2 :
洋楽:2012/02/19(日) 06:20:32.15 0
ちゅ
3 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 07:20:47.51 0
ドンフライ
あぼーん
5 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 12:12:27.68 O
運命愛は精神を蝕むよ
呪われてるんじゃないのw
7 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 13:16:51.12 O
呪い(笑)
8 :
考える名無しさん:2012/02/19(日) 13:21:54.15 0
ニーチェの良さがわからないなんて脳障害かよ
ハイデガー2年勉強したけど哲学し尽くしたニーチェと比べたらカスだよハイデガー
まぁ学び始めた頃ハイデガーはマジ神!とか思ってた俺は馬鹿だけどなw
ハイデガーに限界感じて習い初め難すぎだったけどニーチェが神すぎた
ハイデガーじゃ100%できない事も簡単にできるしなwww
ニーチェで賢さが異常になったわ
ウィトゲンシュタインとニーチェと比べたが素の状態なら余裕で勝ってるし
ウィトゲンシュタインとかラカンとか悲観主義のゴミだろ
特にハイデガーはない、カス
まともに使えない時点でカス
理系はカス
哲学出来ない脳障害か初心者にはお似合いだ
ハイデガー(笑)じゃ一生無理な話だなwww
賢さが異常になると精神的に良くないんだよ
運命愛はだんだん自分で自分を追い込んで世間ともこじれてストレスで鬱になるよ
思考停止は防衛本能として必要だよ
10 :
第四の波平:2012/02/19(日) 14:33:52.50 O
ヨン様のことが忘れられないようだね
「これはこのものである」というはっきりとした輪郭を持つイメージ
しかし「これはこのものである」というはっきりとした意識の感じそのものは
牢獄の小さな窓から見える限定された角度からの景色でしかない。
むしろパラメーターの密度が粗雑に制限されていればいるほど解釈の単純明快さの
度合がつよいといえる。
我々のすべての感覚器官という牢獄もそうであり、この私が私であることの
牢獄つまり自我という牢獄もまた同様である。
従ってゲシュタルト崩壊は認識が「低下」している状態を指すという言い方は
誤りである。
「ヴィルトオーソ」
爆音の氾濫を音としては捉えているが、自分の意識そのものはむしろ喧騒の外
にあってやけに静まり返っている。
「自分が弾いている」という感覚自体が消えてしまう。
音の数が膨大で音型も複雑な、しかも怒涛のごとき素早いパッセージに
なればなるほど逆に演奏が自動化され容易になってくるのである。
同じ漢字を何度も練習していると字の意味がゲシュタルト崩壊するという
例のケースだが、書道の先生はむしろ「そうなるまで練習しなさい」と言う。
つまりその文字にこびりつかせてしまっている自分自身の心の先入見から
文字を解放しろ、ということだ。
墨汁のシミでもあり一定の太さを持った縦横斜めの線でもあり、書いた直後の
墨の濡れた艶が乾いて光沢を失ってゆく過程でもありその他あれでもありこれでも
あり・・
つまりそこにある一つの文字は、実際は我々の普段の先入見がそう思いみなしている
よりかはずっと遥かに多くの事柄を意味しており、従って殆ど何ものをも意図しない、
「融通無碍な何か」であったのである。
明るい前向きポジティブで積極的で楽観的なニーチェの方向性の話題の話で頼む。
哲学が取り扱う最も重要な主題である「自己」・・・・離人感とは、その自己
自体が一定程度ゲシュタルト崩壊している状態である。
(俗に「離人症」と言われているが、"症"という表現の仕方の中に含まれている
病理学的な見方は相対的な態度を著しく疎外してしまうおそれがあるので、
ここではあえて「離人感」と表記)
離人感は言うなれば「サバイバル手段のスイッチが切り替わった状態」である。
戦場などの直接的に危険な修羅場において発生する場合や、元々繊細な人物が
常人には想像もつかないような極度に錯綜した感受性の蜘蛛の巣の中で
突如としてこの感覚に出くわす場合など。
砲弾や悲鳴怒号の飛び交う混乱の只中における、
>>12で述べたような静的な状態。
或いは普通の人々が悲喜こもごも賑やかな葛藤を右往左往しているのを鳥瞰図的に
見下ろしつつ自分自身は自動化された冷ややかな確実さで世間を綱渡りして
ゆく状態。
離人感は、自己の立ち位置を淀みなく流動的に保証し続ける。
運命愛というより動物的自衛本能じゃね
思考停止は人間の限界とも言えるな。
「漂泊者とその影」
睡眠時の「夢」と覚醒時の「現実」は、どちらも「解釈によって創作している」
という点において全く同じである。
創作を促す解釈は、各人の見通す力の限界を示す地平線がどういった局面において
どのような特性を発揮するかによって、ある瞬間以降に「現実」と呼ばれている
物語が辿るであろう道筋をあらかじめ予見している。
こちら側の憂慮:「魍魎鬼神の穢らわしや」
あちら側の忠告:「汝自身が姿の見えぬ鬼となりけるに」
例えば、説明困難な不気味な体験が、それを体験した当人自身がむしろ
その瞬間にあって不気味な何者かでなかったかどうか?
自分が飼いならしている化け物の水準を量る指針。
自分自身が化け物に為って限界を超えろよ。
20 :
◆CF8dI5.Idg :2012/02/22(水) 22:47:32.00 0
なあーんだ。復活したのか。。
ま、SPHERE ◆ZS5FJPpAlk とか早とか短パンが書けば
読むが?
あとは読まんぞwww
みんないなくなっちゃったのか
22 :
バッカス:2012/02/23(木) 00:09:06.88 0
>>17 >思考停止は人間の限界とも言えるな。
>>19 >自分自身が化け物に為って限界を超えろよ。
「勝利と獲物を狙ってクルージングする、華麗で高貴な野獣となれ!」 (『道徳の系譜』)
いまの世の中とこの時代、化け物に為って限界を超えられなければ衰退と没落が待っているだけかもな。
大多数の末人となるのが嫌なら、「化け物に為って限界を超えろ」―それが超人の考え方だろう。
「人間は乗り超えられるべきあるものである」 (ツァラ・序説)
限界を超えるための主たる作業の一つは、「思考停止」の状態を打破することにある。
国債暴落前夜で、財政末期の日本人の精神的状況について言っている。
ニーチェは思考停滞の限界を超えるですの。
24 :
考える名無しさん:2012/02/24(金) 04:38:52.55 0
∩n:∩nnn∩
nf|||∩| | |^! .!nn
nn∩nー∵;,-─.| | |^!
__ イ ≼⓪≽_) .、〈.≼⓪≽_)、_
/ / ( `ー一' .'、'ー‐' ヽ)ヽ、 はたしてどうかな?
/ \\UU、__l__, UU// ヽ
/ \\'''----''// ',
j ヽr>ニニニ<r') t
ニーチェの超人とマズローの超越者の違いを教えてください。
別に僕は超人も超越者も大好きですの。
27 :
考える名無しさん:2012/02/24(金) 22:40:39.41 0
ニヒリズムとかニヒリストとかって
簡単に言うとどういうことなんですか?
ただ人が嫌いってことですか?
今ひとつ意味がわからないんですが すごく興味があります
28 :
考える名無しさん:2012/02/24(金) 22:53:47.75 O
日本語で虚無主義。むなしいてこと。
29 :
考える名無しさん:2012/02/24(金) 23:10:54.98 0
のろわれてる〜
30 :
考える名無しさん:2012/02/24(金) 23:14:42.85 0
>>28 じゃあ虚無主義とは むなしく生きるってことですか?
31 :
考える名無しさん:2012/02/25(土) 01:40:04.72 0
ペシミズムとニヒリズムを混同するな。
ニーチェが狂ったのは梅毒とかの病気のせいで
思考を突き詰めすぎて狂ったわけではないんですか?
あと、鞭打たれる馬をかばいそのまま狂ったっていうのは作り話ですか?
>>27 哲学者によっても使い方が微妙に違ったりするが、まずは辞書を引いたほうがいい。
虚しいニヒリストのニヒリズムの虚無主義の虚無主義者の虚無感を力強く乗り越えて欲しいですの。
>>30 虚しく感じる、って事だろうな
それでも生きていくのなら、何か支えが必要だろう
虚しく感じるのを乗り切って欲しいですの!?♪。
善悪の彼岸、道徳の系譜、ツァラトゥストラの3冊において、よい翻訳だと思う出版社を教えてください
新潮社は読みづらくて…
ちくま文庫で揃えるのがいいのでは?
ツァラトゥストラは厚すぎるので岩波文庫がいいかも
別に虚しい気持ちにも克服して欲しいですの。
40 :
考える名無しさん:2012/02/26(日) 13:06:29.03 0
別にニーチェの男前の考え方の雰囲気の印象が大好きですの。
43 :
バッカス:2012/02/26(日) 23:29:03.11 0
44 :
バッカス:2012/02/26(日) 23:39:08.29 0
>>43 マズローは、高いレベルに達した宗教的な人格者と超越者と考えていたようです。
訂正 ↓
マズローは、高いレベルに達した宗教的な人格者を超越者と考えていたようです。
無理に挑戦して見る事ですの。
46 :
考える名無しさん:2012/02/27(月) 11:52:39.64 0
ショウペンハウエルの生きんとする遺志をニーチェは権力への意志に置き換えてるでFA?
神は死なない
何度でもヨミガエル
49 :
考える名無しさん:2012/02/27(月) 21:38:22.68 0
神は生きるも死ぬも無い。絶対的存在者なのだ。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、
また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。
『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
ニーチェはキリスト教は嫌いだけど、キリストには共感してるんだよね?
神は死にません永遠に復活しますよ。
>>32 一応、梅毒が脳にまわった、というのが一般の見解みたいですね
あと、馬をかばって〜のエピソードって、ニーチェでしたっけ?
ニーチェを超えて人生の意味を創造しろよ!?♪。
教えてもらいたいんだけど、
ニーチェの「自らの価値観を確立せよ」って内容と
仏教の「自らを拠り所とせよ」って内容は違うの?
ニーチェは仏教やショーペンハウアーを軽く批判してたみたいだけど。
ニーチェよりもキリスト教の方が優秀ですの。
何をもって「優秀」とするかは不明だが、
確かに、「悪い行動をすると何か上位の者に罰せられる」という思考は
人間が社会性活動を送りやすくなり、それが生存に有利であった
(一般に生存に有利だとその遺伝や風習は残りやすい)という仮説がある。
しかし個人がより良く生きるために優秀かどうかは疑問。
理論や言語で武装や批評しても、何もならなかった…
1+1=1+1 のはず
人生は±0だと言った人もおったし、死後は無になると言う人もおったが、ただの記号でも茶番でもなかった。
皆も、自分の名前を呼んでくれる家族や友人を大切にしよう。まず、自分を大切にしろよな。
ニーチェの性で虚しさを感じる人間が増えて大変ですの。
別に死後は無に為らずに死後の世界に移動するだけですの。
死後の世界なんてありませんよ
残るのは、朽ちた屍だけです。
しかし、それは、微生物の餌になることができます。
虚無主義者が否定したがるだけで別に死後の世界は実在するよ。
レベルな二桁とはポケモンとドラクエしたプレイして無いRPG初心者の戯れ事ですのRPG上級者の俺様はテイルズオブシリーズとスターオーシャンシリーズと魔界戦記ディスガイアシリーズとウィザードリィシリーズの達人ですの。
ニヒリズムの虚しさを乗り超える事が出来る人間が本物の超人ですの。
>>54 バカボンドの沢庵和尚は、ニーチェっぽい考えでありながら決定的に違う
何か光の柱が見えて、私たちは天と繋がってるんだ……と意味不明な事を言っている
つまりはそういう事だ。仏教は一見ニーチェと同一に見えて、ズレがあるんだよ
徹底的に物質と物理の目で見たら、厭世になるのも必然。
生命(人間の身体)の本能と目的も遺伝子を残すことのみだから。花の花粉を運ぶ蝶の様な存在なら、まだ美しいんだけども。
やっぱり人間の救いってのは精神的なものにあるよ…水と食べ物がないと生きていけないのは当たり前だけど。
誰かが100年もウンコをし続ける必要はないなといってたけど、然り。
神も死後の世界も無いのは自明の理でそ…人間は脳が発達し過ぎたせいで苦しんでるんじゃないかと思う。
人間の生殖活動なんてやっぱり気違い染みてるよ…
>>61 バガボンドの沢庵和尚で話を続けるのも大雑把でいい加減な気もするけどw、
多分それってショーペンハウアーやニーチェが指してる原始仏教と別物でしょ
ブッダに近い時代の仏教は「天とつながってるんだ」みたいな抽象的な話は出てこないし。
仏教や元のバラモンは苦行とかして「滅私」することを
良い事(悟り)としているでしょ。
キルケゴールでは死に至る病における「死」がこれに値するけど
避けるべき事(否定的)だよね。
ニーチェでは「滅私」したあとに再び一度「自己」を獲得する
過程自体が重要だといってるんじゃないかな。
始原ねえ。ニーチェがどんな形で仏教を理解したのかは知らんが
現代の仏教に伝わっていないのなら、それが仏教のあり方なんだ
あるいは、原始仏教と現代仏教の闘争があってもいいが、そうならないなら原始を区別する必要も無い
ニーチェは滅私はしないだろう。我欲すだから。
汝、滅私せよと竜が言えば、獅子は我欲すと返す。
仮に獅子が自己犠牲的な行為を取っても、それは私を滅ぼす事では無いと思う。
むしろ私である事。私の心で選ぶ事。それが竜に対峙するという事になるはずだ
>>65 仏陀はそれまで行われていた苦行を自分もやってみた上で無駄と否定して批判されたはず
滅私は自分を追い込むことではなく、執着(主観的な思い込み)を捨て去ることで到達する。
それによってバイアスや色眼鏡のない客観的な視点で現実の問題に対処でき、
精神の安らぎが訪れるというのが初期の思想。
「何が善かは自分で決めなさい」みたいなことも言ってたと思うけど忘れた。
もしそれが正しければ、一応自己の確立まで対応関係があることになる気がする。
>>67 ラクダのしていることが結果的に滅私になるんじゃない?
教養とか理性に埋もれて滅私になるんだよ。
滅私は正しいと認めた上で、自己の獲得はその逆(ディオニュソス)にある。
オレの中では満足、もう寝るわ。
人生は自己満足だわさ
滅私ってか、自立するってことじゃないか?支配を逃れて自由に創作するってこと。
ニヒリズムの虚しさを超えた領域に為って欲しいですの。
>>69 ラクダは誠意を表してると思う
自分自身の心(彼の砂漠)に、誠意を持って応じるのは困難な事だ
自分の間違いや誤りを認める事は難しい。それは滅私の考えでは至れない境地だ
何故なら、滅私には私が居ない。居ない私は間違いもおかさない
>>74 滅私を新しい言葉として用いているならともかく、
仏教の教えでは「滅私」をそのような意味ではない。
ブッダが「愛する者より自己を探し求めよ」と説教する話がある。
つまり、「利己的な部分を消し去ることで本来の自己が現れてくる」というところまでが「滅私」。
このスレの大体の人は「消し去る」までの意味でしか滅私という言葉を捉えていない。
でもさ、そもそも消し去ったり打ち負かす対象が違うんじゃないの。
ニーチェは既成の道徳観で仏教は執着だよね。
前者は幼い頃刷り込まれたり他者に強制されるもので、後者は自分の中から生まれてくるものじゃん?
だからこりゃあ人によってどちらが好きかは分かれそう。
組織でイヤなことやらされたり自責の念に駆られがちな人はニーチェに惹かれるだろうし、
こう自分の甘えが捨て去れないみたいな人はお釈迦様の教えに惹かれるんじゃないか。
話を簡単にしすぎ?
別にニヒリズムの虚しさを凌駕出来るのが超人ですの。
>>75 ニーチェ的に言えば、利己的な部分を消すのは僧侶的道徳であり、否定するものだろう
>「利己的」な行為よりも「非利己的」な行為を「良心」に照らして道徳的であるとみなす態度は、
>貴族的な価値判断の没落とともに、人間の畜群本能が支配的となる場合に生じる。
それが正しいかどうかの話は別として、ニーチェが目指したのは貴族的な価値判断だべ
利己を認めそこに誇りを持つのがニーチェの考える本来の「善悪」であり、
利己を否定するのは弱者による価値転換の動き…というのが道徳の系譜の話じゃないのかな
言ってしまえば、利己的な部分を消したいと思ったのは誰かって話だ
竜にそうしなさいって言われたのか? 違うよなあ、自分がそうしたいと願ったんだ
つまり本来とはそういう事じゃないか? 本来、自分で願いで利己を消そうとしたんだ。誰ならぬ自分の為に
利己的な部分を取り除くのは安楽に至りたいという目的からであって、
ニーチェの言うそうしろ、みたいな竜とは若干違うんじゃね?
別にポジティブで明るい前向きで楽観的で積極的で楽天的な路線の物語の話題にしろよ。
83 :
バッカス:2012/03/04(日) 22:01:45.19 0
■ 涅槃の境地の手段としての滅我・無執着を拒絶する
仏教では涅槃の境地に至るために(=苦から解放され、悟りを得るために)、滅我とか執着しない自分を作る。氷上英広
という東大教授の論稿集『ニーチェの顔』(岩波新書)の中の、仏教とニーチェと論じた章を読み返してみた。
仏教を高く評価したニーチェは、最後の涅槃の境地に拒絶反応をあらわにしているという。『道徳の系譜』では涅槃を念頭
に批評していると思われる表現として、「催眠的な虚無感、深い眠りの安らぎ、つまりは憂苦がないこと」としている。それは
ニーチェにとっては消極的にしか過ぎないものを、最高善、最高の境地とし、「無」を神格化しているといって、ニーチェは
涅槃に明白な拒絶をしていると、氷上氏は述べている。
涅槃の境地を拒絶・否定するから、そのための手段であった滅我や無執着に有効性と価値を置かない。仏教研究を熱心に
やったニーチェが基本的な部分で仏教の影響を受けず、我欲を主義とする思想を貫いたのはこのような論理的図式になる
ようだ。
ただ、涅槃の境地というような東洋的な哲学的境地(もしくはスピリチュアリズム)を感受する能力が、ニーチェにはなかった
というのは私の感想。涅槃に限らず、インド・ヨーガ哲学、中国神仙思想、密教などの東洋的な哲学的境地(もしくはスピリ
チュアリズム)の範疇は、ニーチェにとって理解の対象の限界外であっただろう。
ニーチェは仏教に対して深く理解してないらしいので、
ニーチェと仏教の差異を論じるのは難しいだろうな。
>>80 そうですね。
教養や知識を身につけ、広い見識と理性を得るほど
自己や自分の価値観を失い、道徳的になる。
子供は世界が狭い故に自己・自分の価値観を持ちますが、
学び・世界を広げ(視野)・自己を抹消して普通の社会的な大人に成長します。
それは弱者の思想とか奴隷の道徳ではなく、本人が望んでなることです。
そうして大人になった後の話として獅子となり、再び子供に戻るというのがニーチェの話でしょう。
最初の子供の段階から大人になれないのはただの社会不適合・奇形児・ACに過ぎません。
>>68 が一番近いかな
苦行は滅私では無い
生きとし生けるものが皆等価だと知る
(ここに、ニーチェの弱者否定との共通点がある)
そして、有形無形、すべてを手放すこと
(これが、ニーチェの道徳否定とつながる)
ニヒリズムの虚しさを超えて幸せに為れと!?♪。
大川隆法 ElCantare_OR
@ganryujiニーチェはただ哲学的巨人を気取っていただけですよ。
「神は死んだ」と叫んだその言葉があの世に還ってから数限りない霊人たちの嘲笑の的となりました。
彼は今、彼の超人思想を自ら体現せんとして第二次大戦を誘発したヒトラーとともに、地獄の最深部でヘドロの沼で悶えています。
さすがにこれに対してはニーチェもブッダも反駁するだろう
特にブッダはこれほど自分の教えと違う奴が自分の生まれ変わりと名乗ってるわけだからな
ニヒリズム?
いいえ、創世です
別に僕は天文学的な方法の手段で死後の世界を発見しましたですの。
神とは、空間に含まれるあらゆるものやあらゆる概念を包含する究極の概念である
93 :
考える名無しさん:2012/03/05(月) 16:15:48.37 0
そして、神は概念故に死んだ
>>84 滅私する事が正しいと思うならば、
滅私しない人への蔑視がある。その感情は利己的であり、それが本来でしょう。
いつか広がった見識が、蔑視の感情を恥じるかもしれない。その重荷に耐えるのがラクダなのでしょうね
別に全知全能の神様が死ぬ事は物理法則に反するので有り得ない出来事ですの。
>>94 それは仏教における滅私の捉え方が間違っていると思う。
滅私することが正しいんじゃなく、苦しみを無くしたけりゃそうしなよって話。
それをもし蔑視とするなら、「ラクダ」も滅私と同じく利己的なものと言える。
あなたの蔑視という観点から考えれば、利己的なものになるかはそれぞれ個人が他人を蔑視するかどうかで、
どちらの教えにもそういった性格は含まれていないと思う。
ニーチェとブッダの考えを並列的に議論するのはまだ良いと思うけど、
どちらがどちらの教えをどう思うか、という考え方には細心の注意を払うべき。
相手方を良からぬもの、強制的なものというレッテルを貼り合うことで考えを正当化することになってしまう。
別にニーチェよりもスピリチュアリズムの方が偉いですの。
仏教における滅私を正しく捉えることなど出来るのか? という問いはさておき、
実際に滅私(自己の抹消)を唱える>84さんは、それが出来ない人を奇形だと表現した。
これは私から見ると独善的(利己的)な蔑視の感情にしか見えないし、それを否定するだけの材料も無い
ニーチェと仏教といえばヘルマン・ヘッセ。
といっても忠実な信奉者というより良いとこ取りという印象。
ニーチェのデジモンユーザーユーティリティーですの!?♪。
102 :
考える名無しさん:2012/03/08(木) 08:18:45.52 0
ドンフライ
別に神様は宇宙の法則的に絶対に死なないですの。
104 :
考える名無しさん:2012/03/08(木) 16:01:12.64 0
神とか天国とかいまだに幼稚な認識レベルの人類ってヤヴァイよ
哲学(知)ってのは認識をクリアにするものだしな
105 :
考える名無しさん:2012/03/08(木) 16:06:04.18 0
人生は壮大な暇ツブシであり自己満足のもの
法と倫理の範囲内で楽しむ営み
106 :
考える名無しさん:2012/03/08(木) 16:08:46.36 0
自分は人生を肯定的には見てないな…
でも皆それぞれ限られた時間を自由に過ごすのがいいと思う
思想哲学的思考回路はオカルト宗教よりも更に下ですの。
人を助けようなんて考えは、他人よりも優れているという思いが無ければできない。
他人より優れていると信じるから、他人を導けるのだと信じられるのだ。
自分の苦しみを無くすために滅私があるなら、滅私を人に語る必要も無い。自分だけに語っていれば良いのである
別に哲学で幽霊と死後の世界の実在を無条件で肯定しろよ。
コメントしたいが時間が無いな
別に心配しなくても幽霊も死後の世界も存在するよ。
ドラえもんやのび太が存在しているのと同じように
漫画とか…なんか幼稚なのばっかしか居ないな
脳内の話より現実的科学的実存的な書き込み頼むわ
空想世界や批評文や言語武装してたニーチェのスレでそれを求めるのもお門違いだけれども
幼稚なスレにはスルーでお願いします
思想哲学的思考回路よりも精神世界の方が上級者ですの。
ニーチェのニヒリズムよりもキリスト教の方が上位ですの!?♪。
>>104ゆえに神や天国などの概念すら知らずそんな風説を流布しない猿の方がマトモなのかも
認識をクリアにする哲学は僕は霊能力者なので不要ですの!?♪。
現実を直視し続けることはできない
やっぱり音楽よな
言語文章は記号の捏ね繰り、映画は台本ありきの作り物、絵は飾り、…
musicは無形、ゆえ何かあるね。耳から身体(脳だけど)に直に入ってしまうのもだからか。
単に演奏するのも気持ちいいってのもあるだろうけど。
歌うのなんか生身の人間から直に出るものだしな
生命力ある表現ってのは何だろうね
音楽でも単に大音量だから凄いって訳でもないものだし
音楽ってそれぞれ他の音、他者の奏者との融合とかグルーヴとか、そういう感動もあるね。
ライブなると、自分と歌手や奏者やバンドやオーケストラとの間に何もフィルターがない直で伝わるものだし、
音だけじゃなくて雰囲気もええなってのもあるし。
自分の場合は音楽は楽しいとかノリがいいとかって感じではなくて、「聴き入る」みたいな。
だからライブ映像でも「演奏に入り込んでるな」とかそういうの観ると、ジーンとしてしまうというか。
実際にほんとにいい音楽の演奏を聴くと聴き入って動けなくなってしまうもんだと
内側ではいろいろ起こってるんだろうけど
歌詞がいいとかもあるだろうけど単に「ラーラー」のコーラスが綺麗だとかメロが綺麗だとか
透き通る音とか歌声ってか、何か脱力してしまうのってあるよな
合気は脱力が基本とか言うし、
まあその話はいいとして気持ちいい音は脳内の快楽物質を活発化するんだろうたぶん
別にそのまんまでも充分幸せなのに哲学で認識をクリアにする必要性は無いよ。
もちろん何でも感でも知りたくてウンコ食うとかじゃないよ
ただ嘘偽りや作り話なんかを信じていいのかってこと
別にカルト教団オカルト宗教を信仰してる方が幸せですの!?♪。
>>130 嘘も方便っていうだろ。
科学的に説明するよりオカルト混ぜて
どこまで本当か怪しい冗談交じりのほうが
相手が関心を持って聞いてくれることもある。
それより股間をツルツルにしたい幼稚なバカがまたつぶやきだしたのか。
よっぽど孤独で惨めなんだろうけど、他所でやってもらえんかな?
>>83 >83 :バッカス:2012/03/04(日) 22:01:45.19 0
>■ 涅槃の境地の手段としての滅我・無執着を拒絶する
>仏教では涅槃の境地に至るために(=苦から解放され、悟りを得るために)、
>滅我とか執着しない自分を作る。
ドストエフスキーの「悪霊」にでてくるスタブローギンが
滅私・滅我(こだわりや道徳を捨てて自由になる)の結果、破滅したよね。
ニーチェが滅我・無執着を拒絶するのはそこから来てると思うぜ。
ニーチェの思想哲学思考回路を全面的に受け入れるよ。
>>133 スタヴローギンはギリギリのところで道徳を捨てきれなかったんだよ
ニーチェよりもキリスト教を信じる方が幸せだよ。
別にそこまで幸せになりたいわけじゃない
138 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2012/03/13(火) 22:17:52.76 0
艶めかしく伸びの良い、音程の整った豊かな音量の発声は、身体が歌心の
機能に目覚めた人であれば初心者でも手が届く。そしてこれが確かに唱歌の
基礎であることは確かだ。
しかしながら、巷に溢れかえっている歌曲のほとんどが残念ながらこの水準の
域を出ていないということは、唱歌の分野である程度真面目な研究をしたこと
のある者ならば比較的早期の段階で気づくことである。
本当に難しいのは、息遣いと節回しをまるで機織りや刺繍を縫い付けてゆく
ように微妙にコントロールしなければ歌いこなせないような高度な技術を
要する繊細なバラードである。
本当に優れたバラードを違和感なく歌いこなすというのは、普通の人たちの
水準から言って「かなり歌の上手い人」を確実に手こずらせる試練でもある。
例えば「バラードもどきのポピュラーソング」を得意げになって披露する
世間知らずにはメル・トーメなどの珠玉の名曲を一曲たりともカヴァーする
ことが出来ないことは明々白々である・・等。
>>138 スレ違い
>>135 いっそ悪の化身みたいになってしまったほうが
気が楽なんていうし、道徳ではないな。
ただ悪事をして派手に遊んでも虚しかっただけ。
弱者のニヒリズム。
寧ろ善行をして豪華に遊んだ方が充実して有意義だよ!?♪。
まあ取り敢えずキリスト教が最強だよ!?♪。
唯一神YHWHと救世主イエス・キリストを信仰しよう!?♪。
別にスピリチュアリズムを勉強した方が楽に為るよ!?♪。
141 :
考える名無しさん:2012/03/14(水) 19:56:41.43 O
超人≒凡人、もしくは存在しないと捉えてるけど、結局ツァラトゥストラ自身は何なわけ?
「最後の人間」でもなく「高級な人間(光文社新訳文庫より)」でもなく、超人でもない。
超人になりきれなかった高級な人間?誰かは「最後の人間の次にくる者」とも言ってたが。
ニーチェが妄想した理想の自分じゃないの?
結局くだらない事べらべらほざいてる無職のおっさんでしかないが。
ドストエフスキー > ニーチェ
ニーチェって思想家にしか思えないんだが
哲学者ではない気がする
144 :
洋楽れべる:2012/03/14(水) 22:28:31.62 0
なんか わかる ・・・・
画像 見比べただけだけど
>>132 股間ツルツルにした方が芸術面での力をかなり発揮できるみたいよ
経験者は語る
超人さんってのはやっぱりアート生活者のことだな
もちろんアート生活者ってのは作る側の人間のみのことじゃないぽ
人間の神聖な部分によって作られたそれを享受する側も同じ
そういう自分、実はもうこの世の事物に何も関心が無い訳だが…じゃあまた★
股間ツルツル思想かく語りき はここではもうやらんがなw
151 :
考える名無しさん:2012/03/15(木) 00:23:41.03 O
理想はあくまで超人で、けど超人になれない自分(ツァラトゥストラ)がいて、
しかも下手すりゃ高級な人間なり最後の人間なりに落ちぶれてなってしまうところだけど
かろうじてそこは克服してる、って感じか?素人ですまん。
超人≒俗人(凡人)ってなんとなく思うけど、ツァラトゥストラってとにかく不器用って思えばいいのか?
普通の人みたいに「釣られながらも釣られない」(酔いながらも酔わない)みたいな器用さがない感じ?
もしくは落ちぶれた人ら(高級な人間ら)のことを思って易々と自分は
超人(凡人)のone of themになる気はない、みたいなのもあるのか?
落ちぶれてる奴がいる限り超人になれないとか思ってたり?
どう読むかは貴方次第
153 :
洋楽れべる:2012/03/15(木) 01:11:55.92 0
つるまん ≠ はげまん
>>143 虚無主義を否定する哲学者からすれば、思想家という表現がぴったりかもな
せいぜい哲学らしい哲学でも模索するがええさ
>>151 >理想はあくまで超人で、けど超人になれない自分(ツァラトゥストラ)がいて、
超人になれない人物が語る超人への道。
童貞がセックスや女について語ってるようなもん。
>>151 あれこれ推測するより、
まず読んでみては?
他人の思想だから、完全に理解することはできないけどね
永劫回帰を飲み込んで生き続ける人間を作るのが自分の事業だと最後に言っているな
別に永劫回帰をも超える超人の方が大好きだよ!?♪。
執着がないのは寂しいね。
熱狂的な趣味・愛情・主義はもちろんのこと、
復讐やコンプレックスのような悪い方向での執着すらなくなっちゃうと
まさに廃人――無気力で使わなくなった脳みそは
退化して感受性は失われる一方だ。
無に埋没したゾンビだったら復讐の鬼になったほうがマシだな。
ニーチェよりも虚無主義を否定する哲学者の方が最強だよ。
執着するに値するものに執着すればいい
そして、それすらも偽りの仮面を被っていることを知るのだ
別に虚無主義をも超越する考え方は必要不可欠だよ。
>>161 理解が浅いな。
>>160 ニーチェは後期だと虚無主義否定だろ。
罵っていたルサンチマンを肯定的に再評価した。
復讐者の情熱とディオニュソスの情熱は紙一重の差だと気付いたからだ。
>>163 わたしに理解できるものは少ないよ
ただ、ニーチェは面白い
哲学思想の世界に敷かれた道徳や倫理を叩き壊してくれるから
>>163 それは読み間違いじゃないか?
ルサンチマンを評価って…道徳の系譜からしてもそれは無いわ
ディオニュソスがどうこうの問題では無いよ
166 :
686:2012/03/17(土) 19:17:00.04 0
>>160 虚無主義こそ最も意味的なニヒリストとしてニーチェがもっとも弾劾したもの
だ。どうせ世の中に意味はない、と権威的に言い放ちつつ、自らの実存は温存
するという。
>>164 ニーチェが破壊したんじゃないよ、破壊されることを予告しただけだよ。神が
死ぬのは自然的なものだし、キリスト教も自壊したんだ。
別に僕は虚無主義を否定して死後の世界を肯定するオカルト哲学者だよ。
ペシミズムとニヒリズムの違いは
ただの言葉遊び
170 :
686:2012/03/18(日) 01:15:08.65 0
>>168 ニヒリズムっていうのは、ペシミズムのような主観的な概念ではなくて、
客観的な概念、すなわち能動的に生きることと受動的に生きることだよ。
つまり近代人の実存すべてだね。
ニーチェにとって能動的な復讐者と受動的なふルサンチマンは切り分けられている。
殴られたら斧で頭かち割り勝利を勝ち取る能動的な復讐者は高貴であると肯定されて、
「暴力で勝つのは意味ないよ。サッカーで勝つのが偉いよ」と
新ルールを創造するルサンチマンは姑息であると否定されている。
一方でマックスウェーバーはルサンチマン文化、ルサンチマンの創造性が
結果的に人類の発展に役に立ってきた肯定的側面を主張する。
まあエネルギッシュならいいよってことだろう
狂気の生命のエネルギーがあふれてるなら
それで復讐行為は素晴らしいとはならない
173 :
686:2012/03/18(日) 11:57:46.00 0
>>171 能動的な復讐者の意味的な生も否定しているからこその超人思想だから、
肯定していると片付けるのはニーチェ思想の骨抜きだよ。
もっと復讐よりもポジティブな行動しろよ!?♪。
著作名とその箇所(番号)をあげて意見したり議論しないと、
お互いがいい加減なことを言い放っているように聞こえる。
それとも出典をあげないのは、逆に反論されるのを避けるためか。
176 :
686:2012/03/18(日) 21:50:48.30 0
突き詰めた場合に出典があげられるべきであって、一般的な了解事項を挙げる
のにいちいちそんなことする必要はないよ。
686 さんのレス
>>166 虚無主義こそ最も意味的なニヒリストとしてニーチェがもっとも弾劾したもの
だ。どうせ世の中に意味はない、と権威的に言い放ちつつ、自らの実存は温存
するという。
(世界に敷かれた道徳や倫理を)ニーチェが破壊したんじゃないよ、
破壊されることを予告しただけだよ。神が
死ぬのは自然的なものだし、キリスト教も自壊したんだ。
>>170 ニヒリズムっていうのは、ペシミズムのような主観的な概念ではなくて、
客観的な概念、すなわち能動的に生きることと受動的に生きることだよ。
つまり近代人の実存すべてだね。
686さんのレスをこれだけ見ても、かなりいい加減。
ニーチェのいうニヒリズムの意味が正しく理解できていない。
「一般的な了解事項」がかなり怪しい。
178 :
686:2012/03/18(日) 23:24:51.54 0
どこが?怪しいのはあんたじゃないか。
なんかよくわからない
・存在の意味的否定と、存在そのものの否定がないまぜになってる
※A(の存在)に意味は無い≠Aは存在しない
・神/(宗教観
に基づいて)世界に敷かれた道徳や倫理 の死を予告するという行為が、
当時の(多分今も熱心な教徒にとっては)宗教観からしてみれば破壊行為であるという思想上の論争と、物理的破壊とを混同している
ニーチェはあくまでも哲学者/思想家でその武器はペンなのに、代わりに棍棒を握らせて
「あいつは◯◯を殴らなかった、だからあいつが◯◯を破壊したのでは無い」
と言う理不尽
ドストエフスキーの時代背景にあるような無神論の蔓延、
前時代的世界が崩壊する予兆にはフォエルバッハとか
マルクスやダーウィンなどの影響がある。
ニーチェはあとからノコノコやってきて「お前はもう死んでいる」って
言っただけで、別に神殺しの功労者ではない。
別にニヒリズムを否定するオカルト哲学者が最強ですよ。
182 :
686:2012/03/19(月) 03:26:00.88 0
>>179 誰がそんなことを言ったんだ?
>>180 誰が神殺しの功労者なんていったのか知らないが、フォイエルバッハや
マルクスは世界観や社会制度を云々言及したんであって、神の死を個人の
実存の問題において捉えたのはやはりニーチェの功績だろう。
別にニーチェよりも江原啓之の方が霊能力が有るので強いだろ。
神の死ってキリスト教の求心力が死んだんじゃなくて
個人の精神に内在する絶対的な力が消失したことでしょ。
でもこれは個人の内面の問題に限定できず、社会を論じる事になるよね。
キルケゴールは個人の話に限定できるとおもうが。
>>171 そうでは無い。己の心の高貴に従うなら、サッカーで勝つ道を選んでも良いんだよ
正しい行動など無い。あるのは、己の心に適うかどうかだ
186 :
686:2012/03/20(火) 14:54:34.79 0
>>686 >神の死ってキリスト教の求心力が死んだんじゃなくて
>個人の精神に内在する絶対的な力が消失したことでしょ。
神は二義性だからどちらの神を論ずるかで話は変わるんだけど、少なくとも
個人の精神に内在するような共同主観的神の死を云々しているのではなくて、
ニヒリズムのなかった前近代にいた神の死をニーチェは問題にしている。
>社会を論じる事になるよね。
思想家だからそりゃ社会一般が対象になるよ。
>>180 ドストエフスキー、キルケゴール、フォイエルバッハ、マルクスは
キリスト教を問題にしているのに対して、ニーチェは「一切の至高の諸価値」
を否定の対象としている。
フォイエルバッハ、マルクスの唯物論は、デカルト以降の哲学や科学からの
必然的な流れだ。ハイデガーのニーチェ解釈では、デカルト哲学以降、
「神が死に始めた」。
>ニーチェはあとからノコノコやってきて「お前はもう死んでいる」って
言っただけで、別に神殺しの功労者ではない。
狭量な批評だね。ニーチェは「神の死」以上の何倍もの仕事をやってるよ。
ドストエフスキーやキルケゴールは、個人それぞれの体験によって
神を獲得する個人的神の世界だね。
マルクスの唯物論は、全てはシステムだっていう無神論が、
社会主義(システム主義)=無神論(反超越者)=システムこそ絶対者(神)
と繋がった結果、共産主義にシステムという共同体的神は宿るね。
ニーチェはどうだろう。キリスト教信者はルサンチマンが創造した
邪神(理に適わないもの)を崇めてると批判したが、
至高の諸価値(共同体的神)が存在する事自体を
批判したわけではないよ。例えばツァラトゥストラでは
「千の民族には千の目標があった。(中略)そのくびきが必要だ」
(集団ごとに善悪=至高の諸価値を持っている。
それぞれの善悪を統制するための一つの善悪が必要だ)
なんてものがある。この神々を支配する神=力への意志は
破壊ではなくコントロールするために必要なんだ。
従って、なおやん?がいうような個人的神に限定されるわけではない。
ニーチェよりもスピリチュアリストの方が最強ですよ。
190 :
686:2012/03/21(水) 13:45:31.08 0
>>188 >共産主義にシステムという共同体的神は宿るね。
これは一部のセクトなんじゃないの?解放のために動くのが宗教なんていうのは
運動への的外れな批判だと思う。セクトの宗教的側面で共産主義を代表させる
のは合理的じゃない。
>集団ごとに善悪=至高の諸価値を持っている。それぞれの善悪を統制するための
>一つの善悪が必要だ
これは社会工学的なことをいっているのかな。一つの善悪から見た例えば統制する
善悪というのは、一つの善悪から見たらけして超然とするものではない。
もっと更にニーチェをポジティブに解釈して欲しいですよ。
192 :
686:2012/03/21(水) 18:29:37.54 0
>>191 そんなのお前がニーチェに尊厳を置いているからじゃないか。しったことか。
お前とは無関係にニーチェの価値は存在している。ポジティブな解釈がいいの
なら、自分で解釈して主張してみろ。
ニーチェは本能は否定してないだろ
本能こそ解釈なしに存在する価値だ
ニーチェはキリスト教の提示する価値を批判しようとして、諸価値の低落に気付いたんじゃないですかね。
虚無主義の示す通り、全てが価値を失った。そこでニーチェは、自ら価値を生み出そうとした。
超人思想。これの価値を支えるのはニーチェであって、真理では無い。
すべては解釈だとするのはニーチェの飛躍だ
解釈は本能に制約される
196 :
686:2012/03/21(水) 21:58:20.51 0
>>193 人間の本能は壊れているから問題になっているんだろ。
>>194 諸価値は厳密には失われたのではなくて相対化されたんだよ。そしてニーチェ
は新しい価値を生み出したのではなくて、個別的に超人となるのは個人の主体
的決断に依拠するしかなく、その到達点が超人だといっているのであって、
価値をニーチェが支えるというよりは個々人が支える可能性を示したに過ぎない。
197 :
686:2012/03/21(水) 22:05:08.21 0
個々人が支えるということは個々人の数だけの神が存在し、競合する可能性を
孕んでいるが、それは形而上学的な歴史を欠いた俯瞰という言葉遊びであって、
現実には個人の神のフィルターを通してしか見ることが出来ない。そう考える
と毎日は歓喜に溢れた素晴らしい日々になる。これが超人という境地だろう。
>>188 「千の目標と一つの目標」をよく読み返した方がいい。
「千の頸(首)を一体とするくびき」を千の諸価値(善悪)にかけようと
しているのではなく、「千の民族の首」に一つのくびきをかけるといっている。
その時、千の目標(=千の価値観・善悪)は無視された形になっている。
だから「それぞれの善悪を統制するための一つの善悪が必要だ」というのは
誤解であるし、まして力への意志が諸々の神々(至高価値)を支配・コント
ロールする神であるなどとはおかしな話だ。イスラム教と仏教、儒教と道教、
民主主義とファシズムという異なった諸価値を統制・コントロールすること
は価値哲学の問題ではなく、これは政治の仕事だ。
また力への意志は、創造と破壊が連続した性質を持つ。本能であると同時に
本能以上のものだ。
ニーチェが「共同体的神」を論じているかどうかを問題にしているようだが、
社会機構を支配するための既存の宗教・道徳の批判が、主著・遺稿集の
『力への意志』に書いてある。一例をあげれば(ニーチェによれば)、キリ
スト教の「神」は個人としての神であると同時に、キリスト教社会・文明を
支配維持するための権力的な装置であった。
>至高の諸価値(共同体的神)が存在する事自体を批判したわけではない
「存在する事自体を批判」というより、至高の諸価値の「価値を喪失する、
価値を剥奪される」と考えた方がわかりやすい。
キリスト教は有る意味勝ち組ですよ。
関ジャ
個人の妄想の中で幸せというだけの話だろ。
警察権力に屈せず電車の中で女にチンコ見せる変態は
超人という境地なのだろう。
客観的で合理的である真理を追究するような
哲学や宗教とは相容れないわけだ。
別にキリスト教は強者の勝者ですよ。
ニーチェにあしたのジョーを見せて感想を聞いてみたい
>>196 概ね正しいと感じます。
ただ、超人を目指す理由というのは、やはり超人に価値を見出す他無いと思うんですよ。
諸価値が神や真理(唯一解)によって保証されているのに対し、
超人思想はそうでは無いと考えています。超人思想は、進歩思想では無いという考えです。
別に超人に価値観を持っているですよ。
207 :
686:2012/03/23(金) 20:51:57.47 0
>>205 俺は理念としての超人を示したわけじゃなくて、待っていれば神と一緒に
いられた素朴な時代と違って、そうでない以上は自らの意志で動かなければ
ならない、といっているんだ。
例えば超人思想を頭に思い浮かべても、それは超人とは全く関係がない。
超人について考えることと超人になることは全く別次元のことだ。
>>207 諸価値が低落したのなら、為さなければいけない事など無い…のだと思います
何の為に欲するのか。進歩も、前進も否定された世界で何を欲するのか。
自らの意志で動くための理由。その理由は、誰からも保証されないままです。
209 :
686:2012/03/23(金) 21:02:59.66 0
超人とは何かというと、これは共同主観性の書き換えだと思う。書き換え方は
別にして、共同主観性とは本人の中で沈殿している感性のことだ。だから超人を
進歩思想の理念として思い浮かべても、それは沈殿したものではないから超人
とは関係がない。
>>202で妄想というのがあるけど、このようにそんなこととは全然違う。妄想
ではなく現実だよ。
210 :
686:2012/03/23(金) 21:12:26.37 0
>>208 >諸価値が低落したのなら、為さなければいけない事など無い…のだと思います
>何の為に欲するのか。
それは過渡的なことだし、それにそもそも超人とは欲するとかそんな世俗的な
ことじゃないよ。外見的には欲しているように見えるかもしれないが、常に神
と一緒なんだから。
>誰からも保証されないままです。
神に保証されるにきまってる。
211 :
686:2012/03/23(金) 21:28:57.69 0
人が神とともに生きてきて、そして無の深遠が横たわり、そこで人は飛躍をして
無の深遠を乗り越える。そこに待っているのは再び神と共に生きることだ。
しかしこの無の深遠を超える飛躍は意識的に行われるものではないということ
が重要だ。俺はこの飛躍をジャッグルと呼んでいる。
人間とは動物と神との間に張られた一本の線であり克服されなければならないと言っていませんでしたか?
ただ、バーナド・ショウによるベルクソン批判(具体的には『創造的進化』)にもあるように
信仰とは第一条件としてメタ−生物学という科学でなければならないわけで、
かかる意味合いにおいて人間と動物との間に境界線が引かれた段階で“価値”が生じ、
これを担保としてあらゆる“信仰”が保証される。
しかし、その源泉である“価値”や“神”を合理化する事は困難なんですね。
そこで信仰に亀裂が入る。
213 :
686:2012/03/23(金) 22:48:25.28 0
>>212 役割を理解していないからそんな妄言を吐くんだよ。偶然性のジャッグルを高度には
必然性にするのが科学であり、そしてそれによって例えばある個別的な人間にとって
危機がジャッグルを呼び、いうなれば焚き火にくべた栗のように弾かれて無意識下の
うちに線を越えるんだよ。これは偶然だけど、高度のは計算された必然性だ。そして
その先にそこに永遠の福祉が待っている。
それはスピノザだ。
あらら。何か全然ダメだな。
>>210 神が死んだのに誰が保証するんだよww 誰が神の血を拭うのかすら分からないのにw
虚無を乗り越える事はできないだろう。虚無とはそういう類のものだ。
217 :
686:2012/03/24(土) 00:36:13.17 0
>>215 結局神を物象化するから、信仰なんてものを持ち出すんだよ。それでは
神の本質を捉えることができていない。神は信仰の対象となる絶対者
というのはある時期の仕込みであって、本質は歓喜の地平なんだ。
人類史を紐解けば何百万年もの間ニヒリズムに陥ることなく神と共に
あったのに、神は信仰の対象となる絶対者であるとするなら神が何故
死んだのかを説明できていないだろう。物象化の錯認に捉われる以上は
何が問題になっているかいつまでも分からないぞ。
>本質は歓喜の地平なんだ。
なぜニーチェスレでこのような結論になるのだろうか…。
それはプロティノスであり、つまるところプラトニズムですよ。
ニーチェにおいては畏れと歓喜とが渾然一体となったものが原初の信仰であり
具体的にはソクラテス以前のデュオニソス秘祭がこれに該当する。
基本的に人間の生とは苦しみであり、それゆえに快楽が可能となる。
そういう生の有り様を直視しろ、とニーチェは述べているわけですね。
虚無への供物
220 :
686:2012/03/24(土) 01:36:41.39 0
>>218 的外ればっかりで嫌になるなあ。焦って書くからそうなるんだよ。もっと
遠慮して書いたらどうだ?書く回数じゃなくて、内容をもう少し吟味して
書いたらどうだということだ。不快から快へなんて当たり前のことだろう。
誰がプラトニズムだ、エクトプラズム出してやろうか。
>>220 だってあなたはニーチェやその批判対象であるギリシア思想が分かってないもの。
本当に読んだことあるの?
あのね、プロティノスやそこから派生したユダヤ思想は
一者である神との合一による恍惚境の獲得が窮極目的なんですよ。
>不快から快へなんて当たり前のことだろう。
ニーチェの場合は苦の果てに快楽が生まれこの往還が生なんです。
ただし、ソクラテス以前のギリシア人のように祭儀的に様式化されたものでは無く、
内面化されている。
この自覚と受け入れにおいて超人は達成される。
そしてこれが永劫回帰への縁起ともなる。
まあ、仏教の亜流ですけどね。
686の言ってる神がなんなのかよく分からないけど、
いわば人神のことかね。
223 :
686:2012/03/24(土) 13:10:20.06 0
まるでこちらの意見を尊重せずに、自分だけがニーチェを知った気になって、
一部だけ聞いて勝手に誤読し、反ニーチェ的に最も意味的なニヒリストとして
権威主義的パーソナリティに陥っているチンカスは放置しておいて、話を進める
とするか。
人類史を紐解いてみると、何百年も人は意味を必要としていなかった。時間は
直線的ではなく円環的時間観であり、ハレとケが反復されて人類は存続して
いた。言葉は最小限に用いられているだけで、神は来訪するのであり人々は
神と共にあった。
しかし社会の進化がそれを許容しなくなる。最早神は来訪するべきものでは
なく、空間的にアクセスする相対化したものとなったのだ。この神の相対化が
神の死である。
224 :
686:2012/03/24(土) 13:21:51.56 0
死んだ神を復活させなければならない。しかしその神は我々の神であっては
ならない。最早複雑な社会が素朴な我々の神を許容しない。その神は私の神
でなければならないのだ。
エックハルトはこういった。「神を意識している内は神との合一はない、
あらゆるものから離脱し、離脱しているという意識からも離脱するのだ」と。
このような、信仰という直線的な時間軸から離脱して円環的な時間軸へと
克服された境地が超人である。
225 :
686:2012/03/24(土) 13:28:29.13 0
この様に信仰を必要としない世界が歓喜の地平である。時間は円環的であり、
そこでの苦しみも神の無差別的承認によって救済されるのであって、そこでは
永遠の福祉が約束される。
人はそこでは言葉を使っているようで使ってはいない。そしてアブラハムの様に
黙々と私の神の命令に従う。言語を超えた、対を絶する絶対的な関係こそが
人格関係であり、神と人とのそのような関係を取り結ぶことが超人なのだ。
226 :
686:2012/03/24(土) 14:34:01.38 0
神を信ずるものに「なぜ神を信じるのか」と聞いてみても、返答は「神はいる
に決まってるじゃないか」というものでしかない。そこにはあらゆる論理性の
余地はない。
共同主観的に更新された、無意識的に神の存在を現実として捉えることが神と
の人格関係を意味する。空間的に選択可能性を持った神は最早ニヒル以外の
何者でもないだろう。
別にニーチェのニヒリズムの虚無主義を超えて現実世界を改良しろよ。
思考は現実化する
ニーチェのニヒリズムを超越して素晴らしい世界を創造しろよ。
まずは深呼吸
>>223 >直線的ではなく円環的時間観であり
いやいや、ニーチェはヘラクレイトス流の円環を否定しているでしょう?
永劫回帰思想は一種の循環史観とは違うんですよ。
簡単に言えば神や救済そして超越的法規範に従うことなく
弱き動物としての本性を自覚し、その状態を受け入れよ、ということ。
この、受容性に生の能動性と創造性が宿るわけですね。
232 :
686:2012/03/24(土) 20:40:30.04 0
>>231 俺も循環史観なんて肯定していない。かつてそうであったといっているだけ
だ。
マロニエの根部に嘔吐感が促進されるのは、主体者とマロニエの距離の解消に
よる所産だ。共同主観的に神と共にあることは、同空間内で神と隔絶しつつ
同時に嗜好する、課題達成不可能な永久コミュニケーションに立脚可能な身体
性の位相設定こそが希求される。
共同主観的に措定された快の供給先の更新は、同空間における快の断念と、
新規供給先としての別空間の確保が同時に行われる。形式的主体者/他者を
擬能動的に担保しつつ、世界との距離/志向が存置される。
道は開ける
234 :
686:2012/03/24(土) 21:24:54.91 0
超人にとって世界は黄金の輝きを放つのであり、体裁として意味を持つが本質
的には歓喜の地平でしかない。そこには歴史がない。神は再び来訪し円環的
時間軸において永遠の福祉が約束される。
それは捏造された神ではなくあの人類を何万年も存続させてきた全知全能の神
であると同時に、個々人にのみ開かれた神である。あらゆる困難は神の定めた
ものであり、そうであるがゆえにそれは回避すべきどころか殉教者としての生
に繋がるものである。
>>234 >的には歓喜の地平でしかない。そこには歴史がない。神は再び来訪し円環的
>時間軸において永遠の福祉が約束される。
いや、瞬間の連続として“現在”があるだけですよ。
簡単に言えば真理や救済という軛から解放された永遠の“いま”に身を投じることであって、
信仰なんてどこからも生まれない。
それが“超人”であり、“永劫回帰”なんですね。
というか、原典にあたりましょうよ。
236 :
686:2012/03/24(土) 23:16:35.12 0
>>235 全然分かってないじゃないか。誰が信仰何て肯定しているんだよ。信仰とは意識
下で行われるものであってそれはエックハルトを例に出して否定してるし、
真理とか救済なんて語っちゃいないだろう。それに原典を当たれってニーチェを
本当に理解したいならニーチェ語を使わずに自分の言葉でニーチェを語ら
ないと。マルクスの本しか読んだことのない共産主義者なんて信用できるか?
やる気があるのか?マルクス主義者とはマルクスマニアとは違う。
だ
238 :
686:2012/03/24(土) 23:21:29.79 0
永遠の福祉とは別に、約束された理想郷で悦楽の中で日々をすごすと言っている
んじゃないよ。天国へいけるみたいなそういうことじゃあない。日常にきちっと
根を下ろす生活者だよ。
>>218 >基本的に人間の生とは苦しみであり、それゆえに快楽が可能となる。
>>221 >ニーチェの場合は苦の果てに快楽が生まれこの往還が生なんです。
苦の果てに快楽が生まれるって具体的に言うと、どういうこと?
ニーチェの言った本質だけ知りたい
蛇足は全部カットで
242 :
686:2012/03/25(日) 00:08:39.69 0
>>239 仕事ばっかりだと苦しくなるからたまには遊ぶだろ?遊びばっかりだと
面白くないから、この様に苦しみが喜びをもたらす、ということになる。
243 :
686:2012/03/25(日) 00:15:00.78 0
>>240 それはニーチェマニアだからニーチェの仕事と関係がないよ。ニーチェは
そもそもニーチェマニアじゃない。だからニーチェの取り掛かった仕事に
関わらないといけないといっている。俺なりにニーチェを読んだつもり
だし、ニーチェは本当に凄いと思うけど、出来るだけニーチェの言葉を
使わないように心がけている。原典に拘る奴は例えば神の来訪性とかの
話になると躓いてしまう。ニーチェは基礎学習抜きで分かるもんじゃないよ。
686は大ボケだな
ドンキホーテに似てるわ
245 :
686:2012/03/25(日) 01:44:48.53 0
>>244 そういうのは根拠がないから駄目だね(笑)。
共同体的神をニーチェは主題に論じたことがあるか、という質問に対して
キリスト教を持ち出すのはおかしな話だね。なぜなら個人的な神も共同体
的な神も原理的に区別はなく、そもそも信仰の対象となるような神は神と
しての資格がない。いくら信仰しても神を捉えることに座礁する。
別にニーチェをも超えた思想哲学思考回路の考え方が必要不可欠ですよ。
短パン死んだ?
別に神様は生きて居て健在ですよ。
249 :
686:2012/03/25(日) 23:59:49.45 0
近代社会に殺された神は、甦って前近代の神そのままとして戻ってきた。
その神は手垢のついた捏造された偽神などではなく、ニヒリズムが一切
取り払われた真の神であり、日常の風景それ自体が光源であり、円環的な
時間軸を持った永劫回帰である。
この様な超人を生み出すのに必要なのは徹底的な痛みによってである。
こうして根源的な死と生が意識の外部より神の来訪をもたらすのであり、
言語も歴史も寄せ付けない形而上学的な歓喜の地平が約束される。
散文詩か
すべて相対化して価値を凋落させたら
自動的になんか現状をハッピーにとらえられる境地になるとか
適当な感じ
超人的な心境なら誰だってあるじゃないかな
禅、ドラッグ、アート、…材料はいろいろ
肉体は超えられない
254 :
686:2012/03/26(月) 13:28:31.72 0
ポイントとしては
1)意味を経由せざるを得ない近代社会で
2)明識されない無意識下において
3)受動的に神が来訪する
という一見矛盾する事柄を同時に成り立たせることが必要だ。
255 :
686:2012/03/26(月) 13:34:26.37 0
>>252 それは空間的にアクセスしているだけで、一時的な気休めに過ぎない。
その後に無が襲い掛かるぞ。
超人的な心境ってのはハイなだけじゃないぞ
「今死んでいいな」みたいなローな気持ち良さもあるじゃん?
>>255 もし神がおるとして、何処におる?
宇宙の外側?
258 :
686:2012/03/26(月) 14:08:58.29 0
>>257 神がいなけりゃ人類は何百万年も存続していないよ。ニーチェだって有神論者
であり、神を前提にしてたじゃないか。否定していたのは捏造された手垢の
ついた偽神だよ。所在については宇宙が主観性のことであるならそうだね。
神は遍在です
260 :
686:2012/03/26(月) 14:28:05.78 0
1)意味を経由せざるを得ない近代社会で
でいうと、かつては単純な社会が受動性/時間性/一般性を担保していたんだ。
かつては前にヘラクレイトスの円環的時間観というのが出たけど、春がきたら
夏になり、そして巡り巡って冬のあとはまた春になる、みたいな時間観だった。
農村では働いて不快が蓄積してくるけど、祭りによってそれは解消される、
ということの繰り返しだった。その生き方は近代人からすると「意味がある
のか?」といいたくなるかもしれないが、ニーチェが「意味がないから良き
生が送れないのではなく、良き生が送れないから意味にすがる」と言ったように、
近代的発想であって、単純な社会ではハレとケを交互に反復するそういう
社会だったんだ。祭りは一部のセットアッパーが担っており、それは自動的に
行われるので受動性だったし、決められた時に来るので時間的だったし、
皆が同時に行われたので一般的だった。
261 :
686:2012/03/26(月) 14:37:26.28 0
しかし社会が変遷して複雑化したことで、受動性/時間性/一般性は担保されなく
なってしまった。同じ時に皆で自動でやってたら出勤や納品などが適宜に行わ
れず社会が成り立たなくなるからハレは能動性/空間性/個別性に行われる様に
なったんだ。ハレはドラッグでも遊園地でもなんでもいいんだけど、それは
自らが赴かなければならないがゆえに能動性であり、切り離された所へアクセス
するがゆえに空間性であり、個人の責任で主体的に行うがゆえに個別性だ。
最早近代社会はその複雑さゆえに意味を経由しなければ成立しなくなった。
意味の無限指定から逃れられない今日的な社会で、無を寄せ付けないように
神を如何に享受するかが問題になっている。神が死んでいるとは複雑化した
近代社会が前近代の人類を何百万年と支えたあの神を殺したという意味なん
だよ。
262 :
686:2012/03/26(月) 16:10:36.35 0
2)明識されない無意識下において
でいうと、神を意識的に捉えると言うことは論理的に不可能なわけだ。信仰
とかいうのがあって神との合一を意識的に図る目論見なんだけど、それだと
どうしても座礁してしまう。そんな揺らぎの中で信仰を貫くところに信仰者
としての生があるわけだけど、現世で神を捉えるのならば意識的では駄目で、
無意識で無ければならない。
無意識でというのはつまり共同主観性のことだ。共同主観性とは私的判断を
自らしたと思っていても、他者とそのことで争えるという事実が同型の共同
主観性に基づいていることを意味している。例えば「これは犬である」という
判断は私的なものであるが、それについて他者と争えるということが他者と
共通した前提に基づいている。この様な当たり前の前提として、本人すら自覚
できない共通する感性や知性が共同主観性だ。
神の存在を共同主観性として当たり前の現実として捉えられることが必要で
ある。そしてそれは対を絶する私だけの神で無ければならない。これはいくら
信仰をしても、意識的には達せられない境地である。
つまり神は存在しないってことか
やっと『人間的〜』新潮版上巻みつけた。
これで読める。
265 :
686:2012/03/26(月) 16:23:15.91 0
3)受動的に神が来訪する
でいうと、神が来訪するということに意味がある。つまりこれは意味を経由
せずにハレが獲得できるということであり、これは意味の陥穽からの脱出を
意味する。そして神は空間的な人から離れた誰でも機縁になるような相対的に
アクセスするものなどではなく、神の腕の中で常に神と同時的に存在し、それ
でいて自明の現実として担保されるのだ。
あの永遠性の神が直線的な時間軸の中に進入してきた。これはキルケゴール
からしたら驚くべきことではないか。背理を前にして殉教し彼岸で結実する
はずが、しかし神は出現するし、メッセージを伝達するし、現実で永遠の
福祉の恩恵を受けている。直線的な時間軸での懊悩が取り払われ、直線的な
時間軸の体裁をとるだけで円環的な時間軸が永遠に約束されている。
個人が意志に基づいて作り上げた無とは異なり、自らを守るべくどこかで本人
も無意識の内に望んでいたであろうが、突然出現したことに意味がある。その
神は手垢のついた偽神なのではなく、いわゆる皆が思い浮かべるようなあの
全知全能の神なのだ。
全ては神のメッセージであるがゆえに、あらゆる外部からの一般的な困難は
祝福であり、根源的な意味では本人はなんら傷つくことはない。夢ではなく
現実に足をつけて日常がそのまま光源となる、これが超人なんだ。
引き籠もりの哲学か かなしいな
267 :
686:2012/03/26(月) 17:50:58.35 0
>>266 泣きなさい。
この意味的な社会で神を来訪させるという困難さの超越を説いたのがニーチェ
であり、これが超人思想なわけだよ。こういったことはニーチェだけを読んで
いてもけして分からないことだ。ニーチェの枠でニーチェを讃えても仕方が
ない。ニーチェの価値はニーチェの外側から出しかできない。
既出だったらすみません。
『ツァラトゥストラの解釈・批評』阿部次郎 著 /新潮社
「ツァラトゥストラの成立」、「超人」や「永劫回帰」について、
解釈の一つとして読むと面白いかも。
なぜ神が来訪するんですか?
270 :
686:2012/03/26(月) 23:18:28.83 0
>>269 来訪していたから人類は何百万年も存続できたわけだし、こちらから行くと
いうことは目的合理的行為、すなわち意味を経由してしまうことになる。
そうなるとそこにニヒリズムが生まれて無への信仰が始まってしまうわけだ。
個人の主体的決断というものに依拠するのではなくて、神の存在が当然の自明
のこととならなければならない。そのような社会における時間観は円環的で、
それを担保するのが透明性の高い単純な社会だ。少なくとも前近代まではそう
だった。神は来訪して初めて神であり、来訪性無き神は偽神だよ。
それで神が来訪するのは望ましいことなのか?
他人から見たら基地外化してるとしか思えないんだが。
おしまいの人間たちのほうが健康だよ
見たことも会ったこともない神さんを信じる(信用する)なんて
273 :
686:2012/03/27(火) 13:16:59.20 0
>>271 何を言っているんだよ、何が幸せかはその人の共同主観性が決定するんだ。
つまりキリスト教信者からしたらイスラム教信者は笑えるだろうし、イスラム教
信者からしたらキリスト教信者は基地外だろう。
>>272 じゃあ逆に会ったら信ずるってことだよな?まさに神に出会うから神の存在
が当たり前のことになるんだよ。来たら、そしてそれをどこかで本人が望んで
いたら、もう信じるしかないだろ?
>>273 >何が幸せかはその人の共同主観性が決定するんだ。
まず前提として、超人が集まった超人の社会とか超人の民族が成立しないだろう。
従って超人の幸せは反社会的にならざるを得ないから、
人間がもつ社会的な動物である制約によって維持できなくなるのでは?
275 :
686:2012/03/27(火) 14:59:28.14 0
>>274 鋭い考察だと思う。
>従って超人の幸せは反社会的にならざるを得ない
反社会ではなく脱社会だよ。反社会は既存社会を前提にした立ち位置だけど、
脱社会は前提にしないので必ずしも社会と対立するとは限らない。だから
誰にも知られずに過ごすということが論理的にありうるし、社会を守るために
活動するということもありうる。反社会的人間は淘汰されるだろうね。
>人間がもつ社会的な動物である制約によって維持できなくなるのでは?
超人を包摂する社会だから維持は出来るよ。
まあ、超人は進化では無いからな。超人が増えたからと言って、
社会や国家には益が無いだろう。むしろ国体の崩壊を促すかもしれない
チベット人は崇高な人間性を持っていたが、下種な中国人にレイプ・殺人・拷問の民族浄化を受けているという
確かに、社会を維持できなくなってるな
道徳や社会の規範に従わない超人を社会が許容するんだろ。
センミンやらチクグンと罵っておきながら社会の寛容に甘える超人たち(-_-)
超人よりも超人を目指せですよ。
超社会
Superman
超人の定義には非社会的とか不社会的と言う言葉も当て嵌まるですよ。
282 :
686:2012/03/28(水) 18:54:59.14 0
>>276 >まあ、超人は進化では無いからな。
そういうことだね。それにしてもニーチェマニアがいないほうが話が進むと
いうのが面白い。マニアはニーチェを神として信仰しているだけだからね。
全然ニーチェを相対化していないし、道具視できていない。そもそも目標が
ニーチェなんだろう。
>>277 >社会の寛容に甘える超人たち(-_-)
宗教というものがそもそも社会を超越しているということを分かっていない
ね。つまりその発想自体が我々の神に基づいた発想なんだよ。私の神に基づ
いていればけして甘えてなんかいない。
>ニーチェマニアがいないほうが話が進むというのが面白い。
>マニアはニーチェを神として信仰しているだけだからね。
これは前から私も思っておりました。
恋する女の子は盲目ですからねー。
>宗教というものがそもそも社会を超越している
分離できるどころか社会は宗教の一形態みたいなものだと思うよ。
だから個人の名も無き宗教と宗教摩擦を起こすんだ。
そもそも、超人は社会に寛容たれとは言わないだろう
それはルサンチマンの発想だ
なんで価値のない世界を生きれるの?
生きれるというか生きてしまってる。
親が念入りに生まれた理由まで計画して作った子供なんて極わずか。
私たちの多くはヤったらデキてしまったので生まれちゃった人たちばかり。
なのでとりあえず生まれてから生まれた意味を人生の中で獲得しなければならない。
これ実存主義。
287 :
686:2012/03/29(木) 01:31:03.82 0
>>283 >分離できるどころか社会は宗教の一形態みたいなものだと思うよ。
特に近代社会というのは一つの大きな宗教だったと感じるね。
>>285 >なんで価値のない世界を生きれるの?
極端な言い回しをしたら紙一重だろう。
>>286 >生まれた意味を人生の中で獲得しなければならない。
これは逆だと思う。価値を感じているから生きているんじゃないかな。結局
サルトルは生きる絶対的な意味なんて見出せないから共産主義の補助的
イデオロギーとして実存主義を位置づけしたんであって。
神を否定すると問答無用でニヒリスト扱いするあたりが欧州文化の面白いとこ
ニーチェの思想も面白いけど、それに対する社会の反応はさらに面白い
どうでもいいだろが
社会とか大衆を罵りたいだけやろ
哲学しちゃってる自分は大衆より偉いと信じるルサンチマンが
ニーチェ信者に多いこと、多いこと
『社会』『大衆』
そんなものは、本当にあるのだろうか
この点に疑問を投げかけただけでも、ニーチェは一読に値する
哲学なんて、誰でもしていることなんだよ
>>287 >価値を感じているから生きているんじゃないかな。
まず生きているの意味合いが、個人の自我が生きているだとしてだよ。
それは無意識に価値を先天的に感じているということだよね?
例えば友達は気付いたら(無意識に)友達になってるもんなんだけど、
無意識の内に功利的な理由があって友達になっていたにしろ、
意識的には友達になった後の体験から友達になった理由(仮象)を創作するよね。
フロイトがどうこうで無意識の性衝動が彼を友人として欲求したとかいう
無意識における価値ではなく、意識内で創作された価値観を獲得するという
意味合いで
>>286の云々があるんよ。
別に何で神を否定するのが何でニヒリスト何だよ。
神を否定するのはニヒリストじゃなくて無神論者だろ
>>288だけがニヒリストだと主張してるだけで
寧ろ神を肯定しろよ。
神なんて存在しないのに
神は存在するよ。
神に脳はあるの?目はある?手足は?男?女?両性?
無性?
神様には実体が有るよ。
幼稚な哲学
どらえもんに神を想えるか
302 :
考える名無しさん:2012/04/02(月) 08:29:14.00 0
ドンフライ
ドラえもんは万能ロボット
つまり科学と文明こそ神ってことだな
ドラえもんはニーチェを知っているからな。
別に神様は他に居るよ!?♪。
江原啓之は神様だよ。
ニーチェって一元論と二元論のどちらですか?
ニーチェの哲学はドラえもんよりもアポカリモンに使いですよ。
310 :
考える名無しさん:2012/04/03(火) 18:06:48.30 0
ツァラトゥストラとは誰でしょうって問いに、
『「最後の人間」の次に来る者』って答える人がいて俺はすっきりできる感じがあったんだけど、
ツァラトゥストラの次に来る者はなんなんでしょ。
のびた
ドラえもんは重要ではない
重要なのは四次元ポケットとその中身だ
でも説明書がないと
ニーチェの考え方に一番近いのはアルゴモンだよ。
ドラえもんというと独裁スイッチを思い出す
ニーチェに近い考え方はデビモンですよ。
のびた君はルサンチメン
ニーチェに一番近いのはディアボロモンだろ。
319 :
考える名無しさん:2012/04/05(木) 08:13:13.90 0
神の話はどうでもいいと思う
ニーチェも、私が無神論と親しんでいるのは、考えて出した結論ではなく、ただなんとなくだ!って言ってるし
(正確には本能的に自明だからって表現してるけど)
宇宙の創造とか世界の不思議にたいする根拠としての神、
精神や自我といった個人の神、
社会集団の精神としての神、
こいつらをあいまいにしていいのか?(不可分?)
ドストエフスキーの社会主義の焦点は無神論であるって説は何を意味する?
321 :
考える名無しさん:2012/04/05(木) 21:22:22.16 0
日本人がキリスト教やキリスト教的な神に親しみがないっていうのは、
ニュートラルにものを考える上では利点なんじゃないだろうか
そういうとこは、わざわざ西洋人に付き合わなくていいと思うんだよね
神って呼ぶ必要がないものを神って呼んだりとかもさ
ニーチェは大好きなのはアポカリモンだろ。
運命愛という言葉を知ってからというもの他人に親切にできなくなってしまったよ。
困ってる人に今君は壁にぶつかってラッキーじゃないか!とか言ったら世間でキチガイ扱いだろw
運命愛はイジメも戦争も肯定できるし社会的じゃないな
他人にはとても薦められる思想じゃない
自分だって運命を全部受け入れてたら精神が持たないし
皆よくまともに生きてられるよな…友達とかいるの?
自分は一気に老けたわ…運命愛はトラブルの元だ
運命に抗うことも運命
そしてその運命を受け入れる
運命に抗うって言っても開き直りとか思考停止はニーチェが言ってる運命愛とはちょっとちがうだろ?
ニーチェ本人がろくなめにあってないもんな。
女性なんかは苦痛を受け入れやすくて運命愛の塊だと思うが
もてない恨みから女性全体を蔑視するニーチェって矛盾してるんやないか?
いわしの頭とかさ
ニーチェに一番近いのはミレミアモンだよ。
329 :
考える名無しさん:2012/04/07(土) 11:37:39.55 0
ニーチェは禅を知ってたらハマってたと思う
330 :
考える名無しさん:2012/04/07(土) 11:41:22.41 0
>>323 >困ってる人に今君は壁にぶつかってラッキーじゃないか!
自己啓発書によく書いてあるよね
「起きていることはすべて正しい」っていうベストセラーもあった
331 :
考える名無しさん:2012/04/07(土) 20:37:15.98 0
ニーチェの動画の様な、哲学者の動画いろいろ見てみたい。
デジモンシリーズの話題でニーチェを語れよ。
ニヒリストなソロモン王が伝道書で刹那主義と力への意志を攻撃してるな
長生きすればキリスト→ニーチェ→ソロモン王の順に進化するとか
空の空
ニーチェの思想哲学思考回路の考え方の構図は優等生ですよ。
短パンは死んだっぽいがナックンとかは生きてるのかな
なつかしいな
ニーチェには物凄い悪いけれど普通に勿論神様は居るよ。
そんじゃあ神様連れて来て
ニーチェの意見とは正反対だけど神様は実在するよ。
341 :
utu:2012/04/15(日) 09:21:13.26 0
徹底的に現実主義になって理性的なあまりに理性的なことになったら自殺しかないな
「死」を克服する哲学や認識は無いし、知性的に成り過ぎても不幸になるだけで
思想の断片
343 :
考える名無しさん:2012/04/15(日) 19:35:43.85 0
死を直視したり歴史や人類史の残虐な発展を知って憂鬱にならないヒトは人間として異常だと思うが
それでも人間社会の慣習や人体の本能に従って生殖(避妊無しの性交)をし続ける人間はまだまだ愚かな生命体
俺は別にファラリスの雄牛を操りながら性交したいわけじゃないんだ
自分や他者やこの世のモロモロについて知れば知る程に、認識が鮮明になればなる程に、…
寧ろ非現実的に為れよ。
「死」を克服する哲学はスピリチュアリズムだよ。
認識が非現実的になるから最悪の場合は戦争とか殺人してしまうんだよ
寧ろオカルトを肯定しろよ。
妄想狂信バンザイってことか
小さい子供って皆しあわせそう
寧ろ妄想を肯定しろよ。
352 :
考える名無しさん:2012/04/18(水) 10:06:37.66 0
ニーチェだってガキの頃に処女懐胎の話を知って、
「そんなばなな」って思ったんだろうな。
ニーチェよりもスピリチュアリズムの方が強力だよ。
>死を直視したり歴史や人類史の残虐な発展を知って
>憂鬱にならないヒトは人間として異常だと思うが
>それでも人間社会の慣習や人体の本能に従って
>生殖(避妊無しの性交)をし続ける人間はまだまだ愚かな生命体
理性や文明は生命や意味を否定する。
だから感性に従い、非現実で自分に都合のいい妄想で
生命や意味を肯定したいのがニーチェで、
一方で理性を悪意に利用し、非現実で自分に都合のいい妄想で
生命や意味を攻撃したいのがルサンチマン。
妄想族にならないで存在を肯定しようとすれば
唯物論で人間=経済学的ロボットモデルとか不可知論で思考停止が
簡単でいいと思うけどね。
355 :
考える名無しさん:2012/04/20(金) 11:49:27.46 0
つまり、欲望の赴くままが最も肯定的で…
今、自らの本能も欲望も思考言動もすべて肯定しようとガチで決めたら何故か楽に。
そう、ただ楽に…
「?」と「否定」が苦悩であり無理であった
理の通りこの宇宙の中ですべては流動して変形して、ただ流れていく…
ニーチェのにニヒリズムは大損だよ。
>>354 ニーチェは生を肯定したいわけでは無いだろう。むしろ、ある意味では生を否定している。
ニーチェは力強い生を肯定しているが、それはニーチェの感情によるものだね。
というか、感情以外で生を肯定する事は出来ない、神はいない、というのがニーチェだろう。
360 :
考える名無しさん:2012/04/21(土) 15:01:23.81 0
ブラックホールの中へ
ブラックホールの中へ
宇宙の外側に
眠りの中にある時は宇宙の外側にいるみたいだ
いい夢も悪夢もブラックホールの中での体験みたい
更にブラックホールの中に入り宇宙の外側に行き多元宇宙の外部に移動するよ。
神はいない、といいましても、それは一部の人だけの問題じゃないか?
今でも旧来的な神をもつ人はたくさんいますし、
神がいなくて困ってたのは結局ニーチェだけでしたってオチ(^^;)
ブラックホールは案外心地よいのかもしれない
ニーチェから受けた傷を舐めまわし合う出来の悪い人たちの集まるスレはココデスカ?
ミカン箱のミカンは一つ腐るとあっという間に全部腐る。
腐ったミカンたちの集まるスレはココデスカ?
本日をもってこのスレは
「腐ったミカンを投げ捨てて全てのミカンをリフレッシュするスレ」
になりました。
今の時代、腐ったミカンは自分自身にケリをつけることもできず、かといって
自分を始末してくれる他者もいない。
人間社会の健康を蝕み続ける贅肉が集まるスレはココデスカ?
心地よい疾風が腐ったミカンを振り落す偉大な時代の幕開けは
間近に迫っています。
十字架にかけられた神=ディオニュソス
アーメン
以上、未刊でした。
一人で連投してる負け犬がいるね
本日の
「お前が言うなww」スレはココデスカ?
寧ろニーチェをも超える哲学を生み出せよ。
375 :
考える名無しさん:2012/04/23(月) 01:30:45.28 0
ニーチョです。よろしくね
死は人間にとって最高のイノセンスだと思う。ゆえに恐れることはない。
個体の死があるから生物は自らの遺伝子(体液であれアートであれ)を残して継続しようとするのだけど、
一切遺伝子を残さずに死する行為って、非常に微笑ましいしカッコイイな。
記録0の記憶なんて
別に死後の世界を認める哲学を作れよ。
379 :
考える名無しさん:2012/04/24(火) 10:28:28.64 0
とにかくアート類の記録は残しとけと言いたい
今はネットのツベなどもあるし人類の文化遺産は残り易いな
アートとか文化ってのは長い間たくさんの人に愛され
厳しい基準と競争をクリアしたものだけに送られる称号
一人で自己満とか身内ネタみたいなゴミをむやみにアップロードしても
迷惑なノイズにしかならん
ニーチェの超人はRPG的に言うとレベルが限界を超えるステータス限界突破状態じゃ無いのか。
ニーチェは幸福の科学の大川隆法が大嫌いですよ。
384 :
(^^ω):2012/04/25(水) 09:01:00.49 0
超人のモデルとは?
人間には
アニマル(三大欲や排泄や)
マシーン(文明や機械使ったり)
アート(創作や感受や)
そして地球上で最も知性ある生命体(たぶん)
の要素があり、アート要素に最も近付いた者こそ人間の上位的な存在者(ここでは超人と言うが)。
動物の要素から離れようと胃袋を切除して小さくしたり睾丸や子宮を摘出しようとする方向性は、
人間としてあまりに健康的な考えだと思う。
時に穏やかに自殺しようとする考えも、人間としてイノセントな結果であると思う。
機械類の開発とその使用は、それらを利的に使いながらも支配されない健康を害さない様な範囲であれば使うこと。
例えば核開発の知識や技術はあっても、それを開発も使用もしないこと(既にデータが充分だから)。
人間本能の宿命と目的の生殖を一切離れて、アート類の活動とその保存継続に徹する者もしくは状態こそ至高。
もちろんその者や状態を支える為に様々な人間や労働も存在するだろうが、
物質的な面では出来るだけの必要最小限や自給自足的な「自力」の自覚は、必要だと。
(続きは後に)
哲学の基本は「知る」ことと「自分で考える」ことだと思うが、
(あぁ疲れる…)
その労力によって
何を食したり何を見たり聞いたり、何の機械や何がアートなのかと言う問題もあろうが、
個人的には菜食や美しいと感じるものを求め、機械はなるべく身近に置かず、
アートも技術や情熱とかあるけど、神経に清涼を与える表現が最も優れているのかな。
387 :
(^^ω):2012/04/25(水) 09:37:31.71 0
まあこんなのは自分の考えでしかないから、
例えば動物植物生物の世界のルールの様に人間社会から法律も倫理も廃止して、
そして生存していくし繁殖していく者こそ超人さん
とか言う人もいていいと思うし、その説明をここでしてもいいが。
それと経済的な話は、
もうやめとくか。
小学生の作文より貧しい日本語だな
>睾丸を摘出しようとする方向性は、
>人間としてあまりに健康的な考えだと思う。
>自殺しようとする考えも、人間としてイノセントな結果であると思う。
じゃあ睾丸握りつぶして自殺しろよ
女たちはみんなお前の金玉いらねーってよ
自分の思想ぐらい、実行しないとな!
391 :
考える名無しさん:2012/04/25(水) 15:43:59.22 0
きんたまにーちぇ フルーチェ
寧ろ動物的な要素を追求して力強く為れよ。
勿論ニーチェの超人は社会にもメリットが有るよ。
ノートン皇帝は超人だな
今となっては政治のセの字も興味無いし、子供を三人も作って結婚を三度もしてるヘッセにあまり共感はしない。
昨日ツベで射精された精子たちの動画観て、空から観た人間模様と見間違えた。
動物モードと聖人モードを行ったり来たり、それでもいいのだが。
脳死を絶対に避けることが出来ないと言うことは、やっぱりアニマルでしかないよと言うこと。
てか君たちが最近感動したミュージックを教えてほしいんだが、
アニソンやらAKBやらしか出てこなさささささささささささそうな人しかいないな。
396 :
考える名無しさん:2012/04/26(木) 12:29:01.92 0
日本でこれだけヲタク文化が栄えたのも何かオスとして軟弱な証拠だろうな
もちろん身体性(身長やら筋力やら)が世界的に劣ってるてのもあるし
日本女性も元々は従順というか何かイモっぽいイメージよな
たぶん大陸から端へ(今は島国だが)逃れて逃れて来た人種なんだと思う
自殺文化もそうだけど生物的に何か弱いというか
歴代日本の首相たちの顔を見れば何かを象徴してると思う
でも良く言えば穏やかな民族性があるんだろうな
武道やらもそうだったし着物やら茶道やら、何か制御というか脱力したような静かな文化が栄えたというか。
2ちゃんなんかあるのは日本だけだとどっかで見たし、ネクラで臆病な面も多いのだろう。
それか言語活動が好きなのか
まあ精神活動が向いてる民族だとも思うけど
信仰の面で言えば一応仏教の家が多い国だし、今の新興宗教も仏教的なの多いな
>>390みたいな人も自分と一度会って顔を合わせたら、以後は真面目にレスするようになるもんだとは思うけど。
このスレの歴だったらナックンとハヤンだってお互いに一度も会ったこともないのにあれだけ揉みくちゃやってた訳で。
リアルの戦争だってそんな感じ。
会ったこともない人間を爆撃するのだって現実感覚なくなってしまった結果というか。
知らない遠くの人がどの様に死んでも、どうでもいいってのは誰しもそうだとは思うが。
でも津波に飲み込まれて死ぬ人の様子を平然と放送して見世物にするマスコミの人は、人間では無いのだろうな。
現実感覚と言うか、良心や罪悪や疾しさや生理的嫌悪などのことか。
しかし何でも「慣れ」てしまえば、そんなシロモノはなくなってしまうが。
まあ今後は知性ある見方なら国属や肌色や人種を無視して「地球人」とかに世界統一するのがいいと思うが
愛国や国旗や国歌やの形式は不要になるが、地域愛みたいなものは必要だけど。
もちろん地球人ではあるが信仰や思想や趣味とかは自由であってもいいけど、
「野蛮さ」については考えて避けていくみたいな。
国同士のオリンピックやらのスポーツは美化されとるが、あれは「商売」でしかないからな。
裏で膨大な投資やら賞金やら動いてる。
記録更新とか優勝とかあるが、あまりに動物的な雰囲気あるな。
悪く言えば戦争と同じ。不要になった選手はバイバイってな人道。
真昼の日光は何か頭を狂わせるな
世のすべては「太陽のせい」なのは解かってるが
股間ツルツル君は哲学のセンスがまるでないな。
お前のやってることは際限のない抽象化、
キルケゴールが批判する「あれも、これも」だ。
それと対極にある具象化「あれか、これか」が実存主義の本質、
従って股間ツルツル君は反ニーチェ主義者である。
家族に見捨てられ、NPOやナマポにもなれない廃人さんよ、
あなたには宗教板が相応しいだろう。
http://uni.2ch.net/psy/
逆に動物的な要素を増大さしてニーチェの超人をも超えろよ。
ニーチェはひたすら神に青天井の欲求を突きつける(常に変化を求める)
キルケゴールは神を無条件に信頼する(静的である)
ニーチェの超人は社会にも利益を与えるですよ。
>>403 君は聖書が「ドラえもん」のボンボンだったっけ?
ウラヤマシイ…
未来永劫に神様は永久に存在するよ。
>>407 お前は負けたのだ。敗者は立ち去られよ。
股間ツルツル君って誰だよwwww
ニート哲学「働いたら負けかな?と思っている」
世の中ナメきっていて最強っす。タフな言葉っす。
優越に対する嫉妬が劣等者に対する同情を生む
劣等者に対する同情が社会保障と福祉の理念を生む
社会保障と福祉の理念は不労所得者の人権を擁護する
不労所得者の人権擁護はニートの生存を可能にした。
不労所得者=「社会参加したくても出来ない事情の者であるか、或いは社会参加できるにも関わらすしたくない者であるかのいずれかである」
ところでニートはどっちだ?
「自発的不労所得者」wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
人間社会の嫉妬の側面に寄生して生きることを覚えた進化形態wwwwwwwwwwwww
>股間ツルツル君って誰だよwwww
新参にも分かるように彼について説明しておく。
ニーチェスレで股間の性器を切除してツルツルにしたいと告白する
20代後半の男性(無職)である。
昼夜逆転の生活をしているため日光に弱いらしく、
ナマポ(生活保護)がほしいとスレに呟くことから
ニートである可能性が極めて高い。
社会復帰するためにNPOの手伝いに行ったこともあるが、
役立たずなのですぐに追い出されてしまった。
過去スレで激昂し、殺人予告を繰り返すが、
遂に実行されることはなかった臆病者である。
このスレ昔はもっとコテとかいたよね
実存主義哲学は死んだという哲学者もいるし、
危機的な社会情勢の現在において
個人の内面を対象とした哲学が関心を失うのも当然だ。
哲学全体が廃れてるというのもある。
416 :
686:2012/04/28(土) 14:30:36.35 0
ニーチェは実存主義じゃないよ。それこそニヒルとして腑分けされるものだ。
しかし時代はニヒリズムに支配されるし、また超人への移行はそのニヒルを
くぐらざるを得ないことをニーチェはしっている。だから彼は自らを最初の
ニヒリストと規定するわけだ。簡単に言えばニヒリズムは脱却すべきもので
あって、サルトルとかの実存主義はニヒルを受容しようというものだから
全然違う。
寧ろ神様を尊重しろよ。
神っていうか現世利益宗教を拝んでも救われないとかいう
大江健三郎の小説的ネタの側面だろ
宗教コミュニティにも入れないコミュ障ぶりを如何にアウフヘーベンするかっていうアレか
君の神と私の神はちがうのだよってやつだな
神様を信仰して欲しいですよ
>>413 てか既に金玉は存在しないし、
君が住所を教えてくれたら観光がてらいつでも会いに行くつもりだったんだがな。
NPOは自ら辞めたし、ナマポは生存する為の最終的な選択肢として挙げただけなのだが。
殺人予告はそのレスが存在しないし逮捕されてないように、君の被害妄想だろうな。
今は、普通に働いてる。
怨念が漂っているようですね
詰まり、とりあえず忌まわしい残酷な生存競争は辞退したと言うこと。
誰しも死後は、この地上がどの様な地獄に塗れようと正直「知ったこっちゃない」ってな考えだろう?
何故なら死後に自らは既に存在しないし、苦痛も苦悩も感じないから。
やはり人類の生殖も理性的な作業によらず、快楽によって達成されるところに絶望してたからな。
まあ人間の身体の目的も、結局はそれでしか無いのだが。
ソレから自由になっただけ、まあ救われたってことさ。
>>423 過去、この地上の歴史を辿れば怨念が漂うのも必然なのだが。
君はボンボンのまま悪夢も見ずに死ねて、ウラヤマシイが。
いい歳していまだに神がウンタラ言ってる君たちがほんとウラヤマシイ
無知は素晴らしい、そう言うこと。
>>422 いまさら言い訳しても遅いよ。
『股間ツルツル君って、なんなのよ!?』
ニーチェスレで股間の性器を切除してツルツルにしたいと告白する
20代後半の男性(無職・知的障害者)である。
※後に去勢されて玉なしになった(理由は強姦だろう)
昼夜逆転の生活をしているため日光に弱いらしく、
ナマポ(生活保護)がほしいとスレに呟くことから
ニートである可能性が極めて高い。
社会復帰するためにNPOの手伝いに行ったこともあるが、
役立たずなのですぐに追い出されてしまった。
過去スレで激昂し、殺人予告を繰り返すが、
遂に実行されることはなかった臆病者である。
被害者が通報すれば逮捕される。
もうこれ以上病人とは絡まないが
時々認識を改めたり確認したりする為に、ここに書き込むかもしれんな。
股間ツルツル君、また逃げ出してしまうのか。
お前は哲学ではなく悟り=思考停止=宗教だからコミュにならないんだよ。
おまけにニーチェ関係ないし、スレッドの主旨に従えないならブログでやれ。
別に哲学者の哲学的な哲学の世界観設定でも死後の世界は存在するよ。
殉教者の思想だもんね
一歩踏み外せばイスラムテロ集団と同じ
435 :
686:2012/04/30(月) 23:15:19.84 0
>>434 それは違うんじゃないか?殉教者の思想はキリスト教とかイスラム教の
彼岸主義だろう。
>>435 >あらゆる困難は神の定めたものであり、
>そうであるがゆえにそれは回避すべきどころか殉教者としての生に繋がるものである。
テロの闘争心焚き付けてるのはこれでしょ
信念を曲げて自分を欺き、負け犬になることも社会の必要悪よ
寧ろニーチェ以上の哲学を考えて欲しいですよ。
ニーチェをも凌駕しろよ!?♪。
439 :
686:2012/05/02(水) 01:20:09.54 0
>>436 信仰というのは信じようとしていることだよね?だから躓きの石が常に
転がっている。でも超人には信仰心なんてないんだよ。だから超人の
信仰というものは実は矛盾していて、それは論理的じゃない。例えば
アブラハムは神の定めによって愛する子供を殺そうとした。それも黙々と
誰にも語らずだ。でもこれが最高の類型として賞賛されるのはやはり超人
じゃないからだ。今の立ち位置からは絶対に越えられない壁なんだよ。
でも超人はそれをこなせる。そこには迷いが無い。賞賛される対象では
なく最早それは一線を越えてしまった別物なんだ。では超人の信仰・
殉教とはなにかというと、それは形式だよ。複雑な社会化が受動性/時間性
/一般性を能動性/空間性/個別性にしてしまったから、意味の体裁からは
逃れられないがゆえに信仰者や殉教者の形式を取るだけのことさ。テロとか
言って非難しても「何がテロだ、常識知らずのこの馬鹿チンが!」で取り
合ってもらえないよ。
>>439 あなたの言いたいのは無意識や感覚に根ざした信仰でしょう?
ぶっころしてーと思ったらぶっころす。タルムードなんて体裁。
そこに意識的な、論理的な迷いが無い点でテロ集団と近い。
論理的であれば、つまり責任感をもち後先を考えれば
どうにもならない無力感を感じ、躓くわけだ。
逆に言えば、躓かない超人は無責任で後先を考えず、
後に来る悲惨な結末を受け入れて、一時の感情に殉教する。
最近ニーチェを勉強しようと思ってるんですけどお勧めの入門書とかあったら教えてください
Amazonのレビュー見て買え
444 :
686:2012/05/02(水) 17:05:20.12 0
>>440 無意識的な信仰なんてあるのか?それにテロという物言いは我々の信仰で
あって、逆に言えば彼らにとっては我々こそテロリストかもしれない。
>>442 分かりやすいのは永井均の「これがニーチェだ」じゃないかな。正直いって
俺は間違っていると思うし作者の鈍さを感じるけど、ニーチェの雰囲気を
なんとなく知るにはとてもよいと思う。
686さん
ありがとうございます
仕事が終わったら書店でも寄って買って帰ることにします
無意識の信仰と言えば日本の全ての物には神が宿ると言って物を大事に使う習慣はどうなんでしょうかね
八百万の神々って考えでしたっけ
>信仰というのは信じようとしていることだよね?
しようとしているではなくて、しているでしょ。
信仰は恋と同じで、気付いたら落ちているもの。
宗教学では信仰に落ちるためのコツとして神秘的体験ってのがありますけど、
この神秘的体験を人工的に作ること、それを貴方は信仰と呼んでいるのでは?
>物を大事に使う習慣はどうなんでしょうかね
例えば古い冷蔵庫をいつまでも大事に使っていると
かえって電気が無駄なんだが、捨てられない。
また物を大事にすると意識した事が無い。こんなケースだな。
448 :
686:2012/05/02(水) 20:35:33.41 0
>>445 神道ですね。でも当時の生活に即した信仰なので、別に特別なことは
無いと思いますよ。
>>446 >しようとしているではなくて、しているでしょ。
でもしきれていないでしょ。それに恋と神は違う。恋に志向性はない。
>>442 竹田青嗣の「ニーチェ入門」
というかこれ以外は読んだ事ねえわw
アニミズムだっけ
ニーチェの考え方も哲学者の哲学的な哲学も非論理的だよ。
自己を内省する批判力を失うことだと勘違いしたバカがいますね。
ニーチェをも凌駕する哲学を創造しろよ。
>>454 大衆が支配する世界は、みんな幸せでいいと思うぜ。
選民思想やら高尚な芸術なんていらんわ!
いいのか?
リア充文化花盛りになると思うのだが・・・
俺はとても生きて行けそうもないな。
そしてその支配する大衆も実は支配されていると
寧ろ非支配社会を目指せよ。
>>455 選民思想や高尚な芸術がいらない?
フランス革命後、貴族の子供が売春婦とセックスを強要されたらしいな
貴族の高貴な魂を、市民と同じ所まで落とそうという行動だな。……実に出来損ないらしいやり方だ。
ニーチェの考え方は未来的な思考だよ。
俺はみんなでマクドナルドに集まるのは嫌いじゃない。
友達がいない出来損ないにはわかるまいが。
>>462 でも人間の程度に応じた棲み分けは必要ですね。
マクドナルドやコンビニの駐車場にたむろすのが当たり前なお花畑の集団
にはさすがに加わりたくないと思ってしまいます。
無論、階層はピラミッド構造で「底辺ほど数が多い=友達の数が多い」けれども、
上の層でも数は少ないがそのぶんより一層かけがえのない、安易に取り換えることの
出来ない真の友と呼べるものがいることはいるんですね。
少数の上の層には少数の上の層の社交の場というのがあるのです。
もう少し世の中の相場というものをを知ったらどうですかね?
>>463 大衆文化と貴族文化の話かと思いきや、
階級に対する中傷を前提とした人格批判とはね。
武田信玄や上杉謙信も人攫いに人身売買、無用な虐殺を繰り返したのに
エリート層に幻想を抱くとか、下の社会しか知らんのか?
ツァラトゥストラは何だかんだ言っても大衆に溶け込んでいた。
だがここで大衆を罵っているのは、仲間はずれにされた負け犬だ。
気まぐれで自分から去った者と、追い出された者は違うのだ。
ポジティブな解釈のニーチェを考えろよ。
自らを爪弾きにした大衆を否定するために非実在貴族を肯定するぼっち奴隷カワイソス
まぁマクドは体に悪いから食わない方がええわな
愛好家に理解を示しつつも、自らは距離を取る
>>464 >>465 嫉妬深いなあ君は。
ニーチェの思想が「図に乗り始めた出来そこないどもに同情の余地なくケリをつけるための」
残虐と冷酷を肯定する苛烈なものであることぐらいさすがに分かるでしょう?
>>武田信玄や上杉謙信も人攫いに人身売買、無用な虐殺を繰り返した
だからこそニーチェは非情で残忍狡猾でしかも万能なチェーザレ・ボルジアの
ような恐るべき人物を、屁理屈道徳家どもがションベンチビって震え上がる
ような有無を言わさぬ貴族的超人の理想的な典型として捉えていたんでしょう??
ニーチェの「危険なミモフタモナイ思想」を弱さに都合よく優しげなものに
曲解しようと必死になってるのは残念ながら君のほうではないのかなぁ?
ニーチェの思想に触れるにはそれなりの覚悟がいるんでしょう?
僕らのような現代人が戦慄を覚えるような深淵が横たわっている、そういった
猛毒がそこにあるからこそ、ニーチェの思想は読み手にとって常に真剣なもの
であり続けているんじゃないのかなぁ。
そう?別にそんな深淵なんかはないと思うがなー。
わずか十代二十代にしてもはや絶望のあまり自殺が絶えない時代だよ。
これ以上の深淵って何があるんだ?
ふと現実に買えればアルバイト暮らし・将来の展望なし
結婚の希望なし。体調も年々悪化。今以上の幸福が来る兆しなし。
現実こそよっぽど深淵で絶望に満ちている。
ニーチェが読ませる内容であるのは、ニーチェ自身の境遇の中で、自殺を選ばず
考え続けたことにあると思う。
自殺者を思いとどまらせるどころではなくて、ニーチェ的にはそんな自分自身に
苦悩する者はこちらから突き落としてしまえ!ということじゃなかったっけ?
アルバイト暮らし云々どころではなくて、より強力な鬼神のごとき人間の前には
弱者はただ単にまだ絞め殺されずに生かされているというだけで天に感謝する
んじゃなかったっけ?
アリンコみたいなちっぽけな幸福に関してウジウジ不平を漏らす余裕がまだある
お花畑思考どころではなくて、ニーチェ的には人がより一層悪くなり困窮に
満ち満ちてこそ稲妻に打たれて破滅するほど天にも届く高い強力な人間が
鍛え上げられるんじゃなかったっけなぁ〜。
その主張だからこそ、俺たちよりなんじゃないの?
マッチョを目指せ。超人を目指せ!と必死になりながら、ザロメに振られながら
必死で主張しているところが、まさに、ニーチェ自身がそうじゃない小者であることを
示している。
じぶんがそんな超人なら、顔真っ赤にして書き散らさないだろう・・・
大学デビューして初めて童貞をすてたようなやつが必死に童貞を馬鹿にする。
遊び人はあえて童貞なんかは軽くあしらう程度だしね。
だからこそニーチェは読ませるんだよ。その主張とはまったく逆のニーチェ自身に魅力がある。
ニーチェの主張自体にはたいして深淵はないぜ。
>>474 どうも君はニーチェの言わんとしているミモフタモナイ部分をまるでおとぎ話
のように現実とは関係のないものにしたがっているようだけれども、やはり
相当彼の「ミモフタモナイ部分」を怖がってるようだねぇ。
彼の思想のミモフタモナイせちがらい部分の幾分かは僕らの現実でもあるという
ことを認めるには君はまだ未熟すぎるよ。
外資系なんか特にだけど、死に物狂いでシノギを削る組織は落ちこぼれや
旗色の悪くなったヤツに対して情け容赦なく酷薄なんだよ。弱った部分に
同情して穀つぶしを養ってくれるほど今日びの世の中甘くない。
どんなに道徳性や仁徳を振りかざしても結果が出せなければ組織も個人も
嘲笑われて踏みつぶされるんだよ?昨日まで打ち解けて話していた同僚なども
翌日には薄ら笑いを浮かべてシカトや嫌がらせを平気でする、自殺者が出ても
みな心の底ではまた一人競争相手が減った、食い扶持を節約できた、明日は
わが身かもしれないからせいぜいうまく立ち回ろうと考えるだけで心を痛めている
余裕なんか誰もないんだよ。
思想の上でほざくだけでなくて、強く賢く冷酷にならなければ「実際問題として」
生きてゆけない現実がそこにあるというのを理解するには君はまだ早すぎたようだね。
>>475 ニーチェがそのような境遇で書いたのかもしれないが、日本でニーチェが読まれ続けているのは、あくまで「方法的な虚無主義」か、あるいはそのフンイキに惹かれているからじゃないの?
あなたは外資系におつとめで、真にそう思っているかも知れないが、それは日本において「普遍的」なの?
そうだとすると、俺だけがお花畑だったってことになるが・・・
そして、当時のドイツの境遇がどうだったか知らないが、今の日本があまねく、あなたの言うところの
ニーチェが必要な状況にあるとは思えないのだが。
>>476 ニーチェの必要うんぬんというのはさておき、現状として君は「お花畑」です。残念ながら。
>>476 悪いことは言わないから、甘い考えはことごとく捨てたほうがいいよ。
まだ間に合えばの話だけれども。
おまえらが修羅の生き方・考え方を選んでいるのは、よう理解できた。
>>470 なにも外資系でなくても日本の会社にだって、そんな話はいくらでも転がっている。
そんなことばかり繰り返し言っているのは入社一、二年程度だろ。
ニーチェがチェーザレ・ボルジアを持ち出すのは、マキャヴェリを熱心に読んで影響を受けていたため。
マキャヴェリがチェーザレを政治的人間として理想化していることに影響されている。
「貴族的超人の理想的な典型」はどこだか知らないが、「一種の超人」とは言っている(『偶像の黄昏』ほか)
ニーチェは、「非情で残忍狡猾、万能」というだけでチェーザレ・ボルジアを「貴族的超人の理想的な典型として
捉えていた」のではない。
チェーザレは非情で残忍狡猾な性格と伝えられているが、マキャヴェリは『君主論』で、チェーザレが民衆から
愛され兵士から慕われていたという部分を非常に強調している。またチェーザレが政治的な高い志と目的を持ち、
人民を救済へ導いたと讃えている。そのように記述されたマキャヴェリの著作を「熱心に読んで」(手塚富雄氏)、
ニーチェはチェーザレを捉えている。
ニーチェをごく部分的にしか読んでいないと 470 さんのような話になるが、ニーチェをなるべく全体的に読まないと
一面的な理解の間違いが起こる。
エルンストユンガーも残酷な世界観を描く一方で本人は愛情深くて優しいな。
>>470 友達がいない
>>470はどーせドゥルーズの解釈に依存してるんだろ?
ドゥルーズのような「あらゆる形態における思惟の低俗・醜悪・愚劣への攻撃」
に重心を置く哲学は、ツァラトゥストラで言えば「ハエ叩き」か「火の犬」じゃないか。
俺はハエ叩きにならないよ。光武帝・劉秀やサラディン公の甘さは弱さでなく美学。
ニーチェとデモンベインのコラボレーションもして欲しいですよ。
全集。
揃えるなら白水社版とちくま学芸文庫版。
どちらがええんでしょうか?
ニーチェさんが幸福だったのは教授した後に経済苦が全く無かったこと
ゆえにお金の為に働く(他人の為に労する)こと無く、自由な時間もあり哲学出来てた訳で
もちろん上で誰かが説明した面倒な職場の生存競争なんかも無縁だった
そしてマトモな女とも無縁だった
皆も一度は俗生活をキッパリ辞めて高尚な芸術の生活とやらをしてみることをおススメする
やがてそれすら飽きるけど
でも地上の生活よりは、超マシ
それに皆も一度は超冷静になって見ることをおススメする
茶番だろうが言語活動だろうが何だろうが何かに夢中になってることがどれだけ幸福なことか解かる
人体の目的は遺伝子残すことの為でしかないこと
サメテしまったら、不幸
もちろん「光あれ」なんてジョークも無い
ニーチェは中二病だよ。
489 :
考える名無しさん:2012/05/14(月) 23:31:44.56 0
金玉とられたニート君が働きたくないこと、
学校や職場の生存競争で負け犬だったこと、
自らを隠された真理を知る特別な存在と妄想していること、
ポルノ映画好きで、遺伝子残すことに
未だ執着している異常性欲者であることしかわからんな。
頭だけで考えた思想、デカダンを否定したのが
ニーチェに限らず当時の流行だったことを踏まえた上で述べてるのか?
B層を超越した!
ニーチェ王子!!
ネット上の購買遠隔操作も欲望喚起的ニーチェなのだよ
音楽には壁が無い。言語の無いものなら尚更、国境を感じない。聴くだけで頭を楽にしてくれる。それに記録されたものなら大概は消滅したりしないし、腐ったり壊れたり死んだりもしない。
人間性に絶望したなら、人間の高尚な意識で演奏したり歌った美しい音楽でも聴いて楽になろうか。
494 :
考える名無しさん:2012/05/15(火) 09:46:52.91 0
ニーチェと言えば重要なのは盲目的な信仰と大衆の衆愚への批判ってなだけだと思う
知の権威だとか自分は特別な人間だとか思いたい人が好む名前として有名だけれども
しつこく絡んでくる引き籠もりホモのび太君は確か昔一時期親切にレス返してた人よな
スルーするしレスとかしないけどほんとリアルじゃなくてよかった
親切にした相手に殺される世の中だし、ストーカーとかも愛情が過多になって憎悪になるくらいだし
今朝起きたら、ωついてた。じゃっ
俺が親切にレスしてたってことだけど、もうこんな一円にもならんサービスはせんが。
いじめられっ子はみんな特有の選民意識をもってる。
カルト宗教モノミの塔のようなキリスト教奴隷宗教の教義でも、
自分たちが迫害される理由に対して、自らの特別性を答えとしている。
ニーチェが言うところの妄想上の復讐・ルサンチマンの典型だ。
金玉とられた異常性欲者、股間ツルツル君は殺人予告を繰り返す反社会的人物だが、
リアルでは無力な存在であり、youtubeでエロやオタクを高尚芸術と称して
見聞きすることしかできない。
なごやんは盲目的な信仰が大事と言うけれど、ツルツル君のように
内省する自己判断能力を完全に欠いてしまった宗教者は望ましいかな?
498 :
686:2012/05/16(水) 02:39:41.11 0
>>497 盲目的な信仰ではなく信仰は形式であって、客観的には世界が歓喜に充ちた
ものとして受け取りなおされているだけだ。だからテロであることもあるかも
しれないがテロでないこともありうる。しかしおそらくテロになることの方が
可能性は高いだろうね。
499 :
考える名無しさん:2012/05/16(水) 03:29:59.91 0
信仰は行為であり、概念であり、定義の困難な単語である
しんこうしんこう
501 :
考える名無しさん:2012/05/16(水) 21:05:36.34 0
>>498 認識のレンズに錯覚を作り出して、脳みそを歓喜で塗りつぶすのは結構なこと。
しかし本当に100%塗りつぶすことは望ましいか?
よほどのイケメンならノートン1世のように
大衆社会と共存関係を築けるかもしれないが、
そうでない99%は袋叩きにあうだろう。
ニーチェをも凌駕する哲学を作成しろよ。
504 :
686:2012/05/18(金) 10:19:55.86 0
>>501 錯覚というところがもう既に特定の価値観を前提にしているんだよ。たとえば
ある銅片が未開の部族では矢じりの原料として捉えられ、我々においては
10円玉と捉えられるかもしれない。解釈とは主観性の数だけあるんだから、
錯覚なんて無いよ。あるのは異なる神を頂いた正義の闘いだけだ。
自分の価値観の枠を出るとは、どうすればいいですかね?
「サイコパス」って究極のニヒリストだと思うんだけど、どうだろう
>>504 >解釈とは主観性の数だけあるんだから、錯覚なんて無いよ。
ニーチェの言う「解釈」というのは、「主観性」という次元で考えられているものではなく、
「身体」という次元で考えられている。
デカルトやカントの哲学を見ても明らかなように、主観性は「意識」の次元に成立するが、
ニーチェの解釈は、意識(小さな理性)ではなく身体(大いなる理性)の次元において成立する。
この「身体」はもちろん常識的な意味での肉体のことではなく、「力への意志」とほぼ同じことを意味する。
だからニーチェは、「力への意志は解釈する」という言い方をする。
そういう根源的な次元でのことなので、「解釈」の意味も、
主観《が》対象《を》解釈する、という通俗的な意味での解釈とは違う。
ニーチェによれば、そのような通俗的意味の解釈は、「物自体」への信仰を前提としている。
その点、>504の説明も、通俗的な説明になっている。
「ある銅片」《を》未開の部族では矢じりの原料として捉え、我々は10円玉として捉える、とする場合、
そこには「物自体」としての「ある銅片」が前提されてしまっている。
>あるのは異なる神を頂いた正義の闘いだけだ。
「神」を頂く必要はないだろうし、「正義の闘い」というのも、意味がわからない。
強者の解釈があり、また、弱者の解釈がある。
弱者の解釈は、ニーチェから見れば、(錯覚というよりも)「嘘」だ。
そして彼らが嘘をつくのは、彼らにとって、それが必要不可欠だから。
つまり彼らの「身体」、あるいは「力への意志」が、それを必要としているから。
それが彼らの「生存条件」なのであり、
そのようにして、今までに彼らが自己保存の手段として生み出した最大の「嘘」が、キリスト教の神なのだった。
508 :
686:2012/05/18(金) 14:09:16.56 0
>>507 全然違う。俺が言う主観性は共同主観性のことだから、まさに意識の前提に
なることだよ。こちらは続けて神々の争いと言っているのだから分かると
思ったが、でもその神々の争いでも異議を申し立てるのだから、分から
なくてもしょうがないか。神々とは自己神も含むけども共同体の前提になる
主観性のことだから、誰でも持ちうることさ。それを認識のレベルで例を
出したんだよ。
>>508 スレ違いだね。
ニーチェに即して書こうよ。
510 :
686:2012/05/18(金) 14:16:37.72 0
>>507 >そこには「物自体」としての「ある銅片」が前提されてしまっている。
鬼の首を取ったかのようにいうなよ。ある銅片として物象化されていると
いいたいんだろ?そんなことは分かっているけどでも説明する際には分かり
やすいじゃないか。そもそも文化の差異で解釈が異なると説明しているのに
ある銅片を相対的解釈から外すなんてしないよ。
511 :
686:2012/05/18(金) 14:21:09.70 0
>>509 ズバリニーチェだろ。ニーチェの言葉だけに触れてもニーチェを理解すること
は出来ない。それは触れているようで離れることになる。ニーチェの言葉から
離れることで逆にニーチェに近づけるんだ。
>>511 ニーチェスレならば、ニーチェの用語はニーチェが使っている意味で使わないと
話が混乱する、ということ。
ニーチェの解釈論は、「文化の差異で解釈が異なる」なんていう理論ではない。
513 :
考える名無しさん:2012/05/18(金) 14:35:23.20 0
哲学では客観的にものを見るのが重要でニーチェから一時的に離れた
議論をしていてもニーチェを客観的にみるためならそれでいい
>>504の「解釈とは主観性の数だけある」というのは、
ニーチェの解釈理論に関する誤解だと思う。
「真理は無数にある。したがって、真理はない。」
というニーチェの遠近法主義に対する誤解だろう。
ニーチェの遠近法主義には、「主観性」とううものはない。
515 :
686:2012/05/18(金) 15:00:13.76 0
ニーチェを骨抜きにしているのはお前らじゃねーの?こんなレベルでなんで
一騒動しなきゃいけないんだよ。万人向けの道なんて無いから己の道を
ひたすら歩めってニーチェは言ってなかったか?これは裏を返せば解釈の
違いだろ。共同主観性を個人で捉えるのが超人だよ。
516 :
686:2012/05/18(金) 15:00:28.79 0
ちょっと糞してくる。
517 :
686:2012/05/18(金) 21:41:52.55 0
あれっ、この程度で反論できないってお前らどんなんだよ。
ニーチェばかり読むからそうなるんじゃないか?
518 :
考える名無しさん:2012/05/18(金) 22:14:21.21 0
色々なニーチェ解釈があって当然。ひとつで合意できるわけないんだし。
今度ニーチェ読んでみるよ
反論する気もうせる、個々の価値観
521 :
686:2012/05/19(土) 00:37:12.38 0
共同主観性っていうのはある共同体における当然の感性や知性で、これは
意識的なものではなく無意識的なものだ。だからこれは意識の次元のものでも
なければ、それに基づく解釈でもない。そして錯覚でもなければ、必ずしも
反社会的なものでもない。そしてこのある共同体というのがある個人までに
なったのが超人だ。成員の協働に基づかない個人の世界解釈が覇権を持つこと
はニヒリズムの超克を意味するのであり、こうしてその個人は人類の伝統的な
円環的時間観に復帰した。その典型が奥崎謙三である。
522 :
考える名無しさん:2012/05/19(土) 02:07:54.28 0
まず造語をやめような。一般意志とかあるだろ。
街中で人口一人の一般意志を"妥協せずに"突き通したら
周囲の一般意志と力への意志がせめぎあって潰しあいになる。
宗教がその宗教外部に許容されなければカルトであるように、
超人も妥協か求心力によって周囲の理解を得なけなければ反社会的だ。
人間は無人島にでもいかなければ家族であり市民であり国民である以上、
複数の社会集団に半強制的に属しているのだから、反社会的だ。
共同主観性なる"神"はいない。
意識の次元だとかなんとか、夢見がちだな。
なるほど、錯覚に価値(理想)を見出す奴の言いそうな事だ。
524 :
507:2012/05/19(土) 15:14:19.92 0
>686
>>507で私はニーチェの解釈論を「身体」と「力への意志」の思想と関連づけて書いたのだが、
それについて君は全く触れていない。
そして君はニーチェとは関係のないことばかり書いている。
これでは議論になりません。
ニーチェに即して書けないのは、ニーチェをあまり読んだことがないからではないの?
と、疑われても仕方ないだろうと思う。
ついでに、君が書いていることがニーチェとは無関係である理由について少し書いておこう。
例えば君が書いている「共同主観性」というものは、
個々の成員が、集団内の他の成員と共通なものをもつことにおいて成立する。
つまりそれは、「共通化」「同一化」へと向かう方向において成立する。
ニーチェの考え方はそれとは正反対の考え方なのであって、
ニーチェはあくまでも個別的なものの「差異」に力点を置いて考えている。
個々の人間のレベルにおいても、さらに、力への意志のレベルにおいても、ニーチェは「差異」を強調する。
そして、「距離のパトス」や「位階秩序」の思想にも現れているように、
ニーチェはその「差異」が大きくなることが望ましいと考えている。
だからそれは、「共通性」や「同一性」に力点を置いて考える思考法とは正反対の思考法なのだ。
ニーチェは、「共通性」や「同一性」に力点を置いて考えるような人々を、「畜群」と呼ぶ。
(
>>507で書いたように、そのように思考することも、彼らの「生存条件」なのではあるが・・・)
ニーチェは単に、人間は同一では無いという事を言っているに過ぎないと思う
同一や集合へ向かう意志は、叶う事は無い。だから叶ったと自らを欺瞞するしかないのだ
欺瞞は悪である。それは、貴族的価値判断から見て悪である。だから悪だと言っているに過ぎない
意識の前提について。これは分からない事である。
そして、未知と言う事を利用して、そこに神を見出す輩が出てくる。分からないから神。
神が同一の物を用意している…。なるほど、否定は出来ない。否定できない事を利用して欺瞞するのだ。
信仰は欺瞞である。欺瞞と言う形式である。欺瞞で歓喜に満ちる事は悪である
ニーチェの思想に関して「ぐちやぐちゃと複雑な解釈」が生まれるのは、
あまりに分かりやすいあからさまな核心部分を覆い隠すための畜群本能が働くため。
世論は原典の真意を凡庸な個々人の嫉妬や虚栄心にとって都合の良い解釈へと
幾世代にもわたってやんわりと捻じ曲げてゆく。
529 :
686:2012/05/19(土) 21:17:01.62 0
>>522 >まず造語をやめような。
何が造語なのかよくわからん。
>宗教がその宗教外部に許容されなければカルトである
おいおい、一体それは誰が決めたんだよ。それはお前の神だよな?
>>523 >共同主観性なる"神"はいない。
でもそれを議論できているということが神がいるということの実証なんだよ。
>>524 >それについて君は全く触れていない。
じゃあ俺は何について書いたんだよ。お前の主張に対してだろうが。
>ニーチェに即して書けないのは、ニーチェをあまり読んだことがないから
>ではないの?と、疑われても仕方ないだろうと思う。
ニーチェを知っているからニーチェの言葉を使わずに正しくニーチェの提起
した主題に抉りこむことが出来るんじゃないか。お前らのどこがニーチェに
即しているんだよ。浅はかな知識しか持っていない奴が「俺はピエロには
なりたくない」と意味も分からず書き込んだりしているけど、それでそいつは
「ニーチェに即してる」とかいうのか?お前らこそピエロだぞ。共同主観性
すら知らずに動揺してるって本当にニーチェに即しているのかと俺は言いたい。
530 :
686:2012/05/19(土) 21:31:37.82 0
>>522 >つまりそれは、「共通化」「同一化」へと向かう方向において成立する。
なにが「つまり」だ(笑)。また恥をかきたいのか?「人間的本質は、個々の
個人に内在するいかなる抽象体でもない。人間的本質は、その現実性において
は、社会的諸関係の総体である」これはマルクスの主張だけど、人間が協働
関係において人間なのはあんたも分かってることだろう。それをニーチェ思想
とは反対って、人間の起源や存立構造は議論対象じゃないだろ。
>>528 畜群が何言ってる(笑)。
>>529 >でもそれを議論できているということが神がいるということの実証なんだよ。
欺瞞で神を規定する事は悪である
ニーチェはキリストのことを語るとき、ふだんより激昂するようだ。
おかげで、キリストが大好きになった。
実証だとか何とか、馬鹿馬鹿しい。つまりは、未知である事を作為的に利用し、
神を錯覚しているだけだ。神を信じるというなら、単純に信じるに足る体験をすれば良い。
そういう体験や経験も無く、作為的な推理で神を規定する事は、ただの欺瞞だ。
ニーチェの超人ってステータスパラメータの限界突破ぽいね。
"あのお方"wwはつまりこういいたかったんだろ?
たとえばブ男でチビでハゲで貧乏で不器用で何も取り柄が無くなってくれば来るほど
理屈で自分の偉大さと自我の正義をこじつける必要性にますます迫られてくるということか?
いわゆる「理想主義という名の贋金づくり」ってやつww
ボロは着てても心は錦←裸の王様ってやつ?ww
そしてウソで誤魔化す必要のある人間があまりに多すぎるから、裸の王様が裸だということ
をそいつらも認めようとしない、つまりグルになって無意識のうちに共同幻想に陥っている、
ってことかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
なんか少しわかったぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
人間の本質について、これもまた答えの出ていない問いだ。
マルクスの視点を持ち込むのは勝手だが、それは無数にある解釈の一つに過ぎない。
その解釈を"当然"と捉えている時点で、オツムが足りていない。
解釈の正当性を支えるのは誰だ? 誰もいない。だから神を実証したなどと、うそぶくのだ。解を得るための欺瞞。
IDがないと不便だな。見事に話が混ざってカオスになってる
"あのお方"?
なんか馬鹿ばっかだな。
文献を元に正統な議論してるのは
>>507 だけじゃんw
540 :
686:2012/05/21(月) 15:18:49.10 0
>>639 馬鹿はお前だろ、どれだけ的外れな反論か分からないのか?
文献って文献の意味を理解していないと単なるニーチェマニアだぞ。
馬鹿なんて言葉、哲学板でよく使えるな
寧ろニーチェ以上の哲学を生み出せですよ。
>>540 事実や現象は解釈しだいではございません。
心頭滅却すれば火もまた涼し?バーカやってみろw
544 :
686:2012/05/22(火) 14:54:37.82 0
>>543 認識/判断というものは解釈次第に決まっている。そしてお前も未開の部族に
おいては下の上ぐらいに判断してもらえるかもしれないな。
ニーチェは現代の今でも美しいですよ。
546 :
686:2012/05/23(水) 23:30:15.03 0
やはり今の時代の解釈というのは、良く生きることが出来ないと思うんだよね。
良く生きるとは常に生きている実感が到来しているのかどうかという所にある。、
しかし今の時代は結局実感を得る為に自らがそれを空間的にアクセスするという、
言葉に依拠せざるをえない。しかしこの言葉という間こそが無の深遠であって、
これを受け入れたり、別の無が作られたりするわけだが、結局その深遠は温存
されてしまう。この構制は最早人類にとっては永遠だよ。そこで人類の伝統性
に立ち返り、到来する実感というものが必要になる。それを可能ならしめる
解釈が必要なんだ。
547 :
686:2012/05/24(木) 04:36:08.60 0
解釈とはその人の持っている世界観であり、これは意識的に作り上げられたもの
ではなく、その人が生きていく中で他の人たちとの協働で無意識的に刷り込まれ
たものを指す。当然それは共同体に基づいているし、また共同体によって文化が
異なるので共同体の数だけ世界観を持ちうるということになる。分かりやすく
いうと宗教共同体の数だけ神が存在することになるが、しかしそれは何も宗教
共同体に限定しなくても刷り込みという点では論理構造は同じであって、そう
いう意味では皆の頂く神が異なるということがいえる。
548 :
686:2012/05/24(木) 04:43:18.66 0
例えとしては物象化していると非難されることを知りつつも敢えて例えるが、
ある銅片というのは異なる共同体においては10円玉と認識されたり、また
矢じりの原料と認識されたりする。これは世界観の違いを意味していて、
同じものでもまったく別のものとして認識されうるわけだ。この様に考える
なら、よく生きられる解釈というものがあるのではないか。ではその解釈とは
どのようなものなのだろうか。そしてそれは全人類が持ちうるのだろうか。
549 :
686:2012/05/24(木) 04:50:27.00 0
神とは何かということを先ず考えないといけない。ニーチェは無神論の様に
思われているが、それはニヒリスティックな神、つまり無から生み出された
意味を持った神、さらにいうなら理念としての神を否定しているだけであって、
彼はそもそも人類を何百万年と支えてきた神を否定しているわけではない。
そういう意味でニーチェは有神論者であり、正に神を捉えることを主題に
論じてきた。
550 :
686:2012/05/24(木) 05:10:43.63 0
神とは何か?それは先ず到来するものである。人類を何百万年もの間支えたあの
神は、人類の意志から離れて訪れたのではなかったか。そしてそれは決まった時
であり、また人々全てが対象だった。しかし現代社会を振り返ってみよう。到来
すべき神の厳かさを踏みにじり、自ら歩み寄ろうとしているのではないか。また
自らの自由な時間に人の都合で、そして個人が訪れようというのは神に対する
不遜以外の何者でもないだろう。それは神の取り違えであり、神とは無関係の
ものである。
なんでいつも改行が糞なん?
死後の世界を否定する哲学よりも死後の世界を肯定する哲学の方が深みが有るですよ。
553 :
686:2012/05/24(木) 12:37:59.18 0
神を復活させなければならない。神の同一性とは受動性/時間性/一般性である
が、能動性/空間性/個別性となって殺されてしまった。多くの神が今尚語られて
いるが、それは偽神である。現代において神は死んでいる。神は到来すること、
神は彼岸ではなく歴史を持つこと、神はあの全ての神であること、これを如何に
無の跋扈する現代で実現されるのか?
土師淳君の11回目の命日ということで、思い出したので久々にここ覗いてみたら、
奥崎の名が出てるとか・・・、円環的時間がどうとか・・・、この人、まだやってたんだな。
かっこつけて去って行ったはずなのだが、なごやん。
死後の世界を否定する哲学よりも死後の世界を肯定する哲学の方が中身が有りそうですよ。
ニーチェが否定したのは、686の生きる意味を支えるような意味での神だよ
686が良く生きるために神が必要なのかもしれんが、無い物は無い。絶望したか? それがニヒリズムだ
557 :
686:2012/05/25(金) 02:17:11.78 0
>>556 全然違うだろ。じゃあ人類を何百万年も支えていたのはなんなんだよ。
ニーチェは近代に生まれた生きる意味をニヒルとして捉え、
伝統的な生の立場からそれを否定したんだよ。
畜群「じゃあ人類を何百万年も支えていたのはなんなんだよぅ・・・!」
↓
ニーチェ「なんでもなかったんだよ。人類の何百年の歴史の誤謬。
支えが無くなって意気消沈したか?それが受動的ニヒリズム。
俺が世界を自らの力で支えてやんぜ!と気合が入ったか?お前のは能動的ニヒリズム」
寧ろ神様を肯定した方が幸せに為れるですよ。
己を欺瞞して幸せになろうとするのは、薄汚い事だよ
薬で脳を弛緩させる事と何が違うんだ?
薄汚い人ならそれで良いだろうけど、ニーチェは高潔な生き方を目指した上での哲学だから
唯心論者の自己欺瞞、いじめられっこの邪気眼フィルターを用いた認識!
ニーチェが死んだって言ってる神は近代キリスト教などの偶像崇拝的な神じゃないの?
古代キリスト教や古代神道などの神は自然が神みたいな感じだろ?
563 :
考える名無しさん:2012/05/25(金) 14:58:53.85 0
>>506 でも価値を創造できないじゃんサイコパスは
前頭葉機能障害だからさ
その時点でニヒリストではないと思う
あくまでもサイコパスはサイコパス
つまり日本人はニヒリズムとは無縁でむしろサイコパシーの塊だと思う
>>563 生まれつきの犯罪者は病気、つまり生の退廃だから去勢しろとニーチェは言ってるからな。
同情を克服しろと説く一方で、同情をハナから持ってない奴は病気だとも言っているし。
まあ、同情というか共感で他者をどんどん取り込んだ総合的な生としての強者こそが、真に同情を克服できるって話だろうな。
>>562 つか、神うんぬん以前にプラトン的なイデア、形而上的な理念に批判的なんでしょニーチェは。
自然が神っつっても、それにただ額づいて、既存の価値に従属するあり方はバツでしょう。
ニーチェ哲学に意味があるかと言えば、無い。何故ならニーチェ自身、諸価値の低落を示唆しているからだ。
だがしかし、ニーチェの提唱する貴族的価値判断。その善悪においてのみ、意味がある。
何故獅子にならねばならないのか。何故超人思想を提唱したのか。
それは単に、貴族的価値判断を尊ぶところから目指しているのである。
小ブルジョアのアナーキズム
567 :
考える名無しさん:2012/05/26(土) 07:08:06.48 0
ニーチェは甘え
ニーチェそのものより
ニーチェの文言を軸に思考して回った人たちが好きだ
クロソフスキー。ハイデガー。三島。
三島はニーチェっていうよりバタイユのような。
んでバタイユは、アンチキリスト的なようでいて、
むしろその供犠の観念とかは、深い伝統への回帰なのだと自身で言っているわけで。
ニーチェは、力=意志・創造性の解放を推し進めた結果として、自らの限界を越え没落することを肯定してはいるが、
バタイユとか三島の場合、供犠的な死そのものが、超越性への恍惚的な没入となつている感じだから、
むしろニーチェと真逆。ニーチェは、「超人は私たちの次の段階なのだ」つって、それを目指す階梯として自分らの没落を受け入れるのに対して、
バタイユとかは、没落を演じることでエクスタシーを達成しようって方向性だから、ニーチェ的に言えば、倒錯・転倒してんじゃないのかなー。
宮沢賢治VSニーチェ。
571 :
686:2012/05/26(土) 20:38:19.11 0
バタイユや三島の場合は、共同体外部への感受性を調達することによって
恍惚を得るのであって、達成不可能な課題への運動の反復を通じて神を
感じるのだろう。
ニーチェをも超過した哲学を創造しろよ。
共同体の外部への志向を、共同体内に回収してるだけだろう。
三島はカメラの前で「自衛隊諸君」に呼びかけ、間接的に世間に向かってポーズを決めたし、
バタイユは供犠の儀式(未遂に終わったそうだが)を、友人らとのグループで行なおうとした。
ニーチェは超人を思考するために共同体的なものも利用するって立場だからね。
共同主観性そのものには価値を置いてない。
「超人を思考」じゃなくて「志向」。誤植。
思考されてるだけじゃダメだからね。肉体を伴なわないと。
だからニーチェは、自分らは没落することになるがそれは必然、みたいな捉え方だったんだろう。
ニーチェを軸に思考した人としては、やはりヒトラーが思い浮かぶな
高潔な生き方を目指し、遺伝子による絶対的な差異を認め、ヒトラーが望む
生き方を達成できないだろうと判断した人種を排除した
ニーチェはヒトラーを批判したというが、それは遺伝に対する考え方の違いかな
あるいは個人としての哲学か、社会としての哲学かという考え方の違いか
遺伝というファクター。遺伝がどれだけ性格に影響を与えるか。
恐らくニーチェは、混血化した遺伝の源流を探るのを馬鹿馬鹿しいと思ったのだろう。
一方ヒトラーは、遺伝が性格に明確な影響を与えると判断したんだと思う。
つまり、ヒトラーは僧侶的価値判断は遺伝すると考えたのだと推測する
ユンガーやムッソリーニならともかくヒトラーはないだろ。あれは負け犬のコンプ。
素晴らしいニーチェの物凄い超人は楽しいですよ。
遺伝子によってヒトにはなれても、
言葉をしゃべる人間には遺伝子ではなれない。
文化が必要である。
>>575 ニーチェはユダヤ人について皮肉めいたことを言う以上に、反ユダヤ主義者を軽蔑していたのは事実だが、
その鬱陶しがっていた反ユダヤ主義に肯定的だったらしい糞妹に遺稿を利用されたという話だよ。
ニーチェが直接ヒトラーに言及したわけじゃないでしょう。
だいたい、ニーチェは文化の混交にこそ創造性がある、みたいなことを言っていて、
ドイツ国粋主義(「ドイツ、世界に冠たるドイツ!」)みたいな考えはアホだろって立場だし。
過去じゃなくて未来を見ろって話だな。
寧ろニーチェ的には動物性とか獣性を肯定して受け入れる事がもっと更に強力な超人に為る事が出来るよ。
本能としての獣性をニーチェ的に肯定するのと、DQN的な堕落を区別するっていう最低限度の心得は必要だがな。
ま、なごやん的発想なら、そこで区別するのはニーチェ的でないとかいう解釈が出てきそうだがw
愚劣なものも回帰するっていうことに苦悩できる奴だけが永劫回帰を肯定できるわけでね、ニーチェのテキストによれば。
>>582理由や動機はともあれ、
実際やってることは、非道じゃないか!
そこに本質がある。
行動を見てその人を判断せよ。
wiki見たけど
ニーチェの発狂の原因ってまだ決定してないんだね
梅毒、脳腫瘍、考えすぎ……。
>>582 鷲と蛇の例えは肯定する例えには成るが
超人ではない。
DQNや堕落には苦悩がないからな。
苦悩を克服するのと、苦悩しないのは違う。
なごやん的発想では苦悩なく、歓喜しかないらしい。オウムの信者か?
獣性を肯定した上で、否定するんだよ
それは傍から見れば何の前進も無い、円環のような行為だ
わわわ
寧ろ獣性を積極的に受け入れて欲しいですよ。
>>588 ニーチェはヘーゲル主義出身だろ。
ヘーゲル弁証法は前進するよ。
>>583が何を絶叫してんのか俺には分からんのだが、ニーチェが実際に何をしたって?
まさか、ヒトラーがやったことを、ニーチェ的な獣性の肯定に適ったものと言いたいのか?
あと、
>>585の挙げてる蛇とか鷲の喩えは、知恵と高揚の喩えじゃなかったっけ?うろ覚えだが。
ニーチェのいう獣性て、我儘に残虐なことをやるとかそういうことじゃなくて、無意識的な情動が求めるものを
素直に自覚するってことだろうし、それをそのまま痴愚的に発露させるんじゃなくて、情動・欲望をもとに、
新たなものを創造していけよってことだろう。
天才についてニーチェは、天才も悪いものや下らないものが精神の中に渦巻いてるが、
彼はそこから選択を行なうことに優れているんだって言ってるし。
>>591 永遠回帰は、前進が無い事の最大表現やないか…
永遠に繰り返すだけ
永遠の無限ループ。
むしろクロソウスキーやドゥルーズなんかは、
永劫回帰の非弁証法性に注目していたわけで。
『ニーチェと悪循環』て著書名からしてそうだし。
ニーチェの考え方もクトゥルフ神話作品ぽいよ。
永遠のループ。前進は無い。だからこそ、ニヒリズムという話になる。
進歩や未来という単純な理想は、否定される。人は虚無を覚える。そこからの話がニーチェ。
平面の円ではなくスプリング状だと思ってました。
寧ろニヒリズムを超越した考え方を創造して欲しいですよ。
600 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 17:57:51.79 0
>>599 えーと、その前にニーチェのニヒリズムって、どういうもの?
寧ろニーチェのニヒリズムをも凌駕した哲学をも創造しろよ。
602 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 08:39:13.29 0
ドンフライ
603 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 08:44:41.01 0
国っていう概念がそもそも宗教だろ。この島が日本だと信じ込まされていて、自分達が日本人だと思わされてる。
つまり口八丁でどうとでもなるんだよ、人間が全てを決めてるんだから
むしろ人間という概念もどうなんだ?
人間は地球上の物質で構成されていて地球は宇宙の物質で構成されている
つまり人間は大自然の一部であり、母なる海=人間、無限の宇宙=人間である
そりゃまあ抽象化すれば何でも歩くタンパク質なんだろうけど、
そのヘーゲルまでの抽象化哲学と逆に向かったのが実存主義なんだろう。
ニーチェがいうには、同じようなものがうごめく中で
それを具象化・分類化して種を発見することは創造することらしい。
サルと人間を分けて、人間の中でまた人間の種類を分類して、
その中でまた分類して、分類化したものを新しく抽象化して、脱構築?
歴史は繰り返すなんていうけれど、同じようなことが繰り返された時に
同じと見なすか似ているけど違うと差異を見なすかで永劫回帰から抜け出せるよね?
僕はニーチェを毛嫌いして居るよ。
>>607 その「差異」さえ無限回の回帰をするってのがニーチェの永劫回帰説。
「歴史は繰り返す」なんていう大雑把な回帰じゃないよ。
ドゥルーズ的な「差異の反復」としての永劫回帰解釈だとまた話が違ってきそうだが。
おまえ、他者の解説しかできんのか?
611 :
考える名無しさん:2012/06/02(土) 20:19:57.59 0
キリスト教世界にいない日本人が議論しても、どうかなあ?
ニーチェはキリスト教世界に対峙しながら考えを進めているけど、日本は違うから。
これも言葉の罠だな。
>>611 キリスト教は進歩を信じる教えだと言う。
進歩があると信じるなら、それを否定するのがニーチェだ。
進歩を信じる?なんだ?それ
キリスト教は千年王国史観で
進歩史観は啓蒙時代の産物じゃなかったっけか?
僕はニーチェよりもオカルトが大好きですよ。
>>614 キリスト教史観。wikiでは、進歩史観はキリスト教の終末思想に端を発するとある
キリスト教(宗教)を否定するって事は、キリスト教を支える考えも否定するって事だ
つまりは進歩も否定される。人は人のままで、何かに変わる事は無い
超人も進化では無い。では何なのかってのが、超人思想が難しいと言われる所だな
寧ろニーチェのニヒリズムをも凌駕する哲学を生み出せですよ。
おいおい、言い得ないことを簡単に宣言してるな。
さーすが!!
似非哲学!!
寧ろキリスト教を肯定する方が嬉しいですよ。
ソースはwiki(笑)
ろくな大学出てない馬鹿ばっかりだな
いやそれ以前の問題か
623 :
考える名無しさん:2012/06/13(水) 16:14:06.92 0
>>622 ふんふん。
まともな大学を出れば哲学は分かる、と。
そうすると、だ。
蓮實重彦が日本で一番の哲学者である、と。
624 :
考える名無しさん:2012/06/14(木) 17:57:59.25 0
ニーチェの著作を初めて読んでみようと思ったんですけれど
何から読み始めればいいですかね?
■ 同一物の永劫回帰は、力への意志を要求する (ハイデガー)
>>593 >永遠回帰は、前進が無い事の最大表現やないか…
>永遠に繰り返すだけ
ハイデガーは第二の主著『ニーチェ』の中で永劫回帰の解説として、
「一存在者として力への意志の根本性格を帯びている存在者が、全体としてはただ同一物の永劫回帰でのみありうる」
<同一物の永劫回帰は、力への意志を要求する>
と述べている(第6講第3章「同一物の永劫回帰」)。
ほとんどの人が拒否反応かペシミズムしか感じられない永劫回帰説に対して、ハイデガーが言うように「力への意志」を結びつけて理解すると受け入れやすくなるのではなかろうか。ただ『ツァラトゥストラ』には、ハイデガーが言うような明快な記述はなかったと思った。
「前進」とか「進歩」とか既成の「善悪」などの諸価値は、すでに破壊・粉砕されている。あるのは本質的に、あらゆる意味での「力の世界」になる。
しかしながら原佑氏(故東大教授)はこの世界をディオニュソス的世界であると言っている。氷上英広氏(故東大教授)も最終期のニーチェについて、
「ニーチェはツァラトゥストラからさらに離れてディオニュソスに行った。ディオニュソスはニーチェの<漂泊>のたどり着いた最後の認識であり、<ついのすみか>である・・・・」
と述べている。<ついのすみか>、最後に安住する所と言っているわけだが、確かにツァラトゥストラはそれ以後の作品へ進むと影が薄くなる(精神錯乱直前の『この人を見よ』は除く)。
つまり『ツァラトゥストラ』で語られる永劫回帰のヴィジョンには、それ以降ディオニュソス的なものが加わっていくのだろう。抽象的であるがまとめれば次のようになる。
「力への意志の根本性格を帯びていいる存在者が、ディオニュソス的世界を同一物の永劫回帰として生きている」
>>624 『ツァラトゥストラ』『権力への意志』『この人を見よ』がお勧め。
ニーチェVS遊戯王シリーズ。
寧ろ物理学を使って永劫回帰を全否定しろよ。
>>625 永遠回帰は、力への意志とは別物だろう。永遠回帰する世界において、
人は力(権力)への意志(欲動)を持って活動するって事だと思うけどな。
君がハイデガーの解釈を持ち出した(正しいと判断した)理由も、ハイデガーという権力に由来する
>>627 永遠回帰する世界(構造)において、人は力への意志を以って活動する・・・
そういう構造と力のパースペクティブを梅毒で犯して、糞食にいたったところにニーチェの哲学があるようなないような
永劫回帰をも凌駕する哲学を創造しろよ。
>>628 まず世界は永遠回帰するという構造と、人が力への意志で行動する事は別問題だろう。
仮に力への意志が無くても世界は回帰するし、回帰する以上全ては無意味だ。
無意味な世界で、人と言う生き物は力への意志に根ざして行動する。
力への意志とは、虫の走性と酷似した概念だと思うよ。
永劫回帰をも超越する哲学を生み出せよ。
632 :
考える名無しさん:2012/06/22(金) 18:02:39.15 0
強く生きぬこうとする気持ちもまた、
死から逃げたいと思う逃避心の現れにすぎない。
生きることも自殺することも、
けっきょくは逃避行の二つのパターンに過ぎないのだ。
それを認めたくないのも逃げなのだ。
生命が持っているのは逃避の本能のみである。
力への意志って全てを細胞分裂モデルで考えることだろ
>>632 自由意志を否定してるんでしょうかね。
物理的に、精神的に死から逃れようとする生物の原理に全ては基づいている、
運命に従う事しかできない、と。
永劫回帰をも遥かに超える哲学を作成しろよ。
ニーチェを超えるニーチェ
とかそんなスレッド作ってろよ
いいかげん、うざい
ニーチェって尾崎豊の15の夜だよな。
ニーチェVSスペースオペラ作品!?♪。
てすと
うわあああ、根カフェ難民のルンペンでーす。
昨日は新幹線で、はぐはぐしちゃったーw 美人さんと!
いつのものように、場違い基地外、でもリアルでやっちゃったよ。
歌舞伎町でガトリングがん!
さて、運こ営と2ちんぽをemancipateするためになんとかせんかねー阿修羅よ、ディオニュソスよ!
っていうか、ニーチェって、ディオニュソスではなく、どうが考えても、オーディンやね。
ゲルマンの血縁もってるし、独眼or弱視の老人
魔法の風使い、耳がいい、すべてオーディンと一致する。
戦死者たちの友、基地外女の救世主、
ワルキューレとベルセルクを西洋に突進させたんだよ、ニーチェって。
さて……ナパームリスカたらたらん!
ひろんゆんきんはちびぶた、ちんこちっせー。
磁場と大地の魔女よ、ニーチェの狂気はブラックホール
魔女の子宮でニーチェは永遠の闇!
グラビガ発動! 運こ営たちの画面がバグる! 通信システムイカれる!
ああああーーー!
ギターとバイクとネットと神話で「集合的無意識」を駆け抜けようぜ。
8/28あたりに新宿でライヴするぜ。
Junk69糞男前すぎるから、ぶさいく女どもよ、絶対きなよ! hey punks!
早漏れ!!!!!!!!!!!
僕もニーチェの考え方が大好きだよ。
646 :
地獄の愛:2012/06/27(水) 17:47:53.51 0
情熱の宇宙のための人格変動系道化師ディオニュソス
愛情の皮肉を生み出す無限増殖系知性オーディン
647 :
雀・肉食・酒中・乱暴:2012/06/27(水) 17:51:27.28 0
604=色々さんとJunk69が、もう既に哲学板を「指揮」してるよ
戦う奇術師と笑う魔術師! なんだか、思い通りになってきたw
名無しの書き込みがwww
んで、ポモとかチンカス以下の哲学は信じるなよ!
短パンさーん。ネカフェギターと2ちゃんメタファーで同時セッションしようぜ!
648 :
非言語144言語160上:2012/06/27(水) 17:55:10.46 0
んでさ、一人、プログラマーいてさ、おいらも今から勉強するとこやから!
うぃっちどぅーゆーらいく?
マッドファッカーおあマッドハッカー!
るんるん♪
永劫回帰の境地に俺は達したよ。ていうかもう、永遠の命を手に入れそう!
ニーチェ救ってくる! ランボーとせくーすしながら><
哲学者が発狂すると、哲学と因果関係を疑いたくなるが
本当のことは誰にもわからない
650 :
「彼」:2012/06/28(木) 00:51:24.71 0
ところで、偉大なる巨木的な方も、アルコールバイクギタリストさんも、
心配しないでくれたまえ! 元気にやってるし、支離滅裂なこと、
書いてるようで、頭の中では繋がってます。1秒に観念やイメージが何百もでてきちゃう。
でも、1秒が10分くらいに感じれて長生き気分よ!
ディオニュソス! 酒や刺激的飲み物って限度を越えると脳みそ超高速回転よ!
お馬さんに抱きついてかわいそうだからやめてあげて!と泣いたのがなぜ発狂の徴になるのかわからない。
三島氏の岩波新書ニーチェにも同様のことがかいてあったが、馬のように美しく愛らしい動物をかばう行為がそんなにおかしいとは思えないです。
ニーチェは興味深い内容の世界観設定だよ。
ニーチェが弱者のルサンチマンとした物が共同主観性なのか?
共同主観性の存在は奴隷道徳が弱者のルサンチマンより生まれた事を否定する物なのか?
654 :
考える名無しさん:2012/07/02(月) 20:29:08.39 0
ここまで良レスなし
>>651 精神が幼いと動物好きになるらしいよ。
ウマーンするならいまうちって抱きついちゃったんじゃない?
656 :
Junk69hearT:2012/07/02(月) 21:29:54.02 0
いえい!
京橋の満喫より
ていうか運こ営どもさー、東大阪一帯のネカフェをブロックしやがったんよ。
俺が怖いのかー! びびりども。ビビっとサンダガ放つぞ、2ちんこにww
ぼん><
657 :
Junk69hearT:2012/07/02(月) 21:33:22.94 0
さて、
>>654さん
良すれなんかニーチェ7からないよ。
地獄の愛におぼれた基地外の仮面舞踏会よここは。
血みどろ!
ナックルさんは、自重したほうがいいですよ。
Your life は死守するからさ。
658 :
ブラックハウル:2012/07/02(月) 21:35:55.44 0
こそが、古代現代ふくめた、最強の神格。
ボロボロの戦闘神ブラックハウル
イケイケの大半神ブルーハウル
ニーチェは、獅子神さまやね。
獅子神よりブラックハウルがさらに上におるで!
659 :
ブルーハウル:2012/07/02(月) 21:40:25.34 0
ていうか、ナックル君
>>655 俺はとっくに童貞も処女もすててあるで。
院内キス、退院後セックスって感じでww
監視カメラに向かってー、ラヴandピース!
もう別れたけど……
魔法病院こと阪南病院。あの病院が一番強い。
院内オーラがガチのブラックホール!
つか、ここって、ネット精神病院><
基地外女どもよ! 死にたくなければ離れるがよい!
こんな不気味な公開処刑場からはー!
ニーチェセ(7)に、
かなしみとー
いかーりーに
ひーそーむまことのこころ
をしーるーはもりーのせい
もののーけーたちーだけー
って4年ほど前に書いたね。
私、もののけ姫なの☆
662 :
「元彼」:2012/07/02(月) 22:15:21.06 0
6年前か……「セ」って。
「お前ら全員 死にやがれ!」って喚いて
2ちゃんに対するビッグバンアタック宣言したなwww
同時多発テ○しようぜ、同志よ!
3年後を目安に! ナパームリ○カばらまきーの
ウルトラニーチェ愛な排泄物的爆弾投下爆撃!
どんぱち><
動物やぬいぐるみが大好きです。
ポニーに乗って草原を駆けてみたいですね。
ウマーンがピシピシされてたら、そりゃ泣いちゃうYO!
ニーチェは悪魔新興じゃないぜよ
>>662 友達がいない私じゃ、同時"単発"テ○しかできません! ><;
ダメなやつは、何をやってもダメだということ、
おもいしったろーがぁっ!!!
マルクス主義と悪魔崇拝って本は面白かったぞ。
こじつけ具合の無茶っぷりがな。
マルクス主義で酷い目に遭ったからって、考え方や本人を攻撃するのはおかしいと思う
ニーチェは反カルト教団だよ!?♪。
本人の意志に反して教団化することもある
670 :
悪魔クン:2012/07/05(木) 15:15:17.31 0
漫画喫茶のトイレに、Magicペンで、「2ちん」と落書きしちゃったー!
で、排泄するときは、ひろんゆきん死ね死ねって、呪文を唱えてる。
ニーチェとキスしたい><
671 :
男色行為はしません!:2012/07/05(木) 15:20:40.06 0
672 :
考える名無しさん :2012/07/05(木) 22:55:28.48 0
おお、いたじゃねえか はやんwww
で、相変わらずぶっとんだことしてるんで、
俺も、相変わらず、ぶっとんだことを”冷静”に語っていくか★
俺の夢は…世界制覇!
とまではいかないけど、
まあ、ある分野を制圧することである。
社会生活に哲学が役に立たなかったか!?
と問われれば、俺にとって大いに役に立っている。
いや、むしろ、あらゆる場面で血肉と化した知識が有用になっている。
ま、必要なのは体験したものから考え出した知恵だ。
同じ経験を百回しても何も組み出せない馬鹿と
2〜3回の経験でそこからぞっとするような真理を発見することもあるわけだ。
要するに、長く生きたが出はなく、如何に深く見たか なのじゃよw
ワーグナー化するには何が必要か???????
要するに演技である。
現実・実際を見据えつつ、どのようにしてその(現実)世界を
夢のような魅力的なものにするか、
その半ば虚構・半ば現実の隙間にどのように毒を注入するか???
これが私の役目だ
塵・屑のをかき集めてそいつに魂を吹き込め。
胸に手をあてて、心臓を抉りとった時(とったことねえけどよwww)
心臓だけがバクバク動くだろ。
あれとおなじで、くだらんがらくたの寄せ集めに如何に
命吹き込むか、
そのあとw
塵30%、黄金70%に金の純度を高めていく。
すると菌の濃度が下がるわけだ。
まあ、虚構世界に命を預けた場合、そこから蹴落とされた場合に
心酔したものが転げ落ちる速度と転げ"落ち方"も危険なわけで、
心酔している者に心酔対象を処方しつつ、
彼女wらの歩む速度に合わせたものを提供しなければいけない。
私がやろうとしていることはデマゴークか?
それとも、ノアの箱舟か?
いずれにせよ、ニーチェ的ではないなwwww
ははは
んじゃ
680 :
考える名無しさん :2012/07/05(木) 23:25:07.03 0
で はやんは、常に危険なことやってるけど、
俺は知ってるのだよw
危険なこととわかりつつ、危険をやってみて刺激的でありたいと!
生きている実感を得たいと!
人は動機を一つに絞りがちだが、
人の行動に本来目的も動機も完全に単一なものはありはしない。
これはニーチェ的だ うん。
681 :
考える名無しさん :2012/07/05(木) 23:31:36.00 0
厳密には行動には理由が先行しない。
衝動が行動を自動的・機械的に組みたてて、
その行動が起きた瞬間に目的を設定する。
682 :
考える名無しさん :2012/07/05(木) 23:37:55.50 0
「なアアああに!!
退屈まぎれにしたこじゃよ!!!!!
人間、退屈まぎれに何をしでかすかわかりゃしない。」ドストエフスキーの住人w
例えば、衝動が不満や孤独やという、無限ループw
みたいな答えの出ないある一定の感情色彩ならば、
衝動が退屈と言い換えてもあながちはずれではないはず。
ドストエフスキーのこの名言ww、まさに力への意志のニーチェの言葉と相通じる部分あるとおもんだけどねええ
で、今度こそねる
なじゃな はやん あんまりあばれるなよ
683 :
考える名無しさん:2012/07/06(金) 00:35:38.25 0
1+17 :本当にあった怖い名無し [↓] :2012/07/03(火) 19:26:23.50 ID:Zlf96V7k0 (1/2) [PC]
霊験あらたか、結構ご利益があります。
ですが、決して相手を不幸にする願いは書き込まない事。
そういう願いは跳ね返り、自分の身を滅ぼすでしょう。
>>1-1000までの幸せな願いが叶います様に・・・。
次スレは
>>950が見計らって立ててください。
【魔力】書き込むと願いが必ず叶うスレ【強力】765
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1341079868 786 :本当にあった怖い名無し [↓] :2012/07/06(金) 00:18:06.37 ID:EAqJeCel0 [PC]
風邪が治りますように
仕事が上手くまわせますように
あの方と楽しく過ごせますように
お金に困りませんように
787 :本当にあった怖い名無し [] :2012/07/06(金) 00:18:40.85 ID:55GMUflJ0 [PC]
全てが私だけのためにありますように。
788 :本当にあった怖い名無し [] :2012/07/06(金) 00:18:57.56 ID:c3zmV1GoO [携帯]
いつもありがとうございます
お金に困ることがなくなりますようにお願いいたします
仕事がうまくいくようにお願いいたします
よろしくお願いいたします
684 :
「早」:2012/07/06(金) 12:43:58.85 0
さんくすです、偉大なる北の魂よ!
これから統一するね。小手半。
ところで、まじな話、7年後、バイロイトをハードコアパンクでテロるよ。
参加したいベーシストかシンセの人いたら、顔本経由で連絡くらはい!
685 :
「早」:2012/07/06(金) 12:46:32.38 0
そういや私立探偵の資格や事務所件そろそろ取れます!w
で、今、阪急オアシスで謎の昇格が連鎖してて、金はもうじきたっぷり入る!
実家に山ほど海外硬貨があってわくてか。
ニーチェのお口に色とりどりの硬貨を貢ぎ込んじゃいたいよー。
686 :
「早」:2012/07/07(土) 18:59:06.90 0
あてこすりや暗示ではなく、ただのお遊戯です。今日はお祭りの日ー!
ハーレイ「マイウマーン。ユアおぱーいしゃぶしゃぶしたいよー」
エリーゼ「やあね、ハーレイくんたら。あなたは私の飼いウサギだよ」
ハーレイ「ひどーい。じゃあ白馬さんに乗っていくもん」
続く
687 :
「早」:2012/07/07(土) 19:02:24.34 0
エリーゼ「あらあら、あなたと私じゃ、遠くにいすぎるわ。銀河鉄道の切符買ったら?」
ハーレイ「パパンに貢いでもらうぅ」
エリーゼ「よしよし、仕方ない子ね。御好きにどうぞ」
ニーチェ「いやはや世も末じゃ。……いや、これから始まるのかもしれぬ」 完
688 :
「早」:2012/07/07(土) 19:11:04.80 0
「なあ、はやん、最近ちょっとやりすぎじゃね?」
「そうですね、自覚はしてるのですが、なんかねー、しっくりこない」
「しっくり?」
「いやー、やっぱり排泄物は箒で掃除しないとねて思いまして」
「はやんにとっての排泄物ってなによ?」
689 :
「早」:2012/07/07(土) 19:14:08.03 0
「うーん。こ。駄洒落すまそっ。まあ女子を虐待する人と如何様で金儲けするペテン師のことっす」
「そかそかまあ好きにやれ。今の君ならどんな糞や蛆でも神の吐息でイチコロだろ」
「大掃除がんばりまーす!」
「今日はいいことある日らしいんだから、大掃除はまだ早くね?」
「ですねー。流れ星の破片でもあつめとこ...☆」
ニーチェ「相変わらず女々しい奴だな」
690 :
「早」:2012/07/07(土) 19:22:38.94 0
太陽神「ねえ、はやくん。君はそこそこできるほうなんだから、正規の教育受けたら?」
はや「いや、実はですね、自分の本性は暴虐なんです」
酒神「おい孫よ、お前試験の前日に女場いっただろ」
はや「おじいちゃん! 前日じゃないのですが4日前にキャバで12万円飲みました!」
酒神「さすがだな、俺の血よ。またお前、腕を切り裂いて女どもの杯に血を入れたのか?」
ニーチェVSオカルト思想!?♪。
692 :
考える名無しさん:2012/07/11(水) 20:57:36.57 0
このスレで、おすすめの訳って誰訳ですか?
本は、ツァラトゥストラでお願いします。
693 :
痴呆1:2012/07/12(木) 06:53:40.12 Q
2ちゃんねるのニーチェとはマジックマシュルームこと日本版アノニマスの天才ハッカー西村ひろゆき氏のことである。
694 :
考える名無しさん:2012/07/12(木) 18:28:28.83 0
こいつって、結局口先だけで、本人が言うような新しい価値なんて何も生み出してない唯の凡人で
くだらない愚痴をグダグダ述べてただけの退屈なおっさんだよな
この認識って何か間違ってるかな?
当たってる。
既存の世界に対して身も蓋もないこといって無力化したけど
先の展望について具体的なことは何も生み出せず、
ただ漠然と超人とかいう個人における千年王国の到来を予言しただけ。
アナーキストのマルクスみたいなやつ。
無力の法 おべらんちょオマンチオの鈍いじゃよwww
スピリチュアリズムはニーチェ以上の最強の哲学だよ!?♪。
698 :
考える名無しさん :2012/07/14(土) 00:35:08.89 0
[うごめくものに]突き動かされるのが常。なぁ はやん
わかっていても止められない己なんてのが大なり小なり人にはあって、
ある時期(特に20代)に己じゃない己?いや己なんだけどw
己じゃないけどやっぱり己www(ここで分裂的な意味で捉える馬鹿おらんだろうが、いそうだな…)
『これが俺だ。これが俺だ・・・』と認識はできていても、その俺wの行動の結果までなんとなくわかっていても、
「これさえ達成すれば、なんか道がひらけてきそう〜〜〜〜」なんて思いで
ただひたすら突っ走るわけだ。
その繰り返しに訪れるのは希望していたのとは別の結果であり、悲惨な現実であり、悲惨な己であるのだろうw
これを数年繰り返すうち?、人によるだろうが熱意のうごめき、あふれんばっかりのとまらん衝動の赴くまま、
しぼりとれるだけ現実から絞り取り、感覚に経験を刻んでいく。
その過程で、ふと「熱意、いや青春の奴隷w?」の己がちっちゃくなって、
もう今までのようには行動しない知恵と経験をみにつけなら〜〜〜! の域に達してさらに行動する。
この第二段階も第一段階と比較すればすれよりは穏やかであるだろうが、
やはり残存した苛烈さに動かされることもなくもない。
あれ〜〜、俺は脱皮したはず!なんて思って20代後半を通過してみるわけだ。
そんな第二段階も含めて、こうあらざるをえなかったっていう己を認めざるを得なくなり、
どんな己あろうがどんな悲惨な体験だろうが、甘美なもに思えてくる時期が来る。
そんな時にゲーテよろしく「どんな苦い体験も時がたてば甘いものだ」なんていう
諦観に達して、次の30代に入る。
そこで気づくのだよ・ こんなことも青春であったと!w
じゃな はや。
>>690俺は歳をとりすぎたがw
死ぬなよ。
は「だっておっじさんまだ30前半でしょ?w」
おじさん「”齢長じ、夢は去った”」
は「それってニーチェのセリフじゃん」
おじさん「人には年の取り方の曲線があるのじゃよw」
は「でも、おじさんっぽいwwww」
おじさん「器が大きいと言え!!」
は「そうでしたね^^;」
俺の最大の欠点は冷酷に徹しきれんことだ。それは、はやんが一番嗅ぎ取ってるだろ?www
困ったもんだなぁ。俺の性上、どうしても弱ってるやつ見ると助けることはないが、
見捨てることもできんのよ。これは最大の欠点だな。
最近そう思って、スピノザみてえに、幾何的に処理しちゃいてえなんて思うこともしばしば。
日々断片を「スピノザ」的に、定理して筋道立ててみてね、
その過程を楽しんでる
武士道・騎士道精神がたりんぞ ごんざぶろう!!!
ちなみに、698でもちらっと書いてことだが、
「世界があることがきっかけでガラっと変わったりするとばかり思ってた」
なんてドストエフスキーが小説で書いてたが、
彼も同じように感じて生きたんだろう。
従って、どんなに突飛で無駄そうでアホそうでも、その行動や体験から汲みとって形成した精神ちゅーのは
けっこう成熟すると怖いくらいに不動になるもんだから。
がんばれよ はやん
んじゃな〜
前向きにニーチェを解釈しろよ!?♪。
そうだそうだ
705 :
sage:2012/07/21(土) 08:44:10.95 0
706 :
705:2012/07/21(土) 08:47:54.39 0
Wikipediaのクリシュナムルティのページの内容は変だからスルーするのがいいと思う。
ニーチェの考え方は物凄い全力で斬新だよ!?♪。
ショーペンさんの人生論(幸福について)は座右の書かも
白髪になってからほんとの人生が始まるとか…的を射てるな
でも若い内にしか産み出せない凄い音楽(強烈な生と死を感じるような)とかもあるからね
別にスポーツでもいいんだけどそのエネルギーを正しく使えばいい生活はできる訳で
最悪なのは周囲や他人に害を与えたり振り回したりする言動か
しかし故意で無くとも生きてる間は危害を与えられたり与えたり不安にさせられたりしたり…
眠るまでは自由にはなれないよ
悪夢
Please wake me …か
ルサンチマン=防衛機制
ニーチェって超簡単だよな
ルサンチマン=防衛機制
永久回帰=防衛機制のない世界
超人=防衛機制がなくても生きていける人
力への意思=防衛機制の源
4行で終わった
治安、物資、健康。
とりあえずこれらが保たれてれば他はいいよ
上で自傷や排泄の話もあるけど、自分でトイレで処理するならいくらヤッてもOK。
身体が熱々じゃ眠れないし、血が沸騰すると死んじゃうからね。
排泄と冷水で充分だとは思うけど
サルトルに言わせればニーチェなんて反動的な空想主義者らしい。
俺もそう思う。インターネットで世界と容易に関連する時代に
自分ひとりの妄想世界に閉じこもってしまうのは時代の流れに反している。
永劫回帰や超人、力への意思もこのネットワークの時代に則さないなあ。
ニーチェやフロイトの思想は現実の人生において役に立たない。
ニーチェVSポスト構造主義VSスピリチュアリズム!?♪。
>>717 そうだよね
でも結局はただ独りだけの個人的な認識と想像が救いになることが解かったよ
例えば牢獄の中に居たとしても自分は青空を飛び回る鳥の様に自由なんだと思うような認識
それらは妄想じゃなくて想像だから危険性は何も無い
その想像世界を形式化して他者に伝えるかどうか…もちろんそれも自由だと
神は存在する
私は超可愛い
死後は天国へ行く
例えばそういう風に個人的に思うならOKなのだけど、それらは他者に伝えるべきことでは無いね。
早君やっぱり才能の無いことについては早目に諦めるべきだと思うよ
人生は身分相応ってものがあるし無理な理想に現実が追い付かない苦悩なんてもうするべきじゃない
それにもうノートを渡してくれた真面目な女性のこともすべて忘れてしまってる?
たとえバンド活動しなくとも享受する側としてだけの幸福がある
受け手として、そしてそれを流布させるだけで充分。
現実的に力が及ばないことについても、見切るが賢い。
宇宙から見たら、この地で人は「考える蟻」の存在。
どの様な労力でも、大差は皆無。
そういう風に思いながら、
自由に自らの力を使って行けばいい。
>宇宙から見たら、この地で人は「考える蟻」の存在。
これはニーチェがいうところの非難されるべきルサンチマンだな。
自分が無力感に絶望したことの道連れに、他人をも無力化しようとする発想。
まあ俺はニーチェを支持しないけどね。
全知全能を謳われたソロモン王も永い過去の歴史、永い未来の歴史を前にして
自分の事業、その大成も儚く消えていく一瞬に過ぎない現実に無力感を感じて
狂気に堕ちていった。(彼は頭がよかった故、時間軸に対する視野が広すぎた
だからニーチェは永劫回帰という概念を、物理学的に無理があるのを承知で、
心理学的必要性から提案したんじゃないかな。
自分が生まれたときに世界は生まれ、自分が死ぬときに終わる(巻き戻される
永劫回帰の最初から最後まで世界と自分が一体化する時間軸に対する視野の狭さが
自分という存在の重要感を生じさせ、無力感を吹き飛ばすのだろう。
だから永劫回帰なんてのは、努力は報われるとか、そういう自分を奮い立たせる
ためのスローガンに過ぎないと見ていいのだ。
俺にとってニーチェの魅力ってなんだろう?
「心の底から馬鹿になれ!」と笑いつつ、
心の底ではどこか醒めてしまっている根暗な自分がいる。
そんな矛盾なんじゃないかなぁ、と思ったり。
>>729 永遠回帰は物理学的な視点じゃないの?
どこに無理があると言っているのか分らないけど、
ニーチェはむしろ心理学的な意味と切り離して考えてると思う。
732 :
考える名無しさん:2012/07/28(土) 10:13:13.65 0
ハイデガーはニーチェを「プラトニズムを新しいジャーゴンに翻訳しただけ」って批判したらしいけど、
ニーチェってプラトニズムか?むしろその逆かと思ってた
イデアと力への意志はそっくりじゃない
エーテルみたいないんちき理論
あー、ニーチェは古い原理を破壊して、新しい原理をつくろうとしただけって批判なのかなぁ
つかれた
言語や記号の原理、点と線。
全ての事実を積極的に解釈しろよ!?♪。
現象や事実を観測した積み重ねの結果に基づく考察でもなく、
計測したり実証することもなく、ただ頭の中で考え、
ただ感覚でそう感じただけを根拠とする理論だからな。
幽霊の存在を主張し、幽霊の在り方について空想した
"信じている人"以上の何者でもない。
幽霊や宇宙人の存在を主張する人は、たいてい自分は俗物が知りえない
秘密の真理を知っているのだという選民思想に逃げ込み、引きこもってしまうのだw
力への意思とイデアを一緒にするのは間違いだよな
力への意思っていうのは、例えば東大とか京大、マサチューセッツとかを「上」として考える心、
アインシュタインを天才と崇める気持ち、芥川賞受賞を偉大な事だと感じる事だから
観測、観察自体が無意味なんだよ。それが神の不在という事。
観察や積み重ねは、唯一解(神)を導かない。実証なんて事を信じるのは、神を信じるのと同義なんだよ。
観察した結果が正しく唯一の物である、という保証が無い。決定実験の不可能性なんて話もあるね。
"1+1は2である保証はない。田んぼの田かもしれない(ドヤ"
とか言い出すのは不毛だと思わんか?
価値があると言い張るなら私は立ち去ろうw
>>741 正しく、不毛だ。しかし、不毛であってはならないという理由は、人間の欲求でしか無い。
この世界は実り(ゴール、行く先)ある物では無い。不毛、神無き世界だ。
…というのが、神の不在という考え方。永遠に回帰する、不毛な世界
それ無力で無気力な弱者のニヒリズムだね。
仏教をステレオタイプに、批判的に捉えた場合、
弱者のルサンチマンによる他人を道連れにした自殺、
意味的なニヒリズムだといえる。
回脱(この世の苦悩から逃れる)とは精神的自殺であり、ニーチェに言わせれば
"他人に説教しなくていいから、さっさと一人で首連れよw(物理的にも自殺しろ"
ってことで攻撃対象なんだが、この世は実際無気力になる足りえるぐらいに
つまらないというのもなかなか否定できないものでね。
考えることをやめ、動物のように生きればいいといいつつ、
実際にはどこか一歩引いてしまった生き方をする。それがニーチェかな、と。
くだらない言論よりも歴代のアーチストたちの人生と苦悩と作品の方が
余程に共感するし価値があると思うけど
ニーチェも神や天国などの空想を否定しながら自らも人工的なモノを超えた何かを模索してたんじゃないかな
でもそれはヒトのちっぽけな身体を無視したものでもある可能性もあるから、やっぱり死んじゃうよね
きゃりーぱみゅぱみゅに共感する人生の方が、シアワセなんだから。
もちろんぱみゅぱみゅもいいとは思うけど、人工的過ぎるから
老化してボケて一日一回は必ず「ぱみゅぱみゅ♪」なんて言うことになったら…楽しい
苦悩しながらもどこか「ぱみゅぱみゅ♪」な部分が無いと、生きていけないのかもしれない。
アーチスト(♪)だな
>>743 世界が不毛なら無気力になるのか? その考えこそが弱い者の考え方だ
宇宙のツブであり、カテであり、永遠の様な何だ感だ
専ら消費享受流通させるだけの人生でOKなのに
>>750 世界が不毛だと解釈するのは無力だからだろう。
つまり弱い者の考え方、姑息な復讐者の考え方だ。
仏教気取りの世捨て人がニーチェを支持するのは矛盾に満ちているなw
人類はしょぼいって?しょぼいのはお前の人生だけでしたwww
>>730 狂ってバカ化た太陽の爆発みたいな魅力あるよ
時に理性的ではあるけど暴れ方もいろいろ間違ってはいたんだけどね
現実的に仏教的な諦観がベースの人生でありながら、どこかキリスト教的な神秘や奇跡を信じるのがええのかな。
でも後者は酔っ払いか、それだけじゃイヤならやっぱりアート類まで昇華させないと遺憾のか
クリムトって映画だったかな
磔になったキリストの絵がセクシュアルで美しいって
クリムトはレズなどの女性美の絵も有名だよね
そ言えば百合的な美ってもしかして日本だけかな?どこかアニメチックだしな
やっぱりニーチェの魅力は結婚もせずに(できずに)子供も作らなかったことにもある
アート類まで昇華と言ったけど、作り手だけの話じゃなくてまずは「感度」を揚げることが重要。
身体的にストイックだったりもする
しかしキャパシティを超えたら…
憎めない愛すべきダメ男…駄目漢
おれたち
>>753 >世界が不毛だと解釈するのは無力だからだろう。
その言葉には脈絡が無い。世界が不毛である事と、力の大小の関係は?
>>763 弱者にとって現存する世界は都合が悪いので、不毛であると解釈される。
弱者は自分にとって不毛な世界を、他人(強者)にとっても
不毛な世界であると捏造することで姑息な復讐を果たす。
しかし真に不毛(無力)なのは、弱者自身に他ならない。
実に簡単なことではないかw
不毛と言えば不毛だし、充実と言えば充実なのらん
結局これは心理的な認識で変わるだけ
生きてる間に「種」を植えるも植えないも、自由
植えるならば場所が砂漠か畑かで、過程は変わるよそれだけの話なのか
何を植えるか広めるか、億単位のa spermでもいいしたったイッコのartsでも何でも
The End…( ゚д゚ )までの過程を楽しむのがいいし充実させるのがいいな
例えば自作(他作でも)の曲を部屋で独り聴くだけか、ツベにUPするか
後者の人間の方が希望みたいなもんはあるんじゃないかな、著作権?知らん
ニーチェの文章がイイって感じたことはあまり無いけど
ツァラストーリーのビジョンは美しいなと。(以前も言ったことあるけど)目次だけ読んでも印象的
FFみたいな誰もゲーム化しなかったな
野菜の種を植えてそれを育てるのは、すごくhumanなことだとおもふ
以前ドラえもんを莫迦にして悪かったけど、
ネットやamazonなんか現代的にドラえもんっぽいよね
770 :
虎馬:2012/07/31(火) 10:15:45.04 0
ぷぅ…
musicもエッチな言い方すれば耳穴プレイだったんだな…
統合失調症じゃなくて認識不調症、躁鬱病はドンチャン×die病とかで
>>764 違うな。弱者は確かに都合の悪い世の中を否定するだろうが、不毛だとは言わない。
何故なら、彼らは都合の良い世の中もまた想像するからだ(天国やユートピア)
そして、不毛は無力とは違う。不毛とは、意味が無いという事だ。何を植えても枯れる。植える事は自由だ。
>>773 いやいや、意味的なニヒリズム(意味が無い事に意味がある)もあるでしょう。
地獄行きを確信した者が最後に願う復讐は、みんなの地獄行きを確定させること。
宇宙なり真理なりをもちだして、全ては無意味で虚しいものでなければならない。
しかしそれは理性(頭の解釈)が意志(身体の解釈)を支配している限りおいて有効だ。
頭と体が180度逆を向くほどに意志が強ければ、"意味が無くても意味がある"。
意志、意志、意志! 強い意志!?
ちゃうか?調べるのメンドウだ…
そうゆえばシラーもドイツ出身だった
ゲルマン×アポロンみたいな雰囲気でいいな
ニーチェのルサンチマン云々って被害妄想だろw
フォイエルバッハ唯物論+陰謀論+ロマン主義の糞文学だわ。
確かにニーチェは美しい美的センスですよ。
781 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 12:02:50.87 O
>>773 弱者がユートピアに逃避出来るならそれはもう弱者では無いんじゃないかな?
ネットやイデオロギーに自分の価値を想定出来るならそれは逃避し、無知でいれるする力があるよ
無知でいる事も出来ない哲学者こそ弱者だ
これニーチェの格言らしいんですが、どういう意味ですか?
Wenn du lange in den Kanal 2 blickst, blickt der Kanal 2 auch in dich hinein.
あなたがチャネル2に長い間凝視した場合、チャネル2はあなたにそれに見ることができます。
784 :
考える名無しさん:2012/08/23(木) 11:02:56.09 O
強者と弱者の彼岸に彼は何を設定するだろう
欺瞞なき人それぞれの本能的喜び、ニヒリズムからの脱却。
衒学的なツァラトゥストラを解釈するより、
彼が影響を受けたドストエフスキーと比較しながら読んだほうが理解がはやい。
ニーチェスレの皆さんにお聞きしたいのですが、
ニーチェはなぜ後世に名を残すことになったのですか?
「超訳」などと言われる現在流行の手法については、ショーペンハウエルの次の言葉を引用しておこう。
「翻訳の途中で原著者の説に改訂、加工を企てる翻訳者についてもここで一言しておこう。
彼らのこのふるまいをいつも私は無礼であると思っている。
汝、非礼なる翻訳者よ、すべからく翻訳に価する書物を自らあらわし、他人の著書の原形をそこなうなかれ。
そこで我々は重大な問題について、できるだけ創始者、設定者、創案者のものを、あるいは少なくとも定評ある専門の大家のものを読むべきであり、またむしろ古書を求めるべきで、
古書の内容を手あたりしだい、抜き書きして作製した本はひかえるべきである。」(『著作と文体』)
神様をも消滅させる最強最大最高無敵不死身哲学者百獣大王皇帝猛獣兵器ライオン獅子ニーチェ。
自らの力への意志は精子の時点であった
そして死後も気体や微生物のエサとして存在しようとしてる
意識はなくとも何らかの有機体として存在し続けるのか
ただ名称が無くなるだけで
力への意志とは「自己存在の証明」みたいなものか
宇宙全体の本能はただ動きと流れ
きっと美しい流れなんだろうな
美しくはないか
ただ真っ暗闇の中での光の話か
いわゆる真理らしきものはそれか
って太宰も言ってたな
力への意志は粒子だとか物理的なものだけではなく
イデアのように霊的な力も含まれているんだろうけど
霊的な力とか永劫回帰のパラレルワールドなんてのは
実感できない以上、普通の人は相手しないほうがいいと思う
家族関係で実感しまくってますが何か
今時珍しい3世帯同居のせいもあるけど
797 :
Jank「早」rocK:2012/09/01(土) 19:51:30.05 0
798 :
Jank「早」rocK:2012/09/01(土) 19:56:04.45 0
799 :
「早」:2012/09/01(土) 19:57:17.40 0
早「もうテロりませーん」
ナックル「ぼくちんテロリスト」
早「おい、あんたは脳内テロでネットすらテロれてない」
ニーチェ「私が教えたのはテロリズムではなくニヒリズムだ」
早「どっちかっつーとテロリズムのほうが好きだけど」
ナックル「だよな」
早「だからあんたは……もうナックルの頭をてろてろしてやりたいぜ」
ニーチェ「ぬぬ!?」
早「ニーチェさんよ、俺が徹底的ニヒリズムを体現して貴方を救ってやるよ」
800 :
「早」:2012/09/01(土) 20:01:16.12 0
>>787 『超訳』は問題ありですね。
でもプラスの価値もあると思います。
実は『超訳』を退院するとき入院仲間から頂いたことあって。
まず利点その1
現代の言葉遣いに慣れた人にとってニーチェの入り口になること。
これは誰でも思ってる点。
その2
すでにニーチェに深く通じてる人に対しても、
現代の言葉と19世紀の言葉がつながれることによって、
昔の偉大な思想を現代へ伝達するための超時代的翻訳機となり、
どうやって現代にはない偉大な思想性を現代に表出するかの手がかりとなる。
801 :
「早」:2012/09/01(土) 20:03:58.97 0
前までスタヴローギンに憧れてたけど、
なんか数回体現してリアルスタヴロな状態やったんやけど、
最近はイワンに憧れています。理知的でクールで悪魔を知る賢者。
東大狙ってというか合格して物理専攻します。
ニーチェの思想とくに永劫回帰を物理学によって説明したい!
802 :
「早」:2012/09/01(土) 20:08:40.64 0
力への意志の思想って、科学的にいうとマッハの認識論に近いよね。
ニーチェがもっと頭よかったら、マッハの思想を先取りしてて、
もっと早く相対論ができたとおもう。
アインシュタインもマッハから借りパクしてるし。
でもマッハの速さを先取りするなんてできないね☆
まじめな話、物質も物体も人格も心も時間も、無数の素子の衝突による
解釈現象の発露、ていう力への意志の思想はマッハの理論から人間性を
ぬいたものだよ。マッハもニーチェも、時間の前後も空間の上下も
無数にある素子の反応のうちのある歩合の反応の結果でしかないと悟ってた。
803 :
「早」:2012/09/01(土) 20:14:00.02 0
ゲーテなんてニーチェに比べたらチキン!
なんかゲーテって器は大きいし才能は素晴らしいし人格も豊かだけど
苦痛や恐怖から無意識的に逃げてるね。「逃げちゃだめだ!」
呑気で抜けてるよゲーテって。
メフィストから力もらっといて自分は悪魔じゃないとか
筋が違うぜベイベー! 男なら筋を通してもらわんとな!
雄大、という形容はニーチェには当てはまってもゲーテには当てはまらないね。
俺はニーチェを超えてるがな! 理想はスウェーデンボルグとランボーさ!
ランボーとセックスしながら霊界旅行してニーチェ救いたいのだ!
804 :
「早」:2012/09/01(土) 20:22:39.18 0
センスないね
いかにもブサメンのナルシストって感じ
806 :
はや:2012/09/01(土) 22:28:24.08 I
807 :
はや:2012/09/01(土) 22:36:15.54 I
808 :
はや:2012/09/01(土) 22:44:05.98 I
809 :
考える名無しさん:2012/09/01(土) 23:32:20.43 0
810 :
考える名無しさん:2012/09/02(日) 08:49:45.83 0
日本キリスト教界ではカタギよりも犯罪者が優遇されている
意識が宇宙の外側に行く健康的な方法について
無意識
自殺すれば?
醜い弱者にも権力欲や性欲の盛んな連中がいて、
宇宙だの真理だの彼岸を持ち出すことで欲望を叶えようとする。
世俗を超えた真理を説き、禁欲を説き、信者の性欲を押さえつける
筋肉ガリガリな新興宗教の教祖も影では女を独占して乱交ばかりしている。
病的な欲望に迷い込んだ人間の思惟およぶ説教に付き合うこと無し。
心身ともに干からびて死んでくれる事を願いましょう。
他者の死を願う自者、病みに蝕まられて逝く。
何者かは、即身仏で逝った。
人体へのダニの刺激、地球に衝突する隕石の衝撃、…同じかね
偽りを認識した信仰はツライ
精神的にドラッグをやるようなものだから、反動クル
それでも十字はキルか
あ
>>818ほんとのキリスト教はGenuineだよ
こんな風に同語反復してでしか表現できないほど本物さ。
間違ってはいない。信じて! 俺が救ってやる!
同語反復することこそ、いわゆる差異と反復であり、
ユダヤ人の精神構造であり、究極の真理の一点に乗ってる
危ないシーソーゲーム! 振れ幅が大きいシーソーほど
重心や支点がはっきりしてる、てのは物理学的事実だよ!
もう十分やったじゃないか 危なく正しい遊びをな!
ニーチェはキリスト教を批判したが、キリスト教の実情を批判しただけで、
たとえば運命愛などはイエスの思想と被るってくらい、
キリスト教の真髄の精神性に通じるもんがあるんやー!
ニーチェが批判したのはキリスト教を忘れた愚民どもな。
さよならいうといてごめんね連投
ただ
>>818さんが知り合いで、しんどそうだったから……
キリスト教は聖教です!
適菜は反省本、書いて、売り上げを全額慈善にまわせ!
マッハとニーチェを関連して論じるのってよくあるよね。
検索すれば、欧米の文献とかへの言及もある。
キリスト教は邪教です。
イエスの教えを実践した者は、結局イエスただ一人だった。
キリスト教とは、ペテロに捏造された地上に対する復讐である。
イエスは死んだのに、信者は永遠の命を手に入れるのか?(笑
モルモン教徒、ものみの党、エホバの証人、統一教会 etc...
日本で活動するヤソは異端やカルトばかりじゃねーか!
信じるものがすくわれるのは足元だけでした(泣
グノーシスはどうなんすかね?
パラダイムチェンジは起こる
good morning は「いい朝だね」
勝手に「おっはー」って翻訳したの誰だよ
キリストは大好き
キリスト教は大嫌い
to be continued …
科学の進歩(今はネットや宇宙開発や)に脳も身体も追い付かない
人間たちはいづれ自滅する予感…自然の狂気(最近では地震津波や)も恐いけど
同情の禁止
地球爆発してもネットって残るのかな?サーバー残らないから無理か
無形発掘なんて…
冷凍都市や砂漠で、鉄の哲学者、鉛やコンクリートが胃と血管で、息苦しい、…
時には同情しないと
鞭に打たれる馬に同情したニーチェ…優しいヤツだった
無知に討たれる俺…宇宙さんの無知だから許すかな
地球外生命体の可能性、アルヨ。
内容の無いボケ老人みたいな走り書きばかりのニヒリストしかいねーのか?
なごやんはニーチェとエックハルトを同一視するほどの馬鹿だったが、
きちんと自分なりの考えをまとめて表明していた彼のほうがまし。
あ
>>827 ペトロ俗物説てのはなー
ニーチェが自分の思想を表現するための
キャラクターなんだよ。
ニーチェてのは自分の思想を表現するためには
キャラ作りや能動的解釈をおもきし正当化すらるほど
強い精神をもってたガチの思想家なのさあ!
エホバの証人とかは語り口が卑俗なだけで
言ってる内容そのものは良いと思うよ。
>>838 言葉に意味なんてないですよー!
おいらは絵と音楽が趣味なんで。
アートしてるときはニヒリズムよりテロリズムに走りがち★
>>832 科学に脳や心が追いついてないように思えるけれど、
実際のところは数人の天才は科学や社会機構を、
網羅して認識しています。さらに、その天才の周りは、
天才を煽てるためにもしくは潰すために、俳優と化して、
宇宙開発や探偵物の映画みたいなことが事実として起ころうとしている。
ニーチェは19世紀にワーグナー関係にそういう事情を見出して、
命懸けで愛する盟友をメタメタに批判したのだ!
>>830 あなたと俺とひかるさんとH.A.さんあたりで
キリスト教に革命を起こそうぜ。テロではなく愛によってな!
ニーチェもイエスのことを本心の中枢では愛してたはずだ!
ニーチェの思想をキリスト教に取り込もうや。
俺はガチやで。遊びでニーチェスレやってるんじゃない。
>>834 人類は2097年前後に永久期間を発明&実行して
月や火星に住み始めるよ。十中八九ね。
それでネットの情報などは地球から消える。
人類の頭脳は22世紀にはドラえもん級の開発してる。
で、地球ではゴキブリなどの昆虫類が進化し巨大化してて
次のクラスがワニなどの大型爬虫類。
たぶん21世紀の終わりに大地震大洪水か巨大隕石か。
幻視者の戯言だととってもらってよいが、そういう幻視みた。
哺乳類は、人類の残したヘドロや気象の変化で殆ど死ぬが、
人類が月や火星にたくさん持ち込み動物実験で進化させてる。
ノアもアブラハムもモーセも、もちろんイエスも、
実在の人物だ! イスラエルの血は強烈かつ忍耐力の塊。
日本規模で4年以内にリアルノア!
人類規模で100年以内にスーパーノア!
キリストのことが好きなそこの貴女
貴女なら絶対に耐えられる!
ephemeralなんかじゃない!!
ただし、俺とニーチェを真心から信じてくれたらな!!
>>836 ニーチェは馬に同情し同情を実行できるだきの愛を持っていた。
だけでなく、アニミズムも持ってるね。馬にも人間と同じくらい意識があると。
もともと人間 だ け が他より優れた意識を持っているてのは
個人的にはキリスト教の中で批判したい点であり、開祖は動物と仲良かったはず。
というかむしろニーチェは人間が自我を持ってることを否定してたね。
力への意志という無数の素子のぶつかり合いのなかで、
自我なるものが捏造されると。
動物というのはその力への意志の衝突関係が人間ほど
凝り固まってなく、ふわふわした夢のような意識や格を
持っていて、いつのまにか、で生きてるんだと思う。
関係ないけどシンボリズム的には馬は力強い男性の象徴やね。
>>823 グノーシス主義は内向的やなー
原初キリスト教は意識と無意識の両方に働きかける力を
もっていたが、だんだんローマの権力と結びつき
政治的になってた過程で意識にしか力をもたなくなった。
その埋め合わせでできた内面や無意識に働きかける
力をもつ思想が、たいていの神秘主義でグノーシス主義の場合もそれ。
ユングがよく言うことだけど。個人的にはユングは好きだが
ユング派は安物のオカルトみたいでねーだいっきらーい!
"3年間さよなら"じゃなかったのか?
AKBのあっちゃんも引退宣言してからも
なかなか辞めなかったが、自分から言い出したことぐらい守れよ
848 :
6「早」9:2012/09/08(土) 14:59:18.75 I
とある真摯なキリスト教徒さんが友達? でなー
彼女が書き込んだら俺もレスポンスせんよ。
ってことで。そいや聖書に誓いをたてるなってあった。
ちんまんこ
850 :
6「早」9:2012/09/08(土) 15:17:19.27 I
書き込んだらレスポンスせんよ。
じゃなくて
書き込んだらレスポンスするよ。
書きミス多すぎ!
誤字脱字は治らん癖かいな。
>>802訂正
まじめな話、物質も物体も人格も心も時間も、無数の素子の衝突による
解釈現象の発露、ていう力への意志の思想はマッハの理論から人間性を
ぬいたものだよ。
↓
まじめな話、物質も物体も人格も心も時間も、無数の素子の衝突による
解釈現象の発露、ていう力への意志の思想はマッハの理論から人間性を
足 し た ものだよ。
>>848 彼女はあんたを自分からした約束も守れない男に貶めるような人間だ。
真摯なキリスト教徒のはずがなかろう。
堕落した陰売の戯言に惑わされず、2chを離れなさい。
むむ
馴れ合いと身内ネタは他所でやるべきですよね
mixiとかfacebookでどうぞ
854 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:33:19.38 0
さて、くだらないスレ流しも去ったようだし、
なごやんの主張に対する反論がようやく書けたので投稿するよ
855 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:34:29.31 0
ドストエフスキー『悪霊』において、キリーロフは
キリスト教の神とは生への執着、死への恐怖だと宣告した。
(ジーザスが神聖なる所以は、平然と殺されることを決断する自由にある)
すなわち神とは原理であり、原理を克服する人間たちは
己の意志が己の原理となり、100%自分を支配する自由の極致・人神となる。
この無意識下におけるリビドーの原理に突き動かされることを克服した人神は、
自由である。生きるも死ぬも自在な故に自由に己を在り方を決断する。
しかし生死の原理を捨てたキリーロフは、意志の力によって自在に……ではなく、
自己判断能力を失い、錯乱状態の果て、思想的責務に追い詰められて惨めに自殺する。
(自己原理を失い、テーマを与えられず、あまりにも真っ白で、あまりにも自由な紙の上で
優れたアートを描くことはできるか? カオスな落書きにしかなるまい。)
856 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:37:42.96 0
なるほど、ツァラトゥストラが叫ぶ「神は死んだ。未だ死んだままだ。」において
神が何を意味するのか、キリスト教と縁のない私にもようやく理解できた気がする。
神が死んだとは、人々が生きるも死ぬも無価値なニヒリストに陥ったということ。
神が未だ死んだままであるとは、神が復活しなければならぬということ。
従って再び生を意志するのだ。ただし新しい生への執着には、幾つか注文がある。
ここに自由意志と生の原理、その対立が止揚される。
857 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:39:37.58 0
最後に自由について。自由論といえばミルやロールズなど様々な切り口があるが、
反社会的印象を受けるニーチェと相性が良いのは、ハイエクの自生的秩序論による補完であろう。
ルサンチマンが組織する宗教や道徳と決別して、他人が創り上げた押し付けがましい規律、
その全てと決別して、価値判断を自分でする自由が無制限である場合、それは混沌へ陥る。
カオス――無制限な自由とは反社会的な病理であり、貧しさ故の狂気にすぎないのだ。
自分の利と生にのみ価値感を置き、自分の都合に良く解釈・価値創造を行い、
刹那的衝動に駆られて他者を食い散らかし駆逐するのは雑草・イナゴの類である。
ニーチェやエックハルトの誤読者(悪徳的利用者)たちは、こちらに走りがちだ。
858 :
考える名無しさん:2012/09/09(日) 23:44:11.31 0
超人にも超人の道徳が、自分を律するための自ら創造した教え・法・宗教が必要なのだ。
では、それはどのようにして創造されるのか?まさか頭だけで考えたような、
哲学的・文学的・芸術的な空想ではあるまい。絵空事から生まれたものは絵空事にすぎぬ。
人間には肉体があり、それによって体験したことが、そして社会的諸関係の総体が意志の養分である。
ひいては養分を原理として、自分が存在する社会と共に良く生きることを意志するアートを描いたとき、
自由者の責任・自生的秩序を築くのである。それができず無法者になるくらいなら畜群のほうがマシだ。
故にプラトン以来の独裁的国家論、ルソー的な一般意志との契約による統率、
マルクス的な類的存在への統合による共同的支配が、畜群向けにあるエスカレーター式社会も必要悪である。
ニーチェは社会思想家ではないのに、なぜ政治思想と同列に論じるのか?
アルチュセールは哲学と政治は不可分であると述べた。私もそれに従ったまでのこと。
以上、私の持論だ。
自由っつっても人間の動物としての本能である種族の生長や保存の原理が働いてそこまでカオスな状況にはならんと思う
災害ユートピアってのもあるし最終的には人間の善悪の彼岸により助け合うんじゃねーかね
認識革命はじまるよー!?♪
身体革命
社会革命
よりも、脳内革命が至高ですよねー!?♪
妻子あるアートマンが至高なのかな
餓死寸前で目前に、米とアートがある。
もし好きなあの曲だったら後者を聴きながら逝きたいな
米より曲作り
そういうメンタリティのアートマンなら、好きだが。
しかし誰もが確実にまず米に手を伸ばすだろうが
災害や戦争や政治をネタにして動くよりも、
それらを知っていながらもただ黙々と自分の仕事する人の方に感心するが。
ワザとらしいのは、反吐が出るか。
先日本屋でチラッとこの人見よ読んだけど、健康についても慎重に書かれてたな。
脳内で「肯定!肯定!愉しめ!、俺最強!」って感じで叫んでたニーチェですら、
「まず人体ありき」だよと言う様なものだった。
鏡を見よ か
868 :
考える名無しさん:2012/09/10(月) 13:53:58.75 0
ここで1人つぶやきを大量に垂れ流し、スレ流しをしているアホは
他人のモラルに従うこともできなければ
自分のモラルを築くこともできない落ちぶれた無法者だ。
ホームレスが道路の真ん中で気持ちよく、たちションしてるようなもの。
本人は詭弁によって自己正当化を計る程度の知能しかないゆえに幸せのようだが。
力抜けよ 脳ガンになるぜ 水飲もう
870 :
考える名無しさん:2012/09/10(月) 14:01:47.98 0
>妻子あるアートマンが至高なのかな
家族を自らの法と定めるのであれば、それはユダヤ人だ。
これは批判的意味合いではないが、地域や国家団結を重んじる人から見れば
ユダヤ人はモラルに欠けた無法者だったということ。
人は法の下にのみ自由であるというのが
オーストリア学派(保守派経済学)の基本だと思うが、
法は伝統的なものでもなく、民主的・社会的なものでもなく、
自分で打ち立てた法(それも個人的経験や実践的なものに裏づけられたもの)
でなければならない神の法だということ。
しかしそれはアプリオリなものではない後天的獲得の法ゆえに、
ドストが主張するような神の法による統治には、法なき空白期間に混沌が生じる。
(しかも人によっては後天的にも法を獲得することができない)
一方で他人に創られた理性的な、社会的な法(道徳など)はアプリオリどころか
生まれる前から万全の体制が揃っている故に、特に子供に対して不可欠といえる。
だがニーチェには、この社会的な法から個人の神の法へ緩やかな移行を望まない節がある。
社会的な法を全て破壊して、無秩序・無法状態の混沌な人間を大量に野放しにした挙句、
その中から一握りの超人が生成されれば良いと考えている。
彼は社会的な人間・善人が超人の芽を摘み取る事を恐れているが、
無法者=イナゴがもつ破壊力を軽視している。
イナゴの群れから超人が生まれるとしても、
超人に成りそこなった少数のイナゴによって何もかも失うことが見えていないのだ。
数十年前までは日本人も蝗(イナゴ)食ってたな
その法について詳しく語らないと
殺人、死刑、懲役、終身刑、著作権、窃盗、詐欺、名誉棄損、脅迫、…などなど
まず六法全書を読めってか?
慰謝料、賠償金、…オカネで解決するのかね
ただ脳内のみで殺人や自殺をするのは、ある意味で健康的なのかも。
発覚しなければ、すべてセーフ。
早さん、"3年間さよなら"程度の約束も守れないようですね。
いいでしょう。私が去りますから、ひとりぼっちでお楽しみください。
2ちゃん「来る者拒まずサル者追わず」
他のスレでもそうなんだけど、嫌われ者の早が書き込むとさっとみんないなくなるよw
早く超人資格を取れよ
忘却すれば合格らしい
この宇宙空間がすべて一つながりってことを考えたら…
ただ距離や壁があるだけ
時間は人工的なモノだと
時計無くしたら、ワカル
しかし1+1=2だと言う人工的な法則に従わないと、
コンビニで買い物もできなくなる。
グノーシス主義と言うとゼノサーガシリーズ!?♪。
ポジティブで前向きで楽観的で積極的で明るい何時でも何時までも永遠に挑戦的なニーチェが大好きだよ!?♪。
ニーチェも現代に生まれていれば発狂しなくても済んだのに。薬を飲みさえすれば良かったんだ
そうまでして生きて何になるの?って疑問すら気にならなくなる薬をさ
そんなうまい具合に効くクスリなんて実在するのかなw
ニーチェって葉っぱとかやってなったの?
葉っぱやってればならなかったかもねw
極論、ヒト以外なら何喰ってもいい
とにかく脳内物質な
今のところ自分の中では語尾に「!?♪。」を付ける人が最も超人さんに近いかもって
食欲も性欲も労働欲もアート欲も忘れて、ゲームばっかりしてそうなところが素敵!?♪。
最近ガンツがニーチェっぽい展開だぞ
日本で一流の思想家たちは漫画家に走るとみた
ブサメン早の末路w↓
女装して診察に行ったら、入院になりました!
ちなみに去年は仏壇燃やして「俺は仏陀を超えた!」と正しくないことを
家で叫び、強制的に家族に精神病院に連れて行かれ、診察では先生を
おちょくってメガネをかっぱらったら、入院でした。
去年は、脱走未遂をしたこともあって、拘束が3週間近くになってたのですが、
今回は数日の拘束ですみました。今度は優等生をやってます。
http://junk69cats.blogspot.jp/
学校はやめちゃったの
人類の人間の限界の常識を凌駕して本物の超人に為るのだ。
凌駕するためにはまずそれを極めなければならない
力への意志は量子論ではない
では何論ですか?
早くん、芸人になった方がええよ…
不感症になるか、無人島在住か、宇宙から地球を見る生活か、…
太陽と死を凌駕できるか?
太陽を直視して眼球を燃やしながら特攻して逝く様な衝動か
それが力への意志?
そんなイーカロス的な…
早くん、病院で薬漬けにされて一生拘束されちゃえばいいのに
テイルズオブシリーズ的な物凄い中二病の方が大好きだよ。
専ら脳内でファイトするのがニーチェ的
しかし脳神経を破壊するより、身体的な破壊(筋トレとか)をする方がモチロン健康に。
>>894 確かに最近のガンツは面白いが突然展開がぶっ飛んでいったからな
誰かに書かされてるんじゃないのか?w
ツァラトゥストラの最初のほうで綱渡りから落っこちた
道化はなんのメタファーでしょうか?
寧ろゼノギアス的なニーチェの解釈が大好きだろ。
あとがきに翻訳者の解説があるだろ。
素人のお前等が勝手に解釈しても的外れになるだけだから、
まずは翻訳した学者の各章に対する解説を読むべし。
事実は一つ、解釈は∞。
お前等素人が頑張ったところで大筋を外した超訳ニーチェになるのがオチだろ
超訳シロート
寧ろゼノブレイド的なニーチェが大好きだよ。
5 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 編集は専門家に一任すべき仕事 2012/4/8
By 寛治
「ニーチェからの手紙」だけでも、ドイツ語原文で8巻分、約4000ページ程もの量がある(いわゆるKSB版で)。
全部に隈なく通じているのは、おそらく一部のニーチェ研究者だけであろう。
できれば、彼らにこそ、編集の仕事をして頂きたかった。
私は茂木氏個人には、肯定否定をも含めて何の思い入れもないが、
自分の専門でもない分野の仕事に、したり顔で手を出す態度に疑問を感じざるを得ない。
哲学者永井均氏の著作への後書きと言い、オムニバス形式クラシックCDの編集と言い、ほとんど「何でも屋」の仕事でしかない。
つまり単なる素人なのである。
そのような者が編集する書簡集など、何の価値もない。
クソワロタwww
調べてみたら茂木って脳科学からコンピュータサイエンスまで
幅広くデタラメ吹いてるとんでも野郎じゃん
茂木は本当に勘違いしてるわ
ニーチェが一番嫌うタイプだろ
寧ろニーチェ的な解釈の天文学が大好きだよ。
まずドイツ語の文章を厳密に読む訓練をしないと駄目だな。
924 :
考える名無しさん:2012/09/28(金) 02:19:06.75 O
ドイツ語学んでもサールのいう中国語の部屋にいるようなもんだろ
Ich verstehe nicht.
日本語で読むのは御法度ですか
ニーチェは宇宙語で読むと悟りが開けるですよ。
誰かミラ・ジョヴォヴィッチを呼ぶんだ!
未来的に未来風に前向きなニーチェの解釈が大好きだよ。
930 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 07:28:39.49 0
おもらしじゅんいち
埼玉県ふじみ野のペテン
932 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 08:32:38.55 0
あさだ ち
933 :
考える名無しさん:2012/10/02(火) 08:58:52.57 O
1999年は物事がうまくできてたと思ったが今に至って違うと知った!
さみちい永劫回帰だよう
ヨウ子さんと会ってそれからそんじょそこらのおんなと付き合えなくなった
死
一番相性がいいかもしれない人をニーチェは逸してしまい
晩年発狂して精神療養所で亡くなったのは有名
938 :
し:2012/10/04(木) 17:39:16.46 O
おれは最低の人間だ
梅毒が脳にまわったんじゃなかったっけ
>>938 そうですね。貴方は最低の人間です。
さっさと死んでください。
941 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 22:47:22.95 0
神は死んだ!
梅毒説が有力だけど思想ストレスからの鬱病ともみえる。
スピノザやドストエフスキーが危険視したものに
ニーチェの思想は走って、連中の予想通りの結果になった。
まあ人間の限界を超えようとするから超人思想なんだけどね。
943 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 22:52:19.93 0
>まあ人間の限界を超えようとするから超人思想なんだけどね。
しったかwwwwwwwwwwwwwww
氷上英廣の解説をしったかと断言する君は何を論拠にしているのかな?
945 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 23:16:46.78 0
宗教を否定しても生を肯定できるところに、超人思想の本質があるのだが。
どうせ早=股間ツルツル君だろうから即逃亡だろうけどw
ツァラツゥストラには、さらに深い、ひとつの嫌悪がある。それは人間存在そのものへの嫌悪である。
(〜略〜)これは人間の限界である。超人はこの限界を突き破るから超人なのである。
『ツァラトゥストラはこう言った(上)』岩波文庫 氷上英廣訳 解説の章より引用
……で、専門家をしったかと断言した
>>943 はどのようにお考えで?
948 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 23:37:29.69 0
30年前の解釈ってwwwww
ちなみにあんたの年齢もばれた。さっさと寝ろよおじいちゃん。
>>948 反論無し、完全敗北でくやしいのうwくやしいのうwww
しったかちゃんはお前でしたというオチwww
950 :
考える名無しさん:2012/10/04(木) 23:45:22.05 0
宗教を否定しても生を肯定できるところに、超人思想の本質があるのだが。
根拠も内容もない一行レスをドヤ顔で連投する君は正にしったかちゃんだね
ちなみに超人思想は宗教を否定することを手段としていますが、
目的(本質)としていません。残念でした。
952 :
考える名無しさん:2012/10/05(金) 00:03:21.17 0
あれだろ、ルサンチマンの克服だろ
ニーチェが否定したのは人間そのものではないよ。
宗教(キリスト教(会))に由来する道徳や善悪と、
それを盲信する人間の惰弱さを否定したんだよ。
ニーチェは、人間は神に代わる超人のために生きなさいと説く。
人間は超人への橋(過程)として偉大さ(意味)があり、自己目的ではない。
超人への憧れは、人間への嘔吐を催す。
もちろん人間を矮小化すればその上にある超人も当然小さいわけで、
従って決して人間を矮小化しているわけではない。
ニーチェと幸福の科学の大川隆法の関連性を知りたいですよ。
956 :
考える名無しさん:2012/10/06(土) 20:50:16.60 0
957 :
蝙蝠ちゃん出没中 ◆MinorKeyQs :2012/10/06(土) 23:03:51.85 O
>>956 宗教は人間によって人間至上主義にすり替えられたんだよ。
ニーチェがキリスト批判しただけとか言ってるやつは頭が悪いか読んでないかどっちかだね
>>957 人間がいなくても宗教は存在するといいたいのか?
バカすぎるから黙ってろ。
>>956 老人などが自立するための自由主義となるか、
生きているに値しない人たちを駆除する社会主義に利用されるのかによるな。
これだけ財政が厳しくて経済力の無い時代にこの制度が要請されるということは、
生きているに値しない人たち(老人や社会不適合の無職)を殺す為というのが本心だろ。
961 :
考える名無しさん:2012/10/08(月) 17:43:17.31 0
よくわからないが、ニーチェって快楽主義者だったのか??
>『曙光』(1881年)において、ニーチェは動因としての快楽主義の役割を斥けて
>「力の感覚」を強調する。
963 :
考える名無しさん:2012/10/08(月) 21:29:15.47 0
自分の言葉で語れないバカ
宗教を否定しても生を肯定できるところに、超人思想の本質があるのだが。
プw
一行レスには一行レスで十分だろう。
無視されないだけ感謝したまえ。
966 :
考える名無しさん:2012/10/09(火) 10:04:59.58 0
自分の言葉で説明できないwwwwww
本の解説部分丸写しwwwwww
どんだけ低レベルw
お役所に勤めて毎日安泰に生活する人生がベスト
それと、いづれ死ぬことも含めすべて忘れてしまうこと
収入は安定、土日祝日は休み、だからもちろん哲学もできるし
治安を乱さず病気を蔓延させなければ、好きにすればいい。
まったく不安を感じないのが、超人さん
死ぬことすら知らない
>>967-971 それは合理的で平穏なスピノザの思想に近い。
ニーチェは不条理な荒野で無限の闘争を説く。
ニーチェとスピノザは似ているから、
スピノザをざっと読んでニーチェと比較することで
理解が深まるかもしれないよ。
973 :
ニチェ:2012/10/09(火) 21:13:37.30 0
神生み出した中で最も失敗作は
人間である
974 :
考える名無しさん:2012/10/09(火) 22:01:10.58 0
「それは合理的で平穏なスピノザの思想に近い。
ニーチェは不条理な荒野で無限の闘争を説く。
ニーチェとスピノザは似ているから、」
矛盾しまくりで、説得力なし。
975 :
ニチェ:2012/10/09(火) 22:51:23.10 0
一番愚かな生き物
それは人間である。
>>974 スピノザとニーチェは同じ命題に関して論じた節があり、
ニーチェは彼を"私の先駆者"や"ユダヤ人の偉大な賢者"などと賞賛している。
ニーチェは自由意志の否定など多くの点で共通の見解を持つが、
幾つかの分岐点を境に反対方向へ歩み、彼と対立した。
だからニーチェはスピノザを高く評価すると共に痛烈に批判もしている。
私の見解は何も矛盾していない。
中学生未満の読解力しかないバカに哲学はわからないというだけのことだw
977 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:11:48.34 0
ニーチェが自由意思否定論者とでも????
キリスト教批判の彼が?
このスレッドには本の目次を眺めただけで理解した勘違いする人がいるようですが、
人間にそんなことできません。
このスレッドには自分の言葉で語れと説教する偉そうな人がいるようですが、
彼が語ったのはしったかの恥ずかしい1行レスだけでした。
どうやらまだ逆恨みして怨念として漂っているようですね。
また殺人予告とか繰り返しちゃうのかな?
ニーチェはフランツ・オーヴアーべク宛ての書簡において、
自分の哲学とスピノザのそれとを殆ど同一視している。
「スピノザの説の五つの主要な点に僕は僕自身の姿をみたのだ。
この最も異常な、最も孤独な思想家は、まさにこの点で僕に最も近い、
―彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、
そして悪を否定する。むろん相違したところは大いにあるが、それはむしろ時代や文化の、
また学術上の相違した点にあるのだ。つまり、高い高い山に登ったときのように、
ときどき僕の息を詰まらせたり、血を流させたりした僕の孤独が、少なくとも今は二人連れの孤独なだ」
980 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 00:38:43.75 0
ニーチェ、意思決定論者と捉えていい?
新派だったとは!
その推測で正しいですよ。
>>981 レベルMAXの君、次スレを建ててくれ。
983 :
真理:2012/10/10(水) 01:49:22.89 0
神生み出した中で最も失敗作
それは
>>973である
一番愚かな生き物
それは
>>975である。
なによりのできそこない
それは股間ツルツル君である。
984 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 03:13:58.86 I
ニーチェはルサンチマンの克服を豪快に説いたが、
彼はルサンチマンにとりつかれて苦悶してたわけじゃない。
他人や人類普遍のルサンチマンを一段高いところから考察し、
それを自分の精神で以って能動的に体験し、分析して、
大衆のルサンチマンを批評しながらルサンチマン滅却を
誠実かつ真摯な哲学的態度で実行した人だ。
彼の崇高な人格自体はルサンチマンと無縁で他者のルサンチマンを
高みから批評し、人間精神を正す目的意識で、ルサンチマン
復讐や劣悪な人の性(さが)と熱烈に格闘した人なんだ。
985 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 03:25:08.86 I
>>978 ニーチェには三行で本の本質や他者の本性を直観し
著者や相手の心理的実態を暴く神秘的直観を持っている
そういうニーチェの精神構造に感化を受け体得した読者なら
数行で少なくともニーチェの精神の大事な部分を媒介最低限で
見抜いてニーチェの精神と交感することは不可能ではない。
ニーチェの言葉には一撃で一つの強烈な言葉で以って
読者の肺腑に直撃的な感化と認識を生み出す力がある。
アフォリズムは本一冊よりも、精神の深部に力を与える
神秘的とも言い難い強力な思想的感化力を持っている。
まあその人は少なくとも1000ページは読んでるだろうが。
上っ面しか読めない多読と、ニーチェのアフォリズムの
直観的かつ洞察的な認識を生み出す力は、別次元だ。
ニーチェも言っておる。自分の言葉は一撃で他人の肺腑を暴き出すと。
アフォリズムの文体のダイナマイト的感化力はなめたものじゃない。
986 :
考える名無しさん:2012/10/10(水) 03:42:19.94 I
まあぶっちゃけ俺は「早」だが、言いたいのは、文体。
ひかるさんのアフォリズムを読まれんことを!
あの人の言葉にはニーチェ同様、研ぎ済まれた感覚と高みの精神が相互作用し、
アフォリズム数個でそこらのニーチェ研究者の一冊分の精神的内実がある。
おれはまだドイツ語入門で原文には触れてないが、訳を比較した限り、
ニーチェの文体には畏怖すべきリズムと緩急がある。さながら、弁舌音楽であり、
人の心に直接に鋭利に深く刻み込む剣の文体。
ひかるさんの文体にもそういう強く厳かな響きがある。
研ぎ澄まされた音楽的精神で書かれた数行は、単なる分析や解釈
を長々と書く研究書とは次元が違う。韻律と彫琢こそが、
ニーチェやひかるさんの文章の最も尊敬すべき持ち味だ。
残念ながらナックルさんの文体は綺麗で整ってるものの、
文体の節々に響く静謐かつ崇高な響きはない。
ニーセさんは崇高を知りさらに知性の卓越した天才だが、
文体に輪郭的彫琢が欠けている。
俺は意図的にぐちゃぐちゃにしたりセンセーショナルにしたり、
シンボリスティックにしたり状況に応じて文体を演出しているが、
響きの格調はまだ、ニーチェはもちろんひかるさんにも達してない。
文体に眼を向けよ。文体に犇く刀こそ血を心に刻む真理の刃だ!
文章力か
文藝は文藝を越えない
まあ俺はもう「早」としてここに登場し道化や身内ネタやテロはしないが、
真面目に真剣な批評者として名無しで現れることはあることはあるかもしれないので。
文体文体と連呼するのは、決してニーチェの文芸性を称揚するためではない。
ニーチェの思想や人格の高みを表現するための意図です。精神の頂点、ニーチェには
それがある。ルサンチマンやらはニーチェ本人の人格とは無縁で、人類の病を、
神や罪に対する不適当な態度を正して導こうとする、使命感のようなものに、ニーチェは
突き動かされ、熱烈に人間の闇や毒を語ったということ。
系譜学や善悪の彼岸などはもちろん、ニーチェの問題意識として強く精神に根付いていたが、
それはニーチェの一段いや千段高みにいる精神を、使命感のために底辺のルサンチマンに
強さで以って下降し、人々の病を体験的に批評するため、人々の罪や毒を自ら飲み込んで、
いや、食べて思想の栄養として取り込み、一般の問題と自分を同一化しながら導き、
そこから導かれたのがニーチェの著作というものだと思う。
決してニーチェは個人的苦悶を、ワーグナー関係を除いては、していなくて、自分から
俗世の悩みや問題に降りて行った、そしてそれを正そうとした、そこにニーチェの
本性である高貴さが垣間見える。ニーチェにとっては、系譜学も、手段でしかない。
自分の精神に宿った恐るべき思想の真髄を表現するための。
とにかく言いたいことは、ニーチェは読者の苦悩や問題などよりずっと、
精神性において高みにいるということだ。裏付けは格調ある強力な文体。
まるで人類のために気高い踊りと弁舌を余裕にかましてる超越性。
でも発狂直前の最後期は、ディオニュソス対キリストの壮絶な葛藤、
神々の世界の身を引き裂くような葛藤で余裕を失っている。
でもその葛藤から逃げずに最後まで戦い続けた真剣さこそ、
ニーチェの人格の気高さを立証する、明確な証拠であり、
心の誠実さや思想の直情的熱意を示すものだろう。
ニーチェに取り憑かれる人は多いように思う。
私も文庫を二冊程持っていて、たまにぱらぱら読むが
何が言いたいのかまるで伝わってこない。
伝わる人には伝わるのだろうなぁ
その一方で資本論なんかは私にもびんびん伝わる
早みたいな教養も内容も無いくだらねーレスを小学生未満の感想文という。
体感的に理解したとか自称しているようだが、上での問答を見る限り
全く理解していないのが明白だ。
名無しで姑息に攻撃しておきながら、問答に負けたので議論の前提をぶち壊し、
ルールをちゃぶ台返ししてオジャンにする卑怯者、負けたのに勝ったような顔する
醜い負け犬をルサンチマンというのでよく覚えて置くように。
週刊少年ジャンプにある変な漫画にもいたね。そういうやつ。
>文藝は文藝を越えない
文芸はすっかり廃れちゃったね。
美文がどうこうとか、もう若い人は見向きもしない。
>>991 「早」はもう辞めてくれ。また茶番になる。
正直、俺には中途な教養しかないし、系統的な把握は薄いが、
ニーチェの思想の情熱的体験だけでなく、認識論は網羅している。
あくまでここで認識論を語らないのはニーセさんくらいしか議論に相手にならないからだ。
とりあえず、早、はもう辞めてくれ。早ってやつは道化だ。
今の俺は道化ではない。ただ思ったことを真剣につらつら書いてるだけだ。
早、という発狂的にニーチェを体験した野郎は、周囲に9の卑俗な反発と1の熱烈な賛同を呼ぶだけで、
ニーチェスレにおけるくだらん茶葉を呼ぶだけだ。
早、に対してではなく、名無しの俺が書いた内容にレスしてくれな。
簡単に、理解してない、とか言われてもどこがどう無理解なのか指摘しなければ
議論はなりたたん。俺はあなたが思っている以上には体系的にも読んでいるが、
その全体系を集約してろ過して自分が大事だと思うポイントを述べてるだけだ。
そのポイントがあなたとズレてるなら無視してくれ。
見当ハズレと思うなら具体的に批判する、てのが哲学の筋だろう。
俺はニーチェの最も賞賛すべき点に、文体を見ただけだ。
文体とは、表情や声質のように、精神の質が出る。
とにかく、早ネタはニーチェスレ荒れる原因なるんでやめてください。
真面目なROMさんに対しても迷惑になります。俺は、一塊の名無しだ。
>>976 ニーチェとスピノザの大きな違いを、思想の内容や人格の相違を排除して、
純粋に哲学的形式の問題として考えるなら、ニーチェは日体系的で
変動的に刹那的に言いたいことを言いたいパフォーマティヴな文章で
熱弁したのに対して、スピノザは体系を重んじて、まず最初にそれぞれの
術語を全て定義してそれを構成的に組み立てた、っていう書物化に対する
態度の決定的違いがありますね。
でもそれは皮相的なも違いであり、思想内容の本質に迫ると難しい話です。
スピノザの汎神論的世界観は文学痛で詩の世界を知るニーチェに魅力に
映ったかもしれませんが、スピノザは真理を人間が得て神に告げるとともに、
神が時間を逆流させて人間に真理を伝えているという結論に達し、その真理と
いうのが、神による一元的絶対の真理だとスピノザは直観し定義したので、
ニーチェの多元的な力への意志の思想には相入れないとこがあったのかもしれません。
ニーチェの文章を引用しながら語らないと、批評だけでは何も伝わってこない。
自分の心臓に直接キタ文章なんか、あるかね。
綺麗な文体のことなら、とりあえずは小難しい漢字を使えばいいだけ。
アフォリズムなら、芥川の侏儒の言葉が至高
理性
理性のわたしに教えたものは畢竟理性の無力だった。
文章
彼等は皆樗牛のように「文は人なり」と称している。
が、いずれも内心では「人は文なり」と思っているらしい。
おしまい
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。