◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない189◆

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852抄録
>>847
論理は当然に超越している。
なぜなら、貴方のいう「言明の筋道」は、結局は言明できないからです。

論理学は、「正しい言明がいかようにありえるのか」について、
具体的な言明のパターンを整理することしかできない。
アリストテレスがやったことは『整理』であり、言明の筋道の解明ではない。
整理することで、正しい言明のありようを気付かせて見せたのでしょう。

北朝鮮の主張にもルールはない
それがどんなルールが言えますか?言えるなら言ってみて下さい。(片鱗を感じればルール?)
将棋をしているのかオセロをしているのか、奴らは自分でも分かっちゃいない。
場当たりに歩を飛車だと言い張り、別の時には歩で挟むと駒をひっくり返せるはずだ
とか言い、とにかく負けなきゃなんでもいい。自分の勝ちだと言えばいい。
そんなものがルールと言えますか。

ところがヒトはその言明の不条理を理解することができる。
それは論理によるのですよ。そしてその論理の中身については言えない。
それはもはやルールではないから。それを超越というならそうかもしれない。
「存在を要素に分けて、ある要素をAだと言える」ことは自明ではない。
それはヒトが決めれる話ではない。つまりルール(規則)じゃあない。
だが有効に成立し理解できる。ヒトが世界を理解できる根拠など論理的には無い。
853抄録:2012/04/23(月) 15:24:55.90 0
>>849
「無根拠性を衝ける」のは何故なんですかね。
貴方が「根拠が無い」という事態に気付いたのはどうしてですか。
それは論理に依って、でしょう。(言語によってではない)
「根拠が“言えない”」のだということを、論理によって理解しているわけです。
違うなら説明してください、論理的に。

「根拠が無い」ことと「論理的であること」
いづれを優先しますか。どちらが重大でしょう。
そしてそれは何故ですか。

「金が六つの場所に動ける」というルールに根拠はない。
一方、「金が六つの場所に動ける」というルールが理解され、成立可能であるのは自明ではない。
つまりこれにも根拠はない。
しかし「理解されることには根拠が無いから、ルールなんか無効」とはならない。
「根拠がない」という武器の及ぶ範囲は無制限ではない。

正しさは、数学であろうと常に結果論。
成立に何を見るか。美を見るのだろうか。。。