×自適
○知的
ああ、スピノザは世界は人間を超えていると言い、ある認識をその点から相対化しつつ排除してしまうような人ではなかった
スピノザは、一人の人間としての自分から出発して、自らの尺度で世界を因果論的に解釈する事を批判している様に思う。
でもこういう事は止めないといけない。それこそ低レベルな偏見を撒き散らして面倒を大きくするだけ。
偏見と無知の批判。
世界を自己の尺度によって偏見的に捉える事も、そのようなある知を無知な自己を正当化するために偏見であると退ける事も、ともに拒否している様に思う。
419 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 00:35:52.22 0
そのレスの根底に貴方の自己肯定への虚栄心がはっきり出てますよ
>そのようなある知を「無知な」自己を正当化するために偏見であると退ける事も
何故敢えて「無知」と入れてるの?
否定している人が十分な根拠を持って否定する事も多々あるでしょう?
420 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 02:28:07.67 0
「無知」と書いたのは「エチカ」第一章に「無知」についての記述が出てくるから。
「」つけるべきだった。
421 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 02:34:59.42 0
世界についての目的論的理解も、その否定としての神秘主義もともに「無知」者による偏見であるという事。
422 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 03:25:15.03 0
宗教は恐怖心より好奇心が勝るものが他者を操るために作られた見えない力
信仰心を持たない者こそが優れた宗教家足り得る
汝疑うことなかれ
此れこそが宗教の目的
数々の自然が解き明かされ宗教家が言いつくろうことができなくなり宗教の後楯を失った多くの王政がその力を失った
知識を悪徳とし倫理を美徳と教えてきた宗教の本質は全てこの一言に集約されている
423 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:32:09.21 0
永遠に存在するものと、消滅するもの
424 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:33:01.39 0
個物は消滅するが、存在するものは永遠に存在し続けないといけない
425 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:41:48.19 0
この個物から倫理を引き出す事は可能だろうか
426 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:44:57.38 0
>>422 それは単にその宗教は神とは無関係だったという事が露呈しただけかもしれない。
427 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:46:58.45 0
疑うのは何か永遠に存在するものを求めてそうするので、それは神とも呼ばれうる
そういう意味では疑う事と神とは必ずしも反発しあうわけじゃない
428 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 04:57:21.23 0
神はいらない、何事も自分の意志に基づいて社交的に、という事でもいいが、
そうすると保守的な生き方をとらざるを得ないのではないか
神なき社交は保守的なものになるのではないか
とりあえず出来上がっている秩序において、自己の望むように生きるという事に疑問を持ったら、
永遠なるものを求める事になるが、それはつまりは神的であると言える
疑うものは神を求める
431 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:10:07.03 0
意味がわからない
神を信じようが未知への好奇心に誘われようが行動は出来る
宗教に対する疑いは神の代弁者への疑い
そもそも神の存在等は日常において意識されていない
432 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:11:26.73 0
>>422は確かにそのとおりかもしれない
真の?神学が既成宗教の非神性を明らかにする
433 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:13:25.34 0
行動は出来る 現にしている
腹が減ったら食べるし、飲みたければ飲む
434 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:13:46.05 0
ただそれは知的かという事
435 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:14:13.00 0
自己の望むように生きる事などもとから出来ていないのにどう疑問を持つ?
常に絶対的とも言える社会権力に押さえつけられて生きている現代人に神を考える余裕はない
慰めとして神を求める人間が少数いるだけ
436 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:16:30.07 0
誰でも望むように生きられるよ 自分の望む範囲内ならば
で、その範囲の狭さに苦しんで神に助けを求める人は多分いない
社会的地位が低いからといって神にすがりつく人はいないだろう
437 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:17:50.47 0
少なくとも資本主義社会においては苦境にあっても宗教には頼らない
なぜならば、自身の苦境には宗教に頼らずにも意味が与えられるから
才能がない、コネがない、やる気がない、、、
438 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:20:23.82 0
近代において宗教を必要としなくなったのは、人が強くなったからではなくて、
苦境が経済的苦境としてすぐに意味が与えられてしまうから
かつてオウムに入信した人たちには知的な人が多かったようだ
社会権力に自己が圧迫されているというならば、社会主義で良いし、政府批判でも良いが、そっちで何となくやるだろうと思う
あるいは国家権力に同一化する事はあるかもしれない
441 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:34:23.56 0
現代において盛り上がるとしたら社会批判で、宗教ではない
442 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:35:32.58 0
資本主義に於いても救いを求める人は多い
ただ求める先が明確にあり学問であり社会福祉制度に対して
過去に宗教が担ってきた日常における恒常的な不安を払拭出来るほどに社会は豊かになっているのだろう
443 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:38:12.79 0
その条件を知って支える事は大事だなあ
大部分の人が恵まれているとは言えないまでも不安を感じずに、観念的な事に興味を持てる、これは豊かさのおかげかもしれない
444 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:39:49.86 0
ただ、スピノザは自己安定のために思索したわけではなさそう
445 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:43:13.38 0
宮台真司が「ここではないどこかをめざす」と、
「ここではないどこかを目指すものの結局ここでしかないことがわかるが、それでも何かをやる」という様に、
素朴ロマン主義と再帰的ロマン主義に分けて考えるけど、
スピノザはロマン主義じゃない そこが決定的に違う
446 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:44:38.25 0
この世に俺の夢の実現を目指すロマン主義と、その幻想性に気づいて冷めながらそれでも夢を追う再帰的ロマン主義があるとして、
スピノザは、その「俺」を疑うので違う
447 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 05:48:52.73 0
つまりはスピノザは神を求めてる事
あえて、は浅田が言ったという「マイルドなニヒリズム」に近いと思う
やっている事は宮台と浅田は似ている気がする
浅田は「構造と力」を、第二次大戦後においてマスイメージの肯定と、合理的だがパッチ的な漸進社会工学の二極での硬直化を解くために
マルクスによりつつ、現状変革のために批評-思想を展開したと言ってる
両方マルクス的であると思う
449 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 06:02:21.52 0
ちなみにここまで語った宗教批判は自分なりのホッブズの解釈です
言うのもアホらしい位両者ともに俺とは才能も勤勉さも違うんだけど
マルクス的というか、ドライと言うか
現代フランス哲学か、ルーマンかという違いはあると思うが、突っ込まない感じはある
浅田と宮台はドライだけど、柄谷は違う
浅田も宮台も、何故か対談が多い
何で対談や語りおろしをメインに単行本を出すのか
454 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 06:14:55.44 0
神なしでインフラ整備をやろうという感じはする
浅田は教養整備、宮台は大衆啓蒙
455 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 06:19:04.90 0
批評できないやつが神とか言っても痛いだけなんだけど
456 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 06:33:50.09 0
個別科学の最先端はフォロ−出来ないし、ラテン語どころかフランス語も読めないし
どうしようかという感じ
457 :
123:2015/03/03(火) 18:00:54.06 0
神は人間を昇華したものである。ホイエルバッハ。神格化。
日本には個人の神社もあるし。
神は人間を昇華したものである。ホイエルバッハ。神格化。
日本には個人の神社もあるし。
459 :
考える名無しさん:2015/03/03(火) 21:01:53.92 0
宗教に神が必要というよりも、
神の教え(指ししめられたルール)を普及するのが宗教なのでしょう。
神とは真理(規則の集合体)の概念的なものでしょう。
神を知らない人に神を伝えるために作ったの名前が神だ
おまえアホだろ。
神がいるのは各自の心の中であり、それを他人が持っている神と
同一だと思ってしまっただけな。
単語として定義した神は信仰の無い神であり、信仰なしで神とか
それこそデタラメと何の違いもない。
461 :
考える名無しさん:2015/03/04(水) 00:05:33.00 0
それは聖書の中のペラペラな紙様では?
八百万の神様はどうなの??
462 :
テキトーな名無しさん:2015/03/04(水) 01:03:54.58 0
ベルボトムとブーツじゃないの
八百万の神様は精霊である
464 :
考える名無しさん:
中世の宗教は確立した主権を維持するための正当性として神を口実とした
13世紀ごろには宗教に対する支持はあっても神に対する信仰が失われていたことが様々文献から伺える
但し政教一体の時代のため迂闊な発言は王政に対する反抗とみなされ死を招いたため配慮された議論になっている
17世紀からは自然科学の発達からと教義との矛盾が誰の目にも明らかになり
教会を取り込んだ勢力と王党派等が争うときに特に激しく追及されそれらの議論により決定的に神への信仰は失われた
現代における教会は政治団体と考えて差しさわりが無い
神とは権威の正当性をしめすシンボルであり新興勢力との差別化の証
また聖書やクルアーンなどを読むと民は直ぐに信仰やモラルを失うと再三書かれており古来より人は具体的には神を恐れていないことが推測できる
信仰が強くなるのは他民族に支配され自らのうちに主権をもてない時
実質的な支配者に対する服従に対するささやかな抵抗として精神的な支配者である神に慰みを求めた
そして支配政権が弱体化する時代では宗教によって民族性を保っていた人たちは司祭を指導者(将軍)として担いで革命を起こす
宗教の弾圧はそんなときに起きる