1 :
考える名無しさん:
消えてたみたいなので立てました
やべ、またちんぽ立ってきた
>>1 > 消えてたみたいなので立てました
昨夜からの2ちゃん鯖落ちでリブートからスレッド再建されるまで待ってろよ。
ほれ見ろ、元からあったスレと完全に同名スレとして重複しちまったじゃないか。
とっととこのスレの削除依頼出して来い!
多分立てるだけたてて削除依頼もしない非常識野郎だろ
【ここまでのあらすじ(3行)】
伊勢田圧勝かに思われたが
土壇場で思わぬ援軍が現れ
津田まさかの逆転勝利?
7 :
考える名無しさん:2012/03/28(水) 20:55:10.31 0
>>6 それがそうでもなかったんですね
めでたく次スレに昇格ですw
8 :
考える名無しさん:2012/03/28(水) 21:05:22.52 0
10 :
考える名無しさん:2012/03/28(水) 21:19:38.60 0
いい。
要は伊勢田の人格が「ひどすぎ」たってこと
前スレの総括:有名人をねたむコミュ障はいくら諭されても
中身のない罵倒を繰り返すことしかできませんでしたとさ
鏡厨乙
伊勢田が哲学代表として理系をボコボコにする雄姿が論コミやツイッターでも話題になってるみたいだな
伊勢田先生またいらんギャグに乗っかって…
なんで収まりかけたものをわざわざ自爆しに行ったのか
伊勢田先生と土屋先生は
>>14 > 伊勢田が哲学代表として理系をボコボコにする雄姿が論コミやツイッターでも話題になってるみたいだな
つまりAkiの指摘が伊勢田の自然科学理解は致命的に低いレベルというのを理解できない文系知的障害者が世の中には多くて
彼らは自分が知障だということを自覚できず恥を撒き散らしているという日本の知的レベルの恐るべき低さが暴露されたということだね。
土○アスペか?なんであんな挑発ばっかしてるの?
全て台無し!
一流の壊し屋だからだよww
昨日今日出てきた物理学者が敵う相手ではない
>>16 土屋があんな収まり方を許す訳ないだろ
たった一発、ピンポイントで爆撃してる
とぼけてるけどあれは意図的だよ
>>21 どういう人なの?
デネットの翻訳でしか知らないけど。
というか壊し屋にしても、壊すものが違う気がするんだが。
なあなあですますんじゃねえよ!的な壊し方ならわかるんだが。
鳥と糞のアナロジーで言えば、科学哲学者は糞を転がして糧としているフンコロガシと
捉えることができるでしょう。これは、フンコロガシというものが生態系に対して果たす
役割を肯定的に捉え直した上での比喩です。
24 :
考える名無しさん:2012/04/13(金) 17:19:29.61 O
伊勢田や土屋はどこでやってるの?URLプリーズ
>>24 tani6S や tiseda をぐぐって、ツイッターの4月11日ぐらいから読んだらわかるかと。
26 :
考える名無しさん:2012/04/14(土) 02:37:59.28 O
27 :
考える名無しさん:2012/05/03(木) 19:26:40.64 0
うんこ
28 :
考える名無しさん:2012/05/06(日) 19:30:37.35 0
こせだてつじ
さすがにあの投稿は意味不明だと思うんだけど。
どの投稿よ?_
科学哲学か基礎論に論文を投稿してみようと思うのですが、査読期間はどのくらいかかりますか?
33 :
考える名無しさん:2012/05/20(日) 12:44:40.10 0
運による
短いと三か月、長いと半年以上
短くて3ヶ月・・・!?
科学哲学とかやってると不幸せになるからやめときなさい
波平警報
一年間履きっぱなしの六尺の雄臭ささがたまんねぇぇぇ!!!!!!!
beチェック
1 名前:実況厳禁@名無しの格闘家 2012/03/24(土) 14:01:21.20 ID:PANBRrL50
くっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
38 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 21:43:41.96 0
>>32-33 科学基礎論研究の場合、
それぞれの論文のあとに投稿日、再投稿日、掲載決定日があるから
それを見て参考にすればいい
もっとも、査読コメントを受けてから著者が再投稿するまでに
時間がかかっている可能性もあるが、
投稿日と再投稿日も間が三ヶ月未満のものなんてないんじゃないかな
なんで科学哲学のスレって学会の話が多いのかね
40 :
記憶喪失した男:2012/06/16(土) 09:07:26.49 0
「科学哲学講義」
駄本である。
とにかく、第一章の帰納的推論より演繹的推論が優れているという主張に
おれは賛同できない。アプリオリな真理などは、演繹的推論が行われるために正しいのではなく、
人が定義したことそのものだから正しいにすぎない。
だから、この本のいっていることはまちがっている。
現代科学哲学の最先端の状況がわかったのはありがたいが、その水準は失望するものだった。
読む必要はない。
その感想文からは、駄本というほどでもないんだな、という印象を受ける。
42 :
記憶喪失した男:2012/06/16(土) 09:38:07.69 0
そもそも、1+1=2というのも普遍的な前提ではない。
男と女を合わせれば、男と女と赤ん坊の三つになることがあるのは誰でも知っている。
しかし、その現象を無視し、自然が1+1=3になることはなく、
1+1=2だと考えることは、先入観であり、文化に洗脳されているのである。
数学もまた普遍的な前提とはなりえない。
だから、とにかく、演繹的推論は必ず正しいという科学哲学はまちがっている。
43 :
考える名無しさん:2012/06/16(土) 18:27:17.91 0
根本的に理解できてないだろ
経験的な自然科学の代表としてよく理論物理学が挙げられるけど、
物理学は実は帰納よりも演繹的な推論をかなり重視するという意味で
サイエンスとしてかなり非典型的だと思う。
特殊相対論は数少ない実験的事実以外はいくつかの思考実験から推論されるものだし、
力学とかも後で物理法則の並進対称性のような直観的に一見自明な前提からの
推論に書きなおされたりする。
熱力学もそうで、田崎晴明の熱力学の教科書とかを見てみれば分かるが
一般的な帰納的推論であれば多くの観察によって、そのいくつかが誤っていても
全体としてはビクともしない体系を築くべきであるのに対して、
物理学としての熱力学は比較的数少ない当然に思われる前提(永久機関の非存在)からの
演繹によって全てが導かれている。必ずしも実際の理論の歴史的発展が
そのように進んだ訳ではないけれどもそういうものを指向しているのは事実だと思う。
永久機関の非存在ってそんな自明か?
何言ってるのかよくわからないけど、
物理学の非典型性というのは昔から言われてることで、
だから今は「生物学の哲学」とか「化学の哲学」とかに分業してる。
保守
49 :
考える名無しさん:2012/08/10(金) 21:24:49.60 0
おまいら津田×伊勢田論争のことはもうどうでもいいのか?
伊勢田さんは日経サイエンスに載ってる
ヒッグス粒子のピークのデータの写真とか見てみたら
統計処理をするかいわゆる心の目で見るかしないと
到底ピークがあるようには見えないから
物理学だと統計は要らない、なんてことは絶対に言えないことが
感覚的に納得できると思う。
日本語でおk
ヒッグス粒子の件では
物理学における統計の必要性がよく示された
と伊勢田が日経サイエンスに書いてた
…と言いたいんだよなたぶん
日経サイエンスに載っていたヒッグス粒子のデータを見れば
伊勢田さんも物理に統計が必要だと認めざるを得ない
という意味じゃなかな
そもそも伊勢田さんは
物理に統計が必要ないとは言ってないと思うけどね
ああ
>>50は伊勢田が「物理学だと統計は要らない」
と言ってると理解してるわけかwwすげーなおい
津田もそういう理解じゃね?
56 :
考える名無しさん:2012/08/29(水) 08:42:33.68 0
水俣病、食中毒で調査を 岡山大教授、出水保健所に届け出
水俣病を食中毒事件として行政に調査させるため、岡山大大学院の津田敏秀教授(環境疫学)は30日、鹿児島県出水市の女性(58)を診察し、確認した被害を出水保健所に届け出た。
食品衛生法は、食中毒を確認した医師の保健所への届け出と保健所の調査を義務付けている。水俣病ではこれまで、行政が同法を適用したことはない。
57 :
考える名無しさん:2012/08/29(水) 08:47:18.09 0
この女性は両親や弟が認定患者。津田教授は水俣市内で女性を診察し、汚染された魚介類の多食の経歴や感覚障害、運動失調などの症状を確認した。
鹿児島県生活衛生課の吉田純一食品衛生専門監は「届け出は受け付けた。今後の対応は検討中」としている。 津田教授は熊本県内でも同様の届け出をしているが、鹿児島県に届けるのは初めて。
58 :
考える名無しさん:2012/08/29(水) 08:49:53.42 0
59 :
考える名無しさん:2012/09/13(木) 08:44:47.32 0
みなさま、伊勢田です。
川端さんにうながされて久しぶりにやってまいりました。
私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。
投稿 iseda | 2012.08.26 10:09
伊勢田先生
お久しぶりです。
私が伊勢田先生が、科学を観察の側から見たことがないのではと進言させていただいているのは上記のコメントを見ても変わりません。
まあ、統計学で検定にしか言及できないのであれば、こんな統計学の話をしても分かっていただくのはずいぶん先の話かもしれません。
それにしても、算術平均のことぐらいを想定していただけるだけでも、理解していただけるのではないかと思っていたのですが…。
投稿 zussammen | 2012.09.09 14:43
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/09/post_f2a8.html
量子力学でも統計を使います!っつってPDFのリンク貼ってるから
何かと思って見たら単に確率論使ってるだけだったときは
「もうこの話題に関しちゃこの人あかん、あっちに逝ってしまわれた」
と思ったわ
61 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 06:48:04.56 0
62 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 08:33:40.32 0
【伊勢田哲治】津田敏秀さんの『医学と仮説』を出版社から送っていただいたので読み始めたのだが、まだ半分も読んでいないのに科学哲学関係の記述がひどすぎる。
https://twitter.com/tiseda/status/115454417284775937 http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/09/post_f2a8.html 【伊勢田哲治】正直、津田さんの文章から市川さんは科学哲学について何もご存じないのではないかと思っていたのですが、実物を読んで意見をあらためました。 2011.10.08 13:59
【津田敏秀】>わたしが読んでいて、哲学関係の記述がああした書き方を緊急にしたくなるような内容だった、とご理解ください。
緊急にして何か効果を狙ったのですか?命が危ないとか?緊急にする意味はないと思いますが。もしかして買うなとか? 私が今回こだわっている点は、伊勢田先生やり方が、
科学を考えている多くの研究者が科学の営みや科学哲学に言及することから手を引かせるやり方に見えるんです。付き合える人は少数派でしょう。市川先生のメイルを見ると、伊勢田先生だけではないみたいですね。
>だから科学哲学に関する記述も正確で分かりやすいものであってほしいとおもいます。
急ぐ必要はなく、ましてやtwitterの必要はないと思います。買わせないという作用しか生まないと思いますが。 2011.10.08 23:30
63 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 08:37:54.41 0
【津田敏秀】厳重にお願いというか要望というか警告です。そもそもこのブログで問題になったのは、私の今回の本に関して「科学哲学関係の記述がひどすぎる」という伊勢田先生の記述です。
それに対して、伊勢田先生は「すみません」と謝罪されましたが、その意味は「『科学哲学関係の記述がひどすぎる』と書いたが、それは中身があることで、その中身を公表する前にtwitterに流したことを謝ります」という趣旨です。
ところが、そのリンクがされた中身の表題は、「科学哲学関係の記述に関して」ではなく、本への「つっこみ」にすり替えられておよそ科学哲学関係とは関係ない点まで書かれています
川端さんがどのように伊勢田先生に連絡されたのかはわかりませんが、連絡してからわずか一日ほどで(誰も急がせていません)、あれだけ書き連ねられ、その内容はこちらが知りたいこと以外のことも書かれ、
趣旨までゆがめられています。これをあわてずに「慎重に」していたとしたしたらよほどの性悪です。 2011.10.11 10:57
【伊勢田哲治】科学哲学という分野を知らない方が「科学」の定義を聞かれて広辞苑に向かうのはしかたありませんが、津田さんまでがそういうことをされるのを見て、正直がっかりした、というのが、
あそこの記述の背景です。 2011.10.14 02:25
64 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 08:45:20.19 0
【津田敏秀】「科学全体の話をしているのか、医学全体の話をしているのか、それとも疫学が直接かかわる病気の原因を発見するという領域の話をしているのかで全然結論が違ってくるので、
意識的に場合分けをしながら書いてほしい。」というあたりは、伊勢田先生も疫学を誤解されていますね。 2011.10.17 21:57
【伊勢田哲治】実験の認識論的地位という話題には当然科学哲学的な側面があり、その私にわかる科学哲学的な側面だけみても、非常に変なことが書いてあった、というだけのことです。 2011.10.25 17:13
津田さんは真面目な科学者だからだろうか、
圧倒的に議論慣れしていない印象だな。
いろいろな面で感情的になってしまってる。
受け流すことも学んだ方がいいと思う。精神衛生上。
66 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 13:20:20.35 0
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1327213645/l50 【津田敏秀】伊勢田先生のつっこみの特徴は、相矛盾することが平気で書かれている点です。
それに、伊勢田先生のつっこみで困るのは、根拠として「立ち話」(今回はWeb上の相談をネタに)が混在してくる点です。つっこみには、説明・根拠・文献を要求されている所が多いですが、
何でしたら「立ち話があった」で済ませていいですか?他の人から指摘されたら「伊勢田流の指導を受けました」と答えます。
今回はそれだけでなく困ってしまうのは、伊勢田先生が、立ち話のレベルの方を正当化の基準にしてつっこんでおられる点です。
伊勢田先生は、物理学者との立ち話を手がかりに、科学を哲学されているかのようです。
観察されたばらつきが、「マイナーな」ばらつきか、それとも重要な発見や大間違いをもたらしかねないばらつきか、観察の段階つまりデータを集めた段階において、どうやって研究者は判断できるのでしょうか?
観察データには「マイナーだから気にしないで」って書いてありません(それとも、物理学や化学では書いてあるのですか?)。
ばらついているのは見れば分かるのですが、統計学を使わなくても良いばらつきか、統計学を使わねばならないばらつきかが、その時点で認識できたり判断できたりするでしょうか?
このままでは科学研究が進みませんので、御教示下さい。
そして、「マイナーな位置を占めるばらつき」でも、「マイナーでない」ばらつきでも、ばらついているのですが、そのばらつく複数の値から、どの値を理論値として一般法則に用いる値を決めれば良いのでしょうか?
複数の値をダーツの的にして当たった値を理論値として採用されるのでしょうか?(そんなことをしている研究者は聞いたことがありません)。このままでは科学研究が進みませんので、御教示下さい。 2011.11.26 15:07
67 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 13:22:35.78 0
【津田敏秀】もしTAKESANさんが途方もない思い違いか捉え違いをしているかどうかに関して、私がアドバイアスできるとしたら、それは、科学哲学が専門であるという肩書を持っている人が、
科学や科学哲学のことを何でも知っていると捉え違いをしておられるかも知れないという点は押さえておかれた方が良いのではないかということです。
当たり前のことですが、肩書きと知識量は比例しません。むしろ狭い範囲で論文を書いていたらジェネラルな知識の仕入れはしばしば遅れます。
さらに、目がくらんで逆に素直な考え方ができなくなっていることもあり得るという選択肢もTAKESANさんが捨てるべきではないと私はアドバイス致します。つまり、TAKESANさんの方が、伊勢田先生より、
科学や科学哲学をよくご存じの部分が結構あるのではということです。
もしかしたら、TAKESANさんの鋭いツッコミに伊勢田先生はアップアップであるかもしれません。私には慎重を要求するのに、こういう時は断言口調ですし、Tさんが悩んでおられるのも、
I先生が知っているふりをされるのが、お上手なだけかも知れませんね。2011.12.10 09:18
68 :
65:2012/09/16(日) 13:55:51.38 0
ちょっと訂正。
単にイタい人なのかも・・・
69 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:16:33.50 0
【津田敏秀】元々、物理学も化学も自然を観察しているのでそうですねっていえば済むのにそれが言えない方に、話を続けた所で、つじつまが合わなくなるだけのようです。
「岩波科学ライブラリー」を読もうという人で、データ(現象・観察)がばらつくこと(義務教育で学んでいるはず)をきちんとと理解しておられない人がまさかいらっしゃるとは思わなかったのですが、
基本を追求するということでこの図4と説明を残しておいて良かったです(岩波編集部の方に削られそうになりました。基本的すぎてくどいですからね)。
これを理解せずに、科学を知っているつもりで読まれると、図4に引っかかり、自分が知らせたいことに添付する絶好の口実が見つかったとばかりにtwitterに流すことになったと予想しております。
「ひどすぎる」のは、ご自分の読み方である可能性もありうると普通の人は立ち止まるのですが。
もうやけくそ、何でも書いてやれという感じのつっこみです。
なお、28頁から29頁にかけてはだいたい時代順に書いています。これも(意図的な?)ねじ曲げですね。
なお、28頁で書いた古代ギリシャのアリストテレス」とその後の31頁のアリストテレスが違う人と解釈する読者がいるでしょうか。
図4の読み違えからくる、というか、科学の重要な側面である現象の観察側から科学を見ることを、伊勢田先生が出来ないために生じた「つっこみ」の数々は、これで解決ですね。 2011.12.10 09:31
70 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:18:02.32 0
【津田敏秀】伊勢田先生が「T精度」と「I精度」という恐らく異なるものを表現しているのを分かって放置されているのか、それとも分からずに同じ「精度」という言葉だから同じものだと強弁しておられるのか、
どちらかは判断できません。前者だとするとずいぶんな意地悪ですし簡単に見抜かれた時に怒りさえ買う恐れがありますので、おそらく後者かと思います。
後者だとすると、TAKESANさんにアドバイスすることは、質問する相手が、科学や統計学のことをほとんど知らない可能性も念頭に置き、中学生や文系の高校生に話をするように整理して丁寧に話さないと、
話がすれ違いますよということです。これまで私が川端さんのブログで経験してきたとおりです。 2011.12.13 16:05
【伊勢田哲治】津田さんのことはけっこう尊敬していたのですが、相手の言っていることが理解できないときに、こうやって悪口を書かれるという態度には大変がっかりしました。
わたしが見ているのではなく、クワインのこの論文を引用することで事実上そのように見たことになってしまっているのは津田さんの方です。そのこともわからずに引用されていたのですか?
もし、反実在論と実在論の対比としてこの図を見ることを「読み違え」と言っているのであれば、ほんとうにがっくりです。
津田さんはわたしが科学のことも科学哲学のことも理解していないことにして話を終わりにしたいようです。そういう態度を取られる方と話をつづけても徒労感が増すばかりです。 2011.12.28 19:17
71 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:20:35.60 0
【津田敏秀】伊勢田先生からは、「辞書が正しいとは限らないが、一応は踏まえる必要がある」が、「広辞苑攻撃」と言われ(つっこみその2の2番目)、「攻撃」という言葉には「それほど深い意味はない」と言われ(10月14日)、
「必要不可欠ではない」と「必要でない」が「論理的にはあまり違いません」(10月18日)と言われ、日本語が通じていない感じがしています。
従いまして、伊勢田先生の意味は私に伝わっていないことはありえますし、私の言う意味が伊勢田先生に伝わっていないこともあり得ます。
これほど日本語で意味が通じない方とは初めての出会いです。 2011.12.31 00:45
【伊勢田哲治】そうですか、特に悪口を書くとか侮辱するとかいうつもりはなかったのですね。それでは、「データ(現象・観察)がばらつくこと(義務教育で学んでいるはず)
をきちんとと理解しておられない人がまさかいらっしゃるとは」というのは誰のことですか?
お答え次第では本当にこの会話は打ち切らせていただこうとは思いますが、それまでの間、ご質問にはお答えします。
わたしの統計学の知識が津田さんから見たら大したことがないのは当たり前ですが、その逆の関係になる場面も当然あるわけです。津田さんはLosseほかほんの数冊の本の情報だけで、
科学哲学を一応専門としている人間よりも科学哲学の歴史や用語をよく知っていると主張されるおつもりなのですか?
「ねじまげ」だとネガティブな反応をされる前に「あれ、わかりにくかったかなあ」という反省モードにならないのはなぜなのでしょうか。 2012.01.04 16:17
72 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:52:53.41 0
【津田敏秀】「物理学や化学で、これ以外にどんな形で統計学が使われているか」なんてなことを書かれると、ちょっとびっくりです。
そもそもばらつく観察データ(そのばらつきの中には重要な発見も隠れているかもしれない)を、統計学の助けなしに、どのように理論(一般法則)にもっていくのでしょうか?こちらが教えて欲しいぐらいです。
ここまで科学に明るくない方が「岩波科学ライブラリー」を読まれることは、私の想定外でした。まあ伊勢田先生も送りつけられただけなんでしょうが、今回知ることができたのは、最大の収穫かもしれません。
ただ、統計学をあまり知らない(とはいっても平均や分散、正規分布はご存じのはずなのでそれで十分なのですが)と自分で思い込んでおられる伊勢田先生が、「もし『統計学は科学の文法』という言い回しが根付いているとすると、
自分はもう科学を語る資格がなくなるのではないか?」と心配されて、背水の陣で何が何でも認めたくないというのでしたら、全く心配なさらないで下さい。
「実践的な科学者はヒュームの問題について考えているひまがあったらもっと生産的な作業をした方がいいとは思う」(つっこみその6の14番目)と、
素人は科学や哲学に関して黙っておれと言わんばかりの伊勢田先生ほど心は狭くありません。 2012.01.12 18:24
73 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 19:53:33.20 0
【津田敏秀】科学を観察の側から眺めることをあまりされない伊勢田先生には、帰納法を突き詰めたヒュームやラッセルの言っていることがピンと来られていないかと思います。 2012.03.13 09:30
【津田敏秀】ヒュームの専門家でもなく、観察の側から科学を眺めたこともない伊勢田先生がなぜ自信満々にこんなコメントをされるのか理解しがたいところがあります。
因果関係が論じられないこと、分からないことが、結果的に、ないものと同じように取り扱われる例は、実例を挙げて本書でも説明しているつもりです。舌足らずというより、むしろ読み足らずでしょう。 2012.03.20 11:21
【津田敏秀】統計学を知らないおつもりの伊勢田先生には、因果関係を確率で表すPearlの話は抵抗がおありになるかもしれませんね。 2012.04.10 15:15
74 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 20:11:46.89 0
【伊勢田哲治】津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので、それでしたらご自由に、ということになります。 2012.04.11 19:23
【津田敏秀】食い違いの原因の一つとして挙げておられる「文法」の件ですが、これは、はっきりしていると思います。伊勢田先生が観察の側から科学の営みを眺めたことがないからです。
これは言い換えると科学理論が観察結果から作られるということを実感しておられないからだと思います。どんな言い方をされようと、「本当のところ」はそういうことでして、
まだおわかりいただけなければ言葉を換えてご説明いたします。 2012.05.14 13:26
75 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 20:13:51.29 0
【津田敏秀】「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので」というのは伊勢田先生の勝手な憶測で誤りです。
長々と続いた伊勢田先生の「つっこみ」に対して私が暇を見つけてリアクションをしているだけです。
なぜ昨年9月に販売開始2日後に、まだご自分がその一部しか読んでいない本に関して「科学哲学関係の記述がひどすぎる」とtwitterに投稿された理由について、
いまだ「哲学関係の記述がああした書き方を緊急にしたくなるような内容だった」としか答えてもらっていない点に関しての質問です(昨年10月8日の投稿を参照してください)。
伊勢田先生は、なぜ「緊急」であるのかという私の質問に対して全く答えておられないのです。しかも私に対して「慎重」を要求する方が、このようなとても慎重でないことをされた後ですので、不思議でなりません。
この日の投稿に対して「なぜ津田は怒っているのか?」と解釈された方もおられたようです。実は、私は逆に苦笑いしておりました。別の理由を思いついていたからです。
それは、理由は本の内容ではなく、伊勢田先生ご自身がtwitterに投稿した日付が必要だったからではないかと思ったからです。だから一部しか読んでいないのに、慌てて「緊急に」投稿する必要があったのです。
76 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 20:14:30.46 0
つまり、発売後間もない本を、俺(伊勢田先生)は出版社から送ってもらって読むことができるご身分なんだぞということをフォローアーたちに配信して見せつける必要があったからではないかと思っています。
緊急にtwitterに投稿したのは、もちろん私のためでなく、あるいはあの本の読者のためでもなく、伊勢田先生がそういうご身分なんだということを、できるだけ多くの人に見せつけるために日付がほしかったんだという、
それしかtwitterに緊急に投稿する必要性が私にはいまだに見つからないのです。
通常は、そういう日付が必要な人がいたとしても、内容をほめるだけで無難に済ますんでしょうが、伊勢田先生が偉いということを強調するためには、一応、専門家として上からピシャリと言っておく必要があり、
そのためにまだ一部しか読んでいないのに、また「ピシャリ」の具体的内容も用意していないのに、さらにご自身が「慎重」を要求しているにもかかわらず、慌てて投稿されたのだと思います。
このあたりの考察は、とりあえず上から目線でピシャリと否定的なコメントをしておけば自分が偉くなったような気分、その場を制したような気分になっている方によく出会い、
人間観察を趣味としてきた仲間内でも意見交換してきた私の経験から来ております。 2012.05.16 11:40
77 :
考える名無しさん:2012/09/16(日) 20:57:33.92 0
【津田敏秀】伊勢田先生は、ヒュームの問題に関する私の記述に零点をつけるとおっしゃっていますが、そもそも経験主義の哲学者であるヒュームに関する記述を、
科学を観察(経験)の側から見ることが出来ない伊勢田先生が採点するというのもなかなか興味深い経験です。
このブログを京大の学生さんが見ていたら、是非、ご学友に知らせていただきたいですね。伊勢田先生の言われることをかみ砕くことは学問に対する良いトレーニングになるからです。 2012.07.20 10:56
【津田敏秀】ご理解いただけましたでしょうか?
それとも、データを扱って一般法則を導き出した経験のない方にはかえって混乱をもたらすでしょうか?
本にも出典を記して、他にもいろいろな言い方で説明しています。その一方で、伊勢田先生は、自分ならこう書くとは決して言われない。これも少々意地悪ですね。 2012.08.04 10:40
貼付けは意味あんの?
元サイト見ればいいだけじゃね?
象牙の塔にいると他人を見下す癖が自然と身につくんだろうね
他人の精神の荒廃っぷりは見てて気が滅入るもんだが
名前知ってる人だとまた格別だな
82 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 06:11:49.38 0
じゃなくて伊勢田憎しのあまり
妙な妄想が入ってきてるように見えるが大丈夫か
ってことだろ?
83 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 06:13:08.43 0
84 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 07:23:26.78 0
伊勢田にもところどころ妄想が見られるな
↓これとか
>津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので
それは妄想じゃなくて皮肉だろ。
趣味のいい皮肉とは思えんが。
>>76の逸脱が分からない?
科学哲学の中身の話をしようぜ
ならお前からネタを出せよ
88 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 13:18:23.89 0
>>85 いや皮肉じゃなくて伊勢田は本当にそう勘違いして言ってるんだよ
89 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 13:28:14.88 0
90 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 13:40:18.57 0
>>80 そうそう
伊勢田のああいうところは内井惣七ゆずりだからね
>>88 >>89 いや、ごめん、アスペ理系がそろって皮肉を捉えそこなってるようにしか見えない
皮肉なのか?
普通に読めば伊勢田の反応はいらないと津田が言ってるように読めるんだが俺がおかしいの?
93 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 21:42:48.70 0
>>91 伊勢田自身がブログで「つっこみその1」〜「その6」を一人で延々と書き連ねたあとで、津田のことを「ひとりごとのように投稿を続けるというスタンス」だなんて言っても、皮肉になっていないのでは?
単純に「こっちの返答もないのに何ひとりで投稿つづけてエスカレートしてんのキモい」って意味で
字面通りに受け取るとかありえないだろ
95 :
考える名無しさん:2012/09/17(月) 22:51:11.04 0
「つっこみその6」まで全部に反論し終わるまではひとりでも投稿しつづけるに決ってるだろ
それは伊勢田の返しが悪いだけで
さっきの台詞を皮肉のつもりで言ってるのかどうかとは関係ないし、
津田も皮肉だと理解して返答してるようにみえる
妄想だとか言い出すのはおかしい
97 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 07:02:19.29 0
>「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので」というのは伊勢田先生の勝手な憶測で誤りです。
↑これのどこが皮肉だと理解して返答してるようにみえるの?
伊勢田の返しに事実誤認が含まれているのは明らか
98 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 07:22:37.17 0
>>94 身長2mの人が「あの人は背が高いですね」って言えば皮肉になるのか?
>>84は妄想かどうかで少なくとも解釈が分かれる(このスレが証拠)
>>76は誰がどう見ても妄想を走らせすぎ
この時点ですでに勝負はついてると思うのだが・・・
100 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 11:12:07.19 0
まさに波平の手法だな
最初は上から目線 ぼろがでて理論で渡り合えなくなったら人格攻撃、論点転換、揚げ足取り、自演による第3者投入
>>100 それが昨今の日本の哲学者社会学者の本質
102 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 12:49:36.66 0
日本の哲学者社会学者はtwitterに感謝ですね
104 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 19:40:04.28 0
>>94 「自分だってそうだろ」って言い返されるような内容のことはふつう皮肉としては言わないと思うのだが、どうかね
105 :
考える名無しさん:2012/09/18(火) 19:57:39.70 0
103
そそ。
あ、もしかして皮肉?ならそれ勘違いだよ。こっちの立場は2chで突っ込みしてるただのとりまきだから。
まあお笑いの突っ込み文化のなれのはてだと考えたらいい。
まじめに議論してる関係者の立場じゃないから。 仕事とかまじめな議論で突っ込み文化やっちゃいかんでしょ。
なんか得意になって書いててキモイしな。
きもくない
110 :
考える名無しさん:2012/09/21(金) 19:13:04.04 0
てかこのスレのレスみんなキモいよ。
なんで代理戦争みたいな下らんことやってんの?
晒し上げてやろう。
111 :
考える名無しさん:2012/10/07(日) 08:34:11.73 0
「科学哲学序説:石川」は本物みたいだけど、文系には読めない。
科学哲学者って難解なことばかり言ってるけど、科学的な思考の
具体例が、「すべてのカラスは黒い」とかいったしょうもないものばかり
なんだよね。
簡単な例との対比で科学そのものの思考パタンを分析するというのなら
いいんだけど、そこまで至っていない。
その「すべてのカラスが黒い」という命題も、立場によって正しいか否か
が違ってくるんだけどこういう言い方をすると、相対主義とか難しいことを
延々と語りだす。
いや、たとえばね、「画像認識でカラス(黒くて20cmぐらいの大きさの飛行体)
を認識して、カラスが来たら刺激を出す装置」なんてのを考えて、どの刺激が一番効果的か?なんて実験をしようという人がいる。
この人にとって「カラスは黒い」という学説は充分正しい。つまり、この人は
この人の学説が依って立つ学説に、「カラスは黒い」というのがあるけども
「白いカラス」が多少発見されたとしてもこの人の学説は覆らない。
カラスの突然変異の発生率を研究している人にとっては、「カラスは黒い」
という命題は若干危うい。ただ、「黒くないカラスは1/0000以下の確率
でしかいない」とかいう学説(ふつうは学説というのはこういう形をしてる)
だと、やはり覆らない。
さらに、科学哲学の連中は多体効果なんてのが入ってきだすともういけない。
多体効果のない世界なんてものはありえないわけだが…。
いや、この種の効果を考えたときに運動方程式だろうがシュレーディンガー
方程式だろうが、数値的な予測と定性的な予測ぐらいしかできなくなる。
この2つを組み合わせてなんとかいろいろな材料や生物の性質とかを
予測してるセカイが、今の科学理論の多数派なんだけども、
こいつらに関して言えば、仮に実験と相違していても、
どこが悪かったのかは、案外はっきりしない。
こういうケースに対して、今度は「未科学」なんて言い出すんだけども、
そういいだすと、古典力学も量子力学もみな未科学になってしまう。
世の中に科学といえるものはなくなっちまう。
あと、「太陽は東から登る」なんていう次元で科学を論じるのも辞めてほしい。
せめて、このくらいは書いてほしい。以下の記述も若干怪しいのだが、
もうすこしマシに科学の何たるかを述べてるよ。
ある日、たまたま東から太陽が昇ったとする。その翌日はどうだろうか?
小学校で理科を学んだことがある人ならば、翌日は太陽は東からは昇らない
に違いないとわかるだろうが、そんなことも君は知らなかったとする。
しかし君には知性があったので、たまたま東から太陽が昇った日の翌日は、
どのくらい東からずれた個所から太陽が昇っているのかをプロットして
みることにしたそのずれを、毎日プロットしていくき、何年も何年もその
プロットを続けてみた。すると、諸君らはある周期性があることに気づく
だろう。これは、科学の発見の一例であろう。
>>112-115 とりあえず科学哲学の入門書を一冊でいいから
隅から隅まで読んでみたら?
話はそれから
>>112-115 日本の科学哲学は、海外の科学哲学者が言ったネタの紹介だけ。
話のスジは決まっているから、そこから外れることを言っても
「科学哲学の入門書を読め」と言われるだけだよ。
>科学的な思考の具体例が、「すべてのカラスは黒い」とかいったしょうもないものばかり
>「太陽は東から登る」なんていう次元で科学を論じるのも辞めてほしい。
哲学のその話をするときに適切な例であれば良いのであって、
科学的なレベルがどうかというのはあまり関係ない
科学哲学は理学部とかその修士とかを持ってる人も多いから、
素粒子実験を題材にして論を述べてたこととかもあるけど、
別にそんな最先端研究を例に出して分かりにくくする必要無いだろ、
教科書レベルの話で充分じゃないか、と言って衒学的だと批判してた科学者も居るんだよ
>仮に実験と相違していても、どこが悪かったのかは、案外はっきりしない。
そんなこと科学哲学者でも分かってるし一時期科学哲学の主要なテーマにさえなっていた。
別にそれで多くの人が「未科学」などと言い出す訳でも無い
119 :
考える名無しさん:2012/12/31(月) 19:08:35.19 0
【伊勢田哲治】私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?
単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。2012.08.26 10:09
【津田敏秀】私が伊勢田先生が、科学を観察の側から見たことがないのではと進言させていただいているのは上記のコメントを見ても変わりません。
まあ、統計学で検定にしか言及できないのであれば、こんな統計学の話をしても分かっていただくのはずいぶん先の話かもしれません。
それにしても、算術平均のことぐらいを想定していただけるだけでも、理解していただけるのではないかと思っていたのですが…。2012.09.09 14:43
伊勢田先生には、一歩下がってさらに前進とか、ピンチをチャンスにとか、元をたどって考え直すとか、そういう考え方はないのでしょうか。2012.10.11 12:10
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/09/post_f2a8.html
120 :
考える名無しさん:2013/01/01(火) 08:59:22.92 0
津田と伊勢田がもーっと険悪な関係になりますように
黒木玄っていうネット内の存在が昔いたけどあいつどうしてんの
ツイッターでよく発言してるよ
今は(昔からずっとか?w)かけ算の順序の話してる
掛け算の順序の話というか、
算数の掛け算を教えるときに
3×4を4×3と答えると間違いにする小学校の先生が居て、
またそういう教え方を正しいとする教育学の人と可も居て問題になっているものだから
その件について順序には拘るべきでないという観点で発言してる
どちらの教授法が有効かなんて、思弁では決して答えが出ないから丁度いい飯のタネなんでしょうね
確かにくろきげんはいつ見ても掛け算とソーカル事件の話してる
いや、普通の大人は3×4も4×3も同じだと思うのが普通かと
元ネタがBLであるとか数学も馬鹿にされたものだ
128 :
考える名無しさん:2013/02/24(日) 09:21:42.47 0
なんかネタないの?
やっぱり科哲ってマイナーなんかね
> やっぱり科哲ってマイナーなんかね
科学哲学をやってる人間のほとんどが科学研究の経験がなくて(理系出身でもせいぜい学部止まり)
机上の空論というか連中という科学の素人の頭の中にしか存在しない
(科学の)空想研究について哲学っぽく言えばいいって思ってるだけだから中身が薄いというかほとんど皆無。
とくに日本の科学哲学屋はそういう中身のない言葉遊びで終わってる傾向が強い。
語るべきことが語り尽くされたからでしょ
131 :
考える名無しさん:2013/03/20(水) 11:47:10.83 0
> 語るべきことが語り尽くされたからでしょ
それはない
それでは
>>131が語り尽くされてないことを語ります
133 :
考える名無しさん:2013/03/20(水) 23:01:49.94 0
>>129 確かに、具体的な科学的成果に立脚した議論なら実益もあるだろうから、
専門分野のさらにその一部に特化した哲学があってもいいとは思う。
けどそれをやるべきなのはその分野の専門家だろう。
DNA医学の論文のメタ解釈とか、哲学者がそれを専門にやって飯が食えるとは
思えない。
134 :
考える名無しさん:2013/03/21(木) 02:15:16.31 0
そんな話するんなら、科哲があんなことを専門にやって飯を食えてるのが不思議でならないけどな
医学論文のメタ解釈は駄目という線引き、それはつまり科学哲学が素人受けの善し悪しでテーマを選んでいると自白しているようなものだぞ
まあ実際みえみえだけど(爆笑)
素人受けがどうのこうのいうより
メタアナリシスは疫学や医学統計学の領分だから
あくまで医学研究者の領域
まあ医学者ほど医学や統計学の知識が無い哲学者にできるとも思えないけどね
科学の知識がなければ科学哲学ができないというのはその通りだけど
科学者たちは科学哲学なんてしている余裕がないから
(そんなことしている暇があるなら自分の研究を少しでも進めたい)
科学哲学者の出番という
心の哲学で医学や科学の最新の論文を逐一取り入れて議論したら面白そうだ。
科学では到達できないレベルでの議論は砂上の楼閣感がハンパない。
138 :
考える名無しさん:2013/03/24(日) 03:46:38.90 0
哲学者が理解できるわけないだろう
最新の論文は正しいかどうかがかなり未確定で
そんなに信用できるものじゃないからあまり変わらんかも
茶飲み話に過ぎない哲学に信頼性なんて初めからいらないと思うけど
辞書見ると信頼と信用って意味違うんだな。日常レベルではいい加減に使っちゃうけど。
科学者による哲学は良いんだが、逆はゴミ。
そんなことないよ
科学者によらない科学哲学で、ゴミじゃないのってどんなのがあるんですか?
ググれ、秀才。
ポパーだけ?
チャルマーズ( デイヴィッドじゃないほう)の『改訂新版 科学論の展開』はよくまとまっていて分かりやすいよ
149 :
考える名無しさん:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN 0
「科学哲学」なんて研究分野があったなんて、知らなかった。自分は
理系の出身で卒業して何年も経ってから哲学の端っこをちょっとだけ
かじってみたド素人。「文系に進めばよかった」と、後悔していたが
最近、「パリティ」とか「日経サイエンス」等を読み始めたら、カント
の著作(純粋理性批判)が少しづつだけど分かりだした。
理系に進んだのは間違いではなかった。
150 :
考える名無しさん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN 0
科学者による哲学は意外にあまりよくない。
ていうか、やっぱり哲学ではないんだよなあ。
151 :
考える名無しさん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN 0
たとえば?
この風説書のどこが参考文献なんだ w
ラウダン(ローダン)って科学史上の理論選択基準を「問題解決力」に求めるけど、
その具体的な判定基準は言わないんだよね。
でもそれってやっぱりラカトシュの言う「前進的問題移動」と大差ないのではないかと。
しょうもないこと言いますよ。パート1
門外漢です。お申合わせのほうお願い致します。
「科学哲学講義」(森田邦久著)
「応用哲学を学ぶ人のために」(戸田山和久(編集)/出口康夫(編集))
の両二冊を主として以下、書きます。
科学の方法としての帰納的推論についての議論は、現場で意識されない訳がない重要な問題です。
しかし、上記書籍内に於いて、強引な一般化が行われ、問題に無用な混乱を引き起こします。
強引な一般化を詳しく言いたいと思います。
まず、科学の研究に於いて「帰納的推論とはこうです」と一言で言える様なシチュエーションは珍しいということです。
基本的な2値論理での帰納的推論の定義はあります。恐るべきことに、哲学の人は、それをそのまま「現場の科学研究の方法」として当てはめています。それは大きな誤りです。
「科学哲学」の正体が正直ハッキリしないのでなんとも言えませんが、もしも、「科学哲学」が科学の推進にプラスの方向への貢献を目論んでいるならば、現場を100パーセント無視しています。
そういうガサツな態度であることを認識すべきです。
研究の多くは実験で行われます。少なくとも、数学、物理、化学、生物(<---この分類も雑ですがお許しを。)に於いては実験がメインです。
しかも、実験の工程は場合によっては50も60も超えたりします。
更に言うと、これは単純なグラフ(A-->B-->C-->D-->E-->・・・)ではなく、視覚化出来ない程複雑な訳です。その中のたったひとつでも上手くいかなければ、うまくいっていない理由を探る作業を必ず行います。
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート2
およそこのようなものである科学研究に対し、「日はまた昇るのか?」、「観測したカラスで白いものはいないのか?」、これらを本気で言ってるとしたら正気の沙汰とは思えません。
現場の人たちが、帰納的推論が(そのまま当てはめられたとしても)100パーセント真実を示す訳がない事を知らない訳ないじゃないですか。何故に鬼の首でも取ったかのように言うんですか?
もしも。こういった事を、(科学の専門家ではない人に対し)ものを考えるきっかけ、としての、つまり教材としての意味合いであるならば、まだいいとは思います。
しかし、日本語で読める「科学哲学」の書籍を見る限り、これらを本気で心配していらっしゃる様に見えます。
哲学のカテゴリに科学の現場の人であろう書き込みがほぼ存在しないのは、端から荒唐無稽だからです。「は?」ってなもんですね。
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート3
科学哲学の人たち(哲学史上(?)の人たちの見解も含む)は、どうやら、上記のみならず、「因果関係は存在しない。」、「原子は存在しない。」、挙句の果てには「科学は正しくない。」とまで主張されている(人もいる)ようです。
それらで引き合いに出される例がまた稚拙の限りです。
「グルーのパラドックス」
「ビリヤードボールがどうたら・・」
なぜこんなに幼稚に思うかというと理由があります。
科学哲学を専攻されている方にお聞きします。
以下の質問はどう思われますか?
・10円玉をフリックして力が伝わるのを見て、不思議に思いましたか?
・電池の中身ってどうなってるんだろう?って思いましたか?
・微分方程式でゼロで割ってもいい場合がある事が気になりましたか?
・科学雑誌を購読されていましたか?
答はひょっとすると「いいえ」のような気がするのです。
そんな誘導は卑怯だ!はい。卑怯です。つまり、何が言いたいか?それは、興味の対象が異なるのです。そして、僕はそれを非難するつもりは一切ありません。
もう一つ加えると、ソーカルとブリクモンの例の本でやり玉に挙げられている個々のパーツを哲学の人が理解して批判しているかどうか怪しい気もするのです。
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート4
厳密に話を進めたくなる気持ちは分かります。そして、より高次な(と感じる)視点から対象を知りたい、暴きたい、そして、共通する(あればと仮定出来ればの話ですが)ものをまとめあげたい、その気持もわかります。
何故分るかというと、科学現場も似たような気持ちはあるからです。
しかし。
数学だけは少々別ですが、より大きな、より高次な、問題について、物理、化学、生物、の研究者は、知りたいけれどもすぐには解けない事を承知しているのです。
・こころとはなにか?
・人間とはなにか?
・なぜ、それは、そこに、そのように、存在するのか?
・なぜ、それは、そこに、そのように、振る舞うのか?
残念ながら、すぐに答の出る問いではありません。
それを、科学のアプローチ、科学の(具体的)手法を一切踏まずに、机上で(或いは討論で)解こうとする。無理でしょう。無理と思いますよ。多くの人が合理的と同意する方法ではないからでしょう。
再度申し上げます。科学の研究現場は想像を絶するほど複雑です。
その複雑さに対応して、手法や考え方をその都度調整します。
恐らく、哲学にはそれが足りない。いや・・・調整などなく、一気に解こうと机の周りは汗まみれ。
もしも地球が滅んでも数学は存在するのか?だって??その問いが、現代の数学になんかバックしてきます???
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート5
戸田山和久氏の「はじめに(総説と書いてあります)」がなんとも湿っぽいですね。
"応用哲学が特定の学説や体型を意味するのではなく、「試行のスタイル」、ないしはそのスタイルに共鳴する者同士の共同作業を指す。"
もしそうなのであれば、応用哲学、ではなく「哲学の応用作業」と言ったほうが混乱を招かないのではなかろうか。
そして、"「応用倫理」組も負けてはいません。"とか、"以上のようなスタイルを多かれ少なかれ共有する知的冒険。" とか・・・。
冒険なら自由にしてもかまいませんが、"課題に直面している当事者にとって、ありがた迷惑以外の何物でもないかもしれません。" ってそこまでわかってんだったら、もう静かにしてよ。
人命救助してる現場で「どのみちみんな死ぬのにどうして生きなければならないのか?」とか言ってたら、もう狂人ですよ。
少々ながら関心を持って読んでみた僕すらこんな感想なのに、一般の人に言ったら、きっとあなたのことを心配するでしょう。
戸田山和久氏の本は、
「論理学をつくる」(全部答が書いてあるという恐るべき本。先生が生徒をスポイルしてどうすんの)、
「科学哲学の冒険」(中高生が読む本。生徒の会話が寒すぎ)、
「知識の哲学」(面白い本。間違ってる主張も混ざってそうな雰囲気だし、冗長で厳密性を求めるのは無理)、これらは精読しました。
しかし、「応用哲学を学ぶ人のために」は全部を精読することは無理ですし、ちゃんと表紙にアンソロジー本だって書いたほうがいいよ。
「応用哲学」って体系が存在するかの様に誤解しそう。もっと言えば詰め込みすぎて紙数が足りていない感じに思えました。
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート6
一章の科学技術を問う、の中の、伊勢田哲治氏による「疑似科学問題」の中でも、境界設定!!線引き!!線引き!!ってうるさいけど、線は引けないって。
ここでも一気に分割しようって気持ちの現れが裏目に出ています。線を引くとしても「個別に」しか引けないって。なんでそうやってすぐ一気にやろうってすんの??欲張りすぎだよ。
随所に、応用哲学、なるものが、
"「ツール」や「問題」と、「現代の実践的課題」とを「突き合わせる」営み。"
"「課題としての現実」を見通しよく記述・分析・説明する試み。"
と、書いてあるんですが、「営み」「試み」って・・・便利な言葉ですね。もしも、それらが本当に成功しているのなら、実際の他分野で話題になっていますよ、きっと。聞かないもん。そんな話。
もっと恐ろしい事が書いてあります。
"現実の課題に直面する人々の視野を広げるためには、哲学者は、そのような人々(異分野交流の意味)と膝を突き合わせて語り合う必要があるでしょう。"
哲学者が広げる??????
もう、そういう高いところからものを言う慣習をやめて欲しいものです。「ニーチェはこう言います。」みたいな。
それに、そんな他の分野の研究者に哲学者からの上から目線の会合に付き合う時間なんてあるわけないでしょ?!!
これを読んでいる哲学プロパーの人は腸が煮えくり返っていることでしょう。それは、少々(かなり?)意地悪に書いているからです。
つづく。
しょうもないこと言いますよ。パート7
しかし、伝えたい事は以下のようになるのです。
ポイントα:
2013年までの人類の歴史を振り返った時に、哲学が果たした役割は計り知れないものがあります。
個々の哲人が全て正しいと現在から見れば言い切れないにしても、彼らがいなければ、きっと今はなかった。それはそうだと思います。
ポイントβ:
しかし、科学哲学内で議論されている様な話は、現場ととてつもなく乖離していて、科学哲学側から科学へ利益がもたらされたという感覚は一切ありません。寧ろ、邪魔です。うるさいです。
科学研究の方法に100パーセントなんてあるわけ無い。わかんないままふらふらしながら、恐らく正しいと思える場所へ頑張って努力して到達している(と思っている)訳ですから。マジ邪魔しないで。
哲学板に科学者とその仲間たちがいないのは、あなたたちが(現代において)役に立つことを言っていない(ように見える)から、です。
以上です。
つづかない。
新手の荒らしか
>>155-161 ここでボヤくくらいなら、論文にして「科哲」に投稿してぽ
この手の外部からの批判は「科哲」としてもウェルカムだと思うよ
すごいね。2ちゃんでまで上から目線で仕切ろうとする科学哲学の人。
コメントしただけで仕切られたと思う奴
>もしも、「科学哲学」が科学の推進にプラスの方向への貢献を目論んでいるならば
別にそんなこと目論んでないんだけどね
哲学は科学じゃないのに、あくまで科学としてどう役立つかという目線で見ているから
こんなの(科学としては)無意味だ、荒唐無稽だ、ということになる訳で。
だからってほとんどの哲学の人は大して残念だとも何とも思わない。
ニュートリノ理論に工学的応用が無いのを素粒子物理の人が大して悲しまないのと同じで。
線引き問題にしろ、伊勢田自身が、一気に完全に分けることはできないと言ってるのに、
「個別にしか引けない」ということをそれこそ鬼の首を取ったように言ってるし。
関心が違いすぎるから話し合っても永遠にわかりあえないんじゃないかって
この間でた伊勢田須田の対話本読んで思った
鳥が鳥類学者に対して
「あなたたちは空を飛べるんですか?」とか
「鳥類学の研究が私たちの生活向上にどう役立つのですか?」とか
イチャモンをつけているのと同じじゃないかと思いました(小学生並みの感想)
鳥と鳥類学者の関係と違って、科学者は哲学者の言葉が耳に入ってくるからねえ
イチャモンつけられてると思ってるのはお互い様だよ、きっと
海外の研究の受け売りばかりなのに、「学者」と称するのがそもそも烏滸がましい。
>>169 耳に入ってきても理解できてないからやはり鳥と同じ。
173 :
考える名無しさん:2013/09/24(火) 20:53:59.08 0
勘違いしたんだろ
あまり責めてやるな
>>173 前方にある文章からすると"瞬間速度"がゼロにならないのはおかしいということだね。
時間と空間の連続性が証明されてるなら、確かに馬鹿なことを言ってるかもしれん。
伊勢田対須田に関しては須田が馬鹿すぎてまともに論じる意味ないだろ。
哲学は単純に科学の求めるような実証性有効性求めるわけではないし。
だからといって哲学は何も有効性求めないわけじゃないし。
科学の方向とは違う哲学の求める有効性が役に立たないわけでもないし。
文学、政治、法律、経済、社会、文化。
科学的、実証的ごりごりではなく、レトリックや何やら、
事実の中からこれが正しそうと言うのを積み上げれば、
効率よくすりゃそれだけでうまくいくわけじゃなし。
そう直線的に行くわけじゃないから苦労してるんだし。
直接的にはうまく行かなくても、
そっちの方に行ったらヤバイんじゃないのと、止めるのも必要だし。
逆にあまり有効じゃない役に立たない科学なんか腐るほどあるし。
そこらへんの理解が須田は馬鹿すぎ。
科学者の中でも酷すぎ、哲学への理解が幼稚園レベル。
いや法律も文化も社会もわかってない浅薄な大人になってない馬鹿。
あれじゃ議論にならない。
そんなの呼んできた伊勢田が一番悪いが。
科学哲学自体、実証、反証、仮説形成、検証とかの中から、
良いモデル作るとか、科学の前線で今行われてることとは直接関係ないが、
科学に伴うレトリック、それに伴う社会的影響力の行き過ぎへの、
チェックとかとしては有効だろ。
このモデル自体単純だが、だからといって無効ではない。
科学は直線的に進むものじゃない。
事実を検証すれば答え必ず出て、科学は無限に発展するものじゃない。
パラダイムやホーリズム。事実の検証と言っても一筋縄じゃいし。
支配的な物の見方や政治、レトリック、人々のとらわれた枠からの、
自由は容易じゃない。
最終的な決着は科学内部で解決、結論出すべきだとしても、
その周りの科学が不可避的に孕むまとわりつくレトリックや権力を、
抑制したりコントロールするのに、あるいは科学では解決できない問題に、
チェック入れるのに、科学哲学が哲学が無効なわけでも役に立ってないわけでもない。
生命倫理とか科学内部じゃ解決できない問題は腐るほどあるし。
選択の自由と言ってもその自由は何を求めて、
そもそも何を権利とするのが正しいのかは科学では答えられない問題はいくらでもある。
科学哲学は面白いな。
いろいろ読んだがポパー以外時間の無駄だった。
最低でも数学、物理学はやってから科学について語るべき。
結局ポパーに帰ってくるよな
ポパー以後の学者の言ってることって
「ポパーの言うことだけが絶対という訳でもないよね」
で大体要約されちゃうもんね
それ
>>181、ポパーに限らずすべての学者について言えるじゃんか…
絶対でない度合いは色々にしても。
ポパーは通俗的だよ。大発見と言うほどではない。
クーンのパラダイム論のほうが衝撃だった。
184 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 09:24:42.48 0
クーンのパラダイム論だってマルクス主義史観の焼き直しだろ?
物事を理解できない者には偽の情報しか与えられない。
186 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 09:35:25.46 0
クーンのパラダイム論というのは、生物の進化と違って人間の文化は保守的であり、
変化は漸進的には起こらず、保守的な溜めがしばらくあって、その保守性が守れなくなったときに
革命的に起きるという理論でしょ?
ポパーの説はあくまで科学の進歩の「理想モデル」なのであって、
クーンのように「現実の科学者社会」とは別問題じゃないの。
その点ではクーンの批判は意味が無いことじゃないけど、的外れだろう。
また、クーンの説が本当に「現実の科学者社会」を描いているかと言えば、それもまた怪しく、
科学の進歩がパラダイムによってある日突然革命的に起こるというのも間違ったな話だと思うけどね。
科学の進歩もやはりポパーの言うように不断の反証によって進歩していると考えた方が、現実
の学会誌の論争等を見る限り現実に近いと思う。
と言っても経済学しかしらんけど。
何よりクーンの説はポパーの言うとおり「相対主義的」で客観的な知という科学の根幹を破壊してしまう
という点でポパーに同意だね。
要約すると、クーンら新科学哲学は間違っている上に害をもたらすどうしようもない学説ってこった。
188 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 14:26:38.54 0
しかし新科学哲学以降、ポパーの説も反証されまくったでしょ。
クーンのパラダイム説は、相対性理論やダーウィン理論や新古典派経済学理論などに関するかぎり、
ある程度の説得力をもっているように見えるがね。
189 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 14:28:51.21 0
>>187 > ポパーの説はあくまで科学の進歩の「理想モデル」なのであって、
それだと、あくまでもイデオロギーですよって開き直っていることと何が違う?
>>189 どこがイデオロギーなの?
「理想モデル」と現実を分けるのは科学なら常識だろ。
高校で物理取らなかったの?
>>188 経済学しかしらないから、新古典派経済学について言うけど、
アメリカで新古典派経済学が主流の時だって、サミュエルソンとか異説を唱える人は
大勢いた。日本の経済学界ではケインジアンのほうが主流だった。(マル経は論外)
今では新古典派もケインジアンもないよ。両派のと対立点も短期や長期分析の違い
や価格の下方硬直性の問題などとして統合されている。
192 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 15:10:04.60 0
>>190 なんの反論にもなっていないよ。
それだと、科学にとってイデオロギーが必要だと言っているにすぎない。
193 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 15:13:13.59 0
>>191 ポストケインジアンやレギュラリオニストの兄弟姉妹以外は
だいたい新古典派経済学の一種、ちょっとした変種にすぎないでしょ。
新古典派のパラダイムを守る形でしかケインズを取り込んでいない典型。
>>192 ポパーが論理実証主義者と違って形而上学を否定しなかったのは、「客観的真理が存在する」
というテーゼが形而上学的でイデオロギーだったからだ。
その前提を認めない新科学哲学の面々とは話は通じん(共役不可能性)だろうね。
195 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 15:19:12.10 0
>>194 というか、そのポパーの立場は論理実証主義を守りたいがための苦渋の決断だよ。
ポパーは論理実証主義を守りたいがためにその形而上学性を結局は認めざるを得なかった。
それだけの話。批判者が最初から指摘していたことをポパー自身が認めただけのこと。何を今更。
>>195 おいおい、ポパーが論理実証主義の有力な反対者だったってことも知らんのか。
ポパーの「科学的探究の論理」か「推測と反駁」でも読め。
戦争は敵と味方しかいないからね
198 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 21:31:34.29 0
>>196 もちろんそんなことくらい承知で書いているのだが。
反対者だというのはポパー自身の欺瞞・擬装にすぎない。
ポパーは論理実証主義(の目的)を守りたいがために反証主義を唱えたんだよ。
>>198 ソースきぼん
あと、ポパーは論理実証主義とまったく関心が異なることをポストスクリプトで自分とラッセルの違いを説明しながら書いてるよ
で、初期でも「線引き自体が無意味」って書いてるよ
だから、この部分はポパーが初期から一貫してることだと思われ
意味の線引きが無意味ってことね、
これは初期からずっと書いてる
例えば、死とか魂についての考察とかを素人が書いたところで、それが無意味だとは思わないって書いてる
201 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 23:01:41.59 0
やっぱり。「線引き自体が無意味」って言い方は誤解を生むよ。
>そのポパーの立場は論理実証主義を守りたいがための苦渋の決断だよ。
たぶんこのひとポパー読んだことないでしょw
203 :
十二使鳥:2013/10/31(木) 01:45:56.62 0
>>1 >消えてたみたいなので立てました
そりゃ消えるわ。俺が終わらせたからな。
ポパーは推測と反駁でもウィトゲンシュタインを非難してるところで、meaningfulnessの
境界設定には興味が無いと言っている。興味があるのは科学、疑似科学の境界設定だけだとね。
205 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 06:40:08.15 0
論理実証主義の最終目的もそこなわけで、その方法論がちがうと言っているにすぎないわけで、
論理実証主義と一緒にされるのは困ると言いながら、実際には論理実証主義の変種でしかなかった人だ。
206 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 06:44:53.36 0
論理実証主義とポパーとが同じ土壌を共有していないという人は、
例えば詩的な文学作品が反証不可能なのはどの点にあると思っているの?
クーンら相対主義者、
>>205=新科学哲学
論理実証主義 ウィトゲンシュタイン ポパー=旧科学哲学
という分類だといいたいのか。確かにそう主張している科学論者もいるね。
ポパーが形而上学を認め、論理実証主義やウィトゲンシュタインが否定している
という点で両者は多いに異なるから一緒にはできないと思うが。
>>206 ポパーがパルメニデスの詩が哲学(科学)の根源だと主張していることを知らんのか。
ポパーの主著ぐらい読めよ。
批判的合理主義ってポパー一人で完成されてるような。
その後の注目すべき展開はあるの?
210 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 08:04:51.57 0
>>208 それは揚げ足取りにすぎない。
>>206が言っているのは詩的表現や文学作品一般。
ポパーがまさか、詩的表現や文学作品一般が科学と同一の反証可能性を持つ
と主張しているといいたいの?、あなたは。
211 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 08:13:36.75 0
>>207 クーンは相対主義じゃないよ。彼は実際の科学の歴史を問題にしただけ。
漸進的な進化とちがって文化の発展は大勢としては保守的な枠組み(環境・権威主義)に従がっており、
それが科学の発達においても例外ではなかったことを歴史的に明らかにした点にクーンの功績がある。
批判的合理主義なるものは実際には科学史において十全に機能しているわけじゃない。
クーン(やファイヤアベントら)って普通相対主義者に分類されるだろ
>>210 何度も言われているが、境界設定で科学でないものを「意味が無い」と切り捨てたのが論理実証主義。
ポパーは世界1、世界2、世界3の話でもわかるように詩、音楽や形而上学にも価値を認めている。
ポパーの反証可能性という境界設定は単に科学か疑似科学であるかという話。別sに科学じゃなくたって
価値はあるとポパーは述べている。
そもそもポパーは詩や文学だけでなく日常の瑣末な試行錯誤も科学の根源となりうるという立場だから
反証可能性が無いからと言って簡単に切り捨てたりはしない。
214 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 08:47:15.90 0
>>212 彼らはポパーのネオ論理実証主義(新装開店版論理実証主義)に対して
科学の実在性(実際に存在する科学))を対置させて反論しただけだよ。
ポパーくん、君の反証主義は実際の科学史からみれば反証の穴だらけだとね。
>>214 どうもポパーを誤解してるようだから言うけど、
ポパーは科学と疑似科学の境界を反証可能性に求めたのであって、反証に求めたわけではないよ
(反証されたならば、それは反証可能性があったことになるんだから、ポパーの区分けは科学になってしまう)
で、この境界設定は、当時「これは科学だから信用できる」ってやたら叫ぶ人たちがいて(主にマルクス主義者)
科学と疑似科学を区分けすることが人々の間で関心を持たれてたからだよ
21世紀の現代において、経験科学と疑似科学の区分けは誰の関心もひかない問題だと個人的には思ってる
で、実際の科学が政治的なドロドロしたのにまみれているところもあるだろう
アインシュタインの発表の時、多くの物理学者はアインシュタインをトンデモ扱いして叩いたからね
そういうものは反証可能性理論では扱ってない
それに対して「実験で間違ってたら相対性理論は間違ってるよ」と答えたアインシュタインの態度に影響を受けて
反証可能性理論を考えるきっかけになったとポパー自身は書いてる
ところで、クーンの指摘に対して、ポパーは「とっくの昔に自分で指摘してるよ」と答えてる
で、確かにクーンより前に書いてる
純粋な観察がないこととか
反証がただちに理論の棄却と結びつくわけではない、とかね
で、ポパーは「だけど、科学は信頼できるよ」って言うんだけど
その理由はまったく書いてないんだよね
先に答えを言い放った後に、
晩年になって理屈を考えたんじゃないかって思えるほど
この部分の理由はすっぽり抜けている
>>210 ポパーは芸術もまた批判的試行錯誤によって発展して産まれたものだと書いてるよ
ベートーベンやモーツァルトについても書いてる
だから、芸術も試行錯誤のもとになる「誤りから修正すること」はある
科学のような「観察による反証可能性」ではないだろうけど、
似たようなものを芸術にも想定してるんだよ。ポパーは
自分で補足
>>215 この誤解をする人って多いんだけど、
ポパーは「反証されてないものが科学だ」とは言ってないんだよ
「(観察による)反証可能性があるものが科学だ」と言ってる
で、ポパーからすると、ニュートン力学とかは反証されたものなんだよ
で、反証されたから科学になるんだよ
だからポパーに対して「反証された」と言うのはポパーを分かってないアイロニーでしかないんだよ
ポパーを皮肉るならこう皮肉らなければならない
「反証可能性理論は反証可能性がなかった」
科学が帰納によるものではなくて、演繹によるものだと主張したのもポパーの功績かな。
いまだに帰納が科学だと思っている科学者も多いけどね。
帰納は論理的に不可能なものを論理的に可能だと言い張ることだし、
そういう論理の改造ってのは権力に取り込まれやすいよね
でも、ポパーに対して帰納主義者からの反論もあって
ポパーは科学的発見の論理を帰納を使わずに説明したんだけど、
その一連のものを指して「帰納ではないか?」と言う帰納主義者もいたよ
それに対してポパーは「なんであなたはそれを帰納と呼ぶのですか?」って怒ってしまった
もひとつ、実はポパーは帰納を使ってるんじゃないかって言われてるところもある
で、確かにその部分はちょっとだけ帰納的なんだよね
俺は帰納を一切使わないで説明できると考えてポパーの後を追って考えてるけど、
かなり形而上学に足を突っ込んでるから
理屈としては帰納を一切使わないことは難しいのかもしんない
>>209 ポパーの弟子が、ポパーの教え「師匠を批判せよ」ってのを鵜呑みにしてポパーの反証可能性理論を批判した
ポパーは激怒してその弟子との友好関係を絶った
という笑い話がある
(17年後に仲直りした)
ポパーの弟子の日本人が言うには、兄弟子の批判はポパーの批判的合理主義をさらに発展させるものであるらしい
ま、あることにはあるが、
科学哲学の領域ではないかと思われる
>>214 ポパーは主著でこう書いてもいる
「私は、理論の経験への優位性を信じる。実在論者である。」と
で、このことをもってポパーは「わたしは広い意味では唯物論者だ」とも書いてた
224 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 10:41:21.47 0
>>215 ポパーは科学的ディスコースの前提条件において反証可能性を求めたのであって、
反証されたディスコースに無条件に固執することが科学的であるとでも主張しているのかねえ?
詩的なディスコースはしばしば多義的な意味を持ち、
例えばヘーゲルの弁証法的な言明のように、「真かつ偽」「Aかつ非A」という解釈が成り立ってしまうことがある。
それでは反証しようがないから科学的言明としてはその「前提条件」からして不備だということだろう。
>>213 ラッセルやらヴィトゲンシュタインらが詩的なディスコースにはなんの存在価値もないと主張したというソースはどこ?
225 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 10:45:59.22 0
>>217 芸術に真理値はあるのかね?
ピカソの作品に「誤り」と「誤りでない」存在価値があると普遍的に定められるのかね?
それこそ芸術知のパラダイム転換によって時代によって変わるものだろう。
ピカソの作品に鋭い時代風刺を読み取る解釈によって評価する見方もなりたてば、
もはや陳腐でいかなる風刺もないとする見方も成り立ちうるでしょう。
そんなものに「反証可能な意味」があるとポパーやポパー主義者が認めているとは到底思えないが。
ファイアアーベントは別として。
>>224 何に固執するかはかなりどうでもよくて
反証に対して説明しようとすることが、新たな理論、新たな知識を産み出すってところがポパーの理屈
ポパーの論理は「科学的発見の論理」だけど、「科学的創造の論理」と言い換えてもさほど問題はない
(世界3との兼ね合いから「発見」という表現にポパーは固執しそうだけどね)
>>225 ポパーの言う「反証」がそもそも普遍的なものじゃないから。
いい加減、曲解に基づいた反論はやめたら?
返す方も億劫だよ
228 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 10:53:15.68 0
>>227 あなたは、ポパーをかなり読み込んでいらっしゃるようだ。
しかし、巷でポパーの理論を好んで引き合いに出す連中は、論理実証主義と同じ水準でポパー権威主義を掲げるんだよ。
それはポパー自身すら放棄しているものだと主張していも彼らは意に介さない。
科学理論の反証だって、普遍的なものじゃなくていいんだよ
ポパーはそんなこと書いてないしね
だいたいマイケルソンとモーリーの実験だってエーテルの反証実験と見なすこともできれば、
そうでないと見なすこともできる
科学の反証実験が普遍的だなんて誰も言わないよ
そういうくだらん科学の幻想に根ざした批判はうんざり
自分のうわの空と対話してくれよ
230 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 11:01:34.81 0
>>229 > 科学理論の反証だって、普遍的なものじゃなくていいんだよ
ちょっと待った。私が書いた「普遍的」という意味と、あなたのそれとは違う可能性が高い。
私のいう普遍的とは相対的でないという意味。実在主義と同義だよ。それを分かっての反論ならいいんだけどね。
231 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 11:09:31.74 0
>>219 それについては古典近代にはすでにヒュームの存在があるでしょう。
>>230 芸術にはうといが
芸術家が「これではダメだ」と思えるなら、それが反証になるでしょ
その「これではダメ」をどうダメか言葉にできるなら真理値はあるでしょ
矛盾が可能であるためには真理値が必要なわけだし
いかなるものとも矛盾が不可能ならば、それは「ダメ」と言える要素が何一つなくなる
描いたものがすべてダメじゃないなら、芸術家は芸術を昇華しないよね
とまぁ、ポパーにおいて矛盾はとても大事なものだから
ポパーが最も叩いたのはヘーゲルなんだよね
ヘーゲル主義者からはポパーはヘーゲルっぽく見られて、ポパーのやり方を「ジンテーゼなき弁証法」って呼んだんだけど
当のポパーはヘーゲルが大嫌いだった
>>220 >実はポパーは帰納を使ってるんじゃない
これwikipediaにも載ってるけど、日本の某科学哲学者の曲解だろ。
そんなこと言ってるの世界でこの人だけだし。
ポパーが帰納を使ってないことぐらい、まともに数理論理学やってればわかると思うんだが。
>>232はヘーゲルとすごく親和性があるので、ヘーゲルについて。
ポパーは『開かれた社会とその敵』でヘーゲルをボロクソに書いてるけど、
晩年にはヘーゲルについてこうも書いてる
「矛盾は発展のきっかけになるが、そうなるのは我々が矛盾を忌避するがゆえである。
矛盾してよいならば、いかなる発展もない。
ヘーゲル主義者たちは矛盾を許容する。それでは知識はいかなる発展もしない」
矛盾と反証はポパーにおいてかなり近い役割が与えられてることが伺えると思う
日本の科哲は新科学哲学一色だから、ポパーは貶されるが、
英米ではポパー派は結構根強い。
>>233 ポパーは験証度って基準を唱えたんよ
(エラーテストに耐えたことを評価する基準)
で、この基準で必ずうまくいくわけでもないことは語ってる
その意味でポパーは単純な帰納主義者ではない。
でもさ、反証実験も個別事象なわけだから、
100万回やって100万回実験に失敗したとしても、それをたまたま失敗しただけだと見なすことはできてしまう
すると反証が無効化されてしまう
するとさ、個別の実験の成功や失敗を、理論の成功や失敗と見なすことと結びつけることも一種の帰納ともとれる
ポパーはこれに対して
「わざわざ失敗したものを選ぶ理由はもっとない」と書いてるけど、
これは帰納っぽいところあるんじゃない?
実験の成功や失敗は常に個別事象だし、理論の選択は理論の真偽という普遍的なものと結びついてるんじゃないかな?
いや、選択は真ではなく偽だと思うから選択するんだけどね
験証度は「実在論と科学の目的」か。
初期とは大分ポパー理論も変わってるのかもね。
今度読んでみるわ。
239 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 13:18:12.99 0
>>234 それけっきょく、進化論的論理実証主義でしかないと思うぞ。
240 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 13:19:27.85 0
ケインズを都合よい部分だけ取り込んで新古典派を蘇生させたサミュエルソンみたいなもんだな。
241 :
sage:2013/10/31(木) 15:44:26.68 0
>>235 >日本の科哲は新科学哲学一色だから、ポパーは貶されるが、
そうか?
つか、日本ってそもそも境界設定を扱っている人自体ほとんどいない気が
駒場では新科学哲学しか教えないが
>>239 ポパーの進化観はヘーゲルのそれとはかなり違うと思われる
特に、真理近似原理を採用しないあたり、ヘーゲルとは水と油と思われる
進歩を認めるという点ではヘーゲルと似てるけどね
>>237 重箱なのは分かってるけどさ、
重箱の隅をつつくような批判と向き合うことで、新しい知識を開拓することはポパリアンの義務なのよ
>>236 帰納法(induction)って理論の前に経験があるわけだから、
理論の後にテスト(経験)するポパーの思想はどう形容しても
演繹法(deduction)だよ。ポパーの立場も最初に理論ありきって立場は
一貫して変わってない。
「帰納っぽい」とか「一種の帰納」とかいい加減なこと言っちゃだめだよ。
>>246 ポパーはシュリックと親交があって、二人で哲学の話をしたことも何度かあったけど、
シュリックから会合に誘われたことは一度もなかった
誘われてたら参加しただろう
、、と書いてる
それを穿って読めばそう読めるんじゃない?
でも、ポパーが「参加したい」と言ったら参加させてくれたんじゃないの?
>>245 理論が先か、経験が先か、と言えば、ポパーは理論の先行を語る
でもさ、「帰納」って個別事象から普遍事象を導出することで
「演繹」って普遍事象から個別事象を導出することじゃないの?
個別事象から普遍事象を導出することは論理的には妥当でないから問題になるんでないの?
で、ポパーは論理実証主義の一人と思われて度々批判されたんだよね
その度にポパーは「会合に誘われてないから論理実証主義じゃない」と答えたから
「参加したかったけど、参加させてもらえなかった」と思われたのかもね
ちなみにフランクフルト学派にも実証主義者として批判されてまともに相手する気をなくしてる
笑えるのは、ポパーは論理実証主義と勘違いされもしたけど
相対主義者だと勘違いされた時もある
自分の立場を相対主義と区別するために「多元主義」というのを提唱している
晩年は相対主義の問題に強く関心を持ったのか、実在論などの形而上学に意欲的に取り組んでる
弟子のファイアアーベントが相対主義を唱えたから責任を感じたのかもしれん
250 :
246:2013/10/31(木) 18:03:15.87 0
>>247 そうなんですか。レスありがとうございました。
ポパーの自伝でも読んでみます。
『果てしなき探求』ね
で、「帰納っぽい」とか「一種の帰納」って書いてるのは
僕自身は「帰納ではない」という前提のもとに考えてるから。
>>249 論理実証主義だと批判されると都合よく相対主義ぶってみせるだけで、相対主義者ではないな。
ポパーのいう演繹は、帰納主義者にとっての演繹じゃない。
そこがずっと噛み合っていないだけなんだよなあ。
>>249 それは論理実証主義がその貫徹のために形而上学を必要とせねばならないという事実から
自然に導き出せる。それが相対主義でしかないと。
>>252 上でも引用したけど
「私は理論の経験に対する優位性を信じる立場、すなわち実在論者である」という言葉がある通り
ポパーはけして相対主義者ではない
(彼は、普遍的なものを個別的なものより優先させるからだ)
ただ、実証主義者からは相対主義者だと思われることもあった
ポパーは「私は相対主義者ではない」と書いてもいる
つまり、ポパーは「私は実証主義者ではない」という文章と「私は相対主義者ではない」という文章の2つを残している
僕はそれは論理的に矛盾せずに可能だと思うよ
おお、そういや
ポパーは自身の基準に明証性を置かない以上、実証主義者ではない
(「実証主義」ってのは「明証性」をもとに判断するからポジティビズムと呼ばれるようになったらしい)
もっとも、なんでもいっしょくたに「相対主義者」とレッテルを貼ってしまう人はいたんだろうね
ちなみにポパーは多元主義者、「どの理論を支持するかは人によって違ってよい」とする立場だ
ただし、異なる理論同士だろうと批判的に議論することにより理論はさらなる発展をする、というものである
科学はそのような発展をしてきた、というのがポパーの科学観だ
でも、科学は正しい一つの回答を持っていると考える人たちからは「相対主義者」とのレッテルを貼られた
(ポパーは相対主義を度々批判してきたにも関わらず)
そういう人たちにとっては相対主義者であるかどうかはどうでもよかったんだろうな、と思う
そして僕は、自分がポパーのことばかり書くことに少し抵抗がある
ここはポパースレじゃなくて科学哲学スレだからね
でも、科学哲学スレにこんな人が乗り込んでくるのもすごいなぁとは思うけどね
で、彼の言葉なんだけど、哲学の伝統で使う言葉とは正反対になってる
「実在」とかはまったく違うものに使ってる
この使い方は「ポストモダン」と呼ばれる人たちの使い方だから、おそらくその伝統だと思われる
ということは彼が言う「論理実証主義者」というレッテルも、
実際の哲学史における論理実証主義とは異なるものを言ってるのだと思われる
ど素人なんですが、背理法と反証ってどう違うんですか?
ちょっと違う
そもそも"論理実証主義"と同じだからダメだ、
という十把一絡げな批判もあまりに雑だと思う。
それじゃポストモダンと同じだからダメだ、というのと同じで
個人的な好き嫌いで良い悪いを言っている感じさえする。
論理実証主義者の言った事が何から何まで間違っていたわけじゃないんだから
せめて論理実証主義者と同じく〜〜である点がダメだ、と言ってくれないと
批判の主意を理解できない。
263 :
考える名無しさん:2013/11/05(火) 13:08:02.78 0
最新の科学哲学ってどうなったの?
日銀の黒田氏がポパー主義を信奉しているらしいが・・・
265 :
考える名無しさん:2013/11/05(火) 21:45:10.38 0
なんか不毛だね。
浅すぎる。
たぶんソロスとかハイエク経由なんでしょw
ソロスはちゃんとポパー哲学理解してるのかかなり怪しいが、
ハイエクはまともだよ。「推測と反駁」だって「ハイエクに捧ぐ」って巻頭にあるし。
ポパーの話が終わったら人がいなくなった・・・
科学哲学はポパーで終わってます
数学的帰納法は演繹法の一種ってwikipediaに書いてあったんだけど、
なぜ演繹なんですか?
ポパーはソシュールらのようなシステム主義者(いわゆる構造主義者)なのかなあ?
まず全体があって個別がある。
ポパーは構造主義とはまるで縁が無い。
19世紀的な価値観で生きてる人。
ポパーに言わせると、構造主義も「相対主義だ。論外!」で終わりなんだろうな。
構造主義というのは全体主義であって相対主義じゃないよ。わかってる?
全体論による演繹主義。
>>270 むしろ、名前以外のどこに「帰納法」と思える要素があるのか
「微分の言いぬけ」を批判した某数学者が科学はすべて帰納法と書いているけどなあ。
数学者の使う用語と哲学者の使う用語が食い違っているの?
帰納法は発見法 演繹法は論証法
>>272 19世紀こそまさしく構造主義的エピステーメの時代だったのだが。
構造主義は戦後の思想だろ。
構造主義はソシュールはもちろん、フロイトやマルクスらにもすでにはっきりと見られたもので、
19世紀からの流れを汲んでいる。
一般法則を打ち立てそこから個別の事例を演繹するという方法論的全体主義の系譜は結構古いが、
ソシュールやフロイトやマルクスの生きた時代にはすでに確立していたもの。
それを数学的に定式化しようとしたのはレヴィ=ストロースだろうが・・・
システム工学の流れもあるし。
相対主義の対義語は教条主義だと思う。
構造主義って構造言いたいだけにしか思えないんだけど
邪教撲滅
科学的帰納法の本質は演繹的であるとするポパーの発想のソースはJ.S.ミルですね。
帰納ったって、今までそうだからと次がそうなるかは、
全く根拠ないけどな。
例え根拠があったとして、
ある原因から現在こうなると因果で説明できたとして、
将来どうなるかは全くわからない。
同じような説明は無数にできるから、どれを選ぶかは自由。
太陽が東から百万回登ったからって、
次は東から登るのか、
西から登るのも北から登るのも説明体系としての価値は全く同じ。
288 :
考える名無しさん:2013/11/17(日) 06:45:02.38 0
ちがうね
太陽が突然に西から昇るような世界なら
人間なんか生きてない
斉一性原理証明されてない時点で科学はお察し
斉一性原理は証明の必要がない公理だから。
斉一性原理を信じない人は非国民です
哲学では何が厳密に証明されてるの?
科学を否定している人が科学の産物であるインターネットを使う不思議
日本に住んでいる人が日本を否定してはいけないことと同じだよね
哲学板って、アスペルガーが多い気がする。
アスペといえばいいと思ってる奴多いよね
戦前、戦中の日本での科学哲学の扱いってどんなもんだったんですかね?
経済学者の森嶋通夫氏が自伝でウィーン学団の統一科学運動の本を読んだと書いてましたが、
ウィーン学団はナチスにオーストリアが併合された後は弾圧されたと聞きました。
日本ではどうだったんですかね?やっぱ枢軸だから弾圧されたんですか?
>>298 日本の哲学は輸入学問で
「西洋で科学哲学なるものがあるらしいから学んで来い」って、留学してから輸入されたのが科学哲学
その最初の人の渡米が1958年だから、
多分、戦後に輸入されたもので、戦中はなかったんじゃない?
300 :
298:2013/11/29(金) 07:56:51.25 0
>>299 レスありがとうございます。
書き忘れましたが森嶋氏の話は自伝によると戦前の話でして、統一科学運動
が日本語の文献に訳されていたことにちょっと驚きを覚えたので質問させていただきました。
ウィーン学団、ウィトゲンシュタイン、ポパーなどはすべて日本ではノーマークだったのかなあ。。。
1930,40年代の日本は世界でもまれな親独国でドイツ語できる人は多かったから、
情報ぐらいは入っているんじゃないの?
ゲーデルの不完全性定理の話なんか日本じゃ
1940年代、1950年代は専門家くらいしか知らなかったからどうなのかなあ
戦前でも専門家の世界ではそれほどタイムラグはないのか。
碧海純一氏が7月に亡くなっていたことに気がつかなかった・・・
ご冥福をお祈りします。
絶版になった法哲学概論が欲しいけど古本なのに高くて買えん。
ポパー主義の法哲学って非常に興味をそそられるな。
古本だから高いというパターンだね
車にポパ〜♪
日本でポパーの哲学を教えている大学(教員)ってありますか?
>>307 小河原誠がイギリスに留学してポパーの弟子として身の回りの世話をしてた日本人
ポパー研究会は慶応にあったな
ポパーの他に話題はないのかよ
最近の展開とかそこらへんをkwsk
まわりまわってポパーに戻ってきました
313 :
考える名無しさん:2013/12/14(土) 13:12:28.26 0
ポパーとか別に習わなくたって自分で読めば分かるでしょ?
そら文系の学問すべてに言える事ですがな
315 :
考える名無しさん:2013/12/15(日) 03:08:39.08 0
演習が必要なものもいっぱいあるよ。
一定の技能を習得させなければならない実学についてはね。
グロタンディークは好きじゃないけど↓の発言だけは名言としか言い様がない
「数学は目の速度ではなく、手の速度で読み、手の速度で習得するもの」
数式を手に馴染ませてもいないような人間が理数系学問
ましてや数物に一言物申そうとするなどおこがましいにも程がある
グロタンディークは具体的な数式自体は嫌いそうだけどね
言い訳よりまず先に
謙虚になれや・・・
文系でも英単語は書いて覚えている
未だに
おかげでスペルミスゼロ
スペルミスに気づいていない、という可能性には気づかないのか?
あげ
>>316 科学哲学は、今の物理に一言物申してやろう、というような意図は無い
科学哲学者が科学に言及しただけで腹を立てるのは
自分達こそが科学者の代表だと思い込んでる物理学者くらい。
物理の人って「心理学なんかサイエンスじゃない」みたいに
知りもせずに酷いこと言ってたりもするしね。
あと数学の哲学は科学哲学じゃない。
323 :
考える名無しさん:2014/04/29(火) 02:51:12.98 0
心理学って、ただ実験羅列しているだけで、学問っぽい雰囲気には欠けるけど、
結構実用的な面もある。その意味では経営学と似ているかも。
唯一成功した科学哲学は、統計学だね。
統計学は哲学ではない
ベイズに入れ込んでいる大御所がいたね。
名前、誰だっけ。
330 :
考える名無しさん:2014/09/16(火) 20:45:48.84 0
あげときますか
331 :
考える名無しさん:2014/10/12(日) 21:15:19.99 0
放送大学の閉講科目の科学哲学の書籍を借りて来ました。
これから読んで見ます。
332 :
考える名無しさん:2014/10/24(金) 13:47:20.96 0
保守
ほ
334 :
考える名無しさん:2014/11/14(金) 16:12:36.44 0
入門書を教えて
>>334 「Wahrscheinlichkeit und Wissenschaft」
336 :
考える名無しさん:2014/11/14(金) 17:49:28.02 0
Ich kann es nicht machen.
結局ポパーにもどってくるんだよな
338 :
考える名無しさん:2014/11/18(火) 22:40:46.98 0
東大のHPに書かれたの(前)読んだけどわからんかった
339 :
考える名無しさん:2014/11/19(水) 16:55:40.77 0
ポパーったって根拠レスな一学説に過ぎない。眉に唾つけたほうがよい。
は?科学そのものが根拠ないじゃん
341 :
考える名無しさん:2014/11/19(水) 17:26:39.54 0
科学とは百科の学。したがってファイアアーベントが正しい。
343 :
考える名無しさん:2014/11/19(水) 18:54:52.93 0
科学哲学は、ポパーとそれに対する反定立という
構図を未だに超えてない気がするんだよね
>>340 鳥類学や鳥類学者の話してるときに
は?カラスやスズメだって能無しじゃん、
とか言ってるような感じ
344 :
考える名無しさん:2014/11/19(水) 21:43:25.74 0
>>334 科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ) 単行本 – 2008/3/25
サミール オカーシャ (著), Samir Okasha (原著), 廣瀬 覚 (翻訳)
おすすめ。科学哲学が問題にしているところをざっと分かる。あと、似たような内容だけど、戸田山の「科学哲学の冒険」もよかった。
345 :
考える名無しさん:2014/11/19(水) 23:27:54.19 0
伊勢田先生のが定本でしょ?
戸田山も伊勢田も物理学知らないでしょ
西脇与作編の『入門 科学哲学』がおすすめ
西脇の『入門 科学哲学』は全くオススメできんなあ
伊勢田の方が断然よい
物理学がわかっている科学哲学者といえば理学博士の森田邦久がいるが
彼の『科学哲学講義』もそれほどオススメではない
悪い本ではないが、伊勢田本の方がよほどオススメ
349 :
考える名無しさん:2014/11/22(土) 22:09:46.41 0
伊勢田先生の本はね、単なる知識の陳列じゃなくて、ロジックで繋がっているところが
good。こなれた本だと思うよ。
350 :
考える名無しさん:2014/11/22(土) 23:30:11.06 0
>>348 全部読めば良い。 順序としては、
>>344の2冊のあとに伊勢田、森田、西脇かな。
>>349 たしかに伊勢田のは話につながりがあって読みやすい。
森田のは説と結論は分かるけど、流れの説明が不足している。
西脇のは癖があるから、ある程度知識のある人が読むべき。
アレックス・ローゼンバーグの「科学哲学」は上のを全部読んでも理解するのが難しかった。
351 :
考える名無しさん:2014/11/23(日) 00:00:53.21 0
現代に話題になってるような
科学そのものを題材にして、豊富な科学知識を援用して
科学哲学的な問題意識と実際の科学や科学者・科学研究のあり方の関係を説く、
みたいな本あったら売れそう
伊勢田さんは時間が経って歴史の氷漬けになった科学のほうが好きらしいけど、
歴史の対象になる事で見えなくなることだってあるからね
352 :
考える名無しさん:2014/11/23(日) 01:54:14.69 0
研究の現場に意見すると嫌われる傾向もあるからね。難しいところ。
>>350 ローゼンバーグ読むなら、ポパーと(少なくとも)大学教養レベルの統計学と生物学を勉強してからの方がいいぞ
>>353 エリオット・ソーバーと勘違いしていると思われ。
ローゼンバーグのあの本はねちねちした形而上学的な思索が多いけど、
統計学や生物学はほとんど関係ない。
伊勢田が常駐してるのはわかった
やっぱ伊勢田さんここに書き込んでるよねww
359 :
考える名無しさん:2014/11/25(火) 02:31:52.46 0
「擬似科学と科学の哲学」(名古屋大学出版会)
伊勢田さん定期巡回ご苦労さまです^^
はじめまして、科学哲学の本を買ったばかりです、
中山泰雄さんの科学哲学の本と
森田邦久さんの理系人に役立つ科学哲学をかってみました。
考え方がわかるようになりたいと思ってます。
他におすすめの本があったら教えてください。
364 :
考える名無しさん:2014/12/28(日) 19:46:27.31 0
ファイアアーベント「方法への挑戦」
365 :
363:2014/12/28(日) 20:20:10.94 0
用語の質問です。
わたしたち(日本の多くの人)はグレゴリオ暦に沿って暮らしていて、今日は1月6日です。
でも、今日が1月6日なのは人間が勝手に決めたことに過ぎず、自然にとっては
今日が7月12日でも一向にかまわない(現象に一切の変化がない)わけです。
同様に、私たちは1メートルを光の速さに基づいて腰の高さぐらいに決めていますが、
実はこれも、指の長さぐらいを1メートルと決めていたとしたって、
自然にとっては一向にかまわないわけです。
あるいは、長さの基準なんて決まってなくても、自然は普段どおり働きます。
敷衍して、人間が決めたこうした長さ、物理的基準、
ひいては社会的な基準は、自然の働きとは全く関係がありません。
…ということを称して、「XXX性」という言葉で表現すると学生時代に習いました。
で、その言葉が思い出せません。
どなたか、適切な用語をお教えいただけないでしょうか?
こうしたnatureがnotionからfreeであるさまを、一言で表現したいのです。
おぼろげながら記憶では、「自然のXXX性」とか言った気もするのですが、
うまく当てはまる言葉が哲学辞典等にはみつからないです。
文化相対性
文化依存性
文脈依存性
言語の恣意性
370 :
367:2015/01/09(金) 21:41:48.54 0
>>368,369
ありがとうございます。
いま手がけている文章では主に「恣意性」「言語の恣意性」で書いてみます。
これで簡潔で読みやすい文章にできそうです。
しかし他の用語も、事典辞書にあたる際の端緒になり、大変に助かりました。
>同様に、私たちは1メートルを光の速さに基づいて腰の高さぐらいに決めていますが、
>実はこれも、指の長さぐらいを1メートルと決めていたとしたって、
>自然にとっては一向にかまわないわけです。
物理では誤差いくつでの長さが求まるという話なのに哲学の本ではあたかも長さが決まるよう
にして話が進んでいく
素朴な疑問でした
>>371 「誤差いくつで」対象の長さを測るためには、
何か1つ絶対の規準を用意しておかないといけない
それを何に決めるかという話だろう
光速は昔は測られる対象だったが、現代物理学では光速が規準
>>367とは関係なく、一般的な科哲入門の本の話でした
>>372 >何か1つ絶対の規準を用意しておかないといけない
いらない
ポパーの話ばかりですまないんだが、ポパー全集って英語版も日本語版もないの?
安く揃えたかったら英語のペーパーブックで買うしかないんだろうか?
ハイエク全集はかなり前からあるのに扱いが違うよね。知名度のせいだろうか。
376 :
375:2015/02/21(土) 19:08:35.40 0
検索してから書き込むべきだったが、ドイツ語版の全集はあるみたいだね。
英語でだしてくれないかな?主著の大半は英語がオリジナルなんだし。
ポパーなら英語で読めそうだけどな