1 :
考える名無しさん :
2012/02/21(火) 00:16:48.06 O 教祖が布教すればいいだけなのに、なぜ神が要るんですか。 人間だとナメられて相手にしてもらえないから神を創ったんですよね
あぼーん
>>1 神じゃなくて教祖だろ、教祖の詭弁つまりその偶像が神。
信仰と宗教は似ていて非なるもの。
te
仏教に神などいねえ
神が無いから余計に質が悪い
なんでも個人の自由の世の中。個人の自由を制約するのは個人のエゴ。 そのことが暴露された。神は個人が支配エゴを隠すためにでっちあげたもの。 王権神授説、象徴天皇制もそのひとつ。
9 :
467 :2012/02/28(火) 22:49:25.39 O
きっと昔風の概念が神で、それが今は科学概念なんですよ。
大昔のヨーロッパの学者たちが、神がいるとかいないとか、神を証明しようと論理的に考えようとしてたのが僕らには全く理解できませんよねえ、正直どうでもいいですよねえ
神の存在どころか目の前のPCの存在も証明できんよ。
そこまで証明する必要はないんじゃない? 要するに「根源的実在」の証明までする必要はない。 この世がヴァーチャル・リアリティーであってもいい。 その世界で証明できる確からしいことを証明できればいい。
神を利用するのが宗教。 悪い利用ばかりじゃないけどね。
神は存在していいのか? と疑問があるなら・・・。 神は存在しないわけ。 ただ単に相手が尊敬以上の 勤面(キンメン)・・・成長の一つ になってしまったら・・・。 尊敬(いつか乗り越えてやる)以上の 神存在の御記憶があるだけ・・・。
あぼーん
ブッディズムに神は居ない
18 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/26(土) 19:18:12.15 0
ブッタに神がいないは正しいが、正しくない 仏教もインド宗教の流れだとすれば、あえて神がいないは亜流であって、 その証拠にブッタ以降、ブッタそのものから次々と神が生まれていく
19 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/26(土) 19:21:23.79 0
一神教的なものが宗教と考えるの近代的
神は愛すべき対象であってなんやらかんやら.....忘れた
http://search.yahoo.co.jp/search?p=tukipientaeous ~社仏閣の御神籤の吉凶はなぜ連続・起伏しやすいのか
「以心伝心」「霊性感応」「因果応報」エトセトラ…
そんな事を述べていても主観でしかないんですが、お神籤は連続しました。
…15年ぶりの恋愛で、迷っていた折りにお神籤が習慣化したのですが
2010年夏、両想い(と思われる)時には大吉が8回連続しました。
不思議なので写真に記録する事にしたのですが、その後も6回連続しました。
恋愛は叶えられず 震災前に半吉が出て以来 19回大吉は出ませんでした。
写真に記録してあるお神籤の吉凶を俯瞰すると全体的に起伏しています。
大吉の確率を14%(奉仕している寺では50枚中7枚が大吉)で計算すると
大吉が6回連続する確率は1000000分の8。大吉率20%でも100000分の6。
怖さを感じた。この数値を見て。
要するに何がいいたいかというと、神は存在しているという事ね。
22 :
考える名無しさん :2012/07/28(土) 03:06:48.18 0
("・∀・")あげるのです
23 :
考える名無しさん :2012/08/02(木) 20:12:43.21 0
なぜ宗教に「神」は、必要なのか。宗教に於いても又、哲学に於いても「普遍的存在」を「神」と 言い表している。 人間は、自然の一部であり、自然界の生命活動又、地球を含めた宇宙の活動。これら の源である「エネルギ−」は、現代科学いおいても解明する事が出来ない。この「解明する事の出来ない エネルギ−(力)」に対して「普遍的存在」と言い、宗教そして哲学に於いて「神」と述べている。
特定の神を信じる事を宗教って呼ぶんだろ? 教祖=神でもいい。 ただ、神は完璧である事を求められる事がほとんどなので、 神が人間だと宗教であり続ける事が難しい。 あと、教祖=神だとそれを証明しなきゃならないから、面倒。 だから既存の神を使って教祖の神格性を示す方がわかりやすい。
25 :
考える名無しさん :2012/08/14(火) 12:21:59.22 0
宗教の定義は曖昧だが 教義を信じさせるのに神は必要ない 理屈でそれっぽいこといえばほとんどの人は信じる
教えを布教する形態が宗教であって
神が必須条件じゃない。そのぐらい理解しろよ。
>>26 布教すればそれは科学の分野であっても宗教である。
科学が行動の主体となり、自身の意思が科学に支配されるとき
それは宗教の悪い面を実装した科学になる。
現代科学は宗教っぽい分部を多く含む傾向もある。
物事の判断において教え(学問でも同じ)を最優先にして自分が
なくなるとき、それは自由意志の知的行為ではなく単なる洗脳の
体系になってくる。
>>27 とりあえず神らしき物を持たないものを宗教と呼ぶのは、
宗教という言葉の一般的な定義とは違うな。
まあ、好き勝手に定義してもいいけど、話は通じないよ。
29 :
考える名無しさん :2012/08/14(火) 20:24:41.16 0
>>27 教えを布教すれば科学の分野であっても宗教である。
これは、「神」を持たずに「何」を布教するのですか?「神」がなければ
布教の意味がなくなるし、宗教ではない。
すません横からですが27に同意です。 「科学的に」と言われて間違いないんだと信じた時点で信仰なんですよ。
27は京極堂が説明していることに似ている。
>>30 知識だけを信じたのは個人的主観による解釈にすぎないことを理解できないのが
若造といわれる学生の本質、それは学業は基本的に信仰という立場をとらないと
いけないんです。神を生み出すのは宗教を信仰するものが客観的な比喩をするからで
言葉として伝える知識は必ず神の位置の絶対支配的な正しさを求める心を誘う。
学問を習得する単純な繰り返しは経験も知恵もなくただの暗記とその現実を
つなげない仮想応用の繰り返しになります。知識の取得能力の高いほど
現実に沿わない知識となりそこに無意識で生じるのが科学万能主義で科学を
神のように扱ってしまう心理ですね。懐疑的に考えられない時点で既に科学
万能を信じているわけでそれに気がつけないなら宗教の狂信者と同じです。
何をいっても正しても無意味、教わった論理や自分の教科書が正義であり、
新しく改変された科学がきても受け付けない教科書狂信者になってしまいます。
どうも今の日本人は神というと漠然とながらもキリスト教の神を連想してしまう人がいるように思うのです。 日本人は神を信仰するよりも、仏なり先祖なり、霊魂のようなものを信仰してきた。そこに共通するものは超越的なものなわけです。そこに宗教を考えるヒントがあるように思うのです。
34 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 01:48:47.22 0
>>27 「神が必須条件じゃない」は正しいが、他は誤りが多いね。
「教えを布教する形態」は宗教の特徴の一つではあるが本質ではない。
宗教の本質は、「信じること」。
それが本質であり、宗教の全てのスタート地点。
一方、科学の本質は、「信じないこと」。
信じないで、脳内の論理的思考の機序に従って、
人類が共通して理解できる論理的結論を導く。
(その結果として、科学は自浄作用を持つ。)
これが大きな違い。
よって、布教したからと言って科学は宗教にはならない。
また現代科学は、まったく宗教っぽい分部を含まない。
(それはあなたが理解できないから、幽霊に見えているだけ)
35 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 02:11:03.29 O
神と言うか全てを創造した創造主の概念があると 土地や家屋 農作物や食料となる動物の所有の帰属が明確になるからね 人間を含めた全ては創造主の持ち物であるから 土地使用料や大地から採れた作物は神の使いの宗教者に預けなさい 感謝しないって言いやすい それが税金だったり法律だったり教育だったりするんだけどさ まぁ近代以降は国家概念って言うのを勝手に思いこんで似たような事してるけど宗教者に全部牛耳られるよりマシってだけでさ 神の実在は疑うのに国家の実在は疑わないんだから可笑しいよね
宗教に神らしき物は必須だよ。 とりあえず辞書引け。
37 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 15:56:02.46 0
古来、宗教が発生したような時代は、よくわからないことばかりだった。
その「よくわからないこと」全体をある程度説明したのが、宗教だったんだよね。
死語の世界、あるべき行動、そして自然の驚異等々。
たしかに現代であっても、神の存在を感じるような瞬間はあるわけで、
大昔はそういうのはもっと多かった。
それらは、すべて「よくわからないこと」に分類されてたから、
必然的に神のような現象とかも、その「よくわからないこと」を説明する「宗教」で
説明することになったんでしょ。
>>35 も書いているように、何かと便利な概念であったし。
それが、殆どの宗教に神的なものが存在する理由。
必要かどうかはその宗教による(仏教には不要)だけど、
宗教発生時の社会的状況、科学的発展の度合いから考えて、
上記のように、含まれることが多かった概念なんでしょうね。
また、殆どの宗教に何か「象徴」が存在するし、
「日常で守らなければならない約束事」も存在する。
これらも同じ理由で、宗教に含まれることが多いモノですね。
38 :
考える名無しさん :2012/08/27(月) 20:11:21.91 0
キリスト教に於ける「神」の概念は、デカルト、ヘ−ゲル、等々、「西洋哲学の神」の概念と 一致している。この「神」の概念と、客観的存在である「普遍的存在」との同一化が、西洋の 「神」の概念の特徴であると思う。
信じることは既ち信仰であり、宗教なんだ! と主張する人って、何がしたいの? プライドを捨てて素直に本音を曝け出してほしい
41 :
考える名無しさん :2012/08/28(火) 16:21:20.66 O
>>39 科学や哲学は疑う事から始まるからねぇ
当たり前のように思い込んでるけどそれは宗教を信じてるのと同じじゃない?
ってソクラテスの爺の真似事してるだけ
>>41 ん?哲学も科学もはじめは信仰あって。
そもそも真実や真相やを追究することをよしとするのも信仰のきらいがある。
>>41 大多数の学徒や一般人が扱う科学は「疑う事」ではない。
科学を生み出す人が「疑う事」であり、その分部が哲学の領域であって
科学と誤認しているだけ。
哲学が全ての学問の源と呼ばれる理由がそこにある。
最先端の不明確で想像や仮説の繰り返しの領域での科学で重要なのは
哲学的姿勢であってそれは科学が生まれる瞬間であり確定していないそれらは
オカルトと何の違いもない。科学の1つの意味を得るのに多くの仮説が存在する
多くの中の1つの方向が科学として科学の道を創るわけで他の仮説は確定した
瞬間にエセ科学とレッテル(オカルト)になってしまう。
>>21 >大吉が6回連続する確率は1000000分の8
日本人全員がおみくじ引いたら1000人はそういう人が出そうだな。
で、それと神がいることがどう関係するの?
46 :
考える名無しさん :2012/10/29(月) 19:41:11.02 O
あげ
47 :
名無しさん :2012/10/30(火) 15:24:11.75 0
>>1 神ということで誰も反論できない立場を作り上げているのだろう
人間の誰かが言ったということにしてしまった場合には
反論の余地がうまれてしまう
神の言葉の代弁者という形をとることで直接の反論を封じている
だから他者が作り上げた神を信じるのは危険な部分がある。
信じるのであれば他者が作った神を参考にして作り上げた
自分が想像した神にするべきだろう
他者が作り上げたものを鵜呑みにするほど危険なことはないのである。
信じる者は救われるのだろうが・・信じるということは相手の下に位置することになり
操られるのを意味する。
信じたとしても結論は絶対に自分の頭で思考して出すべきだろう
さらには、その思考を第3者に検証してもらえればなおいい。
検証してもらったところで、また自分の頭で思考して答えを出すことが大事なのである
そうすれば問題はなくなるし、宗教におけるメリットだけを手にすることができる。
ただし、宗教の組織力は手に入らない。
48 :
名無しさん :2012/10/30(火) 15:25:50.74 0
あなたが信じて疑わないものは あなたが結論を出したものでしょうか?? あなたの思考によってきちんと検証し答えを出したものでしょうか? 考えることをやめて、ただ鵜呑みにしていませんか? それが一番危険なのです。 信じることも大切ですが、一番大切なのは思考です。 もっと、考えなさい。もっと自分の頭で考えなさい 考えることをやめた時に、あなたは他者の支配下にいます。
49 :
名無しさん :2013/01/12(土) 05:16:06.63 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
50 :
考える名無しさん :2013/01/12(土) 16:05:33.54 0
>>48 もっと、考えなさい。もっと自分の頭で考えなさい。
>「考えること」これは、非常に大切であるけれども、現代社会の複雑で、多様化した
社会状況の中で、「考えること」自体が難しく、困難なものになっていると思う。
つまり、「社会システム」と言う問題一つを考えても、政治、経済、資本主義、科学等々が、
複雑に絡んでいる。 私達は、考えれば考える程、解らなくなり結論自体も、一つではなく
問題の捉え方によって、種々の結論が出てくる。
複雑化した問題に対して、それに適した「思考法」があるのではないかと思う。その一つの例として、
400年ほど前に、デカルトが複雑、多様化した問題に適した「考え方」を現している。それは、
「方法序説」の中に述べられている「四つの規則」です。この「四つの規則」の思考法は、現代にこそ
適しているものであり、「四つの規則」の内容は、直観思考と論理思考(演繹法と帰納法)との組み合わせ
となっている。西洋に於ける近代哲学から現代哲学まで、始めに直観認識(直観思考)による明証的な命題を
持ち、そこから論理思考(演繹、帰納法)へと哲学的考察を進めている。 デカルトは、述べているが、この
「四つの規則」による思考法は、哲学者だけの者ではなく、万人が、容易に活用できる「日常的」な思考法に
ならなければならないと述べている。
51 :
考える名無しさん :2013/01/13(日) 02:41:30.46 0
神にヤハウェと言う名前を付けたのは誰なのか? 実はこれ考えだしたら無茶難しい。 神に名を付けるとはどういうことなのか? 神に名を付けたのが神自身だとするとそこには名付ける神と名付けられる神がいるわけで 一者たる神におけるこの関係性はなんなのか?
厳然たる意思体に対して何故そうなる さっちゃんはさちこでいいじゃないか そもそも人間と言う道具を作って それにさちこで認識しなさいと言っただけ ちなみに十戒には神の名をむやみに唱えるなと書いてある
53 :
考える名無しさん :2013/01/15(火) 15:32:47.10 0
54 :
淀屋橋ハニワ :2013/04/17(水) 07:00:49.61 0
【Ver.3ご本尊】にはカバンを抱えた家てぃーのイラストが入っているらしい
55 :
考える名無しさん :2013/04/17(水) 12:23:23.40 0
>>51 >神にヤハウェと言う名前を付けたのは誰なのか。
>神という存在に、ヤハウェ(YHVH)と名前を最初に付けたのは
やはり、人間ではないでしょうか。
56 :
KingMathematician ◆LoZDre77j4i1 :2013/04/17(水) 19:01:20.90 0
森羅万象の在り方を考えると, 神が心に在る. その事を伝えるのは難しい. その事を伝えようとすると, 悪魔が神のふりをすることもある.
神の名前は神自身がつけたものだよ
宗教と非宗教のオカルトの違いは、布教(信者を集める)するかの差だよ。 信者がいない社だけの神社などは宗教ではない。
>>58 確かに江戸以前では社やら地蔵やらその手のものは道路標識と
同じぐらいの密度でどこにでもあるものだったね。
60 :
考える名無しさん :2013/04/18(木) 10:00:34.51 0
>>59 江戸以前は、神社、お寺、地蔵はどこの村そして、町にもあった。
それは、神仏習合としての仏教の教えである「草木国土悉皆成仏」という
宗教の源泉としての、仏教哲理が浸透していたからである。
この教え(神仏習合)が、明治政府による「廃仏毀釈」令により、神社と仏教の分離が、
今日の日本人の神仏に対する信心の希薄へと繋がっている。
>>34 > また現代科学は、まったく宗教っぽい分部を含まない。
それは言いすぎ。
現代科学はかつての宗教がもっていた専門階級を社会的にもっていて、
権威主義を悪用している。
>>34 のような物言いが科学を権威主義にしてしまう典型。
>>61 キチガイに触らないこと。
34は糖質っぽいから何を言っても無駄で自分の言葉に何も疑問などもたないよ。
自演乙w
>>34 ↑↑
こいつなんだかおもいっきり間違ってないか?
66 :
考える名無しさん :2013/04/27(土) 01:35:29.30 0
>>34 の言うことはある意味正しい
宗教の本質は「信じる」ことだから、個々の思考を停止させてしまう原因になる
一方、科学の本質は「疑うこと」だから、個々がそれぞれそのことを考え、
最終的に1つの論理に収束する。
ちなみに「疑うこと」が本質だから少しでも間違ったことを言うと徹底的に追及される
ソースはSSH指定校だった級友が物理学会で発表したときの他校のこと。
あと
>>34 は権威主義がないと言っているが、そんなことは無い
なぜならば人間は完璧ではないから
信じる要素がなければ科学も成り立たない
科学教、おカネ教、健康教。近代三大宗教
健康教も健康より外見だな 食いたいもんは海から釣って来る勢いでなければ 健康とは言えない
70 :
考える名無しさん :2013/04/27(土) 15:16:56.41 0
>>67 まあそうだねしかし本質は「疑うこと」だからたいした違いはない
71 :
考える名無しさん :2013/04/27(土) 19:23:13.87 0
罪をかぶせるいい奴隷にするためだろ。
72 :
神 :2013/04/27(土) 19:48:22.08 O
なんぞ望みでもあるぞなもし?
キリスト教集会に同性愛者の乱入かなんかか
>科学「科学の発展において絶対に忘れてはならないのは、わからないという事実を認めることです」(デイタ) >●TNG#26「闇の住人」より。突然エンタープライズの前方に現れた暗黒空間の正体がわからず、 >あいまいな返答をするデイタに、ピカードが「その発言は、とても科学的だと言えんぞ」と言ったのに >対して。 科学を一時的にも過信すると分からないという事実を信じなくなる。 分からないものを疑い何かしらの答えがあると結論づける。 ほとんど誰かの態度そのもの、割り切れないものが存在しないと何故わかるのだ? 曖昧なものは永遠にあいまいなものであり哲学的にいえば形而下の計りで 形而上の類の意図を計ろうという行為である。まったく愚劣というか 頭が弱い。
76 :
考える名無しさん :2013/04/29(月) 16:44:10.20 0
死とは、何ですか? ココのレスを読んだら、いい意味でも悪い意味でも、本当の気持ちを言いたくなりました。 キリスト、イスラム、ユダヤ、ヒンズウ、仏教、 何でもいいです、宗教を信じて命をかけている人にお願いします。 "死とは何ですか?”
77 :
神 :2013/04/29(月) 17:48:30.61 O
お主たちには解らんじゃろ、わしの退屈さがな、……ファあああぁ…………
神を求めるから宗教なんだろが
79 :
考える名無しさん :2013/04/29(月) 18:15:07.28 0
お前ら連休利用して神の存在証明にチャレンジしてみろよ
デカルトを読むと、たいていそこで躓く
81 :
神 :2013/04/29(月) 18:22:17.59 O
なんぞ望みでもないぞな?遠慮のう申せよ
82 :
考える名無しさん :2013/04/29(月) 22:37:23.79 0
わかる気がする キルケゴールもわかってくると単純に形式化できて、「で、神は必要なの?」と言いたくなってくる 信仰の対象は自分自身でいいし、現に俺はそう読んだ
カントに対しても、正直「神の要請」は原理的に無くてはならぬものでもないだろうと言いたくなる。
多神教といわれているものも神ということになっているけど、神話の内容からすると神じゃないね。 神が非常に人間臭く描かれている。神も欲望の奴隷だし、嫉妬したり激浪したり、過ちもいっぱい犯す。
85 :
考える名無しさん :2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN 0
やっぱり、古来からずっと、宗教者は「俺様の話を聞け」っていう態度できたから、 現代人はもう嫌気がさしてるんだろうね。宗教やってるのが絶対的に偉いんだぞ、みたいな態度でこられるとね・・ でも別に神を絶対に信じないとかいうわけでもなく、宇宙人とかUFOとかそういう存在なんだろうね結局は。 科学で説明不能な超常現象も確かにある。かといって、自分自身が宗教入ったり変な修行しても、 神になれるわけでもないしね。まあちょっとしたバラエティ番組に出れる超能力者にはなれるかもしれないけどねw
人格神と絶対神
87 :
考える名無しさん :2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:3iTI8qIR0!
>1の人は神体験がないからこういう問い方しかできないようです。 神体験がある人は、なぜ神に宗教・人・は必要なんですか、と問う。 神体験のある教祖は、体験の内容を布教するので、自分の意見を布教するのではありません 仏教は仏の教えで、仏陀の神体験など説かず、自身の教えを説きます。 キリストは自分の意見など無く、神から告げられた言葉を述べるだけです。 あと安物の教祖が沢山いますが、金のためでしょう。 しかし、 >1 の人は神体験はありませんが、自分の出した疑問に疑問としての確信を持っているなら それが神体験と同じ位置にきますから、1 の説明にあるように、考えて書かれた文というより、 思いつき与えられた文を書き記した様な感じになります。 自分の出した疑問に、疑問や納得しない部分があれば、思いつきでなく、 考えられた文章になっていくでしょう。
>>84 なんで人間臭いと神じゃないと思うの?
単に一神教の神だけを神だと思い込んでるだけじゃね?
一神教の神は実は人格神の側面もある。
>>88 そうすると人間と神との区別はどこにあるわけ?
多神教の神話に描かれている「神々」なるものは人間との境界がはっきりしない。
>>90 一神教の神と人はハッキリ違うの?
そもそもなんでハッキリ違わなきゃならんの?
アイヌの動物神なんかは、彼らの世界では人の姿をしているだとか この世界では動物の「冑」をもって現れ、動物の視点しかもたない 死んで初めて神的視点(あー、人間からかったから詰まらない殺され方したんだな)を持つ そんなまぬけも いいじゃない かみだもの
93 :
考える名無しさん :2013/10/07(月) 19:35:31.82 0
自分を存在させるために神を存在させる 神を信じることによって自分を信じることができる
94 :
弧高の鬼才 ◆zD.tvziESg :2013/10/08(火) 00:45:33.65 0
ヒュームあたりで思考停止してるやつらがいいすなことだ 神が宗教を必要とさせたのだ、とかなんとかね。
95 :
考える名無しさん :2013/10/08(火) 00:56:55.46 O
儒教に神は存在しない
儒教になるとほとんど道徳教育と同じだよね? 道徳は宗教なのか?という話になる。 道徳というのは自然科学的に証明可能な対象なのだろうか?
97 :
考える名無しさん :2013/10/08(火) 19:00:31.43 0
何かを信じることが神を信じること 何も信じないことが神を信じないこと 信じるという行為自体に神が内在する この世界を肯定することが神を信じること この世界を否定することが神を信じないこと
人間を一人の人生を超えて考察するときに、知りえない何か全てを結集した
99 :
考える名無しさん :2013/10/10(木) 02:21:37.22 0
宗教で生きてる意味がある価値があるとするとき神が必要 逆に 宗教で絶対的に正しものはない普遍的な真理はないとすとき神はいらない ちなみに 宗教は生き方を探究するもので 科学 哲学とは違う
神の体系を信じることが宗教なんだよ
101 :
考える名無しさん :2013/10/10(木) 03:12:41.68 0
>>100 科学 哲学との違いを際立たせるためそうかいた
>>99 生きる意味に神は必要不可欠じゃないと思うけどなあ。
むしろ逆に、人間の生なんてものは大したものじゃないということを思い知らせるものとして
神という観念がつくられることもある。
クトゥルフ神話なんかを読んでいると、人間個人の生がいかに無価値なものか、
取るに足らないものか、ということが神という偶像をつかって代弁されている。
103 :
考える名無しさん :2013/10/10(木) 18:13:33.47 O
神はこの世界に降臨するよと告げるのが宗教だから
神というのは、自己を征服したいと願う者たち、または、世界を征服したいと願う者たちの 政治的な野望が、外部に投影されたものだろう。
105 :
考える名無しさん :2013/10/11(金) 18:45:09.20 0
>>102 人が無価値という価値観の根拠になる 価値観がある
ただ
生きる意味に神は必要か?
生きる意味に根拠がないことを知ることが重要だと思う
106 :
考える名無しさん :2013/10/13(日) 08:29:55.39 0
神を信じる の意味 自分の存在もあやふや世界の存在もあやふや それでも自分は自分だと思うし この世界で生活している だれも存在自体には触れられないし知れない 人間のできる限界が信じることで 根拠はないけど自分を信じる世界を信じる 自分が生きていることを信じることが神を信じること これが信じるの意味 自分はそう思う 異論は認める
107 :
考える名無しさん :2013/10/13(日) 10:48:19.79 0
神はいる 神がいない、ということに個人的にすること自体はできる
108 :
考える名無しさん :2013/10/13(日) 17:56:44.46 0
俺はセンター試験の社会で倫理を選択したんだが通っていた予備校で講師が 「ニュートンは神を知る為に力学を研究していた」と言っていた 当時無知だった俺は心の中で「プッ何言ってんだよこのオッサンw」と笑ってしまったんだが 後でこれはマジな話だという事を知った。まぁもっともニュートンの言う神は汎神論的な神だが あの時の駿台予備校の倫理担当の講師、笑っちゃってごめんね
109 :
考える名無しさん :2013/10/13(日) 19:54:40.66 0
110 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 00:05:11.21 0
111 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 04:48:18.00 0
>>108 プッ何言ってんだよこのオッサンw、も正しいと思うけど
>>1 の問いを考え続けたのも哲学の一面である
様々な考えが生まれた
キリスト教も仏教も、もともとは反宗教運動だったはずなのが、 世間に普及して世俗化されていく過程で、どんどん宗教に逆戻りしていっちゃったな。 キリストやシャカの考え方はけっきょくなし崩しにされてしまった。
114 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 17:04:06.73 0
哲学の「疑う」と宗教の「信じる」は言葉の裏と表で意味は同じ まず信じないと疑えない
115 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 18:00:08.67 O
>>114 信じることのうちに疑いが潜んでいることは認めるが、信じることと疑うことは同じ意味というのは違うのでは?
まさにカルト野郎の詭弁
117 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 19:07:48.89 0
>>115 人間が最初に立つ場所が 根拠がないけどただ信じる、あたりまえがない世界を知る立場
疑う は信じる世界があってあたりまえなことがあるそれを疑うことであたりまえでないことを知る
同じものをお互い逆からみているが立場が違う それで目的や守備範囲に違いがでる
哲学は真実をもとめるし 宗教は生きることの肯定につながる
118 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 19:28:31.44 0
孔子さんさいきょ
119 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 19:39:55.73 0
存在することと信じるはちげーっとおもうんすよ
>>114 無神論も神への信仰形態の一変種であり、神を崇拝することと表裏一体?
121 :
考える名無しさん :2013/10/15(火) 20:31:09.70 0
>>120 無神論にもいろいろあって あくまでも個人的な意見だけど
本当になにも信じてない人はいないと思う 何を信じてるのかもとをたどれないだけで
自分の考える無神論は本当に何も信じない自分自身も信じない目に映るものも信じない
感じるものも信じない完全に何も信じないことをいう そしたら生きていけないけど
これは極端な考えで 無神論はとりあえず何も信じないことだとおもいます 異論は認めます
無神論 not= 虚無主義
123 :
考える名無しさん :2013/11/17(日) 02:37:30.03 0
天皇は日本民族統合のシンボルであって神様じゃないというけど、 そもそも「神様」という観念こそ、民族統合のシンボルとして発明されたもんだと思うんだ。 一神教の神ですら系譜をさかのぼればユダヤ民族統合のシンボルとして作り出された発明品にすぎないのではないか?
民族統合のシンボルじゃなくて地域支配民衆支配「民族統合」の間違いだろ あえて言えば発明されたのは「民族」という概念だろう、支配=統合するためにね ある集団を「民族」という概念で「統合」という形に落とし込むためだからね 精神支配装置だよ バカウヨが唐突に発する決め台詞「日本人じゃない」や「在日だ」なんてその証拠だよ ほんとあれ唐突だよなw 精神支配されてるから否定的なものをそれらに直結してまうんだ、だから唐突
布教するためとかじゃなくて普通に神って実在してるだろ…… 神秘体験している教祖にとっては当たり前の話で…… 布教しているために神を作っているのではなくて 神秘体験で神を知ったからその神の偉大なイメージを教えているんですよ
むしろ神に宗教は必要なのかと問うべきだろう 神への信仰に、必ずしも宗教という地上の共同体は必要ないのかも知れない
127 :
考える名無しさん :2014/01/17(金) 23:04:16.81 0
>>124 ベネディクト・アンダーソンの想像の共同体に書かれていたような事だね
あれは、ナショナリズムについての考察だったけど
他には、ウォルター・リップマンの世論や
ダニエル・ブーアスティンの幻影の時代なんかも
擬似環境や擬似イベントといった考察が興味深い
128 :
考える名無しさん :2014/01/17(金) 23:39:14.61 0
>>124 どちらも発明されたものじゃないか?
そしてどちらも統合という機能を持っているがゆえに
結合して機能しやすい。
この点からみると世界宗教と言われるものは民族という統合装置と結びつかずに
別種の統合を創出するものなのかもしれない。
129 :
考える名無しさん :2014/01/18(土) 04:51:22.91 0
130 :
考える名無しさん :2014/01/18(土) 04:59:33.51 0
>>123-124 天皇なんて一時期には、内職して細々と暮らしていたような時代もあったのに
明治を境に現人神にまで祭り上げられて、国家神道といったものが出て来たり
その辺の変化は、劇的なものがあるよね
江戸時代の日本人にとってのクニは、藩だったりするし
日の本といった概念 六十余州という言葉こそあれ
およそ大日本帝国という形で提示されたようなイメージは持ち合わせていなかった
民族というか国民の概念が発明されたのかも
琉球とかアイヌも大日本帝国の臣民として組み込まれたし
131 :
考える名無しさん :2014/01/19(日) 01:01:54.59 0
この辺に書かれているような事だな 天皇の存在についても指摘されている
国民国家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6 国民国家と国民的アンデンティティ
日本では、明治維新によって、日本列島に大日本帝国という国民国家が成立した。
それまで幕藩体制下では民衆はまず直接の統治者である藩を国(クニ)として意識していた。
それまでは幕府による統一はあっても中央集権は緩やかであり、
藩をまたぐ民衆の移動が制限されていたので言葉や文化、政治の違いも大きく、
民衆は「日本国民」という意識が稀薄であった。
そうした状況を改め、西欧諸国に対抗するべく明治政府は一君万民を唱え中央集権化を進めることで地方較差を薄め、
「日本国民」としての意識を広めていく必要があった。
しかし、西欧的な「国民」という概念は当時の日本人にとって抽象的であり、
民衆に浸透させることが困難であると危惧した明治政府は、当時の民衆にもわかりやすいように、
万民が等しく天皇陛下の臣(臣民)であるというように広めた。
宮台真司は、「幕藩体制下では『クニ』とは藩のことで、庶民レベルには『日本』という概念がなかった。
だから、庶民レベルでいったんは忘れられていた『天皇』を“共通の父”としてもち出し、
『一君万民』のフレームによってクニとクニの対立を忘却させ、一つの国民国家として融和させた」と述べている[4]。
また、宮崎哲弥は「マスメディアは国民国家の要であり、特にテレビは、日々刻々『国家なる幻想』を産出している装置である」と指摘している[5]。
「国民国家」形成過程においては、国民は一般に、国旗の掲揚や敬礼、国歌斉唱、使用する文字や言葉の標準化などの統制を通じて、
国民的アイデンティティを形成していく[3]。
132 :
考える名無しさん :2014/01/20(月) 21:49:43.76 0
とはいえ、法や税制等、単なる観念レベル以上の効力を国家は持ってるから 国家という「幻想」が解体されたとしても、このレベルの問題が残る。 さらに一国単位での国家の解体は単に他国による領土の接収を招くだけに終わるから いわば世界同時革命のような方途が現実的にならない限り、単に他国の国益に資するだけであって 有害無益。
133 :
考える名無しさん :2014/02/27(木) 13:48:21.27 0
仏教は神の存在を前提にしていないでしょ?
134 :
鬼平の秘蔵っ子 :2014/02/28(金) 11:28:32.24 0
神がいて、全然不都合ないけどね!!
135 :
考える名無しさん :2014/02/28(金) 13:40:34.20 0
>>133 昔に実在したただの人間だけど、仏を信じれば幸せになったり天国に行けるみたいな感じだから実質神みたいなものじゃない?
神は実在するが、宗教がそれを私物化し好き勝手に解釈している。
137 :
考える名無しさん :2014/03/03(月) 06:15:39.30 0
岡山のDJ、純一先生によるまとめ 【結論、まとめ】 テクノの本質(スタイルではなくその方法論としてのテクノ)をきちんと捉えていれば、 初めてクラフトワーク初期の3枚を聴いても「あ、これ、テクノじゃん」とすぐにわかるし、 シンセやリズムボックスを使わなくても、例えば明和電機なども、その方法論から スナインコッコスマナラコッサーラ長老の説教から多大な影響を受けた「真性テクノ」であることを すぐに理解することができる。 もちろん、クラフトワーク以前にこの様な方法論、すなわちテクノの本質である部分を用いた「バンド」は存在せず (言うまでもないことだが、長老の説法に対して自然発生的に生じた集団発狂陶酔舞踊は「バンド」ではない)、 ミュージックコンクレートやクラウトロック、つのがらいクリと言われるムーブメントの中で活動したバンドの中で、 唯一、既存の方法論から抜け出し、新しい方法論、すなわち後にテクノと言われることになる方法論、 すなわちスナインコッコスマナラコッサーラ長老の説法をぎりぎり音楽の範疇へと昇華する方法論を確立したのが クラフトワークだと言える。
138 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 00:45:15.19 0
矛盾の収束点、饅頭作る時の ”へそ”みたいなもの 神があって宗教ができるのではなく 宗教を作る仕上げとして神がある
139 :
考える名無しさん :2014/03/29(土) 00:58:08.69 0
>>130-131 それお前の発見かよ
誰でも知ってることをだらだらと得意気に
やってて恥ずかしくないのかよ
神は尊敬されてるから仕方ない 尊敬する人がいなくなれば人間になる
141 :
考える名無しさん :2014/06/27(金) 00:04:00.32 0
こんな所にレスしてないで創価学会に来なさい この世の中で起こる全てのことは創価の法で解けないものはありません それに比べれば日蓮正宗キリスト教など クズ宗教です
142 :
大王 :2014/06/27(金) 00:57:56.56 0
苦痛=迷い→救い=決断ほしい=信じるために=根拠必要→神 単にこれだけだ。 俺が決めた。神もだ。
神は洗脳に都合の良い道具だよ。
144 :
考える名無しさん :2014/07/10(木) 07:26:46.09 0
人間には神ニューロンってのが始めから備わっているんだよ。 宗教は、その事実にしたがっているだけ。
145 :
考える名無しさん :2014/07/10(木) 15:31:27.53 0
大王は信じがたいバカだってことが判明した。
146 :
考える名無しさん :2014/07/10(木) 18:56:10.17 0
古代ギリシャの神々は、多神教であったし、日本も多神教である(明治以前まで)。古代ギリシャにしても又、 日本の神々にしても、自然と深く関わっていることである。 つまり、自然の根源にある生命力(=エネルギ−)と、神が一体となっている。 だから、多神教の場合は、神を自然と一体として捉えているので、宗教は庶民の生活に密接に関わっていた。 この、宇宙の根源としての自然と、大日如来との“融合”という捉え方が、日本仏教(=真言宗、天台密教)の 教義となっている。
土地に根ざすと多神教や道教になって、土地から離れると一神教になるのが持論 キリスト教はハイブリッド型だから世界中で受け入れられた
148 :
考える名無しさん :2014/07/14(月) 02:36:17.72 0
そうだね。神は実在するか否かを問わず、始めから脳に組み込まれていると考えるのが妥当なのかもしれない。 こうした認識論的神は当該部位が作動しない人にとっては無縁なもの。一生作動しない人もいるんじゃないかな? 一定以上の強度で困惑すると、たいていの人は作動する。つまり、「困ったときの神頼み」。 クールに考えればこうなる。
149 :
考える名無しさん :2014/07/14(月) 03:06:01.41 I
クールに考えればこうなる(キリ はて、クールに考えてるのは誰ぞや
クールな考察の内容には賛同するが… 大王が言ってることと基本的には一緒じゃね?
三位一体も知らないで発言しているのかよ、どんだけ無知なの?
>>151 普通しらないだろ。だからこそ議論している。
脳に由来すると考えるのも土地柄を反映しているかもしれない 主張としてはキリスト教に似ている 脳のこの部位だと一神教的に主張するでもなく 脳が世界と繋がるのだと仏教的なあり方を説くでもなく 脳を擬人化して崇拝する多神教的なモードにもなってはなく 脳にあると比較的アバウトな主張にとどまっているからだ
154 :
考える名無しさん :2014/07/15(火) 03:17:56.52 0
脳も物質のひとつに過ぎず、あらゆる環境から影響を受ける。 そうだとれば、脳が世界と繋がっているのは自明ではないかい?
155 :
神の眼を持つ男 :2014/08/07(木) 23:51:11.08 0
神を理解しろとはいわない、神は求めるものには何も与えない、 自ら勝ち取るものには祝福を与える 祝福とは必然という結果である。
156 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 10:06:50.51 0
少し、角度を変えて論じます。 この宇宙、異次元の宇宙、幻想の宇宙、人類の空想、妄想、ヒラメキ、その他 総ての、世の中は、時間を逆に進むことはない。 膨大な宇宙(その他モロモロ)の流は、一方向である。 つまり、「総てを支配して導く、唯一最高の神」がおられ、人類の古今東西の 宗教(インカも、マヤも、ユダヤも、ヒンズーも、キリストも、シャカも、アラーも コウシも、−−一切、総て「唯一最高の神」の導きの下にある。総てこの神の「手の内」 である。これが、最高の「神の決定論」である。他の教祖は、単なる「哲学的な決定論 と非決定論」に過ぎず「コップの中の嵐のようなもの。ーー総て、一切を、支配する神 総ての宇宙論、宇宙の歴史、異次元の宇宙、その他、人類の思考の限りの世界は、この神の 支配下で、ーーーーこれこそ、最高の神。 宗教などケチなことを言わず、総てを支配している。人類にだけに「恵み」を与えることナク平等 そのもの。戦争、平和、天災、飢饉、天変地異に至るまで、平等に与える。歴史は複雑、怪奇、神秘 で、人類は、古代から、知恵の思考の、信仰の、限りをつくした。生贄など。 だが、現代では、「恵み」はそれぞれの「優しい」ビジネスに「熱意」ある、 数多の宗教組織があり それぞれに「優しい」神様がいます。それぞれに、かみさまは、「しあわせ」を授けてくれます。 ご安心ください。 なを、「総てを(神々も含め)支配する神」のあることを、頭の隅に入れておいてください。
157 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 10:33:40.30 0
蛇足ながら、ついでに、書かせてください。 これは、現実に非常に意味あると、思われます。日本国では、現在(2014ねん8月) 「信教の自由は保障され、また、信教を持つ自由、また、信教をもたない自由も保障 されております。」日本歴史上、かんがえさせられます。 宗教並びに宗教関連ビジネスが、私たちの「こころ」まで含め、リーゾナブルな サービスで、逆に考え込みます。この頃です。
158 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 13:19:20.77 0
日本神道について、このごろ考えます。 私たち日本人は、四季の豊かな気候変化に富んだ、美しい島々に住んで おります。自然総てが、神で、我らは神と共に生きて居ります。「かんながらのみち」 です。自然は、「めぐみ」も、また逆に、「災害」も、あたえます。 「めぐみ」も、「災害」も、神が与えたものです。
159 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 14:55:39.32 0
神は、村々の部落を、守ってくれます。それらの神々は、生前「恐れられたり、 尊敬されたり」した人物であったり、「脅威を覚える」自然物で、巨木、巨岩、で あり、更に、河川、森林、山岳、など、更に、嵐、洪水、地震、津波なども、神で、 「荒ぶる神」と呼ばれた。しかし、人々は、「静まった優しい」自然に感謝をする のであり、田舎の村々では、季節により「祭礼」が行われた。
160 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 16:25:20.51 0
村々の神様とは異なり、一度に話を大きくします。 日本の古代政権の維持のための、古来からの「神」があり、大きくは 出雲と大和に、後に大和に統一された「神」(皇室)が「おそれられ」「尊敬され」 どうしても「神」は必須な存在。もちろん、天皇は「神」でもあった。 他方、仏教が大陸から伝来し、「神」と[仏」との権力争いとなった。 この後の日本史の示す、とうりである。
161 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 16:37:47.86 0
ぐっと話を変えよう。 つい先ごろまで、国民は天皇の赤子であった。戦死した国民は「神」となり 靖国神社に祭られた。日本人は「死者を鞭打つことはナイ。」それが いま、国際問題化している。現在、[信教の自由が、持つ、持たないことの 自由」が保障されていることは、意味が深い。
162 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 16:56:11.80 0
なぜ宗教に「神」が必要か。 唯物史観的には、古今の政権は「神(宗教)」を必要とした。以上に 論じた如くだと思う。 古今の諸宗教は神仏(人民を支配し、恩恵を与える)と言う権威をその 時々の必要に応じて、使い分けまたビジネスとした。人民は「しあわせ」 に弱い。宗教は「神」をビジネス商品としている。 9
163 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 17:42:59.94 0
其々の宗教が如何なる「神」を持とうとも、それらの宗教諸共に それ以前の、有史以前の、更に、宇宙誕生以前まで含めて、歴史 つまり時の流れは、一方向(それ以外があればそれも含めての方向)とすると その流れを、支配導く「唯一絶対の神」(決定論)はアル。 蛇足 「いのち」アル限り、「神」も論ずることが出来る。 「いのち」のナイ所、「神」もナイ。
164 :
考える名無しさん :2014/08/12(火) 19:52:11.91 0
↑、 いろいろ屁理屈を述べているが 世界では、太陽神がトップ人気。 この世を、明るく照らす。有り難い。古代より世界各地で 信仰されている。宗教は、後から出来た。 問題は太陽神は、男神か、女神か。
165 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 08:44:17.62 0
↑、 156−164 上記156−164は、c点論のS、イマムラが書き入れました。 愚生は、唯物論者の田舎の老内科医です。いつも、書いているとうりです。 唯物論者ですが、「神」の存在(実在とも)を信じて居ります。それは 前にも書いたように、「有神論、無神論、神性無視、無関心、失念論h もとより、科学、哲学、総ての人類史、地球史、宇宙史を導き、支配する 絶対最高の神(この神を論じナイ世界も導き、支配する神)」を私は信じて います。別の言葉では、「決定論者」です。哲学では、決定、非決定は 議論の多いところですが。
166 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 08:59:38.00 0
↑、 165につづく 文明、文化を持タナイ自然界の動物は、太陽のリズムで、日内変動 する生活であった。睡眠の体内リズムもほぼ、太陽のリズムに一致 していた。彼らには、太陽は、「神」に近い存在? かれらを、常に 導いて呉れた有り難い存在、神の原型? だったか。
167 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 09:10:23.72 0
↑、 166につづく 人類が、死者(祖先、肉親ナド)を祭った遺跡は、ネアンデルタール 人に見られたのが、最初と言われる。これは人類が「死」を意識した 最初の資料だと言う。彼らが「死者」をどう考えたかは、定かでナイ。
168 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 09:40:00.24 0
↑、167につづく 現代では、「死」と「宗教」は、身近にあるが、超古代文明は あまりに、ミステリーだが、世界の古代史では、太陽が信仰の対象と成り 「太陽神」は、あまた実在するし、遺跡も多い。ギリシャ、エジプトでは、 が、あまりに有名(共に男神)だが、日本神話の天照大神(女神)も 太陽神である。インカ、ローマ、ヒンズー、など枚挙に暇がない。 太陽神があり、後に、宗教が生まれたか、否、同時か定かでナイ。
169 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 10:03:44.71 0
↑、168につづく 古くは、巨大政権の支配者が「神」と同一であったか、「太陽神」 を祭る権威を持つ権力者(神意の伝言者)であったばあいが多い。 時代が移ると、政権の支配者は「神」と別れて、他方(神を守る宗教団) が形成されて、宗教組織となり、その後も、政権の支配者との関係は 陰に陽につづいた。今もなを、続いている。
170 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 10:39:34.34 0
↑、 169につづく さて、現状は「神」は、どうなのだろう? ある宗教でも、哲学的には、「神に縋る(利己心を捨て 無心になり、神の愛、仏の慈悲を信じて、利他行に励めば、逆に 救われる。)と説く。キリストや釈迦の訓え。 別の宗教では、明らかな男性世界であり、その世界を維持 する為のキビシイ戒律があり、その世界の為に死ぬことは名誉 であり、死後は、快美な天国が待っている。 これは蛇足だが、中国の神話では、太陽や月を神格化シナイ。
171 :
S、イマムラ :2014/08/13(水) 10:52:38.55 0
↑、 170につづく 日本の現状は、ご存じのとうり。 やはり、「神」「仏」に祈らねば効果は、ウスイ。 商売繁盛、家内安全、無事故無違反、大願成就、ナド お坊さん、神主さんを拝んでもダメ。 不幸の時も、便利な業者が多い。 無駄話ばかりで、このあたりで、ごめんなさい。
172 :
考える名無しさん :2014/08/13(水) 10:58:00.75 0
神様は、どこにいるの。 どこの神様がご利益あるの。
173 :
考える名無しさん :2014/08/13(水) 11:39:31.48 0
神=かわいいガール
174 :
考える名無しさん :2014/08/14(木) 18:40:20.39 0
テレビもない。本もない。あるのは人間を含めた自然だけ。 見えるものが自然だけならば、アニミズムに走るのは当然。 だって他に何にもなかったんだから。
東京さいぐか。
【神の発見】
・前提
1、神は人知を超えた絶対的存在
2、神は信者以外の人にも大きな影響をもたらす存在
・仮説
1、人情や罪は神が作った。法律や罰は人間が作った
2、人情や罪(罪悪感や罪意識)は世間により作られる
3、神(世間)は人情や罪悪感以外にも、
「悪いことをしたら、バチが当たるかもしれない」という疑念や、
「家族が熱中症で倒れて救急車で運ばれて、恥ずかしい」という気持ちや、
「クリスマスに一人で過ごすのは寂しい」という感情なども作っている
4、世間(コミュニティ)の中に存在していて、人々の中に人情や罪悪感などを作り、
人々を支配している、そういう存在を神と呼んではどうだろう?
・論証
神(人情や罪悪感などを作る存在)は、
人知を超えた絶対的な存在(具体的に把握することが不可能で、前提となる存在)であり、
神を信じていない人にも大きな影響をもたらす存在
(補足:Wikipediaの「神とは、人間の民族性・地域性・文化・伝統などの歴史的背景を経て、
その宗教的風土や伝統的風土の中で醸成された、
人知を超えて尊敬・崇拝される存在ないし概念」にも適応可能)
詳しくは以下のブログを
http://blog.livedoor.jp/youchi_nano/archives/10630799.html
ちゃんとした唯物論者なんて日本では皆無じゃん 唯物論の仮面を唯物論だと錯覚している観念論ばかりだ
クリばかり攻める。
179 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 11:38:34.83 0
>人知を超えた絶対的な存在(具体的に把握することが不可能で、前提となる存在)であり、 神を信じていない人にも大きな影響をもたらす存在 人知を超えた存在で、具体的に把握することが不可能なら、前提になるのかね。w 訳ワカメ。 妄想と区別つかないじゃん。 ああ、妄想でもええじゃないか、ということなんだな。www
180 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 11:40:18.27 0
神と妄想は区別がつかないと神ングアウト。
181 :
まーじ(弧高の鬼才) ◆ykDJvODuLA :2015/01/03(土) 11:58:40.58 0
アッシジの聖フランシスコにきけ。イタリアにいってきなさい。
182 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 13:17:07.16 0
a nonprofit organization のために 必要 ボランティアや寄付すらしたことのないやつは、 神は見捨てる
183 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 14:13:10.78 0
寄付はふつうにやってるけど、了見が狭くて脅迫する神なんて要らねえよ。
184 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 14:19:21.42 0
ボランティアをされる方、寄付される方も見捨てられるわけかな。 まあいずれにしてもいやな神さんだよな。
コンビニの寄付金とか本社の人間が横領してる場合もあり。 コンビニ会社の社員はまじで鬼畜みたいなやついるぞ。
186 :
まーじ(弧高の鬼才) ◆ykDJvODuLA :2015/01/03(土) 16:57:04.18 0
プラクシスよりテオーリアの優位性だ
187 :
123 :2015/01/03(土) 17:12:51.52 0
見えないものを見えるようにしたものが神である。 それでは見えないものとは何か。 それは働きである。 その働きを顕示するための方便として神が設定されることになる。 それが人間の働きであれば、そんな工夫はいらないことになる。 それでは、どんな働きなのか。 それが宗教という働きであることになる。アーメン。
弁護士だと? サッチ・ア・ジャーク!!!!!!!! 医者と弁護士は知性的トップなんだぞ。 哲学者からすると、知性的トップではないがな。
190 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 19:47:40.65 0
哲学的弁護士っていうのが知性トップでしょう。現実を踏まえた理論展開が出来る点が、ただの哲学者とは一味違う。 但し62期なんていう若僧はダメ。 医者はただの職人。哲学とは無縁。
あの、白を黒と言いくるめる連中が知性トップ?
192 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 20:07:58.73 0
白を黒とかにはできないよ。 全ての事件は、始める前はグレーなんだ。
193 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 23:26:06.81 0
逆に問いたい、何故、神に宗教が必要なのか?と 人間にとって神の真理を知ることなど不可能ならば、神をただ神として認識すれば良いだけであり、宗教の教義など不要なのではないか? むしろ、人のつくりし宗教という定規で神を計ろうとする行為こそ、神に対する最大の冒涜だと思う
194 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 00:09:42.02 0
大賛成。 個々人の心の中に神がいれば、宗教団体なんかいらないんだよ。 どんなに強固な無神論者も、本当に困ったときに「神様!」と思ったことが一度もないとは言わせないよ。
195 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 01:41:50.17 0
神の真理は、神のみぞ知る 宗教がいかなる教義をこねくり回したところで、所詮は人間がつくりだした詭弁に過ぎない 宗教とは、「石を積み上げていけば何時かは宇宙に到達できる!」と考えるに等しい、人間の愚かな思い上がだ 神は不可知にして、宗教は人のつくりし最大のペテン 宗教を全否定することこそ、不可知な存在の神に僅かながらも近づくことができる最初の一歩だ しかし、その一歩とて、蟻の一歩よりも遥かに小さい・・・
196 :
123 :2015/01/07(水) 18:02:13.92 0
神の真理は、神のみぞ知る。 だからして、人間は知ることができない。 それならばどうするのか。 答え。人間をやめて神になれば良い。簡単なり。それが宗教である。
197 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 18:32:18.81 0
神になれるのは科学か芸術だよ。宗教ではない。宗教は神の崇め方を思いついたまま語っているだけ。
198 :
123 :2015/01/08(木) 10:35:15.04 0
神を知らないで、なんで神と交渉することができるのか。 それを狂という。
199 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 11:00:02.40 0
あのー、また夜頃お話できますか?
200 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 18:18:03.99 0
どんな分野でもいい。一度「神」と呼ばれてごらん。 どういうことをやれば神になれるのかイメージが出来てくるよ。
201 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 19:31:32.14 0
それは神じゃないだろwプロだろw
202 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 19:48:53.08 0
いや、ただのプロじゃない。 例えばさ、小学生に「神様、神様」と言って追いかけられるとか、 おばあさんに拝まれるとか。そういう経験してみ。
203 :
考える名無しさん :2015/01/09(金) 02:17:17.09 0
対称が神であろうと人であろうと法であろうと、崇拝という行為そのものが間違っているのだ そもそも、神が存在したとしても、なぜ崇拝しなければならないのか? 人間は神や真理に対して明確な回答など得ていないのだから、それに対して探究と検証を重ねていくことこそが、本当の信仰心だと思うのだが・・・ あらゆる宗教の信者に対して言いたいのは、あなた方が信じているのは、神ではなく宗教そのものであり、崇拝の対称も教祖であり、経典であり、神の概念を形にした偶像に過ぎないのだと 真の信仰とは神を崇拝することにあらず、探究し検証することにある
204 :
123 :2015/01/09(金) 07:30:12.65 0
探究し検証することである。 そして、その主体が神であることになる。 なんでか。 神とは働きであるからである。 その働きを主体化したものが神であることになる。 それは不要であるかも。
205 :
考える名無しさん :2015/01/10(土) 10:51:03.54 0
アナクサゴラスという古代ギリシャの哲学者は、「太陽は燃える石で、月は土でできており、月は太陽の光りを反射している」と言って、太陽も月も地球も天体であると説いていたが、太陽や月を神様と崇める当時の人々に糾弾され、裁判にかけられた しかし、数世紀にわたる科学的検証の結果、太陽も月も神様などではなく天体であることが証明され、今では太陽や月そのものを崇拝する人間は殆どいない 人類はその部分において、「神とは何か?」という真理に僅かながらも近づいたと言える 科学的、心理学的、哲学的探究と検証の積み重ねこそが、神の真理に近づく唯一の方法であり、本当の意味での信仰だと思う 人間がつくった宗教など盲目的に崇拝せず、知を愛し、探究心を養い、検証し続ける情熱ことこそ本当の信仰心ではあるまいか? アナクサゴラスは言った「探究こそ人の幸福であり、人生の意味である」と
206 :
考える名無しさん :2015/01/10(土) 11:03:15.87 0
神を知ろうとするなら、神は無限後退する
207 :
123 :2015/01/10(土) 20:55:08.31 0
神は対象化して知るものではない。 なんでか。 それは神によって対象化されたものを知ることになるからである。 なんでか。 神は対象化の対象でないからである。 なんでか。
208 :
考える名無しさん :2015/01/11(日) 10:12:30.49 0
生きていく上での将来とか死とか漠然とした不安を解消できない人が宗教とか神にすがってその不安を解消する いわば外付けハードディスクみたいなもんじゃないの
>>202 これを見て思った
「やっぱり神ってのは総じて狂ってるんだな」と
失敗すら常に正しいとされるってのは、まともでいられるとは思えないんだ
210 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 01:54:58.05 0
イデア論的には、神のイデアが存在し、人類はそのイデアから得たインスピレーションで宗教をつくっていることになるのかな? だとすれば、宗教は個々の人間の勝手な解釈に過ぎず、本当の神はイデアであり、不可知な存在ということになるのか? 詳しい人がいたら、検証しておくれ
211 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 05:27:00.73 0
神自体個々人の脳が作った架空の存在に過ぎない。 すなわち神という概念は、イデアの正当性を権威付ける道具に過ぎない。 実体は、自らが理想とするものを強化して実現へのモチベーションにしようとしているだけ。 これは悪いことではない。人間の意志の弱さをカバーしようとする巧妙な思考形式だ。 現実を理想に近づけようとするとき神という概念を用いるかどうかは人による。 但し、直面している困難が大きければ大きいほど神の概念は有効に働く。これを俗に「困ったときの神頼み」という。
祈りや誓いは意志力を強化する訓練の基本 祈りや誓いなどの儀式を軽く見ないほうがいい 神という観念が嫌いなら、日本のために祈る、世界のために祈る等
213 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 12:28:44.76 0
もちろん。「祈り」について脳科学的にアプローチする試みも行われているようだね。 私も時々お祈りするよ。でも、お布施とか献金とかは不要。脳の問題だからね。
214 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 14:23:43.12 0
祈りというのは、思考の中での「念」のようなもので、スターウォーズのフォースのような感じかね? だとすると、怒りや嫉妬で生じる「呪」とはダークサイドのようなものかな?
215 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 20:11:08.64 0
外に向かって力を発揮するっていうと、何かオカルトじみてくるな。 でも、脳の状態を変える試みと考えれば、不思議ではない。 〇〇をやると、なぜか落ち着くなんていうのは、日常茶飯事、生活の知恵みたいなもんで、実にありふれた話だろ? そういうものの一種だと捉えればいいのではないかな?
216 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 21:54:28.95 0
では、祈りや宗教ではなく、自らの強い意思で不安を克服するのが、超人という訳ですか?
217 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 21:56:34.11 0
流されるだけの思考、神がいれば考えなくいいわけだろ?
218 :
考える名無しさん :2015/01/13(火) 14:23:36.84 0
そうそう、ニーチェは祈り不要論。
219 :
考える名無しさん :2015/01/13(火) 14:25:42.02 0
結局みんな安心・安定のための脳操作術なんだよな。 こういうのを昔から「心のよりどころ」と言って来た。 だから何も難しく考えることない。たいしたことじゃんないんだわ。
220 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 16:49:32.65 0
まあ同意を求めたり、客観的に神がいるノダなんていうからややこしくなるということか。 八百万の神がけっこう好きなんだけど、日本に生まれたからだろうな。 あとスピノザの神は好きだな。 無神論者だけどな。w
221 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 19:44:20.58 0
包丁塚とか針供養とか、ヤオロズの神って道具にまで宿るらしいね。 業者の人たちは、きちんと神社通っているみたいだよ。アレも安心のためかな?
222 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 21:02:25.28 0
今日の歴史秘話ヒストリアはリスボン大地震
223 :
123 :2015/01/18(日) 17:43:43.48 0
靖国神社の氏子でない人が、そこに参拝しても、御利益はない。 あなたは、どこの神社の氏子なのか。 そこを明確にしないと、御利益がないことになる。 日本人は欲張りであるからして、どの神社でも参拝することになる。 だいたい、神社なるものは、私立の宗教法人であって、 そこに神が存在しているという保証はないのだ。 だからして、参拝なるものは、宗教ではなくして、人生論であることになる。 では、神はいずくにか、ありや。 そこが問題である。
224 :
考える名無しさん :2015/01/18(日) 22:23:57.76 ID:yQH0DlME0
225 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 01:44:59.32 0
結局まとめると、宗教にとって神は必要だが、神にとって宗教は必要でないということなのね。
226 :
123 :2015/01/26(月) 08:51:24.56 0
神=宗教である。 その両者を分離することが誤解であることになる。 だが、みんなの宗教は、宗教ではなくして、人生論であるということである。 そこを厳格に区別する能力がないことが悲劇であることになる。
227 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 15:25:27.56 0
>>223 神社のことはあまり詳しくないので、教えて頂くとありがたい、そもそも氏子制度っていつからあるの?
別に神道に正式な聖典とか教義や戒律がある訳ではないのだから、古代人のような汎神論的な考え方で自由に参拝しちゃダメなの?
そもそも、神が存在する保証とかいい始めたら、全ての宗教に言えることなのでは?
228 :
S、イマムラ :2015/01/26(月) 16:43:51.57 0
c点論者 「宗教」は、「本質論」です。 「本質論」については、サイト「c点による時空論 改訂版」を参考に。 「本質論」では、何らかの「視座」を信ずる事が必須条件です。 「宗教の視座」は、「神仏」でも「自然(山岳信仰など)」でも、「 信念(総ては空で存在しないとか)」でも、何でも「視座」を信じて 「生きる心の支え」とします。
229 :
S、イマムラ :2015/01/26(月) 17:00:08.50 0
c点論者 「宗教」のみならず「本質論」の「視座」は、「科学」「哲学」 とは、異なり、「矛盾の否定」「論理の正確」は必要としません。 例 「色即是空」つまり、「色(現象、存在)」は即(すぐに、ただちに) 「空(非現象、非存在)」である。 つまり、「あるもの」は「ナイ」 と言う事。しかし、この「空」思想は、宗教(本質論)であり 誤りとはいえない。
230 :
123 :2015/01/26(月) 17:47:36.99 0
227. 宗教は民族宗教であるからして、その宗教を組織した人たちが氏子であることになる。 天から降ってくるのが宗教ということにはならない。 だからして御利益は、その宗教の範囲内に存在することが必要であることになる。
231 :
123 :2015/01/26(月) 17:54:28.15 0
229. あるものは、ナイか。 それは現象、存在の問題か。そうであるならば、それは宗教の問題ではなくなるのではないか。 そこの反省を願う。
232 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 18:54:10.04 0
神=宗教?実証してみ。
233 :
123 :2015/01/28(水) 08:36:06.01 0
実証は科学の問題である。 科学バカをやめて宗教をやれば理解できることである。 だが科学バカは納得しないのだが。
234 :
S、イマムラ :2015/01/28(水) 09:54:41.41 0
231様へ c点論者 仏教は、典型的な東洋の「宗教」 釈迦如来は、前提条件や過去の観念から抜けて、「生まれた赤子 の無心、純粋から」思索すべきと、「無」思想を説いた。成長の 間の「執着」が苦悩を生み、本来の「無」の境地に立てと訓えた。 文献が無いので、正確にはわからない。 竜樹は「空」思想を説き 色即是空 空即是色 と説き 認識主体もなくて 「あるもの総て」はナイ」。 と説いた。 「本質論」のため、「非論理も矛盾」もあるが、これが「この世の 真理(本質)と言う。誤りでなく、「禅」思想の中核です。 日本仏教では、重点論の一つです。「宗教」そのもの。
235 :
S、イマムラ :2015/01/28(水) 10:27:15.87 0
c点論者 「宗教」は「本質論」です。 「神を信ずる(視座)」限りは、「神」は宗教にとって必要。 しかし、「視座」を認めない者には、「神」は意味を持たない。 「信じられない神」など、「宗教」が如何なる「利益を説こう とも」、いみを、持たない。
236 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 10:33:02.03 0
あるものは総じてない。などどいう幽言で煙に巻こうとする。 神を信じる理由はひとつだけである。 存在を確信したから。
237 :
123 :2015/01/28(水) 14:33:43.63 0
234. 認識主体もなくて、か。 認識主体がなくしては、認識ができない。世迷言になる。 仏、釈迦が認識主体である。 神が認識主体である。 235. 神を信じるために宗教が存在しているのではない。 神は信じる対象ではないのだが。これは信じられないかも。
人間は権威に弱い。 権威が好きだ。 思考停止の格好の言い訳だ。 信者と教団双方の利益が一致する。 故に宗教に神は必要だ。 「神」というのは係わり合いにならないほうが善い何物かだ。
神とは「信者の思惑」に「お墨付き」を与える権威であると同時に奉仕者である。
240 :
S、イマムラ :2015/01/28(水) 14:58:17.90 0
c点論者 237様へ c点論者 竜樹の「空」思想や、この時代の「唯識派」は、認識主体も 認識対象もない。これが東洋の「無」の哲学として、神秘的 で、オリエントらしい幻想から、西欧の「有」の哲学に常に 対比される。
結局、神とかこだわらない国のほうが平和ってどういうことよ?
242 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 15:53:00.36 0
宗教には毒がある。しかし神には悪意はない。
243 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 16:16:54.63 0
毒を消すためには宗教なしに神を認めるしかない。
244 :
123 :2015/01/28(水) 17:14:48.87 0
240. 無か有か。 両者を対立させることが誤りである。 有即無。色即是空とか。だがこの両者は相違するのだが。 空の思想を、存在の問題、科学の問題とするのが誤りであることになる。 それでは、それは何か。 ここが理解できると宗教も終わりであることになる。
245 :
123 :2015/01/28(水) 17:15:57.05 0
240. 無か有か。 両者を対立させることが誤りである。 有即無。色即是空とか。だがこの両者は相違するのだが。 空の思想を、存在の問題、科学の問題とするのが誤りであることになる。 それでは、それは何か。 ここが理解できると宗教も終わりであることになる。
馬鹿+神の大義名分=災厄 神などないほうが断然まし。
>>243 いや、両方を排除しても結果は一緒だよ
25万年前の人類に神がいたとは思えない
もしいたのなら26万年前はなにをしていたか聞きたいね
248 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 15:32:20.76 0
なに言ってるのかわからん。 だいたい最初から、両方排除なんて誰も言ってない。
249 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 15:56:25.73 0
とりあえずレコーダーと字引は必須
パスカルの賭けがどうも気になる
251 :
考える名無しさん :2015/01/30(金) 18:49:01.13 0
あれは卓見だと思うよ。絶対損しない心のよりどころとしての神を肯定する。 ただね、絶対損しないためには、一切お布施の類を出さないことが前提。 したがって、宗教なき有神論が一番正しいことになる。
>>248 「そもそも神ってのも必要か?」ってこと
宗教や神ってのは木の槍のようなものだと思うよ
大昔は狩猟の道具として必要だったけど、文明が進歩して不要になった
253 :
考える名無しさん :2015/01/31(土) 11:55:40.29 0
>>250 あれは量の問題を無視してるのと、暗黙のうちに絶対神以外の神を無視している点があかんねん
神の存在を証明しようとする人に一つ注意をしたい 神は人にとって友好的となぜ信じることができるかを先に論じてもらいたい 正直な話、神にとって人間はただの最新おもちゃなのではないかとも思う ちなみに前に熱中したおもちゃは恐竜で、神が厨二の頃の黒歴史がカンブリア爆発ね「ハルキゲニアの存在を歴史から抹消したい」とか思ってそう
突っ込みどころ満載のキリスト教に対して仏教のクールさはどうだい。
仏教は宗教ではありません 自己啓発セミナーです いや、マジで
>>255 それ上座部仏教に限らない?
大乗仏教はぐちゃぐちゃのどろどろだと思うけど
258 :
123 :2015/02/01(日) 11:48:11.88 0
仏教は宗教でなく自己啓発セミナーか。 その限度であっても良いよいうことである。 それを超えて宗教であっても良いということである。 その両者の区別ができないとか。
259 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 15:07:07.54 0
一般意思と呼べるような普遍権力を個々人の頭に植え付けるうえで、それを信じることはとても有効だと思う
260 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 17:00:11.05 0
とれあえず信じておく、とか半身半疑という心理状態も十分価値あるものなんだよ。 信じるか信じないかの二者択一を迫るのは間違っておる。ステレオタイプの馬鹿。
いや、人間を超えるものがあるかどうかという事だよ。
本当はこういうの自己流でガンガンやるの得意なんだけどね。
263 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 17:07:14.89 0
宗教はあってもいいと思う。ただガチで信者になった奴は正直うざい。 何でも教祖様の教えに結び付けてしまうからな。 社会現象なんかも全部教祖様の言うとおりになってるwとかでおおはしゃぎで長々と解説してくる。 最近じゃ見た目に分からないからなぁ、そこがまじで怖いわ。
264 :
123 :2015/02/03(火) 17:36:44.68 0
人生論やってるだけの宗教が多い。 だからして神が登場することが必要となる。 その両者の区別ができないから、そうやっていることになる。
けっきょく思考を極限状態に追い詰めれば 二者択一を迫られるしかないよ 思考実験として長崎の踏み絵とか魔女裁判の当事者になったら自分はどうするか? みたいにさ 曖昧なんて流暢なこと言ってられないでしょ
266 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 17:52:58.45 0
ハハハ、思想・良心の自由を侵害することは近代以降は許されないんだよ。 そのような世の中に戻らせない司法体制こそが決め手。半信半疑も自由なんだよ。
267 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 17:54:29.09 0
踏んで命取られる方がバカだろ。 宗教の恐ろしいところは命の価値を軽んじてしまわざるをえないところだね。 どうしても死後の世界と結びつくわけだし。
268 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 17:56:17.26 0
「命の価値」をどう扱うのか?(宗教に善悪があるかはわからないけど) 異常と正常を分ける最初のポイントになるんじゃないかね?
269 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:12:06.51 0
>>267 逆じゃね?w 俺だったら全力で踏むけどな
あの世がこっち側よりいい場所ならみんな行くだろうな。
死後の世界とか扱ってる時点でお察しやん
270 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:22:14.71 0
きっと、いいところだよ。だって誰も帰ってこないんだから。
271 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:30:27.17 0
きっと、いいところだよ(笑)。だって誰も帰ってこれないんだから。
272 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:35:36.46 0
天国というテーゼ 地獄というアンチテーゼ 地上というジンテーゼ そしてもう一つある。
273 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:45:08.63 0
ポケモン王国
274 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:54:28.52 0
»272 もうひとつが俺には解らんのだが説明してけろ
275 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:56:14.27 0
ふざけないでくださいよ!こっちは遊びじゃないんだ!
276 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 18:56:49.25 0
どうぶつの森
277 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 19:04:29.64 0
あぁ、そういうことか、分かりました。 ヘレニズム哲学ですね。
278 :
考える名無しさん :2015/02/03(火) 21:58:45.62 0
宗教はあっても良いと思うが、祈るだけで十分じゃよ 説教だの戒律だの聖典だのは不要じゃな
279 :
123 :2015/02/04(水) 08:36:29.50 0
祈ることは宗教ではない。 ここが理解できないのが、普通ということになる。 人生論やっていろ、ということになる。 神は厳格なり。
280 :
考える名無しさん :2015/02/04(水) 09:45:40.16 0
神秘体験なんて脳味噌に針と電極差し込めば何度でも体験できるンやで
281 :
考える名無しさん :2015/02/04(水) 10:32:36.30 0
祈るだけで十分だ 宗教は道徳を語るべきではない なぜなら、神は普遍かもしれないが、人間の道徳は時代と共に変化するからだ
282 :
123 :2015/02/04(水) 18:35:44.94 0
祈ること、神社参拝、仏像礼拝、そんなことは宗教になりえない。 それは、人生の態度、道徳とかの問題であるだけのことであるから。 ここの区別ができないことになる。 祈るなんてものは自己の欲望の表現形態であることになる。
283 :
考える名無しさん :2015/02/04(水) 19:25:43.40 0
人の生き方や道徳、倫理を宗教に依存するのはカルトだよ そこが理解できないから、カルトであり狂信であり、何を言ってもダメなんだろうけどね だいたい、日本人の殆どは、宗教と倫理や道徳は別物だと考えている でも、神道はそれでいいんだが、仏教は困るので必死に抵抗するみたいだけどね クソ坊主が哲学やるほど、有害なことはないわな しかし、断言するけど、日本人は既に仏教的価値から脱却しつつある 神社にお参りに行く人はこれからも絶えないだろうが、葬式や墓は不要という人間は増えこそすれ減ることはない 残念だがこれが現実だよクソ坊主!
284 :
123 :2015/02/05(木) 08:53:21.24 0
葬式とか墓とか仏舎利の骨とかは、宗教とは関係ない。それは宗教ではない。単なる儀礼の問題であることになる。 神社参拝も宗教ではない。それも儀礼の行為であるだけのことである。 儀礼が宗教だと思っている人が多いのだが。誤りであることになる。 宗教は難解であるから、儀礼ですませてしまうのである。
285 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 11:49:49.12 0
宗教で飯を食ってる連中には、神や仏は死活問題だからな
286 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 12:13:58.76 0
w
287 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 19:08:04.06 0
儀礼というより演出。雰囲気で人を取り込む。これが常道。がんばって。
我は有りて在るものなり
289 :
考える名無しさん :2015/02/09(月) 07:42:55.91 0
神が必要な人が沢山いるんだよな。 そういう人たちが強制する。 神が必要でない人たちがいるのは自分の価値観が否定されることになるんだろうなあ。 自分自身で価値観を創出できれば良いんだが、そういう人ばかりじゃないから。
290 :
考える名無しさん :2015/02/09(月) 08:10:22.67 0
宗教と下半身の話はしないことと祖母ちゃんが言っていたことを思い出した。 人前では話さないことにするよ。 何気に年寄りの智慧の深さがわかる歳になってきた。w
291 :
考える名無しさん :2015/02/13(金) 02:16:33.40 0
高校生とか十代とか若いうちは、いかに世の中が、どれだけ詐欺師だらけ、魑魅魍魎だらけで溢れかえってるか って事をすぐには分からないからね…。ちょっとでも悪い噂のある宗教組織は、カルトであると判断した方がよい。 それぐらい、警戒してても、警戒し過ぎってことはないよ。 正統なまともな宗教は、「入信しろ」「金を出せ」「脱会するな」なんて事はまず言わないはずだ。
292 :
ちゅん太郎 :2015/02/13(金) 02:37:05.66 0
宗教は哲学と対峙するような概念であり、哲学は学問の集積に基づいて
世界観を形成するが、宗教は神話に基づいて世界観を形成する。その様な
世界観を意味づけるものは、社会の外にある不可侵の存在であって、
そうでなければ世界全体を説明することが出来ない。ここで登場するのが
神の概念であって、神が無ければ世界観を説明することも出来ないし
教祖それ自身も世界の構成要素であるから世界観を紡ぐことは出来ない
のである。この様に舐められないから神で権威付けしたのではなく、
世界観を付与するには社会外の絶対不可侵の存在に言及しなければ
ならないからである。この様な神を現実へと招きよせるのがニーチェ
先生の言う超人概念であり、それについて語るのがこのスレである。
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1423691066/
293 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 00:59:32.73 0
神や宗教は単なる心理学でしかない。 それも、頭のおかしいキチガイの。
294 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 01:21:46.22 0
アメリカの大学に留学していた時、心理学の教授に「日本人の宗教は仏教なんだろうね?」と聞かれて「ええと、それもあるけど、神道です」と答えたら、「それもある?神道???どんな教義だね?」と聞かれて焦ったな 下手くそな英語で「えー教義なんて無いし、あるかもしれないけど知らないです。神殿に行って好きなことをお願いするだけです」的なことを言ったら「そりゃすばらしい!」と感動していたが、あの教授は理解できたのだろうか・・・
295 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 01:23:50.90 0
>>1 未来が見えないから、預言者が必要なんです。
宗教を必要とする人神を崇拝するように、宗教を必要としない人は科学を崇拝する 宗教も科学も必要としない人は国を崇拝する 宗教も科学も国も必要としない人は自分を崇拝する それぞれがわたしの宗派こそが絶対神であると、他信仰者を見下す
297 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 07:48:48.64 0
多くの人に神が必要なんだろうな。 科学は誰がやっても同じ結果が得られるから信頼性がある。 国家は必要だけど、必要悪だろう。 国は崇拝しないが必要だと思っている。 けっきょく自分で価値を見つけられなければ宗教、国家が支柱として必要なんだろう。 科学は支柱にはならないが、裏付けにはなるだろう。 自分の価値観を創出できても、自分は崇拝しないよ。w それぞれだと思っているし、押し付けもしないし押し付けられたくも無い。
298 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 08:47:32.36 0
自分が何故存在するのか? それは、その存在を作りだす神という者がいるからである。 つまり、宗教というものが有ろうが無かろうが神は居る。 宗教とは単に、その伝聞のことである。 故に宗教に神は居ない。
299 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 08:52:55.34 0
科学とは、神が作ったものに勝手気ままに名前をつけ、 あーだこーだ言う、することを言う。 崇拝には値しない。 科学はこれ以上、人間の寿命を伸ばせない。
300 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 08:55:45.85 0
全ては神の手の平で遊んでいるに過ぎない。 そして神の意のままに人は死ぬ。
301 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 10:30:32.78 0
神を創りだしたのは超神である。 超神は超々神である。 無限神が登場し、超無限神・・・
302 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 10:31:31.88 0
来たか、超さん待ってたほいっ。
303 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 10:51:04.16 0
カミカミだよな、このスレ。
304 :
S、イマムラ :2015/02/16(月) 11:41:38.38 0
c点論者 宗教に「神」は必ずしも必要ではない。 「本質論」に属するので、「教義を信ずる事」は 必須条件です。 「神を信ずる」教義の宗教では、「もちろん、「神」 がなければ、信仰が成立しない。
305 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 12:24:19.69 0
将来的には宗教を廃止し、新しい価値観を与えるなんて 未来技術板とかで簡単に言う人いるけど、そんなに簡単にいくの?
306 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 12:29:22.50 0
俺は無神論だが、行かないだろうと思うけどね。 人間が死から免れない限り宗教は不滅だと語る学者が居るが、この意見にわたしは同意する。
307 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 18:24:48.48 0
>>304 例えば、「表現の自由」という宗教がある。
それは何かと言うとイスラム国の人質殺害、或は、ろくでなし子のグロ画像、
或は、大衆の面前で糞をする、或は、預言者を風刺し命を狙われる、もしくは
無実の者が殺される等である。
端的に言うなら、表現の自由とは、反吐が出るわのことであり、自由でも
何でもなく、ある種の拘束を示唆する。命を狙われるとかモロに拘束である。
取り敢えず、表現の自由、そのものが存在しないというのは、これだけで
言い切ることができる。
他にも、表現の自由を噛み砕いてみると、それは単に
〜させてくれなきゃ嫌だの言い換えであることが解る。
つまり、それは単に幼稚な駄々っ子以外の何ものでもなく、
その意味でも、存在しないと言うか、有り得ない事柄なのは明白である。
308 :
123 :2015/02/16(月) 18:40:45.36 0
表現の自由とは。 誰に対する自由かということである。 第一は国家に対する自由である。 第二に民間人に対する自由とは生存競争の問題である。 それは対人的に存在する。 自分勝手の問題ではない。
309 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 18:41:35.15 0
つまり、宗教とは、どうも人がそういうから、そうらしいという 又聞き、伝聞を根拠とする、有るのか無いのかもわからない、 本当か嘘かも解らないような空気のようなものである。 例えば、科学という宗教もそうである。 ある仮定から結果を導き出すだけのことであるが、その仮定とは 人間の想像の範囲を決して超えるものではない。 例えば、猫は人間が見えない、聞こえない範囲が見える、聞こえる。 しかし、その範囲というものは人間の想像もできないことなのである。
310 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 18:47:50.82 0
>>308 それは単に規制に対する反発である。
規制が理不尽であるならば、規制は効力があるはずがない。
つまり、なにをやっても自由なのだ、とはそれ自体が理不尽である。
故に、自由に効力が有るはずがないのである。
311 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 19:05:47.08 0
>>305 >>307 から、その新しい価値観を試み中。
バカな噂話信仰から目を覚まさせる、
つまりバカを直すということである。
312 :
考える名無しさん :2015/02/16(月) 19:25:28.30 0
きっと、ある種の拘束が理解されないと賢い俺は思うので、喩えを用いる。 例えば、例に挙げた、「表現の自由」これ自体が、有識者にとっては 100%存在する既成概念となっており、100%既成事実として錯覚してしまうから、 この概念、この事実に対して、遠慮してしまう、縮こまる、委縮する。 こうしたことを、ある種の拘束と言っているのである。 つまり、「表現の自由」とは、「表現の拘束」のことなのである。 理解できたかな?
313 :
哲人28号 :2015/02/17(火) 04:49:20.57 0
ゲ!反論、もしくは補足が来ていないw S、イマムラさんみたいな、優秀な人に、それを期待したが、 興味が無いかな?俺は仏教を説いているに過ぎないんだけどなw 仏教語を知らない、興味が無いから、ほぼ使わないという特徴があるがw
https://www.youtube.com/watch?v=IxuThNgl3YA Bruce Springsteen - Born to Run
斎藤佑樹投手が伸び悩んでいるようだが、それは小手先に捉われるからである。
往年の名投手達は、大概走り込みが足りないからと言うが、その通りといえる。
それは地力ともいえるものであり、比較されるマー君との対照でもある。
野生児的地力がないから、ストレートが安定しない、コントロールできない、
伸びが無い、球がお辞儀をしてしまうおいうことになる。
人間は走るために生まれてきた。ブルース・スプリングスティーンが歌が下手
というのは置いといて、これは或る意味、真実である。
Born to Run という歌は比喩表現であるが、真実、重要なのはマジ走りで、
現代人というものは、走り込みというか、歩き込みというものが足らなさ過ぎるのである。
健全な精神は、健全な肉体に宿るのである。
316 :
考える名無しさん :2015/02/18(水) 13:09:27.44 0
宗教は世界の解釈 神は存在ではなくおそらく世界の構造やシステムを指す 悟りを開いた人、預言者、いわゆる教祖と呼ばれる人は世界の構造を理解した人達 (科学的な分野ではない) そして教祖と呼ばれる人達は世界の構造を教えたのではなく自分で世界の構造を知る為の方法を教えた だから今日に至る宗教の細分化は世界の解釈の違いによるもの 近年の新興宗教の教祖はこれに当てはまるものは少ない 多くは金儲けのために機能させている
317 :
S、イマムラ :2015/02/18(水) 15:13:00.26 0
313様へ c点論者 「仏教には、表現の自由は、アリマセン」。 総ての仏教が、其れであると言うものでは、ありません。 釈迦は文献が有りませんが、「この世の仕組み ?」への 思索を禁じ、生まれたままの無垢な、執着のない気持ちで 生きる事により、人は苦しみより救われると、説いた。 信じて疑わない。自由な言論は禁じている。「執着が苦悩 を産む」と説いた。と、信ぜよと。つまり、哲学でなく宗教。
信じることもまた執着ではないのか?
319 :
S、イマムラ :2015/02/18(水) 15:29:48.32 0
317につづく c点論者 竜樹は「中論」にて、「空」と言う概念を説いた。これを 疑う事を禁じた。そでは、この世の一切は空(無)で存在 しない。認識主体も認識対象もなく ? 空思想は生まれ た。一般には、仏教哲学とも現在の日本仏教で言う。 色即是空 色(あるもの)は即(ただちに)空(ない) 「あるもの」は「ない」 哲学では、ありえない。宗教なる「本質論」の為、信ずる者 には、真理(本質)である。言論の自由などない。 釈迦と竜樹とが思想を同じくするか、そこまでは知りません。
320 :
S、イマムラ :2015/02/18(水) 15:56:34.55 0
319につづく c点論者 空海の輸入した「華厳経」は、釈迦や竜樹よりも古い、古代 インド思想(広い意味では、ヒンズー)と思われ、華厳経宇宙 は「量子力学」に接点ありと言う者もいるが、「本質論」として 現代に通ずるが、本質論であり、「流動する時間の現実の宇宙」 とは、接点も定かでない。 これも宗教です。「神」などは、無関係。ただ、この華厳経宇宙は 創造神の「自作自演」と考えられ、古代インドでは、「信じられ」 ていました。興味ある宗教です。
321 :
S、イマムラ :2015/02/18(水) 16:15:54.49 0
320につづく c点論者 密教(大日経、金剛頂経、理趣経) 顕教(般若経、華厳経、法華経) 一部には、「科学」に通ずるものもある。「哲学」もある。 「本質論」も多く「信ずる事」を要求するものもあり、修業し 悟る者も多い。 日本仏教には「神」はアリマセン。日本神道は「やをよろず」 と言うほどの多数の「神」様がおります。 他国の宗教は、皆様のご存じのとうりです。
322 :
S、イマムラ :2015/02/18(水) 16:21:14.94 0
c点論者 宗教と表現の自由 難問です。
>>319 その見解で全然おkです。
認識主体も認識対象もなく ?については、
そりゃ、主体がないというのは有り得ません。
あくまで、認識対象です。
宗教と表現の自由、 難問です。については、
無いものを作ろうとするから無理が生じます。
人間は有るものしか問えない。ならば、難問は消えます。
宗教を本質論とするならば、その本質について、
竜樹や釈迦は、どう言うでしょうかね?無と言わないでしょうか?
もし、あなたが本質についての考察を止めるならば、きっと楽になると思いますよ。
私は〔そこに〕来ることも説かず、行くことも、留まることも、死ぬことも、生まれることも
〔説か〕ない。それこそが苦しみの終わりである。
と、ウダーナにある通りです。仏教というのは、安らぎですよ。
追いかける、もしくは、逃げることを止めることを言います。
補足 ちなみに、追いかけると生は同じです。逃げると死は同じです。 仏教の生死とは、例ではなく、そのものです。生死の滅を言います。 これが、苦滅です。
325 :
正理会 :2015/02/19(木) 15:42:24.44 0
つまり死ぬまで苦しみはなくならんと。 神を持ち出すのは人間界を超えたところで我々を見ているものがいるという 超越的な啓示だな。 仏教なら宇宙だよ。夜は千の目を持っている。 なにか我々を見つめ運命を握っているものがいるのではないか というのはどの宗教でも同じだな
327 :
123 :2015/02/19(木) 19:01:07.43 0
苦しみを生産して設定した者は誰かの問題である。
328 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 02:27:04.85 0
だから神は構造を創った者ではなく構造そのものなんだよ それをどう解釈するか、それで宗教は分かれる 言ってしまえば神に内包されて我々は存在している
329 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 18:23:41.30 0
アニミズムにつながる考えだね。 案外あたっているかもよ。
330 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 18:53:43.15 0
>>328 これは上質だな。アニミズムとしてw
天上にいようが、人を「内包し」ようが、それらはとどのつまり人間の頭で
考え出したことにすぎない。「構造を創った者ではなく構造そのもの」と
いったとしても同じ。あれ? いや、「構造を創った者」でいいではないかw
「構造そのもの」といったらあきらかに間違いだが、「構造を創った者」なら
その「創った者」は創られた世界の外部に置かれるわけで、正しい。
一神教の「神」と、それ以外の「神」は名前が同じだけで思想的哲学的には
峻別しておかないとならない。ハイデガーの「存在」も思考の型は前者に倣って
いる。
331 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 19:05:27.56 0
>>89 > 一神教の神は実は人格神の側面もある。
どうしてもアニミズムの残滓はある。旧約は民間伝承も純粋な思考実験も含む
集成だからしかたがない。だがどこに旧約の価値が思想的にあるかを考えれば
「この」世界に神を見出すことの禁止、想像することの禁止、名づけることの
禁止、呼ぶことの禁止等の、アニミズムの残滓を一掃するところにある。積極
的に神は語りえない。まさに沈黙せよ、だ。人間の救済を目的としない神だか
ら、その峻厳ぶりに耐えられなくなったユダヤ人がもうひとつの宗教を派生さ
せたくなったその動機はよく理解できる。
>>330 その構造を創った者はどこから現れたんだろう?
やっぱり構造そのものに帰結しないかな?
333 :
考える名無しさん :2015/02/20(金) 21:35:46.07 0
世界ができたのは偶然 自分たち生命ができたのも偶然 でも人間は偶然生まれたことを認めたくはなかった だから神という上位互換の存在を創り出した 人間は自分の存在意義を確立させようとしている
335 :
考える名無しさん :2015/02/21(土) 01:06:23.30 0
>>333 では、偶然とは何か?
君は偶然というものが本当に存在するとでも思っているのか?
物事には全て理由があるとか聞いたことなか?
偶然で科学が成り立つとでも思っているのか?
>>328 その解釈がもちろん正論だ。
最初に神ありきというのは不自然極まりない。
ただ、ある段階から創るをしないというのも不自然だ。
>>326 そうではなく、ある事柄で追いかけるのを止める、ある事柄で逃げるのを止める
それを繰り返すうちに苦しみは消えると言っている。
それがズバリ生死の滅に相当する。
つまり、実際の事象について言葉というものはあるのであるが、
別の言葉で全く同じ事象を指しているということは多々あるということ。
これは感覚的なものであり、
感覚自体に言葉というものが存在するはずがない。
ただ、人間が適当、好き勝手に名称を付けてきたに過ぎないことを現わす。
理解できるだろうか?
つまり、言葉というものは際限ない広がりを見せるようではあるが、 実際の感覚的事象というものは、限られてくるということであり、 即ち、 351 さとりの究極に達し、恐れること無く、無欲で、わずらいの無い人は、生存の矢を断ち切った。 これが最後の身体である。 こういうことが事実上言えてくるのである。
生きる者は死ぬ 死ぬ者は生きる 生きない者は死なない 死なない者は生きない これは単なるロジックでも何でもなく、実際の事象、そうなることをいう。
さとりの究極に達する人が、恐れること無く、無欲で、わずらいの無い人なのは 事実であるが、 恐れること無く、無欲で、わずらいの無い、このよう努める人が、 さとりの究極に達すると、俺は言い切る。
343 :
123 :2015/02/21(土) 13:37:07.67 0
無くなると仮定して、その後に、何が残るのか。 そこが問題であることになる。 無という修行の途中であってはならない。
2・2 あるいは、世における欲望の安楽 ――あるいは、天におけるこの安楽 ――それらは、渇愛の滅尽という安楽の、十六分〔の一〕にも値しない。 まぁ十六分〔の一〕が人によるというのは、言うまでもないが、 比するものが存在しない、は言い切れる。 もし、そうゆうことが無いのであれば、やる意味というものがない。 残るものは感覚全ての理解者となる。これは一側面。 残らないとは、同時に、その感覚が残ることでもある。
>>339 軽減はするだろうが苦しみの消えた人を生憎しらない。
偶然というのは生成の過程でのある事故という考えもできるだろう。 私が道を歩くとき石に躓いた。 そこに意図されたものがあるとは思えない。
>>345 例えば、人は首を絞められれば当然、苦しい。
つまり、そういうことでなく、
例えば、宗教に入る人というのは漠然とした不安感を持っている。
これの悪用が占い師や宗教勧誘のコールドリーディングというもの。
つまり、実は漠然とした不安感は万人が持っている。
これ自体が消えるとは言い切れる。
>>346 それは不注意だからという理由がある。
身体がフワついている状態とは言い切れる。
もう少し書くと、漠然とした不安感というものは、実は自分、我ということでもある。 つまり、自分とは感覚的なものであり、質量的なものを指す。 つまり、自分の顔を指して自分です。この意味の自分をいう意味では決してない。 これはどうやって作成されるかというと、例えば、自分はA型だから几帳面だ。 自分は有名大学、一流企業に入ったから優秀だ。或は、この逆。 自分は、優しい、厳しい、或は、人生がつまらない、あの人が憎らしい、 こういった事柄で無意識の内に形成されてしまう。 世間的には、この漠然とした不安感イコール自分というものを個性といったりして 寧ろ尊重する傾向にある。 故に単純に、これを解いていくためには個性、不安感を持たない。 つまり、恐れない、欲ない、煩いない、拘りないが必然的に説かれることになる。
>>348 言いたいのはそこになぜ石があったのか?
(私はなぜそこで不注意だったのかを考慮してもいいが)
そこに意図されたような因果関係はないんじゃないか。
ということなんだけど。
>>349 確かにある程度の修行を重ねた人はそれに近づくとしても
多くの人は他力本願だからなあ。
そういう現状は仕方ないのかな?
>>351 それは仕方ない。俺は実際にそういうことをやってきたから言えるだけ。
つまり、知らなきゃどうしようもない。これを無明という。
しかし、それはやはり世間の逆行法だから知らせたとしても当人に
希望意志がないなら、やはりどうしようもない。
ただ、ああしたらいい、こうしたらいいは解るので、それが
一般人への仏教というものになったと思われる。
>>350 当人の脳裏に残る以外に因果関係というものはない。
普通に飯食うまで気にしていたら、キリがない。
もし石に躓いて思い当たることがあるなら、何かがある。
あっ、躓いた、だけというものなら何も無い。
まぁ修行というと困難なイメージというものが付きまとうが 実際の難易度というものは想像の半分か、それよりちょい上程度。 これも万人が持つ漠然とした不安感から生ずる勘違いと思われる。 例えば、滝行というものがあるが、当人がそれを楽しみながら やれないなら修行ではない。楽しくなければ修行でなく、意味がないともいえる。 もちろん俺は滝行なぞやったことがない。打たせ湯程度ならあるが。
354 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 01:16:23.73 0
宇宙や生命が偶然生まれたっていうんなら、別にそれでいい。 が、それだと神はどこにも存在しない事になるな 全てが偶然の世界に、何かを支配できる力は存在できないからな 人間の行動も意思も想念も善悪も何の意味も無くなり、全てが、時間とともに経過するだけの 単なる「運動」でしかなくなる
355 :
考える名無しさん :2015/02/22(日) 10:56:59.59 0
人間ありきの神、ではないのか? 単なる事象でも人がそれを神聖なものにしたらそれは神聖とされる 神も似たようなもので 世界を創った存在がいると仮定して それを神とみなすことにしたのでないか? この場合の神はアニミズムではなく唯一神に準ずるものだが
356 :
123 :2015/02/22(日) 15:50:40.42 0
人間は各種の支配を受けている。 その支配の根源を神に帰したのである。 それが便利であるからである。 だが確立された神は勝手に動き出すことになる。
357 :
考える名無しさん :2015/02/23(月) 01:04:50.39 0
宗教には崇拝対象が必要だから、神が必要なのは当たり前だが 今の人間達に神がはたして必要なのか?そうは思えないのだが。
>>343 無欲の状態で欲望を貪るのだよ
それ以外にやる事ないって分かるよね
無心の少年の心で大人を演じるわけさ
359 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 04:34:07.30 0
w
360 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 05:48:27.20 O
はったりも哲学かも
361 :
考える名無しさん :2015/02/24(火) 06:00:27.21 O
なぜそう思ったの?逆も真なり
>>355 神は人の心の中にいる、故に形而上の存在である。
万物共通の神などおらず、1人1人の神へ対する信仰は違ってくる。
信仰する人にとっての神が神の定義であり、他者の神を押し付けても
それは信仰ではないし神を定義して学んでも確認できない壁の
落書きにすぎない。
神は唯一神だが、アニミズムの神も信仰するものには唯一神である。
部外者がそれを1つ1つ命名し分離した説明が神の一面を具現化し
無数の神と説明してしまっただけ。
神と対話するときの神への姿勢こそが神であり、その比喩を具体的な何かと
思い込んだ貴方のような神を信仰しないものが神を偶像化しているだけ。
他人へ自身の中にいる神を説明するために神を命名し神を詳細に語る、
それが神が多数の神になる仕組みにすぎない。
363 :
123 :2015/02/26(木) 11:53:05.74 0
形而上の存在が世界を支配していることが問題となる。 なんでか。 その支配力の分配が問題となるからである。 私への分配が多くて、楽しいのかや。
364 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 12:54:37.04 0
>>362 についてより具体的に言うと、「神」をなぜ異なったイメージで捉えてしまうかというと、
ヒンドゥー教の多数ある異なった尊格像や世界各地の宗教によっての異なった姿がそのままのそれである。
極端にいうと、狐やUFOの姿・像として、それらを見るということもあるんだろう。
何故こんなバラバラで異なったイメージを見るかというと、それは、(見たそのイメージが)まだ絶対的な神じゃなく、
高級神霊(ハイヤーセルフ)だから、とも考えられる。
但し、ユングの元型論では、(精神病患者達は異なったバラバラではなく、ほぼ共通した像を見たんだ)と言っている。
これでは矛盾してようだが、これも一応説明できる。狐やUFOでは、高級神霊というよりも幽霊に近く、
キリストやマリア像、仏像の方がより深い領域(神話の世界)に存在してるから、というのが一因だろう、
キリストやマリア像、仏像の方が共通のものとして、より多くの人が見て、信仰を集めることになるんだろう。
狐やUFOやその他幽霊を、共通のものとして信仰するなんて人は少ないからね。
365 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 13:01:04.73 0
だから、キリストやマリア像、仏像は、幽霊等よりも、(より多くの人々の共通のイメージになり得る)、 集合的無意識に根付いた存在、なんだろうが、更にもっと進むと、完全に共通な像・イメージがあると考えられる。 それが、ユングの元型論で精神病患者達が見た共通な像・イメージだったり、曼荼羅だったりする。
366 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 13:08:01.75 0
じゃあなんでこの世ではバラバラな上に戦争までやっちゃうんだ、というと 絶対的な神は、あの世の存在であって、この世には存在しないからだ。 絶対的でない高級神霊ぐらいまでは、この世では人間達によって どんどん勝手に違う新キャラが作られて増やされちゃったりもする。 だから、この世ではバラバラ。でも、あの世では共通の像として統一されてるんだよ、という事。
367 :
正理会 :2015/02/26(木) 14:09:28.05 0
368 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 20:30:59.97 0
↑目に鱗。
369 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 01:33:18.54 0
>>353 > 楽しくなければ修行でなく、意味がないともいえる
それだと「修行」の意味は娯楽や趣味と変わらんわけだな。
修行自体に意味はないと考えたオウムは実に正統的だったw
370 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 01:39:38.33 0
>>366 そんなもんのどこが「絶対的」な神なのかw
人間が頭で考えた「神」だろうが。「絶対的」は固有名じゃねえよ。
人間が、名前をつけ、名指し、それらで構成される世界の「内」には神はいねえよ。
われわれが名づけ概念をつくり出すこの人間的な世界の「外」がある、くらいの
知性はねえのかw
371 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 01:42:52.21 0
>>365 集合的無意識といおうが呪術といおうが、言語獲得以前のある状態は属する文化圏
を問わず普遍的だろうよ。
372 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 02:04:12.44 0
科学概念も、すべての事象は因果関係で説明可能だとする、 宗教で言えば予知能力に属するような、能力的権威によるヒエラルキーが存在する。 つまるところ、「何が一番好きか」っていう趣向が、社会性を帯びたものが、 価値観に基づく社会的団体に過ぎない。 価値観の中身は、科学でも宗教でも文化でも何でもいい。社会のあり方は似たようなものだよ。 こういう社会のあり方の普遍性は、蜂が蜂の巣を作るようなもので、精神構造として共通しているとするのが、集合的無意識みたいな概念じゃなかろうか。
373 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 02:05:12.81 0
>>332 「その構造を創った者はどこから現れたんだろう?」という問いは、その答え
を構造の「内」に求める問いであって。「存在者はどこに存在する?」という
問いに対する答えはあるが、存在者の「存在(ハイデガーの)はどこに?」とは
問えないよね。存在者は構造にあたり、存在が構造を創った者にあたる。
「どこから現れたか?」という問いに答える宗教はアニミズムで、それは普遍的
にどの文化圏でもかつてあったし、今も残存する。
374 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 13:40:49.04 0
>>370 じゃあ、人間的な「世界の外」なんてどこにあるのか証明してくれ。
もっと具体的に、説得力のある説明でな。
>人間的な世界の「外」がある、くらいの知性はねえのかw
「くらいの」って何だよ・・ただ想定すだけなら誰でもできるし、既に誰もがやってきたことだ。
まさかその程度で他人の知性を見下して偉くなったつもりでもあるまい。
では「人間的な世界の外」とは具体的に一体何なんだ?お前は説明できるんだよな。
現在世界の外に過去世界があるが、 現在人は過去人より愚かなので過去を全て把握する事はできない
376 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 20:03:11.07 0
>現在世界の外に過去世界があるが、 え?そんな世界、どこにあるんだ? 常に「今」という瞬間しか確かなものは無いはず。 それこそ、頭の中で考えただけの存在じゃね? 何か、そんな世界の存在を裏付けるデータでもあるのかよ… でなきゃあまりに飛躍しすぎで説得力無さすぎるぞ。 まさか、「俺様だけに直感的に分かる超感覚なんだよ」っていうんじゃないだろうな
377 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 20:12:22.71 0
>>374 > 人間的な「世界の外」なんてどこにあるのか証明してくれ
そんなものは「どこに」もないし、「証明」が必要とされる論理学の問題でもない。
「世界の外」は場所の概念じゃない。わるい例えだが「証券市場」というもの
がある。その市場は「どこ」にもないだろ? ある場所を占める概念であるか
のように見えてそうではない概念は、ふつうの世の中にもあるということだw
378 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 20:28:34.37 0
人間的な「世界の外」という言葉と概念を、最初に一番初めに言いだして持ちだしたのは、お前自身だろ。 別に場所じゃなくても何でもいいが、その説明を「どこにもない」と一切放棄してしまっては、 ただの「逃げ」でしかないぞ。 言葉だけで全てを完全に記述することはできないから さすがに科学的に証明しろ、とまでは言わないが、(その存在をある暗示させる何かがある等の)、 近似値となりえる、何らかの説明はできるはずだ。並の知性があればな。 それすらもできないんじゃ、お前の文章は何ら具体性が無いな。
過去が無いと仮定すると時系列が無いという事だから未来も無いだろう 今しか無いんだねw
380 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 21:10:36.34 0
「今」という瞬間しか「確かなものはない」といっただけで、 過去や未来が「(絶対に)無い、存在しない」と断言してはいないんだがな。 過去→現在→未来の時系列の線は、記憶したり想定してるだけ。
記憶したり想定してるだけの観念から「今」が発生するのか、 それとも時間的無から「今」が発生するのか?
382 :
考える名無しさん :2015/02/27(金) 21:21:54.77 0
別に発生、とかってより、今「ある」というだけだし。 宇宙だって、「ビッグバンから発生」とかいってるけど、どこまでほんとか分からない。 でも「今ここ」に宇宙が「ある」事は確かだろ。
383 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 01:04:13.94 0
実体は未だ無いのに論争せずにはいられない なぜなのか
384 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 01:15:16.24 0
この世界は現在が限りなく広がっていて 事象は突然現れては消えてゆく その事象を人は記憶、記録して残し そして次に起こりうる事象を記憶、記録から照合して予測する 日常の些細な出来事でもこの一連の流れは生じていて常に絶えることはない ただ、神という存在についてはこの流れに沿っているとはあまり考えられない そこに実体はなく多くは人々の共通の認識により存在している、と仮定される 思うに神とは人間には理解できないものを 詰め込んだ上位互換的存在ではないか?
385 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 04:20:30.53 0
そうならば、神はいつからいるのかという疑問が発生するんじゃないのかな ミュンヒハウゼンのトリレンマ的だけど
386 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 08:13:54.66 0
>>378 > 別に場所じゃなくても何でもいいが、その説明を「どこにもない」と一切放棄してしまっては
超ポジティブ思考なんだなw
たとえば、神は概念では「ない」と言った場合、君は、否定でなく肯定文の記述
を欲しがるわけだ。そうしたいなら止めないから、自分で工夫してやってみれば
よい。おれはそんなことに自ら関知したくはないが。
いたずらにレトリックが複雑になり、自らの論理すら追えず、科学的知見を
恣意的に放り込み・・みたいな翻訳不能な美文になるのが目にみえるw
387 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 08:47:32.93 0
>>385 その無限遡行は、神を「存在者」と見なすことで陥る推論の失敗ではないかと
よく考える。ある概念を他の概念を使い説明する論理的な遡行を禁じること
がよりましな理解に近づくという。こういう例は哲学史にもよく現れる。
デカルトの「われ思うがゆえにわれあり」の「われ」の二重性とか。古代ギリシャ
のイデアの把持不可能性に対比される形相(エイドス)との関係とか。
388 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 08:56:08.86 0
おれはそんな小難しいことに自ら関与したくはない。 というようにいたずらにレトリックが複雑になり、自らの 論理すら追えず、対象に科学的なメタファーを恣意的に 放り込み…みたいな翻訳不可能な駄文になるのが 目にみえる。
389 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 09:24:41.99 0
俺が読めば美文、おまえが読めば駄文。
390 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 12:34:17.91 0
神の制度が宗教を必然的に生み出している側面も強いと思う だから、神が宗教という甘砂糖を必要としている、といった方が正確かもしれない
391 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 15:11:11.80 0
387は、トリレンマの1つ、恣意的打ち切りですね
392 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 17:35:43.77 0
>>386 否定も肯定も、完全に断言してしまったらほぼ同じ事だよ。
肯定も否定も、完全にバッサリ断言してしまったら、「じゃあ科学的証明しろよな」と、
皆から突っ込まれてしまうことになる。だからそういう無理な不毛さを避ける為に、
分けるとすれば、「肯定的」か「否定的」な考察かの違いということになる。
肯定的(統計などで建設的に積み上げて考察を重ねて行く)に分析するか、
否定的に「それはない」と断じるか。
前者は非常に難しい事で、正確に体系化して語るのは高度な知性が必要。
逆に、後者は、ただ否定するだけだからバカでもできる。
393 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 19:54:40.05 0
なぜ宗教に神は必要なんですか、というよりも、なぜ必要のない宗教が日本にはあるのですか、 と疑問に思う人の方が多いのではないか。 創価学会とかいうカルト教団は日本には要らないです。
394 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 20:41:49.52 0
>>392 でもあなたが後者を理解してるとはちょっと思えんのだが。
「それはない」とか「ある」とかではなく、「神は〜ではない」という
場合の「否定」性。君のいう「高度な知性」も結構だが、「神」を
対象化しうる実体(存在者)として扱う躓きが最初にあるんじゃないか。
また、「体系化」と軽々しく使うが、体系化して語れ得ないことを最終
的に結論づけるのが「肯定」側の記述の基調となるはずだ。
「科学的証明」とよく書いてるみたいだが、推論の問題ということ
は押さえてるよね? いわゆる神の存在証明の線で言ってるのかとも思った
がそうでもないみたいだし。ぶっちゃけ論旨がよくわからんw
肯定-否定と言ったら弁証法だろ
396 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 22:20:27.60 0
>>394 仏教やその他宗教の中で言われてきた「神」について、ユング心理学的に述べたものだ。
そりゃ科学的に証明などは困難だが、つまりは伝承だったり統計なわけ。
仏教的に具体的に言えばこれは、「見神」という現象になる。
(「神を見ただけ」の現象であるから、その人が神になったわけではない)。
397 :
考える名無しさん :2015/02/28(土) 22:21:22.94 0
が、
>>370 はこれを完全に否定してる。
>人間が、名前をつけ、名指し、それらで構成される世界の「内」には神はいねえよ。
>われわれが名づけ概念をつくり出すこの人間的な世界の「外」がある、
端的にいえば、「お前の説明の中には神は居ない」と言い、
われわれが名づけつくり出した概念には「神は居ない」と断定しているわけだ。
神はあくまで「その説明の外」にしか居ないという。
では「その説明の外」とは具体的に何なのかを訊いてるんだよ。
398 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 01:13:13.04 0
個人のみの認識だったらおそらく存在はするんだろう 俺はまだ見つけられてないが 一応神社なんか行って願掛けとかはする程度
399 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 02:37:47.46 0
宗教の定義も置かないで良く神が必要云々を語れるね… 神が無い宗教は別の言葉になるだけでは?
400 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 02:39:18.01 0
神が無い宗教に似たものは日本語でなんと言うのか教えて
401 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 06:07:10.35 0
バークリーが言ったように神には人間の認識外に経験則に基づいた世界が存在することを保証してくれる役割がある 人間は自分で認識できないもの、経験則から外れたものに不安や恐怖を感じる 非論理的、非現実的で人間の経験則から外れた能力を持ちながら道徳的で人間にとって害でないという性格をもつ神の存在を仮定して神が作ったという形式で認識外に経験則に基づいた世界を考える するととりあえず認識外の世界を推測により認識できたことになり、かつ認識外の世界は元々認識していた世界と変わらず経験則に基づいた世界だと信じて安心できる この安心を保証してくれるのが神だから神を必要とすると考えました
402 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 08:42:56.72 0
まあ、「物は言いよう」だからツッコミ始めたら、キリが無くなるからな やっぱり聖職者は、ポジティブな捉え方だよな
403 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 11:16:53.22 0
今の時代の法律の元になってる多くの思想は 17世紀前後の宗教に対する信仰が失われ真剣且つ活発に議論され作られた 今の時代は殆ど誰も神を信じていない しかし無知からくる恐怖が神を信じたがっているが理性はそれを拒むのが近代〜現代における意識
404 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 15:32:55.94 0
そりゃ、自分自身が神にならないかぎりは、永久に無知(全知に満たない状態)が続くのは当たり前だよ そして、生きてる人間に死という終末がある以上は、宗教も無くなりはしない
絶対精神を目指すヘーゲルの哲学は、神になりたいという事なの? 全知=神になる為に哲学する、という事なの?
スピノザを読み始めている途中だが、彼の場合は思索によって全知に至り、それを体現して知的全能物足ろうという感じではない。 思索によって、主体的に力(能産性)としての知を達成、体現しようという風ではない。
○全能者
感想だが、スピノザの場合は、世界は無限に豊富で、その豊富さを形成する各々の属性は相互に独立していて、しかしある一つの実体において統合されている、そういう世界観の提示をしている、こういう印象を受ける。
>神が無い宗教に似たものは日本語でなんと言うのか教えて 科学
量子力学や分析哲学がある今の時点でスピノザを憧れを持って読むのはちょっと、という気はする。
属性は無限を想定しないといけない。 そうせず、世界には思惟と延長と言う二つの属性しかないとすると、それは人間の世界になってしまう。
正直スピノザはあまり好きではない。
世界は神で、神のみが自己原因であるという事で、つまりは人間は支配者足り得ない事だ。 それを基点に思索を進めているから面白いと思う。
哲学って何なのかと思った。 自適自己実現のためか、そうじゃないのではないか。 これは憤りではなくて、単なる疑問。
×自適 ○知的
ああ、スピノザは世界は人間を超えていると言い、ある認識をその点から相対化しつつ排除してしまうような人ではなかった
スピノザは、一人の人間としての自分から出発して、自らの尺度で世界を因果論的に解釈する事を批判している様に思う。 でもこういう事は止めないといけない。それこそ低レベルな偏見を撒き散らして面倒を大きくするだけ。
偏見と無知の批判。 世界を自己の尺度によって偏見的に捉える事も、そのようなある知を無知な自己を正当化するために偏見であると退ける事も、ともに拒否している様に思う。
419 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 00:35:52.22 0
そのレスの根底に貴方の自己肯定への虚栄心がはっきり出てますよ >そのようなある知を「無知な」自己を正当化するために偏見であると退ける事も 何故敢えて「無知」と入れてるの? 否定している人が十分な根拠を持って否定する事も多々あるでしょう?
420 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 02:28:07.67 0
「無知」と書いたのは「エチカ」第一章に「無知」についての記述が出てくるから。 「」つけるべきだった。
421 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 02:34:59.42 0
世界についての目的論的理解も、その否定としての神秘主義もともに「無知」者による偏見であるという事。
422 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 03:25:15.03 0
宗教は恐怖心より好奇心が勝るものが他者を操るために作られた見えない力 信仰心を持たない者こそが優れた宗教家足り得る 汝疑うことなかれ 此れこそが宗教の目的 数々の自然が解き明かされ宗教家が言いつくろうことができなくなり宗教の後楯を失った多くの王政がその力を失った 知識を悪徳とし倫理を美徳と教えてきた宗教の本質は全てこの一言に集約されている
423 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:32:09.21 0
永遠に存在するものと、消滅するもの
424 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:33:01.39 0
個物は消滅するが、存在するものは永遠に存在し続けないといけない
425 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:41:48.19 0
この個物から倫理を引き出す事は可能だろうか
426 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:44:57.38 0
>>422 それは単にその宗教は神とは無関係だったという事が露呈しただけかもしれない。
427 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:46:58.45 0
疑うのは何か永遠に存在するものを求めてそうするので、それは神とも呼ばれうる そういう意味では疑う事と神とは必ずしも反発しあうわけじゃない
428 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 04:57:21.23 0
神はいらない、何事も自分の意志に基づいて社交的に、という事でもいいが、 そうすると保守的な生き方をとらざるを得ないのではないか 神なき社交は保守的なものになるのではないか
とりあえず出来上がっている秩序において、自己の望むように生きるという事に疑問を持ったら、 永遠なるものを求める事になるが、それはつまりは神的であると言える
疑うものは神を求める
431 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:10:07.03 0
意味がわからない 神を信じようが未知への好奇心に誘われようが行動は出来る 宗教に対する疑いは神の代弁者への疑い そもそも神の存在等は日常において意識されていない
432 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:11:26.73 0
>>422 は確かにそのとおりかもしれない
真の?神学が既成宗教の非神性を明らかにする
433 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:13:25.34 0
行動は出来る 現にしている 腹が減ったら食べるし、飲みたければ飲む
434 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:13:46.05 0
ただそれは知的かという事
435 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:14:13.00 0
自己の望むように生きる事などもとから出来ていないのにどう疑問を持つ? 常に絶対的とも言える社会権力に押さえつけられて生きている現代人に神を考える余裕はない 慰めとして神を求める人間が少数いるだけ
436 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:16:30.07 0
誰でも望むように生きられるよ 自分の望む範囲内ならば で、その範囲の狭さに苦しんで神に助けを求める人は多分いない 社会的地位が低いからといって神にすがりつく人はいないだろう
437 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:17:50.47 0
少なくとも資本主義社会においては苦境にあっても宗教には頼らない なぜならば、自身の苦境には宗教に頼らずにも意味が与えられるから 才能がない、コネがない、やる気がない、、、
438 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:20:23.82 0
近代において宗教を必要としなくなったのは、人が強くなったからではなくて、 苦境が経済的苦境としてすぐに意味が与えられてしまうから
かつてオウムに入信した人たちには知的な人が多かったようだ 社会権力に自己が圧迫されているというならば、社会主義で良いし、政府批判でも良いが、そっちで何となくやるだろうと思う
あるいは国家権力に同一化する事はあるかもしれない
441 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:34:23.56 0
現代において盛り上がるとしたら社会批判で、宗教ではない
442 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:35:32.58 0
資本主義に於いても救いを求める人は多い ただ求める先が明確にあり学問であり社会福祉制度に対して 過去に宗教が担ってきた日常における恒常的な不安を払拭出来るほどに社会は豊かになっているのだろう
443 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:38:12.79 0
その条件を知って支える事は大事だなあ 大部分の人が恵まれているとは言えないまでも不安を感じずに、観念的な事に興味を持てる、これは豊かさのおかげかもしれない
444 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:39:49.86 0
ただ、スピノザは自己安定のために思索したわけではなさそう
445 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:43:13.38 0
宮台真司が「ここではないどこかをめざす」と、 「ここではないどこかを目指すものの結局ここでしかないことがわかるが、それでも何かをやる」という様に、 素朴ロマン主義と再帰的ロマン主義に分けて考えるけど、 スピノザはロマン主義じゃない そこが決定的に違う
446 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:44:38.25 0
この世に俺の夢の実現を目指すロマン主義と、その幻想性に気づいて冷めながらそれでも夢を追う再帰的ロマン主義があるとして、 スピノザは、その「俺」を疑うので違う
447 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 05:48:52.73 0
つまりはスピノザは神を求めてる事
あえて、は浅田が言ったという「マイルドなニヒリズム」に近いと思う やっている事は宮台と浅田は似ている気がする 浅田は「構造と力」を、第二次大戦後においてマスイメージの肯定と、合理的だがパッチ的な漸進社会工学の二極での硬直化を解くために マルクスによりつつ、現状変革のために批評-思想を展開したと言ってる 両方マルクス的であると思う
449 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 06:02:21.52 0
ちなみにここまで語った宗教批判は自分なりのホッブズの解釈です
言うのもアホらしい位両者ともに俺とは才能も勤勉さも違うんだけど マルクス的というか、ドライと言うか 現代フランス哲学か、ルーマンかという違いはあると思うが、突っ込まない感じはある
浅田と宮台はドライだけど、柄谷は違う
浅田も宮台も、何故か対談が多い
何で対談や語りおろしをメインに単行本を出すのか
454 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 06:14:55.44 0
神なしでインフラ整備をやろうという感じはする 浅田は教養整備、宮台は大衆啓蒙
455 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 06:19:04.90 0
批評できないやつが神とか言っても痛いだけなんだけど
456 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 06:33:50.09 0
個別科学の最先端はフォロ−出来ないし、ラテン語どころかフランス語も読めないし どうしようかという感じ
457 :
123 :2015/03/03(火) 18:00:54.06 0
神は人間を昇華したものである。ホイエルバッハ。神格化。 日本には個人の神社もあるし。
神は人間を昇華したものである。ホイエルバッハ。神格化。 日本には個人の神社もあるし。
459 :
考える名無しさん :2015/03/03(火) 21:01:53.92 0
宗教に神が必要というよりも、 神の教え(指ししめられたルール)を普及するのが宗教なのでしょう。 神とは真理(規則の集合体)の概念的なものでしょう。
神を知らない人に神を伝えるために作ったの名前が神だ おまえアホだろ。 神がいるのは各自の心の中であり、それを他人が持っている神と 同一だと思ってしまっただけな。 単語として定義した神は信仰の無い神であり、信仰なしで神とか それこそデタラメと何の違いもない。
461 :
考える名無しさん :2015/03/04(水) 00:05:33.00 0
それは聖書の中のペラペラな紙様では? 八百万の神様はどうなの??
462 :
テキトーな名無しさん :2015/03/04(水) 01:03:54.58 0
ベルボトムとブーツじゃないの
八百万の神様は精霊である
464 :
考える名無しさん :
2015/03/09(月) 08:33:23.83 0 中世の宗教は確立した主権を維持するための正当性として神を口実とした 13世紀ごろには宗教に対する支持はあっても神に対する信仰が失われていたことが様々文献から伺える 但し政教一体の時代のため迂闊な発言は王政に対する反抗とみなされ死を招いたため配慮された議論になっている 17世紀からは自然科学の発達からと教義との矛盾が誰の目にも明らかになり 教会を取り込んだ勢力と王党派等が争うときに特に激しく追及されそれらの議論により決定的に神への信仰は失われた 現代における教会は政治団体と考えて差しさわりが無い 神とは権威の正当性をしめすシンボルであり新興勢力との差別化の証 また聖書やクルアーンなどを読むと民は直ぐに信仰やモラルを失うと再三書かれており古来より人は具体的には神を恐れていないことが推測できる 信仰が強くなるのは他民族に支配され自らのうちに主権をもてない時 実質的な支配者に対する服従に対するささやかな抵抗として精神的な支配者である神に慰みを求めた そして支配政権が弱体化する時代では宗教によって民族性を保っていた人たちは司祭を指導者(将軍)として担いで革命を起こす 宗教の弾圧はそんなときに起きる