1 :
考える名無しさん:
平和って何?どういう状態?
争いが存在しないこと?
例えば核抑止論
あの机上の膠着状態による争いの根絶は平和と言えるか
例えばガンジーの非暴力主義
これを貫く人は寧ろ平和を脅かされることが常ではないか
例えば心の平静
ある人にとっては他人を虐げることでこれを保っているかもしれない
そんなことを考えてしまうのです
2 :
考える名無しさん:2012/02/25(土) 23:17:25.21 0
無慈悲な鉄槌
無慈悲な懲罰
無慈悲に撃滅
無慈悲に粉砕
無慈悲な報復
無慈悲な報復打撃
無慈悲な対応措置
無慈悲な軍事的措置
無慈悲な軍事的打撃
全般的な戦線で無慈悲に対応
容赦ない攻撃
容赦なく撃墜
容赦なく処罰
容赦ない軍事的措置
全般的前線での容赦ない粉砕
際限の無い報復打撃
より恐ろしい懲罰
全戦線での全面的軍事打撃行動
再侵略戦争の砲声
報復聖戦
未公開で最先端の世界的な打撃力量と安全保衛手段がある
この世の誰も体験したことのない最も厳しい懲罰
先軍の銃でことごとく一掃
本当の戦争を見せる
絶対に無事ではなくなる
想像できない破局的な結果を招くことになる ← it's New !!
あぼーん
青い鳥の事です
求めれば飛び去り、捕まえたと思えばそれは別物
赤い羽根募金が集められることです。
7 :
考える名無しさん:2012/02/26(日) 01:31:51.59 0
平和とは戦争の対概念であり戦争の否定という意味でしか理解できない概念でありまして
したがって右の否定の左、上の否定の下とおなじでありまして
それ自体を単独で考えるとドツボにはまるといいますか
寧ろおバカおっと失敬つまり徒労におわると思われるのです
あぼーん
fxgsrg
あぼーん
11 :
考える名無しさん:2012/02/26(日) 09:21:37.90 O
>>7 平和が戦争の対概念だったとして、それは平和の価値を損なうことにはならない。
健康は病気の対概念、裕福は貧乏の対概念だが、それは健康や裕福の価値を損なうことにはなるまい。
12 :
考える名無しさん:2012/02/26(日) 16:54:27.46 O
>>11の続き
人間が幸福に暮らせる状況が平和。
それをぶち壊す最たるものの1つが戦争。
因みに非暴力主義は正義の貫徹。
正義に殉じることを幸福とする。
13 :
考える名無しさん:2012/02/26(日) 20:27:24.80 0
青い鳥
人を呪わば穴二つ
赤い羽根
相手を地獄に送る代わりに
心の平静
あなたの魂も
想像できない破局的な結果を招くことになる
死後
求めれば飛び去り
地獄に行く事になるわ
捕まえたと思えばそれは別物
あとは、
憲法9条さえあれば
あなたが決める事よ
真理
いるのかい?
あぼーん
15 :
考える名無しさん:2012/06/12(火) 02:28:07.99 0
平和って何だろうって考えられるだけの余裕のある世の中
結局、福島や宮城の人立ちを助けてあげるボランティアてマスメディアによるマインドコントロールだったんでしょ。
17 :
考える名無しさん:2012/06/21(木) 10:38:51.30 0
「人々が、平等を重んじることで人類に和が訪れた状態」を平和と言います。
社会において、個人の感情に基づいた決断の積み重ねが道徳となる。
国際社会においては一国家が一個人の様に、国家内で正当に決められた感情を
元に行動し、その積み重ねをもって国際社会の倫理は作られる。
憲法第9条を守り、抱くことは日本という国家が超人として、アンガージュマンしていくことに他ならないのである。
19 :
名無しさん:2013/01/06(日) 19:42:09.96 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
戦争と戦争の間にあるインターミッション
戦争とは何でしょう。平和とは何でしょう。
戦争は日常の話し合いの延長で解決できる状態でしょうか?
私は違うと思います。
おそらく国際間の特別な状態です。
ですから、戦争は避けられるのなら避けるに越したことはないのですが、
その選択肢は必ず存在するものです。
さて、「平和を守れ、戦争反対」を唱える人達がおります。
つまり「話し合いで解決せよ、戦争の手段を選択することがそもそもいけない」。
戦時には戦わず、戦わずして可能な選択肢を選べ、と。
なるべく戦争を避けようという思いは同じに思われますが、
戦争を日常の話し合いで解決できると見なしている点が違います。
でも、日常の話し合いで、敵と見なした相手と何を話し合うのでしょうね。
戦争になる前に日常的にテロをおこない、やっつけてしまうつもりでしょうか。
戦時ならぬ平時なのに「敵」と認定された人達には迷惑な話ですね。
自分たちは普段、「敵」と見なす相手にどんな行動を取っているか反省するべきです。
みずからの生き方の大元に必ず「敵」を想定し
それとの闘争が日々の毎日の原動力になる。
これはマルクス主義ではありませんか。
左翼に限らず同じような思想を抱く集団は結構存在します。
日常生活において「敵」が必ず存在する暮らしでは、
水師営の会見の「昨日の敵は今日の友」は理解できず、
ルワンダの虐殺やスロバキア内戦を非難できないでしょう。