◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない189◆
重大なのはそこではなく、
凡そ世界に起こる状況は矛盾しない、ってことです。
「三振した結果ホームランを打った」という「言明」も「状況」も
いずれも論理的にあり得ない、ってことです。
>>949 「言葉の使い方」について、たしかに文法はある、慣用的言い回しもある。
それはロボットでも習得できるかもしれない
しかし、それだけでは『思考することはできない』
「思考する」ためには、言葉以前に世界のありようについて
概ねヒトはそれを知っている必要がある
言葉なんてものは、直線状に並べた積み木に過ぎない
そう、「言葉ありき」ではない
言葉はロゴスではない。
データ化するための外部機器、いわば算盤である。
それも言葉である。
算盤か
いよいよ規則的なものを想定し出したぞコイツ
>>956 んー・・それは別に構わない
>>957 論理に規則などない
それ(規則とやら)が超越していることはゲーム氏も認めている
ん?
規則を論理と呼ぶのだと思っていたのだが違うのか?
>>957 あと、コイツとかあまり言わない方がいいよ
もうやめるか、くだらねえ
>>959 おいおまえ、責任もって残りのレス面白いこと書けよ
962 :
考える名無しさん:2012/04/26(木) 23:49:05.66 0
終了
論理に強度はなくても、強度の論理はある。痛みは強度を持つ。その程度を言語で表すことはできないので、
論理とはある基準を持たないものだということが帰結される。すると、程度を表すには論理に強度を持たせる
ことが必要となる。
ゲームさんの主張でおかしいと思ってしまうところは、ゲームが多人数でのコミュニケーションと同一視されている
と思われるところだ。ゲームとは、本質的にひとり遊びである。自然を相手に遊ぶ。他人は理解不能であるから、
偶然を相手にひとり遊びをする。
言語とは、ゲームではない。それは祈りであり、本能だ。コミュニケーションとはゲームではない。
それは殺し合いであり、愛し合いだ。ゲームはしたい人間だけがすればよい。本来的な言語を
ゲームと呼ぶべきではない。それは、獲得の過程においてはゲームであるが、その使用においては、
ゲームに一元化されない。規則の共有化をゲームと呼ぶ必要はない。それは単なる規則の束である。
だから、ゲームと呼ぶことの陥穽が論難を呼ぶのである。ゲームとは、規則に従うことではなく、
遊びたいという心だ。
966 :
ゲーム:2012/04/27(金) 09:25:43.51 0
細かく疑問を呈する。
>>948 その発話、筆記も規則のもとでの“恣意”である。
私的な、もしくは親族や共同体の規則に法って表出し、表現する。
>>951 野球というゲームは様々な“遊び”が集約される格好で成立したのだろう。
では、それ以前の様々な“遊び”にルールはなかったのか。むろん「あった」。
ルールのない遊びはなく、それに従わないものは相手にされない。
仲間はずれにされ、だれからも遊んでくれなくなると、アブサロム氏
>>964のいう
「ひとり遊び」に耽るしかない。では、それは無理、無法、無秩序か。
そこにもルール(私的な規則)を設けざるをえない。
ルールなしには、一人で“遊ぶ”こともできないのである。(彼と結論は逆)
967 :
ゲーム:2012/04/27(金) 09:53:01.14 0
>>952 はわかりにくい。説明を請う。
>>954 それは、どうかな?
私たちにも言葉を有しない“とき”があった。乳幼児期だ。
そこにも“世界”はあった。
が、それは欲求に沿って裁断されていて、欲求がなくても“意味”として
開かれるためには“言葉の使い方”を覚えなければならなかった。
遊ぶためには、偶然が必要である。探検は、未知に出会う喜びであるし、赤ん坊はなんにも知らない故に
何にでも驚き、老人は楽しみが少なく達観している。コンピューターは、自然的な意味での乱数の生成が
できない(授業で習った)。多分人間にも乱数は作れないが、他者の考えはわからない部分が多く、
他者の未知の部分が偶然となる。自我という形で心を枠づけた時、その限定性が他者という偶然を
認識可能にする。自我のない人間にとっては他者は存在しない。
969 :
ゲーム:2012/04/27(金) 10:12:35.95 0
>>958 ここは少々、おかしい。
抄録さんも、論理的/非論理的の差異は認めているのでしょう?
その判定の基準を「規則」と称しているのである。
たとえば矛盾のある言明を論理的とは呼ばないのでは?
この“矛盾”の規約などがそれである。
非秩序と秩序の狭間に世界がある。
論理も同じである。ただ極限ではないその狭間なのに極限のそれと
無意識に誘導されているだけにすぎない。
論理を完全値として証明するのならば世界は有限値でなければ成立しえない。
数学もわからないのか?
>967 :ゲーム:2012/04/27(金) 09:53:01.14 0
> 私たちにも言葉を有しない“とき”があった。乳幼児期だ。
> そこにも“世界”はあった。
> が、それは欲求に沿って裁断されていて、欲求がなくても“意味”として
> 開かれるためには“言葉の使い方”を覚えなければならなかった。
乳児期の前には世界と原始的な意味を成立させる時期もあった。
すなわち意味が成立しない時期も存在した。意味が成立する前提段階を
経てなければ。。
972 :
考える名無しさん:2012/04/27(金) 18:53:18.22 0
>論理を完全値として証明するのならば世界は有限値でなければ成立しえない
文学的表現というやつですか?普通の言葉で説明してくれませんか?
>>972 それは論じゃないから触ったらダメ。空気よもうな。
>>972 ヒント:形而上の類を形而下の意で説明しても意味は成立しえない。
魔物を物理的に説明するようなもの。
975 :
考える名無しさん:2012/04/27(金) 19:28:21.39 0
どんな顔して書いてんだか…
>>967 「言葉の使い方」を“覚える”ことが可能であるためには
「正しい言葉の使い方」がヒトに成立しなければいかんのですよ。
つまり、矛盾する言葉の使い方は、「使い方」にはならんのです。
>>969 ゲームさん、「矛盾がない」ことが“規約”とすることができるなら
「矛盾がない」ことが「正しさの根拠」だと認めるとの同じなんですよ。
貴方は「正しさには根拠がない」と言っていた人でしょう。
もうずっとアク禁でね
無理して2、3行ずつ端折りながら書いてるのだが
それも書けたり書けなかったりで
当分書きませんw
あらら、それはとても残念。
どうしてアク禁に?
私、仕組み知らないのですが。
980 :
麦茶:2012/04/27(金) 22:00:57.48 0
コテハン出来たかな
981 :
麦茶:2012/04/27(金) 22:02:02.43 0
>>979 わたしはプロバイダがdionなのだが
dion使ってる奴が一人でも悪いことすると
全dion軍がアク禁になるのよ
あと頼むぞ麦茶w
983 :
麦茶:2012/04/27(金) 22:20:30.51 0
あー、規制というやつですか?
解除まで閲覧のみですか。まあ、しばし、お休みください。
論理、概念、ロゴス・・・
そうした事への捉え方は、私、多分抄録さんとは対極的だと思いますが、あなたの異論への姿勢が素晴らしいなあという記憶があります。
といっても一度読んだ日があるだけですが。
普段スマホなのですが、近いうちにまともなキーボードで書き込みもしてみようかと思います。宜しくお願いします。
3行規制って始めて聞いた
985 :
ゲーム:2012/04/27(金) 23:17:38.77 0
>>971 それも言葉を操れるようになってから「わかった」のである。
たぶんサルも乳幼児も「前期段階」など知らないはずである。w
>>977 露骨な例をあげる。
抄録氏と(私もそうだが)アメリカ人のジョン氏とは“正しい言葉の使い方”が全く異なる。
中国人の周氏とも同じことがいえる。正しいそれは共同体ごとに違う。
共通しているのは、どの共同体にも“正しい言葉の使い方”があるということ。
それは、間違った使い方も共同体ごとにある、ということを意味している。
「矛盾」する表現が間違った言葉使い方だとすれば、それは矛盾を否定するルールがあるから。
>>984 まともには全く書けない
あやしげなサイトを経由して書いている
どうしても長文のときはレス代行に頼んでいた
しかしもう面倒w
987 :
ゲーム:2012/04/27(金) 23:37:24.96 0
>>977 依然として抄録氏は冴えないようだ。w
存在(抄録氏のいう自然)には真/偽も正/誤も、たぶん美/醜もない、
その理由が抄録氏と私とでは真逆。(それについては、いずれ)
にもかからずヒトは無法、無秩序を生きることができず、ルールを仮設する。
それによって真/偽、正/誤、美/醜(これについては異論がある)を判定する。
それらはルールがあって、初めて区分けできる。
ただし、そのルールが“正しい”という根拠はない。これが私の主張。
>>985 日本人とアメリカ人とでは正しいことばの使い方は確かに異なる。
しかし日本人は英語を使えるようになるでしょう。
日本語も英語も「使い方の“正しさ”」を論理が支えているからです。
>>987 ヒトがルールを仮設できるのは無条件ではない
(共同主観など、言ったもん勝ちの論点先取)
「区分けできる」ことが可能となって初めてルールが成立するのである
990 :
ゲーム:2012/04/28(土) 00:06:13.20 0
>>988 どの言語にも規則があるから近似的に使うことができる。
支離滅裂なものは真似ようがない。
その“論理”について、もう少し説明してしていただきたい。
そもそも抄録氏の言う“正しい”とは、どういう使い方?
991 :
ゲーム:2012/04/28(土) 00:12:18.15 0
>>989 では、その「条件」とは何?
その「区分けを可能にする」のは何? 論理?
では「論理」とは何? 結局、ここへ帰ってくるわけです。w
>>990 それはゲームさんが既に述べている。「矛盾が無い」と等価。
しかし「矛盾が無い」ことを掴む、つまり「論理的整合性」と掴むことは
容易ではない。概念を決める「規約」が無いのです
次スレ立てる頃じゃないか
>>991 それでも概念はその都度「成立」する。青い赤は無い。
一切の思考は、当然とも思えるがしかし不思議なこの事態(=論理)の中でのみ成立する
>>992 論理的整合性はもとを辿れば体験の中の原因と結果のつながりから来ているのです。
997 :
ゲーム:2012/04/28(土) 00:33:46.98 0
>>992 或る言明が「矛盾している」といえるのは“矛盾”という言葉の意味について
規約(規定)があるからである。
その規約を受容しないものにとっては“矛盾”でない。
無矛盾/矛盾=論理的/非論理的ということらしい。
その区分けは規則に基づくというのが私の主張。
それに対して抄録氏は論理的/非論理的を区分けるのもまた“論理”だという。
では、後者の“論理”が整合的(論理的)であるか否かを判定するのは何?
それも論理?
998 :
ゲーム:2012/04/28(土) 00:38:42.20 0
>>994 感覚器官の機能の問題。
しかし、彼は良い人であり、かつ悪い人である。この種の矛盾は少なくない。
>>998 それは「(誰かにとって)良いところ(orとき、感じ)もあり、悪いところもある」の謂いであることが
論理的に理解され得るから言明として成立するのです。
ぜんぜん書着込めない。もうやめw
1000 :
ゲーム:2012/04/28(土) 00:47:55.21 0
少し、曖昧なので…
一つの行為の良し/悪しも規則なしには決めようがない。
「人を殺すのは悪なのか(ちょっと違うか)」という有名スレがありますね。w
1001 :
1001:
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