自分はどこまで自分なのか

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1考える名無しさん
例えば、肌の細胞の1つをだれかと交換しても変化はない
心臓の細胞の1つをだれかと交換てもおそらく変化しない
脳の細胞の1つをだれかと交換したらわずかに変わるのか?
自我を構成する物質の原子の中の電子が1つ減るだけで自分はむかしの自分と違ってくるのか?
2考える名無しさん:2012/02/11(土) 04:32:58.00 0
人の血液は数ヶ月で全部入れ替わる。
細胞も分裂をし続けて、常に入れ替わる。
自分を規定することなどできない。
ただ自分は自分であると主張し続けるしかない。
3考える名無しさん:2012/02/11(土) 06:37:58.26 0
典型的な症例でおじゃるな
「自分とは?」
「自分とはどこまでが自分なのか?」
「自分とその他を隔てる境界線はどこにあるのか?」
さういふ問いはあなおかしき
4考える名無しさん:2012/02/14(火) 00:23:06.38 0
入れ替わるという表現はよく使われるがどうなんだろうな?
畳や水のように考えると、床や容器だけはそのままで
中身だけが「移動」することで、入れ替わることになるが
人体はそのような意味で容れ物ではないし。
5あぼーん:あぼーん
あぼーん
6考える名無しさん:2012/02/14(火) 11:09:20.94 0
>>4
物質的には常に総入れ替えし続けてると
福岡なんとかって分子生物学者が書いてたな
7考える名無しさん:2012/02/14(火) 12:10:18.24 O
過去の自分の積み重ねや思いが自分というシールドを保ってる。
他の細胞が入れ替わっても脳細胞は入れ替わるの遅いし。
8考える名無しさん:2012/02/14(火) 14:59:44.34 0
細胞が新しいのに入れ替わってるのではなく
細胞を構成している元素が物凄い勢いで総入れ替えしてるらしいよ

実験ネズミのえさを放射性物質に変えて
体内での動きを観察したら判明したらしい
9考える名無しさん:2012/02/17(金) 20:28:03.47 0
自他を区別できるようになって自分が生まれる
つまり、自他を区別できる脳細胞の連結が出来た時点で自分が発生し
その連結が出来ている脳とそれを維持するのに必要な器官を自分と言う
その器官が入れ替わっても脳と連結のパターンが存在している限り
自分は存在する。
つまり脳の連結のパターンを完璧にコピーする事が出来れば自分は世の中に二人存在する事が出来るが
コピーが完了した瞬間に脳は別々のパターンを形成し始めるためそれは一瞬でしかない
10考える名無しさん:2012/02/18(土) 00:23:53.08 0
典型的な症例でおじゃるな
「自分とは?」
「自分とはどこまでが自分なのか?」
「自分とその他を隔てる境界線はどこにあるのか?」
さういふ問いはあなおかしき
11考える名無しさん:2012/02/18(土) 12:47:25.24 O
一つの細胞から二つの自分が生まれることもある。
スレタイはともかく、マナカナのどっちが好みか語ろうぜ!
12考える名無しさん:2012/02/18(土) 16:00:52.95 I
どっちも老けたな〜
13考える名無しさん:2012/02/22(水) 08:27:15.08 I
個人の認識による
規定すれば人類の進化が阻害されるため規定しない方が良い
14考える名無しさん:2012/04/08(日) 01:05:40.59 0
普遍の自我というものは存在しない。
だからどれくらい入れ替えたら自分ではないという事自体がナンセンスだ。
粒子という目に見えるものは畢竟一時的に生命というシステムに関わっているにすぎない訳であり、彼らは単純に物理法則に従うという彼らの仕事をこなしているだけにすぎない。
15考える名無しさん:2012/04/08(日) 01:25:18.65 0
肉体を構成する粒子の働きが「自分」なのであって、同じ働きをするのなら構成粒子の種類は問わない
どんな働きが「自分」を特徴づけるかは定かでないが…

ということかしら
16考える名無しさん:2012/04/08(日) 02:37:37.13 0
粒子は生命を作っている情報場に寄せ集められたに過ぎない。
だが粒子が空間にある場に影響を与えていき場は粒子を動かす、相互が相互に係わり合い、場は長く続くが、粒子は場を離れるし生まれたり消えたりする。

死ねば空間は生命の情報場から開放されるが、空間自体は始まりも終わりもなく永久に存在し続けており、いつか再び生命の情報場に捉われて再利用される。
この生命の情報場=クオリアが生まれる空間の事を仏教では補特伽羅と呼びサイエントロジーではセイタンと呼ぶ。
17あぼーん:あぼーん
あぼーん
18考える名無しさん:2012/04/13(金) 08:32:49.73 0
>>4
「自分を構成する物質が常に生まれ変わっているというのなら、なぜ
朝目を覚ました時に他の人の意識にならず、自分としての連続性を
保てるのか?」

「それならなぜ君は昨日の君と今日の君が別人ではないと思えるのかね?」
19考える名無しさん:2012/04/13(金) 21:02:44.06 0
>>16
その空間が自分ということか?では境目はどこにあるのだろう
「ここまではオレの空間で、ここからは外の空間だ」と言える境界線はどこに・・?
20考える名無しさん:2012/04/13(金) 22:13:02.62 0
>その空間が自分ということか?では境目はどこにあるのだろう
どこにでもあり、どこにでもない。
狭間とはそういう境目をいうんだよ。
狭間にあるものは未来そのもの、未来とか確実に確定するが、不確定
でもある。そんなの説明しないとわからないの?

>「それならなぜ君は昨日の君と今日の君が別人ではないと思えるのかね?」
多数決にすぎない。ほとんどは変化していない継続であって一部が変貌して
変わったとしてもそれは全部ではない。
今日と昨日ではほぼ同一としかいえない。
違うと区別したいなら100年後でも想定してみれば?
21あぼーん:あぼーん
あぼーん
22考える名無しさん:2012/04/13(金) 23:16:20.89 0
>>19
ヒトは個体としてかなり明確な自他の境界線を有しているが、体の最外表の死んだ細胞や既に死んだ細胞である爪や毛髪がまだ自分の一部であるかどうかについてはどうとでも言える。
触られた事が感知できる薄手の衣服も皮膚の延長と感じえる。

感覚を伝えられる義肢や心臓の異常に反応して作動するペースメーカーを自分の一部を感じてもおかしくはない。
逆に精神分裂や麻痺を起こしていれば自分の肉体の一部でもそうだとは思えなくなる。

絶対的な自分を物質や精神といったものに規定することはできない。
それは観察する事もできないし壊したり作ったりする事もできないので、既存の科学のパラダイムでは認められないことだろう。
23考える名無しさん:2012/04/14(土) 01:58:15.94 0
なるほど、境界線を規定できないということは
「自分」である根拠は肉体的原理が持ってるわけじゃないと
ならネット上のブログとかも「自分の一部」に規定することができるかな
むしろ抜け落ちた髪よりも永久保存される「自分の一部」と言える
24(@ ̄▽ ̄@)塩なめくじ ◆namequziNk :2012/04/14(土) 02:23:27.91 0
きみもわたしの一部だぜ。
25考える名無しさん:2012/04/14(土) 03:24:19.09 0
何とも言い難い存在
26考える名無しさん:2012/04/14(土) 03:57:59.07 0
自分とは宇宙
27考える名無しさん:2012/04/18(水) 16:30:19.49 O
これまで生きてきた記憶=自分
28考える名無しさん:2012/04/18(水) 19:05:09.50 0
29考える名無しさん:2012/04/18(水) 22:12:21.47 0
なんで世界には俺しかいないのか。
俺は確かに折れの意識や記憶しか保有できない。
30考える名無しさん:2012/06/09(土) 23:30:51.07 0
左脳と右脳には別の意識があるかもしれない。
分離脳の症例からあり得ることだと思う。
たまに、右脳が勝手にやったことじゃないかと思うことがある。
大体はつじつま合わせ的な協調関係があるらしい。
31考える名無しさん:2012/06/22(金) 11:09:39.36 0
社会が腐っていくのは、女が具体性を求めていくから。
女はやはり産む機械なので、あらゆる議論の収束先を自分の子宮に宿す子宝に設定してしまう。
この世にはびこる不正や横領、不自然な保護や規制は、とても私的で具体的な愛着の対象を守るためだけに
世界を犠牲にしてしまう。

結婚前は冴えていた学者や思想家も、
徐々に配偶者に蝕まれ、
思考の矛先を
普遍的・理想的なところから、我が家の繁栄のための出稼ぎ先へと、ねじ曲げられる。
こうなったら、その哲学者も、世界から見れば、もう、要らない存在。
そういう構造になっている。
32考える名無しさん:2012/06/24(日) 01:10:26.59 O
身体の同一性はつまるところ、意識の連続性だと思う。
脳組織も代謝で入れ替わっている事を考えればそこに宿る精神が入れ替わらない限り「私は私である」(=自我)は変わらない。
少しずつ脳細胞を置き換えていけば大丈夫のような気もするが、脳と精神を結びつける何かがあるはすで、そこに手を着けるとまずいように思う。
33考える名無しさん:2012/06/29(金) 09:51:40.05 0
脳死
34考える名無しさん:2012/06/29(金) 13:21:47.32 0
>>30
グルジエフを読め。
左右の脳どころかそれぞれの機能を担当する神経回路が無数に鬩ぎ合った無数の自分の集合体こそが精神なのであり、逆に考えれば絶対の自分の意志なんてものはどこにも存在しない。
各々の細胞全体が一つのために一つが全体のために働いている。
35考える名無しさん:2012/06/29(金) 13:44:31.98 0
「私はどこまでも私である」は、身体の同一性そして、精神の同一性として、連続した
時間、空間の流れの中で認識される。同一律(同一性の律)と言う自我の領域でデカルト
以前の西洋哲学は構築されてきた。脳と精神(自我)を結びつける何かがあるのではないか
と言う探求は古来から今日まで科学者、哲学者の間で大きな問題として研究されている。
同一律は、自我を中心とした主観的領域から理論構築するので、どうしても客観的概念、理論
が排除されてしまう。>>29「俺は確かに俺の意識や記憶しか保有できない」と述べている。
この主観的領域(同一性)にたいして、客観的領域の哲学的展開を進めたのが、カント、ヘ−ゲル、
ハイデカ−、サルトル、そしてストロ−ス(構造主義)、ドゥル−ズ、フ−コ−、デリダへと、
客観的領域(他我=全体)の理論的構築がなされて来た。いずれにしても、この同一性(同一律)の
概念は、哲学上で、最も重要な解決すべき課題の一つであると思う。
36考える名無しさん:2012/06/29(金) 15:24:22.86 0
「梅ちゃん先生 どんどん美しくなる」
37考える名無しさん:2012/06/30(土) 00:23:15.99 0
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?12
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1339372034/
38考える名無しさん:2012/06/30(土) 11:39:51.76 O
寝たり気を失ったりすればその都度精神の連続性は失われるんじゃない?
39考える名無しさん:2012/06/30(土) 12:15:32.48 0
寝たり、気を失った時も、脳の活動は止まっていない。寝ている時も実は、
夢を見ているのである。眠りから覚めたときに、その夢が記憶として残っているか
いないかと言う個人差の問題。「私はどこまでも私である」と言う認識をした時点
より、連続的に「同一性」は続いて行く。
40考える名無しさん:2012/06/30(土) 13:53:55.41 O
では脳の活動が停止(=死)すれば精神活動も停止し、自我の崩壊が起こりますか?
41考える名無しさん:2012/06/30(土) 17:09:18.79 0
>>39
夢というよりも外からの刺激に対して意味のある反応を返したり記憶したりする機能が止まった状態なのだと言える。

>>40
脳が活動しているから精神活動があるのであって逆では決してない。
停止しなくても意味のある反応を返せなくなればアイデンティティー・クライシスに陥ったと見なせる。
42考える名無しさん:2012/06/30(土) 18:02:20.01 O
反応があるかどうかは他の人が意識の有無を確認する手段にはなるが反応が無くても意識が無いことの証明にはならないのでは?
43考える名無しさん:2012/06/30(土) 19:11:16.60 0
外からの刺激に対応しない活動しか返せなくなったらもはやそれは意識として機能していると言えるのか?
その状態を医学では脳死と言わないか?
44考える名無しさん:2012/06/30(土) 19:25:33.38 0
自分の記憶や人格はそれまでの環境の結果であり、自分で創った物ではないのに、はたして
人間がロボットではないといえるのだろうか?
「こういう環境にするとこういう人格に育つ」とアルゴリズムでプログラミングされた
学習型人工知能コンピューターと、人間に、違いはあるのだろうか…。
45考える名無しさん:2012/06/30(土) 22:14:17.71 0
>>41
「脳が活動しているから精神活動がある」と述べている。現代科学の進歩で
脳内にある神経回路、シナプスの状態、化学物質の状態などが結果として
記憶、判断と言った心的機能を可能にしているであろうことは、現代科学で
解明が可能な段階に来ている。
しかし、クオリア、自由な思考、そして、人間の主観と関わる意識の問題は、
現代科学では解明が難しい問題として残っている。 この主観的意識を科学的に
解明しょうとする分野が、ハ−ドプロブレムと呼ばれている。 又、主観的意識
の問題に対して、哲学的分野では、この主観的意識の解明は科学では出来ない
のではないかとの考え方が「心の哲学」として提起されている。
46考える名無しさん:2012/06/30(土) 22:43:14.20 0
脳が活動していると思うから、人の形をしたマネキンであっても
現代科学が解明できない関係における錯覚回路によって、錯覚の状態
錯覚された物質の状態などが結果として記憶、判断といった心的機能を
騙して高次な認知を可能としているであろうことは、現代科学で
解明が不可能といわれている。
しかし、クオリアは茂木さんの言葉を全て信じるようなお前が
引用するからトンデモになる。
47考える名無しさん:2012/06/30(土) 22:49:15.60 0
錯覚だよ錯覚
自分という存在そのものが有るというのが錯覚だろ
あるのは存在じゃなくて概念
自分にとっての自分と他人にとっての自分はまったく別のプロセスで成り立つ自分だし
精神や肉体の存在というのも全く概念的なものだから
48考える名無しさん:2012/06/30(土) 23:34:14.27 0
自分というものがないとすると意志というものもないことにならないかな?意志がないとすると何がものごとを決定しているのか
49考える名無しさん:2012/07/01(日) 00:37:35.73 0
いやいや、確固とした『自分という存在』があるというのが錯覚
自分というものは意外に不安定な存在なんだよ
ちょっと脳みそに効く薬によって、簡単に自分が変化しちゃう
物理的なものじゃなくても、ストレスで簡単に壊れるし、簡単な技術で他人と自分を錯覚させることもできるからね

例えば
出かけている間に突貫で対象の家を別の家に作り替えて、そこに関係ない家族を演技で住まわせ
対象の親類縁者全てにそいつの事を知らないように演技するよう指導し
全く知らない奴らを友人という設定で送り込んで「あれ?趣味変わった?前はこうだったよね?」と親しげに語らせれば
対象は最初こそ悩むが、そのうちに自分が変だったと錯覚し、友人が語る新しい自分像に慣れていくだろう
50考える名無しさん:2012/07/01(日) 01:18:01.27 0
言い換えると自分が不安定な存在だということかな。だから自分はどこまで自分かは決められないと言いたいんだね
51考える名無しさん:2012/07/01(日) 07:33:10.48 O
社会的な関係性の変化や薬物による性格の変化があっても実体としての「自分が自分である」という意識は変化しないでしょう。
52考える名無しさん:2012/07/01(日) 12:22:03.50 0
他人と自分を、簡単な技術で錯覚させる事は出来るし、又、社会的な環境や
薬物、暴力による性格の変化もある。しかし、「自分が自分である」と言う
主観的意識は、実体として変化することはない。「自分が自分である」と言う
不変的実体が同一律(同一性の律)として、「意識のハ−ドプロブレム」で提起されている。
53考える名無しさん:2012/07/01(日) 14:13:28.63 0
絶対に変化しない?
している奴らを『狂った』と言って切り捨ててるだけじゃないの?
脳にパルスが流れているからと言って、それは必ずしも『意識』を意味しているものじゃないよ
第一、脳が神経細胞からできているとして、神経は全身に張り巡らされているものだよ
意識としての脳の区分はどこまでと言っているの?大脳?小脳?脳幹?延髄?それとも体の隅々の神経細胞まで?
また本当に意識は連続性があるの?薬で・重体で・何らかの意識障害で一時的に意識がなくなり、次に目覚めた時の意識とは前と同じものなの?
実際には意識が記憶という記録を閲覧して、連続性を装っているだけじゃないの?
54考える名無しさん:2012/07/01(日) 14:34:39.12 O
離人症という障害や多重人格、または憑依という現象を探れば自我の秘密が明かされる可能性があるかもしれない。
55考える名無しさん:2012/07/01(日) 15:35:43.03 0
「自我」の秘密、難しい問題だが、この問題は現在、科学分野と哲学分野が、
互いに連係して欧米を中心にして研究が進められている。
56考える名無しさん:2012/07/01(日) 17:17:11.13 0
赤ん坊には自分」はないでしょう。なぜなら自「分は作られるものだから、同様に動物には自分という観念はない。
57考える名無しさん:2012/07/01(日) 17:49:02.94 O
では赤ん坊はいつ自我に目覚めるのか?
動物に自我がなく人に自我がある境界とは何なのか?
58考える名無しさん:2012/07/01(日) 18:00:50.77 0
まず人間の脳には可塑性があるということです。学習能力があるんです。発展するんです発達するんです。言葉を覚えてからかな。
59考える名無しさん:2012/07/01(日) 18:44:26.06 O
猿でも道具使ったり学習するよ。
60考える名無しさん:2012/07/01(日) 20:34:22.17 0
犬でも学習するよ
61考える名無しさん:2012/07/02(月) 04:16:25.35 0
クラゲだって電気信号で刺激すると単純反応としての刺激反応を学習することは可能だ。
62考える名無しさん:2012/07/03(火) 09:18:01.60 0
樹状神経系を有する脊椎動物は反射と意識が明確に分かれているという点で、無脊椎動物とは一線を画する。
タコが足を動かすなんて中枢神経よりも各足の末端神経の方で処理している部分が多くて殆ど反射みたいなもんだ。
梯子型神経系の蟻んこが何億年も前に発明した事を樹状神経で最近になって漸く猿真似しはじめたのがヒトさ。
63考える名無しさん:2012/07/03(火) 14:10:33.47 0
自分というのは実体的には存在しないけど、自分の物(体や思想信条)なら存在する。
自分の物(実体)が存在するから、僕らは自分が実体だと思い込んでしまう。
自分は実体的に存在せず、無のように存在するとしか言えない。
64考える名無しさん:2012/07/03(火) 21:17:11.65 O
刺激と反応の間に選択が生じる…自我の発生
いつまでも既存のことをしていると無我になる
65考える名無しさん:2012/07/03(火) 22:34:12.24 0
>>62
という事は、タコは反射的にえさの入った瓶を開けるということなんだね?
タコなめんじゃねえよ
66考える名無しさん:2012/07/03(火) 23:19:27.11 0
>>65
1時間ほど歩いてきてみ。
一歩一歩全部意識して足動かしたなら認めてやらんこともない。
67考える名無しさん:2012/07/04(水) 00:36:58.53 0
>>66
そういう意味で言うなら、タコを例に出さんでもほとんどの生物はそうだろ
タコがそれなりの思考を持っているのは観察と実験により明らかだけど?
68考える名無しさん:2012/07/04(水) 01:58:36.30 0
>>67
(反射で足を動かす動物に知能を認めちゃ)いかんのか?
69考える名無しさん:2012/07/04(水) 02:18:26.00 0
>樹状神経系を有する脊椎動物は反射と意識が明確に分かれているという点で、無脊椎動物とは一線を画する。
この文章から、タコは反射と意識が明確に分かれていないってとったけど、ちゃんと意識は認めるんだね?
でもそうするとなんでタコだけ特別にあげて、「殆ど反射みたいなもの」なんていったの?
意外に人間と同じような意識を持ってるかもよ?
そもそもタコの知能については「意外に高いらしい」という事しか研究が進んでいないよ
それでもタコをそこまでいうあなたはタコを知り尽くしているんでしょうね
もしかしてあなた自身もタコですか?
70考える名無しさん:2012/07/04(水) 05:10:58.30 0
たとえば嫌儲板がずっと落ちている理由なんて、自分とは一切関係がない。
71考える名無しさん:2012/07/04(水) 11:23:40.70 0
>>69
片足で立ってみろ。
それから目を瞑って片足で立ってみろ。
これで判るだろ。
72考える名無しさん:2012/07/04(水) 12:09:26.72 O
アフリカツメガエルのオタマジャクシは脳が再生すると言うが、再生したら別のオタマジャクシになったということでしょうか?
73考える名無しさん:2012/07/04(水) 12:15:23.20 O
運動準備電位の存在を考えると、行動を含めた無意識のうちの一部が意識されてるに過ぎないのではないか?
自由意思にしたって持って生まれた性格や環境・文化によって想起される意思は規定されていて、自分はそれを選んだように思ってるにすぎないのでは?
74考える名無しさん:2012/07/04(水) 19:52:01.00 O
全く新しいことをしなければならない場合、無意識に頼っていてはだめぽ
75考える名無しさん:2012/07/04(水) 20:35:10.34 O
例えば新しいことをするにしてもここをこうしたらいいなどと考えが浮かんだり思いついたりすることは無意識が単に意識上に上っただけではないだろうか?
76考える名無しさん:2012/07/04(水) 21:32:51.26 O
意識的に何もしなかったら呆ける
アイデアも生まれないまま時間だけが過ぎる
77考える名無しさん:2012/07/04(水) 21:55:23.58 O
というか無意識は神頼みに等しいので、たとえそれが真実だとしても、考える意味は無い。
自発的現象・自発的行為の範囲内で考えないとたちまち宗教になる。

他者の行為についてならば、無意識に因るというのは正しい。
自己の自発的行為についてならば、無意識に因るというのは誤り(ただし、明らかに無意識的な行為だと自覚しているのに、自発だと言い張るのは精神病・わがまま)
78考える名無しさん:2012/07/04(水) 22:36:04.79 O
そうではなくて、我々が意識的に行動していると思っている事象が実は内発的な無意識下の動機から来ていて、それが意識上に露わになった時点で「意識的に」行動していると感じるという事ではないか?
自由意思というのは元々備わった気質や趣味・嗜好に従うことであって、各人のそれは意識上より無意識の領域にこそ本質的に備わっているのではないだろうか。
79考える名無しさん:2012/07/04(水) 22:52:42.85 O
自由意志による行為か、構造に動かされる行為か
チョー暇なときにするのは前者、忙しいときや何気ないときは後者
80考える名無しさん:2012/07/04(水) 23:21:32.56 0
無意識に意識してた!
81考える名無しさん:2012/07/05(木) 11:53:55.73 0
>>78
そもそも意識的に行動するって脳科学的にどういう事なのか定義しないと要領を得ないな。
常にヴィパッサナー瞑想して島で偏桃体から流れてきた信号を監視してれば意識的か?
82考える名無しさん:2012/07/05(木) 18:58:21.18 O
脳科学的に教えてもスポーツは上手くなりません
スポーツを観てる人には役に立つ
83考える名無しさん:2012/07/07(土) 04:18:20.52 0
自由意志の問題は、人がある行動をとる時に、
心が先か、脳の化学的変化が先かをどう考えるかという問題です。
1 脳の変化の方が先で、心は後から付いてくる(自然科学)
2 脳の変化と心は同時(二元論哲学)
3 心が先で、脳の変化は後から付いてくる(宗教、オカルト)
1、2、3は見え方の違いであり、私はどれも正しいと考えます。
84考える名無しさん:2012/07/07(土) 11:55:13.77 0
則天去私
85考える名無しさん:2012/07/07(土) 12:44:05.63 O
意志が先…主観
脳の働きが先…主観の中の他者
脳と意志は同時…客観
86考える名無しさん:2012/07/07(土) 16:11:37.28 O
アフリカツメガエルのオタマジャクシは脳が再生しますがでは脳が再生したオタマジャクシは同じオタマジャクシですか?
87考える名無しさん:2012/07/07(土) 17:08:39.08 0
人間は自分という仮面をつけて生きている。つまり自分とは自分とは社会的役割にすぎない。
88考える名無しさん:2012/07/07(土) 17:37:13.49 0
残酷な話をするよ

アメリカで行われていたガス室による死刑
あの場合、死刑直前にまず着てた私服を死刑用の服に着替えさせられる
その時点で何割か自分というものが失われてしまう気がする
服というものに対して自己投影し、それを着ているからなのだろうか
買い物へ行って「これは良い」と思ったものを買うとき、そこに自分というものが何割か存在すると思うんだよね
そういった事情で着ている服もまた自分ではなかろうか?
話を続けよう
服を着替えさせられてその時、靴も脱がされる
これは結構自分を失った度が高いんじゃ?
周りの人は靴履いてる中で自分だけが靴を履いていない
それは自分と言えるのだろうか?
ここに自分というものを構成している要素の中に、「他人と同じ」という項目があるんだと思われる
それを失った時、自分というものを再構成しなければならないだろう
例えば裸の自分こそ自分であるというように
そしてガス室に入ると寝椅子に括りつけられる
そして胸に聴診器を貼り付けられる
この貼り付けられた聴診器は果たして自分と言えるのだろうか?
細胞レベルで言うなら貼られたテープによってその箇所の細胞が呼吸できなくなるのだろうけど
そうなった自分の身体とは果たして自分だろうか?
ガスが送り込まれれば苦しみもがき、恐らく心臓の鼓動は異常をきたし
それは別の部屋で消えゆくさまをじっと聞かれているのだ
そんな心臓は自分だろうか?
もうその段になって物質的な自分を定義するのは不可能に近い
意識を失えばもはや自分についても考えないだろう

えっと、冤罪での死刑執行の場合を想定して書きました
決して被害者を惨殺した殺人犯を擁護するものではありません
89考える名無しさん:2012/07/08(日) 00:48:13.00 0
人間は皮膚呼吸しないよ。
90考える名無しさん:2012/07/08(日) 03:36:19.33 0
乱暴な人だね
91名無しさん:2013/01/07(月) 20:23:35.88 0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf
92工学者には理解できない領域
自分の腎臓を取り出して他人の腎臓を移植すれば、それは自分の腎臓だ。

自分の腕に他人の腕を移植すれば、それは自分の腕だ。

自分の腕に義手をつけても、それは自分の腕だ。

そして自分の家に増築した部屋は自分の部屋だ。

自分の延長に限りなどない。