヴァッド・ギーターもずっと新しいし
>>821 スライムみたいに二つに分かれたとでも?
825 :
813:2012/06/28(木) 14:30:17.30 O
>>814>>815 ありがとう
冗談だといいんだけどね…
ちなみにシュタイナーとケイシー読んでから極力豚肉は減らしてる
牛肉はたまに食べてしまう
あと豚骨ラーメンは週一回食べてる(>_<)
大量生産される物品の中にも
少なくともそれを発案した人間の思考のかけらが含まれている。
香水瓶でもオーディオ・スピーカーでも、他のどんなものであっても、それを感覚器官を用いて仔細に観察する時、
観察者の五感からではなく、観察者の魂に生起して来る何か。それが、工業製品に含まれる人間性の真髄だ。
俺は貧乏だからまともな物食ってないな
朝は抜き、昼はコンビニ弁当、夕方はラーメン、夜は牛丼メガのローテーションで7年経過した
190は冗談ではないぞ。
どこかで読んだことある。
たとえ190がネタでないにしても
うんこが臭い=悪人
ということにはならないと思うけどなw
臭いで決まることはないだろうw
まあネタだと思うけどね
男のうんこは女より臭いことは確か
用語集に糞便の項はないな
糞便についても言及はしてるんだから、ないのもどうかと思うけど・・
見霊者には人間を見ればその人が分かるのなら、
わざわざその人のうんこを見て判断する必要はないじゃないか・・・
地球と惑星の分離って、なんとなくプララヤ状態で行われるように思ってたけど、どうなんだろ
日本の宗教と比べて、
中世のキリスト教は権利を持ちすぎているように思うけど
権力の源泉は何だったのだろう
宗教裁判なんて、なんで宗教が一般民衆に対して警察権を行使しうるのかが分からない
想像だけど、貴族からの莫大な寄付が力の源泉だったのでは?
日本の仏教も、国家権力の庇護を受けたりはしていたけど
キリスト教は世俗に「守られる」立場というより、もっと強大な権力がある感じがする
民衆に対して支配権を持っていて、その気になればどうとでもできる、というような
世俗の支配者を飛び越えて、立法や司法を行使しているような
>>834 >権力の源泉は何だったのだろう
権威。キリスト教から破門されたら人じゃなくなるみたいな感じなんだろうな。
カノッサの屈辱とか象徴的。
国を統べる国王よりも全てを統べる神のほうが上位で、その神だけに使える僕は国家よりも上位に位置している、っつー世界観が当たり前の世界だったんだろうな。
腐敗した教会に破門されたからといって何か意味あんのか?と思ったけど
破門された人とつきあうとその人も破門されたから
社会からの強制的退出を意味したらしいね
教会がおそろしく俗だったんだな
日本の宗教はむしろ世俗の権力からのアジールとして機能した部分もあったのに
端から見るとカトリックって反キリスト的というか、
はっきりいってキリスト教が悪魔に懐柔された組織に見えるけど、
シュタイナーはそこまで辛辣ではないんだな
ツイッターで、十二使徒は獣帯から来ているってつぶやいてる人がいた
キリストが太陽神であることを考えたら当然だけど
気づかなかったな
そうすると、獣帯のひとつひとつに、一人一人の使徒が対応するわけで
それぞれは何なのだろう?
四ケルビムは、既に四福音史家との対応が語られているけど
つぶやいてたのは、陰謀論系の人なんだけど。
なんであの人たちは物知りなんだろうなw
陰謀論系の人は出典の記述を重視しないところをなおしてほしい、といっても無駄なんだろうか
情報は玉石混淆なんだけど、たまに本当に玉がある
陰謀論系の人が出典を記述しないっていうのは、たぶん記述できないからで、
「どこかの誰かが言っていた」ことの寄せ集めだからだと思う
でも、情報源を辿っていくと、そのことを語っていたどこかの誰かはいるわけで、それが気になる
アカデミックな世界でも語られていないようなマニ教とかミトラ教の教義をあっさり語っていたりして
なにものなんだよっていう
誰かシュタイナー全集を日本語訳してくれないかなあ。
どうしても読みたい。
でも自分が今からドイツ語が読めるようになる自信がない。
ここの方でドイツ語でシュタイナー読んでる方はいらっしゃいますか?
既に相当数の日本語訳書が出てるけど
それ全部読んだの?
全部よむことより、今の自分のステージに即した数行を時間をかけて理解することのほうが何百倍も価値があると思う。
学者の知識欲が死後、焼かれることが何となく理解できた
>>845 出るといいよね
いつになるかわからないけど誰かがやるような気もするw
自分も和訳にもアーカイブの英語訳にもないもので読みたいものがある
いや全部読めとはいってないんだけど
既に日本語の本があるんだから、まずそれを読めばいいのでは?
ステージって何?
誰がそれを同定すんの?
自分でしょ
そんな「ステージ」いらねーだろw
「ステージ」とかいちいち考えてる人のステージは低いと思う
低い、ねぇ。
相対的なものじゃないのに
シュタイナーは「ステージ」なんて一言も言ったことないと思うけど
どこから流れてきたんだろう
ほんと気持ち悪い言葉だと思う
確かに気持ちの悪い言葉だね。ステージって。
でも、
>シュタイナーは「ステージ」なんて一言も言ったことないと思うけど
も気持ちの悪いね。
何を、いつ読みたいかなんて人それぞれだろうに
考え方が狭い人が多いね
857 :
845:2012/06/30(土) 02:54:19.40 O
既存の日本語訳を全部読んだわけではないです。
日本語訳が出ていないもので読みたいものがあるし、自分のためにも後世の日本語読者のためにも日本語版の全集が出て欲しいと書いただけです。
858 :
847:2012/06/30(土) 02:58:36.48 0
859 :
845:2012/06/30(土) 03:41:57.25 O
>>858 とんでもないです。
こちらこそ曖昧な書き方で申し訳なかったです。
これからもシュタイナーに恥ずかしくない良いスレにしたいですね。
スピリチュアリズム普及会・・・
全集がいきなり翻訳されるなんてことはありえないけど
GA〜が読みたいとか具体的に書けば、訳者の人が参考にすることもあるかもしれない
あとたまに草の根で翻訳してる時もあるよ
シュタイナー古代秘教講義がもう発売されてたことに気づいた
プラウト経済主義っていうのが
シュタイナーの言葉と近いと思うんだけど
何か関係あるんだろうか
神秘学オデッセイが届いた
高橋氏が助教授時代にドイツ語の講義のテキストに
シラーの「ユリウスの神智学」を使って
その授業を荒俣氏が受講していたらしいw
荒俣氏の神秘学遍歴読んでると、だいたいみんな同じようなプロセスに至るんだなぁって思う
「もしかしたら、神秘学史を介しても一般世界史が語れるのではないか、と思い出しました」とか
>>820 それはレムリア時代の出来事で当時の人間アダムはまだエーテル状だった大地から生まれていた
柔らかい大地の一部が硬くなって分離して人間の肉体になっていた
ただしほっとくと肉体が硬化しすぎる危機が生じたので粗雑な部分(月)をエーテル状の大地から分離した
W・H・ピッカリングの説
地球と月はもともと一つの物体であり、それからどろどろの月が分離したのだという。
その後、修正が加えられ地球は急速に回っているので不安定な状態にあり、楕円体になり短軸の周りを自転する。
そして太陽によっておこる潮汐と、地球自身の固有運動の周期と二つの因子が共鳴すると、潮汐はどんどん高まる。
その結果、ピッカリングは次のように説明した。
地球の一部がふくらんでちぎれた(現在の太平洋がちぎれた跡)ため、地球から月が生まれた。という説
http://www12.plala.or.jp/m-light/notebook/Kigen.htm
「神秘学オデッセイ」、かなり興味深かった
>>59や
>>768で、追いかけてきたことを、既にやっている人がいた
もちろん知らないことも沢山あった
高橋氏は、やはり人智学徒で、霊性を重視している
荒俣氏は、理がまさっていて、若干腑に落ちないところもあるけど、
碩学で沢山のインデックスを持っている
シュタイナーとマリー夫人が交換していた書簡があって、
君が側にいないと駄目だから側にいてほしいとか書いていたらしい
そんな人間くさいシュタイナーの文章読んでみたいな
ローレンツ・オーケンが人間と動物界をマッピングさせたらしいんだけど
やっぱり日本語資料が全然ないな・・
オーケンの名前はGA1とか、「哲学の謎」とかに出てくるけど詳しくはない
シュタイナー自身が、人間と動物界との対応関係を詳しく書いた本がありそうだな〜
犬や猫なんかの身近な動物が、人間のどういう部分が特化された動物なのか知りたい
宇宙的人間論がくわしいよ
ありがとう
買ってみた
神秘学オデッセイ、
有機的なギリシア精神の末裔がドイツで、
論理的なローマ精神の末裔がフランスだっていう話もおもしろかった
個人的にドイツロマン主義や観念論哲学に興味深さを感じて
構造主義におもしろくなさを感じていたのは、そういうことだと思った
エンデがドイツ人なのも、偶然じゃないんだろう
用語辞典のフランスの項みるとギリシア精神の末裔はフランスみたいなこと書いてあるけどな
国民性が悟性的心魂として生きており、ギリシア文化の本質が現われている。
って書いてるね
ギリシア文化期が悟性魂の時代だからでは。
1000年前に、ヴァイキングがフランスとロシアに進軍した結果が、
第1次世界大戦である
これはどういう意味だろう
オランダ
時代神霊が民族神霊として直接介入して、海外での使命を果たすために、
ドイツから分離した国。
だって。海外の使命には日本との交流も含まれるんだろうか
用語集のフランスの項はけっこう散々なことが書いてあるよな
フランス語は美辞麗句の言語だから将来ヴァルドルフ学校のカリキュラムからはずすとか笑ってしまった
あと英語も神智学には向いていないとか西の結社の支配のための物質的な言語だとか
まあそれが真実ならばそう書いてくれてるシュタイナーは本当にありがたいんだけど
個人的にも英語嫌いだし
私が義務教育時代に英語が毎回赤点だったのもそのせいだね
むしろ私は正しかったんだ
しかし用語集や比較的新しい訳本の西川先生の訳語はどうにかならないのかな
精神的自己とか生命的精神とか
たしかにガイストって霊と精神と両方の日本語訳がありうるけど
高橋先生の訳語の方が適切だと思うことしばしば
>>874 ギリシア・ラテン文化期→第五文化期
・ギリシアの精神→ドイツへ
・ローマの精神→フランスへ
ということかな?
第五文化期=ゲルマン・アングロ文化期かと思ってたんだけど
・ギリシア的な内面性→ドイツへ
・ローマ的な外面性(ローマ法やラテン語などの役割)→アングロ系
だと個人的に考えてた
ただ『民族魂』を読むと、第五文化期の指導的な霊はフランスの民族霊、と読めなくもない箇所がある
フランスはケルト、ラテン、ゲルマンの諸文化が混淆しているから納得していた面もあるんだけど
シュタイナーの古本もよく買うけど
ときどきお香か香水みたいないいにおいがする本がある
元の持ち主は部屋にお香焚いてたのかなー
>>528 これ思い出した
名前分からないんだけどスピリチュアル好きな人がよくやってる二種類のお香か香水の組み合わせてるやつあるよね
あれかもしれないな
神智学の本でも、お香で空気を浄めるのはいいみたいなこと書いてたな
シュタイナーは道具を使った、いかにも「いわゆるスピリチュアル」的なものについては語ってないね
あくまで身一つでやるっていうか
>>882 薔薇十字にちなんで薔薇の香水を愛用していますです
>>880 「霊」って言葉も、日本語だと妙な色ついてるから(おどろおどろしいニュアンス)
「精神」でも「霊」でも大差ない気が。
いまだに「霊人」っていう言葉に「幽霊」的なニュアンスを若干重ねてしまうところがある
エーテル体や肉体が霊化するって、どういうことなのか、よく分からないな
「自我だけの存在になること」と、
「自我だけでなく、霊化したエーテル体や霊化した肉体を具有すること」は、
どう違うのだろう
霊的ヒエラルキアの高い要素を具有することによって
何が出来るようになるのだろう
霊化されたエーテル体、肉体を持つってことは宇宙環境で生き存在の
役割を行使できるってことじゃね。
自我だけなら何かを認知し理解し何かをしようとするが何もできないってことだろ。
とりあえず、瞑想で薔薇十字のイメージが、ほかの意識に流されずに固定できれば
少しずつ霊化してるとして尊敬するけど。やっぱり難しいから、実感できるのは
修行の延長線にあるんだろう
物質界でエーテル体や肉体があるからこそ意志的になれるように
霊界においても意志的になれるってことか
民族間の征服・被征服関係が神話に反映されるという考え方があるけど
シュタイナーはどう考えていたのかなー
たとえば日本だと大国主は被征服民の神だと言われたりする
神話に対する唯物史観というか、神話が政治の道具にされているようで、
何か違和感がある。
征服の正当性を補強するために国譲りの神話を政治的に作りあげる、
というようなこすっからさは、神話を生み出す叡智とは距離がある気がする
日本以外でも、敵の神が悪魔にされたりする
そんな相対的なものだとしたら神って何なんだ?と思う
「ヨーロッパ古層の異人たち」っていう本に
正月も冬至が終わってこれから春を迎えるための行事だと書かれていた
「年の初め」が先に決められたのではなく、冬至から、「年の初め」が決められたのは
言われてみれば当然だけど、気づかなかった
でも冬至から正月までの日数は、どうやって決められたのだろう
シュタイナーはこの世界に存在しないものをイメージしろって言ったけど、
「この世界に存在するものをイメージすること」も難しいよね
春分点や黄道を、イメージを伴って理解していなかったから、やろうとしているのだけど
地上からの視点と宇宙からの視点が混在していて、難しい
情報として知ることと、イメージすること=脳裏にそれを自分で作ること、は全然違う
こういうことをすると、表象力が思考力とほぼイコールだということがよく分かる
今まで苦手なイメージ作業を帰納的な発見の作業に置き換えて乗り切ってきたから
イメージ作業してるとかなりストレスを感じるけど、
ここにこそ鍵があるという感じはする
数学が、イメージ作業に不可欠だということも実感する
北方の秘儀では、弟子の自我を助手たちが支えました。助手たちは秘儀を伝授する導師をも支えました。(...)
弟子の魂が高次の世界へ参入し、そこで得た経験をほかの人たちに伝えることができるように、
この魂に強い自我の力を送り込むには、一二人の助手が必要でした。
すなわち三人の「春の人」、三人の「夏の人」、三人の「秋の人」、三人の「冬の人」の一二人です。
この人びとが集って、一団を成していました。その伝統は、もちろん退化した形で、今日の結社の中にも残っています。
(「照応する宇宙」)
この十二人は、当然一人一人が月に対応しているだろうけど
十二使徒にも対応していそう
日本の旧暦について調べていて気づいたんだけど
春夏秋冬は、昔は太陽の動きに即していて、
それぞれ春分、夏至、秋分、冬至を中心とした三ヶ月のことを
春、夏、秋、冬と呼んでいたんだね
そして新しい春が来ることが、新しい年がくることとイコールだった。
今の感覚だと、太陽の動きに無頓着で、
気温や風のにおいで夏だとか秋だとか、主観的に判断しているけど
昔の人は、太陽の動きをとても重視していた
経済の領域においては二つのことが非常に重要です。
第一は貨幣の循環を維持しなくてはならないことです。
貨幣が購買力として活用されない時、貨幣が滞留したままである時、経済はダメージを受けます。
第二はもし、貨幣が経済的な均衡と安定をはかる能力を失ったら、貨幣は富の不均衡を引き起こします。
(プラウト経済主義_bot)
シュタイナーやエンデの主張とほぼ同一だけど関係はあるんだろうか
もちろん、単なる事実なので、無関係の人が言ってもおかしくはないとは思うけど
十二使徒は獣帯と結び付いていて
獣帯は歳差運動によってプラトン年単位で周回しているのだから、
季節と十二使徒は固定的には対応しないか
意志的にイメージすることは、「意志」にほかならないと思う
一方、自分の意志と関係なく、勝手に脳内で再生されるイメージ像、
妄想と言われるような種類のあれは、何なんだろう
「妄想」が一度でも建設的な作用や結果を生んだことがあるだろうか、
と考えてみると、多分一度もない。
両者は、脳裏に浮かぶ像という意味では共通しているけれど、
印象も作用も、まるで違う。
あれは、なんなのか?
表象することは、「思考」。
意志と真逆のベクトルを持つけれど、重要な行為の片輪
一方、曖昧な印象や、感情への刺激を伴いながらあらわれる表象もある
通常の表象ははっきりとした輪郭を持っているけど、
それの輪郭は、ぼんやりとしている
そして感情に作用しようとしてくる
あれは、なんなのか?
睡眠と覚醒の境界上にいる時など、他人の思考や感情らしき物を突然キャッチすることがある。
気をつけないと、それらが自分の感情に影響を与えようとする気配もごく稀に感じるが、
もちろん、そんなものは絶対に受け入れない。
あるいは場合によっては、単に自分の健康状態を反映した印象に過ぎないのかも知れない。
それが高次の存在の場合は、自分の場合は、部屋の空気がかすかに変化した気分の後、
明確な表象ではなく漠然とした「感じ」として受け取る。
そんな時は受け入れようとも拒絶しようともせず、ただ大人しく座っていることにしている。
健康的な意志を働かせていない時に、不健康な「意志のようなもの」
健康的な思考(表象)を働かせていない時に、不健康な「思考のようなもの」
があらわれはじめるように思う
それらは自動的で、曖昧で、印象としては、まさに魔のにおいを持っている
たぶん、その根源には魔的な存在を見出すだろうけど、
当面はそれは別に良くて、
魔に対抗するのに、超感覚は別に必要条件じゃない
超感覚がなくても魔に対抗することはできる
それが重要なことだと思う
シュタイナー本で「意識的」を検索すると、まぁ沢山見つかる
シュタイナーはこの意識的という言葉をまさに意識的に
重要な用語として使っていたのだと思う
意志と思考のことばかり注目していたけど(意志と思考の中間にあるのが感情だから、
意志と思考よりも本源性に関しては一段劣るような気がしていた)
自分がやっていることが正しいか正しくないかを「感じ取る」のは感情だね
重要な機能には変わりない
というか真善美に関わるのだから、もっとも崇高で高貴かもしれない
表象に似ているけど、どこが違うのかな
感情は真善美の入り口だから、いわば天使の声とも言えると思う
そう思ってきたし、だからこそ人智学にたどり着いたのだけど
すべての感情が天使の声なのかといえばそんなわけはない。
にも関わらず、自分は感情をとても優先してきた部分がある。
正統的な感情と、不正な感情を見分けるにはどうすればいいのだろう。
「思考のようなもの」「意志のようなもの」と同じように、
「感情のようなもの」が働いているのではないか。
真善美を見つけ出すことが感情の最高の機能だとすれば、
億劫さとか、面倒さとか、恐怖といったものは、
もしかしたら、本来的な意味での感情ではないのかも
自然科学は、「恐怖にも特有の機能がある」というような説明をする
シュタイナーは、「恐怖を感じてはいけない」という
両者をどう止揚するのか。
動物に恐怖感がなければ、天敵や人間に捕獲される危機がますだろう
でも、機能性を逸脱した、むしろ機能性をそこなう恐怖もあるし、
人間の感じる恐怖は、ほとんどがそうかもしれない。
自然科学は、「かつての名残だ」というけど
その説明では心からは納得できない。
霊界の秩序と調和を理解するためには、星の世界、特に太陽系諸惑星の運動が
霊的本性たちの行為の外的な表現であると思えなければなりません。
時計の針の位置から現実の推移を読み取ることができるように、星と星の関係を宇宙時計として見るのです。
或る惑星はこの星宮に、別の惑星は別の星宮に位置しているのが見えます。
このことを霊的な本性たちの行為であり、そして黄道十二宮そのものを霊的な本性であると見るのです。
そうすれば、この比噛によって、霊界で生じる事柄を大雑把ながら表現できるのです。
(「照応する宇宙」)
こういう占星術的な理論について書いてるシュタイナー本ないかな?
黄道十二宮そのものを霊的な本性であると見るというけど
どういう霊的本性なんだろう?
>>908、909
シュタイナー 「星と人間」
エリザベート・ムルデル「星空への旅」
あたりを読め
星と人間って、買ったけどまだ読んでなかった
ありがとう
>>911 おれも買って読もうと思ってすっかり忘れ、本屋でこれ読んでねえわって同じ本
買ってしまったってことあるしな。シュタイナー本が多いうえに出版社、装丁も違う
のが多いから上手く整理しないとどの本のどこに何が書いてあったか探すのも
苦労するときがある。
しかし夏場はシュタイナー読んでも暑くて頭まわらんわ。
読書の時期じゃあねえな
今度「自由の哲学」の入門書みたいなのが出るけど買って読むか
自力で読み砕くか迷うな。
>>912 >今度「自由の哲学」の入門書みたいなのが出るけど
kwsk
>>912 >今度「自由の哲学」の入門書みたいなのが出るけど買って読むか
おぉ!
>>913 イザラから シュタイナー" 『自由の哲学』入門
シュタイナー思想を理解するための必読書であり、人間が生きる指針として重要な『自由の哲学』。
必読書でありながら、あまりにも難解と言われた『自由の哲学』を、わかりやすく解説した初めての書籍です。
シュタイナー教育の本質を知るための必携書。関連書籍も多数紹介。素朴な疑問に答えるQ&A付き。
(前書きより抜粋)
本書は、現代の社会のあり方に疑問を感じる人に読んでもらえたら、との願いをこめて執筆しました。
八方ふさがりのように感じられる現在の社会において、希望の見える方向を指し示すことのできるのがルドルフ・シュタイナーの思想であり、『自由の哲学』(高橋巖訳、1987年〈イザラ書房〉)であると筆者は考えているからです。
「自由」「平等」「博愛」を謳った一七八九年のフランス革命がなかったとしたら、自由は今日ほどの重要性をもたなかったことでしょう。
とはいえ、現代ほど「自由」が行き渡っているように見える時代はなかったと思われるのに、そこで生きている人々は、環境問題をはじめ様々な社会問題に悩まされ、住みにくい世の中になっているように感じているのではないでしょうか。
これはなぜなのでしょうか。どうしたら、希望の見える未来に向けて歩いていけるのでしょうか。そのために今、何をしたらよいのでしょうか
今井重孝さん著ね。8月2日発売だそうだわ。
自由の哲学といえば、「人間の意識的行為」から始まる
目覚めて行動していてもなお、意識的に行っている行為は実は少ない、という自覚が萌した最近になって
やっと「意識的行為」という言葉に含まれた深い意味の片鱗が分かるようになってきた気がする
自由の哲学読み直してて思ったけど、「理念」も重要なキーワードだね
概念とほとんど同じような意味と思ってたけど、イデアなんだ
神的なものからやってくるイメージともいえるかも
自由の哲学の自由って、何からの「自由」なんだろう
悪魔からのかな?
道徳的想像力を使って、理念界を物質界に顕現しろという
なるほどそうした時に、もっとも嬉しく、気持ちよく、自由を感じるだろうことは想像できる
でも、神的な意志からは自由になっていない、とも言える。
それに従うことによって、もっとも自由を感じる指示が、天使の声なのかもしれない
でもなんで自由を感じるのだろう
自由とはそもそもなんなのか?
「自由な存在とは、自分が正しいと見なすことを欲することのできる存在である。」
人間は常態として不自由な存在で、
神の声に従うことを自ら選択することによってはじめて到達できる境地のことを自由と呼ぶということかな
たしかにそこには、強制的ではない、意識的な選択がある
いやそこにしか意識的な選択はないのでは?
>>902 同じような朝を迎えることがあります。
あきらかに自分の思考の結果やその裏でもないであろう他所からのもの。
もちろん入れたりはしません。
高次のものと思えるようなものは後が爽やかであったり暖かであったり。
ありがたく感謝をしています。
「覚醒時に他人の思考や感情が飛び込んでくる」なんて現象
シュタイナー言ってたっけ?
それは統合失調症の症状では?
今、学生さんは夏休み
とても感情的な子供だったけど、
ある時から、なんで自分がこんなネガティブな感情を表出しているのかと、気になりだした。
その後、これは例えて言えばラジオの電波みたいなものではないかと、思い当たった。
今は、理由の無い不快な感情を自分のうちに感じた時は、それがどこか外から来たもの
あるいは外から来たものに触発された結果だと理解できるようになった。
数ヶ月に一度くらいの頻度。
高次のものと思えるようなものは、深い瞑想ができた時に受け取る。
感情が外から来るとか、安易すぎないか?
自分の責任による、自分の感情だと思うよ
なに人のせいにしてんの?って思う
責任を他人になすりつけるような態度は人智学的ではないよね
他人の態度すら自分の責任ではないかと考えるのが人智学だよ
他人の感情が飛び込んでくるがそれは受け入れないなどとドヤ顔で言うのは人智学的じゃないと思う
責任の所在の話ではない。
これが自分の思考であり感情であると思い込んでいるものが、実はそうではない場合があります。
我々はみんな、多くの思考と感情の海の中を泳いでいるようなものだから、
他者からの悪影響は受けないようにした方が良いということです。
シュタイナーの著作ではありませんが、神智学大要の想念波、想念伝達のメカニズムの項目などが参考になります。
自分はむしろ反対に、他者の思考や感情に割り込んでるような気がする……
それは成長の印、おめ!
神智学大要は著者が霊界参入者じゃないし玉石混交な印象
統合失調症でないと何故言えるだろう?
発想に不健康さを感じる
シュタイナーは、何かを人のせいにすることが皆無だった
他人からの悪い想念の防御法とか神智学大要には書いてるけど、
シュタイナーは全くそういうことを語らなかった
自分はそういうシュタイナーの態度をこそ尊敬する
統合失調症であるとも言えないし
統合失調症でないとも言えない。
行く手に岩があれば迂回して通る。迂回するのは、そこに岩があるからだ。
まっすぐに突き進んで岩にぶつかればそれは自分のせいだし、
迂回して先へ進むことが出来ればそれは自分の正しい判断のおかげ。
よけて通るのは必要なことだが、それは岩に責任があるというわけではない。
いずれにしろ人智学の範疇ではないね
シュタイナーはそういうことを語っていないんだから
人智学の範疇はシュタイナーが喋ってることなんだ。。。
そういう表現の仕方は凄く肌に合わないな
シュタイナーの書き残したものに専心する行き方は
一つのカリキュラムに沿って学習するということだから、
よく整理されて秩序のある知識を得られるという利点がある。
時にはそこから少し外にある考えにも触れてみるという行き方は
視野を拡げてくれるし、新鮮な刺激にもなる。
どちらにも良いところがある。
僕は今、双方のよいところだけを見るようにしたのだけど、
シュタイナーは物事を批判的に見てはいけないと言ってはいないようだ。
批判したり裁いたりしようとする自分の態度の中に、何がひそんでいるのか、
そこに注目することが肝要であるらしい。
>>937で言いたかったことは、
>シュタイナーはそういうことを語っていないんだから
から、人の尊厳に関わる大事な事柄に対する侮辱に似たニュアンスを感じた、です。
>>938には賛同します。
>>937 それはそうだろう
出鱈目な内容まで人智学に取り入れる意味は?
>>940 「他人の思念から身を守る」という発想の中に、
まさに人の尊厳を踏みにじるものを俺は感じる
シュタイナーはそんなことは語っていないし、もし今生きていてもそんなことは唱道しないと思う
自分の中にこそ悪魔を見るべきだと思う
俺って悪い人間だよなあっていつも思う。
でも特に自分自身としては問題ないのであまり気にしない。
人に親切にすると非常に気分がいいし、
悪い奴や間違えてることを指摘したり非難すると快感だね。
人より知識があって相手が理解出来ないと優越感に浸れる。
というわけでシュタイナーはおもしろいので読みはするが行は絶対しないし
成長や進化なんて望まないな。とりあえずは。めんどくさいし。
このスレの住人達はこういう俺は嫌いかね?
嫌う理由がない
人の尊厳を踏みにじるものは世界中に溢れかえっている。
自分がそれらを見聞きした時の思考の内容と、
その思考が生じた時に自分の中で何が起きているのかを良く見ることが重要だと思う。
>>943 好き嫌いは感じないが、せっかく読んでも行に使わないのはもったいないなと思いました。
>>941 >出鱈目な内容まで人智学に取り入れる意味は?
出鱈目な内容を人智学に取り入れろ、なんて一言も誰も言ってないと思うよ。
人智学が「シュタイナーの言ったことだけ」なら、人智学の未来は明るくないかもしれないね。
それにその受け取り方は教条主義的だと思う。
行を進めてゆく中で個人の体験として本に記載されていない細かい事柄が実際に生じる。それは、妄想のケースもあるし、そうでないケースもある。
その内容をシェアするのは別に悪いことではないと思う。
それよりも、そう言った内容に
>>936のようなリアクションをとることのほうが悪いと私は感じる。
ちなみに、辞書から
「憎しみに満ちた思考は他人のエーテル体とアストラル体に矢のように突き刺さる」
このように、思考は個人の中で孤立したものではなく、もっとインタラクティブなものだと思う。
>>942 >「他人の思念から身を守る」という発想の中に、
?
「他人の思念に気付いて意識的に同化しない」って言ってるように私は理解しましたが。
人によって違うバイアスがかかりますね。
シュタイナーが語っていない、というのは理由はマイルドに言った結果であって、
全然人智学的じゃない、というのが本音だよ
シュタイナーが語っていなくても人智学的なことは、もちろんある
それは純粋な意味での人智学ではないかもしれないけど、人智学的ではある
睡眠と覚醒についてシュタイナーはくり返し語ってるよね
睡眠と覚醒の間に他人の思念が見えるということが霊的事実であれば、
シュタイナーもそのことについて語っていると思うけど
>>948 >「他人の思念に気付いて意識的に同化しない」って言ってるように私は理解しましたが。
そうですね。どんな思想家ががそれを言ったのか、あるいは言わなかったのかということよりも、
それこそが肝要なところだと、私も思います。
>>951 睡眠と覚醒の中間点に位置する意識状態が、
超感覚世界からの印象を受け取るキーポイントです。
偽物といんちきに溢れているこの分野で
霊的事実の取り扱いは慎重になされるべきだろう
他人の思念を、自律的に自分に悪影響を加えてくる何か、身を守らなければいけない何かと見る考え方には
カルトに傾斜する危険性を感じるよ
他人に対して暗黙的に高みに立てて気持ちがいいだろうからね
そういう意味で人智学的ではないと思う
むしろシュタイナーは、霊界参入においてみずからのいたらなさやおぞましさと直面すると言っているのに
なんでそこに他人の思念などという要素が入り込んでくるのか
だめだこりゃ。。。
だめのようです。
様々な考え方があるのですね。
>>957 >様々な考え方があるのですね。
うーん。個人的には教条主義的な態度は酷く人智学的ではないと思う。
内容の受け取り方も酷く、自分に都合がよく捻じ曲げてるし。
まぁ、この議論の先に何か有意義なものが生まれるとは思えないからこの話はここら辺にしときます。
>>947 の
「憎しみに満ちた思考は他人のエーテル体とアストラル体に矢のように突き刺さる」
について議論できる人はいないんだろうか
>>959 比喩的表現しかできませんが、魂の周波数を変えれば良いのではないでしょうか。
周波数をさらに高度という比喩にして表現すると、
憎しみに満ちた思考は地上1mあたりの高度で飛び交っています。
それなら、自分は高度5mとか10mとかの位置にとどまれば良いのです。
有り体に言ってしまうと、笑って楽しく明朗快活にしていれば、憎しみに満ちた思考の影響は受けない、
ただそれだけのことなんですけどね。
憎しみに満ちた思考は他人のエーテル体とアストラル体に矢のように突き刺さるのだから
自分の思考を浄化しなければいけないというのが人智学的な態度だよ
何故それを「他人からの攻撃」と曲解するのか?
そのような意見はシュタイナーの評判を貶めかねない
何度も言うが、それはまったく人智学的ではない
自分のトンデモ思想を説明するために人智学を「利用」する人が時々いるようだね
そのような傾向への防波堤として、テキストを尊重する態度は重要だと思った
周波数とかほんとやめて欲しいわ
トンデモ思想系の人はオカルト板でやっていればいいと思う
人智学とはまるで関係のないことなのだから
やはり、夏休みになると空気が変わって来ますね。
>>963 あなたなら、どんな比喩表現を用いますか?
>>902 <<921
のどこをどう読むと、「責任を他人になすりつける」とか「他人の思念から身を守る」とか「他人からの攻撃」とかの曲解が出来るのだろうか?
それこそ、その曲解を「人のせいにしてはいけない」し、「自分の思考を浄化」すべきなんだろうなぁ。
言語の中に私たちよりも賢明な霊がいるのです、とシュタイナーは言ったけど、
最近、本当にそうじゃないか、と思ってきた
それで、文法や美しい文章に対して、検討を加えるという作業をしている
すると、やっぱり発見がある
言葉は、自分にとって一貫して大切なのものだったのに、
それについて真剣に考えたのははじめて。
今までなんでしなかったんだろう?って思う
言葉を尊敬している自分を見出したっていうか。
言葉を尊敬するなんて思ってもみなかったよw
でも、尊敬できたことが嬉しい。
ニューソート信者が混じっているな
レッテル貼りは褒められた行為ではない
まあ、夏休みだし、小言をいっても止まらないよ。
大人げなかったです。お騒がせしました。。。
ニューソートってはじめて知った
自己啓発の源流なのか
>>946 シュタイナーは読むがはっきり成果が時間的数値で確定
されていないことはしない主義だよ。
まあなんだかんだ言っても、シュタイナー?何言ってるんだ
このおっさんはと思ってるおれみたいなのが割とシビアに本
は読めてると思うな。
自分に正直でないと実際自分が抱いているものなんて
見せかけやごまかし、あるいは幻影だわ。
行やよい人間になろうなどとはつゆも思わないが
まあ賢い人間ならそういう風な努力はまず自分が
悪い人間だということをしみじみ知らされるという
ことはシュタイナー読んでてもわかることだ。
きれいごとが文章で出るようならば行の前段階
にまだいると思うとだいたい合ってるな。
通常の人間の心理を研究したおれから言わせると
辛辣だがそういうことになるかな。
リアルな心霊写真が撮れた話を知り合いから聞いてかなりブルーになった
この世を彷徨う霊、いわゆる幽霊って人智学的にはどういう存在なんだろう
シュタイナー自伝の中に、親戚の幽霊を見た話があったけど。
幽霊という存在がどの程度存在しうるのか、
また「心霊写真」という現象は本当にあり得るのか。
人智学してるから霊の存在はほぼ信じているけど
それがカメラに映るなんてあるかな
神智学大要には、人間が捨て去ったエーテル体に元素存在が入り込んだりするとか書いていたような
国に猛烈な恨みを持って死んだ霊達が日露戦争でロシア側を敗北に導いたとか書いていたな
欲界にいる時には、恨みに基づいた現実への干渉が可能だということか
そのような霊は「幽霊」なんだろうか?
私たちが人を見る時、まず、姿・形が目に入ります。
接してみるとその人の感情や心が伝わります。
それだけでなく私たちはその人の人間性や精神性のレベルがあることに気づきます。
人間は三層からなります。
第一層の肉体、第二層の感情や心に対して、第三層として精神性が実際にあることを見いだします。
(プラウト主義bot)
人智学そのものじゃないか
シュタイナーはいつも、できる限り真理について述べているので、
限りなく真理に近づいた賢者たちと同様の見解が随所に見られるのだろう。
あとから似たようなものを表すと過去の寄せ集めだみたいなこと言う人もいるが
よく考えれば進化で微妙に上方が変化したとしても見てるものが同じなら
表すものも似てるか同じなのはとうぜんだよな。
プラウト主義は、botのツイートを見る限り他にも人智学と重なる部分が多いので
なにか繋がりがあるんじゃないかと踏んでいる