今から2500年前に五常(仁、義、礼、智、信)と五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)を以って 理想社会の実現を夢み、独自の哲学を持っていた孔子の教えを色々な視点から議論するスレです
あぼーん
1はどうやって孔子の漢文を読めるようになったかが知りたい
4 :
考える名無しさん :2012/02/14(火) 18:09:45.21 i
孔子 老子 荘子 どれが好き
孔子は面白いんだけど 西洋で言えばソクラテスどころか ソクラテス以前の哲学者を扱うようなテキストの断片性があるから 哲学的に扱うのは結構大変なのよね
6 :
考える名無しさん :2012/02/15(水) 10:53:34.63 0
昨年末から本を読む時間ない なんか生活にゆとりない 効率よく過ごさなければいけない 効率よく? なんの効率だ? 同じように、「役立つ」ってな指標も怪しいもんだ 保存量・・・ アイデンティティ・・・ 自分が自分であることを形作られることは、ぼくにとって、それは認められなくてはいけないことか オレは正直、なんでもない人間になりたいのだ オレはいったいなにやってんだ・・・ 何をするにしても、出来ないと思ったことはないが 何かを意欲することは、本当に難しい 生きることに目的があるとすれば、 それは死を理解することにないのではないか それは生を理解することでもあるけれども どうしてあんなに、他人の寝顔を見てると幸せになれるのでしょうか? もう、オレ自身であるための時間はそうないかもな そう思うと、いまさっき、有名な「ボルヘスとわたし」の詩を確認した
7 :
考える名無しさん :2012/02/15(水) 18:31:00.75 0
知名度は孔子が上だね
あぼーん
1の人は続けないのか・・・
11 :
考える名無しさん :2012/03/02(金) 23:25:04.45 O
子曰 學而時習之 不亦説乎 有朋自遠方來 不亦樂乎 人知而不慍 不亦君子乎 遠いところに住んでるお前らと2ちゃんを介して楽しく道について語り合えるなんて最高だね 叩かれたって恨んだりしないぜ、とりあえず君子なんだからさ お互い見識を交換して高めあおうぜ、2ちゃん最高(^O^)/
12 :
考える名無しさん :2012/03/02(金) 23:29:38.21 0
13 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 00:09:53.80 O
〇人不知而不慍
14 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 06:58:22.94 O
有子曰 其爲人也 孝弟而好犯上者 鮮矣 不好犯上而好作亂者 未之有也 君子務本 本立而道生 孝弟也者 其爲仁之本與 有若先生が云ってたよ 親御さんに親切でお兄さん・お姉さん、親類のおじさん・おばさんを大事にする人は、目上の人に逆らったりすることは滅多にないって、そしてそういう人はスレを荒らしたり人を叩いたりすることもないってね。 君子は本質をずばりと見抜いて大事にする。そこからしか自分の進むべき道は生まれてこないよ。残りは脇道だったり枝葉末節だあね。 孔丘大先生の言う仁なんて本質は親御さんを大事にして一族のお兄さん・お姉さんやおじさん・おばさんを敬う心から発展したんものだろうよ。
普段の生活ではまともなおっさんおばさんが 「2ちゃんてそういうところなんでしょ」って暴れてることが多い件
16 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 16:56:06.15 O
子曰 巧言令色 鮮矣仁 口のうまいお調子者にゃ、仁と呼べるようなのはいねぇよって孔丘先生は云うてただよ。
17 :
洋楽 :2012/03/03(土) 17:17:46.19 0
くちべたじゃ つーよーしないでしょお ふつー いいかげんにしろよ じじぃ(笑)
あぼーん
19 :
考える名無しさん :2012/03/03(土) 19:45:05.48 O
曾子曰 吾日三省吾身 爲人謀而不忠乎 與朋友交言而不信 傳不習乎 「いや、なんかあの子にあんなアドバイスしたけどあれって本当にあの子の為になったんだろうか?今日遊んだあいつのことうぜぇとか俺って考えてんじゃねぇ?読み返して気付いたが、さっきの書き込みソースねぇし、ぐぅわぁぁー、俺って最低だ〜」 と心中考えていることなどはおくびにも出さず、襟ずまいを正しながら「拙者は修養の為に、日に三度は自己反省を行っておりまする」と曾参先生がどや顔でおっしゃいました。
20 :
考える名無しさん :2012/03/04(日) 00:59:27.90 O
仁や徳をもってしても君子にはなれない 愚か者であっても勢あれば王になれる by韓非子
21 :
考える名無しさん :2012/03/04(日) 07:58:49.88 O
子曰 道千乗之國 敬事而信 節用而愛人 使民以時 戦車千台あるような大国を導くんなら、俺だったら事に当たっては慎重にして信用を獲得するようにするし、財政面では倹約し人を慈しみ大事にして、百姓を用いる場合も農閑期に限って使うんだがね。 俺が生きているこのふざけた時代は全く真逆をやっていたわけだが…
22 :
考える名無しさん :2012/03/04(日) 20:51:02.86 O
子曰 弟子入則孝 出則弟 謹而信 汎愛衆而親仁 行有餘力 則以學文 若い者は、よいですかな、お家では親御さんを大事にして、外では年長者の言うことをよく聞いて、出しゃばらず、人に信頼されるようにして、広く人々を愛して仁に親しむようにするんじゃよ。 そしてそれでもパワーを持て余すようであれば、初めて書物を読みなされ。しかし逆の順序はダメじゃ。いいですかな逆はダメですぞ。
子夏曰 賢賢易色 事父母能竭其力 事君能致其身 與朋友交 言而有信 雖曰未學 吾必謂之學矣 お前らが卑猥と猥褻を求めるあの情熱でもって賢者を賢者として好むようでなくっちゃ。 そんな風に父母に仕えるにしても全精力でもって、君主に仕えるにもその身をを捧げるが如く、友達との交際では言動に誠実さが滲み出る。 こうした野郎が「あっしは無学でどうもすいやせん」な〜んて云ったところで俺は、そいつが必ずや学のある野郎だと睨むね。 子夏さんが力こぶを作りながら夏の夕暮れ縁側で涼みながらこんなことをおっしゃっていました。
24 :
考える名無しさん :2012/03/06(火) 15:34:16.38 0
25 :
考える名無しさん :2012/03/06(火) 21:40:24.70 O
子曰 君子不重則不威 學則不固 主忠信 無友不如己者 過則勿憚改 お相撲さんがデブでなければ威圧感が出ないように、君子たる者、外面や態度が重々しくないと威厳というものが失われるものだ。 そして学問をすれば段々と頑固な自分勝手さがなくなってくる、そうさ柔軟体操みたいなもんさ。 あと浅野忠信のようなイケメンに生まれなかったからといって腐らずに、内面は真心と嘘偽りのなさが要だよ。 そんでもって交際は自分より劣る者を友達とせず。どんな過ちも改めるのに遠慮はいらねぇぜ。
26 :
洋楽 :2012/03/06(火) 22:25:50.41 0
実践しないで口だけのやつは信用できねー
曾子曰 愼終追遠 民徳歸厚矣 人の範たる君主が、早々と酒池肉林を卒業し、親の葬式に際しては心を込めてそれを執り行い、なおかつ祖先を敬い祭れば、民百姓の徳は厚くなると曾参先生がおしゃっていたような気がするんだが…
子禽問於子貢曰 夫子至於是邦也 必聞其政 求之與 抑與之與 子貢曰 夫子温良恭儉譲以得之 夫子之求之也 其諸異人乎人之求之與 子禽さんがある時、子貢さんに尋ねて云った。 「先生が2ちゃんに書き込みをすると毎度の如く安価がついて色々なことを尋ねられますが、ありゃ一体なんです?あれは先生が求めていらっしゃるんでしょうか?それとも相手から求められるよう何かしてるんでしょうか?」 子貢が答えた。「先生はもともとおだやかで感じが良くて丁寧でつつましくて控え目だから、安価が付くんだね。先生の求め方は一般の人達の物欲しげな求め方とはわけがちがうんだよ」
子曰 父在觀其志 父没觀其行 三年無改於父之道 可謂孝矣 孝行とは何かって?それはだな吉田君、パパが生きている時は、パパの理想にフォーカスしてそれを汲み取ってあげるんだよ。パパが死んじゃったなら生前の行いをよく思い出しながらじっくりその行いの意味を探ってみる。 そんな風にして三年間、パパのやりかたを改めないなら、それが孝行だぁよ!! 親父がアル中のドメスティックバイオレンス野郎だったら?どうするかって?アハハハハ、その理想がアル中という者はいないし、その行いにはその人の弱さがあった。許してやるが宜しかろう。 そして君は即座に酒と暴力を一切捨てて負の連鎖を断ち切り給え。それが孝である。
有子曰 禮之用和爲貴 先王之道斯爲美 小大由之 有所不行 知和而和 不以禮節之 亦不可行也 聖徳太子ばりに意気揚々と有若先生が云った。「礼の働きというのはですね〜、なんというんですかいわゆる和というもので貴いものとなるんですね〜。昔の偉い王様達もですね〜、和を重んじてすぐれた政治を行ったわけですね〜。 しかしながら、いわゆる小さな事から大きな事まで和だけではうまくいかない場合があるわけですね、はい、 和を重んじて調和を生み出そうとしてもそこに礼儀によってなんというでしょ〜、キリッとパリッとしないとなかなかこう、そうです、ええ、うまくいかないものなんですね〜」
有子曰 信近於義 言可復也 恭近於禮 遠恥辱也 因不失其親 亦可宗也 有若先生が再び云った。 「いわゆるですね、約束を守る誠実さというものはですね、正義に近しいものなわけで、だからこそその言葉も実行されんですねぇ、ええ。 そしてですよ、うやうやしさというものもですね〜、言わば礼に近しいものだからこそ、恥をかいたり辱めから遠ざかることができるわけなんですよね〜。 つまりですよ、なんと言いますか〜、正義や礼儀は中心なわけですよ、分かりますか?中心です中心。 そしてそれに親しい関係の誠実さやうやうやしさが失われてなければですね、中心の方もだいたい大丈夫なんじゃないだろうか、多分大丈夫だろうと、私はですね〜ええ、だいたいそう考えますね〜」
子曰 君子食無求飽 居無求安 敏於事而愼於言 就有道而正焉 可謂好學也已矣 孔丘大先生がおっしゃた。 「君子は美味いものをたら腹食べることを求めもしないし、住まいのゴージャスさや安楽さを求めたりもしない。 事にはテキパキとあたり、無駄口は叩かない、そして道に従ってしっかりと己を正す。こうした人ならば好学の士と言えるだろうさ」
子貢曰 貧而無諂 富而無驕 何如 子曰 可也 未若貧而楽道 富而好禮者也 子貢曰 詩云 如切如磋 如琢如磨 其斯謂與 子曰 賜也 始可與言詩已矣 告諸往而知來者也 子貢さんが先生に尋ねた。「貧しいのにペコペコせず、金持ちでも威張らないなら、先生、どんなもんです?」 先生が答えた。「まだまだじゃよ。負け組と言われても道を楽しみ、勝ち組と言われても礼を好む者には敵わんな、ダハハハ」 子貢さんが云った。「昔のポエムで云うところの、 ♪切る如〜く、磋〜るが如〜く、琢つが如〜く磨く〜が如〜く♪ と歌っているのはそういう意味なんでしょうね」 先生が云った。「賜ちゃんは偉いね。それでこそポエムが語れるというものじゃわい。一を知って十を知るんだからね」
35 :
考える名無しさん :2012/03/13(火) 23:25:24.56 O
子曰 不患人之不己知 患己不知人也 先生が呟いた。 人が自分を理解しなくたってクヨクヨするな、自分が人を理解してあげられてるか、それこそが問題なのだ、真心を君に…
子曰 爲政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之 徳を以って政治をするってぇ〜のは、例えていうならば、北極星にドンとあぐらをかいて居座るようなもんだよ、周りの有象無象のキラキラ星君達はそれを中心にメリーゴーランドのようにグルグルと回り続ける。
子曰 詩三百 一言以蔽之 曰思無邪 詩経所収の詩三百篇を一言で申すならばこうだろうな… その思いに一片の邪なし(ラオウ調)!! ゴォーーーーー
子曰 道之以政 齊之以刑 民免而無恥 道之以徳 齊之以禮 有恥且格 孔丘先生がおっしゃってたね〜。 「法令や条例で行動を規制し、違反すれば罰金や刑罰で人を矯正しようとする。このような方法では一度それから人が免れればもう恥じようともしなくなる。 他方、自らお手本を示して徳と礼を以ってその人を教育すれば、恥を知り尚且つその人もまた他人のお手本となり人を導く人となろう。 One by one 繋げよう徳と礼の絆そして未来の子供達へと、ほら見てご覧、赤い明日の風船が飛んでるよ…」
子曰 吾十有五而志乎學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩 先生が過去をふりかえりながらしみじみ云った。 「盗んだバイクで走りだしたりはしなかったものの軽い厨二病だった私がそれではいかんと学問を志したのは15歳の頃だよ。 そんでもってようやく一人前になれたのは30歳の頃だね。この人類史に残る偉大な私でさえ一人前になれたのは30歳の頃なんだから。諸君らは焦らなくたっていいんだよ。 さてそれで40歳の頃には迷いが消えたよね。それから50歳の頃になってやっと自分の天から与えられた使命とその限界を覚ったよね。 その後、60歳にしてやっと人に意見に素直に従えるようになった。 70歳で自分の欲に従って生きても道を踏み外さないようになったね。 まとめるとだな。 15歳までは遊んでてもいいよ。 30歳までは一人立ちできなくてもいいよ。 40歳までは迷っててもいいよ。 50歳までは自己を知らず天命を自覚できなくてもしょうがないよ。 60歳まで人の意見が素直に聞けなくもしょうがないよ。 70歳までは思うように振る舞うと道を踏み外すから気をつけようね。 こんなところさ
孟懿子問孝 子曰 無違 樊遲御 子告之曰 孟孫 問孝於我 我對曰無違 樊遲曰 何謂也 子曰 生事之以禮 死葬之以禮 祭之以禮 魯の国の家老である孟懿様が孝について先生に尋ねられた。先生は一言、「違わないように」とのみ答えられた。 帰り道で先生の運転手をしていた樊遲さんに先生がおっしゃった。「孟孫が、孝のことを聞くもんだから、違わないようにと一言だけ答えておいたよ」 「どんな意味です?」と樊遲さん。 「両親が生きている時は礼をもって仕え、死んで葬式をする時も礼をもって送り、その後、祭る時も礼をもってする。 どんな時も礼に則って違わないようにすることが孝というものなんだね。」
42 :
考える名無しさん :2012/03/18(日) 19:43:50.14 O
孟武伯問孝 子曰 父母唯其疾之憂 孟懿様のご長男の孟武様が先生に孝について尋ねられた。 先生は「両親にはその高血圧やら糖尿病やら病気の心配だけをさせておくように」とのみおっしゃった。
子游問孝 子曰 今之孝者 是謂能養 至於犬馬 皆能有養 不敬何以別 子游ッチが先生に孝について尋ねた。先生は云った。 「現今では親をしっかり養えれば孝行だという風潮があるみたいだね。 しかしだな、子游や、ペットの犬でも馬でもみんな十分養っているんじゃないかい? 敬う心がなければ、ペットを飼うのと違いがなくなってしまうよ。」
子夏問孝 子曰 色難 有事弟子服其勞 有酒食先生饌 曾是以孝乎 子夏さんまでもが先生に性懲りもなく孝について尋ねた。 先生が答えた。 「繕わないという点では顔の表情が一番難しいね。 仕事があれば若い者が率先してやる。酒や肴があればまずは年長者に勧めるってだけじゃ、まだまだ孝とは言えないね。 形式的に行動してるだけだと、親ならすぐ表情で分かってしまうからね。」
子曰 吾與囘言終日 不違如愚 退而省其私 亦足以發 囘也不愚 先生が顔回さんを評しておっしゃられた。 「回ちゃんと一日中話をしていると、うんうん頷くばかりで全然反論しないから、こいつもしやおバカさんではあるまいかと思えてくる。 そんでもって回ちゃんと別れてから、訝しく思って、深夜にじっくりとその人となり、普段の行動や言動を反省してみると、バカっぽいどころか猛烈に利発であるのが十分過ぎるぐらいよく分かる。 そんなわけで、なんだかバカっぽい回ちゃんだけど、そこらへんの馬の骨とは全然違うんだよ。やっぱりあいつは出来る子だあね。」
子曰 視其所以 觀其所由 察其所安 人焉广+叟哉 人焉广+叟哉 孔丘先生がおっしゃられた。 「その人の行動を観察するに、どのような手段を選択するか、その行動がどんな理由や動機によるのか、そして最終的にどんな結果に行き着くのかを抑えておけば、その人のだいたいが分かるよ。」
いつも楽しみにしてます
子曰 温故而知新 可以爲師矣
先生がおっしゃられた。
「おほん、人の師になる条件はだな…
お前ら言わなくたってもう分かるよなwww」
>>47 ありがとうございます
子曰 君子不器 孔丘先生が丸いお椀を持ちながらおっしゃった。 「君子はこのお椀のように限定された用途では評価されえない 。そして器が大きかろうが小さかろうが、それも君子の条件ではないんだよ。」
子貢問君子 子曰 先行其言 而後從之 ペラペラと口の達者な子貢さんが先生に君子の条件について尋ねた。 先生がおっしゃった。 「口でゴタゴタと言う前に黙って行動するのが君子だね。そして言葉は行動の後に付いて来ればそれでいい。」
君子周而不比 小人比而不周 先生が吐き捨てるようにおっしゃった。 「君子は誰にでも分け隔てなく接してえこ贔屓する事はないが、幼稚な人間はえこ贔屓は得意だが、人に分け隔てなく接するということができない。」
子曰 學而不思則罔 思而不學則殆 私のメモ帳に先生から言われた心に残る言葉が書き記されている。 あの夏、私はまだ先生に入門したばかりで右も左も分からぬ子供だった。 そんな私に初めて先生がおっしゃられた。 「いいかい、本で読んだり、先輩に教えられたことというのは、後で何度もその内容を自分なりに考え、きちんとその意味を咀嚼し反芻し消化して、それで初めて自分のものになるんだよ。 そうしなければ物事の明確な理解というものは得られないんだね。 でも他方で、盲滅法に独りよがりで思索ばかりしていても、他人の考えを取り入れたり傾聴する姿勢がないと客観性が失われて、ただの妄想に堕っしてしまうから気をつけないといけないね。」 悔恨と共に孔丘先生の思い出に寄せて 蝉の声わが師のvoiceと重なりて思へば罔く歳ぞ過ぎける
子曰 攻乎異端 斯害也已矣 先生がおっしゃられた。 「奇矯な意見や物事の本質から外れた事を熱心に追求するのは、害しかないよ、概して人は珍奇なものや目を驚かせるものを好む習性があるからそういうものに目がいきやすいんだけどね。」
子曰 由 誨女知之乎 知之爲知之 不知爲不知 是知也 「由ちゃんや、今日はお前に知とは何か教えようと思う。知っていることについては、はっきり知っているものとし、知らないことについては自分をごまかさずに正直に知らないものとする、つまり自分の知っていることと知らないことの境界を理解するこれが知だよ。」
子張學干祿 子曰 多聞闕疑 愼言其餘 則寡尤 多見闕殆 愼行其餘 則寡悔 言寡尤行寡悔 祿在其中矣 子張さんがどうしても公務員やサラリーマンの心得を学びたがっていたので先生がおっしゃられた。 「周りの先輩から多くを聞いてその中で疑わしいのは省いて、残ったことを慎重に口にすれば、言葉でのヘマは少なくなる。 さらに人の行動をたくさん観察して、危なっかしいところは真似せず、その残りを慎重に行えば、しくじって後悔することも少なくなる。 言葉での失敗が少なく、行動での後悔も少ないならば自然と給与もついて回るんじゃないかな。でも残念ながら大金はついて回らんよ、ダハハハハ」
ダハハハってw 勉強になるなぁ
哀公問曰 何爲則民服 孔子對曰 擧直錯諸枉 則民服 擧枉錯諸直 則民不服 魯の国の君主である哀公様が尋ねられた。 「ちと尋ねるが、どうしたら民百姓は素直に余の言うことを聞くようになるだろうか。」 孔丘先生がそれに対して答えた。 「正しい人達を曲がった人達より上のポストに配置すれば、民百姓は素直に言うことを聞くようになるでしょう。 曲がった人達を正しい人達よりも上位のポストにするなら、民百姓は、ふざけんな、なにもかも真面目にやってるのがバカらしくなった、こんちきしょーと言って殿の言うことをきかなくなります。」
季康子問 使民敬忠以勸 如之何 子曰 臨之以荘則敬 孝慈則忠 擧善而教不能則勸 若くして魯の国の家老となった季康様が、民百姓がお上を敬い、そして忠実に国に尽くし、遮二無二に仕事をするようになるにはどうしたらいいか尋ねられた。 先生がおっしゃられた。 「民には荘重さをもって接すならお上を敬うようになるでしょう。 そしてあなた様がご両親には孝を尽くし、民百姓には慈愛を以って接するなら彼らは忠実となるでしょう。 善人を登用し、能力のない者でも切り捨てず、細やかに仕事を教えれば、人は励むようになるでしょう。」
或謂孔子曰 子奚不爲政 子曰 書云 孝于惟孝 友于兄弟 施於有政 是亦爲政也 奚其爲爲政 ある人が孔丘先生に尋ねた。 「先生は、偉そうなことばっか言ってますが、なんで政治家にならんのです?」 先生がおっしゃった。 「書経にこんな一節があるね。 いや〜孝だね全く孝行だね〜 そして兄弟仲も円満だ〜 家の中は正しく取り仕切られている。 国を治めるにはまず家を治める、そして家を治めるには身を治める、身を治めるには心を治めるって読んだことない? ともかく家を治めることは政治の端初だよ、だからそれを人々に教えている私は迂遠な方法のようだが本質的に政治を行っていると敢えて断言させてもらうよ。」
子曰 人而無信 不知其可也 大車無車+兒 小車無車+兀 其何以行之哉 その人の言動に信がなければ、もうどうしようもないね。牛と牛車あるいは馬と馬車を結ぶくびきがないのと一緒だね。そんなんでどうやって進むんだっていうの。
子張問 十世可知也 子曰 殷因於夏禮 所損益可知也 周因於殷禮 所損益可知也 其或繼周者 雖百世亦可知也 子張さんが質問した。 「先生、今の王朝から十代先の王朝のことも予測することはできますか。」 「勿論だよ。だってお前、殷王朝っていうのはその前の夏王朝の制度を継承してるんだよ、まっ、付け足したり省いたりしたところもあるけどその理由はだいたい分かるだろ。 そして周王朝は殷王朝の制度を受け継いでいて、これもまた足し算引き算色々して制度が成り立っているけど、その理由も分かるってもんだね。 こんな調子で百代先まで分かるよ。嘘じゃないよ。だって周に継ぐのは秦王朝だし、その後は漢王朝だろ、そして三国志の時代で、晋王朝、それで色々分裂して隋王朝、唐王朝と続いて また色々あって宋王朝、そんでもって元王朝、明王朝、清王朝、中華民国、そして中華人民共和国だろ、中華人民共和国の制度なんて結局夏王朝とだいたい一緒だわな!w この先も分かるんだけど、もう日も暮れたから今日はこのぐらいで終了ねw」
子曰 非其鬼而祭之 諂也 見義不爲 無勇也 祭るべきでもない死者を祭るのは、胡麻すりのへつらいに過ぎない。正義と知っていて行わないのはチキンだからだ。
63 :
考える名無しさん :2012/04/05(木) 18:50:27.90 O
孔子謂季氏 八イツ舞於庭 是可忍也 孰不可忍也 孔丘先生が魯の実権者であった季氏一族を評して言った。 「天子にのみ許された64人の群舞を庭で行うとは!! これには温厚な俺もかなりムカついた(=`〜´=) これをムカつかずして何にムカつくってぇーだよp(*`O´)/」
三家者以雍徹 子曰 相維辟公 天子穆穆 奚取於三家之堂 魯の実力者である季孫氏・仲孫氏・叔孫氏の三家は、お祭りに於いてお供え物をさげる際に、天子の歌である雍を演奏していた。 先生がおっしゃった。 「歌の内容といえば、 ♪諸侯達が取り巻き手伝うYO そして天子様はニコニコ穏やかだ〜YO♪ ってなってるじゃないか。 これのどこが家老風情のショボい祭祀に相応しいっていうんだYO。」 そして孔丘は激怒した。
子曰 人而不仁 如禮何 人而不仁 如樂何 先生が言われた。 「儀礼や音楽について普段やかましくお前達にいってるが、人の心に仁がなければ、礼儀などなんの役にもたたないよ、 人の心に仁がなければ、音楽だって同じことだよ、全ては仁があってこそだよ。」
林放問禮之本 子曰 大哉問 禮與其奢也寧儉 喪與其易也寧戚 かの有名なるリンポー(註:ジャッキー・チェン映画の名脇役タイポーとは別人)が礼の根本を尋ねた。 先生が言った。 「またリンポーったら大上段に大きく振りかぶってきたね。 祭礼はピカピカパキパキで豪奢にするよりかは奥ゆかしく慎ましいのがいいね。 お葬式では万事整って一分の隙もないよりかは、悼む心を大事にしたいよね。」
子曰 夷狄之有君 不如諸夏之亡也 「辺境の野蛮人といえども自分達を統べる君主がいる。彼らでさえ我々のような国を一つにまとめる君主がいない情けない状態に陥ったりはしていないのだ。shit!!」
季氏旅於泰山 子謂冉有曰 女不能救與 對曰 不能 子曰 嗚呼 曾謂泰山不如林放乎 季氏一族が又してもやっちまったらしく泰山を祭る旅の儀式を執り行おうとしていた。 先生が冉有さんに言った。 「なんとかお前、やめさせられないかね。」 「先生、自分には無理っす。」 「ああ、泰山の神様が以前私に礼儀を尋ねたあの有名なリンポーよりも礼儀に疎いとでも思っているのか!!oooh!!fuck!!」
子曰 君子無所爭 必也射乎 揖讓而升下 而飲 其爭也君子 先生がおっしゃった。 「君子は競争主義と対極の位置にあってガツガツ人と争うということがないんだよ。しいて争うというなら弓とかダーツぐらいなもんだろうな。 挨拶して互いに譲り合って位置に付き、負けたほうが一杯飲まされる。こういうのが君子の争いなんだね。」
子夏問曰 巧笑倩兮 美目ハン兮 素以爲絢兮 何謂也 子曰 繪事後素 曰禮後乎 子曰 起予商也 始可與言詩已矣 子夏さんが尋ねた。 「巧みにも笑う様にはえくぼありて♪ いとパッチリの瞳こそ美しかりけれ♪ これやこれ素地に加わるあや模様かな♪ というのは何の意味でげすか?」 孔丘先生がクリクリな両眼を光らせて微笑みつつ答えた。 「絵を書くときは白地に色々加えていくよね。物事はそうあるべきって事じゃないかな。」 「それじゃ例えば礼儀なんてもんは色々な教養の最後の仕上げに加わるものでげすね。」 「商ちゃんは、目が覚めるようななかなかいいこと言うね。それでこそ一緒にポエムを語れるってもんだね。」
子曰 夏禮吾能言之 杞不足徴也 殷禮吾能言之 宋不足徴也 文獻不足故也 足則吾能徴之矣 夏王朝の儀礼制度のことなら私は色々熱く語ることができるが、如何せん夏王朝の子孫が現在住んでいる杞の国に残っている記録がほんの僅かだから、ソースの不足は否めないんだよな。 殷王朝の儀礼制度についても状況は一緒で、子孫がすむ宋に私の見解を補強するような記録がないんだよね。 文献が不足してるんだよ。 文献が十分あれば私の見解を論拠と共に500ページの論文に物して発表するんだが…
子曰 テイ自既灌而往者 吾不欲觀之矣 先生がおっしゃった。 「始祖の廟で全ての祖先の位牌を一堂に集めてお祭りするテイの儀式があるだろ、 あれでチューリップ酒を藁に注ぐ所以降は腹が立つからもはや見る気が起こらなくなるんだよ。」
子曰:「吾未見好コ如好色者也。」9:18 子曰:「已矣乎!吾未見好コ如好色者也!」 15:13 先生が言われた。 「私はまだ美人を好むように徳を好む人を見たことがない。」
或問テイ之説 子曰 不知也 知其説者之於天下也 其知示諸斯乎 指其掌 ある人がテイの儀式の説明を求めた。 先生がおっしゃった。 「わしゃ知らんよ。それを説明できる者は、全世界をこうやってこの中に見るようなものだろうね。」そういって掌を指差した。
祭如在 祭神如神在 子曰不與祭 如不祭 先祖をお祭りする時はご先祖がいらっしゃる如く、神様をお祭りする時は神様がそこにいらっしゃる如くって言うけど、 自分の用事でお祭りに参加できなかった時なんかは、お祭りが行われなかったような気がするね。そういう点ではお祭り男とは俺の事だよ、ダハハハハ
王孫賈問曰 與其媚於奥 寧媚於竈 何謂 子曰 不然 獲罪於天 無所祷也 衛の権臣であった王孫賈が先生に謎をかけた。 「家屋の奥て改まって竈の神に媚びるぐらいなら、竈で直接媚びればいいじゃないかって諺はどういう意味でしょうな、グフフフフ」 「いやいや、それは王孫賈様違いますな。」先生がおっしゃった。 「天に恥じるような罪を行ってしまえば、媚びようが祈ろうが何の意味もなさなくなりましょう。あなたは何でもオブラートに包んで分かりづらくお話しなさる。 はっきり断言致しますが、あなた様のご機嫌取りなどゴメンですよ。」
子曰 周監於二代 郁郁乎文哉 吾從周 周王朝と夏・殷の二代の王朝を比較検討すれば、夏と殷の制度から発展して出来上がった周王朝は、なんともまあ立派だあね。私は周の儀礼制度に従うよ。
子入大廟 毎事問 或曰 孰謂スウ人之子知禮乎 入大廟 毎事問 子聞之曰 禮也 先生が大廟での儀式の際に、ことあるごとに側の者に質問し確認していた。ある人が言った。 「スウの小役人の小伜が礼に詳しいといったのは、誰だろうか、いちいち儀式の際に周りの者に聞いてるじゃないか。」 それを聞いて先生がおっしゃった。 「慎重に慎重を重ねて、分からないことは素直に分かる人に聞いて間違いのないようにする、へりくだることこそ礼だよ。」
子曰 射不主皮 爲力不同科 古之道也 先生がおっしゃった。古来のやり方というのは今と違っているね。弓試合では的である皮を射ることを第一とはしていなかった。つまり結果ばかりにこだわったりはしなかったんだね。 あと人々に力仕事をさせるときもそれぞれに応じて仕事を割り振っていた。頭数を揃えることにこだわらずそれぞれが個性を発揮できるよう人々には細やかに仕事を配分していたんだね。 結果や数といった抽象的なものの追求に汲々とせず、生きている人々をいたわり活かすのが古来の作法なのさ。
子貢欲去告朔之キ羊 子曰 賜也 女愛其羊 我愛其禮 子貢さんが形骸化していた告朔の儀式で供える羊の犠牲を動物愛護の精神からやめるよう運動していた。 先生がおっしゃった。「賜ちゃんや、お前は羊に対する動物愛護の精神からそれをやめるよう進言しているんだね。私は儀礼愛護の精神から続けた方がいいと思うだがね…」
81 :
考える名無しさん :2012/04/22(日) 20:27:17.91 O
子曰 事君盡禮 人以爲諂也 主君に仕えるのに礼を尽くせば、人は私をごますりのへつらい野郎と呼ぶ、しかしそれが一体どうしたというのだ…
定公問 君使臣 臣事君 如之何 孔子對曰 君使臣以禮 臣事君以忠 魯の君主である定公様が孔丘先生の下問なされた。 「君主が臣下を用い、臣下が君主に仕えるにはどのようにするのが理想なのかの〜」 「恐れながら陛下に謹んで申し上げます。君主が臣下を用いるには礼をもってし、我が儘し放題であってはいけません。臣下が君主に仕えるには真心をもって仕えねばなりません。」
子曰 關雎 樂而不淫 哀而不傷 先生がおっしゃった。 「クアンクアンとみさご鳴きぬる河の洲に乙女麗し君が妹かも♪ って詩経の冒頭にある關雎の楽曲は、始めは楽しげでありながら腰を振りたくなるような卑猥さはないし、 後半なんかはどこか遠くにさらわれるような哀感を滲ませつつも、決して感傷には陥いってない。なんつーか絶品なんだよね。ウフッ」
哀公問社於宰我 宰我對曰 夏后氏以松 殷人以柏 周人以栗 曰 使民戰栗 子聞之曰 成事不説 遂事不諌 既往不咎 哀公様が宰我さんにそれぞれの王朝が土地神のかたしろとして樹木を用いる社のいわれを下問された。 宰我さんが答えた。 「夏王朝は松を用いました。殷王朝は柏を用いました。周王朝は栗を用いました。栗を用いたのは民を戦慄させる為だと言われております。 ちなみに松は民が仕事をするのをアタシ笑って待つわという意味であり、柏は民が仕事をしたらアタシ拍手しますわよという意味だとは言われておりませんです。はい。」 先生がこのことを人づてに聞いておっしゃった。 「できてしまったことで説教したり、やっちまったことを諌めたり、既に終わったことでごたごた言うのはもうよそう。わしゃ今夜はハムナプトラを見てさっさと寝るよ。」
子曰 管仲之器小哉 或曰 管仲儉乎 曰 管氏有三歸 官事不攝 焉得儉 然則管仲知禮乎 曰邦君樹塞門 管氏亦樹塞門 邦君爲兩君之好 有反テン 管氏亦有反テン 管氏而知禮 孰不知禮 先生がおっしゃった。 「斉の宰相であった管仲は人間としては小さい器だね。」 ある人が言った。 「管仲は倹約家であったそうじゃありませんか。」 「いやいや。管仲には三人も奥さんがいた。 後、家臣は完全分業制で仕事を掛け持ちさせなかった。これでどうして倹約といえるだろうか。」 「それでも管仲は礼儀を知っていたじゃありませんか。」 「門の内側に大きな塀を立てて内部を見えないようにするのは一国の君主にのみ許された特権だが、管仲の家には同じような塀があった。 さらには他国の君主が訪問してきた時に友好の為に酒を交わす杯を載せる台を設けるが、これも君主にのみ許された特権だが、管仲も同じようなのを設けた。管仲が礼を知っているなら、礼を知らない人間なんてこの世からいなくなるよ。 才能は多いにあったろうがへりくだることができないのは器が小さいからだよ。」
子語魯大師樂曰 樂其可知也 始作翕如也 從之純如也 キョウ如也 繹如也 以成 先生が魯の総合音楽プロデューサーにミュージックについて語った。 「こういうのがミュージックなんだよな。つまりさ〜、入りのタイミングは鳥の群れがいっせいに飛び立つようにブワァってやるわけよ、そしてそこから心を溶かすハーモニーでテーマを提示するさ。 でもってそれぞれのパートが鮮明なソロパートで個性を主張し合えば、そこからは延々とそれぞれが絡まり合いながら多様なる展開へと続くわけ。それで一つの曲が出来上がるのさ。分かったならユーも一発かましちゃいなよ。」
儀封人請見 曰 君子之至於斯也 吾未嘗不得見也 從者見之 出曰 二三子何患於喪乎 天下之無道也久矣 天將以夫子爲木鐸 地方の儀の町に赴任していたミーハーな国境守備隊長が先生に会見を申し込んだ。 「おらえの町さ来たお偉い先生方にゃ会えなかったことは一度もねぇだよ、孔子様さ会わせるだよ。」 先生のお供の者が勢いに負けて会見をセッティングした。 会見が終わって感激した隊長が言った。 「お弟子さんがた、国ば離れてあちこち流浪したがらって心配すんなや。天下の道が失われてもうだいぶ久しくなるっけども、 天はあの先生に木鐸のようにカンカン音を鳴らさせて世の中の師として教えを広めさせるつもりだべさ。こんな田舎もんだけどおらの意見に間違いはないだよ。」 まさか自分の言葉が2500年も残ろうとは思ってもいない隊長であった。
子謂韶 盡美矣 又盡善也 謂武 盡美矣 未盡善也 先生が舜の音楽として伝わる韶を評しておっしゃった。 「あれは美を尽くし、そして善を尽くしている。パーフェクト。」 次に周の武王の音楽を評しておっしゃった。 「美を尽くしているが、まだまだ善を尽くしているとはいえないやね。やっぱり韶最高っす。」
子曰 居上不寛 爲禮不敬 臨喪不哀 吾何以觀之哉 人の上に立ちながら寛容さを持ち合わさず、礼に於いて敬う心なく、葬いで哀悼の気持ちがない人間を何と見たらいいのだろうか。人としてどうしようもないのは確かだね。
孔子の話聞いてるとムカムカくるぜ 目の前に居たら殴り飛ばしてやる
91 :
考える名無しさん :2012/04/30(月) 20:31:57.20 O
昔格闘技やってた時にハワイ出身の2メートルの奴とやりあった経験から言わせると、ニヤニヤしながら
>>90 のことを応援はするがお勧めはしないね。
ちなみに孔子の身長はwikiだと216pだぞW
えええ でかい
>78 だから俺は、目上の者に先んじて礼を行うなんて不遜な事はしない ところが俺は、自分より格下の者に会った事がないので、礼を行う機会も無いだろう
子曰 里仁爲美 擇不處仁 焉得知 先生がおっしゃった。 「人の立ち位置は仁であってこそ素晴らしい。 わざわざ仁の立ち位置から離れるとしたら、 そのような人はなんつうか頭悪いよね。」
子曰 不仁者不可以久處約 不可以長處楽 仁者安仁 知者利仁 「不仁の人は長い間、窮乏生活には耐えられない。 また安楽な生活にも長くは留まれない。 心が常に動揺するから。 しかし仁者は仁に留まって安んじていられるから、 順境だろうが逆境だろうが、なんでもこいだな。ガハハ。 知者は仁であることの利点をよく知っているから、これも心配ないね。」
子曰 惟仁者 能好人 能惡人 「仁者のみがよく人を愛することができ、よく人を憎むことができる。 不仁の人は悪しく人を愛し、悪しく人を憎む。」
子曰 苟志於仁矣 無惡也 人が僅かでも仁に志すなら、悪いことなどやがてなくなっていくだろう。
子曰 富與貴 是人之所欲也 不以其道得之 不處也 貧與賎 是人之所惡也 不以其道得之 不去也 君子去仁 惡乎成名 君子無終食之間違仁 造次必於是 顛沛必於是 先生がおっしゃた。 「富貴は人の求めるものだが、正しい生き方をして得たものでなければ、そこにあぐらをかいたりしない。 貧しさと下っ端な仕事は人が嫌がるものだが、正しい生き方で仮にそうした地位を得たならば、避けたりはせず、そうした境涯を黙って甘受する。 おお君よ、仁を忘れて君子たるものどうやって。名誉を得るというのか。 君子は明太子でご飯を大盛り三杯食べてる間も仁から離れることはない。 サザエさんの如くにウンガフフの時も仁から離れず、 バナナで転びそうになった時でさえ仁と一体でなければならない。」
子曰 我未見好仁者惡不仁者 好仁者無以尚之 惡不仁者其爲仁矣 不使不仁者加乎其身 有能一日其力於仁矣乎 我未見力不足者 蓋有之乎 我未之見也 先生がおっしゃった。 「拙者はいまだに真に仁を好む者や不仁を厭う者を見たことがありませんですじゃ。 仁を好む者には何も付け足す必要もありません。 不仁を厭う者はそれには劣り、消極的に仁をなすと言えましょうが、 まあ立派な者ですね、不仁の者から影響を受けないんですから。 徹底的に一日を仁で貫き通して腕まくりで力んでみたからといって、 それをする力に不足しているものなど見たことないですな。 まあ、そういう人ももしかしたらいるかもしれませんが、見たことはないですな。 仁を実践する力は何も大袈裟なものではない。本当は簡単なんです。」
子曰 人之過也 各於其黨 顴過斯知仁矣 人の失策(ヘマ)というものは、同じ類の人間ならだいたい共通するものだ。 人の過ちを観察することで、その人がどの程度の仁者なのか知ることができるね。
子曰 朝聞道 夕死可矣 早朝一番朝一番にいかに生きるかそのことを 示してくれるそんな道を聞くことができたなら 僕は朝顔のように夕方に死んだって構わない そんな道が好きだから、だから僕と結婚して下さい
先生意味がわかりませんw
103 :
考える名無しさん :2012/05/09(水) 18:26:32.88 O
子曰 士志於道 而恥惡衣惡食者 未足與議也 先生がおっしゃった。 「男一匹道に志して、ファッションセンターしまむらの服とか、 晩御飯がご飯ともやしの炒め物とかで恥じているようじゃ、 お話になりませんですな。」
104 :
考える名無しさん :2012/05/10(木) 20:14:21.59 O
子曰 君子之於天下也 無適也 無莫也 義之與比 漢一匹天下を行くに、 物事に対しては、極端な好悪の情は抱かぬものさ。 ただただ正義に親しむばかりだ。
子曰 君子懐徳 小人懐土 君子懐刑 小人懐惠 人の上に立つべき君子が徳を思えば、下の人達は安心して大地のことを楽しく思い、農作業などに従事するようになる。 人の上に立つべき君子が報償や刑罰ばかりを追求し始めれば、下の人達はこせこせと恩恵ばかりを思うようになる。
子曰 放於利而行 多怨 先生がおっしゃった。 「利益の追求にあくせくとしてそれに流さてばかりいると、 怨まれることが多くなるから気をつけてよね。」
子曰 能以禮讓爲國乎 何有 不能以禮讓爲國 如禮何 先生がおっしゃった。 「礼讓の精神を以て国を治めるのに何の困難があろう。 もし礼讓の精神で国が治まらぬとしたら、礼儀とは一体何だというのか。」
子曰 不患無位 患所以立 不患莫己知 求爲可知也 社会の底辺にいるからってクヨクヨするな、 人の上に立つだけの正当性こそ考えろ。 人に認められないぐらいで思い悩むな、 人に認められるだけのことするよう心がけよ。
109 :
考える名無しさん :2012/05/15(火) 21:19:02.26 O
子曰 參乎 吾道一以貫之哉 曾子曰 唯 門人問曰 何謂也 曾子曰 夫子之道 忠恕而已矣 大先生がおっしゃった。 「參ちゃんや、私の道はある一つの事柄をもってワイルドに貫かれているんだぜ〜。」 曾先生が答えられた。 「左様でございますな。」 曾參先生の門人がその意味を尋ねたので曾參先生が答えられた。 「大先生の道とは、己の良心に忠実であることと、他人に対する思いやり、 つまり忠恕に尽きるってことだね。うん、多分だけどねw。」
子曰 君子喩於義 小人喩於利 君子は義に敏感だが、ろくでもない連中というのは利益にばかり反応する。
111 :
考える名無しさん :2012/05/17(木) 23:13:21.31 O
子曰 見賢思齊焉 見不賢而内自省也 賢い奴を見たら見習え アホっぽい奴を見かけたら戒めにしろ
子曰 事父母幾諌 見志不從 又敬不違 勞而不怨 お父さんお母さんに子として仕えるにあたって何か諌める際は、 気持ちを傷つけないように穏やかにするべきだね。 それでも頑固一点張りにこちらの意見を聞かないようであれば、 敬ってあまりこちらから無理強いしてはいけない。 心配はするが、言うことを聞かないからって「このバカ親め!」なんて思っちゃいけないよ。
113 :
考える名無しさん :2012/05/19(土) 06:53:47.91 O
子曰 父母在 子不遠遊 遊必有方 お父さんお母さんが生きている間は 遠くへ長期の旅行はしない。 旅行する場合も行く先を定め、放浪の旅はしない。
子曰 父母之年 不可不知 一則以喜 一則以懼 お父さんお母さんの年齢は知っておきたいね。 一つは長生きを喜ぶ為に。 もう一つは、老い先を気遣う為に。
子曰 古者 言之不出 恥躬之不逮也 昔の人は滅多に宣言したりしなかった。 言葉通りの実践ができずに終わる言行不一致を恥じたからだ。
子曰 以約失之者 鮮矣 慎ましくしていて失敗するなんて滅多にないよ。 まっそれだけなんだけどね。
117 :
考える名無しさん :2012/05/23(水) 19:56:40.41 O
子曰 君子欲訥於言 而敏於行 君子は言論では寡黙でいい、 行いさえ機敏であれば。
子曰 徳不孤 必有鄰 徳というものは絶対に孤立しない。 一つの美徳には様々な美徳や福徳が付き従い。友人や仲間の輪ができる。
119 :
考える名無しさん :2012/05/25(金) 09:14:39.49 O
子游曰 事君數斯辱矣 朋友數斯疏矣 子游さんが言った。 「君主に仕えるに、口うるさくしていればやがて辱めを受ける。 友人に口うるさくしていれば、やがて疎んじられる。」
120 :
考える名無しさん :2012/05/26(土) 07:13:58.67 0
子曰 巧言令色 鮮矣仁 子供が言った。 「うまくしゃべって色に命令する、新鮮だなあ、ジーンと来るよ。」
中国って孔子をバカにしてる? 孔子平和賞とか孔子学院とか
122 :
考える名無しさん :2012/05/26(土) 18:42:01.01 O
子謂公治長 可妻也 雖在縲絏之中 非罪也 以其子妻之 「公治長にはワシの娘を嫁にやってもいいなw ムショにぶち込まれてるとはいえ、奴の罪ではない。」 そういって先生は公治長さんが出所してきたら、周囲の目など全く気にせず娘さんを公治長さんの嫁にやってしまった。 >>中国はどっちかというと孫子権謀術数賞とか始皇帝独裁者賞とかがいいかもですね
子謂南容 邦有道 不廢 邦無道 免於刑戮 以其兄之子妻之 南容さんを評して先生がおっしゃった。 「国家が正しい道に従って運営されている時は、奴なら決してリストラされたり左遷されたりということがないだろうな。 そしてたとえ国が乱れたとしても刑罰を受けたり殺さたりすることもないだろうな。」 そういうと先生はご自分のお兄さんのお嬢さんを南容さんのお嫁さんにやってしまった。
子謂子賤 君子哉若人 魯無君子者 斯焉取斯 先生がお弟子の子賤さんを評しておっしゃった。 「ああいうのが君子ってもんだね。 しかし、魯の国にたくさんの君子が模範としていなかったなら、 子賤ちゃんもあそこまで立派に地方官はつとまらなかっただろうさ。」
125 :
考える名無しさん :2012/05/29(火) 20:58:51.46 O
子貢問曰 賜也何如 子曰 女器也 曰 何器也 曰 瑚レン也 子貢さんが先生に好奇心から尋ねた。 「先生の私の評価はどんなもんでしょう?」 「お前は器だよw」 「ちょw先生w君子は器じゃダメだって言ってたじゃないっすかwちなみにどんな器っすか。」 「お前は宗廟でお供え物を盛る立派な器だよw」
或曰 雍也 仁而不佞 子曰 焉用佞 禦人以口給 ル憎於人 不知其仁 焉用佞 ある人が先生に言った。 「雍さんは仁者かもしれませんが、ボソボソとばかり喋って口が立たないからダメですね。」 先生がそれに反論された。 「口が立つなんて何の役にたちましょう。 人を口で丸め込んで、しばしば人に憎まれる。 雍が仁者かは知りませんが、口が立つなど何の役にもたちません。」
子使漆雕開仕 對曰 吾斯之未能信 子説 先生が漆雕開さんに公務員になるよう勧められた。 それに対して漆雕開さんが答えた。 「いや〜先生、私にはまだそれをやる自信がありませんよ。」 先生は自分をよく弁えている漆雕開さんのその言を聞いてたいそう喜ばれた。
子曰 道不行 乗桴浮干海 從我者 其由與 子路聞之喜 子曰 由也好勇過我 無所取材 先生が自嘲しておっしゃった。 「私の主張するような道だとか政治なんてこの世ではどうやら行われそうもないなw もうこうなったら、いっちょ何もかもうっちゃっていかだに乗って海の果て金銀ざっくざくの夢のエンパイアステートオブ愛しのアメリカンマインド国でも目指そうかwww まあでもそんなわしのおバカな計画に従うのは由ちゃんぐらいなもんだろうな。」 子路さんがそれを聞いて喜んでジャンプ&シャウトした。 先生がまたおっしゃった。 「何気にワシも無茶な勇敢さは嫌いではないが、由ちゃんには負けるねwでも由ちゃんや〜、そんな東の果てに向かういかだの材料をどうやって見つけるんだい?」
129 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/06/01(金) 20:36:12.01 0
中国ドラマシリーズ孔子伝を見ているが 今ひとつだな きれいに描かれすぎて人間味がない
孟武伯問 子路仁乎 子曰 不知也 又問 子曰 由也 千乘之國 可使治其賦也 不知其仁也 求也何如 子曰 求也 千室之邑 百乘之家 可使爲之宰也 不知其仁也 赤也何如 子曰 赤也 束帯立於朝 可使 與賓客之言 不知其仁也 魯の家老の孟武伯様が先生に尋ねられた。 「お弟子の子路さんは仁者ですか?」 「どうでしょうな〜」 「んじゃ、どんな感じなんです?」 「由は、戦車千台を保有する国の財政を任せられる人物ですが、仁者かどうかは知りませんな。」 「冉求さんはどうです?」 「求ですか、求は一千戸の町、百台の戦車を保有する国の長官なら任せて安心ですが、仁者かどうかは分かりませんな。」 「それじゃ公西華さんあたりはどうです?」 「赤ですか、赤は礼服を着させて朝廷で外国の賓客の接待なら十分務めましょうが、仁者がどうかは分かりませんな。」
子謂子貢曰 女與囘也孰愈 對曰 賜也何敢望囘 囘何聞一以知十 賜也聞一以知二 子曰 弗如也 吾與女弗如也 先生が子貢さんに尋ねられた。 「お前と顔回ではどっちが優れてるんだね?」「いやあ、先生も人が悪いwなんで私が回ちゃんより上を望めましょうか。 回ちゃんは一を知って十を知ります。 私はせいぜい奮発しても一を知って二を知るのがやっとです。」 「そうだね、やはり回ちゃんにはお前も及ばないね。まあワシもお前同様だからやはり回ちゃんには及ばないんだけどねw」
宰予晝寢 子曰 朽木不可雕也 糞土之牆 不可オ也 於予與何誅 子曰吾於人也 聽其言 而信其行 今吾於人也 聽其言 而觀其行 於予與改是 宰我さんが真昼間から家に女を連れ込んでよろしくやっていた。 先生がおっしゃった。 「枯れて腐れた木には彫刻なんてできない! 牛の糞やら土を混ぜて作った垣根はいくら外側を塗り変えてもどうしようもない! そういう奴はいくら叱っても無駄なんだよ!」 先生がさらに癇癪を起こしながら続けた。 「私は昔は人の報告を聞けば、その人が報告通りの行動をする人物と信じていた! しかし今は私は人の報告を聞けば必ずその通りなのか行動もチェックするようになった! そのように改めさせたのは宰我なんだよ!!」
難しい漢字いっぱいあるのに携帯で打ってんの? 先生すごいね
134 :
考える名無しさん :2012/06/04(月) 21:00:36.75 O
読みにくて申し訳ない\(^^:;) 壊れたパソコンしか持ってないんだ ただ携帯はQWERTYキー付きだからなんか慣れてしまって普通にパソコン打つより早く打てるんだよ
子曰吾未見剛者 或對曰 申トウ 子曰 トウ也慾 焉得剛 先生がおっしゃった。 「私はいまだに剛の徳を備えた人物にはお目にかかったことがありませんですじゃ。」 「申トウさんなんてどうです?」 「トウはあれはまだ欲があります。どうして剛なる者と言えましょうか。」
136 :
考える名無しさん :2012/06/06(水) 20:33:05.25 O
子貢曰 我不欲人之加諸我也 吾亦欲無加諸人 子曰 賜也 非爾所及也 子貢さんが言われた。 「先生!私は他人が私を傷つけることを望みませんし、私が他人を傷つけることも望みません。」 先生がおっしゃった。 「賜ちゃんや、それはたいそう難しいことだよ。それはまだまだお前には及ばないよ。」
子貢曰 夫子之文章 可得而聞也 夫子之言性與天道 不可得而聞也 子貢さんが言った。 「先生から詩書礼楽のことならなんでも聞けたが、 抽象的な人性や天道についての議論は聞く事ができなかった。 哲学板なのに…ゴメンなさい…」
子路有聞 未之能行 唯恐有聞 子路さんは、先生から新しい教えを聞いたらそれを実践するまでは、次の教えを聞くことを恐れた。
子貢問曰 孔文子何以謂之文也 子曰 敏而好學 不恥下問 是以謂之文也 子貢さんが先生に尋ねた。 「衛の大夫である孔圉様が死後に文子と諡をされたのはなんでなんですか?」 先生が答えられた。 「彼は鋭敏で学を好んだ。それでいて地位の低い者にも質問することを恥じなかった。だから文なんだよ。」
子謂子産 有君子之道四焉 其行己也恭 其事上也敬 其養民也惠 其使民也義 先生が鄭の王族であり宰相であった公孫僑殿を評しておしゃった。 「あの方は君子の道の四つを備えていらっしゃった。自己の行動は恭しく慎重で、君主と先輩に仕えうえでは敬虔だった。 そして民を養うには恩恵をもっぱらとし、民を使役するにあたっては義に基づいていた。」
子曰 晏平仲善與人交 久而敬之 斉の晏嬰は交際が長くなっても、なあなあにならずその人を敬う心を失わなかった。
子曰 臧文仲居蔡 山節藻セツ 何如其知也 魯の家老であった臧文仲は、君主のみが持つことを許される占いに使う大亀の甲羅を家に置き、 家の梁を受ける部分を山型にして、こともあろうか梁の上の柱に絵を描いた。 これらは全て家老には許されぬ越権行為であった。知者だなんてとんでもない。
子張問曰 令尹子文 三仕爲令尹 無喜色 三已之 無慍色 舊令尹之政 必以告新令尹 何如 子曰 忠矣 曰 仁矣乎 曰 未知 焉得仁 崔子弑齊君 陳文子有馬十乗 棄而違之 至於他邦 則曰 猶吾大夫崔子也 違之 之一邦 則又曰 猶吾大夫崔子也 違之 何如 子曰 清矣 曰 仁矣乎 曰 未知 焉得仁 子張さんが先生に尋ねた。 「楚の国の令尹であった子文は、三度も令尹となりましたが、一向に喜ぶ気色を見せませんでした。 そして三度までリコールされましたがこれまた怒る気色を見せませんでした。 自分の令尹として行った仕事の引き継ぎは新しい令尹にしっかり行いました。先生、どんなもですか?」 「忠臣であったのは確かだね」。 「仁者でしょうか?」 「いやあ知者とも言えないんだから、仁者ではないね〜」 「それじゃ、こっちはどうです? 斉の家老であった崔子が主君を殺した時に、別の家老の陳文子は四十匹の馬を所有していましたが、それを捨てて国を去りました。 違う国に着いたら、『うちの家老の崔子と一緒だわい。』と言ってその国を去りました。 別の国でも『うちの家老の崔子と一緒だわい。』と同じことを言って去りました。いかがでしょう?」 「彼は清潔だね。」 「仁ですか?」 「知者とは言えんから、まあ仁者ではないわな〜」
季文子三思而後行 子聞之曰 再斯可矣 魯の国の家老でった季文子は三度熟考してからでないと行動しなかった。先生がこれを聞いておっしゃった。 「二度までで十分じゃよ。」
子曰 ネイ武子 邦有道則知 邦無道則愚 其知可及也 其愚不可及也 先生がおっしゃった。 「衛の国の家老であったネイ武子は、国に正義が行われ正しく治まっている時は知者であったが、 一度国が乱れると愚かなまでに誠実であった。 知者としての彼の行いを真似するのは容易だが、その愚かさを真似するのは容易なことではない。」
子在陳曰 歸與 歸與 吾黨之小子狂簡 斐然成章 不知所以裁之 先生が陳に滞在してる頃にこうおっしゃった。 「さな帰ろうぜ〜帰ろうぜ〜 俺達の村のBoys、YO!! 気合い十分、 beautiful絢模様のよう 、だがいまいち 裁縫知らず!! OH!!yeah!! 俺が行って 教えるぜ、OH!!yeah!!Huuuuuuu!!」
先生www
子曰 伯夷叔齊 不念舊惡 怨是用希 伯夷と叔齊は人の昔の罪をとやかく言わなかった。だから怨まれることも少なかった。 過去は過ぎ去る、水が流れていくように。
子曰 孰謂微生高直 或乞醯焉 乞諸其鄰而與之 魯の微生高が正直だなどと謂う人がいたが ある人が彼に酢を貰いにいったところ、隣の人から貰ってきて与えたというじゃないか。
子曰 巧言令色足恭 左丘明恥之 丘亦恥之 匿怨而其友人 左丘明恥之 丘亦恥之 お世辞お愛想ばか丁寧を左丘明は恥とした。私もまたそれを恥じる。 こそこそ陰で友人をdisるのを左丘明は恥とした。これについても私も同様に恥じとする。
顔淵季路侍 子曰 盍各言爾志 子路曰 願車馬衣裘 與朋友共 敝之而無慍 顔淵曰 願無伐善 無施勞 子路曰 願聞子之志 子曰 老者安之 朋友信之 少者懷之 顔回さんと子路と先生が一緒にいた時のこと、 「それじゃ、お前達、今日はそれぞれの理想を言ってみようじゃないか!」 子路さんが言った。 「先生、俺は自分の車や馬や着物を友人と共有して、それがダメになってもクヨクヨとしないそんな人間が理想です!!」 顔回さんが続けた。 「先生、私は善行を鼻にかけたりせず、他人に迷惑をかけないのが理想です!」 子路さんが先生に尋ねた。 「先生の理想もお伺いしたいですね。」 「老人からは安心され、友人からは信頼され、若者からは慕われるような人間でありたいね 。」
子曰 已矣乎 吾未見能見其過 而内自訟者也 あいやー!!やんぬ〜るかな!! 我未だに自己の過ちを認め、真に自ら責める者見たことないあるよ!!
先生、(学びて時に之を習う、亦喜ばしからずや)みたいな訳も入れて下さい。
子曰 十室之邑 必有忠信如丘者焉 不如丘之好學也 子曰く、十室の邑に、必ず丘の如き忠信の者やあらん。丘の學を好むに如らざる也 小さな村にさえ忠信という点でワシぐらいの人間は必ずいるだろうさ。 しかしワシ程に学問を好む者はなかなかいないだろうよ。グフフ
155 :
考える名無しさん :2012/06/23(土) 12:05:42.24 O
子曰 雍也可使南面 子曰く 雍や南面せしむべし 雍ちゃんなら君主になっても立派にこなすだろうさ。
仲弓問子桑伯子 子曰 可也簡 仲弓曰 居敬而行簡 以臨其民 不亦可乎 居簡而行簡 無乃大簡乎 子 雍之言然 仲弓、子桑伯子を問う 子曰く 可なり、簡。仲弓曰く 敬に居て簡を行い、以てその民に臨まば 亦た可ならずや。 簡に居て簡を行うは、乃ち大簡なることなからんや。子曰く、雍の言然り。 前段の雍ちゃんこと仲弓さんが先生に子桑伯子について尋ねた。 「ワシに子桑伯子について聞いちゃいますかwまっいい感じじゃよ、人に寛大なあたりが。」 「しかし先生、恭しい態度で内に自ら身を保ち、それでいて他人には寛大であるといった、そうした態度でもって民に臨むならいいでしょうが、 自分にも寛大で他人にも寛大じゃルーズじゃありませんか?」 「お前の言う通りさね。」
>>149 これ解釈が分かれるけどたぶん
魯の微生高はバカ正直だなどとバカにする奴がおるけれども
ある人が彼に酢を貰いにいったところ、家に酢がないからあげられません、なんて答えずに
隣の人から貰ってきて与えるという機転を利かせたという話じゃよ
哀公問 弟子孰爲好學 孔子對曰 有顔囘者 好學 不遷怒 不貳過 不幸短命死矣 今也則亡 未聞好學者也 哀公問う。弟子で孰れか学を好むと爲すか。孔子對して曰く 顔囘なる者有り。学を好み、怒りを遷さずして、過ちをふたたびせず。不幸にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。 哀公様が質問された。 「そなたの弟子の中では誰が学問好きかの?」先生がそれに答えられた。 「昔、顔回という者がおりました。 学問を好み、怒りを他人にぶつけることもなく、 同じ過ちを二度繰り返しませんでした。 不幸にして短命で、若死にし、今やおりません。 それ以降、私の弟子の中で学問を好むと陛下にお伝えできるような者はいないのです。」
子華使於齊 冉子爲其母請粟 子曰 與之釜 請益 曰與之ユ 冉子與之粟五秉 子曰 赤之適齊也 乘肥馬 衣軽裘 吾聞之也 君子周急不繼富 子華、齊に使いす。冉子その母の為に粟を請う。子曰く これに釜を与えよ。益さんことを請う 曰く、これにユを与えよ。冉子これに粟五秉を与う。 子曰 赤の齊に適くや、肥馬に乗りて 軽裘を衣たり。吾これを聞くなり。君子は急を周うて富めるに継がずと。 先生のお使いで子華さんが隣国の斉に出かけた。 冉有さんが子華さんの留守中、子華さんのお母さんの食いぶちの為に手当を求めた。 「それじゃ米を10キロぐらい与えなさい」 「先生それじゃ少な過ぎますよ。」 「それじゃ20キロぐらい与えなさい。」冉有さんはそれにも納得いかなかったと見えて、独断で米1トンを大盤振る舞いで与えてしまった。 その事を聞いて先生がおっしゃった。 「子華は斉に行くのに、ベンツに乗ってアルマーニやら何やらブランド物で全身かためて意気揚々と出かけて行ったそうじゃないか。 君子は貧乏な時には経済的援助をするが、お金持ちにまで援助はしないという言葉があるよ、だいたい1トンって、有ちゃん、おまw、子華んとこのお母さんは相撲取りかよw!!」
原思爲之宰 與之粟九百 辭 子曰 毋 以與爾隣里郷黨乎 原思、これが宰たり。これに粟九百を与う。辞す。子曰く、毋かれ。以てなんじが隣里郷党に与えんか。 先生が魯の大臣であった時、原思さんを自分の領地の奉行に任命した。そしてその給与として米13.5トンを与えようとした。 原思さんは多過ぎると思って辞退した。 先生がおっしゃった。 「まっ、いいじゃないか。余った分はお前の隣近所に与えればいいだけの話なんだから。」
子謂仲弓曰 犂牛之子 チョウ且角 雖欲勿用 山川其舎諸 子、仲弓を謂いて曰く。犂牛の子、赤くしてかつ角ならば、用いることなからんと欲すといえども、山川それこれを舎てんや。 先生が仲弓さんを評しておっしゃった。 「たとえ農耕用の牛の子であっても立派な毛並みで大きな角を備えていれば、 祭祀のお供え物として人が用いようとしなくても、山や川の神々が放っておかないだろうよ。 雍なら大丈夫だよ。」
子曰 囘也 其心三月不違仁 其餘則日月至焉而已矣 子曰く 回や其の心三月仁に違わず。其の余は則ち日月に至るのみ。 回ちゃんはその心が三ヶ月仁と離れることなく仁の化身でごわした。 他の子達は一日或は一ヶ月そういう状態がやっとでごわした。
季康子問 仲由可使從政也與 子曰 由也果 於從政乎何有 曰 賜也可使從政也與 子曰 賜也達 於從政乎何有 曰 求也可使從政也與 子曰 求也藝 於從政乎何有 季康子問う。仲由は政に従わしむべきか。子曰く。由や果、政に従うに於いてか何か有らん。曰く 賜は政に従わしむべきか。子曰く 賜や達。政に従うに於いてや何か有らん。曰く、求は政に従わしむべきか。子曰く、求や藝。政に従うに於いてや何か有らん。 魯の大臣の季康子が先生に尋ねられた。 「子路に政治を任せるのはどうでしょうな?」 「由は果断です。政治をするぐらい何でもありません。」 「子貢はどうでしょうな?」 「賜は物の道理に達しています。政治をするぐらいなんでもありません。」 「冉求はどうでしょう?」 「求は才能豊かです。政治をするぐらいなんでもありません。」
165 :
考える名無しさん :2012/07/01(日) 02:15:28.47 0
悪いけど、ツイッターの孔子なう(@KongziNow)の方がおもろいわ。
季氏使閔子騫爲費宰 閔子騫曰 善爲我辞 如有復我者 則吾必在ブン上矣 季氏、閔子騫をして費の宰とならしむ。閔子騫曰く。善く我が為に辞せよ。如し我を復たする者有らば、則ち吾れは必ずブンの上に在らん。 季氏では閔子騫を費の町の奉行に任命しよう使いを派遣した。 「オラの為を思うなら断ってくんろ。」 「もう一度オラを呼ぼうとする斉の国境の川を越えてオラ逃げちゃうだよ。」
伯牛有疾 子問之 自ユウ執其手 曰 亡之 命矣夫 斯人也而有斯疾也 斯人也而有斯疾也 伯牛疾有り。子之を問う。ユウより其の手を執る。曰く、之亡からん。命なるかな。斯の人にして斯の疾あるや。斯の人にして斯の疾有るや。 弟子の伯牛が不治の病に罹った。 先生は彼を見舞って、そっと窓よりその手をとりおっしゃった。 「もうお前は死んでしまうんだね。これが運命というものなんだね。 どうしてこれがこんな病に… ああ、なぜこれがこんな病に…」
子曰 賢哉囘也 一箪食 一瓢飮 有陋巷 人不堪其憂 囘也不改其樂 賢哉囘也 子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飮、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず。回はその楽しみを改めず。賢なるかな回や。 「回ちゃんはえらいね。 一日一食でそれもご飯普通盛と汁お椀一杯、 そしてジメジメとした狭い路地裏での毎日に、 他の者なら今頃音をあげているところだろうさ。 回ちゃんはそれでも、 そこに自分の楽しみを見出だして改めようとしない。 えらいもんだよ、回は!!」
冉求曰 非不説子之道 力不足也 子曰 力不足者 中道而廢 今女畫 冉求曰く。子の道を説ばざるに非ず。力足らざる也。子曰く、力足らざる者は中道にして廃す。今女を画れり。 冉求さんが言った。 「先生の説く道を喜ばないんじゃないんっす。 でも俺にはできないんっす。力不足なんっす!!」 「力不足の者は道の半ばで力尽きる。 お前は自分で自分にリミッターをかけてるだけだ!! やらないうちからグダグダと言うなあああ!!」 「先生ぇいいいいいいいいい!」
子謂子夏曰 女爲君子儒 無爲小人儒 子、子夏に謂いて曰く、なんじ君子の儒となれ。小人の儒となるなかれ。 子夏よ、てめぇは君子として見返りなんか期待せず天下に奉仕する学者にこそなれ! 間違っても小賢しい理屈を捏ねくり回して、自己の名声の追求に汲々とするような学者になるんじゃねぇぞ!!
子游爲武城宰 子曰 女得人焉耳乎 曰 有澹臺滅明者 行不由徑 非公事 未嘗至於偃之室也 子游武城の宰たり。子曰く、なんじ人を得たりや。曰く、澹臺滅明なる者あり。行くに徑によらず、公事にあらざれば未だ嘗て偃の室に至らざるなり。 子游さんが武城の長官に任命された時に先生が尋ねられた。 「お前、そこで人物を見つけたかね?」 「はい、姓は澹臺、名は滅明なる電球みたいな変わった野郎がおりやした。 抜け道を行くような真似はしませんし、私の家に仕事以外では顔をだしません。」 「ふ〜ん。」
子曰 孟之反不伐 奔而殿 將入門 策其馬曰 非敢後 馬不進也 子曰く 孟之反、伐らず。奔って殿たり。将に門に入らんとするに、その馬に策うって曰く 敢えて後るるにあらざるなり、馬進まざるなり。 孟之反は自己を誇らかった。 我が国が戦争で負け戦となった時に、進んでしんがりを務めた。 それで門に入ろうとした時に、その馬を鞭打って言った言葉が、 「俺が自らしんがりを務めたわけじゃねぇぜ〜 馬の野郎が駄々こねて進まなかっただけだぜ〜 ワイルドっていうよりかドジだろw」
子曰 不有祝ダ之佞 而有宋朝之美 難乎 免於今之世矣 子曰く 祝ダの佞にあらずして宋朝の美あるは、難いかな、今の世に免れんこと 祝ダのような口達者でもないのに宋朝みたくイケメンじゃ、大変だろうよ、今の世の中でサバイバルするのは。 つまりだな、本質的なものが一つでも優れていれば別に生きるのにどんな世の中でもどうってこたあないが、口達者とかイケメンとか表面てきな能力は二つ以上必要ってことさ。
子曰 誰能出不由戸者 何莫由斯道也 子曰く 誰かよく出ずるに戸によらざらん。何ぞこの道によることなきや。 外にでるなら誰でも戸口を通る。 しかしその後にどうしてこの道を行こうとする者がいないのだろうか(?_?)
子曰 質勝文則野 文勝質則史 文質彬々 然後君子 子曰く、質、文に勝れば則ち野。文、質に勝れば則ち史。文質彬々として然る後に君子なり。 本質的な部分が装飾的な部分に勝ってるとプリミティブな印象を受けるね。 逆に装飾的な部分が本質的な部分に勝ってるとバロック的な印象を受けるね、 まるでアレキサンドリアの巨大図書館で古書に埋まるエジプトの史書係みたないもんさ。 ギラギラとした裸祭りな部分とエジプト史書係が調和してこそ、世界に冠たる一個の君子機械ができあがるんだな。
子曰 人之生也直 罔之生幸而免 子曰く、人の生くるは直し、これを罔いて生くるは、幸いにして免るるなり。 人が生きていけるの真っ直ぐだからだ。曲がった生き方で生きていけるのは、幸運によって免れているに過ぎない。
子曰 知之者 不如好之者 好之者 不如楽之者 子曰く、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。 知るよりか好むことそれよりか楽しむこと。
子曰 中人以上 可以語上也 中人以下不可以語上也 子曰く 中人以上には以て上を語るべきなり。中人以下には 以て上を語る可からざる也 黒帯以上の者には惜し気なく語ることができるが、 黒帯以下の者には秘伝や奥義を教えても珍文漢文だろうから、 深いところについては教えたくても教えられないよ。
樊遅問知 子曰 務民之義 敬鬼神而遠之 可謂知矣 問仁 曰 仁者先難而後獲 可謂仁矣 樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく。知と謂うべし。仁を問う。仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂うべし。 樊遅さんが先生に知者について尋ねた。 「人として今を生きるその意義を探求し実践していかなきゃならないね。 また人の道を超えた鬼や神についてはこれを敬いながらもそれと距離をとることだね。 いくら空を見上げても自分の足元がぐらいついてたんじゃどうしようもないからね。こういうのが知者だよ。」 ついでだから仁者についても尋ねた。 「人が嫌がることや困難と思うことを率先してやって、利益とかは後回しだ。 こういうのが仁者だろうさ。」
子曰 知者樂水 仁者樂山 知者動 仁者静 知者樂 仁者壽 子曰く、知者は水を楽しみ。仁者は山を楽しむ。知者は動き。仁者は静かなり。知者は楽しみ。仁者は寿ながし。 知者はサーファーで、仁者はアルピニストだよ。 知者ってもんは動き回ってサーファーのように動くものを楽しむ。 仁者は静寂の中、動かないものをアルピニストのように楽しむ、そして彼自身がヒマーラヤのようなもんさ。 知者サーファーは楽しいだろうさ。 アルピニスト仁者は遭難しなきゃ長生きさ。
子曰 齊一變至於魯 魯一變至於道 子曰く 斉が一変せば魯に至らん。魯一変せば道に至らん。 徳治主義の観点から物を申すならば、斉の国が少しくその政治を改革するならば、我が国ぐらいの水準に達するでしょう。 我が国がもう少しその政治を改革すれば、ずばり道に至るでしょう。
子曰 觚不觚 觚哉 觚哉 子曰く、觚、觚ならず。觚ならんや。觚ならんや。 「飲酒の儀礼に於いて少ない酒量の為に制定された觚が段々となぜだか大きくなってしまった。これが觚だろうか、これでも觚だろうか。 ああ、このコップの酒を飲むことにしよう。」
先生は週末も休まない いつもありがとう
184 :
考える名無しさん :2012/07/14(土) 18:37:35.61 O
宰我問曰 仁者雖告之曰井有仁者焉 其従之也 子曰 何爲其然也 君子可逝也 不可陷也 可欺也 不可罔也
宰我問いて曰く。仁者は之に告げて 井に仁有りというと雖も 其れ之に従わんや。
子曰く、何ん為れぞ然らんや。君子は逝かしむ可きなるも、陥いる可からざる也。欺むく可きなるも、罔う可からざるなり。
宰我さんが先生に思いつきで無茶ぶりな質問をした。
「仁者に、井戸の中に仁が落っこちてるよと誰かが告げるなら、彼は従うでしょうか?」
「なんじゃいそりゃw
君子の行いを促すことはできても、陥れることはできないよ。
何とか騙すことはできるかもしれんが、彼の明知をくらますことはできないよ。
そんなこと言われても相手にしないのが普通だが、ただ無視してしまうと相手が傷つくかもしれないね。行くだけは行くのかなw」
>>183 いつもありがとうございます
なんだかんだで5ヶ月程、無理苦理、論語攻めで荒らして参りましたが、水曜日から四ヶ月程、印度周遊してきますんで12月までさよならです。
子曰 君子博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫 子曰く 君子は博く文を学び、これを約するに礼を以てせば また以て畔かざるべきか。 君子は広く教養を磨き、そして行動の面からは 礼儀によってそれを集約していけば、 道に背かなくなるだろうね。
子見南子 子路不説 夫子矢之曰 予所否者 天厭之 天厭之 子、南子を見る。子路説ばず。夫子之に矢うて曰く。予れの否らざるところのものは、天これを厭てん。天これを厭てん。 先生がある時、宋朝様の愛人でスキャンダルで有名な年増の南子様に謁見した。 子路さんはそれにたいそうお冠だった。 先生が子路さんを宥めておっしゃった。 「誓ってやましいことは何にもなかったんじゃ!! 疚しいことがあったなら天が私を見放すだろう。天が見放すだろう。」 その後、天が先生を見放したかどうかは誰もしらない。
子曰 中庸之爲徳也 其至矣乎 民鮮久矣 子曰く、中庸の徳たるや、それ至れるかな。民鮮なきこと久し。 綱渡り師のバランスの如く 万物に対する不偏の中間重心の威力たるや これまさに至れるかな!! 全ては一本足で立つ舞踏者の 恐るべき平衡の一点を求めるその心こそ 我等が常に求めることなれ。 全てはバランスだ。 Don't think,feel your balance!! しかしかかる平衡感覚を持つ人は少なくなりもうしただ。
子貢曰 如能博施於民 而能濟衆者 何如 可謂仁乎 子曰 何事於仁 必也聖乎 堯舜其猶病諸 夫仁者己欲立而立人 己欲達而達人 能近取譬 可謂仁之方也已 子貢曰く、如しよく博く民に施してよく衆を済わば、如何。仁と謂うべきか。子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。 堯舜もそれ猶これを病めり。それ仁者は己を立てんと欲っして人を立て、己を達せんと欲っして人を達す。よく近く取りて譬う。仁の方と謂うべきのみ。 子貢さんが言った。 「もし民百姓に広く精神的・物質的に施しを して人々を苦しみや悲しみから救うことができれば、どんなもんでしょう?仁と言えるでしょうか?」 「それはお前、仁というよりかは聖人だよ。堯や舜でさえそのことを常に苦にして気に病んでいたんだからね。 仁者というのは、自分よりも人を先ず立てて、その行いで初めて自分が立つような人であり、 人に達成させて、初めて自分が達成した気持ちになる人だよ。 常に他人を自分のように思いやることができるんだね。 これが仁の方法論だよ。」
先生随分遠い所へ行くんだね 体に気をつけて下さい
190 :
考える名無しさん :2012/07/17(火) 17:52:07.46 O
ありがとうございます
>>189 さんもお元気で!!
191 :
考える名無しさん :2012/07/18(水) 13:58:14.94 0
まだいらっしゃるかな? 先生がいなくなるのが残念です。 祝您旅途愉快! インドでは是非仏陀と対談していただきたいw
最後の方はネタ切れなのかワンパターンなオチだったり ひねりがなくなっていたから、ちょうどいい所だろう
193 :
考える名無しさん :2012/07/29(日) 22:12:01.65 0
論語って、ごくごく当たり前の事しか書いてないような気がする…
>>193 そうでもないぞ。
孔「国の政治は軍備、食料、信用が重要だ」
|∀・)「もしその中で一つを捨てなければならないならどれを捨てます?」
孔「軍備だな」
|∀・)「さらにもう一つ捨てなければならない時は?」
孔(`・ω・)b「食料だ!民が飢え死にするが知ったことか。信用こそ最も重要だ!」
|∀・)て「マジかよ!?」
孔子は時代遅れ
196 :
考える名無しさん :2012/07/31(火) 13:54:51.62 0
先生がご乱心だ
ロンドン五輪で改めて論語が見直される流れにならんかな
@自分が不能なため、女性経験がないのに女性管理ができないのに思い込んでいる A男性と困った女性をどうしようか会議をすることがアイデンティティーである(仕事はできない) 仕事では同性から評価されていない。 B困った女性像を作り上げることと、職場の環境を乱すことが目的である C環境が乱れたら病んだ人間から沙汰していく D自分が最後まで生き残る(と思い込んでる)
200 :
考える名無しさん :2012/08/29(水) 02:06:58.64 0
しのたまわく 俺に彼女ができないのは、どうかんがえても世の中がおかしい とか環境のせいにしてては、男じゃない。 でも気持ちはわかるね 俺は50過ぎても童貞だからさ でも一度だって恥ずかしいと思ったことはないぞ ん? 泣いてないよ これは汗だ
親から受け継いだそれを次世代に遺す事ができないとしたら これ以上の不孝は無い 今からでも遅くない、やれ! たとえ法律に逆らっても、子の義務を果たさねばならんのだっ!
202 :
考える名無しさん :2012/09/03(月) 22:01:44.36 0
しのたまわく 顔回はいい奴だよ 俺の床の相手してくれるし 相性がいいんだよな。 顔回がまえに先生はどういう床での立ち振る舞いが 仁ですか?と聞いたから こう答えてやったよ。 一挙手一投足に無駄が無く、すべてが理にかなった行動であるが 優しさがにじみ出てるような力の加減がいいね と答えてやったよ そしたら 顔回頬そめるから 可愛がってあげたよ。 ほんとうにおしい人物をなくしたよ。
孔子と南子の話って、何処に書かれた話なんですか? 論語とかですか?教えてください。
やなこった
否定しないということは、孔子と南子の話自体は、ホントなんですね ありがとうございました
ほしいんだ?
子日、知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。
>>11 葉公(しょうこう)、政を問う。子の曰わく、近き者説(よろこ)び遠き者来たる。
葉公が2chのことを訊ねられた。先生は言われた、「近くの人々は悦び、遠くの人々は
[それを聞いて慕って]やって来るように」
13-16 葉公問政、子曰、近者説、遠者來。
子曰。攻乎異端。斯害也已。
顔淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己。 而由人乎哉。顔淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、 非禮勿動。顔淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。
子曰 述而不作 信而好古 竊比於我老彭 子曰く、述べて作らず、信じて古えを好む。ひそかに我が老彭に比す。 私の論じ語る内容というのは、なにも自分で新しくこしらえ考えたものではない。 それは、太古の昔より大事なことは何ひとつ変わっておらず良いものは既に賢人達に発見されているという信念に基づき、 古えの賢人達を慕って、彼らの真意を汲み取り、なるべく改変しないで述べ伝えようとするものなのだ。 まっだから、ここだけの話、眠れない夜なんかは、布団の中で、 陸終氏回禄の息子で、導引行気の法によって、800歳の長寿を保ち、殷の賢大夫でもあった彭祖が昔のことを鮮明に思い出しては それをドヤ顔で周りに語り聞かせ、教え諭した姿と自分をダブらせて 「俺はいわば現代の彭祖なんだ!!」とよく空想して楽しんでるんだよ。
子曰 默而識之 學而不厭 誨人不倦 何有於我哉 子曰く 默して之を識し、学びて厭わず、人に誨えて倦まず。何ぞ我に有らん哉。 床の間に正座して眉間の印堂に意識を置き、雑念を払い、沈黙の内に物事をよく認識する。 途中で投げやりになって、畳みに寝そべり、YouTubeで「ぱるる〜カワイイよ〜ぱるる」とか云いながらAKBINGOを見てニヤニヤしたりせず、 ただひたすら学問を継続する。 そしてそれらを人々に教えて、「先公っ!!糞つまんねぇ〜、もっと面白れぇ話しろよ!!」 などと言われても曙の土俵入りなみにぶれることなく話を続ける。 こうしたことを行うのは別に私にとっては何でもない。
お帰り、先生 相変わらずハッスルしてますね
子曰 徳之不脩 學之不講 聞義不能徙 不善不能改 是吾憂也 子曰く、徳の脩まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能わざる、不善を改むる能わざる、是れ吾が憂いなり。 道徳の修養もせずに遊んでしまった。 何も学ばず今日も遊んでしまった。 正義と知りながら実行せずに、知らん顔で見て見ぬふりをしてしまった。 悪いことと分かっていながらまたやってしまった。 私が憂鬱になるのはこういう自戒をしなくてはならない日だ。 どうもご無沙汰しておりました\(^O^)/
子之燕居 申申如也 夭夭如也 子の燕居は、申申如たり、夭夭如たり。 先生のプライベートでの様子は、まるで涼やかな風と恵みの雨によって生育したあの青々とした草のようにのびのびとしていて、しなやかなものだった。 そんな風だったから遊びに行った弟子達を萎縮させるような、四角四面のもったいぶった厳めしい態度や大仰な自己演出は微塵もなかった。
217 :
考える名無しさん :2012/12/08(土) 16:00:46.28 O
子曰 甚矣吾衰也 久矣 吾不復夢見周公 子曰く、甚だしいかな、わが衰えたるや。久しいかな、われまた夢に周公を見ず。 わしも老いぼれたもんじゃ、随分長いこと、周公の夢を見ない。ゴホッゴホッ
218 :
考える名無しさん :2012/12/09(日) 17:49:43.32 O
子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝 子曰く、道に志し、徳に據り、仁に依り、藝に游ぶ。 立派な人間の定義は、 大いなる人としての道というものを志して、 美徳と仁に依拠し、 六芸乃ち、 近所の茶道を教えるおばちゃんなみに礼儀作法にうるさく、 ボブ・マーリーなみの音楽家で、 ブロンソンなみのマグナム44撃ちで、 沈黙のセガールばりのヘリコプターや車の運転ができて、 武田双雲以上の書道家で、 ラッセル以上に論理と純粋数学の知識を有する。 かかる者を言う也。
子曰 自行束脩以上 吾未嘗無誨焉 子曰く、束脩を行うより以上は、われ未だ嘗て誨うること無くんばあらず。 生徒大募集!! 一束のビーフジャーキーさえ持ってくれば、身分を問わずいかなる者でも、 私(孔子)はフレンドリーに教えを垂れるのであって、教えないなどということはない。
子曰 不憤不啓 不ヒ不發 擧一隅不以三隅反 則不復也 子曰く、憤せずんば啓せず、ひせずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以って反らざれば、則ちまたせざるなり。 「うわー、なんで俺は分かんねぇんだぁ〜、もうダメだぁ〜」と弟子がギブアップ寸前の所で教える。 「あう、あう、あぁぁぁぁぁぁ、うぐぐぐぐぅぅぅぅ」と弟子の喉元まで出かかったところでようやく教える。 ある物事の四隅の内、一つを教えて、残り三つが返答として返って来なようであれば、言っても無駄なので、最初の一つの教えさえもう繰り返さない。
子食於有喪者之側 未嘗飽也 子於是日也哭 則不歌 子、喪ある者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。 子、この日に於いて哭すれば、則ち歌わず。 先生がお葬式に出席した時には鱈腹食べようとしなかった。 そして、お葬式でシクシクと泣いた日には歌おうとしなかった(゚ーÅ)ホロリ。 しかし、それ以外の日には身長2b以上あったので普通の人よりよく食べたし、普通の人より声量もあるのでジャイアンなみによく歌っていた。
子謂顔淵曰 用之則行 舎之則藏 惟我與爾有是夫 子路曰 子行三軍則誰與 子曰 暴虎馮河 死而無悔者 吾不與也 必也臨事而懼 好謀而成者也 子、顔淵に謂って曰く、これを用うれば則ち行い、これを舎つれば則ち藏る。ただ我と爾とこれあるか。 子路曰く、子三軍を行なわば則ち誰とともにせん。子曰く、暴虎馮河、死して悔いなき者は、われともにせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好んで成さん者なり。 先生が顔回さんにおっしゃった。 「君主に一度起用されれば、実力を遺憾無く発揮し、 もういらないよと言って捨てられたならば、未練なく引きこもりになって、不満なく生きていけるのは、 わしとお前ぐらいなもんだろうよ。」 それを横で聞いていた子路さんが先生に質問した。 「先生!!先生が数万の軍隊を率いてドンパチやる時には誰をお共にするおつもりっすか!?www」 「そうだねぇ〜w虎を素手でポカスカ撲りつけたり、大河を何の用意もなく歩いて渡ったりして、 そんなもん死んだってオレは悔いはねぇ〜とか言ってるムキムキマッチョで気合いだけの人は勘弁して欲しいねw 私が軍隊を率いる時の腹心の部下には、事に臨むときはどこまでも慎重に計画を立て、 謀りごとに巧みで、そうやって物事を成し遂げる孔明みたいなのを連れて行くよ。」
223 :
考える名無しさん :2012/12/14(金) 17:11:37.43 O
子曰 富而可求也 雖執鞭之士 吾亦爲之 如不可求 從吾所好 子曰く、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾れ亦たこれを為さん。もし求むべからずんば、わが好むところに従わん。 「金儲けこそが人間の最重要事項であるならば、SMクラブで鞭を振るう役をしてでも、わしは金儲けをして勝ち組となってみせる!! しかし、人の道に於いて金儲けが大して重要なことでないなら、自分のやりたいことをやって好きなように生きていくんだ!! 金儲けの為だけに生きるのなんか真っ平御免さ。」
子之所愼齊戰疾 子の愼しむ所は、斉、戦、疾。 先生は祭の前の斎・戦争・病気には物静かに慎重に対処されたが、 たいていの人はこの三つのイベントが発生するとそわそわしたり大騒ぎとなった。
子在齊 聞韶樂三月 不知肉味 曰 不圖爲樂之至於斯也 子、斉に在りて韶を聞く、三月、肉の味を知らず。曰く、図らざりき、学をなすことの斯に至らんとは。 先生が斉の国に滞在して時に、舜の時代の韶の音楽を聴く機会があった。 先生はそれから三ヶ月の間は美味しいステーキの味も分かぬ程にボンヤリフワフワニヤニヤ状態であった。 「いや〜韶って本当に素晴らしいですね。」
冉有曰 夫子爲衞君乎 子貢曰 諾 吾將問之 入曰 伯夷叔齊何人也 曰 古之賢人也 曰 怨乎 曰 求仁而得仁 又何怨 出曰 夫子不爲也 冉有曰く、夫子は衞の君を爲けんか。子貢曰く、諾。吾れ將にこれを問わんとす。入りて曰く、伯夷・叔齊はなん人ぞや。曰く、古の賢人なり曰、怨みたるか。 曰く、仁を求めて仁を得たり、又た何にをか怨まん、出でて曰く、夫子は爲けじ。
冉有さんと子貢さんが衛の国のお家騒動について話をしていた。 そもそも話を遡れば、衛の国のバカな先代の霊公とその夫人であばずれ女の南子との間に生まれた息子がカイカイと云い、 このカイカイが、実母のあばずれ女の南子と宋の公子であるイケメン朝の不倫関係にブチ切れて、母親であるあばずれ女の南子をブッ殺そうとした。 しかし悲しいかな、そこは暗愚な霊公とあばずれ南子の実の息子であるカイカイなので、その企みは簡単にバレてしまい、カイカイは故国からバックレざるをえなかった。 やがて親父の暗愚な霊公がめでたくも死んじまったので、ワ〜イワ〜イと喜んだカイカイではあったが、 衛では、霊公の遺言に従い、重臣達でとりあえずカイカイの息子で霊公の孫にあたるチョウを君主の座につけてしまった。 自分の息子が君主になったんだから素直に喜べばいいものを、カイカイは一箇のカイカイに過ぎないので又してもブチ切れて、晋の援助を得て、実の息子であるチョウの首級を挙げんと勇ましくも衛に攻め込んだが、 如何せんカイカイもチョウも同じ遺伝子を分け合った親子に過ぎぬのでその争いは決着がつかぬまま16年も続いたのだった。 そんな訳でもうみんな状況も頭もこんがらがってウンザリしていた。 そんなこんなで冉有さんが子貢さんに尋ねた。「先生は衛の君主であるチョウの味方でしょうか?」 「おお、そんじゃ、俺がちょっくら先生にに尋ねてやるよ。」 子貢さんが先生の部屋に入って尋ねた。 「伯夷だの叔齊だのいう奴らは一体何者でしょうか?」 「昔の賢人さね。」先生は今さら何故こいつはこんな分かりきった質問をするんだろうと怪訝な面持ちであった(?_?) 「自分達の立場や運命を怨みましたでしょうか?」 「仁を求めて、それを実践したんだから何で人を又、天を怨むんだね。」 子貢さんが、部屋から出て冉有さんにおっしゃった。 「先生は、チョウを助けたりはしないだろうね。 物事には順番があるのさ、いくら先代の意思でも、それを捩曲げるのは良くないと先生はお考えのはずだよ。」 子貢さんも、冉有さんもお互い微笑しながら我が意を得たりと頷きあった。 その夜、先生は子貢さんの問いの真意が分からず一晩中、怪訝な面持ちで眠れずにいた(?_?)。 「あいつ、俺に何が聞きたかったんだろう。」
子曰 飯疏食飮水 曲肱而枕之 樂亦在其中矣 不義而富且貴 於我如浮雲 子曰く、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみも亦その中にあり。不義にして富且つ貴きは、われにおいて浮雲の如し。 腹が減れな粗末な食べ物を食べ、 喉が渇けば水を飲み、 眠くなったら肱を枕にうたた寝をする。 こうした簡素な生活の内にこそ楽しみがあるというものだ。 不義な行いで血眼になって富を蓄え、成り上がることなどは、 私にとってはまるであの浮雲のようにはかないものに思われるのだった。
子曰 加我數年 五十以學易 可以無大過矣 子曰く、われに数年を加え、五十にして以て易を学べば、大なる過ちなかるべし。 今の私の年にあと数年加えて、五十才になったらじっくりと易の研究をしたい。 そうすれば大いなる過ちもなく余生を過ごせるだろうよ。
子所雅言 詩書執禮 皆雅言也 子の雅言する所は、詩・書・執禮、みな雅言す。 先生は詩経・書経を朗読するときや礼を執り行う時はなまらないで標準語だったが、それ以外は訛っていた。 そして弟子達もやっぱり訛っていた。
葉公問孔子於子路 子路不對 子曰 女奚不曰 其爲人也 發憤忘食 樂以忘憂 不知老之將至云爾 葉公、孔子を子路に問う。子路対へず。子曰く、なんじ、なんぞ曰はざる。其の人となりや、 憤りを発して食を忘れ、楽しみをもって憂いを忘る。老いのまさに至らんとするを知らずのみと。 名望篤き楚の葉県の長官である沈諸梁様が子路さんに先生の人柄について質問した。 しかし子路さんは言葉に窮してしまった。 先生がそのことを聞いておっしゃった。 「なんでお前は言わなかったんだい? そのオヤジは、学問に熱中すると食事も忘れ、そうしているのが楽しくて楽しくて世の中の憂いもすっかり忘れてしまう。 そしてそんな風に生きてきたので今になって自分が老いたことさえ気付かないそんな男だと。」
子曰 我非生而知之者 好古敏以求之者也 子曰く、我生まれながらにこれを知る者に非ず。古えを好み敏にして以ってこれを求むる者なり。 私は君達が想像するような天才なんかじゃない。 古代の賢人を慕い、必死になってその人々の教えから学んだ者に過ぎないんだ。 私が儒教の創始者だなんてお笑い草だね。 それは太古以来の賢者達の英知に基づく。
子不語怪力亂神 子、怪力乱神を語らず。 先生は、不可思議な怪奇現象や暴力・アナーキズム・神話についてはほとんど沈黙を保った。
子曰 三人行 必有我師焉 擇其善者而從之 其不善者而改之 子曰く、三人行なえば必ずわが師あり。その善き者を択びてこれに従い、その善からざる者にしてこれを改むる。 三人で行動すれば、必ず自分のお手本になる人がいる、そういう人は私の先生なのだ。 善いところは積極的に見習うし、悪いところは反面教師とする。 いずれにせよ学ぶところがあるわけだ。
子曰 天生徳於予 桓タイ其如予何 子曰く、天、徳をわれに生せり。桓タイそれわれを如何。 天は私に世に現すべき徳を与えた。 こんなところで私が死ぬわけがない。桓タイ如きが何だというのだ。
子曰 二三子以我爲隱乎 吾無隱乎爾 吾無所行而不與二三子者 是丘也 子曰く、二三子、われを以って隠せりとなすか。 われは隠すなきのみ。われ行うとして二三子とともにせざるものなし。これ丘なり。 諸君らは、私が君らに教えを隠したりしているとでも思うかね? 私はそんなけち臭いことはしない。私はどんな事でも諸君と一緒にしなかったことはなかった。 神秘のヴェールを纏ったり権威付けなど一切なく、諸君の目の前に赤裸々に立つこの漢こそが乃ち丘である。
子以四教 文行忠信 子は四つを以って教う。文行忠信。 先生が弟子に教えた主要なものは以下の四つである。 読書・実践・忠実・信義
子曰 聖人吾不得而見之矣 得見君子者 斯可矣 子曰 善人吾不得而見之矣 得見有恒者 斯可矣 亡而爲有 虚而爲盈 約而爲泰 難乎有恒矣 子曰く、聖人はわれ得てこれを見ず。君子なる者を見るをえばこれ可なり。子曰く、善人じゃわれ得てこれを見ず、恒ある者を見るをえばこれ可なり。 亡くして有りとなし。虚しくして盈てりとなし、約にして泰かなりとなす。難いかな、恒あること。 先生がおっしゃった。行動に於いて全世界に普く恩恵を施す聖人に出会う機会はないだろうが、様々な機会に種々の美徳を発揮する君子と出会う機会があれば私は満足だ。 精神において欠点なき円満具足の善良なる人に出会う機会はないだろうが、心がある種の恒久性に達し、他者に動揺されない、安定した恒ある者に出会う機会があれば私は満足だ。 ないのにあるといい、からっぽなのに充ちているといい、貧しいのに豊かであるとする、こうした感じでは心に恒ある人とは言い難いね。
239 :
考える名無しさん :2013/01/02(水) 23:27:36.78 0
you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。 それを見ると中国人も中国の民主化を望んでいる事がわかります。 新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。 日本語による吹き替えも毎日アップしています。 日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。 新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。 さらに新唐人テレビを衛生放送を使って中国国内に放送する計画まであります。 これはある意味、中国共産党に対する強力な「兵器」です。 新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
先生、3学期はいつからですか〜
子釣而不綱 弋不射宿 子、釣りして綱せず。弋して宿を射ず。 先生は一本釣りはしたが、一本の綱に大量に釣り針をつけて大漁旗をかかげるような漁師顔負けの大規模漁はしなかった。 また矢に糸をつけて飛ぶ鳥を勢いよく射落とすことはあっても、巣にいて安心しきっている鳥を射ることはなかった。 すいません、かなり長い正月気分でサボっちゃいました
子曰 蓋有不知而作之者 我無是也 多聞擇其善者而從之 多見而識之 知之次也 子曰く、蓋し知らずしてこれを作る者あらん。我はこれなきなり。 多く聞きその善きものを択びてこれに従い、多く見てこれを識すは、知るの次ぎなり。 物事に通暁しないで創作に励む人もいるだろうが、私にはそういう所はないんだな。 なるべく多くの意見を聞き、その中から善いものを択びだしてこれに従う。 また広く物事を自分の目で確かめて、知識とする。 洞察力の鋭い天才型の知者とはいえないが、それに次ぐ者ではあるだろうね。
先生が戻ってきた! 今年も楽しみにしてます
互郷難與言 童子見 門人惑 子曰 與其進也 不與其退也 唯何甚 人潔己以進 與其潔也 不保其徃 互郷、ともに言い難し。童子見ゆ。門人惑う。子曰く、その進むにくみする也。その退くにくみせざる也。唯だ何ぞ甚だしき。 人、己を潔くしてもって進まば、その潔きにくみせん。その徃を保せざるなり。 互郷の人間といえば偏屈で話の分からぬものばかりなうえ、みなチンピラ揃いであった。 その互郷のDQN少年が先生に面会を求めて来たので弟子達は困惑してしまった。 先生がおっしゃった。 「わしは人の進歩に手助けするんであって、退歩に手助けすることはない。なんで彼のその心まで疑ったりする必要があるんだね。 人が心も新に潔く進歩しようとするなら、その潔い心をこちらも潔く手助けしたいと思う。 その結果がどうなるか、それは彼の問題であって、わしはその結果を前もって見越すような真似はしたくないんじゃよ。」 とりあえず頑張ります
246 :
考える名無しさん :2013/01/27(日) 09:55:46.17 O
子曰 仁遠乎哉 我欲仁 斯仁至矣 子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、ここに仁至る。 仁は私達から遠くかけ離れた超人的資質なのではない。 私が仁を欲すれば、仁はすぐさまやってくる。
陳司敗問 昭公知禮乎 孔子對曰 知禮 孔子退 揖巫馬期而曰 吾聞 君子不黨 君子亦黨乎 君取於呉 爲同姓謂之呉孟子 君而知禮 孰不知禮 巫馬期以告 子曰 丘也幸 苟有過 人必知之 陳の司敗問う。昭公は礼を知れるか。孔子対して曰く。礼を知れり。孔子退く。巫馬期を揖して曰く。われ聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。 君、呉に取れり。同姓なるが為にこれを呉孟子という。君にして知を禮らば、たれか礼を知らざらん。巫馬期以って告す。子曰く、丘や幸なり。苟しくも過らば、人必これを知る。 陳の司法官が「魯の先代の昭公様は礼をわきまえていらっしゃいましたか?」と質問された。 先生が答えておっしゃった。「知っていらっしゃっいましたよ。」そして先生は退出された。 司法官は先生の弟子の巫馬期に礼をして自分の近くに招いて尋ねられた。 「君子というものはえこひいきしないと私は聞いておりましたが、やはり君子もえこひいきするもんなんでしょうな。 魯の先代の王であらせられた昭公様は呉の国から后を娶られたが、お后様が同姓であったため呉孟子と普段呼んでおられたとか。 これは同姓同士は結婚しないという社会的な慣習にも反しますし、さらにはそれを隠匿されるような真似をしてますね。 このような君主が礼を知るなどと孔子様がおっしゃるならば、礼を知らない人間などこの世からいなくなりますな。ハハハハハ」 巫馬期はこのことを後で先生に伝えた。 先生がおっしゃった。 「私は幸せな男だ。少しでも間違いがあれば誰かがそれに気づくんだからね。いやいや参ったね、アハハハハ」
子與人歌而善 必使反之 而後和之 子、人と歌いて善ければ、必ずこれをかえさしめて、しかる後に之に和す。 先生はカラオケで人がいい歌を歌うと、必ずといっていいほど次に同じ曲を入力して自分が覚える為に歌わせるのだった。 そしてさらにもう一度しつこいようだが同じ曲を入力して今度は一緒になって合唱するのだった。
249 :
考える名無しさん :2013/01/30(水) 04:05:06.38 0
論語なんて盲信できるおまえらはすごい
250 :
考える名無しさん :2013/01/30(水) 04:51:34.05 0
孔子って葬式の重要性は強調しているのに死後の世界を全然語ってない。なんかクールでかこいいね。
言葉はいいよね論語
子曰 文莫吾猶人也 躬行君子 則吾未之有得也 子曰く、文はわれなお人のごとくなることなからんや。躬、君子を行うことは、すなわちわれ未だこれを得るあらず。 文章に関してはそれなりに自信があるが、 君子のような行動となるとちょっとわしでも覚束なくなるね。
ごちゃごちゃ言ってねえでまずは小室先生で勉強しろ。話はそれからだ。
子曰 若聖與仁 則吾豈敢 抑爲之不厭 誨人不倦 則可謂云爾已矣 公西華曰 正唯弟子不能學也 子曰く、聖と仁とのごときは、則ちわれ豈に敢えてせんや。そもそもこれを為して厭わず。 人に誨えて倦まざるは、則ち謂うべきのみ。公西華曰く、正にこれ弟子学ぶ能わざるなり。 聖人や仁者には及びもつかぬが、 それを目指して生きることに嫌になったりせず、 その教えを広めることに飽きたりしないという点では自分は合格点だね。 弟子の公西華さんが言った。 「先生のそういうところが真似できねぇや」
子疾病 子路請祷 子曰 有諸 子路對曰 有之 誄曰 祷爾于上下神祇 子曰 丘之祷久矣 子の疾まい病なり。子路祷らんことを請う。子曰く、これ有りや。子路対して曰く、これ有り。 誄に曰く、爾を上下の神祇に祷ると。子曰く、丘の祷ること久し。 先生が重い病で臥せっておられた。 子路さんが病気の快癒を願って祈祷したいと言った。 先生がおっしゃった。 「子路ちゃん、そういった先例はあるのかい?」 「ございますとも、誄という文献にはあなたの為に上と下の天地の神様に祈るとありますからね」 「そうかい、でもわしは常日頃から天地の神様に祈りつつ、その神意に適うように長い間行動してきたんだよ、 もうそれで充分さね」
子曰 奢則不孫 儉則固 與其不孫也寧固 子曰く、奢れば則ち不孫、儉なれば則ち固し。 その不孫ならんよりは寧ろ固しかれ。 贅沢な生活を送ってると傲岸不遜になるし、 一ヶ月一万円生活を送っていると余裕がなくて融通がきかなくなる。 しかし傲慢なくらいなら融通がきかないほうがまだしもだね。
>>251 論語好きでも盲信してる人は少ないんじゃないの?
本読んだり、好きだったら盲信してるって考えのほうがヤバいわ。
孟子「本読んで丸ごと信じるくらいなら本なんてよまねー方がマシ」
名言がいっぱいあってたのしい。
子温而レイ 威而不猛 恭而安 子、温にしてはげし。威ありて猛からず。恭にして安し。 先生は温かい人柄だが時に厳しくもあり、 滲み出る威厳があったが、周りに圧迫感を与えるようなことはなかった。 そして人には常に恭しい態度で臨み、心は安らかだった。
子曰 泰伯其可謂至徳也已矣 三以天下譲 民無得而稱焉 子曰く、泰伯はそれ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以て譲り、民得て称するなし。 泰伯こそが最高の徳の人だね。 周の後継者でありながら、末弟の息子で文王に王者の才があると考える父の意向を汲み取るやいなや、 自分の権利を捨てて国を出奔し、父の死を伝えられても戻らず、 さらに戻れというのを髪を切りタトゥーをしてまで三度も固辞したのだからね。 当時の民衆は彼の心など知るよしもなかった。 わがまま三昧で放浪癖があり親不孝ながっかりDQN皇太子と民衆は思っていたことだろう。 しかし彼はそのように考える民衆の幸福だけを願い自己を捨て行動したのだ。
子曰 恭而無禮則労 慎而無禮則シ 勇而無禮則亂 直而無禮則絞 君子篤於親 則民興於仁 故舊不遺 則民不偸 子曰く、恭にして礼なければ則ち労す。慎にして礼なければ則ちしす。 勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞。 君子親に篤ければ、則ち民仁に興る。故旧遺れざれば、則ち民偸からず。 恭しくしても、礼がなければただ疲れるばかりだ。 慎重さも、礼がなければただ無駄に恐れ入るばかりだ。 勇敢さも、礼がなかればただの乱暴者になってしまう。 真っ直ぐさも、礼がなければ人を窮屈にさせるばかりさ。 話は変わるがね、人の見本になるべき君子が親に優しく接すれば、民は仁を理解するようになる。 そして昔お世話になった恩人を忘れないならば、民は薄情ではなくなる。
曾子有疾 召門弟子曰 啓予足 啓予手 詩云 戰戰兢兢 如臨深淵 如履薄冰 而今而後 吾知免夫 小子 曾子疾あり。門弟子を召びて曰く。わが足を啓け。わが手を啓け。 詩に云う。戰戰兢兢として、深淵に臨むが如し、薄冰を履むが如し。今よりして後、吾れ免るることを知るかな、小子よ。 曾子さんが重い病気にかかられたので、門弟達が呼ばれた。 「俺の足を見ろ!俺の手を見ろ! 詩経にも云うじゃないか! 戦々恐々として 深き淵の前に立つように 薄い氷を踏むように 俺は諸君らにこの身体は親から受け取ったもので自分の身体を傷付けるのは親不孝の始まりだと常々語ってたじゃないか! そんな心配ももうしなくてすむんだぜ!! 俺はこの目的をこの人生でこうして見事にやり遂げたんだ!! どうだい諸君!! 母ちゃん俺やったよヾ(o´∀`o)ノ」
曾子有疾 孟敬子問之 曾子言曰 鳥之将死 其鳴也哀 人之将死 其言也善 君子所貴乎道者三 動容貌 斯遠暴慢矣 正顔色 斯近信矣 出辭氣 斯遠鄙倍矣 ヘン豆之事 則有司存 曾子疾あり。孟敬子これに問う。曾子言いて曰く。鳥の将に死なんとするや、その鳴くこと哀し。 人の将に死なんとするや。その言うこと善し。君子の道に貴ぶ所のものは三つ。 容貌を動かして、斯に暴慢を遠ざく。顔色を正しては斯に信に近づく。辭氣を出しては、斯に鄙倍を遠ざく。 ヘン豆の事は、則ち有司存せり。 曽子さんが重い病で寝込んでい所を魯の家老である孟敬子様がお見舞いに来られた。 曽子さんが言った。 「鳥が死ぬ時の声は哀しいものです。 そして人が死ぬ時の言葉は善いものです。 君子が礼の道で貴ぶ要訣は突き詰めて言えば三つです。 見なりや行動を礼で律するならば、乱暴さや傲慢さから遠ざかることができます。 顔の表情を礼によって律するならばそこからいつか信が滲み出るようになります。 言葉の語気を礼で律するならば、卑しさや他人の心を逆なでするような態度から遠ざかることができるのです。 ご家老様ともあろう方がせわしなく顔を赤くして、 声を荒げわざわざお祭りの器物がああだこうだとうるさく指図する必要はないのです。 かかりの役人がいるのですから。」
曾子曰 以能問於不能 以多問於寡 有若無 實若虚 犯而不校 昔者吾友嘗従事於斯矣 曾子曰く、能を以って不能に問い。多きを以って寡きに問い。 有れども無きが若く。實つれども虚しきが若し。 犯されて校いず。昔、わが友嘗てここに従事せり。 曽子さんがおっしゃった。 才能があるにも関わらず才能がないものにも質い尋ね、 知識が豊かであってもその少ない者にさえ確認した。 実力があってもそれをひけらかさず、 害を受けてもそれに報復するような真似はしなかった。 私の失くなった友人の顔回はこういう男だった。
267 :
考える名無しさん :2013/02/10(日) 11:18:29.96 O
曾子曰 可以託六尺之孤 可以寄百里之命 臨大節而不可奪也 君子人與 君子人也 曾子曰く、以って六尺の孤を託すべく、 以って百里の命を寄すべく、大節に臨んで奪うべからず。 君子人か、君子人なり。 曽子さんがおっしゃった。 みなしごの幼君の後見人として適役で、 一国の政治を摂政として立派にやっていける、 大事に臨んでブレがない。 こういう人はなんと君子であることか、ホントにまったく君子だね。
268 :
傾奇者 :2013/02/10(日) 23:00:08.94 0
曾子曰 士不可以不弘毅 任重而道遠 仁以爲己任 不亦重乎 死而後已 不亦遠乎
曾子曰く、士は以って弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。
仁以っておのれが任となす。亦た重からずや、死して後に已む。亦た遠からずや。
曽子さんがおっしゃってたね。
男という者は度量が大きく断固としていなくてはならない。
その責任は重く道のりは遠いのだから。
仁という目標は大変重いもんだ。
それは死ぬまで終わらない。
ぱねぇ遠ささね。
それではお聞き下さい。
きゃりーぱみゅぱみゅちゃんで「PONNPONPON」
http://www.youtube.com/watch?v=yzC4hFK5P3g
子曰 興於詩 立於禮 成於楽 子曰く、詩に於いて興り、禮に於いて立ち、楽に於いて成る。 人間性というものは粗削りな詩的情動、いわば荒々しい詩的精神となって、霧のかかる神話的な朝焼けから初めてその姿を現す。 そしてそうした粗削りな情動は時に激烈となって神話的な悲劇を産み出すわけだが、 そこから生じる様々な罪・科・過誤を防ぐ為、世の賢人達は行動の規範としての禮を確立し、 儀礼的な律動によって荒魂を制御する方法を開示する。 しかし禮によて制御された魂は未だ二重性の中で分裂を体験し言うまでもなく苦悩したままである。 それは引き裂かれた二元論的自我であり、まるで内面に天使と悪魔が同時に住み着き対立しているようなものである。 これは陰陽の対立の図でもある しかしこのような二重性から生じる苦悩はやがて音楽によって調和を体験し、 いつしか古太極図の如く陰陽のバランスが拮抗し人間精神は安心の和らぎの中で君子として確立することとなろう。 三重性によってそれは三本脚の鼎のように安定しているのだ。
子曰 民可使由之 不可使知之 子曰く、民をこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。 聖人の道に民を従わせることはできる。 しかし一般人にこれを理解させることはなかなかできない。 なんとなれば理解ということは賢者や知者の範疇に属するものであるし、 私の弟子ぐらいでようやくそれが分かるのであるから。
子曰 好勇疾貧 亂也 人而不仁 疾之已甚 亂也 子曰く、勇を好みて貧しきを疾むは乱なり。 人にして不仁なる、これを疾むこと甚だしきは乱なり。 勇ましいことを好んでいるような連中が貧乏を毛嫌いすると とんでもないことまでやりはじめる。 人が仁愛に欠けていることを憎み始めて度を越すと、 これもまたとんでもない正義面した乱暴をやり始める。 勇敢さや正義感もそれだけが突出して発達してしまうと弊害がでるんだね。
子曰 如有周公之才之美 使驕且吝 其余不足観也已矣 子曰く、もし周公の才の美あるとも、驕りかつ吝かならしめば、その余は観るに足らざるのみなり。 もし周公のような素晴らしい才能があったとしても、 傲慢でケチならもはやそのほかを見る必要もない。
三年學不至穀 不易得也已 三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。 三年ぐらいわしのところで学んで、就職活動に邁進してしまってさらに学問に精進しようって人は少ないね。 みんなすぐに野心家になって仕官して名声や富を望むか、 腹を空かしていたんではなんにもならない、おもしろくない、食う為には働かなきゃいけないって話ばかりになる。
子曰 篤信好學 守死善道 危邦不入 亂邦不居 天下有道則見 無道則隱 邦有道 貧且賎焉 恥也 邦無道 富且貴焉 恥也 子曰く、篤く信じて學を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず。亂邦には居らず。 天下に道あらば則ち見れ、道なけれ則ち隱る。 邦に道あるに、貧にして且つ賎しきは恥なり。邦に道なきに、富みて且つ貴きは恥なり。 信念をもって学問に邁進し、死ぬ気で道を善くしようと心掛ける。 危ない国で遊んだりせず、乱れた国からは一目散に立ち去る。 この世界に道があると思えば世に出て縦横無尽に大活躍し、 道がない無法な時代ならニートと罵られようが引きこもって意に介せず。 国に道があるのに、貧しくて地位が低いのは残念であり恥辱であるが、 国に道がないのに、金持ちでVIPなのはこれまた恥ずかしい。
子曰 不在其位 不謀其政也 子曰く、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。 自分の職権の範囲を超えてまで人の仕事に口出ししない。
子曰 師摯之始 関雎之亂 洋々乎盈耳哉 子曰く、師摯の始め 関雎の亂りは、洋々乎として耳に盈てるかな。 魯の楽官である摯の作曲した 詩経の始まりの曲、「関雎」の最終部は 広々として何とも心地好く耳いっぱいに広がるもんだな。
子曰 狂而不直 トウ而不愿 控控而不信 吾不知之矣 子曰く、狂にして直ならず。とうにして愿ならず。控控にして信ならずんば、われこれを知らず。 気狂いじみているのに偏執狂じみた一本気さえなく。 馬鹿なのに馬鹿の一つ覚えのような地道さえない。 愚直そうなのに信用ならない。 人もこうなってくるともうワシも知らんわいw
子曰 學如不及 猶恐失之 子曰く、學は及ばざるが如くして、猶おこれを失わんことを恐る。 学問は常に「俺はまだまだだな」という気持ちで臨み、 さらには学ぶ好機は今しかねぇこの機会を逃したら、 一生そのチャンスを失うんではないかという気持ちで臨むがよろしかろう。
280 :
考える名無しさん :2013/02/22(金) 06:16:03.08 O
子曰 巍巍乎 舜禹之有天下也 而不與焉 子曰く、巍巍たるかな、舜禹の天下を有てるや、而して与らず。 なんとも偉大で堂々としたことだ。舜や禹の天下の統治の仕方は! みんなに任せて何にもしなかったんだから。 そこにただ居座っているだけで天下が丸く治まってこそ聖天子ってもんだね。
子曰 大哉 堯之爲君也 巍巍乎唯天爲之大 唯堯則之 蕩蕩乎民無能名焉 巍巍乎其有成功也 煥乎其有文章 子曰く、大なる哉、堯の君たるや。巍巍乎として唯だ天を之大なりとなし、唯だ堯は之に則る。 蕩蕩乎として民能く名づくるなし。巍巍乎として其れ成功あり。煥乎として其れ文章あり。 なんと素晴らしいことだ! 堯の君主としてのありさまは。 堂々たる天のみを偉大なるものとし、 自らはへりくだり、天の意思に則るばかりだった。 その政治のありさまはといえばのびのびとして、民のユング的な集合的無意識に働きかけるばかり、 そして民はその恩恵を名付け指摘しようもなかった。 なんとその徳は堂々と聳え立つことか! そして目に見えぬ恩恵が形となり立派な業績となって残ったのだ。 それは輝かしき文化となって花開いたのだ!
舜有臣五人 而天下治 武王曰 予有亂臣十人 孔子曰才難 不其然乎 唐虞之際 於斯爲盛 有婦人焉 九人而已 三分天下有其二 以服事殷 周之徳 其可謂至徳也已矣 舜、臣五人ありて、天下治まる。武王曰く、われに亂臣十人あり。孔子曰く才難しと。其れ然らずや。 唐虞の際、ここに於いて盛んとなす。婦人あり。九人のみ。 天下を三分してその二あり。以って殷に服事す。周の徳、其れ至徳と謂うべきのみ。 舜には5人の有能な家臣がいて天下が治まった。 周の武王の言葉に、「我輩には有能な家臣が十人おるのじゃ」というのがあった。 それをうけて先生がおっしゃった「才ある人材は得難しという諺があるがその通りだね。 そして堯舜の時代以降、周の時代こそ最盛期であると言われているが、婦人が一人いるからこれを除くと九人なんだな。 そのような勢いでありながら、天下の三分の二を掌握し殷に仕えていたのだから、 周の徳は、徳の至りと言っていいだろうね。」
子曰 禹吾無間然矣 菲飲食而致孝乎鬼神 惡衣服而致美乎黻冕
卑宮室而盡力乎溝洫 禹吾無間然矣
子曰く、禹はわれ間然することなし。飲食をうすくして、孝を鬼神に致し。
衣服を悪しくして美を黻冕に致し、宮室を卑くして力を溝洫に尽くす。
禹はわれ間然することなし。
夏王朝の始祖である禹にはケチをつけようもない。
その国の富貴を一身に集める首長でありながら飲食を切り詰め、神々への祭祀を篤くした。
普段の衣装はシンプルなものとし、祭祀の際の衣装である前だれと冠だけは立派にした。
自らの宮殿はあばら家のようであったが、潅漑事業に心血を注ぎ、洪水を未然に防いだ。
質素と謙譲と仁愛の精神の権化である禹にどうして私ごときがケチをつけられようか!
そんじゃワシのリクエストナンバー聞いてくれ!
平沢進でParadeじゃ!
http://www.youtube.com/watch?v=1oReEhkXK5M
子罕言利與命與仁 子罕に利と命と仁とを言う。 先生は物事の利害と人の運命と徳の最高のものである仁については殆ど口にしなかった。
達巷黨人曰 大哉孔子 博學而無所成名
子聞之 謂門弟子曰 吾何執 執御乎 執射乎 吾執御矣
達巷党の人曰く、大なる哉孔子、博く学びて名を成すことなし。
子これを聞きて、門弟子謂いて曰く、
吾れは何をか執らん。御を執らんか、射を執らんか。吾れ御を執らん。
達党の村人が言った。
「立派なもんだね、孔子様は!
たくさん学ばれているのに、どれもこれが先生のご専門という風に有名になっていないんだからね」
先生がこれをお聞きになってお弟子さん達におっしゃった。
「何の専門家とワシは名乗ったらいいだろうね。
御者かな?弓かな?
まあ御者だろうね。」
では御者としてのワシの姿をどうぞ
http://www.youtube.com/watch?v=7vtWPmc6Pcc
子曰 麻冕禮也 今也純儉 吾從衆 拜下禮也 今拜乎上泰 雖違衆 吾從下 子曰く、麻冕は礼なり。今や純なるは検なりわれは衆に従わん。 下に拜するは礼なり。今上に拜するは泰なり。衆に違うといえども、われは下に従わん。 2400本の麻糸で作り込んだ冠が本来、儀礼の決まりであった。 しかし今は絹糸の冠に変わってしまった。これは質素を求める倹約の精神によってであるから、 ワシもみんなに従おう。 しかし主君に招かれた時に、堂の下でお辞儀をするのが本来の礼儀であったが、 今や堂の上でお辞儀をしている。 これは無駄な動きを省いたように見えても横着と傲慢さの現れであるから、 ワシはみんなと違っても、堂の下でお辞儀をしてご挨拶をするんじゃ。
先生荒々しいw いつもありがとうございます!
子絶四 毋意 毋必 毋固 毋我 子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。 先生は四つのものを絶っていた。 恣意、強制、固執、我意。 これらは人の心を硬化させる。
子畏於匡 曰 文王既没 文不在茲乎 天之将喪斯文也 後死者不得與於斯文 天之未喪斯文也 匡人其如予何 子、匡に畏す。曰く、文王既に没す。文、ここに在らざらんや。 天の将にこの文を喪ぼさんとするや、後死の者この文に与ることを得ざらんや。 天の未だこの文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何。 先生が匡の街に行った時に先生のそっくりさんの陽虎と間違えられて取り囲まれて殺されそうになった。 その時、うろたえる弟子達を宥める為に北斗の拳のハートのような容貌の先生がおっしゃった。 「周の文王が死んでだいぶ経ったわけだが、彼が残した文化というものは今ここにあるのではないのかね。 もし天がその文化を滅ぼそうとするなら、次代の人達はその恩恵に与れないことになる。 しかし天がこの文化を果たして滅ぼそうとするであろうか? 天が滅ぼそうとしない以上、匡のこわっぱどもごときがワシに何ができるというのかね。 片腹痛し!グワハハハハハ」
太宰問於子貢曰 夫子聖者與 何其多能也 子貢曰 固天縦之將聖 又多能也 子聞之曰 太宰知我者乎 吾少也賎 故多能鄙事 君子多乎哉 不多也 太宰、子貢に問いて曰く、夫子は聖者か。何ぞ其れ多能なる。 子貢曰く、固より天縦の將聖にして、又た多能なり。 子これを聞きて曰く。太宰はわれを知れる者か。 吾れ少かくして賎し。故に鄙事に多能なり。君子は多ならんや。多ならざるなり。 呉の総理大臣が子貢さん質問された。 「孔子先生は本当に聖人なんでしょうか。 それにしてはしょうもないことから立派なことまで目も眩むばかりの、 なんでもかんでものマルチな才能をお持ちですな。」 子貢さんが答えた。 「言うまでもなくうちの先生は天が指名した大聖人ですよ。それだからレオナルド・ダ・ヴィンチなみのマルチなわけです。」 先生がこの話を聞いておっしゃった。 「総理はよくワシのことをご存知だなw ワシは若い頃は貧乏で身分も低かったから生きる為にはありとあらゆるアルバイトをやらねばならなかった。 だからつまらんことまで色々できるんじゃ。 聖人がマルチかって!?んなこたない。」
牢曰 子云 吾不試 故藝 牢曰く、子云う、吾試いられず、故に藝あり。 弟子の牢さんが先生の言葉としてこんなことを言ってた。 「私は世の中で用いられなかったからこんなに余計な芸が色々身についたのだ」と
子曰 吾有知乎哉 無知也 有鄙夫 來問於我 空空如也 我叩其兩端而竭焉 子曰く、吾知ることあらんや、知ることなきなり。 鄙夫有り、來たりて我に問う。 空空如たり。我その兩端を叩いて竭くす。 ワシは人がいうような知者なのであろうか。そんなことはないね。 田舎っぺ大将が来て質問したとしよう。 しかしそれはなんとも掴み所のない茫漠とした質問だ。 そういう時はめんどくせぇ野郎だとばかりに頭の両端をブッ叩いて目覚めさせるわけにもいかんもんだよ。 とりあえず肯定と否定の両極端から徐々に何が聞きたいのか明確化して、徐々に田舎っぺ大将の質問の質を高めて答える。 老婆心でそうやるから知者とか言われるんだろうが、 つまりはただのお節介焼きさね。
子曰 鳳鳥不至 河不出圖 吾已矣夫 子曰く、鳳鳥至らず。河、圖を出さず。われやんぬるかな。 ああ、鳳凰もやってこないし、河図も出てきやしない。 もう俺だめだあああああああああ
子見齊衰者冕衣裳者與瞽者 見之雖少者必作 過之必趨 子、齊衰の者と冕衣裳の者と瞽者とを見れば、これを見て少しといえども必らず作ち、これを過ぐれば必らず趨る。 先生は喪服の人と礼服の人と視覚障害者の人を見れば、 その人がどんなに若く自分の後輩であっても、立ち上がって、 通り過ぎるときは小走りで敬意を表した。
顔淵喟然歎曰 仰之彌高 鑽之彌堅 瞻之在前 忽焉在後 夫子循循然善誘人 博我以文 約我以禮 欲罷不能 既竭吾才 如有所立卓爾 雖欲從之 未由也已 顔淵喟然として歎じて曰く、これを仰げばいよいよ高く。これを鑽ればいよいよ堅し。 これを瞻るに前に在れば、忽焉として後に在り。 夫子循循然として善く人を誘い、我を博むるに文を以ってし、我を約するに禮を以ってす。 罷まんと欲っするも能わず。既に吾が才を竭す。 立つ所ありて卓爾たるが如し。これに從わんと欲すと雖ども、由なきのみなり。 顔淵さんがはあとため息をついて言うには、 「先生を仰ぎみればいよいよ高いように感じる。 色々と質問して切り込んでいけばいよいよ堅いように感じる。 前にいるかと思えば後ろにいて神出鬼没。 物事を順序立ててよく人を導かれる。 古来からの文章を示して私の心を広げてくださり、 礼をもって私をピリッと引き締めて下さる。 学問をやめようと何度も思ったがやめられない。 もう私はベストを尽くしているのだ。 先生は私の前にただスッと立っていらっしゃるが、 従おうとしてもどうやっていいのかさっぱり分からない。」
296 :
考える名無しさん :2013/03/08(金) 11:15:16.40 0
子疾病 子路使門人爲臣 病間曰 久矣哉 由之行詐也 無臣而爲有臣 吾誰欺 欺天乎 且予與其死於臣之手也 無寧死於二三子之手乎 且予縱不得大葬 予死於道路乎 子の疾、病なり。子路、門人をして臣たらしむ。病、間なるときに曰く。 久しい哉。由の詐りを行うや。臣なくして臣ありとなす。 吾誰をか欺かん。天を欺かんか。かつわれその臣の手に死なんよりは、むしろ二三子の手に死なんか。 かつ予たとえ大葬をえずとも、予道路に死なんや。 先生の病が重かった時に、子路さんが孔子一門を召集し家臣に見立て、 盛大に先生を見送って豪華な葬式をしてやろうと張り切っていた。 しかし先生はくたばりもせずに意識を取り戻し、おっしゃった。 「またいつものように由ちゃんはでたらめをやってるんだね。 家臣もいないのに家臣があるように振る舞っている。 一体誰を騙そうというんだい。天を騙そうというつもりなのだろうか。 それにワシはいもしない家臣の手に葬式されるより、 ワシが育てたお前達の手で葬式してもらいたいよ。 盛大な葬式をしてもらえなくても、 野垂れ死にの無縁仏にされるなんてことはないんだからね。」
298 :
考える名無しさん :2013/03/09(土) 13:36:11.16 0
子貢曰 有美玉於斯 ウン匱而藏諸 求善賈而沽諸 子曰 沽之哉 沽之哉 我待賈者也 子貢曰く、ここに美玉あり。匱におさめてこれを藏せんか。善賈を求めてこれを沽らんか。 子曰く、これを沽らんかな。これを沽らんかな。我れは賈を待つ者なり。 子貢さんが言った。 「ここに綺麗な玉があったとしたら、先生はこれを箱にしまって隠しておきますか? それともよい買い手を見つけて売りますか?」 「玉石売ります、売ります! 当方買い手を待っています!」
子欲居九夷 或曰 陋如之何 子曰 君子居之 何陋之有 子、九夷に居らんと欲する。或るひとの曰く、陋しきことこれを如何せん。 子曰く、君子これに居らば、何の陋やしきことこれ有らん。 先生がもう中国が嫌になって蛮族のもとに引っ越したいとおっしゃった。 ある人が言った。 「先生、そんな田舎はろくなもんじゃありませんぜ。」 「君子の住むところが、文化の中心となるんだ。なぜろくなもんじゃないと決めつけるんだ、」
子曰 吾自衛反於魯 然後樂正 雅頌各得其所
子曰く、われ衛より魯に反りて、然る後に樂は正しく、雅頌、各其所を得る。
十三年に渡る遍歴を終え衛の国から魯に戻って後、
就職活動に失敗した68歳のワシは音楽の乱れを正す仕事を始め、
詩経の雅頌をそれぞれあるべきところに整理編纂したのだった。
そしてそれから5年後に死んだんじゃ。
そんなわけでこれでも聴いてくれ
ワシが死んで2000年後の明の音楽らしいが、
とりあえずここからさらに想像力で2000年を遡るんじゃ
http://www.youtube.com/watch?v=8jV7oCyCgIw
子曰 出則事公卿 入則事父兄 喪事不敢不勉 不爲酒困 何有於我哉 子曰く、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。 喪の事は敢えて勉ずんばあらず。酒の困れをなさず。何か我れに有らんや。 公の場では身分の高い人にお仕えし、プライベートでは父や兄に奉仕する。 葬式では一生懸命お弔いをして、酒は飲んでも飲まれない。 こうしたことならワシはたいした努力なしにできるんじゃ。
子在川上曰 逝者如斯夫 不舍晝夜 子、川の上に在りて曰く、逝く者はかくのごときか、昼夜を舍てず。 先生が川の辺で言われた。 「活動し移ろい行く万象はこの通りなのだ。 昼も夜も休むことく流れて行く。」
子曰 吾未見好徳如好色者也 子曰く、われ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり。 わしゃ、これまで猥褻(エロ)を好むが如く徳を好むものを見たことがない。
子曰 譬如爲山 未成一簣 止吾止也 譬如平地 雖覆一簣 進吾徃也 子曰く、譬えば山を爲るが如し。未だ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。 譬えば地を平かにするが如し。一簣を覆すと雖ども、進むは吾が徃くなり。 例えば山を作るようなもんだ、もうひとシャベルで完成というところで、 止めたとしたならそれを止めたのは他でもない自分なんだ。 例えば地を平にするようなもんだ、もうひとシャベルでまっ平、 それで完成させるのもやっぱり他でもない自分なんだ。 やるもやらぬも結局は自分次第さ。
子曰 語之而不惰者 其囘也與 子曰く、これに語げて惰たらざる者はそれ回なるか。 何か教えてきちんとそれを実行するのは回ちゃんだね。
子謂顔淵曰 惜乎 吾見其進也 未見其止也 子、顔淵を謂いて曰く、惜しいかな。われその進むを見るも、その止むを見ざるなり。 先生が顔淵さんのことを思い出されておっしゃった。 「早死にしてしまってなんて口惜しいことだ。 あれの進歩しているところを私は見たが、 一カ所に止まるところは見たことがなかった。」
何気に良スレ
子曰 苗而不秀者有矣夫 秀而不實者有矣夫 子曰く、苗にして秀でざるものあり。秀でて実らざるものあり。 苗として植えても穂となる前に終わってしまう人がいる。 穂になったにも関わらず実になる前に終わってしまう人もいる。
子曰 後生可畏也 焉知來者之不如今也 四十五十而無聞焉 斯亦不足畏也已矣 子曰く、後生畏るべし。焉んぞ來者の今に如ざるを知らんや。 四十五十にして聞こゆることなくんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。 若い世代というのは恐るべきだな。 これからの人が自分に及ばないなんて誰が知りえようか。 四十代五十代にもなって人に知られることもないような御仁は恐るるに足らないね。
子曰 法語之言 能無從乎 改之爲貴 巽與之言 能無説乎 繹之爲貴 説而不繹 從而不改 吾未如之何也已矣 子曰く、法語の言は能く從うことなからんや。これを改むるを貴しとなす。 巽與の言は能く説ぶことなからんや。これを繹ぬるを貴しとなす。 説びて繹ねず。從いて改めず。吾れこれを如何とするもなきのみ。 道理に適った厳しい言葉は、はいはいごもっともと権威によって従おうという気になるが、 上辺だけでなく本心から改心するのが重要じゃ。 優しく人をくすぐる褒め言葉は人を悦ばせるが、 その真意を推し量って、ますます精進するのが肝要なんじゃな。 褒め言葉に喜ぶだけで、その真意を汲んでさらに精進せず、 厳しい諌めの言葉に上辺だけ従って本心で改心しないようじゃ、 わしだってどうしようもないよ。
子曰 三軍可奪帥也 匹夫不可奪志也 子曰く、三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。 三万の軍隊からでさえ、桶狭間の織田信長のように敵総大将今川義元の首級を挙げることができる。 しかしどんな下っ端の者からでもその志を奪うことはできない。
子曰 衣敝褞袍 與衣狐貉者立而不恥者 其由也與 子曰く敝れたる褞袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥じざる者は、それ由なるか。 破れたボロボロの服を着て、毛皮のコートを着てる人と並んで、 全く動じず恥じないのは子路ちゃんぐらいだね。
不シ不求 何用不臧 子路終身誦之 子曰是道也 何足以臧 そこなわず求めず。何を用ってか臧からざらん。子路、終身これを誦す。 子曰く、この道や、 何んぞ以って臧しとするにたらん。 人を傷つけず、人からは何も求めない。 これでどうして良くないことが起きようか。 子路さんは詩経のこの詩を終生口ずさんでいた。 先生がおっしゃった。 この道にあっては、それだけで良いとはいえないだろうさ〜。 さらに一歩踏み込んで、人を愛し慈しみ、与えることが肝心だろうよ〜。
子曰 歳寒 然後知松柏之後彫也 子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり。 厳しい冬になってはじめて、松と柏の葉が他より後に枯れ落ちることを知るようになる。
子曰 知者不惑 仁者不憂 勇者不懼 子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。 知者は道において迷うことなく。 仁者は道において憂うことなく。 勇者は道において恐れることがない。
子曰 可與共學 未可與適道 可與適道 未可與立 可與立 未可與権 子曰く、ともに共学すべくも、未だともに道に適くべからず。 ともに道に適くべくも、未だともに立つべからず。 ともに立つべくも、未だともに権るべからず。 共に学ぶことはできても、一緒の道を進めるとは限らない。 一緒の道を進めても、同じ立場でいられるとは限らない。 同じ立場であっても、実行にあたって臨機応変な処置を一緒にできるとは限らない。
唐棣之華 偏其反而 豈不爾思 室是遠而 子曰 未之思也 夫何遠之有 唐棣の華、偏として其れ反せり。豈に爾を思わざらんや。室の是れ遠ければなり。 子曰く、未だ之を思わざるなり。夫れ何んの遠きこと之れ有らんや。 紅の淡く切なきにわうめの その散りゆく様はひらひらと 思はざりきな愛し君 汝が家遠くひたぶるに この身ひとつも散りゆくままぞ 先生がこの詩を読んでおっしゃった。 「これでは思ってるとは言えないな。 本当に思っているなら距離など関係なく会いに行っただろうに。 これは家に来いと誘ってるんだな。 気にくわないから詩経には載せないことにしよう。」
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孔子於郷黨 恂恂如也 似不能言者 其在宗廟朝廷 便便言 唯謹爾 孔子、郷黨に於いて、恂恂如たり。言う能わざる者に似たり。 其の宗廟朝廷に在るや、便便として言い、ひとえに謹めり。 孔子先生は、ご近所ではあたかもしゃべれない人のようで、 にこやかに細かいところまで気を配りねんごろであった。 しかし一度、宗廟や朝廷に出るとはきはきと物を言い、謹厳であった
朝與下大夫言 侃侃如也 與上大夫言 ギンギン如也 君在 シュクセキ如也 與與如也 朝にして下大夫と言う。侃侃如たり。上大夫と言う。ギンギン如たり。 君在ませば、シュクセキ如たり。與與如たり。 先生が群臣が集まる朝礼で下の者と話す時は優しい言葉遣いだった。 上の者と話す時は的確簡潔を旨としていた。 君主がいっらしゃる時は、畏まりながらもなるべく心を合わせるようにした。
君召使擯 色勃如也 足カク如也 揖所與立 左右手 衣前後セン如也 趨進翼如也 賓退 必復命曰 賓不顧矣 君召して擯たらしむれば、色勃如たり。足カク如たり。 ともに立つ所を揖すれば、手を左右にし、衣の前後セン如たり。 趨り進すむに翼如たり。賓退けば、必らず復命して曰く、賓顧みずと。 君主様が先生を他国の使者の接待役に命じた時には、 顔色は引き締まり、足早に動かれた。 左右の接待役の人々と伝言のやり取りでお辞儀する時には、 手を左側の人、右側の人と向け、その時の衣服の前後の捌きは素晴らしかった。 小走りで動く際は翼を広げた鳥のように軽快に進まれた。 使者が退出されると最後まで見送って、君主様に必ず報告された。 「御使者は満足されて振り返ることなく帰られました」と。
入公門 鞠躬如也 如不容 立不中門 行不履閾 過位 色勃如也 足カク如也 其言似不足者 攝齊升堂 鞠躬如也 屏気似不息者 出降一等 逞顔色 怡怡如也 没階趨進 翼如也 復其位 シュクセキ如也 公門に入るに、鞠躬如たり。容れられざる如くす。 立つに門に中せず。行くに閾を履まず。位を過ぐれば、 色勃如たり。足カク如たり。其の言うことは足らざる者に似たり。 齊を攝げて堂にのぼるに、鞠躬如たり。気を屏めて息せざる者に似たり。 出でて一等を降れば、顔色を逞べて、怡怡如たり。 階を没せば趨り進すむこと、翼如たり。其位に復れば、シュクセキ如たり。
先生はお城の門に入る時は慎ましく身体があたかも入らないように身を縮ませた。 そして門の中央部分には立たず、その敷居を踏むこともなかった。 君主の座席の前では顔色を緊張させ、腰を低くして進んみ、口数は少なかった。堂に上がる際には、裾をからげて、慎ましくされ、 心を集中して息をしない者のようであった。 堂から降りる為に階段を一歩降りれば、顔色はのびのびとなり、 階段を降りきれば、鳥のように軽快に小走りに進み、 自分の座席に戻れば、落ち着いていた。
執圭鞠躬如也 如不勝 上如揖 下如授 勃如戰色 足シュクシュク如有循也 享禮有容色 私覿愉愉如也 圭を執れば鞠躬如たり。勝えざるが如し。 上ぐることは揖するが如し。下すことは授くるが如し。 勃如として戰色。足はシュクシュク如として循うことあり。 享禮には容色あり。私覿には愉愉如たり。 使者として他国に赴いた時に玉製の圭を持つ先生は大変慎んだ様子で、 まるで重過ぎて持てない様に見えるのだった。 それを挙げる時はお辞儀をするように見え、下げる時には物を授けるように見えた。 そしてピンと張り詰めた様子で何かに恐れ入ったように見え、 足取りはすりあしで何かに引っ張られ従う様な感じだった。 贈り物を渡す享の儀式の際には、和やかなムードに切り替えて、個人的な会談では楽しそうにされた。
君子不以紺シュウ飾 紅紫不以爲褻服 當暑袗チゲキ 必表而出之 緇衣羔裘 素衣麑裘 黄衣孤裘 褻裘長 短右袂 必有寝衣 長一身有半 孤貉之厚以居 去喪無所不佩 非帷裳 必殺之 羊裘玄冠 不以弔 吉月必朝服而朝 君子紺シュウをもって飾らず。紅紫は以って褻服となさず。 暑にあたっては袗のチゲキ。必らず表してこれを出だす。 緇衣には羔裘。素衣には麑裘。黄衣には孤裘。褻裘は長くし。右の袂は短くす。 必らず寝衣あり。長け一身有半。孤貉の厚きを以って居る。 喪を去けば佩びざる所なし。帷裳にあらざれば、 必らず之を殺す。 羊裘玄冠しては以って弔せず。吉月には必らず朝服して朝す。
君子の服装は簡素と機能性を重視するが金銭に余裕があればケチにならない程度にオシャレをしTPOに応じた格好をするものだ。 とりあえず注意事項を述べよう。 @神事の色である紺や喪服の色の淡紅色で襟や袖の縁をさりげなく飾ってチョイ悪を演じない。 A普段着の上着は間色の紅や紫を使うといったお姉系の真似はしない。 B夏服は葛の布で目の細いものや粗いものを着てもいいが、 それだけだとスギちゃんみたいになるので中に下着を着る。 C冬の朝服で黒い木綿を着る時は中に黒い羊の毛皮を着込む。 D月の朔日の儀式の際には白色の上着に合わせて中に鹿の白い毛皮を着込む。 E豊年の大祭の時に着る黄色の服の時には狐の毛皮を中に着込む。 F普段着の毛皮は寒くないように長くしていいが、邪魔にならないように右の袂は短くする。 G寝る時にくるまる布は身長の一倍半。 H家に居る時は狐や貉の厚い毛皮を敷く。 I喪の時以外は、佩玉などはきちんと帯に付ける。 J略式の袴は必ず上部を狭く裾が広くなるように最初から裁ち落としておく。 K黒い羊の毛皮や赤黒い冠はめでたい時用なので葬式では身につけない。 L毎月朔日には朝服を着て君主に拝謁する。
齊必有明衣布也 齊必變食 居必遷坐 齊すれば必ず明衣あり。布なり。齊すれば必ず食を変じ、居は必ず坐を遷す。 沐浴潔齊の時は必ずゆかたを着て、それは麻製であった。 そして食事は普段と変えて、座る場所も普段とは違うところに座った。
食不厭精 膾不厭細 食饐而アイ 魚餒而肉敗不食 色惡不食 臭惡不食 失ジン不食 不時不食 割不正不食 不得其醤不食 肉雖多不使勝食氣 唯酒無量 不及亂 沽酒市脯不食 不撒薑食不多食 食は精を厭わず。膾は細きを厭わず。 食の饐してアイせると、魚の餒れて肉の敗れたるを食わず。 色の惡しきを食わず。臭いの惡しきを食わず。 ジンの失えるは食わず。時ならざるは食わず。 割正しからざるは食わず。 其の醤を得ざるは食わず。肉は多しといえども、食の氣に勝たしめず。 唯だ酒は量なく、亂に及ばず。 沽う酒と市の脯は食らわず。 薑を撒てずして食らう、多くは食らわず。
先生は食べ物については中々うるさかった。 これは日々の食べ物の影響が肉体的精神的に大きいことを理解しておられたからだ。 ご飯は白ければ白いほど良いとした。 肉や魚の刺身は細ければ細いほど喜んだ。 変な臭いがしたり、味の変わったご飯はたべなかった。 腐った魚や肉も食べなかった。 色が変わったのや腐敗臭のするのは食べなかった。 煮物は煮すぎたりまだ煮えてなかったりするのを食べなかった。 ぐちゃぐちゃな切り方のは食べなかった。 ソースが適正でない食べ物は食べなかった。 肉の分量がご飯の分量を超えてまで食べなかった。 酒の分量は決めてなかったが、酔っ払って乱れるまで飲むことはなかった。 市販の酒や市場の肉は食べなかった。これらは信用できる自家製のみであった。 肉の側に置いた香りづけのしょうがの類も捨てずに食べた。 しかし多くは食べなかった。
祭於公不宿肉 祭肉不出三日 出三日不食之矣 公に祭れば肉を宿にせず。祭りの肉は三日を出ださず。三日を出すればこれを食らわず。 君主の祭祀の手伝いをして下賜された供え物の肉はその日に食べて夜を越さなかった。 自分の家での祭祀の肉は三日以内に食べた。
食不語 寝不言 食ろうに語らず。寝ぬるに言わず。 先生は食事中、談話はしなかった。 寝ようする時には何も言わなかった。
雖疏食菜羹瓜 祭必齊如也 疏食と菜羹と瓜といえども、祭れば必ず齊如たり。 貧しいご飯や野菜スープ、瓜でさえも、食べる前に一部を それを食べることを考えた先祖に必ず敬虔な面持ちで捧げた。
席不正不座 席正しからざれば座せず。 座布団が正しくなってなければ座らず、正しく直してから座った。 先生はこういうところはしっかりしていた。
郷人飮酒 杖者出 斯出矣 郷人の飮酒に杖つく者出づれば、斯に出づ。 町内会では杖をつく老人の後に席をたった。
郷人儺 朝服而立於ソ階 郷人の儺には、朝服してソ階に立つ。 村人が行う節分の儀式の際には、礼服を着て、自宅の先祖を祭った廟の東の階段に立ち、 粗略な扱いをせず最大の尊敬を払って、村人達に儀式をしてもらうのだった。。
問人於他邦 再拝而送之 人を他邦に問えば、再拝してこれを送る。 他国の友人に使者を送る時には、二度地にひざまずいて使者を送り出した。
康子饋藥 拜而受之 曰 丘未達 不敢嘗 康子藥を饋る。拜してこれを受く。曰く、丘未だ達せずと、敢えて嘗めず。 魯の家老季康子様が先生に貴重な藥を贈ってこられた。 先生は丁重な礼をしてこれを受け取った。 そして後でおっしゃった。 「わしは薬についてはあまり詳しくない。 自分の分からないものはむやみに舐めようとは思わない。」
厩焚 子退朝曰 傷人乎 不問馬 厩焚けたり。子、朝とり退きて曰く、人を傷いたりやと。馬を問わず。 先生の家の厩が火事になった。 先生が朝廷から戻っておっしゃった。 「怪我人はいなかっただろうね?」 一切馬のことには触れなかった。
朋友死 無所歸 曰 於我殯 朋友死して、帰るする所無し。曰く、我に於いて殯せよ。 友達が死んで身寄りがなかった。 先生がおっしゃった。 「うちで葬式をやる。」
君賜食 必正席 先嘗之 君、食を賜えば、必ず席を正しくして、先ずこれを嘗む。 主君から食べ物が届けば、必ず席をきちんと座り直して、まず自分が家長として先に食べてみせた。
君賜腥 必熟而薦之 君賜生 必畜之 君腥きを賜えば、必ず熟してこれを薦む。 君生けるを賜えば、必ずこれを畜う。 主君から生肉を貰った際は必ず煮て祖先に捧げた。 主君から生きてる羊などを賜った場合は、飼育した。
侍食於君 君祭先飯 君に侍食するに、君祭れば先ず飯す。 主君と晩餐を共にする時に、君主が食物の一部を捧げ物として取り分けると、 先生は毒味を兼ねて先に食べ始めるのだった。 食いしん坊だからではない。
疾 君視之 東首 加朝服 タ紳 疾まいあるとき、君これを視れば、東首して、朝服を加え、紳をひく。 先生が病気で主君がお見舞いに来られた時は、 東枕にして礼服を寝具に載せて、その上に帯も載せて出向かえた。
君命召 不俟駕行矣 君命じて召せば、駕を俟ずして行く。 主君から呼び出れた時は、馬車の用意ができる前に出掛けてしまわれた。
朋友之饋 雖車馬 非祭肉 不拝 朋友の饋は車馬と雖も、祭の肉にあらざれば拝せず。 友人からの贈り物は、車を貰おうが馬を貰おうが無造作に受け取って、 祭のお下がりの肉を貰った時以外に礼儀作法に則ったお辞儀などはしなかった。
寝不尸 居不容 寝ぬるに尸せず、居るに容ちつくらず。 先生は死んだ人のように大の字になってぐーすか寝ることはなかった。 くつろいで座っている時は勿体振った作った様子は微塵もなかった。
見齊衰者 雖狎必變 見冕者與瞽者 雖褻必以貌 凶服者式之 式負版者 有盛饌 必變色而作 迅雷風烈必變 齊衰の者を見ては、狎れたりといえども必ず變ず。 冕者と瞽者とを見ては、褻といえども必ず貌を以てす。 凶服の者には之を式す。負版の者に式す。盛饌有れば、必ず色を変じて作つ。 迅雷風烈には必ず變ず。 近親者が亡くなって喪服を来てる者には、どんなに親しい間柄であっても必ず同情の念を示しそれを態度で現した。 冕の冠をしている礼装の役人や盲人にあった時も表情から居住まいを正した。 車に乗ってる時に凶服や版をつけた喪中の人に出会ったりした時は車の横木に手をかけお辞儀をした。 立派な料理を振る舞われた時は顔を変えて立ち上がり主人に敬意を現した。 激しい雷や風の時も表情を厳しくされた。
升車 必正立執綏 車中不内顧 不疾言 不親指 車に升るときは、必らず正しく立ちて綏を執り、 車の中にては内顧せず、疾言せず、親しく指ささず。 馬車に乗る時は真っ直ぐ立って吊皮に掴まって颯爽と乗り込み、 後ろを向いてキョロキョロせず、ぺらぺらおしゃべりせず、 道行く人を指差したりしなかった。
色斯擧矣 翔而後集 曰 山梁雌雉 時哉 時哉 子路共之 三嗅而作 色みて斯に擧り、翔りて而る後に集まる。 曰く、山梁の雌雉、時なる哉。時なる哉。子路之を共す。三たび嗅ぎて作つ。 山に散策に出かけていた先生一行。 人の足音に驚いたのか色めき立って雌の雉が空高く上っていった。 そしてしばらく羽ばたきながら旋回して、高い木にとまったのだった。 先生が言った。 「山の橋にいる雌の雉はなんと時節に敏感なことか。 まったく機をみるに敏だね!頃合いというものだ!」 子路さんはそれを聞いて先生が雉が旬だから食べたいのだと思い。 捕まえてそれを先生に出した。 先生は三度その臭いを嗅ぐとそのまま席を立った。 そして所詮逃げる頃合いを知る明敏な雉も無茶苦茶で乱暴な馬鹿にかかれば、 呆気なく殺されるのだいう暗示に、 この国の行く末を見て暗澹たる思いにかられるのであった。
子曰 先進於禮樂野人也 後進於禮樂君子也 如用之 則吾從先進 子曰く、先進の禮樂に於けるや、野人なり。 後進の禮樂に於けるや、君子なり。 如しこれを用うれば、則ちわれは先進に從わん。 先生がおっしゃった。 「先輩達の禮樂ときたら、まるで野人だね。それに比べれば、 後輩諸君は洗練されて君子の趣があるよ。 万葉集と古今和歌集の違いのようなもんさ。 私がどちらを用いるかっていったら、野人どものほうだよ。」
子曰 從我於陳蔡者 皆不及門者也 子曰く、我に陳蔡に従う者は、皆な門に及ばざるなり。 わしについて陳や蔡に行った者は、もうみんな門下からすっかりいなくなってしまったよ。
徳行顔淵閔子蹇冉伯牛仲弓 言語宰我子貢 政事冉有季路 文學子游子夏 徳行には、顔淵、閔子蹇、冉伯牛、仲弓。 言語には、宰我、子貢。 政事には、冉有、季路。 文學には、子游、子夏。 徳の行いでは、顔回ちゃん、閔子蹇ちゃん、冉伯牛ちゃん、仲弓ちゃんが優れていた。 弁舌言論では、宰我ちゃんと子貢ちゃんだね。 政治の分野では冉有ちゃんと子路ちゃん。 学問では子游ちゃんと子夏ちゃん。 世にいう孔門十哲とはこいつらのことだね。
子曰 囘也 非助我者也 於吾言 無所不説 子曰く、囘や、我を助くる者に非ざる也。わが言に於いて、説かざる所なし。 囘ちゃんは、わしの言うことをなんでも理解してしまうから、 議論にもならず、あんまりわしには勉強にならんのよ。
子曰 孝哉閔子蹇 人不間於其父母昆弟之言 子曰く、孝なるかな、閔子蹇。 人、その父母昆弟を間するの言あらず。 先生がおっしゃった。 「閔子蹇は孝行者だよ! ろくでもない親兄弟で一時期彼等は閔子蹇への昼ドラなみのひどい仕打ちで、 世間から非難されていたわけだが、 それも閔子蹇の真の孝心によって改心して、 今では誰も彼等を非難しなくなったんだからね。」
南容三復白圭 孔子以其兄之子妻之 南容三たび白圭を復す。孔子、その兄の子を以てこれに妻あわす。 貴族の南容さんは暇さえあればお気に入りの白圭の歌を口ずさんでいた。 白い玉がかけちまった哀しみは 磨けばなんとでもなるもんさ♪ 失言しちまってやっちまったもんは もうどうしようもないもんさ♪ 美声に感心したかは知らないが貴族の南容さんと お兄さんの娘を先生は後に結婚させたのだった。
顔淵死 顔路請子之車以爲之椁 子曰 才不才 亦各言其子也 鯉也死 有棺而無椁 吾不徒行以爲之椁 以吾従大夫之後 不可徒行也 顔淵死す。顔路、子の車を以ってこれが椁を爲らんことを請う。 子曰く、才も不才も、亦らおのおのその子と言うなり。 鯉や死す。棺有りて椁なし。 吾、徒行して以てこれが椁を爲らず。吾が大夫の後に従えるを以て、 徒行すべからざるなり。 顔回さんが亡くなった時に、父親の顔路さんが先生にお願いした。 「外棺を作る為に、先生の車を下さい。それを解体して外棺にするですじゃ。」 「ちょ待てよ!」先生がキムタク風におっしゃった。 「才能のあるなしに関わらず、どんな子でも子はカワイイものじゃ。 しかしわしの子の鯉が死んだ時でさえ、通常の棺だけで外側の棺までは用意できなかった。 徒歩で出歩いてまでわしはそれを作らせなかった。 わしも大夫のはしくれであるから徒歩で出かけるわけにはいかぬのじゃ。 ならぬものはならぬのですじゃ。」 「先生そこをなんとかお願いしますじゃ。」 「いやいやダメですじゃ。」
顔淵死 子曰 噫 天喪予 天喪予 顔淵死す。子曰く、噫、天、予を喪せり。天、予を喪せい。 顔淵さんが死んだ。 先生が言った。 「イーーーーーーーーーィィィ! 天によるわしへの完全終了のお知らせじゃわい! ワシオワタorz」
顔淵死 子哭之慟 從者曰 子慟矣 子曰有慟乎 非夫人之爲慟 而誰爲慟 顔淵死す。子これを哭して慟す。 從者曰く、子慟せり。 子曰く、慟することあるか。夫の人の爲めに慟するに非ずして、誰が爲めに慟せん。 顔回さんが死んだ!先生が泣いて身を震わせた。 従者が言った。 「先生が慟哭されてる!」 先生が言い返した。 「慟哭していたか! あいつの為に慟哭しないで誰の為に慟哭するんだ!」
顔淵死 門人欲厚葬之 子曰 不可 門人厚葬之 子曰 囘也視予猶父也 予不得視猶子也 非我也 夫二三子也 顔淵死す。門人これを厚く葬らんと欲す。 子曰く、不可なりと。門人厚くこれを葬る。 子曰く、囘やわれを視ること猶お父のごとくなり。 予は視ること猶お子のごとくするを得ざるなり。 我れにあらざるなり。かの二三子なり。 顔回さんが亡くなった。 兄弟弟子達が貧乏だった顔回さんの為に盛大な葬式をすることを望んだ。 先生は「ダメだ」と言って取り合わなかった。 しかし兄弟弟子達は先生の言うことを聞かずみんなでカンパして盛大な葬式をあげた。 先生が嘆息しておっしゃった。 「回ちゃんのワシを見る目は父を見るようであった。 しかしワシは子を見るように回ちゃんを見てやれんかった。 それはワシのせいじゃない。 このバカっぽい兄弟弟子達の面倒をみることばっかに時間を費やしてしまったからだ。」
季路問事鬼神 子曰 未能事人 焉能事鬼 曰 敢問死 曰未知生 焉知死 季路、鬼神に事えんことを問う。 子曰く、未だ人に事うる能わずして、焉んぞ能く鬼に事えん。 曰く、敢えて死を問う。曰く未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。 子路さんがよせばいいのに先生に死者におつかえすることを聞いた。 「生きた人間にも立派に仕えることもできない者が、どうやって死者に仕えるというのかね。」 「それじゃ死とは何ですか?」 「生きることの全体を把握してない我々に、どうして死のことが把握できようか。」
閔子侍側 ギンギン如也 子路行行如也 冉有 子貢侃々如也 子樂 若由也 不得其死然 閔子側に侍す。ギンギン如たり。子路、行行如たり。 冉有、子貢は侃々如たり。子樂しむ。 由やの若きは、その死を得ざるがごtく然かり。 閔子騫さんは先生の側にいて、中庸を得た様子である。 子路さんが厳めしい感じで、冉有さんと子貢さんはにこやかだ。 そして先生はいかにも楽しそうだ。 先生がふと呟いた。「子路ちゃんみたいなのは、畳の上では死にそうにないね。」
魯人爲長府 閔子騫曰 仍旧貫如之何 何必改作 子曰 夫人不言 言必有中 魯人が長府を為る。閔子騫曰く、旧貫に仍らばこれ如何。何んぞ必ずしも改めて作らん。 子曰く、夫人は言わず。言えば必ず中たる。 魯の人々が新しく倉庫を増設した。 閔子騫さんが言った。 「昔からのしきたり通りで何が問題なのだろう。何で新しいものを作る必要があるだろう。」 先生がおっしゃった。 「あいつはものを言わないが、言えば必ず正しいことを言う。不要な箱物だよ」
子曰 由之瑟 奚爲於丘之門 門人不敬子路 子曰 由也升堂矣 未入於室也 子曰く、由の瑟、奚ん爲れぞ丘の門においてせん。門人子路を敬せず。 子曰く、由や堂に升れり。未まだ室に入らざる也。 先生がおっしゃった。 「由ちゃんの琴は、あれは何だい。吾輩に習わず他でやって欲しいくらいだな。」 それ以降門人は子路さんを軽んじるようになった。 「語弊があったようだが、由ちゃんはお前達よりはよっぽどの腕前には達しているんだよ。 ただ奥義には達していないだけだ。」
子貢問 師與商也孰賢 子曰 師也過 商也不及 曰 然則師愈與 子曰 過猶不及 子貢問う。師と商と孰れか賢れる。 子曰く、師や過ぎたり。商や及ばず。 曰く、然らば則ち師愈れるか。 子曰く、過たるは猶お及ばざるごとし。 子貢さんが先生に尋ねた。 「子張さんと子夏さんではどちらが優れてますか?」 「子張はでしゃばり。子夏は引っ込み思案過ぎ。」 「なら積極的過ぎるでしゃばりな方が優れてるでしょうな。」 「でしゃばりも引っ込み思案も中庸を得ていない点ではどちらも一緒じゃよ。」
季氏富於周公 而求也爲之聚斂而附益之 子曰 非吾徒也 小子鳴鼓而攻之可也 季氏周公より富む。而して求やこれが爲めに聚斂してこれに附益す。 子曰く、吾が徒にあらざるなり。小子、鳴を鼓してこれを攻めても可なり。 魯の家老を務める季孫氏は天子の家老である周公より裕福となっていた。 しかしこのような余りある財政状態であるにも関わらず、 その家臣の冉求さんは職務に馬鹿熱心なのか出世に目が眩んだのかさらに税金の取り立てに邁進していた。 先生がおっしゃった。 「あいつはもう俺の弟子じゃないな。 諸君、太鼓を打ち鳴らしてアホの目が覚めるように、ボロクソ叩いても構わんのじゃぞ。」
孔子祭行ってきたよー 先生若いギャルにも意外と人気あるね
柴也愚 參也魯 師也辟 由也ガン 柴や愚。參や魯。師や辟。由やガン。 毒舌の先生が評するに 柴ちゃんこと子羔さんはバカ。 參ちゃんこと曽参さんはウスノロ。 師ちゃんこと子張さんは変人。 由ちゃんこと子路さんはがさつ。 孔子祭なんであるんですね〜ちょっと行ってみたいですね!
子曰 囘也其庶乎 ル空 賜不受命 而貨殖 億則ル中 子曰く、囘や其れ庶きか。しばしば空し。賜は命を受けずして、貨殖す 億すれば則ちしばしば中る。 先生がおっしゃった。 囘ちゃんは仁に近いと言えるだろうね。しかし貧乏だったね。 子貢なんざ言われなくともせっせと金儲けしたというのに、 そしてよくあいつは投機に成功してた。
子張問善人之道 子曰 不踐迹 亦不入於室 子張、善人の道を問う。 子曰く、迹を踐まず、また室に入らざるなり。 子張さんが善人の生き方を先生に尋ねた。 「古人の生き方を学ばないようでは、善人でも奥義には達しないよ。 善人であってもそれだけでは十分ではないのじゃよ、 修業が肝要なのじゃ。」
子曰 論篤是與 君子者乎 色莊者乎 子曰く、論篤にこれ与れば、君子者か、色莊者か。 議論の誠実さだけでは、君子なのか、表面だけ取り繕っているのか判断できない。
どんなに嫌な事があるからと言って他人の悪口を言ってストレスを発散しても因果応報で全て己に返ってきます。 けして平穏な心にはならず自分が更に追い詰められるだけです。 心底幸せと感じられる最大の努力をしましょう☆ 私はバツイチで膝も痛みますが幸せですよ☆☆☆ ちひろっこ@787Rainbow(旧tamanahaa)
子路問 聞斯行諸 子曰 有父兄在 如之何其聞斯行之 冉有問 聞斯行諸 子曰 聞斯行之 公西華曰 由也問 聞斯行諸 子曰 有父兄在 求也問 聞斯行諸 子曰 聞斯行之 赤也惑 敢問 子曰 求也退 故進之 由也兼人 故退之
子路問う、聞けば斯ちこれを行わんか。 子曰く、父兄在す有り。これを如何ぞ其れ聞けば斯ちこれを行わん。 冉有問う、聞けば斯ちこれを行わんか。 子曰く、聞けば斯ちこれを行え。 公西華曰く、由や問う。聞けば斯ちこれを行わんか、子曰く、父兄在すあり。 求や問う、聞けば斯ちこれを行わんか。 子曰く、聞けば斯ちこれを行え。 赤や惑う。敢えて問う。 子曰く、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ぬ、故にこれを退く 子路さんが先生に聞いた。 「教えを聞いたらすぐ実践すべきでしょうか?」 「お父さんやお兄さんがいっらしゃるだろう。 まずお伺いを立ててそれから実践しなさい。」 冉有さんが同じ質問をした。 「教えを聞いたらすぐ実践した方がいいんでしょうか?」 「すぐ実践しなきゃダメだな。」 公西華さんか脇でこの問答を聞いて先生にその矛盾点について敢えて質問した。 「冉有は草食系なんだ。 子路は他人の分まで実践しようというくらいだから、ああいう風に教えた。」
子畏於匡 顔淵後 子曰 吾以女爲死 曰 子在 囘何敢死 子匡に畏す。顔淵後る。子曰く、吾女をもって死せりとなせり。 曰く、子在り、囘、何んぞ敢えて死せん。 先生が匡の土地で陽虎に間違われて殺されそうになった時、顔囘さんは一行から遅れて後で合流した。 先生「おお、囘ちゃん生きてたか、見当たらないから殺されちゃったかと思ったよ。」 顔囘さんは安堵の笑顔で「先生が生きてる以上、私が早く死ぬわけにはいきませんよ!!」
季子然問 仲由 冉求 可謂大臣與 子曰 吾以子爲異之問 曾由與求之問 所謂大臣者 以道事君 不可則止 今由與求也 可謂具臣 曰 然則從之者與 子曰 弑父與君 亦不從也 季子然問う。仲由と冉求とは、大臣と謂うべきか。 子曰く、吾子を以って異なるをこれ問うと為せり。 曾ち由と求とをこれ問えるか。所謂大臣なる者は、道を以って君に事え。不可なれば則ち止む。 今由と求は具臣と謂うべし。 曰く、然らば則ちこれに從う者か。 子曰く、父と君とを弑せんとすれば、亦た從わざるべし。 季子然様が先生におっしゃった。 「うちの子路と冉求は立派な臣下と言えるでしょうな。」 「もっと別の質問でもされるかと思いましたw、 子路と冉求の質問ですかw 所謂、大臣というのもな道によって君主に仕え、それでダメなら辞職するものです。 現在の子路や冉求などはただの数合わせの臣下みたいなもんです。」 「それじゃ二人ともイエスマンみたいなもんですかな。」 「そうは言っても父親や主君を殺すことに同意させたりはできませんよ。」
子路使子羔爲費宰 子曰 賊夫人之子 子路曰 有民人焉 有社稷焉 何必讀書 然後爲學 子曰 是故悪夫佞者 子路子羔をして費の宰爲らしむ。 子曰く、夫の人の子を賊う。 子路曰く、民人有り。社稷有り。何んぞ必らずしも書を読みて、然る後に學ぶと爲さんや。 子曰く、是の故に夫の佞者を悪む。 子路さんが弟弟子の子羔さんを費の町の町長に任命した。 先生がおっしゃった。 「まだ若いあの子をダメにしてしますよ。」 「ははは、民が待っておりますし、仕えるべき鎮守のお社に穀物の神様もおられます。 誰かがやらなくてはダメなんです。 別に書物を読むことだけが学問ではありませんよ、 かの有名な王陽明も事上磨練を唱えてますよ。」 「これだから口先だけの奴は嫌いだよ、歴史の順序まであべこべじゃないか。 わしに王陽明ちゃんで説教するとはいい度胸だね。」
子路 曾皙 冉有 公西華 侍坐 子曰 以吾一日長乎爾 毋吾以也 居則曰 不吾知也 如或知爾 則何以哉 子路率爾而對曰 千乗之國 攝乎大國之間 加之以師旅 因之以饑饉 由也爲之 比及三年 可使有勇 且知方也 夫子哂之 求 爾何如 對曰 方六七十 如五六十 求也爲之 比及三年 可使足民 如其禮樂 以俟君子 赤 爾何如 對曰 非曰能之 願學焉 宗廟之事 如會同 端章甫 願爲小相焉 點 爾何如 鼓瑟希 鏗爾舍瑟而作 對曰 異乎三子者之撰 子曰 何傷乎 亦各言其志也 曰 莫春者 春服既成 冠者五六人 童子六七人 浴乎沂 風乎舞ウ 詠而歸 夫子喟然歎曰 吾與點也 三子者出 曾皙後 曾皙曰 夫三子者之言何如 子曰 亦各言其志也已矣 曰 夫子何哂由也 曰爲國以禮其言不譲 是故哂之 唯求則非邦也與 安見方六七十 如五六十 而非邦也者 唯赤則邦也與 宗廟會同 非諸侯而何 赤也爲之小 孰能爲之大
子路、曾皙、冉有、公西華、 侍坐す。 子曰く、吾一日爾に長ぜるを以って、吾を以ってするなき也。 居れば則ち曰く、吾れを知らざる也と。如し或いは爾を知らば、則ち何を以ってせんや。 子路、率爾として對して曰く、千乗の國、大國の間に攝まれ、これを加えるに師旅を以ってし、これを因ぬるに、饑饉を以ってす。 由やこれを爲むるに、三年に及ぶ比に、勇有らしめかつ方を知らしむ可きなり。 夫子之を哂う。求、爾じは何如。 對して曰く。方六七十、如しくは五六十、求やこれを爲むるに、三年に及ぶ比に、民をして足らしむべし。其の禮樂の如きは、以って君子を俟たん。 赤、爾じは何如。 對して曰く、之を能すと曰うに非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは會同に、端章甫して、願わくは小相と爲らん。 點、 爾じは何如。 瑟を鼓くこと希なり。鏗爾と瑟を舍いて作つ。對して曰く、 三子者の撰に異なれり。 子曰く、何んぞ傷まんや、亦た各おの其の志を言うなり。
曰く、莫春には、春服既に成り、冠者五六人、 童子六七人、 沂に浴し、舞ウに風し、詠じて歸らん。 夫子喟然として歎じて曰く、吾れ點と與にせん。三子者出づ。曾皙後る。 曾皙曰く、かの三子者の言は何如。 子曰く、亦た各おの其の志を言うのみ。 曰く、夫子何んぞ由を哂うや。 曰く、國を爲むるに禮を以ってす。その言譲ならず。是の故にこれを哂う。 求と唯も則ち邦に非ずや。安んぞ方六七十、如しくは五六十にして邦に非さる者と見ん。 赤と唯も則ち邦に非ずや。宗廟と會同とは、諸侯に非ずして何んぞや。 赤やこれが小となる。孰んぞ能く之が大と爲らん。
子路さんと曾参さんのお父さんの曾皙さん、冉有さんと公西華さんが先生とだべっていった。 先生がおっしゃった。 「わしはちょっとだけ年長というに過ぎないから、 今日は無礼講じゃ! お前らときたらすぐに自分のことを人は理解しないといっては歎くが、 ではもし理解者が現れたらどうやって力を発揮するのかね?」 還暦を迎えたばっかの子路さんが真っ先に答えた。 「戦車千台を保有する国が大国に挟まれ、軍隊の侵略を受け飢餓が発生したとしましょう。 わたくしはこの国を立派に治めて三年も過ぎれば、民の勇敢な心を鼓舞して、人の道を教えます!」 先生はこれを聞いて吹いた。 「求ちゃんはどうだい?」 「わたくしは中間ぐらいの国を治めて三年も過ぎる頃には、 民を経済的に豊かにしてみせましょう、禮樂のようなものは私では荷が重いので、 さらなる優れた人材を待つことします。」 「赤ちゃんはどうだい?」 「うまくできるかどうかは言いませんが、 できれば勉強のつもりで、宗廟の行事ですとか大名の国際会議などで、 端章甫の格好で君主の補佐役である小相をやってみたいです。」 「點ちゃんはどうだい?」会話の邪魔をしないよう静かに
琴をつまびいていた曾皙さんは 琴を床にカタッと置いて立ち上がって言った。 「三人の方とは抱負が異なります…」 「別に気にするでないwみんな好き勝手言ってるだけなんじゃから!」 「それでは… 春の終わりにはすでに新しい春服が出来上がっており、 冠をつけた成人メンバー五六人と子供達を六七人引き連れて、 曲阜の郊外の沂のせせらぎで沐浴して、 雨乞いの儀式をする場所で千の風に乗って、 合唱して帰りたいです」 先生はため息を漏らし賛嘆した。 「Oh,Yes!!」 三人が先に退出すると曾皙さんだけが残った。 「三人の意見はどうだったんですか?」 「別に好き勝手いっただけだからな」 「なんで由さんを笑ったのですか?」 「国を治めるには禮が根本だ。 しかしまったく謙譲の心のない大言壮語だったから吹いちゃったんじゃw 求ちゃんだって国の話だね、多少遠慮して中ぐらいの国と言ったてが… 赤ちゃんも宗廟といい会同といい、これも国政への参与の話だ。 遠慮し過ぎて補佐役なんて言ってるがあいつが補佐役なら、 彼の上司を務める人物なんかおらんよ。 四人の見識の優劣を論じるつもりはない、 それぞれ好き勝手言ってるだけだから」
顔淵問仁 子曰 克己復禮爲仁 一日克己復仁 天下歸仁焉 爲仁由己 而由人乎哉 顔淵曰 請問其目 子曰 非禮勿視 非禮勿聽 非禮勿言 非禮勿動 顔淵曰 囘雖不敏 請事斯語矣 顔淵仁を問う。子曰く、己に克ちて禮に復るを仁と爲す。 一日己に克ちて禮に復れば、天下仁に歸す。 仁を爲すは己に由る。而して人に由らんや。 顔淵曰く、 請うその目を問う。 子曰く、禮にあらざれば視る勿れ。禮れあらざれば聽く勿れ。 禮にあらざれば言う勿れ。禮にあらざれば動く勿れ。 顔淵曰く、囘不敏なりと雖ども、請う斯の語を事とせん。 顔囘さんが仁について質問した。 「己の欲望に打ち勝って、禮の根本に立ち返るを仁とするのじゃ。 一日己に打ち勝てば、天下は全て仁に立ち返るのだという信念と全世界への責任意識をもつのが肝心じゃ。 仁を爲すのは自分であって他の誰でもない。 全ての私がこのような自覚をもって実践すれば世界は変わるのじゃ! 顔囘さんがその細目をお聞かせ下さいとせがんだ。。 「禮に反することは見ない、聞かない、言わない、行動しない。これじゃ。」 「ふつつか者の囘ではございますが、先生のお言葉を大事と致します。」
仲弓問仁 子曰 出門如見大賓 使民如承大祭 己所不欲 勿施於人 在邦無怨 在家無怨 仲弓曰 雍雖不敏 請事斯語矣 仲弓仁を問う。 子曰く、門を出でては大賓を見るが如し。民を使うには大祭に承うるが如くす。 己の欲っせざるところを、人に施す勿れ。 邦に在りては怨みなく、家に在りては怨みなし。 仲弓曰く、雍は不敏と雖も、請うこの語を事とせん。 仲弓さんが仁について質問した。 滅多に仁について語らない先生が奥義として伝えた。 「一度家を出たら、どんな物事も最も大事なお客さんのような目で見て取り扱え! 人々を使役する立場に立ったら、大事なお祭りの神事に臨む気持ちで行え。 その行動は常に神社での参拝のような敬虔さが必要なんじゃ。 自分の望まぬことは人にするな! 公私ともに人に怨まれるようなことがないよう振る舞え。」 仲弓さんが言った。 「雍は愚か者ですが、この言葉を大事にして頑張ります!」
司馬牛問仁 子曰 仁者其言也訊 曰 其言也訊 斯謂之仁矣乎 子曰 爲之難 言之得無訊乎 司馬牛仁を問う。子曰く、仁者はその言や訊。 曰く、その言や訊、斯ちこれを仁と謂うか。 子曰く、これを爲すこと難し、これを言いて訊するなきを得んや。 司馬牛さんが仁の深奥を尋ねた。 先生がおっしゃった。 「仁者の言葉は重く、そして多くを語らない。」 「言葉が重く多くを語らないというだけで仁者と言えるでしょうか?」 「あらゆる徳義的な行為は重く深くそしてその実践は困難だ。 それ故に全てに渡って仁者はその言葉が重くならざるを得ない。」
司馬牛問君子 子曰 君子不憂不懼 曰 不憂不懼 斯謂之君子矣乎 子曰 内省不疚 夫何憂何懼 司馬牛君子を問う。子曰く、君子は憂えず懼れず。 曰く、憂えず懼れず、斯ちこれを君子と謂うか。子曰く、内に省りみて疚しからず。夫れ何をか憂え何をか懼れん。 司馬牛さんが君子について先生に質問した。 「君子はくよくよ心配して悩んだり、あれやこれや色々恐れたりしないものだ。」 「心配したり恐れたりしないだけで君子と言えましょうか?」 「自分の良心に照らして疚しいところが微塵もない。 それで何を心配したり恐れたりすることがあろうか。明朗であれ!」
司馬牛憂曰 人皆有兄弟 我獨亡 子夏曰 商聞之矣 死生有命 富貴在天 君子敬而無失 與人恭而有禮 四海之内 皆兄弟也 君子何患乎無兄弟也 司馬牛憂いて曰く、人皆兄弟有り。我獨り亡し。 子夏曰く、商これを聞く。死生に命有り。富貴は天に在り。君子は敬して失うなし。 人と與わるに恭しくして禮あらば、四海の内は皆兄弟なり。 君子何を患んや兄弟なきを。 司馬牛さんがブルーになって言った。 「みんな兄弟がいて楽しそうなのに、私は今やこの国に一人で、私のバカな兄は君主に謀叛して逃亡者だ。 僕はひとりぼっちなんだ(>_<)」 子夏さんがこれを聞いて慰めた。 「私はこんな言葉を聞いたことがありますよ。 富貴生死は天命なのですから歎いても仕方ない。 君子は全てを敬い、損得も流れのまま、それ故失うものもありませし、信頼を失うこともありません。 人との交際では謙虚に恭しくして礼を以って接するので四海の人々はみな兄弟です。 お兄さんの桓タイさんが先生を殺そうとしたからって あなたが君子なら誰も責めません。 あなたは私達の兄弟なんです。 ですから君子は兄弟のいないのを歎いたりしないものです。 元気出して下さいね!」
達巷党人曰大哉孔子博学而無所成名 子聞之 謂門弟子曰 吾何執 執御乎 執射乎 吾執御乎 サイタマの人が「孔子って凄いよね。何でも良く出来るのに その癖それで一番って得意分野がないんだから」って言った。 先生はそれを聞いて弟子たちにぼやいた。 「何か得意分野でも作ろうか。 競馬にしようか。パチンコにしようか。競馬があってるかな。」
子張問明 子曰 浸潤之譖 膚受之愬 不行焉 可謂明也已矣 浸潤之譖 膚受之愬 不行焉 可謂遠也已矣 子張、明を問う。子曰く、浸潤の譖、膚受の愬、行われず。明と謂うべきのみ。 浸潤の譖、膚受の愬、行われず。遠と謂うべきのみ。 子張が明らかな心を質問した。 「ジワジワと心に染み込むような讒言や、皮膚にチクリチクリと効くような中傷に、一切耳を貸さない。 これは知恵の明るさというものであり、人が到達するのもやっとな遠大な境地と言ってもよい。」
392 :
考える名無しさん :2013/05/26(日) 23:48:44.01 O
とりあえずみんなやる人は遠慮せずドンドン面白いのを意訳して欲しいですよねw
儒教の経典に四書はいらない 五経だけを読むべし
394 :
理屈や :2013/05/27(月) 10:25:32.74 0
「中国思想のご都合主義」 「儒教」「仏教」「道教」 マトメテ、「三教」 と言う お好きなものを、お選び下さい
子貢問政 子曰 足食 足兵 民信之矣 子貢曰 必不得已而去 於斯三者何先 曰 去兵 子貢曰 必不得已而去 於斯二者何先 曰去食 自古皆有死 民無信不立 子貢政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民これを信ず。 子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何をか先にせん。 曰く、兵を去らん。 子貢曰く、必らず已を得ずして去らば、斯の二者において何をか先にせん。 曰く、食を去らん。古えより皆死あり。民信なくば立たず。 子貢さんが政治について質問した。 「要点は三点じゃ、全ての人に十分に食を供給すること。 安全保障の観点から十分な軍備を調えること。 あらゆる人々の関係性の基礎に信用を確立することじゃ。」 「では何らかの事情でやむを得ず ひとつを断念しなくてはならないとしたらどれを先に諦めますか。」 「まずは軍備を諦めるな。」 「それでは残った二つではどうです。」。 「十分な食糧供給を諦めるよ。人間はみないつか死ぬ。 しかし人間関係の基礎である信用が瓦解すれば相互不信から北斗の拳状態になってしまう。 こうなれば食糧供給を十分にしても奪い合って公正な分配など不可能になってしまうからね。」
棘子成曰 君子質而已矣 何以文爲 子貢曰 惜乎 夫子之説君子也 駟不及舌 文猶質也 質猶文也 虎豹之カク 猶犬羊之カク 棘子成曰く、君子は質のみ。何んぞ文を以て爲さんや。 子貢曰く、惜しいかな、夫子の君子を説くや、駟も舌に及ばず。文は猶お質のごとく、質は猶お文のごとし。 虎豹のカクは、猶い犬羊のカクのごとし。 棘成子さんが言った。 「君子というのは内面が質朴であればよい。文化的洗練など必要なもんか。」 子貢さんが言った。 「あの人の君子の説は残念だ。 舌が生んだ過失は取り戻そうとしても四輪馬車を駆っても無理だ。 文化的洗練が質朴のようであり、質朴さが文化的洗練と同等ならば、 虎豹の皮が犬羊の皮と同じになる。これはあべこべだ。 実質だけでなく形式も同程度に評価し両面から完成を目指すこれが儒の立場だ。」
哀公問於有若曰 年饑 用不足 如之何 有若對曰 盍徹乎 曰 二吾猶不足 如之何其徹也 對曰 百姓足 君孰與不足 百姓不足 君孰與足 哀公有若に問いて曰く、年饑えて、用足らず。これを如何。 有若對して曰く、盍んぞ徹せざるや。 曰く、 二だにも吾猶お足らず。これを如何んぞ其れ徹せんや。 對して曰く、百姓足らば、君孰れと與にか足らざらん。 百姓足らざれば、君孰れと與にか足らん。 哀公様が有若さんに質問した。 「今年は飢饉で、財政が逼迫している。どうしたもんか。」 「それでは十分の一の税率にすればいいのではないでしょうか。」 「十分の二でも足りないのに十分の一でどうやってやりくりできよう。」 「民百姓が十分なら、君子はどなたと一緒に不足だと言うのでしょう。 民百姓が逼迫しているなら、君主はどなたと一緒に十分だと言うのでしょう。」
子曰 剛毅朴訥近仁 子曰く、剛毅朴訥、仁に近し。 ある日、先生がおっしゃった。 「昔なら高倉健が演じる役、今なら綾波・長門系っていうんじゃろうか。 ああいうタイプこそ実は愛情が深いよね。」
子張問崇徳辨惑 子曰 主忠信 徙義 崇徳也 愛之欲其生 惡之欲其死 既欲其生 又欲其死 是惑也 誠不以富 亦祇以異 子張、徳を崇くして惑を辨えんことを問う。 子曰く、忠信に主しみて、義に徙るは、徳を崇くするなり。 これを愛して其の生きんことを欲し、これを惡んで其の死なんことを欲す。 既其の生きんことを欲し、又た其の死なんことを欲す。是れ惑いなり。 子張さんが、徳を尊重して、惑う心は識別するという諺の意を質問した。 「忠実な人や信を重んじる人と親しく交わり、 正義へと近づくのが、徳を尊重する態度である崇徳の意義じゃな。 愛している時は長生きして欲しいと願い、 それが転じて憎しみに替われば早く死ねばいいのにと思う。 かつてその人の長生を願いながら、今度は死ねよバカと思う惑いの心を弁別して離れる、 これが辨惑の意義じゃな。」
齊景公問政於孔子 孔子對曰 君君 臣臣 父父 子子 公曰 善哉 信如君不君 臣不臣 父不父 子不子 雖有粟 吾得而食諸 齊景公孔子に政を問う。孔子對して曰く、君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり。 公曰く、善い哉。信に如し君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらず、 粟有りと雖も、吾得てこれを食わんや。 齊の国の景公様が孔子に政治について質問された。 「当たり前を当たり前にすれば良いのです。 君主が君主の役目を果たす。 臣下が臣下の役目を果たす。 父が父の役目を果たす。 子が子の役目を果たす。 本当はそれだけなのです。」 「なるほど素晴らしいですな。 本当にもし 君主が君主の役目を果たさず、臣下が臣下の役目を果たさず、 父が父の役目を果たさず、子が子の役目を果たさぬようになったら、 どんなに食べ物が豊富にあっても、美味しく食べることさえできませんな、ダハハハ」
子曰 片言可以折獄者 其由也與 子路無宿諾 子曰く、片言以って獄えを折むべき者は、其由なるか。 子路宿諾なし。 「ちょっとかたことで訴えても判決を言い渡せるのは由ちゃんだね」 子路さんはなんでもガタガタ言わずイエスノーがハッキリしていた。
子曰 聽訟吾猶人也 必也使無訟乎 子曰く、訟を聽くは吾れ猶お人の如きなり。必らずや訟無からしめんや。 先生がおっしゃった。 「裁判員になったら所詮わしなど人並みに裁くのが関の山さ。 しかしわしのやりたいのは裁判ざたをなくすそういうことなんじゃ。」
子張問政 子曰 居之無倦 行之以忠 子張政を問う。子曰く、之に居りて倦むなく。之を行うに忠を以てす。 子張さんが政治について質問した。 「飽きっぽくない持続と人々への忠実な心が必要だ。」
子曰 君子成人之美 不成人之惡 小人反是 子曰く、君子人の美を成す。人の惡を成さず。小人はこれに反す。 「君子たる者は、人の美点を促進し、悪い点を抑制する。 小人は逆だ。」
季康子問政於孔子 孔子對曰 政者正也 子師以正 孰敢不正 季康子孔子に政を問う。孔子對して曰く、政は正なり。 子師いるに正を以てすれば 孰れか敢えて正しからざらん。 季康子様が先生に政治について質問された。 「政治の政とは正しいということなのです。 あなたが正しさをもって人を導けば、誰がそれに刃向かいましょうか。 これが徳治の要訣です。」
季康子患盗 問於孔子 孔子對曰 苟子之不欲 雖賞之不竊 季康子盗を患う。孔子に問う。孔子對して曰く、苟しくも子の欲せざれば、これを賞すといえども竊まず。 季康子が先生に泥棒の被害の多さを訴えた。 「あなたが欲しがらなければ、賞金を与えても盗まなくなります。」
季康子問政於孔子曰 如殺無道 以就有道 何如 孔子對曰 子爲政 焉用殺 子欲善而民善矣 君子之徳風 小人之徳草 草上之風 必偃 季康子政孔子に問いて曰く、如し無道を殺して、以って有道を就さば、何如。 孔子對して曰く、子政を爲すに、焉んぞ殺を用いん、 子善を欲して民善なり、君子の徳は風、小人の徳は草 。 草これに風を上うれば、必ず偃す。 季康子様が先生に政治について質問しながら言った。 「悪い奴はみんな死刑でいいですよね。それで善人を助ければいいんだと思います。どうですか?」 「あなたが政治を行うのです。なんで殺人を基本にするのですか? あなたが善を欲せば、民も善くなります。 君子の徳は風であり、民の徳は草です。 風によって草をなびかせるのです。」
子張問 士何如斯可謂之達矣 子曰 何哉爾所謂達者 子張對曰 在邦必聞 在家必聞 子曰 是聞也 非達也 夫達也者 質直而好義 察言而觀色 慮以下人 在邦必達 在家必達 夫聞也者 色取仁而行違 居之不疑 在邦必聞 在家必聞 子張問う。士何如なれば斯ちこれを達と謂べきか。 子曰く、何んぞや爾の所謂達なる者は。 子張對して曰く、邦に在りては必ず聞こえ、家に りては必ず聞こゆ 子曰く、是聞なり。達にあらざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を觀、慮んて人に下る。 邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。 それ聞なる者は、色に仁を取りて行は違い、これに居て疑わず、 邦に在りて必ず聞こえ、家に 在りて必ず聞こゆ。
子張さんが質問した。 「達した人とはどんな人のことでしょう」 「どういう意味だね?」 「公的にもプライベートでも道に達したと話に聞く人のことです」 「それはただの風聞の類で達したとは言わないよ。 質朴で率直、正義を好み、言葉を察して人の心に通じ、 あらゆることを熟慮して人にへりくだる。こういう人なら達した人だよ。 有名人は表向きは仁者だが、行動はちぐはぐ、それでいて何の疑問も抱かない。 口では宣伝が上手だからそりゃみんな口々に達したと言うだろうさ、だから有名なんだ。」
樊遅從遊於舞ウ之下 曰 敢問崇徳脩慝辧惑 子曰 善哉問 先事後得 非崇徳與 攻其惡 無攻人之惡 非脩慝與 一朝之忿 忘其身以及其親 非惑與 樊遅從いて舞ウの下に遊ぶ、曰く、敢えて徳を崇くし慝を脩め惑いを辧うることを問う。 子曰く、善いかな、問いや、事を先にして得るを後にす。徳を崇くするに非ずや。 其の惡を攻めて、人の惡を攻めるなきを、慝を脩めるに非ずや。 一朝の忿り、其の身を忘れて以って其の親に及ぼす、惑に非ずや。 樊遅さんが郊外の舞うに先生のお供で散歩にきていた折りのこと。 「前からお聞きしたかったんですけど、崇徳・脩慝・辧惑の要諦を教えていただけませんか」「なかなか善い質問だね。 やるべき事を為して利益は後回し、これが崇徳じゃないかね。 自分の欠点を攻めても、他人の欠点には寛大になってネチネチ攻めない、これが脩慝じゃないかね。 一時の怒りで何もかも台なしにして、親しい周りの人間にまで害を及ぼす。これが惑乱じゃないかね。」
樊遅問仁 子曰 愛人 問知 子曰 知人 樊遅未達 子曰 擧直錯諸枉 能使枉者直 樊遅退 見子夏曰 郷也吾見於夫子 而問知 擧直錯諸枉 能使枉者直 何謂也 子夏曰 富哉言乎 舜有天下 選於衆 擧皐陶 不仁者遠矣 湯有天下 選於衆 擧伊尹 不仁者遠矣 樊遅仁を問う。子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。 樊遅未まだ達せず。子曰く、直きを擧げて諸れを枉がるに錯く。能く枉がれる者をして直からしむ。 樊遅退く 子夏を見て曰く、郷に吾夫子に見えて、知を問う。直きを擧げて諸れを枉がるに錯く。能く枉がれる者をして直からしむと、何の謂いぞや。 子夏曰く、富めるかな言や、 舜天下を有ち 衆に選んで皐陶を擧ぐれば、不仁なる者遠ざかる。 湯天下に有ち、衆に選んで、伊尹を擧ぐれば、 不仁なる者遠ざかる。
樊遅さんが今度は仁について質問した。 「人を愛することじゃよ」 知について質問した。 「人を知ることじゃよ」 よく分からなかったのでさらに尋ねた。 「正直な人間を曲がった人間の上に置けば、そのうち曲がった人間も真っ直ぐになるさ」 樊遅さんは退出した。 そして子夏さんに会ったので先生の言う正直な人間云々の意味を尋ねた。 「十分な含蓄ある説明ですよ。 舜が天下を治めてた時に、皐陶を抜擢したので悪いのはいなくなりました。 湯が天下を治めて時に、伊尹を抜擢したので悪い奴は遠ざかりました。 人の性質を知り、政治を行うそれが知なんですね。」
子貢問友 子曰 忠告而善道之 不可則止 無自辱焉 子貢友を問う。子曰く、忠もて告げて善もてこれを道く。不可なれば則ち止む。自ら辱じめらるることなかれ。 子貢さんが友情について質問した。 「忠実な気持ちで善い方向に導くことじゃな。 しかしどんないいアドバイスも無理強いはするな。 それは自分を辱めることになる。」
曾子曰 君子以文會友 以友輔仁 曾子曰く、君子は文を以て友を會し、友を以て仁を輔く。 曾子さんがおっしゃった。 「君子は文化を以て友達を集め、その友情の輪から仁を世界に広げる。」
子路問政 子曰 先之勞之 請益 曰 無倦 子路政を問う。子曰く、これに先んじてこれを勞す。益を請う。曰く、倦むなかれ。 子路さんが政治について質問した。 「まずは率先して自分がお手本をやってみせ、それから人々に行わせる。」 「もう少し教えて下さい。」 「途中で投げ出さないことだよ。」
仲弓爲季氏宰 問政 子曰 先有司 赦小過 擧賢才 曰 焉知賢才而擧之 曰 擧爾所知 爾所不知 人其舎諸 仲弓季氏の宰と為りて、政を問う。 子曰く、有司を先にして、小過を赦し、賢才を挙げよ。 曰く、焉んぞ賢才を知りてこれを擧げん。 曰く、爾の知る所を挙げよ、 爾の知らざる所、人其れ諸れを舎てんや。 仲弓さんが季氏の宰となったので政治について先生に質問した。 「とりあえずお前の手足となる役人のことが第一番だ。 今までの少しのミスや経歴などは気にせず、才能ある者をどんどん起用しなさい。」 「でもどうやって才能があるなんて分かるんです。」 「まずはお前の知ってる才能のある者を起用すればいい。 そうしたらその噂が広まって周りが才能のある者を推挙するようになるから。」
子路曰 衛君待子而爲政 子将奚先 子曰 必也正名乎 子路曰 有是哉 子之迂也 奚其正 子曰 野哉由也 君子於其所不知 蓋闕如也 名不正 則言不順 言不順 則事不成 事不成 則禮樂不興 則刑罰不中 刑罰不中 則民無所措手足 故君子名之可言也 言之必可行 君子於其言 無所苟而已矣 子路曰く、衛の君子を待ちて政を爲せば、子将に奚れをか先にせん。 子曰く、必や名を正さんか。 子路曰く、是れ有る哉。子の迂なるや。奚んぞそれ正さん。 子曰く、野なるかな由や。君子はその知らざる所に於いて、蓋闕如たり。 名正しからざれば、則ち言順がわず、言順がわずんば、則ち事成らず。 事成らずんば、則ち禮樂興らず。則ち刑罰中らず。 刑罰中らずんば、則ち民の手足を措く所なし。故に君子はこれに名づくれば言うべきなり。 これを言えば必ず行うべきなり。君子は其の言において苟しくもするところなき已み。
子路さんがもし衛の君主が先生に政治を任せたらまず何を先にするのか聞いてみた。 「ワシならまず真っ先に名を正しく定義することから始めるよ」 「アイヤー、先生も本当悠長ですね〜w、なんで今さら名称の定義なんか暇な学者みたいなこと始めちゃいますかw」 「お前は本当アンポンタンの田舎っぺ大将だね〜、 君子は知りもしないことは嘲笑したりせず黙ってるべきだ。 いいかい、名称の定義が曖昧だから、議論が噴出して意思疎通が曖昧になる。 言論が適当で混乱してるから、結果、行動も適当で混乱し成果も現れなくなる。 狙った目的と不一致な成果ばかり現れていては世の中はちゃめちゃだ、そうなるとあらゆるものに調和を見出だす禮樂も興らない。 ギター弾くのにまず、弦の音程を合わせなきゃ、演奏なんかできっこないだろうが! そんなこんなで禮樂で行動に規則性を与えて人々に模範を示さければ、どうやって刑罰など人に課せるのかね? 模範となる肯定的なイメージを与えず、否定的でダメな姿ばかりをイメージさせる刑罰で脅かすようでは人は悪くなるばかりだよ。 するなするなはしろって暗示かけてるに等しい。
そういうわけで上の者が賞すべきこと罰すべきことをきちんと決めず 刑罰ばかり適当に乱発しているようでは民は手足の置く場所さえなくなるだろうさ。 だから君子は一度それを名付けたら、言うべきことはいい。目指すべきものは目指し、やるべきことはやる。そしてダメなものはダメとなる。 君子は適当にスレ立てしてワイワイガヤガヤ議論して 百家争鳴、事態は混乱してもみんなで楽しく盛り上がって愉快なりゃそれでいいやということではないんだよ。 衛のごたごたは後継者の定義が曖昧だから起こったんだね。 その定義さえしっかりしておけば問題など起こらなかった。 分かったかね?由ちゃんwww」
樊遅請學稼 子曰 吾不如老農 請學爲圃 曰 吾不如老圃 樊遅出 子曰 小人哉樊須也 上好禮 則民莫敢不敬 上好義 則民莫敢不服 上好信 則民莫敢不用情 夫如是 則四方之民 襁負其子而至矣 焉用稼 樊遅稼を学ばんことを問う。 子曰く、吾老農に如かず。圃を爲すことを學ばばんと請う。曰く、吾老圃に如かず。 樊遅出づ。子曰く、小人なる哉樊須や。上禮を好まば、則ち民敢て敬せざることなし。上義を好まば、則ち民敢えて服せざることなし。 上信を好めば、則ち民敢て情を用いることなし。 夫れ是くの如くなれば、則ち四方の民、其の子を襁負して至る。焉んぞ稼を用いん。 樊遅さんが止せばいいのに先生に民を豊かにする農業技術について質問した。 「ワシはその件に関してはそこらの老いた農家に及ばないよ」 野菜作りに関して質問した。 「それも農家には敵わない」 樊遅さんが退出して先生がおっしゃった。 「樊須は困ったもんだね。上の者が禮義を好めば、民は敬虔になる。 正義を好めば物事に服するようになる。 信義を好めば誠実になる。 このようにすれば四方から人々は子供をおんぶしてでもやってくる。 富国強兵とはこういうことを言う。」
子曰 誦詩三百 授之以政不達 使於四方不能専對 雖多亦奚以爲 子曰く、詩三百を誦し、これを授くるに政を以ってし達せず、 四方に使して専り對うること能わざれば、多しと雖ども亦た奚を以って爲さん 詩三百を暗記してても、仕事をさせてもうまくできない。 四方の国に使者として派遣しても一人で答えられないようでは、 どんなに数多く詩を暗記してても何にもならない
子曰 其身正 不令而行 其身不正 雖令 不従 子曰く、其身正しければ令せずして行わる。 其身正しからざれば、令すると雖ども従わず。 自分が正しく模範を示していれば命令などしなくて人はそれに従うものだ。 自分が正しくない情けない姿を晒していれば命令するといえども誰も従わないだろう。
子曰 魯衛之政兄弟也 子曰く、魯衛の政は兄弟なり。 魯も衛もその政治の有様は兄弟である。その発祥もその混乱も。
子謂衛公子荊 善居室 始有曰 苟合矣 少有曰 苟完矣 富有曰 苟美苟 子衛の公子荊を、善く室に居ると謂う。 始め有るに曰く、苟か合る。 少しく有るに曰く、苟か完し。 富んに有るに曰く、苟か美し。 先生が衛の国の公子荊の家計を褒めた。 「彼は財産ができはじめたころには、どうにか集まりましたと言っていた、 それよりさらに貯まった時は、なんとかできたと言った。 そして相当貯まった時に、それなりに立派になったと言った。」
子適衛 冉有僕 子曰 庶矣哉 冉有曰 既庶矣 又何加焉 曰 富之 曰 既富矣 又何加焉 曰 教之 子衛に適く、冉有僕たり。子曰く、庶き哉。 冉有曰く、既庶し。又何をか加えん。 曰く、これを富まさん。曰く、既に富めり。又何をか加えん。 曰く、これを教えん。 先生が冉有さんを御者にして衛の国へと向かった。 「おい冉有!見てご覧!大変な人の数じゃないか!」 「先生、とっても多いですね。それではこの国にあと何を加えますか?」 「経済的に豊かにするね」 「それじゃ経済的に豊かになったら何を加えますか」 「教育を施すんじゃ」
子曰 苟有用我者 期月而已可也 三年有成 子曰く、苟しくも我を用うる有らば、期月のみにして可なり。三年にして成る有らん。 「ワシを登用するなら12ヶ月でとりあえずなんとかする。 三年あれば事業を完遂する。」
子曰 善人爲邦百年 亦可以勝残去殺矣 誠哉是言也 子曰く、善人邦を爲むること百年。亦た以って残に勝ち殺を去るべし。誠なる哉是の言や。 「善人が百年国を統治したら乱暴者はいなくなり、 死刑制度も不要になるというのは本当の言葉だ。」
子曰 如有王者 必世而後仁 子曰く、もし王者あらば、必ず世にして後に仁ならん。 王者が現れても、仁の世界の実現には30年はかかるだろうな。
子曰 苟正其身矣 於從政乎何有 不能正其身 如正人何 子曰く、苟しくも其身を正しくす。政に從うにおいて何をか有らん。 其身を正しくすること能わずんば、人を正すことを如何せん。 自分の身を正しくできれば、政治を行うのなんかなんの障害もない。 しかし自分の身を正しくできない人間が、どうやって人を正しくできるのか。
冉子退朝 子曰 何晏也 對曰 有政 子曰 其事也 如有政 雖不吾以 吾其與聞之 冉子朝より退く。子曰く、何んぞ晏きや。 對して曰く、政有り。 子曰く、其れ事なり。如し政有らば、吾を以いずと雖ども、吾れ其れこれを與かり聞かん。 冉有さんが会議から帰ってきた。先生がおっしゃった。 「随分と遅かったじゃないか」 「いや、政務があったもんですから」 「それは家老の季氏に言い付けられた事務か密談の類だろ、 重要な国の政務なら私がお呼びじゃなくとももう耳に入ってきてるはずだよ」
定公問 一言而可以興邦 有諸 孔子對曰 言不可以若是其幾也 人之言曰 爲君難 爲臣不易 如知爲君之難也 不幾乎一言而興邦乎 曰 一言而喪邦 有諸 孔子對曰 言不可以若是其幾也 人之言曰 予無樂乎爲君 唯其言而莫予違也 如其善而莫之違也 不亦善乎 如不善而莫之違也 不幾乎一言而喪邦乎 定公問う。一言にして邦を興すべきもの、これ有りや。 孔子對して曰く、言は以ってかくの若く其れ幾きかる可からざるなり。 人の言に曰く、君たるは難く、臣たる易からずと。 如し君たるの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。 曰く、一言にして邦を喪ぼすものこれ有りや。 孔子對して曰く、言は以ってかくの若く其れ幾きかる可からざるなり。 人の言に曰く、予れ君たるに樂しむことなし。唯だ其の言いて予に違う莫き也と。 如し其れ善くしてこれに違うこと莫きは、亦善からずや。 如し善からずしてこれ違うなきは、一言にして邦を喪ぼずに幾からずや。
定公様が先生に質問した。 「一言でもって国を繁栄させる秘訣のようなものはありますか?」 「なかなか言葉で真実に肉薄するのは困難ですが、しいていえば、 諺にいう、君たるは難く、臣たるは易からずがそれでしょうな。 もし君主であることが難行であるということを理解していれば軽率さも減って国の繁栄に益する言葉となるでしょう」 「一言で国を失うようなのはありますか?」 「たいして君主である楽しみはないが、誰も逆らわないのは愉快だというのがそれですな。 良いことを言って逆らわないのであれば結構ですが、 良くないことを言っても誰も逆らわないのであれば、国の滅亡は時間の問題でしょう」
葉公問政 子曰 近者説 遠者來 葉公政を問う。子曰く、近き者は説び、遠き者は来たる。 楚の重臣の葉公様が先生に政治について質問した。 「近くにいるものはその徳の恩恵に喜び、 遠くの者はそれを求めてやって来るのが政治です。」
子夏爲筥父宰 問政 子曰 無欲速 無見小利 欲速 則不達 見小利 則大事不成 子夏筥父の宰となる。政を問う。 子曰く、速やかなるを欲するなかれ、小利を見るなかれ。 速やかなるを欲すれば、則ち達せず。小利を見れば、則ち大事は成らず。 子夏さんが筥父の宰に任じられたので先生にアドバイスを求めた。 「焦ってスピードばかり追い求めてはダメだよ、あとつまらん利益ばかりを追い求めてもダメだよ。 スピードを追い求めれば、物事の達成は覚束ないよ。 利益ばかりを追い求めてそろばん勘定ばっかやってると大事は達成できないよ」
葉公語孔子曰 吾黨有直躬者 其父攘羊 而子証之 孔子曰 吾黨之直者 異於是 父爲子隱 子爲父隱 直在其中矣 葉公孔子に語げて曰く、吾が黨に躬を直くする者あり、其の父羊を攘む、而うして子これを証す。 孔子曰く、吾が黨の直き者は、是に異なれり。父が子の為に隱し、子は父の為に隱す。直きことは其の中に在り。 葉公様が先生に語った。 「私どもの村には正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子供が正義感から証言をして有罪にしたのです。」 「私どもの村ではちょっと違っておりますな。 父親は子供の為に罪を隠しますし、子供は父親を必死に庇います。親子の情愛に正直なのです。 正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります」
樊遅問仁 子曰 居處恭 執事敬 與人忠 雖之夷狄 不可棄也 樊遅仁を問う。子曰く、居處は恭、事を執りて敬 、人を與わりて忠なれ、夷狄に之くと雖も 棄つ可からず。 樊遅さんが仁について質問した。 「全てにわたって恭しい態度を崩すべきでない。 あらゆる物事全般にわたって従事するときは敬いの心をもってせよ。 人との交わりでは何事にも忠実であれ。 そしてこのような態度は外国でも未開の地だろうが崩してはならない。 何事も馬鹿にしたり甘くみるところから崩れていくからじゃ」
子貢問曰 何如斯可謂之士矣 子曰 行己有恥 使於四方 不辱君命 可謂士矣 曰 敢問其次 曰 宗族稱孝焉 郷黨稱弟焉 曰 敢問其次 曰 言必信 行必果 コウコウ然小人哉 抑亦可以爲次矣 曰 今之從政者何如 子曰 噫 斗ショウ之人 何足算也 子貢問いて曰く、何如ぞ斯れ之れを士と謂うべき。 子曰く、己を行うに恥あり。四方に使して、君命を辱かしめず。士と謂うべき。 曰く、敢えて其の次を問う。 曰く、宗族は孝を稱す。郷黨は弟を稱す。 曰く、敢えて其の次を問う。 曰く、言は必らず信。行は必ず果。コウコウ然として小人なるかな。抑も亦た以って次と爲すべし。 曰く、今の政に從う者は何如。 子曰く、噫、斗ショウの人、何んぞ算うるに足らんや。
子貢さんが質問した。 「いわゆる士とはどういう人を言うんでしょうか」 「自己の行動を常に良心に照らし、 四方に使者として遣わされれば、君命を辱めないようなのじゃな」 「それに次のものはどんなのでしょう」 「親戚縁者から孝行者と言われ、地域村ぐるみで隣人愛を讃えられているようなのじゃな」 「その次をどうですか」 「言葉に信用があり、行いは果敢。多少窮屈な人間であってもそういうのじゃろうな」 「今の政治家達はどうです」 「器量の狭い人間ばかりだ。物の数にも入らんよ」
子曰 不得中行而與之 必也狂狷乎 狂者進取 狷者有所不爲也 子曰く、中行を得てこれと與にせずんば、必ずや狂狷か。狂者は進み取る。狷者は爲さざる所あるなり。 中庸の徳をわきまえバランスを得た行いの人と共に行動するのがベストだが、 それが無理ならわしは気違いじみた奴か頑固一点張りのような人間と行動するさ。 曹操や織田信長みたいな気違いじみた奴は果敢に行動するし進取の気性がある。 頑固一点張りの人間はならぬものはならぬの一点張りでそれとは対照的だがやらないことがあるから。
子曰 南人有言曰 人而無恆 不可以作巫醫 善夫 不恆其徳 或承之羞 子曰 不占而已矣 子曰く、南人言えること有りて曰く、人にして恆なければ、以って巫醫を作すべからずと。 善いかな、其の徳を恆にせざれば、或いはこれを羞じを承く。 子曰く、占わざるのみ。 「南の人の格言に、行動に一定の恒常性のない支離滅裂の人をお祓いしたり治療したりすることはできないというのがあるね。 これは善い言葉だ。易の言葉に 行動に恒常性がなければ恥を受けるとある。 行動に恒常性がなければ法則の適用も不可能で 未来の予測も不可能だから占いようもないわけだ。」
子曰 君子和而不同 小人同而不和 子曰く、君子は和して同せず、小人は同して和せず。 君子は人と調和することができるがむやみやたらと人に同調したりはしない。 小人は人にイエスマンの如く同調するが人と調和することができない。
子貢問曰 郷人皆好之 何如 子曰 未可也 郷人皆惡之 何如 子曰 未可也 不如郷人之善者好之 其不善者惡之 子貢問いて曰く、郷人皆これを好まば、何如。 子曰く、未まだ可ならざるなり。 郷人皆これを惡まば、何如。 子曰く、未まだ可ならざるなり。郷人の之善き者これを好み、其の善からざる者これを惡むに如かず。 子貢さんが質問した。 「自分の村の人全員に好かれている人物はどんなもんでしょう?」 「未だ可ならざるじゃ!」 「それじゃ村人全員に憎まれるぐらいでないとダメですかな?」 「それも未だ可ならざるじゃ!村人の善人には好まれ、悪人に疎まれる者には及ばないのじゃ!」
子曰 君子易事而難説也 説之不以道 不説也 及其使人也 器之 小人難事而易説也 説之雖不以道 説也 及其使人也 求備焉 子曰く、君子は事え易くして説ばせ難きなり。これを説すに道を以ってせざれば、説ばざるなり。 その人を使うに及びてや、これを器とす。 小人事え難くして説ばせ易きなり。これを説すに道を以ってせずと雖ども、説ぶなり。 其の人を使うに及びてや、備わるを求む。 君子に仕えるのは易しいが、喜ばせるのは難しい。 道を以ってしかその人は喜ばないからだ。 そういう人が人を使えば適所適材、うまく使いこなす。 小人は仕えるのが難しく喜ばせるのは簡単だ。道理に反したことでも喜ぶからだ。 そういう人が人を使うと完璧を他人に求める。 他人に厳しく自分に甘いということだ。
子曰 君子泰而不驕 小人驕而不泰 子曰く、君子は泰にして驕らず。小人は驕って泰ならず。 君子は泰然たる態度でゆったりしているが傲慢さは微塵もない。 小人は傲慢であるが全然泰然としてないでこせこせしている。
子曰 剛毅木訥 近仁 子曰く、剛毅木訥は仁に近し。 剛毅木訥の人は仁に近い。
子路問曰 何如斯可謂之士矣 子曰 切切偲偲怡怡如也 可謂士矣 朋友切切偲偲 兄弟怡怡 子路問いて曰く、何如そ斯れを士と謂うべき。 子曰く、切切偲偲怡怡如たり。士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡。 子路さんが士について質問した。 「切切偲偲怡怡如だよ、士というものは、 友人とは信頼の情をもって時に厳しく励まし合う。 兄弟には和やかさに接する。
子曰 善人教民七年 亦可以即戎矣 子曰く、善人民を教うること七年、亦以って戎に即くべし。 善人が七年ぐらいその国の民を教導すれば、軍事さえよく行わせることができる。 しかしきちんと教育もしないで戦争に従事させれば野蛮な国家となるであろう。
子曰 以不教民戦 是謂棄之 子曰く、教えざる民を以って戦う、是れこれを棄つと謂う。 ガチの喧嘩の駆け引きややり方を教えないで喧嘩するよう仕向けるならそれは見殺しにするようなもんだ。 徹底した戦争の技術を授けずに、根性論・精神論で戦争させるのは、民を棄てるに等しい。
憲問恥 子曰 邦有道穀 邦無道穀 恥也 憲、恥を問う。子曰く、邦道あれば穀す。邦に道なきに穀するは恥なり。 憲さんが恥について質問した。 「道徳の行き渡っている国に仕えて給料を貰いたいものだ。 無道の国の官僚として給料を貰うのは恥ずべきことである。」
克伐怨欲不行焉 可以爲仁矣 子曰 可以爲難矣 仁則吾不知也 克伐怨欲行われず。以って仁と爲すべし。 子曰く、以って難たしと爲すべし。仁は則ち吾れ知らざる也。 「常に他人に勝とうとする闘争心 そしてその勝利を誇り、 そしてしょうもないことに根に持ち、 なんでもかんでも自分のものにしようと欲張る。 こうした心から自由な人は仁と言っていいと思います」 先生が言った。 「それは難しいことだ。 しかしそれで仁と言っていいかとなるとわしは知らんよ」
子曰 士而懷居 不足以爲士矣 子曰く、士にして居を懷うは以って士と爲すに足らず。 今日はお家に帰って何しようかな〜何食べようかな〜なんてばかり仕事中考えてるようでは士とは呼べないよ
子曰 邦有道 危言危行 邦無道 危行言孫 子曰く、邦に道あれば、言を危くし、行いを危くす。 邦に道なければ、行いは危くして言は孫る。 国が道徳的に統治されているなら言葉も行いも高尚にして構わん。 しかし国に道が行き渡っていない時は行動は高尚でも言葉は多少控えめにし、 あまり高尚なことは口にしないがよろしかろう。
子曰 有徳者必有言 有言者不必有徳 仁者必有勇 勇者不必有仁 子曰く、徳有る者は必ず言あり。言有る者は必ずしも徳有らず。 仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らず。 有徳の人は言葉も立派であるが、言葉の立派な人が必ずしも徳があるとは限らない。 仁者には勇気が備わっているが、勇者が必ずしも仁者とは限らない。
南宮カツ問於孔子曰 ゲイ善射 ゴウ盪舟 倶不得其死然 禹稷躬稼而有天下 夫子不答 南宮カツ出 子曰 君子哉若人 尚徳哉若人 南宮カツ孔子に問いて曰く、ゲイは射を善くし、ゴウは舟を盪かす。 倶に其の死を得ざるがごとく然り。禹と稷は躬ずから稼して天下を有つ。 夫子不答ず、南宮カツ出づ。子曰く、君子なる哉若くのごとき人。徳を尚ぶ哉若くのごとき人。 南宮カツさんが先生にいった。 「古えのゲイは弓の名手でしたし、ゴウは舟を動かすほどの大力でした。 しかし両名ともに畳みの上で死ぬことはできませんでした。 それに対して禹や稷といった人は自ら農業に従事して天下を保ちました」 先生は何も答えなかった。 南宮カツさんが退出して先生がおっしゃった。 「あいつは君子だね〜、道徳主義者だよ」
子曰 君子而不仁者有矣夫 未有小人而仁者也 子曰く、君子にして仁ならざる者有り、未だ小人にして仁なる者あらざるなり。 君子といえるほどに立派な徳を備えた人間でも仁愛のある人物でない 厳格な道徳家に過ぎないということはありえる。 しかし小人で仁に至った者はいない。
子曰 愛之 能勿勞乎 忠焉 能勿誨乎 子曰く、これを愛す、よく勞ぎらうことなからんや、忠なり、よく誨うることなからんや。 これを愛するなら優しくいたわりたくもなるし、 人に忠実であろうとするならアドバイスしたくもなるのじゃ
子曰 爲命 裨ジン艸創之 世叔討論之 行人子羽修飾之 東里子産潤色之 子曰く、命を爲るに、裨ジンこれを艸創し、世叔これを討論し、 行人子羽これを修飾し、東里の子産これを潤色す。 先生がおっしゃった。 「鄭の国では外交の文案を作るのに大変慎重で丁寧であった。 裨ジンがまず草案を作り、それを世叔が検討し 、さらに外交の係の子羽がそれを修飾して、 最後に東里の子産が仕上げをおこなった。」
或問子産 子曰 惠人也 問子西 曰 彼哉彼哉 問管仲 曰 人也 奪伯氏駢邑三百 飯疏食 没齒無怨言 或るひと子産を問う。 子曰く、惠人なり。子西を問う。 曰く、彼を哉彼を哉。管仲を問う。 曰く、人なり。伯氏の駢邑三百を奪う。疏食を飯らい。齒を没わるまで怨言なし。 ある人が先生に東里の子産についてに質問した。 「恵み深い人だった」 次に子西について質問した。 「あれはだな」 次に管仲について質問した。 「あの人は、伯氏の駢邑三百の知行を取り上げたが、 伯氏は怨みごとも言わず一生粗食に甘んじたというから人物だよ」
子曰 貧而無怨難 富而無驕易 子曰く、貧しくして怨むことなきは難し。富みて驕ることなきは易し。 ワーキングプアだとかニートだとか無職だとか非正規だとか穀潰しだとか人に罵られても意に介しないでいるのは難しいし、 自分の貧しさを政治・経済・社会や運命のせいにしてルサンチマンの塊となって怨んだりしないのはなかなか困難だ。 それに比べりゃ金持ち連中が 慎ましくして、人々に笑顔と感謝の気持ちを忘れず、低姿勢でいるのなんかは容易なことだ。
子曰 孟公綽 爲趙魏老則優 不可以爲藤薛大夫 子曰く、孟公綽、趙魏の老と爲れば則ち優、以って藤薛の大夫と爲る可からず。 魯の孟公綽は趙や魏などの経済的に余裕のある晋の重臣の家の家老なら十分勤まるだろう。 しかし人手不足・資金難の小国である藤や薛だと一人でなんでもやらねばならぬから大夫は難しいであろう。
子路問成人 子曰 若臧武仲之知 公綽之不欲 卞莊子之勇 冉求之藝 文之以禮樂 亦可以爲成人矣 曰 今之成人者何必然 見利思義 見危授命 久要不忘平生之言 亦可以爲成人矣 子路成人を問う。 子曰く、臧武仲の知、公綽の不欲、卞莊子の勇、冉求の藝の若くして、 これを文るに禮樂を以てし、亦た成人と爲すべし。 曰く、今の成人の者何んぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危を見ては命を授ける。 久要は平生の言を忘れず、亦た以て成人と爲すべし。 子路さんが完成された人について質問した。 「臧武仲のような知恵があり、公綽のように無欲で、 卞莊子ぐらいに勇敢で、冉求ぐらいに多芸である さらにそれらの諸徳に加えて禮樂で調和を体得したなら完成された人だろうさ」 「今の時点ではそれほどの理想の体現は難しいから、 損得の話でもそこに義があるかどうかを吟味し、 緊急事態においては命を投げ出す準備があり、 古い約束もおろそかにしないようであれば完成された人だろうさ」
子問公叔文子於公明賈 信乎夫子不言不笑不取乎 公明賈對曰 以告者過也 夫子時然後言 人不厭其言 樂然後笑 人不厭其笑 義然後取 人不厭其取 子曰 其然 豈其然乎 子公叔文子を公明賈に問いて曰く、信に夫子は言わず笑わず取らざるか。 公明賈對して曰く、以って告ぐる者過つなり。 夫子は時に然る後に言う。人其の言を厭わず。樂しくして然る後に笑う。人其の笑いを厭わず。義にして然る後に取る。人其の取を厭わず。 子曰く、其れり然る、豈に其れ然らんや。 先生が公明賈さんに衛の大夫の公叔文子について質問した。 「あの方は、ものを言わず、笑わず、何も受け取らないという話は本当ですか」 「それは間違いです。 あの方は適切な時に人の後で控えめにものを言うので誰もその言葉を嫌がりません。 みんな楽しくしている時に最後に笑われるので最初の時点で笑ってないからそう言われるのです。だから人はその笑いを嫌いません。 義を見て最後にものを受け取るので誰もものをよく受け取る人だとして厭わないのです。」 「そうですか〜、でも本当にそうなんですかね〜」
子曰 臧武仲以防求爲後於魯 雖曰不要君 吾不信也 子曰く、臧武仲、防を以て後を魯に爲すを求む。君を要せずと曰うと雖も吾信ぜざるなり。 先生がおっしゃった。 「臧武仲の亡命騒ぎの時に、 自分の領地である防の地での反乱を臭わせて 後継ぎによる家の存続を主君に認めさせたのは、 主君への強要でないというものがいても私は認めない。 臧武仲の知とはこういうものだ」
子曰 晋文公譎而不正 齊桓公正而不譎 子曰く、晋の文公譎りて正しからず、齊の桓公は正しくして譎らず。 晋の文公は天下の覇者になるのに謀略を駆使したが正しい方法ではなかった。 齊の桓公は天下の覇者になるのに大義名分をもって他国を正し謀略を用いたわけではなかった。 どちらも武力で捩伏せたことに変わりはないわけだが。
子路曰 桓公殺公子糾 召忽死之 管仲不死 曰 未仁乎 子曰 桓公九合諸侯 不以兵車 管仲之力也 如其仁 如其仁 子路曰く、桓公公子糾を殺す。召忽これに死す。管仲は死せず、曰く、未だ仁ならざるか。 子曰く、桓公諸侯を九合し、兵車を以てせず。管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや。 子路さんがいった。 「齊の桓公が兄弟の糾を殺して君主の座についた時に召忽は殉死しましたが、管仲はそれもしないで桓公に仕えました」 そして言った「彼はまだまだ仁とは言えないでしょうな」 先生がおっしゃった。 「桓公をして戦争させることなく諸侯を九度会合させて覇者にしたのは管仲の力だ。 それで世が一時平和になったのだ、管仲が世に仁を施したのだ、 彼が殉死していたら多くの戦争が無用に起きただろう。 結果的に多くの人々が平和を享受し睦まじく和やかに暮らせたのだ。 」
子貢曰 管仲非仁者與 桓公殺公子糾 不能死 又相之 子曰 管仲相桓公 覇諸侯 一匡天下 民到干今 受其賜 微管仲 吾其被髪左衽矣 豈匹夫匹婦之爲諒也 自経於溝トク而莫之知也 子貢曰く、管仲仁者にあらざるか。桓公公子糾を殺す。死すること能わず。又たこれに相たり。 子曰く、管仲桓公に相として、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到りて、其の賜を受く。 管仲微かりせば、吾れその髪を被りて衽を左にせん。 豈に匹夫匹婦の諒をなすや。自ずから溝トクに経びれて之を知るものなきが若くならんや。
子貢さんが言った。 「管仲は仁者じゃなかったんじゃないですか。桓公が公子糾を殺した時に共に死ぬことさえせずに、 自分の主を殺した桓公の宰相になったんですから」 先生がおっしゃった。「管仲は桓公の宰相になって、諸侯の覇者たらしめ、天下を一つにまとめた。 民はその恩恵を今も受けている。 管仲があの時死んでいたら、我々は国内が目茶苦茶になって夷狄の侵略を受け、 髪はざんばらで左側を前にした夷狄風の服装をしていたことだろう。 どうしてそこらの夫婦のように連れ合いが死んだからと言って、 首を吊って溝の中で誰にも知られずにいられようか。 管仲は公子糾には不義理だったかもしれないが人民に仕え恩恵を施したのだ。 その点から見れば彼は仁者だよ。」
公叔文子之臣大夫セン 與文子同升諸公 子聞之曰 可以爲文矣 公叔文子の臣大夫セン、文子と同じく諸れを公に升す。子これを聞きて曰く、以って文と爲すべし。 公叔文子の臣下の大夫のセンは能力があったので、文子は自分と同等の位に取り立てた。 先生がこれを聞いておっしゃった。 「なるほど文の諡に相応しい人だな」
子言衛靈公之無道也 康子曰 夫如是 奚而不喪 孔子曰 仲叔圉治賓客 祝ダ治宗廟 王孫賈治軍旅 夫如是 奚其喪 子衛靈公の無道を言う。 康子曰く、夫れ是くの如くば、奚んぞ喪びざる。 孔子曰く、仲叔圉は賓客を治め、祝ダは宗廟を治め、王孫賈は軍旅を治める。夫れ是くの如し、奚んぞ其れ喪びん。 先生は衛靈公を無道だったと評した。 季康子がきいた。 「それじゃなんで滅びなかったんですかね」 「仲叔圉が外交担当。祝ダがお祭り担当。王孫賈が軍事担当。これじゃ滅びようがないですな」
子曰 其言之不サク 則爲之也難 子曰く、其の言のはじざるは、則ち之を爲すや難し。 自己の行動を言明する場合恥じらったり謙遜するようなことがないようでは 実際の困難さを甘く見積もってる場合が多いのであまりあてにならない。
陳成子弑簡公 孔子沐浴而朝 告於哀公曰 陳恆弑其君 請討之 公曰 告夫三子 孔子曰 以吾從大夫之後 不敢不告也 君曰 告夫三子者 之三子告 不可 孔子曰 以吾從大夫之後 不敢不告也 陳成子簡公を弑ず。孔子沐浴して朝し、哀公に告げて曰く。 陳恆其の君を弑す。請うこれを討たん。 公曰く、夫の三子に告げよ。孔子曰く、吾れ大夫の後に從うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。 君曰く、夫の三子者に告げよと、三子に之きて告ぐ、可かず。 孔子曰く、吾れ大夫の後に從うを以て、敢えて告げずんばあらざるなり。 齊の家老である陳成子が君主である簡公を殺害した。 先生は沐浴して朝廷に行き、君主の哀公に告げた。 「陳恆が主君を殺害しました。これを討ち取りましょう」 「三家老に言ってくれ」 退出して先生がおっしゃった。 「大夫の末席にいるものとして言わざるをえなかったのだ、 しかし君主は三家老に言えとのこと」 そして同じように三家老のもとへと行って同じように告げたが、 意見は却下されたのだった。 「大夫の末席にいるものとしては言うべきことを申しあげたまでだ」
子路問事君 子曰 勿欺也 而犯之 子路君に事うることを問う。 子曰く、欺くなかれ、而して之を犯せ。 子路が君主に仕えることについて質問した。 「君主が喜ぶことを言って真実を欺くな。 真実の為なら君主と衝突することも辞さない心構えであれ」
子曰 君子上達 小人下達 子曰く、君子は上達す、小人は下達す。 君子は道の偉大さに適うもののみ上達するが、 小人はくだらないことにはよく通暁する。
子曰 古之學者爲己 今之學者爲人 子曰く、古えの學者は己の爲にし、今の學者は人の爲にす。 昔の学者は己を知り自己を高める為に学問をしたが、 今の人はそれで名声やお金や地位を獲得して 自己ならざる他者の視線が自分に向く為にのみ学問をしている。
四書五経それぞれの大まかな内容ってどんなもの?一覧がほしい 例えばこれは道徳書だ、とか、人生訓だ、とか、処世術だ、とかそんな表現で言うとどうなの
キョ伯玉使人於孔子 孔子與之座而問焉 曰 夫子何爲 對曰 夫子欲寡其過而未能 使者出 子曰 使乎 使乎 キョ伯玉人を孔子に使いす。孔子之とともに座して問う。 曰く、夫子何をか爲す。對して曰く 夫子は其の過ちを寡なくせんと欲して、未だ能わざるなり。 使者出づ。子曰く、使いかな。使いかな。 衛の大夫であるキョ伯玉さんが先生に使者をだした。 先生がやって来た使者と座っている時に質問した。 「ご主人はどうしてますか」 「私の主は過ちを少なくしようとしてなかなかできずにおります」 使者が帰っていた。 「あれはたいした使者だな」
子曰 不在其位 不謀其政 曾子曰 君子思不出其位
子曰く、その位に在らざればその政を謀らず。曾子曰く、君子は思うことその位を出でず。
先生が以前おっしゃった「その地位にいなければその仕事についてとやかく言わない」ということについて
曾子さんが易の言葉を引いて補足した。
「君子は自分の分を弁えて物を思う」
>>475 Wikipediaを見るのが一番かと思います
>>477 そこをなんとか、君の要約でいいから書いてよ
●易経 陰陽哲学に基づいた周の時代の占い本 ●書経 西周から戦国時代までの歴史書 ●詩経 古いポエム集 ●礼記 冠婚葬祭などの古い儀礼集 ●春秋 魯の国を中心とした歴史書 ○論語 孔子一門の言行録 ○孟子 孔子の孫の子思の弟子である孟子の論集 ○大学 礼記の中の学問の目的を述べた部分をまとめた小論集 ○中庸 礼記の中の人間の本性について述べたものをまとめた小論集
子曰 君子恥其言而過其行 子曰く、君子はその言いてその行いに過ぐるを恥ず。 君子というものは口が行動より過大なのを恥じるもんだ。
子曰 君子道者三 我無能焉 仁者不憂 知者不惑 勇者不懼 子貢曰 夫子自道也 子曰く、君子の道なる者三なり。我能くすることなし。 仁者は憂えず。知者は惑わず。勇者は懼れず。 子貢曰く、夫子自ずから道うなり。 先生がおっしゃった。 「君子というものには三つの道がある。わしにはできないけどね。 仁者は憂うことがない。知者は迷わない。勇者は恐れない」 子貢さんがいった。 「先生は自分のことをおっしゃってるんだよ」
子貢方人 子曰 賜也賢乎哉 夫我則不暇 子貢、人を方ぶ。子曰く、賜や賢なるかな。それ我は則ち暇あらず。 子貢さんが人をあれこれ辛口批評をして批判していた。 「賜ちゃんは賢いでしゅね〜、 ワシのような愚才には自分を批判する暇はあっても人を批判している暇はないw」
子曰 不患人之不己知 患其不能也 子曰く、人の己を知らざるを患えず。其の能くするなきを患えよ 人が自分のことを知らないと歎くよりも、知られるだけのものをもたない自分を歎げけ! 自己を磨き修業しろ!
子曰 不逆詐 不憶不信 抑亦先覺者 是賢乎 子曰く、詐りを逆えす。不信を憶わず。抑も亦先に覚る者は、これ賢なるか。 騙されるんじゃないかと警戒したり、信用できないなどど先に決めつけない。 最初から全てお見通しで分かっている人間が賢いだろうか。 騙されることなどとるに足りない。 ダメな人間だと分かっていても無心無欲で信じてやることも重要じゃ。 それは度量の大きい人間にしかできないのだから。
微生畝謂孔子曰 丘何爲是栖栖者與 無乃爲佞乎 孔子曰 非敢爲佞也 疾固也 微生畝孔子に謂いて曰く、丘、何んぞこの栖栖たる者をなすや。乃ち佞を爲す無からんや。 孔子曰く、敢えて佞を爲すにあらざるなり。固を疾むなり。 微生畝さんが先生を評しておっしゃった。 「丘は何でそこらをハイエナのようにうろついているのだろうか。 おべっかを使って遊説しようが無駄なこと!」 先生がこの話を聞いておっしゃった。 「もとよりおべっかを使いたくてそうしてるわけではないんです。 ただ自らの徳の境地にとどまって自己を清めることだけに固執したくないのです」
子曰 驥不稱其力 稱其徳也 子曰く、驥その力を稱せず。その徳を稱するなり。 「名馬というものは無論、生まれながらの能力が高いわけだがそれを称賛されるわけではない。 よく飼い馴らされて水のごとき柔順の徳を讃えるのである 人も同じだ、生まれながらの才能がいくらあってもダメでそれをいかに使うかが大事だ」
或曰 以徳報怨 何如 子曰 何以報徳 以直報怨 以徳報徳 或るひと曰く、徳を以って怨らみに報ゆるは何如。 子曰く、何を以ってか徳に報いん。直を以て怨に報い。徳を以て徳に報ゆ。 ある人が先生に言った。 「徳でもって怨恨に報いるのはどんなもんでしょう?高徳な態度だと思うんですが」 「それでは相手が高徳な態度で自己を推し出してきたときはどうするのかね? ワシなら怨恨には正しい真っ直ぐな態度で望むよ。 そして高徳な態度にはこちらも高徳な態度で推し出していくのじゃ」
子曰 莫我知也夫 子貢曰 何爲其莫知子也 子曰 不怨天 不尤人 下學而上達 知我者其天乎 子曰く、我を知するなきかな。子貢曰く、何ん爲れぞ其れ子を知るなきや。 子曰く、天を怨まず、人を尤めず。下學して上達す。我を知る者は其れ天か。 先生がおっしゃった。 「私を知るものなどいないのじゃ」 子貢さんが言った。 「どうして先生のことを知らないわけがありましょう」 「私はどんな理不尽な天命も怨まず、人の間違いを尤めずの精神で推し進めてきた。 人の下で卑賎の身を厭わず驕ることなく学んで上達したのじゃ。 ワシを本当に理解してくれているのは天じゃよ。 天よご照覧あれというのがワシの今の気持ちなのじゃ」
公伯寮愬子路於季孫 子服景伯以告曰 夫子固有惑志 於公伯寮 吾力猶能肆諸市朝 子曰 道之将行也與 命也 道之将廢也與 命也 公伯寮其如命何 公伯寮子路を季孫に愬う。子服景伯以って告げて曰く、夫子は固に惑える志あり。公伯寮に於いては、吾れ力猶お能く諸れを市朝に肆さん。 子曰く、道の将に行れんするや、命なり。道の将に廢られんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。 公伯寮さんが子路さんを主の季孫様に讒言した。 子服景伯さんがそれを先生にそれを告げていった。 「季孫様は讒言で心が揺れています。 公伯寮の如き者であれば私の力で死体を市場に晒すぐらいおやすいことです」 「道が行われるのも天命なら、道が廃れるのも天命です。 公伯寮如きが天命に向かって何ができましょう。ほっといて構いませんですじゃw」
子曰 賢者辟世 其次辟地 其次辟色 其次辟言 子曰く、賢者は世を辟く。その次は地を辟く。その次は色を辟く、その次は言を辟く 賢者は時代が時代なら世間そのものから身を避けてしまう。 その次の者はヤバい土地を見て危険を回避する。 その次の者は人の顔色を見て危険を回避する。 その次の者は言葉によって危険を回避する。
子曰 作者七人矣 子曰く、作す者七人なり。 世を辟けるに巧みな者は七人いたのだった。
子路宿於石門 晨門曰 奚自 子路曰 自孔氏 曰 是知其不可 而爲之者與 子路石門に宿る。晨門曰く、奚れ自りする。 子路曰く、孔氏よりす。 曰く、是れ其の不可を知りて、而もこれを爲す者か。 子路さんが石門の宿場に泊まった時のこと。 門番が尋ねた。 「どっからきなさったね」 「孔氏のとこからだよ、おじさん」 「ああ、できないと知りつつそれをしようとしてる人だね」
子撃磬於衛 有荷簣而過孔氏之門者 曰 有心哉 撃磬乎 既而曰 鄙哉 コウコウ乎 莫己知也 斯已而已矣 深則レイ 浅則掲 子曰 果哉 未之難矣 子磬を衛に撃つ。簣を荷ないて孔氏の門を過ぐる者有り。 曰く、心あるかな。磬を撃つや。 既にして曰く、鄙しいかな。コウコウ乎として、己を知る莫ければ、これ已まんのみ。 深きときは則ちレイし、浅きときは則ち掲せよ。 子曰く、果なる哉。之を難しとするなし。 先生が衛の国に滞在した折りにパッカーションに熱中していた。 もっこを担いだ人足が通り掛かっていった。 「なんでぇい未練がましい音じゃねぇか、無心というものを知らんのかい」 そしてしばらくしてまた言った「つまんねぇ野郎だ、カチコチじゃねぇかよ 自分が理解されないならそれまでのことよ 深い川なら入ればいい 浅い川なら裾を掴めばいい と詩にもあるってもんよ、 業の深いお人だよ」 「勇ましいもんだね。しかしそうやってバッサリ全部捨てることはワシには難しいことではないんじゃ」
子張曰 書云 高宗諒陰三年不言 何謂也 子曰 何必高宗 古之人皆然 君薨 百官總己 以聴於冢宰三年 子張曰く、書に云う。高宗諒陰三年言わずと。何んの謂いぞや。 子曰く、何んぞ必らずしも高宗のみならんや。古の人は皆然り。 君薨ずれば、百官己を總べて、以って冢宰に聴くこと三年。 子張さんが質問した。 「書経に書いてある、 高宗が父親の喪に服して押し黙ったまま三年沈黙を守ったとはどういうことですか」 「そんなもん高宗ばかりではない、昔の人はみんなそうだった。 君主が亡くなると、全ての官僚は三年間、首相の指示に従って、 後継ぎの君主は喪に服するのが普通だったんじゃ」
子曰 上好禮 則民易使也 子曰く、上禮を好めば、則ち民使い易きなり。 上の者が禮を重んじるようになれば、民は従順になる故に使い易くもなるというものじゃ。
子路問君子 子曰 脩己以敬 曰 如斯而已乎 曰 脩己以安人 曰 如斯而已乎 曰 脩己以安百姓 脩己以安百姓 尭舜其猶病諸 子路君子を問う。子曰く、己を脩して以て敬す。 曰く、斯かくの如き已みか。曰く、己を脩して以て人を安んず。 曰く、斯くの如き已みか。曰く、己を脩して以て百姓を安んず。 己を脩して以て百姓を安んずは、尭舜も其れ猶これを病めるか。 子路さんが君子について質問した。 「自己を抑制して他人を敬うのが君子だ」 「それだけでしょうか」 「自己を抑制して人の心に平安をもたらすのが君子だ」 「それだけっすか」 「自己を抑制して全ての人に平安をもたらすのが君子だ、しかしこれは尭や舜でさえ日々悩んだものだ」
原壤夷俟 子曰 幼而不孫弟 長而無述焉 老而不死 是爲賊 以杖叩其脛 原壤夷して俟つ。子曰く、幼くして孫弟ならず。長じて述べらるるなく。老いて死せず。 是を賊と爲すと。杖を以って其の脛を叩く 先生の幼なじみの原壤さんが尋ねてきた時に立て膝で先生を待っていた。 「お前は子供の頃は素直でなくひねくれていた。 成長しても誰もお前のことを語る人間はいなかった。 年老いては死にもせずに相変わらず人に迷惑ばかりかけるごろつきだ」 先生はブチ切れて杖でその脛を打った。
厥黨童子将命 或問之曰 益者與 子曰 吾見其居於位也 見其與先生竝行也 非求益者也 欲促成者也 厥黨の童子命を将う。或ひとこれを問うて曰く。益する者か。 子曰く、吾れその位に居るを見る。其の先生と竝びて行くを見るなり。 益を求むる者に非ざるなり。促成を欲する者なり。 厥黨の少年が来客の案内をしていた。 ある人がそれで先生に質問した。 「向上心のありそうな少年ですな」 「あれが大人と一緒の席に座りたがり 大人と肩を並べて歩きたがるのをワシは見たよ。 向上心があるというよりただ背伸びしたいだけだろうな」
衛霊公問陳於孔子 孔子對曰 俎豆之事 則嘗聞之矣 軍旅之事 未之學也 明日遂行 衛の霊公陳を孔子に問う。孔子對して曰く、俎豆の事は、則ち嘗てこれを聞けり。 軍旅の事 未だこれを學ばざるなり。明日遂いに行く。 衛の霊公様が先生に陣形について質問した。 先生が答えた。 「祭礼の俎豆などの扱いなら知ってますが 軍隊のことは皆目学んでおりませぬ」 そういって先生は次の日、衛を去った。
在陳絶糧 従者病 莫能興 子路慍見曰 君子亦有窮乎 子曰 君子固窮 小人窮 斯濫矣 陳に在りて糧を絶つ。従者病んで能く興つことなし。 子路慍って見みえて曰く、君子も亦や窮することあるか。 子曰く、君子固より窮す。小人窮すれば、斯に濫す。 陳の国を通過しようとした際に、先生一行は軍隊に包囲され食糧が途絶えたのだった。 従者は病んで立つこともできなかった。 子路さんがブチ切れて先生に言った。 「君子という者が天に見放されこのような目に遭って困窮するなどありえましょうか」 「君子だって食糧がなければそりゃ困窮するさ。 しかし小人は困窮してそのうえ取り乱し大声で喚く」
子曰 賜也 女以予爲多學而識之者與 對曰 然 非與 曰 非也 予一以貫之 子曰く、賜や、女は予を以って多く學びて爲之を識る者と爲すか。 對して曰く。然り、非なるか。 曰く、非なり。予は一以ってこれを貫く。 先生がおっしゃった。 「賜ちゃん、お前はワシがたくさんの知識を学んでそれを知る学者の先生だと思ってるのかい?」 「ええ、違うんっすか?」 「それが違うんじゃ、ワシは一本の道をただ歩んできたに過ぎぬのじゃ。 日本でもいうじゃろ 神武元来世に二道なしと」
孔子の言葉よりユダヤ教の教えのほうが身に迫ってくる やはりイエスやブッダよりかは何段か落ちるだろう 貧しき人は幸いなり、天国はその人のものなり
子曰 由 知徳者鮮矣 子曰く、由や、徳を知る者、鮮なし。 由ちゃんや、言葉で徳について知っている者は多いが徳について本当に知っている者は少ないんじゃよ。
子曰 無為而治者 其舜也與 夫何爲哉 恭己正南面而已矣 子曰く、無為にして治むる者は、其れ舜なるか。夫れ何をか爲すや。己を恭しくして正しく南面するのみ。 何事も成さずにこの世を治めることができたのは舜だな。 彼は何をしただろうか。己を恭順なる態度で律して正しくして南に向かって瞑想してたに過ぎないのだから。
子張問行 子曰 言忠信 行篤敬 雖蠻貊之邦行矣 言不忠信 行不篤敬 雖州里行乎哉 立則見其參於前也 在輿則見其倚於衝也 夫然後行 子張書諸紳 子張行を問う。子曰く、言忠信、行篤敬なれば、蠻貊の邦と雖も行われん。 言不忠信、行不篤敬ならば、州里と雖も行われんや。 立てば則ち其の前に參なるを見る。輿に在れば則ち其の衝に倚るを見る。夫れ然して後に行われん。子張諸れを紳に書す。 子張さんが人に物を伝え行われる為の心構えを聞いた。 「言葉が忠実で信用があり、行いは篤実で敬虔であれば、北斗の拳の世界に言っても通用する。 そうでなければ自分のホームでも通用しない。 立っていても視線の先全てのものに忠信篤敬で対して、車に乗ってる掴み棒にさえ忠信篤敬の気持ちで掴む。 そのようであって初めて他人に意思が伝達され実行されるようになる。 子張さんはそれを忘れないよう帯にデカデカと忠信篤敬と書きしるした。」
子曰 直哉史魚 邦有道如矢 邦無道如矢 君子哉キョ伯玉 邦有道則仕 邦無道則可巻而懐之 子曰く、直き哉、史魚。邦に道有るも矢の如く。邦に道なくも矢の如し。 君子哉キョ伯玉、邦に道有らば則ち仕え、邦に道なくば則ち巻いてこれを懐にすべし。 真っ直ぐなもんだな、子魚さんは、国に道がある時もない時も矢のように真っ直ぐ突き進んだ、マグロみたいなもんだな。 君子だなキョ伯玉さんは、国に道ある時は仕官して、 道が行われてない時は才能をまるごとくるくる小さくまとめて懐に隠してしまった。
子曰 可與言 而不與之言 失人 不可與言 而與之言 失言 知者不失人 亦不失言 子曰く、與に言うべくして、これと言わざれば、人を失う。 與に言うべからずして、これと與に言えば、言を失う。 知者は人を失わず、亦た言を失わず。 話すべき人と話しをしなければその人のことは知らずじまいで終わってしまいます。 共に話しをすべきでない相手と話しをすれば無駄話で終わってしまいます。 知者は人も言葉も疎かにしません。 by仔牛
子曰 志士仁人 無求生以害仁 有殺身以成仁 子曰く、志士仁人は、生を求めて以って仁を害することなく、身を殺して以って仁を成すことあり。 志ある仁の人というものは、自分可愛さや、生命への愛着から仁の道を害するようなことない。 かえって自己一身を犠牲にして仁をなすことさえある。
子貢問爲仁 子曰 工欲善其事 必先利其器 居是邦也 事其大夫之賢者 友其士之仁者 子貢仁を爲することを問う。子曰く、工、其の事を善くせんと欲すれば、必らず先きに其の器を利くす。 是の邦に居るや。其の大夫の賢なる者に事え、其の士の仁なる者を友とせよ。 子貢さんが仁の実践について質問した。 「大工がいい仕事をしようと思えば、道具を研いで鋭くするものだ。 そのようにどんな国にいても、重臣の中から賢い人を選んで仕え、仲間は仁なる人を選べ」
顔淵問爲邦 子曰 行夏之時 乗殷之輅 服周之冕 楽則韶舞 放鄭聲 遠佞人 鄭聲淫 佞人殆 顔淵邦を爲むることを問う。子曰く、夏の時を行い、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞。 鄭聲を放ち。佞人を遠ざく。鄭聲は淫、佞人は殆し。 顔回さんが統治について質問した。 暦は夏王朝、馬車は殷王朝のもの、冠は周王朝。 音楽は韶舞を用いよ。鄭の音楽を廃止し、口だけのものは遠ざけよ。 鄭の音楽は淫乱を助長するし、口だけのものはいろいろと殆い。
子曰 人無遠慮 必有近憂 子曰く、人にして遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり 長期的観点から考える視点を持たない者にはあれやこれやと身近に憂いが発生するのじゃ。 人は少なくとも1万2000年先を見越して行動するぐらいでないとダメじゃ。 そのぐらい長期的スパンで物事を見れば自ずから憂いはなくなる。
子曰 已矣乎 吾未見好徳如好色者也 子曰く、已んぬるかな。吾れ未まだ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざる也。 オージーザス! ワシはこれまでエロより徳を好む者を見たことがない!
子曰 藏文仲其竊位者與 知柳下惠之賢 而不與立也 子曰く、藏文仲は其れ位を竊む者か。柳下惠の賢を知りて、而も與に立たざる也。 藏文仲はその地位を盗んだようなもんだ。 柳下惠の知恵を知りつつ彼を登用しなかったのだから。
子曰 躬自厚 而薄責於人 則遠怨矣 子曰く、躬自ずから厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。矣 人の分も自己を反省して、人を責めることが少なければ、怨みから遠ざかる。
子曰 不曰如之何如之何者 吾未如之何也已矣 子曰く、これを如何これを如何と曰ざる者は、吾これを如何ともするなきのみ。 「どうしたもんか、どうしたもんかと徹底して思い悩んでる段階でない限り、私だってなんともしようがない」
子曰 羣居終日 言不及義 好行小慧 難矣哉 子曰く、羣居終日。言は義に及ばず。好んで小慧を行う。難い哉。 一日中つるんでも話は全く義に触れることさえない。 小賢しいことばかり抜かす、ダメ過ぎる。
子曰 君子義以爲質 禮以行之 孫以出之 信以成之 君子哉 子曰く、君子は義を以って質と爲し、禮を以ってこれを行い。 孫以ってこれを出だし、信を以ってこれを成す。君子哉。 君子というものは正義を以って本質とし、禮を以って何事も行い。 謙遜を以って自己を表出し、信頼を以って完成する。 義禮孫信これを完備して君子ってもんだ。
子曰 君子病無能焉 不病人之不己知也 子曰く、君子は無能を病みとす。人の己を知らざるを病みとせざるなり。 君子は自分の不徳の致すところから来る不能を悩みとする。 他人が自分を理解しないなどと名声欲に駆られた悩みを持たない。
子曰 君子疾没世而名不稱焉 子曰く、君子は世没えて名の稱せられざるを疾む。 君子というものは死んだ後に自分の名が後世に残るかどうか心配する。
子曰 君子求諸己 小人求諸人 子曰、君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む。 あらゆるものの原因を君子は己に求める。小人は全ての責任を他人に帰っする。
子曰 君子矜而不争、羣而不党 子曰く、君子は矜かにして争わず。羣して党せず。 君子は誇り高いが争わない。人と仲良くするが派閥に入らない。
子曰 君子不以言擧人 不以人廢言 子曰く、君子は言を以て人を擧げず。人を以て言を廢せず。 君子は言葉でその人を抜擢しない。人柄が怪しいという理由でその言葉を無視したりしない。
子貢問曰 有一言而以終身行之者乎 子曰 其恕乎 己所不欲 勿施於人 子貢問いて曰く、一言にして以って終身これを行うべきものありや。 子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所を、人に施すことなかれ。 子貢さんが質問した。 「一生涯でこのことだけ行っておけというものはありますか」 「思いやりだな。自分の嫌なことは他人にしない」
子曰 吾之於人也 誰毀誰譽 如有所譽者 其有所試矣 斯民也 三代之所以直道而行也 子曰く、吾の人におけるや、誰をか毀り誰をか譽めん。 如し譽むる所ある者は、其れ試むる所あり。斯の民や、三代の直道にして行う所以なり。 私は普段人をけなしたり褒めたりということはない。 褒めるならそれは褒めることによってその人を伸ばそうと試みているに過ぎない。 それ故に私は三代の古来以来の直道を以て人にあたるのだ。 褒めたりけなしたりをもってする法家のような人心掌握術はダメである。
子曰 吾猶及史之闕文也 有馬者借人乗之 今亡矣夫 子曰く、吾れなお史の闕文に及ぶなり。馬ある者は人に借してこれに乗らしむ。今は亡くかな。 昔の歴史家は文章に疑問があればそこは空白のままにした。 また馬を手に入れた人は他人に貸して調教してもらった。 この文章を日本語に今翻訳している者も疑問の所をさも分かったように流暢に翻訳しているのだから、 困ったものである。
子曰 巧言亂徳 小不忍 則亂大謀 子曰く、巧言は徳を亂る。小を忍ばざれば、則ち大謀を亂る。 うまい言葉は徳を乱す。小さいことを我慢しなければ大きい計画を乱す。
子曰 衣敝縕袍 與衣狐貉者立 而不恥者 其由也與 不忮不求 何用不臧 子路終身誦之 子曰 是道也 何足以臧 先生は言ったのだ アルマーニのスーツ野郎を前にして、ユニクロで恥ずかしがらないのは由ぐらいだな 「『殺してでも うばいとる』とか『他人が持ってるとそれだけで欲しくなるのぉぉぉぉ』とか駄目ゼッタイ」 って詩経に書いてあるとおりに生きてる男だな これを聞いた由ちゃん舞い上がってこの一節を死ぬまで歌ってた 先生は言ったのだ まあ道ってのはそういうもんじゃけど、そればっかりってのは駄目だわな
子曰 衆惡之 必察焉 衆好之 必察焉 子曰く、衆これを惡む。必らず察す。 衆これを好む。必ず察す。 みんなが憎んでもそれを鵜呑みにせずこれを調べる。 みんながいいといっても鵜呑みにせずに必ず調べる。
子曰 人能弘道 非道弘人 子曰、人能く道を弘む。道が人を弘むにあらず。 人が道徳の拡充に努めるのであって、道が人の拡充に努めるのではない。
子曰 過而不改 是謂過矣 子曰く、過って改めざる是を過ちと謂う。 間違いをして改めないことが実際は過ちなのだ。
子曰 吾嘗終日不食 終夜不寝 以思 無益 不如学也 子曰く、吾れ嘗て終日食わず。終夜寝ず。以って思う。益なし。学ぶに如かざるなり。 「わしはかつて一日中食べず夜も寝ないで一人考えたが無駄じゃった。 読書から学ぶことには敵わない。」
子曰 君子謀道不謀食 耕也餒在其中矣 學也祿在其中矣 君子憂道不憂貧 子曰く、君子は道を謀りて食を謀らず。 耕やして餒え其の中に在り。 學びて祿其の中に在り。 君子は道を憂いて貧しきを憂えず。 「君子は道について考えても食べ物の心配などしない。 直接農耕に勤しんでもその中にやっぱり飢饉の心配が伴うし、学問をしてもいささかの俸禄を貰うことは可能である。 君子は道について思い悩むが貧乏を悩まない。」
子曰 知及之 仁不能守之 雖得之 必失之 知及之 仁能守之 不荘以リ之 則民不敬 知及之 仁能守之 荘以リ之 動之不以禮 未善也 子曰く。知これに及べども、仁これを守ること能わざれば、これを得ると雖ども、必らずこれを失う。 知これに及び、仁能くこれを守れども、荘を以ってこれにのぞまざれば、則ち民敬せず。 知これに及び、仁能くこれを守り、荘以ってこれにのぞめども、これを動かすに禮を以ってせざれば、未だ善からざるなり。 知性によってある地位まで到達しても 仁によってそれを守れなくては失うことになるだろう。 知性によってある地位に到達して仁によってそれを守っても ある種の厳しさがないと民は敬わないだろう。 知性で地位につき仁で守って厳しさをもってのぞんでも 禮をもってしなくてはまだ善とはいえない。 知仁荘禮が大事じゃ。
子曰 君子不可小知 而可大受也 小人不可大受 而可小知也 子曰く、君子は小知すべからずして大受すべし。小人大受すべからざるして、小知すべし。 君子は細々したことを知っているわけではないが、大きな仕事はできる。 小人は大きな仕事は任せられないが細かいことなら詳しく知っている。
子曰 民之於仁也 甚於水火 水火吾見蹈而死者矣 未見蹈仁而死者也 子曰く、民の仁におけるや、水火よりも甚だし。 水火は吾蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。 民の仁との関係は水や火よりも密接である。 水や火を踏んで死んだ者を見たことはあるが仁を踏んで死んだものはいない。 つまり水や火はそれなりのリスクが付き纏うが仁にはそれがないのだから大いに励むべきである。
子曰 當仁 不讓於師 子曰く、仁に當りては師にも譲らず。 仁に関しては師匠にさえ譲歩するべきでない。
君子貞而不諒 君子は貞にして諒せず。 君子は貞正を重んじるので簡単に諒しない。
子曰 事君敬其事而後其食 子曰く、君に事うるには其の事を敬みて其の食を後にす。 君主に仕えるに仕事を敬い、給料のことは後回しにする。
子曰 有教無類 子曰く、教え有りて類なし。 教育が問題なのであって人に種類はない。
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考える名無しさん :2013/10/12(土) 01:38:21.08 i
儒教はクズの思想
子曰 道不同不相爲謀 子曰く、道同じからざれば相い為に謀らず。 道が違えば行く道のことで相談し合うことはできない。
子曰 辭達而已矣 子曰く、辭は達するのみ。 言葉は意思伝達をまず重視する、装飾は副次的なものだ。
師冕見 及階 子曰 階也 及席 子曰 席也 皆座 子告之曰 某在斯 某在斯 師冕出 子張問曰 與師言之道與 子曰 然 固相師之道也 師冕見ゆ。階に及ぶ、子曰く、階也。 席に及ぶ、子曰く、席也。皆な座す。子これに告げて曰く、某は斯に在り、某は斯にあり。師冕出づ。 子張問いて曰く、師と言う道か。子曰く、然り。 固より師を相くる道也。 盲目の音楽家の冕さんが階段を昇ろうとうすると先生は「階段ですよ」と告げるのだった。 席の前では「席ですよ」と告げるのだった。 一同着席すると「某はあそこにおります」「何々はそこにおります」と席次を告げるのであった。 冕さんが退出してから子張さんが質問した。 「あのようなやりかたが盲目の音楽家への接しかたなんですね」 「そうじゃ、あれが盲目の音楽家の介添えの仕方じゃ」
季氏將伐セン臾 冉有季路見於孔子曰 季氏將有事於セン臾 孔子曰 求 無乃爾是過與 夫セン臾 昔者先王以爲東蒙主 且在邦域之中矣 是社稷之臣也 何以伐爲 冉有曰 夫子欲之 吾二臣者皆不欲也 孔子曰 求 周任有言 曰 陳力就列 不能者止 危而不持 顛而不扶 則將焉用彼相矣 且爾言過矣 虎ジ出於コウ 龜玉毀於トク中 是誰之過與 冉有曰 今夫セン臾 固而近於費 今不取 後世必爲子孫憂 孔子曰 求 君子疾夫舍曰欲之 而必爲之辭 丘也聞 有國有家者 不患寡而患不均 不患貧而患不安 蓋均無貧 和無寡 安無傾 夫如是故 遠人不服 則脩文徳以來之 既來之 則安之 今由與求也 相夫子 遠人不服 而不能來也 邦分崩離析 而不能守也 而謀動干戈於邦内 吾恐季孫之憂 不在セン臾 而在簫牆之内也
季氏將にセン臾を伐たんとす。冉有、季路孔子に見えて曰く、 季氏將にセン臾に事有らんとす。 孔子曰く、求、乃ち爾是れ過てるなきか。夫れセン臾は、昔、先王以て東蒙の主と爲す。且つ邦域の中在り。是れ社稷の臣なり。何を以って伐つことを爲さん。 冉有曰く、夫子これを欲っす。吾れ二臣なる者は皆欲せざるなり。 孔子曰く、求、周任言えること有り。曰く、力を陳べて列に就く。能わざる者は止むと。 危うくして持せず。顛って扶けず。 則ち將に焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾が言過てり。虎ジコウより出でて、龜玉トクの中に毀れる。是れ誰の過ちぞや。 冉有曰く、今夫のセン臾は、固くして費に近し。今取らざれば、後世必ず子孫の憂いを爲さん。 孔子曰く、求、君子は夫のこれを欲すと曰うを舍きて、而も必ずや之を辭すを爲すを疾む。 丘や聞く、國を有ちて家を有つ者は、寡なきことを患えずして均しからざるを患う。 貧しきを患えずして安からざるを患う。 蓋し均しければ貧しきことなく、和らげば寡きことなく。安ければ傾くことなし。
夫れ是の如くなるが故に、遠人服せざれば、則ち文徳を脩めて以って之を來たす。 既にこれを來たせば、則ちこれを安んず。 今由よ求や、夫子を相け、遠人服せずして、しかも來たすこと能わざる也。 邦分崩離析して、而も守ること能わざるなり。 而うして干戈を邦内に動かさんことを謀る。 吾れ季孫の憂いは、セン臾に在らずして、簫牆の内に在るを恐るるなり。
季氏がセン臾城を討伐しようとしていた。季氏の家臣の冉有さんと季路さんが先生に会見していった。 「主君がセン臾を討伐しようとしています」 「求、お前は過ちをおかそうとしているのではないか。 かのセン臾は、昔先王が東蒙山の主として定めた国だよ、そのうえわが魯国の内部の保護国であり、 社稷の臣と言っていいものだ。何んで伐ったりできようか」 冉有さんが言った。 「あの方がそれを望んているのです。私達二人はそれを望んでおりません」 「求や、周任の言葉があるよ。 自分の能力を発揮して臣下としての列に加わり、できないならやめると 君主の危険を支えず、ひっくり返ったのを助けないなら輔佐の役目がなんて必要になろうか。 それにだね、お前は間違ってるよ。 猛獣が檻からでたり、亀の甲羅や玉石が箱の中で壊れたら、一体誰の過ちだろうか。」
冉有さんが言った。 「今セン臾城は費の城の近くにあるのです、今取っておかなければ、後の世に必ずや子孫の憂いとなるでしょう」 先生がおっしゃった。 「求や、君子は欲しいと思っておきながら、知らぬ顔で言葉を取り繕う者を憎む。 ワシは聞いたことがあるよ。 国家を保ち家を保つ者は、人口の少ないのを憂うのではなく、その人々の不均等を憂うものだ。 貧乏を心配するのではなく安心できないことを患う。 みなが平均であれば貧乏はない。和があれば少ないということはなく、安んじていられれば、 国や家が傾くということはなくなるとな。 それ故に、遠方の人間が服しないなら、文徳を修めて来るようにさせるんじゃ。 そして招き寄せたなら彼らを安んじられるようにするものだ。 由と求は主人の輔佐でありながら、遠方の服従しない人々を招くこともできず。 国がバラバラになろうとするのを守ることさできない。 それで自国の内部で内戦の火種を撒こうとしている。 ワシは季孫の憂いはセン臾などにあるのではなく内部にあると考える」
孔子曰 天下有道 則禮樂征伐自天子出 天下無道則禮樂征伐自諸侯出 自諸侯出 蓋十世希不失矣 自大夫出 五世希不失 陪臣執國命 三世希不失矣 天下有道 則政不在大夫 天下有道 則庶人不議 孔子曰く、天下に道あれば、則ち禮樂征伐天子より出づ。 天下に道無くば、則ち禮樂征伐諸侯より出づ。 諸侯より出づれば、蓋し十世にして失われざること希なり。 大夫より出づれば、五世に失われざること希なり。 陪臣國命を執れば、三世にして失われざること希なり。 天下有道、則ち政大夫に在らず。天下有道、則ち庶人議せず。 「天下に道があれば禮樂征伐は天子の号令で行われるが、 天下に道なければ、それらは諸侯より号令される。 諸侯より発令されたものは天命を受けていないが故に、十代まで続くのものは稀である。 そのようにして大夫は五代、陪臣ならば三代がせいぜいである。 天下に道あれば政治の実権を大夫が握るようなことはないし、庶民は政治を議論する必要性すら感じないであろう」
孔子曰 祿之去公室五世矣 政逮於大夫四世矣 故夫三桓之子孫微矣 孔子曰く、祿の公室を去ること五世なり。 政の大夫に逮ぶこと四世なり。 故に夫の三桓の子孫微なり。 魯の君主が祿の授与する力を失って五世である。 政治権力が大夫に移って四世である。 その大夫の三桓の子孫達の権力はすでに失われつつある。
孔子曰 益者三友 損者三友 友直友諒友多聞 益矣 友便辟 友善柔 友便佞 損矣 孔子曰く、益者三友、損者三友。 直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とす。益なり。 便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とす。損なり。 「付き合ってためになる友人と損になる友人というものが各々三種ある。 正直で誠実で博学な友人はためになる。 体裁を繕い、ひとあたりだけ良く、口先だけの人間は損になる。」
孔子曰 益者三樂 損者三樂 樂節禮樂 樂道人之善 樂多賢友 益矣 樂驕樂 樂佚遊 樂宴樂 損矣 孔子曰く、益者三樂、損者三樂。 禮樂を節するを楽しみ、人の善を道うを楽しみ、賢友多きを楽しむ、益なり。 驕樂を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴樂を樂しむ。損なり。 ためになる楽しみが三つ。 損になる楽しみが三つある。 禮樂により節度ある生活の楽しみ 人の善を褒めたたえる楽しみ。 賢い友が多いことからくる楽しみの三つがためになる。 傲慢になって意気がる楽しみと、 怠惰な楽しみと宴会の楽しみが損になる楽しみである。
孔子曰 侍於君子有三愆 言未及之而言 謂之躁 言及之而不言 謂之隠 未見顔色而言 謂之瞽 孔子曰く、君子に侍べるに三つの愆ちあり。 言未だこれに及ばずして言う。これを躁と謂う。 言これに及びて言わず、これを隠と謂う。 未まだ顔色を見ずして言う。これを瞽と謂う。 先輩への接しかたに三つの過ちがある。 話がそこに至っていないのに先に言うを躁という。 話が及んでいるのに言わないのを隠という。 顔色をうかがわずにずけずけ言うのを瞽という躁隠瞽は慎むべきである。
孔子曰 君子有三戒 少之時 血気未定 戒之在色 及其壮也 血気方剛 戒之在鬪 及其老也 血気既衰 戒之在得 孔子曰く、君子三戒有り、少き時は、血気未だ定まらず。これを戒むること色に在り。 其の壮んなるに及びてや、血気方に剛し、これを戒むるに鬪いに在り。 其の老ゆるに及びてや、血気既に衰う。これを戒むること得るに在り。 君子は三つを気をつけなくてはならない。 若い時分は血気が定まっていないので色情について気をつけなくてはならない。 壮年の時分は血気が定まっていよいよ盛んなので人との争いについて気をつけなくてはならない。 年衰えれば蓄財に励みたくなるのを気をつけなくてはならない。
孔子曰 君子有三畏 畏天命 畏大人 畏聖人之言 小人不知天命而不畏也 狎大人 侮聖人之言 孔子曰く、君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏れる。 小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎れ、聖人の言を侮る。 君子は三つのものを恐れ畏む。 天命と立派な人と聖人の言葉である。 小人は天命を知らず恐れ知らずで、 立派な人に馴れ馴れしく接して聖人の言葉を侮る。
孔子於郷黨 恂恂如也 似不能言者 其在宗廟朝廷 便便言 唯謹爾 孔子は親戚の集まりに出ると言葉が出てこない引きこもりニートのようだった ところが政治を語らせると雄弁きわまりない でもネトウヨにはならなかった
孔子曰 生而知之者 上也 學而知之者 次也 困而學之 又其次也 困不學 民斯爲下矣 孔子曰く、生れながらにしてこれを知る者は上なり。 學びてこれを知る者は次なり。 困るしみてこれを學ぶは、又た其の次なり。 困るしみて學ざるは、民にして斯れを下と爲す。 生まれながらに知る者は最上である。 学問をして知る者はその次に位置する。 困窮して初めて学ぶものはさらにその次であり、 困窮してもなお学ばない者は一般人で下位の者といいえる。
孔子曰 君子有九思 視思明 聴思聰 色思温 貌思恭 言思忠 事思敬 疑思問 忿思難 見得思義 孔子曰く、君子に九思あり。 視は明を思い、聴は聰を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、 言は忠を思い、事は敬を思い、疑は問いを思い、忿は難を思い、得るを見ては義を思う。 君子は常に九つの思いがある。 見るときは明らかに見るよう努める。 聞くときは聡く聞くよう努める。 表情は温かみがあるよう努める。 態度は恭しさがあるよう努める。 言葉は忠実であろうと努める。 仕事は敬するよう努める。 疑うしいことは質問するよう努める。 怒りを覚えたときはその結果の困難な状況を見るよう努める。 利益の前ではまずは義を思う。 以上 謝々
孔子曰 見善如不及 見不善如探湯 吾見其人矣 吾聞其語 隠居以求其志 行義以達其道 吾聞其語矣 未見其人也 孔子曰く、善を見ては及ばさる如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。 吾其人を見る、吾其の語を聞く。 隠居して以って其の志を求め、義を行いて以って其の道を達す。 吾れ其の語を聞く、未まだ其の人を見ざるなり。 善を見ては及ばない気になって必死に努力する者や、不善を見てはお湯に手を突っ込んだようにすぐに遠ざかる。 こんな人間ならワシは見たことがあるし、言葉で聞いたことがある。 しかし、隠居してでもその志を求めて、正義を以てその道に達した人のことは 言葉できいたことはあっても、ワシは会ったことがないんじゃ。
齊景公有馬千駟 死之日 民無徳而稱焉 伯夷叔齊餓干首陽之下 民到干今稱之 其斯之謂與 齊の景公馬千駟あり、死するの日、民徳として稱うるなし。 伯夷叔齊は首陽の下に餓えたり。民、今に到るまでこれを稱う。其れこれを謂うか。 齊の景公は四千頭の馬を買っていたが、彼の死んだ日に民は誰一人かれの徳を称賛するものはいなかった。 伯夷と叔齊は首陽山の下で餓死したが、今も彼らの徳は称賛されている。 人の価値は誠に富を以てせず、亦祇異なれるを以てすという諺はこのことを言うのであろうよ。
陳亢問於伯魚曰 子亦有異聞乎 對曰 未也 嘗獨立 鯉趨而過庭 曰 學詩乎 對曰 未也 不學詩 無以言 鯉退而學詩 他日又獨立 鯉趨而過庭 曰 學禮乎 對曰 未也 不學禮 無以立 鯉退而學禮 聞斯二者 陳亢退而喜曰 問一得三 聞詩聞禮又聞君子之遠其子也 陳亢さんが先生の息子さんの伯魚さんに質問した。 「なんか特別な教えでもお父さんに聞きましたか?」 「別に何も、 でもある時、父が部屋で庭を見ながら仁王立ちしてたんです。 私は庭を走って通り過ぎようとしてたんですが、 お前、ポエムは学んだかい?って父は聞いてきましたよ。 いえまだですって言うと、それじゃ物を言うことなどできまいって言ってましたね。 だからそれから必死に詩を学びました。 またある日デジャブのような状況で今度は お前は禮を学んだかい?って聞いてきました。いえまだですって答えると、禮を学ばなきゃ立派に立つこともままなるまいって言ってましたね。 それから禮を必死に学びましたよ、こんなもんです」 この話を聞いて伯魚さんの屋敷を退いて陳亢さんが喜んで言った。 「一つ質問して三つ知ったぞ!詩と禮と君子は息子をむしろ遠ざけて学ばせることを」
邦君之妻 君稱之曰夫人 夫人自稱曰小童 邦人稱之曰君夫人 稱諸異邦 曰寡小君 異邦人稱之 亦曰君夫人 諸侯の妻を、君主は夫人と呼び、自称は小童であり 国民は君夫人と呼ぶ、外国人には寡小君と呼び、外国人が呼ぶ場合、君夫人と呼ぶ。
陽貨欲見孔子 孔子不見 歸孔子豚 孔子時其亡也而往拜之 遇諸塗 謂孔子曰 來 子與爾言 曰 懷其寳而迷其邦 可謂仁乎 曰 不可 好従事而亟失時 可謂知乎 曰 不可 日月逝矣 歳不我與 孔子曰 諾 吾將仕矣 陽貨さんが先生と会見し自分の派閥に取り込みたいと考えていた。 先生が不忠の陽貨さんに会おうとしなかったので、一計を案じて先生に豚を贈り物として贈った。 先生は陽貨さんの留守を見計らって返礼に出かけた。 しかし帰りにばったり陽貨さんに出くわしたのだった。 「おお、こっちに来て下さい、話があるのです。 あなたという人は懐に宝物を抱いているくせに、役職につこうともせず国の者に疑惑を抱かせておりますぞ。 仁といえましょうか?」 「言えませんな」 「大きな仕事をなそうとしていながら、時期を失ってばかりいらっしゃる。 それが知といえますか?」 「いえませんな」 「歳月はどんどん過ぎ去りますぞ。歳は我等を待ってはくれないのです」 「そうですな、なにか仕事につきましょう」
子曰 性相近也 習相遠也 生まれながらの心の在り方など似たり寄ったりである。 修業によってのみ心の在り方に違いがでる。
子曰 唯上知與下愚不移 但し最上の知性と最低の愚者は修行や習慣によってもあまり変わらない。
子之武城 聞弦歌之聲 夫子莞爾而笑曰 割鷄焉用牛刀 子游對曰 昔者偃也聞諸夫子 曰 君子學道則愛人 小人學道則易使也 子 二三子 偃之言是也 前言戯之耳 先生は子游さんが市長を務める武城へ出掛けた。 その時に管弦の音を聞いてニヤリと笑って言った。 「鶏を捌くのに牛刀がいるかね」 子游さんが言った。 「私は昔先生からこのように聞きました 君子が道を学べば人を愛するようになるし、 小人が道を学べば使い易い人間になると」 先生がやり込められておっしゃった 「諸君、偃のいう事こそその通りだよ、私の言ったのは冗談だ」
公山弗擾以費畔 召 子欲往 子路不説 曰 未之也已 何必公山氏之之也 子曰 夫召我者而豈徒哉 如有用我者 吾其爲東周乎 公山弗擾が自分の領地の費の城によって謀反を起こした時に先生を招聘しようとした。 先生が行かれようとしたのを子路さんが喜ばなかった。 「先生、行くべき場所がなければそれまでのことです。 何で公山なんかのところに行こうとするのです」 「私を招聘しようとするものはむやみやたらに招聘しようとしているわけではない。 私を用いるならば、東周の政治を実践してみせよう」
子張問仁於孔子 孔子曰 能行五者於天下 爲仁矣 請問之 曰 恭寛信敏恵 恭則不侮 寛則得衆 信則人任 敏則有功 恵則足以使人 子張さんが先生に仁について質問した。 「天下においてこの五つを行う者が仁であろう。」 詳しく尋ねると、 「恭寛信敏恵じゃよ。恭は人を侮らないこと 寛容は人を得る最良の方法じゃ。 信は人に仕事を任せられる。敏であれば功績をあげ、恵ならば人を使うことができる」
佛キツ召 子欲往 子路曰 昔者由也聞諸夫子 曰 親於其身爲不善者 君子不入也 佛キツ以中牟畔 子之往也如之何 子曰 然 有是言也 不曰堅乎 磨而不リン 不曰白乎 涅而不緇 吾豈匏瓜也哉 焉能繋而不食 佛キツさんが先生を招聘した。先生は行くことを望まれた。子路さんが言った。 「昔、先生は、自ら悪事を為す者の所に君子は出入りしないとおっしゃいましたね 佛キツは中牟の町によって反乱を起こしている奴ですよ。 先生が行こうとされるのはどういうことです?」 「そういったのは確かじゃ。しかし堅いものはいくら擦り減らそうとしても薄くならんし、 白いものは白であって、黒い土で染められるものじゃない。 ワシは苦い瓜ではない、蔦にくっついたまま食われずにそのままでいるわけにはいかんのじゃ」
子曰 由也 女聞六言六蔽矣乎 對曰 未也 居 吾語女 好仁不好學 其蔽也愚 好知不好學 其蔽也蕩 好信不好學 其蔽也賊 好直不好學 其蔽也絞 好勇不好學 其蔽也亂 好剛不好學 其蔽也狂 先生がおっしゃった。 「由ちゃんや、お前は仁知信直勇剛の六つのキーワードに関する弊害を聞いたことがあるかね」 「ないですね」 「まっ座りなさい。いいかい。仁を好むようでも学問を好まないなら、その者は愚に陥る危険があるよ。 頭が良くても学問しなければ知性の放蕩に陥る危険があるよ。 信を好んでも学問を好まなければ、ただ人に厳しい傷つけるようなそういう堅物になる。 正直を好んでも学問を好まなければただただ息苦しい窮屈な人間になる。 勇気を好んで学問を好まなければ乱暴なだけだ。 剛毅を好んでも学問を好まなければ狂人のようなもんだ」
子曰 小子何莫學夫詩 詩可以興 可以觀 可以羣 可以怨 邇之事父 遠之事君 多識於鳥獣草木之名 「諸君、何で詩を学ぼうとしないのかね? 詩は比喩を学ぶことができる。それは世の中の物事を観察することができる。 みんなで唱和し集うことができる。 政治を諷刺することもできるし、 これによって父に仕えることや君主に仕えることにも役立ち、 鳥や獣や草木の名を覚えることができるんじゃ」
子謂伯魚曰 女爲周南召南矣乎 人而不爲周南召南 其猶正牆面而立與 先生がご子息の伯魚さんにおっしゃいました。 「お前は周南と召南を学んだかい? 人として周南と召南を学んでいないのなら、情愛の面で まるで壁に向かって立つようで何も分かってないに等しいよ」
子曰 禮云禮云 玉帛云乎哉 樂云樂云 鍾鼓云乎哉 禮だ禮だと騒ぎ立てても玉や帛のことを気にしていばかりいるのが禮ではない。 樂だ樂だと言っても鍾や鼓のことばかり言っててもしょうがない。 大事なのはその精神だ。
子曰 色レイ而内荏 譬諸小人 其猶穿ユ之盗也與 外側はバキバキで内側はぐにゃぐにゃのような昆虫野郎は 様々な小人の中でも例えればこそ泥のようなやろうだぜ!
子曰 郷原徳之賊也 八方美人のようにあらゆる人に好まれようとする人間は徳のこそ泥だぜ!
そうだ!
子曰 道聽而塗説 徳之棄也 道で今さっき聞いたことをまた道端で得意げに語るのは徳を棄てる者だぜ。
子曰 鄙夫可與事君也與哉 其未得之也 患得之 既得之 患失之 苟患失之 無所不至矣 下劣な者とは共に君主に仕えることはできない。 地位を得ていない時は地位を得ることばかり患うし、 地位を得れば失うことばかりを心配する。 そして馬鹿なことは何でもやりかねない!
子曰 古者民有三疾 今也或是之亡也 古之狂也肆 今之狂也蕩 古之矜也廉 今之矜也忿戻 古之愚也直 今之愚也詐而已矣 古代の人民には三つの欠点があると言うが、今の民はそれさえなくなりつつある。 古代の狂人はずけずけ物を言ったが、今はただなよなよとしているばかりだ。 古代のやくざは筋を通したが今はただブチキレるばかりだ。 古代の馬鹿者は正直だが今は嘘ばっかつく。
子曰 惡紫之奪朱也 惡鄭聲之亂雅楽也 惡利口之覆邦家者 紫色が朱の代わりなになるなど有り得ない。 鄭聲が雅楽を乱すことなどワシは許さん! 口達者な者が国家を転覆させることをワシは憎む。
子曰 予欲無言 子貢曰 子如不言 則小子何述焉 子曰 天何言哉 四時行焉 百物生焉 天何言哉 「ワシはもう何も言わんことにする」 子貢さんが答えた。 「先生が何も言わなくなったら何を書き留めればいいのですか」 「天はワシのようにペラペラは言わんよ。 ただ常に四季は巡り、万物を生育させる。 天が何を言うというのか」
孺悲欲見孔子 孔子辭以疾 將命者出戸 取瑟而歌 使之聞之 孺悲さんが先生に会いたがっていた。 先生は仮病で会見を断った。取り次ぎの者が断りの為に玄関に出た頃を見計らって、 瑟を取って歌い始めた。そしてこのようにして自分の心を伝えたのだった。
論語とか哲学とは違うよな 論理が一切無いし なんか「俺の話を聞けぇ〜♪」みたいな感じで 説教とかに近い 老子は孔子を徹底的に批判しているけれど やっぱり説教じみていいるしwww 変なの♪♪♪
宰我問三年之喪期已久矣 君子三年不爲禮 禮必懐 三年不爲樂 樂必崩 舊穀既没 新穀既升 鑽燧改火 期可已矣 子曰 食夫稲 衣夫錦於女安乎 曰 安 女安 則爲之 夫君子之衣喪 食旨不甘 聞樂不樂 居處不安 故不爲也 今女安 則爲之 宰我出 子曰 予之不仁也 子生三年 然後免於父母之懐 夫三年之喪 天下之通喪也 予也有三年之愛於其父母乎 宰我さんが聞いた。 「三年の喪は長すぎませんか?君子が三年礼を実践しなければ礼が廃れます。 音楽だってその通りです。 古い米はなくなり新しい米が出来、それを炊く火も改まります。 一年で十分でしょう」 「父母が死んで間もない時にうまい米を食ってきらびやかな錦を着てもお前は心安らかなのかね?」 「安らかです」 「それならそうすればいい。君子は喪の間、旨い物を食べても旨く感じず、 音楽を聴いても楽しくなく、安閑としていられないから、お前のようにしないのだ」 宰我さんが退出した。 「宰予は不仁だ、子供というものは三年は父母の懐で暖かく育てられるものだ。 三年の喪とは天下の一般的な喪の制度だ。 宰予は父母よりも三年の期間を愛おしむようじゃな」
子曰 飽食終日 無所用心 難矣哉 不有博エキ者乎 爲之猶賢乎已 食いたいだけ食って日を送り、心を用いることがないというのではどうしようもない。 パチンコや麻雀でもやってる方がまだましだよ。
子路曰 君子尚勇乎 子曰 君子義以爲上 君子有勇而無義爲亂 小人有勇而無義爲盗 子路さんが言った。 「君子は勇気を尊びます」 「君子ってもんは正義を第一とするものだよ、君子に勇気があって正義に欠けてれば乱暴になるし、 小人は勇気があって義に欠ければ盗人になる」
子貢曰 君子亦有惡乎 子曰 有惡 惡称人之惡者 惡居下流而セン上者 惡勇而無禮者 惡果敢而窒者 曰 賜也亦有惡乎 惡キョウ以爲知者 惡不孫以爲勇者 惡訐以爲直者 子貢さんが質問した。 「君子も憎むことがあります?」 「あるよ。人の欠点をあげつらう奴を憎む。 下の地位に居て、上を謗る者。 勇敢だが無礼者や、果敢だが息のつまるような奴。 お前こそ憎むものがあるかい?」 「他人から聞いたことでもって知恵者ぶる者や、 不遜な態度を勇敢と勘違いする者、 人の秘密を暴いてそれが正直な態度だと思う者です。」
子曰 唯女子與小人爲難養 也 近之則不孫 遠之則怨 女子と小人ほど扱いに困るものはない。 近づけば不遜になるし、遠ざければ怨む。
子曰 年四十而見惡焉 其終也已 四十にもなって人から憎まれるような者はもうどうしようもない。
591 :
考える名無しさん :2013/11/29(金) 22:09:33.46 O
微子去之 箕子爲之奴 比干諫而死 殷有三仁焉 紂の兄の微子は紂を諌めて聞き入れられず亡命し、 箕子は諌めて聞き入れられず、狂った振りをして奴隷の格好をした。 比干は諫言して殺されたのだった。 殷には三人の仁者がいたのだった。
柳下惠爲士師 三黜 人曰 子未可以去乎 曰 直道而事人 焉往而不三黜 枉道而事人 何必去父母之邦 100年前の時代の柳下惠は三度、司法長官に任じられて三度罷免された。 ある人がいった。 「あんたまだこの国にいたのかい」 「まっすぐな方法で人に仕えればどこに行こうが三度の罷免は免れ難いのです。 どこも同じで曲がった方法で仕えるならば、 なんで父母の国を離れる必要がありましょう。」
齊景公待孔子曰 若季氏則吾不能 以季孟之間待之 曰 吾老矣 不能用也 孔子行 齊の景公が先生の招聘しようとして述べた。 「魯国の筆頭家老の季孫氏の待遇は無理だが、 季孫氏と二番家老の孟孫氏との間でなら手を打とう。」 「しかし私も歳老いましたからやっぱりあなたを起用するのは無理そうです」 孔子はこの言葉を聞いて去った。
齊人歸女楽 季桓子受之 三日不朝 孔子行 齊が魯にアイドルグループを送り付けてきた。 大臣の季桓子は三日、朝廷に現れなかった。 そして先生は祖国を去った。
いいなあ、このスレ。
楚狂接輿歌而過孔子曰 鳳兮鳳兮 何徳之衰 往者不可諫 來者猶可追 已而已而 今之從政者殆而 孔子下 欲與之言 趨而辟之 不得與之言 楚国の狂人の接輿さんが歌いながら先生の前を通り過ぎた。 「鳳凰よ!鳳凰よ! どうして道徳が衰えてしまったのだろうか! 過ぎたことをとやかく言っても仕方あるまい! しかしこれからのことはまだ間に合うのだ! よせったら!よせったら! 今の時代に政治家なんざ危ういもんだ!」 先生は玄関から飛び降りて話をしたいと思ったが、 走って逃げ去ってしまってので話すことはできなかった。
長沮桀溺グウ而耕 孔子過之 使子路問津焉 長沮曰 夫執輿者爲誰 子路曰 爲孔丘 曰 是魯孔丘與 曰是也 曰知津矣 問於桀溺 桀溺曰 子爲誰 曰 爲仲由 曰 是魯孔丘之徒與 對曰 然 曰滔滔者天下皆是也 而誰以易之 且而與其從辟人之士也 豈若從辟世之士哉 ユウ而不輟 子路行以告 夫子憮然曰 鳥獣不可與同羣 吾非斯人之徒與 而誰與 天下有道 丘不與易也
長沮さんと桀溺さんが二人で畑を耕していた。先生がその横を通り過ぎようとして、子路さんに渡し場について聞きに行かせた。 長沮が言った。「あの車で手綱を握ってるのは誰だい?」 「孔丘という者です」 「魯の国に孔丘かね?」「そうです」 「なら渡し場を知ってるはずだ」 桀溺さんも言った。 「あんた誰?」「仲由です」 「魯の孔丘の門下かい?」「そうです」 「滔滔と水が溢れ返るように天下はこんなありさまだ。 どうやってこれを変えるというのか?ありのままの人間を避けるような先生につかず、 世界そのものを避ける先生につきなさい」 そういって種に土をかけ続けるのだった。 子路さんが一部始終を先生に告げると先生は憮然として答えた。「鳥や獣と群れることはできない。人と一緒に生きないで誰と一緒に生きるんだい。 天下に道があるならば私が敢えて変えようなんてしないさ」
子路從而後 遇丈人以杖荷ジョウ 子路問曰 子見夫子乎 丈人曰 四體不勤 五穀不分 孰爲夫子 植其杖而芸 子路拱而立 止子路宿 殺ケイ爲黍而食之 見其二子焉 明日子路行以告 子曰 隠者也 使子路反見之 至則行矣 子路曰 不仕無義 長幼之節 不可能廢也 君臣之義 如之何其廢之 欲潔其身 而亂大倫 君子之仕也 行其義也 道之不行 已知之矣
子路さんが先生のお供をして一行から遅れてしまったことがあった。 老人が肩にかけた杖に竹かごをさげているのに出会った。 「先生を見かけませんでしたか?」 「身体もろくに働かさず、五穀の区別もつかないで何が先生じゃ!」 そういうと杖をたてかけて草むしりをし始めた。 子路さんは恐縮して手を組み合わせて突っ立ていた。 老人は子路さんを泊めて、鶏を殺し黍めしでもてなし二人の息子に合わせた。 次の日、先生に一部始終を告げた。 「隠者だね」 そういうと子路さんを引き返えさせて再訪させたが、ついてみると留守であった。 子路さんが伝言を頼んだ。 「出仕しないのは義ではありません。長幼の節度は廃せないものです。 君臣の義だけ何故廃せましょう。 見を清く保つことが大倫を乱すということもございましょう。 君子が出仕するのは義を行う為です。 道が行われないことなどとっくの昔に分かっていることです」
逸民伯夷叔齊 虞仲夷逸 朱張柳下惠少連 子曰 不降其志 不辱其身 伯夷叔齊與 謂柳下惠少連 降志辱其身矣 言中倫 行中慮 其斯而已矣 謂虞仲夷逸 隠居放言 身中清 廢中権 我則異於是 無可無不可 逸民と呼びうる人は、伯夷と叔齊である。 虞仲は南方荊蛮に亡命した。 世間を向こうに朱張したのは柳下惠と少連である。 志を高く保ったままその身を辱めなかったのは伯夷と叔齊だろう。 柳下惠と少連は志を低くしてその身を辱めたが、言葉は倫理に即していて、 行動は思慮あるものだったということに尽きるだろう。 虞仲は亡命して言いたいことも言わず その身は清廉で、世を廃するやり方はやむを得なないものだった。 私は彼らとは違って時代に寄り添い過ぎることもなかれば 世を捨てるということもない。
訓戒や教義だけじゃないのかな? ただの昔話に思えるのがある
大師摯適齊 亞飯干適楚 三飯繚適蔡 四飯缺適秦 鼓方叔入干河 播トウ武入干漢 少師陽 撃磬襄入干海 魯の楽団長は齊国へと去って行った。 二の膳の音楽担当の干は楚国へと去って行った。 三の膳の音楽担当の繚は蔡国へと去って行った。 四の膳の音楽担当の缺は秦国へと去って行った。 鼓の担当の方叔は黄河の方へと去り、 でんでん太鼓の担当の武は漢水の方へと去って行った。 楽団の次長の陽と磬を打つ担当の襄は渤海沿岸へと去って行った。 こうして哀公の時に輝かしき伝統ある魯の楽団員は四散したのだった。
周公謂魯公曰 君子不施其親 不使大臣怨乎不以 故舊無大故 則不棄也 無求備於一人 周公旦は息子の魯公を戒めて言った。 「君子は親族を見捨てぬものだ。 そして臣下には起用されないという怨みを起こさせないようにするものだ。 古い仲間は大きな過ちでもない限り見捨ててはいけない。 一人の人間に完全さを求めてはいけない。 人間は不完全なものだ。だからこそ多くの人材を寄り集めてその長所を生かし、 パッチワークのようにしてどんな布切れでも簡単に捨てることなく用いよ」
周有八士 伯達伯カツ 仲突仲忽 叔夜叔夏 季隋季カ 周には八人の有名な奴らがいた。 伯達・伯カツと仲突・仲忽と叔夜・叔夏と季隋〜季カである。
子張曰 士見危致命 見得思義 祭思敬 喪思哀 其可已矣 子張さんが言った。 士は危急に際しては命を投げ出し、 利益には正義を思う。 祭では敬い。葬式では哀悼する。 そうであるべきだ。
子張曰 執徳不弘 信道不篤 焉能爲有 焉能爲亡 子張さんが言った。 徳をもって弘めず、道を信じること篤くなければ、 生きていようが死んでいようが何でもない。
子夏之門人 問交於子張 子張曰 子夏云何 可者與之 其不可者拒之 子張曰 異乎吾所聞 君子尊賢而容衆 嘉善而矜不能 我之大賢與 於人何所不容 我之不賢與 人将拒我 如之何其拒人也 子夏さんの門人が子張さんに交際について質問した。「子夏さんは何て言ってたかね?」 「良い人と交際し、悪い人と交際しないようにて言われました」 「俺が先生に聞いた話は少し違うね。 君子というものは賢者を尊重してさらに大衆を包容し、 善を嘉納するが能力の足りないものは哀れむもんだ。 自分が大いに賢いならみんな包容してしまうし、 自分が馬鹿なら相手から拒まれるだけだ。 どうしてこっちから交際を拒む必要があろう」
子夏曰 雖小道必有可観者焉 致遠恐泥 是以君子不爲也 子夏さんが言った。 どんなに小さな学説にも見るべき点はあるものだ。 しかし遠くに行こうとするとそれによって泥沼に嵌まる。 だから君子はそういう卑近な啓発書とかは読まないよう遠ざかるものだ。
子夏曰 日知其所亡 月無忘其所能 可謂好学也已矣 子夏さんが言った。 毎日自分の欠けていることを知ろうとし、 それを毎月忘れないよう心掛ける者は好学の人と言っていいだろう。
なんで毎月なんだろ 毎日でもいいと思うけど 疲れから毎月なのかな
軍人養成にはいいのかもな。 わたしは孔子はまったくもて受け付けない。 義務を押し付けることばっかり。
子夏曰 博学而篤志 切問而近思 仁在其中矣 子夏さんが言った。 「博学で意志を強くもち、切実な問いを発して、身近なところから思索する。 仁はその中にあるものだ。」
子夏曰 百工居肆 以成其事 君子學以致其道 子夏さんが言った。 「職人達は店でその仕事を成し遂げる。 君子は学問によってその道を究める。」
子夏曰 小人之過也必文 子夏さんが言った。 「小人は過ると必ず言い訳する」
子夏曰 君子有三變 望之儼然 即之也温 聽其言也レイ 子夏さんが言った。 「君子には三つの変化がある。 遠くから見るといかにも厳めしい感じがする。 近くにいってみると温かみがある。 しかしその言葉は激しい。」
子夏曰 君子信而後勞其民 未信 則以爲レイ己也 信而後諌 未信 則以爲謗己 子夏さんが言った。 君子は信用されてから民を労働をさせる。 信用されていないならば自分達を悩ますものだと見做されてしまうだろう。 信用されてから人を諌めるべきである。 信用されていないなら悪口だととられかねない。
子夏曰 大徳不踰閑 小徳出入可也 子夏さんが言った。 「大きな徳についてはその規則を踏み外してはいけないが。 小さな徳については多少規制をはみ出しても問題ない」
子游曰 子夏之門人小子 當洒掃應對進退 則可矣 抑末也 本之則無 如之何 子夏聞之曰 噫 言游過矣 君子之道 孰先傳焉 孰後倦焉 譬諸草木 區以別矣 君子之道 焉可誣也 有始有卒者 其惟聖人乎 礼儀に詳しい子游さんが言った。 「子夏の門人は掃除や応対や儀式の動作はまずまずだが、 しかしこれらは枝葉末節で本質部分はゼロだ! 困ったもんだ」 子夏さんがこれを聞いて言った。 「あらら、言游は間違ってるよ。 君子の道は教えるにも人によって先後を弁えなくてはならない。 草木の育て方にもそれぞれ区別がある。 君子の道もごまかせないものだ。 最初から最後までを一挙に習得できるのは聖人のみだ」
子夏曰 仕而優則學 學而優則仕 子夏さんが言った。 仕事をして余裕ができれば学問しろ。 学問して余裕がでれば仕事しろ。
子游曰 喪致乎哀而止 子游さんが言った。 「葬式は哀しみを尽くして止む」
子游曰 吾友張也 爲難能也 然而未仁 子游さんが言った。 私の友人の子張は人のできないことをよくした。 しかし仁とは言えない。
曾子曰 堂堂乎張也 難與竝爲仁矣 曾先生が言った。 子張は立派だが一緒に仁をなそうとしてもついていけないところがある。
曾子曰 吾聞諸夫子 人未有自致者也 必也親喪乎 曾先生が言った。 「私が先生に聞いたことだが、 自分の力だけで最後の境地までいけるものではないが例外がある。 それが親の喪である」
曾子曰 吾聞諸夫子 孟荘子孝也 其他可能也 其不改父之臣與父之政是難能也 曾先生がおっしゃった。 「私が先生に聞いたことに、 魯の家老の孟荘子の孝なら他人でもできる。 しかし父親の家来と父親の政治をそのまま引き継ぐことは為しがたいというのがある」
孟氏使陽膚爲士師 問曾子 曾子曰 上失其道 民散久矣 如得其情 則哀矜而勿喜 孟氏に司法長官に抜擢された陽膚さんが曾先生に心得を質問した。 「政治がその道を失って、民が身も心も散り散りになって久しいのだ。 罪人の心を理解したなら同情してやるべきであって、 自白させて得意になって喜んだりしていてはならない」
子貢曰 紂之不善 不如是之甚也 是以君子惡居下流 天下之惡皆歸焉 子貢さんが言った。 「紂の不善は実際はそれほどひどくなかったのかもしれない。 君子は全ての汚れが集まる下流にいることを嫌う。 悪人がみな彼のもとへ集まってとんでもないことになってしまうからだ」
子貢曰 君子之過也 如日月之食焉 過也 人皆見之 更也 人皆仰之 子貢さんが言った。 「君子の過ちは太陽や月の蝕のようなものだ。 過ちがあれば人が皆見るし、改めれば人がみな尊敬する。」
629 :
考える名無しさん :2013/12/14(土) 19:48:41.70 0
東北大学 博士課程の近世儒学専攻の吉川裕さん なんで自分だけ気持ちよくなればいいと思うの? なんで?
曲学阿世の事例
★カルト癒着こそが東北大での出世方法と認めてしまった
吉川先輩(D5)のご発言はこちら★
931 返信:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2013/10/19(土) 02:06:20.28 ID:mjz5UMS30 [8/9]
>>929 キチガイカルトに接近したことで出世できた一方、頭がおかしくなったという事実の間に板挟みになってるわけな
ある程度は納得したわ
あと
>>914 の推理研の管理人がが吉川と同一人物だとわかったのは何故なんだ?
曲学阿世の事例2 ★出版によって雅を解体し日常をプロデュースする偉人のお話★ 吉川裕氏「江戸漢詩における「日常性」の獲得――徂徠学を出発点として」 本発表は荻生徂徠が提唱し大流行させた格調説から、それに反発した山本北山 らの主張した性霊説への漢詩論の転換とその背景について、 「日常性」という視 点から考察するものである。周知の通りこの転換については すでに日野龍夫ら によって徂徠学を契機とする漢詩文の儒学から文学への独立、 あるいは大衆化の 過程として詳細に論じられているが、思想史・文学史の枠組みに留まらず、そ・フ 歴史的意義を広く文化史的視点から位置づけることもできるだろう。 まずは共通 テーマである「日常性」の持つ両面性や概念そのものを整理しつつ、 当初は「雅」 の領域にあった儒学や江戸漢詩が商品経済や太平の世の中で「日常性」を獲得し ていくことを論じていきたい。 (東北大学大学院)
吉川の指導教員佐藤弘夫の思想:正しき信仰によって災害を抑えるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
バリバリの創価学会wwwwwwwww
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d12a-1.html 佐藤教授・まさにそうですね。本来、国とは民衆のことであり、国家権力というのは「手段」なのです。
しかし、日本では常に権力が「目的」です。日蓮は明確にこれを逆転しました。民衆の幸福こそが「目的」であり、「国家権力は「手段」であると。
立正安国論を提出する契機も、正嘉の大地震によって、多くの民衆が嘆き苦しんでいたことでした。日蓮は、まず正しき信仰によって災害を抑えるという方途を示しました。
吉川の指導教員佐藤弘夫の思想:正しき信仰によって災害を抑えるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
バリバリの創価学会wwwwwwwww
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d12a-1.html 佐藤教授・まさにそうですね。本来、国とは民衆のことであり、国家権力というのは「手段」なのです。
しかし、日本では常に権力が「目的」です。日蓮は明確にこれを逆転しました。民衆の幸福こそが「目的」であり、「国家権力は「手段」であると。
立正安国論を提出する契機も、正嘉の大地震によって、多くの民衆が嘆き苦しんでいたことでした。日蓮は、まず正しき信仰によって災害を抑えるという方途を示しました。
635 :
考える名無しさん :2013/12/14(土) 20:36:14.92 0
東北大学博士課程の吉川裕さん なんで自分だけ気持ちよくなればいいと思うの? なんで?
636 :
考える名無しさん :2013/12/14(土) 21:30:34.21 0
東北大学大学院院ペニス生。ハッテン空ケツ吉川裕うんこ間史学研究会委員 アナルローズ ホモ近世思ガチムチちんこ想史。特に文人裕(特ホモに服部食糞南郭らを中心吉川とした ?園学ケツ派)の在り方や交遊に関心を持っています。男色若色男色若色ホモセックス 日本思想史研究会6月例会、ぽこちん2008年6月、於東北大学うんちぺろぺろうんちぺろぺろ 吉川裕,「服部南郭の憂悲とその解消−雄雄♂ちんこちんこ男色若色男色若色ホモセックス 「雑詩三首」「寐隠辯」を僕のぴこ手がかりとしうんこすかとろぺにすちんこおちんぽみりゅく て−」日本思想史学会大会、2009年ガチ掘り種付ぽじまらちんこ包茎吉川に挿入みりゅく 10月、於東北大学吉川裕,「村井古厳について」ちんこぺろぺろぺにすぺにすおしっこみりゅく 駅長オススメの小さな旅&小さな旅行プランわぁい男の娘ほうけいの皮に挿入アナルローズ "学びちんこちんこちんこちんこちんこちんこちんこちんこ包茎の皮に挿入ケツ掘りブランコ 地蔵”合格祈願!「雲上寺」の特別見学&かまぼこ工場見学、ペニスペニスマラペニス 2009年11ペニスポジマラアナルローズケツ掘りブランコ男色若色男色若色ホモセックス 東北大学大学院院ペニス生。ハッテン空ケツ吉川裕うんこ間史学研究会委員 アナルローズ ホモ近世思ガチムチちんこ想史。特に文人裕(特ホモに服部食糞南郭らを中心吉川とした 東北大学大学院院ペニス生。ハッテン空ケツ吉川裕うんこ間史学研究会委員 アナルローズ ホモ近世思ガチムチちんこ想史。特に文人裕(特ホモに服部食糞南郭らを中心吉川とした
衛公孫朝問於子貢曰 仲尼焉學 子貢曰 文武之道未墜於地 在人 賢者識其大者 不賢者識其小者 莫不有文武之道焉 夫子焉不學 而亦何常師之有 衛の大夫の公孫朝さんが子貢さんに質問した。 「あなたの先生の仲尼さんは誰に学んだのですかな」 「周の文王や武王の示した道は地に露と消えてはいません。 それは人の中に息づいているのです。 賢者はその中から偉大なるものを知ります。 しかるに馬鹿者はそこから卑小なることどもばかりを発見します。 文王武王の道はどこにでもあるのです。 先生はどんな時でも学ばないということはありません。 決まった先生がいたわけではなくあらゆる人からそれを学んだのです」
叔孫武叔語大夫於朝曰 子貢賢於仲尼 子服景伯以告子貢 子貢曰 譬之宮牆 賜之牆也及肩 窺見室家之好 夫子之牆數仭 不得其門而入 不見宗廟之美 百官之富 得其門者或寡矣 夫子之云 不亦宜乎 魯の先生の同僚であった叔孫武叔さんが朝廷に出仕している時に言った。 「弟子の子貢の方が仲尼より賢いな」 子服景伯さんがそれを子貢さんに告げた。 子貢さんが言った。 「家の牆に例えれば、私は肩までの低い垣根で中の建物がまる見えです。 先生は數仭もの高さに達する高い垣根です。 その門から入らなければ中の宗廟の様子や百官が仕えるゴージャスさなど分かりようもありません。 その門から入れる人は少ないのです。 あの方の言葉もそのような原因からきたものです」
叔孫武叔毀仲尼 子貢曰 無以爲也 仲尼不可毀也 他人之賢者 丘陵也 猶可踰也 仲尼日月也 無得而踰焉 人雖欲自絶 其何傷於日月乎 多見其不可量也 叔孫武叔さんが先生を非難した。 子貢さんがそれを聞いて言った。 「なんの意味もないです。先生を非難するべきではありません。 他の賢者は丘陵のようなものですので、なお乗り越えられるでしょうが、 先生は太陽や月のようなものです。それは乗り越えできないものです。 人が例えそれから離れようとしても、太陽や月に何の傷みがありましょう。 そんなことをしても自分の限界を知らないということを露呈するのみですよ」
640 :
考える名無しさん :2013/12/17(火) 19:32:04.65 0
陳子禽謂子貢曰 子爲恭也 仲尼豈賢於子乎 子貢曰 君子一言以爲知 一言以爲不知 言不可不愼也 夫子之不可及也 猶天下之不可階而升也 夫子之得邦家者 所謂立之斯立 道之斯行 綵之斯來 動之斯和 其生也榮 其死也哀 如之何其可及也 陳子禽さんが子貢さんに言った。 「あなたは謙遜していらっしゃるが、 どうして仲尼さんがあなたより賢いことがありましょう」 「君子は一言で知恵あるものとみなされ、 一言で馬鹿者だとみなされます。 言葉は慎重にしないではいられません。 先生に及ぶことな不可能です。 天に階段を使って昇っていけないのと同じです。 先生が一度、家老や邦を治める立場になったなら、 あらゆる物事に於いて、 立たせようすれば立ち、導けば行われ、 安んじれば集まり、動かせば和が生まれるという有様で、 生きてる者は栄え死んだら誰もが哀悼されるでありましょう。 こんな様子ですからどうして私ごときが追いつけましょう」
堯曰 咨爾舜 天之歴數在爾躬 允執其中 四海困窮 天祿永終 帝王堯は言った。 ああ、汝、舜よ。 今や天の歴數の管理は汝の躬にその順番が回った。 誠心誠意、物事の中庸を取れ。 もし四海の人民が困窮することあらば 汝に降り下る天祿は永遠に終わりを告げることだろう。
643 :
考える名無しさん :2013/12/19(木) 13:42:59.39 0 BE:3195664875-PLT(14000)
【吉川氏太極図】 吉川裕の陽な部分: 男性のうんちの穴を見て挿入したいと思う ケツまんこ孕ませたい____ おしっこ飲ませたい ´ \ / '. \ / ( ) i ヽ . / / ', i バリタチ / i | , ―'´ | l / バリネコ l ', / / . ′ { ( ) , ′吉川裕の陰な部分: \ ', /マッチョな男性に抱かれたいと思う . ` 、\ , '´ 肛門に逞しい腕をブチ込んで欲しい
644 :
考える名無しさん :2013/12/19(木) 17:13:42.27 0 BE:4382626368-PLT(14000)
佐藤創価研究室の博士課程の院生で嫌儲で「創価癒着で出世」と書き込んでた奴が
吉川英治(創価学会)の孫である事が判明!!!国立大学は創価に食いつぶされる!!
931 返信:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2013/10/19(土) 02:06:20.28 ID:mjz5UMS30 [8/9]
>>929 キチガイカルトに接近したことで出世できた一方、頭がおかしくなったという事実の間に板挟みになってるわけな
ある程度は納得したわ
あと
>>914 の推理研の管理人がが吉川と同一人物だとわかったのは何故なんだ?
舜亦以命禹 曰 予小子履 敢用玄牡 敢昭告于皇皇后帝 有罪不敢赦 帝臣不蔽 簡在帝心 朕躬有罪 無以萬方 萬方有罪 罪有朕躬 舜帝もまた禹に天下の管理を命じたのだった。 そして月日は流れ暴虐の限りを尽くす禹の子孫の桀を討つべく湯は言った。 「卑小なる私こと履は恐れながら黒い牡牛を捧げ、 照覧を願い奉り皇皇なる后帝に告げます。 罪ある者は赦されることはありません。 天命を帝臣が蔽い隠すことはできません。 人は天帝の心によって選ばれるのであります。 私に罪あらばそれによって万民に被害が及びませんように。 そして万民に罪あらばそれは全てこの私の罪なのです」
646 :
考える名無しさん :2013/12/20(金) 12:46:57.03 0 BE:1369571235-PLT(14000)
【吉川氏太極図】 吉川裕の陽な部分: 男性のうんちの穴を見て挿入したいと思う ケツまんこ孕ませたい____ おしっこ飲ませたい ´ \ / '. \ / ( ) i ヽ . / / ', i バリタチ / i | , ―'´ | l / バリネコ l ', / / . ′ { ( ) , ′吉川裕の陰な部分: \ ', /マッチョな男性に抱かれたいと思う . ` 、\ , '´ 肛門に逞しい腕をブチ込んで欲しい  ̄ ̄ ̄ ̄
647 :
考える名無しさん :2013/12/20(金) 16:58:24.01 0 BE:1643484863-PLT(14000)
\ / \_ _/ 彡彡彡 ミミミミ ミミミミ ノ σ ヽ / / ゚ヽ \ / //\\ \ ( ( ( O ) ) ) \ \\// / ` \/ ' \ * / \_____/\_____/ 女性蔑視・軽視の吉川裕を糾弾する
周有大賚 善人是富 雖有周親 不如仁人 百姓有過 在予一人 周の武王の言葉 「周は大いなる宝を天より頂いた。それはつまり善人が豊富であるということだ。 親しい肉親は仁の人に及ばない。 全ての人々の罪はこの私一人の罪なのだ。」
謹権量 審法度 修廢官 四方之政行焉 興滅國 繼絶世 擧逸民 天下之民歸心焉 所重民食喪祭 度量衡を統一し、法律を規定し、廃れた必要な官職を復活させれば、 四方まで政治が行き渡るであろう。 滅びた国や絶えた家系を復活させ、世に隠れた賢人を登用すれば、 天下の民の心は帰服するであろう。 政治の重点は食料政策・葬礼・祭式である。
寛則得衆 信則民任焉 敏則有功 公則説 寛大であれば人は集まり、誠実であれば民は信頼し、 明敏であれば功績が残り、公平であれば人は悦ぶ。
子張問於孔子曰 何如斯可以從政矣 子曰 尊五美 屏四惡 斯可以從政矣 子張曰 何謂五美 子曰 君子惠而不費 勞而不怨 欲而不貪 泰而不驕 威而不猛 子張曰 何謂惠而不費 子曰 因民之所利而利之 斯不亦惠而不費乎 擇可勞而勞之 又誰怨 欲仁而得仁 又焉貪 君子無衆寡 無小大 無敢慢 斯不亦泰而不驕乎 君子正其衣冠 尊其瞻視 儼然人望而畏之 斯不亦威而不猛乎 子張さんが政治の方法につい質問した。 「五つの美点を実行し、四つの悪を排除するなら政治ができるよ」 「どういうことでしょう?」 「民に恩恵を施してしかも浪費せず、民を使役しても恨まれず、 意欲的であっても貪欲でなく、泰然としても傲慢にならず、 威厳はあっても猛々しくない」 「恩恵を施しても浪費しないとは何ですか」 「民の商売の利益を重視していけば国庫は費えない。 使役は時期を選べば恨まれない。仁を欲すればそれは貪りではない。 君子は人数や地位で侮ったりしない。これが泰然として傲慢にならないということだ。 君子はその衣服を正し、それで人は畏敬の念を抱くし、それが威厳があっても猛々しくないということだよ」
子張曰 何謂四惡 子曰 不教而殺 謂之虐 不戒視成 謂之暴 慢令敢致期 謂之賊 猶之與人也 出納之吝 謂之有司 四つの悪とは何ですか? 「教育しないで罰する。これは虐待だよ。 指導しないで仕事の実績を求める。これはとんでもないことだ。 漫然と命令して突然その実行を求める。これも目茶苦茶だね。 出すべきものをケチケチするのは下司野郎さ」
子曰 不知命 無以爲君子也 不知礼 無以立也 不知言 無以知人也 ワシの最後の言葉じゃから耳をかっぽじって聴いてくれよ。 「天命や自己の運命に盲目では君子とは言えないんじゃ。 他者との関係性に於ける礼の心が確立してなければ、世の中で一人立ちすることはできないんじゃ。 社会関係に於ける人間というものを理解するには、 他者とのコミュニケーションを可能ならしめ、社会を形成する基盤であるロゴスに対する深い洞察なくしては不可能なのじゃ。 それ故、天命・礼儀・言語を尊重し学ぶように」
654 :
考える名無しさん :2013/12/23(月) 13:27:43.29 0
いいスレだった 先生お疲れ様でした
655 :
祝偉業達成 :2013/12/23(月) 19:28:03.91 0
656 :
考える名無しさん :2013/12/23(月) 19:42:09.86 0
民信なくば〜
657 :
考える名無しさん :2013/12/23(月) 20:49:03.89 O
どうもありがとうございます ただの荒らしのつもりだったのですがだいぶ長くなりましたw
658 :
考える名無しさん :2013/12/23(月) 20:52:34.27 0
8888888888888
660 :
考える名無しさん :2013/12/25(水) 11:16:32.71 0 BE:547828823-PLT(14000)
バーニングの谷口も徂徠学なのかな 多くの男性に人気のある芸妓と真の恋愛をして 民間人の女性を芸妓扱いするという江戸からある「手法」。 文献には意味がない。 ただ古代中国にそのライフスタイルの記述あるのみ。 それがべつに水商売の女性を救うわけでもない。 徂徠学ですよね。 吉川さんいままで女性何人殺してるのかな。
662 :
661 :2013/12/26(木) 09:25:51.02 P
663 :
661 :2013/12/26(木) 09:36:38.07 P
Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa Yutaka Ochinchin Yoshikawa 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん 吉川おチンチン裕さん
665 :
661 :2013/12/26(木) 18:13:25.76 P
666 :
661 :2013/12/27(金) 05:35:10.77 P
667 :
661 :2013/12/28(土) 02:17:01.13 P
668 :
661 :2013/12/28(土) 02:33:11.85 P
画伝いいなあ。
>>666 すげえ穏やかな顔で原壌殴ってて笑ったw
670 :
661 :2013/12/29(日) 06:13:43.26 P
671 :
661 :2013/12/29(日) 06:35:59.77 P
672 :
661 :2013/12/29(日) 06:37:01.27 P
674 :
661 :2013/12/29(日) 08:22:19.98 P
676 :
661 :2013/12/29(日) 12:36:52.98 P
ちくま新書『生きるための論語』164頁、92頁メモ
(知/不知)→知 2:17(
>>54 )
(礼/非礼)→礼 3:15(
>>78 )
/は概念の峻別を意味し、→は両者の境界を書き換えるという意味。これらは動的過程を表現している。
著者はカントの名前を出さないが、孔子思想をカント的批判哲学ととらえれば、(礼/非礼)→礼も
3:15(
>>78 )が一番いい例示だということがわかりやすい。
内在的反省が『論語』の基本にある。
01-01(
>>11 ),04-21(
>>111 ),12-04(
>>387 ),15-21(
>>521 )
>>678 やっと哲学板らしくなってきたなw
カント哲学の原文は読んでないんだけど(そんな奴がこの板来るなよって言えばそうだがw)
概要書の引用でカントが普遍の道徳律を星の運行に擬えてる文章があって驚いた覚えがある。
すぐに為政篇2-1(
>>26 )を想起した。
【吉川氏太極図】 吉川裕の陽な部分: 男性のうんちの穴を見て挿入したいと思う ケツまんこ孕ませたい____ おしっこ飲ませたい ´ \ / '. \ / ( ) i ヽ . / / ', i バリタチ / i | , ―'´ | l / バリネコ l ', / / . ′ { ( ) , ′吉川裕の陰な部分: \ ', /マッチョな男性に抱かれたいと思う . ` 、\ , '´ 肛門に逞しい腕をブチ込んで欲しい  ̄ ̄ ̄ ̄
683 :
655 :2014/01/03(金) 22:45:32.68 P
孔子学園の様子
孔子の教育方針の四本柱 <述而第七174>07-24(
>>237 )
孔子が慎重を期したこと <述而第七162>07-12(
>>224 )
利と命について <子罕第九209>09-01(
>>284 )
孔子が弟子達に求めた態度<述而第七158>07-08(
>>220 )
三人行えば我が師あり <述而第七171>07-21(
>>234 )
孔子が憂えた四つの点 <述而第七153>07-03(
>>215 )
歌の指導方法は <述而第七181>07-31(
>>248 )
孔子が言及しなかった事 <述而第七170>07-20(
>>233 )
子貢の感想 <公冶長第五105>05-13(
>>137 )
顔淵が溜息まじりに云う <子罕第九219>09-11(
>>295 )
孔子の冗談 <子罕第九210>09-02(
>>285 )
孔子学園の様子
孔子の教育方針の四本柱 <述而第七174> 07-24(
>>237 )
孔子が慎重を期したこと <述而第七162> 07-12(
>>224 )
利と命について <子罕第九209> 09-01(
>>284 )
孔子が弟子達に求めた態度<述而第七158> 07-08(
>>220 )
三人行えば我が師あり <述而第七171> 07-21(
>>234 )
孔子が憂えた四つの点 <述而第七153> 07-03(
>>215 )
歌の指導方法は <述而第七181> 07-31(
>>248 )
孔子が言及しなかった事 <述而第七170> 07-20(
>>233 )
子貢の感想 <公冶長第五105> 05-13(
>>137 )
顔淵が溜息まじりに云う <子罕第九219> 09-11(
>>295 )
孔子の冗談 <子罕第九210> 09-02(
>>285 )
孔子学園の様子
孔子の教育方針の四本柱 <述而第七174> 07-24(
>>237 )
孔子が慎重を期したこと <述而第七162> 07-12(
>>224 )
利と命について <子罕第九209> 09-01(
>>284 )
孔子が弟子達に求めた態度<述而第七158> 07-08(
>>220 )
三人行えば我が師あり <述而第七171> 07-21(
>>234 )
孔子が憂えた四つの点 <述而第七153> 07-03(
>>215 )
歌の指導方法は <述而第七181> 07-31(
>>248 )
孔子が言及しなかった事 <述而第七170> 07-20(
>>233 )
子貢の感想 <公冶長第五105> 05-13(
>>137 )
顔淵が溜息まじりに云う <子罕第九219> 09-11(
>>295 )
孔子の冗談 <子罕第九210> 09-02(
>>285 )
孔子学園の様子
孔子の教育方針の四本柱 (述而第七174)07-24(
>>237 )
孔子が慎重を期したこと (述而第七162)07-12(
>>224 )
利と命について (子罕第九209)09-01(
>>284 )
孔子が弟子達に求めた態度(述而第七158)07-08(
>>220 )
三人行えば我が師あり (述而第七171)07-21(
>>234 )
孔子が憂えた四つの点 (述而第七153)07-03(
>>215 )
歌の指導方法は (述而第七181)07-31(
>>248 )
孔子が言及しなかった事 (述而第七170)07-20(
>>233 )
子貢の感想 (公冶長第五105)05-13(
>>137 )
顔淵が溜息まじりに云う (子罕第九219)09-11(
>>295 )
孔子の冗談 (子罕第九210)09-02(
>>285 )
ドッカーン! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (⌒⌒⌒)... | あなたも分からない人ですね。 |||. | 近世儒学のような世間的に広く認知されている専門分野を _____ | 好きな人が『創価』な訳ありません。 /::常勝 :\〜プーン. | 『創価』とは鎌倉仏教とか日蓮第聖人とか、 /:::::::::::人間革命::: \〜プーン | そういうのが好きな人のことを指すのです。 |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン.. | 私は断じて『創価』ではありません! |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 | 単なる日本思想好きな 佐藤弘夫 のイエスマンです! |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 | あなたのように何でもかんでも「創価」呼ばわりしたら |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 .| 世の中は『創価』だらけになってしまいますよ! | ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! < 道学やキリスト教が好きな人を『創価』なんて言わないでしょう? \ ⌒ ノ______ | それと同じです。私は断じて『創価』ではありません。 \_____/ | | ̄ ̄\ \ | そもそも私は漫画・アニメ趣味が高じて、日本思想に ___/ \ | | | ̄ ̄|....| 興味を持ったわけですから『創価』ではありません。 |:::::::/ \吉川裕_ \| | |__|....| 近世儒学以外の思想にも触れたことありません。 |:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ / | ユニクロドンキ大好きなあなたと一緒にしないでください! |:::::/ |未来創造| 〔 ̄ ̄〕 \________________________ /♪私なんばわーん〜♪\
●『論語』の君子と脳機能
/\
四次元 / \
/ 君子 \
左 /_ _\ 右
三次元 / | | \
/ 義 信 \
/__ | | __\
二次元 / | | | | \
/ | 智 仁 | \
/___ | | | | ___\
一次元 / | | | | | | \
/ | | |ネし| | | \
/______|_|_|__|_|_|______\
『論語』の中心的な徳目「仁・義・礼・智・信」はそれぞれ
一次元から三次元の左右の脳の使い方にあてはまる。
(篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より)
「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度
「仁」=相手を思いやる心
「智」=知識
「信」=信用
「義」=正義
参考:
15-18 (
>>518 )
06-22 (
>>179 )
「仁・義・礼・智・信」をすべて兼ね備えた君子とは、脳の あらゆる機能を高く使っている人であり、時空間を超越した 四次元的な存在として位置づけられそうだ。 また『論語』を読むと、義や智といった左脳がかかわる働き よりも、仁や信などの右脳がかかわる働きのほうをより重視 していることが分かってくる。 (篠浦伸禎「孔子の教えは脳に効く」『孔子の人間学』致知出版社79頁より) 一次元 「礼」=相手に敬意を示す謙虚な態度。例:挨拶。 二次元右 「仁」=相手を思いやる心。例:表情を読む。 二次元左 「智」=知識。例:名前を付ける。 三次元右 「信」=信用。例:サッカーのパス。 三次元左 「義」=正義。例:本を書く。 四次元 「君子」=脳全体をバランスよく使う。
『論語』という革命思想
安冨歩@ジュンク堂書店池袋本店 (83:12)
http://nico.ms/1358473008 仁とは、感覚が作動していること
君子とは、学習回路が作動している人のこと
01-01(
>>11 ) 『超訳 論語』より
〈…学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。 それが「習う」ということだ。
それはまさに悦びではないか。
学習の悦びは、しばらく連絡もしていないような旧友が、遠くから突然訪ねてきてくれ
たような、そういう楽しさではないか。…
学習の悦びを知っている人は、それを知らない人を見ると、 「なんてくだらないヤツだ」
と思ってしまいがちだ。 しかし、そういうときにも、心を乱されないでいる人が、「君
子」なのだ。〉
参考:
02-17(
>>54 ),17-02(
>>565 )
【吉川氏太極図】 吉川裕の陽な部分: 男性のうんちの穴を見て挿入したいと思う ケツまんこ孕ませたい____ おしっこ飲ませたい ´ \ / '. \ / ( ) i ヽ . / / ', i バリタチ / i | , ―'´ | l / バリネコ l ', / / . ′ { ( ) , ′吉川裕の陰な部分: \ ', /マッチョな男性に抱かれたいと思う . ` 、\ , '´ 肛門に逞しい腕をブチ込んで欲しい
●『論語』の君子と発展機能 /\ つゆだくポジケツ / \ / 君子 \ ペニス /_ _\ アヌス ケツに小便 / | | \ / 義 信 \ /__ | | __\ 同性フェラ / | | | | \ / | 智 仁 | \ /___ | | | | ___\ 分桃 / | | | | | | \ / | | |ネし| | | \ /______|_|_|__|_|_|______\
儒教(笑) ホモ(笑)
694 :
考える名無しさん :2014/01/07(火) 00:54:29.40 i
ホモちんちん
695 :
考える名無しさん :2014/01/07(火) 00:55:20.01 i
ドッカーン! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (⌒⌒⌒)... | あなたも分からない人ですね。 |||. | 近世儒学のような世間的に広く認知されている専門分野を _____ | 好きな人が『創価』な訳ありません。 /::常勝 :\〜プーン. | 『創価』とは鎌倉仏教とか日蓮第聖人とか、 /:::::::::::人間革命::: \〜プーン | そういうのが好きな人のことを指すのです。 |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン.. | 私は断じて『創価』ではありません! |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 | 単なる日本思想好きな 佐藤弘夫 のイエスマンです! |::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 | あなたのように何でもかんでも「創価」呼ばわりしたら |ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 .| 世の中は『創価』だらけになってしまいますよ! | ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! < 道学やキリスト教が好きな人を『創価』なんて言わないでしょう? \ ⌒ ノ______ | それと同じです。私は断じて『創価』ではありません。 \_____/ | | ̄ ̄\ \ | そもそも私は漫画・アニメ趣味が高じて、日本思想に ___/ \ | | | ̄ ̄|....| 興味を持ったわけですから『創価』ではありません。 |:::::::/ \吉川裕_ \| | |__|....| 近世儒学以外の思想にも触れたことありません。 |:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ / | ユニクロドンキ大好きなあなたと一緒にしないでください! |:::::/ |未来創造| 〔 ̄ ̄〕 \________________________ /♪私なんばわーん〜♪\
徂徠学という学問があるが、 自分が住んだ事もない文化について 権威的に説教を垂れると言うものである。 (徂徠はそのために偽中国語まで作った) 吉川裕は徂徠学派を学んでいると言うが 彼の前で民間の話や外国の話をすると、消される。 今も得意そうにアメリカでは〜と漢文板で講釈を垂れているが 聴く耳を持ってはいけない。 吉 川 裕 に注意されたし。
吉 川 裕 は人間に非ず。
698 :
655 :2014/01/14(火) 01:39:32.21 P
699 :
655 :2014/01/14(火) 01:50:24.67 P
知行合一(wikiより)
知行合一(ちこうごういつ)は、中国の明のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。
論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」(02-13,
>>50 )が元になっている。
王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。
朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。
幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた
じょろろろ・・・ んー!気持ちいッ!!
飲む? あったかくなるよ?
703 :
考える名無しさん :2014/01/22(水) 17:29:21.82 0
俺にピッタリのスレがあった!!
705 :
考える名無しさん :2014/01/24(金) 21:52:31.31 0
恋愛サロンでもこの固定で活躍してます おしっこを飲むにあたっての助言などをしています
きゅぽん(これは昨日のおしっこ・・・) ぐびぐびぐびぐび・・・
709 :
655 :2014/01/24(金) 23:59:13.37 P
儒教の場合、孝は、家父長制にもとづくものであるが、孔子はそれを互酬的な
ものとして見ていた。孝は子にだけ課される義務ではなく、父もその義務を負
う。たとえば、「(犯罪を)父は子の為に隠し、子は父のために隠す」(『論語』13-18(
>>435 ))
と孔子はいう。
…
儒教では「孝」が重視され、「忠」よりも上に置かれる。しかし、日本では、
孝と忠が争えば、文句なしに忠が優位に置かれる。それは必ずしも孝を否定す
ることではない。忠はある意味で、オヤ(親分)への孝だからだ。儒教では、親に
対する孝は、公権力に抵抗する原理ともなりうる。だが、日本の儒教では、孝
は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本
に本来の儒教が根づくことはなかった。
(柄谷行人『遊動論』文春新書139頁,156頁)
710 :
考える名無しさん :2014/01/25(土) 03:10:39.37 0
公権力に逆らえればなんでもいいんだな…
>葉公様が先生に語った。 「私どもの村には正直者がおります。父親が羊を盗んだのですが、子供が正義感から証言をして有罪にしたのです。」 「私どもの村ではちょっと違っておりますな。 父親は子供の為に罪を隠しますし、子供は父親を必死に庇います。親子の情愛に正直なのです。 正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります」 なのに >日本の儒教では、孝 は、公権力(オヤ)への服従を正当化することにしかならない。この意味で、日本 に本来の儒教が根づくことはなかった。 ???
おしっこー 裕のおしっこ見てー
オシッコ出てる
おしっこ飲んでる 裕はおしっこで一人寂しく晩酌 保存方法によってはウイスキーみたいに濃くなるよ
ゆたかちゃんがすき。。。
716 :
考える名無しさん :2014/01/25(土) 21:28:40.19 0
>正直はこの両者のいずれか一方ではなくその中間にあります 中間というと、「身内の犯罪を公権力にゆだねる」「一方で、親(子)として、心身を最後までねぎらう」 ってところかなぁ。
717 :
655 :2014/01/26(日) 00:05:46.46 P
カントの啓蒙論によれば公私は時に逆転し得る(例えばユダヤ人を助けた杉原千畝の判断)。
論語が焚書坑儒を生き延びることができたのも当時の権力に対する忠より孝を優先して原論語
を壁に埋めたからだ。
忠と孝が柄谷(
>>709 )の言うようなものだとすると、「中」というのは
カントの言うアンチノミー(二律背反)を維持することと解釈できる。
このアンチノミーの維持は反省主義02-17(
>>54 )を可能にするし、
脳科学的(
>>688 )には右脳と左脳が別の機能を持つ意義と重なる。
13-18(
>>435 )に関しては、
ふつうは人間の心の「中」という忠の語釈に近い読みをする。
中庸の称揚と解釈しても間違いではないが。
個人的には、
14-08(
>>456 )
子曰、愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎
のように心の重視と解釈するのがいいと思う。
718 :
679 :2014/01/26(日) 03:03:19.43 0
>>711 >>716 中を中間と訳したものは殆どないと思う。
いくつかの論語訳は読んだが、少なくとも俺の記憶にはない。
>>435 の解釈は俺も思わず膝を打つ面白い解釈だとは思ったけど、
一般的には、葉公は正直に告発することを「直」としたのに対して、
孔子が「孝」を重視した、というか、自分の心に素直であることを「直」とした、と解釈される。
つまり、中は現代風に言えば内心。
まあ殆ど
>>717 が言ってることの繰り返しになってるけどw
このスレの論語訳は面白いけど、遊びや独自解釈があるので、絶対的な正解として見ない方がいい。
東北大学日本思想史佐藤研究室はバリバリの排他セクト創価学会 ↓↓↓ vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d12a-1.html 佐藤教授・まさにそうですね。本来、国とは民衆のことであり、国家権力というのは「手段」なのです。 しかし、日本では常に権力が「目的」です。日蓮は明確にこれを逆転しました。民衆の幸福こそが「目的」であり、「国家権力は「手段」であると。 立正安国論を提出する契機も、正嘉の大地震によって、多くの民衆が嘆き苦しんでいたことでした。日蓮は、まず正しき信仰によって災害を抑えるという方途を示しました。
722 :
考える名無しさん :2014/01/29(水) 21:47:06.37 0
人間的に成長したいと思ってますが、論語や菜根譚を読んで、そのときは 素晴らしいと思っても、なかなか日常では感情の渦に巻き込まれ惰性で「小人」そのものだなあ、俺。 ナルシズムが強いと思って、エーリッヒ・フロムを読んだり、委ねを学ぼうと宗教の本読んだり。 全部自分が救われたいと思うからだけど。 日々後退してる気がする。現実も逆境ばかりで苦しい。 さあ、夜と霧読むか・・・
「小人」なら、その「小人」の何たるかを自己観察で極めてみれば如何? 「小人」であることから逃げずに、あえて 「小人」を貫けば、シェイクスピアのような人間観察力が着くかも。ていうかシェイクスピアが小人群像劇だから、 そこに描かれている老若男女さまざまな「小人」ぶりを参考にするとか。
ありがたいお言葉感謝します。 保身のためならウソもつく、自分の小人振りに辟易しますが、 ちょうどおっしゃる様なことをやってみようかと思ってました。 マインドフルネスの煩悩観察みたいな構造で、自分のなかの小人を観察していこうと。 シェークスピア読んでみます。 内面の小人を客観視できたら、他者をも受け入れられるかもしれませんね。
東北大学日本思想史佐藤研究室はバリバリの排他セクト創価学会 ↓↓↓ vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d12a-1.html 佐藤教授・まさにそうですね。本来、国とは民衆のことであり、国家権力というのは「手段」なのです。 しかし、日本では常に権力が「目的」です。日蓮は明確にこれを逆転しました。民衆の幸福こそが「目的」であり、「国家権力は「手段」であると。 立正安国論を提出する契機も、正嘉の大地震によって、多くの民衆が嘆き苦しんでいたことでした。日蓮は、まず正しき信仰によって災害を抑えるという方途を示しました。
>>722 ユダヤにあこがれる創価wwwwwwwwwwwwwwwwww
だっせwwwwwwwwwwwwwwwwww
There are more things in heaven and earth, Horatio Than are dreamt of in your philosophy SEXとかね 裕チャン一生本物のSEXできないと思う お金払えばできるかもしれないけど
裕チャン(創価学会)
別名吉川君子(よしかわくんし)
バーカバーカ
>>718 ご指摘ありがとうございます。
子路13-18(
>>435 )のすぐ後の13-21(
>>439 )に
不得中行而與之、必也狂狷乎という「中」の用法があり、
それを念頭に入れた訳なのでしょう。
いろいろなな解釈を考慮したうえでの自由訳は気に入っています。
>>439 織田信長とはまた的確でわかりやすい、、、
あぼーん
あぼーん
発信者 よしかわゆたか SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か 2/11 23:24 スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。 研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、 「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。 じゃあまた。
736 :
679 :2014/02/01(土) 15:05:54.32 0
>>732 いつも勉強させていただいてます。
以前のカントと孔子の関連と北辰信仰と太陽信仰については少し自分の中で消化不良なところがあるので、追々何か発言するかもしれませんw
殷王朝は太陽信仰であり、シャーマンの国でした。
単純に北辰信仰と太陽信仰を移動民と定住民に結び付けて対比させてよいのか。
孔子の淵源が殷かそれ以前のシャーマニズムとすれば、一概に孔子は北辰信仰とは言えず、当時の中華の混沌とした信仰の中で共通する倫理を模索したのが孔子ではなかったのか、
始皇帝の時代には、始皇帝自身が、孔子の研究の影響を受けていたのではないか、
と、いろいろ考えているのですが、そのあたりをもう少し煮詰めようと思います。
>>718 の
>中を中間と訳したものは殆どないと思う。
はあくまで(
>>435 )に限った話です。
他での「中」の解釈はもっと多岐に亘ってますね。
中の用法は中庸のほうに詳しく載っています。
ちょっと手元にないので、確認は出来ませんが、「中」は「適切」であり、「庸」は保つ。
さすれば、(
>>439 )の中行は「適切を保つ」から一歩進んで「適切なまま進む」と解して、「能動的な中庸」とでも解するのが良いかと思います。
「中庸」がワンセットなように、「中行」でワンセットではないでしょうか。
そして、(
>>435 )の中は、前後の文脈から察するに、やはり「内心」と訳する方が適切ではないかと思います。
もう少し俗っぽく、「人情」「純粋な欲望」としてもいいかもしれません。
或いは、フィンガレット流に解釈すれば、「父と子がお互いを父子と認識しあうこと」つまり、「人間関係を紐帯するもの」が中であり、その本質を直とした、と言えるかも知れません。
とはいえ、あまり難解な語義を定義した上での話ではなく、対話の中で、深く考えずに孔子は中という言葉を用いたのではないかと思います。
しかし、(
>>435 )も魅力的な解釈です。
いずれにせよ「一般的な解釈」と「思わず納得のいく新解釈」を分けて考えなくてはならないのは論語の面倒なことろです。
そして、楽しくもあります。
信長は、もしかしたら、自らを「狂」と自認していたのかもしれませんね。
もうすぐバレンタインか。 女性を馬鹿にしている吉川が女性を相手に釣りゲーをする時期だな。 メール晒しておくよ。 -------------------------------------------------------------------------- 発信者 よしかわゆたか SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か 2/11 23:24 スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。 研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、 「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。 じゃあまた。
実力ではなくて色仕掛けで ライバルを蹴落とす吉川裕の計略に注意!!! バレンタイン近くになると いままで敬語で接していた研究室の女性にいきなり甘える事があります。 母性本能・愛・同情・情け、全て無駄にしないために 吉川に注意しましょう。 -------------------------------------------------------------------------- 発信者 よしかわゆたか SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か 2/11 23:24 スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。 研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、 「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。 じゃあまた。
バレンタインの季節です。 吉川裕による贋ラブレターの計に注意しましょう! 身も心もズタズタにされます。 -------------------------------------------------------------------------- 発信者 よしかわゆたか SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か 2/11 23:24 スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。 研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、 「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。 じゃあまた。
世間はバレンタインの季節になりましたが、 吉川裕にとっては「釣り」や「関係破壊工作」の季節です。 金目の物やチョコレート等食べれる物を与えると 研究室中に「俺の女がしつこいんだよねw」とデマをまき散らします。 注意しましょう。 2011年 発信者 よしかわゆたか SUB RE:RE:RE:RE:百合とは何か 2/11 23:24 スカイプはつかってなけりゃあ、そもそもパソコンが今手元に無い。 研究室に置きっぱなし。そして私は今から寝る。「あーもーいいや、寝ちゃお寝ちゃお寝ちゃおーそう寝ちゃおー」と、 「ふわふわ時間」的に言いながら。ああ神様お願い。ドリームタイムください。 じゃあまた。
741 :
考える名無しさん :2014/02/08(土) 05:52:43.87 P
吉川裕の憂悲とその解消−「twitter」「2ちゃんねる」「遠くから見る推理研名物Q君を想像するの図 〜2004 帰郷〜」を手がかりとして− 吉川裕(東北大学大学院) 吉川裕(一九八四〜)は、佐藤弘夫(一九五三〜)の宗教・学問のうち宗教的側面を主に継承したとされる人物である。 宗教的側面を主に受容した理由については諸説あるが、 吉川の強烈な性欲や、実際の性行為における無能力感や挫折感を原因とするのが一般的である。 本発表では視点を変え、嫌儲板での書き込みにおいて、吉川が 「女で心を満たそうとする人間はやった人数に比例した地獄を目撃する。」と書き込み、 女性が自分を満たしてくれない事への率直な憂悲を吐露していたことに注目する。 この下半身の憂悲を解消すべく吉川が没頭したのが、 折伏活動とそれに伴う漢文能力を駆使した未来の創造であった。 ところが少し前に書き込まれたレス(二○一四)ではそれまでの表現的受容を越えて、内面的に創価学会から大きく影響を受けたことが確認できる。 人生の目標を「出世」とし、憂悲に限らずマンコ等には煩わされない「創価ホモ」の主張は震災以前の吉川は見られないものだった。 本発表では、佐藤弘夫を必要以上に信仰した裕であるが、最近になるにつれて憂悲の忘却・思考停止は創価学会が主に担っていったことを指摘する。
裕チャンとHしたいナ
吉川裕なら俺の隣で寝てるぜ 肛門からザーメン吹いてるw
745 :
考える名無しさん :2014/03/16(日) 06:20:24.68 0 BE:5113063878-PLT(14000)
http://d.hatena.ne.jp/ya022978/20130704/1372870885 柄谷行人は、儒教化(「中国化」)の深度の決定的な違い(民心=民意=天命に正統性を求める革命の
韓国と、血統に正統性を求める「天子」観念を欠如した天皇制の日本)に言及する。 結論はないが、
柄谷は、議論の伝統を有する韓国のほうが「普遍性」にはるかに近いことを言い、〜
東アジア経済共同体ができて困るのはアメリカだと批判し、
「いい国家などあるはずがない、日本だけでなく世界のどこにもいい国家などない。問題は、民心、民意、
天にある」と言うのは全く迫力。〜
20130703
747 :
考える名無しさん :2014/03/24(月) 04:39:30.89 0 BE:4473930877-PLT(14000)
748 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 12:31:29.96 0 BE:1095656843-PLT(14000)
749 :
考える名無しさん :2014/03/30(日) 12:32:26.38 0 BE:1369570853-PLT(14000)
論語の暗唱をし続けてみてるけど、 効果あるんだろうか。スレチですよね。 なんか今日ろくなことなかったよ。
子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。 幸福や効果を気にかけるのは小人の生き方、自らが公平にして利他で有れたかを気にかけるのが君子の生き方。 幸福や効果を気にかけていれば人に見限られ、公平と利他を気にかけていれば人に慕われる。 人に見限られる者は自ら人を見限り、人に慕われる者は自ら人を慕う。 人を見限る人生は寂しい人生、人を慕う人生は豊かな人生。
752 :
679 :2014/04/12(土) 21:50:36.82 0
>>750 「ろくでもないこと」とは外から来たものなのか、内からきたものなのか
孟子を読んでみるといいかも
まあ、論語を読んでも孟子を読んでも、一般的に言うような利益なんかないと思うw
753 :
679 :2014/04/13(日) 12:06:03.60 0
>>750 ↓以下に、とある予備校講師の言葉を引用しておく
俺も全てに賛成するわけではないけど、参考にはなるかも
食事であれ、買い物であれ、メールであれ、「待たせない」というのがサービスの一つとなった時代には、待つこと自体が堪えられない人格形成がなされていきます。
レストランで注文を取りに来ないのをイライラする(インテリアやテーブルの配置やらを見ていると1時間くらいは飽きないものなのに)、
メールの返事が来ないのをイライラする(手紙ならば1週間くらいはかかったものなのに)、勉強の成果がすぐにでないのに落ち込む(対象によっては何十年かの思考を必要とするものもあるのに)
電車がちょっと遅れると駅員にどなり散らす(インドでは20時間遅れとか普通なのに)といった具合です。
もちろんサービスが向上したことは素晴らしいことですし、当然のサービスが提供されないときの怒りはもっともですが、あまりに急いでいる姿は滑稽なものです。
急げば急ぐほどその行為自体は空疎なものになるものです。
あるいは、知的成長。
知識の獲得自体はスピードをあげることは可能なのですが、それが身に着くにはやはり長い年月をかけてその知識を身体化していくことが必要になります。
今は、自分が理解できないものに出くわすと、否定的にとらえて排除してしまおうとする学生が多いようです。
いわく、「説明が下手」「言葉が難しすぎる」「抽象的すぎる」「自分には関係ない」。
自ら成長の機会を放棄するとはもったいない、と思うのですが、わからないことがあるとすぐにネットで検索して具体的情報を得ることになれている学生たちにはわからなさを留めておく耐性がないようです。
「超訳ニーチェの言葉」[論語の言葉」というような偉人や哲学者の言葉を集めたり愚かな解釈をしたりしたくだらないものが売れてしまうのも、ニーチェや孔子を読む気などさらさらない人々が即効性を求めて答えをほしがっているからでしょう。
あるいは「わからない」と恥ずかしげもなくいい放ち、わからなくてもかまわないのだと開き直っている学生さえいます。
何かを知って喜びを感じるのは人間の本性だとアリストテレスは言っているのですがそうした本性も失いつつあるのかもしれません。
これは、もちろん学生に限った話ではありません。
しかし
>>750 だって人格ふくめいろいろ向上したいと思ったから
でた呟きじゃないの。人間の、人情だよ。
ぼやいたり、諦めたり、喜びを感じたりしているうちに、らせん状に
いつのまにかのぼっていくんじゃない。
俺もその一人だし、暗唱してみるかな・・・いつか自分のものになるかもね。
それこそ仁を以て礼をなす的な概念じゃないか? 仁ってのは言われてみたら極々当たり前で大したことないんだけど 実際に普段から出来てるかと言われたら結構難しい だからこそ仁を忘れてないように普段から意識する努力をするんじゃないかと とりあえず唱えてたらどーにかなるってもんじゃないと思う 行動しないと
> 己の欲せざるところ、人に施す勿れ 裏を返すと己の欲せざるところを人に施せば相手は嫌がる、と言ってよいと思う 建前上名無しの2ちゃんではこれがかなり有効なので、 実際に自分に向けて書かれたら嫌がることを書いてる人が多い印象を受ける ただ己の欲せざるところの押し付け合いを眺めてると何も生んでないし やはり論語が正しいなと思うね
759 :
考える名無しさん :2014/08/27(水) 04:33:51.65 0 BE:454657494-PLT(15000)
裕チャン、嫌儲の親切な人が教えてくれたけど 私の事は「怖い物見たさに突いてみたい穴」としか思ってなかったの?
760 :
考える名無しさん :2014/08/27(水) 04:54:18.70 0 BE:454657494-PLT(15000)
761 :
考える名無しさん :2014/08/27(水) 09:59:59.60 0 BE:454657494-PLT(15000)
762 :
考える名無しさん :2014/08/27(水) 10:03:10.43 0 BE:454657494-PLT(15000)
763 :
考える名無しさん :2014/09/23(火) 15:06:27.97 0
ネットで個人名挙げて誹謗中傷するのやめなよ 関係ないスレを荒らすのも良くない
764 :
考える名無しさん :2014/10/21(火) 20:46:44.98 0
「好きなことを仕事にすれば一生働かなくてすむ。」 これが孔子の言葉だというのですが、あまりプラグマティックで、とてもそうは思えません。 どなたか出典ご存知でしたら御教示ください。
765 :
考える名無しさん :2014/12/02(火) 18:42:20.41 0
老師「礼は乱の首(はじ)め」
766 :
考える名無しさん :2014/12/03(水) 08:50:59.62 0
>>764 好きな仕事をゆかいにやっていくことができれば、どんな苦労も楽しみとなる トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)
767 :
考える名無しさん :2014/12/04(木) 13:32:08.88 0
>>764 ネット検索すると複数でてきますが、原文や書き下し文がありませんね。
孔子は農工商は小人の職業だと思っていたようです、ネットのデマでしょう。
768 :
考える名無しさん :2014/12/07(日) 01:09:58.26 0
"The superior man thinks of virtue; the ordinary man thinks of comfort." (Analects, bk. iv., c. xi.) "What the superior man seeks, is in himself; what the ordinary man seeks, is in others." (Analects, bk. xv., c. xx.) "The object of the superior man is truth." (Analects, bk. xv., c. xxxi.) "The superior man is catholic and not partisan; the ordinary man is partisan and not catholic." (Analects, bk. ii., c. xiv.) " The superior man in the world does not set his mind either for anything or against anything; what is right, he will follow." (Analects, bk. iv., c. x.) "The superior man has dignified ease without pride; the ordinary man has pride without dignified ease." (Analects, bk. xiii., c. xxvi.) "The superior man is affable but not adulatory; the ordinary man is adulatory but not affable." (Analects, bk. xiii., c. xxiii.) "The progress of the superior man is upward, the progress of the ordinary man is downward." (Analects, bk. xiv., c. xxiv.) "The superior man is distressed by his want of ability; he is not distressed by men's not knowing him." (Analects, bk. xv., c. xviii.) "What you do not want done to yourself, do not do unto others." (Doctrine of the Mean, c. xiii., v. 3.)
769 :
考える名無しさん :2014/12/07(日) 23:35:07.50 0
君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。 小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。 - 孔子 『論語』より 君子は諸れを己に求む。小人は諸れを人に求む。 - 孔子 『論語』より 小人の過つや必ず文(かざ)る。 - 孔子『論語』より 君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。 - 孔子 『論語』より 君子もとより窮す。小人窮すればここに濫る。 - 孔子 『論語』より 君子は上達し、小人は下達す。 - 孔子 『論語』より 君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是に反す。 - 孔子 『論語』より 上知と下愚とは移らず。 - 孔子 『論語』より これを知るを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是知るなり。 - 孔子 『論語』より 過ちて改めざる、これを過ちという。 - 孔子 『論語』より
770 :
考える名無しさん :2014/12/08(月) 00:20:56.63 0
中国の哲学は経験則だから世界性をもたない
771 :
考える名無しさん :2014/12/08(月) 13:21:52.21 0
だが宇宙的普遍性をもつ経験則だ
772 :
考える名無しさん :2014/12/09(火) 17:18:40.07 0
コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
世界126カ国に中国後押しの孔子学院475校 「学問の自由を侵害」反発も、教師20万人育成 中国国営の新華通信は7日、中国の「ソフトパワー」拡大の拠点として中国政府が全面的に後押ししている中国語教育機関「孔子学院」の数が世界126カ国で475校に達した、と伝えた。 2004年に設立された同学院はこれまで20万人の中国語教師を育成したという。 米国内の大学では、孔子学院について、授業内容に中国政府の意向が働き、学問の自由を侵害している、などとして閉鎖の動きが相次いでいる。(共同)
774 :
考える名無しさん :2014/12/09(火) 22:48:52.55 0
子牛乗ってガク 光子の鉄が9
775 :
考える名無しさん :2014/12/10(水) 09:41:10.10 0
【濡れ】孔子のケツが、クッ!【輪姦】
776 :
考える名無しさん :2014/12/11(木) 10:50:54.68 0
×世界四大聖人 ◯世界三大聖人 ソクラテス 孔子 ブッダ ×ジーザス
2014年に急に過疎ったね 一年での伸びが少ない
カストロ氏に「孔子平和賞」=ノーベル賞に対抗―中国 時事通信社 2014年12月11日(木) 11コメント 【北京時事】11日付の中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報によると、 民間学術団体による「孔子平和賞」の今年の受賞者にキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が選ばれ、北京で授賞式があった。 カストロ氏は出席せず、賞金などはキューバの留学生に渡された。留学生を通じ近く本人に贈られるという。 同賞は2010年、中国の民主活動家、劉暁波氏に対するノーベル平和賞授与に対抗して創設された。
779 :
考える名無しさん :2014/12/13(土) 09:56:05.92 0
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/孔子平和賞 歴代の受賞者
第1回 2010年 連戦( 台湾)
中台和平の推進
第2回 2011年 ウラジーミル・プーチン( ロシア)
リビア内戦におけるNATOによる空爆への反対
第3回 2012年 コフィ・アナン( ガーナ)
国際連合事務総長として国連の振興に尽力
国連およびアラブ連合のシリア合同特使となってシリア内戦の和平を斡旋した
袁隆平(中華人民共和国)
ハイブリッドライス研究の世界的研究者として、食糧問題解決に貢献
第4回 2013年 釈一誠(中華人民共和国)
中国仏教協会の会長を務め中国仏教の改革と発展に努めた
世界への弘法利生を行い、世界平和に貢献
第5回 2014年 フィデル・カストロ( キューバ)
世界平和への「重要な貢献」
780 :
S、イマムラ :2014/12/13(土) 11:44:08.36 0
儒教は「建て前の訓え」、一方、道教は「本音の祈り」 現状は、一応、「集団的共産主義」教だが、「超格差」帝国国家。 「君子」による理想的政治。
781 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2014/12/13(土) 17:24:13.34 0
ネトウヨが「孔子は人肉を食べていた」ってデマパガンダ流してたのがウザイ
782 :
考える名無しさん :2014/12/14(日) 21:42:44.15 0
【儒教】小牛乗て通学【論語】
783 :
考える名無しさん :2014/12/16(火) 17:36:49.14 0
講師のケツがくs…
784 :
考える名無しさん :2014/12/17(水) 00:21:13.54 0
>>776 だがイエスは聖人というほど偉大な人物ではない
十二使徒のプロパガンダが上手だっただけなのだ
785 :
考える名無しさん :2014/12/17(水) 08:59:08.98 0
オーギュスタン=ルイ・コーシー (Augustin Louis Cauchy, 1789年8月21日 - 1857年5 月23日)はフランスの数学者。 解析学の分野に対する多大な貢献から「フランスの ガウス」と呼ばれることもある。 コーシーの積分定理 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシーの積分定理 コーシーの積分定理(Cauchy's integral theorem)は、 コーシーの第1定理ともいわれ、オーギュスタン=ルイ・コーシーによって示された、 数学 、特に微分積分学において、ガウス平面上である領域において正則である関数の経路 積分 ... コーシー分布 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシー分布 コーシー分布(英語: Cauchy distribution)は、連続型確率分布の一種 である。 コーシー=シュワルツの不等式 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシー=シュワルツの不等式 数学におけるコーシー=シュワルツの不等式(英語: Cauchy–Schwarz inequality)、 シュワルツの不等式、シュヴァルツの不等式あるいは コーシー=ブニャコフスキー=シュワルツの不等式 (Cauchy–Bunyakovski–Schwarz ... コーシーの積分公式 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシーの積分公式 コーシーの積分公式は、コーシーの第2定理、コーシーの 積分表示 (Cauchy's integral expression) ともいわれ、 オーギュスタン=ルイ・コーシー によって示された、数学、特に微分積分学において、ガウス平面上である領域において ... コーシー列 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシー列 解析学におけるコーシー列(Cauchy sequence)は、数列などの列で、 十分先のほうで殆ど値が変化しなくなるものをいう。 コーシー問題 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/コーシー問題 数学におけるコーシー問題(英: Cauchy problem)とは、定義域の超曲面上で与えられる特定の条件を満たすような偏微分方程式の解を探す、という問題である。
?
787 :
考える名無しさん :2014/12/18(木) 18:31:16.01 0
孔子とコーシーをかけているんじゃな
788 :
考える名無しさん :2014/12/18(木) 21:45:40.73 0
コーシーって結構すごいんだな
>>785 フランスのガウスかーなんでガウスほど注目されないんだろ
789 :
考える名無しさん :2014/12/19(金) 01:34:53.62 0
上記のように多大な功績を残しているコーシーであるが、 他の数学者の才気を見抜く力は必ずしも優れているとはいえなかった。特に、 コーシーに勝るとも劣らぬ功績を残すこととなるニールス・アーベル やエヴァリスト・ガロアの論文の審査を引き受けながら その論文を紛失するといった不手際を犯したことは良く知られている (両者ともにこの事件が夭逝の遠因となったという俗説もある)。
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http://www.youtube.com/watch?v=z2qK2lhk9O0
791 :
考える名無しさん :2014/12/19(金) 10:05:07.12 0
己にしかざる者を友とするなかれ。 唯女子と小人とは養い難しと為す。 これを近づくれば則ち不孫なり。 これを遠ざくれば則ち怨む。
792 :
考える名無しさん :2014/12/19(金) 16:20:39.58 0
満腔
793 :
考える名無しさん :2014/12/19(金) 21:12:26.57 0
孔子も女性の扱いには悩まされたんだねw
794 :
考える名無しさん :2014/12/21(日) 05:12:16.74 0
孔子「自分孔子と顔回と話していると意見が違うことがなく、(拍子抜けして)バカみたいだ。が、顔回の私的生活を見ると十分ではっとする。回はバカではなく(よくわかって実践している)」 孔子「お前と顔回とどちらがまさるか」。 子貢「顔回には及びもつかない、顔回は一を聞いて十を知る、自分は二を知るのみ」。孔子「そうではない、自分孔子もお前と同じで顔回には及ばない」。 哀公「弟子のうち誰が学を好むか?」。 孔子「顔回というものがいて学を好み怒らず過ちを2度せず。が、不幸にして短命、いまは死んでいない。その後顔回ほど学を好むものをみない。」 孔子「顔回は惎(教)えること三ヶ月で仁を自分のものにした。それ以外(の徳目)は(3ヶ月もかからず)日月で身に着けた。」
795 :
考える名無しさん :2014/12/22(月) 00:52:01.79 0
顔回や孔子と話がしたいな 哲学板のみんななら絶対そう思うよな
796 :
考える名無しさん :2014/12/22(月) 00:54:00.09 0
今から1200年程前、炉の国にまゆぽんという娘がおったそうな
797 :
考える名無しさん :2014/12/22(月) 01:24:23.33 0
>>784 イエスは医者としては超有能だったのかも
患者を治した話はすごく多い
黄巾の乱の教主も医者として超有能だったらしいけど
798 :
考える名無しさん :2014/12/22(月) 16:48:09.94 0
カウンセリングや催眠術の類だったかも
799 :
考える名無しさん :2014/12/22(月) 22:42:21.72 0
愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません。 愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。 (コリント人への手紙I 13:4〜8)
孔子ってユダヤ人なんだろ?
801 :
考える名無しさん :2014/12/23(火) 08:06:27.36 0
13:1 たとえわたしが人や天使の異言で語ったとしても、愛がなければ、わたしは鳴り響く鐘や騒がしいシンバルになってしまいます。 13:2 たとえわたしに預言の賜物があって、すべての奥義とすべての知識を知っているとしても、たとえ山々を移すほどの十分な信仰を持っているとしても、愛がなければわたしは無です。 13:3 たとえわたしが自分の持ち物のすべてを施して、人を養うとしても、たとえわたしが誉れを得ようとして、自分の体を引き渡すとしても、愛がなければ何の益にもなりません。 13:4 愛は辛抱強く、愛は親切です.それはねたみません。愛は誇ることがなく、思い上がることもありません. 13:5 それは無作法をしません.また自分の利益を求めません.それはいらだちません.また人の悪を数えたてません. 13:6 それは不義のものを喜ばないで、真理と共に喜びます. 13:7 それはすべてを覆い、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍びます。 13:8 愛は決して絶えることがありません。しかし、預言であれば、それはすたれ、異言であれば、それはやみ、知識であれば、それはすたれます。 13:9 なぜなら、わたしたちが知るのは部分的であり、預言するのも部分的であるからです. 13:10 しかし、全きものが来る時には、部分的なものはすたれます。 13:11 わたしは子供であった時には、子供のように語り、子供のように考え、子供のように論じました.わたしが大人になってからは、子供じみた事柄を捨て去ってしまいました。
802 :
考える名無しさん :2014/12/23(火) 11:47:09.13 0
子曰く confucias said
803 :
考える名無しさん :2014/12/23(火) 21:09:36.25 0
仁はともかく礼は要らん
804 :
考える名無しさん :2014/12/24(水) 07:03:58.12 0
孔丘「間違いを犯して改めないことを過ちといいます」 アインシュタイン「同じ方法で違う結果を期待する者は狂気」
805 :
考える名無しさん :2014/12/24(水) 13:49:17.52 0
806 :
考える名無しさん :2014/12/24(水) 15:06:26.66 0
ヒトラーもだよ 孔子は在日
807 :
考える名無しさん :2014/12/25(木) 09:14:52.85 0
俺は孔子超えたと思う 2500年も経って人類が進歩してないことの方が問題
808 :
考える名無しさん :2014/12/25(木) 16:37:39.55 0
人生3ー40年あれば悟りの境地に達することは可能よね
809 :
日本は呪われた :2014/12/25(木) 19:37:18.33 0
テスト
810 :
日本は呪われた :2014/12/25(木) 19:42:14.64 0
儒教のすごさ、それは革命思想ということだ。 近代日本は明治維新によってつくられたが、その基本は攘夷思想。 フランスの啓蒙思想も中国思想の衝撃によってつくられた。 まあ、孟子最強。大切なのは社稷でも国王でもなく人民。
811 :
考える名無しさん :2014/12/25(木) 19:48:22.21 0
はい? 儒教は保守道徳思想じゃね?
812 :
考える名無しさん :2014/12/26(金) 01:23:46.68 0
孔子は易姓革命など認めておらん寧ろ逆
813 :
考える名無しさん :2014/12/26(金) 08:56:48.84 0
14: 波平の虚言癖について (41) 22: 波平によるスレ乱立の主な内訳 [転載禁止]©2ch.net (11) 26: 波平、遂に発狂!!!! (58) 32: 哲学板が波平のtwitterと化している件 [転載禁止]©2ch.net (17) 33: ◆◆◆ 波平の屁は現実的臭すぎる ◆◆◆ [転載禁止]©2ch.net (9) 34: 波平をどう処分するか? (126) 36: 波平がコカイン吸い過ぎな件について (444) 37: 波平 草饅派の矜持 (121) 40: 波平の無職パワー (98) 41: 波平、来年レベルアップ (163) 42: 波平、屁で空を飛ぶ (182) 47: 波平、AV評論家としての地位を確立 (64) 48: 波平による板の私物化について (39) 49: 何故波平さんは非常に頭が良いのか (190) 50: 波平、おまえ… (74) 51: 波平が常時勃起している件について [転載禁止]©2ch.net (11) 61: 煽られてキレまくる波平の映像を入手! (31) 79: 波 平 ス タ イ ル ! ! (54) 80: [転載禁止] 20分で寝返る男、波平 ©2ch.net (18)
814 :
考える名無しさん :2014/12/26(金) 12:31:16.20 0
85: 波平が親世代への反発を哲学と錯覚している件 [転載禁止]©2ch.net (5) 88: 波平が田舎っぽいものを都会的だと言い張る件 [転載禁止]©2ch.net (8) 99: 何故波平は自分の悲惨さに気付かないのか (81) 100: 【スコスコ】 pikarrr ┏( ^o^)┛ 波平 【オナヌー】 (179) 101: 【無職歴】波平今年35歳…【20年】 (50) 103: ボク波平は 楽しい余生を 送ります (56) 104: 何故、波平は売春ツアーに参加するのか? [転載禁止]©2ch.net (13) 105: 波平より下らない事を考えるのは無理 [転載禁止]©2ch.net (7) 107: 波平がやたらと鯖落ちさせる件について (75) 109: 波平って典型的なB層だな (36) 112: 波平の誤字を集めるスレ (42) 113: 波平の無職感が凄まじい件 (65) 114: 知りたい事→即スレ乱立という波平の技 [転載禁止]©2ch.net (5) 115: 波平の下衆っぷり (64) 116: 何故ボクは33歳にもなって漢字1つ読めないのか? (54) 117: 波平みたいなB層によって日本は崩壊 [転載禁止]©2ch.net (8) 119: 波平はいつまで引き篭もり続けるのか? (143) 120: 何故、波平はパクるのか? (24) 121: 第三の波平〜知的障害者という生き方〜 (52) 122: 波平っぽい文章のつくりかた (21) 123: 波平が時間関係スレを乱立してる件について (54)
815 :
考える名無しさん :2014/12/27(土) 17:13:54.82 0
816 :
考える名無しさん :2014/12/28(日) 02:08:47.73 0
人類最高の哲学者の一人 あとは 哲学の父ソクラテス 近代哲学の母カント
それは俺が生まれるまでの話だな
818 :
考える名無しさん :2014/12/29(月) 03:14:28.05 0
あんたはえらい えらい偉そうやな
819 :
考える名無しさん :2014/12/29(月) 11:04:33.13 0
820 :
考える名無しさん :2014/12/29(月) 15:19:33.84 0
仁 人を思い遣る事。「論語」の中では、さまざまな説明がなされている。孔子は仁を最高の徳目としていた。 義 利欲に囚われず、すべきことをすること。(語源的には宜に通じる) 礼 もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。 智 学問に励むこと。 信 言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
821 :
考える名無しさん :2014/12/29(月) 20:33:15.25 0
おいおまえ。仁と慈の違いを言ってみろ
慈悲深い
823 :
考える名無しさん :2014/12/30(火) 20:49:42.52 0
辞書を引くと、慈しみ、情け。同じじゃないか?
824 :
考える名無しさん :2014/12/30(火) 21:43:27.83 0
弟子 「孔子先生!先生の本がサッパリ売れません!」 孔子 「うむ、産直表記をPRCに変えてみよ、さすれば売れるであろう」
825 :
考える名無しさん :2014/12/31(水) 09:04:05.03 0
犬儒学【けんじゅがく】 犬のように恥を気にしないで真理を探求すること。 幸福とは外的な条件に左右されない有徳な生活であるとし、 無所有と精神の独立を目指したため反文化的な乞食生活を送る者もいた。 ディオゲネスが有名。
826 :
考える名無しさん :2014/12/31(水) 10:24:36.10 0
日本のホームレスの中にもディオゲネスのような賢者はいるのだろうか?
827 :
考える名無しさん :2014/12/31(水) 12:07:40.71 0
―― 子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在 り。人はその憂いに堪えず。回やその楽しみを改めず。賢なる かな回や。(『論語』雍也篇)
孔子が言うには、賢人だな、回は。竹籠の飯ひともり、瓢箪 の水いっぱい、それっきりしかなくて、しかも路地裏住いだ。 ほかの人間なら不安や焦燥に耐えられぬだろうに、回は平然と して“道”にいそしむという自身の楽しみを改めようとしない。 賢人だな、回は。 名利世欲にとらわれず、自分自身を、“天”に任せ切って、“天の教 え”自体に帰一することを無上の悦楽としており、自身の在りように対 して、何の懐疑も抵抗もない。そののびのびとした姿こそ、孔子にとっ てかけがえのない、尊いものであったのだ。
829 :
考える名無しさん :2014/12/31(水) 22:32:47.72 0
>>552 >>791 741 :考える名無しさん:2014/12/30(火) 20:16:54.70 0
友達は量より質っていうのはいいね。
変なのと知り合いになると伝染る。
746 :考える名無しさん:2014/12/31(水) 09:58:07.79 0
少年事件見てればすぐ分かるでしょ?
子供はアイデンティティー不足してっから、すぐ流される。
集団心理に対する耐性がなさすぎなわけ。
747 :考える名無しさん:2014/12/31(水) 11:05:32.81 0
じゃあ知り合いから悪い影響を受ける大人は精神の発達が未熟なんだね
俺なんか友人の考えはバカにしても友人その人はバカにしないけどなぁ
748 :考える名無しさん:2014/12/31(水) 11:14:46.56 0
友人の考えをバカにする=友人をバカにしているのと同じ意味に思えるけど。
その考えが洗脳の先にあるなら別だろうけど。
バカの定義があるとすれば人の話を聞かない=それ以上の発達は不可能。
これに尽きるね。
749 :考える名無しさん:2014/12/31(水) 11:18:35.91 O
>>747 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
だね
751 :考える名無しさん:2014/12/31(水) 11:55:45.19 0
三人行けば、必ず我が師あり。
其の善なる者を択びて之に従い、
其の不善なる者にして之を改む。(論語 述而)
830 :
考える名無しさん :2015/01/01(木) 11:12:57.37 0
子夏の門人、交わりを子張に問う。 子張曰わく、子夏は何をか云える(いえる)。 対えて曰わく、子夏曰わく、可なる者はこれに与(くみ)し、その不可なる者はこれを距め(こばめ)と。 子張曰わく、吾が聞ける所に異なり。 君子は賢を尊びて衆を容れ(いれ)、善を嘉(よみ)して不能を矜(あわ)れむ、我の大賢ならんか、人に於いて何の容れられざる所あらん。 我の不賢ならんか、人将に我を距まんとす。 これを如何(いかん)ぞそれ人を距まんや。
831 :
考える名無しさん :2015/01/01(木) 22:36:55.29 0
[口語訳] 子夏の門人が、人との交わりについて子張に尋ねた。 子張は答えて言った。 『子夏は何と言っているのか?』。 子夏の門人はお答えした。 『子夏は、善い人と親交を持ち、善くない人は拒絶せよと言っておられます』。 子張が言った。 『それは私が孔先生から聞いた話とは違う。君子は賢明な人物を尊敬しながら、 一方で未熟な大衆を受け容れ、善人を賞賛しながら、善行を行う能力のない者を憐れむものだ。 自分が非常に賢い人物であれば、誰にでも受け容れられる。 自分が優れた人間でなければ他人から拒絶されるから、どうして自分から拒絶するようなことがあるだろうか』
832 :
考える名無しさん :2015/01/03(土) 23:47:03.26 0
子日わく、 唯(ただ)上知(じょうち)と 下愚(かぐ)とは移らず。 孔子云う、 「身・口・意の習慣が 人物を作り上げることを知らず、 放ったらかしておくと、 良き習慣の者は益々良く、 悪しき習慣の者は益々悪くなってしまう。 こうなるともう取り返しがつかないと。 こういう時に頼りになるのが、 ズバリと直言してくれる友ですね。 それを、 「これが俺の流儀だ!」、 「これが私の個性だ!」、 「放っといてくれ!!」などと突っ撥ねると、 最早それ迄、 ★バカにつける薬は無い!となって、 誰も指摘してくれなくなります。 こうなるともう「裸の王様」になるしかない。
833 :
考える名無しさん :2015/01/04(日) 13:00:05.23 0
>こういう時に頼りになるのが、 > ズバリと直言してくれる友ですね。 友達がむしろ聞かないんですけどそれは…
834 :
考える名無しさん :2015/01/04(日) 14:33:22.52 0
ディオゲネスは変人、 顔回は賢人、のイメージ
835 :
考える名無しさん :2015/01/04(日) 20:31:58.03 0
頭と性格のいい人。 気分や感情に流されない人、 好き嫌いと善悪を分けられる人、 自分を過大評価せず、他人を過小評価しない人、 見栄とか虚栄心に囚われない人、 人類愛、兄弟愛のある人、 自分の欠点を認識するやすぐ改められる人、 困難に負けない強さや能力のある人、 とっさの判断、緊急事態に頼りになる人、 覚えはしても恨まない人。 全部備えた人は100人中何人いるんだろう そして彼ら彼女らは尊敬を集めているだろうか
836 :
考える名無しさん :2015/01/04(日) 21:21:04.56 O
それは君子に対しての話 民は君子にそれを見るの
837 :
考える名無しさん :2015/01/05(月) 01:31:01.21 0
, -、‐、=、 / /ヾ ヽ_ヽ_ヽ / ゝr >''_,, ゚-;;゙;;;-,,,、 / 映 目 あ は |♀ツ __ ,.、゙'! l f;;;ll;;>/ ,,≧. i'≡ i ゝ り に. な は l;.、lll. l. ! ,. ` /l.ヘll ,,. " ,, l / .ま は た は i;;;ヘ._ll ハ ̄ ̄ハ l ,,, l l;;;;;;;;;;lヾ、 ゝ._,/ ,,.-''''" i,, ! す そ 達 ヾ;;/ヽ. ヾ、 ,// / ハ ! ,.イ///ヘ. ((ン" ,.' ,/ / ,l. ', か う. の ,,. < ヾ///\/゙,' . ,' / ,'l! ゝ、 / 、 ヾ'/// ,' ,' , ,/ / ,! \ /, ', ヾ;i i ! i ,/ / /ハ ノ / l__,l__,,!,,,.l、,/ / // ト、 /´ ̄` .,,_,,. 、 ,, ヽ. i l' i i i i' ,!゙i'Kノン i ; i!  ̄ ¨¨ ̄ ヽ! ゞl.l.i i. / ! i ツ ! |、 ゙i , -ゞ=⌒ヽノノ1 / | | ヽ 、! / ー゙─--゙ニ;lノ/,.-、| l ヽ V >! ,.ノヽ;;;;;;〈'゙i. l ヽ ,,. ≦三! )-‐'ャ、;;リ.イ ノ ヽ
838 :
考える名無しさん :2015/01/05(月) 20:04:24.70 0
______ 仕 な r〃〃〃 f7⌒ろ) l‖‖‖ || f灯 業 ん |‖‖‖ || | | |儿儿儿._」⊥厶 か で 〔__o____o_≦ト、 . 「⌒ヽノ ヽ|l __ ヽ よ も |ヘ、 rノ¬、 l「r,ヽ i . l ー| `ー' ||、_八 | : 俺 l │ ll 〃V 、{`―-ヽ ,〃 〃 \ の __\ rテ ノ´ 〃 / ー- 、 . ,ィ(⊆≧リ≦⊇)〃 / rク\ . / | ̄r少}¨ ̄〃 / /′ ヽ 〃 l | l| | l| 〃 / / └ヽ / E l |l | |l/″ / ! 厂 \ く, Y ! l」fレト! / | / 1 丿 | | 丿} じ’ / | / | / l | `¨ / レ′ |
839 :
考える名無しさん :2015/01/05(月) 22:48:50.19 0
>>836 子曰わく、十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。
(十軒程の小さな村にも、必ず私ぐらいのまことの人はいるだろう。)
ていうでしょ。
840 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 08:27:29.24 0
A wise man is harmonious and not clannish. A petty man is clannish and not harmonious.
841 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 12:47:03.30 0
842 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 15:00:54.97 0
>>768-769 The Master said:
“The noble man is all-embracing and not partial.
The inferior man is partial and not all-embracing.”
The Master said:
“The noble man seeks discipline;
the inferior man seeks favors.”
The Master said:
“The noble man is in harmony but does not follow the crowd.
The inferior man follows the crowd, but is not in harmony.”
The Master said:
“The noble man is easy to work for, but difficult to please.
The inferior man is difficult to work for, but easy to please.”
The Master said:
“The noble man is self-confident without being arrogant.
The inferior man is arrogant and lacks self-confidence.”
The Master said:
“There are some cases where a noble man may not be a perfectly humane man,
but there are no cases where an inferior man is a perfectly humane man.”
The Master said:
“The noble man seeks within himself.
The inferior man seeks within others.”
http://www.acmuller.net/con-dao/analects.html
843 :
考える名無しさん :2015/01/06(火) 16:20:46.46 0
"What you want done to yourself, do unto others." "What you do not want done to yourself, do not do unto others."
844 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 01:28:16.14 0
毎回思うんだが ( `ハ´)←中国人 <丶`∀´>←韓国人 (´・ω・`)←日本人 このAAおかしいだろ?
845 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 08:05:42.79 0
仁と 慈の 違いが分からなければ 孔子が言ってることはまずほとんど理解できないでしょう
846 :
考える名無しさん :2015/01/07(水) 09:19:26.43 0
一々もったいつけてるうちは仁だろうが慈だろうがわかってないでしょうな
847 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 07:26:26.18 0
そんなわけないさ。孔子も相手がその口から出かかっているところをみてから 教導した。孔子の産婆術だ。儒はこの世において最強。儒に勝つ者は己に克てず。
848 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 07:40:47.54 0
世界教師マイトレーヤは、人類に地球資源の分かち合いを求めている それが唯一の世界平和への道であることを訴える 地球には数億人の困窮者がいる、困っている人を助けないでいかにして人間と言えようか
849 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 09:32:24.93 0
850 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 15:48:18.19 0
こういう感じに
>>848 なるものが作れるのかなぁと思って間違えたものを作ろうとしてました・・・
巻き込んでしまった方々本当にすみませんでした・・・。
しばらく反省しときます・・・。
851 :
考える名無しさん :2015/01/08(木) 21:38:18.48 0
852 :
考える名無しさん :2015/01/09(金) 01:39:50.31 0
孔子・・・仁 仏陀・・・慈悲 基督・・・愛
853 :
考える名無しさん :2015/01/09(金) 08:29:09.55 0
>>844 自分かわいいと思ってるジャップキモいです
854 :
考える名無しさん :2015/01/09(金) 11:36:16.82 0
>>852 釈迦は解脱。
キリスト教は墨子と同じで共同体以外への理解。
855 :
考える名無しさん :2015/01/09(金) 18:48:07.54 0
856 :
考える名無しさん :2015/01/10(土) 07:45:30.52 0
日本人はれっきとした「日本教」の信者だよ。ただ自分自身が認識していないだけ。 小乗仏教は拝火教と結びつく前の仏教。
857 :
考える名無しさん :2015/01/11(日) 08:54:34.75 0
孔子はキリスト教なんかよりずっといいな 神に見張られてないと善く振舞えない西洋人は恥を気にする日本人と本質的に同じ 惨めな存在
858 :
考える名無しさん :2015/01/11(日) 11:35:49.54 0
コリントの信徒への手紙 一 13章
http://www.weisserose.vis.ne.jp/people_corinthians.html たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。
愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、
幼子のように思い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。
859 :
考える名無しさん :2015/01/11(日) 18:13:20.63 0
>>845 128 :考える名無しさん:2014/08/18(月) 15:43:58.79 0
頭悪い奴って、いくらでも新情報を書き込める人への嫉妬を動機に規制とか制限とか設けようとするのな。自分がその場所で仕切れなくなるから。
で、もれなくそいつはsageでレスしてる。
バカは猿山のボスにもなれない、ってことくらいわかれよ低能。
860 :
考える名無しさん :2015/01/11(日) 23:42:12.53 0
>>858 旧約聖書にはこんな素晴らしい記述はないな
コーランにはあるか?
野蛮なイスラムの宗教に
861 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 09:06:05.76 0
862 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 09:39:47.83 0
君たちは論語を宝箱としたら、中に何が入っていたように思う?
863 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 15:06:08.20 0
人類の不朽の知恵 俺の元友達で 「古い書物は時代遅れ」 「そんなものは教祖崇拝」 という考えのアフォがいてさ
864 :
考える名無しさん :2015/01/12(月) 18:28:30.05 0
人類史上最長のロングセラー
865 :
考える名無しさん :2015/01/13(火) 09:54:41.37 0
論語読みの論語知らず というが 現代はその論語も読まれていない
866 :
考える名無しさん :2015/01/13(火) 21:54:49.93 0
コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシ コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシ コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシ コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシ コシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
867 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 00:58:19.24 0
仔牛の哲学
869 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 12:35:32.02 0
>>863 そうかね。俺は何か価値のある高価な宝石でも入ってるのかと思って
蓋を開けてみたら「天秤」が入ってただけだったような印象を受けた。
870 :
考える名無しさん :2015/01/14(水) 12:43:14.93 0
>>867 慈とは例えて言えば枯れそうな木に水を与える行為であり、
誰かれ構わず助ける態度であろう。
仁とは例えて言えば木を、その枯れた枝や病気の枝を切り落とし、
水を適切に与えて教育的に生命を育成する
態度であるように思われる。ただ与えるだけではない。
しかしその育成の方向はいったいどういう方向なのか。
要するに何を善しとして人を育てようと言うのか。
この辺は絶対的な立場がない。人の意見はいつもこのあたりで
食い違う。ゆえにあの理屈っぽい古代支那人はあえて
仁を定義しなかったのかもしれない。時間の流れに対する適正な
中正な態度を持つのは難しいし、いずれ見解の相違はまとまるわけも
ないしね。
871 :
考える名無しさん :2015/01/15(木) 09:20:17.53 0
茲は草の芽と細い糸で、小さいものが成長しふえること 慈=茲+心で小さい子を育てる親心のこと。 仁は人と人の間にある心のこと。 二人が対等に相親しむことを示す。
872 :
考える名無しさん :2015/01/15(木) 23:39:33.71 0
873 :
考える名無しさん :2015/01/16(金) 17:06:48.02 0
.i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;i ;,,_,,;;;;;;;;,,..;_ 、 ,.__..,;_,,,;;;,,;;;;;;;;__,,___ ....;;;;;;;;;;;;;;;;;
>>589 >>791 :!;;;;;;;;;;;;;;;;;;フ;'"゙゙゙゙゙゙゙゙゙~~ ̄゛ `!i、  ̄´  ̄ .`''‐ i;;;;;;;;;;;;;;;;
. l;;;;;;;;;彡;;;;;ゝ .if'=====ー゙ :: ,.========r ゙i;|.l;;;;;;;;;; 孔子は女性蔑視思想
ヽ;;ノ;;;;;;;;;;;;;;; .`''`-ヽ--''゙゙゙ ;; '゙ゝヽ-ノ-‐'゙´ ;.i;;;;;;i.フ;;;;;;l′
゙l;;;;;;;;;;;;`、 ,! : ,、|ll/ ;;;;;;;;r" そんなふうに考えていた時期が
i;;;;;;;;;;;;;;l、 / ;:;: :.゛゛:l ;;;;;;;;./
'';;;;;;;;;;;;;i i;;;;;;.;:;:;;;;;;;: .i;;;;;;;;;;;;;;; 俺にもありました
/;;;ゝ ./´:::: ´;:;:;;;;;; ,!;;;;;;;;;;;;;;;;;i
ミ;;;;'! .ヽ;;、_;.::__::::;;:: /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!
: 、.-、/;;;|l `;:;:;: ,.ノ.::: :lく;;;;;;;;l゙゙′
''";;;;;;;;;;;;;'l、 .,, :::::::::___ ・ ,'" :::::: .ヽ;;;;;丶;
;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ, ゙゙--= ゙̄~゛`''>,,._,..,r;" ,,l゙ :::::::::::: i;;;;;;
.`";'"゙;;;;;;;;;;;;;i、 ヽ_ ゙̄ ̄゛_、 __r::::::::::::::::: ヽ
;;.'ミ;;;;;;;;;:'.、 ゙゙゙゙"'''"~ ‐"":::::::::::::::::::: i
874 :
考える名無しさん :2015/01/16(金) 21:11:43.54 0
男は狩猟採取、女は料理子育て 男の方が頭脳労働?
875 :
考える名無しさん :2015/01/16(金) 23:46:05.86 0
保育や調理は愛情も大切だが、神は女を愚かに作る必要まではなかったのでは、、、
876 :
考える名無しさん :2015/01/17(土) 08:58:43.44 0
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は 後鳥羽院
877 :
考える名無しさん :2015/01/17(土) 11:54:00.99 0
生活を楽にするために定住化してから、人の世の悩みが始まったんだろうね〜
878 :
考える名無しさん :2015/01/17(土) 16:09:39.06 0
>>872 この「人」とは人間性のことだろうね。
「罪を憎んで人を憎まず」の人とは個人としての人じゃなくて
人間性のことだ。人間追い詰められればあんなこともするし
こんなこともする。だから人間性を憎むのではありませんと
そう言われたのだろう。
879 :
考える名無しさん :2015/01/17(土) 18:41:08.02 0
人類でなくてその人のことだよ 英語ではずばり"Hate the sin, love the sinner." という 俺にはできるが、皆には難しいらしいね
880 :
考える名無しさん :2015/01/18(日) 02:37:47.46 0
クリスチャンなんてバカばっか 古来アジア人は聡明だった
881 :
考える名無しさん :2015/01/18(日) 10:01:22.59 0
空豆チンコ 空山シンゴ
882 :
考える名無しさん :2015/01/19(月) 00:47:54.21 0
2500年読み継がれてきたんだよな これほどの古典はもはや永遠の命を約束されているだろう 宇宙人にも通用する 宇宙人の論語も読んでみたいな
883 :
考える名無しさん :2015/01/19(月) 09:28:24.40 0
884 :
考える名無しさん :2015/01/19(月) 17:10:17.24 ID:YWtINUUj0
>>879 英語と何の関係があるの?それは誤訳だろうね。
885 :
考える名無しさん :2015/01/19(月) 17:12:46.67 0
>>883 ・賢い人は自分で自分を賢いと言わない、どちらかというと自分は
知っていることが少ないという
・他人の意見を馬鹿にしない
・知っていることと知らないことをわきまえる
・知ったかぶりを本当にしない
そしてなによりこう言った話を
>>883 を気にしない
886 :
考える名無しさん :2015/01/19(月) 18:46:46.82 0
>>885 賢いことと謙虚なことは別物
馬鹿な意見は本当に馬鹿
あと下2つは同じことだから
それと最後の日本語イミフ
887 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 01:09:47.68 0
>>884 英語だと「人間性」という解釈ができない
誤訳というか昔からある言い回し
日本語にしても英語にしても普遍性のある人類共通の知恵であり、人間性のことではない
888 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 09:35:21.51 0
「悪其意、不悪其人」 其の意を悪んで其の人を悪まず Hate not the person but the vice.(人を憎まずに罪を憎め)
889 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 14:42:45.55 0
1. 情報を鵜呑みにしない
頭が良い人は決して情報を鵜呑みにしません。不測の事態に備えたり、自分の経験を基に検証します。
2. 例外処理が得意
彼らは例外処理が得意です。というのは、不測の事態にちゃんと備えているからです。
3. 自分の意見を持っている
自分で考え、自分なりの意見を持っており、中途半端な意見には左右されません。
4. 本質を突ける
本質を付くため、無駄なことを嫌がり、人には無礼に見られることもあります。
5. 抽象化が上手
自分の経験と概念を繋ぐ作業が得意です。それゆえ、説明も上手です。
6. 自分でできる
到達すべき点を自分で見定め、自分で方法を見つけられます。
7. スピード感がある
圧倒的なメリハリとスピード感があります。間違っていてもすぐに修正し、正しい方向に進めます。
http://careerpark.jp/5094?page=2
890 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 15:03:51.19 0
神話に基づく罪作りが2ちゃんねる構想だろ ・・・・・・・・ 西村ジェンヌ博之
891 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 15:09:05.67 0
お前の知能に自由意思が介入できるわけないだろう
892 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 15:12:42.64 0
893 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 18:13:35.44 0
>>892 は罪人を我が子を許すようには許せないということかな?
894 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 20:17:43.66 0
罪を憎み、 「個人」を憎まないのなら法や刑事罰の対象になる者さえ 存在しないことになる。 ここで言われてることは明らかに「環境によって左右される不幸な 人間性」であって、一個人のことでない。 その個人自体はどうでもいいと、憎むべき対象ではないと、 そんなことを孔子が言ってるようにはとうてい思えない。
895 :
考える名無しさん :2015/01/20(火) 23:59:46.69 0
ようわからんが 子どもを愛したり罰したりするように大人も扱えって意味かのう
896 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 09:22:25.26 0
憎む憎まないで刑の軽重を決めてたら 美人不美人や身内と他人で差が生じちまう 淡々と犯した犯罪の内容で決めろってことだよ
897 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 14:08:01.32 0
頭が悪い人の特徴 ・すぐ忘れる ・問題解決能力が低い ・二重基準に気づかない ・本当のことを言うと怒る ・一度に一つのことしかできない ・合理的判断ができない ・有害とわかってても止められない ・プライドが高い ・要点をまとめられない ・知識が生かせない
898 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 17:13:35.94 0
1 固い 2 鈍い 3 遅い 4 不正確 5 耐久力がない
899 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 17:44:21.39 0
1 いつも人のせい 2 やる気がない 3 考えが浅い 4 気持ちよければそれでいい 5 馴れ合う
900 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 17:47:42.01 0
群れているのはダメね。そういう意味では組織人は全部ダメ。
901 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 20:28:04.28 0
自己啓発みたいなスレだなw
902 :
考える名無しさん :2015/01/21(水) 23:45:54.92 0
自己啓発上等じゃん 哲学板を代表するようなスレってこった
903 :
考える名無しさん :2015/01/22(木) 09:30:54.32 0
904 :
考える名無しさん :2015/01/22(木) 15:00:11.83 0
◉バカと天才の共通点◉ 一般人に共感してもらえないとこ それだけwww なのにバカは自分を天才だと勘違いする(^q^)
905 :
考える名無しさん :2015/01/22(木) 17:39:35.11 0
凡人の共通点 他人の目を気にして、すぐ群れたがる。
906 :
考える名無しさん :2015/01/22(木) 20:01:11.05 0
小人はえこ贔屓は得意だが、人に分け隔てなく接するということができない。 ろくでもない連中というのは利益にばかり反応する。 アホっぽい奴を見かけたら戒めにしろ。 小人はいつでもこせこせとしてる。 小人は、人の美点を抑制し、悪い点を促進する。 小人の徳は草です。風によって草をなびかせるのです。 小人は人にイエスマンの如く同調するが人と調和することができない。 小人は仕えるのが難しく喜ばせるのは簡単だ。 道理に反したことでも喜ぶからだ。 そういう人が人を使うと完璧を他人に求める。 小人は傲慢であるが全然泰然としてないでこせこせしている。 小人で仁に至った者はいない。 小人はくだらないことにはよく通暁する。 小人は困窮してそのうえ取り乱し大声で喚く。 小人は全ての責任を他人に帰する。 小人は大きな仕事は任せられないが細かいことなら詳しく知っている。 小人は過ると必ず言い訳する。
907 :
考える名無しさん :2015/01/22(木) 23:14:33.30 0
君子は周して比せず、小人は比して周せず。 子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。 賢を見ては齊しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みるなり。 子曰く、君子坦かに蕩蕩として、小人長しえに戚戚たり。 子曰く、君子人の美を成す。人の惡を成さず。小人はこれに反す。 君子の徳は風、小人の徳は草 。草これに風を上うれば、必ず偃す。 子曰く、君子は和して同せず、小人は同して和せず。 小人事え難くして説ばせ易きなり。 これを説すに道を以ってせずと雖ども、説ぶなり。 其の人を使うに及びてや、備わるを求む。 子曰く、君子は泰にして驕らず。小人は驕って泰ならず。 子曰く、君子にして仁ならざる者有り、未だ小人にして仁なる者あらざるなり。 子曰く、君子は上達す、小人は下達す。 子曰く、君子固より窮す。小人窮すれば、斯に濫す。 子曰、君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む。 子曰く、君子は小知すべからずして大受すべし。小人大受すべからざるして、小知すべし。 小人の過つや必ずかざる。
908 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 08:51:45.67 0
瞿曇彌大愛(女)が「女性も出家できるのか」と質問した。 釈尊(ブッダ)は「そういう考えは持つな」と教えられた。 大愛は足を汚し、 身体中塵土にまみれて、 門外に立って泣いた。 みかねた阿難(弟子)が「女性に第四沙門果は得られるのか、 出家できるのか」 と質問した。 釈尊は「そのように考えてはならない、もし女人がこの正法律中に出家すれば、 この修行を久住させることができない。 女多く男の少ない家は隆盛するだろうか、 稲田や麦田のなかに穢生(けがれ)があれば必ずその田は壊するだろう。 このようにもし女人がこの正法律中に出家すれば、 この修行を久住させることができない 」 と答えられた。 結局、大比丘尼サンガ(女の仏教徒集団)が形成され、王者にも尊敬されるようになった。 そこで大愛は他の比丘尼(女の僧侶)たちと阿難のところを訪れ、 「年少の男で新たに出家した者には、比丘尼に敬礼するようにさせてもらいたい」と申し入れた。 この話を聞かれた釈尊は 「もし女が出家しなければ仏教の沙門はより尊敬されたであろうが、 これがために千年留まるべき正法が五百年に減じた」と言われた。
909 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 19:19:09.61 0
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;; {;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 女はバカだから悟りを得られない ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙ `Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f そんなふうに考えています ~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
910 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 19:45:05.48 0
世尊、長老に告げて曰く、女人に九つの悪法あり。云何が九つと為すや。 一に女人は臭穢にして不浄なり。二に女人は悪口す。三に女人は反復なし。四に女人は嫉妬す。五に女人は慳嫉なり。 六に女人は多く遊行を喜ぶ。七に女人は瞋恚多し。八に女人は妄語多し。九に女人は言うところ軽挙なり
911 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 20:52:21.93 0
久々に論語ざーと読み飛ばしたけど、いいこと言ってるねえ。 現代には通用しないこともあるけど、いいとこどりすれば十分使える。
912 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 21:21:31.17 0
「女には、九つの悪い属性がある」とおっしゃった。女は、 1、臭くて汚く、 2.悪口をたたき、 3.浮気で、 4.嫉妬深く、 5.欲深く、 6.遊び好きで、 7.怒りっぽく、 8.嘘つきで、 9.お喋りであるということである。
913 :
考える名無しさん :2015/01/23(金) 21:27:24.66 0
新約聖書 テモテへの手紙(1)2章9-15 女は、静かに、全く従順に学ぶべきです。 女が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。 むしろ、静かにしているべきです。 なぜならば、アダムが最初に造られ、それから女が造られたからです。 しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。 しかし女は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、 子を産むことによって救われます。
社会は礼に適うようになるといい そうすると本筋で勝負できる
道徳が意味を持たないくらいに人々が洗練されるといい
知的、道徳的に社会が荒れてるから道徳君とか逆張り野朗が出てきて面倒になる
>>911 漢文読んでるの?
最近知って読みたいんだけど尼でトップの論語に学ぶ (PHP文庫) 安岡 正篤とかでいいの?
918 :
考える名無しさん :2015/01/24(土) 00:17:41.80 0
安岡 正篤ってあの細木数子とあわや結婚しかけたんだな
購入する前に
>>655 に目通しても遅くはないよ
ありがとう
920 :
考える名無しさん :2015/01/24(土) 01:07:25.62 0
「論語」を読む (講談社現代新書) 新書 – 1984/12加地 伸行 (著) 論語 (講談社現代新書) 新書 – 1964/8/16 貝塚 茂樹 (著) が好き
921 :
考える名無しさん :2015/01/24(土) 19:20:51.98 0
別にそんなの読まなくてもネットで下村湖人訳全部読めるよ。
985 :佚 ◆foXa6T3AM7uJ :2015/01/20(火) 18:14:33.97 0(
>>984 の続き)
>というか、能動的か受動的かを分ける必要はありますか?
石も地球も物理法則に従って変化しているだけですから受動的です。しかし生物は物理
法則に従うばかりではなく、外部環境の平衡化に抗うように自己を維持しているように
見えます。つまり能動的です。もしこの動きも実は物理法則だけで説明できるとなった
場合は、生物も受動的とされるでしょう。
唯物論が自由意志の否定につながるかどうかで議論になるのも、物質は受動的とされ、
自由意志は能動的とされるためです。世界を二元論で論じる場合、結局は能動と受動の
話に行き着きます。
上記の自己の境界についての話も、能動の及ぶ範囲がどのように決められるのかという
話であり、能動の問題に付随する話です。
分ける必要どころか、これこそが問題の根本と言えると思います。
986 :【いのち一元論者】 ◆FUMA/Xddxs :2015/01/21(水) 00:38:24.56 0
>>976 まず最初に有無同一体であるエネルギーがあり、対称性の破れからエネルギーは動的になり「濃淡」ができた。
初めて差異が生まれたのはこの濃淡であって、時系列的に差異と力は同期的とも言えまい。
そして差異が力に還元されたとき、熱平衡状態(熱的死)となるのです。
いのちが生まれたのは、エネルギーの濃くなったところに保持への自己組織化が行われたため。
そこには勿論「関係と影響」があったとは思うが。
あと、意識はEに変換できています。
(意識とは、「主観による認識と表象の能力」です。)
例えばコーラのCMを見て、コーラが飲みたくなったとする。
で、もしそのCMを見ていなければ、特にそういう気持ちは起きなかったとする。
そうすると、その様な認識が、その様な欲/意志の発生に深く関係していることから、「意識からのフィードバック」が行われていることは明らかである様に思われる。
この場合、正確には、情報が意志に変換されたのだが、媒介となったのは意識。
意識活動にEを使用し、その対価として情報(E)を得る。
その総体は「等価」なのかもしれませんよ。
923 :
考える名無しさん :2015/01/25(日) 01:01:40.78 0
>>911 通用しないって、例えばどこ?
>>921 無料じゃないじゃん
リンクくらい貼れよって思った
最初からちゃんと論語の日本語訳を読みなよ・・
>>917 漢文や古語で書かれてる日本語なんて読まなくていいよ。
現代語で書かれてる部分だけ読めばいい。我々は論語の権威を知ろうと言うのではなく
中身を知ろうとしてこの本を読むのだから。田舎者の読み方だよ無理して
白文を読もうなんてのは。
926 :
考える名無しさん :2015/01/25(日) 09:18:05.97 0
そりゃ田舎者に失礼だ 学者か知ったかぶりたいカッコつけ野郎だろう
928 :
考える名無しさん :2015/01/25(日) 21:35:39.00 0
電子クーポンが\200分あるんだが、そんなにいい?
929 :
考える名無しさん :2015/01/25(日) 22:59:46.11 0
女神っていうのは、慎ましやかで、余計なことを言わず、いつもニコニコして愛を振りまいているんだけど、 イザというときには、いささかも動ずることなく善の道へ導くんだよなあ。 心の中で密かに女神を目指している女性は、やっぱ輝きが違うね。気高いというか。 ガチャガチャしていない。受け狙いのキャピキャピもダメ。 一歩引いて、大所高所から物を考えられる聡明な女性は本当に少ない。
930 :
123 :2015/01/25(日) 23:03:17.13 0
吉田松陰のテレビでの思想が面白い。
931 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 01:09:48.28 0
論語は聖書なんかよりほんと完成度高いね イスラム、クリスチャン、目糞鼻糞
932 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 01:30:57.21 0
忠孝ってところだけ気に食わんがね。 まっ、サラリーマンの教育用には向いている。
933 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 09:44:27.31 0
>>927 腐儒。
論語はただの天秤。いい言葉もわるい言葉もない。
こういう「道徳のためになる論語」といった
紹介をするやつは大抵単なる漢文オタク野郎なんだよ。
934 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 09:50:55.84 0
第一支那の古典や日本の古典でそのまま白文や古語を読んで「その時代の 雰囲気が伝わってくる」なんて奴はどれくらいいるんかねえ。というか ありえないだろ、その時代から今に生きてる人なんていないのだから。 それなのになぜあえて読めないし、読む必要もない支那の古語や古代日本語で 読ませるのか?俺にはその意味が分からない。哲学の古典なら意味を知りたいから 読むわけで、漢文や古めかしい読み下し文を読みたいわけじゃない。というか そんな行為が日常から必要な奴なんてコンマ以下5桁でも日本人には いないだろう。
935 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 09:54:14.08 0
源氏物語だって「現代語に訳すとその時代の雰囲気が・・」なんて 言われるけど、その時代の雰囲気を知ってる日本人なんていないっつーの! オメーは1000年以上も生きてて平安時代に生き、その時代の人間の情緒が分かるんかい?って 古典をいい気になって諳んじている奴に訊きたい。そんなのが分かる奴が いたら超能力者かインチキ詐欺師だろう。だから日本の古典や漢文をそのまま 読んでる奴は嫌いなんだよ。
936 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 09:59:09.20 0
ホメロスの詩も欧米人が読むときに「その時の雰囲気が」という理由で 古代ギリシャ語を最初に出して、次に古代英語、次に現代語訳なんて 本を出したら誰も読まないだろう。その本を読んでふつうはその本が 記すところの意味が知りたいんだし、物語だって同じだ。現代語で当時の 人間の躍動を表現してみればいい。日本の古典はこういう点で単なる「権威」と してふるまってるだけだ。ばかばかしいと思わねえか?
937 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 10:03:35.09 0
ところで以上の文章は古典を訳しておられる漢文・古文の学者に対する非難ではありません。 彼らは非常に重要な研究を地道になされておられる方々だし、彼らなくして 我々は支那の古典・仏教経典を読むことはできないのでただただ感謝して います。
938 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 14:50:19.00 0
孔子「君子はつまらないことには上達しない」 耶蘇「君たちの足を洗ってあげよう」 どう違うのか
939 :
考える名無しさん :2015/01/26(月) 18:24:16.70 0
全員が専門家ってわけじゃないんだから、専門家が現代語に訳してくれれば十分。 それが仕事なんでしょ?
ベンヤミンの翻訳論を読むべし
>>927 内容は凄く良い。そこら辺の論語全集よりよっぽど解説も充実してるし、伊藤仁斎なんかの日本の歴史人物を絡めてくるから日本人には取っつきやすい。ネットの翻訳サイトよりかなり本格的だよ。
この前に下村湖人の論語物語よんで、ニュアンスだけでも良いので軽く時代背景を知っとくとなお良い
942 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 09:03:11.22 0
あなたが「小人」だと思う人は、どんな人ですか? □ 会話が成り立たない □ 自分のことばかり話す □ 何度も同じことを聞いてくる □ 勘が鈍過ぎる □ 向上心が低い □ 指示がないと動けない □ 世界が狭い □ 言葉を知らな過ぎる □ 理解が遅い □ 頼まれたことがその通りにできない □ 要領が悪過ぎる □ うそでごまかそうとする □ 言っていることが矛盾する □ 続かない □ チャレンジ精神がない □ 欠点を指摘するとキレる □ 自分の責任を人のせいにしている □ 自分の意見がない □ 自分を過大評価 □ 細かいことにこだわり過ぎて本質を見抜けない
943 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 16:39:45.30 0
全部。
944 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 21:46:30.08 0
一つも俺に当てはまらないや
945 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 22:24:14.97 0
君子は自己の無能を苦にする。
946 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 23:45:48.76 0
あなたが「君子」だと思う人は、どんな人ですか? □ 理解が早い □ 話し上手で聞き上手 □ 1-2度言えばわかる □ 勘が鋭い □ 向上心が高い □ 指示がなくとも動ける □ 交友関係が広く、人生経験が豊か □ 難しいこともわかりやすく説明できる □ 手際がいい □ 給料以上の仕事をする □ 裏切らない □ うそをつかない □ 言動に矛盾がない □ 根気がある □ チャレンジ精神がある □ 欠点の指摘に耳を傾ける □ 自分の責任を人のせいにしない □ 自分の意見がある □ 自信と実力が釣り合っている □ 細かいことに囚われず本質を見抜く
947 :
考える名無しさん :2015/01/27(火) 23:59:53.80 0
全部当てはまったら凄いねー。 全部当てはまると思っている人はおめでたいねー。
948 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 00:10:34.48 0
ギクッ ところで一般の人には嘘とか矛盾は難しそうだね
949 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 09:58:58.42 0
孔子孔子大なる哉孔子 孔子の前に孔子無く 孔子の後に孔子無し 孔子孔子大なる哉孔子
950 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 13:59:31.88 0
951 :
考える名無しさん :2015/01/28(水) 16:00:17.47 0
君子になるのは難しそうだから、せめて小人にならないように気をつけよう。 私みたいな凡人には、それが似合いそうだ。千里の道も一歩から。
論語はアドバイス本と思うけど、どうでしょう?助言が書いてある
953 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 00:43:17.06 0
小人でない=君子
だと思っている俺はうぬぼれ屋なのかなぁ。。。
>>869 天秤とは万能のモノサシということだろうか。
論語とは道徳の超大統一理論なのか。
俺にはやはり金言の詰め合わせに見える。
天秤感覚で、何でもかんでも「バランス」と言い出すのは日本的発想だな。二宮尊徳とか神道:仏教:儒教=5:2.5:2.5が最も良いという「いいとこ詰め合わせパック」思考だし。 日本人にかかるとあらゆる思考が文鎮化されて、時と場合に応じて使ったり、使わなかったりする。 明治初期には「飛行機乗りはどんな状況でもくじけぬ強き心が必要で、それを養うには宗教が一番、いま一番良いとされてるのはキリスト教なのでキリスト教教えて」と言って、牧師を驚かせた一例もある。 キリスト教の意味合いからいったら訳わかめなんだが、日本人的には心技体をバランスよく養えればそれでokという感覚。
955 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 09:00:04.89 0
俺がいう「天秤」は調和じゃなくて対等という意味で使ってるんだよ。 天秤の両方に置いてある皿を「権」といい、これが偏る状況を「越権」という。 何も権力の使い方だけでなく、相手を対等とみなした場合、自分たちはきちんと 心の中に天秤を持っているのだろうかという問いかけ。論語を読んで 彼の名誉のために訳すべきではなかった、などと小馬鹿にしていたドイツ人は 実はちゃんとよく論語を読んで理解している。この書物は宝物で助言でも 処世術でも権力の運用でもなく単にものさし、あるいは天秤でしかないから。 宝物が入ってると思ってがっかりした人ほどよい儒者。これを何か権威のように 勘違いして読み下し文を諳んじていい気になってる奴は腐儒だわね。
956 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 16:26:05.44 0
天秤そのものは、誰に教えてもらわなくても、みんな持っている。 論語をはじめとする哲学は、その天秤に何を載せるべきかを教えてくれるものではないかい?
957 :
考える名無しさん :2015/01/29(木) 18:58:54.82 0
>>955 支離滅裂でなにいってるかわかんない
論語ってよくできた名言集やことわざ辞典と同類だと思ってるよ
宝物のどこが悪い?
同じ内容が繰り返し出てこない限り天秤と呼べないだろう?
955の方が鏡写しの論語コンプレックスに見える
恐らく 神道:仏教:儒教=5:2.5:2.5の下りを誤って解釈してるな。そして対象は儒者ではなく、日本人だ。 要は「この思想はこういう長所があるが、こういった短所、弊害がある」と神道、仏教、儒教それぞれ上げて、その上で日常使う頻度としては5:2.5:2.5位と述べてる。 従って思想の調和はしていない。 思想を活用する段階で、適した場面(偏り)には適した思想(重り)を使ってバランスをとろう…という天秤発想。 中国の場合、論語を始めとする四書五経は天秤ではなく、モノサシの意味合いが強い。 従って四書五経の思想から生活の全てを引っ張ってくる事になりこれの具体的政治制度…要は君子が国を統治するのが最善なので君子試験を行おう=科挙制度へと結びつく。 勿論、古典に全て書いてある訳じゃないし、技術の発展もあるので、その都度紛々とした議論と革命、王朝交代を行なってモノサシの調節している。モノサシの具体的調整係が儒者。 モノサシと天秤の違いは前者は替えがないが、後者はそうではなく、乗っかれば何でも機能する事だ。 見方を変えれば中国は歴史を引きずる事が運命付けられてる国だが、日本はそうでもないので論語も歴史も黒塗りする事も可能な国。
959 :
考える名無しさん :2015/01/30(金) 20:41:10.76 0
960 :
考える名無しさん :2015/01/31(土) 08:54:35.95 0
>>958 何を思いっきり勘違いしてるんだ。科挙は官吏登用試験だぞ。
961 :
考える名無しさん :2015/02/02(月) 20:03:09.22 0
《俗》孔夫子搬家、净是书(=输)Kǒngfūzǐ bān jiā, jìng shì shū ⇒負けてばかり
962 :
考える名無しさん :2015/02/04(水) 02:12:01.15 0
孔門十哲 校門あっし事件 閘門開閉式 後門のオオカミ 黄門括約筋
963 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 14:52:58.03 0
孔子がいう中庸の意味を「なんでもほどほどが良い」だと勘違いしてる恥ずかしい人がいたなぁ。
964 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 15:09:28.36 0
だって辞書を引いても 「過不足なく偏りのないさま。」ってあるよ。 中道も同じこと書いてる どう説明するの?
965 :
考える名無しさん :2015/02/05(木) 21:14:09.21 0
孔子の言う中庸とヘーゲルの言うアウフヘーベンの関係が分からない。 誰か助けて。
儒というのは、需が雨を求めるという意味だから 雨乞いする人という意味かな
967 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 20:16:46.23 0
>>964 どこの辞書だよそれ。ものすごい恥ずかしい間違いだわ
968 :
考える名無しさん :2015/02/15(日) 20:17:49.77 0
>>958 ちゃ〜ん
いつ科挙が「君主登用試験」になったのか早く教えてね〜
>>966 それじゃ「滑る」という意味は川に流れる骨のことだね
970 :
考える名無しさん :2015/02/18(水) 03:39:28.19 0
講師曰く、申してみ。
971 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 15:05:04.26 0
儒教は思想ではあっても哲学ではないとされてますね。 老荘や仏教の影響を受けて成立した朱子学ですら、 性善説や性悪説への考察はあっても、 自己とは何かへの突き詰めた省察は見られないようですが、 そもそも朱子学において、自己=心という理解でよいのでしょうか?
972 :
考える名無しさん :2015/02/26(木) 17:11:04.22 0
中国には、「道(タオ)」という老子哲学がある。 「道」哲学の中に「無為自然」という概念がありますが、その意味は 「何事も為さないでいながら、すべてのことを為している」ということであり、 自己(=心)が客観的存在(外界)に対する在り方を述べている。又、第21章では 有(自己を含めた有限的存在)と無(姿・形として現せないもの)は究極に於いて同じもの(=道) であると述べている。 儒教思想は「仁」や「義」、「礼」などのモデルを尊重し、血族的な関係や主従関係を重んずることで 安定した社会を作ろうという思想ですが、しかし、儒家思想を基本とした社会は、卿・大夫・士といった 厳格な階級制度や士農工商の身分制度など、息苦しい封建制度のシステムの上に成り立っている。 儒家思想が「礼」を人間にとって大切なものとして捉えたのに対して、老子の哲理は、「礼」・「仁」よりも 大切なものとして、人間の本来のもとの場所=「道(タオ)」に戻ることであると述べている。
973 :
考える名無しさん :2015/03/01(日) 18:43:25.15 0
孔子が生きていた時代でも 孔子一派には「文字が読める知識階級」としての需要はあっても 孔子の思想は貴族にも庶民にとっても、懐古的理想主義でNGだったらしい
974 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 18:06:10.16 0
しかし現代にまで深く根を降ろしているという事実。 同時代の評価というのきあてにならないんだよね。 チャイコフスキーとグラズノフがライバルだったなんて今じゃ信じられない話だろ?。
975 :
考える名無しさん :2015/03/02(月) 18:44:24.49 0
あのバッハでさえ、晩年は時代遅れの作曲家と言われていた。 ちなみに音楽家としての地位も、ハンブルクを制したテレマンより下だった。
976 :
考える名無しさん :2015/03/05(木) 04:26:29.04 0
977 :
考える名無しさん :2015/03/05(木) 16:13:43.85 0
>>976 韓非子(法家思想家)は、君主の権力を「法(=法律)によって一元化することにより強国に
なるべきとする思想です。具体的に述べると、現行の政治を“道徳”から切り離した「法定法至上主義」であり、
それに対して、儒教(孔子の説教を中心とする思想)は徳法、礼治を基底とした思想である。
978 :
考える名無しさん :2015/03/06(金) 06:43:49.24 0
それがどうしたの?
儒教で陰徳を積むという考え方があるらしい 陽の果報を得るためには心地よい陽とは反対の陰の力がいるから 結果が出るまで苦しく忍耐しなければいけないと考えるそうだ 韓国人は目上の者にうやうやしく、目下の者に尊大に写るそうだが 彼らの横暴は儒教精神に影響されている可能性はないだろうか? ウォールストリートジャーナルのセヲル号事件評価を見てなんとなくそう思った。
980 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 07:13:34.29 0
彼らは法家思想を勘違いして偉ぶってるキチガイだよ。 孔子も韓非子も、あんな国には足を運びはしないだろう。
981 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 07:16:54.43 0
・・弱虫ってのは「征服」と「階級」が大好きなんだよ。 もし他者との関係に「上下」がなければどうなるか。当然 相手とは「対等」となり、こちらの知恵と勇気が試される。 だが最初から上下の別があれば、相手と徒手空拳で戦わなくていい。 たとえば相手が「上司」だとこっちはペコペコして卑屈になって おればいい。戦わなくてすむ。たとえば相手が「目下」だと 尊大に構えて偉ぶっておればすむ。戦わなくてもいいからだ。 階級の中にいれば、相手は襲いかかってこない。自分も戦わなくていい。 だから臆病な東アジア人は征服と階級が大好きなのさ。
982 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 07:17:33.75 0
征服× 制服○ 誤変換失礼しました。 訂正してお詫びします。
983 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 07:22:52.85 0
日本もそういう点で朝鮮とよく似てるよ。こっちが目上だと思い込めば 徹底的に相手をいじめる。だけどこっちが格下だと思い込めば一転して 何もしない。敗戦後の外交がそうでしょう?いったんアメリカを上だと 認識すれば、もう何もしなくていい。知恵と勇気がないことがばれてしまう、 たとえば対等の外交戦略なんてしたら必ず負ける(そう尻込みしている)からだ。 これらは儒の「天秤としての対等」とは正反対の、法家とさえ違った、 一種の東アジアの民族病だ。我々がこれから世界的に尊敬を勝ち得ると するならば、この病気が治ることが前提条件となるでしょう。
984 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 07:26:54.95 0
「強きをくじき弱きを助ける」とか、「義を見てせざるは勇なきなり」とか、さんざん言われているのに、 ちっともやってないね。
985 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 11:52:31.92 0
戦中の「非国民排斥運動」だとか 今現在の「生活保護受給者たたき」だとか これらはすべて「お上」からなされた 運動だよ。彼ら弱虫はお上が何か合法的な お触れのようなものを出さないと何もしないし できない。これって女子供以下の、最悪の 弱虫ですよ。宦官ですね。東アジアの宦官根性・・
986 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 11:57:54.91 0
これから東アジアで「お上絶対病」が治ることはほとんどないだろうね。 これは西洋人たちが一神教の「俺だけが正しく他は間違っている」という 考え方が覆されないのとおなじで、もはやその人種や民族に付随する、 というか両親の血のように拭い去れない民族病なんだと思う。女々しく 臆病な東アジア人と、相対概念を認めない西洋人と・・ これを解決するのは案外やっぱり移動民族なのかもね。かつての 牧畜や交易を生業としてた人たち。
ビックカメ●札幌店の副店長 佐藤伸弦が暴行事件を起こしていた
988 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 16:19:17.12 0
>>965 >孔子の言う中庸とヘ−ゲルの言うアウフヘ−ベンの関係が分からない。
>「中庸」の意味は、世界の調和を達成するには常に「中正な道」があるべきとし、
人間の諸行為の根本を探求し、人間本性の誠(真実)の充実であるとする論理であり、
この「中正な道」とは、種々の状況に於いて、常に立場が偏らず正しい考察と行動のことである。
一方、アウフヘ−ベンとは、ヘ−ゲル弁証法の一番重要な概念であり、アウフヘ−ベンは
廃棄(=否定)するという意味と、高める(=肯定)という意味との“二様の意味”を持っている。
アウフヘ−ベンは、西洋の“理性(コギト)”を基本として論理構成されているところが、孔子の「中庸」の
論理構成と大きく違うところです。
989 :
考える名無しさん :2015/03/08(日) 18:48:45.87 0
986 やっぱり近代市民革命を経ていないことが大きいのかな。この社会を自分たちで作ったんだっていう意識が希薄な気がする。 988 よって立つところが違うのは分かるのですが、ヘーゲル教えてくれた先生が、「真理は真ん中にあり」って言うから、なんか混同してしまう。
990 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 11:43:11.99 0
>>988 「常に偏らず」
違います。中庸を完全に誤解している。
991 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 11:45:00.35 0
「極端な立場を選ぶなら、その真ん中やほどよい中間がよい」とする アリストテレスの「中庸」と、 古代支那思想の中庸では意味が全然違う。 この本来の意味での中庸は、たとえば中共党だったら絶対的に 理解できないだろうね。
992 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 13:21:30.63 0
全然違うとおっしゃりながら、その内実についての説明がされていませんね。
993 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 14:52:58.39 0
>>991 中国思想の「中庸」の意味を説明ねがいます。
994 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 15:11:47.71 0
このスレの寿命がもう短いからね。誰か次スレをお願いします。 題名は「儒と天秤」とでも。
995 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 15:16:51.63 0
後が短いけどたとえて言えば舟のようなものかね。 あんたたち、舟が暴風を受けて沈みそうになったらどうするかね。 「いついかなる時も同じ態度でいる」と、どうなるかね。 舟が左に傾いたら一時的に右に舵をとり、右に傾いたら左に舵をとるだろう。 どちらも一時的に極端になる。だが舟は沈むかね。 いついかなる時も同じ態度の連続など中庸ではなく偏屈だよ。 儒は天秤。偏らない。
996 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 15:20:18.40 0
いちおう言うがこういう場合舟を極端に偏った方と逆に急に舵をとると 転覆して沈んでしまうのだが、私の言っている意味はそういうことではないよ。
997 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 15:23:25.07 0
>>984 孟子の説はダメな権力者にとって最上の薬だからね。
愚か者は薬を嫌うから。
998 :
考える名無しさん :2015/03/09(月) 15:25:25.99 0
製薬業界の人?
船が沈みそうなの? ただこのままでは船が沈むと言えば良いんじゃないの?
1000 :
正理会 :2015/03/09(月) 15:28:09.22 0
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