◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない189◆

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947抄録
>>945
ゲームさん、「野球の世界」を「言明の世界」の比喩として設定する場合
その「球の打ち方」は「言葉の使い方」に相当するんですよ。
野球のプレイも、言明の行いも、言われるその「振る舞い」なんです。
状況はいつも違うんです。
言葉とか概念は無制限(≠無限)に作り出せる。作らねばヒトに進歩はない。
野球も一本脚打法とか出てきてもOKなわけです。

しかし思考によって概念を紡いでいく時に、これは論理の中でしか機能しない。
矛盾する言明であってはならないんです。
「言葉(を含む一切の)矛盾のない振る舞い」を保証する何ものかを、私は「論理」と呼ぼうとしている。
しかし貴方はそれを「規則」と呼ばねばならないはず。やはり「規則」ですか?